2007年10月31日

2007.07.18(水)(10)押部谷再訪

 神鉄栄駅は、自動券売機と自動改札機が稼働している無人駅であった。神鉄にはこの手の駅が多くて、駅の設備はすべて遠隔操作で動いているそうである。
 ここから押部谷出張所に向かう。銀行発行の『店舗一覧』には、いちおう栄駅から徒歩15分と書いてあって、このくらいの距離は普段ならためらわず歩いてしまうのだが、今日の天候を考えると悩ましいところである。
 事前のリサーチでは、出張所のある桜が丘ニュータウンには、駅前からバスが通じている。神姫ゾーンバスの栄営業所発西神中央駅行き。西神中央は神戸市西区の中心地で、市営地下鉄西神山手線の終点である。問題が2つあって、神姫(ゾーン)バスではスルKAN2dayが使えない。もう一つはバスの時刻で、栄駅前発は15時台は12分と32分。空模様は悩ましいが、「徒歩15分」とされている場所へ行くのに10分待った方がよいだろうか。ここで、空を見る。雲は多いものの、結構明るいということは雲の層は薄いのだろう。結局私は、現地まで歩いていくことに決定した。雨が降り出したら、カバンから折りたたみ傘を出せばよい。
 駅前を東西に走る道を、方角としては鈴蘭台方向に戻る。神鉄粟生線に沿って走るこの道は、県道神戸三木線である。「桜が丘入口」というT字路の交差点を右に曲がると、栄駅に到着する寸前に車窓から見えたニュータウンに行きつくはずだ。
 桜が丘入口のT字路を右に曲がって、なだらかな坂道を降りてきた。今歩いているのは団地への取り付け道路だが、何と4車線である。神鉄の線路に沿って走っている県道が2車線なのに、団地へのアプローチは4車線なのである。
 T字路を曲がって数十m行った先には川が流れていて、ニュータウンに向かって橋がかかっている。4車線+歩道のアルミ製欄干のついた橋と、その横に半円形のトラスをつけたパイプが、2本仲良く川を渡っている。川の名前は明石川、橋の名前は桜が丘橋とあって、ここが神鉄栄駅と押部谷出張所との間で最も標高が低いところである。橋のたもとには「昭和48年1月完成」と彫られた石がはめ込まれている。桜が丘のニュータウンは1971(昭和46)年末から開発が始まったそうで、この4車線道路が開発されたのは73年までさかのぼるのに、そこから先が遅々として、ということのようだ。
 実際、このあたりの風景は田園地帯そのものである。道に沿って右側には畑があり、ビニールハウスの骨組も見える。少し場所はズレるが、栄に来る電車の窓から水田も見えたし、かやぶき屋根か何かの上にトタンをかぶせただけの家もあった。駅のあたりは現在神戸市西区押部谷町栄という町名になっているが、つい数年前まで村だったと妄想できるほど長閑な風景が広がっている。実際、六甲山系の北側が丸ごと神戸市に合併される1947年3月までは明石郡押部谷村といった。栄の隣の押部谷駅が旧押部谷村の中心地だったらしい。とにかく、現在ここは神戸市であり、押部谷駅までは西神中央から地下鉄を延ばしてくる案もあるそうだ(実現は絶望的らしいが)。

 こんな長閑な田園風景も、川を渡って坂道を少し上がり始めた途端に一変した。消防署と読売新聞押部谷専売所が見えるあたりから、ひな壇がダーッと続いている住宅団地に急変するのである。
 このニュータウンの正式名称は「パナホームシティ西神桜が丘」というようだ。パナホームということは松下電器の子会社が開発したのか。とにかく分譲の広告看板が出ている。この広告看板は、団地に入って最初の信号角の空き地に立っている。その数十m先に「桜が丘団地口」というバス停があって、さっき栄駅から乗ろうと思っていた西神中央行きの停留所(栄駅前を出て2つ目)である。ここまで歩いて来た段階でやっと、当初乗ろうかと迷っていた栄駅15:12発のバスが追いついてきた。神姫バスの標準カラーであるオレンジとベージュに塗り分けられている。団地の中心部にあるショッピングセンター(銀行はもちろんここにある)までは、団地に入ってしまえばさほどの距離ではないはずで、ということはやはり駅から歩いてもさほどの距離ではなかったと溜飲を下げた。
 セミがジージー鳴いている。昨日にもセミの鳴き声は聞いたはずなのだが、今日この団地ではじめて鮮明に意識した。関西には、関東では見られないクマゼミという種類のセミが多数いるという話だが、ジージーと鳴くのはアブラゼミだっただろうか。この時期関東では、まだセミのセの字もなかったように思う。今日はもう7月18日、夏休みが近い時期であるので、考えてみれば別に不思議ではないのだが。

 桜が丘ニュータウンの核施設、ショッピングセンター「ジョイフル」に到着した。目指す押部谷出張所はここにある。バス停でいうと桜が丘団地口の次、「栄市住前」の真ん前である。ショッピングセンターの向かい側は「市住」の名のとおり市営住宅になっている。
 15:20、いよいよ押部谷出張所の再訪である。桜が丘ニュータウン唯一の民間金融機関となる、りそな銀行押部谷出張所は、ショッピングセンターの大きな棟とは別に道路側に建てられた平屋建ての建物に入っていて、同じ建物の駅側には郵便局(神戸桜が丘局)もある。顧客は思いのほか多いようだ。ATMが4台、プラス記帳機が1台という布陣で、ATM4台のうち右側3台は既に生体認証対応型の新型(リーダスAK−1)である(一番左はオムロンJX)。
 通帳の余白がなくなってきたので、ここで繰越をしてもらう。窓口の女性に今ひとつ元気がない。最近、銀行員の女性は元気がないのだろうか。さっき行った関西アーバン銀行西宮支店で、そこそこ美人の行員さんから愛想というものの全くない応対をされて憮然とした気分で店を出たのを思い出した。

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2007年10月30日

2007.07.18(水)(9)神鉄を乗り継いで押部谷へ

 土砂降りの雨の中、支店の写真を大急ぎで撮って、次なる目的地に向かう。北鈴蘭台支店押部谷出張所。神鉄沿線の旧大和銀店舗で、福徳相互銀行の支店として開設された旧なみはや店舗、というところは北鈴蘭台と同じである。車で回った前回の制覇でも、ここは北鈴蘭台と同時に取っている。
 北鈴蘭台14:32発新開地行きに乗る。今度は、隣の駅・鈴蘭台で粟生線に乗り換えである。粟生線は鈴蘭台から西方向に向かう神鉄の幹線で、新開地から三田行きと粟生行きとが交互に出ているのは前に述べた。目的地は、鈴蘭台から西へ6駅目の栄である。
 鈴蘭台で10分ほど待たされ、14:44発の粟生行きに乗った。発車してすぐ、左に急カーブして有馬線と分かれていく。相変わらず急な上り坂、と思ったところ、鈴蘭台から2つ目の西鈴蘭台から急な下り坂になった。以前鉄道の乗り潰しで神鉄は乗っているはずなのだが、これほどアップダウンが激しいとは思わなかった。神鉄は運賃が非常に高額なことで有名だが、乗ってみての印象としては仕方がないように思われた。車窓の風景を見ても、人里離れたところを走っているようだし、これだけ勾配があると保安装置などにも相当金がかかっていそうである。
 さて、粟生線は鈴蘭台から単線区間が始まり、単線と複線が入り混じって終点・粟生に至っている。さっき北鈴蘭台まで乗った有馬線は新開地から有馬口まで複線だそうだから、粟生線は1ランク落ちるようである。複線化の計画がないわけではないのだが、神鉄はだいぶ懐具合が苦しいそうだ。
 西鈴蘭台からだいぶ下り坂が続くが、山間部を走る電車というイメージはしばらく変わらない。雨も相変わらず降り続いている。藍那を過ぎたあたりから地形がパッと開けた感じがし、木津・木幡と京都府南部にいるかのような名前の駅が続く。木津−木幡間では駅でもないのに臨時停車した。信号所【注13】に隣接して神鉄の車庫があり、係員が乗降するためである。このあたりから、車窓風景は徐々にニュータウンのような開発地の更地が広がり始める。車庫のあるこの信号所は、宅地開発が進んできたらホームを設置して駅に昇格するのではないだろうか。
 そんな光景を見つつ、いよいよ栄に到着する。ここまで来ると雨はほぼ上がっていた。

【注13】信号所:鉄道の停車場の一種で、分岐器(ポイント)や信号があり、旅客の乗降ができない場所。神戸電鉄では粟生線の2か所に設けられている。

2007年10月29日

2007.07.18(水)(8)北鈴蘭台再訪

 電車がようやく北鈴蘭台駅に到着した。
 北鈴蘭台駅は周辺の険しい地形を反映して掘割の駅で、複線の線路の両側に狭いホームが張り付き、ホームの直上にはホーム南側から改札に向かう廊下が設けられている。改札は北側1か所だけで、改札の真下はトンネルの入口になっている。
 改札は半地下のようになった場所にある。改札を出て左に曲がり、地上に上がると、正面に生協の店舗が見える。右に目を転じると、駅前広場には、みなと銀行の店舗外ATMの小屋(母店鈴蘭台支店:旧兵庫銀)が建っている。みなと銀は2002年11月まで北鈴蘭台支店(旧兵庫銀)を持っていた。そして小屋の向こうに、りそな銀行の建物。入口のドア上部に、旧大和銀店舗特有の、横に細長い行灯看板がついている。りそなの隣は三井住友銀行北鈴蘭台出張所(有人、旧太陽神戸)である。
 りそなの建物は見えているが、駅から一歩踏み出すのははばかられた。土砂降りの雨なのである。さっき神戸岡本支店を再訪した際には、無理して傘なしで歩くとびしょ濡れになる程度の雨、新開地で西神戸支店に行くと雲はあるものの晴れ渡っていて、日差しはかなり強かった。新開地から乗った神鉄の電車では、窓の金属製のブラインド【注12】を上げている客もいた。そして今、一歩踏み出すのもはばかられるほどの土砂降り。梅雨明け前のせいなのか、とにかく天気が変わりやすいのに驚かされた。あるいは、山の天気は変わりやすいということかもしれない。何しろ、北鈴蘭台の次の駅は「山の街」というぐらいである。
 北鈴蘭台支店を再訪した。前回の初制覇では夜中に車で来たので、店内の様子はよく覚えていないが、今回見る限り、ATMコーナーは鏡張りの旧大和銀行仕様に改造されているようだ。窓口室は総合案内カウンターのついた白いもの(いわゆる「クイックナビ」方式)に改装されている。
 北鈴蘭台支店は、大和銀行の支店としては2001年2月の開設で、旧なみはや銀行から営業譲渡された。これは、なみはや銀行の支店がそのまま大和銀行の支店に変わったものである。なみはや銀行北鈴蘭台支店は1974年3月に福徳相互銀行の北鈴蘭台支店として開設され、建物は当時のものが現在もりそなの支店として使われている。
 ここ北鈴蘭台と、次に行く押部谷の2店は、2003年夏の初制覇(2003.08.01)では車でまとめて回ってしまったので、自分の足で踏みしめ直してみたかったのであった。

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【注12】窓の金属製のブラインド:神鉄は阪急系の会社で、車両内外のデザインが阪急に酷似している。

2007年10月28日

2007.07.18(水)(7)いよいよ神鉄沿線へ

 次は、神戸市北部にある2店を再訪する。北鈴蘭台支店(神戸市北区)と、そこを母店とする押部谷出張所(同西区)。両店とも、新開地から六甲山系を越えて北に向かう神戸電鉄の沿線にある。神戸電鉄が非常に味わい深い鉄道会社であることは、今回初めて知った。
 西神戸支店の再訪を終え、三菱東京UFJ銀行兵庫支店(旧三菱)の建物に併設された階段から新開地の駅に降りてきた。既に午後2時近い。
 駅の立ち食いスタンドで肉うどんを食べた。空腹を癒すためもあるが、電車の本数が少ないためである。神戸電鉄は新開地から北に向かって走り、神戸市北区の中心地・鈴蘭台で2方向に分かれる。このため、神戸の中心地からは、2方向への電車が交互に発車するのである。目的地の北鈴蘭台は、鈴蘭台から東に分かれた有馬線の駅で、結果有馬線の三田方面行きの電車は15分おきぐらいにやせ細ることになる。しかも、日中は全部の列車が各駅停車になってしまう。
 うどんを食べ終えて電車に乗ろうとすると、4両編成のうち最前部は弱冷房車、2両目は女性専用車であった。男の私は後ろの2両に乗るしかない。関西エリアの鉄道(私鉄・JR問わず)では女性専用車両を終日全列車で設定していて、あたかも関西エリア全体がアマゾンになってしまったかの如くである。加えて、弱冷房車。普通の冷房車でも冷房が弱いと感じる私に、弱冷房車に乗るという選択肢はない。女性専用車には常々腹を立てているのだが、だからと言っていちいち逆らうほど暇でもないので、不承不承後ろの2両に乗る。
 新開地13:56発、普通列車三田行きが発車した。少しゆるゆると走ったかと思うと最初の停車駅・湊川に到着。神鉄は正式にはここ湊川からで、新開地−湊川間は神戸高速鉄道という別会社の路線ということになっているが、全部の列車が直通運転していて神鉄の一部と考えてよい。
 湊川を過ぎると、電車は急坂を登り始める。乗り物に乗っていて勾配を感じるというのは相当急な坂だと思ってよい。神鉄はかなりの山岳路線で、鈴蘭台まで上り坂の連続である。地下鉄のトンネルを抜けたかと思うと、すぐに山のトンネルに入り、次にトンネルを出たときには緑の多い山の景色が広がっている。もちろんその間もひたすら坂を登りつづけているわけである。
 山の中腹にあるケーブルカーの駅のようなたたずまいの駅がいくつか続く。このあたりの駅は路線図を見ると各駅停車しか停車しないことになっていて、実際駅の周辺は山ばかりで本当に何もない。平家物語の「一ノ谷合戦・鵯越の坂落とし」で有名な鵯越駅を経て、2005年3月に営業休止となった菊水山駅を通過する。この駅は営業休止という建前だが、事実上廃止されたのだという。正式に「廃止」としてしまうと、プラットホームの撤去費用を捻出しなければならないためだそうだ。車内の案内板はシールで駅名を隠してあるが、LEDの表示だけは今も生きているのが面白い。電車が廃駅を通過する前と後で、赤ランプの点滅する場所が違っている。
 廃駅を通過して長大な菊水山トンネルをくぐると、神戸市北区の中心・鈴蘭台である。目指す北鈴蘭台は、鈴蘭台の次の駅だ。

2007年10月27日

2007.07.18(水)(6)西神戸支店を再訪

 銀行から阪急の駅へ戻る頃には、雨は上がっていた。岡本13:20発、特急新開地行きに乗る。次の目標は、新開地駅4番出口の前にある、西神戸支店(神戸市兵庫区)である。
 岡本の次の三宮で阪急電鉄の路線が終わって神戸高速鉄道に入り、同時に線路が地下に潜って地下鉄のようになっている。三宮から3つ目の新開地には13:34に着いた。
 新開地駅は1968年に開業して以来ほとんど改装されていないようで、かなり古びている。高度成長時代に作られた地下鉄駅に特有の、タイルを貼り詰めた壁面はくすみ、目地の部分が黒ずんでいた。コンコースの古びて狭い食堂街を横目で見ながら地上に出ると、外はピーカンの青空であった。阪神地区はこんなにも天気が変わりやすいものなのか。本当に驚いている。
 西神戸支店は地下鉄出口を出た目の前にあって、再制覇はすぐに済んだ。もともと大和銀行は、神戸市の中西部に湊川支店と長田支店という2つの支店を持っていたが、先の震災を経て、湊川支店(兵庫区下沢通1丁目)を同区大開通1丁目に新築移転、西神戸支店に改称し、あわせて長田支店(長田区腕塚町、JR新長田駅近く)を統合して現在の姿になったものである。湊川支店は現在地から北へ400mほどの湊川公園西側にあった。西神戸支店としての営業開始は2002年3月のことである。念のため書いておくと、「先の震災」とは言うまでもなく阪神・淡路大震災のことである。京都では「先の戦争」というと応仁の乱を指すらしいので(笑)。
 新開地は、戦前には神戸随一の繁華街・オフィス街だったが、戦後長いこと進駐軍に接収されたため復興が遅れ、神戸市の中心が三宮に移ったこともあって栄光を失った。旧赤線地帯である福原が隣接していることもあって、先の震災までは「行くのがはばかられる場所」とさえ見られていたが、震災復興により外見上は面目を一新している。
 私は西神戸支店に寄ってきただけで、震災復興後の表通りしか見ていない。新開地には兵庫県唯一のストリップ劇場があったが、今年(2007年)8月閉館したそうである。私はストリップ劇場に行ったことは1度もないが、たまに調べものをする横浜市立中央図書館に向かう途中、京急日ノ出町駅近くに1軒あるのは知っている。話のタネに1回入ってみようかとも思うのだが、思いながらも、最近私は桃色系の話題に関心が持てなくなってしまっている。

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2007年10月26日

2007.07.18(水)(5)神戸岡本再訪

 引き続き阪急神戸線で西宮北口から岡本に出る。次なる目標は、神戸岡本支店(神戸市東灘区)である。
 12:53発、特急新開地行きに乗車。7分の乗車でもう岡本についてしまうが、この間に特急は夙川(しゅくがわ)にも停車する。今年(2007年)3月にJRが新駅を設置したのに伴い、阪急は甲陽線との乗換駅である夙川に特急を停車させるようになった。阪急神戸線の特急は、以前は西宮北口を出ると次がもう三宮だった。あまり停車駅が増えると各駅停車と変わらなくなってしまうのだが、利便性が増加する側面はもちろんある。なにしろ岡本に特急が停まらなければ、私は今回別のもっと遅い列車で移動しなければならなかったのである。
 13:00、岡本駅に到着。駅を出た途端に激しい雨となった。さっき西宮北口では薄曇り程度だったのだが、阪神間はこんなに天気が変わりやすいところだったかと驚かされた。とにかく、雨の中を神戸岡本支店に向けて歩く。岡本は阪神間の高級住宅地の中では代表格で、神戸市内の住宅地では最も地価が高いそうだ。町並みはさすが神戸市内というべきか垢抜けているし、駅前を徐行しながら走る車も、今日これまであまり見かけなかったBMWなどが目につくようになった。甲南大学をはじめ複数の大学が近所にあるので、大学生の男女が多い。
 駅から南進するも、1分も歩かないうちに突き当たり。右へ曲がるともうりそな銀行の茶色い建物が見える。店の向かいはみなと銀行本山支店(旧阪神銀)と、ダイエー系高級スーパーのグルメシティ。ダイエーにとってお膝元である関西では、同社の高級スーパーが十分営業できているようだ。
 りそなの店に入ると、オムロンの「IX」というやや旧型のATMが置かれていた。数台あるうちの1台だけだったが、りそな銀行にIXはもともと非常に少ないので、新鮮な印象である。制覇作業を行う。

 大和銀行は、1982年11月に「岡本支店」を作り、1998年3月に有人出張所(神戸支店岡本出張所)に変更した。現在の神戸岡本支店は、この旧・岡本支店の建物を使用しているが、店歴上は別の支店である。
 大きく変化を遂げたのは、大和銀行グループがなみはや銀行の営業を譲受したことがきっかけである。1999年に経営破綻したなみはや銀行は、2001年2月に大和銀行グループに分割譲渡され、おおむね大阪府以外の店が大和銀行に引き取られた。阪神新在家駅近くの神戸市灘区友田町にあったなみはや銀行灘支店【注11】は、そのまま大和銀行の灘支店に変わり営業していた。2002年8月、灘支店は神戸市東灘区岡本に移転し、神戸岡本支店に名称変更した。これが、現在の神戸岡本支店である。灘支店の移転改称と同時に、旧・岡本出張所は神戸岡本支店(旧・灘支店)に統合された。もうおわかりと思うが、旧・灘支店の移転先が、岡本出張所の統合跡地なのである。

 ところで、神戸岡本支店はちょっとしたトリックに使える店の構造をしている。支店の建物は崖線上に建っているのだが、実は今入った北側の出入口とは別に、南側(崖下にあたる部分)にも出入口がある。窓口室を通り抜けて南側のドアを出ると階段がついていて、ここを降りると、JR東海道線の北側を走る幹線道路(阪神間山手幹線)に出られる。JRの摂津本山駅までは、歩いて5分かからない。尾行者がいる時など、北側のATMコーナーに入り、預金取引をするふりをして店内を通り抜けると、撒くことができるのである。もちろん、窓口営業時間中で、かつ尾行者が店の構造を知らないことが前提だが。

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【注11】なみはや銀行灘支店:1960.10.18福徳相互銀行神戸東支店として開設。1986.07.07神戸支店灘特別出張所に変更、1989.02.01普銀転換により福徳銀行となり、1994.08.29灘支店に昇格。1998.10.01なにわ銀行との合併によりなみはや銀行灘支店となり、2001.02.13営業譲渡により大和銀行灘支店となる。

2007年10月25日

2007.07.18(水)(4)西宮北口再訪

 空はどんよりと曇っていたが、折り返し電車で和歌山駅まで戻る頃には土砂降りの雨になっていた。この後は、今日のりそめぐを本格的に開始するべく、大阪方面への移動である。
 和歌山市駅までバスで移動する。今日のここまでの行動内容からして、昨晩の宿を和歌山市駅前で取ったことには何の意味もない。失敗だったと後悔したが、後の祭りであった。
 和歌山市駅に着いたのは10:25頃。今朝宿で立てたプランによると、和歌山市11:30発の特急なんば行きに乗ることになっていた。今ちょうど1時間前。南海電鉄のダイヤが精緻に作られていれば、かっきり1時間前に同じ種類の電車(特急なんば行き)があるはずだ。改札を入ると、果たして10:30発の特急なんば行きが今にも発車しようとしていた。南海電鉄の特急は有料のはず、とプランを立てながら危惧していたのだが、ホームに降りてみると、有料の座席指定車の前部に特急料金不要の一般型車両が連結してあって安心した。私はもちろん一般車両のほうに乗る。座席はあらかた埋まっていたが、私は着席することができた。
 私はここでしばし眠りにつく。約1時間後、私の乗った電車がなんばに到着した。
 せっかく難波で改札を出るので、少し寄り道して難波支店の写真を撮る。その後、地下鉄で梅田へ。今日の第一目標は西宮北口支店(西宮市)と決めているから、阪急神戸線に乗り換えである。腹が減ったので、阪急梅田駅の売店でカロリーメイトを買った。目新しい「ポテト味」など買ってみたところ、後悔した。
 空腹を癒せないまま、梅田から12:10発特急新開地行きに乗車。10分あまりの乗車で西宮北口に到着である。西宮北口駅から支店までの様子は「あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇 01.09(5)」で書いたから、ここでは繰り返さない。ただ、駅の北西口にある関西アーバン銀行西宮支店に寄り、この銀行の用事だけ済ませた。

 りそな銀行西宮北口支店に入る。キャッシュコーナーにはATMが3台あって、前回来たときと比べて1台増えていた。関西系の大和銀行と合併して、この支店は少しは営業成績が上がったということなのだろうか。制覇作業(預金取引)をし、写真を撮って西宮北口支店の再訪を完了した。
 りそな西宮北口支店の前身である協和銀行西宮支店は、戦前から続く支店で、もともとは不動貯金銀行の西宮支店であった。西宮には別に大阪貯蓄銀行の西宮支店があった(阪神西宮駅南側の西宮市馬場町)。1945年5月の9行合併では大阪貯蓄の支店が西宮支店となり、不動の店は北今津支店と称したが、北今津支店は1950年4月に新築のうえ西宮支店に改称。その際に大阪貯蓄の店は西宮戎支店と改称され、1952年9月西宮支店に統合された。
 西宮市甲風園にある現店舗は1974年7月の新築だが、それ以前の旧店舗は西宮市松原町にあった。今でいうとJR西宮駅南口、「フレンテ西宮」東館から国道2号線を挟んだ向かい側である。協和が得意とする地場の商店街の支店から、甲風園という高級住宅街の支店に大変身を遂げたわけだが、もしこういう大移転をしていなかったら、西宮支店はあさひ銀時代末期に統合の憂き目にあっていたかもしれない。大和銀との合併に伴って西宮北口支店に改称されるのはその後の話である。

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2007年10月24日

2007.07.18(水)(3)わくわく為栗…!?

 和歌山電鉄に回る。予定では和歌山10:01発の「いちご電車」に乗る予定であったが、おそらくそれよりは大幅に早く和歌山駅に到着しそうである。といって、08:25発には間に合わないだろうから、今回は「いちご電車ははずす」ことにあっさり決定した。まあよい。私はそういう「目立つもの」ではなく、日常走っている平凡な車両で貴志川線を旅することにしよう。目立つものは、他人様にまかせておけばよいのだ。
 和歌山市内の和歌山バスではスルKAN2dayが使えるので、紀陽銀本店前にあるバス停から和歌山駅へ向かう。和歌山市の中心街はJRの和歌山駅からかなり遠く、歩いて行けないこともないが2km近い道のりとなる。和歌山の交通の中心はもともとは南海和歌山市駅で、現在のJR和歌山駅は1968年まで「東和歌山」といったのだから無理もない。JRのほうが開業が新しいためである。
 和歌山駅に着いた。和歌山電鉄の乗り場は、JRの改札を入り、地下道をくぐっていった先にある専用ホームである。和歌山電鉄ではスルKAN2dayが使えないので、乗車券を買おうとJRの券売機に近づくと、和歌山電鉄の券も売っている。試しに「イコカ」を投入してみると、券が購入できてしまった。その切符で改札を入って電鉄のホームに行ってみると、電鉄の職員が詰めている連絡改札では、普通の乗車券で1往復するよりも安い「一日乗車券」を売っている。自分が持っている切符を変えてくれるようダメモトで頼んでみたところ、電鉄の駅員はなんと応じてくれて感心した。
 貴志川線ホームのベンチで、さっき切符を買う直前に駅の売店で買った、揚げもの多数の弁当を広げる。これが今日の朝食である。ホームの先端部に近いベンチでは、数人の若い女性がタバコを吸っている。のどかな光景である。やがて、当駅終着の折り返し電車がやってきた。客が全部降りきったところで乗り込む。
 車内には「わくぐり 7月30日31日 伊太祁曽神社」としか書かれていない吊り広告がたくさん下がっていた。沿線の住民には「わくぐり」と言えばすぐアレだなとピンとくるのであろう。「わくぐり」は和歌山市伊太祈曽(いだきそ)にある伊太祁曽(いたきそ)神社の祭りで、正式には「茅輪祭」といい、茅萱で作った輪をくぐることからわくぐりと呼ばれる。多数の屋台が出店し、奉納芸能なども各種あって賑やかな夏祭りだそうだ。「してぐり」というハンドルネームを使っている私には「わくわくしてぐり」の略であると思えてならず、この時期に貴志川線に乗れてよかったと思った。私の書くものをわくわくしながら読んでもらえるよう、一層精進したいと思う。
 ホーム先端でタバコを吸っていた女性たちは、電車に乗り込んでから栄養学か何かの勉強をしていたから、短大生だろうか。電車が発車してすぐ、最初の駅・田中口に停車。制服姿の女子高生がホームの壁に向かって何やらゴソゴソしていて、大急ぎで向き直って電車に乗ってきた。何をしているんだろうと思ったら、どうもタバコを吸っていたようだ。高校生と短大生は、ともに同じ駅で降りた。後で調べたところによると、その駅の近所には女子短大があって、付属の中学・高校もあるようだ(学校の名前は駅名とともに伏せておこう)。喫煙という野蛮な風習は、和歌山のような地方都市ではまだまだ健在のようである。と、喫煙者でない私はスモーカーの反発を予期しつつ書く。
 地方都市といえば、和歌山の女子高生は制服をミニスカートにしている子が多く、昨日大阪エリアで見たのとは打って変わってスカート丈が短い。この電車に乗り合わせている数人の女子高生も、もちろん褐色の大根をむき出しにしている。和歌山が「大阪エリア」ではなく、近畿地方に属する独立性の強い県であると認識した。
 当初乗ろうと思っていた「いちご電車」とは、途中のどこかの駅(日前宮か神前)ですれ違った。伊太祈曽駅の車庫には、7月末デビューの「おもちゃ電車」が見えた。いちご電車は真っ白だが、こちらは真っ赤に塗られている。おもちゃ電車は、玩具会社が広告料を出して車内外を大改装したそうで、人形や積み木が並ぶショーケースやベビーサークルを備え、車内にはガチャガチャ(の販売機)まであるそうだ。この文が発表される頃にはもう営業運転に入っているはずである。
 貴志川線の終点・貴志駅には、猫駅長の「たま」がいるそうだ。駅舎の中で営業している商店主の飼い猫だそうだが、私が訪れたときにはいないようだった。私は猫とどうも相性が悪いらしく、自宅近くに複数いる顔なじみの野良猫に「おはよう」と声をかけると、けしからんことに逃げていくのである。近所の顔なじみには烏もいるが、烏君たちは挨拶すると私のほうを見つめ返してくれる。猫とはそういう動物なのかもしれないが、だから私は猫が嫌いだ。とまで短絡するつもりはないが。
 いちご電車もおもちゃ電車も、猫駅長のたまも、この文章で取り上げるのは電鉄会社の話題づくりに乗せられている気がして癪にさわるから、簡略に留めておく(と言いつつ、随分字数を割いてしまった)。

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2007年10月23日

2007.07.18(水)(2)和歌山支店を再訪

 ホテルを7時半にチェックアウトした。
 最初に行く予定にしていた旧和歌山銀行の本店は、和歌山城の北側を東西に走る「けやき大通り」沿いにあって、和歌山市駅前からだと国道24号(中央通り)を南進して、城が見えたら左に曲がるだけである。ところが、ひねくれた私はどこをどう歩いたのか、後で来るつもりだったりそな銀行和歌山支店に先に到達してしまった。りそな和歌山支店は、和歌山市駅から東南に700mほどの本町で、和歌山市随一の繁華街とされた「ぶらくり丁」の南にある。
 8時前であるので店はまだ閉まっているが、せっかく来たので、外観の写真撮影だけ済ませることに変更した。和歌山支店は、1階部分の天井が2階分くらいの高さを持つ、昭和30年代に建てられた古い店舗が今も現役で使用されている。同じ時期の建築は、最近になって宇都宮・荻窪と相次いで鬼籍に入ってしまったから、こういう古い店舗が現役使用されているのは嬉しい。りそな銀行和歌山支店は、1909(明治42)年1月に不動貯金銀行和歌山代理店として開設され、1916(大正5)年4月和歌山支店に昇格している。現在の店舗は1959年4月の新築で、今となっては旧協和銀行の店舗で2番目に古い建築となってしまった【注10】。
 和歌山県下最大の商業集積地として名前が脳味噌に妙にこびりついていた「ぶらくり丁」は、りそな和歌山支店の北側にある。ぶらくり丁を構成する商店街の一つ「ぶらくり丁商店街」とりそなとの間に、和歌山県のトップバンク・紀陽銀行の本店がある。この時間のぶらくり丁商店街は人通りもほとんどないようで、いちおう角にマクドナルドがあることだけが繁華街の証明かと思われた。ぶらくり丁というのは商人たちが商品を店先にぶらくって(吊るして)いたことからついた名前だそうだが、このままではぶらくり丁というより「ブラックリスト1丁」といった感じである。
 旧和歌山銀行本店までは随分時間がかかった。現在ここは紀陽銀行和歌山中央支店となっている。和歌山銀は第二地銀としても弱小の部類で、地元での商売という点で紀陽銀にはもちろん敵うはずはなかったのだが、それでも本店の建物は非常に大きくて立派であった。黒いタイルがびっしり並んだ西側の壁面には、和銀を吸収合併した紀陽が取り付けた「紀陽銀行」という社名ロゴの金属製切り抜き文字がキラキラ光っている。こうして紀陽銀行は、和歌山県唯一の本店銀行となった。
 その後、りそな和歌山支店を再訪。ここで初めて預金取引である。時間外手数料の105円がかかるが、この際差し上げてしまおう。時間の節約の方が大切である。
 和銀本店からりそなに戻る間に、窓口が開いたら行こうと思っていた関西アーバン銀行和歌山支店にも遭遇したが、もうどうでも良くなってしまった。用事は今日焦って済ませなくても、東京に帰ってから東京支店に行けば事足りるのである。

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【注10】現存最古の協和銀行店舗:現営業店舗としては、1958年築の亀戸支店が現存最古であるとみられる。

2007年10月22日

2007.07.18(水)(1)今日の計画を立てる

2007.07.18(水)

 ここ1〜2年ほど、私の生活は昼夜が逆転しているので、たまに普通の人と同様の時間に寝ようとすると、短時間で目がさめてしまう。具体的には、旅行中など、昼間活動して夜に睡眠をとるような場合である。そういう時間に寝ようと思えば動物の本能で不思議とある程度寝られるものの、やはり「8時間きっちり」というのは無理で、仮眠程度にしかならないのである。
 昨夜は宿に9時半に着き、旅の疲れと程よいアルコールの作用もあって10時過ぎには寝てしまったが、翌朝目を覚ましたのは5時であった。何だ7時間も寝てるじゃないかと思わないでいただきたい。私はもともと睡眠時間が平均より長くて、毎日きっちり8時間は寝ないと身がもたない。そのうえ、昨夜は激安チャーターバスの車内でほとんど眠れず、朝大阪に着いてからは夜までりそめぐをしていたのだ。バスを降りてからだけで、都道府県ベースでいうと大阪→京都→奈良→大阪→和歌山→奈良と移動し、そして今和歌山にいるのである。せめて7時間くらいは寝かせてもらいたい。とはいえ、本当は朝7時まで寝るつもりで目覚ましをセットしていたから、予定より2時間も早く起きたことになる。こういう時は、無理に床に入っていないでスパッと起きてしまった方がよい。
 窓から朝の光が差し込んでいる。外を見ると、そこには何となく見覚えがある風景が広がっていた。過去の記憶が吹っ飛んでしまっているが、このホテルに以前泊まったことがあっただろうか。安い宿ばかりを選んで泊まっているから、以前泊まったところを意図せず再訪しているかもしれない。
 着替えをして、ホテルの1階ロビーに出た。ここにはパソコンが置いてあって、ホームページの閲覧ぐらいは自由にできるようになっている。これを使ってネットで列車ダイヤを調べ、今日の行動計画を立てる。早朝とあって、パソコンを使う客は私の他にはいない。
 りそめぐについては、「制覇」となるところは昨日のうちに全部巡ってしまったから、今日行くところは「再訪」の拠点ばかりになる。もはや私の「りそめぐ」は終わってしまっているのであるが、四国八十八か所巡礼にしても、逆順で回ったり等、回数を誇っている人もいるではないか。世の中に1人ぐらい、銀行巡りで再訪までするような奴がいてもよいと思うのである。
 今日は、兵庫県方面を再訪することに決めていた。兵庫県「全店」の再訪ではないものの、その気になればあと半日くらいで全店再網羅ができるくらいの個所数を今日めぐっておくことにする。
 合わせて、今日は鉄道の乗りつぶしも少しこなしておこう。宿泊を和歌山にした理由はいくつかあるのだが、そのうちの一つは、未乗で残っていた線区の一つ、和歌山電鉄に乗りたいと思っていたためである。和歌山電鉄はもともとは大手私鉄・南海電鉄の貴志川線だったが、2006年4月に経営主体が代わって新会社の路線となった。南海貴志川線は終点の貴志まで1回乗っているのだが、私はこういう場合新線が開業したとみなしているので、もう1回乗らねばならない。そして、どうせ乗るなら、話題の「いちご電車」【注9】に乗ろうと思った。これが、和歌山を08:25と10:01に出る。プランはこれを軸にして立てた。りそな和歌山支店を再訪し、さらに和歌山市内で複数の別の銀行の用事を片付けてから、和歌山10:01発の「いちご電車」に乗る。

【注9】いちご電車:2006年8月に営業運転を開始した和歌山電鉄の電車で、2006年4月の同社営業開始時に南海電鉄から引き継いだ貴志川線専用車両を改装したもの。終点・貴志駅周辺の名産物イチゴにちなんで車体を紅白で塗装し、車内をイチゴ柄で埋め尽くした。デザインは、JR九州や「さいたまスーパーアリーナ」などでデザインを手がけたインダストリアルデザイナーの水戸岡鋭治氏。

2007年10月21日

2007.07.17(火)(18)五条再訪、一日の終わり

 五条支店に行く前に、途中にあるサティ五条店に寄ってみた。国道24号線沿いにあるこの店は、五条バスセンターが併設された五条市随一の商業施設であり、五条支店が店舗外ATM[五条サティ]を店内に出している。
 りそなのATMは、同店の1階というか2階というか不明な場所にある。店舗案内図によると正式には1階にあることになっているが、バスターミナル側から上がった私は2階にあると感じた。地形が東(五条支店側)から西(五条駅方向)に向かって下り斜面になっているため、こういうことになる。肝心のATMには、五条支店統合のトの字も発表されていなかった。支店統合後に顧客利便を確保するため店舗外ATMを設けるのだろうが、サティ内の既設のATMを残しておければ、支店の代替施設には十分なりうるだろう。それとも[五条サティ]はATM設置場所の地代を惜しんで廃止してしまうのだろうか。
 店舗外ATMを一瞥した後、建物東側の出口を出て五条支店に向かう。今度はATMの場所がしっかり「1階」であることを確認できた。
 前回りそなと合わせて「制覇」しようとして、スケジュールの関係から断念していたミスタードーナツの五条ショップが、今日は明かりを煌々とつけて営業している。前回とは異なり、私は今となってはミスド店の制覇をやめてしまったから【注8】、今回はここに寄ることもなく再び国道を歩き始める。

 サティから東へ10分、1年半前に来た道をふたたび歩いて、りそな銀行五条支店に到着した。
 支店に入る前にまず気付いたのは、五条支店隣にあったNTTドコモの携帯ショップが閉店していたことである。ドコモの看板の赤い部分だけ健在で、他は白く塗りつぶされているようだ。
 店内に入ると、金庫のような鋼鉄製の覆いを下部につけたATMが1台だけ置かれていたキャッシュコーナーは、機械が壁から突き出した形に改造されており、機械も2台に増設されていた。とりあえず制覇作業(取り納め)を済ませたが、ピンと来たことが一つある。なぜこんな地方都市の支店でATMを増設したのだろうか。ということで、店舗外壁の駐車場側にあるドライブスルーATMのコーナーに行ってみたところ、やはりと言うか何と言うか、五条支店のドライブスルーATMは廃止されていた。ドライブスルーの風除け屋根の部分は、車庫として利用され、バイクが数台置かれていた。ドライブスルーコーナーに貼られていた貼り紙によると、廃止は2007年1月18日ということである。ドライブスルーは旧奈良銀の特徴だったが、五条支店と同時期に吉野支店も廃止、平城支店はこの9月18日にドライブスルーを廃止したそうで、現在も残っているのは店舗外ATMの[谷ドライブスルー](桜井支店)1か所のみとなっている。
 五条支店は、西大寺・田原本の2支店とともに、9月14日(金)最終営業日を迎える。五条支店のクイックロビー(ATMコーナー)は、統合後は店舗外ATMの[五条](吉野支店)として、2008年1月末までは営業するという。

 本日の予定はひととおり終了した。既に辺りはだいぶ暗くなり、銀塩カメラならストロボを焚かないと像が写らないくらいの明るさになってきた。デジカメのおかげで暗いところでの写真撮影ができるようになって、地方での銀行巡りには大いに助けられているものの、やはり明るいうちの方が写真がきれいに撮れるのは間違いない。これまでスケジュールを可能な限り前倒しにしてきたのは、そういう事情である。
 あとは、予約を入れてある和歌山市内のビジネスホテルに落ち着くだけである。もう写真は撮らないから、焦って前倒しで動く必要もない。当初計画では五条19:41発の普通列車和歌山行きに乗る予定で、まだ40〜50分程度の時間の余裕があるので、国道と駅前通りとの交差点角にあるガストで食事。その後駅に戻って宿までの乗車券を購入したが、うっかり「和歌山」までの切符を買ってしまった。今日の最終目的地は、和歌山からさらに乗り継いで2駅先の「和歌山市」駅で、和歌山までの切符では運賃が足りず、着駅では現金で精算させられる羽目になったのである。
 ともあれ、こうして、7月17日の夜が更けていった。

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【注8】為栗のミスド店制覇終了:為栗がミスド店制覇の証拠としてきたのは、店名が下部に印刷されたポイントカードの「ミスドカード」だったが、2006年11月26日をもってカードの配布が廃止された。翌月からの新システムでは、店名印刷のある都度配布のカードが存在せず、全店で確実に入手できる「制覇の証拠」は消滅した。これをもって、私・為栗裕雅は、ミスド店の制覇を終了することとした。

(7月17日篇 おわり)

2007年10月20日

2007.10.19(金)新高円寺の最終日+南阿佐谷再訪

 10月19日(金)の営業終了をもって、中野支店新高円寺出張所(東京都杉並区)が統合になりました。例によって最終営業日の制覇をしてきましたので、関西めぐ記の途中でちょっと気分転換を。

 午後2時頃、地下鉄丸ノ内線で新高円寺駅へ。出張所のある「高円寺ルック商店街」は、荻窪寄りの出口を出て、すぐ右側にあるみずほ銀行(高円寺支店、旧第一銀行)の角を曲がったところです。
 空はどんよりと曇っています。出張所に行ってみると、既に荷物の運び出しが佳境を迎えているようでした。店に入ると、引っ越しの合間に窓口を片手間に開けているような印象がありました。
 この出張所は、「クイックナビ」の総合受付に相当するカウンターと応接スペースだけがあって、あとはスリガラスで仕切られた事務スペースという造りです。藺草の暖簾がかかっているなど、全体に和風に作られていて、キャッシュコーナーの仕切りなども木目調(白木ではなく焦げ茶色)です。通常営業中はシックで落ち着いた雰囲気を醸し出していたのですが、今日は撤収作業中の行員さんでごった返しています。
 受付カウンターの女性行員とは別に、ロビー係の男性もいました。カウンターに直行して女性行員に通帳を見せ、口座Aから口座Bへの資金移動をお願いしたところ、やはりというか何というか、キャッシュカードを持っていないか聞かれました。ないと答えると初めて出金伝票と入金伝票の2枚を渡されますが、迷惑がっている様子がありありと感じられました。少し緊張して、伝票の口座番号を書く欄に間違えて金額を書いてしまったのですが、「そこは金額を書く欄ではございませんので」と即座にピシャリと言われました。新しい用紙をすぐ出してくれたのはいいのですが、書き間違えた用紙はビリッと真っ二つに破り捨てられ、悲しい思いがしました。
 手続きそのものはすぐに終了。普段ならその後すぐATMで取引をして、敢えて母店の名前を通帳に出すのですが、今日は店の雰囲気からしてはばかられました。新高円寺はカウンターの目の前がもうATMですし。というわけで、いったん店を出ました。
 近所の100円ショップで10分程時間をつぶしてから、改めてATMを利用しました。店内では別のお客さんが話をしているようでしたが、小耳にはさんだところによると、少しでもややこしい客は全て、JRの駅の北側にある高円寺出張所(新高円寺出張所北800m)に行くよう案内しているようでした。ほとんど丸投げの様子です。そのお客さんは「こんなんじゃ窓口を開けてる意味ないじゃん」と憤慨していたようですが、私も少しそう思いました。

 新高円寺出張所は、りそな銀行の個人向け軽量化店舗「りそなパーソナルステーション」の関東地区における第1号です。中野支店を中心として、複数の有人出張所を衛星のように張りめぐらせる実験という意味合いで開設されたもの。中野支店には新高円寺も含めて有人出張所が4つありますが、これらのうち3か所(南阿佐谷、高円寺、新井薬師)は、旧営業店、もしくはかつて営業店があってある程度の営業基盤がある場所でした。新高円寺は完全に新規出店の店でしたので、ここが成功するかどうかは今後の新規出店の動向を占う意味で非常に重要だったと思われますが、このピリピリした雰囲気をみると、果たしてどうだったのでしょうか。
 統合後はATMコーナーが残りますが、来年1月末で営業を終了します。おそらく、ビルの賃貸契約が切れるのでしょう。
 私は開設初日(2004.03.22)に新高円寺出張所の制覇に訪れています。開店初日の思い出話を少し。その日は雨が降っていました。当時りそな銀行には、窓口営業時間が15時までの店と17時までの店とが混在していて、新高円寺は15時閉店でした。私は3時過ぎに着いたので、これでは本来なら初日の制覇はできなかったのですが、開店初日とあって支店長のTさん(当時)が自らキャッシュコーナーで案内係をされていて、趣旨を説明したところ通帳繰り越しの処理をして下さったので、どうにか制覇が達成できたのでした。Tさんは、新高円寺出張所開設の1週間後に中野支店長をお辞めになったようです。

 写真は、統合が発表されて間もなく、空き時間を使って8月の末に撮影に行ったときのものです。最終営業日の写真撮影は、諸般の事情によりいたしませんでした。

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 新高円寺に行ったついでに、中野支店管内のもう一つの有人出張所、南阿佐谷出張所(東京都杉並区)に行ってきました。ここは、新高円寺の翌月(2004.04.12)にオープンした店です。
 青梅街道(地下鉄)沿いのバス停から、関東バスの五日市街道営業所行きに乗車。新高円寺駅前から3つ目の「成田東」が出張所の最寄り停留所で、出張所はバス停の目の前にあります。
 商店街としては新高円寺の方が栄えているようですが、出張所の来店客数はこちらの方が多そうです。ATMの台数も、新高円寺が2台だったのに対し、南阿佐谷には3台あります。こちらの行員さんは、にこやかに応対してくれたので、緊張が少しほぐれました。
 この地には、あさひ銀行時代の2001年1月まで南阿佐谷支店がありました。旧支店は今ある南阿佐谷出張所から五日市街道を西に100mほど行った場所で、跡地には現在マンションが建っています。旧・南阿佐谷支店は、1965年7月に協和銀行阿佐ヶ谷支店東田町出張所として開設、1972年2月には阿佐ヶ谷支店廃止のため母店を高円寺支店に変更、1976年3月に出張所の名称を南阿佐谷に変更し、同年7月15日に南阿佐谷支店に昇格しています。

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 南阿佐谷から井の頭線高井戸駅まで歩き、駅の南側にあるガストで食事をしてから帰りました。高井戸は思ったより遠くて、4km近くあったようです。食事を済ませて店を出ると小雨がぱらついていましたから、歩いている時に降られないで運が良かったと思います。

 ほなさいなら。
posted by 為栗 裕雅 at 19:56| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 単発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007.07.17(火)(17)時間が止まっていたような五條市街

 18:22、電車は五条に到着した。これから行く五条支店をもって、本日の予定をすべて終了する。
 五条支店を訪れるのは、旧奈良銀行がりそな銀行と合併した2006年1月以来だが、実は五条駅では今回初めて降りる。前回は新宿から夜行バスで直行したからである。夜行バスが発着するのは、五条駅の南約300mほどの国道24号線沿いにある「五条バスセンター」で、五条市内に複数あった前回のビューポイントはすべて国道沿いであったから、JRの駅へは前回全く足を踏み入れなかったのである。
 ホームには、2両編成の電車にこんなに乗っていたかと思うほど多くの乗客が降りた。駅舎へは地下道が続いているが、地方都市の小駅のこととて、階段やトンネルの幅は大人が2人並んで歩いたら一杯になってしまうほど狭い。改札で切符を渡し、外に出て振り返ると、五条駅の駅舎はここ10年ほどの間に建て替えられたらしく、平屋建ての四角い建物になっていた。
 五条支店に向かって歩みを始める。駅前通りは、南側の国道に向かって下り坂になっている。下り坂が始まるあたりに、五条市の旧市街である須恵商店街との交差点、そしてその角に関西アーバン銀行の五条支店(旧幸福銀行)と、五条郵便局(本局)があった。関西アーバンの五条支店は、写真は撮ってこなかったものの、いかにも相互銀行然としたコンクリート造りの味のある外観をしている。今日の記述では、特に後半で「関西アーバン銀行」を目にする機会が多かった。関西アーバンは、2004年2月に旧幸福(相互)銀行をルーツとする関西さわやか銀行が、住友銀行グループだった関西銀行に合併されて誕生した第二地銀。旧幸福相互銀行が和歌山県発祥のため、大阪府南部から和歌山県方面には店舗網が充実しているのである。
 関西アーバンの前にはタコ焼き屋の車が出ていて、店をやっているおばちゃんから「お兄ちゃん買って」と声をかけられる。人の良さそうなおばちゃんの声に、ついほだされて1つ買いそうになるが、手を振って通り過ぎた。
 そこで私はちょっと足を止めることになった。駅前通りの関西アーバンの反対側に、商工地図が打ちつけられている。田舎なら大体どこでも見かけるもので、零細な広告会社が企画して、広告料金の支払いの有無や多寡に応じて地図上の距離や面積が増減するという、(地図としては)あてにならないものである。驚かされたのは、この地図の記載内容である。何と「三栄相互銀行五条支店」の文字が大書されていたのであった。
 三栄相互銀行というのは、旧奈良銀行が普銀転換する前の名前である。奈良銀の普銀転換が1989年4月であるから、この商工地図は少なく見積もっても18年間ずっとそのまま掲示されていたことになる。しかも、看板はそれほど傷んでいる様子はない。五条市街地はJRの駅を除きほとんど時間が止まっていたのだろうか。思わぬタイムスリップを楽しむことができた。
 広告スペースに大書されていない目の前の幸福相互銀行は、広告料金を払わなかったのだろう。それでも、地図部分には幸福相互銀行がちゃんと書き込まれている。地図としても割と正確に描かれているようだし、商工地図としてはかなり良心的に作られているようであった。

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2007年10月19日

2007.07.17(火)(16)橋本を経由して五條市へ

 次に行く五条支店(奈良県五條市)が、今日の最終目標である。
 駅に戻って改札を駆け抜け、階段を駆け上がると、程なく河内長野行きの各駅停車がやってきた。どうにか「11分間の制覇」は成功した。ここから先は、しばらく「車中の人」が続く。
 初芝から2つ目の北野田で、急行の待ち合わせ。私はここで17:19発の急行橋本行きに乗り換えである。北野田は、初芝と同じ頃に開発された高級住宅地・大美野田園都市の最寄り駅で、堺市南東部の南海高野線沿線における中心地である。駅前では再開発が進行中。りそなの拠点はこの駅近くにはない。
 そろそろ夕方のラッシュにかかるようで、やっと来た急行は混雑していた。ぎゅうぎゅうというほどでもないが「うわー混んでる」という視覚的印象を受け、実際に空席など一つもない状態、といえばわかってもらえるだろうか。とはいえ、河内長野でドッと客が降り、私は着席することができた。河内長野市(人口11.9万人)の玄関口にあたる河内長野駅は、近鉄南大阪線の支線である長野線との接続駅でもある。急行はこの駅以南は各駅に停車する。
 南海高野線は、河内長野を過ぎると急に勾配がきつくなり、深い山に分け入っていく。河内長野までで実質的に大阪府が終わりと言えるのかもしれないが、河内長野市の南部には三日市や美加の台といった住宅地が開発されているし、林間田園都市までは相当に乗客がいる。南海橋本林間田園都市は、大阪府と和歌山県との境界である和泉山脈を越えて橋本市に開発されたニュータウンで、この駅から橋本まではわずか2駅に過ぎないが、ここから先は列車本数が30分1本にまで痩せ細ってしまう。

 場所は違うが、本日2度目の橋本駅に着いた。私はここで、JR和歌山線に乗り換える。今使っているスルKAN2dayは、JRではもちろん使えないから、ここから五条までは切符を買わなくてはならない。跨線橋を渡って、いったん改札の外へ出ることにする。
 橋本駅の跨線橋は、明治時代の鋳物製なのか、複雑な形態の柱を持った相当に古めかしい姿をしている。それを横目で見ながら階段を上がっていくと、跨線橋の上には扉のついていない自動改札機が設置されていた。これは、関西民鉄のICカード「ピタパ」の読み取り機である。こんなところに改札機がある意味としては、南海とJRという会社を異にする乗り換えにあたってのチェックということだろう。しかし、この改札機はあくまで「ピタパ」の読み取り機能しかついていない。であるならば、JRの田舎の駅で使われているような簡易読取機だけで良いのではないかと思うが、なぜ「改札機」にしているのだろうか。しかも、この改札機には、繰り返すが扉が付いていないのである。
 橋本駅のたたずまいは、以前来た時と変わらず、ピンクの平屋建てのままであった。1998年1月、関西エリアの「あさめぐ」で橋本駅を起点にした(ここでレンタカーを借りた)とき以来である。駅前にある関西アーバン銀行橋本支店(旧幸福銀行)屋上の「幸福の鐘」も、健在であった。幸福の「鐘」といっても、本物の鐘ではなくてスピーカーが付いているだけなのだが。
 当初予定では、橋本18:35発の快速高田行きに乗ることになっていた。現状、ここまで37分早く到着している。五条までの切符を買いがてら時刻表を見ると、次の和歌山線五条方面は、18:08発五条行きとなっていた。やった。スケジュールの前倒しを心掛けてきたおかげで、橋本では予定より27分早い1本前の電車に乗れる。本数の少ないJRのローカル線で、この成果はかなり貴重と言えるのではないだろうか。

 3番ホームで五条行きの電車を待つ。ホームには学校帰りらしい男女高校生がいたが、おとなしいものであったと記憶している。やがて、クリーム色に赤帯の入ったJRの電車がやってきた。首都圏で走っていた103系電車を改造した2両編成で、まあオンボロと表現して差し支えないであろう。五条まではこの電車で4駅、15分ほどの旅である。ホームのすべての乗客が乗り込んでも、座席はようやく半分ほど埋まったぐらい。この状態で、電車は県境を越えて五条まで行く。
 18時08分、電車は定刻通り橋本を発車した。夕方6時を回り、窓の外はだいぶ暗くなってきた。

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2007年10月18日

2007.07.17(火)(15)17:01、初芝支店を制覇

 夏の日没は遅いとはいえ、この頃になるとだいぶ日が傾いているのを感じるようになる。今日の目標もあと2か所となった。
 次なる目標は、今日から支店に昇格した初芝支店(堺市東区)。ここもかつて支店から出張所に格下げとなった店だが、出張所降格は大和銀行時代の2002年5月であるので、私が来るのは今日でまだ2回目である。
 初芝支店の最寄りとなる初芝駅へは、泉北高速鉄道で中百舌鳥へ戻り、南海高野線に乗り換えて2つ目となる。駅前のファミリーマートで買ったあずきバーをかじりながら栂・美木多の改札を通る。16:39発の準急なんば行きで中百舌鳥に戻る。16:49着。ここまでは単純往復の域である。
 次の目標である五条支店(奈良県五條市)へ行くことを念頭に置いて、中百舌鳥駅の掲示時刻表で接続関係を確認する。この時刻表には、各駅停車から急行(等)への接続が明示されている。五条へ行くには、南海高野線で橋本へ出て、JR和歌山線に乗り換えである。
 現状、予定より30〜40分早く進行している。この快適な状況を維持するためには、初芝以南のスケジュールが、橋本行きとの関係で相当にタイトであることがわかった。初芝から橋本へ行くには途中の北野田で急行に乗り換える必要があるが、厄介なのは急行の全てが橋本まで行くわけではないことである。途中止まりの列車を考慮すると、橋本まで行けるのは、中百舌鳥発でいうと17:06発の河内長野行きか、17:42発の三日市町行きしかない(初芝の発車はプラス3〜4分)。30〜40分早い現状を維持するためには、初芝17:09発に何としても乗る必要があった。初芝17:46発では、もう当初プランの列車になってしまう。
 現在16:50、これから乗る列車(各駅停車金剛行き)が16:54発。初芝から乗るべき列車は中百舌鳥17:06発。これらを総合すると、初芝での持ち時間は、わずか10分ほどしかないことになる【注7】。幸い、初芝支店は一度行っている目標であるため、場所をおぼろげながら覚えている。初芝駅前の交差点を渡ってすぐ左側だったはずなのだ。10分あれば、ぎりぎり制覇は可能であると思われた。
 とにかく行ってみよう。私は心を決めた。

 初芝駅は、複線の両側にホームのへばりついた、いわゆる対向式のホームで、駅舎はホーム下の平面上にある。改札を入った乗客は階段を上ってホームに上がるという、ちょっと古めかしいスタイルであった(このスタイルは今日行った駅でいうと田原本もそうだった)。
 駅舎を出ると、郊外電車の駅前にありがちな小規模商店の並んだ商店街になっている。目の前に泉州銀行初芝支店がそびえ建っていて、駅前通りが左前方に延びているのは以前来たときの記憶と同じだ。よし、この調子。関西アーバン銀行の初芝支店(旧関西銀行)をさらに左前方にちらりと見つつ、すぐ右前方に視線を移すと、駅前の交差点。府道堺富田林線との交差点である。信号の向こうに、目指すりそな銀行の縦看板があった。
 大急ぎで制覇作業、そして写真撮影まで済ませる。余韻もへったくれもなく、あっという間の初芝支店滞在を終了した。
 初芝は昭和初期に田園都市として開発された地域だそうで、りそなの支店の背後には閑静な住宅地が広がっているようだ。大和銀行初芝支店は1987年の開設と比較的新しい。

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【注7】中百舌鳥から先の列車:ややこしくなったので整理する。20070717-15_Norikae.GIF

2007年10月17日

2007.07.17(火)(14)16:32、泉北とが支店を制覇

 和泉中央駅に戻る。改札を入ると、16:21発の準急なんば行きが今にも発車しようとしていた。今度の電車は、泉北高速の車両の中では最新型となる白い電車であった。
 和泉中央出張所の母店がある光明池を間に挟んで2駅、5分ほどで栂・美木多(とが・みきた)に到着した。
 私は、栂・美木多駅で降りたことが過去3回以上ある。泉北とが支店がりそなになって2回店種変更されているためもあるのだが、実はここは「あさめぐ」の時代に来たことがあるのだ。河内千代田支店の店舗外ATM[近畿大学医学部堺病院]の最寄り駅が、ここ栂・美木多なのである。店舗外ATM名が通帳に記帳されなくなった今、近大病院に用はない。

 ニュータウンの鉄道に乗り、その後で体験記(紀行文)を書こうとすると、風景の描写に困惑することがある。丘陵地帯は地形の起伏が案外激しいし、しかも沿線の風景がよく似ているから、駅や線路や施設が掘割だったか高架だったか、はたまた地平だったかで混乱してしまうのである。栂・美木多については、ホームから階段を上って橋上駅舎に出たのは間違いないはずだが、改札を出てそのまま駅前のバスターミナルのようなところへ抜けた記憶もある。
 りそなの泉北とが支店は、駅前の「ガーデンシティ」という駅前センタービルの2階にある。駅からは改札を出てそのまま同一平面上となるのだが、バスターミナルも同一平面上だから、地形の関係が私の頭の中がこんがらがっているのだ。この文章を書きながらwebの国土地理院地形図(1:25000)も見てみたが、駅周辺の地形の関係はいまひとつ判読できなかった。
 とは言え、駅を出てから支店までの間はよく覚えていたので、現地での制覇は問題なく終了した。ATMで預金取引を行う。16:32、泉北とが支店を制覇した。
 なお、泉北とが支店の入る建物には、近畿大阪銀行の店舗(深井支店泉北とが出張所、旧大阪銀)も入っている。近畿大阪銀行はりそな銀行とのシステム統合が来年7月には完成することになっているから、りそな・埼玉りそな銀行と同様に取引実行店名が通帳に記帳されることになるだろう。そうなれば当然、この地を4回目に訪れることになる。

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2007年10月16日

2007.07.17(火)(13)和泉中央再訪

 新金岡の次は、泉北ニュータウン内の営業店が2か所続く。
 新金岡の次の駅なかもずは、南海高野線との乗換駅である(南海の駅名は「中百舌鳥」)。南海高野線はさらに、この駅から泉北高速鉄道を分岐している。泉北高速は泉北ニュータウンの足として開業した路線であるから、泉北NTに行くのであれば当然この路線は外すことができない。この線の沿線に2か所ある今日の目標は、終点・和泉中央駅前にある光明池支店和泉中央出張所(和泉市)と、途中の栂・美木多(とが・みきた)駅前にある泉北とが支店(堺市南区)である。
 計画では、終点の和泉中央を先に、途中の泉北とが支店を後で取ることになっている。普段なら「どちらを先に取ってもよいのだが…」とか何とか言いつつ理屈をつけて順番を決めるのだが、今回は違う。和泉中央出張所は「店番が母店と同じ有人出張所」で、制覇には窓口の取引が不可欠である。りそな銀行の窓口営業時間は夕方5時まで。新金岡を出た時点で既に4時近い。泉北高速線に何らかのアクシデントがあった場合、和泉中央の今日の制覇が無理になる可能性が全くないとは言えない。そういうリスクのある目標とあっては、制覇完了は一刻も早い方がよかろう。実際の問題としてはその種のアクシデントの可能性は高くはないだろうが、どちらを先にしても大差ないのであれば、逆にこのように徹底的にリスクをヘッジしておくことも必要かと思う。無鉄砲な私が変に用心深く思慮をめぐらしているのも妙な話ではあるのだが。

 今出てきた地下鉄の出入り口を入り、長い連絡通路を通ってまた改札まで戻ってきた。なかもず行きに乗車、1駅3分の乗車で終点「なかもず」に到着。案内表示に従って地上に出ると、そこが南海「中百舌鳥」駅の駅前広場で、関西アーバン銀行の「中もず」支店が見える。一つの地名で複数の表記がある例は他にもあるが(埼玉県でいうと「春日部」と「粕壁」など)、ここほど表記の数が多いのも珍しいのではないだろうか。
 南海のエスカレーターを上がると、コンコースには何と古本屋がある。駅ナカが最近流行っているとはいうものの、「古本屋」があるケースはこの堺市周辺の「天牛堺書店」以外には知らない。とはいえ、南海中百舌鳥駅は、駅ナカに古本屋がある以外には目立った特徴もない駅であった。イメージ的には、関東地方でいうと相鉄二俣川のような感じだろうか。路線が分岐する郊外の駅で、駅舎が橋上にあるという意味である。
 私が乗るのは、15:47発の準急和泉中央行き。準急といっても、泉北高速線内は各駅停車になってしまう。泉北高速鉄道の青線の入ったステンレス車は、私を乗せるとすぐに発車した。
 各駅に停車するとはいえ、泉北高速鉄道は駅間の距離が長いため、全部の駅が急行停車駅並みの規模となっている。りそなは、今回の目的地2か所を含め、泉北高速の全駅(中百舌鳥を除く)の駅前に営業店を持っているから、泉北高速沿線にあるりそなの全店を電車で巡ると、泉北高速の「全駅制覇」が併せて達成できることになる。

 中百舌鳥を出て深井、泉ヶ丘、栂・美木多、光明池と停車して、終点の和泉中央には16:04に到着した。和泉中央駅は掘割の下にあって、長いエスカレーターを上って1階のメイン改札となる。改札を出てコンコースを突き抜けて右へ。1回来ているから勝手はわかっている。線路沿いに走っている幹線道路、泉北1号線(府道富田林泉大津線)を渡ったところにある、駅ビル「エコールいずみ」の北館だ。
 あれれ。
 道路が渡れない。つまり、和泉中央出張所は地平の1階からだと出張所のある建物までたどり着けないのである。この幹線道路を渡るためには、改札からさらにエスカレーターを上がり、2階からペデストリアンデッキを通っていかなければならないのであった。前回来た時にも同じコースをたどっているはずなのだが、いったい何を見ていたのだろうか。
 ようやく現地にたどり着いた。さっきの国分出張所と同様、伝票を書いて通帳とともに窓口に提出する。和泉中央はいかにも出張所といった感じの小規模な店舗で、窓口室はソファー1つ真ん中に置いてあるだけで一杯一杯という感じであった。
 和泉中央出張所は、旧大和店舗の光明池支店(堺市南区)を母店としているが、りそな銀行になってからの新設店舗。開設は2004年2月24日で、同月から展開が始まった個人向けの軽量化店舗「りそなパーソナルステーション」の第2号(実質的には第1号とほぼ同じ)である。

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2007年10月15日

2007.07.17(火)(12)15:30、新金岡支店を制覇

 阿倍野橋への寄り道により、これまで予定より40分ほど早く進行していたのは解消されて、ほぼ当初予定どおりに戻ったことになる。新金岡支店の制覇に向かうことにしよう。
 夏の日差しが照りつけるあべの筋を北に戻り、御堂筋線へ。天王寺15:09発のなかもず行きに乗る。当初予定ではなんばを15:10に出ることになっていたから、この電車は当初予定より1本か2本早いだけの電車ということになる。
 地下鉄御堂筋線は大阪市交通局の路線だが、新金岡の1つ手前の北花田から堺市に入る。15分ほどの乗車で新金岡に到着。
 最近(といってもここ十数年ほど)の地下鉄新駅は、地上からの出入り口の数だけ改札があった1960年代の地下鉄駅とは異なっている。地上の出入り口は複数あるものの、改札は中央に1か所だけという例が多い。人件費の節約のためなのだろう。というわけで、新金岡駅の地下通路はとても長い。プラットホームが地下2階で、その上に地下1階にあたる部分として長い連絡通路になっているという構造である。
 地図によると、新金岡支店があるのは、南北に細長い新金岡駅の南端付近であるようだ。改札を出て、長い長い通路を南の方向に進んでいく。タバコを吸っているアホなカップルとすれ違った。公共施設では禁煙が常識でしょうが。
 2号出口の階段を地上に上る。一歩外へ出たとたん、またしても夏の日差しにクラクラする思いであった。T字路の反対側に、りそな銀行の縦看板が見えた。ここはショッピングセンターのサティと同じ敷地内にあるようだ。
 早速、支店めがけて信号を渡る。新金岡支店に入ると、自動ドア入って右と左の両側に、それぞれ7〜8台ずつATMが並んだATMコーナーが広がっている。左右両側に分かれたこの構造は、大和銀の大型住宅地店舗に特有の構造である。別に左右どちらの機械を使っても制覇の内容に変わりはないのだが、こういう時私はなんとなく右側の機械を使ってしまう。15:30、新金岡支店を制覇した。
 新金岡はきょうで都合3回目のはずだが、どうも近畿エリアの旧大和店舗は印象が薄い。88年8月のCI導入【注6】以後、店の内装や什器類などがソフィスティケートされ過ぎているのかもしれない。

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【注6】CI導入:大和銀行の創業70周年を期して導入。内部的には「ビジュアル・アイデンティティ」(VI)といっている。正方形を2つ斜めに組み合わせて中央にDの字を置いたシンボルマークなどが、このときから使用開始された。

2007年10月14日

2007.07.17(火)(11)「旅行貯金」に対する率直な疑問

 阿倍野橋支店仮店舗のさらに南側に、再開発ビルの「あべのベルタ」がある。ビルの1階にあべのベルタ内郵便局があるのをたまたま発見したので、奉公先の給与を引き出しついでに、通帳の今回の取引に局名のハンコを押してもらって「旅行貯金」の真似事をしてみた。私は郵貯めぐりはもともとしていないので、だから「真似事」なのである。
 中年女性の局員さんは、ゴム印を選ぶところから始まって、神経質とも思えるほど丁寧に局名印を押してくれた。私はこの様子を見て、郵便貯金めぐりはこれからもするまい、と再確認した。この局員さんは、ゴム印の押印をめぐって、過去にエキセントリックな一部の「郵貯めぐラー」とトラブルがあったのではないか。
 私が郵貯めぐりに手を出さないのは複数の理由【注5】があるのだが、その一つは、郵貯の旅行貯金という趣味が個々の郵便局員の「便宜」に依存して成立しているためである。便宜ということは、それが図られないこと(局名印の押印が拒絶されること)も論理的にはありうる。つまり私は、郵便局の旅行貯金は、制覇の証拠の安定性・確実性という点において難がある、と考えているのだ。
 郵便局めぐりではバイブルのようになっている種村直樹氏の本『日本縦断「郵便貯金」の旅』(徳間書店、1995年)には、窓口の局員に局名印の押印を断られて激怒した著者が、自分で通帳に郵便局名をボールペンで記入した体験談が書かれている。これは、通帳に表示される局名の安定・確実性を疑わせる事例であると言える。その点、りそなの通帳に店名が記帳されるのは、銀行にとって正規の日常業務の一環であり、ATMや記帳機で記帳することで「便宜」に依存することなく制覇箇所証明が完了する。
 急いで付言しておくと、これによって郵貯の旅行貯金を否定するものではない。私は「完全制覇主義」であるので終わりのないレースには耐えられないが、逆に一人で全部回ることを意図しなければ、無限に楽しめる趣味であるとも言えるからだ。また、郵政省時代にはゴム印の押印を拒否しないよう指導していたらしいし、局によってはイラストなどの入ったゴム印(「タカラ印」と呼ばれる)まである。郵貯の通帳では、貯金の取引をした郵便局の番号が記帳されるため、制覇したこと自体は番号さえ調べれば証明される。
 但し、繰り返すが局名のゴム印は貯金業務に必須のものというわけではないので、これをもって「私は」やらない、ということである。
 なお、「タカラ印」にはさまざまな形態があり、通帳の複数行にまたがらないと押せない巨大なものも多いそうだ。これを集印するために、窓口で通帳の行を数行飛ばして印字してもらうことも行われているという。通帳の印字は預貯金取引の履歴であり、現在高が正当であることを「行が連続していること」をもって証明するものである。それが空いた場合、空欄に何かを書き込んだら、正当性の証明にはならなくなる。ここまで来ると、もはや「預貯金サービスを使った趣味」の範囲を逸脱してしまうのではなかろうか。

 蛇足。郵貯の民営化に伴い、簡易郵便局が大量に廃局になるなど、郵貯のめぐラーにとって辛いであろう変化が続いている。「あさめぐラー」だった私は、あさひ銀行がりそなに再編される過程で同様の喪失感を味わっている。「めぐ」の一ジャンルを担う一人として心からお見舞い申し上げる。

【注5】いちおう整理しておくと、次の6つである。
 (1)全国に2万か所以上あって、数的に自分一人ではとても全部回りきれないこと。
 (2)ハシゴをした証拠を残すために行う通帳への記録が、郵便局の場合は不便であること。
 (3)さらに、その記録の安定性・確実性に疑問があること。
 (4)小学生時代に風景入り通信日付印(風景印)の収集をしていて、その際に各地の郵便局を回っていること(郵便局員にとって風景印の押印はれっきとした「業務の一環」である)。
 (5)郵便局めぐりには、著名・偉大な先達が既に複数いること(りそなめぐりにも、私が知らないだけで既にいらっしゃるのかもしれないが)。
 (6)旅行貯金マニアの某氏とトラブルになった経験があること。

2007年10月13日

2007.07.17(火)(10)新金岡に向かう前に阿倍野橋で寄り道

 次の目的地は、今日から支店に昇格した新金岡支店(堺市北区)である。国分から現地に出るには、いったん大阪市内に出て、難波から地下鉄御堂筋線に乗るしかない。
 河内国分に着いたのが13:14だった。これから乗る大阪方面の電車は、急行上本町行きで13:54発である。目的地が駅前の1か所であるのに1駅で40分を要したというのは、国分出張所での待ち時間が長かったことを示している。とはいうものの、事前の計画では河内国分14:38発のはずだったから、現時点でもまだ計画より44分早いのだが。
 さて、ここには一つ「難問」が立ちはだかっている。難波までどう出るか、という問題である。近鉄の路線は難波まで通じているが、大阪線は難波の2つ手前の上本町が終点で、この電車も上本町行きである。上本町で難波行きに乗り換えることは可能だが、地上から地下への移動を伴う。一つ手前の鶴橋なら、難波まで乗り入れる奈良線の電車に同一面ホームから乗り換えることができる。普通ならそれで終わりなのだが、事前のリサーチ(「goo」を使用)では、どう検索しても、鶴橋で地下鉄千日前線に乗り換えるプランしか出てこなかったのである。何か理由があるのだろうが、腑に落ちない。鶴橋で近鉄の別の電車に乗り換えた方が絶対早いと思えた。
 国分から15分も経たないうちに、大阪線の線路は奈良線と合流するため高架上に上がり始める。奈良線と重なったところの駅が布施、それから鶴橋まではすぐだ。検索サイトを信じるか、自分の勘を信じるか。どっちにしても鶴橋で降りるのは間違いないのだが。鶴橋には14:10に到着する。
 電車を降りる。まだ迷っている。時計を見ると、現在時刻は14:11。次いで、ホームに掲示されている難波行きの時刻を見ると14:14とあった。同一面ホームでの乗り継ぎで3分の待ち時間。そして、もう1つの選択肢・地下鉄千日前線のことを考える。私は鶴橋での近鉄→地下鉄の乗り継ぎをしたことはないが、近鉄の改札を出て、連絡通路を経由して地下鉄乗り場へ、ということを考えると、仮に3分後に電車があったとして、それに乗るのは無理ではないか。加えて、千日前線は大阪地下鉄の閑散線区で、終日4両編成で走っていることを思い起こす。電車の本数はさほど多くあるまい。
 決まった。ここは自分の勘を信じよう。かくして、近鉄のホームからそのまま近鉄で難波に出てしまうことに決定した。14:14、奈良線からやってきた東花園始発の各駅停車に乗り込む。
 難波での御堂筋線への乗り換えは、勝手のわかっている駅だけにスムーズに片付いた。千日前線の難波駅は近鉄難波駅に隣接しており、難波での乗り換えの手間は近鉄とほとんど変わらない。これを知っていたがために、私は自分の勘を信じることにしたのであった。

 現時点で、スケジュールは40分程度早く進んでいる。ここで、阿倍野橋支店が再開発のため先月仮店舗に移転したことを思い出した。同支店の最寄り駅は天王寺であるから、新金岡へ向かう途中である。決めた。阿倍野橋支店の取材を追加しよう。頭の中で鈍速CPUが回転してこのように決めたとき、電車は既に天王寺駅のホームに滑り込んでいた。
 近鉄百貨店になっている近鉄阿部野橋駅ビル併設の出口を出ると、夏の日差しがじかに頭に当たって一瞬クラッとした。天王寺駅南西側の「金塚地区」と呼ばれる地域は、もう既に大半の建物の撤去準備が済んでいて、白い鉄板で区画全体が覆われている。駅前の、あべの筋につけられた歩道橋に上ると、見覚えのある旧阿倍野橋支店の建物が見えた。私は阿倍野橋支店は2004年8月13日に初制覇している。
 仮店舗は阿倍野筋をさらに南に下がったところにあって、行ってみるといかにも速成のビルが建っている。りそなの南隣は住友信託、北側には三菱東京UFJ(旧三和)があって、複数の銀行店舗の仮店舗が並んでいる。阿倍野橋の旧店舗周辺は銀行支店が建ち並んでいたところで、これらが全部まとめて仮店舗に移転してきたわけである。単純化すると、再開発区域を2つに分けて、A地区の立ち退きが済んだらB地区の銀行をA地区の仮店舗で営業させ、B地区の再開発が完了したらA地区の仮店舗をB地区に戻してA地区を再開発する、という段取りなのであろう。
 りそなの仮店舗ビルは、かつての本店舗が建物の真ん中で色を変えていたのを踏襲して、真ん中だけグレーの着色がなされている。こういう微妙な心配りがあるのに少しだけ感心した。

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