2006年04月30日

2006.01.12(木)(17)12:49、田原本支店を制覇

 東に向かって歩きつづけると、この道はT字路にぶち当たった。ここで左折。さすが城下町(に似た陣屋町)だけあって、一定の方向に直進するということが難しい。りそな銀行田原本支店のある田原本町阪手は、町の中心部を北に向かって流れる寺川を渡った国道24号線沿いにある。川を渡るということは当然橋を渡るのだが、橋のあるところまで駅前から直進では辿り着けないのである。突き当たり部分に建っている古い建物は、外観が古いまま改装されていて、この町には私が提唱しているような「町の観光化」に貢献している家も部分的にはあるようだ。しかし、古い建築はやはり、塗り壁がはがれているなどくたびれた建物が多い。
 寺川の橋を渡る。この川は大和川の支流である。盆地の真ん中を流れる川にしては水量が多く、かつて田原本が「水都」であったことをうかがわせる。やがて信号が見えてきた。角には地場のスーパーマーケット。この信号が国道24号線との交差点のはずで、ということは目標の田原本支店はすぐそこだ。信号の角で右折すると、見覚えのある緑色の看板が見えた。目標発見。
 支店の入口についている自動ドアは、2mほどもあるだろうか、ドア1枚の幅が異様に広い。自動ドアの機械装置は相当古いらしく、ドアの開閉のたびにグアーッと吠える。そこを入ると、ATMが2台、いずれも金庫のような鉄製の枠をはめられた状態で別々に置かれていた。奈良銀行は、ATMのなかった支店にATMを配備する際、コスト面の理由からか、改装工事をしてATMブースを設置するということをあまりしてこなかったのである。
 ATMを操作する。機械は他の奈良銀店と同じオムロンHXである。12時49分、田原本支店を制覇した。
 制覇を済ませて、店内の様子を垣間見る。田原本支店のカウンターには、旧奈良銀のシンボルカラーである黄緑色の着色がなされている。窓口室にトイレがあったので、一声かけて貸してもらった。用足しを済ませて支店の外に出ると、吉野支店にもあったような、外から直接2階に上がれる階段がついているのが見えた。田原本支店は2階に夜間金庫の投入口があるようだが、それとは別に吉野支店のように公民館のような施設があって、グランドピアノが置かれているそうだ。
 旧奈良銀行の田原本支店は、1985年3月26日、三栄相互銀行20番目の店舗として現在地で開業した。当地には奈良中央信用金庫(旧田原本信用金庫、1978.11改称)が現在も本店を置いている。もともと中小金融機関が少なかった奈良県に、信金は現在3金庫しかなく、そのうちの一つが田原本に本店を置いて地盤としているわけだ。加えて南都銀ももちろん支店を構えており、田原本は金融激戦区の支店と言える。

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2006年04月29日

2006.01.12(木)(16)観光地の「ダイヤの原石」田原本

 駅前から歩き出してすぐにわかったのだが、田原本駅前の風景は実際に「新鮮な風景」であった。田原本駅前は商店街で、商店がぎっしりと並んでいる。駅前商店街そのものは別に珍しくもないが、この町のすごいところは何と言っても町並みであった。商店として活況を呈しているかどうかはともかく、並ぶ建物にはことごとく年季が入っている。何しろ、土蔵づくりの商店まである。古い時代の商店街にタイムスリップしてきた感じが、本当にするのだ。昭和初期、東京にはいわゆる「看板建築」と呼ばれる商店建築が一世を風靡したが、ここの商店建築は明らかにそれより古い。以前来た時にはそこまで目が肥えていなかったはずだから、その点でも「新鮮な風景」であった。
 事前のリサーチのとおり、駅前からクランク状に右折−左折と曲がって、東の方向に進んでいく。相変わらず年季の入りまくった商店街が続いている。道幅は車1台通れるぐらいだろうか。対向車の離合はちょっと難しそうである。
 このあたりの商店建築は、土蔵と格子のついた窓が標準装備であるようだ。とにかく土蔵の残存率が高い。つい「土蔵がすごくたくさん残ってるんどぞう」と親父ギャグを独りごちてしまった。個人商店の業種としても、呉服店まである。窓に格子のついた商店や土蔵づくりの商店に混じって、この地域の豪商の屋敷だったのか、屋根つきの塀で囲まれた民家もちらほら見られる。
 田原本町は、安土桃山時代の慶長年間に寺内町(寺を中心とした町)として開け、江戸時代寛永以後は田原本藩の城下町であった。城がなかったので、正確には城下町ではなく「陣屋町」という。水運の発達した商業の町として、明治時代前半までは奈良県中和地方(奈良市を除く奈良盆地)では最も繁栄した地域であったが、鉄道の発達に乗り遅れて沈滞してしまった。逆にそれが幸いして、これだけの味わい深い町並みが今に残ることになったと言える。
 田原本の趣はいわゆる「小京都」なのだろうが、こうした町の佇まいは京都でもなかなか見られなくなったのではないだろうか。関東でいうと埼玉県川越市が「小江戸」と称して観光開発をしているが、田原本町もこの古い商店街をそのままウリにした観光開発が可能かもしれない。ここが奈良県であるのが惜しまれる。ただでさえ奈良が観光王国であるのに加え、京都に似た町並みを「小京都」として観光地化するのは、「本物の」京都から100kmぐらいは離れていないと無理だろう。しかし、これだけまとまっている古い建築をこのまま消滅させてしまうのは、あまりにもったいないと思う。
 加えて、田原本町は「唐古・鍵遺跡」という観光資源(の原石)も抱えている。最近の中高生には、田原本町は教育出版の中学国語(2年)の教科書に出ている唐古・鍵遺跡のある町として聞き覚えがあるかもしれない。吉野ヶ里(佐賀)や登呂(静岡)といった遺跡と並ぶ弥生時代の大遺跡である。蛇足ながら、私はこの教材を学習塾在職中に扱ったことがある。
 とにかく私は、田原本は観光地として今後有望だと確信する。時間があったらもう1回じっくり歩いてみたい。私の目は結構確かなつもりだ。99年に沖縄旅行に行った際、当時さほど有名でなかった「勝連城跡」(沖縄県勝連町、現うるま市)をたまたま訪れて著しく感銘を受け、同行の友人に「ここは素晴らしい、絶対観光開発したい」と興奮気味に語った。その翌年、勝連城跡は世界遺産に登録されたのである。

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2006年04月28日

2006.01.12(木)(15)高田から田原本に向かう

 改めて言おう。次なる目標は、田原本支店(磯城郡田原本町)である。
 さっき予定変更したとおり、ミスタードーナツ高田市駅前ショップでしばし「一人作戦会議」(コーヒーブレイクともいう)。携帯でダイヤを検索した結果、高田市を12時12分に出る橿原神宮前行きの準急に乗ることが決定した。
 少し早めにホームに入ると、準急より3分早い12時09分発の吉野行き特急が発車していった。2両編成の特急車両に、客は5人程度しか乗っていない。こんなにすいているのなら俺も乗せてくれよと少しだけ思ったが、すぐに自分の乗る電車が来た。12時12発、準急橿原神宮前行き。こちらも3両編成である。やはり南大阪線はローカルイメージが強い。
 橿原神宮前には12時20分着、3分の接続時間で、橿原線の各駅停車大和西大寺行きに乗り換えである。神宮前の駅の構造を考えると、乗り換え時分はわずかしかない。ドアが開くと同時に電車を飛び降りて地下道に駆け下り、再び階段を駆け上がって橿原神宮の参拝口となっている中央出口(地上)の前を通り過ぎると、前方の行き止まり式のホーム(標準軌の橿原線にとってこの駅は完全なる終点である)から各駅停車が今にも発車しようとしていた。
 飛び乗る。ドアが閉まる。発車。こちらの各駅停車は4両編成である。車両は今日何度か乗っている南大阪線のそれより新しく、ドアの上にはLEDによる駅名表示器もついている。標準軌の大阪・奈良線系が近鉄のドル箱路線であることを再確認した。
 橿原神宮前から田原本まで6駅、12分の乗車で田原本駅に12時35分到着。複線の両側にホームがへばりついているだけの小さな駅であるが、近鉄田原本線(たわらもとせん)との乗り換え駅である。田原本線は近鉄の標準軌の路線で、名前も「本線」とついているように見えるが、ローカルイメージが強い幹線の南大阪線とは異なり「純然たるローカル線」で、もちろん「本線」ではない。この線は田原本駅の西側、西田原本という別の駅から発着していて、乗り換えるにはいったん改札を出なければならない。奈良県内の近鉄の路線網は、昭和30年代に中小私鉄を買収して現在のスタイルまで形成されたので、この駅のように改札を出ての乗り換えということもある。ちなみに、田原本線の西の終点・新王寺駅も、近鉄生駒線の王寺駅とは離れた場所にある。すると田原本線は近鉄の離れ小島ということになるが、実は西田原本駅の北側で橿原線とレールがつながっている。
 田原本線について長々と書き連ねたのは、かつてこの駅で乗り換えたことがあるからである。何年前だか忘れたが鉄道の全線乗りつぶしを目論んでいた頃、新王寺から西田原本に入って田原本線を完乗し、歩いて数分の乗り換えを実践した。田原本からどこへ向かったかは覚えていないが、西田原本駅から田原本駅へ行くまでの間のラーメン屋で遅い昼食を摂ったことと、店内のドアに「社長室」というプレートが貼ってあったことだけなぜか覚えている。あと、そのとき食べたメニューがチャーハンだったことも。
 電車を降りて地下道を抜け、田原本駅の改札を出た。乗り換えをした「ことがある」ことだけ覚えていても、今回の制覇にはまったく役に立たなかった。今見ている駅前の風景は、実に新鮮であった。つまり、以前に見たことをすっかり忘れてしまっているのである。
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2006年04月27日

2006.01.12(木)(14)11:43、高田支店を制覇

 高田市駅の改札を出てすぐ目の前に、ミスタードーナツの「高田市駅前ショップ」がある。今回の「りそめぐ」の過程のどこでミスドに遭遇するかは、事前のリサーチで既にわかっているのだが、あくまで今日のメインはりそなであり、ミスドは「遭遇したときだけ」制覇しようと決めていた。しかし、改札を出た目の前に店を見つけてしまっては、無視して通り過ぎることはできない。
 私は一つ決断を下した。嫌いな単純往復になってしまうが、ここは制覇を重視して高田市駅から戻ろう。高田支店制覇の後、20分近くかけて大和高田駅まで歩く計画だったが、高田市の出発を15分程度遅らせてミスド店に滞在する時間を作り、次の目的地・田原本に向かう橿原線には橿原神宮前で乗り換えるとしよう。橿原線に大和八木と橿原神宮前のどちらで乗り換えても、乗り換えの回数としては同じである。それに、周遊券がそのまま使用できるのは、単純往復というデメリットを上回るメリットだと思い直した(前述のとおり、大和高田から乗ると八木まで切符の購入が必要である)。
 この決断の前提としては、田原本の次で予定している桜井市で予定時間を多めに取っていることがあった。桜井からはJR桜井線で天理市に向かう予定だが、JRのダイヤの関係から、桜井支店の制覇時間として1時間確保していたのである。これを20分程度削減すれば、帳尻が合うのではないか。地図を見ると、桜井支店は(駅前とは言えないものの)駅からそんなに遠いわけでもない。40分程度あれば十分いけそうである。
 決まった。りそな高田支店を取ってから、ミスドで「一人作戦会議」(コーヒーブレイクともいう)をしよう。ミスドでは座席に腰を落ち着け、携帯電話でダイヤを検索し直す予定である。

 さて、近畿大阪銀行の支店から、高田市駅前に戻ってきた。高田市駅の北側を東西に走る高田市駅前商店街は、賑わいのあるアーケード街のようで、「西吉野のつるし柿」というのをメインにしている果物屋まである。吉野がつるし柿の名産地とは知らなかった。別に「干し柿屋の存在=賑わいがある」という図式ではなくて、店の運営方針にこのように確固たるポリシーを持つ店が1軒あるだけで、商店街全体の程よい緊張感を推察できるということである。もっとも、今は時間的な要因からか少し寂れているように見えたが。
 駅前に出てくると、市街地を貫いて南北に走る河川跡の大通りとの角に、後で寄るミスドがある。ミスドの隣りはバス乗り場で、「新宿行き夜行バス乗り場」などと看板が出ている。新宿からの夜行バスは、私が数時間前に乗ってきたばかりである。そして…。
 見えた。表通りに出て視線を北に向けると、100mほど先に、茶色い外壁をした背の高い2階建てのビルと、見覚えのある緑色の看板。数時間前にバスの車窓から見た、りそな銀行高田支店であった。外壁には、旧奈良銀店舗特有の茶色いレンガ色のタイルを壁面いっぱいに貼り詰めてあって、通りに面した部分の窓がほとんどない独特の外観をしている。自動ドアから入ると、ATMはオムロンHXが2台。高田支店には他行と同様のキャッシュコーナーがしつらえてある。機械を操作、高田支店を制覇した。11時43分のことであった。
 奈良銀の前身・三栄相互銀行の開業は1953年。本店のほか、前述の吉野など4支店をこの年開業しており、高田支店はそのうちの一つである。開業時の支店はJR高田駅前にあったという(旧所在地には現在、旧幸福銀の関西アーバン銀行高田支店があるようだ)。
 大和高田市は室町時代に城下町として成立、江戸初期には専立寺という寺のひざもとで商業が栄え、さらに明治〜昭和初期にかけての鉄道開通により駅周辺にも商業が発達した。だから、市制施行は戦後間もなくと新しいものの、伝統のある町といえる。市街地の核といえたのが「内本町」で、これはJR高田駅のすぐ近くであるから、設置当時の高田支店は大和高田の中心近くに立地していたことになる。蛇足ながら、この付近では現在も旧三和銀行(三菱東京UFJ銀行大和高田支店)が営業している。
 高田支店は1968年2月、近鉄南大阪線高田市駅北(現在地)に移転した。高度成長期以降、大和高田市は大阪のベッドタウンとして発展し、旧市街が相対的に没落してきたためであろう。現在この界隈は、旧奈良銀のほか南都銀と和歌山銀の支店もある金融の激戦区である。南都銀の高田支店は、奈良銀の支店の向かい側、サティ高田SCの建物内にあって、奈良銀はおいしいところを取られている。和歌山銀(高田支店)は奈良銀同様独立店舗のようだ(確認はしていない)。和銀高田支店は、2006年10月の紀陽銀行との合併後も「高田支店」として引き続き営業する。

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2006年04月26日

2006.01.12(木)(13)近畿大阪銀行の高田支店に寄り道

 橿原神宮前支店の次の目標は、橿原市の西隣・大和高田市にある高田支店である。
 橿原市と大阪との間は、近鉄大阪線と南大阪線とが並走していて、どちらの路線も大和高田市を通る。橿原神宮前からだと「高田市」を通って大阪阿部野橋に至る南大阪線に乗るのがよい。「大和高田」を通って難波に至る大阪線は、神宮前の3km北に位置する大和八木から出ている。
 高田支店の最寄り駅が「高田市」であり、私が今「橿原神宮前」にいることからしても、南大阪線で高田市まで出るのが妥当である。加えて、絶対に大阪線を利用できない理由がもう一つある。私の持っている「奈良大和路スルーパス」は、大阪線の大和八木以西では利用できないのだ。この切符では、南大阪線は支線の御所線が接続する尺土(高田市の大阪寄り隣駅:葛城市)まで利用でき、さらに御所線に乗り換えて御所(御所市)まで行くことができる。大阪線にはそれがないのである。
 というわけで南大阪線に乗るわけだが、時刻は既に調べてある。橿原神宮前11時25分発、各駅停車古市行き。高田市までの所要時間は各駅停車利用でもわずかに8分である。高田支店を制覇したら、大和高田市街地を南から北に縦断して大和高田駅まで歩き、大阪線で大和八木へ。そこで橿原線に乗り換えて、高田支店の次の目標・田原本(たわらもと)支店(磯城郡田原本町)に向かう。さっき「絶対に大阪線を利用できない」と書いたばかりなのに矛盾しているが、私は単純往復が嫌いなので、乗車券の購入が必要な大和高田→大和八木間の移動を敢えて設定したのである。
 さて、私は「りそめぐ」の余技としてミスタードーナツのはしごもしている。駅舎の中、りそなの支店の向かい側にミスドがあって、これは寄らないわけにはいかない。時計を見ると11時10分過ぎ。発車まで15分しかないが、たいていのものは10分もあれば食える。昼食代わりに、糖分の多いドーナツ一つ食べておこう。というわけでミスドの「大和橿原ショップ」に入り、ハニーオールドファッションとアメリカンコーヒーを注文した。女子店員の制服が切り替え前の旧型制服のままで、かえって新鮮な印象があった(東京都内のミスドでは新年から一斉に新デザインの制服に切り替えられた)。「女子の制服はスカートでなければならない」が持論の私としては、ミスドの旧制服には比類なき愛着を感じている(新デザインは女子もズボンなのでがっかりしているのだ)。
 ドーナツをコーヒーで流し込むようにして食べて、店を出た。駅に入ると、乗ろうとする11時25分発の各駅停車は、いまにも発車しようとしていた。

 奈良県というエリアは、電車で通るだけでも首都圏とは違った感覚が味わえる。南大阪線の電車が橿原神宮前を発車すると、最初の駅(橿原神宮西口)の手前に大きな池が見えるが、池一つを取っても何となく神々しい雰囲気が漂っている。この池もどこかの神社の御神体だったりするのだろうか。
 橿原神宮前から8分の乗車で、高田市に到着。高田市駅は、複線の線路の両側にホームがへばりついただけの駅で、意外にシンプルである。南大阪線の線路は、高田市駅付近ではJR和歌山線を越えるために築堤を築いて持ち上げてあるので、改札は階下にある。出口に通じる階段に向かってホーム上を歩いていると、今乗ってきた電車が大阪方面に向けて発車していった。それを見て初めて、今乗ってきた古市行きの各駅停車が2両編成のワンマン運転だったことに気づき、途中駅どまりである理由が納得できた。
 改札を出て、少し寄り道。高田市駅東側にある近畿大阪銀行高田支店を視察する。りそなグループに属する地方銀行である近畿大阪銀行。その高田支店は、戦時中の企業合同政策により近畿無尽(旧近畿相互銀行の前身)に合併された高田無尽の旧本店である。こうした経歴から、少しは歴史的な建造物があることを期待していたのだったが、建物そのものはごく普通の鉄筋コンクリート造(1972年築)で、率直に言うとあまり面白みは感じなかった。この支店は雑多な賑わいを保っている「高田市駅前商店街」(そのまんまのネーミングだが)の一角にあって、ロケーションからすると顧客基盤としては地元の個人商店などが多そうである。ある意味旧相互銀行の典型とも言える店舗立地である。
 なお、大和高田市はりそなグループの拠点が多数ある(あった)ところで、今行ってきた近畿大阪銀行の高田支店、この後制覇する旧奈良銀の高田支店のほか、統合されてしまったが旧大和銀の支店もあった。大和銀行やまと高田支店(銀行名と混濁しないよう支店名は「やまと」と平仮名表記になっている)は1976年12月に近鉄大阪線大和高田駅前に開設、2000年9月に出張所化され、りそな銀行となった後の2004年3月に統合されている。小生はやまと高田出張所を2003年5月11日制覇した。
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2006年04月25日

2006.01.12(木)(12)11:06、橿原神宮前支店を制覇

 目を開けると、越部で乗ったときに座席が全部埋まっている程度の混雑度だった車内は、立ち客が多数いる混雑ぶりとなっていた。車窓からは、住宅が建ち並び都市化した風景が見える。
 電車は、線路が何本も枝分かれした大規模な駅に滑り込んだ。橿原神宮前だ、と思う間もなく、進行方向左側の車窓、私の座っている座席からは向こう側の車窓から、ビルの外壁に取り付けられた見覚えのある緑色の看板が見えた。事前のリサーチから、りそな銀行橿原神宮前支店は、橿原神宮前駅の西口を出れば近いことがわかっている。この支店は、線路から見える位置に看板を出しているのだ。
 電車がホームに滑り込み、ドアが開くと同時に、荷物を抱えて飛び降りる。西口へ行くのには、吉野線ホームからは後方に向かえばよい。地下の有人改札で切符を見せて外へ。橿原神宮前駅は橿原神宮を控えた観光地の駅で、私の持っている周遊券には頻繁に遭遇するのか、特に不審がることもなく通してくれた。磁気化された券ではないから、いちいち有人改札を通らなければならないのが面倒くさい。
 この駅の地下には駐輪場があるようで、地下から地上に上がる階段はスロープになっている。傾斜のゆるい階段を駆け上がると、あった、りそな銀行。駅前に建つ3階建ての雑居ビルの1階である。
 正面には、窓口室に入るための自動ドアと、非常に狭いATMブースの出口専用ドアとが並んでいる。ATMブースは窓口室とつながっているが、そこは人間一人がようやく通れる程度の幅しかない。ブースに入れない小錦のような体格の人は、窓口室に置いてあるATMを使うのだろう。この支店もATMは2台配備である。
 脇腹のお肉が気になるものの、私は通路が通れないというほどではない。いったん窓口室に入り、それからATMブースに入った。入口の幅だけでなく、ATMブースの面積も非常に狭いが、機械が使用できないほどの狭さではない。機械を操作、11時06分、橿原神宮前支店を無事制覇することができた。
 橿原神宮前(かしはらじんぐうまえ)支店の奈良銀時代の名称は「橿原(かしわら)支店」で、合併に伴い「神宮前」がついた。店名が、文字では旧あさひ銀行の橿原(かしはら)支店と、音では旧大和銀行の柏原(かしわら)支店(大阪府柏原市)と、それぞれ重複するためである。そして、支店の最寄りも橿原神宮前駅である。開設は1971年11月25日で、三栄相互銀行としては11番目の支店。開設年次が古いためドライブスルーはない。

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2006年04月24日

2006.01.12(木)(11)近鉄吉野線で橿原へ向かう

 トラックをよけながら169号を歩いていると、突然何の前触れもなく、民家の向こう側に近鉄越部駅が現れた。自動改札もない、平屋建ての小さな駅。但し無人駅ではなさそうである。時計代わりにしている携帯電話を見る。10時09分。事前に立てたプランは今のところ破綻せずに済んでいるようだ。少しほっとした。
 昨日新宿のJTBで買ったチケットは、この駅が旅行開始駅となる。今日初めての電車に乗り、橿原神宮前支店の最寄り駅・橿原神宮前まで向かう。予定では10時20分越部発、越部から橿原神宮前まで40分強かかり、11時03分着である。窓口で切符を見せると、定年退職者の嘱託らしい駅員のおっちゃんは、寝ぼけているのか何なのか、私の持っている切符が何だかわからないようだった。結局、切符は見せるだけでそのまま改札を通ってよいことになった。本当は、券片を1枚回収し、周遊区間の券に改札印を押さなければいけないようなのだが。
 橿原・大阪方面へ向かう電車は、踏切を渡って反対側のホームから出る。この駅は単線の交換駅で、2本の線路の両側にホームが1本ずつへばりついている。ホームの長さは短く、4両編成1本が入るのが精一杯ではないだろうか。いまどき大手私鉄には珍しい構内踏切を渡って吉野川に面した反対側ホームに行くと、駅の向こう側にはのどかな風景が広がっていた。竹やぶがあって、その下が吉野川の河川敷になっている。川の対岸、森の向こうから炭焼き小屋のような煙が上がり、太陽が吉野川の水面にきらきらと反射して、何というか「絵になる風景」である。こんなところにある都市銀行の支店。埼玉の山間部に支店のあるあさひ銀行のようだ。
 歪んだラッパのような音がプープープープーと聞こえた。その音が構内踏切の警報機なのだと気づく間もなく、2両編成の特急が吉野方面に通過していった。近鉄吉野線の特急は全席指定の専用車両だが、大きな窓から見える車内に乗客は一人だけしかいないようだった。吉野は桜の季節に行くものだから、1月中旬の今頃では完全にシーズンオフである。
 やがて、さっきと同じ音がして、私の乗る電車がようやくやって来た。4両編成の急行、あべの橋行きであった。

 首都圏で近鉄吉野線に似たイメージの路線を探すと、山あり谷ありトンネルありという点や、有料の特急が走っていることなどからして、西武秩父線が近いだろう。但し、近鉄吉野線は30分間隔の運転であり、西武秩父線より電車の本数が多い。また、ほとんどの列車が飯能乗り換えとなる西武と異なり、こちらはほぼ全ての電車が、近鉄南大阪線のターミナル・大阪阿部野橋との直通である。吾野(飯能市)や芦ヶ久保(横瀬町)から東京都心に通勤する人は多くないと思うが、こちらの沿線には大阪まで通う人が結構いるに違いない。そう思う根拠は、若い乗客が非常に多いことである。特に、大学生ぐらいの若い女性が目に付く。地味な服装の人が多く、英語の勉強をしていたりなど手に持つ荷物も明らかに観光客とは異なる。これは自宅が吉野線の沿線にあるということだろう。時間がずれているから通勤客は見かけないが、しかるべき時間帯にはそれなりに湧いて出てくるに違いない。
 私を乗せた大阪阿部野橋行きの急行は、カーブの多い線路をゆっくりゆっくり進んでいく。急行といっても、吉野線内(橿原神宮前まで)は各駅に停車して、南大阪線に入ってから急行運転となる。吉野線は単線であるからどうしても交換待ちが必要で、各駅に停車することとも相俟って所要時間が長くかかっている。蛇足ながら、近鉄南大阪線は、大阪阿部野橋(天王寺)を起点に、松原・藤井寺・羽曳野・香芝・葛城・大和高田の各市を経由して橿原市(橿原神宮前)に至る路線である。標準軌を採用している他の近鉄各線とは異なり狭軌(JRと同じレール間幅1067mm)で、大阪線と並走していることもあって、近鉄の幹線の中ではローカルイメージが強い。近鉄大阪線と南大阪線との関係は、関東でいうと西武池袋線と新宿線との関係に近いだろうか。
 いい天気である。日光がうららかに車内に差し込み、座席に座って何もせずにボーッとしていると眠気を催してくる。天井を見ると「りそな、なら、いっしょに。」というコピーの書かれた吊り広告がぶら下がっていた。鳥の巣箱を角にぶら下げた鹿のイラストで、言うまでもなく奈良銀がりそな銀と合併したことの告知である。
 JR和歌山線との接続駅・吉野口で、下り電車と交換。この電車に合わせて、JRも上下列車の交換を行い、4本の列車が山奥の駅で同時に停車するという華やかな事態となった。吉野口駅は関西地区には珍しくJRが私鉄部分まで管理している駅で、近鉄ホームの駅名板は、近鉄の他駅とは異なりJR西日本が作成した青いものが取り付けられている。
 10時45分、吉野口を発車。引き続き車窓の風景には注意を払っていようと思いつつ、ここから先には大したビューポイントもないはずなので、睡魔にはどうしても勝てなかった。私は緩やかに眠りに落ちていった。

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2006年04月23日

2006.01.12(木)(10)身の危険を感じた国道169号

 吉野支店の次は、橿原神宮前支店(橿原市)に向かう。橿原まで移動してしまうと、距離の大きな移動は一応終わり、あとは奈良盆地の中をひたすら駆けずり回るだけである。
 支店を出て、ライフ大淀店の西側をまっすぐ南に向かって歩く。事前のリサーチでは、この後すぐ国道169号にぶち当たり、そこから東に10分も歩かないうちに近鉄越部駅にたどり着くことになっている。越部は下市口の吉野側に位置する隣駅で、さっき往路のバスで通った土田のT字路は中間地点より越部寄りである。
 今歩いているライフ西側の道は、169号線の東側を走る崖線の上を、169号と平行に南北に走っている。道の右(西)側は標高が1〜2m下がった畑で、人家もぽつんぽつんと建っている。人家の向こう側は崖で、そこからストンと落ちてバスセンターのある平野があるような感じだ。屋上に駐車場を備えた大スーパーや都市銀行の支店がなければ、このあたりは普通の田舎の集落といった感じの住宅地である。蛇足ながら、このライフの中には奈良銀時代から店舗外ATMの[ライフ大淀店]が置かれている。
 車が1台やっと通れる程度の細い道を抜けてくると、消防署の裏手らしい場所に出た。りそなやライフの乗っかっている台地はここがどん詰まりで、ここから先は幅1mくらいの細い急坂があって、通学路と書いてある。階段ではなく急なスロープになっており、抜け道のような感じである。そこを降りると、目の前に交通量の多い道路が開けた。ここが国道169号線であり、右のほうに視線を移すと、370号の終点である土田のT字路がある。土田T字路とは反対側(左)に曲がって国道を東に行けば、近鉄越部駅にぶつかる。
 越部駅に向かう国道169号は2車線の国道である。このあたりも地名は「土田」なのだが、さっきのT字路近辺とは異なり、旧家の建ち並んだ古い街道沿いといった趣である。白壁の土蔵がそのまま街道沿いに建っていて、窓だけアルミサッシに改装して現役で使用している。こういう姿の土蔵建築は、関東ではなかなか見る機会がないのではないか。あくまでイメージだけでものを言っているが。
 この道を歩く間、正直に言うとあまり生きた心地がしなかった。というのは、道幅が細くて交通量が多いのはもちろん、その交通量のかなりの部分を丸太満載の大型トラックが占め、しかも相当なスピードを出しているのだ。林業が衰退していると言われて久しいものの、それでもさすが吉野スギは一流ブランドであると感じた。小生が旧あさひ銀行で最初に口座を作ったのは、名栗特別出張所といって林業の村にある店だった(埼玉県名栗村:現飯能市。出張所は現存しない)。名栗特出には統合される前に何度か行ったことがあるが、やはりこちらでも丸太を積んだトラックに出くわしている。しかし、台数はさほど多くはなかったから、名栗の林業は最近では吉野ほどは栄えていなかったのかもしれない。吉野の林業も長期的には低落傾向が否定できないのだろうが、それでもこちらは吉野郡全体で営んでいて、大規模なためスケールメリットがあるのだろう。
 とにかく、歩道もない狭い2車線道路を、大型トラックがビュンビュン走り抜けていく。大型トラック同士のすれ違いは、よく電柱をこすらずに済んでいると思うほど際どいもので、電柱が両側に立っているところで離合されると歩行者は通れなくなってしまうのである。これが首都圏なら、国道の道幅を住民運動の力で広げさせるのかもしれないが、奈良県の山奥には左翼もあまりいないのだろう。
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2006年04月22日

2006.01.12(木)(9)09:52、吉野支店を制覇

 桧垣本の交差点から、旧奈良銀の店舗が見えている。看板はもちろんりそな銀行に変わっている。坂道を50mほど上がると、上がりきったところが大駐車場完備のライフ大淀店、その手前にりそな銀行の茶色い建物が見える。
 非常に大きいという印象である。屋根の先端が鋭く尖った切妻2階建てのレンガ色の建物は、予想される支店の規模の割に、建物自体のサイズが非常に大きいようだ。建物の外には、外部から直接2階に上がる階段がついている。奈良銀行の社史によると、吉野支店の2階会議室は公民館のような形で開放しているそうだから、それでだろう。公民館のように会議室を公開している支店はここの他にもいくつかあって、その中にはグランドピアノが置かれた支店まであるということだ。
 吉野支店の建物に入った。ここもキャッシュコーナーにATMは1台しかないが、吉野支店は五条支店と同じくドライブスルー設置店で、ATMは店内1台・ドライブスルー1台のはずである。9時52分、吉野支店を制覇した。
 吉野支店は、奈良銀行の歴史的経緯からして非常に大きな意味を持つ。奈良銀の前身・三栄相互銀行が発足するにあたり、吉野への支店開設は株式募集の際の公約だった。このため、同行の支店開設第1号は(旧)吉野支店なのである。開設は1953年7月8日で、当初は現吉野支店のある大淀町ではなく、下市口から吉野川を渡った下市町にあった。1964年2月、吉野郡内2番目の支店となる上市支店が吉野川上流部(吉野町上市)に開設。これに伴い、旧来の吉野支店は1969年11月に「下市支店」に改称し、いったんこの時点で「吉野支店」の名称は消えた。吉野町役場前にあった上市支店は三栄相互銀行としては8番目の開設で、旧役場庁舎だった古い銀行建築を改装して使用していたという。
 下市・上市の両支店を統合して新「吉野支店」が誕生したのが、1993年3月22日。これが現・吉野支店である。旧下市・上市支店はいずれも老朽化が進み、また両店とも駐車場が狭くて支障をきたしていた。地場産業である林業の衰退で過疎化が進行していたこともあって、両支店の中間地点を念頭に大淀町に用地を確保して新築、2支店を統合して1支店にまとめたのである。公式発表では2支店を廃止して新店を開設したことになっているが、店番号(008)が上市支店を継承しており、上市支店が存続店舗ということになる(電話番号、支店長などマンパワー面は下市支店を継承)。両支店の跡地には奈良銀時代に店舗外ATMが置かれていたが、現在はいずれも廃止されている。

 制覇作業が済んだ後、窓口に「合併記念のチラシとかないですか」と聞いた。女性の行員さんがわざわざ中から出てきて、これが合併のときのチラシで、などと親切に面倒を見てくれた。さっきの五条支店でもそうだったが、行員さんが客の面倒を見る際の動きが非常に自然である。このあたりの支店では心の底から客に尽くしてくれている気がするが、これが「奈良県内の奈良銀店舗」なのだろうか。

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2006年04月21日

2006.01.12(木)(8)都市化の進んだ大淀BC界隈

 回数券を買って戻ると、バスは私を待ちかねていたかのように発車した。私を待っていてくれたのだから当たり前か。車内の乗客は3人ほどに減っている。下市口の駅から終点の大淀バスセンターまでは十分歩ける距離であって、駅前から新たにバスに乗る客はいないのだ。
 さっき国道309号から曲がりこんできた古びた商店街を再び戻り、駅入口の「岡崎」の交差点。今度はここで左折して、370号に入る。この交差点を曲がらずにまっすぐ南に進むと、吉野川を越えて下市町に入る。近鉄の駅は下市の玄関口だから「下市口」なのである。
 岡崎で左折したバスは、ほんの数分東に進んで近鉄吉野線を踏切でまたいだ後、「土田」のT字路で左折した。このT字路で370号は終わり、あとはどちらに進んでも国道169号線となる。ちょっとわかりにくいが、要するに上市方面と奈良県中心部とを結ぶ169号線は、左(東)から土田T字路まで来て、下(北)に進路を変えるのである。
 車内で地図とにらめっこしながらバスに乗っているので、予期したとおりに踏切があり、予期したとおりにT字路を曲がってきた。オブジェクトは予想どおりのものに遭遇するのだが、車窓の風景だけは事前の想像と多少違っていた。現地に来る前、この付近は林業を主産業とする静かでひなびた山奥の町だと想像していたのだが、新しい住宅やビルも多いし、道路の周辺を固めたコンクリートも真新しくて、意外に開けている。大淀町は山奥といえば山奥なのだが、吉野川の河岸段丘上であり、従って思ったより起伏が乏しくて平らな場所が多い。
 地図を見ながらバスに乗っているので、わが目的地もすぐそこだとわかっている。ほどなく、終点のアナウンスとともにバスが道路の横に乗り入れた。大淀バスセンターである。屋根のついたバス用のプラットホームが数本並んでいる。バスはそのうちの一つに横付けして停まった。バス代を払ってバスを降りると、バスセンターの南隣にダイソーがあるのが見えた。広島県に本社のある百均店。畜生、ダイソーがあると知っていれば、さっき乾電池をわざわざコンビニでは買わなかったのに。
 心の中で歯ぎしりをしながら吉野支店に向かう。地図によれば、吉野支店は、バスセンターの北側、桧垣本(ひがいもと)の交差点で右に曲がってすぐのところらしい。この交差点も、角にあるのはコンビニのエーエムピーエムである。APは近鉄と提携しているから、奈良県にはAPの店舗が多いのだろうが、いずれにしても大淀町のこのあたりは、吉野郡の中では新しく開けてきたところのようである。とはいうものの、空き地なのか畑なのかとにかく建物のない土地が(さっきの五条市と比べると)多いようだ。
 北に向かう国道169号線に平行して崖線が走っているようで、国道の100mほど東側は高台になっている。よって、エーエムピーエムの角(桧垣本の交差点)を右(東)に曲がると登り坂となる。右斜め前方に、スーパーマーケットの「ライフ」が見える。事前のリサーチ段階から「ライフ」があるのは把握していて、どんなライフだろうと思っていたら、関東地区にもあるあのライフ(ライフストア)である。四つ葉のクローバーのマークも関東地区にあるのと同じである。そういえば、ライフは早朝に大和高田の駅前でも見たのであった。
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2006年04月20日

2006.01.12(木)(7)奈良交通の運賃を100円節約する法

 さて、私は今回のバスで一つしなければいけないことがある。バス回数券の購入である。
 回数券を買うのは、バス代を安く上げるためである。1000円の綴りを買えば、1割、100円程度はおまけがついてくる。事前の計算によると、今回の奈良めぐりでは奈良交通のバス代が2000円強になる。この先父親の実家に帰ることも勘案して、3000円のバスカードでも買っておけばよいかと漠然と考えていた。ところが、さっき五条バスセンターでは定期券売り場が開いておらずカードが購入できなかった上、奈良交通のバスカードは磁気式からICカードに切り替わるため今年7月以降は使えなくなるという。バスの車内では3000円のカードを売っていたが、夏以後使えなくなるとわかっているカードを好き好んで今買う必要もない。となると、紙の回数券を買うしかない(奈良交通に1000円のバスカードが存在するかは確認しなかった。何をボケていたのだろうか)。
 運転士に紙の回数券をどこで購入できるか聞いてみた。下市口の駅前に定期券売り場があるという。しかも、下市口では時間調整で少々停車するそうだ。というわけで、私は下市口駅前に到着するやいなやバスを飛び降りることになっていたのである。
 さて、五条から大淀町まで私を連れてきたバスは、「岡崎」の十字路で左折して下市口駅を目指す。駅前の商店街はかなりの密集度で、郡部でありながらこの付近が非常に繁栄していた事実を物語っている。下市は下市口から吉野川を渡った対岸の中心的集落で、南都銀など複数の地銀・第二地銀が支店を構えている金融の激戦区である。かつて三重県本店だった中京銀行(現本店名古屋市)の支店まであるのだ。後述するが、奈良銀の支店もかつては下市にあった。
 バスは密集した商店街をすり抜けて下市口駅のバス溜まりに乗り入れた。一応バスの拠点だが、駅舎から駅前通りをはさんで反対側にある広場がそのまま舗装されただけで、バスターミナルというよりはバス溜まりなのである。ここでほとんどの乗客が降りてしまい、車内はほとんど空になった。
 私は回数券を買いに定期券売り場へ急ぐ。奈良交通の建物はバス溜まりと駅前と両方に建っていたが、定期券売り場は駅舎寄りのほうであった。100円券が11枚ついた綴りを1000円で購入。これで私は、奈良交通のバス代を100円だけ浮かす準備ができたということになる。
 なお、買った回数券は1綴りだけだが、これで十分である。というのも、奈良交通の回数券には「1乗車につき4枚まで」という使用制限がついているからだ。かつて私は北海道内をバスで移動したとき、バスの始発となる営業所で回数券の1000円綴りを2冊購入、そのまま2200円なにがしのバス代の払いに使って200円浮かせたことがある。運賃が高額(数千円)になる区間の乗車の度にこんなふうに回数券を使われては、バス会社としてはたまらないのだろう。奈良交通の場合、前述の五新線に新宮から大和八木まで6時間半かけて乗ると、整理券番号は100番を超え、その運賃は5350円。だから五新線のバスは、バスカードは使えるものの車内では販売していない。
 こういう事情により、100円未満の端数、それから1乗車4枚までという使用制限を勘案すると、100円券11枚綴り1冊の購入は、最小費用で最大効果を発揮できると言えるのである。
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2006年04月19日

2006.01.12(木)(6)五条から「酷道」経由で吉野へ

 そうこうしているうちに、本当に時間がなくなってきた。いよいよ吉野へ向けて移動である。
 支店横の交差点角にあるコンビニで買い物をして、大淀バスセンター行きが出るバス停に立つ。事前のリサーチでは「栄山寺口」という停留所が最も近いはずだったが、一つ市街地寄りの「今井」のほうがもっと近いようだ。今井から乗ることにより、時刻表上の発車は1分早く09時15分となった。
 支店前の道路は、何度も書いているとおり国道24号である。2車線の道路で、市内まで延々と2車線になっている。生活時間帯になったようで、市街地に向かう西行きは少し流れが悪くなっているようだ。
 西行きではないはずなのだが、バスは3分ほど遅れてやって来た。地方都市の路線バスとして標準的(?)なマイクロバスで、奈良交通のカラーである緑とクリーム色に塗られている。乗り込んで最前部の席に腰をおろす。車内を見回すと、乗客は3人しか乗っていない。
 いい天気である。バスはしばらく国道24号を快適に走り、散財、ではなく「三在」という停留所から右折して24号をはずれた。ここから先は国道370号である。この国道は全く通ったことがなく、したがって土地鑑もない。日本国内の山の風景は大体想像がつきそうなものだが、やはりそれでも初めての道を走るのは楽しいものである。
 370号に入ったとたんに道幅が細くなり、結構な山越えとなった。舗装はなされているが、センターラインは引かれていない。ふつうの道路の1.5車線程度という道幅からすると「酷道」に近いが、舗装もしっかりなされているし、そう呼んでは気の毒かもしれない。対向車はほとんど来ない。五条市に別れを告げて大淀町となったのは、370号に入ってすぐ。五条から大淀までの地図上の距離は直線距離で10kmないから、意外に近いようだ。
 峠を越えて視界がぱっと開けると、すぐ山間の集落に入った。佐名伝と書いて「さなて」と読むらしい。370号の道幅は集落を貫通する部分においても1.5車線程度のままで、もちろんセンターラインは引かれていない。五条と吉野との間は、結びつきがあまり強くないのかもしれない。

 バスの車内放送が「次は市場前」とアナウンスした。こんな山間部で何の市場だろうと思っていると、バスが問題の停留所に着いた途端、私は脳天を殴られたような衝撃を受けたのであった。ショックだったのは、そこが材木市場だったことである。吉野なのだから林業がらみの市場に決まっている。衝撃を受けたのは意外だったからではなく、自分の脳味噌の硬化加減を思い知らされたからだった。プランニングといい実地での頭の回転といい、今回の奈良めぐりにはあまり良いところがないようである。
 さて、佐名伝の材木市場は、さすがこの地区の中心的な施設であるらしい。バスが市場前の停留所に停車すると、それまでまったく動きがなかった車内がにわかに動いて、乗客の大半が入れ替わった。乗客の数も増えた。ここから乗った乗客は、大淀町の中心部に出るか、下市口から近鉄に乗るかするようだ。
 佐名伝を出てすぐ、バスは吉野川のほとりに出る。途端に視界がバサッと開け、前面の窓からは雄大な吉野川の河岸段丘が広がっているのが見えた。階段状に平地が積み上がっていて、階段の一番低い部分を吉野川がとうとうと流れている。川の向こうには製材所が見える。吉野と林業は本当に切っても切れないようだ。さっきの峠越えでも視界が「ぱっ」と開けたのだが、今回は「バサッ」である。貧困なオノマトペに頼っているあたり私の文章力もまだまだだが、とにかく吉野川に出たところで、私は珍しく風景に対して感銘を受けたのであった。
 川のほとりに出たところで道幅は広くなり、急に市街地となる。ほどなく大淀町の町立病院前に停車、ここで乗客の半分くらいが降りた。この後バスは、近鉄吉野線下市口駅前に乗り入れたあと、りそな銀行吉野支店の最寄りとなる大淀バスセンターに向かう。
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2006年04月18日

2006.01.12(木)(5)『ぐりとぐら』が読みたくなった

 すべての用事が終わってしまった。大淀バスセンター行きのバスが来るまで40分ある。こんなに早く用事が片付いてしまうのであれば、やはりさっき五新線を見に行ってくればよかった。いまさら手遅れであるので、支店で時間をつぶすことにする。
 ATMコーナーは窓口営業時間中そのまま待合スペースになると見え、長椅子と新聞雑誌が置かれている。新聞雑誌コーナーには今朝の日経が既に置いてあり、これ幸いと新聞を読みながら9時の開店を待った。
 新聞を一通り読み終わった頃、営業室とATMコーナーとの間を隔てるシャッターが開いた。せっかく時間の余裕があるので、窓口の行員さんに「子供の本のへや」のことを聞いてみる。私の相手をしてくれた女性の行員さんは、わざわざ中から出てきて、親切にカギを開けて部屋を見せてくれた。
 「子供の本のへや」は、幼児連れの銀行利用客が窓口で用事を済ませている間、子どもをそこに入れて遊ばせておくためのものである。旧奈良銀の大半の支店にあるようだ。奈良銀の社史『三栄相互銀行三十年史』によると、1982年5月に(旧)桜井支店を改装した際に設置したのが最初である。五条支店では開店時間中だけ開けていて、書棚を見た感じでは、蔵書は数百冊もありそうだ。部屋に入って最初に目に飛び込んできたのが『ぐりとぐら』だったから、蔵書としては文字主体の絵本を中心に揃えているようだ。
 本の貸し出しもしているそうだが、蔵書目録や貸出カードなどを作って本格的に図書館として運営しているのかは聞きそびれた。しかし、少なくとも「選書」については、専門家に意見を仰ぐなど相当力を入れて行っていたらしい。
 子どもほど銀行に似つかわしくない存在はいないから、ギャーギャー騒ぎがちな幼児を遊ばせておくスペースが銀行内にあれば、助かる層はいるだろう。りそな銀行がスタジオジブリの「ひびきが丘物語」というイメージキャラを使っていた頃、子どもをおとなしくさせるためにキャラがデザインされた塗り絵を渡していたが、今はどうなのだろうか。
 部外者としては、収益を生み出さないデッドスペースを店の中に敢えて作るのはソロバンが合うのだろうか、などと余計なことを考えてしまう。もう一つ、蔵書の傾向からして、この部屋が真にフィットする年齢層の子どもは、意外に数が限られるのではなかろうか。文字主体の本は幼稚園年少組にはまだ早いだろうし、といって就学してしまった児童に『ぐりとぐら』がふさわしいかどうかは疑問だからである。というわけで、銀行の顧客がどういう金融商品を利用するかだけでなく、どういう年齢層の子どもがいるかについても検討の余地はあるかもしれない。加えて、土地柄ということもある。ベッドタウンと、過疎化の進む地方都市とでは、客層は明らかに違うからだ。
 とはいえ、奈良銀行が色んなことを考えてやってきた銀行だ、というのはよくわかった。約30年ぶりに『ぐりとぐら』が読みたくなった私であった。別にハンドルネームがしてぐりだから言うのではない。
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2006年04月17日

2006.01.12(木)(4)08:34、旧奈良銀店舗制覇第1号

 奈良銀行がりそな銀行と合併する以前、私は旧奈良銀行にさほど強い関心があったわけではない。私は全銀行での口座開設の一環として奈良銀行紀寺支店(奈良市、現存せず)で口座を開いたが、同支店の統合後は大安寺支店(奈良市)が取引店となった。奈良銀に用がある時はだいたい交通至便な大阪支店(合併後の桜川東支店)に行っていた。ここは法人客主体の空中店舗だから、奈良銀店舗の標準的形態というわけではない。その他に東生駒支店の窓口を利用したことがあるが、いずれにしても奈良銀時代の奈良銀店舗にあまり興味はなかった。その意味で、奈良銀の店舗を本格的に利用するのは、実質的には初めてと言える。
 制覇の前に、支店のあちこちを見て回る。奈良銀店舗の大きな特徴は「ドライブスルーATM」と「子供の本のへや」で、両者とも旧来のりそな銀行店舗には存在せず、一方ここ五条支店は両方を備えている。
 五条支店は国道24号に面した北側にあって、建物の西側はそこそこ広い駐車場である。ドライブスルーは建物の西側外壁北寄りに設けられ、車を停車させる部分に風除けがついている。時間が早いので機械の部分はシャッターで閉ざされているが、他銀行のドライブスルーを見た経験からすると、張り出し部分の大きな身障者用の機械がついているのだろう。
 国道に面した南側に店舗の入口があり、店舗とは切り離された右側にもう一つ入口がある。ここは4畳半くらいの面積の小部屋であり、絵本がぎっしり詰まった書棚と丸椅子、それにぬいぐるみが置いてある。「子供の本のへや」のようだ。私は図書館司書の資格を持っており、一般に公開されている書棚があると見たくてうずうずしてしまう。中を見てみようと思ったが、ドアには鍵がかけられていた。
 店舗入口から中に入ると、そこがATMコーナーであった。オムロン製の「HX」という旧型のATMが1台、金庫のような鉄製の箱で機械の下部を覆って置かれている。奈良銀は2003年7月に勘定系システムを自営システムから旧大和銀行の「ニュートン」に変更しており、その際ATMをオムロンHXに交換した。これは大和銀の店舗で使われていた中古機械の転用である。HX自体は旧大和店舗の一部にまだ残っているから、今回はあさひと大和が合併したときのような「新機種に遭遇」ということはない。
 それにしてもATM設置台数「1台」というのは、機械を置いていない空中店舗(浦和など)を別にすれば破格の少なさである(ドライブスルーもあるから、五条支店にATMが1台こっきりというわけではない)。
 さあ制覇作業を、と思ってコーナーに入ったのであるが、1台しかないATMは中年女性の行員が蓋を開けてメンテナンス中であった。かつて、あさひ銀行の店舗外ATMの制覇をしていた頃には、1台しかない機械がメンテ中だったり故障中だったりすると、運の悪いときには1時間以上待たされたこともあった。[福生市役所]や[ブリヂストン彦根生活協同組合]などを制覇したときのことを思い出し、このあとの旅程を考え合わせて戦慄が一瞬走る。
 五条支店は制覇見送りか…と思う間もなく、女性行員は機械の蓋を閉めて、シャッター横にある出入口から窓口室に入ろうとした。「機械はもう使えるんですか」と慌てて聞く私。「どうぞお使い下さい」という返事が返ってきた。
 ただいま8時34分。時間的に入金操作はまだできないので、出金操作を行う。五条支店を制覇。りそな銀旧奈良銀店舗めぐりの記念すべき第1号となった。
 機械を操作する横で、出勤してきたパートと思しき女性がキャッシュコーナーに入ってくる。通用口からでなく、さっきATMのメンテナンスをしていた行員が入ったドアから職場に入るのである。8時45分までにたしか3人が店の奥に入っていった。

 りそな銀行五条支店、すなわち旧奈良銀行の五条支店は、旧三栄相互銀行の6番目の店舗として1955年8月に新設された。当初は吉野支店の出張所という扱いだったが、1969年8月に支店昇格している。開設当時は市内の交通の要衝である本陣交差点近くの須恵商店街内に店舗があったが、1977年に24号線沿いのテナントビルに移転、さらに普銀転換後間もない1989年11月末に市街地東部の現店舗(五条市今井)に移転した。五条市北東部に奈良県が工業団地「テクノパーク奈良」(1992年秋から稼働)を造成、計画の進展に伴って市街地が徐々に東へ移動し始めたためであるという。
 奈良県の金融機関の筆頭にあげられる南都銀行は、五条支店をサティ/バスセンターの西隣りに置いている。五条駅入口(五条三丁目)の交差点からは、第二地方銀行の関西アーバン銀行の支店が見える。この地の関西アーバンは、もともと和歌山発祥の旧幸福銀行だろう。地方銀行の紀陽銀行はさっき見てきた。そのもっと西側、五新線の遺構のまだ向こうには、第二地銀の和歌山銀行が支店を出している。ここは、今年10月の紀陽銀行との合併と同時に、紀陽の五条支店に統合されることになっている。信用金庫・信用組合は五条市にはない。奈良県は伝統的に信金があまり根を張っておらず、また信組は90年代の金融危機で破綻が相次いだため、現在では朝銀・商銀系を含めて存在しない。そして、五条市唯一の都市銀行・りそな銀行は東の端である。
 南都銀行五条支店のATMは朝8時45分の開店で、関西アーバンと紀陽も同じ。五条市街地の西のはずれにある和歌山銀行は8時から開いており、今回新たに東の端のりそなが8時から開ける。五条市街地の東側では、南都と比べてサービス面で多少優位に立つことになるが、現在地はやはり地の利の点で相当マイナスのようで、ドライブスルーはそれを補うためのものといえる。旧奈良銀の大きな特徴であるドライブスルーATMは、現在地への移転に伴って設置され、営業店では五条・吉野・平城の3支店に設置されている。

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2006年04月16日

2006.01.12(木)(3)いよいよ五条支店へ

 続いて国鉄五新線の遺構を見に行くことにして、さらに西に向かって歩き始める。しばらく歩いたが、それらしきものに行き当たらない。事前のリサーチでは、紀陽の支店から西へ1kmほどのところに、国道24号をまたぐコンクリート橋があるはずなのだが、1kmという歩行距離は意外に微妙である。肝心のりそな制覇ができなくなっては元も子もない。結局私は引き返すことにした。
 本陣交差点を越えて「五条町」というバス停まで戻ってきたところで、1台のバスとすれ違った。奈良交通の路線バスで、前面の方向幕には「専用道城戸経由 西吉野温泉」とあった。専用道! まさにこれこそ国鉄五新線の残骸である。国鉄線になるはずだった路盤と橋・トンネルなどは、国道168号線に沿って、五条から直線距離で20kmほど山奥に入った阪本まで通じている。そのうち約半分、五条市の吉野川南岸から旧西吉野村城戸(現五条市)までは路線バスの専用道路として使われている。鉄道用地を使用したバス専用道路は、通常の道路と比べて勾配とカーブが緩やかで、対向車との離合の必要もないため、国道の整備状況が悪い頃には一般道を行くバスよりもスピードが出せたのだという。現在では、専用道の老朽化と過疎の進展による乗客減、それに一般国道の整備が進んだこともあって、専用道にバスを走らせていたJRが撤退、奈良交通に移管された。次回五条に来たとき、時間に余裕があれば、専用道経由のバスに乗ってみたいと思っている。
 なお、「萌の朱雀」という映画(1997年)は、五新線の工事に携わる地元の人々を描いたものだそうだ。監督は奈良県出身の河瀬直美。

 ここまであまりに順調にきてしまった。時刻は8時11分。本来の予定では、高速バスはまだ五条バスセンターに到着すらしていない。それが、見たいと思っていたところをほぼ全部見ることができた。さっきは少し心配だったが、今いる地点からなら五条バスセンターまで5分もあれば歩けるだろう。やはり思い切って五新線の跡を見に行ってもよかったかもしれない。予定では五条バスセンターを09時13分に出るバスに乗ることになっているが、どうも「暇をつぶす」ということを真剣に考えないといけないようである。
 あるいは、五条支店の制覇をさっさと片付け、08時30分発のJR和歌山線で吉野口に向かっていれば、次の目標・吉野支店には予定のバスよりも早く着いていた(五条08:30→08:43吉野口08:49→09:09越部)。もっとも、これは全行程を終えて本文を書く段階で調べて明らかとなったこと。この時点ではとにかく、大淀、せめて下市口駅まで行く1本早いバスを求めていた。五条バスセンターで時刻表を見ると、大淀方面は、08時04分発下市口駅行き、その次が09時13分発大淀BC行きである。09時13分が予定していたバスであるので、結局五条で時間をつぶさければいけないことが確定した。
 とりあえず、今回の主目的を果たそう。24号を東、つまりりそな銀行五条支店に向かって歩き始める。ほぼ東西に走っていた24号線は、サティの先で左(北東)の方角に曲がり、ちょうどそのあたりから上り坂になっている。さっき高速バスで住川から下りてきた逆コースである。サティの北側にミスタードーナツがあるが、前述のとおり10時開店ということで、9時のバスで行ってしまう人間にはどうしようもない。
 サティから東側では、商店と民家が混在した感じである。いかにも街道沿いの郊外で、商店の密集地からは外れたけれども家並みは続いている、といったところだろうか。建ち並ぶ家は関東地方でも普通にみられる感じの外観だが、土蔵が目につくことと、古い建物が首都圏と比べるとちょっと多い気がすることが相違点といえようか。あと、この界隈の木造建築は、三角形の屋根が2段になっている入母屋造りなど、屋根の形態が単なる切妻よりは複雑な形になっているものが多いようだ。また、白壁の部分が真っ白に塗ってあるところが多いのと、羽目板がはめてあるところはあまり塗装をせず木の色をそのまま出しているところが多いような気がする。以上、建築にはまったく素人である私の雑感だが。
 五条市にはないのかと思っていたコンビニ(サンクス)のある「今井町」の交差点までくると、いよいよ、バスの車窓からちらりと見たりそな銀行五条支店が左側に見えてきた。レンガ色のタイルを外壁に張り巡らせた2階建てで、事前のリサーチではドライブスルーATMを設置している。さて、どんな姿をしていることやら。
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2006年04月15日

2006.01.12(木)(2)さっそく五条市を歩く

 五条市に来たときに、見ておきたいところが2つあった。その一つは国鉄五新線である。かつて国道168号線に沿って五条から新宮まで計画されたが挫折、開業しなかった鉄道の施設が五条市内に現在も残っている。これは、24号線を西に進んで市街地を抜けた先にある。もう一つ、理由は後述するが、隣県・和歌山県のトップバンクである紀陽銀行の五条支店。これもバスセンターから西の方角だが、こちらは国鉄五新線よりは手前にある。これら二つはいずれも、今回の主たる目標・りそな銀行五条支店とは正反対の方角にあって、バスの到着時刻次第ではあきらめざるを得なかった。バスが予定より30分早く到着した今回なら、悠々と見に行ってこられそうである。
 私を新宿から乗せてきた2階建てバスがいずこかへ走り去っていった。朝8時過ぎ、五条「バスセンター」にバスはほとんどいない。定期券発売所の窓口もシャッターを下ろしているし、発着するバスもしばらくないようで、静寂が広がっている。私は、国道24号線を西に向かって歩きだした。
 この町は朝が非常に遅いようだ。バスセンターのあるサティの西100mほどのところが駅前の交差点で、角にファミレスのバーミヤンとガストがある。両店の開店時刻は10時。今まだ8時にもなっていないから、仮にヒマをつぶすような事態が生じたとしてもファミレスでは不可能ということだ。今回口惜しいのは、りそな旧奈良銀店舗の完全制覇と並行して何店か制覇する予定のミスタードーナツを、五条で1店捨てなければならないことだった。「五条ショップ」がサティの中にあるのだが、この開店が10時! 私は9時台のバスで吉野支店のある大淀町へ出発してしまうのである。
 五条市内の国道24号線は、市街地というよりむしろ「地方都市の街道沿い」といった感じである。24号を歩いていると、町並みからは商店街の空気をあまり感じない。むしろ、五条は国道と直交する通りに古い商店街があるようだ。進んでいくと、アーケードのついた「商励会通り」という商店街があった。かつては相当賑わった商店街ではないかと思うが、朝早いせいもあってかシャッターの閉まった店が多く、人っ子一人見えない。「駐車場に空きがあります」という看板が商店街の横に出ていたが、この駐車場は「空きがある」のではなくて一年中空いているのではないかと想像した。
 商励会通りの西にある本陣交差点までやって来た。24号・168号・310号の3本の国道が交わる五又路で、五条市役所にも近い。市の交通の要衝であり、一応五条市街地の中心部らしいが、そんな感じはあまり受けない。但し、横断地下道があって、税金がそれなりにかかっているのはわかる。
 交差点周辺に商業集積はほとんどなさそうだ。古そうな商店は多数並んでいて「老舗」の印象を受けるが、商業の流れからすると「だからどうした」というところではないだろうか。今はもう、日常の買い物はサティあたりで済ませてしまうに違いない。そして、人口5万人に満たない規模の地方都市では、旧市街の商業需要をすべて吸い取ってしまった観のあるサティ(というか総合スーパー)すら営業継続に疑問符がつくかもしれない。とりあえず五条はまだサティのまま営業しているが、そのうち奈良県内の他都市のように地場スーパー(「ヤマトー」など)になってしまうのだろうか。

 さて、この本陣交差点の一角に、和歌山県のトップバンク・紀陽銀行の五条支店がある。今回、りそな五条支店の制覇のついでに、ここを見てみたいと思っていた。紀陽銀行の五条支店は、旧あさひ銀行のウオッチャーであった私にとって興味深い。というのも、紀陽の五条支店は、もともとは協和銀行の支店だったからである。
 協和銀行五条支店は、1945年11月日本貯蓄銀行五条出張所として開設され、46年7月に支店に昇格したが、1948年11月14日廃止となった。戦争末期、疎開などにより購買力が大都市から地方に流出し、それを預金として吸収するため、当時の日本貯蓄銀行【注】は地方の中小都市に重点を置いて小規模店舗を出店していた。五条支店はそのうちの一つで、この時期に同じ趣旨で開設された店には、りそな銀行に現存するものとしては松本支店がある。
 終戦直後に多数出店した地方店舗は、その後インフレの高進で人件費が上がったため不採算となり、1948年に行われた店舗の大量粛清で廃止となったところが多い。五条支店は隣県のトップバンク(というより唯一の銀行だった)紀陽銀行に営業譲渡され、そのまま紀陽銀行の支店となって現在に至っている。この支店は、紀陽銀の県外店舗第1号となった。今の店舗は1973(昭和48)年10月に新築されたようだ。
 ほかの「りそめぐラー」がまず来ないであろうことを見越して見に来てみたが、考えてみれば協和銀行が五条支店を廃止したのは昭和23年のことで、撤退してから50年以上も経っているのだ。町並みや町の重要度さえすっかり変わっているし、紀陽の建物も新しい。場所も旧協和のあった場所というわけではない。当たり前の話だが、協和銀行の面影を探して楽しむことは無理のようであった。

【注】旧あさひ銀行の前身の一つ。1945年5月、東京・大阪・名古屋の貯蓄銀行9行が合併して日本貯蓄銀行が設立され、1948年7月普通銀行に転換して商号を協和銀行に変更した。

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2006年04月14日

2006.01.12(木)(1)奈良県に足を踏み入れる

 1月12日(木)午前6時10分頃。「間もなく天理駅」のアナウンスで目を覚ました。
 目を覚ましたときは高速道路上だった。途中の停車停留所から考えて、高速道路並みの高規格ながら一般国道として無料で通行できる名阪国道を通ってきたものと思われるが、まったく記憶にない。新宿を出発して7時間。新宿出発時に「翌朝の案内は天理到着前から」と告知をされていたので文句は言えないが、できることならもう少し寝ていたかった。
 しかし、パッと目を覚まして気分を切り換える。天理駅に停車するということは、天理駅前にあるというりそな銀行天理支店の様子を車内から下見できるということではないか。そう期待していたら、天理駅は降りる人がいないので通過するという。窓の外が真っ暗だったこともあり、天理支店は見えなかった。
 天理から先は一般道(国道169号)を南に桜井へ向かう。車内の照明は6時25分に完全に点灯した。6時半過ぎに桜井駅に到着、ここで4人ほど降りたようである。ここから先は降りる客は五条までいないようだが、次は大和八木、その次は近鉄高田、さらにいくつかの停留所を経て五条へ向かう。バスは通過する停留所を律儀にすべて通る。別に遠回りしているわけではなく、五条に道なりに向かっている。停留所を通らなければ五条に行けないのである。
 6時50分。窓の外は少し明るくなってきた。大和八木駅東側の近鉄百貨店、そしてりそな銀行橿原・八木支店横を通過する。バスをここで降りる人はいないが、車内アナウンスはきっちり行われる。八木駅を通過してすぐの橿原警察署前で、昨夜新宿のコンビニで買った弁当を広げる。旅の興奮もあってか眠気がすっかり飛んでしまったので、今もう腹ごしらえをしてしまう。
 07時02分。大和高田市内、高田サティ北側のT字路で右折。この突き当たりが、レンガ色の外壁を持つりそな銀行高田支店、つまり旧奈良銀行の高田支店である。旧奈良銀の店舗を今日初めて見た瞬間であった。2ちゃんねる「りそなグループウオッチのスレ」の数日前の書き込みによると、りそな銀旧奈良銀店舗の看板は、黄緑色だった奈良銀の看板に合わせてか黄緑色がかっているということだった。この時点での第一印象では「心持ち」という程度でしかないように思えた。
 高田支店前から北に向かうこの道は、市を南北に貫く目抜き通りである。かつてこの地を流れていた高田川の廃川敷をそのまま道路にしたもので、複雑に曲がりくねっているのはそのせいである。高田川は相次ぐ河川改修により流れが変わり、現在では旧河道から400mほど西側を流れている。間もなく、近鉄大阪線大和高田駅に到着。駅前にあったダイエーがライフに変わり、りそな銀旧大和銀店舗だった「やまと高田」出張所跡が学習塾の「稲田塾」に変わっていることを車窓から確認して終わり。バスはこのあと、御所市を経由して、終点・五条バスセンターに向かう。
 五条市には7時37分に入った。車窓からは、山がちだが山奥というわけでもなく、といってもちろん田舎であることは疑いない風景が広がっている。窓から見える道路周辺の荒れ地は、枯葉色をした草の葉が霜で真っ白になっている。霜がつくということは、枯葉色をしていても枯れているわけではないのだろう。JR北宇智駅近くの「住川」(すがわ)という停留所を過ぎると、山が途切れて視界がパッと開けた感じがした。JR和歌山線で五条駅の隣駅となる北宇智駅は、関西エリア唯一のスイッチバックの駅として有名だから、このあたりが一種のサミットになっているのかもしれない。
 事前のリサーチでは、右側の車窓にりそな銀行五条支店が見えるとすぐ、五条サティに隣接する五条バスセンターに入ることになっている。果たして、バスは7時48分、予定より30分以上早く五条バスセンターに到着した。
 五条市は奈良県南の拠点都市の一つで、人口3万8千人(2006.01)。吉野川の河岸段丘上に広がる商業と木材工業の町で、太平洋側の和歌山県新宮市まで通じる国道168号線によって遠く十津川村あたりまで商圏にしている。個人的には、私の父親の実家が168号線沿いで、新宮からのバスで奈良県側に抜けたことが何度かあったため、五条という地名にはなじんでいた。しかし市内を歩いたことは一度もない。蛇足ながら、「五新線」と呼ばれる大和八木−五条−新宮間のバス路線は、走行距離168km、所要時間6時間半と、高速道路を走らない路線バス(乗車時に整理券を取り、降車ボタンを押して降りるタイプ)の中では日本最長距離であるという。

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2006年04月13日

2006.01.12(木)以前(5)70年間交差点を見つめ続けた銀行

 バスは、山手通り神泉交差点で右折して国道246号線に入った。池尻ランプから首都高速・用賀経由で東名高速に入るのか。そう思っていると、予想どおり池尻から首都高速に入った。高速の下り線は思いのほか交通量が多い。家路を急ぐ人が多いのだろうが、といって流れが止まってしまうほどでもないから「混雑」とは書かないでおく。
 右の車窓に、カラオケ店「ビッグエコー」の赤いライトを当てた看板が見えた。三軒茶屋だな、と思う間もなく車内の照明が全部消えた。三軒茶屋のビッグエコーは、2003年5月までりそな銀行三軒茶屋特別出張所だった建物をそのまま使っている。この建物のあるY字路の股の部分は、1931(昭和6)年に東京貯蓄銀行が三軒茶屋支店を開設して以来、東京貯蓄→日本貯蓄→協和→協和埼玉→あさひ→りそなと、ずっと同じ銀行の建物が建っていた。かつて路面電車の東急玉川線が走っていた時代には、二子玉川園方面と下高井戸方面との分岐点として写真撮影の名所であった。
 70年余りずっと銀行だったこの場所は、あさひ銀行が大和銀行と合併して間もなく銀行でなくなった。旧あさひ銀行だったりそな銀行三軒茶屋特別出張所は、2003年5月、近所にある世田谷支店(旧大和銀)内に移転してブランチインブランチ(支店内支店)となり、さらに2006年5月22日付で世田谷支店に統合されて消滅する。交差点のあの場所に銀行が戻ってくることはもはやないのであろう。

 さて、私を乗せたバスは、23時49分に東名高速道路用賀料金所を通過した。これまでの出来事をまとめてメモをとろうと試みる。バスはさっき完全消灯となったが、高速道路上は窓から入る光だけで十分文字が書けるほど明るい。しかし、バス特有の揺れのせいで文字は書きにくい。おまけに車内はかなり暑い。車掌(交代運転士)が回ってきたので温度を下げてくれるように頼んでみたが、いま暑いくらいの温度設定にしておかないと、数時間後には滅茶苦茶に寒くなるのだそうだ。
 多少の暑さはあるものの、リクライニング角度の深い3列シートはさすがに快適であった。首都高から東名に入った後は、厚木付近のラブホテル街のイルミネーションと、小田原厚木道路の分岐をはっきり覚えているが、あとは足柄サービスエリアに入ったことを断片的に覚えているのみである。結構熟睡していたようだ。

2006年04月12日

2006.01.12(木)以前(4)ほんなら出掛けまひょか

 2006年1月11日(水)。22時台前半に東京23区内の自宅を出発して新宿に向かう。
 新宿には11時少し前に到着した。電車に乗る前にマクドナルドで軽く腹ごしらえをしてきたが、これだけでは足りないので、バスに乗る前にコンビニで買い出しをすることにする。
 私の乗る五条行きのバスの出る「新宿高速バスターミナル」は、新宿西口にあるMY第二ビルの1階、2004年9月までりそな銀行新宿西口支店だったスペースの隣りにある。このビルの地下2階、現在りそなが店舗外ATM[新宿西口]を置いているスペースの奥にコンビニがあるので、そこに赴く。日本語に訳すと「小休止」というその店は、23時の閉店が近いせいでせわしない雰囲気であった。かろうじて閉店前に弁当とおにぎりを購入し、1階のバスターミナル待合室へ。
 私の乗るバスは「2番乗り場」から23時15分発で、室内の電光掲示を見ると奈良行きのバスと同時に発車するようである。ほどなく、オレンジと茶色で鹿のマークが大書された2階建ての観光バスが入ってきた。奈良交通のバスである。先ほど流れた案内放送によると、私が乗るのはこちらではなくて後から来る方のバスである。数分後、白い車体に「KB」と大書された2階建てのバスが入ってきた。せっかく「鹿」のマークの奈良交通と共同運行しているのであれば、こちらは「馬」のマークにしたら面白いと少し思った。運行会社はケイビーバス、新宿・中野・杉並あたりをテリトリーとする関東バスの子会社である。
 自宅のプリンターで印字してきた乗車票を乗務員に渡して、バスに乗り込む。私の座席は「1C」で、やはりこの席は2階の最前部であった。私は乗り物好きで、電車やバスではどうしても一番前に陣取りたくなるから、まさに特等席と言える。特等席はいいが、私の乗車券はネットで予約して、プリントアウトまで自分のプリンターで行ったものである。発券の経費をまるまる利用者の側が負担しているのだから、少しは安くしてくれよ、と言いたくなった。銀行の振込手数料も、ネットバンキングのほうが安いのは常識である。直接言うということをしなかったので、ここに書き留めておこう。
 23時15分、バスは定刻に新宿高速バスターミナルを出発した。正確に把握していたわけではないが、乗客は2階席では私を含めて4人と非常に少ない。ターミナルを発車したバスは、MY第二ビルのあるブロックを一周して、この12月まで八十二銀行新宿支店が面していた中央通りを西に進んでいった。
 発車してすぐ車内放送が流れだした。「本日はケイビーバスをご利用いただきましてありがとうございます。このバスは天理駅・八木駅・近鉄高田駅経由、五条バスセンター行高速バス、やまと号でございます。」行き先が奈良県内の地名になっているだけで、声もしゃべり方も、日常生活でたまに乗る関東バスの普通の路線バスと一緒である。なんだかあまり旅に出るという気がしない。
 バスは、新宿から山手通りに入る。23時15分発の奈良県行きの2台のバスは、奈良行きが1号車、私の乗る五条行きはなんと「11号車」となっている。といっても今日のようなオフシーズンに2〜10号車はない。先行して走っていた奈良交通の1号車は、新宿BTを出て間もなく見えなくなった。

2006年04月11日

2006.01.12(木)以前(3)運賃の高い近鉄に「使える」周遊券あり

 出発前にやらなければいけない仕事のもう一つは、近鉄の周遊券を買うことであった。奈良県内を公共交通機関だけで駆けずり回るのに、日本最大の私鉄・近畿日本鉄道を抜きにしては不可能である。といって、近鉄の正規運賃は非常に高いので、割高な切符をその都度購入するわけにはいかない。
 最初探したのは、奈良県内の近鉄全線および系列の奈良交通のバスが乗り放題となる切符で、1日有効のものであった。しかし、そういう奈良県内だけに特化した切符はないようだった。もっと範囲の狭い、たとえば飛鳥だけとかの券はあるが、奈良県全域に範囲を広げたものはない。また、東京からの新幹線の券までセットになった商品もあったが、私は既に五条までのバスを確保してしまっている。
 結局、私が最も有効と判断したのは「奈良大和路スルーパスA」という商品であった。4日間有効、大人1人2820円で、名古屋を起点に奈良地区を周遊して京都へ抜ける片道のみの切符である。京都から入って奈良を周遊し名古屋に抜ける逆コースも選択できる。ほぼ奈良県全域+京都駅までの近鉄電車が乗り放題で、しかも周遊後に名古屋まで乗れる(京都発の場合)。奈良地区をハシゴした後の予定を考えると、「京都発」の券が非常に有効と思えた。
 なお「スルーパスB」といって、奈良交通のバスにも乗れる券(4060円)もあったが、こちらで乗れるバスは奈良交通の「全線」ではなく、特定の観光地に乗り入れるバスのみ乗り降り自由となっている。今回はどうしても乗りたい(乗らなければならない)路線があって、「B」ではその区間に乗れないのではずした。
 近鉄のチケットは、出発の当日に新宿のJTBで購入した。渡された券は全部で3枚、1枚は「総括券」で、残りの2枚が乗車券になっている。これは明日活躍してもらうことになる。JTBからいったん帰宅した後、往路のバス車内で飲む焼酎の水割り(笑)などを準備した。

 ところで、今回は「安く上げる」という観点から、リサーチ不足を大いに反省させられる結果となった。後で知ったのだが、奈良方面にはJRのバス便もあるのだ(東京駅発JR奈良駅行き、関西エリアでの途中停車は京都駅のみ)。この記事を書くべくネット検索をし直してみたところ、「青春ドリーム」の奈良便があるのを発見してしまった。「青春ドリーム」とつく便は、4列シートの一般観光バスを使う代わりに運賃が安い。早まった。多少のタイムロスはあっても、片道5000円ポッキリの魅力はかなり大きかったのに。
 また、「ムーンライトながら」利用で「奈良大和路スルーパス」(名古屋発)を併用すると、例えば次のようなプランが考えられる。
東京23:43(ムーンライトながら)→06:05名古屋06:11(近鉄急行)→07:24伊勢中川07:32(近鉄普通)→08:15名張08:26(近鉄急行)→08:53桜井
吉野や五条をどう取るかという点で課題は残るだろうが、これだと朝9時前に奈良エリアの制覇が始められる。五条から大淀行きの路線バス、それも9時過ぎの便を見つけた時点で思考停止してしまったのだ。つくづく最近脳味噌が固まってしまっているのを感じる。
カテゴリ一覧(過去の連載など)
大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇(62)
単発(12)
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銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇(29)
りそめぐ2013梅雨 大阪市営バス“最長”路線[93]を行く(43)
りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
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りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇(35)
りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇(8)
りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた(18)
りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動/銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇(20)
りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー(11)
りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ(47)
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りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
りそめぐ2007秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる(35)
2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)