2009年11月12日

2008.09.30(火)(1)常磐線で雨の常陸路を行く

 上野に着いたのは、14時少し前のことであった。
 今日は朝からずっと雨が降っている。夜なべ仕事から帰って少々の仮眠をとった後、ドタバタと荷造りなどの準備をして自宅を出発。上野にはストレートに向かわず、借りていたCDを返しに図書館に寄り道して、地下鉄で上野までやってきた。図書館のある中目黒から上野までは日比谷線で1本である。電車の中でだいぶ寝たので、頭の中は多少さっぱりしていた。
 行き止まり式の「低いホーム」の前にあるみどりの窓口で、切符を買う。今日の最終的な行先は大洗港の最寄り駅である鹿島臨海鉄道の大洗駅だが、ここで買うのは最初の目的地・土浦までの乗車券である。鹿島臨海鉄道はJR常磐線の水戸駅から接続していて、JRの上野−水戸間は100kmを超えるのだが、水戸駅が「東京近郊区間」に含まれるせいで、通しの切符を買っても土浦での途中下車ができないのである。もっとも、分けて買っても20円しか違わないのは事前に調べて知っている。
 9番線14:10発の特別快速土浦行きに乗った。常磐線は、沿線の千葉県柏市で私が一人暮らしをしていた頃に毎日乗っていた線で、懐かしいといえば懐かしい。早いもので15年以上経っているが、車窓の風景はあまり変わったようには見えなかった。こんなに沈滞した地域だったかと思うくらい、車窓から見ていて「動き」というものを感じない。結構大きく変わっていると思ったのが南柏駅の周辺、それから我孫子あたりでは高層マンションが増えたと思う。でも、それ以外のところはさほど変わっていないと思った。常磐線沿線は基本的には住宅地が広がっている地域だが、新松戸を過ぎたあたりから畑が見え始めるのも昔のままである。

 右の車窓に川村学園女子大学が見えたら、利根川を渡って取手。いよいよここから茨城県に入る。相変わらずどんよりと曇っていて、陰気な空という感じである。私が茨城方面に来るときは、どういうわけか決まって天気が良くない。昔からそうである。
 さて、常磐線で北へ向かって行くと、かつては取手の先で車内の照明がほんの数秒間だけ全部消えたものだった。直流電化と交流電化との境界である「デッドセクション」があるせいだが、ステンレス製車体の最新型であるE531系電車は何事もなかったかのように藤代駅を走り抜けた。そういえば、最近取手−藤代間のデッドセクションを通った記憶がない。41x系といった旧型電車が全廃されてしまった今、ここで電気が消える車両はあるのだろうか【注】。関門トンネルとか北陸本線あたりにはまだ残っていないこともないが。
 取手から先は、車窓から水田風景が広がっている。もう刈り取りが終わったところもあるが、青田刈りなのか。休耕田も多いようだ。車窓から見える水田と休耕田の割合は、3:7くらいで、実際に耕作をしている方が少ない。休耕田はかなり原野に近い状態となっていて、笹原の中に所々背の低い木が生えたりしている。たまにセイタカアワダチソウが群生しているのと、竹林をところどころに見る。竹が生えているというのは、あまりよくないと聞いたことがある。
 牛久市のひたち野うしく駅は、10年ほど前に、科学万博(1985年)の際あった万博中央駅の跡地に復活した駅である。ホームの屋根は緩やかにウエーブを描いていて、パーレン(丸括弧)のような断面をした波板を柱で支えている。屋根の梁に相当する部分は、金属が露出する先端部がミサイルの先のように丸めてあるが、早くも錆が出ているのか茶色くなっていた。
 あと2駅で土浦である。

 【注】特急「スーパーひたち」用の651系電車は現在でも室内灯が消えるそうだ。

2009年11月11日

2008.09.30(火)(0)プロローグ 突如、秋の北海道へ

りそめぐ2008秋
太平洋は青かった 茨城北海道750km大移動


今回の行動範囲

百聞は一見に如かず


 大作家の先生は、執筆に集中するため、ホテルの一室などに「缶詰」になるという。缶詰の定義を「それしかできない状況に追い込むこと」とするならば、私も、たまった仕事を片づけるため「缶詰」になることが必要である。
 しかし「ホテルに缶詰」など、金銭的にそのような余裕はないし、それ以前にあまり面白くないと思う。旅好き・乗り物好きの私にふさわしい缶詰はないものか、と考えた。
 ふと、長距離フェリーを利用してみようと思い立った。国土交通省および日本長距離フェリー協会の定義によれば、長距離フェリーとは片道300km以上のフェリー航路をいう。調べてみると、路線の数は思ったより少なかった【表】。鉄道の世界における寝台特急などと同じで、時間のかかる交通手段は敬遠されてしまうのであろう。それでも、関東や関西から、北海道や四国・九州など各地を結ぶ便が運航されている。東京を起点にした場合、私の要求を満たせそうなのは北海道線か九州線ぐらいと思われた。そして私はもともと、実家で行われる亡父の三回忌に合わせて、9月の末から10月の頭にかけてスケジュールをオフにしていた。
 不意に「紅葉狩り」がしたくなった。10月の頭に紅葉の見られそうな場所、といえば九州ではあり得ず、北海道に行くしかない。かくして、秋の北海道行きが突如決まった。9月25日(木)のことであった。

 北海道へ行く航路は、東京を起点に考えると、1日2便ある大洗−苫小牧線(商船三井フェリー)か、1日1便ずつの新潟−小樽線、敦賀−新潟−秋田−苫小牧線(以上新日本海フェリー)しかない。フェリーそのものの運賃は新潟発の方が安いが、新潟まで行くのが大変なので、今回は茨城県の大洗(おおあらい)から行くことにした。
 大洗−苫小牧航路には、運航会社が企画・販売する「パシフィック・ストーリー」なる割安プランがある。東京駅から水戸駅までの高速バス(JRバス関東ほか共同運行)、水戸駅から大洗までの路線バス(茨城交通)、苫小牧港から札幌までの高速バス(北海道中央バス)の運賃込みで、大人片道9900円。スケジュールは次のようになる。
東京駅14:00 (高速バス) 15:53水戸駅16:32 (路線バス) 16:58大洗港18:30 (フェリー) 翌日13:30苫小牧港13:57 (高速バス) 15:45札幌駅
 これがそのまま、船会社が示したモデルコースということにもなる。正規運賃(エコノミー)は合計すると12450円だから、確かに安くなってはいる。しかし、モデルコースそのままでは面白くない。もう少し独自性を発揮することはできないものか。私がりそなの「めぐラー」であることを意識すると、当然今回も「めぐ」を絡めることになる。せっかく大洗に行くのであれば、フェリーに乗る前に、同じ茨城県の土浦支店(土浦市)を制覇しよう。あわせて、今回は札幌市内にある「めぐ」可能な銀行を全店制覇することにも決めた。「めぐラー」としては旅の骨格はこれで完成であるが、土浦で寄り道するとなると、いかに経済的なパックであっても、高速バスで運ばれていくだけのプランは採用できなくなる。
 また、モデルプランでは出航1時間半前に大洗港に着くことになっているが、これは到着時刻が少し早すぎるように思えた。車と一緒に乗船するならともかく、自分一人乗るだけなのだ。身体検査やら何やらややこしい飛行機でも、余裕をみて40分前であるのに。かくして、水戸から大洗までの移動にも独自の検討を加えることにする。水戸から鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)まで行く鹿島臨海鉄道大洗鹿島線が大洗を通るが、駅からフェリーターミナルまでは歩いて何分かかるだろうか。そう思っていると、船会社のホームページには、大洗港までのアクセスとして駅前からの町営循環バスが紹介されていた。循環バスの運賃は100円であり、鹿島臨海鉄道の水戸−大洗が310円であることも考えると、水戸駅から路線バスで行くより安い。しかも、町営バスには、水戸からのバスよりも待ち時間が短くて済む、都合のよい便があったのである。
 かくして、行動予定は次のようになった。
2008年9月30日(火)〜10月1日(水)
 (上野までのアプローチは記載省略)上野14:10 (JR常磐線 特別快速土浦) 15:05土浦 ※土浦支店
 土浦15:54 (JR常磐線 普通勝田) 16:40水戸17:04 (鹿島臨海鉄道 普通鹿島神宮) 17:20大洗大洗駅17:35 (大洗町循環バス) 17:40大洗フェリーターミナル18:30 (商船三井フェリー 夕方便) 翌日13:30苫小牧港13:57 (北海道中央バス) 15:45札幌駅 ※札幌支店

10月2日(木)〜3日(金)
 (札幌市内散策ののち)札幌15:25 (JR千歳線 快速エアポート152号新千歳空港) 15:40北広島15:43 (JR千歳線 普通苫小牧) 16:24苫小牧16:59 (苫小牧市営バス) 17:16フェリーターミナル18:45 (商船三井フェリー 夕方便) 翌日14:00大洗港14:10 (大洗町循環バス) 14:26大洗駅大洗14:42 (鹿島臨海鉄道 普通水戸) 14:58水戸15:32 (JR常磐線 普通上野) 15:46友部15:49 (JR水戸線 普通小山) 16:54小山17:34 (JR両毛線 普通高崎)(以下省略、群馬県前橋市の実家へ)
 関東平野内で独自ルートを採っている以外は、結果としてほぼ船会社のモデルプランどおりとなった。まあこの辺はあまり「冒険」しようのない部分なので仕方がない。亡父の三回忌が10月4日(土)であり、職場復帰は5日(日)の夜からと決めた。
 ネットで予約を入れる。ネットで予約した場合、商船三井フェリーは運賃が5%引きとなり、8500円の0.95倍で8080円になった。北海道に着いた日の宿はあえて予約しない。これは当日の気分で決める。

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2009年11月09日

新連載「りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動」のお知らせ

 当ブログ「MEGU」で、11月11日(木)23時から新連載を開始します。
 今回は、2008年9月末から10月冒頭にかけて、茨城県北海道でりそな銀行2店の制覇活動を行った記録です。分量は400字詰原稿用紙で90枚弱、回数は現時点で11回の予定です。
 例によって1日1本のペースでダラダラと掲載していきます。多少の脱線もありますが、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。

りそめぐ2008秋
太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動


2008.09.30(火)
 0 プロローグ 突如、秋の北海道へ
 1 常磐線で雨の常陸路を行く
 2 土浦支店を制覇
 3 土浦から水戸へ
 4 水戸から大洗へ
 5 いよいよ乗船
2008.10.01(水)
 1 いざ上陸、秋の北海道
 2 下船して初めての街、苫小牧
 3 生理的欲求による危機
 4 札幌支店を制覇
 5 雨中、札幌中央支店跡


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posted by 為栗 裕雅 at 23:13| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 告知板 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月11日

あとがき・参考文献一覧

 「りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー」、9月10日をもって完結いたしました。
 最後までお読みいただいた方には、例によってダラダラと続いた連載にお付き合いいただき、御礼申し上げます。あとがき等も含めた分量は、最終的に60枚強(400字詰原稿用紙換算)となりました。

 今回は、東京都内在住である私が、自宅をベースとして(日常生活の延長線上で)「めぐ」を行った体験記です。今回は「めぐ」そのものの記録もさることながら、私の内面についての記述が多くなったきらいがあります。ブログのアクセス記録を見ていると、「めぐ」と明らかに関係ないことが書いてある(とタイトルから判断される)記事については、連載の途中であってもアクセス数がガクンと落ち込んでいます。よって、そういう内容にニーズがあまりないことはわかっているのですが、私がこの「めぐ記」で書きたいのは「人間のいとなみ」ですので、ご理解を賜りたいと思います。
 エピローグでとりあげた歌は、本文では「誰の何という歌かはわからない」とぼかしてありますが、実は歌手の名前は覚えています。児島未散(こじま・みちる)という人です。今回「あとがき」を書くために軽く調べてみました。1967年4月生まれということは私の1歳年長。『セプテンバー物語』は1985年7月リリースのデビューシングル(フォーライフレコード)で、作詞:松本隆、作曲:林哲司。この曲はオリコンランキングには登場しないそうですが、私と同世代とおぼしき複数の筆者のブログで取り上げられていて、意外に多くの人の心に残っているようで驚かされました。

 舞台裏を少しだけ。今回、連載最終日がそのまま「めぐ」を実施した日となりました。連載の最後で急遽1回分増やしたためです。本来は「あとがき」がちょうど1年目の日になる予定でした。まあどちらにしても「1周年の日にキリよく終わることができて、きれいだったのではないかと思います」。
 なお、本連載では、ある回を公開する数時間前に大きなミスを見つけて愕然としました。廃止店舗の位置について基本的な確認を怠ったせいです。まだまだ若いと思っていても、記憶力は確実に低下しています。今回そのことを思い知らされました。厄介なことに、「思い知った」からといって注意力が上がるわけではなく、むしろこちらも低下しているわけです。かつては年を取った分だけ賢くなると思っていたのですが、どうやらそうではないようです。ノー天気に開き直るしかないのかしら。

 さまざまな思いが去来しますが、この連載はこれにて終了します。この連載を数年後に読み返して「古い」と感じられることがあるかもしれませんが、あくまで 2008年9月の実体験と、その後の連載期間における「一面の真実」です。そういうものだと思ってお読みいただくことを望みます。
 この連載のような「文章を使っての自己主張」が、私の生き甲斐です。今後ともご支援・ご鞭撻をいただけますようお願いします。ご意見や情報提供をお待ちしています。このブログ「MEGU」は、コメント・トラックバックを歓迎していますし、私のメールアドレスも公表しています。

 なお、この連載の執筆にあたっては、以下のような書籍・webサイト等を参照いたしました。

参考文献一覧
紙媒体は発行年順、webサイトは本文掲載順(2009.09.01現在)
  天沼雄吉『牧野元次郎翁 伝記でない伝記』全国不動会、1973年
  『協和銀行通史』あさひ銀行、1996年
  『大和銀行八十年史』大和銀行、1999年
  『日本金融名鑑』日本金融通信社、各年版
  『湘南モノレール』http://www.shonan-monorail.co.jp/
  「神奈川・鎌倉山の牧野別邸跡地(不動貯金銀行を訪ねて)」『関根要太郎研究室@はこだて』http://fkaidofudo.exblog.jp/7190760
  「ミス・ユニバースの愛娘!「セプテンバー物語」児島未散」『80年代アイドル☆ピンク・レディー☆昭和TVワンダーランド』http://blogs.yahoo.co.jp/cherrycreekjp/51287986.html
  フリー百科事典「ウィキペディアWikipedia)」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

2009年09月10日

2008.09.10(水)(10)エピローグ 9月の海に私はやって来た

 出張所の横に「西鎌倉入口」というバスの停留所がある。会社は京浜急行バスで、西鎌倉の住宅地を抜けてJR横須賀線の鎌倉駅まで行くようだ。この鎌倉行きは、1日2本しかない。16:14が始発、その次の17:14が最終である。時計を見ると、あと20分ぐらい待てば16:14発のバスが来る。一方、今歩いてきた県道沿いには「赤羽」というバス停があって、ここからは藤沢駅と大船駅へ行くバスが出ている。こちらは結構本数が多いようだが、これらの駅へ出ても面白くない。20分待って鎌倉行きに乗ろうか。鎌倉駅まで出れば、金沢八景(横浜市金沢区)行きのバスが出ているから、もう1店金沢文庫出張所(同)ぐらいは制覇の上積みができそうである。こんなことをやっていたら日が暮れてしまう気もするが、とりあえず金沢八景まで足を伸ばそう。
 と思ったのだが、19時に都内で用事があるのをすっかり忘れていた。というわけで、今日の「チョコッとめぐ」はこれにて打ち止めにする。モノレール西鎌倉駅へ、今来た道を再び歩いて戻ることにした。

 駅に向かって県道をとぼとぼと歩いていると、車道を銀色の車が1台追い抜いていった。車種はBMWだったかベンツだったか記憶にないが、左ハンドルで、助手席には中年の女性が乗っており、運転していたのは白髪バーコード頭の老人男性であった。そして、車はなんと、オープンカーだったのである。屋根のない車など、日常生活用ではなくて完全にレジャー用であろう。あるいは、日常生活で使っているほどのクルマ道楽なのか。
 どちらにしても、この界隈が富裕層の非常に多く住む地域であると改めて感じた。と同時に、湘南という土地の日常離れした優雅さも。私はこの年齢に至るまで独身で通しているが、結婚を拒否しているわけではなく、同性愛でもなければ機能障害があるわけでもない(但し「女嫌い」であるのは間違いない)。過去それなりのことが全くなかったわけではないし、晩夏から初秋にかけての甘酸っぱくほろ苦い思いに対して、共感も憧れも持ち合わせている。あの爺さんは、白髪頭かつバーコードという、普通なら絶望してしまいそうな年齢と容姿になりながらも、オープンカーで青春を謳歌しているのだ! 爺さんに可能なら、私もまだまだ諦めるのは早いハズだが、そうしたものはどうしても「遠い目つき」で見るようにとらえてしまう。
 不意に、私が10代の頃にラジオで聞いた歌を思い出した。誰の何という歌かはわからないが、「セプテンバーストーリー 9月の海に あなたは来ない」という歌詞である。折しも今日は9月の初旬。まさにこの歌の季節ではないか。ちょっとだけ、片瀬の海岸と江ノ島が見たくなった。

 湘南モノレールは、駅に電車が入るとき、一瞬微妙な振動を感じてから車体がやってくる。ちょうど、地震の初期微動と本震のようだ。この時間からであるが、大船行きではなくて、江ノ島へ行く電車に乗った。モノレールの終点である湘南江の島駅は、西鎌倉から3つ目である。
 車窓からは引き続き高級住宅地が見えている。西鎌倉の次の片瀬山は、三井住友銀行が有人出張所(旧住友銀)を出しているところであるが、界隈を走る車は国産車ばかりであった。ごく例外的にBMWを見るくらいで、一般的な高級住宅地のように外車ばかりという印象は全くない。もっとも、私のかつての知人によると、金持ちでも外車を乗り回しているのは半分くらいで、あとは品質やアフターサービスの面から国産車に乗っている人が多いという。この人は、超富裕層の御用達である玉川高島屋(東京都世田谷区)の駐車場でアルバイトしていたそうだ。
 やがて、モノレール湘南江の島駅に到着。ホームは4階にあり、3階の改札からエスカレーターで1階に降りる。江ノ島方向に歩いていくと、江ノ電の踏切を越えた先は、観光客目当ての土産物屋や射的屋などがズラッと並んだ商店街になっている。若い女性を念頭に置くらしい小じゃれた料理店なども目につくが、敷地に松の木が生い茂った純和風の旅館があるのが印象的だった。7〜8月にはリゾート客でごった返すこの商店街も、今はシーズンオフとあって開いている店もまばらで、たまに営業している店もヒマを持て余しているようであった。
 商店街が途切れたところで、パッと陽がさした。強い西日であった。信号の向こうには、青い空と江ノ島が見えている。江ノ島に通じる地下道に人の気配はほとんど感じられなかった。
 境川にかかる弁天橋を渡る。川にはボートが多数係留されている。その先に、竜宮城のような形をした小田急片瀬江ノ島駅がある。砂浜は見ていないが、9月のリゾート地の雰囲気にひたっただけでもう「お腹いっぱい」であった。小田急線で帰ると、藤沢から先は単純往復になってしまうが、今日はもういいことにした。

[りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー 完]

2009年09月09日

2008.09.10(水)(9)西鎌倉と不動貯金銀行

 大船支店西鎌倉出張所は、1975年12月に協和銀行大船支店西鎌倉出張所として開設された。
 この地に協和が出張所を出した理由については、確証はないものの私なりの推測がある。協和銀行の前身の一つである旧不動貯金銀行の出身者が、創始者・牧野元次郎を意識して作ったのではないか。
 以前にりそな姫路駅前支店の建物について書いたことがあるが【注1】、そのとき、協和および不動の歴史を調べる過程で、牧野元次郎の別邸が鎌倉山(鎌倉市)にあったことを知った。この別邸の建築にあたっては、不動貯金銀行の専属建築士だった関根要太郎が姫路支店を設計するに先立ち、耐震機能の試行がなされている。牧野鎌倉山別邸は現在では解体されているそうだが、その跡地の写真を他所のブログで見たことがある。
 旧協和銀行の拠点のうち、少なくとも3か所、ここと木更津支店【注2】、それから茗荷谷支店【注3】は、設置の際に旧不動貯金銀行の関係者がかなり絡んでいるのではないかと思う。ここ西鎌倉は、牧野別邸のあった鎌倉山住宅地の入口にあたり、現地までは1kmと離れていない。JR久留里線の起点である木更津は、牧野の出身地・久留里(千葉県君津市)の玄関口。そして茗荷谷支店のある地下鉄茗荷谷駅は、牧野の墓がある善仁寺(東京都文京区小日向)の最寄り駅で、寺の近所の住宅地には[小日向]という店舗外ATMまであったのである。
 もちろん、これら3つの拠点は、牧野に「ちなんで」作ったわけではないだろう。ただ、それぞれ不動の関係者が訪れる機会が多く、ある程度土地鑑があって営業活動がしやすかったため出店したのではないか。これらの店が新設された昭和40〜50年の時期、銀行の店舗展開は大蔵省により厳しく規制されていて、新店舗の開設は配置転換方式でなければできなかった。つまり、新店舗と同じ数だけ廃止店舗があったわけだ。これらの廃店は地方都市に多かったから、必然的にそのほとんどが旧不動貯金銀行の店舗となる(貯蓄銀行は営業区域の狭い小規模な銀行が多く、積極的に全国展開していたのは不動だけであった)。またこの時期は、会社の中で、協和銀行発足以前に入社した最後の世代が決定権を握り始めた時期と思われる。つまり、新銀行発足後の入社であれば薄いであろう「旧行意識」が業務に影響した、最後の時代ということになる。以上のようなわけで、出店場所の選定にあたっては旧不動関係者の意向がかなり採り入れられたと想像される。
 平成の時代に入り、木更津支店は地域の沈滞とともに持ちこたえられなくなったものの、西鎌倉出張所と茗荷谷支店は現在もりそな銀行の店舗として営業を続けている。西鎌倉に関しては、高級住宅地、それも近所に他の民間金融機関がない地域とあって、2000年頃の苛烈な支店統廃合の嵐を乗り越えて存続しているのであろう。
 以上は、データ部分を除き私の推測である。

 【注1】当ブログ連載「りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿」中「2007.11.26(月)(14)やはり『本当に古かった!』」を参照。
 【注2】協和銀行木更津支店:1969.10.27千葉県木更津市富士見1-8-11に開設、1976.06.07富士見1-5-20に移転。1991.04.01協和埼玉銀行木更津支店、1992.09.21あさひ銀行木更津支店。1998.09.07さくら銀行木更津支店に営業譲渡され廃止。
 【注3】協和銀行茗荷谷支店:現りそな銀行茗荷谷支店。1972.03.06東京都文京区小石川5-5-5に開設。1987.07.13店舗外ATM[小日向]を文京区小日向2-9-24に開設。1991.04.01協和埼玉銀行茗荷谷支店、1992.09.21あさひ銀行茗荷谷支店。2001.11.16小日向出張所を廃止。2003.03.01りそな銀行茗荷谷支店となる。

2009年09月08日

2008.09.10(水)(8)西鎌倉出張所を制覇

 前方にようやくりそな銀行の看板が見えた。目標が見つかると、無意識のうちに歩行ペースは上がるようだ。
 銀行は新西鎌倉歩道橋のある四つ角の南西角で、対面は高台になっている。崖の上にある小学校が、店舗一覧にもあった西鎌倉小であろう。りそなの横は、パティシェリーと書いてあるから洋菓子店か。道路を挟んで北隣には、コンビニのローソンと中華ファミレスのバーミヤンがある。
 出張所の前までやってきた。銀行がある角は、ひな壇式に造成された住宅団地の一番下である。これは何という団地だろうか。生け垣で隠されて見えなくなっている住居表示・街区案内図を交差点近くに見つけ、枝をかき分けるようにして見ると、この近辺は西鎌倉住宅地というらしい。近くには「鎌倉風致地区」という立て札もある。この界隈では建築物・工作物の新築・増築、土地形質の変更、築木の伐採などをするときには許可が必要だそうだ。りそなの北側にあるローソンは営業時間が6時〜24時である。風致地区での24時間営業は差し障りがあるのか、単にお客が少ないのか。但し、バスの本数は多いようで、交通はそれなりに便利なようだ。
 支店前の歩道橋に上がって写真を撮ろうとしたら、これはご無体な歩道橋で、橋の上面に上がるのに延々と九十九折れのスロープを上がらされた。もっとも、この九十九折れは二重で済んでいるし、建物の撮影の邪魔にはなっていないからマシである。歩道橋には、夜10時から朝6時までの深夜花火は禁止、と書かれた大きな横断幕がつけられていた。高級住宅地であるだけでなく、ここは江ノ島という一大リゾート地にほど近いところだけに、花火をして騒ぐような一団もたまに入り込むのであろう。
 出張所の建物は、キャッシュコーナー部分が後年増築されたらしい。当初正面入口だったと思われる部分は、旧幸福銀行の店先にあったような飾り格子をつけて、はめ殺しのガラス窓にしてあった。店にはキャッシュコーナーからしか入れないようになっている。
 中に入ると、この出張所は相当にゴージャスな改装の仕方をしていた。とにかく通常の店とは色遣いが違う。店内のイメージとしては、先日行った大阪の御堂筋支店(大阪市中心部の大企業ばかりの法人店舗)に似ていて、茶色系で統一されて高級感が漂っている。キャッシュコーナーは協和銀行時代のパイプデザインなのだが、ベージュ色の大理石のような壁紙で美装されている。窓口室にもベージュ色のじゅうたんが敷いてあり、什器類はすべてマホガニー調。ロビー係の男性が1人いて、愛想を振りまいている。飲料水の機械があったり、文庫本などが置いてある書棚があったり。あとは、ソファがあってくつろいだりできる。但し、窓口での現金取り扱いはない。
 キャッシュコーナーには機械の枠が5台分あり、さらにその左側、シャッターの向こう側に2台分が増設されている。機械配置は記帳機1台、それにATMが6台もある【注】。ATMの台数が多いのは、高級住宅地の店舗として、大事な客を待たせるわけにはいかないからだろう。若い女の子としか見えない女性が手慣れた感じで貸金庫室に入ったりしていたから、西鎌倉の住民は相当に富裕であることがわかる。彼女はおそらく「いいところのお嬢様」で、貸金庫には装身具でも保管しているのに違いない。決して安くはない貸金庫の使用料を払って保管するほど高価な装身具、それも1つや2つではないのだろう。また、貸金庫を利用していること自体、銀行を使い慣れているとも言える。ともあれ、こうした人たち(およびその家族)がこの店の主要顧客である。
 15:49、西鎌倉出張所を制覇した。

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 【注】機械の内訳は、左奥が富士通製記帳機(モデル10ガワ)、富士通ファクトVモデル10。シャッターがあってファクトAが2台、あとはファクトVのモデル10・20・10が1台ずつ。

2009年09月07日

2008.09.10(水)(7)Megu at your own risk.

 湘南深沢を過ぎてトンネルを抜けたあたりから、車窓の風景はちょっと瀟洒な住宅団地に変わったようであった。山の中腹から上に、いかにも高級住宅地という感じのする家の並びが続いている。その山の麓はやや庶民的な感じで、棟割長屋のような商店もあるし、コンビニ(ファミリーマート)も見える。
 西鎌倉に着いた。ここも無人駅らしく、島式ホームの端では運転士が降りる客から必死で切符を集めている。モノレールの車両が通る部分は、ホーム側の半分ぐらいは鉄板だが、残り半分は金網であって、その外側には柵がない。だから、財布から10円玉でも転がったら「あああっ」と言っているうちに下に転落してしまうだろう。高さとしては2階の屋根から落ちるぐらいだから、人間が落ちても死にはしないだろうが、非常に開放的でちょっと怖い感じがする。大船方向に目をやると、モノレールは駅の北側で大きく左にカーブしている。
 ホーム江ノ島寄りにある階段を下りてくると、この駅はやはり無人駅で、中2階のようになったところに券売機が2台置いてあるだけだった。高架下は月極駐車場のようで、かなり古い時代からパーク&ライドをやっているのだろう。加えて駐輪場がずっと長く続いている。駅の北側、左カーブが始まるところには、小規模なスーパーマーケットが1軒ある。
 西鎌倉出張所は、りそなの店舗一覧冊子によると「西鎌倉駅徒歩8分、西鎌倉小学校前」と書いてある。駅前の道をどちらに行けばよいのだろうか。今回、出張所への道順を全然調べてきていないし、西鎌倉出張所には「モノレールで」来たことが1度もないので(絶対あったはずだが記憶にない)、駅前のファミリーマートに入って、ちょっと地図を立ち読みさせてもらう。地図には、西鎌倉駅の東側をモノレールに沿って走る大通り、つまりコンビニが面する道を、大船方向に戻ったところにりそなが描いてあった。

 歩き出す。駅前からの2車線道路は、県道304号(腰越大船線)である。道沿いには個人商店が多い。商店街と呼ぶにはまばらだが、寂れているわけではなくて、もともと建物が密集していないのである。アパート1軒とNTTの施設1棟が3階建ての他は、2階建ての民家と、寝具屋・服屋・花屋・自転車屋といった個人商店が並んでいる。並んでいるといっても規則正しく並んでいるわけではない。そのうちの1軒、カレー屋の店先に出ていたメニューには、ビーフカレーおよびシュリンプカレーが1300円と目玉が出そうな値段がついていた。
 Swim at your own risk.と書いてある店があった。アメリカの海水浴場にある「海の家」を模した店なのだろう。江ノ島に近いせいか、このあたりには似たような店が2〜3軒ある。店先にはシボレーコルベットスティングレーがピカピカにメンテナンスして置かれていた。古き良き時代のアメ車、しかもスポーツカーである。この文章をまとめている2009年6月の冒頭、米ビッグ3と言われた自動車メーカーのうち、クライスラーとゼネラルモーターズの2社が経営破綻に追い込まれている。1960年代、先進国の仲間入りを始めた日本にとって、ガソリンをがぶ飲みにして走るアメ車は憧れであった。環境に良いとか悪いとかはさて置き、確かにあの時代には「アメリカンドリーム」と呼べるものがあったのである。「古き良き時代」は、アメリカではベトナム戦争で終わりを告げ、そして昨今のリーマンショックでとどめを刺されたといえる。バブル崩壊で奈落の底に落とされた日本は、今後何によって「とどめ」を刺されるのだろうか。戦後の日本はアメリカを20年遅れで追いかけているような気がするから、今から20年後がかなり心配である。なお、シボレーの近くには、いすず117クーペとか、骨とう品のような車が何台か置いてあった。
 県道がモノレールと直角に交わる「赤羽」の信号を境に、いかにも高級住宅地然とした西鎌倉山というエリアに入る。まばらに建っていた個人商店が消え、瀟洒な一戸建て住宅ばかりになった。家の造りや敷地の処理の仕方などが明らかにこれまでと違う。交差点には、生協コープ西鎌倉店とファミレスのロイヤルホストが面している。ロイホの対面は南欧料理のレストランで、店内ではディナータイムに月例ライブなどを行っているようだ。湘南という土地柄か、この界隈には普通の住宅地では見かけないような面白いものがある。やはり住民の生活に余裕があってこそなのだろう。りそなの住宅地店舗がある関西の地名でいうと仁川(兵庫県宝塚市)あたりがイメージ的に近い。

2009年09月06日

2008.09.10(水)(6)スリル満点の湘南モノレール

 次の目的地は、大船支店西鎌倉出張所(鎌倉市)である。
 支店前をまっすぐ駅に戻る。支店のあたりから駅前にかけては、小規模な商店がずっと続いている。形態としては古い商店街だけれども、雑居ビルが含まれるなど建物としては新しいものが多い。不動産屋や携帯ショップなど小規模な店舗が数軒ある駅前の角を左に曲がったところに湘南モノレールの大船駅が見えた。次の目的地・西鎌倉まではこれに乗って行く。
 駅前通りの歩道橋に上がったものの、ここからモノレールには乗れなかった。仕方なくJRの駅まで本格的に戻ってみると、行きにも通った「びゅうプラザ」前の階段が2つに分かれていて、上から見ると右半分がフロア半分ぐらいの高さで終わっていることがわかった。中二階のような位置関係のところにモノレール大船駅への通路があったのである。だまされてしまった。かくして中二階の通路を進むと、さっき支店前から来る時に見た携帯ショップを今度は上から見下ろしている。そして、私は完敗したことを悟った。モノレールの駅に近いところに階段があって、そこを上がればJRまで戻らなくてもモノレール大船駅の目の前にドンと出たのである。往生際悪く百円返せと思った。
 現金で切符を買う。湘南モノレールは券売機・改札機ともにICカード「パスモ」に対応していない。大船から4つ目の西鎌倉までは260円で、この運賃は大船からは西鎌倉駅だけの金額である。1か所しかない改札を入ると、目の前がちょうどホーム終端の車止めで、手前側が乗車ホーム、反対側は降車専用である。3両編成しか入ってこない行き止まり式のホームは50mほどの長さしかなく、高さについても懸垂式モノレールゆえ50cmほどしかない。車両が入る線路面(というのだろうか)は水色に塗ってあって、何となく子ども用のプールのように見える。駅内では大型の扇風機が何台も回っていた。エアコンではなくて、扇風機である。とにかく駅全体が地方私鉄のような雰囲気で、のどかささえ漂っていた。
 わかっているので事前に言っておくが、湘南モノレールに乗る時には、一番前の車両に乗らないと損である。人目をはばからず運転席の後ろでかぶりつきになりたいぐらいだ。というわけでホームの端まで来ると、柵の向こう側は素通しであった。「子ども用プール」が終わったところに70〜80cmぐらいの奥行きで網がついていて、網の向こうは大空である。2階(3階?)だから落ちても死にはしないだろうが、高所恐怖症の人はホームの端に来ない方がいいかもしれない。
 14:52発が行ってしまったので、次の湘南江の島行きは15:07発までない。運転間隔は7〜15分間隔で、もう少し均等にしてもよさそうなものだが、この年(2008年)2月にオーバーラン事故があって、その影響で間引き運転が続いているのだ。本来は7〜8分間隔で運転されるはずらしい【注】。やがて、空中を駆けるようにモノレールがやってきた。車体の断面が逆台形というか下細りの台形になっていて、それが車両断面としては新鮮に映ったが、あとはデザインが何となく時代がかっているように思えた。ドアは片開きだし、窓のデザインもなんとなく昔の「バス窓」を彷彿させるような丸い縁取りのついたデザインである。車両端の銘板を見ると「昭和63年」とあるから20年しか使っていないのだが。
 車内はロングシートではなく2人掛け×2のボックスシートになっていて、入口の前には補助椅子がついていた。ボックスシートに腰を下ろす。車内を見回すと、連結面に貫通扉が一応ついているが、乗務員以外の通り抜けは禁止されており、ノーエントリーと大きく書いてあった。やはり懸垂式のモノレールだけに、乗客が渡り板を空中で踏み抜いたら大変なことになるのだ。

 モノレールが発車した。湘南モノレールは大船から終点まで単線である。複線の鉄道で終着駅だけ単線というのは、阪急箕面線や東急世田谷線など各地で見られるスタイルだが、ここは全線単線で、駅でだけ交換できるようになっている。
 線路は一般道の真上を走る。2車線道路の端にモノレールの太い柱が並んでいて、モノレールの真下はいきなり車道である。大船を出て1つ目の富士見町駅に停車中、窓下を見ると網になっていて、網の下を普通の車が走っているのが見えた。やがて徳洲会系の湘南鎌倉病院前を通過。この病院の正面玄関前には、かつて大船支店の店舗外ATM[湘南鎌倉病院]があったから、「あさめぐ」の時代に訪れたことがある。この病院を過ぎたところで、モノレールは早くも山登りを始める、茂みの真ん中を抜けると三菱電機の鎌倉製作所が見え、すぐに湘南町屋駅に到着。湘南モノレールには無人駅が多いようで、車掌は連結面のドアにいちいちカギをかけながら前後を頻繁に行ったり来たりしている。
 湘南町屋を出るとすぐ下り坂となり、ものすごい速度で駆け降りる。実際のスピードは大したことはないかもしれないが、体感速度は非常に速い。このあたりでは道路から離れたところを走っているが、一山越えると、一時離れていた一般道に再び接近した。次の湘南深沢では、駅前に団地のような集合住宅が10〜20棟くらい並んでいるが、人は住んでいないようだ。JRの大船工場がホーム北寄りから左の方角に見える。この駅の南側で、モノレールの線路は右手に分岐していく。右側の車窓から、ボウリング場やスーパーも入っている湘南モノレールの本社ビル「湘南深沢ビル」が見える。元「あさめぐラー」として触れておくと、大船支店はかつてこのビルの前に[湘南深沢]という店舗外ATMを出していた。
 湘南深沢から西鎌倉までは、山越えである。さっき乗務員が運転席にもう1人乗り込んで2人体制になったのだが、安全確認のためか。そう納得できるほどの急坂を上り、モノレールは山中に分け入ってきた。やがて本格的な山岳トンネルに入った。
 湘南モノレールは、サフェージュ式(懸垂式)モノレールのテスト線として1970年に開業したものである。相当な角度のカントをつけた急カーブ、それもS字カーブが連続しており、急勾配とトンネルもある。こうしたわけで、湘南モノレールは加速と減速が激しくて、スリルとスピード感がある。一番前の車両に乗らないと損、とさっき述べたのはそういうことである。

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 【注】2008年12月23日から、暫定ダイヤ前の「完全な7〜8分間隔」に復帰した。

2009年09月05日

2008.09.10(水)(5)もろもろ思うことがあった大船支店

 大船駅南改札の東側は、再開発があまり進んでいないエリアである。道幅も狭く、昔ながらの駅前風景が広がっていた。
 駅前交番の横からまっすぐ奥へ。何となく商店街になっている感じで、「仲通り商店街」という名前らしい。この時間は人通りが結構あって賑わっており、昭和40年代に開発された新興住宅地という感じがする。正面の左前方にみずほ銀行の大船支店が見えるが、みずほになってからの新築移転店舗である(店籍は旧日本勧業銀)。地図で見ると静岡銀・みずほ銀・三井住友銀(旧太陽神戸銀)と各行の大船支店が並んでいる。左奥には横浜銀行の大船支店。ゴミゴミした商店街の中に紛れてしまった感じがするが、りそなの新店舗はどこにあるのだろうか。
 ビッグアップルというパチンコ屋があって、建物の形に見覚えがあった。これが、りそな大船支店の旧店舗にほかならない。そして、パチンコ屋の角で左に曲がると、奥にりそなの新店舗が見えた。色つきの切り抜き文字が壁面に付いたグレーの建物というあたり、りそなで主導権を握っているのが旧大和銀行なのだと思わずにはいられない。隣りはどう見てもパチンコ屋の駐車場で、そちらの方が目立っている。とりあえず建物の写真だけ撮ってしまうが、道幅が狭いのと逆光のせいであまり良い写真は撮れなかった。
 支店建物の左1/3は駐車場だが、客用ではなくて行用車専用のようだ。客用の場所をあとで窓口で聞いてみることにする。店先には、1階ATM・貸金庫、2階営業窓口、という緑色1色の看板が出ている。りそなのシンボルカラーは緑とオレンジの2色なのだが、最近はオレンジをあまり使わない傾向にあるようだ。多色を使うとお金がかかるからなのか、無彩色+1色という配色に慣れた旧大和銀のセンスなのかは定かではない。個人的には、アクセントカラーとしてもっとオレンジを活用してもよいと思う。
 入口ガラス部分には代理業務の一覧表が貼ってある。内容は確実に間違っているのではないかと思う。「埼玉県指定金融機関【注1】」というのは埼玉りそな銀行のことだろうし、「神奈川県指定金融機関」はりそなグループには該当しない。逆に、自信を持って名乗ってよい「大阪府指定金融機関」の称号はここにはみられず、どういうわけか「大阪府収納代理金融機関」となっている。指定金融機関関係でいうと、忠岡町(大阪府泉北郡)。同町の指定金融機関は一応りそな銀(泉大津支店)だが、なぜこんな大阪の町の名前がいきなり入っているのだろうか【注2】。ここは神奈川県鎌倉市のハズなのだが。泉大津支店の一覧が間違って掲示してあるのかとも思ったのだが、りそな銀は泉大津市の指定金融機関になっているから「泉大津市収納代理金融機関」というのもおかしいのである。全くナゾだ。

 入ってすぐ右側に2階に上がる階段があって、上がっていくと左に見下ろす形でエレベータと貸金庫室入口が見える。2階窓口室に入って行員に駐車場のことを聞いてみると、店の前から奥に入ったところに10台分の契約駐車場があり、そこが満車の場合はさらにその先に5台分+5台分とあるのだそうだ。どのような駐車場戦略なのか、自動車王国・群馬県出身の私にはわかりにくいと思える。車で外出するのが当たり前のこの時代に「車で来にくい店」というのは、どういう意味があるのだろう。支店の真横を、行用車ではなく客用の駐車場にはできなかったのか。ただでさえ支店は狭い一方通行路に面している。ここは富裕な住民の多い地域で、車の普及率は他所よりも高いだろう。こういった人々は、ガソリンが少々値上がりしたからといって、車での外出を控えたりはしないのである。
 新築したばかりの店なので、店内は最近のりそなの標準タイプである白い内装になっている。キャッシュコーナーはATM6台+記帳機+両替機で8台分の枠にはまっている。機械は左の4台が沖電気のATM21B。前面に鏡のついた機種である。機械番号でいうと5番は、何と富士通ファクトVのモデル20であった。たぶんペイジーの読み取り装置がついているからだろう。6番が沖電気の最新型「バンキット」、そして7番が富士通の記帳機、そして8番が両替機。りそなグループではこれから沖電気の機械が淘汰されていく方向のようだ。14:40、大船支店を制覇した。
 大船支店は、1965年7月に協和銀行大船支店として開設された。協和の大船への出店は都市銀行としては第1号である。1975年12月に西鎌倉、1985年12月に観音前と、有人出張所を2か所に開設しているが、そのうち観音前出張所は1996年7月に統合されている。現在の店舗は2006年7月10日に営業を開始した。

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 【注1】指定/指定代理/収納代理金融機関:「指定金融機関」は、地方自治体が公金の収納・支払の事務を取り扱わせるために指定する金融機関。地方自治法に基づき議会が議決して指定される。指定金融機関となった金融機関は、自治体の長が指定する金融機関を「指定代理金融機関」に指名することができる。さらに別の金融機関を「収納代理金融機関」として、収納業務のみ行わせることもある。
 【注2】忠岡町指定金融機関:泉州銀・りそな銀・大阪信金・JAいずみの・三井住友銀の交代制。
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