2017年01月05日

さらば第四銀行

 第四銀行は2017年1月4日から勘定系システムを刷新し、その結果、これまでこよなく愛した取扱店名の漢字による通帳記入が廃止となりました。
 私は「通帳に文字で取扱店名が出る」という一点をもって、その銀行を偏愛し「めぐ」を実施しておりますので、それがなくなった以上、第四銀行ともお別れすることになります。口座を解約するわけではありませんが、これまでのように愛着をもって取引することはできなくなりました。
 そこで、これまで愛した証として、「締めくくりの記」のようなものを草し、過去帳入りした「第四銀めぐ」を偲ぶことにしたいと思います。

 私の過去の「第四銀めぐ」の経緯については、昨年12月に発表した記事「第四銀行の全店制覇を達成」で触れておりますので繰り返しませんが、10年以上にわたってちびちびと第四銀の店舗を巡ってきたわけです。制覇の記録はこちらをご参照下さい。
 「第四銀めぐ」を2016年でいったん完成させようと思ったきっかけは、旧長期信用銀行のあおぞら銀行で昨年5月に実施された勘定系システム刷新でした。あおぞら銀は預金取引の取扱店が半角カナで通帳に記帳される銀行でしたが、昨年5月の改変でこれが廃止されております。事前にコールセンターに照会して「店名は漢字記帳になる」との回答を得ていましたので、未制覇のまま残っていた首都圏の店舗はシステム刷新後の楽しみに残していたのです。ところが、結果は店名記帳廃止(店番号で表示)。コールセンターの説明が嘘っぱちとは何事か、と思いますが、ともあれ同行の首都圏店舗は永遠に未制覇のままとなってしまいました。
 一方、第四銀行もシステム刷新の話が具体的になってきます。提携関係にある地方銀行グループ「翼プロジェクト」での合意に合わせ、千葉銀行・中国銀行(岡山市)とシステムを共通化するということでした。これだけなら、基本的なシステムは導入しつつも第四銀なりにカスタマイズする可能性もありますので、店名の記帳が廃止になるとは想像できなかったのですが、あおぞら銀の轍を踏まないためにも、第四銀めぐりは2016年でいったん完成させておこう、という方針を立てました。
 2016年の秋になって、システム改変に伴う告知が出ます。第四銀が2016年9月26日付で出した『第四銀行からの新システム移行に関する重要なお知らせ』というパンフレットでは、「通帳への印字内容の変更について」というページで、店名印字の廃止について一切触れておりません。第四銀は過去にシステム改変を行った際に店名印字を存続させていますので、これは特段変更がないという意味かと楽観的に構えていました。
 そこへ「新通帳のフォーマットが千葉銀行と同じ」という指摘をいただきます。ここで初めて、少し嫌な予感がしました。千葉銀は店名の印字などありませんので、通帳のフォーマットを千葉銀に揃えるということは、印字の様式なども千葉銀に合わせるということなのか。心ははやりますが、この時期は手の離せない仕事を抱えていて、第四銀めぐりを行うことはできませんでした。
 ようやく日程に余裕ができたのが、12月に入ってから。12月9日15時38分に津川支店で全店制覇を達成したのは、先述の記事で書いたとおりです。五泉市から津川に向かう国道49号線はところどころで雪化粧しており、また10日から本格的な雪になるとの予報でしたので、雪道の運転経験が乏しい私としては、1日でもズレたら危ないところでした。

 全店制覇の報告に対して、新たな情報が寄せられます。私が2005年に半角カナでの制覇を済ませていた、長岡新産センター支店についても、通帳の様式によっては全角漢字で店名記帳がなされるというのです。上述の事情から年内に制覇を済ませないといけませんが、年の瀬も押し迫った12月26日まで日程が取れませんでした。過去の「めぐ」で印象の薄かったところを併せて再訪することにし、青春18きっぷを利用して移動するプランを立てて準備していたところ、そこに襲い掛かったのが、糸魚川市中心部の大火です。27日は「ラーメン二郎」の会津若松駅前店へ行こうと思っていたのですが、予定を変更して大火直後の糸魚川市を見てくることにしました。この、12月26〜27日のハシゴが、結果的に最後の「第四銀めぐ」となりました。最後の“制覇”(店名が記帳される取引という意味で)は、大火5日後の糸魚川支店でした。このあたりについては、当ブログ2016年12月30日掲載「大火5日後の糸魚川市を訪問」をご参照下さい。
 そして迎えた2017年。1月4日の『為栗ニュース』記事「第四銀、通帳への取扱店名記帳を廃止」もご参照下さい。システム改変後の状況は、首都圏で唯一ATMを配備している大宮支店で見てくることにしていました。昼近くに大宮に着き、まずはATMで“制覇”と同じ取引を。レシートに取引時刻が印字されるようになったのは進歩でしたが、通帳記入をかけて全てが終わりました。出てきた通帳は、「大宮支店」と書かれているべき場所に「AD」「CD」の短い英字略号しか印字されていなかったのです。これを見た時、私は「第四銀めぐ」という一つの時代が終わったのを感じました。

 第四銀行めぐりを行う過程でお世話になった、関係者と同好の士の皆様に、改めて感謝申し上げます。そして、さようなら、私が愛した第四銀行。「第四銀めぐ」の冥福を祈ります。

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posted by 為栗 裕雅 at 11:20| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 単発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月30日

大火5日後の糸魚川市を訪問

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 新潟県糸魚川(いといがわ)市は、年の瀬の2016年12月22日、約150棟を焼く大規模火災により、町の中心部が大きく壊滅しました。被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。
 私はもともと26日に新潟県を訪れる計画があり、27日は福島県の会津に回ってラーメンを食べてこようと思っていたのですが、急きょ予定を変更し、大火5日後の糸魚川市の様子を取材してくることにしました。どこかの野党党首とは違いまして、自分の休日を使い、しかも費用はすべて自腹であります。以下はその際の知見によって書かれたものです。


【写真はクリックで拡大表示されます(上の1枚を除く)

itoi-1.jpg 12月27日(火)、えちごトキめき鉄道の泊行き普通列車、直江津08:08発で糸魚川へ。直江津駅近くの旅館を出た時は小雨がパラつく程度だったが、列車の進行とともに雨脚が強さを増した。
 08:50糸魚川着。北陸新幹線の開業によりきれいに整備された糸魚川駅を、北側に出る。駅前広場の右にすぐ建っているのは、「ヒスイ王国館」といい、今回の大火で金融機関が臨時窓口を設けていた建物【右写真】。土産物屋や貸会議室などを備えた施設で、経営している株式会社は市の第三セクターと思われる。
 ヒスイ王国館を横目で見ながら、第四銀行糸魚川支店を目指す。前回訪れた際の目的地が第四銀の支店であったこと、今回も第四銀を中心に金融機関を見てくることが主目的であることが理由である。

 駅前の大通り(県道154号糸魚川停車場線)を北に向かい、最初の大きな交差点「大町」で左折すると、金融機関が並ぶ糸魚川市の中心街である。大町交差点に向かう途中の小さい路地に、通行止になっているところがあり、被害の大きさが案じられた。右前方に、大光銀行の糸魚川支店が見える。大光銀は今回被災していない。大町の交差点(丁字路)は、その手前にある。
itoi-2.jpg 左折すると、途端に、数十メートル先で建物が全部なくなっているのに気付く。「きれいさっぱり」ではない。黒焦げになったがれきが崩れたままの状態でところどころ山になっている。これでも、道路上のがれきなどは片付けられているのだろう。
 焼失区域の中に第四銀行と北越銀行の糸魚川支店があり、鎮火後にこの2つのビルだけ形を残しているのは、新聞報道などで写真(共同通信社配信)を見て知っていた。まず先に、前方左に見えるのが北越銀行【左写真左】。形を残していると言ってもこの状態である。北側半分の窓がすべてベニヤ板で覆われているから、ガラスが溶けたり割れたりしたのだろう。2014年9月撮影のグーグルストリートビュー【左写真右】を見ると、手前の道路と北越銀との間には、旧商店と旅館があったようだ。大火後の写真は、ストビューでいうと画面の左下、歩道の色が変わっているあたりで撮ったものである。
itoi-4.jpg 北越銀【左写真】の店内に入ってみた。店の前面は白い鉄板で覆われており、その前で行員が案内がてら箒で掃除をしている。おはようございます、こちらから入れますので、という声に従い、細い入口から中に入る。この出入口は、本来なら午後3時の閉店後に客が中から出るためのものだろう。窓口室はとりあえず焼けてはおらず、いちおう通常の形で営業しているようだった。しかし焦げ臭いにおいが充満しているし、気のせいか照明も少し暗いと感じられる。ATMは窓口室で1台だけ稼働している。これはもともと窓口室に置かれていた分だろう。大火後、北越銀行は糸魚川支店のATM稼働時間を窓口と同じ15時までとしているし、キャッシュコーナーの部分は鉄板で覆われているから、おそらくキャッシュコーナーが焼けたのだろう。
 大火前、店先には木製の雁木(がんぎ:今でいうアーケード)が付いていた。このあたりは明治時代の名残を残す古い町並みで、大町の交差点から始まるこの道にも「雁木通り」という通称名がある。鉄筋コンクリート造りの北越銀も、お付き合いで店先に雁木を設置したのだろう。この雁木に火が回ったと思われる。
itoi-3.jpg なお、北越銀の反対側は【右写真】のような状態。右(西)側の壁面が焦げていないのは、駐車場への通路に面していたため。

itoi-5.jpg 第四銀行の糸魚川支店は、北越銀の50mほど先にある【左写真左】。こちらも、窓にブルーシートを張ったりガラスをテープで補修したりと痛々しい状況。ただ、キャッシュコーナーは通常通り稼働しているし、北越銀よりは被害程度が軽そうに見える。第四銀の店頭に木製の雁木がなかったことが、被害の軽重を分けたのかもしれない。
 第四銀の店先に出ている看板【左写真右】。今回の大火は「糸魚川市駅北大火」という名前になったらしい。金融機関は、自ら被災しながらも被災者に対する支援を行うという社会的役割を担っているのだな、と感じた(右の看板に似たものは北越銀の店頭にもあった)。なお、糸魚川市の指定金融機関は第四銀行と北越銀行で2年ごとにローテーションしており、現在(2016年8月以降)は第四銀が担当している。
itoi-6.jpg 第四銀の隣は、江戸時代から400年近く続いたという造り酒屋だった【左写真】。加賀の井酒造という名称は、加賀藩が参勤交代の際ここに本陣を置いたことに由来するという。新潟県最古の酒蔵で、創業当時の記録など諸々の古文書も保存していたが、焼失したとみられる。第四銀が受けた影響は、隣接する造り酒屋が燃えたことが全てのようだ。報道された写真(朝日新聞社配信)で、外壁が黒焦げになっているのは、造り酒屋の本館建物があったところの北側である。前面半分の壁がきれいなのは、そこが酒蔵の庭だったことと、南から強い風が吹いていたためだろう。
itoi-7.jpg 先日ツイッターに出した、2010年当時の糸魚川支店の写真【右写真左】。バスの待合所のように見えたのは、隣の造り酒屋の店先に作られた雁木の部分だったが、前の写真のように焼失した。ストビューの写真で、木製の柱の背後に写っている文化財の説明看板が、そのまま残っている(文面【右写真右】)。
 このブログは銀行めぐりのブログであるので、第四銀糸魚川支店の“制覇”の記録を出しておこう。機械の配置は両替機+ATM4台。市の中心にある支店としては平均的な台数であった。制覇は09:10頃のことであった。第四銀のATMレシートには取引の時刻が印字されていないので、大まかな時刻しかわからない。

itoi-8.jpg 第四のさらに向こうを見ると、雁木通りの北側では京屋という和菓子店が西の限界である。店の東側は第四銀の第二駐車場であり、京屋はそのおかげで延焼を免れた【右写真】。雁木通りの南側では、京屋の10mほど東側、糸魚川信用組合の本町支店が大火の西限である。信組も被災はしたが、外見上は壁が焼けた程度に留まり、ATMと窓口は普通に営業している。さすが金融機関の建物は火に強いようだが、それでも被害が最も大きかった北越銀行を見ると「ある程度」でしかないようだ。なお、ここから雁木通りをさらに西へ行くと、富山第一銀行が糸魚川支店を出しているが、そこまで行ったことはないし、今回も行かなかった。
 とにかく、火が襲ったエリアはどこもかしこも真っ黒焦げ。「焦土」とはこういう状態をいうのだろうか、と思った。他所者・部外者の私が来てそう感じるぐらいである。この町で生まれ育ち、人生の記憶の大半がこの町にある地元の人は、さぞかし大きな喪失を感じているのではないかと思う。もちろん、焼け出された人にとっては、人生の記憶以前に生活の基盤まで喪失したわけである。
 そして、それをあざ笑うかのような土砂降りの雨。今日ではなく、あの火事の日に、このぐらい降ってくれればよかったのに。大火が起きた日のフェーン現象が尋常でなかったのは、東京にいてもよくわかった。あの日、東京は強い雨。かなりの暴風が吹き荒れ、気温も12月下旬にして摂氏20度まで上がったのである。その裏で、日本海側では乾いた強風が吹きまくった。よりによってこのタイミングで、火元となったラーメン店の店主は鍋を空焚きにしてしまったわけである。偶然の一語で済ませるにはあまりに重い不幸であると感じた。
posted by 為栗 裕雅 at 14:40| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 単発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月29日

第四銀「完全」制覇(ではないか)

 暮れも押し迫った12月26〜27日、新潟県に出張し、懸案だった第四銀行長岡新産センター支店を制覇してきました。情報提供いただいたとおり、通帳には漢字で店名が印字されました(画像上)。
 この支店、店名の通帳印字が漢字になるのは入金の時のみで、出金時には半角カナになるという、変則的な扱いになっております。漢字になるかカタカナになるかは字数の関係だと思いますが、紙の通帳とインターネットバンキングとで表示が逆(後者は出金の時に漢字)となっているのは面白いと思いました(画像下)。個人の感想ですが、第四の隣にある北越銀行の支店は名称を「長岡新産支店」といいますので、第四も「センター」を外してしまってはどうか、と思います。
 タイトルはなんだか自信喪失した感じですが、「完全」という単語は安易に使わない方がいいと考えております。一応、今回で漏れはなくなったハズですが。

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posted by 為栗 裕雅 at 18:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 単発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月10日

第四銀行の全店制覇を達成

 ツイッターでご報告したとおり https://twitter.com/shiteguri/status/807114469318868992 、2016年12月9日15時38分、第四銀行の全店制覇を達成しました。
 最後の制覇となったのは、津川支店(新潟県東蒲原郡阿賀町)でした。国道49号線を東に10kmも進むと福島県に入るという、山間の町にある支店です。
 なぜ津川が最後になったかというと、2016年中に第四銀めぐりをいったん完成させることにし、未制覇だった31か所を一気に車で回ったためです。31か所は大半が新潟市とその周辺でしたが、津川支店だけ際立って離れた場所にありましたので、第四銀めぐりの締めくくりとしてふさわしいと思われました。では、津川だけなぜ最後まで残ったかといいますと、福島県と新潟県とを結ぶJR磐越西線を、津川のような途中の駅で降りる機会がなかったため。一度模索したことはありましたが、支店は駅から川の対岸にあり、1.5kmほど離れているため、寄り道するには時間がかかり過ぎるとして諦めたのでした。

 これを機会に、私の「第四めぐ」を振り返ります。
 第四銀行で取引をして通帳に店名を記載した第1号は、2001年10月24日の横浜支店でした。当時横浜支店は路面店舗で、ATMも配備されており、取引をした結果は<ヨコハマ>と半角カタカナで記帳されております。当時はまだ、漢字で店名が記帳されるあさひ銀行(現りそな・埼玉りそな銀行)の制覇に注力しており、半角カタカナには魅力を感じなかったため、この時期の店名記帳は横浜支店ただ1つにとどまっております。
 第四銀の「めぐ」を初めて意識したのは、2003年4月22日の池袋支店でした。ATMで記帳した場合は店名が半角カタカナだが、窓口で記帳してもらった場合は漢字表記になる、という情報を得たため、自宅から一番近い店舗に行ってみたのです。この時が実質的に現状スタイルでの初制覇ということになります。以後、この年は大阪・富山・名古屋・会津(会津若松市)・札幌と、県外店舗の制覇が続きます。
 新潟県内店舗の制覇第1号は、2004年9月10日、小千谷市の東小千谷支店です。この日は同市と長岡市の計6店を制覇していますが、なぜ小千谷市が第1号になったか、自分でもさっぱりわかりません。2005年3月には、当ブログにも掲載されている上越線から佐渡島方面に至る34店の「めぐ」を実施 http://megu-shiteguri.seesaa.net/category/5644496-1.html 。翌月の2005年4月には新潟県北部へ出向き8店制覇、2006年8月には松之山代理店(十日町市)の統合にともない十日町から新井(妙高市)に至る12店を制覇しましたが、そのあと2007〜2009年の3年間は制覇がパッタリと止まりました。
 第四銀のATMは、2009年頃から現行の「AK-1」が導入され、この型のATMで通帳記帳を行った場合、窓口で記帳を依頼しなくても店名が漢字で印字されるようになりました。これをきっかけに、2010年2月の上越市方面から制覇を再開し、2011年11月には本町北支店(新潟市中央区)の統合にともない新潟市内を回りましたが、2012・13年は休止。以後、2014年は9月、2015年は2月、2016年は4月と、休止した年を除き年1回ほどのペースで新潟県内での「めぐ」を実施してきました。
 このままいくと全店制覇は東京オリンピックの頃あたりになりそうでしたが、心境の変化から2016年でいったん完成させることにしたため、今回最後まで残った31店を一気に攻めたわけです。レンタカーで一気に回るのは、効率的な半面、個々の店に対しての印象がどうしても薄くなりますから、できればローカル鉄道やローカル路線バスの旅をしながら、時間をかけてゆっくり制覇したかったのです(だから津川も最後まで残していたのでした)。しかし、池袋支店で初めて「めぐ」を意識してから13年が経過し、さすがに時間の掛け過ぎだとも考えました。

 最後に、百聞は一見に如かずで、2日間全32店の制覇の証拠をご覧に入れましょう。東京から夜行バスで新潟駅に着きましたので、新潟駅前にある制覇済みの支店(南新潟支店)を含めて32店です。9日の分は記帳してくるのを忘れましたので、インターネットバンキングのスクリーンショットをお見せします(クリックで拡大)。

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posted by 為栗 裕雅 at 12:12| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 単発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月28日

あとがき・参考文献

 「銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇」、4月27日をもって完結いたしました。最後までお読みいただいた方には、例によってダラダラと続いた連載にお付き合いいただき、御礼申し上げます。分量は300枚を若干上回った程度でした(400字詰原稿用紙換算)。

 今回の「めぐ」は、順番でいうと、この前に1本準備中のものがありました。秋田県の半年前に某所(今はまだ地名は伏せておきます)でハシゴした際のもので、当初は秋田県篇と同時進行で作っていたのですが、次第にこちらにのめり込むことになりました。
 今回の連載ほど、執筆にあたっての取材活動を楽しく感じたことはありませんでした。その理由は、データを探しに行くと、ここにあると想定した場所に確実に存在したからです。秋田県という地域は、県紙(『秋田魁新報』)よりも小規模な「地域紙」が多数発行されているエリアで、これらのバックナンバーを丹念に読んでいけば、私の知りたいことはほとんどすべて知ることができました。これは、地域のことを地域紙がきちんと報道していればこそであります。私の住む東京都の状況を見ますと、たとえば杉並区では、現在こうした新聞はタブロイド判の月刊紙1紙だけしか存在しません。かつては月刊紙が3紙ほど発行されていたようですが、そのうち2紙は1990年代〜2000年代にかけて廃刊しています。杉並区の人口は55.6万人で、能代市(5.6万人)や大館市(7.5万人)の7〜10倍の人口規模があります(2016.03末)。単純比較はできませんが、健全な地域ジャーナリズムが機能している点で、秋田県という地域は東京に住んでいてうらやましいと感じました。仕掛かり中の次の「めぐ記」は、地域紙の全くないエリアで、県紙に頼るしかなさそうですので、どうしたものかと今から頭を悩ませています。
 こうした新聞のバックナンバーには、日本のあらゆる出版物を収集している国立国会図書館にも所蔵のないものがあります。それらを読むために、東京から秋田まで何度も出向かざるを得なかったのは、まあ苦労と言えばいえるものだったかも知れません。それでも、地元の秋田に行けば図書館が資料を確実に持っている、と確信できたのは、相当心強いことでした。今回の連載と深いかかわりのある企業の社内報が、創刊号から終刊号まで全部保存されていたのには驚かされました。社内報を図書館に寄贈して保存させた当時の会社関係者に敬意を表します。と同時に、こうしたものを保存していた図書館という組織と、私が次から次へと行う面倒臭い依頼に快く対応して下さった県立や各市立の図書館関係者に対し、深く感謝する次第です。

 本連載でもう一つ感じたのは、住民が地域社会に濃密に参加していることでした。「橋本五郎文庫」を作り上げた三種町鯉川地区をはじめ、町の賑わいというか人間生活の気配を維持しようとする能代市中心部、デパートが消えた町に集客の核をと奮戦する大館市中心部など、今回訪れた各地域で感じることができました。商業や産業が衰退し、人口が大きく減少している秋田県ですが、私はその様子を見て感じました。今後も案外粘り腰でやっていくのではないか、と。
 私はかつて学習塾で講師として働いたことがありますが、そこで頭を悩ませたのは、「いかに勉強を教えるか」もさることながら、子供たちに「いかにやる気を起こさせるか」でした。私が初年度に英語を担当したクラスに、数学には情熱を傾けるけれども英単語は1語たりとも覚える気のない男子生徒がいて、手を焼いたのです。言い古された諺ではありますが、馬を水のそばに連れて行くことができても、水を飲むかどうかはその馬の意思に任されています。と言うより、無理に飲ませるわけにもいかない以上、意思に任せるしかありません。一方、全国各地で人口の減少と経済力の低下とが深刻になって、国や自治体が地域おこしを目論んでいろんなことをやっております。こうしたものが「お上」主導で進行して、うまくいくハズがないのは自明です。塾の生徒と同様に、当事者が積極的に参加してこそ、初めて調子よく回りだすものだろうと思います。先に挙げた男子生徒は、情熱を傾けていただけあって、数学だけは成績良好でした。
 さて、何かをする際の「動機」は、いったい何でしょうか。地域おこしの場合、少子高齢化への危機感でしょうか、それとも楽しい老後の生活を送りたいという希望でしょうか。参画するプロジェクトごとに理由も異なっているでしょうが、住んで楽しい故郷とそうでない故郷では、楽しい故郷の方が良いに決まっています。楽しみが目的である方が、よりモチベーションが湧くと想像できます。私が今回見て回ったさまざまな活動は、皆さん楽しんでやっておられるように見受けられ、危機感などマイナスの感情をバネにした活動よりも持続するのではないかと思いました。同じ話ばかりを引き合いに出しますが、かの男子生徒は、中学卒業と同時に塾も卒業するまで、英語の成績は低空飛行のままで終わりました。私は彼の「やる気」を引き出すことが、最後までできなかったのです。私はどちらかというと将来をネガティブに見積もる方でして、こうしたスタンスでの説得は、彼の心には響くものがなかったのでしょう。
 いわゆる地域おこしの活動は、経済的な基盤の再構築がない限り、地域の人間関係が良くなる程度で終わってしまうことが多いようです。しかし、そういう傾向のあることは理解しつつもなお、短い取材・執筆の期間で垣間見た住民の地域社会への参加ぶりは、目を見張るものがありました。前段で述べた、健全な地域ジャーナリズムが機能しているということも、この点と関わりがあるのかもしれません。

 今の日本社会は、変わらぬことよりも日々流転していると感じられることの方が多いようで、いろいろな意味で「時代の節目」になっているのは間違いありません。数年後に読み返して「古い!」と感じられることがあるかもしれませんが、あくまで2015年1月の実体験と、その後の連載期間における「一面の真実」です。そういうものだと思ってお読みいただくことを望みます。
 この連載のような「文章を使っての自己主張」が、私の存在意義だと思っています。今後ともご支援・ご鞭撻をいただけますようお願いします。ご意見や情報提供をお待ちしています。このブログ「MEGU」ではコメントを歓迎していますし、私のメールアドレスも公表しています。

 なお、この連載の執筆にあたっては、以下のような書籍・ウェブサイト等を参照いたしました。


参考文献
紙の出版物は刊行年順、同年はタイトルの五十音順。ウェブサイトはサイト名の五十音順、2016.04.01現在。新聞記事の日付・見出しは省略した。

 『日本勧業銀行三十年志』日本勧業銀行、1927年
 『金融年鑑 昭和29・30年版』金融通信社、1954年
 『賀川豊彦全集 11』キリスト新聞社、1963年
 『日本勧業銀行七十年史』日本勧業銀行、1967年
 『弘前相互銀行五十年志』弘前相互銀行、1974年
 唐牛敏世『白寿の心』みちのく銀行、1978年
 『秋田銀行百年史』秋田銀行、1979年
 佐藤正忠『人生太く永く』経済界、1980年(1990年新版)
 『協働社35年の歩み』協働社、1981年
 『秋田県紳士録』秋田魁新報社、1984年
 『大館市史 第三巻下』大館市、1986年
 『国際興業五十年史』国際興業、1990年
 林正春編『ハチ公文献集』私家本、1991年
 『比内町農協三十年史』比内町農業協同組合、1992年
 『秋田県銀行協会五十年史』(社)秋田県銀行協会、1996年
 『北都銀行百年史』北都銀行、1996年
 『秋田県人名大事典 第二版』秋田魁新報社、2000年
 『能代市山本郡医師会三十年記念史』社団法人能代市山本郡医師会、2002年 ※書名表記はママ
 『中学社会・能代市 平成18年度版』能代市教育委員会、2007年
 『秋田銀行130年のあゆみ』秋田銀行、2009年
 『小田急バス60年史』小田急バス、2010年
 小南浩一『賀川豊彦研究序説』緑蔭書房、2010年
 橋本五郎『範は歴史にあり』藤原書店、2010年
 北羽新報社編集局報道部編『廃校が図書館になった!』藤原書店、2012年
 一ノ瀬正樹ほか編『東大ハチ公物語』東京大学出版会、2015年

 「みちのく銀行合併25周年特集」『財政金融ジャーナル』2001年10月号、東京ジャーナル社
 杉山和雄「戦後地域金融を支えた人々(9) みちのく銀行唐牛敏世」『月刊金融ジャーナル』2005年9月号、金融ジャーナル社
 「『みずほ』が貪ったみちのく銀行」『FACTA』2007年10月号、ファクタ出版
 「地域とともに(162)みちのく銀行高田邦洋頭取に聞く」『月刊金融ジャーナル』2015年2月号、金融ジャーナル社

 『秋田魁年鑑』『DATA Fileあきた』秋田魁新報社
 『金融資料年報』『ニッキン資料年報』日本金融通信社
 『住宅明細図』東交出版社
 『ゼンリン住宅地図』ゼンリン
 『東商信用録 秋田県版』東京商工リサーチ秋田支店
 『日本金融名鑑』日本金融通信社
 『はくと』協働社 

 『朝日新聞』
 『毎日新聞』
 『読売新聞』
 『日本経済新聞』
 『秋田魁新報』(秋田市)
 『東奥日報』(青森市)
 『北羽新報』(能代市)
 『秋北新聞』(北秋田市)
 『北鹿新聞』(大館市)
 『日経金融新聞』
 『日経流通新聞』
 『日本金融通信』『ニッキン』
 『官報』

 『アートNPOゼロダテ』http://www.zero-date.org/
 『あいにいける秋田犬のの』https://ja-jp.facebook.com/akitainuz
 『秋田県』http://www.pref.akita.lg.jp/
 『秋田県大館市田舎生活のブログ』http://akitaoodate.blog.so-net.ne.jp/
 『秋田県立図書館』http://www.apl.pref.akita.jp/
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 『伊徳』http://www.itoku.co.jp/index.html
 小田切誠「『橋本五郎人気』が秋田のメディアに投げかけた思わぬ波紋」『ウェッジインフィニティ』http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2456
 『大館市』http://www.city.odate.akita.jp/
 『北秋田市』http://www.city.kitaakita.akita.jp/
 『協働大町ビル』http://www.oomachi.com/index.html
 『国際興業』http://www.kokusaikogyo.co.jp/
 『国際興業バス』http://5931bus.com/
 『秋北バス』http://www.shuhokubus-gr.co.jp/
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 『大和情報サービス』http://www.dis-net.jp/
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 『二〇世紀ひみつ基地』http://20century.blog2.fc2.com/
 『能代市』http://www.city.noshiro.akita.jp/
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 『橋本五郎文庫』http://www.h-goro-bunko.com/index.html
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 『広く浅く』http://blog.goo.ne.jp/taic02
 『ふるさと呑風便』http://www.donpu.net/
 「琴丘町誕生50周年記念誌」『三種町』http://www.town.mitane.akita.jp/kyuhp/kotooka/kinensi50/kinensi50.pdf
 『みちのく銀行』http://www.michinokubank.co.jp/
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2016年04月27日

2015.01.16(金)(23)エピローグ 花輪線で盛岡へ

 全行程が終わった。
 さあ、これから東京への帰還の旅である。JR花輪線の扇田駅へ向かう。扇田駅はみち銀比内支店の西800mほど、支店前からは直進の方向である。2011年4月に花輪線で扇田に来た時は、扇田駅から右に曲がって表通りを真っすぐ来たら支店にぶち当たった記憶がある。今回はその逆を行けばよい。16:48発だったと思うから、余裕で間に合うハズだ。
 さっきバスが曲がった馬喰町の交差点まで戻ってきた。対面2車線白破線センターラインの道を、さらに真っすぐ北西に向かう。県道52号比内田代線は、JRの線路に沿って走っている。センターラインは引いたり引いていなかったりであった。途中で消えてしまったのか、メンテナンス経費の関係で引いていないのか。雪国ではスタッドレスタイヤを付けた車が多く、道路に引かれたライン類はすぐに削られてしまう。
 交差点から少し歩くと商店街が途切れ、建物密度のさほど高くない住宅地になった。ところどころに製材所や材木店があるところが、秋田杉を産する秋田県山間部の集落には特徴的かもしれない。林業関係の事業所は、商品の上に雪が1mぐらい積もっていたりするのだが、この冬場に営業しているのだろうか。製材所の一軒は「乳井木材」という会社であった。扇田のあたりは乳という文字を名字や屋号に使っているケースが多い。初めて見る苗字であるが、もし社名の読み方が「チチイ」なら、音の響きとしてかなりの破壊力があると思った【注】。
 大館市内で雪の量の多さにびっくりしたのだが、扇田のあたりは、雪深さという点からすると大館よりも軽い気がした。建物密度のせいなのか、雪を除去しないでそのままにしている土地が多いせいか。しかしそれでも、某所では腐りかけた柱の上に葺いてあるトタン屋根に、ものすごい量の雪が積もっているのを見た。突然ぺしゃんこになったりしないのだろうか。他所者の私はつい余計な心配をしてしまう。
 県道沿いには〔扇田駅前〕のバス停があった。秋北バスが運行している、大館市のコミュニティバス「さわやかみなみ号」。扇田病院行きと大館駅行きがそれぞれ1日2本、ということは2往復。道の反対側に停留所のポールがないから、上り下り兼用のバス停ポールである。なお、この道をまっすぐ行くと、忠犬ハチ公の生まれた大館市大子内の近くにたどり着ける。生家前にはハチ公の石像と生誕80周年の記念碑が建ち、観光資源になっている(生家そのものは公開されていない)。

 何の変哲もない交差点の道端に、「←扇田駅」という標識が出ていた。Ogidaのローマ字表記は間違っていて、正しい表記はOgitaである。ともあれ、ここを左に曲がると、私の旅も終わるのだ。田んぼの向こうに農協のビルが見え、平屋建ての駅舎も道路の先にあるハズだ。駅前に農協があるのは、おぼろげに覚えていた。現在は葬祭場になっているが、もともとは1985年10月に建てられた旧比内町農協の本所事務所である。1996年6月に現大館市域の3農協が合併し、比内町農協は「あきた北農協」(JAあきた北)となっている。
 県道から駅通りに曲がり込む。対面2車線にはできないぐらいの道幅だけれども、車の離合はできるくらいの、まあそこそこ広い道であった。入った途端、道はシャーベットの大盛りとなった。道の中央部にアスファルトが露出しているところもあるが、車が乗り入れることの少ない道ゆえ、基本的に除雪がなされていないようだ。靴ずれに悩みながらも新しい靴を履いてきたおかげで、この雪道でもスッテンコロリンせずに済んだ。
 かくして、扇田駅に到着した。比内地鶏の産地ということで、駅前には比内地鶏の写真をでかでかと載せた看板が立っている。このエリアが広く「比内」という地名で、大館のあたりは特に大きな館を建てて敵の攻撃を防衛したから「大館」という名前になった、と昼に見た大館駅前の案内板には書いてあった。扇田という地名は、駅の手前にあった旧比内町教育委員会設置の看板によると、若い娘が小川に身を投げて死に、霊を弔うため地蔵堂を建てた、その地蔵堂の裏に由来となった扇形の田んぼがあったから、というのが由来である。
 駅舎はいかにも新しく見えた。山小屋のような急傾斜の屋根が付いているのは、屋根の雪下ろしをしなくて済むようにだろうか。建物の入口上部に付けられた「建物財産票」というプレートに《鉄 待合所2号 平成25年3月》と書いてあるから、おととしの3月に建て替えられたわけである。掲げてある駅名の表札が扇の形をしているところがご愛嬌であった。待合室には椅子と机みたいなものが備え付けられていて、勉強でもできそうである。ヒーターが完備されているのは、さすが北国だと思った。駅の管理はすぐそばの大館駅ではなく、30kmほど奥へ入った鹿角花輪駅(鹿角市)が行っているようだ。

 当初計画では、比内支店を取った後、扇田駅で結構な時間待ちになる予定だったが、大館駅前できりたんぽ鍋を食べてきたおかげで、待ち時間ほとんどなしで盛岡行きに乗れる。何もない扇田駅で時間待ちをする必要がなくなって、めでたしめでたしである。
 それは良いとして、実は一歩間違えると大変なことになりそうなミスを犯していた。盛岡行きの普通列車を16:48発だと思い込んでいたが、正しい発車時刻は16:18だったのである。のんびり構えていたら、この列車には間に合わないところであった。もっとも、盛岡行きはこの後にもまだあるから、16:18発に乗り遅れても、東京に帰れないということはない。というのも、盛岡から東京までの移動は、すでに夜行バスで確定しているからだ。計画では、盛岡到着時の気分で新幹線かバスか選ぼうと思っていたのだが、国庫に7000円を召し上げられることになったせいで、選択の余地がなくなってしまったのである。バスの予約は、前夜秋田市のホテルにいるうちに行った。カラオケなど行って優雅に過ごしたせいで、5500円の新宿駅行きがタッチの差で取れず、6000円の東京駅行きになってしまった。それでも、いちおう新幹線より7000円ほど安い交通手段を選択したことになる。
 駅舎の改札にあたる部分を抜けて、雪が敷き詰められた通路をホームに向かう。この駅は棒線1本で、単線の線路の横にホームが付いているだけである。今となっては改札などない無人駅だが、かつてはそこそこ大規模な、島式ホームで交換もできる駅だったと思われる。通路になっている部分が、昔は駅舎と連絡している構内踏切だったのだろう。ホーム端のスロープは、縁石の上だけ雪がないが、そのほかの部分は雪で覆われている。ホームの線路が敷かれていない側は、鉄パイプを組んだ柵で覆われている。この鉄パイプは工事現場の足場用のようだし、継ぎ手も工事現場用らしきものをそのまま使っている。お粗末だが、頑丈だし安いのだろう。駅舎とは別に、ホームにも待合室がある。室内には、つい最近まで首都圏でもよくお目にかかったプラスチックの個別座面のついたベンチがあって、冷たいプラの地肌にびくびくしながら腰を下ろした。雪国らしく、室内にはシャベルなど除雪道具が置いてあった。
 太陽が西に沈み、だいぶ暗くなってきた。待合室の建物を出ると、寒い風が思いのほか吹きすさんでいた。西の空を見ると微妙なピンク色で、夕焼けがどこからともなく染み出してきているような感じがする。当地では明日いい天気になるのではないだろうか。夕焼けの写真でも撮ろうかと思ったが、手前に工場だか倉庫だか、波板葺きの建物が無粋なのでやめた。
 発車5分ほど前になって、駅の照明が点いた。やがて、踏切がカンカンと鳴り始めたのが、遠くから聞こえてきた。私が乗る16:18発盛岡行き普通列車が、ゆっくりと近付いてくる。列車は、JR東日本のローカル線ではおなじみ、キハ110型ディーゼル車の2両編成。女性の車掌が乗務していた。数人の高校生がバラバラと降りていった。代わりにこの駅から乗るのは、私の他には男女高校生各1名だけであった。
 扇田でも大分日が落ちていたが、十和田南で列車の向きが変わる頃には窓の外がだいぶ見えにくくなっており、鹿角花輪では夜の帳が完全に降り切っていた。「花輪線」の名前の由来となった鹿角花輪駅は、秋田県鹿角市の中心駅で、かつては陸中花輪駅といった。「陸中」と岩手県みたいな呼称が付いていたのは、現在の鹿角市(と北隣の小坂町)はもともと南部藩領だったためである。秋田藩とはカルチャーが少し違うのだろう。
 車内に数多くいた高校生は、鹿角花輪まででほぼ全員が降りた。湯瀬温泉を過ぎると岩手県に入る。しばらく走ったところで、右の車窓からは山肌が輝いているのが見えた。あたかも銀河のように山の斜面を覆っている。安比(あっぴ)高原のゲレンデのナイター照明であった。

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 【注】ニュウイと読むらしい。



<銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇> 完

(お知らせ)明日18時に「あとがき・参考文献」をアップします。
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2016年04月26日

2015.01.16(金)(22)比内支店を制覇

 比内支店は、今日見たほかの支店よりも古い建物を使っていると見えた。大館支店(1955年)や能代支店(1963年)よりも古めかしく見えるが、実は1967年10月の築と新しい部類に入る。クリーム色に塗ってある窓枠は、アルミサッシではなく鉄サッシである。部分的にアルミサッシが入っている窓もあるけれども、支店本体の窓は大半が鉄枠で、だいぶサビサビであった。窓の外には鉄製の飾り格子が付いていて、窓枠と同じクリーム色に塗られている。飾り格子は通りに面したところと外れたところでデザインが若干変えてあるのが印象的であった。
 比内支店の玄関先には、代理業務一覧の看板が出ている。緑色の看板には、秋田県収納代理金融機関、大館市収納代理金融機関、と文字列が出ているのだが、大館市収納代理の次の行には「比内町収納代理金融機関」と書いてあった。比内町は2005年6月に大館市と合併して消えてしまったが、プレートはいまだ残っている。まあ残しておいても問題はないだろう。
 正面入口のアルミ枠の戸を押して入ると、右側がキャッシュコーナーであった。3時を回っているから窓口はもう閉まっており、キャッシュコーナーとを隔てるシャッターは、他店なら外に付いているような赤・オレンジ・黄色の3色塗り分けのものが下がっている。ATMは沖電気の「バンキット」が1台だけ。機械上部の行灯表示は、みち銀お決まりの形態をした行灯であった。この行灯は導入時期によって形態の差が若干あるようで、ここにあるのは最下部の白い部分に緑色の縁取りが付いている。比内支店のは多分古いタイプではないかと思う。
 さあ、ATM取引をしよう。これまで取引の様子を書いていなかったから、ここで記述しておくとしよう。いつも、入金・出金の2取引を1サイクルとして制覇作業をしており、今回もそれに倣っている。まず「ご希望の取引」の画面で「お預け入れ」を押すと、カードを入れるよう指示が出る。機械にカードを入れると「カードでのお預け入れには取引後の残高のみを表示した利用明細書を発行します」というメッセージが出て、確認を求められる。確認キーを押すと、預金口座の入金の場合「お預け入れ」、カードローン返済の場合は「カードローン返済」という2つのボタンが出る【注1】。このあたり、最初で分かれていた方がやりやすいのではないかと思うが、ともあれ「お預け入れ」を押すと紙幣投入口のフタが開く。ここで紙幣を入れると、機械がセンサーで判断して自動的にフタを閉める。紙幣を数える音の後に、金額の確認ボタンが出る。押すと、再び紙幣をバタバタと数える音がして、利用明細票印字を「する」「しない」というボタンが出る。「する」を押すと、レシートが出てきて終わりである。「どうぞ、お受け取り下さい」という女性の声が出るが、「どうぞ」の直後に妙な沈黙が入るのが、沖電気製ATMの最近の特徴である。
 そして引き出しの場合は、「お引き出し」の後、暗証番号を押す。これも、預金からの引き出しの場合「お引き出し」、カードローンの場合は「カードローン借入」という2つのキーがある【注2】。「お引き出し」を押すと、金額の入力である。みちのく銀行のATMは硬貨を使っての預金引き出しはできないから、本日私は「めぐ」の制覇作業を1千円単位で行っている。金額を指定して「確認」を押し、最後に利用明細票を印字して、現金とレシートを受けとって、取引終了ということになる。
 今日は金曜日だし、お客は案外頻繁にやって来るが、この店にはATMが1台しかない。私は預金の取引(現金の出し入れ)をする様子を実況中継しながら制覇作業をしようと思っていたので、私の後に一人待っていた女性客に順番を譲って先にやってもらった。彼女の用事が済んでから私が取引を始め、取引の状況を記録にとりながらATMを操作していたが、取引が終わってふと後ろを向くと、いつの間にか次の客が待っていた。赤恥をかいてしまった。こいつは何を独り言ベラベラ喋っているのだ、と思っていたのではないか。なお、みちのく銀行は北都銀行とATMの相互無料提携をやっている。下ろすだけなら向かいの北都銀行扇田支店でやればいいのに、と思った。ATMの台数はみち銀比内支店の倍、2台もある。
 ともあれ、比内支店を無事制覇。15:52、みちのく銀行の秋田県内4店舗の全店制覇を達成したのであった。

 比内支店は、1951年6月に弘前無尽扇田会場として営業を開始した。同年10月に弘前相互銀行になった後、1952年3月に業務取次所に昇格、さらに1953年7月大館支店扇田出張所に昇格した。出張所の所在地である北秋田郡扇田町は、1955年3月に周辺3村と合併して比内町となり、出張所の名前もそれに合わせて合併日(3月31日)付で比内出張所と改められた。1959年4月に比内町字下扇田53-1に移転、1961年9月に比内支店に昇格、現在の店舗には1967年10月に新築移転している。古い地図をひもといてみると、1959年4月〜1967年10月の比内支店は、現在のいとく比内店のはす向かい、現在では駐車場になっているスペースにあったようだ。現在地は、かつては警察(警部派出所)と消防団詰所のあった場所である。
 以前は、比内支店にも店舗外ATMがあった。1つは[比内町役場]改め[大館市比内総合支所]。羽後(現北都)銀行設置のATMで、大館(現秋田県)信用組合とともに相乗りして共同出張所となっていた【注3】。ATMの無料提携を北都銀と行っている現在では、みち銀の相乗りは外れている。もう一つ、1997年7月に[大滝温泉]というATMが設置された。大滝温泉は大館市十二所にある温泉街で、10軒ほどの温泉宿が並んでいる。扇田から花輪線で1駅盛岡寄り、大滝温泉駅近くの富士屋ホテルという温泉旅館の駐車場にATMの独立小屋があったようだ。残念ながら2004年度中(2004〜2005年)に廃止されている。連載作成にあたって現地に行ってみたが、「富士屋ホテル専用駐車場」という縦型の行灯看板は、みち銀ATMのそれを再利用しており、目を凝らしてみると《みちのく銀行 自動サービスコーナー》という文字がうっすらと残っていた。
 さて、窓が鉄サッシであるなど、比内支店の建物からかなりの古さを感じるのは前述したとおりであるが、支店の建った昭和40年代前半頃の状況を調べてみると、見えてくるものがあった。比内支店の2年前、1965年に新築された鷹巣支店を豪華にし過ぎ、その反動で新築費用を抑えざるを得なくなったのではないだろうか。ちょっと脱線して、ここで鷹巣支店の新築状況に触れてみよう。現在の北秋田市住吉町にあった鷹巣支店は、1965年11月29日、現北秋田市花園町に新店舗を建築して移転オープンした。その際の新店舗は、鉄筋コンクリート2階建で、約850u(260坪)の敷地に延床面積約475u(144坪)、また将来の増築に備えて2階の一部はバルコニーになっていた。総ガラス張りの外面はアルミサッシと熱線吸収ガラスを使用、軒下にはアルミモールディングを採用し、シャッターもオール電動で、柱の腰回りには大理石を貼り付けていた。総工費は3400万円であったという。一方、1967年10月8日に営業を開始した比内支店は、鉄筋コンクリート2階建こそ同じであるが、延べ床面積280.99u(約85坪)、総工費1300万円と随分簡素になっている。比内支店の280uという延べ床面積は、この頃の金融機関の平均より小さいようだ【注4】。鷹巣支店は480u、鷹巣の2年前に新築した能代支店も400uあり、これらは相互銀行の平均に近い。鷹巣町と比内町とで経済規模に差があっただろうことはさて置くとしても、焼き物タイルを貼り付けた鉄の窓枠の比内支店は、鷹巣支店と比べるとかなりの差が感じられる。
 悲しいのは、比内支店の1300万円の建物が今でも現役で使用されているのに、比内の2.5倍もの巨費を投じて作った鷹巣支店の新店舗は、廃店により実働わずか6年半で使われなくなってしまったことであった。青森県に本店を置く弘前相互銀行としては、大蔵省による店舗の総量規制が厳しかった時代には、県外地区では新築したばかりの支店を捨ててまで都市部(秋田市)に出店しなければならなかったのであろう。当時金融機関が羽後銀と弘相しかなかった比内に対し、鷹巣は6機関【注5】も店を出していたから、若干過当競争気味だったのは事実である。しかし、もう少し何とかならなかったのかとは思う。

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 【注1】2015年7月27日からATMの初期画面が変更され、カードローンの取引は最初の「ご希望の取引」の画面で別のキーを押して行うようになった。
 【注2】【注1】に同様。
 【注3】共同出張所での取引は通帳に扱い店名が記帳されないため、制覇の対象とはならない。
 【注4】1968.12〜1969.02の期間に新築された相互銀行7支店の平均値は約445u(為栗調べ)。
 【注5】弘相と青森銀のほか、秋田銀・羽後銀・秋田相銀・北秋信用組合(本店鷹巣町)。
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2016年04月25日

2015.01.16(金)(21)いよいよ比内の町へ

 秋北バスの車内放送は、アナウンスの声が国際興業バスと同じ女性である。つい最近までグループ会社だったわけだから、別に不思議ではない。なお、国際興業の「レミドソ」という独特のチャイムは、秋北バスにはない。
 閑話休題、道の左にローソンが見えると〔山館〕。このあたりから道は右に大きくカーブし、同時に緩やかな上り坂になる。その先は大きな川を渡る橋であった。川は私の行程に能代からずっと寄り添ってきた米代川、橋の名前は扇田大橋という。対面2車線で、外側の歩道についた鉄の欄干が青く塗られている。だいぶ老朽化しているようだった。この橋の親柱はなかなか面白かった。大館側の親柱には犬の銅像が、そして比内側のそれには鶏の銅像が付いている。いうまでもなく、秋田犬と比内鶏。思うに、大館市はこの2つを『トムとジェリー』のようなゆるキャラとして前面に出し、「忠犬ハチ公」から一歩引いて広報活動をした方がよいのではないか。大館市がハチ公ゆかりの地であると訴えたいのは理解できるが、やはりあれは渋谷のものだと思う。ハチが渋谷駅に通ったのは、上野博士に会いたかったからであって、必ずしも大館に帰りたかったわけではないだろう。
 さて、橋を渡りきり、スロープを下りたところに〔扇田川端〕というバス停がある。いよいよ、扇田の町に入ってきたようだ。バス停の近所は、東北の古い町として至って普通の風景である。行灯型のバス停ポールが付いており、かなり乗降客の多い停留所のようだ。ここには扇田と大館方面とを結ぶバスが全部集結しているから、慣れた人はここまで歩いて来て乗降するのだと思う。
 秋北バスの行灯ポールには、次の停留所の名前と、停留所を出て進むおおまかな方向を示す赤い矢印が書いてある。〔扇田川端〕では、その表示が3つ見えた。それぞれの停留所名は〔扇田新丁〕〔扇田馬喰町〕〔扇田仲町〕。さっき運転手が〔扇田仲町〕と言っていたので、私は降車ボタンを押した。

 〔扇田川端〕を出て、馬喰町(ばくろうまち)の交差点で左に曲がるや否や、前方に緑の看板が見えた。何だ、脅かしやがって。やっぱりみちのく銀行はちゃんと扇田にあるではないか。この馬喰町のあたりから、商業が急に集積し始めたという感じがした。
 かくして、私を乗せたバスは〔扇田仲町〕に到着した。時計を見ると15:42、定時運行なのかズレているのかはわからないが、まあ7〜8分は遅れているのではないだろうか。〔大館大町〕から〔扇田仲町〕までのバス代は、300円であった。大館から扇田までのJRが210円だから、バスとしてはそんなものかと思える。
 なお、地元でないと手に入らない案内図などを見てわかったことだが、大館市内から扇田に向かうバスは5系統あり、経路も4通りある。今回乗ってきた大谷行きは、大館市街地の東方、鳳鳴高校やコメリなどを回ってくるが、花輪駅前行きは最短コースを通るバスで、〔大館鍛冶町〕から県道を直進して扇田に来る。中野行きと弥助行きも県道を直進するが、両者は途中で別の住宅地に回り込み、さらに弥助行きのみ馬喰町交差点は直進していく。1日2本しかない扇田病院行きのコミュニティバスは鍛冶町の南で右折して全く別の場所を回ってくる。系統が多いのは扇田という集落の重要性を物語っているが、こうした情報が東京で把握できず、計画策定には難儀したのであった。

 さて、扇田の中心街を貫く対面2車線の道は、県道52号(比内田代線)。バスはみち銀比内支店を通り過ぎ、3軒先にある駐車場の前に止まった。商店建築の横にバス停ポールが立っている。秋北バスの通常のバス停ポールは「だるまポール」と呼ばれるもので、鉄パイプの上部に円板が付いただけのシンプルなスタイル。円板は3色に分かれていて、上部が黄色、真ん中が白、一番下が赤。これは同社のかつての標準的な車体色と同じである。白いところに〔扇田仲町〕と停留所の名前を書いている。
 道の南側には北都銀行が扇田支店を構えている。真新しい店舗は2008年10月に新築されたものだが、出店したのは太平洋戦争前の1937年で、店名も旧町名の扇田支店のままとなっている。新築移転する前の店舗は、今降りた停留所の東側、公文式の教室として使われている建物がそれであった。北都銀から花輪方向には、けんしん(秋田県信用組合)、あきぎん、郵便局と金融機関が3つある。秋田県信組(旧大館信用組合)は1970年6月の出店、秋田銀の比内支店は何と平成に入ってからの新規出店(1993年12月)である。秋銀の向かいに地元スーパーいとくの店(比内店)があって、商店街はこのあたりで終わっているようだ。以前扇田に来た際にはJR扇田駅→みち銀比内支店→大館市比内総合支所(旧町役場)と歩いているのだが、記憶は飛んでしまっており、目の前には新鮮な風景が広がっている。
 北都銀扇田支店の隣は、入母屋造りの土蔵建築であった。鳥居のような形をした門構えが名士様の家であると感じさせるが、何かあったらしく門前には白木の立札が、奥には提灯が出ていた。その向かいも土蔵改造の商店建築だが、店の中はがらんとしていた。繁盛しているか否かは別にして、起源の古い商業地帯のようだ。青森銀行の前身である第五十九銀行は、戦前に扇田に出店していたことがある。大館支店と同じ1907(明治40)年7月の出店であったが、1934年10月に廃止されている。それから、あとで触れるが秋田相互銀行(合併して現北都銀)も一時店を出していた。
 名士様の東側にある印刷店の真ん前が、大館方面行きの停留所である。印刷店は新聞社みたいな屋号が付いていて、実際に比内地域の新聞を発行しているようだ。地域新聞社は副業として印刷業を営んでいるケースが多く、紙面には年末になると年賀状印刷受け付けの社告が掲載されたりする。能代の『北羽新報』などの印刷部門はまだ新聞社の副業のようだが、中にはどちらが本業だかわからなくなった社もあるのではないだろうか。さて、印刷屋の隣には、自販機や漫画本も置いてある暖房付きの「ほっとひと駅」という無料休憩所がある。これも空き店舗を商工会が借りているようであった。

 みち銀比内支店の右(東)には、現か元かを問わず商店建築が3軒並んでいる。すぐ隣にあるのは元商店建築で、店舗部分は車庫になっている。前にバス停がある3軒目は、小さな窓口のようなものがあるところから、かつてタバコ屋だった店ではないかと思う。その中間、「お菓子処」と書いた2軒目は、喫茶・和洋菓子の店。回転式の行灯看板には、比内鶏サブレー・バースデーケーキ・花びらもち、といった商品名が並んでいる。バースデーケーキも扱っている和菓子屋で、老舗らしい。「比内鶏サブレー」は、鎌倉の「鳩サブレー」のように比内鶏の形をしているクッキーで、比内鶏のエキスが入っているわけではないそうだ。
 みち銀の向かいは靴屋であり、主要な取扱商品はゴム長靴のようだ。その隣にあるのは、高齢者向けの店だが、物を売っているわけではなく、みんなで体を動かして認知症を防止しようという活動拠点らしい。古い地図をひもといてみると、この店はかつて旧秋田相互銀行の比内支店(1970年10月廃止)であった。旧銀行建築だと思って見るとそう見えなくもないたたずまいである。それから、東芝の電気店が見える。昔懐かしい、家電の個人経営のフランチャイズ店である。あとは、タクシー会社と美容院といったものが周囲にあった。
 支店の左隣は空き地と駐車場で、駐車場はそれなりの台数分確保してある。多少は雪捨て場にもなっているようだ。駐車場の前に「比内とりの市」という赤い幟が出ている。この幟はここだけではなく、扇田の商店街いたるところに出ているが、これは毎年1月に比内のグランドで行われている比内鶏感謝祭のようなイベントである。

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2016年04月24日

2015.01.16(金)(20)扇田に向かう秋北バス

 鳳鳴経由大谷(おおや)行きの秋北バスが、発車時刻の15:11を5分ぐらい過ぎてやって来た。いすゞ自動車の中型バス「エルガミオ」である。「チョロQ」みたいな外観をしたワンステップの車で、そこそこ年式が新しいから国際興業カラーのグリーンも黄緑色だ。大谷は扇田から15kmほど奥に入った集落で、途中には大葛(おおくぞ)温泉というあまり俗化されていない温泉地がある。
 〔大館大町〕からの整理券番号は4番だった。結構遠い始発地からやって来たように見えるが、このバスは大館駅前発である。乗り込んで整理券を取り、運転席に走る。「扇田のみちのく銀行へ行くバスですか?」と尋ねたところ、50代とおぼしき男性運転手は、信じがたい返事を返してきた。「扇田にみちのく銀行まだあるんだっけ」というのである。少々焦ってしまったが、もちろん扇田にあるのは知っている。次いで「扇田の駅の近くまでは行くんですか」と聞いた。2011年に扇田駅から比内支店まで歩いているから、駅からの道筋はわかっているつもりだった。驚くべきことに、それに対して運転士は「これは駅へは行かないですね」と答えたのである。またしても焦ってしまったが、彼の返事は、駅へ行くのなら〔扇田仲町〕か、もう一つ前の停留所である〔扇田川端〕のどっちかだろう、というものであった。扇田の集落内で駅の近くに行くか行かないかというだけの話。何だ、立て続けに脅かしやがって。

 2車線×2の幅の広い4車線の道路を、まっすぐ南に向かっている。左右の歩道に雁木が付いているスタイルだが、アーケードは割合に新しい。ただし、ところどころ途切れている。銀行が集中している地帯はあっさり通り過ぎて、最初に遭遇する〔大館鍛冶町〕の停留所の先で少し下り坂になったと思ったら、すぐまた上り坂に変わる。その変わり際で、花輪線東大館駅からの道と交差する。左に曲がってすぐ〔大館新町〕で、停留所そばには秋田県信用組合大館支店、かつての大館信用組合の本店がある(2003年1月合併)。すぐ次の信号で左折して〔風呂屋町〕。その先、ホテルと洋品店のある角で、こんどは右折した。曲がる回数が多いが、経路をクネクネと曲げて無理矢理バスを通していることからして、このあたりは現在でも重要な地区のようだ。
 労働金庫(東北労金大館支店)があって、道の左には大館市役所。人口7万人余の地方都市としてはごく平均的な外観であった。その先で裁判所と集配郵便局を目に入れると、ようやく普通の住宅地になった。道としてはまっすぐだが、対面2車線白破線センターラインの道はやや曲がりくねっていて、幹線道路という風情ではない。そして、経由地として挙げられていた「鳳鳴」を通る。秋田県立大館鳳鳴高等学校は、この地域の名門高校である。この名前は兵庫県篠山市の篠山鳳鳴高と合わせて全国に2校しかないそうで、2校のHPを見ると相互リンクが張ってある。ただし、友好提携は割合最近になって開始したようだ。
 バスは鳳鳴高校正門の突き当たりで90度南に折れ、右折してすぐ〔鳳鳴高校前〕の停留所がある。ここから男女高校生が幾人か乗ってきた。大館市内のバスのうち、かなり多くの路線が、いま通ってきた経路をたどってここ〔鳳鳴高校前〕で終点となる。鳳鳴高の南にある突き当たりで左折すると、対面2車線の住宅地の道になった。雪国の常でセンターラインはすっかり見えなくなっている。
 右側に地元スーパーのいとく(大館東店)があって、敷地内に北都銀が平屋建ての小さな店(大館東支店)を出している。この店は、平日は夜7時まで、休日も夕方5時まで窓口を開けている。北都銀の前身である羽後銀行は、戦前に大館銀行という当地の地元銀行を合併しているから、県南発祥の銀行ではあるが大館地区は準地元のような扱いなのだろう。その先、〔東台二丁目〕を経て〔東台五丁目〕のあたりは、新興住宅地だけれども、建物のあまり密集していない新興住宅地。六畳一間ぐらいだろうか、平屋一戸建ての賃貸住宅が複数建っていた。こういう家は昔も今もあまり変わらないなと思った。うちの田舎もそうだし、東京でもそうである。
 右に曲がって、中央分離帯つきの2車線×2の道になった。曲がってすぐ右側にある大館東台郵便局は、建物としては新しそうで、「メガネのパリミキ」の郊外店舗みたいな感じである。建っている民家の形が北海道に近づいた感じがするが、北海道と比べるとまだ窓が大きめで開放感があるし、煙突が立っている家もない。新興住宅地が続いているが、古い農家も多少は見られる。
 大手ホームセンター、コメリの店舗が見えた。看板は「コメリ」というチェーン店名よりも「パワー」という文字の方が大きかった。要は「コメリ・パワー大館店」ということである。大館市斎場入口の交差点で左折した途端、除雪されていない道になった。舗装はされているようだが、走行状態はガタガタである。再び左に曲がり、バスは何とコメリの敷地内に乗り入れた。店舗は道路よりちょっと低いところにあって、敷地に入ると同時にスロープを下がる。屋外の売り場の横を抜けて走って行くと、建物の中央付近にコメリパワーの正面入口があり、その左横に〔コメリパワー大館〕のバス停ポールが立っていた。その横にある屋根付きの駐輪場は、中に雪がこんもりと積もっている。屋根の下に雪が積もるというのはどういうことだろうか。

 〔コメリパワー大館店〕に乗降客がいなかったので、バスはスピードを緩めず、駐車場の経路に沿って右転回して、今来た建物の前を再び戻っていった。雪のない時期であれば、さっきの4車線道路からコメリに直接入れるようだが、高さ5mぐらいの雪の山脈で塞がれているから、コメリの駐車場内を1周した後、斎場入口の信号まで全く同じ経路を戻る。信号の手前に〔小柄沢墓地公園前〕の停留所があった。同じ道を2回通るので、この停留所も2回通ることになるが、大館市内から来た場合は〔コメリパワー〕の次ということになっているようだ。
 さっき曲がってきた交差点を今度はそのまま直進する。その先は、高規格の2車線道路が続いていた。最近できたばかりのようで、道の制限速度は50km/h。関東では見かけないシラカバの街路樹が並んでいる。道に面した所に建物は全くなく、道路の端を示す紅白の杭が50mおきぐらいに立っている。コメリからかなり間があいて、右カーブの先に〔山王台入口〕という停留所があった。停留所の周りは一面に雪で覆われて何もないけれども、道路からちょっと奥に入ったところに集落があるようだ。
 前方の林の中に、立体交差が見えた。大館から十和田湖畔に向かう国道103号のバイパスが、尾根筋を結んで走っているようだ。インターチェンジになった交差点を抜けると、道は右カーブしつつ長い下り坂に入る。右を見ると、杉の古木を何本も周りに従えた神社があって、相当に神々しい雰囲気が漂っていた。その先で坂を下りきると、地方都市の郊外に特有の、大駐車場完備で平屋建ての棟を複数持つショッピングセンターがあった。〔アクロス南前〕というバス停もある。この「アクロスプラザ大館南」というSCは、ATMの話をした際に触れた「アクロス能代」と同じ経営主体である。
 「上小」と書いてある体育館の建築が見える。小学校として全体的に新しいようだ。バスは右折して突然道から外れ、道路北側のロータリーに乗り入れた。モンゴルのテント住宅みたいな緑の屋根を持つ、秋田杉を使ったキノコ型の建物が建っている。それが待合室であった。ここは〔上川沿小学校前〕で、バスの発着所は名前のとおり大館市立上川沿小学校の校庭の端を切り欠いて作られている。
 道路に戻り、サンクス(大館餌釣店)がある丁字路で左折。この突き当たりまでが新しい道で、サンクスの角からは対面2車線の古い街道に入ったようだ。雪に覆われた土地が広がっているが、夏には水田になるのだろうか。測量用のような赤白のポールが、相変わらず道端に多数立っている。〔餌釣〕停留所のあたりは、民家でも倉庫のような建物が目に付く。かつて小学校の教室で見た、大型石油ストーブに付いていたようなブリキ(?)の煙突が付いている。どこかの旧役場のような茶色い立派な公共建築(上川沿公民館)があった。
 ドライブインなど古いタイプのロードサイド店舗が見えてきた。Karaoke Daily Studioと大書した店があるが、「テナント募集」となっているから営業していないのだろう。マツダのカーディーラーチェーン「アンフィニ」の、緑色の看板がいまだに残っている。もちろん現在は営業しておらず、跡地は食堂になっている。作業用衣類チェーンのワークマンの店舗があったり、いわゆるデイケアセンターのショートステイの看板が出ていたりする。「カーコンビニ倶楽部」は自前の看板を取り付けているようで、文字の間隔が整っていなかったりするが、地元の看板屋さんが一生懸命ペンキで書いたという味わいがある。次の〔羽立〕を過ぎたあたりで、ロードサイド型店舗の並びが切れ、再び古い集落に入ってきた。農機のディーラー、クボタの大館営業所があった。敷地内には精米機の無人ボックスが設置されている。銀行の店舗外ATMみたいな感じだが、こういうのを「店舗外精米機」とでもいうのだろうか。それなら“店舗内精米機”って何だろう、と思う。
 集落を通るたびに、犬のイラストの入った「ハチ公のふるさと」という小さな看板が見える。大館市が作ったローカルな行政地名の標識である。大館市は忠犬ハチ公を観光資源にしたいようで、そういえば市のコミバスも「ハチ公バス」という。「沢山」という集落があった。何がたくさんあるのだろうか(笑)。

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posted by 為栗 裕雅 at 18:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月23日

2015.01.16(金)(19)大館の中心街・大町

 いよいよ、最後の制覇目標に向かうこととなった。大館支店と同じ大館市にある、比内支店。今でこそ同一自治体内であるが、2005年6月までは北秋田郡比内町という別の自治体だった。いわゆる「平成の大合併」で大館市の一部となったわけである。
 比内支店に最も近いのは、JR花輪線の扇田駅である。さっき降りた大館駅で奥羽本線から分岐し、鹿角市と岩手県八幡平市を通って盛岡市に向かう花輪線は、国道103号線と東北自動車道に沿って走っている。みち銀大館支店からだと、大館駅に戻るより、1つ進んで東大館駅から乗った方が近い。しかし、この花輪線というのが典型的なローカル線で、本数が少なくて利用しにくいのである。さきほど東能代から大館に来た際、花輪線の接続列車はすでにホームに停まっていて、16分接続で13:47発だった。その次の列車が盛岡行き16:08発。2時間以上も間が開いてしまう。列車は基本的に大館〜盛岡間で組まれており、五能線のような区間運転はない。
 花輪線を使うと、能代に続き大館でもアイドリングの時間が生じることになる。ここでもアイドリングを入れるのは、日没時刻を考えるともったいないので、大館支店から比内支店まではバスで端折ることにしていた。そして、支店前から30分おきに出ているハズのバスが出ていないことが判明したので、さあどうしよう、というのがここまでの経緯であった。

 これまで歩いてきた道は、県道2号線(大館十和田湖線)というらしい。窓口さんの教えに従って、みち銀大館支店前を南北に走るこの道を、さらに真っすぐ歩いていく。この道は支店の前あたりから徐々に上り勾配が付いている。最初は大した上り坂ではないと思っていたが、途中から結構キツくなってきた。
 坂を上がりきる手前に見える交差点が、国道7号線と直角クロスしているらしい。台地上、青森銀行の看板が見えるあたりが、大館市の中心街のようだ。その「長倉」の交差点まで上がってくると、窓口さんから教えられたとおり、きりたんぽの店があった。専門店きりたんぽ鍋、比内地鶏使用、などと書いてある店が、大館市内には至るところにある。ここにある店は、囲炉裏きりたんぽ&ドッグカフェという、不思議な取り合わせになっていた。
 交差点の南は「おおまちハチ公通り」という名前のアーケード街だが、かなり典型的なシャッターストリートのようだ。通りの左(東)側で目に付くのはブティック1軒と美容院ぐらい。大館に限らず、美容院は不思議とシャッターストリートの中でも開いていることが多いが、なぜなのだろう。停留所の向かいにチェーンの釜飯・串焼き店とチェーンのホテルが見え、薬屋が2軒あり、またコーヒー豆ひき売りの店が現役で稼働していたりする。かつてこの商店街で中核を占めていたのは「正札竹村」という呉服店発祥の百貨店だったが、2001年7月に廃業(自己破産)し、それ以来空洞化が進んでいるという。百貨店跡は空き店舗のままになっているが、それ以外の店舗も芳しくはないようだ。
 そんな中、《ののお出かけ中》という看板を見つけた。ののって何だ。《秋田犬ののに会えるアートセンターです》と表示が出ているから、「のの」という名前の秋田犬かしら。店の中で飼っているようだ。後で調べると、ここは「ゼロダテアートセンター」といい、「のの」はこの施設のアイドル犬である。秋田犬保存会発行の血統書を持つメスの秋田犬で、2014年1月10日生まれ。ゼロダテアートセンターは、空き店舗や廃校を舞台にした展覧会など、芸術による地域再生運動をしているNPO法人「アートNPOゼロダテ」の拠点である。市街地の空洞化を憂えた大館出身の芸術家数人が空き店舗を借り、自身の作品発表の場を兼ねて、商店街の核づくりを図っている。
 後日当地を訪れて「のの」に会ってみた。かつて当家で飼っていた「チビ」と同じ赤毛の雌犬だが、ののは白毛の部分が多いから、必ずしもチビに似ているわけではない。それでも、顔立ちや、飛び付いてきて直立の姿勢を取る様子は、かつてのチビを思い出させるのに十分だった【注1】。思えばチビも、当家に来たばかりの頃には、こんな感じで人懐こい犬だったのだ。ゼロダテの記名帳にある、ののへのメッセージ欄に、私は「幸せな“犬生”を送って下さい」と書いた。私はチビを可愛がってやることができなかった。チビが死んで早30年、私は今も心の中で泣いている。

 〔大館大町〕という停留所にようやくたどり着いた。ここが多分、みち銀の窓口女性が教えてくれたこの町の主要な停留所なのだろう。停留所のすぐそばには、銀行が3つある。青森銀・秋田銀・北都銀。青銀の1軒置いて隣が秋銀、その向かいが北都銀で、厳密には間に建物と道路が挟まっているけれども、ほぼ3軒並んでいるような状態である。いま大館市で営業している銀行の中では、みちのく銀行だけが少し離れた坂の下にあり、また最も新しい。秋銀は1899(明治32)年4月、青銀は1907(明治40)年7月の出店で、両者とも大館には明治期に進出した。北都銀は少し新しく、1921(大正10)年10月に大館銀行本店として創業したもの。旧秋田相互銀行の大館支店【注2】は1949年5月に会場としての出店で、さっきの長倉交差点から少し入ったところにあった。というわけで、1951年6月に会場として出店したみち銀が一番新しいことになる。
 さて、現在時刻は15:03。〔大館大町〕の停留所は、ポールが少し離れて2本立っている。商店が並んでいるあたりと、少し南にある青森銀の前【注3】。少し面倒臭いと思ったが、まず先にある青銀前のポールをチェックしてみると、扇田方面へ行くバスは北側のポールからしか出ない様子であった。次いで北側ポールの時刻表を見ると、扇田へ行きそうなバスで最も早く来るのは、15:11発の鳳鳴経由大谷行きであった。その次は15:26発弥助行き、15:46発上川沿小学校経由花輪行き。46分発は多分扇田に行くハズだけれども、そこまで待ってはいられない。11分発で行ければよいのだが。結論から言うと、ここに書いた3つはすべて扇田へ行くバスであった。
 秋北バスの路線は、停留所にもホームページにも情報が乏しくて、かなり謎が多い。おそらく、この会社の利用者は事情を知っている人ばかりで、不明な点は電話で聞いてくれというスタンスなのだろう。しかし、ホームページに情報をまとめて出しておけば、電話応対しなくてもいいわけで、そんなところで骨惜しみしている時点で終わっていると思う。地元の人には言わなくてもわかることが、他所から来た人間にはわからないのだが、その辺の塩梅がバス会社にはわからないのだろう。国際興業にはこういうところを子会社に指導して欲しかったし、秋北バスもせめて元親会社のウェブサイトを参考にしてもらいたい。KKKのホームページで提供されている充実した検索機能は当面なくてもいいから、せめて路線図ぐらい、概略図ではなくきちんとしたものをHPで出して欲しいものだ。大館地区に関しては、観光案内所で配っているカラー刷りのものを、そのままHPに載せれば十分だと思う。
 なお、大館市役所そばにあった秋北バスのバスターミナルが2013年9月限りで廃止になって、バスの系統がかなり整理されたと後日聞いた。わかりにくい路線図が輪をかけてわからなくなり、加えてそもそも地元の人がバスの経路を把握していない。こんな状況では地元の人もなかなか乗れないのではないだろうか。

 数人がかりでアーケードから雪下ろしをしているのを、見るともなく見ていた。屋根に登って雪おろしというのもキツい話だけれども、雪下ろしで本当に大変なのは、作業後に下ろした雪を片付けることである。雪下ろしこそしないものの、雪かきは東京に住んでいても年に1〜2回やるから想像できる。雪の降らない地域でも、たとえば刈り払い機で草刈りをした場合、やはり刈った後の草の片付けで相当にエネルギーを消費する。路面が濡れている理由は、屋根から下ろして積み上げてある雪を、道路に少しずつぶちまけているせいのようだ。こういう風に少しずつ解かしていかなかったら、どうしようもないわけである。
 大館市内に関しては、靴底の溝がきっちりある靴を履いて来て正解だったようだ。秋田・能代で終わりにしていたら必要ないけれども、大館にはそれがあるのであった。

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 【注1】東大農学部にある、上野博士とハチ公とが対になった銅像のように、実際には「直立」まではしていないのかもしれないが、正面で対峙すると直立しているように見えるのである。
 【注2】北都銀行大館中央支店を経て1996年4月大館支店に統合。
 【注3】2015年12月1日の冬季ダイヤ実施に伴い、〔大館大町〕の青森銀行前のバス停ポールは廃止された。
posted by 為栗 裕雅 at 18:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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