2018年04月27日

百十四銀ラッピング電車出発式と1日フリーきっぷについて

2018.04.23(月)

1dayfree.jpg 2018年4月20日。開業140周年を半年後に控えた百十四銀行は、高松琴平電気鉄道(ことでん)の電車にラッピング広告を施すこと、あわせて、ことでんの有人駅でオリジナルデザインの全線1日フリーきっぷを発売することを発表した。私は、4月23日に行われるという広告電車の出発式を、百十四銀行の「めぐ」における重要なイベント事項と認識し、急きょ東京から取材に赴くことにした。
 週明けの4月23日(月)。ラッピング電車の出発式は、高松市の仏生山(ぶっしょうざん)駅で行われた。ことでん琴平線で高松築港駅(JR高松駅近く)から6つ目となるこの駅は、車庫と車両工場が併設された同社の重要拠点である。私は成田空港から午前中の便で高松入りし、高松空港から路線バス3本を乗り継いで、百十四銀3店舗の制覇を行いつつ仏生山に赴いた。百十四銀仏生山支店から歩いて10分。こげ茶色に塗られた旧型の電車が1両、目立つところに置いてあり、その横に巨大な自転車置き場と、こじんまりした駅舎とが並んでいる。
 駅に着いてまず目に入ったのが、2台の横長テーブルであった。「マスコミ受付」と書いた紙が貼ってあり、その横のもう1台では、百十四銀のイメージキャラクター「バーバパパ」をデザインした1日乗車券を積み上げて販売している。どちらのテーブルにも、ことでんの社員が数人ずつ張り付いている。私は今回ジャーナリストのように「取材」に来ているのだが、特定の社に属しているわけではないので、一般の見物客と同じ。よって「マスコミ受付」に用はない。一方、フリーきっぷは今日これからの移動で使う予定だから、買うつもりである。
 ことでんの全線で使える一日フリーきっぷ自体は以前から売られているが、今回、百十四銀の周年キャンペーンに合わせて「バーバパパ」デザインの一日乗車券が発売されることになった。他の駅では4月27日(金)発売開始だが、ここ仏生山駅に限り本日13時から先行発売することになっている。マスコミ受付の横にある長テーブルへ。買って今日そのまま使えることを確認した上で、1枚購入。1230円を払い、本日の日付印を押してもらう。押印は丁寧で、可能な限り鮮明に押してくれたと思う。
 フリーきっぷを受け取って改札内に入ると、ラッピング電車はすでに3番ホームに入線しており、ドアを開けていた(その後閉扉)。3番ホームは、琴平方面行きの2番ホームの向かい側で、線路は高松方向から来て駅舎にぶち当たって終点になっている。かつては、ここから高松方面への始発電車が出ていたのだろう。電車は、ことでん1100形2両編成。京王電鉄5000系の中古である。この2両には、京王線を走っていた頃に一度や二度は乗ったことがあるハズだ。
 さて、今回の「ラッピング」電車は、黄色とクリーム色のツートンカラーという通常の電車に「バーバパパ」のステッカーを多数貼り付けただけ、という印象であった。車体全体を完全に覆ってしまう、文字どおりの“wrapping”を施した車両もことでんにはあるのだが、百十四銀のそれは違う。とはいえ、車内にもバーバパパのシールが多数貼られており、座席の生地をすべてバーバパパ柄のピンクに変えたり、網棚から高さ10cm程度のバーバパパのぬいぐるみが多数ぶら下がっていて、内部・外部ともにバーバパパで埋め尽くされている。
 3番ホームの端では、この後の出発式に向けて、ことでんの社員らが準備に精を出している。20人程度はいただろうか、ことでんにとっても相当大掛かりなイベントのようである。ホームが3番線の先で細くなっていて、その細くなった部分にもう1本電車が停めてある。後でわかったが、この電車の車内に、今回のイベントで使う着ぐるみなどが置いてあったようだ。


todori.jpg 14:30から始まる出発式の直前、奥に停めてあった電車から3体の着ぐるみが引き出されてきた。ことでんのイメージキャラ「ことちゃん」「ことみちゃん」と、百十四銀のバーバパパである。そして、出発式が始まった。司会は百十四銀の広報担当者の女性。ことでんの制服を着ており、この後ラッピング電車を仕立てて14:49に発車する臨時列車に車掌として乗り込むという。出発式は、まず百十四銀行の綾田裕次郎頭取が挨拶。次いでことでんの真鍋康正社長がスピーチを行い、バーバパパ号こども応援団の代表(女児)が一言ご挨拶。そしてテープカットという段取りであった。
 イベントの進め方については、ちょっと思うところがある。ホームの途中にことでんの社員が陣取って「ここから向こうには入らないで下さい」としてしまったから、イベントの様子は遠巻きに見るしかなかった。今回、出発式は銀行・電鉄ともニュースリリースを出して一般向けに告知をしているが、告知から実施までわずか3日という日数の短さ、今日が平日であること、それから地方都市における集客力なども考えあわせると、スピーチやテープカットなど出発式そのものの一部始終が見える位置まで、一般客を案内してもよかったのではないか。実際、出発式を見に訪れた一般客と思しき人の数は、15人ほどだったと思う。この程度であれば、一般観客が殺到してコントロール不能になることもあるまい。せっかくの出発式、そこが残念な点であった。とはいえ、最近はちょっとした瑕疵が針小棒大に扱われることも多いし、鉄道関係では残念ながらマナーの悪い人も見られるから、仕方がないのだろうか。
 結局私は、出発式の後半近くになって、線路を挟んで反対側の1番ホーム(高松築港方面)に移動した。そこでは“息づかい”を感じるには距離的に少し遠かったが、イベントの様子はよく見えた。
 マスコミ取材は、管見の限り、テレビカメラはTBS系の山陽放送とテレビ朝日系の瀬戸内海放送、それから地元ケーブルテレビが入っていた。香川県民放の雄であるハズの西日本放送は見かけなかった。新聞社は日本経済新聞と地元の四国新聞(香川県紙)。新聞記者は他にも数社来ていたようだが、腕章など会社のロゴが入ったものを身につけていないと、一般人と区別がつかない。


長尾線表.jpg 14:40、ラッピング電車のドアが開き、ここでようやく私を含め一般乗客が乗れることになった。この電車は、14:49発の高松築港行き臨時電車として走行する。2両編成のうち、高松築港寄りの最前部に、着ぐるみ3体と、ことでんや百十四銀のスタッフが集まり、後ろの車両に一般乗客が乗り込む形になった。前の車両では着ぐるみをバックに頭取を囲んで記念撮影などやっていたが、2両目では広報の女性がぬいぐるみを配りに来ただけ。ぬいぐるみも数に余裕がないと見え、女性の知り合いにだけ渡していたようだ。なお、広報女性は「車掌」をやると言っていたが、臨時電車には本物の車掌(女性)が別に乗務している。
 百十四銀広報の女性は、出発式の最初で名乗ったのだが、名前が聞き取れなかったので本人を捕まえて改めて尋ねた。しかし電車の走行音がうるさくて、やはり不明瞭なままだった。後でネットで調べたところ、この人は香西志帆さんといって、「映画監督をしている銀行員」として地元では有名らしい。彼女についての記事をどこかで読んだ記憶はあったが、本人を目の前にして記憶を全く引き出せなかったのだから、まあ知らなかったのと同じだ。不勉強なことであった。
 電車は通常の各駅停車と全く同じ調子で各駅に停車し、15:01、途中のターミナル駅である瓦町駅に到着した。ここは百十四銀本店の最寄り駅でもあるので、綾田頭取をはじめ行員らしき人たちは大量に下車していった。私は終点の高松築港まで行くつもりでいたが、もういいやと瓦町で降りてしまった。
 瓦町で降りた後の私は、購入したフリーきっぷを使って、ことでん長尾線の沿線にある5店舗【注】、木太・水田・三木・長尾・医大前の4支店1出張所を全店制覇した。制覇後、一旦高松市街地に戻って食事をしてから、琴平線に乗車。終点の琴電琴平駅からJR土讃線に乗り換え、宿泊地の高知へ移動した。
 銀行が広報活動の一環としてラッピング電車を走らせるのは珍しくないが、今回は数少ない「めぐ」銀行の一つである百十四銀行が、全線1日フリーきっぷの発売とセットで行ったところがポイントであると思う。言ってみれば百十四銀は、自社デザインのラッピング電車と一日乗車券を使って沿線の店舗が巡れるよう、お膳立てを整えたことになる。正直、百十四銀がこのような大英断を実行に移すとは思わなかった。広報の香西さんはかなり遊び心があるとお見受けしたので、私のような「銀行めぐラー」が百十四銀を舞台に銀行めぐりをしていることも、応援してくれるのであろう(と期待したい)。
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 【注】瓦町駅ビル内にある瓦町支店を含めると6店となる。2011年10月に制覇済みのため今回は省略。
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2017年11月01日

近畿大阪・関西アーバン合併の研究(4)みなと銀行はなぜ合併しないか

Mn-KOKU.jpg
 今回の経営統合で、関西アーバンのみ近畿大阪と合併し、みなと銀行は合併に加わらず独立路線を維持することになったのはなぜか。
 3者を合併させるのが最も効率が良いハズなのに、という評も一部にあったが、店舗の配置を見ると、みなと銀と他の2行とでは、統廃合できそうな店が少ないことがわかる。最大限に見積もっても14組(表)。これでは合併効果はほとんど得られないに近い。
 しかも、上の表は相当無理をして店名を挙げている。たとえば、梅田。近畿大阪と関西アーバンの店は、梅田の繁華街にある空中店舗であり、富裕層向けのリテール営業であろう。これに対しみなとの梅田支店は、梅田と呼べるのか疑問が生じるような位置にあり、伝統的な企業取引中心の店であると思われる。立地の点でも店の性質の点でも、これらを統合して統合メリットが生じるかは疑わしい。もう1つ、西宮支店を見てみると、状況は梅田に似ているが、それに加えて合併2行の店は、みなと銀行の地盤である兵庫県において、みなと銀店舗の空白地帯にある。
 淡路島を見てみよう。旧幸福銀行店舗の淡路島支店は、近所のみなと銀店舗に統合してもよさそうに見える。しかし、この店は関西アーバンになってから新築移転までしている。苛烈な統廃合の嵐を乗り切って存続した上、店舗の新築という大きな投資までしている以上、かなり強固な取引基盤が存在するのであろう。そういう店を無理に統合することは、せっかくの顧客基盤を損傷する危険がある。同じことは(新築まではしていないものの)みなと銀の千里山支店にも言える。千里山の場合は、統合相手となる(ハズの)近畿大阪の店がすでに出張所化されており、その人員を0にしたところで人員削減の効果は限られている。
 というわけで、これまでアーバン・みなとの2行が三井住友系列のまま並立してきた理由と、関西みらいFGで経営統合してもみなと銀だけ独立路線になる理由は、まったく同じである。合併効果が乏しいの1語に尽きる。

【近畿大阪・関西アーバン合併の研究 終】
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2017年10月31日

近畿大阪・関西アーバン合併の研究(3)配置の重複

【凡例】
 ここでいう「配置の重複」は、店名が同一ではないが立地が近接しているケースを指す。
 配列は自治体コード順。
 地色は相手側との重複があるもの。本項では所在地のすべてと店名の一部に対して付した。
KOKU_場所の重複.jpg
 こちらは、地図上での近接店舗。名称が「同じ」ではないものの、類似しているものが多い。【表2】のうち名称が同じで立地も近接している店が、まず店名改称するのは、この【表3】の状況を作り出そうとせんがためである。こうなった上でやっと、店舗の統廃合という話になる。
 店番の変更や店名の改称は、過去の事例に倣えば合併3か月前には行われると思われる。近畿大阪・関西アーバンの合併は2019年4月の予定であるから、前年最後の営業日である2018年12月28日(金)に旧体制での最終営業日を迎え、年明け最初の営業日、2019年1月4日(金)から新店番・店名に変わることとなろう。
 合併後間もなく、近接した店舗はブランチ・イン・ブランチ(支店内支店)、A店がB店に移転しAB2つの支店が同じ建物で営業する方式で、事実上の統廃合が始まるハズだ。この状態で、勘定系システムの統合を迎える。第2四半期に行われるシステム統合は、期の冒頭の7月、連休明けの2019年7月16日(火)を新システム稼働日として実施されると思われる。システム統合は、第3四半期冒頭の10月、連休明けの2019年10月15日(火)を新システム稼働日として実施される。正式な統合はその後ということになるが、他行の例を見ると、最近ではブランチ・イン・ブランチのまま統合しない傾向があり、関西みらい銀行がシステム統合後に店舗の統合まで実施するかはわからない。
 ABどちらの店舗を使用するかについては、立地や規模が適切な方を優先するのが本来である(賃借料の安い方、という選択があり得るのが怖いが)。関西アーバンは、関西銀行時代の末期から店舗の配置をかなり強力に改善してきているし、旧幸福銀行はもともと好立地の店舗が多かった。加えて、関西アーバンになってからの店舗投資もかなりの額にのぼると思われる。これらを総合すると、店舗の存続、少なくとも使用店舗に関しては、ローコストに徹してきた近畿大阪が多少不利になるかもしれない。
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2017年10月30日

近畿大阪・関西アーバン合併の研究(2)店名の重複

【凡例】
 配列はまず本店営業部を置き、そのあと店名の五十音順。
 ここで示した改称予想は、片方の店名はそのままとし、もう片方を改称することを前提としている。複数の案を付しているものは、可能性として1つに絞り切れなかったもの。なお、あくまで「改称」の予想であって、統廃合の予想でないことは強調しておきたい。
 重複店名が左右2欄(銀行別)に分かれているものは、支店と出張所など店格が異なるもの。こうしたケースでは下位格の店が改称すると想定し、上位格の店には予想を付していない(−印)。
 地色は、改称予想のうちどちらの店名としても使えるものに付した。
 予想の作成にあたっては、東西南北称や「中央」の呼称をなるべく用いないよう努めた。
KOKU_店名の重複.jpg
 店名の重複が39件というのは、店数の多い都市銀行の合併並みに多い。小生の手持ちのデータで件数を調べてみると、協和埼玉銀行の発足時が36件、りそな銀行のそれが45件であった【注】。営業エリアが同じ銀行の合併では、店名の重複はそれだけ多くなる。合併によるリストラ効果の源泉は重複店舗の整理にあるわけで、今回の合併はまさにそれを狙っているわけである。
 なお、上記の同名店の中には、箕面支店、平野支店、山本支店と山本出張所など、同名で場所が全く異なるものもいくつか含まれている。一方、守口きんだと金田、阿倍野と天王寺など、名前が異なるのに場所が近接しているものがある。後者については次の「配置の重複」で扱う。

 【注】HP本館の「銀行合併に伴う店名変更一覧」の数字とは一致しない。協和埼玉銀行の発足における浦和のように両方で改名したケース、りそな銀行の発足における東京・大阪の両営業部など店名重複ではないが必要があって改名したケース、などがあるため。
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2017年10月29日

近畿大阪・関西アーバン合併の研究(1)店番号の重複

KOKU_店番の重複.jpg
 今回、100番台と300番台を中心に大量の店番号重複が生じているのは、近畿大阪銀行で主力となる番号帯であることに加え、関西アーバン銀行で旧びわこ銀行の店舗がこの番号帯に多いためである(色の濃いマスが旧びわこ店)。
 関西アーバンでは、最初の合併(関西銀行+関西さわやか銀行)の際には番号の重複がほとんどなかったので、店番が動いたのは被合併会社である旧さわやかの一部のみであった。その後で合併したびわこ銀行は、店番をエリアごとに分けて付番していた【注】。関西アーバン銀行への合併の際にも一部で店番の重複が生じたものの、対応する番号帯には旧関西銀の店舗はなく、一方で旧関西さわやか銀は幸福銀行時代から続く店舗統廃合で店の数をかなり減らしていたため、重複は比較的少なかった。
 一方、近畿大阪の番号は、合併で存続会社となった大阪銀行の番号を100番台のまま動かさず、近畿銀行の大部分を合併時に(機械的に200を足す形で)300番台へ移動している。その後でなみはや銀行の営業譲渡を受けているが、番号の重複は旧なにわ銀行以外にはなかった(旧なにわは300を足して対応)。旧福徳銀行は最初から600番台以降を使っていた。

 【注】100番台:大津市・湖西、200番台:県南部、300番台:甲賀・東近江地区、400番台:湖東・湖北地区、500番台:京都府、600番台:大阪府。
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2017年10月28日

近畿大阪・関西アーバン合併の研究(0)はじめに

 りそなホールディングスは2017年9月、三井住友フィナンシャルグループ傘下の関西アーバン銀行みなと銀行を買収することを正式に発表した。中間持株会社「関西みらいフィナンシャルグループ」を設立し、その傘下に近畿大阪銀行を合わせて3行を置き、経営統合する。
 今後の計画では、近畿大阪銀行と関西アーバン銀行は2019年4月1日付で合併し、関西みらい銀行が発足することになっている。これらの銀行は、合併せず独立路線を維持するみなと銀行を含め、すべて勘定系をりそなグループの共通システムに統合するため、システム統合の暁にはりそなグループ各行と同様の「めぐ」が楽しめることになる。システム統合は、関西みらい銀の旧アーバン店が2019年の、みなと銀が2020年の、それぞれ第2四半期に行われる予定。
 ここでは、近畿大阪・関西アーバン2行の合併に向けて、両行の(1)店番号 (2)店名 (3)配置 の3つの角度から、重複した店舗の現状と今後予想される動向を明らかにし、合わせて(4)みなと銀行はなぜ合併しないか を検証する。新カテゴリ「関西みらい」を設置し、経営統合関係の単発記事がある場合は今後こちらに掲載する。

 (念のためおことわり)当コンテンツは公開資料をもとにした為栗個人による分析結果と予想であって、銀行側から発表されたものではありません。

【履歴】2017.10.24データ作成。2017.10.25【表1】を「お役立ち」で公開。2017.10.28ブログ「MEGU」の連載とすることに変更し、全4回の連載開始(本記事が第1回。「お役立ち」の記事は2017.10.28削除)。2017.10.31「近畿大阪・関西アーバン合併の研究」の予定していた連載終了。2017.11.01第5回を追加し連載完了。
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2017年06月02日

あとがき・参考文献

 「大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇」、6月1日をもって完結いたしました。最後までお読みいただいた方には、例によってダラダラと続いた連載にお付き合いいただき、御礼申し上げます。分量は400字詰原稿用紙換算で450枚を若干上回りました。

 大垣共立銀行を取り上げるのは今回が初めてであり、店舗外ATMを含めた制覇記の執筆も初めてでした。営業店だけでなくATMまでハシゴしますと、その地域との触れ合い方も一気にディープになるように思います。私は「めぐ」はその地域との対話であると常々考えておりますが、今回舞台となった海津市・輪之内町・養老町とはそれが濃密にできたのではないでしょうか。
 今回の「めぐ記」に着手したのは前回の「みちのく銀秋田県全店制覇」より半年ほど古かったのですが、リリースは秋田県篇が先行しました。そのあたりの事情については前回触れたとおりです。ただ、今回は調査事項が難航するかと思いましたが、思いのほか順調に進みました。前々作、大阪市バス[93]を作っていた時は、頭を押さえつけられるような苦しい感覚がありましたが、今回それはありませんでしたので、楽しく作業ができたと思っています。
 辛いことがあったとすれば、自分のバカさ加減についてでしょう。「めぐ」の途中でも些細な確認を怠って大チョンボをやらかしているのですが、まあ頭の働きが鈍いことや、ズボラな性格は誰を呪っても仕方がありません。自分を呪わずにいられないのは、自分の不勉強な部分についてです。今回は特に歴史的な記述が多かったのですが、これらを書くうえでの予備知識の無さには泣かされました。高校で習う程度の日本史の知識は、文系の私にとっては一日本人として生きていくうえで必要なものであると思いますが、それがほぼゼロの状態でこれらの記事を書くのは、かなりしんどいものがありました。ただ同時に、何かを学ぶことの喜びも、ことのほか多く感じたのは事実。こうした喜びを十代の頃に味わっていれば、私の人生はまた違ったものになっていたでしょう。過去の自分を呪わずにはいられない理由がそこにあります。
 もっとも、そういう人生を歩んでいたら、銀行めぐりの体験記など書くこともなかったでしょうが。

 ところで、連載を制作していて知ったのですが、東京大学の2011年の前期入学試験で、今回行った養老線駒野駅周辺の新旧地形図を判読する問題が出題されていました。東大の入試(文系)は社会科が2科目必要でして、地形図の問題はそのうちのわずかな部分を占めるに過ぎません。しかし、今回の連載を熟読していただければ、この部分は満点に近い点数が取れるハズです(この連載もそれを意識して作成してあります)。興味のある方は問題を入手して解いてみて下さい。地理、第1問の設問Bです。

 今の日本社会は、変わらぬことよりも日々流転していると感じられることの方が多いようで、いろいろな意味で「時代の節目」になっているのは間違いありません。数年後に読み返して「古い!」と感じられることがあるかもしれませんが、あくまで2014年7月の実体験と、その後の連載期間における「一面の真実」です。そういうものだと思ってお読みいただくことを望みます。
 この連載のような「文章を使っての自己主張」が、私の存在意義だと思っています。今後ともご支援・ご鞭撻をいただけますようお願いします。ご意見や情報提供をお待ちしています。このブログ「MEGU」ではコメントを歓迎していますし、私のメールアドレスも公表しています。

 なお、この連載の執筆にあたっては、以下のような書籍・ウェブサイト等を参照いたしました。


参考文献
 紙の出版物は刊行年順、同年はタイトルの五十音順。ウェブサイトはサイト名の五十音順、2017.03.29現在。新聞記事の日付・見出しは省略した。

 『美濃国加茂郡誌』岐阜県加茂郡役所、1921年
 西山秀吉編『福神大黒天』埼玉銀行調査課、1953年
 『東海銀行史』東海銀行、1961年
 中川李枝子『いやいやえん』福音館書店、1962年
 『平田町史』平田町、1964〜1984年
 『わが行の70年』大垣共立銀行、1966年
 『産業フロンティア物語 ベアリング〈東洋ベアリング〉』ダイヤモンド社、1967年
 『埼玉銀行史』埼玉銀行、1968年
 『美濃加茂明治百年史』美濃加茂市教育委員会、1968年
 『海津町史』海津町、1969〜1984年
 『岐阜県史 通史編』岐阜県、1965〜1973年
 『第四銀行百年史』第四銀行、1974年
 『安田保善社とその関係事業史』安田保善社とその関係事業史編修委員会、1974年
 『養老町史』養老町、1974〜1978年
 『80年のあゆみ』大垣共立銀行、1976年
 『南濃町史』南濃町、1977〜1982年
 『十六銀行百年史』十六銀行、1978年
 『百十四銀行百年誌』百十四銀行、1979年
 『美濃加茂市史 通史編』美濃加茂市、1980年
 『輪之内町史』輪之内町、1981年
 和木康光『伊吹の年輪』中部経済新聞社、1981年
 杉本苑子『孤愁の岸』講談社(講談社文庫)、1982年
 『続東海銀行史』東海銀行、1982年
 植田まさし『まさし君 2』芳文社、1982年
 『新日本地誌ゼミナール4 中部地方』大明堂、1983年
 中村隆英『明治大正期の経済』東京大学出版会、1985年
 『大垣共立銀行九十年史』大垣共立銀行、1986年
 『写真集明治大正昭和美濃加茂』創文出版社、1986年
 中村隆英『昭和恐慌と経済政策』講談社(講談社学術文庫)、1994年
 『大垣信用金庫70年史』大垣信用金庫、1995年
 『市民のための美濃加茂の歴史』美濃加茂市、1995年
 伊藤安男編著『変容する輪中』古今書院、1996年
 『大垣共立銀行百年史』大垣共立銀行、1997年
 『十六銀行百二十年史』十六銀行、1998年
 今尾恵介『地形図探険隊』自由国民社、1998年
 岐阜新聞社編集局編『時代に挑む 土屋斉の20世紀』岐阜新聞社、1999年
 上林好之『日本の川を甦らせた技師デ・レイケ』草思社、1999年
 坂口達夫『宝暦治水・薩摩義士』春苑堂出版、2000年
 三浦展『ファスト風土化する日本』洋泉社、2004年
 『百十四銀行百二十五年誌』百十四銀行、2005年
 牛嶋正『宝暦治水 歴史を動かした治水プロジェクト』風媒社、2007年
 千葉昇監修『日本の国土とくらし1 低地の人びとのくらし』ポプラ社、2011年
 鳥海靖『もういちど読む山川日本近代史』山川出版社、2013年
 水谷英志『薩摩義士という軛』ブイツーソリューション、2014年
 『第四国立銀行展図録』新潟市歴史博物館、2016年

 『営業報告』七十六銀行
 『銀行総覧』大蔵省理財局
 『銀行通信録』東京銀行集会所
 『全国銀行財務諸表分析』全国銀行協会連合会、全国銀行協会
 『全国相互銀行・無尽会社財務諸表分析』『全国相互銀行財務諸表分析』全国相互銀行協会
 『全国無尽会社財務諸表分析』全国無尽協会
 『ゼンリン住宅地図』ゼンリン
 『第二地方銀行協会加盟行財務諸表分析』第二地方銀行協会
 『ニッキン資料年報』日本金融通信社
 『日本金融名鑑』日本金融通信社
 『日本スーパー名鑑』商業界
 各行ディスクロージャー誌

 『毎日新聞』
 『日本経済新聞』
 『中日新聞』
 『岐阜新聞』

 「NEW OKB3」『綾小路司のブログ』http://ameblo.jp/tuka4646/entry-12153989381.html
 『エム・エス・ケー農業機械』http://www.mskfm.co.jp/company/outline.html
 『大垣共立銀行』https://www.okb.co.jp
 『大垣市』http://www.city.ogaki.lg.jp
 「「おちょぼさん」を楽しもう!千代保稲荷神社〜界隈めぐり」『大垣地域ポータルサイト西美濃』http://www.nisimino.com/nisimino/tokusyu/ochobo/
 『オークワ』https://www.okuwa.net/
 『海津市』http://www.city.kaizu.lg.jp/
 『臥龍山行基寺』http://www.gyokiji.org/index.html
 「2011年度国公立大二次試験・私立大入試解答速報 東京大学[前期]」『河合塾』http://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/11/t01.html
 「長良川9.12豪雨災害(安八豪雨)40年事業」『国土交通省 木曽川上流河川事務所』http://www.cbr.mlit.go.jp/kisojyo/gousaigai_40th/
 『古今珍品情報流通センター』http://www.chinpin.biz/index.html
 「高須城」『古城探訪』http://www.geocities.jp/pappakun12/aruku/minokoku/takasu/takasu1.htm
 『コノミヤ』http://www.konomiya.jp/
 「ヤナゲンストアー養老店完全閉店セール見てきました」『コラム更新日記』http://www.sekkaku.net/column/3488.html
 『今昔マップ』http://ktgis.net/kjmapw/index.html
 『十六銀行』http://www.juroku.co.jp/
 『JAにしみの』http://www.jan.or.jp/
 「日本三大都市の一つらしい名古屋の玄関・名古屋駅太閤通口に残る「笹島ドヤ街」の痕跡を求めて」『新日本DEEP案内』http://deepannai.info/nagoya-sasashima-doyagai/
 『セントラルジャパン』http://www.central-j.com/
 「銀行変遷史データベース」『全国銀行協会』http://www.zenginkyo.or.jp/library/hensen/index.html
 『高田祭り』http://www.ccnet.ne.jp/yoro-takada-fes/
 「株式会社フードセンター富田屋に対する再生支援決定について」『地域経済活性化支援機構』http://www.revic.co.jp/pdf/news/2015/150825newsrelease.pdf
 『「鉄」記者ブログ』https://www.gifu-np.co.jp/blog/tetsu/
 「岐阜 スーパーマーケット (株)FT商事(旧:(株)フードセンター富田屋)」『東京商工リサーチ』http://www.tsr-net.co.jp/news/tsr/20160405_02.html
 金永昊「「養老の滝」説話の展開:『玉櫛笥』巻一の第一話「養老の滝」を中心に」『東北学院大学教養学部論集』168号、2014年8月 http://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2014/pdf/no06_05.pdf
 『トミダヤ』http://www.tomidaya.com/
 『Massey Ferguson』http://int.masseyferguson.com/default.aspx
 『三重交通グループホールディングス』http://holdings.sanco.co.jp/
 『名阪近鉄バス』https://www.mkb.co.jp/
 「ユニチカ百年史」『ユニチカ梶xhttps://www.unitika.co.jp/company/archive01.html
 『養老町』http://www.town.yoro.gifu.jp/
 『養老鉄道』http://www.yororailway.co.jp/
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2017年06月01日

2014.07.18(金)(58)エピローグ 自転車返却の旅

 最後の制覇目標が金太郎飴のようなショッピングセンターで、充実感というものからはだいぶ遠いと感じるが、本日の「めぐ」の全行程がこれにて終了した。しかし、私にはまだもう一つ重大な仕事が残っている。レンタサイクルを返却しなければならないのである。
 ここから最も近い養老鉄道の駅は、さっきかすめた美濃高田駅。しかし、美濃高田は無人駅であり、レンタサイクルの扱い駅ではない。電車内に自転車を持ち込める「サイクルトレイン」が利用できれば良いのだが、残念ながら平日は15時で終わりである。そうなると、美濃高田の1駅先、養老駅まで自転車を漕ぐ必要がある。最後に残されたのは、事前の計算で5.64km、24分のサイクリングであった。
 時計を見ると、夕方5時ジャスト。本来なら、この時間までに養老駅での自転車返却まで済んでいる計画である。今朝、駒野駅で申込書を書いた時、夕方4時過ぎには全部終わる予定で返却予定時刻を「17時」と書いたのだが、残念ながらそこには間に合わなかった。
 とりあえず、養老駅に電話を入れた。返却が遅れて18時頃になる旨を伝えると、「ご丁寧にありがとうございます」と返事をいただいた。

 イオンタウン養老から高田の街までは、これまで来た道の逆コースである。田んぼの真ん中を突っ切り、名神高速を突き抜け、急坂を上がって牧田川を渡る。高田橋を渡り切った後の下り坂は、市街地に突入して交通量が多くなったこともあって、あまりスピードが出せなかった。町役場の前を通り、押越出張所を横目で見つつ、[珍品センター]の方からやって来た県道養老平田線と交わる石畑の交差点までは、何事もなく経過した。
 様子が変わってきたのはここからである。いま走っている県道96号大垣養老公園線は、美濃高田駅付近からずっと養老線の線路に沿っているが、石畑の交差点を過ぎたあたりから、また微妙にペダルが重たくなってきた。目には見えないけれども、ゆるい上り坂になっているのだろう。ペダルが重いといっても、普段なら難なく乗り越えられる程度の坂(というより傾斜)だと思うのだが、それが全然登れない。こんな道で自転車漕げないの、と思うぐらいであった。足ががくがく、というか、左の膝を曲げると痛い。しかも右足も力をかけるとつってきてしまう。
 そして、明らかに坂道だとわかる道に変わってきた。もうこのあたりまで来ると、漕ぐ合間に休むのか、休みの合間に漕ぐのか、わからなくなっていた。石畑の交差点を過ぎてからは、線路からちょっと離れたところに何軒か住宅が散在し、基本的には住宅と畑と駐車場ばかりであった。建物が切れたあたりが、ちょうどその微妙な坂道のサミットのようだ。ここまで来ると、養老線の線路を1mぐらい見下ろしている。
 うっそうと茂った森の中で、「高さ制限4.3m」という陸橋の下をくぐった。この陸橋は柏尾谷という天井川である。天井川は午前中に養老線でトンネルを通ったけれども、ここはトンネルを掘るよりも安上がりだったか、高さが足りなかったかで、崩して陸橋にしたのであろう。天井川のあたりに人家はなく、竹薮になっていたり石垣が築いてあったりした。天井川の陸橋を抜けたあたりから、上り勾配が明らかにきつくなったが、そこを過ぎると再び住宅が固まって建ち始めた。
 前方に行政が立てた青い矢印看板が見えた。この先の四つ角で左折すると養老駅であるという。ちなみに、直進すると桑名・海津、右折すると養老公園だそうである。交差点の手前に1本、左に行く下り坂があるが、ここでだまされてはいけない。青い矢印看板が示す交差点は、坂を登り切った信号のところである。
 信号のある交差点までやって来た。そばにひょうたん屋があった。養老の滝のお膝元ゆえ、ひょうたんの加工品のひさごを売っている。養老町は有名な観光資源がある分恵まれており、通常の田舎町のような生計の立て方ができなくなっても、観光で食っていくことができる。いずれにしても、天井川からここ養老公園東の交差点までの間が、最大の胸突き八丁であった。地形図で標高を見ると、石畑の交差点が約13m、1km離れたこの四つ角が33mであって、勾配としては20パーミル。今日の行程の中では急な坂の一つで距離も長かった。坂道としてはごく普通のハズだが。
 交差点を左に曲がると、その先は駅に向かって右にカーブしつつ、一方的な下り坂であった。上多度橋という橋が架かっており、橋の下には滝谷という水の流れていない川があった。さらにどんどん下がっていく。ここも古い住宅地だが、商業はほとんどないようだ。
 加速がつき始めたところで、左前方に最終目的地が現れた。養老駅である。朝にならない夜がないように、苦行から解放される時がようやくやって来たのであった。

 17:43。私は、養老鉄道養老駅に到着した。
 養老駅は渋い平屋建ての木造駅舎であった。養老公園の観光客を当て込んだ駅だけれども、それにしても駅舎を重厚に作りすぎていないか。そう思っていたら、1919(大正8)年の築で、初代養老鉄道の本社屋だという。養老の滝の伝説にちなみ、駅の内外はひょうたんで埋め尽くされている。
 駅舎を背景に自転車の写真を撮った後、出札窓口の駅員に、自転車を返しに来た旨を告げる。40km余り行動を共にしてきた“愛車”とはこれでお別れである。返却作業は、自転車を引き渡し、駅員の「もうそれで結構ですよ」の一言であっさり終わった。当初返却期限の17時には間に合わなかったけれども、17:45には返却できた。16:10をメドとしていたから、トータルでは1時間半ほどの遅れということになる。自転車を漕ぐスピードを時速12kmで計算してこれだから、自転車で回るプランは8〜10km/hで計算しないとダメなようだ。16km/hで計算していたら、お話にならないほどの破綻ぶりになっていた。
 何が失敗だったかといえば、何といっても、自分の体力のなさを考慮に入れていなかったことである。体力的な失敗がなければ、当初のスケジュールでほぼ行けていたと思う。バテて漕ぎ進まなくなってしまったので、どんどん遅れていった。もう1つ、リサーチ不足により今尾付近で遠回りになったこともある。
 それにしても、体力の落ち方がもっと激しかったら、養老駅に自力でたどり着くこともできなかったかも知れない。今後、レンタサイクルで「めぐ」をやるような時は、今回のように15か所【注】とか欲張らず、10か所以下で留めておくのが無難であろう。まあ、今回乗った自転車がひどかったのは間違いない。ペダルもがくがくしていたし、よくあれで40km以上走って養老駅まで乗れたと思う。ディマジオに似た名前の自動車教習所よ、スポンサーとして何とか改善してくれたまえ、マジで。

 自転車を返した後、しばしの待ち時間があって、養老駅から18:11発の大垣行きに乗った。大垣駅に着いたのは6時半過ぎであったが、電車が終着駅に着いてもすぐには立ち上がれなかった。こんなにヘトヘトになったのは、久しぶりであった。もう1泊してふらふら遊んで帰ろうと思っていたのだが、あまりに疲れてしまったので、在来線で名古屋まで出たものの、そのまま新幹線で東京に帰って来てしまった。往路を夜行バスで安く上げているので、復路で新幹線を使っても罪悪感は薄い。
 左足の膝の痛みは本当に辛かった。ひきずって歩くような状態で、これは階段の上り下りに多大な支障があった。東京駅をはじめ公共交通機関の階段の多さを、改めて思う。東京駅で新幹線ホームから階下に下りるのはまあ良いとして、下りてから新幹線改札までの間にまた階段があるのだ。そのうえ、今回私は購入した切符の関係から改札機を通ることができないので、端にある有人改札に回らざるを得なかった。改札を出ると、さらにもう1か所、踊り場1つ分ぐらいの階段。そこから中央線ホーム行きのエスカレーターまで歩き、一気にビル3階ぐらいの高さまで上がる。乗り換えの回数が1回増えるごとに、アップダウンの回数はどれだけ増えることだろうか。というわけで、都市生活では階段の数が大変多くなるけれども、それは大都市に限らない。むしろ、地方都市ではエレベーターの数も少ない分だけいっそう大変ではないかと思う。都市生活は健常者でなければ無理、というのが実感で、身体障害者は大変だろうなと思った。いっそ、電車でどこかに出かける機会もなくなったような人なら、田舎で隠居するのも良いのかも知れない。
 翌日は一日中寝ていた。起きる頃には、左足の膝の痛みはだいぶ消えていた。単に使い過ぎただけだったようだ。

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 【注】自転車で回った数。

[大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇 完]

【お知らせ】「あとがき・参考文献」を明日18時に公開します。
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2017年05月31日

2014.07.18(金)(57)19か所制覇完遂!

 それでも、私が今漕いでいるのは普通の自転車であって、フィットネスジムのなんとかバイクではないから、漕ぎ続けていればいつかは目的地にたどり着くことができる。角田と書いて「すまだ」と読む交差点の北西角が、イオンタウン養老であった。田んぼの中の一本道をひたすら直進して、私はようやく目的地に到着したのであった。
 イオンタウンのメインエントランスは、交差点からさらに北上した、ザ・ビッグの建物のすぐそばであった。通りに面したところから売り場の入口までは、屋根付きの通路がある。屋根の下にはショッキングピンクに近い色合いの敷石を敷いて、渡り廊下のようになっている。
 敷地の中に入ってみると、このイオンタウン養老ショッピングセンターは、数時間前に行った「イオンタウン輪之内」に、気味が悪くなるほどそっくりであった。養老も輪之内と同じで、スーパーの「マックスバリュ」は完全に閉店して、白い看板になっている。空いた建物で営業しているのはソフトバンクのケータイ店1店だけで、これも輪之内と同様【注1】。旧マックスバリュ内にあるソフトバンクの店は、輪之内と位置関係まで同じであった。駐車場の入口がインターロッキングになっているのも輪之内と同じ。輪之内と比べて地盤沈下が激しいのか、敷石がだいぶガタガタになっていた。敷石のすき間からは草が生えているが、SNSではないので笑いはしない。建物の配置が輪之内よりシンプルだった気がすることだけが相違点であった。

 ほとんど同じに見える2つのイオンタウンに遭遇して、私なりに思うことがあった。各店舗をここまで徹底的に同じつくりにしたということは、おそらく、店に入るとコストカット第一主義で、品揃えや商品展開の仕方なども全く同様なのだろう。精神を病むとは言わないまでも、あまり健全でないように思う。個性というか多様性が喪失してしまっているからだ。
 イオン、かつてのジャスコは、高度成長期にダイエーや西友などの後塵を拝していたが、その分狭い商圏で圧倒的なシェアを握るノウハウを掴み、大ショッピングモール路線の下地を築いていった。これにより、イオンは東北地方や北関東など、市場の成長力が弱く新規参入も少ない地域を押さえている。人口が減少し市場も縮小している地域に出店し、その地域の商業全体に占める比重を高めて競争優位に立つわけである。ここや輪之内店のような店づくりには、ジャスコが培ってきたノウハウが存分に反映されているのであろう。養老店と輪之内店は建物さえほぼ同じ設計であり、両者の違いは単に店の名前だけと言ってよいほどに乏しい。
 こうした店の商品を買って生活することは、均質化された大量生産品を大量消費することである。現代社会は総じてある程度そうなっているのだが、田園地帯にショッピングセンターが多数オープンするようになった最近20年でとりわけ顕著になったと思う。こう書くと、現実のショッピングセンターには多種多彩な商品が並んでいるではないか、と言われるかもしれないが、それは決して「多様」ではないのである。イオンの売り場に置かれているインスタントラーメン(ドレッシングでもトイレットペーパーでも何でもいいのだが)を例にとると、そこで売っているのはイオンのプライベートブランド商品「トップバリュ」とナショナルブランド商品、合わせてせいぜい3〜4点であろう。その範囲内では自由に選択できるが、大量生産・大量流通のルートに乗らない商品は選択できない。それを、多様性が喪失したというのである。後者のような商品は、かつては個人商店を中心とした地域の在来商業が提供していたが、大型店の出店により、個人商店は一掃されてしまった。
 商品のほかにも、人間疎外や、非正規雇用を多用することによる地域社会の変質など、社会学の分野で「郊外化」と呼ばれるさまざまな論点がある。私は、マーケティング・リサーチャーの三浦展氏がこうした概念をふまえて提唱した「ファスト風土」という言葉が直感的に的確だと感じ、2000年代の前半から使ってきたが、氏がなぜイオンのショッピングセンターをその象徴に挙げているのか、いまひとつピンと来ていなかった。今回期せずしてイオンタウンを2か所訪れたことで、「ファスト風土」の象徴が(漠然とロードサイド型のショッピングセンターでなく)特に「イオン」である理由がようやく得心できた気がする。
 蛇足ながら、ここのような農村部では、前述の図式からさらに先へ進み、一度はシェアを高めたハズのイオンの戦線縮小が起こっている。イオンが郊外にできて旧市街がさびれたという話はよく聞くけれども、その郊外のイオンが撤退したら、その街はどうなってしまうのだろうか。ここや輪之内のイオンタウンはまだ2つあった店が1つにまとまるだけで済んでいるが、ザ・ビッグすら撤退することになったら、高齢者を中心に大量の買い物難民が生じるのではないだろうか。そうなってしまっては、「養老」という町の名前には相応しくなくなるだろう。

 キャッシュコーナーの位置関係も、さっきと全く同じではないが、よく似ていた。平屋建ての複数の建物が並んでおり、その並びが90度曲がった付け根部分に「キャッシュコーナー」の赤文字、その下に共同キャッシュコーナーの自動ドアがある。キャッシュコーナーの隣は百均のダイソーであった。6機関分の枠があって、一番左が閉鎖になっているのも輪之内と同じである。入っている5機関は大垣信金・大垣共立銀・十六銀・JAにしみの・ゆうちょ銀で、順番は別として輪之内と全く同じ5つの金融機関である【注2】。各ATMの母店はJA(記載なし)とゆうちょ銀(名古屋支店)を除き、すべて地元の養老支店であった。大垣共立のブースには、ピピット対応済みの沖電気バンキットが1台置かれている。[イオンタウン輪之内]では富士通のFV20だったから、ATMの機種だけが輪之内とは違っていた。機械を操作する。16:54、最後の制覇目標となる[イオンタウン養老]を制覇した。
 こうして私は、本日予定していた全19か所の制覇を完遂したのであった。

 養老支店イオンタウン養老出張所は、大共養老支店6番目の店舗外ATMとして、ショッピングセンターがオープンした1999年10月に開設された。
 イオンタウン養老ショッピングセンターは、オープン時点では売り場面積12400u、コンクリート平屋建ての6棟で、650台が収容できる屋外駐車場を備えていた。車で10分以内の約18,000世帯が商圏で、当初は水曜日(年間24日)を休日としていた。店舗は衣類など日用品のディスカウントストア「メガマート」と、食料品スーパーの「マックスバリュ」を中心に、専門店が出店してスタートした。年商は専門店を合わせて48億円を目標に置いていた。その後、2011年8月にメガマートが、9月にマックスバリュが閉店し、同年10月、メガマート跡を改装して「ザ・ビッグ養老店」として再スタートした。改めて数字を見返してみたが、ほぼ輪之内店のコピーのような店と考えてよさそうである。
 ところで、何時間か前に[イオンタウン輪之内]に行った。そこの通帳表示は<イオンタウン>であったが、他のイオンタウンにある大共ATMの通帳表示はどうなっているのだろうか。結論から言うと、ここは半角カタカナで<イオンタウンヨウロウ>と記帳されていた。輪之内以外のイオンタウンは全て半角カタカナ表記で、「イオンタウン」の文字の後に地名を入れて区別している。輪之内だけ<イオンタウン>であるのは、[イオンタウン輪之内]がイオンタウンの大共ATMとして最も古いためである。

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 【注1】輪之内と同様、現在は撤退している。同じ棟と見えたがその後別棟と判明したのも、輪之内と同じ。
 【注2】輪之内のゆうちょ銀行は撤退済み。
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2017年05月30日

2014.07.18(金)(56)高田橋からイオンに向けて

 高田橋を渡り切った時、私は一瞬『チキチキマシン猛レース』の「ケンケン」のような顔になった。牧田川の北岸は、南岸の上がりと同じような感じで、堤防のアプローチ道路が長い下り坂になって延びていたのである。よかった。これでしばらく自転車を漕がなくて済む。自転車を長い下り坂まで漕ぎ進め、そこから一気に駆け下りる。かなり心地の良いスピードであった。
 堤防の北側は使われていない荒れ地が多い。水田がなくはないが水田地帯ではない。工場が何軒かあって、空き地の半分ぐらいを住宅が占めている感じであった。後日もう1回ここを自転車で走ってみると、そんなにスピードの出そうな坂道というわけでもなかった。下りたらすぐ終わってしまう。当日のメモには「チキチキマシンのケンケンのような」とあるのだが、ここで下り坂になったのがそんなに嬉しかったのか、と思う。それでも、およそ300m、坂を下りて最初の信号まで漕がずに来れたのは間違いない。
 ほどなく、名神高速道路の下をくぐった。1車線分の四角い穴が2つ開いたアンダーパスである。側道とクロスしている金屋という交差点があり、そこは真っすぐ行く。そのすぐ先には〔名神養老〕というバス停が立っている。ここを通るのは名阪近鉄バスの大垣多良線で、大垣駅から美濃高田の市街地を経由して大垣市上石津町の〔時〕まで行っている。大共上石津出張所へ行く唯一の公共交通機関である【注】。ここから高速バスへの乗り継ぎができるわけではない。さて、バス停のすぐ北側に、目指すイオンタウンへ向かう左への分岐道があった。この分岐は、左へ分岐するというより左折しているようにしか見えないが、大丈夫だろうか。でも、地図上ふさわしい交差点はここしかないハズであった。
 丁字路を左折すると、すぐ道が右にカーブした。これで、道を間違えていなかったと安心できた。ここがY分岐だとわかってみると、股のところにあるNTTドコモのケータイ店がおそらくコンビニの転換であろうと気付く。道路の交点では鋭角部分にコンビニが出来やすい、という私がさっき思いついた謎理論が、ここで一つ確認された。
 そこから先は、水田地帯の真ん中を突っ切る一本道で、対面2車線は変わらないが走りやすい道になった。車線と歩道の間は縁石で仕切られているだけである。センターラインの端には反射板のついたブロックのようなものが取り付けてある。ここのセンターラインは白の破線であるから、こういうものを付けて車にセンターラインを超えさせないようにしているのだが、黄色のセンターラインにしたのでは駄目だったのだろうか。

 2車線道路を快調に自転車で飛ばしてきたら、また途中でダウンしてしまった。ここは小さな川を渡るところで、橋の手前が微妙な上り坂になっている。さっきの牧田川の堤防とは比較にならないぐらいゆるゆるの坂で、午前中に海津市役所近くで経験したのと同じくらいの傾斜に過ぎないのだが、すでに体力を相当消耗している私には、続けて漕ぎ上がることが不可能だったのであった。川の名前は小畑川、橋の名前は清流橋というらしいが、何が清流だ、とついつい思ってしまう。地図で見ると、ここはため池のようなものがたくさん見える。河川の旧流路が水たまりとして残った三日月湖と呼ばれるものである。
 ここまで来てようやく、水田のはるか彼方に、ショッキングピンクの横型看板が見えた。イオンタウンはあそこか、はあ。最終制覇目標が視界に入ったのに、これまでのような精神的な盛り上がりは乏しかった。
 川を越えて緩い坂を下りると、引き続き水田地帯の真ん中をひた走る。やや古い集落が右前方に見える。道の左側は、倉庫とか、家を建てるにしても非常に広い敷地になっているとか、いずれにしても新しい建物ばかりであった。飯田西という交差点の横には、用水をくみ上げるポンプのようなものが付いている。現在各地に多数ある太陽光発電所は、2014年7月のこの時点ではほとんど見られなかったと思う。
 なお、清流橋を渡ったところのスロープには、一番下に「対向車注意」という看板が出ていた。ここは白破線のセンターラインだから、追い抜きをしようという車がやはり現れるのだろう。恐ろしい。前述したとおり、私はこんな対面2車線の道で追い抜きをしようとは思わない。
 ここまで来ると、前方にショッピングセンターがだいぶハッキリ見えるようになってきた。しかし、ここからが遠いのである。風景としては、水田地帯の真ん中にJAにしみのの養老北支店が目立つぐらい。とにかく、広い平野の真ん中を突っ切る道は、漕いでも漕いでも目的地が近づいて来ず、いったいいつになったらたどり着けるのかと思ったのであった。

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 【注】大共の最寄り停留所は、養老支店は〔高田中町〕、上石津出張所は〔上宮〕。
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カテゴリ一覧(過去の連載など)
関西みらい(5)
単発(13)
告知板(24)
大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇(62)
銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇(29)
りそめぐ2013梅雨 大阪市営バス“最長”路線[93]を行く(43)
りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇(51)
りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇(35)
りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇(8)
りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた(18)
りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動/銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇(20)
りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー(11)
りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ(47)
りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇(51)
りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
りそめぐ2007秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる(35)
2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)