2011年12月31日

あとがき・参考文献+よいお年をお迎え下さい

 「りそめぐ2008秋 『埼玉県民の日』に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇」、本日21時掲載分をもって完結いたしました。最後までお読みいただいた方には、例によってダラダラと続いた連載にお付き合いいただき、御礼申し上げます。あとがき等も含めた分量は、最終的に約260枚(400字詰原稿用紙換算)となりました。
 『めぐ記』の掲載は、昨年9月以来1年ぶりとなりました。この間、地方銀行本店のハシゴを行ったりし、文章関係では戯曲の執筆に挑戦するなど、新境地を模索し続けておりましたが、体験記の執筆はさぼってしまいました。来年には脚本デビュー作の公演が行われる予定です。いずれ告知したいと思いますので、ご来場いただければ幸いに存じます(公演が頓挫した場合はご容赦下さい)。

 2008年の「県民の日めぐ」では、東武伊勢崎線の沿線を選びました。過去の『めぐ記』掲載分と合わせますと、東武伊勢崎線(支線含む)沿線にある埼玉りそな銀行のほぼ全ての店について、記述を終えたことになります。
 この日は、同じ東武鉄道の東上線とどちらにするか最後まで迷ったのですが、「平和の象徴」ともいえる銀行めぐとしては、伊勢崎線を選んで正解だったと思います。東上線ではこの日、みずほ台駅近くで起きた踏切事故の影響で、午前中ほぼ全線で運転見合わせとなりました。もし私が東上線を選んでいたら、確実にどこかで足止めを食らっていたハズですが、それを文章化した場合、『めぐ記』としては失敗だったと思います。旅行の体験記としては波乱に富んだものになったかもしれませんが、『めぐ記』は銀行営業店とその町の様子を伝えるのが主旨だからです。本文にも記述がありますが、この日は伊勢崎線でもアクシデントがあってダイヤが乱れました。私が経験したのは20分ほどの軽微な遅れでしたが、この程度の遅れであってもそれなりのダメージは受けます。ましてや半日も動きが取れなくなったら…。

 連載中の11月下旬〜12月初旬、日本経済新聞の夕刊に、俳人・黛まどかさんへのインタビューが連載されました(「人間発見」)。記事中に、印象に残った記述がありました。地域おこしの題材として俳句を取り上げている地方自治体が複数あり、そのうちの一つを訪ねたところ、現地の人が話したそうです。俳句を見る目を通したら、何にもないと思っていた自分たちの町が宝の山だと気がついた、と。黛さんはこれを受けて「ピンときました。よそ者の目を持ち込むと、土地の魅力が再発見できるんだ」と結んでいます。
 我が意を得たりと思いました。「めぐ」でハシゴをした地域にとって、私はよそ者以外の何者でもありません。しかし、私の『めぐ記』によって、めぐをした地域(そしてその地域の銀行営業店)の新たな魅力が発見できるとしたら、それは大きな喜びです。はたして『めぐ記』はそのような作品たりえているだろうか。その判断は私にはできませんが、方向性としてはそうありたいと思います。
 もっとも、本多勝一氏に言わせると、こういう視線は「侵略する側」の視線ということになるのかもしれませんが…。私は、肯定的にとらえることにします。

 この連載は、あくまで2008年11月の実体験と、その後の連載期間における「一面の真実」です。連載を終えて、「めぐ」の実行から3年という時間の経過は、想像以上に長いものだと感じました。今回、いったん着手したものを未完成に終わらせたくなくて仕上げたのですが、あまりに時間が経ったものは、やはり考え直した方がよいのかもしれません。情報は生ものによく似ていて、時間が経つと傷んでくるものです。今回そのことを身にしみて感じました。「仕掛かり中」のストックはまだ2本あるのですが…。
 とりあえず次回の連載は、あまり時間の経過していない題材にしたいと思います。とはいえ、次回発表しようとしている「めぐ」は11月中旬に実施しましたが、それから1か月以上経つのにデータ整理すらいまだ終わっていない状況です。先が思いやられるのは間違いありませんが、次回もお楽しみに。

 本連載、また私のやっている「めぐ」活動に関して、ご意見や情報提供をお待ちしています。このブログ「MEGU」は、コメント・トラックバックを歓迎していますし、私のメールアドレスも公表しています。
 最後に一言。2011年もあと2時間ほどで終わろうとしています。本「あとがき」がそのまま、2011年を送るにあたっての私からのご挨拶となりました。来年も、当「遊牧民の窓」と為栗裕雅をよろしくお願い申し上げます。
 よいお年をお迎え下さい。


 なお、この連載の執筆にあたっては、以下のような書籍・webサイト等を参照いたしました。

参考文献一覧
紙媒体は発行年順、webサイトは本文掲載順(2011.12.15現在)
  『創業二拾年史』飯能銀行、1921年
  『忍商業銀行四十年史』松岡敬太郎(忍町)、1936年
  『昭和拾四年上期営業報告書』安田貯蓄銀行、1939年
  『埼玉銀行十周年史』埼玉銀行、1953年
  『埼玉県市町村合併史』埼玉県、1960〜1962年
  『日本相互銀行史』日本相互銀行、1967年
  『埼玉銀行史』埼玉銀行、1968年
  『日本住宅公団20年史』日本住宅公団、1975年
  『目で見る荒川区50年のあゆみ』東京都荒川区、1982年
  『富士銀行百年史』富士銀行、1982年
  『武州銀行史』埼玉銀行、1988年
  『前川国男作品集 建築の方法T』美術出版社、1990年
  『住居表示旧新/新旧対照表 鷲宮一丁目〜鷲宮三丁目』鷲宮町役場(埼玉県)、1992年
  『埼玉銀行通史』あさひ銀行、1993年
  『協和銀行通史』あさひ銀行、1996年
  『周五郎が愛した「青べかの町」』浦安市教育委員会、1998年
  建築三酔人『東京現代建築ほめ殺し』新潮OH!文庫、2001年
  『富士銀行史1981-2000』富士銀行、2002年
  『生誕100年 前川国男建築展 図録』生誕100年前川国男建築展実行委員会、2005年
  美水かがみ『らき☆すた』1〜8巻 角川書店、2005〜2010年
  コンプティーク編『らき☆すた公式ガイドブック』角川書店、2007年
  高田京子「足元を知る」『マンスリーとーぶ』715号 東武鉄道、2008年
  『さくら呉服橋ビル(旧・日本相互銀行本店)の記録』前川建築設計事務所、2009年
  『ブルーマップ 加須市』民事法情報センター、2009年
  『ブルーマップ 草加市』民事法情報センター、2010年

  『銀行総覧』 大蔵省銀行局、各年版
  『全国銀行店舗一覧』全国銀行協会連合会
  『日本金融名鑑』 日本金融通信社、各年版
  『ニッキン』 日本金融通信社

  「埼玉交通情報」http://www.knet.ne.jp/~ats/index.htm
  「こよみの計算」『国立天文台』http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/koyomix/koyomix.html
  「銀行変遷史データベース」『全国銀行協会』http://www.zenginkyo.or.jp/library/hensen/index.html
  「ちょっと懐かしい北越谷駅周辺」『弥十郎のはなし』http://www.geocities.jp/a1115b/sub60.htm
  「牛島の藤」『藤花園』http://www.ushijimanofuji.co.jp/
  「文化財紹介 東玉大正館(旧中井銀行岩槻支店)」『さいたま市』http://www.city.saitama.jp/www/contents/1198114204466/index.html
  「『らき☆すた』の聖地、鷲宮神社で初詣をしてきた」『Business Media 誠』http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1001/01/news005.html
  「鷲宮神社100拝目」『もてぎの鷲宮神社参拝記。』http://motegionityan.blog72.fc2.com/blog-entry-32.html
  「加須市」http://www.city.kazo.lg.jp/index.htm
  「企業ロゴの歴史(4)東芝標章の変遷」『電気技術史』41号 (社)電気学会、2006年 http://www2.iee.or.jp/~fms/tech_a/ahee/newsletters/pdf/n41.pdf

  フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

2008.11.14(金)(48)エピローグ ジロリアンにヘンシーン

 騎西支店を制覇したので、本日の予定はこれにて終了である。
 「もう1軒」ということは、当然考える。これから行くとすれば菖蒲支店か鴻巣支店のどちらかだが、やはり事前の計画で外したところは、現場で考え直してみても問題が多かった。
 菖蒲(南埼玉郡菖蒲町、現久喜市)は国道122号で1本の隣町で、騎西からの距離は5kmぐらいしかないのだが、けしからんことに両町を結ぶバス路線が存在しないのである。歩いて行ったらまさに文字通り「日が暮れる」し、ここから菖蒲までタクシーを飛ばして勝負だ、というわけにもいかない(宮脇俊三氏ならやったかもしれないが)。
 もう一方の鴻巣(鴻巣市)だが、これは加須から乗ってきたバスが鴻巣行きだったことを考えれば自然である。次は20分後の16:34発。しかし、34分発に乗ったとして、これで鴻巣に着いたら恐らく5時を回る。そうなったらもう時間的に写真撮影は無理だと思う。それに、群馬県出身者として、JR高崎線沿線は今日そんなに積極的に取る動機付けはない。今持っている切符が東武鉄道のフリー切符であってJRには乗れない以上、鴻巣に出るのはムダが生じるという事情もある。
 まあ無理はするまい。ここで打ち止めにしたいと思う。西の空は、あと十数分は明るさを保っていると思うけれども、すっかり赤くなっていた。
 「役場前」から加須に引き返す。帰りのバスは時刻表では16:28発となっていたが、鴻巣市内が渋滞していたとかで、44分になってようやくやって来た。16分遅れということになるが、後の予定がないからもうゆったり構えていられる。
 途中の釜屋では、何かの積み出し作業をやっていた。

 加須駅に戻ってきた。この後の行動だが、せっかく東武線で埼玉県北部まで来ているから、栃木県壬生(みぶ)町まで足を伸ばすことにした。私は「りそなめぐラー」であると同時に「ジロリアン」でもある。暖簾分け方式で店の数を増やしている「ラーメン二郎」のラーメンが大好きなのだ。二郎の新店が、東武宇都宮線の壬生に最近開店したのだったが、まだ行ったことがないのだ。今から行けば、店には7時過ぎには着けるだろう。加須→久喜→東武動物公園→南栗橋→新栃木→壬生、という乗り継ぎとなる。かくして「ジロリアン」に変身する私であった。
 駅ビル内の東武ストアで「加須名物こいのぼり焼き」を再び見る。興味をそそられるが、量自慢の「二郎」へ行く身ゆえ自粛した。この次加須に行ったら試してみたい【注】。加須17:13発の久喜行きに乗ると、東武宇都宮線壬生駅には19時前に到着した。駅からは20分ほど歩く。栃木街道(県道宇都宮栃木線)の壬生バイパスまで出てくると、秋の火災予防運動ということで消防車が宣伝カーとして走り回っていた。そういえば、今日の制覇記録のところで書かなかったが、越谷市内でもハシゴ車が走り回って同じようなことをやっていた。
 予想どおり、店には7時15分頃到着した。「ラーメン二郎」栃木街道店で食事。再び20分の道を歩いて東武壬生駅に戻り、電車で帰宅した。

 【注】2011年11月実現した。こいのぼりの形をしていること以外は、たい焼きそのものであった。


[りそめぐ2008秋 『埼玉県民の日』に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇 完]

 【お知らせ】「あとがき・参考文献」を、本日22時に掲載します。

2011年12月30日

2008.11.14(金)(47)16:05、全店制覇完了

 バスは、騎西三丁目の交差点で右折した。街の中心部に乗り入れるようだ。
 郡部の町の旧市街は、民家と個人商店が雑多に混在していた。古い市街地ゆえ、土蔵を改造した民家などもまだ残っている。切妻の民家や商店建築では、妻板の屋根と接する三角形の部分に梁が頭を出していたりもする。こうした古い様式は、調べてはいないが明治〜大正時代ぐらいだろうか。古い家を大事に使っているのである。
 埼玉県信用金庫が騎西支店を出している先、騎西2丁目の停留所前に「蔵造り本醸造 力士 醸造元 釜屋」と書いた屋根つきの縦型看板が立っていた。ああ、これが有名な清酒「力士」の本社なのか。こんな場所で造っているのだ。寛延元(1748)年創業だそうで、「♪り、き、し〜」というCMで有名である(首都圏の人しか知らないかもしれないが)。さっき加須市内で「力士」を出している飲食店が多いと書いたのは、こういう事情である。ネタばらしをすれば、「めぐ」の時点では意識していなかった。後日再取材の際に「そういえば多い」と気付いたのである。

 「力士」に感心していたら、埼玉りそなの前を通り過ぎてしまった。慌てて次の停留所でバスを降りる。停留所は「役場前」といった【注】。騎西町役場が、バス停横の路地を奥に入ったところにあるのだ。埼玉りそな銀行騎西支店は、バス停でいうと「騎西2丁目」と「役場前」のちょうど中間地点ぐらい、といってもせいぜい数十mの距離である。支店の真向かいは民家であった。
 民家と個人商店が雑多に混在している郡部の町の旧市街だが、やはり銀行があるあたりは商店の密集度が少し違う。埼玉りそなの隣は電器店で、フランチャイズチェーン店としてメーカーの看板を付けた個人商店。ここは東芝の店だが、看板につけられた東芝のロゴが「Toshiba」というイタリック体(1950年制定で「傘マーク」というそうだ)である。東芝のロゴは、大文字のみの直立体が1984年以降多用されるようになったから、当然それ以前の遺物ということになるが、よく維持されていてきれいである。味わいのあるものは、この町の中心部に今のところ残っている。
 支店に入る。キャッシュコーナーはあさひ銀時代のパイプ形デザインで、幅広のタイプ。ATMは4台あって、4台分のATM枠のうち3台が富士通FV10、右から2番目に1台だけFV20、という機械配置になっている。その横にシャッターがあって、ATMがもう1台(FV10)と両替機が置かれている。そしてロビーに記帳機。窓口室は総合受付方式に改装済みであった。営業室の後ろの壁には、横1m縦80cmぐらいの黒い板に金文字(というか金の目盛り)が取り付けられた壁掛け時計がついている。多分この時計は建物と一体化しているのだろう。16:05、騎西支店を制覇した。
 騎西支店は大変歴史の古い支店で、地元銀行の本店だった。騎西銀行として1898(明治31)年8月開業、1923(大正12)年3月忍商業銀行に合併して同行の騎西支店となり、その後の4行合併で埼玉銀行となった。現在の店舗は1978年8月に竣工した。

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 【注】現在では「騎西総合支所」に変わっている。

2011年12月29日

2008.11.14(金)(46)騎西支店に至る道

 県道加須鴻巣線が始まる武蔵野銀行の角は、一応交差点であってT字路ではない。ただし、2車線ある騎西方面に対し、その反対方向への道は離合も難しそうなほど細い。騎西・鴻巣方面に向かう道は、センターラインと路側帯が引いてあるだけで、地方には普通にみられる対面2車線道路である。
 バス停は、鴻巣方向に曲がり込んだところにあった。名前は「銀行前」。事前のリサーチでは「相互銀行前」となっていたが、さすがにそうではなかった。日本相互銀行が普銀転換して太陽銀行になったのが1968年12月のことで、それから丸40年経つのに「相互銀行前」のままなら恐れ入った話である(鉄道の駅には「学芸大学」など類似のケースが多数あるが)。
 すぐ後ろからバスが来ているのが見えたので、これに乗ってしまうことにした。これが銀行前15:46発、朝日バスの鴻巣免許センター行きである。写真撮影を早々に切り上げて大急ぎでバス停に来たのに、そこに見えているバスはこちらになかなかやって来ない。こんなことなら武銀の写真をもう少しゆっくり撮っていればよかった。ついでに言うと、このあたりの朝日バスでは「パスモ」が使えないそうだ【注1】。微妙な心のささくれがなくはない。

 一番前の座席に腰を落ち着けた。正面窓ガラスから日光が直射してくる。もうだいぶ日が傾いていて、早めに来たとはいってもギリギリだと感じる。これでもし30分遅かったら、もっとひどい状態だったのだ。時間を少しでも稼いでおいてよかった。春日部→久喜でダイヤが乱れていたのも、なんとか吸収できたし。
 通り沿いにはサブリース会社が建てた3階建てアパートが建っていたりするけれども、それ以上に土蔵を改造した商店が結構な数あって、やはりこのあたりは地方都市の古い市街地であると思う。道路は武銀の支店から鴻巣方向に少し下り坂になっており、東武伊勢崎線を踏切で越えて南西の方角に進む。このあたりまでが旧市街のようで、土蔵改造の商店など古い建物が目につくのも踏切の付近まで。踏切はずいぶん長いこと遮断機が下りたままだった。ダイヤの乱れは今も続いているようだ。
 踏切を渡った途端に建物の密度が下がってきた。そしてすぐさま騎西町に入ると同時に、一面の水田地帯となった。土地利用が自治体の境界線とともにきれいに変化する実例として使えそうだ【注2】。なるほど、加須と騎西が別の自治体になっているのは、それなりに理由があるのだろう。加須市街地もこれ以上は広がって来ないに違いない。土地の用途には制限がある農地は、勝手に宅地に変えたり等できないのである。
 日出安(ひでやす)。徳川幕府の第x代将軍の名前にありそうな地名だ。人家と土蔵が混在しているが、交差点には大駐車場完備で平屋建てのセブンイレブンがあったりする。そこを過ぎると再び水田地帯になった。対面2車線の道には黄色のセンターラインが引かれ、路側帯は50〜60cmぐらいだろうか、人が歩くのがやっとの幅しかない。そこを車がビュンビュン走り抜けていく。
 右側に城が見えた。ラブホテルではなくて、騎西町が1975年に建築した「騎西城」である。3階建て鉄筋コンクリート造りの天守閣は史実とは異なるが、まあ町興しの一環だったのだろう。郷土史料展示室や図書館など、騎西地域の文化的な公共施設がこの付近に集中している。朝日バスはここを拠点に鴻巣方面へ区間運転をしている(停留所名は「福祉センター」)。この付近もちょっとした集落にはなっているようだ。
 なお、旧騎西町は最近思わぬところで注目された。今年(2011年)3月の東日本大震災および福島第一原子力発電所事故の影響で、福島県双葉町が町役場ごと移転したのである。東京電力の福島第一原発は、福島県双葉町と大熊町とにまたがる地域にある。原発事故に伴い、双葉町の住民と役場の機能は「さいたまスーパーアリーナ」(さいたま市中央区)へ避難。さらに3月末に、2008年に閉校した旧県立騎西高校の空き校舎に移動した。旧騎西高校は、騎西城から西へ1kmほどの国道122号線沿いにある。

 【注1】現在は対応している。
 【注2】北埼玉郡騎西町は2010.03.23加須市と合併し、新たにできた加須市の一部となった。

2011年12月28日

2008.11.14(金)(45)今年も武蔵野銀行について

 次は、いよいよ本日最後の目標である。騎西支店(北埼玉郡騎西町、現加須市)。鉄道の通じていない騎西へは、路線バスで行くしかない。
 騎西支店に向かう前に、銀行建築を1軒見に行ってみたいと思う。武蔵野銀行の加須支店である。去年の「埼玉県民の日めぐ」では、行程の終わりで、国の登録有形文化財になっている武蔵野銀行の行田支店をサラッと見てきたが、なぜか今年も行程の最後で武蔵野銀の支店を見る(ただし文化財にはなっていない)。ついでに、初っ端でミスをして行程に「戻り」を入れざるを得なくなったのも、昨年と同じである。
 さて、騎西へ行くバスは、加須駅をスタートして、今制覇した加須支店の交差点で右折、県道加須幸手線を東に向かい、武蔵野銀加須支店のある中央二丁目交差点で再び右折して、鴻巣市を目指す。事前のリサーチでは、武蔵野銀の支店の横に「相互銀行前」という停留所があることになっている。ここで鴻巣行きのバスを捕まえれば、騎西までは10分ほどで到達する。バス会社のHPでは加須駅前発の時刻しかわからなかったので、予定を立てる時は、それに少し足して相互銀行前発を16:26頃としておいた。

 「加須駅入口」交差点から県道を東に向かう。この通りは「駅通り」とともに、宿場町であり不動ヶ岡不動尊の門前町でもあった加須の中心的な商店街である。加須の老舗書店らしき「ブックセンターやまと」という店が盛業中。そのほか、土蔵を改造した商店の名残のような建物が何軒か残っている。そのような中に、足利銀行の加須支店が見える。加須市の金融機関はこのあたりに集中していて、武蔵野銀の加須支店は足銀のはす向かいぐらい。さらにその先には埼玉県信金の加須支店もある。武銀の角から先には、1本1本にスポンサーがついて小さな行灯を付けたスタイルの街灯がズラッと並んでいるのが見えた。加須の商業の中心だったことを物語っている。
 というわけで、武蔵野銀行加須支店を眺めてみよう。この店は、三井住友銀行加須支店だった建物をそのまま使っている。三井住友の加須支店は2002年10月に春日部支店に統合され、前述のとおり店舗外ATMだけが駅前に残っている。加須市は、都心に出るのに乗り換えが必須という地方都市型の電車ダイヤになってしまい、そういう地域には「三井住友が」店を出し続けるのは無理なのだろう(太陽神戸銀行のままならアリだったかもしれないが)。東武沿線では春日部が一般的な都市銀の支店所在地としてギリギリの線かもしれない、というのは今日歩き回っていても感じたことである。
 支店の建物は、太陽神戸銀行の前身である日本相互銀行が1961年7月に建てたものである。今日これを見に来たのは、日本相互が本店の建物をデフォルメしたデザインで各地の支店新築を進めた銀行であると聞いていて、加須支店はその時代と思しき古い建築を持つ一つだからである。その後調べてみたところ、本店建物を「デフォルメした」という言い方は必ずしも正しくないが、同様の設計思想は貫かれているようだ。東京駅八重洲口近くに1952年にできた旧日本相互銀行の本店は、前川国男【注1】という有名な建築家が設計したもので、建築翌年に日本建築学会賞を受賞している。三井住友銀行東京中央支店として使われていたが、2008年に解体された。
 前川国男は、自身の建築を「テクニカル・アプローチ」という考え方で設計した。これは、建物の軽量化とコストの削減を図るため、柱と梁で構成されたラーメン構造【注2】を中心とし、建築部材に工業化素材(プレファブリケーション)を多用するものである。彼の設計した日本相互銀行本店は、これに基づき、1階営業室から柱を極力廃したり、当時珍しかったアルミサッシを採用したりしている。日本相互における1962年までの店舗建築のうち、本店を含む25件が前川本人の作品とされ【注3】、テクニカル・アプローチの実験の場として、前川のその後の大作につながる技術の多くが試みられていた。加須支店の設計者が誰かは調べられなかったが、前川の部下がかかわっているのではないか。日本相互の社史に掲載された写真を見ると、同行の多くの支店は、当時の銀行建築で流行していた、オーダー(太い縦柱)を強調したスタイルではない。最上階が下の階より出っ張った外観をしているところが似通っており、これは前川の日本相互の建物では初期にあたる平塚支店と似たスタイルである。
 さて、武蔵野銀行は埼玉県の戦後地銀で、店舗網の拡大ではかなりの苦労をしてきたと思われる。今年(2011年)6月に和光市への進出を果たしたが、県内には支店のない市がまだある(吉川と鶴ヶ島)。以前は加須もその一つであったが、2003年1月に北埼信用組合【注4】を合併、信組の加須支店を引き継ぐため、合併に先立つ2002年12月に加須支店を新設した。折よく三井住友銀行が加須支店を統合しており、武蔵野銀は旧日本相互の店に居抜きで出店した。武蔵野銀には他行が作った店を使用している営業店が他にもあり、昨年の「県民の日めぐ」で取り上げた行田支店のほか、北本支店(北本市)は、旧北海道拓殖銀行が建てた中央三井信託銀行北本支店だった建物を使っている。
 現在の武蔵野銀行加須支店は、外観は旧日本相互時代の雰囲気をよく残しているが、接客部分は武銀の標準スタイルに改装されているようだった。りそなのウオッチャーとしては武蔵野銀に行く機会が多いわけではないので、ここは一応「ようだった」と付けておく。

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 【注1】前川国男(まえかわ・くにお、1905〜1986):昭和期に活動した建築家。新潟県出身、1928年東京帝国大学工学部建築学科卒。近代建築の三大巨匠の一人とされるル・コルビュジエに師事。主な作品に、旧日本相互銀行本店のほか、岡山県庁舎、世田谷区民会館・区役所、埼玉会館、埼玉県立博物館などがある。
 【注2】ラーメン(Rahmen)はドイツ語で額縁の意。骨組みを長方形に組み、部材の接合個所を剛強に接合することによって、大きな力がかかっても粘り強く抵抗する特性を持たせる。
 【注3】前川国男本人の作品とされているのは以下の25本支店。池袋・平塚・新宿・浦和・立川・大森・本店・溝ノ口・横浜・渋谷・銀座・蔵前・神田・新橋・三ノ輪・蒲田・深川・川崎・上野・亀戸・小石川・中野本町通・砂町・尾久・小松川。ほとんど現存していないが、中野本町通支店の建物は三井住友銀行中野坂上支店として現在も使われている。
 【注4】1964.12.22開業。本店埼玉県行田市。本店のほか羽生・加須の2支店があった。人的にも業務運営上も武蔵野銀行と親密で、2003.01.14武蔵野銀行に合併。

2011年12月27日

2008.11.14(金)(44)こいのぼりと力士の加須市内

 駅前の通りを、地図上の方角でいうと北東に向かう。対面2車線だが、センターラインは白ゼブラだから道幅が広い。県道411号加須停車場線、「駅通り」というらしいが、少しそっけない名前である。
 道の両側は歩道が整備された商店街だが、店はだいぶ歯抜けになっていて、日常の買い回りのできる店はない。ビルに建て替えられた店が多く、再開発の途中で開発しなくてもよくなっちゃった、という感じのする街並みである。ただ、加須を特徴付けるものとして、人形店の看板が目につく。といってもさっき行った岩槻とは違い、当地の人形店で売っているのはこいのぼりである。加須市は全国のこいのぼり生産日本一、というよりほぼ独占していて「日本唯一」に近い。もう一つ、飲食店の看板には、日本酒を提供している店では「蔵造り本醸造 力士」の文字が多い。理由は後で判明する。
 駅前から歩いてきて最初の信号が「加須駅入口」交差点で、東武線に沿って走っている国道125号の旧道(県道152号加須幸手線)と交差している。駅前から来た道は「県道411号」としてはここまでで、直進方向は県道鴻巣栗橋線(38号)である【注】。

 埼玉りそな銀行加須支店は、この交差点の左側、角から2軒目行田寄りである。建物の一番北端というのか東端というのか、風除室の付いた自動ドアの入口があって、そこを入るとキャッシュコーナーである。ATMは、向かって左側に3台、右側に4台、機械は全部富士通のFV10であった。キャッシュコーナーが左右に分かれているのは旧大和銀行の店舗ではよく見るけれども、旧埼玉銀行の店舗では珍しいかもしれない。行灯は旧埼玉銀の枠、プレートは緑色に換装済み、ブースの仕切り部分はさっき見た鷲宮などと同じで、最近取り付けた四角い大きなものであった。窓口室側にテレビ電話のブースと両替機があって、両替機の隣には緑色をした総合受付の円筒形の看板が下がっている。15:40、加須支店を制覇した。
 加須支店は、武州銀行加須支店として1937年6月に開設された。1943年7月の4行合併で埼玉銀行となった後、同年10月に加須西支店を統合した。加須西支店は旧忍商業銀行の加須支店だった店舗で、1899(明治32)年10月に栗橋銀行加須支店として開設、1926(大正15)年12月に忍商業銀行に合併されて加須支店となっていた。西支店統合翌年の1944年4月に、旧加須西支店の建物に移転している。現店舗は1973年8月の新築である。

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 【注】正しくは、県道411号はさらに左折して行田市方面に向かい、国道125号と合流する「愛宕」まで。県道38号は国道125号と交差する「加須市役所入口」から南進し、この交差点で東に直角に折れ、さらに「中央二丁目」で南方向に折れて鴻巣を目指す。県道152号は幸手から西進して国道125号に合流する「愛宕」まで。結果、411号は愛宕−加須駅入口間で、38号は加須駅入口−中央二丁目間でそれぞれ県道152号と重複していることになる。

2011年12月26日

2008.11.14(金)(43)鷲宮から加須へ

 鷲宮駅に戻ってきた。
 2番ホームから駅の反対側を見ると、線路沿いに川が流れている。コンクリ護岸も一部にあるが、基本的に川の両岸は土のままで、樹木が並木のように並んで立っているなど、のどかな風景が広がっていた。樹木の葉はかなり紅葉している。鷲宮駅の西口ロータリーは、川を渡ったところにある。さっき東岩槻でも見かけた「マルヤ」というスーパーが見える。このスーパーは埼玉県東部以外では見た記憶がない。
 さて、埼玉りそなの支店制覇を続けよう。次の目標は、加須(かぞ)市の中心部にある加須支店。加須は鷲宮からは2駅目である。15:22発の太田行きに乗った。座席に腰を落ち着けると、西日が真横から差してきた。もうそんな時刻であった。
 電車は相変わらず田園地帯の真ん中を走る。野焼きの煙が至る所で上がっているのが見える。東北自動車道が頭上をまたいで間もなく、1つ目の花崎駅に到着。鷲宮があれだけ田舎町のようなのに、一層遠い花崎には高層マンションがドカドカ建っていて、ちょっと驚きである。高速の加須インターから近いせいで開発が進んでいるのだ。花咲徳栄高校という甲子園出場で有名になった私立高校もあって、埼玉県北に近いエリアなのだが小じゃれたイメージの住宅地である。駅前の電車から見えるところに、埼玉りそなが店舗外ATM[花崎駅前]を出している(母店加須支店)。
 花崎を出て再び田園地帯を突き抜け、住宅の密集度が再び上がってきたかと思うと加須到着である。瀟洒な2階建ての建物が多いが、6畳1間に一家7人、というイメージの低所得者向け平屋建てのような住宅も建っていたりする。駅のすぐ手前まで来ると、古めかしい渋茶色の木造家屋が見えた。

 加須も国鉄型配線の駅で、東武は私鉄にしてはこのつくりの駅が多いと感じる。平面構成は古典的だが、駅全体は大きな駅ビルがかぶさり、エスカレーターで2階の駅施設に上がったところがコンコースと切符売り場で、施設としては近代的である。駅ビルのキーテナントは東武ストアだから、東武の主要駅としては普通だろう。
 この駅には「りそなめぐラー」の立場からすると他の駅と違うものが1つある。切符売り場の横に、埼玉りそなの店舗外ATMがあるのだ。加須支店母店の[東武加須駅]。ATMが2台あって、あさひ銀時代の内装だが行灯のプレートが店舗外ATMには珍しく緑色に換装されている。通帳印字さえ揃えばいい人には、ここで預金取引をして<加須>の制覇をさっさと終わらせる手がある。小生は現地主義を採っているので支店まで行く。
 改札を出て左折するとマイン(東武ストア加須店)。半階降りたところにあるマインの入口には、「加須名物こいのぼり焼き」なる食べ物を売るコーナーが出ていた。それを横目で見つつ、左へ曲がって再び階段を下へ。もう半階分下りたら、こんどは右に90度折れてまた半階分下りる。せんげん台もそうだったが、東武は駅ビルの階段と通路をクランク状に曲げるのが好きなようだ。
 駅前に出た。東武ストアの建物は、駅前広場を取り囲むようにL字形に建っている。ロータリーには灌木が植わり、中央に大きな木が1本。大きなというのは、根元のあたりでいくつも枝分かれしていて嵩があるという意味だ。その隣には、少女が2人でギッコンバッタンしている彫刻が鎮座している。駅前広場の羽生寄りには、交番とタクシー会社の営業所の建物が建つ。タクシー会社の建物に、三井住友銀行がキャッシュコーナーを置いている。これは2002年10月に統合された加須支店(旧太陽銀)の代替拠点である。店舗外ATMの話をしておくと、あさひ銀行はかつて(改札前とは別に)東武ストアの横にも[東武ストア加須店]というATM小屋を出していたが、りそなになる前に廃止された。

2011年12月25日

2008.11.14(金)(42)美水かがみ『らき☆すた』について思うこと

 前述したとおり、鷲宮は『らき☆すた』という漫画作品の“聖地”となっている。今回『めぐ記』で鷲宮の項を起こすにあたり、筆者は、全8巻出ているコミック本の過半数と、「公式ガイドブック」なる本に目を通した。率直に言って、筆者にはこの作品のどういう点が支持を集めているのか、よくわからなかった。
 念のため。全くつまらない作品、というわけではない。女子高生の日常を描いた、どちらかというと脱力系の漫画で、思わずニヤッとするような笑いは確かにある。だからといって、この作品が鷲宮を“聖地”にまでしてしまったとなると、そこまで入れ込むような漫画だろうかと思うのである。けなしているのではなくて、私には愛好家がたとえば「鷲宮神社に100拝」【注1】するほど入れ込む動機がピンとこないのだ。
 野暮な作品紹介を試みる。『らき☆すた』は、美水(よしみず)かがみという男性作者による4コマ漫画である。作品名は「ラッキースター」の略で、中央の「☆」も作品名の一部だそうだ。中心になっているのは4人の女子高生(のち女子大生)。幸手市在住で、漫画・アニメ・ゲームが趣味の「泉こなた」、鷲宮神社の宮司の娘で二卵性双生児の「柊かがみ」「柊つかさ」、都内在住で学級委員長の「高良みゆき」である。通っている学校は春日部市の「陵桜学園」という私立高校。これらは、幸手市出身で春日部共栄高校卒業という作者の経歴が大きく影響している。
 キャラクターにはそれぞれ性格や属性が詳細に設定されている。これは4人の主要メンバーだけでなく、一クラスメートなどチョイ役も含め全てにあって、名前や職業はもとより、血液型・身長・利き手・趣味などまで細かく定められている。私が興味深いと思ったのは、バストサイズを表す「胸ランク」という項目が女性キャラ全てに(故人にまで!)設定されていることだった。登場人物の胸の大きさを設定することが、漫画の絵を描き分けるため必須であるというなら肯けるが、作品を読んでみると、「巨乳」ということになっている高良みゆきも、「貧乳」ということになっている泉こなたも、どちらも同じようにペッタンコにしか見えない。キャラの描き分けで何となくみゆきの胸が大きいような気がするだけだ。ということは、こうした「設定資料」は、設定しておくから後は読者の想像に任せる、ということのように読める。
 また、登場人物は(私の目では)お目々パッチリなだけで、ある程度読み慣れてからでないと区別がつかなかった。加えて、各キャラに設定されている「身長」が十分に描き分けられておらず、身長142cmのこなたと166cmのみゆきがほぼ同じ背丈になっている絵さえある。これらにより、衣服・髪型・メガネ・八重歯といった小道具やパーツ、あるいはセリフの違い(べらんめえ調・専ら敬語使用・関西弁、など)がなければ、生徒と担任教師との見分けすらつかない。キャラ一人ひとりの個性が極めて希薄で、これらに違いをもたらす材料を取り去ってしまうと区別できないのである。
 もう一つ、登場人物の大半が女性であり、男性がほとんど出てこないことも指摘しておこう。男性の絶対的な登場数もさることながら、この作品には、一般的な意味での「男らしい」男性が一切登場しない。男性の登場人物として「唯一の」存在(あえてこう書く)は、泉家と柊家、2人の父親である。どちらも青白いナヨッとした感じに描かれていて、中性的、というより非常に女性的な男性である。これまた他のキャラと同様、どちらの家の父親か区別するのはパーツに頼るしかない(無精ひげを生やしているのが泉家)。
 『らき☆すた』はこのように、多数の“個性をはぎ取った女性”と、ごくわずかの“女性的な男性”だけで構成された漫画である。却って熱烈な愛好家を生み出すのは、そのゆえだろうか。安易な言い換えをするなら、求められているのは「記号としての女性」であり「男性性の否定」であるのかもしれない。

 「地縁」という点でも、この作品は関係性が極めて希薄である。作品を読む限り、舞台を東武線から小田急線に変えて、たとえば「町田・鶴間・海老名」としても、十分成立するだろう。なぜなら、この作品の舞台として設定されている「春日部・鷲宮・幸手」という地域が作品の中で描かれることが、極めて少ないからだ。
 また、鷲宮が“聖地”になっているのは、柊姉妹が鷲宮神社の宮司の娘という設定ゆえだが、これも本当に「設定」だけのようで、神社を舞台としたストーリー展開、あるいは人格形成に大きな影響を与えたなど、「柊姉妹が宮司の娘で“なければならない”理由」はみられないようだ。姉妹が正月に巫女の格好をしているシーンがほんのわずかあるが、巫女は(別に宮司の娘でなくても)アルバイトのクチが存在するから、柊姉妹は普通の自営業者の娘だったとしてもさして問題はない(父親が日中在宅しているので「サラリーマンの娘」は無理かもしれないが)。
 これらの指摘は、この作品と設定資料との関係が、こうした変更が可能なほど薄い、ということを述べているだけだ。だが、このことこそ「鷲宮が“聖地”になった理由」が私に理解できない最大の要因である。こうした土地との関係性の希薄さは、以前述べたaikoの『三国駅』という歌にも共通するものを感じる【注2】。この歌も、aikoが若い頃過ごした大阪市淀川区三国を題材として扱いながら、三国そのものの表現は1フレーズの抽象的な文言だけしかないのだ。
 こういう風に考えてきて思い出すのは、山本周五郎の小説『青べか物語』である。この作品は昭和初期の千葉県浦安市がモデルとされており、文章からは漁師町・浦粕こと浦安の町の様子や人々の生活が鮮やかに想起されてくる。この作品は(『らき☆すた』とは反対に)内容があまりにリアル過ぎて、地元民の評判は芳しくなかったという。しかし読者の立場からは、「蒸気河岸」「ごったくや」など【注3】のあった場所を実際に見てみたいという気にさせられる。昭和初期がお嫌いなら、NHKの連続テレビ小説で舞台となった地域は観光客を集めることで知られる(『つばさ』の川越市、『ゲゲゲの女房』の調布市など)。テレビドラマのロケ地が一時的にせよ観光地になりうるのは、作品が舞台となった地域と密接なかかわりを持つからではないか。
 『らき☆すた』という作品は、地元県紙の埼玉新聞が支援している。その理由は、ほかならぬ「地縁性の薄さ」である気がしてならない。作品に織り込まれる「地元ネタ」は、その密度が濃厚であればあるほど、必然的にネガティブな話題も入り込んでくるからだ。私の『めぐ記』などまさにその例で、言及した事物の関係者が苦々しく感じている部分もあろうと思う。

 こう考えてくると、『らき☆すた』の愛好者層は相当に限定されてくる。実在する社会との関係が、アニメやゲームといった一部の例外分野を除いて希薄で、それに十分耐えうる想像力と生活力(あわせて「浮世離れ力」とでも言おうか)を持つ人々である。また、この漫画の登場人物は、とにかく極端に男性比率が低い。主要登場人物がいずれも女子高生であることや「胸ランク」のことも考え合わせると、この作品の主要読者層は、性的な関心はかなり強いけれども、実生活で周囲に女性が存在しない男性、といった趣きである。これらを一言でまとめると、何と言ったらよいだろう。そうか、これこそ「オタク男性」ではないのか。
 だいたい読めた気がする。この作品は「オタク男性のバイブル」であって、大ブレイクしたというのも極めて限られた層の中での話なのだろう。一般受けする作品ではないのだ。こうした層が愛好者の主体なら、鷲宮でイベントを行った際に参加者が静かで礼儀正しかった、という評判も肯ける。もし「一般受け」していたら、イベントの参加者には大騒ぎを起こすような層が必ず含まれるハズだからだ。

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 【注1】鷲宮神社に参拝して来訪記念の絵馬を残すことが「聖地訪問行為」であるそうだ。
 【注2】当ブログ2009.05.01〜06.16連載「りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ」、5月7日掲載「(5)aiko『三国駅』について思うこと」。
 【注3】どちらも『青べか物語』の舞台。「蒸気河岸」は主人公の住居そばにあった定期船の発着所、「ごったくや」は特殊なサービスを行う小料理屋。
 【注4】2010年11月に鷲宮神社を訪れた。絵馬の奉納はご遠慮申し上げたが、神社そのものは静謐でいい神社だと思う。奉納された絵馬を見た限り、泉こなたと柊かがみのファンが多いようだ。

2011年12月24日

2008.11.14(金)(41)わしみや支店を制覇

 埼玉りそな銀行鷲宮支店は、駅前通り沿い、鷲宮駅を背に左側にある。駅の中から見えていたから、行くのは難しくない。鷲宮駅前には、埼玉りそな以外の金融機関として農協(JA埼玉みずほ鷲宮支店)がある。支店建物の定礎石に「昭和61年3月20日 鷲宮農業協同組合」とあるから、合併で今の名前になったのだろう。この他、川口信用金庫(本店川口市)が駅の反対側、西口に鷲宮支店を出している。三井住友銀行については前述した。この町の民間金融機関はこれで全部であり、武蔵野銀行の支店はない。
 さて、埼玉りそなである。支店の前を植え込みにして、内側を駐輪場としているのは、さっき行った七里支店と同様である。裏に広大な(といっても12〜13台分の)駐車場があるのは七里と同様だったか知らないが、まあ埼玉エリアであるから七里支店にも駐車場ぐらいはあっただろうと思う。
 キャッシュコーナーにはATM4台と記帳機1台が置かれている。窓口室とを隔てるシャッターの向こう側に両替機、その右側にも1台ATMがある。ATMは全台FV10であった。キャッシュコーナーの内装は、行灯枠は埼玉銀行スタイルのままだが、1台1台の間仕切りだけパイプ形デザインもどきの四角い角張ったスタイルに改造されており、行灯のプレートも緑色のものに取り替えてあった。これが最近の埼玉りそなの標準スタイルである。窓口室は総合受付方式になっていた。15:16、鷲宮支店を制覇した。

 鷲宮(わしみや)支店は、埼玉銀行鷲宮支店として1979年11月に開設された。1985年12月には国鉄東鷲宮(ひがしわしのみや)駅前に有人の東鷲宮(ひがしわしみや)出張所を開設したが、あさひ銀時代の2002年1月に統合している。2010年3月、支店の所在する北葛飾郡鷲宮(わしみや)町が合併で久喜市の一部となり、これに伴い同年6月1日付で支店名の読みがなが「わしのみや」に変更された。
 「鷲宮」の地名はもともと「わしのみや」と読まれていたが、1955年1月に旧南埼玉郡鷲宮町が旧北葛飾郡桜田村と合併した際、自治体名の読み方を「わしみや」とした。鷲宮と幸手市との間に位置していた桜田村は、幸手と鷲宮のどちらに合併するかで意見の一致をみず、結局分村合併となった。こうした難しい状況を反映してか、合併にあたっては新町の所属郡を桜田村に合わせて北葛飾郡とするなどの配慮がみられた。読み方を「わしみや」としたのもその一環だろう。その後の住居表示実施の際にも「わしみや」の読みが地名に使われたが、2010年の久喜市合併に伴いすべて「わしのみや」で統一された。
 最後にもう1つ。埼玉銀行は昭和20年代にも当地に出店しており、1979年の出店は2度目である。最初の鷲宮支店は鷲宮町大字鷲宮2580(現久喜市鷲宮2-13-13および14)にあった。1945年1月に埼玉銀行鷲宮支店として開設され、1958年12月に久喜支店に統合された。こちらの支店名の読みは「わしのみや」だったと思われる。

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2011年12月23日

2008.11.14(金)(40)どうにか鷲宮に到達

 さんざん罵り倒したが、電車に乗ってさえしまえば目的地にたどり着けるのが日本の良いところである。14:58、私を乗せた館林行きの電車は久喜駅を出発した。
 久喜を出てほどなく上り坂となり、大きく左にカーブしてJR東北本線をまたぎ、地平に下りる。駅からしばらくの間は高層マンションがドカドカ建っていたが、その後は田園地帯の真ん中をひた走る。ブドウかナシか知らないが、果物を栽培する棚もあった。やがて、左の車窓には住宅団地の棟が並んでいるのが見えた。これが公団の「わし宮団地」。1971年に開発されたこの団地には、三井住友銀行の店舗外ATMがある。かつて住友銀行が「わしの宮支店」を置いていた名残だ(旧平和相銀)。

 鷲宮は国鉄型配線だった駅だが、真ん中の線路(2番線)はすでに撤去されていて、対向式ホームの西側に線路がついたものが2本並んだような形になっている。駅舎はすでに橋上化されており、西口へ行くとさっきの「わし宮団地」とか県立鷲宮高校。旧市街の東口側に鷲宮町役場や郵便局その他、鷲宮町の中心的な施設がある【注1】。駅舎のガラス窓から東の方角に、目指す埼玉りそな銀行の看板が見えた。
 鷲宮到着は2分遅れだそうで、ということは定時では15:02着のようだ。久喜の手前であんなに遅れていたのに、久喜を出た途端に2分遅れに縮んだというのは、マジックとしか言いようがない。ブツクサ言いながら、階段を使って駅前の細長いロータリーに下りる。
 鷲宮駅舎は、緑とピンクの2色のパステルカラーで彩られたかわいらしい外観になっている。駅舎の向かって左側は、建物の感じからすると東武ストアだったと思うが、むなしくシャッターを下ろして空きスペースになっているのがわかる。さっき行った春日部駅東口も商業は歯抜けの状態であったが、郡部の鷲宮では集積度が当然春日部より下がるだろうから、もっと苦しいのだろう。鷲宮駅界隈は、高度成長期には東京の通勤圏内だったかもしれないが、またいち早く通勤圏から抜けてしまったのだと思う。特に東武線は、2006年3月のダイヤ改正で都内まで直通する電車が朝夕だけになってしまったのだ【注2】。
 駅前を見る。さっき「細長い」と書いたが、鷲宮駅前のロータリーは、駅前通り(コスモスふれあいロードというそうだ)が東の方角からまっすぐ駅に突っ込んで来て、真ん中に植え込みを持つ滴のような形をしている。ここには自家用車とタクシーしか入ってこない。町営バスのバス停が立っているが、1日2本しかないようだから、実質ないのと同じである。雑貨屋のような食料品店のような、古い木造の店がたたずむ。たばこの自動販売機が店先に数台置いてあった。その隣が「鷲宮ビル」という雑居ビル。1階は(営業しているのかわからないが)書店で、2階が個別指導塾の明光義塾になっている。これ以外に駅から見えるビル(のような大建築)といえば、駅から遠く右の方に見える茶色い建物ぐらい。あれは町役場である。あとは、駅前から一戸建ての民家が続くのみ。旧市街から若干離れたところに駅があるから、まあ仕方がない。とにかく、静かな駅前である。
 さっき駅の中に「鷲宮神社」と手書きの張り紙がしてあった。鷲宮は『らき☆すた』という人気4コマ漫画の舞台だそうで、鷲宮神社はその“聖地”である。もともと「関東最古の大社」として正月の初詣客はそれなりに多かったようだが、最近では、漫画の登場人物の誕生日など諸々のイベント(神社主催ではない)に、九州など遠方からの参加者が来るようになった。鷲宮が“聖地”であるのなら、私の七里からの長旅が、三蔵法師による天竺への旅のように艱難辛苦の連続であったのも、理由のあることであった。
 冗談はさておき、神社は、鷲宮駅から直進して最初の信号を左に曲がった突き当たり。信号を左折するとすぐ鳥居があって参道である。駅前に、コミック本を詰め込んだカバンを持った女の子が1人、所在なさげに立っている。今日は学校が休みとあって、誰かと待ち合わせて鷲宮神社にでも行くのかもしれない。

 【注1】北葛飾郡鷲宮町は2010.03.23久喜市と合併し、新たにできた久喜市の一部となった。町役場は現在、久喜市鷲宮総合支所となっている。
 【注2】鷲宮から都心方面へは、最近ではJR宇都宮線東鷲宮駅のウェイトが増している。
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