2005年04月30日

エピローグ 東京支店を制覇

2005年3月16日(水)

 4日間の「エピローグ」に相当するものとして、東京支店を制覇してきた。
 第四銀行めぐりの醍醐味は、取引を実施した店名が通帳に全部記帳されるところにある。同様のサービスを行っている銀行は、りそな・埼玉りそな、大垣共立など他にもあるが、これらの銀行はすべて、通帳記帳をATMでしても窓口でしても変わらない。ところが、第四銀行のシステムは少し変わっていて、取引店名の記録は漢字で記帳される場合と半角カナで記帳される場合とあるのだ。めぐラーとしてはもちろん前者を望むわけだが、この場合、窓口の営業時間中に窓口で記帳を依頼しなければならない。ATMで記帳すると、店名は全部半角カナ文字になってしまう。私は東京都内在住なので、窓口を利用するには都内ないし近県の支店に行かなければならない。
 新潟市に本店を置く第四銀行は、現在関東地方に東京・池袋・横浜・大宮の4支店を構えている。「12日篇」の最後で、これまでの第四銀めぐの成果を整理してみたのをご記憶だろうか。そこで私は「JR上越線沿線の全店、長岡市内の全店、佐渡島内の全店、旧新潟市の越後線全店、それに新新潟市の信越線沿線の一部を制覇した」と書いた。この中に「新潟県外の全店」が含まれていないのはなぜだろうか。理由は簡単、まだ全店制覇していないからである。札幌だの富山だの「関東地方以外の県外店全店」を制覇した東京都内在住の私は、東京支店をまだ制覇していないのだ(池袋は行った)。
 これではムムムというわけで、窓口での記帳を兼ね、日本橋にある東京支店の制覇を行ってきた。

 地下鉄銀座線で三越前へ。地上に上がると、国の重要文化財・三井本館と重厚な三越本店とが前方に並んで鎮座している。今歩いている中央通りは国道4号線で、国道の指定区間はほんの数百m南側の「道路元標」を起点に始まっている。道路元標は日本橋、つまり江戸幕府開幕の頃に日本橋川に架けられた橋の真ん中にあって、日本の国道の原点となっている。第四の東京支店に入ったことは一度もないが、中央通りの南端、三越新館の向かい側にあるのは知っていた。よって、道路元標のある「日本橋」の方向に、左に向かって歩き出す。
 日本橋らしく、海苔や鰹節を扱っている乾物屋の看板が目に付く。また、この付近には地方銀行の東京支店も多い。今出てきた「A9」の出口そばには地図によると東北銀行(本店盛岡市)の東京支店があることになっているし(移転済み)、A9出口の隣りは千葉銀行の東京営業部である。「営業部」と偉そうな名前になっているが、逆に普通の支店と比べると機能(おもに個人客向け)が絞られているそうで、法人取引が多いため本部直轄の店舗として「営業部」という名前になっているという。東京支店にあたる店が千葉銀と同様「東京営業部」である八十二銀行は、英文呼称を「Tokyo branch」ではなく「Tokyo main office」としている。
 お昼を過ぎているが、人通りは多い。人混みの中を歩いていくと、新築間もないビルの1階に「日本橋・にいがた館」というのがあった。純白の内外装がいかにも新しい。ここが目指す「だいし東京ビル」である。第四銀の東京支店は昨年7月に新築したばかりで、自社ビルであるのだが自分の店舗と事務所はビルの3階以上に上げてしまった。黙っていても客の来る銀行は空中店舗にしておき、1・2階を新潟県に貸して賃貸料でガッポリ稼ごうというわけである。県はここを県内企業の首都圏での基地として展示ホールおよびレンタルオフィスにしており、それが「日本橋・にいがた館」なのだ。なお、近所には島根県がアンテナショップを出している。
 ビルの上層階にある銀行店舗のことを「空中店舗」という。地方銀行の東京支店は法人取引が主体のため、ATMを廃止して(廃止しない場合もあるが)ビルの上層階に移転してしまうケースがバブル崩壊以降相次いでいる。現在、新潟3行の東京支店は、すべて空中店舗である。
 さて、「日本橋・にいがた館」の脇にあるエントランスから、エレベータで3階に上がる。第四銀行東京支店のあるフロアには、ごく普通のオフィスと同じような感じのドアがあり、そのドアの横にマンションの管理人室の受付のような小さな窓がついている。「受付のような」と書いたが、実際に「受付」のプレートが出ている。客はインターホンで中の行員を呼び出し、対応してもらうというスタイルである。
 第四の東京支店は、どうも窓口のシステムがうまく機能していないように見える。一言で言って、客の数が多すぎるのである。次から次へと客がやってきて、インターホンで呼び出すまでもなく行員は事実上窓口に出づっぱりで、はっきり言うと下手な県内店舗よりよっぽど混雑している。窓口で受け付けた用事を後方の行員に回すのもふつうの営業店と変わらず、奥で作業が一つ片付くごとに作業をした行員がドアを開けて中から出てきて、客に書類や現金などを渡している。ドアは押しボタン式番号鍵のついた本格的な鉄扉だからいちいち面倒くさいだろうし、後方の作業スペースから客の待つ場所(通常の営業店ならロビーに相当する場所)は見えないから、ブツを違う人(同じ苗字の別人など)に渡してしまったりするケースもあるかもしれない。客が滅多に来なければそれで良いかもしれないが、日本橋の一等地にある新潟県のトップバンクがこれでは困るのではないだろうか。空中店舗にするのはいいが、素直にオープンカウンターに改装してATMも設置すべきだろう(この後に行った北越銀の東京支店は、ATMこそないもののオープンカウンターになっていた)。
 というわけで、私の用事は、前の客が行員との話を終えるのを待ってからとなった。もちろんインターホンで通話する必要はない。私の用事は、現金の引き出しである。先週金曜日の夕方以降、第四銀めぐでは制覇のための取引を全て「入金」で行っている。南新潟支店以降の制覇箇所数×2000円だから、結構な金額である。入金した現金を引き出さないと、手持ちの流動性資金が(カッコつけずに言うと生活費が)足りなくなってしまうのである。
 東京支店にATMはないが、行員に尋ねてみたところ、出金伝票とともにキャッシュカードを出し、暗証番号を行員に伝達すると、出金の処理をしてくれるという。ずいぶん前に、やはり空中店舗だった足利銀行の仙台支店(現存せず)で同様の処理をしてもらったことがある。数分の後、行員が現金とキャッシュカードをトレイに乗せて持ってきた。とりあえず「取引」という意味では、東京支店をこれで制覇したことになる。
 客は相変わらず切れ目なく支店を訪れている。窓口に出ている行員がさっきと違う人であるのを確認してから、今度は通帳を差し出して記帳を依頼した。数分の後、「東京支店」で終わる大量の記帳を済ませた通帳が、行員から手渡されたのであった。

[3月16日篇 おわり]
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2005年04月29日

12日(土)D 落ち穂拾い、そしてさらば新潟県

 原信敷地内の回転寿司屋で昼食、そのあとドーナツ屋でコーヒーブレイク。もちろんドーナツ店の制覇も兼ねている。入った寿司屋が最悪で、大荷物を抱えた私を一番奥の席に案内するし、回っている寿司の一部は乾いているし、1皿の最低価格は120円だし(もっと安い店を渋谷で知っている)、ネタもいまいちだし、おまけに私は7皿しか食べていないのに、伝票には「17皿」と書いてあったのである(さすがに直させたが)。せっかく高い寿司を食べたのだから、十分に疲労回復をするつもりだったのだが、かえって疲労困憊してしまった。腹立ちついでに。この店は「日本海側第1位」を標榜していた(何についての1位かは忘却)。私が退職した塾も「■■県生徒数1位」と自慢していたから、まあ「1位」を標榜するような店や会社にロクなものはないということなのだろう。
 さて、現在時刻は14時少し前。予定では新津を14:34に出ることになっている。復路は往路より短時間でケリがつくとはいえ、そろそろ出ないとやばいだろう。
 ミスドの女子高生バイトに駅までの最短コースを尋ね、いざ出発。さっきJRの工場づたいに歩いてきた道は、やけに立派な歩道がついていると思ったら、暗渠(流れている川に蓋をしたもの)であるようだ。あとで電車の窓から別の場所を見て気づいたのだが、どうも新津市では川という川に蓋をしてしまっているようである。
 JRの工場を通り過ぎ、さっきの大光銀行と自動車教習所の角までやってきた。ここで右に曲がると旧市街、つまりさっき通ってきた道である。今度は駅に直行だから、直進する。この教習所は「新津城」の跡地に作られたものだそうだ。新津城は山谷城ともいい、江戸時代になる前に廃城になったと立て看板にあった。
 車教の敷地の切れ目から、斜め右前方に細い道が延びている。やはり川に蓋をしたもののようである。この道が駅までの最短コースであるらしい。このあたりは、昭和40年代に開発が進んだと見られる住宅地である。ところどころで雪を積み固めて放置してある遊歩道のような道を進んでいくと、前方がぽっかり開け、いかにも橋上駅舎といった感じの建物が見えた。もちろん新津駅であった。

 信越本線は信濃と越後とを結ぶ線ということだが、もともとは群馬県の高崎から碓氷峠を越えて長野から直江津へ、さらに長岡から新潟まで延びてくる路線であった。長野新幹線の開業により、JR在来線としての信越本線の区間は高崎−横川間と篠ノ井−新潟間とに分断されてしまったが(横川−軽井沢間はバス転換、軽井沢−篠ノ井間は第三セクター)、現在でも長野県北そして新潟県上・中越地方のメインラインとして重要な役割を担っている。新潟を出発し、中越地方を貫いて上越市の直江津までやってきた信越線は、左、つまり南にそれて山に分け入っていく。まっすぐ海沿いを行くのは北陸本線である。山に分け入った信越本線は、上越市の南側の重要都市を通り抜けて長野県に至る。その重要都市とは、この4月に「妙高市」と名前を変えた旧新井市で、JRは新潟から新井までの直通列車を古くから走らせている。
 新潟14:18発、快速「くびき野2号」新井行き。この列車は「485系」と呼ばれる特急型の車両を使ったオールリクライニングシートの高級な列車で、新潟を出ての停車駅も新津・加茂・東三条・見附・長岡…と特急並みに厳選されている。だが、快速であるので青春18きっぷで利用できる。
 この列車は、新津を14:34に出た。私は今、この列車の乗客である。リクライニングシートを倒して少々大名気分に浸っているが、寝過ごすわけにはいかないので熟睡はできない。私は何としても長岡で降りなければならないのだ。新津であれだけ私を苦しめた雨雲は、見附あたりに来るともう消え去っていた。新潟県はやはり広い。
 15:16に長岡到着。バスの時刻は前回長岡へ来たときに調べておいた。市役所の方角に行くバスは、駅前のバスホームから15:25に出るとわかっている。数日ぶりの越後交通バスである。長岡を出るのは16:06。つまり、持ち時間は40分ということになる。
 駅前を出たバスは、市街地から南の方向へ進む。表通りをまっすぐ進んでくれればよいものを、結構裏道を縫うようにして進む。運転士には「市役所のそばの第四」に行きたいと伝えてある。10分以上走り続けて少々焦りを感じ始めた頃、市役所前支店の最寄り停留所となる「幸町」にようやく到着。長岡市役所前支店の制覇自体はあっさり終わった。市役所前というか、市役所の分室となっている、昭和30年代築とおぼしき古い鉄筋コンクリートの建物から見える位置に支店はある。
 制覇はともかくとして、問題は長岡駅への帰還である。現在時刻15:40。数少ない上越線の普通列車の発車時刻まで、あと25分しかない。とにかく大急ぎで駅に戻ろう。帰りのバスがそんなに都合よく存在するとは思っていなかったので、帰路は徒歩にする。
 支店前の道路を市役所とは反対側へ。後で地図を見ると東に向かっており、少し遠回りしたことになるが、私は北にまっすぐ向かったつもりでいた。やがて、JRの操車場にぶつかったところで道が突き当たった。操車場の向こう側には上越新幹線の高架も見える。新幹線高架があるのだったら、それに沿って歩いていけば長岡駅にたどり着くはずだ。
 長岡市の雪の降り方は、新潟市とは全く違う。新潟市では駐車場の隅などに除雪した雪を積み上げて山になっている程度だったが、こちらではちょっと使われていない土地があると、70cm〜1mくらいは確実に積もっている。必要ない場所は除雪もしないわけだ。降雪量の多さを反映して、新潟市周辺では一部の民間駐車場ぐらいにしかない融雪パイプも、ここ長岡市内では公道部分にほぼ完全整備されている。数日前の長岡新産センター支店制覇の際に経験した「歩道部分に残る雪」を、ここで再度経験することになった。勘弁してくれ、今回は16:06の電車目指して急いでいるのだ。
 線路沿いに北に歩みを進める。ちょうどバス停とバス停との間で、長岡駅行きの路線バスが後から追い抜いていった。操車場に入る道の曲がり口には「南長岡駅→」の看板が取り付けられている。一瞬あれっと思ったが、南長岡駅とはJRの貨物ターミナルである。バスといいJRといい、全く急ぎの役には立ってくれないものだ。それでも、千里の道も一歩からというのか、長岡駅は着実に近づいてきている。建物が少しずつ密になり、前方に「イトーヨーカドー丸大」と「富山第一銀行」の看板が見えてきた。少しホッとした。どちらも所在地は長岡駅の真ん前である。
 4日間におよぶ「大・第四めぐ行」は、これにて全スケジュールを終了した。4日間に及ぶ第四銀行制覇の戦果は33か所(9日7か所、10日5か所、11日16か所、12日5か所)であった。これにより私は、JR上越線沿線の全店、長岡市内の全店、佐渡島内の全店、旧新潟市の越後線全店、それに新新潟市の信越線沿線の一部を制覇したことになる。累計では52か所となるが、全134か所(日和ヶ丘を含む)のうち4割弱に過ぎない。まだまだこれからである。

 16:06発、普通列車水上行きには、発車4分前に乗り込むことができた。列車が動き出すと同時に、鉛色の空から激しく雪が降り出した。

[3月12日篇 おわり]
posted by 為栗 裕雅 at 02:29| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月28日

12日(土)C 鉄道の町としての新津

 次の目標は、新津駅の南西、新津市役所南側にある「新津原信ショッピングセンター」である。原信は長岡を中心に新潟県央で展開する食品スーパーで、ウオロクとともに新潟の地元スーパー大手である。
 このSCに、第四銀は新津南支店を構えている。事前のリサーチの過程で、新津南支店は地図サイトでどうしても場所が出てこなかった。佐渡の佐和田支店の移転先もそうだったが、地図サイトで所番地を入力して検索する場合、どうやら新規開発された場所に弱いようだ。新津南支店の場合は、番地を削除して地名だけで再度検索をかけてみると、新津市役所と原信SCの近くにポインタが表示された。私が探しているのは銀行であるから、こういう場合、SCという集客施設を疑うのが定石である。電話で問い合わせてみると思ったとおりで、新津南支店は原信の敷地内にあるという。そしてもう一つ、ミスドの「新津原信SC」ショップがここにある。というわけで、目標は2つだが、目的地は実質1か所ということになる。
 「原信」に向けて旧市街をさらに南に進んでいく。第四新津支店の旧店舗とおぼしき古めかしい銀行建築が現支店の南に立っていて、地域の老人の集会所みたいな形で現役で使われている。ちょっと入ってみたが、どんよりとした空気に耐えかねてすぐに退散した。
 新津支店前の道は、南に下ってくると、古めかしい欄干のついたコンクリート橋で線路をオーバーパスしている。原信は橋を越えた先にあるはずである。小雨の中を歩いていく。既に商店街は終わり、このあたりは住宅地である。橋の上から、大規模な工場が見える。たぶんJRの新津車両製作所だろう。
 大光銀行の新津西支店と自動車教習所がある交差点で左折。このあたりから、水田を埋め立てて再開発したらしい地区となる。道路の反対側、つまり西側には空き地も多いものの、東側はこぎれいな住宅地が広がっている。遠く前方に、茶色い外壁の、この付近では階数の多いビルが見える。地図からするとあれが新津市役所のようだ。すぐそばまで近づいて来たように見えるが、平らな場所にそそり立つ目標が必要以上に近距離に見えるのは、昨日新潟県庁に行くときに体験済みだ。
 雨の中、大きな工場の敷地の脇を歩いていくと、フェンスの向こうに見慣れたものが見えた。工場敷地の南端近く、フェンスの向こう側に、いかにも倉庫といった感じで装飾のない建物が建っており、建物と敷地南端との間のわずかな隙間に細長いものが縦列に置かれている。ステンレスでできた、高さと幅が3m程度、長さは約20mの箱が、台車に載せられている。箱の地面に近い部分には絞りが入ってすぼまっている。箱の真ん中辺の高さでガラス窓が並んでいて、両開きの引き戸も片面に4つついており、窓の下には黄緑色の帯が貼られている。「見慣れたもの」というのは正確に言うと「東京在住の私には」ということで、新潟県の人には見慣れていないものだろう。置かれていたのは、山手線の電車であった。旧型車両との取替えがこの春完了した山手線の「E231系」と呼ばれる新型電車。ここ新津市の新津車両製作所で製造されているのだ。
 新津市にJRの工場があるのは、信越本線から羽越本線、磐越西線が分かれるこの地が、古くから車両の整備や施設メンテナンスの重要拠点となってきたからである。鉄道自体が巨大な装置産業で、かなり大がかりな施設を必要としており、こうした施設が「鉄道の要衝」といわれる場所に立地するのは当然である。JR東日本でいうと新津のほか大船・大宮・郡山・秋田などの車両工場があるが、いずれも複数の路線が分岐する大駅を擁している。
 新津市はJR東の他の工場所在地とは異なり、現在では車両工場以外にめぼしい産業を持たない。ということは、鉄道は新津の栄枯盛衰を支える基盤だったといえる。はずなのだが、新津市内を歩いていると、「鉄道の町」にしては鉄道をあまりにないがしろにした町づくりが進められてきたように思えてならない。よその地方都市あるいは郡部と全く変わらない、自動車に依存した町づくり。市役所が水田地帯の真ん中にあるという事実そのものが、それを象徴している。地方都市の没落は、旧市街にあった公共施設や集客施設を片っ端から郊外移転してしまったことから起きたのだから。他の都市はともかく、新津の中心市街地が全く同じスタイルで没落しているのは、市の指導者に自覚が足りなかったか、さもなければ力量不足だったのではないか。この文が発表される2005年4月に新津市は存在しないから、敢えて気楽に批判的見解を述べておく。

 話を戻す。市役所まで来ても、南側にあるはずのショッピングセンターは姿が見えない。さらに南に歩みを進めて、ようやく実状を理解した。「ショッピングセンター」という言葉から、私は、近年地方都市にドカドカ新設されているイオンのモールのようなものを連想していた。巨大な建物の中に一つの「町」を作り出してしまうスタイルである。最近そういう商業施設にばかり行き過ぎていたのかもしれない。新津原信ショッピングセンターは、もちろん敷地としては一定の大面積を持つのだが、敷地の端の部分に平屋建ての店舗が数軒コの字形に並んで張り付いているだけだったのである。一応の核になっているのはスーパーマーケットの原信だが、原信はもちろんのこと、回転寿司やラーメン屋など、ほぼ「1業態1棟」で独立した建物が並んでいる。で、敷地の南西隅に第四銀行新津南支店、北東隅にミスタードーナツ新津原信SCショップがあるというわけだ。
 第四の新津南支店は、銀色の波板を貼り詰めた壁面とアルミサッシという、それなりに一貫した設計思想の建物であった。悪天候のせいもあってか、広々としたキャッシュコーナーに人の気配は全くない。私は一人ATMを操作、制覇作業を無事完遂したのであった。
posted by 為栗 裕雅 at 00:47| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月27日

12日(土)B 地方都市としての新津

 亀田駅前支店からアピタまで徒歩約20分。アピタ内のドーナツ店ではちょっと長めに40分ほどコーヒーブレイクの時間をとった。ゆっくりしたかったというのももちろんあるが、最大の理由は雨である。宿を引き払う前に見てきたテレビの天気予報では、今日は昨日に引き続き天気が崩れると言っていたが、まさに予報的中で、私はアピタの建物に入る寸前から土砂降りの雨に見舞われたのである。降るなら降るで、俺が屋根の下に入るまで待てないのかよ、と愚痴をこぼしつつ、雨が小やみになるのを待った。
 11時半を過ぎて、雨足が少しだけ弱まったようである。店を出て、広大な駐車場を通り抜けてもとの駅前通りへ。大駐車場の通路には雨よけが設置されているが、テントの位置が高すぎて「ないよりマシ」程度でしかない。設置するにはそれなりに金がかかっているはずで、どうせ金を使うのならもっと有効な雨よけにして欲しいと少し思った。
 駅に通じる道を東に歩く。典型的なロードサイドの風景。おととい佐渡の佐和田地区で見たのと同じ「ファスト風土化」した風景といえる。駐車場を完備した店舗が多数建つが、駐車場の片隅に除雪した雪が積み上げてあるところがこの時期の新潟独特といえようか。こうした道を2kmも歩いてくると、亀田駅前支店が駅から歩いて10分かかっても「許そう」という気になるから不思議である。

 朝来たときに重機で解体途中であった駅前の木造家屋は、再び駅に戻ったときにはすっかり瓦礫の山と化していた。亀田12:13発、長岡行き普通列車に乗車、新津に12:24に着いた。新津市での3か所の目標は、旧市街(第四銀新津支店)と郊外(同新津南支店、MD「新津原信SC」ショップ)である。
 新津駅は2003年12月に竣工した橋上駅舎で、どの部分をとっても真新しい。2003年9月、北海道へ行った際にこちらを回り、新津で磐越西線に乗り換えたが、そのときはまださっきの亀田駅のような仮駅舎であった(当然か)。
 新津駅に着くと、雨は雪に変わっていた。傘をさそうとしたが、傘もさせないかと思われるほどの突風にあおられる。うまく風をかわして傘をさして、先へ進む。
 新津駅舎はピカピカだったが、駅の外に一歩出ると、そこはもう寂れた商店街が続く典型的な地方都市の風景であった。駅前通りの両側に続くアーケードはシャッターを閉ざした店ばかりで、たまに開いている店でも商品は歯抜けの状態である。それでも都市と郡部との違いはある。新津駅周辺には消費者金融の支店が複数展開している。郡部およびつい最近まで郡部だった地域、たとえばさっき行った亀田や、私が2005年4月頭に行った中条とか水原とかの駅前には、消費者金融の店はないようだった。
 駅前の本町2丁目交差点で右折。駅前通りと同様の商店街に入るが、こちらの方がまだ比較の問題として繁華なようである。第四銀行新津支店は、道の右側にさりげなく店を構えていた。さりげなくと言うより、アーケードの下では自社ビルも棟割り長屋も同じにしか見えない。入金操作2回で、新津支店を制覇した。
posted by 為栗 裕雅 at 01:57| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月26日

12日(土)A 新旧混在した亀田の町

 09:49。新潟駅を発車して9分で、最初の目的地・亀田に到着した。
 亀田駅は橋上駅舎の工事中で、線路の上にかぶさる駅舎を茶色い鉄骨を組んで作ろうとしているのがわかる。
 仮駅舎から外に出る。仮の駅舎だが自動改札機はしっかり稼働している。今日は青春18きっぷを使用しているので、有人改札から出なければならないが、新潟地区の駅の改札は有人通路の部分が厳重な金属製の柵で塞がれていて、首都圏の駅のように「通りまーす」と言いつつ見せながら走り抜けるわけにはいかない。柵のかんぬきを外して開けなければならないのである。
 面倒な出かたで改札を出て駅前に立ってみると、駅の周辺は橋上駅舎の新築に合わせて再開発のまっただ中で、ほぼ更地の状態であった。新潟県中蒲原郡亀田町は、来る3月21日、新津市などとともに新潟市に編入される。計12市町村を合併することで新潟市の面積は一気に倍に膨れ上がり、人口も80万人台に乗せて、2007年4月には日本海側では初めて政令指定都市に移行する予定である。亀田駅の橋上化は、大合併と政令市移行に向けてのものと言える。
 今日の目標は3か所あって、駅前の交差点を左折して南に向かう1か所(第四銀亀田支店)と、直進する2か所(同亀田駅前支店、ミスド「アピタ新潟亀田」ショップ)に分かれる。どこへ先に行こうか。銀行めぐりだけなら「遠い方を先」という原則があるのだが、制覇目標が複数種類ある今回は、普段と違う選択基準になる。すなわち、方向がかけ離れており、かつ制覇作業があっという間に終わるところが今日のトップとなる。この要件を満たすところは…亀田支店。
 駅前通りを西へ。再開発事業がまだ進行中で、道路際の木造民家1軒が重機で破壊されつつあった。過去数十年にわたって居住者の喜怒哀楽を見つめてきたであろう木造家屋は、私が数時間後に亀田駅に戻ってくる際には跡形もなく消え去っているに違いない。
 北越銀行亀田支店のある駅前交差点を左折して南へ。第四の亀田支店は、国道49号線の旧道(県道5号線)沿いの旧市街にあるとわかっている。古びた住宅地を過ぎると街道沿いの商店街となるが、ご多分に漏れずここもシャッターを下ろした店舗が多い。15分ほども歩いただろうか、道の左側に第四の店舗があった。昨日の夕方以降と同様に、入金操作2回で亀田支店の制覇作業を行った。
 駅前の交差点に戻り、今度は西に向かう。駅前通りである。
 北越銀亀田支店の西側に、地元企業コメリの店舗があって、少し意外に思った。コメリはホームセンターではなかったか。駅の近所にスーパーマーケットがあるのは不思議に思わないが、ホームセンターとは。スーパーは別にあるのだろうか。もっとも、郊外にできた大型SC(これから行く予定のアピタである)の影響は受けているかもしれない。ともあれ、同じ亀田駅周辺であっても、こちらは先ほどの旧市街とは異なり、大都市近郊の新線鉄道の駅前のようにモスバーガーなどファストフード店が散在している。
 前方左側に例のダークグリーンの看板が見えた。2階建ての銀行建築も見える。亀田駅からここまで歩いて10分は余裕でかかるはずだが、それでもここは亀田「駅前」支店である。制覇。
 亀田町での第四銀制覇はあっさり終了した。ここから西へ2km、国道49号(亀田バイパス)との交点にある大型ショッピングセンター、アピタ新潟亀田店に向かう。中のドーナツ店が次なる目標だが、今回はドーナツ屋めぐりの体験記ではないので割愛する。
posted by 為栗 裕雅 at 00:40| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月25日

12日(土)@ やっぱり寝坊した新潟最後の朝

2005年3月12日(土)

 私の「新潟失踪」は、いちおう昨日で基本的な日程を終えた。あとは今日一日かけて東京に帰るだけである。
 ただ帰るだけではなく、途中に様々な「めぐ」を織り込むのは「めぐラー」として当たり前である。というわけで、あと10日ほどで新潟市に編入されてしまう地域にある制覇目標を、新潟市になってしまう前に(つまり旧自治体名のうちに)制覇することにした。今回は自治体名が変わっても店名などは変わらないのだが、私のHPでは特にミスタードーナツめぐりの「制覇の記録」において「所在自治体名」を記載しているので、そこに旧自治体名を残しておこうと考えたのである。となると、この地域のミスド店でまだ制覇していないのは「アピタ新潟亀田」(1485号、中蒲原郡亀田町)と「新津原信SC」(1163号、新津市)の2店。これに合わせて、第四銀行めぐりは各市町の2店ずつ、計4店を回ることにした。そして、時間に余裕ができたら、先日1つだけ取りそびれた長岡市内の支店(長岡市役所前支店)を拾ってくるつもりである。
 昨日沼垂支店の前から乗ったバスは、新潟駅前行きではなく、万代橋を渡った新潟市の中心部、古町行きだった。市の中心まで出たことで、べたべたに疲れてはいたが、これ幸いと新潟市中心部のミスドの未制覇2店(「東堀」と「万代シティー」)をハシゴし、場所を変えながら半分眠った頭でプランの立て直しを行ったのであった。というわけで、立てたプランは以下のとおりである。

新潟08:11→08:20亀田
(亀田支店、亀田駅前支店、MDアピタ新潟亀田)
亀田11:33→11:44新津
(新津支店、新津南支店、MD新津原信SC)
新津14:34→15:16長岡
(長岡市役所前支店)
長岡16:06→18:32水上18:40→19:42高崎19:59→21:43上野

 さて、12日朝。起きた時刻は8時であった。つまり、08:11発の電車には乗れないということである。もちろん、ホテルの浴衣姿で電車に駆け込むなら乗れるだろうが、そういうことはしないわけだ。
 3泊したホテルの部屋とも今日でお別れである。部屋の後始末と荷造りをしてチェックアウトを済ませたのは、9時半近かった。コンビニで朝食のおにぎりと新聞を買って新潟駅へ。乗った列車は、09:40発の普通列車新津行き。スタート時点で1時間半の遅れとなった。
 青春18きっぷで東京に帰るわけだから、帰りにはあの上越線の間引き運転区間を再び通る。それなのに1時間半も遅れるとは、我ながらいい度胸をしている。この点は、ミスド2店で滞在時間を多めに取ってあるので、それで対応する。つんどくの本を少しでも読もうと思って東京から持参していたのだったが、とても読んでいられなかった。今日こそはと思っていたが、やはり旅先でつんどくの本を片付けるのは難しいようである。
posted by 為栗 裕雅 at 00:09| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月24日

11日(金)K 沼垂支店をぬったりと

 第四銀めぐりは、7時に入金が終了するまで続けられる。残り時間を考えると、あと2か所が限界だろう。駅前通り沿いにある新潟駅前支店は間違いないとして、もう1か所をどこにしようか。万代橋を渡って中心街の支店(あるいは本店)に回るか、東の方角の支店にするか。6時前に「一人作戦会議」を行ったばかりだが、今また一人で作戦会議、というよりうだうだ考え込んでいる。場所は、新潟駅の南口と北口とを結ぶ自由通路。通路の真ん中に、ミスタードーナツが「新潟駅西口」ショップ(1224号)を構えている。この自由通路には片側にフードコートだけ独立して存在していて、ミスドはそのフードコートの中にある。ミスド店の制覇と休憩を兼ねて、本日の10杯目ぐらいになるコーヒーを飲んでいる。
 6時35分、わずか10分余りの滞在を終えてフードコートを出る。自由通路の階段を下りると新潟駅前のバスターミナル、そこを越えると駅前通りをそのまま進む。あたりは新潟市随一のオフィス街になっていて、人通りはさほど多くない。既に7時近いとあって、ビルの明かりは特に1階部分はほとんど消えている。この道をそのまま進んでいくと信濃川を越える万代橋だが、そこまで行かないうちに、1階部分に煌々と蛍光灯をつけたビルが左側に見えた。緑と水色のカラーシートがドアに貼られている。第四銀行である。18:40、新潟駅前支店を制覇した。

 もうさすがに、あと1か所でおしまいだろう。本日最後の目標は、駅前支店近くの交差点から東に1kmほどの沼垂支店に決めた。新潟の町は、信濃川西岸の旧新潟町と東岸の旧沼垂町が合体して形成しているから、沼垂支店はかつては中心街の支店だったのだろう。
 新潟駅前支店北側の交差点、流作場五差路から東へ進む。高度成長期以前から地域の台所に生活物資を供給してきた感じの古びた商店街が、道の両端に延々と築かれたアーケードの下に続く。こうした個人経営の商店が並ぶ商店街は今となっては業績は芳しくないのかもしれないが、個々の店が並ぶ密度と商店街の距離の長さがかつての繁栄を反映している。
 国道7号線から続く大通りにぶつかったところで、信号待ちの間に時計代わりの携帯電話を見る。18:57。やばいぞこれは。沼垂支店は今日制覇できるのだろうか。支店の名前からしてぬったりと、いえ、まったりと行けるかと思っていたのだが、もう1店取れるかという時にはどうしてもばたばたしてしまう。とはいえ、目の前の通りは車がびゅんびゅん行き交っている。赤信号を無視して走り出したら、私はたちまちミンチに変身してしまう。
 信号が青に変わった。事前のリサーチでは、交差点を越えてすぐのところにあることになっている。時間がないので駆けだした。前方はるか彼方に、北越銀行の赤い看板が見える。今日はどこへ行っても第四と北越の看板を見ないことがなかった。手前に目を転じるとバス停があって、その前に建つビルの1階に、あった。第四銀の支店。キャッシュコーナーに飛び込む。既に閉店間際で、コーナーには蛍の光が流れている。大慌てで入金操作2回、沼垂支店をどうにか制覇できた。
 第四銀沼垂支店の入っているビルは「だいし開発ビル」といって、周辺商店街の再開発事業の一環として建てられたもののようだ。キャッシュコーナーの入口がそのままビルの玄関と階段ホールになっていて、閉店時間が来るとATMの前にシャッターが降りるものの、コーナーには24時間立ち入りができるようである。

 沼垂支店のATMがシャッターに閉ざされて見えなくなるのを見届け、私は目の前の停留所(沼垂四つ角)からバスの人となった。雨足は再び激しくなってきていた。今日の第四めぐはこれにて終了、明日はいよいよ新潟県とお別れである。

[3月11日篇 おわり]
posted by 為栗 裕雅 at 00:07| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月23日

11日(金)J シャイなハートで駆け昇る

 鳥屋野支店の北東側、黒埼インター笹口線に面した新潟駅に近いところに、ミスタードーナツの店舗がある。とやのショップ(0070号)。ほぼ開店順に付番されている店番号からわかるとおり、この店は開業時期の非常に古い店舗である。ここで、休憩を兼ねて「一人作戦会議」を行う。
 事前の計画では、ここで進路を北に変え、新潟市役所に向かうつもりであった。市役所内にある本店新潟市役所出張所。ここはATMの稼働が平日のみ、夕方6時までであるからだ。私は、血液型A型であるせいか知らないが「取りにくい拠点を先に制覇する」主義なので、どうしても今日のうちに取ってしまいたかったのである。しかし、断念せざるを得ないようだ。現在既に5時45分、15分でここから市役所まで歩けるかどうかはともかく、もうその気力が残っていなかった。気力があれば、気合で何とかしている。
 そうこうしているうちに、肉体の疲労は何とか癒えたようだ。ミスタードーナツの店内でかかっている有線放送は、山下達郎の「ドーナツソング」がタイムシグナルとなっていて、この曲が宣伝のナレーションなしでかかると正時である。山下氏が「シャイなハートで駆け昇る」と歌ったところで、私も第四めぐへの情熱が再び体内に駆け昇り、店を出て次の目標・南新潟支店に向けて歩き出した。
 ミスドから南新潟支店までは、さほどの距離ではない。最近の地方都市では、中央駅の裏口がここ20年ほどの間に開発されて、ロードサイド型の小規模な商業施設が多数建ち、その中にオフィスやホテルなどのビルが混じって建つ独特の風景を醸し出している。宇都宮や高崎の東口、静岡の南口などが典型といえようか。新潟の南口もまた同様で、さっきのミスドも含めてロードサイド型の店舗が多数建つ中に、駅に向かってだんだんオフィスビルなどが増えてきた。北越、大光と新潟県の地銀も支店を置いている。第四銀行の支店が見えた。通りに面したビルの1階である。広いATMコーナーに、ゆったりと機械が並べられている。ATM脇には、この支店が1996年5月20日付で「新潟駅南支店」から改称された旨の掲示があった。同一店振り込みの際には支店名に注意せよ、ということだろう。
 既に6時を回っているため、これまで入金−出金で1セットとしていたATMを使っての制覇作業は、「入金2回」に切り替える。私の銀行めぐでの制覇は「2取引」が原則である。2取引にしておけば、後日通帳記帳をした際に万が一印字が1行失敗したとしても、もう1行の印字でヘッジできるからだ。実はこれに備えて、昼間のうちに支店の両替機を使って1000円札を大量に(といっても20枚くらいだが)確保していた。明日は土曜日で、第四銀行は土曜日の引き出しは終日手数料がかかるから、明日の第四めぐでは終日「入金操作2回」で制覇作業を行うことになる。1000円札が20枚あれば10か所の制覇ができる(いざとなれば1万円札で買い物をして釣りをもらえばよいのだが)。入金操作を2回行って、南新潟支店の制覇が完了した。
posted by 為栗 裕雅 at 10:10| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月22日

11日(金)I 市街地南の第四銀ストリート

 県庁西回廊の、北側の玄関を出た。最初から場所がわかっていれば大通りからまっすぐここへ来たのだが、まあ仕方がない。だいたい、本庁舎の北側に「西回廊」なんて名前の建物があるとは思わないだろう(さすがに店舗一覧ぐらいは持ち歩いている)。
 関屋→県庁の移動が結構きつ目だった分、次の目的地はすんなり行けるはずだ。出来島支店。千歳大橋通りを県庁の南に1km弱進んだ場所である。左手にテレビ新潟(日本テレビ系)のクリーム色に塗られた鉄塔を見つつ南へ。周辺は開発の新しい地域らしく、ロードサイド形の飲食店やマンションが建つ。通りの右側に北越銀の支店が見え、第四の支店もすぐに現れた。角地にあるだけ第四の方が条件的に有利のようである。ATMを操作、出来島支店が制覇できてじまった。
 出来島支店から、進路を東に向ける。この道は「新潟黒埼インター笹口線」という県道である。新潟駅の南口を中心に東西に走るこの道は、新潟市街地南側で「第四銀ストリート」となっている。多少の出入りはあるものの、第四の支店が1〜2kmおきに4つ並んでいる。出来島支店を起点に、新潟中央市場支店・鳥屋野支店・南新潟支店。南新潟支店は新潟駅の南口駅前にある支店で、以前新潟駅周辺を歩き回ったときに第四銀の支店がビル内に入居しているのは知っていた。
 雨は小やみになってきた。幅の広い2車線道路を東に向かう。この周辺には「ハードオフ」「ホビーオフ」等なんとかオフという店はたくさんあるが、その本家本元に当たる「ブックオフ」がないのはなぜだろうか。そんなことをぼんやり考えながら1km少々歩くと、正面に大きなコンクリートの高架が見えてきた。上越新幹線である。ガード下の交差点角が、新潟中央市場の職員駐車場となっている。目指す目標は近い。この交差点で私は歩みを北に変えた。
 交差点から5分ほど歩いたところに、第四の緑の看板が出ていた。支店の建物はそれだけで独立した棟のようだが、完全に中央市場の敷地の一部である。キャッシュコーナーを探すと、支店の建物と別の建物との間の細い通路を抜けて、市場の中まで入り込まないといけないようだ。幸い、関係者以外の人間もオフリミットにはしていない模様である。鰻の寝床のように細い通路を抜け、キャッシュコーナーで機械を操作。新潟中央市場支店を制覇した。この場所の市場は、信濃川の南岸が開発される以前からのようだ。
 段々疲れてきたが、次の目標を制覇したらドーナツ屋で休憩することに決めている。もう一息である。次の目標は鳥屋野支店。新潟黒埼インター笹口線に戻り、さらに東へ。1kmほど進むと角にファミレスのロイヤルホストがあり、そこで右折。三条信用金庫(本店三条市)の鳥屋野支店があって、その南側に第四の鳥屋野支店があった。
 キャッシュコーナーに入ろうとしたが、コーナーに入るための2段程度の階段を上がるのがしんどく感じられる。とにかく足が上がらないのだ。為栗裕雅36歳、いよいよ老化現象のようである。しかし私は「永遠の18歳」を標榜している。こんなところで老化現象など認めるわけにはゆかぬ。2段の階段を気力で上がり、ATMコーナーに入って制覇作業を行った。鳥屋野支店の制覇である。時刻は既に5時半であった。
posted by 為栗 裕雅 at 08:23| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月21日

11日(金)H 信濃川を越えて新潟県庁へ

 休む間もなく、内野15:30発の普通列車(新潟経由長岡行き)で関屋へ。今日の第3幕が始まる。ここからは、途中で適宜ドーナツ屋での休憩を挟みつつ、新潟市の中心部までひたすら歩き続ける。関屋駅から新潟駅までは直線距離で5kmくらいだが、直進するわけではないから実際の歩行距離は10km近くにもなるだろうか。再び強くなりだした雨の中、それだけの距離を歩くというのは一般的には少しげんなりだが、めぐラーはなんだかんだ言いつつも結局やってしまうのである。
 平屋建ての関屋駅を出る。この駅も住宅地の真ん中のような立地だが、朝一番の小針駅前よりも住宅地の形成した時期は古いようだ。線路際を吉田方向に歩いて踏切を越え、北へ。国道116号線に出ると、左側に鉄筋コンクリート平屋建て(のように見えた)銀行建築と、例のダークグリーンの看板。まず、ここが関屋支店である。
 制覇作業を済ませて次は、新潟県庁に向かう。第四銀は新潟県のトップ地銀、ということは当然のように新潟県の指定金融機関となっている。県庁内に「県庁支店」を構えているのである。
 116号を東へ1km。昭和町の交差点で右に曲がると、信濃川を南側に越える千歳大橋に至る。この橋を渡った右側が新潟県庁である。県庁は、信濃川北岸で中心街の学校町から、南岸の新光町へ1985年に移転してきた。信濃川はさすが日本一と言われる大河だけに、その河口にある新潟の町では、この川を越えようとすると相当に大規模な橋を架けなければならない。というわけで、今から渡る千歳大橋は、橋自体の長さや幅、アプローチの勾配などなど非常に大きく取ってある。新潟市内で信濃川の架橋が進み、南岸が再開発されたのはここ20年余りの間のこと。それ以前は信濃川南岸は貨物の引き込み線が多数引かれた工業地帯であった。
 地図で見ると関屋支店から県庁まではさほどの距離ではないのだが、河川周辺の真っ平らな空間を歩いていると必要以上に体感距離は増す。雨が降っていることもあって、県庁の敷地にたどり着いただけで投げ出したくなってしまった。しかし、こういう大規模な役所建築は、敷地にたどり着いただけでは目的地に到達したことにはならない。公開の空き地をふんだんに取るという観点から、建物はだいたい広い敷地の真ん中に置かれている。新潟県庁の敷地もご多分に漏れず、今歩いてきた千歳大橋通りに面した部分は人工的な(たぶん)雑木林になっている。
 林を通り抜けてようやくたどり着いた県庁の建造物の、どこに支店があるのだろうか。こういう場合は表玄関から入ってみると(省力化につながるかどうかはさておき)迷子にはならずに済む。新潟県庁の表玄関はどこだろう。大規模な車寄せが南側についているから、恐らくそっちだろう。行ってみると、県議会棟の向こうが本庁舎である。本庁舎に入った。銀行の支店は…一番信濃川寄りの建物らしい。やれやれ、せっかく南側まで来たのに。
 本庁舎を通り抜けて「西回廊」という建物に入ると、右側に北越・第四と二つの銀行の支店が見えた。もちろんここは県庁の建物内で、両者はテナント入居のような形なのだろう。明治・大正から続く地方銀行が2つ以上ある県では、三重県や長崎県のように指定金融機関業務を交代で行っているところもあるが、新潟県では指定金融機関が第四、北越銀は「指定代理金融機関」という形となっている。つまり第四の方が地位が上というわけだが、北越銀もしっかり県庁内に支店を構えている。私がもともと「めぐ」で親しんできた埼玉県では、県庁内に支店を持つのは現埼玉りそな銀行だけで、戦後地銀である武蔵野銀の県庁最寄り支店は県庁の敷地外にある「県庁前」支店となっているから、県庁内に支店が出せるというのはそれなりに凄いことなのだろう、一昔前までの価値観では。
 ともあれ、ホクギン県庁支店の左隣にある第四銀県庁支店を、ATM操作により制覇した。
posted by 為栗 裕雅 at 08:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月20日

11日(金)G 新潟の西の中心・内野へ

 赤塚に着いたのが14:55頃、帰りのバスは14:59。ここが終点近い停留所であることからして、今乗ってきたバスがそのまま折り返していくのだろう。
 果たして、数分前に降りた同じバスがまたやって来た。帰りのバスは「内野四ツ角」行き。乗り込んで最前部の席に座り「どうも」と運転士に挨拶すると、「用事はもう終わったんですか」と言って、気さくにいろいろな話をしてくれた。彼はこの地域でもう随分長くバスを運転しているのだろう。白鳥が飛来するラムサール湿地の「佐潟」には流れ込む河川がなく、地下から水が湧いているという。赤塚地区ではこの水を砂地に撒いてタクアン用の大根やスイカを栽培しているそうだ。第四銀めぐりの話を運転士にしてみた。彼は郵便局めぐり(旅行貯金)の話は知っていたが、第四銀行が「めぐって楽しい」銀行とは知らなかったようである。
 このバスも「四ツ郷屋」経由である。木山小学校の角で左折すると、今度はいるわいるわ。小学生が十数人、バスを待っている。一気に車内は芋洗いのように…とステレオタイプに書きたいところだが、乗車マナーは思ったよりきちんとしている。四ツ郷屋にバスが着くと、子どもたちは運転士に定期を見せたり、バスカードをカードリーダーに通したり、いずれにしても整然としていて、運転士に「ありがとうございました」と声をかけていくのも忘れない。
 空き地に首を突っ込んで方向転換、時間調整の後発車していくのもさっきと同様である。再び木山小学校へ。今度は県道を内野方向に向かう小学生を拾う。新潟市の小学校は学区制がかなり厳密に運用されていて、木山小学校の通学範囲は相当広いらしい。さっき往路でバスに乗った西内野支店のすぐそばまで帰る生徒がいるそうだ。支店のそばに小学校があって、その生徒の自宅はそちらの方が遥かに近いという。今日バスに乗った小学生は30人くらいもいただろうか。雨の日だからバスを利用しているのかと思ったが、徒歩通学が禁じられていることもあって、バス通学のメンツはだいたい決まっているという。
 ほぼ各駅停車の状態で小学生たちを降ろしたバスは、さっき西内野支店前から乗った「西新町」停あたりでほとんど空気輸送に近い状態となった。15:25頃、終点の内野四ツ角到着。正面に第四銀の看板が見える。内野支店である。
 バスを降りるとき、信号待ちのわずかな時間だったが、せっかくその話をしたので第四銀の通帳を披露した。運転士は「貴重なものを見せていただいて」と喜んでくれた。「新潟にいらしたらまたバスにご乗車下さい」と丁重に挨拶されて、私はバスを降りた。第四銀行内野支店に向かう私の背後で、今乗ってきた大型バスが回送車となって交差点を曲がっていった。内野四ツ角はJR越後線内野駅前の交差点で、1960年に新潟市に合併された旧内野町の中心地である。現在では新潟市の西の中心地となっていて、それなりの商業集積がある。越後線の電車が内野を境に3分の1に減ってしまうのも何度も述べたとおりである。

 なお、私が西内野支店近くのバス停から「運良く」つかまえることのできた新潟交通バス赤塚線は、赤塚出張所制覇から1か月も経たない2005年3月末、ひっそりと廃止されてしまった。代替路線として「内野営業所〜(越後)赤塚駅」が新設されたものの、本数は大幅に削減、路線短縮とコース変更により「赤塚」停も廃止され、上記と同じルートでの制覇には使えない。新潟交通が本件を発表したのは3月16日で、私が利用した際にはもちろん告知などもなく、本稿発表前にたまたま知って大変驚愕した。

 【2005.11.30追記】2005年11月28日、第四銀行は、内野支店赤塚出張所を統合すると発表した。最終営業日は2006年2月3日(金)で、統合先は内野支店(新潟市内野町1036)。ATMコーナーも2月3日で営業を終了する。
posted by 為栗 裕雅 at 01:56| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月19日

11日(金)F ラムサール指定湿地のほとりで

 私の命もここまでか、とは思わなかったが、それでも何かのっぴきならない事態が起こったことは間違いないようだった。ああ、これで今日の第四めぐは終了だ。終了なりに、何とか方策を考えなければならない。新潟駅までどうやって戻ろうか。
 そんな悲壮な覚悟を知ってか知らずか(いや知らないだろう)、60歳を過ぎて嘱託で働いているとおぼしき老運転士は、平気な顔でバスをバックさせた。
 運転士は、坂道を戻る向きにバスの首を戻し、後部ドア(入口)を開けて「時間調整で少々停車します」と言ってエンジンを止めてしまった。何だ、単に方向転換をしただけだったのか。私は一気に気が抜ける思いがした。
 赤塚での用事の後、帰りのバスで運転士が話してくれたところによると、この「四ツ郷屋」という集落は、新潟市に隣接する西蒲原郡巻町の町域が海岸沿いに細長く延びたところにあって、日常生活のほとんどを新潟市に依存している。海岸沿いに国道402号ができる以前は、いまバスで入ってきた細い道が集落への唯一の交通路で、豪雪の時期には陸の孤島にもなったという。産廃処分場のあたりはかつては低い山で、関越自動車道工事の際に盛り土用として削られてしまったそうだ(この集落は、複数の浜堤に挟まれた谷間のような場所にあるようだ)。この便に生徒は乗っていなかったが、バスは角にある木山小学校の通学用として乗り入れているらしい。四ツ郷屋の所属は巻町で、新潟市立の学校に通うのは越境通学ということになるが、何か協定でもあるのだろう。なお、巻町は2005年10月10日、新潟市に編入される。

 私の時計によると14:47、バスは今来た道を再び戻り、木山小学校前の交差点で右折。これでようやく県道2号線に戻ったことになる。やれやれ、寿命が縮んだかと思った。そういえば、94歳になる私の祖母は、私の幼少期に母親が入院した際、身の回りの世話をするために数か月間前橋に滞在してくれたことがある。当時から私には放浪癖があって、しょっちゅういなくなっては心配させていたらしい。そういうとき祖母は「寿命が一つ縮んだ」と言って私を叱るのが常であった。今年2月の法事の際、しばらくぶりに祖母に会ったのを何の脈絡もなく思い出した。祖母は現在、京都市内の特別養護老人ホームで余生を送っている。
 バスは県道を西へ走る。停留所の数からして、もう赤塚は近いはずだ。右手に大きな湖が見え、「ラムサール条約指定湿地・佐潟」の看板が見えた。ラムサール条約とは、水鳥の飛来に関して湖沼の保護・育成を行う条約。日本の指定湿地は釧路湿原とか琵琶湖とか有名なものが多い。佐潟は1997年にラムサール指定湿地になったそうだが、恥ずかしながら聞いたことがなかった。湖はあっという間に車窓の風景の一コマと消えた。私は運転士に「第四銀行に行きたいんですけど」と声をかけた。
 終点・赤塚上の2つ手前、「赤塚」でバスを降りる。降車ボタンを押し、荷物を持ちながら車窓の風景を見る。あった。交差する道路に面した場所に、パッと見特定郵便局のようなたたずまいの2階建ての建物。「第四銀行」の袖看板がある。
 第四銀行赤塚出張所は、バス停後方のT字路を曲がってすぐの場所にあった。このあたりは1961年に新潟市に合併された旧赤塚村の中心部であるが、あたりには現金を使えそうな施設は一切なさそうだ。こんなところに銀行があるのか。建物に入るとATMが1台だけ置かれ、脇に窓口室への細い入口がついていた。さっそく機械を操作、赤塚出張所の制覇を完了した。
 時刻は14:57。3時の窓口クローズまであと3分。今週最後となる窓口での記帳を、ここで済ませてしまおう。窓口室に入ると、窓口室側におシリ(裏側)を丸出しにしてATMが置かれているのが見えた。
posted by 為栗 裕雅 at 00:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月18日

11日(金)E 三途の川に向かうバス?

 西内野支店の行員さんに、次の目標である赤塚出張所への行き方を聞いてみる。「道としてはそこ(県道)をひたすらまっすぐなんですけどねえ」ということであった。もちろんその程度はリサーチ済みである。バス路線がないのか尋ねてみたが、乗ったことはないとのことであった。ただ、バス停は表通りに出たところにあるという。
 ともかく行ってみることにした。行員が言うとおり「西新町」というバス停が支店の南側にあった。この停留所からは、「赤塚上行」「四ツ郷屋経由赤塚上行」という二つの系統がそれぞれ2〜3時間に1本の割で出ている。出張所に電話をかけて聞いてみると、最寄りの停留所は「赤塚」ということで、バスの行先の「赤塚上」とは違うが、ともかくバスさえあれば目的地方面には行けるようだ。そして、時刻を見る。四ツ郷屋経由赤塚上行が14:34にあるらしい。10分後とはまた何というタイミングの良さだろうか。最終目的地へ行ければどちらの系統でも良いのだが、バス停のポールに路線案内図等はない。いいや、目的地に行けなかったらそのときまた考えよう。エイヤッと賭けに出た私であった。

 新潟交通のバスは、銀色の車体に濃い青色の線が入っている。長岡市中心の越後交通が銀に赤だから、新潟県内でちょうどうまく対比がなされていると言ってよい。新潟交通の運賃が決して安いとは言えないのも対比の関係と言えようか。なぜこんなことを書くかというと、私が今乗っているバスのことだからである。
 というわけで、私を乗せた新潟交通のバスが、典型的な農村風景の県道2号線を西に向かっている。西新町14:34発の「四ツ郷屋経由赤塚上行」。私のほかに数人乗っていた客は、ほとんど途中の停留所で降りてしまった。ローカルの路線バスでは立方体かと思うほど車長の短い小型バスを使っているところもあるが、今乗っているのは都市部ではごく普通の大型バスで、空気を運んでいるようなものである。
 バスが小学校のそばで右折、上り坂にかかった。角の小学校は、後で調べると新潟市立木山小学校。片側1車線のこの道は、方向としては海岸に向かっているようだ。木山小を過ぎると、車窓の風景は荒れ地と産業廃棄物処分場ばかりが広がっている。こんなところを経由するとはどんなバスなのだろうか。だいたい、目的地は「県道をひたすらまっすぐ」だと西内野の行員が言っていたではないか。かなり不安を感じていると、バスはさらに右折した。今度はバスが1台ようやく通れるほどの細い道幅で、しかも右にカーブした下り坂。私の実家近くにある利根川の河原に降りる道にも、以前訪れた徳島県・吉野川にかかる潜水橋へのアプローチにも似ている。三途の川への入り口かい、と思う間もなく、坂道の途中で「次は四ツ郷屋」のアナウンスが聞こえ、降車ボタンが押された。
 坂道を降りきった先には、集落があるようである。バスが停まり、学校帰りらしい女子高生を降ろした。
 バスが動き出した。そこで私は仰天することとなった。発車したバスは、何といきなり道を外れ、道路脇の空き地に首を突っ込んだのである。
posted by 為栗 裕雅 at 06:59| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月17日

11日(金)D 「赤塚」念頭で動き出す

 坂井支店からJR寺尾駅方向へ。駅の南側に、ミスタードーナツの「寺尾」ショップ(0688号)があるのは既にリサーチ済みだ。ここで、一人で作戦会議を行う。順調に制覇箇所数を増やしてきた昨日までと異なり、今日は寝過ごしたため不調である。これから先、どのように動けば最も効率がよいか。とはいえ少々くたびれたし、朝飯もまともに食べていない。
 今日は、越後線沿線の新潟都市圏内は総なめにしておきたいと思っていた。そのために、当初は弥彦山の麓にあたる吉田町まで足を延ばす考えもあったのである。越後線の本数が少ないので、新潟市からはずれる部分については断念したが、せめて現新潟市内(合併で膨張する前の市域)だけは押さえておきたい。そう考えると、是非今日のうちに取っておきたい拠点があった。現・新潟市の最西端にある、内野支店赤塚出張所。ここは第四銀としては営業時間が極端に短いうえ、非常に交通の不便な場所にある。ATMは平日のみの営業、しかも夕方5時で稼働を終了する。交通の面でも、越後線でいうと越後赤塚駅が最寄りとなるが、駅から3km以上離れているため車を使うことが不可欠だ。赤塚に限らず、第四めぐが進んでくると鉄道路線のない地域の支店を多数回らなければならないので、そういう支店を制覇する際に一緒に取ろうかと一瞬考えたりもした。
 携帯で寺尾駅からの越後線時刻を検索した瞬間、すべてが決定した。なんと、急げば13:58発の吉田行きに間に合うという。これで、赤塚出張所はともかくとして、西内野支店と内野支店は制覇できる。繰り返し述べているとおり、越後線は内野から先、吉田方面に行く電車は1時間1本にやせ細る。時刻は13:50。ミスドから寺尾駅まで近距離であることは事前にリサーチしていたが、果たして8分で移動できるのか。ミスドの女性スタッフに駅への近道を尋ね、猛然と店を出た。家と家との隙間を縫うよう、曲がりくねった細い坂道を駆け上がっていくと、JR寺尾駅の橋上駅舎が見えた。今日は限られた区間でしかJRを使わないから、青春18きっぷではなくふつうの乗車券を購入。自動改札を駆け抜けてホームへ。どういうわけか多数たむろしている男女中学生の群れの向こうから、白地に緑色の線の入った電車がやってくるのが見えた。よし。
 寺尾から10分の乗車で、内野西が丘駅に到着した。この駅はつい10日ほど前、3月1日のダイヤ改正で開業したばかりの新駅である。内野と越後赤塚のちょうど中間にあたる場所にできたこの駅は、ホーム一面に駅舎のついた無人駅だが、バリアフリーに最大限の対応を施してあるらしい。次の目標・西内野支店は、駅の西方1kmほどの住宅地にある模様だ。
 寺尾駅にも車内にもわんさかいた男女中学生は、私と同じ駅で一斉に降りた。駅の周辺では越後平野の水田をつぶした宅地開発がこれから進もうとしているところで、区画整理された更地を貫いてまっすぐな舗装道路が西に延びている。道路の先には、新潟県立新潟西高校がある。どうやらこの中学生たちは、高校の合格発表を見に行くところらしい。そういえば、おととい越後堀之内の駅では入試を受けたばかりの中学生に遭遇したっけ。そんなことを考えながら、わいわい騒がしく歩く中学生と一緒に自分も歩を進める。
 駅からすぐそばに見えた高校は、歩いても歩いてもなかなか近づいてこない。遮るものなく遠くの目標を眺めると必要以上に自分に近接して見えるものである。それでも、明けない夜はないがごとく、海岸沿いに越後線と平行に走る道路にようやく出た。この道路は県道2号線で、さっき歩いた小針・寺尾付近では線路の南側を走っていた道の続きである。この道を弥彦山方向に歩いていくと、道から少し北側に入ったところに西内野支店が見つかる。店舗そのものは、2階建ての変哲のない住宅地店舗であった。制覇。
posted by 為栗 裕雅 at 04:50| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月16日

11日(金)C 勉強しまっせ…??

 雨足は強くなったり弱くなったりだが、傘が必要な状態から解放されないのだけは一貫している。次の目的地は、日和ヶ丘出張所の母店である寺尾支店。小針よりは寺尾の方が商業的に集積しているようだが、どっちもどっちのような気もする。日和ヶ丘から西へ1km弱、区画整理中と見えて、116号線の北側に面する第四銀寺尾支店は、建物の東側が更地になっていた。あとで地図を見ると、寺尾支店は角から2軒目にあることになっているのだが、道路の拡幅のため角にあった商店が立ち退いたようである。寺尾支店の店舗は、新潟市郊外の何の変哲もない2階建てといった印象だった。制覇。
 寺尾支店の次は、南側1kmほどのところにある坂井支店。位置関係としては小針支店に対する小針南支店と同様、116号の本道沿いと旧道沿いである。
 日和ヶ丘出張所で果たせなかった通帳の記帳を寺尾支店で頼んだのだが、その際に坂井支店への道を尋ねた。窓口の若い女性行員が明るく元気に「支店の前の坂道をそのまま降りて、踏切も越えて、そうしたらその先にローソンがあるんですけど、そこからさらにまっすぐ行くと、左側にあると思います」と教えてくれた。この時点で、実は私は「あーあ、女に道を聞くとろくな説明をしないな」と思っていた。要するにひたすらまっすぐ行けばいいわけではないか。だったら「ひたすらまっすぐ」と言えばいいのであって、何も途中にあるローソンを引き合いに出す必要はないのである。
 ともあれ、邪悪な心は笑顔で隠し、教えてもらったとおりに坂井支店に向かうことにした。支店前の信号から南の方向に下り坂になっているのは小針地区と同様で、基本的に住宅地であるのも小針と変わらない。交通量はそれなりに多いようで、曲がりくねった坂道は両側の建物を除去してまっすぐな片側2車線の広い道にしようとしている。3月11日現在では、建物のセットバックは終わったものの、曲がりくねった片側1車線の道はそのままであった。建物を除去された空き地には砂利が敷かれ、道路工事の時を待っている。
 そんな、広くて狭い坂道を下っていくと、確かに坂を下りた角にコンビニのローソンがある。この情景を見て私は即座に、さっきの女性行員の説明が非常に的確であったのを理解した。なぜかというと、寺尾支店前から続く細い曲がりくねった道は、このローソン前の交差点で終わり、交差点より南側は既に区画整理の終わった幅の広い4車線道路になっていたからである。つまり「ひたすらまっすぐ」としか聞いていなかった場合は、この交差点でどちらへ行けばよいのか迷うはずなのである。
 男性よりも優れた頭脳の働きを持つ女性は、たぶん数多い。しかも女性は、大都市に出ていったまま戻らない男性と違って地元志向が強いから、地方都市には頭脳の明晰な女性が能力も生かされないまま多数埋もれている気がしてならない。第四銀寺尾支店のこの女性行員もそうした一人ではないだろうか。大都市では逆に、自分が有能だと思い込んでいる勘違い女のインフレ状態にある(「本当に有能な女性」の存在を否定するわけではない)。「才」も「色」もある女性は地方都市に埋もれているものだ、ということを、坂井支店に向かう道を聞いたことで勉強したような気がする。勉強しまっせ、■■の坂井…。
 寒い方向に話がそれた。小針・寺尾地区での最終目標である坂井支店は、ローソンの南数百mの交差点角にあった。この支店の建物は建築年次がかなり新しいようである。制覇。
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2005年04月15日

11日(金)B 哀愁の昼休み

 ここから先は、国道116号線を西にひたすら進むことになる。ひたすらといっても寺尾までの2km弱だけだから、ささやかなお散歩に過ぎない。しかし、この行程こそ、本日一番のハイライトとなるはずのものである。JR寺尾駅北側の寺尾支店、そして、現在地と寺尾支店の中間地点に、日和ヶ丘出張所。なんといっても今回は日和ヶ丘出張所の最終日を取るために新潟にやってきたのだ。
 というわけで、出張所目指して雨の中を歩いていく。116号沿いは、さすがに街道沿いということでスーパーマーケットやロードサイド型の商店が建ち並ぶが、基本的にはさっき歩いた小針駅南側斜面と変わるところのない住宅地である。116号は新潟の重要な道路だが、この道の沿線はやはり開発が結構古いと見えて、店も中途半端に古いものが多く、また空き店舗も多い。
 すぐに着くかと思ったが、そう思って歩き出すと意外に所要時間がかかっていらいらさせられる。もういい加減に歩いたよなと思う頃、ようやく進行右側に第四の緑看板が見えた。銀行の店舗は、看板の隣にある浅い三角屋根のついた平屋建ての建物だろう。小規模な銀行店舗によく見られる、小ぢんまりとした小規模な建物。歩み寄ってみると、思ったとおり入口の自動ドアには第四銀ではおなじみの緑と水色のカラーシートが貼られている。自動ドアの横には、統合を知らせる大看板。支店統廃合の度に繰り広げられるさまざまな人間模様が、ここでも繰り広げられたに違いない。寺尾支店日和ヶ丘出張所は本日限りで窓口営業を終了し、来週から窓口業務は母店の寺尾支店が継承、跡地ではATMのみ引き続き稼働するそうだ。
 これまで、銀行営業店の最終営業日に窓口を利用できた時、私は行員さんに一言「お名残惜しいです」ぐらいの挨拶をするようにしてきた。どう能書きを垂れても、銀行めぐりという趣味はしょせんは物見遊山に過ぎないし、銀行の収益に貢献しているわけでもない。苦労している現場へのせめてものねぎらいという気持ちである。
 一応殊勝なことを考え、コミュニケーションを兼ねて通帳記入をここの窓口でやってもらうつもりでいたのだが、何ということだろう。ATMコーナー奥のシャッターは堅く閉ざされていた。コーナー内のプレートを見ると、この出張所は12時から13時まで、行員の昼食のため窓口営業を休止するのである。時計代わりの携帯を見た。12:30であった。
 ATMは動いている。30分は貴重な時間だ。かくして、日和ヶ丘出張所の最終営業日の制覇は、ATM操作のみであっさり終了した。
posted by 為栗 裕雅 at 07:53| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月14日

11日(金)A この付近の地形は「浜堤」といいます

 次の目標に向かう前に、駅からの途中で気になっていた1軒の店に入る。「鳥料理の店・鳥平」。私の田舎・群馬には、読み方の同じ「登利平」という鳥料理の店があって、帰郷した際には必ずここの「松弁当」を買って食べるのだが、このことからもわかるとおり私は鶏肉が大好きで、店のジャンルとして「鳥料理」を謳うぐらいの店であれば、さぞかしうまいであろうと期待してしまうのである。
 鳥の唐揚げ定食をオーダーした。890円という価格設定に度肝を抜かれたからである。チキンカツの定食が730円であるのに、だ。唐揚げがチキンカツより高いなど、通常ありえないだろう。しかも「切ってお出ししたほうがよろしいですね」という念押しからして、ただならぬものを感じていた。
 料理が出た。何なのだこれは! モモ・胸・手羽、鶏のほとんど全ての部位が含まれている。聞くと、これで「半羽」なのだという。なるほど、このダイナミックさからしても、890円という価格設定だけの価値はありそうだった。新潟を再訪したら、ここで食事にしよう。
 ニワトリ半羽分の唐揚げで昼食を済ませると、雨はいっそう激しくなっていた。さっきまでなら傘なしでも何とかなりそうだったが、もうこの降り方では完全に不可能だ。さすのが面倒でカバンにしまったままとなっていた傘を、ついに開く。無条件降伏みたいで癪に障るが、仕方がない。
 次の目的地である小針支店は、今の「鳥平」の前をそのまま北に向かい、越後線の北側を東西に走る国道とぶつかった付近にあるらしい。さっきも歩いたこの道は、小針駅の東側を南北に走っている。斜面の道であるから当然坂道である。踏切を越えてだらだら坂を登っていくと、坂道のてっぺんで国道に当たった。片側1車線プラス遷移車線のついた道だから、さほど幅の広い道路ではない。この付近の地形は浜堤といって、日本海の波が運搬作用や堆積作用によって海岸に砂を積もらせ、海岸線に平行に天然の堤防が築かれたものである。現116号が浜堤のてっぺん、越後線がそのすぐ下、116号旧道が浜堤の内側を走っているというわけだ。
 小針支店はどこにあるのか。交差点から西側を見ると、探すまでもなく第四銀のダークグリーンの看板が見つかった。トマトの断面みたいなマークのついたやつである。明治時代からずっと使われているあのマークは、正しくはトマトではなく太陽がモチーフで「作画する際のヒントが柿」であるそうだ。支店の建物は当たり前のようだが小針南支店より古い。制覇。
posted by 為栗 裕雅 at 05:10| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月13日

11日(金)@ ついに寝過ごした3日目の朝

2005年3月11日(金)

 金曜日の今日は、新潟市内だけで第四めぐを完結させる予定である。
 新潟市西部の住宅地にある寺尾支店日和ヶ丘出張所が、本日をもって営業を終了する。このため、この出張所の最終営業日を取るのが今回の目標で、今回の新潟「失踪」はこれに合わせて日程を決めていた。つまり、日和ヶ丘出張所の制覇が、今回最大の目標だったというわけである。
 日和ヶ丘に合わせて、新潟市西部のJR越後線沿線の拠点を総なめにしてやろうと考えていた。新潟駅を07:59に出る越後線の普通列車吉田行きで出発、この3月に開業したばかりの新駅、内野西が丘に08:34に到着し、駅から推定徒歩15分の西内野支店プラス内野支店をウオーミングアップとして、新潟市内まで攻め上がってくる計画であった。
 ああ、それなのに。私は体力的にはすこぶる貧弱で、しかも睡眠の所要時間が人並みより長い。この日の朝は、これまで無理していたツケがついに回ってきたようである。6時半に目覚ましをかけて寝ていたが、7時半にモーニングコールがかかるように電話のセットもしていたが、私の眠気はこれら全てに勝っていた。朦朧とする意識の中、音を止める動作だけはしっかりと行っていたのである。はっと気付いたとき、時計の針は既に10時近かった。やばい、ホテルのチェックアウトタイムだ。ガバッと跳ね起きたが、ホテル代を金曜の晩の分まで前金で払ってあるのを思い出した。つまり宿を引き払うのは明日だ。跳ね起きて損した気が一瞬したが、冗談ではない。当初のプランからして、既に大遅刻である。
 今日のメーンエベント、日和ヶ丘出張所は、JR越後線の小針駅と寺尾駅とのちょうど中間にある。この付近は新潟市のベッドタウンで、短い駅間に複数の営業店が咲き乱れ、まさに「だいしの花園」といった観のある場所である。西内野支店に始まる2支店を押さえた後、日和ヶ丘と一緒にこの駅周辺の複数の支店を制覇してくる予定だったが、内野は後回しにして、大切なところを先に攻めておくのが賢明だろう。越後線の電車が内野以西で1時間1本に激減してしまうこともあって、日和ヶ丘出張所の新潟側の最寄り駅である小針で降りて、制覇を始めることにした。
 新潟11:00発の内野行きに乗車。車窓から見える空はどんよりと曇っている。テレビの天気予報では下り坂になると言っていた。雨より晴れのほうが行動の自由を束縛されない点でベターであるのは言うまでもないが、どうしても雨が1日避けられないなら、せめて今日のように歩き回る日に降らないでくれ、等と勝手なことを考える。今回でいえば、昨日は車だったんだから「昨日にしてくれ」と思った。もっとも、昨日が雨ならタライ舟には乗らなかったが。
 新潟から4つ目の小針で電車を降りる。新潟地区には昨年末から自動改札が導入され、小さな小針駅の駅舎は建物のかなりの部分を自動改札機が占めている。平屋建ての平べったいコンクリート建築を出たとき、すでに雨は降り始めていた。やれやれ、ついに雨にたたられたか。しかし、この程度の降り方なら傘なしで済ませられるかもしれないので、カバンの折りたたみ傘は出さずそのまま第1目標を目指すことにする。
 小針駅が起点ということは、今日の第1目標は、小針駅から南に数百mの場所にあるはずの小針南支店となる。これから、小針南支店を起点として、大まかには越後線沿いに東から西へ1駅進む。越後線にぴったり寄り添って柏崎まで走る国道116号は、この付近では線路の北側を走っていて、新潟市内から放射線状に伸びる重要な交通網の要をなしている。今回の私の目的地も、多くはこの道路沿いである。
 第一目標の小針南支店は、小針駅南側に規則正しく住宅が並ぶ区域の南側にある。町並みからして宅地としての開発は昭和40年代頃ではないだろうか。小針駅前は商店街などはなく、駅前からいきなり住宅地が連なっていて、駅から南の方向へはなだらかな斜面となっている。駅の東側を南北に走るなだらかな下り坂を下りて、116号の南を並行して走る県道2号線(といっても116号の旧道であるが)との交差点そば。住宅地店舗としては何の変哲もない2階建てであった。
posted by 為栗 裕雅 at 06:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月09日

10日(木)F 金山の町・相川から帰途へ

 佐渡島の西側を深くえぐる真野湾の輪郭にほぼ忠実に走り、私の車は旧相川町の市街地に入った。ここは佐渡金山のお膝元であり、江戸時代には天領であった町である。ここに、第四銀行は相川支店を置いている。
 事前のリサーチでは、相川支店の場所は「佐渡西警察署そば」となっていた。佐渡西署は、県道を直進してきてすぐ見つかった。そのままさらに直進すると尖閣湾などの景勝地に向かうが、そちらに向かわずに信号で右折する。狭い道は商店街に続いているようだったが、道の奥で車は進めなくなった。行き止まりではない。しかし、バリケードで先の道が封鎖されている。どうやら市のようなものが開かれているようだ。
 仕方がないので、近所に車を停めて歩き回って探すことにする。佐渡西署から佐和田寄りにだいぶ戻ったところにあるコンビニ、セーブオンの駐車場に車を置く。セーブオンは私の社会学的出身地・群馬県の総合スーパー「ベイシア」が経営するコンビニチェーンである。
 うなぎの「ひまつぶし」、ではなく櫃まぶし弁当を買った。もちろん空腹だったからだが、考えてみればさっき小木で昼飯にしようとしてやめたのである。会計を済ませながら、レジで第四銀行の場所を聞く。第四の支店は、市が開かれているさっきの道沿いにあるようだ。相川では、毎月10日に「十日市」が開かれているのだそうだ。そういえば、3月10日は「佐渡の日」だそうで、朝来るときに乗ったフェリーの船内には、何やら観光キャンペーンがあることを告知するポスターが貼ってあった。両方とも今日が該当日で、事前のリサーチの過程で佐渡汽船のサイトも観光協会のサイトも見ているのだが、私は事前に何も知らなかった。佐渡での宿泊費が安くなるのであれば、場合によっては佐渡での宿泊を考えてもよかったのだが。関係各機関の連携がいまひとつのようである。
 さて、セーブオンの北隣りは相川町のバスターミナルとなっている「相川会館」で、西警察署はさらにその北側。セーブオンに車を停める前に、さっきからこの付近を車で何度もうろうろしている。やれやれと思いながらも、さっきバリケードとなっていた(というか今もなっているのだが)路地の奥の道へ入った。
 相川の十日市は、素朴な風情を残す市であった。都会でいうとフリーマーケットのようなものだが、並べている商品は自分の家で栽培した野菜や、自分で獲ってきた魚などである。車の通行を遮断した道路に、全くの個人が思い思いの店を出しているようだが、詳しいシステムは知らない(高知市の日曜市などは登録制らしい)。違う店で同じ物を売っていることもあるようだが、それぞれに固定客がついていて棲み分けているようだ。「佐渡の日」で呼び寄せた島外客をうまく連れてこられれば売り上げも増すのではないか等々、市を見に来たわけでもないのに余計なことを考えた。
 第四銀行相川支店は、市の出店が並ぶ商店街の一角にあった。ATMを使った制覇の作業はすぐに終わり、本日の第四銀めぐりの締めくくりとして窓口で記帳をしてもらった。
 窓口での記帳は、第四銀めぐりをしていて行員と唯一触れ合う機会であるのだが、どこの窓口でも行員はみな事務的・機械的に処理をしてくれるので、多少物足りなく感じる。もっとも、人懐こく話し掛けてくるのは困ってしまうこともあるから、人間というのはつくづく勝手なものだ。それにしても、私の通帳は同一日付でたくさんの支店名が印字されるのだから、「支店をめぐってらっしゃるんですか」ぐらいのことを言われた経験が1回くらいあってもいい気がするのだが。銀行員は個々の取引の内容に関心を持たないように教育されているのだろう。

 この旅行記は「第四銀行めぐりの体験記」であるので、佐渡島の記述はこれにて終了である。蛇足ながらこの後のことも書いておくと、相川支店の次に尖閣湾をパッと見て、その後は佐渡金山まで車を走らせる。鉱山跡地をいかに観光地にして盛り立てるかという点では、どこも苦労が絶えないようである。金山から帰途につく。旧両津市エリアのガソリンスタンドが閉まる夕方6時過ぎには両津に戻らなければならず、ほかの観光地に行く余裕はないが、まっすぐ両津に帰ると時間が多少余るので、行きに寄ったドーナツ店でもう1回コーヒーブレイク。17時半にドーナツ店を出て、ガソリンは両津地域のスタンドで無事に入れることができ、レンタカーは18時20分頃に返却を済ませた。フェリーの両津発は19:40で、フェリーターミナルの待合室で時間をつぶす。乗る前にフェリタの土産物屋で「佐渡土産」となりそうなものを探したが、率直に言って佐渡島は買って帰るものが何もない。敢えて言えば、金山で「金の玉」というアブない名前のお菓子を見つけたが、私はこれをフェリタの土産物屋でも買えると思って買ってこなかったのである。フェリタの土産物屋では「金の玉」は扱っていなかったので、非常に残念であった。19:40両津発、22:00新潟着はダイヤどおりである。万代島のフェリタから、新潟交通の路線バスで新潟駅へ戻った。朝と違って夜の便にはバスが接続している。怒涛の2日目が終わった。

[3月10日篇 おわり]
posted by 為栗 裕雅 at 15:28| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

10日(木)E 悲恋の物語と拉致事件と

 制覇を少し休んで、旧小木町まで足を伸ばしてみることにした。佐渡名物のタライ舟に乗ってみようと思ったのである。
 南佐渡支店前を道なりに南下すると、海沿いに走る県道にぶつかる。その県道をちょっと西に進むとさっき別れた350号と再会し、その先には左側に佐渡汽船のターミナルが見える。小木からは直江津行きのフェリーがシーズンオフの今は1日2本出ており、行きに乗ってきた新潟−両津フェリーと佐渡島の陸上部分とをあわせて国道350号を形成している。
 佐渡汽船の隣り(といっても距離は若干ある)に、土産物屋と食堂を併設した観光案内所があった。駐車場には私の車以外に停まっていない。食事をしようと思って建物に入ると、職員と思しき男性が近寄ってきて「お客さん、タライ舟には乗られますか」と聞いてきた。団体客の予定が入っているので早めに乗ったほうがよいという。「食事は後でもできますから」ということで、とりあえず男性の言うとおりにチケットを買ってタライ舟の船着場へ。おけさ服というのだろうか、佐渡おけさの衣装を身にまとった女性が3人待ち構えていた。
 観光シーズンでないせいか、気さくな3人の女性たちは「カメラお持ちでしたら写真お撮りしましょうか」等々、至れり尽せりであった。佐渡・小木に伝わるタライ舟は、直径2mほどの大きなタライを1本の櫂を使って漕ぐもので、普段は主に海女による地先漁業(サザエ・ワカメ漁)で使われている。
 観光タライ舟のおけさ服の女性によれば、こういう伝説が伝わっている。江戸時代、小木の海女が対岸・柏崎に住む男と恋に落ち、タライ舟で本土に渡って逢瀬を重ねていた。女の航海の目印として、男が海岸で火を焚いていたが、関係が疎ましくなった男はある時海女が来るとわかっている日にわざと目印の火を焚かなかった。女は大海原をさまよった挙句、遭難して帰らぬ人となった、という。実話であれば気の毒な女性だが、この伝説にはいくつかの異話があって、ディテールが少しずつ異なる。同じ話が、柏崎では佐渡の娘がストーカーだったように伝わっているようだし、上越市・鵜の浜温泉(旧大潟町)に伝わる話では、男はやむにやまれぬ事情で目印の火が焚けず、女の遭難を聞いて自分も身投げしたという悲恋の物語となっている。なお、タライ舟では小木から柏崎まで交代で漕いでも19時間かかるそうだ。
 タライ舟は私も少し漕がせてもらった。タライにぶつけないよう注意しながら櫂を操るが、なかなかうまくいかず、舟はその場でぐるぐる回転するばかり。これで佐渡から柏崎まで渡ったとは、信じられない思いだ。

 タライ舟クルージングは20分ほどで終わり、陸地に戻ると私は直ちに車を発進させた。飯を食うつもりであったが、やめてしまった。次なる目的地は、相川支店。これまでの逆コースをたどって350号を北上、佐和田まで20km余、さらに佐和田から県道に入って10km。「県道に入って」といっても、道としてはひたすらまっすぐで、国道のほうが右にそれていってしまうのだが。
 旧小木町から旧羽茂町へ。さらに旧真野町に入ったところに、海水浴場があった。海なし県の群馬で育ったせいか、私は海というものに対して変に強い憧れがある。車で海沿いを走っていて、砂浜に入れるところでは、時間に余裕があるとそこで小休止している。今回も、何の気なしに駐車場に乗り入れた。
 砂浜に出てみると、雑多な漂着物がそこここに散らばっている。海水浴のシーズンにはゴミ拾いをしてきれいな砂浜にするのだろうが、3月の今は散らかり放題である。自然の状態での漂着物は、波と水中の砂とで磨かれてすり減った流木や、ワカメかテングサか知らないが黒く縮れた海草の類というのが一般的だろうが、日本海沿岸での人間生活の営みを反映して工業製品が意外に多い。海中標識のブイのかけらのようなものがあったり、なぜか靴が片方だけいくつも漂着していたり。中身の入った使用途中の目薬まであった。日本製品が多いが、ハングル語、中国語の書かれた漂着物も数多い。大小のビン類も多く、そうした中に目立つのが、韓国焼酎の緑色の空き瓶であった。
 昼下がりの砂浜に、人の気配はまるでない。これで日が暮れたらもっと淋しくなるのであろう。前方の数百m先に見える岩場では、岩のてっぺんに数羽の水鳥が止まり、こちらをスパイしているかのようである。水鳥を遠目で見つつ、いくつもの漂着物に書かれたハングル文字を見るともなく見ているうち、くっきりと思い出された一つの事実があった。つい最近まで、北朝鮮の工作員がこの付近の海岸で蠢いていた、という事実。今、もし突然この場に北鮮の工作員が現れたとして、助けてくれる人はおろか目撃者さえ一人もいない。そう考えると急に背筋が寒くなった。
 拉致被害者の一人・曽我ひとみさんは、真野町の人である。曽我さんは1978年8月12日夕方、母親と2人で自宅からお盆の買い物に出たまま行方不明となった。曽我さんの証言によると、3人の男に襲われて袋に詰められた後、小舟で川から海に出て沖で大きな船に乗り換えたという。つまり、北朝鮮が曽我さん母子を連れ出した現場は、私が今いる海水浴場からほんの数km先にすぎないことになる(ひょっとしたらまさにこの海岸だったかもしれない)。この静かな日本海を現場として、工作員が日本国民を拉致して過酷な運命を背負わせた。もうこの1点だけで、私は北鮮という国を許せない。朝鮮半島が大日本帝国の植民地であった時代を「不幸な過去」として認めたとしても、そのことと拉致事件とは、実は直接の関係はない。戦時中の植民地支配を理由に戦後の拉致事件が容認されるわけがないからである。
 小木のタライ舟も北鮮の工作船も、日本海という穏やかな内海を舞台として成り立った。豊かな国土にはこうした側面もある。佐渡西岸の静かな海岸で、私はこんなことをぼんやりと考えていた。

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posted by 為栗 裕雅 at 07:52| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ一覧(過去の連載など)
大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇(24)
単発(12)
告知板(24)
銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇(29)
りそめぐ2013梅雨 大阪市営バス“最長”路線[93]を行く(43)
りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇(51)
りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇(35)
りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇(8)
りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた(18)
りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動/銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇(20)
りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー(11)
りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ(47)
りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇(51)
りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
りそめぐ2007秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる(35)
2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)