2005年03月31日

9日(水)J よい子はそろそろ…

 本日最後の目標は、長岡西支店となりそうである。今乗ってきたバスで、途中まで戻ればよい。
 事前のリサーチで、長岡西支店は、信濃川にかかる「長生橋」という橋の近くにあることがわかっている。長生橋は1937年にかけられたトラス橋で、長岡市のシンボルとなっている橋である。さっき乗ってきたバスは、長生橋の1本北にかかる大手大橋を渡り、信濃川に平行に南下してきたから、長生橋の通りとクロスするところでバスを降りれば目標にたどり着く、はずだ。
 自信がなかったので、長岡西支店に電話をかけて行き方を問い合わせた。長岡ではバスがそれなりに定着しているとはいえ、銀行の人はあまりバスには乗らないようで、支店の最寄り停留所の名前がなかなか出てこない。支店内ですったもんだした後、「大島」とつく停留所で降りればよいと教えてくれた。上等。あとは運転士に直接聞こう。
 長岡駅行きのバスは17:33に来た。どこから来るバスなのか、結構な混雑ぶりである。窓の外は既に暗くなり、私の「第四めぐタイム」が終わりかけていることを告げている。最終目的地の停留所を聞こうとすると、何だ、さっきの運転士ではないか。彼は私と気づいたか気づかないか知らないが、降りるべき停留所が「大島本町」であると教えてくれた。やがて目的地に達したので降りる。大島本町の停留所は、長生橋の通りより南側にあたる。このあたりは高度成長期以降に住宅地として発達したようなたたずまいである。北上して長生橋から来る国道351号との交差点まで来ると、左の視界に第四銀行の袖看板が見つかった。角に長岡信金大島支店があるこの交差点は、行きのバスの車中でも注意して見ていたが、第四の看板は見つけられなかった。それも道理で、長岡西支店の入るビルは外壁の工事中で、スクリーンで覆われて看板が見えにくくなっていたのである。
 支店に入り、機械を操作。長岡西支店を制覇した。既にあたりは真っ暗である。第四のATM稼働時間はまだ1時間ほどあるが、この後の予定を考えるともう1か所行くのは無理だろう。長岡市役所前支店は、帰京の際に寄って片付けることにしよう。

 本日の「第四めぐ」はこれにて終了である。長岡西支店の北1kmほどのところにあるジャスコ長岡店まで徒歩で移動、店内のミスタードーナツで休憩し(今回の旅はミスタードーナツめぐりも兼ねており、1127号「長岡ジャスコ」ショップを制覇したことになる)、バスで長岡駅へ移動して、長岡20:05発の普通列車で予定どおり新潟入りした。新潟の到着は21:21で、新潟だけに「ニイニイ」であった。宿舎は既に「旅の窓口」でネット予約してある。宿に入って荷物の整理を行い、私としては早めの11時に床についた。前日ほぼ徹夜の状態だったこともあるが、何といっても明朝は6時のフェリーで佐渡入りである。

[3月9日篇 おわり]
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2005年03月30日

9日(水)I 政治・経済イン長岡

 越後交通のバスは、シルバーの車体に赤帯の入った東急グループのバスに似たカラーリングだが、東急と資本関係があるかどうかは知らない。この会社は田中角栄元首相のファミリー企業の総本山で、田中真紀子元外相が副社長をしていたこともある。
 赤帯の入ったシルバーのバスは、私を乗せて大手通を西に進み、信濃川を大手大橋経由で渡って南に折れた。さらにもう1回西に折れてまっすぐ進んでいくと、今日の目的地の長岡市新産町である。というのは後で地図を見て確認したこと。16:53に来たバスに乗った私は、一面に広がる銀世界の真ん中をひたすら運ばれている。市街地からは既に抜け出し、水田地帯を走っているとみえて、雪に覆われた大平原が広がっている。雪には夕陽が当たり、幻想的な色彩をかもし出している。
 新産町が近づき、私は運転士に降りるべき停留所を尋ねた。驚嘆すべき(?)返事が返ってきた。運転士は第四銀行のある場所を知らないという。第四は長岡ではなじみが薄いようだ。通路をはさんで私と反対側に座っていた初老の男性が代わりに教えてくれた。バスは「新産公園」で降りるそうだ。
 おじさんは、目的の停留所に到着する寸前にもアドバイスをくれた。公園の向こう、レンガ色の建物だそうである。私は礼を言ってバスを降りた。ずいぶん長距離、10km近くは乗った気がするが、長岡駅前からここまで220円である。政治力の賜物なのか、越後交通のバスは運賃がずいぶん安いと感じる。さっき小出から堀之内まで乗ったバスも、運賃190円であった。運転手は少々ぶっきらぼうだが、運賃も安いしほどほどに本数も多いしで、長岡地区においてはバスは十分地域の交通機関として機能している。運賃の安さと本数の多さがポイントではないだろうか。
 さて、長岡新産センター支店の制覇を済ませなければならない。公園の向こうのレンガ色の建物。目的地はすぐそこだ。しかし。公園に沿ってレンガ色にたどり着くまでの歩道は除雪が行き届いておらず、5センチ程度の雪が積もっている。こうした状態は意外に歩きづらいものである。帰りのバスの時刻を見てくるのを忘れたので、なるべく早く用事を済ませなければならない。雪をサクサクビチャビチャと踏みながら歩いていくと、レンガ色の建物の前に北越銀行の赤い看板が立っているのが見えた。本当にここに第四の支店があるのか? 実は、第四銀長岡新産センター支店の場所は、事前にネットの地図サイトで調べているのだが、所在地である「長岡市新産2-1-4」を検索すると、どういうわけか北越銀行が出てくるので、どうなってんだろうと思っていたのである。
 レンガ色の建物は「長岡新産管理センター」といった。建物の角の部分を、北越銀行長岡新産支店(「センター」はつかない)が占めている。その隣が長岡新産郵便局。第四はどこにあるのかと建物に沿って角を曲がる。
 見つけた。建物の目立たない場所に、緑と水色のカラーシートを貼った第四銀のガラス戸。やはりここは新潟県内といっても中越地方である。ホクギンのほうがメジャーなのだ。ATMを操作して長岡新産センター支店を制覇。時刻は17時20分過ぎであった。
 長岡新産センター支店のある長岡市新産町というエリアは、長岡市の卸商団地(流通センター)で、青果・水産市場と80社近い企業の営業所が集結している。新産とは「新産業」の略ということだが、流通業を工業などに代わる新しい産業にしようという意気込みだろうか。新産管理センターは1981年に竣工した新産町の中心施設である。
posted by 為栗 裕雅 at 16:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

9日(水)H 長岡到着、さてどうするか

 16:15、長岡に到着。さあ、ここからは長岡市内をうろうろしよう。
 長岡市には第四銀行の営業店が7店ある。これらのうち4店は昨年9月に制覇した。去年は「青春18きっぷ」の有効期限である9月10日時点で1日分だけ残っていて、もったいないので処理するために新潟県中越地方へ赴いたのだった。このときはミスタードーナツめぐりを主体とし、第四銀は小千谷の2店と長岡の4店のみ制覇していたのである。
 長岡市内の第四銀で残っているのが、長岡市役所前・長岡西・長岡新産センターの3支店。これらのうち、地図上で市街地から遠い場所にある新産センター支店を除く2店を制覇し、前回回れなかったミスドの1店(長岡ジャスコ)も押さえるのが、今日の長岡での計画である。まず市街地の長岡市役所前支店、次いで信濃川西岸の長岡西支店を制覇したら、ジャスコ内のミスドで休憩しよう。多分それで時間がぎりぎりのはずだ。第四銀行のATMは19時でおしまいである。正確には、18時から出金に手数料がかかるようになり、19時で入金が終了する。そして、ごく一部の店舗を除いてキャッシュコーナーの営業は19時で終了である。時間外手数料を払いたくない私は、18時以降は入金のみで制覇作業を行い、19時で第四めぐを打ち切る。そうなってからミスドに行くつもりだが、今日はそのあとさらにもう一仕事ある。新潟市への移動である。明日は朝一番(06:00)のフェリーで佐渡島に渡る予定で、新潟駅前のホテルの予約を既にネットで入れてある。このチェックインを「21時台」としているため、長岡20:05発の普通列車吉田行きに乗る予定。そのためには、信濃川西岸のジャスコを7時半くらいに出発する必要がある。
 ハシゴの前に、駅前通り沿いにあるりそな銀行長岡支店に出向く。私はもともと旧あさひ銀行がメインバンクで、「あさめぐ」などやっていた人間だから、りそなの長岡支店にはあさひ銀行時代から何度か赴いたことがある。これから先の日程で使う流動性資金を、ここで調達。りそな銀行の私の口座から無手数料で預金を引き出すことができるのは、新潟県内ではここ長岡支店が唯一である(地元のCGC加盟スーパーである「原信」「ウオロク」など、他行手数料無料の東京スター銀行のATMが設置されているところもあるようだが、この時点では念頭になかった)。りそなの支店で現金を調達して駅へ戻ったら、駅前からバスで市役所前まで移動し、少し遠いが信濃川西岸の長岡西支店までは徒歩で向かう。長岡西支店からジャスコ長岡店まではさほど遠くはなさそうだ。
 長岡市の市街地は、さすが新潟県中越地方の中心都市と言いたいところなのだが、やはりご多分に漏れず中心市街地は空洞化して、立派なアーケード街はシャッターを下ろした店舗が多くなっている。それでも、今日回ってきたのは「市」という名前の事実上の郡部ばかりだから、長岡の市街地は今日に限っては大都会に見える。長岡の駅前通り「大手通」では、除雪した雪が歩道の隅に積み上げられて堤防のようになっていた。
 りそなの支店から駅までの間に、バス停のポールが何本か立っている。その中の1本を何気なく見た私は、長岡市の第1箇所目を制覇する前に計画変更の必要を感じた。時刻表の中に「新産」の文字が見えたのである。そうか、「新産」は信濃川の西岸だから、橋にそのままつながる大手通のバス停にそっち方面行きのバスが来るのは当たり前である。長岡駅からさほど遠くない長岡市役所付近にある支店だったら、また長岡に立ち寄ったときに制覇すればよいのだ。駅から遠い「新産」ではこうはいかない。市役所前支店をやめて、新産と長岡西にしよう。
 大迷惑野郎であるが、ちょうど来たバスを止め、このバスが「新産」に行くかを尋ねた。交差点の向こうのポールから出るとの返事を得て、駅の方向に歩く。見つけた。新産を通る「ニュータウン」「長岡技術科学大学」方面行きのバス停。この系統は1時間に1本程度の運行頻度である。
 時刻を見た。ああ、俺はなんてツイているんだ。1時間1本の運行頻度でありながら、10分もたたないうちに「ニュータウン」行きのバスが来るではないか。私は基本的にツキに恵まれない男だ(と思っている)が、こと旅行中の交通機関の接続関係については恵まれていることが多いようだ。バスの時刻は16:53である。
posted by 為栗 裕雅 at 02:11| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月29日

9日(水)G 余震は続き、傷跡いまだ癒えず

 朝から怒涛の勢いで制覇を続けてきて、ここで一気に弛緩する。時刻はまだ14時前。間引き運転となっている上越線は下り電車が15:11までない。1時間半近い時間の余裕があった。
 今日はどういうわけか腹が減って減って仕方がない。駅前のセブンイレブンで弁当を買ってきて、石油ストーブのついた駅の待合室で食べる。メニューは旬を感じるたけのこ弁当である。たけのこ入りの炊き込み御飯に、若たけのこの炭火焼、あとは鶏肉や野菜など。最近では日常生活から季節感が失われたと言われるが、そういうものを最も意識して商売しているのがコンビニであるといえよう。最近では関西ローカルの風習である「恵方巻」なども始めてすっかり全国区の風習に昇格させてしまった。
 駅の待合室には、中学生とおぼしき制服の少年少女たちがいた。彼らはどうも高校入試を受けてきたらしい。堀之内に高校があるのかは知らないが、面接試験で聞かれたことなどを情報交換している。人目をはばかることなく(といってもはばかるほどの人目があるわけではないが)大きな声で話す中学生の会話を新聞を読みながらボーッと聞いていると、突然突き上げるような衝撃があり、その後10秒くらいゆらゆらと建物全体が揺れた。私の体感では震度2か3くらいはあったと思うのだが、中学生たちは地震には慣れっこなのか悠然と構えており、「今地震があった?」と誰かが聞いたものの、話題はすぐに別のものに変わってしまった。昨年10月23日に発生した新潟中越地震は、年が明けて3月上旬になってもまだ余震の発生が続いている。しかし、中央のマスコミは既に新潟で地震があったことすら忘れているのだろう。折も折、この文章を書いている2005年3月20日には「福岡県沖地震」が発生。日本は本当に「地震大国」である。
 時間をつぶす材料には不自由しない私でも、列車待ちの時間だけはどうにも落ち着かない。しかし、ついに長岡行きの発車10分前となり、私は改札を入って跨線橋を渡った。電車がくる直前になって、かの中学生の一団も一緒のホームにやってきた。小千谷市の中学校のバッジをつけていたから、小千谷まで行くのであろう。電車に乗ってから何気なく時刻表を見てみると、小千谷駅は越後堀之内から3駅目で、普段だったら15分で行ってしまうところである。プリントアウトしてきた臨時時刻表では、1駅手前の越後川口までで15分、そこからさらに小千谷まで15分かかっている。相当な徐行運転を強いられるようである。
 やがて電車がくる。一人乗り遅れそうになったので発車を見合わせていたが、結局その客は乗らなかった。ドアが閉まり、というか半自動の115系電車であるから手で開閉できるよう隙間の開いた両開きドアを圧縮空気で押し付けて密着しただけだが、ともあれ客の乗降が済んで電車は長岡に向かって動き出した。
 電車は、雪の壁の中をそろそろと進んでいく。線路の両側には、2m以上の高さに雪の壁ができている。時刻表を見てもそうだし、今実際に走りっぷりを体験していてもそうなのだが、なぜこんなにスピードが遅いんだろう。いくらなんでももうちょっと出せないんだろうか。そんな疑問は、越後堀之内の次の駅、北堀之内を出てすぐ入ったトンネルで氷解した。ゆっくりゆっくり進んでいく電車の窓からは、トンネルの壁に入った亀裂がはっきり目視できた。塗ったコンクリートの表面が剥がれ落ちて、鉄筋が露出している。新幹線や高速道路の橋脚が阪神大震災の際に崩れているのを当時何度も見たが、あんな感じである。もちろん、電車が走れる程度の崩れ方だからあれほどひどくはないのだが、それでも徐行して走らないと傷口に悪影響を及ぼすのかもしれない。これではスピードが出せないはずだ。しかも、今年は「19年ぶりの大雪」とかで積雪量が多く、この雪では復旧工事もままならないだろう。私はいまさらながらに新潟中越地震の被害の大きさを思い知った気がした。
 越後堀之内から二つ目、越後川口に着いた。魚野川沿いに進んできた上越線と、信濃川沿いに北上してきた飯山線が、ここで合流する。上越線と飯山線に沿う二つの川も、ここ川口町で合流である。川は信濃川のほうがメインだが、JRの線路は上越線がメインである。
 地震の影響で、上越線は越後川口から、二つ先の越後滝谷まで単線運転となる。一応小出からは線路を複線で使ってきたから、いよいよここからが地震の核心というわけである。
 越後川口駅のホームには、俄仕立てのタブレットキャッチャーが置かれていた。鉄道の単線運転区間で使われる通行手形のようなものがタブレットで、これがないと単線の区間を通れない(無理に通行したら正面衝突である)。タブレットの本体は直径10cmくらいの金属板で、直径50cmくらいの輪っかがついたカバンに入っている。タブレットキャッチャーとは通過列車の運転手が駅にタブレットを渡すために使われるもので、高さ1.5m、直径1mくらいだろうか、ベッドのマットレスに入っているスプリングのような形をしたものが、ホームからにょっきりと立っている。子どもの遊具の輪投げのように、タブレットの入った輪っかつきのカバンを投げて、タブレットキャッチャーに引っ掛けるわけである。
 電車が発車した。次の停車駅は小千谷で、本来なら5分そこそこの道のりだが、臨時ダイヤではこの区間に15分かけている。電車のスピードはさっきよりもっとゆっくりになった。上越線は本来なら全線が複線になっていて、左側通行になるはずだが、ここでは右車線を走っている。単線運転なのである。一応左車線側も除雪はしてあるようだが、敷かれたレールは茶色く錆び付いて、長い間列車が走っていない様子をうかがわせる。やがてトンネルに入る。トンネル内には蛍光灯が数本点灯しているのが普通だが、この区間では完全に真っ暗である。トンネルを出ると、線路の両側の雪の壁はさらに高くなったようである。ここ数日は気温が高かったので積雪が緩んでいる可能性があり、余震も続いているようで、雪崩が怖いと思った。とにかく、電車はゆっくりゆっくり進んでいく。15分かけて、ようやく小千谷に到着した。
 小千谷駅は小千谷市の玄関口である。小千谷市に第四銀行は2店舗あるが、この2店は昨年9月、つまり地震の前に現地を訪れて制覇してしまったので、今回は立ち寄らない。なお、堀之内と小千谷の中間にある川口町に第四はないし、小千谷からは長岡市まで第四の店舗は存在しない。新潟県中越地方は長岡市に本店を置く北越銀行という地方銀行の勢力範囲で、第四の店舗が比較的少ない。北越銀も第四と同様旧ナンバー銀行、つまり明治時代の旧国立銀行で、北越銀のナンバーは「69」であった。
 小千谷から若干スピードアップしたように感じた。窓から見える民家には屋根に青いビニールシートをかぶせたものが見えたり、また窓ガラスが割れたままになっている倉庫なども見え、地震の傷跡が癒えていないのがうかがわれる。私の記憶はこのあたりから再び不鮮明となり、目を覚ましたのは長岡到着のアナウンスが流れたときであった。

 なお、単線運転が続いていた上越線越後川口〜越後滝谷間は、2005年3月25日(金)、複線運転が復活した。しかし、徐行運転や間引き運転は当分続く。

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posted by 為栗 裕雅 at 00:58| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月28日

9日(水)F 中洲・ススキノ・ニューヨーク!?

 白と白緑色とに塗られた、南越後観光バスの路線バスがやって来た。「観光バス」という名前だが、れっきとした路線バスである。正面には「小千谷上ノ山」という方向幕を掲げている。
 小出の市街地を抜け、消防署の脇から国道17号に入る。消防署と言わずどこと言わず、少しでも雪の捨てられる場所には雪が積み上げてある。視界に入る積雪は多いところで3〜4mはあるだろうか。人の生活に使われない場所はすべて雪雪雪だが、国道沿いの雪は砂埃を巻き込んで黒く汚れている。魚野川の支流の破間川を渡ってしばらく進むと、バスは国道から外れて細い道に入った。細いといってもこれまで走ってきた国道と同じ片側1車線の道である。国道から外れたこの道が、17号の旧道であるようだ。旧道に入った途端に、車窓は一面に雪で覆われた世界から木造家屋が立ち並ぶ風景となった。
 旧道の途中のバス停に停車。発車してすぐ、前方に第四銀行のダークグリーンの看板が見えた。慌てて降車ボタンを押したが、第四銀の手前の交差点をそのまま左折してしまった。次の停留所は「堀之内駅角」であるという。バスは越後堀之内駅のコンクリート造りの駅舎を横目で見ながらさっき外れた国道に再び進入し、駅前交差点からすぐのバス停で停車した。やれやれ、せっかく第四の前を通ったのに、これからまた戻るんかい。
 堀之内支店のある旧堀之内町は、2004年11月に小出町などと合併して魚沼市の一部となった。魚沼市役所の施設は各町村の役場をそのまま使っているが、実質的な中心は旧小出町役場であるので、堀之内は何年か先には魚沼市に複数ある集落のうちの一つとなってしまうだろう。第四の堀之内支店も役割が低下するのではないだろうか。実は、昨年11月に統合となった佐渡島・旧真野町の真野支店は、佐渡にあった1市7町2村が合併して全島が「佐渡市」となったことにより、支店の役割が低下したための統合である。「平成の大合併」が進んでいくと、真野や堀之内のような「町の支店」は「新市の2番手以下の支店」に変わり、業績の低下が著しければ統合、あるいは出張所化が待っていることになる。もちろん営業店でなくなっても店舗外ATMぐらいは残るだろうが。
 そんなことを考えながら、堀之内駅前通りをもと来た方向に戻る。口ずさむ歌はもちろん「オレたちひょうきん族」の「タケちゃんマンの歌」である。以前横須賀市で働いていた頃、京急線堀ノ内駅近くの大型ディスカウント店「ダイクマ」に買い物に出かけた時、この歌を口ずさみながら歩いていたところ、たまたまその付近に住んでいた当時の上司に見つかってしまった。その上司には後で「何か、すごい楽しそうに歩いてましたよ」と言われた。
 「ひょうきん族」で思い出したのだが、ライブドアに買収攻勢をかけられて苦悩しているフジテレビジョンの日枝久会長は、編成局長時代に同番組の「懺悔」のコーナーで水をかぶっている。ネットの画像掲示板「画箱」にこの映像がUPされているのを見て笑ってしまったが、同時にメディアというもののこわさを(ニッポン放送の買収劇とは関係なしに)思った。いったんオンエアされたものは、どこでビデオ録画されているかわからず、何十年前のオンエアでも記憶にとどめている人が必ず一人や二人いるものなのである。どこの家にもVHSテープのライブラリーが埃をかぶっているはずだが、画像掲示板にビデオがUPされるのは、その中から目的の映像を探し出してくるという能動的な行為があってこそである。また、それをする人が実際にいるということだ。
 すっかり話がそれた。旧堀之内町のあたりはまだまだ豪雪地帯で、駅前の農協も1メートル近い厚さで雪を屋上に載せていた。といってもここは「人里」である。駅前の交差点にはセブンイレブンがあった。融雪パイプから出る鉄分を含んだ水のせいで、道路の舗装は茶色く染まっている。駅からゆるゆる歩いて5分くらいで第四銀行堀之内支店に到着。第四の支店には数人の客がいたが、あまり混み合っているというわけではなかった。というより、東京在住者の目からは明らかにすいていた。ポケットからキャッシュカードを出す。まさかと思っていた堀之内支店の制覇が終わった。
posted by 為栗 裕雅 at 15:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月27日

9日(水)E 小出、持ち時間14分

 12:29に塩沢を発車、小出に到着したのは13:01である。私の乗った電車は、小出駅の2番線に到着した。
 小出駅は、駅舎直結の1番線、上越線用の島式ホーム2・3番線、少し離れて只見線の島式ホーム4・5番線が平行に並んでいる。上越線ホームと只見線ホームの間には5メートルくらいの高さの雪の壁ができていて、視界を遮られている。少しでも使わないスペースは、雪捨て場として活用されるのである。
 跨線橋を渡って改札を出る。小出での持ち時間はかなり少ない。支店の場所は川を渡った旧市街、しかも、小出から堀之内に移動するのに最寄りのバス停が「本町」であると聞いているが、停留所がどこにあるのかは把握していないのである。バスの発車時刻は13:15だという。持ち時間14分は越後湯沢と同じだが、駅に戻る必要がない代わり、結構幅の広い川を渡らなければならない。バスに乗れなければタクシーを捕まえるつもりだが、もちろんそういうことはしたくない。果たして大丈夫なのだろうか。
 小出駅から市街地までの道は、リサーチしてある。駅の南側に、市街地の目抜き通りに通じる大きな橋がかかっている。小出橋という。駅舎を出て、左の方向に足を進める。同じ方向に進むおばちゃんもいるし、こちらが旧市街で間違いないであろう。
 小出駅が川をはさんで市街地の対岸にあるのは、市街地側に線路を敷けなかったためである。小出の市街地側に上越線を引こうとすると、魚野川を2回渡る必要がある。昔は(今でもある程度は当てはまるが)鉄橋をかけるのは大工事で、鉄橋がかけられないために全通しなかった鉄道路線というのが全国いたるところにあった。そんな、町から見ると対岸にある小出駅の周辺は、ある程度集落として開けてはきているものの、基本的には住宅地となっている。雪は今はやんでいる。どんよりと曇った空の下、住宅地の裏通りのような細い道を、小出橋に向かって歩いていく。数分歩くと、目指す小出橋は自分の道の頭上にあった。車の通る道が、さっきの住宅地では表通りにあたる場所、つまり線路から少し離れた場所を通っているからである。
 橋は頭上にかかっているが、私は全く焦っていない。こういう場合、だいたい橋につながる歩行者用の階段があることを知っているからだ。その階段はすぐに見つかった。雪国らしく、階段には屋根がついており、段の部分には直径5mmくらいの白い粒がばら撒かれている。融雪用の炭酸カルシウムであろう。
 階段を上がりきると橋の上面に出た。駅から途中まで同じ方向に歩いていたおばちゃんが、いつの間にか道の反対側、私の前方を歩いている。橋の手前に上越線をアンダーパスする地下道があり、そこを行くと例の階段より早く橋の上に上がれたようだ。畜生、金返せ。
 足元を流れる川は、信濃川の支流の魚野川である。湯沢町あたりを水源に上越線にほぼ並行して流れ、川口町で信濃川に注ぐ。河川敷を流れに沿って走る道は、そこの部分だけ除雪されて2mくらいの壁で両側を仕切られた溝のようになっている。川の水はこの冬場にもとうとうと流れている。橋の向こうには、いかにも商店街と思しき建物の塊がある。第四銀の小出支店は、あの塊の中、この橋の延長線上にあるはずだ。ここで時計代わりの携帯を見る。13:08。大丈夫だろうか。バスが出るのは13:15である。
 見つけた。前方に、第四銀のダークグリーンの看板が見えた。支店そのものは何の変哲もない。ATMには一人待ち客がいただけで、すぐに自分の番が来た。小出支店をあっという間に制覇。
 さあバスだ。支店を飛び出すとすぐ、目の前にバス停のポールがあった。時刻表の行き先を見ると「小千谷」行きのバスはない。ということは道路の反対側だ。市街地とはいえ田舎のこととて、交通量はほとんどない。道をそのまま横切って反対側のバス停へ。この時点で13:14ぐらいだった。
 ポールの時刻表を見た。「小千谷上ノ山」へ行くバスが、13:18とある。何じゃ。13:15ではなかったのか。どうやら、バスの始点である小出営業所を出るのが13:15ということであるらしかった。3分損した気がしたが、3分遅れて間に合わないより余程マシだ。
 というわけで、私はまさに「希望的観測」を実現に移し、今日のうちに堀之内支店まで制覇できてしまうことになったのである。
posted by 為栗 裕雅 at 02:27| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月26日

9日(水)D 静かな雪国の町・塩沢

 六日町での持ち時間は44分。制覇を済ませて駅に戻るには十分な時間である。駅に戻って、今度は上り電車を待つ。目的地は1駅越後湯沢寄りの塩沢。ここが、塩沢支店の最寄り駅となる。
 ホームで待っていると、ほくほく線の電車がやってきて、ほくほく線ホームに入った。ほどなく乗り換え客がゾロゾロと上越線上りホームに現れ、私の乗る上越線の上り電車はすぐにやって来た。このあたりの接続関係は絶妙である。六日町11:35発、4分の乗車で塩沢に到着した。
 小ぢんまりした駅舎を出ると、駅前には古びた木造の建築が並んでいた。商店だったり、元旅館だったりしている。屋根の上にはことごとく50cm程度の厚みで雪がこんもりと乗っかっている。駅前広場の使われていないスペースは、雪捨て場として5mくらいの高さの雪山ができていた。今年は19年ぶりとかの大雪で、先週まで降り続いていたらしい。
 商店街というにはあまりに人の気配がない。駅前通りには融雪パイプが敷設されており、鉄分を含んだ水を撒き散らすせいで、アスファルトは茶色に染まっている。駅前通りを東に5分も歩くと、新築されて間もないとみられる第四銀行塩沢支店があった。地方都市に行くと、さびれた商店街とは裏腹に銀行の支店だけはごった返していることが多いが、ここは郡部であるせいか銀行の支店も閑散としている。あっという間に終わったATMでの制覇作業の後、窓口で記帳もしてもらう。
 ぶらぶら歩いて塩沢駅に戻る。次の目的地は小出で、12:29の出発。まだ30分以上の余裕がある。
 第四銀と駅との間に「農協」の看板と「しんくみ」の看板が並んで出ている。「塩沢信用組合」の本店であるらしいが、なにやら工事の真っ最中である。これがなぜ「農協」なのか一瞬考えたが、どうやら農協だった建物を購入して改装工事をしているところらしい。調べていないが、農協も新築移転したのであろう。南魚沼郡塩沢町は2005年中にも南魚沼市と合併する予定なのだが、どういうわけか塩沢町の金融機関は建物の新築・改築ラッシュのようである。
 これまたどういうわけか、今日はやたらと腹が減る。駅前のパン屋に入った。パン屋というと都会の人はパティスリーなんちゃらとかいった店を思い出すかもしれないが、ここは新潟県の郡部である。置いているパンは主に工業生産品の菓子パンで、パンだけでなくカップラーメンからおにぎりからポテトチップスに至るまで、雑多な食料品を置いている店である。
 店に入ると、老女が一人で店番をしていた。棚から商品を選んでいると、気さくに話し掛けてくれる。田舎のこうした店では、下手をすると賞味期限の切れたパンを平気で売っていたりするものだが、この店は賞味期限は厳重にチェックして、期限切れの商品は半額コーナーに置いている。誠実な商売をしている店のようだ。老女は家賃負担なしで年金生活であるから1日5000円程度の売り上げでも店がやっていけるのだそうだ。1日5000円の売り上げのために日がな一日店番をしていることなど、最近の若い者には耐えられないだろうと思う。「クールヤマザキ」のおにぎりだけにしておくつもりが、クリームパンを1個追加してしまった。
 駅の待合室で、菓子パンとおにぎりを食べる。待合室には青いプラスチックのついた椅子と、キヨスクの売店をつぶして置かれた自動販売機。石油ストーブが置かれているのが雪国らしい。駅の改札横には目安箱のようなものがあって、乗客からの意見を吸い上げるようになっているが、読んでいるともの悲しい思いにとらわれる。たとえば「ストーブを一日中つけて欲しい」という投書には「駅員のいない時間には防火上つけられません」、「売店を営業して欲しい」には「採算が取れないので再開の予定はありません」。目安箱を置くだけ無駄のような気もするが、それでもやはり意見を吸い上げようという意欲があるだけ救いがあるのだろう。さっきのパン屋が駅の中で営業したら、とか余計なことを一瞬考えた。
 腹が膨れると眠気が襲ってくるのは、動物的本能にきわめて忠実であると言えよう。小出行きの電車に乗り込んでボックスを1つ確保した私の記憶は、以後小出到着まで途切れる。
posted by 為栗 裕雅 at 01:57| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

9日(水)C 六日町支店を制覇

 快速の最初の停車駅・六日町は、1997年のほくほく線開業に伴い、エレベータのついた橋上駅舎に改築された。JRの長大なホームの横に、短いほくほく線専用のホームが新設されている。私を越後湯沢から乗せてきたほくほく線直通快速は、その短い専用ホームに横付けしてドアを開けた。鉄道だから横付けするのが当たり前、というツッコミはしないように。
 六日町は、昨年11月1日に2町の合併により市制施行したばかりの南魚沼市の中心部で、市役所もここにある。合併前には南魚沼郡六日町といった。合併相手は同郡大和町で、旧大和町は新幹線の発着する浦佐駅を擁する。
 建物もロータリーも、何もかもが新しい。数年経っているから開業当初の新しさはないが、「祝南魚沼市」の横断幕が目をひく。
 第四銀行六日町支店は、駅前通りを東に向かい、直交する国道291号線に折れてすぐ南側にある。このことは事前のリサーチでわかっている。人の気配のない駅前商店街を東に向かって歩く。雪国だけにアーケードはちゃんと整備されている。雪は小降りになったようだが、それでもまだ降ったり止んだりを繰り返しているので、屋根があるのはありがたい。並ぶ店舗はシャッターを下ろしたものが多い。コミュニティFM局があって、ガラスの向こうで生放送をしているようだ。やがて、291号線の前に駅前通りと直交する国道17号との交差点の先でアーケードは途切れた。何やら大掛かりな工事をしている。
 工事現場の先の信号が、目指す291号線らしい。信号で曲がるとすぐ、第四銀行のダークグリーンの袖看板が見えた。
 店内に入る。4台並ぶATMの前には、思いのほか行列ができていた。1台は点検中だったので実質3台と同じだが、それにしても今日は9日の水曜日。ごとう日でも週末でもないはずなのに、一体どうしたことだろうか。と思っていたら、ようやく私の番が来た。機械を操作して六日町支店を制覇。時刻は11時を回ったところである。
posted by 為栗 裕雅 at 01:51| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月25日

9日(水)B 予定より1本早い電車に

 ようやく制覇作業が終わった。ショルダーバッグを肩にかついで駅に急ぐ。前年に腕時計を紛失して以来、私はもっぱら携帯電話の画面で時計の用を済ませている。二つ折りになっている携帯電話をパチッと開いて時刻を見る余裕は、こういう急いでいるタイミングでは存在しない。とにかく、降り出した雪を横目で見つつ、屋根のついた通路の下を駅に向かって急ぐ。
 改札を入る瞬間、アナウンスが聞こえた。「0番線から、ほくほく線直通の快速直江津行きが発車します」
 何だって、ほくほく線の快速!? 私はほとんど条件反射で、長岡行きの2番線より手前にある0番線の階段を駆け下りた。ホームには紅白ツートンカラー(に見えた)電車が停まり、ドアを開けて私を待っている。飛び乗った。空いた席に荷物を置くと同時に入口のドアが閉まり、VVVF駆動独特の電子音を立てながら電車が動き出した。
 私が乗った車両は、ロマンスシート(転換クロスシート)のついた北越急行のイベント用の車両であった。北越急行ほくほく線は、本日第3の目的地である六日町から分岐し、十日町市を経て上越市に至る第三セクターの私鉄である。私鉄だが、JRの北陸方面への短絡線として開業した路線であるので、金沢方面からJR西日本の特急が越後湯沢まで乗り入れてくる。ついでに、線内の普通列車の一部も上越線内を快速扱いにして越後湯沢まで入ってくる。
 何が何だかわからぬまま、「希望的観測」としていたプランよりさらに余裕を持って制覇活動が始まった。持参した時刻表を出して再検討する。この列車は、越後湯沢10:36発のほくほく線直通・直江津行き。今回のプランを立てる時、長岡行きが越後湯沢に10:26に到着、その10分後の10:36に快速が出るのは一応視界に入っていた。しかしそれははなから考慮の外にあった。当たり前だ。持ち時間14分で乗ってきた列車に戻るのですら時間不足に感じていたのだ。ましてやさらにその4分前に出る列車に乗れるとは夢にも思っていない。そして「希望的観測」プランすら、実現性はほとんどないと思っていた。
 ひょっとすると、今日のうちに堀之内支店まで取ってしまえるかもしれない。この車内で修正したプランは、次のようになった。

  越後湯沢10:36→10:51六日町11:35→11:39塩沢12:29→13:01小出(小出支店)
  小出本町13:15(バス)→13:30堀之内駅角(堀之内支店)
  越後堀之内15:11→16:15長岡

 今乗っている列車は、「本来のプラン」で越後湯沢を11:42に出る列車と同様、越後湯沢を発車すると六日町まで突っ走り、塩沢支店制覇のためには1駅戻らなければならない。
 この計画で最も無理があるのは、小出支店の制覇だろう。小出支店は湯沢支店とは異なり、駅から魚野川(信濃川の支流)をはさんだ旧市街にある。バスが旧市街から出るとはいえ、15分弱の持ち時間で果たして制覇を終えることができるのだろうか。しかしその代わり、小出から堀之内までの距離はさほど遠くない。万が一バスに乗れなかったらタクシーをつかまえることにしようと覚悟を決めた。
posted by 為栗 裕雅 at 12:41| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

9日(水)A いよいよ越後湯沢へ

 電車は、岩原スキー場前駅を発車した。あと数分で、今日の第一目的地・越後湯沢である。
 いちおう計画では、越後湯沢での持ち時間が1時間強あることになっている。しかし、順調な第四銀めぐのためには、私は14分の停車時間中に湯沢支店の制覇作業を済ませ、また電車に戻ってこなければならない。「希望的観測プラン」というやつである。
 普段持ち歩いているソフトアタッシュケースと、旅行用のショルダーバッグとを同時に持ち、ドアが開くと同時に飛び出せるようドア口で構える。電車に荷物を置いたままにはできない。14分で戻って来れなかったら、そのまま発車されてしまう。
 電車が停車した。プシューッ、と空気の抜ける音がして、ドアが開…かない。冬期、車内の保温のため、ドアは「半自動」といってロックだけはずれるのである。正確には圧縮空気で押し付けているドア装置の空気を抜くのであるが、ともあれ、電車を降りるためには、空気が抜けきったところで手で開けることになる。「カチャッ」と音がして両開きのドアに1cmほどの隙間ができた瞬間から、さほどの力をかけずドアを手で開けられる。がらがらと戸を押し開け、ホームに飛び降りる(誇張でなくホームの高さがかなり低いのだ)。
 さあ、私は14分で湯沢支店まで行って帰ってこれるだろうか。もちろん、湯沢支店の場所は事前にネットで調べてある。駅の東側、ロータリーから国道に向かう取り付け道路の付け根のところにあるはずで、これは駅から「メチャ近い」部類に入る。
 越後湯沢駅の改札は2階である。ホームに飛び降りた私は、階段を駆け上がって改札へ急ぐ。何ということだ。越後湯沢駅の改札は、新幹線ホームに寄った1か所のみ、ということは越後湯沢駅の西口側にあたる場所である。つまり、東口寄りの2番線に着いた私は、跨線橋を端から端まで走り、改札を出たらもう1回コンコースを端から端まで走らなければならないことになる。おいおい昔はもっと東口に寄った場所に改札があっただろう、と走りながら思ったが、やはり使われていない改札のブースが東口寄りの部分にあって、物置のようになっている。うひょっ、間に合うかな。考えるまでもなく駅舎の階段を駆け下りると、駅のロータリーに出た。ロータリーのそこかしこに除雪した雪が積み上げてあるのが見える。雪の降り方はさっきより激しくなった感じである。時計の代わりにしている携帯電話の画面を見る。10:30。持ち時間あと10分。
 湯沢支店の制覇はすぐに済んだ。駅前通りの商店街の中に、緑と水色のカラーシートをガラスに貼り付けた第四銀行の店舗があった。大急ぎで入金−出金の1サイクルを済ませる。このプロセスはりそな銀行めぐりの時と一緒であるが、第四のこの支店では日立製の旧型ATMで、レシートがドットプリンタで印字されるため時間がかかる。レシートを印字しない取引もできるのだが、私は買い物という買い物で必ずレシートをもらってくる人間であるのでその選択肢はない。
posted by 為栗 裕雅 at 00:47| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月23日

9日(水)@ 真っ赤な杉林を横目で見つつ

 さて、当日の朝。
 出がけに多少ぐずぐずしてしまい、予定を多少オーバーして自宅を出発。でも心配は要らない。高崎線へのアプローチを上野にしてあるのは始発でゆっくり座っていこうという考えからで、上野を回らず埼京線で赤羽に直行してしまえば、少々の遅れは吸収できる。駅前のコンビニで弁当を買い、近くのベンチで手早く朝食。店員が割り箸を入れ忘れたので少々焦る。新宿到着が10分ほど遅くなったが、これは赤羽に直行することでカバーする。この時間の埼京線は池袋始発で、乗り換えの回数が1回増えるのが口惜しい。そうこう言いつつも、赤羽では10分ほどの待ち時間で予定していた高崎線の高崎行き普通列車に乗り込むことができた。高崎線は私の実家のある群馬県前橋市までのメイン交通機関であり、小学生以後何度となく乗った路線であるので、勝手は知り尽くしている。知り尽くしているはいいが、JR東日本が最近大量に増備している「E231系」と呼ばれる新型電車は、座席が長椅子の通勤型車両なのでいまひとつ面白くない。
 高崎には08:13到着。メイン跨線橋に駅弁のスタンドが出ているのも昔と変わらない。出がけにコンビニ弁当で軽く朝食を済ませたが、改めてここで弁当を買う。鶏肉の好きな私の定番、とりめし弁当。これを買って、上越線の人となる。高崎の発車は08:24。これが水上には09:28に到着し、22分の待ち時間をもって09:50発の長岡行きに接続する、という段取りである。
 弁当とお茶を買って、3両編成の電車に乗り込む。旧国鉄時代に製造された「115系」と呼ばれる電車で、オレンジと緑の塗り分けも内装の薄緑色もボックスシートも国鉄時代と変わっていない。座席の表面の布(モケットという)だけが少々変わって、クリーム色と紺の細かい模様のついた柄物になっていた。ボックスシート(鉄道趣味の用語ではクロスシート)に席を取ると、天気もいいことだしすっかり旅の気分である。それは、車窓の風景が見慣れたものであっても変わらない。上越線の高崎から前橋市に至る部分は、10代から20代にかけて毎日のように乗っていた区間である。もっとも、群馬県が居住地でなくなって10年以上経ち、過去見慣れた風景も新鮮な風景と化しているようだ。
 新前橋を発車して列車は大きく左にカーブし、ここから長い坂道を登り始めるのが乗っていても感じられる。群馬県で小学生に地理的な知識を啓発するため終戦後作られた「上毛かるた」に「裾野は長き赤城山」と謳われた赤城山が、右の車窓に雄大な姿を見せている。関東平野の一番端に突然そそり立っているという感じである。
 赤城山が見えなくなり、渋川駅を出て吾妻線を分岐すると、線路は途端に山に分け入る。いよいよ新潟県に向かうのである。車窓からはごくごく一部に残雪が見える程度で、太陽がさんさんと照っている。花粉の準備をすっかり整えた杉林が、真っ赤に染まって風が吹くのを待っている。「真っ赤な林」といっても、秋の紅葉と違い、春の杉林の場合は杉花粉症にかかっていない私が見ても目が痒くなってきそうな気がする。特に今年は「過去最大の飛散量」だそうで、花粉症の人にとっては花粉の飛散の仕方がとりわけ悲惨であるようだ。
 車窓から見える雪が少しずつ増え始め、前方に雪をかぶった山々が高い高い壁のように立ちはだかった頃、電車はようやく水上駅の1番ホームに滑り込んだ。群馬県は水上駅の2つ先・土合駅までだが、JRは水上から先が新潟支社の管轄だから、水上から実質的に新潟県というわけである。
 長岡行きの電車に乗り換える。車両は115系で同じだが、ここからは新潟支社の車両となり、6両編成、かつ車体の色が変わる。高崎支社の115系は伝統的な「湘南色」(オレンジと緑)だが、新潟支社は独自のカラーとなる。一昔前まではアイボリーの車体に緑と茶色の線の入ったものだったが、最近になって白と水色のツートンカラーに塗り替えられつつある。今日乗る電車は、6両編成のうち半分が白と緑、もう半分が白と水色であった。ちょうど塗り替えの過渡期に当たっているようである。
 自分の席を確保してしまうと何もすることがない。ホームに出ていると、やはりさすが雪国が近いせいか、少し肌寒い感じがする。ホームから車内に戻ると、まだ発車前なのだが早くも車掌が検札にやって来た。峠越えの部分が関所の役割を担うのは江戸時代から一緒である。
 09: 50、発車。電車は、前方に立ちはだかった高い壁に向かって突き進んでゆき、すぐにトンネルに入る。このトンネルが「ループ式トンネル」として有名な清水トンネルで、高度を稼ぐために螺旋を描くようにぐるりと回転して掘られている。そのトンネルの途中に、湯檜曽・土合の2つの駅がある。土合駅は谷川岳への登山口として有名な駅で、改札(といっても今は無人駅らしいが)とホームとの間に長大な階段があり、改札を入ってから列車に乗るまでに10分もかかることで知られる。
 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。これは有名な川端康成の「雪国」の書き出しであるが、今回まさにそのまんまであった。トンネルを出ると、そこは雪国だったのである。群馬県側であれだけ晴れていた空は、トンネルを抜けて新潟県側に抜けた途端に一面の灰色になってしまった。しかも、そんなに激しい降り方ではないとは言え、雪が降っている。降雪は旅情を味わう点ではいいかもしれないが、めぐラーとしては困りものである。果たして今日は上越線沿線の第四銀めぐりが順調に進むのであろうか。

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posted by 為栗 裕雅 at 09:33| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月22日

9日(水)以前A プランニングが早くも混乱

 塩沢駅の時刻をJR東日本のwebサイトでチェックしていて、妙なことに気づいた。この駅を出る下りの普通列車が、軒並み「小出行き」となっているのだ。これはおかしい。小出(魚沼市)は只見線が分岐するものの、上越線としてはあくまで途中の駅であり、こんなところで列車の運転を打ち切られては困ってしまう。慌ててサイトのトップページを見る。夜行列車が運休になっているのがわかりきっていたので敢えて見なかった「上越線・飯山線をご利用のお客様へ」のコーナーで、「3月1日からの上越線各駅時刻表」というPDFファイルを見る。驚愕すべき事実が判明した。
 新潟中越地震の影響で、上越線は長岡−小出間が間引き運転となっており、しかもそれは現在も継続中なのだ!
 私が水上から乗ってきて塩沢で降りてしまう(予定の)長岡行きの電車が、小出を11:24に出る。その次の小出発長岡方面は15:07までない! つまり、途中での待ち時間が劇的に増加することになり、当初の予定に忠実に5支店全部を制覇すると、長岡に着くのは夜の7時過ぎになってしまうのである。
 小出までの4支店は何とか取れても、困るのは間引き運転区間にある堀之内支店である。地図を見ると、小出から越後堀之内までは比較的距離が短く、約2.5km。歩いて行けないことはないか、いや、旅行の大荷物を抱えて山間部の2.5kmではへばってしまう、等いろいろなことを考える。
 バスはどうだろうか。時刻表を見たが載っていないので、小出駅のある魚沼市の市役所に電話をかけてバス路線の状況を聞いてみた。魚沼市は2004年11月に6町村の合併で誕生した市で、旧小出町役場が新市の市役所となっている。電話に出た市職員によると、このあたりのバスは越後交通が運行しているということで、長岡市にある本社の電話番号を教えてくれた。そこにかけると、小出近辺の路線バスは、越後交通本体ではなく子会社の「南越後観光バス」という会社が運行しているという。越後交通本社で教えられた番号にかけてみると、そこは会社としては南越後観光なのだが、小出とは遠くはなれた津南(津南町)の営業所であるということで、小出営業所の番号を教えてもらってようやく目的を達することができた。小出の町の中心部から、堀之内を経由して小千谷市まで行くバスがあるという。第四銀小出支店の最寄り停留所は「本町」、そこから「堀之内駅角」までおよそ15分、運賃は190円。プラン上有効と思われるバスの時刻は、13:15・14:55・16:45の3本であるようだ。次に、塩沢駅近くを走るバスの動向を塩沢町役場に電話して尋ね、南越後観光六日町営業所の番号を教えてもらう。こちらの営業所では、越後湯沢駅〜六日町駅間の時刻表をすぐにFAX送信してくれた。これで、必要な情報が揃った。
 早速再検討した結果、今回の新潟行きは以下のような行程で計画を立てた。堀之内支店はとりあえず往路ではあきらめ、帰りに制覇することにした。往路の目的地が1か所減り、一方で小出での待ち時間はふんだんにあるため、せわしない「14分制覇」をやめて越後湯沢での時間を1時間増やした。出発は3月9日(水)と決めた。

 3月9日(水)
  新宿05:57→06:21上野06:30→08:13高崎08:24→09:28水上09:50→10:26越後湯沢(湯沢支店)
  越後湯沢11:42→11:58六日町(六日町支店)
  六日町12:38→12:42塩沢(塩沢支店)
  塩沢13:28→13:53小出(小出支店)
  小出15:07→16:15長岡(長岡市内の第四銀未制覇3支店、ミスタードーナツ1店:できるところまで)
  長岡20:05→21:21新潟(新潟市内で宿泊)

 場所的に長岡寄りの六日町が塩沢より先になっているのは、越後湯沢11:42発の電車が快速列車で、塩沢駅を通過してしまうためである。
 堀之内支店は、もちろん往路で制覇できるに越したことはないので、「希望的観測プラン」もあわせて準備しておいた。越後湯沢を当初の「14分」の持ち時間で制覇した後の計画である。

  越後湯沢10:40→10:58塩沢11:04(バス)→11:13六日町12:41→13:01小出13:15(バス)→13:30頃越後堀之内15:11→16:15長岡
posted by 為栗 裕雅 at 11:31| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

9日(水)以前@ 前口上〜今回の旅の目的は?〜

2005年3月9日(水)

 今日から3泊4日で新潟旅行に出発である。
 それまで関わってきた本の仕事が一段落、加えて毎度おなじみ「青春18きっぷ」がオンシーズンに入り、松尾芭蕉ではないが「漂泊の思いやまず」といった心境になったのである。
 この春は特に、銀行めぐりに関して押さえておきたい場所が二つあった。一つは、この週末一杯で新潟・第四銀行の有人出張所「日和ヶ丘」が統合になる。第四銀では昨年11月にも一つ支店が統合になっており、多忙のため押さえることができなかった。ちょうど今はスケジュールに余裕があるし、新潟に行くからには佐渡島にも一度行ってみたかったのである。もう一つは、岐阜市を中心に張り巡らされているひなびたローカル電車の路線網が、3月一杯で全廃される。路線名でいうと名鉄の美濃町線・揖斐線・岐阜市内線・田神線。名鉄の「600ボルト区間」と呼ばれるエリアである。私は鉄道の乗りつぶしも趣味の一つであるが、名鉄600ボルト区間は以前に全線乗ってしまっている。しかし、このエリアは沿線風景の味わいが格別で、この電車を使って大垣共立銀行めぐりをするのが長年のささやかな希望(「夢」というにはあまりに些細な)であった。美濃町線の車窓から大共の支店を見かけた記憶がある。
 岐阜に関しては後日また考えることにして、先行して計画したのは、3月11日(金)を最終営業日として統合になる第四銀行日和ヶ丘出張所の制覇である。せっかく行くのだから最終営業日を取りたい。佐渡に行く目的はもちろん「行ってみたかった」ということだが、第四銀行めぐりの観点からは、制覇目標となる支店が5店もあることから絶対にはずせない。加えて、佐渡の旧佐和田町には、佐渡島唯一となるミスタードーナツまである。めぐラーとしてはこれらを全部取るつもりで、両者をからめて計画を進めることにした。時刻表を繰っての具体的な計画は、7日(月)に立てた。
 「青春18きっぷ」といえば、新潟方面に行くにはお決まりの列車がある。新宿を23 時09分に出る新潟行きの夜行快速「ムーンライトえちご」。この列車は新潟に朝4時51分に到着し、6時の佐渡・両津行きフェリーに接続している。新潟駅から佐渡汽船の乗り場までは、ちょっと遠いが30分もあれば歩いていける(早朝なのでバスはない)。ただし、この列車は昨年秋の「新潟中越地震」の影響で運休となっている。JR東日本のwebサイトを見てみると、「ムーンライトえちご」ほか上越線の夜行列車は軒並み運休となったままである。2月にやはりJRの夜行快速である「ムーンライトながら」(東海道線)に乗った経験から、JRの夜行快速が最近乗車率を急激に落としている現実は知っていたので、赤字の列車の運転を地震を口実にやめてしまったのだと思った。そうかといって、やはり2月に乗った激安チャーターバスも新潟方面には運転されていないようだし、通常の夜行バスではコストパフォーマンスが悪い。ということは新幹線などはなおさら選択肢の外である。というわけで、在来線の普通列車をシコシコと乗り継いで新潟まで行くことになった。そうなると、未制覇となっている上越線沿線の5か所の支店も今回のターゲットとなった。
 次に、在来線の時刻を調べる。手持ちの時刻表は3月のダイヤ改正前の古いものだが、ローカル線の時刻はそうそうドラスチックに変わることもあるまいと、使い慣れた紙の時刻表でプランを立てる。かくして、東京都内を朝出発し、上越線沿線の5か所の支店を回って、長岡に夕方4時前に着くプランが出来上がった。水上(群馬県)から先、清水トンネルを抜けて新潟県に向かう列車が1日5本しかないので、都内から行くことと移動目的が銀行めぐりであることとを考えると、必然的に水上09:50発に乗ることになる。これに合わせて高崎線・上越線の時刻が決まってくる。上越線沿いの目的地は越後湯沢(湯沢支店)・塩沢(塩沢支店)・六日町(六日町支店)・小出(小出支店)・越後堀之内(堀之内支店)である。
 あとは、JRのwebサイトで、個々の最新の時刻をチェックすればよい。水上09:50発の長岡行きは3月のダイヤ改正でも変わっていない。この電車は越後湯沢に10:26に着き、14分と比較的長い時間停車する。この停車時間を利用して越後湯沢駅前にあるはずの湯沢支店を制覇し、塩沢に向かう。その後は後続の列車を使って六日町・小出・堀之内と制覇し、さらに長岡市内でも第四銀めぐりを楽しんだ後、新潟へ移動して宿泊、という手はずであった。のだが。
posted by 為栗 裕雅 at 11:28| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「第四めぐ」連載について

【おことわり】この記事は、2005年04月25日付でブログ「遊牧民のゴタク」に掲載した連載の告知です。第四銀行めぐり関係の記事を「遊牧民のゴタク」から「MEGU」に移すにあたり、「告知板」カテゴリに掲げます。(2008.09.15記)

 去る3月9〜12日、新潟に「失踪」してきました。「2005年3月第四めぐ」のカテゴリでは、新潟で実施した「第四銀行めぐり」の体験記をご紹介しています。(「第四銀めぐり」の概要についてはこちら
 ちょっと超大作になり過ぎまして、4日間で180枚(400字詰め原稿用紙換算)を超えてしまいました。ブログの記事としては重たすぎるかな、という反省もありますが、とりあえず完結するまで続けます(4月7日の分もあるんだけど、どうしよう…)。
 何だか今のままでは、本業が「第四銀めぐラー」みたいですね。

 私の得意とする文章の一つは、こうしたスタイルの紀行文です。同様のスタイルで「あさめぐ」について書き留めた草稿が、2000枚以上手許にあります。関心がおありの出版社関係の方はいらっしゃらないでしょうか?

  「第四めぐ」連載のお知らせ(2005.03.22)
2005年3月9日(水)
  前口上〜今回の旅の目的は?〜
  プランニングが早くも混乱
  真っ赤な杉林を横目で見つつ
  いよいよ越後湯沢へ
  予定より1本早い電車に
  六日町支店を制覇
  静かな雪国の町・塩沢
  小出、持ち時間14分
  中洲・ススキノ・ニューヨーク!?
  余震は続き、傷跡いまだ癒えず
  長岡到着、さてどうするか
  政治・経済イン長岡
  よい子はそろそろ…
2005年3月10日(木)
  佐渡へ佐渡へと草木も眠る…??
  水鳥が飛ぶ両津の港から
  佐渡市役所のおひざもと
  「ファスト風土化」した旧佐和田町
  佐渡島をさらに南へ進む
  悲恋の物語と拉致事件と
  金山の町・相川から帰途へ
2005年3月11日(金)
  ついに寝過ごした3日目の朝
  この付近の地形は「浜堤」といいます
  哀愁の昼休み
  勉強しまっせ…??
  「赤塚」念頭で動き出す
  三途の川に向かうバス?
  ラムサール指定湿地のほとりで
  新潟の西の中心・内野へ
  信濃川を越えて新潟県庁へ
  市街地南の第四銀ストリート
  シャイなハートで駆け昇る
  沼垂支店をぬったりと
2005年3月12日(土)
  やっぱり寝坊した新潟最後の朝
  新旧混在した亀田の町
  地方都市としての新津
  鉄道の町としての新津
  落ち穂拾い、そしてさらば新潟県
2005年3月16日(水)
  東京支店を制覇
posted by 為栗 裕雅 at 00:00| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 告知板 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ一覧(過去の連載など)
大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇(62)
単発(12)
告知板(24)
銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇(29)
りそめぐ2013梅雨 大阪市営バス“最長”路線[93]を行く(43)
りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇(51)
りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇(35)
りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇(8)
りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた(18)
りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動/銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇(20)
りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー(11)
りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ(47)
りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇(51)
りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
りそめぐ2007秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる(35)
2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)