2007年11月22日

2007.11.21(水)流山おおたかの森出張所の制覇

 20日に開設された、柏支店流山おおたかの森出張所(千葉県流山市)に行ってきました。「“制覇”のできる」りそなの拠点新設は、今年3月の東京ミッドタウン支店以来ですので、情報をキャッチしてすぐさま、喜び勇んで駆けつけました。

 私はりそなのホームページは毎日チェックしているのですが、ちょっと体調を崩していたため、流山おおたかの森出張所開設のリリースを目にしたのは21日午後3時頃でした。このところ、3月の登美ヶ丘(奈良市)、7月の青葉台(横浜市青葉区)と、「パーソナルステーション」を銘打ちながら窓口で預金を扱わない店舗の開設が相次ぎ、失望が続いていたため、今回もどうせそうだろうと思って、一応確認のために出張所に電話をかけました。オープン日を過ぎていますから、りそなのHPにはアドレスなどが公表されています。
 そこで、窓口で(相談業務だけでなく)預金の取り扱いもしている、とのお答えがあったときの喜びといったら! 私は既にりそな・埼玉りそなとも全拠点を回ってしまっていますので、新たに回る個所ができるというのはこの上もない喜びです。
 もう21日になっていますので、初日は絶対取れません。だから焦る必要もないのですが、一応念のためダイヤを検索してみました。流山おおたかの森到着は最速で16:55。どうやら、夕方5時の閉店にギリギリ間に合いそうです。「為栗ニュース」の記事のアップもそこそこに自宅を飛び出しました。

 パソコンで検索をかけたときの乗り継ぎは以下のとおりでした。
(新宿以前は省略)新宿16:06<JR中央線、快速・東京>16:15御茶ノ水16:18<JR総武線、普通・津田沼>16:20秋葉原16:30<つくばエクスプレス(TX)、快速・つくば>16:55流山おおたかの森
 新宿駅で中央快速が1本早い16:02発に乗れたので、御茶ノ水乗り換えの総武線、秋葉原乗り換えのTXと、すべて1本早い電車になりました。新宿駅では相当に走りまして、中央線の新型車両に乗り込んだときには肩で息をしていました。
(同)新宿16:02<JR中央線、中央特快・東京>16:13御茶ノ水16:13<JR総武線、普通・千葉>16:15秋葉原16:22<TX、普通・守谷>16:52流山おおたかの森
 秋葉原でTXに乗り換えたのは、実は初めての経験です。2005年8月の開業初日に全線乗っているのですが、往路は秋葉原駅の改札が混雑のためストップ(改札止め)していたので、止むなく南千住から乗り、つくばからの復路でようやく秋葉原に達したのでした。その後TXに乗る機会は1回あっただけで、つくばから南流山まで片道乗っただけですから、「秋葉原発」の電車に乗ったことは一度もなかったのです。
 閑話休題。地下深くにあるTX秋葉原駅を、16:22発車。普通列車ですからもちろん各駅に停まるわけですが、おおたかの森まで30分というのは、上野から常磐快速で柏まで30分というのと同じ水準ですから、いかにTXが速いかということです。
 埼玉県内で左の車窓にオレンジ色の空が見えたと思ったら、現地に到着する頃には完全に真っ暗になっていました。16:52流山おおたかの森到着。TXの改札を出て右に東武の改札がありますが、それを横目で見ながら前進すると、デッキ向こうの高架下に、緑色のあんどん看板が見えます。
 階段を降りてバスロータリー脇をすり抜け、現地まではすぐです。立地条件としては、バスロータリーに面し、隣が携帯ショップ(au)、右側がコンビニのミニストップで、新興住宅地の駅前店舗としてはそこそこ商業施設が集積していると言えるのではないでしょうか。今年の春に開業したばかりの高島屋のショッピングセンターは、出張所からみると、東武野田線を挟んだ反対側にあります。
 さっそく出張所に入ると、まだ開店2日目とあって、ロビーには背広を着た男性行員2人と、スーツ姿の女性行員1人がいました。キャッシュコーナーには花篭が置かれていました。
 私の目的はただ一つ、2冊の通帳を使っての資金移動です。男性行員に来意を告げると、パーティションで区切られたカウンターに通され、ロビーの人とは別の女性行員さんに通帳と伝票を渡します。待つこと数分間。通帳には確かに<流山おおたか>と記帳されておりました。記念品のたぐいは出されず、私も求めなかったので、一切もらいませんでした。
 この出張所で新規に普通預金口座を開設すると、先着1000名にオリジナルクオカードがプレゼントされるそうです。私もクオカードは欲しいと思って口座開設を申し出てみましたが、やはり「自宅が近所ではない」との理由で断られました。りそなの口座開設がシビアなことには驚きませんが、クオカードはちょっと欲しかったので残念でした。近隣(柏市西部と流山市に限られるようですが)の方はチャレンジしてみて下さい。
 内装は最近のりそなの標準型で、窓口コーナーは「クイックナビ」の総合受付を省略し、いきなりパーティション付きのカウンターになります。ATMコーナーは白が主体。ATMを取り付ける枠が2台分ありましたが、稼働しているのは1台のみ。母店の柏支店が旧大和店舗ですので、機械は日立オムロンの「リーダスAK-1」でした。
 TXの切符売り場の横に、りそなの店舗外ATMがあります。パーソナルステーションに先立ち9月に先行オープンした[流山おおたかの森駅](柏支店)。ここのATMはオムロンではなく、日本ATMの「AJ32」。富士通ファクトV・モデル20にそっくりな、いわゆる「パチモン型」です。通帳表記が異なるわけではないので、ここでの取引はしません。

 今回、りそなに対して少々苦言を呈しておきたいと思います。
 りそなのホームページで公表されたニュースリリースが、11月19日付。こういう場合、りそなではHPでの公表は翌日になるのが常です。そして開設日が20日。営業店の開設は「晴れがましい話題」なのですから、最低でも2週間前、せめて前の週の金曜日ぐらいにはリリースを出していただけないでしょうか。しかも今回、9月に先行して駅前にATMを出しているのですから、その時点で営業店を11月に出すことは分かっていたはずです。
 今回、前週の金曜日にリリースが出ていれば、オープン初日は絶対、スケジュールと体調をやりくりして朝一番で行っていました。それとも、私のような奴を排除するためにわざとリリースを遅くしているのでしょうか? そんなことはないと信じますが。
 思い起こせば、2000年に旧あさひ銀行で開設された東川口支店の時もそうでした。リリースが遅くて、初日が取れなかったのです。りそなの東京における広報部署は旧あさひ銀行なのでしょうから、その頃から変わっていないということですね。
 とはいえ、繰り返しますが、りそなの拠点新設は「晴れがましい話題」ですので、一ウオッチャーである私にとっても大きな喜びです。大上段に構えた「苦言」は、りそなを愛するが故のものとして寛恕願いたいと存じます。

 制覇の後は、東武野田線運河駅近くのホカ弁屋で弁当を買って夕飯にしました。私は2年間だけ柏市に住んでいたことがあって、この界隈は懐かしいのです。私が住んでいた頃は、つくばエクスプレスの「ツ」の字もなく、協和埼玉銀行もまだありませんでした。

 地域の特性とか店の来歴・性質とかについて、今回はあまり突っ込んでいませんが、まあたまにはこういう日もあるさ、ということで。
 ほなさいなら。

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posted by 為栗 裕雅 at 14:13| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 単発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月12日

あとがき

 「2007夏 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α」、11月11日をもって完結いたしました。
 最後までお読みいただいた方には、例によってダラダラと続いた連載にお付き合いいただき、御礼申し上げます。分量は最終的に400字詰原稿用紙で200枚弱となりました。
 2007年、私の夏は結局この関西遠征だけで終わってしまいました…。

 今回は、7月に有人出張所から支店昇格した5店など、関西地区でりそな銀行の20店余りをハシゴした体験記でした。訪問したのは(純粋な意味での)新拠点ではなく、再訪の個所ばかりですが、1回行っただけではわからないこと・見落としたことも多々あろうと思いますので、そういう意味で体験記を発表することには意義があったと考えます。
 このブログでの連載は1年ぶりでした。文章は京都から「低速バス」で戻った翌日から書き始めましたが、予想外に手間取りました。本業の仕事は一段落しましたが、もともと時間の使い方が上手でないところに、糊口をしのぐための仕事で時間を取られました。去年からの精神的な負担が癒えていなかったせいかもしれません。父親の一周忌は終わりましたので、これからぼちぼち精力的に活動してゆきたいと思います。

 社会は日々流転しています。この連載を数年後に読み返して「古い」と感じられることがあるかもしれませんが、あくまで 2007年7月の実体験と、その後の連載期間における「一面の真実」です。そういうものだと思ってお読みいただくことを望みます。

 この連載のような「文章を使っての自己主張」が、私の生き甲斐です。今後ともご支援・ご鞭撻をいただけますようお願いします。ご意見や情報提供をお待ちしています。このブログ「MEGU」は、コメント・トラックバックを歓迎していますし、私のメールアドレスも公表しています。

 なお、この連載の執筆にあたっては、以下のような書籍・webサイトを参照いたしました。

 『不動貯金銀行創立四十周年記念写真帖』不動貯金銀行、1940年
 『大和銀行四十年史』大和銀行、1958年
 『協和銀行史』協和銀行、1969年
 『福徳相互銀行三十年史』福徳相互銀行、1981年
 宮脇俊三『時刻表2万キロ』角川文庫、1984年
 『大和銀行七十年史』大和銀行、1988年
 『近畿銀行五十年史』近畿銀行、1994年
 種村直樹『日本縦断「郵便貯金」の旅』徳間書店、1995年
 『協和銀行通史』あさひ銀行、1996年
 佐藤裕治監修・GFC著『地理から見えてくる日本のすがた』中経出版、2007年
 『日本金融名鑑』日本金融通信社、各年版

 「奈良中央信用金庫」毎日就職ナビ2008 http://job.mycom.co.jp/08/pc/visitor/search/corp78159/outline.html
 柏原市 http://www.city.kashiwara.osaka.jp/jichisuishin/yokoso/gaiyou.html
 「大和川について」国土交通省 大和川河川事務所 http://www.yamato.kkr.mlit.go.jp/YKNET/about/index.html
 「銀行変遷史データベース」全国銀行協会 http://www.zenginkyo.or.jp/library/hensen/index.html
 伊太祁曽神社 http://www.nextftp.com/itakiso-jinja/index.html
 「パナホーム・シティ 西神桜が丘」日本住宅流通株式会社 西神南店 http://db1.jyutaku.co.jp/njr/shops/63/index.php?cid=1
 三木市 http://www.city.miki.lg.jp/index3.html
 「(北播磨地域)JR加古川線300万人乗車大作戦」兵庫県 http://web.pref.hyogo.jp/nh01/nh01_2_000000193.html
 「『ウエステ垂水』施設概要」(財)神戸市都市整備公社営業管理本部経営管理課 http://nrjp.com/build/cont02/cont02-05.htm

 フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
(webサイトは2007.11.09現在)

2007年11月11日

エピローグ 〜宮脇俊三を意識しつつ〜

 阪急長岡天神駅に戻ってきた。これから、長岡天神<阪急>烏丸/四条<地下鉄>京都というルートをたどって京都駅に向かうことになる。京都駅に11時に着くことを考えると、りそめぐはどうやら長岡天神支店1店のみで終わりになりそうである。乗り換えをする四条烏丸で、京都支店に行けるかどうか。
 乗り換えの際、それでもぎりぎりまで京都支店に寄ることを模索した。しかし阪急で烏丸に着いた時点で、もう11時近くなっていた。無理して寄り道すれば行けないことはなかったろうが、京都駅で土産物を買ったりしなければならず、京都支店の再訪は泣く泣く断念した。
 バスには無事乗ることができた。11:20、京都駅烏丸口を定刻通り発車したJRバス関東の2階建てバスは、京都東インターから名神高速に入り、小牧ジャンクションから中央自動車道にそれた。名神高速は正式には中央自動車道の一部であって、小牧から中央道に「それた」というのは正確ではないらしい。
 それはよいのだが、高速バスの「中央道昼特急」は、私の実感では「特急」と呼ぶにふさわしくない「低速バス」であった。往路に乗ったバスは、東名経由ではあったが、横浜と京都に寄り道しつつ新宿から大阪まで8時間強で着いている。このバスは、どこに寄り道するわけでもないのに京都→新宿に同じだけかかっている。それも道理で、このバスの運転士は高速道路で全くといってよいほどスピードを出さないのである。おそらく、平均時速は80km/hを切っていただろう。走行車線をはみ出ることもなく、右側の追越車線は他社のバスさえひゅんひゅんと追い抜いていく。紀行作家・宮脇俊三のデビュー作『時刻表2万キロ』(初出は河出書房新社、1978年)には、宮崎県の妻線から熊本県の湯前線に乗り継いだ際の記述で、「一般に国鉄バスのダイヤは定時運転を第一とするあまり所要時間にゆとりを持たせすぎているように私は思う。」とある。今から30年前に大先生が経験した国鉄バスの走りっぷりは、2007年の今私が乗っているJRの高速バスでも全く変わりがなかった。
 宮脇氏の『時刻表2万キロ』は、鉄道愛好家による国鉄線全線乗りつぶしの体験記で、「制覇」を旨とする趣味の体験を記した文章の嚆矢である。あまりに名作すぎて、その後あまた出ている制覇記・めぐ記の類はすべて――自分の「りそめぐ」も含め――この作品の亜流、あるいは二番・三番煎じに過ぎないのではないかという思いを禁じ得ない。私としては、この「MEGU」で連載しているような、短い文章に可能な限り高い密度で情報を盛り込んだ銀行めぐりの体験記は、これまでになかったスタイルの紀行文ではないかと自負している。しかし、それが受け入れられるかは別の問題だし、それ以前に「制覇ものの体験記」である時点で『2万キロ』のエピゴーネンという性格からは逃れ得ないのである。とはいえ、私は『2万キロ』が作品としては大好きであるので、強烈なライバル意識を燃やしつつ(?)、敢えてJRバスの鈍足ぶりを表現するのに引き合いに出してみた。
 閑話休題。中央道という道は東名高速と比べてアップダウンが相当激しいので、東京−大阪間の移動にはあまりポピュラーなコースではない。そのことを実感したのは、左側の車窓はるか眼下に諏訪湖を見下ろした時であった。長野県南部に湖水をたたえる諏訪湖は、確かそれ自体で標高800m近くあったはずで、それを見下ろすとは、中央道は何と高いところを走っているのかと驚いた。
 諏訪湖を過ぎ、小淵沢インター(山梨県北杜市)を通過するあたりから、ようやく睡魔が襲ってきた。帰りのバスで睡眠時間を稼ぐつもりでいたのに、京都を出てから数時間全く寝付けずにいたから、ちょっと目論見が外れた。私が再び目を覚ました時、バスは自宅からさほど離れていない三鷹料金所付近で渋滞に巻き込まれていた。窓の外はすっかり暗くなっていた。

[2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α 完]

2007年11月10日

2007.07.19(木)帰京の前に長岡天神

2007.07.19(木)

 東京に帰る日がやってきた。今日の夜にはまた、生計の資を得るために奉公に行かなければならない。
 帰りの交通手段は、いろいろと考えた結果、昼間の高速バスにした。宿のロビーにある無料のインターネット端末で検索して、京都駅烏丸口を11:20に出るJRの高速バス「中央道昼特急京都4号」に乗ることに決めた。このバスは、新宿駅新南口に19:16に着くことになっている。こんな中途半端な時刻にピッタリ着けるのか、とも思いつつ、都内に夜7時過ぎであれば到着時刻はちょうどよいし、新宿まで連れていってくれるのもありがたい(JRの他の高速バスはいまだに東京駅発着が基本である)。バスの方がJRの「素」の運賃よりも安いし、何より私は中央自動車道を昼間通ったことがなかったのである。そして「りそめぐラー」の私は、京都に行くまでの間に、りそな銀行にもう数店寄ることを考えていた。
 宿を出たのは8時ちょうど頃であった。朝食を近所の「やよい軒」で摂る。この店は当初プランでは新宿からの夜行バスで難波に到着して真っ先に入るはずだったが、最終日の朝に来ることになるとは思わなかった。食事を済ませたら、千日前通りをひたすら西に歩く。10分ほどの歩行でJR難波駅到着。みどりの窓口でバスの切符を買い、ついでに手持ちの「スイカ」にチャージをしてもらって、いざ出発。これから、大阪駅に出て阪急電車に乗り換え、阪急京都線沿線の数店に行ってみようと思う。
 2日間の使用で「スルKAN2day」はめでたく役目を終えたので、今日は電車に1回乗る度にその都度運賃が必要である。チャージしたばかりのスイカでJR難波駅に入場、関西線の各駅停車に乗る。新今宮で大阪環状線(外回り)に乗り換え、大阪駅に着いたのは9時20分頃であった。
 通り道にある梅田北口支店(旧あさひ)に立ち寄りつつ、阪急梅田駅に入る。目指すは、特急河原町行きである。後で調べたら09:40発であった。とにかく、今日は京都駅に11時過ぎにいればよいので、ざっくり「来た電車」に乗って移動する。
 阪急京都線の特急は、阪急他線の特急とは異なり、伝統的にクロスシートの特急型車両を使っている。電車に乗ろうとホームを歩いていたところ、信じられないステッカーが貼ってあるのが目についた。「女性専用車」。昨日、神戸電鉄の4両編成の電車のうち1両が終日女性専用になっているのに相当むかっ腹を立てていたのだが、今日ここにきて世も末であると思った。阪急電鉄の社内には、こうしたあからさまな男性差別を問題視する人が一人もいなかったのだろうか。そもそも、女性専用車両が始まった理由は、車内での痴漢が多発していたことに対する防御策だったはずで、対等に男性専用車両を作るなどの対策が講じてあれば、女性専用車両の設定そのものは止むを得ないと思う。しかし阪急は、一定の配慮(男性専用車両を設定した上で女性専用車両を設定)をしている鉄道会社が一つもない状況下で、さらに痴漢の被害など起こりようもないクロスシートの車両に女性専用車両を設定している。これは必要以上に女性を優遇する以外の何物でもないではないか。明らかに当初の意図を超えて、女性に媚びる方向で進んでいる。この状態が進むと、そのうち日本は、かつてアパルトヘイトが行われていた南アフリカ共和国のような形で「男性差別国家」になるのであろう。
 とはいえ、非力な私にできることといえば、「差別が存在する」という事実を自分のブログで指摘するのがせいぜいである。

 閑話休題。非常に腹が立ちつつも、30分ほどの乗車で長岡天神に到着した。10:09。ここでの目標は、長岡天神支店(京都府長岡京市、旧大和銀行)である。
 橋上駅舎から線路の西側に出ると、数軒の商店が並んでいて、その北側を東西にバス通りが走っている。バス通りは、地図で見ると長岡天満宮(天神様である)の一の鳥居と長岡京市役所とを結んでいて、長岡京市の目抜き通りのようだ。踏切のつけ根にはみずほ銀行が長岡天神支店(旧一勧)を出している。りそなは、一勧前の突き当たりを左折、50mほど西に進んでまた右折し、さらに100mほど北に進んだところにあって、駅からは少し遠い。商店街は一応この付近まで続いているが、賑わい度はやや鈍ってくるようだ。10:16、長岡天神支店の再訪を果たした。
 長岡天神支店は、旧福徳相互銀行長岡支店として1970年12月に開設された。旧福徳相銀ということは、この店は「旧なみはや店舗」である。店舗は旧福徳相銀時代のものが現在も使用されている。2001年2月の営業譲渡で銀行名がなみはやから大和に変わっても店名は長岡支店のままだったが、2003年1月、あさひ銀行との合併に伴い店名を長岡天神支店に変更した。あさひが長岡支店(新潟県長岡市)を持っていたためである。
 今回、旧大和のなみはや店舗をずいぶん巡った。旧なみはや銀行の支店のうち、大和銀行に営業譲渡されてそのまま大和の店になった店舗は全部で7店あったが、そのうち伊丹北支店と立花支店は既に統合で消滅しているから、現存する店で今回再訪していないのは天美出張所(大阪府松原市)1店だけである。今回は別に旧なみはや店舗を総なめにしようとしていたわけではないのだが、こういうふうに1店だけこぼれたのがわかるとやはり悔しいものである。まあ良い。今回、2日目以降はお気楽にやっているのだ。

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2007年11月09日

2007.07.18(水)(19)野田支店旧店舗の写真を撮るのだ

 まだ1時間程度は活動できるが、眠い。今日はここで打ち切ることにした。
 あとはもう宿に帰って寝るだけである。といっても、例によって例の如く、宿は確保していない。宿を新規開拓しようという冒険心は、今日は全く沸かない。必然的に、勝手のわかっているミナミのカプセルホテルに投宿することになる。疲れている時には、知らない宿より知っている宿のほうが安心できる。たとえ行くのが大変でも。
 垂水からは阪神梅田までの直通特急が出ている。阪神沿線からミナミへは、野田で降りて地下鉄千日前線に乗り換えればよい。であるなら、ついでに、新築のため仮店舗に移転した野田支店(大阪市福島区)の旧店舗を取材しておこう。そう思ったところへ、ちょうど阪神梅田行きの直通特急が垂水駅にやって来た。
 既に夜の8時を回り、車中のことはほとんど覚えていない。野田に特急は停まらないはずだから、どこかで各駅停車に乗り換えたと思うのだが、とんと記憶にない。一応調べてみると、垂水19:57(直通特急阪神梅田行き)→20:44尼崎20:46(急行梅田行き)→20:52野田、であったようだ。
 旧店舗は既に鉄板で覆われて解体待ちの状態になっており、建物に近づきすぎると全景が撮れない。駅前にある7差路(!?)の交差点に、うまい具合に交通整理の警官が上る台があって、それに登って写真を撮った。足元がぐらぐらして少し怖かった。ここに上る警官は怖がっていないのだろうか。

 阪神野田駅前の「野田本通商店街」は再開発計画が進行中で、野田支店のあった場所は除却して再開発ビルとなる。野田支店は、同じ福島区内にある福島支店(旧あさひ)内に移転し、現在「支店内支店」の形で営業している。
 野田は大阪市福島区の中心地で、野田阪神前交差点は前述のように7差路になっている。鉄道の駅も、阪神本線野田・地下鉄千日前線野田阪神・JR東西線海老江と3つ集まっている。駅近くに福島区役所があり、また阪神電鉄がこの地に本社を置いている。
 野田には、りそな(旧大和)の他3メガすべての銀行支店がある。りそなの野田支店は、1927(昭和2)年2月に野村銀行堂島支店野田出張所として開設され、1944年6月支店に昇格した。今年5月まで使用していた店舗は、大和銀行が1971年6月に建てたものである。旧あさひ銀行は、野田に支店はなかったものの、野田を中心として遠巻きに囲む形で福島・西野田と2つの支店を福島区内に持っていた。福島支店は健在だが、西野田支店は2004年3月に野田支店に事実上統合(支店内支店化)されている。
 なお、野田支店の仮店舗移転に伴い、旧支店建物の隣りに小屋を建て、店舗外ATM[野田駅前]が開設されている。ATMはオムロン製が2台。私がATM小屋に入った時には、9時の閉店を前に音楽が流れていた。キャッシュカードで取引をしたから通帳には一応<野田>と記帳されたが、あさひ銀行時代のような形で<野田駅前>とATM名で記帳されれば楽しかったのに、と思う。

 信号の向こうにあるセブンイレブンに入る。宿の近所にコンビニを知らないわけではないのだが、こちらは交差点を越えた目の前にある。ほとんど思考停止した状態で、ふらふらと店に入った。買うものはただ一つ、缶ビール(含おつまみ)である。
 地下鉄千日前線で日本橋に向かう。さすがに、地下鉄の車内でビールは飲まなかった。

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(7月18日篇 おわり)

2007年11月08日

2007.07.18(水)(18)垂水再訪

 明石支店の再訪取引を済ませた。
 次の目的地・垂水支店(神戸市垂水区、旧あさひ銀行)は、JR山陽本線垂水駅前にある。スルKAN2dayを持つ者としては、垂水に(JRの利用を避けて)山陽電鉄で行く方法を考えたいところである。明石から東側、神戸市内まで山陽電鉄はどんなルートを辿っていただろうか。駅前にエーエムピーエムを見つけて入る。目当ては、雑誌コーナーに置いてある都市地図の立ち読みである。
 地図を開いてみると、何のことはない、山陽電鉄には垂水駅があって、JRの垂水駅に併設されているのだった。姫路から明石までJR山陽線の数km南を走ってきた山陽電鉄は、明石から須磨まではJRの線路にぴったり並走している。海岸線のすぐそばまで山が迫っているせいもあるが、山陽電鉄の明石から東側は路面電車として開業したため、JRの線路に沿っているというよりは国道2号線に密着しているのである。
 心も軽く明石駅に戻ってきた。時刻表を見ると、山陽明石駅からは、神戸市内までの各駅停車と、阪神梅田まで行く「直通特急」とが交互に出ているようだ。垂水に特急が停まってくれれば、と思って路線図を見ると、直通特急は垂水にも停車するようだ。山陽明石19:25発の直通特急梅田行きに乗車。阪神の車両だったか山陽の車両だったかは覚えていない。
 19:31、山陽垂水駅に到着した。山陽電鉄の垂水駅は、複線の両側にホームがへばりついているだけの小規模な駅で、コンクリートなどもかなり古びていた印象がある。蛍光灯の本数が少なく暗いだけだったかもしれない。どちらにしても「明るく広々」という印象は受けなかった。
 山陽の自動改札を通って北口に出ると、バスターミナルの向こうに「JUSCO」の電飾文字が見え、眼を凝らしてみると「りそな銀行」の袖看板も見えた。垂水支店の袖看板は行灯、つまり中から蛍光灯で照らすタイプのはずだが、経費削減のためか点灯していない。りそな銀行垂水支店は、ジャスコがキーテナントとなっている垂水駅前の再開発ビル「ウエステ垂水」の西棟に、ビル落成時から入居している。垂水駅北西側の駅前広場に面した再開発ビルは、1996年11月のオープンだが、この地では阪神・淡路大震災の前から再開発事業が進行中だったから、震災復興ビルではないようだ。
 旧協和銀行垂水支店は1971年の新設で、関西エリアの旧協和の支店には珍しく開設が新しい。現店舗は、もともとこの地にあった支店が再開発ビルに入居した格好で、「ウエステ垂水」のグランドオープンより少し早く1996年10月末に営業開始した。私の垂水支店初制覇は1997年12月30日で、新店オープン後1年経っただけであった。もう10年近く前の話になる。早いものだ。

 だいぶ暗くなってきて、さすがにデジカメでも満足のいく像が撮りにくくなってきた。少しでも明るいうちに数枚撮り直しをして、垂水支店のキャッシュコーナーに入る。
 垂水支店に配備されているATMは、沖電気工業製であった。沖電気の機械は、関西のりそな銀行で遭遇することは稀だ。旧あさひ銀行時代には、このメーカーの機械は埼玉エリアに多く、それ以外の場所では富士通の機械が多かった。少数ながらNCR製も使用されており、名古屋圏と関西で比率が高かったが、NCR製はあさひ銀時代の末期に一掃されている。というわけで、沖電気の機械は旧あさひ店舗の一部にしかない。
 2日間で初めて沖電気の機械を操作し、垂水支店の再訪を済ませた。垂水支店のATMは、沖電気の生体認証対応の最新型「ATM-BankIT」(バンキット)が1台、その前の世代に当たる「ATM21B」と「ATM21」とがそれぞれ1〜2台ずつあったと記憶している。

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2007年11月07日

2007.07.18(水)(17)明石再訪

 姫路の次の目標は、明石支店(明石市)である。
 姫路から明石までは、JRで行く方法と、山陽電鉄に乗る方法とがある。スルKAN2day使用の私は、今回は山陽電鉄に乗る。これまで「青春18きっぷ」ばかり利用していたから、山陽電鉄は全くの初めてではないが初めて乗るのに近い。
 山陽電鉄の姫路駅は、JRの駅前にある山陽百貨店の2階である。エスカレーターを上って自動改札に直行すると、阪神梅田行きの特急が今にも発車しようとしていた。山陽電鉄の転換クロスシート車両であった。18:29発車。右の車窓に、高度成長期に建設されたものの数年で廃止された姫路市営モノレールの残骸が一瞬見え、すぐ直角に曲がってJRの線路を南の方角にまたぐ。
 山陽電鉄は、姫路の工業地帯を横切って高砂市と加古川市を経由し、明石に向かっている。全体としてJRよりも海側を走っていて、沿線には工業地帯以外では漁村のような集落が続いている。車窓の風景はJRよりも長閑な感じである。夕陽に照らされた漁村(ではないだろうが)は、なかなかノスタルジックであった。
 窓の外がだいぶ暗くなり、車窓の風景も都会的になってきたかと思う頃、ようやく明石に着いた。正式には山陽明石駅という。後で調べたダイヤによると山陽明石到着は19:00ジャストであった。
 高架ホームを降りて改札を出る。明石支店は以前に1度来たことがあるから、駅南側を東西に走る表通り(国道2号線)沿いであるのは覚えていた。しかし、表通りに出たものの、りそな銀行の「正確な場所」は度忘れしてしまっていて、なかなか見つからない。既に日はだいぶ西に傾き、町の電飾看板が多数つき始めている。
 今、国道2号線を東から西に向かって歩いている。りそなの電飾看板は、ATMコーナー上部の「クイックロビー」の小さな表示だけのはずである。この通りで間違いないはずだが、と思いながら歩いていくと、道の向こうにりそな銀行の縦看板をつけたクリーム色の建物がようやく見つかった。ほっとした。
 2号線に面した側のシャッターは、固く閉ざされているようである。今日は営業していないのだろうか。いやそんなはずはない…と言いたいところだが、表通り側から見えないところにキャッシュコーナーがあるのは知っている。さっき駅から出てきた交差点の1本西側で2号線を渡り、りそなの建物の西側に行ってみると、記憶のとおり「クイックロビー」はこちら側にあった。りそな銀行明石支店の建物は、上から見ると逆L字型になっているようだ。
 キャッシュコーナーに入ると、ATMブースの上部に、天井からシャッターが下りている。このシャッターは、窓口室とATM室とを隔てているものとは別である。嬉しくなって、再訪しての取引もそこそこにシャッターを切る私であった。ATM上部のシャッターは、旧協和銀行に独特のものである。明石支店は旧大和銀行の店舗なのだが、この建物は旧協和銀行が1974年に建てたのである。
 いきさつはこういうことだ。もともとは旧大和と旧協和の両方が明石支店を持っていたのだが、1991年11月、当時の協和埼玉銀行は、大和に支店を譲り渡して明石から撤退した。店舗の「相互譲渡」といって、重複して出店している店舗をお互いに営業譲渡し合うものである。今回のケースでいうと、大和銀行は協和埼玉銀行に北九州支店を譲り渡し、かわりに協和埼玉から明石支店をもらい受けている。
 協和埼玉から支店を譲り受けた大和は、旧協和の支店を「明石支店明石駅前出張所」とした。つまり、大和がもともと持っている支店の出張所としたわけである。その後、92年5月になって明石駅前出張所は旧来の大和の明石支店に統合されたが、その際、国道2号線沿いの明石駅東方300m(東仲ノ町3-12)にあった大和の支店は、明石市本町1-2-26、すなわち旧協和の店舗に移転したのである。かくして、明石支店は「旧大和の店舗でありながら旧協和の建物」ということになった。
 協和の明石は不動貯金銀行の明石支店として1920(大正9)年2月の開設、対するに大和の明石は1972(昭和47)年の開設である。このように、旧協和と旧大和の店舗が近接していた場合、協和の支店のほうが古くから営業している(いた)ことが多い。さっき行った姫路も同様である。

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2007年11月06日

2007.07.18(水)(16)とびきり古かった? 旧姫路駅前支店

 姫路に来たついでに、旧あさひ銀行の姫路支店(大和銀行との合併により姫路駅前支店)の跡がどうなっているか、見に行ってみた。姫路駅前支店は2003年10月に現・姫路支店の支店内支店となり、この時点で旧店舗を物理的に廃止、2006年7月名実ともに姫路支店に統合されている。
 旧姫路駅前支店は、大手前通りを東に渡ってから駅方向に戻り、播州信用金庫本店南側の「協和通り」を抜けてすぐ。大手前通りに並行する「みゆき通り」にぶつかった角である。アーケード街に面するロケーションは加古川支店の旧店舗と全く同様だが、姫路のみゆき通りは一定量の人通りをまだ保っている。
 協和通りという名前は当然旧協和銀行からとったものであるが、旧協和店舗がなくなってしまった協和通りが、元「あさめぐラー」の私には寂しく感じられる。現地に行ってみると、建物だけは見覚えあるあさひ銀行時代のものが健在で、空き店舗は「alook」というメガネ屋になっていた。
 協和の姫路は1910(明治43)年3月に不動貯金銀行姫路代理店として開設され、1919(大正8)年4月支店に昇格している。現存する建物(メガネ屋)は社史に掲載がなく建築年代は不明だが、協和銀行は1974年に兵庫県内の支店を一度に複数新築しており、常識的にはその頃の築ではないかと考えられる。

 だが。
 私はこの支店について「非常識」な可能性を捨てきれないでいる。昭和初期に建てられた不動の建物を大改造して使用していたのではないだろうか。東京に帰ってこの文を書きながら気づいたことであるので確証はないのだが、ほぼ間違いないと思う。
 手許にある一番古い文献は、不動貯金銀行秘書課が1930(昭和5)年に編纂した『牧野頭取講演全集』に出ている写真だが、これは現存のものとは異なる。次に、同行秘書部編『不動貯金銀行創立四十周年記念写真帖』(1940年)に掲載されている写真を見ると、開口部の形状とサイズは現存する建物に似ているように見える。1969年刊行の協和銀行の社史『協和銀行史』には、姫路支店の項に、現役使用されている不動時代の建物の写真が掲載されている。そして、私が今回撮影した写真(近いうちに全景を撮り直してくるつもりである)。
 この間、一貫して建て替えられていないのであれば、社史の「新築」の欄に記載がないのは当然といえよう。
 仮定が事実だとすると、この建物の建築年代は1958年築の亀戸支店(「2007.07.18(水)(2)和歌山支店を再訪」参照)よりはるかに古く、1930年代と推定される。あさひ銀行においては、1918年築の川越支店(旧第八十五銀行本店)には負けるものの、旧協和銀行では間違いなく現存最古の営業店舗であった。旧大和銀行には、外壁のみ保存されている「大手町野村ビル」を除けば、戦前の建物はなかったと思う。
 なぜ姫路だけ、と思う。『四十周年記念写真帖』の他の店舗の写真を見ると、姫路は貯蓄銀行の建物としてはサイズが大きかったようだ。貯蓄銀行は普通銀行と比べて小さい店が多かったので、貯蓄銀行9行が合併して発足した協和銀行は、店舗の統廃合と並んで「店舗の大規模化」も課題だった。このため多数の店舗が昭和30年代以降に改築されてしまい、それゆえ協和は古い建物の保有率が低かった。しかし、姫路に限っては改修するだけで「大規模化」のニーズを賄えたのだろう。もともと銀行建築というものは堅牢にできている。また、他都市の類似の商店街と比べ、みゆき通りの寂れ方が著しくなかったことも要因の一つではないか。
 とはいえ、あさひ店が名実ともに統合されてしまった今となっては、旧大和の姫路支店が「大和店としては古い建築を使っている」という事実をもって瞑する他はない。

 蛇足。今回の記事を書くついでに、りそなグループに関連する古い建築を調べてみた【資料】。りそなグループは、旧協和だけでなく全体として古い建物が少ないが、それでも関連する貴重な建築はまだいくつか残っている。機会があればひととおり見てみたいと思うが、時間と金、特に時間的な問題が大きい。

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【資料】りそなグループに関連する歴史的建築一覧(当サイト「お役立ち」より)

2007年11月05日

2007.07.18(水)(15)姫路支店再訪

 次の目標は、姫路支店(姫路市)である。
 JR加古川駅南口ロータリーの西側に金券屋があって、店頭に切符類の自動販売機が置かれていた。この手の自販機では、だいたい新幹線の切符を売っている。販売ラインナップを何気なく見ているうち、私はにやりとした。売っているのは新幹線の切符だけではなかった。機械の下のほうに、加古川から周辺主要駅へ行くJR切符のボタンがあったのである。もちろん、加古川の西15kmにある主要都市・姫路への切符もあった。チケット屋だけに、定価より安いはずだ。
 ためらわず購入する。300円也。出てきたのは、封筒に入った回数券であった。回数券の印字によると、加古川→姫路の定価(正規のJR運賃)は320円であるようだ。
 姫路方面の電車が来るまでには少し余裕があった。いち早く改札内に入ってしまった私は、さんさんと照りつける夕日を避けようと、山陽線高架ホームの待合室に入った。クーラーがかかったガラス張りの待合室に一歩入ると、酸っぱいようなすえた臭いがする。待合室の先客はホームレスらしき中年男性だった。冷房の効いた待合室で暑さをしのいでいるのだ。臭いの原因はどうも彼にあるようだった。
 ホームレスとは気の毒な存在である。このおじさんも、ホームレスになりたくてなったわけではないだろう。彼がホームレスになるまでには、家庭環境や学歴など育った環境と、失業その他の不幸な事態の結果とが複合している。そして、社会的にいったんマイナスの地位に落ちてしまうと、そこから這い上がるのは気力を持つことさえ難しい。私も一時ニートのような生活をしていた時期があるからわかるのだが、本当に何をする気もなくなるのだ。今のところ私はホームレスにならずに済んでいるが、幸運に恵まれただけであると思う。
 とはいえ、この臭いは暑さのほうがまだマシだ。暑がりの私だが、静かに待合室を出た。視覚的な要素で差別することはしないつもりだが、嗅覚に訴えられるとちょっとどうしようもない。

 汗をだらだら流しながら、姫路行きの新快速を待った。ようやく来た新快速電車は混んでいたが、辛うじて座ることができた。といっても、目的地の姫路は加古川の次の停車駅である。
 私の乗った新快速が姫路駅の高架ホームに到着した。姫路駅に来るのは、山陽本線が高架に上がってからでは初めてである。この時点でまだ高架化工事は終わっておらず、従来どおり駅ビルの1階にある改札までは、高架ホームを降りた後、大がかりな仮通路がしつらえられていた。北側の駅舎寄りにあった、播但線か姫新線のホームをまたいだ記憶がある。
 改札を抜けて駅前に出ると、風景は以前来たときと変わっていない印象を受けた。以前といっても、姫路にはりそな発足後だけで数回来ているから、さほどの昔ではない。駅前ロータリーからまっすぐ北にのびる大通り(大手前通り)を進んでいくと、国宝・姫路城に突き当たる。りそな銀行姫路支店は、最初の大きな交差点の北西角で、姫路城よりは大分手前である。
 姫路支店の再訪を済ませる。旧大和銀行の姫路支店は1959年8月の開設で、大和店としては開設時期が古いほうである。建物も、開設当時から使われているようだ。姫路は景観条例が敷かれているから、支店の縦型看板は、カラーリングが京都と同様に白色主体となっている。

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2007年11月04日

2007.07.18(水)(14)加古川支店の旧店舗を探る

 加古川市加古川町篠原町9-5にある現在の加古川支店は、1997年11月に建築されたもので、あさひ銀行になってからの新築店舗である。社史『協和銀行通史』の店舗ページを見ると、旧店舗は加古川市加古川町寺家町371にあり、戦前の銀行建築だったかと思わせる重厚なものであった(社史本文の表によると実際には1951年12月の築)。私の加古川支店初制覇は1997年12月29日で、新築移転後間もなかったことを今回知った。
 旧店舗が残っていることは期待できないだろうが、移転前の店舗がどんなロケーションであったかは興味がある。今回、せっかく現地を訪れたのを機会に旧店舗跡に行ってみることにした。事前の計画には含まれていないが、ちょっと行ってみるだけだから、20〜30分もあれば事が済むであろう。
 正確な場所はわからないが、「加古川市加古川町寺家町」という住所の一部は覚えていた。また『協和銀行通史』の写真を見た記憶では、支店はアーケード街にあったようだ。これらを踏まえつつ、支店近くの路上に立っていた街頭地図を見る。アーケード街は「じけまち通り」というらしい。場所は支店の西100mほどのところである。
 じけまち通りのアーケードを、東から西に歩く。この商店街は典型的なシャッターストリートであった。20〜30年前まではさぞかし賑わっていたのであろう。道幅の広い国道(?)に出るところまで歩いてみたが、銀行の支店跡らしきものは発見できなかった。
 確か惣菜屋だったと思うが、通りの中の1軒の店に入って、昔の協和銀行がどこにあったか聞いてみた。40歳ぐらいの女性の店員は、向かいの文房具屋のほうが古いことを知っているからそちらに聞けと言う。アドバイスどおり、店の棚が半分くらい空っぽになった文房具屋に入ってみると、50歳くらいだろうか、物静かな感じの男性が座っていた。
 恐る恐る切り出してみた。「あのー、ちょっとお伺いしたいんですけど、昔の協和銀行ってどのあたりになりますか?」
 恐る恐る、というのは、私のかつての衝撃的な体験による。私の出身大学の近所にある某酒屋は、店先に「手不足のため両替・道案内はお断りします」という張り紙をしていて、私がビールを買っている目の前で、道聞きの客を「そういうのキリがないからねぇ」と言って本当に追い返したのである! ああ恐ろしい。というわけで、私は個人経営の商店では極力尋ねごとをしないようにしているのだ。
 この文房具屋の店主は、見知らぬ私を追い返しもせず、この店の東、現在駐車場になっているところが協和の旧店舗であると、丁寧に教えてくれた。
 ああ、あそこのコインパーキングか。そう思って戻ってみると、コインパーキングの道路に面していない部分には、コンクリートの万年塀が張り巡らされていた。この手の塀は、一昔前の銀行支店には必ずあった。真っ黄色に塗られているものの、これでほぼ間違いなく銀行の跡と確認できた。
 地方都市の、個人商店が軒を連ねる商店街。これは、旧協和銀行の古い支店に独特のロケーションである。日本では太平洋戦争終結とともに消滅した貯蓄銀行という種類の銀行は、庶民の小口のお金を預金として受け入れていて、預入金額に下限があった普通の銀行【注14】とは客層が違っていた。加古川支店は、貯蓄銀行最大手だった不動貯金銀行が1915(大正4)年9月に開設した加古川代理店がルーツで、支店には1920年3月に昇格している。庶民が集う商店街には、金融機関として貯蓄銀行の店舗が最もふさわしかったのだろう。商店街が庶民の集う場所ではなくなり、都市銀行としての協和銀行もまた、貯蓄銀行の集合体として出発した時代とは役割が変わってきていたということである。

 こちらの聞きたいことをいやな顔せず教えてくれた文房具屋で、本当は何か1品くらい買ってもよかったはずなのだが、シャッターストリートの文房具屋に、私の購入できそうな商品は、ないようだった。

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【注14】貯蓄銀行と普通銀行:現在はどこの銀行にも基本的に預入金額の下限はない(1円単位で預金を受け入れている)が、これは普通銀行が「貯蓄銀行業務を兼業」したためである。

2007年11月03日

2007.07.18(水)(13)加古川支店を再訪

 厄神16:53発のJR加古川線の普通列車(厄神始発)は、三木鉄道と同じホームの前方に既に入っていた。車両は大阪圏のお古の103系電車を大改造したもので、車体全体には眼が多数描かれている。加古川線は2004年12月に電化されたばかりで、電化開業と同時に、沿線(西脇市)出身の画家・横尾忠則氏のデザインを車体にラッピングした電車が走り始めた。眼のデザインは加古川線電化開業記念のデザインで、「見る見る速い」という名前がついているそうだ。首都圏では評判の悪かった103系だが、加古川線用の車両は大改造されているので、ローカル電車としては設備の充実した部類に入るだろう。
 10分ほどの乗車で、高架上に上がって加古川駅に到着。ついに加古川市街地に突入、とは言っても行政上は三木鉄道の宗佐駅から既に加古川市に入っていた。加古川駅の高架化は加古川線電化と同時に完成し、加古川駅は前回来たとき工事中ではあったものの地平の駅であったと思う。加古川線には電化後初めて乗った。
 高架上のホームから1階の改札階に降りると、やけに薄暗い改札があった。通路の幅いっぱいに自動改札機が並び、カウンターがあって駅員がいるのは普通の改札と同じだが、明らかに閑散としているし、だいいち山陽線乗り場にはどこから出るのか。そう思ってよくよく見ると、この改札は加古川線と山陽線との連絡改札なのであった。同一社の路線同士での連絡改札は、最近になって東武鉄道が北関東のローカル線との接続駅に相次いで設置したが、トレンドなのだろうか。なお、加古川駅のメイン改札は、連絡改札を抜けた先にあった。
 メイン改札で厄神−加古川間の精算をして、加古川駅の高架下コンコースに出る。私が精算している横で、数台のバイクがコンコースをけたたましい爆音とともに走り抜けていった。駅が高架になると必ずこうした人々が現れるが、地方都市の名物と言っていいかもしれない。彼らには娯楽がないのだろう。
 さて、りそな加古川支店には「あさめぐ」の時代に数回来ており、場所はだいたいわかっている。駅前にそびえ建つデパート、ヤマトヤシキ加古川店の南側である。このデパートは、私が初めて加古川に来たときにはそごう加古川店であった。
 線路は高架上に上がったものの、駅前のロータリーはまだ整備中で、工事のバリケードがあちこちに張られていた。ロータリーの東側には、三井住友銀行の店舗外ATMと、みなと銀行の加古川支店が、再開発ビルとおぼしき大建築に入っている。その先、ヤマトヤシキの東南側交差点に、見えた。「りそな銀行」の横型看板を屋上につけた2階建てのビル。
 加古川支店の再訪を果たす。17時21分のことであった。

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2007年11月02日

2007.07.18(水)(12)廃止決定の三木鉄道に乗る

 次の目標は加古川支店(加古川市)である。ここは旧あさひ銀行の店舗で、言うまでもないが私は「あさめぐ」をしていた頃に何度か訪ねている。
 押部谷から加古川へ向かうのに、ローカル私鉄の三木鉄道に乗っていこうと以前から考えていた。三木(三木市)と厄神(加古川市)とを結んでいる三木鉄道は、1985年までは国鉄三木線といい、国鉄赤字ローカル線の廃止に伴って第三セクター鉄道として生まれ変わったものである。全長6.6kmのこの線はしかし、鉄道としては採算が取れず、今年とうとう廃線が決まった。昨年(2006年)1月に当選した現職の三木市長・薮本吉秀氏は、赤字のかさむ三木鉄道の廃止を公約に掲げて当選した人であるので、こうなることは「既定の路線」であった。なお、三木鉄道の社長は三木市長が兼務している。
 私は鉄道の乗り潰しもそれなりに趣味の一つとしていて、三木鉄道はずいぶん前に乗ったことがある。神鉄三木駅から駅前の橋を渡り、さくら銀行三木支店の角を右に曲がって三木鉄道三木駅まで歩いたのは覚えていた。正確な時期は忘れてしまったが、さくら銀行が存在した時期、それも、私が銀行にある程度関心を持ち、さくら銀行が神戸銀行の後身であると知っていた時期ということで、1996〜2000年の間と思われる。
 押部谷から三木鉄道経由で加古川へ行くには、次のようなルートをたどる。
   栄<神鉄粟生線>神鉄三木<徒歩>三木鉄道三木<三木鉄道>厄神<JR加古川線>加古川
これで、地図上は押部谷から加古川までの最短コースである。前回三木鉄道に乗ったときも、神鉄粟生線で鈴蘭台方面から来たと思う。

 栄から20分弱の乗車で、神鉄三木駅に到着した。小さな私鉄の駅で、ここには駅員がいる。駅を出た先に橋がかかっているのを見て、以前来た記憶のとおりであるのを確認して安心した。三木市は人口8.5万人(合併後)、駅の近所には古びた商店が建ち並び、地方の小都市の典型といった趣である。
 加古川の支流、美嚢(みのう)川を渡って直進。すぐ左側に、三井住友銀行の三木支店がある。以前見たさくら銀行三木支店は、三井住友の支店として健在であった。さくら銀行は、住友銀行と合併する直前の一時期、子会社の第二地銀・みなと銀行に「兵庫県の県民銀行」としての役割を持たせるべく、みなと銀に支店を多数譲り渡した。だから、三木もみなと銀行に変わっていると思っていた。
 三木市内は、のこぎりや包丁など金物の問屋が目につく。今回初めて知ったのだが、三木市は金物の町なのだそうだ。三木には戦国時代、東播8郡24万石を領した別所氏の居城があり、合戦で町が荒廃、その後豊臣秀吉の復興策を経て、江戸時代に大工道具や園芸用器具などの金物産業が発展したそうである。
 ほどなく、左前方に木造平屋建ての駅が見えた。三木鉄道の三木駅であった。駅前には大木(植物の名は聞かないで欲しい)が立っている。この木はきっと、鉄道が開業した頃からの歴史を見つめているのだろう。駅に入ると、1両だけの列車が既にホームに入ってアイドリングをしていた。三木鉄道のような閑散線区のために開発された「レールバス」という種類のディーゼルカーだ。車番は「ミキ300-104」とある。
 エアコンの効いた車内に入ると、3〜4人の乗客が既にいた。目指す列車は16:37発。この列車に乗れてよかった。三木鉄道は1時間に1本しか運行しないので、神鉄栄で予定の電車に間に合わなかったら、三木で1時間無駄にするところであった。
 やがて列車が動き出した。車窓の風景そのものは、播磨平野の水田地帯の風景である。もともと路線が全長6km余りと短い上、国鉄から経営が移管されてから無人駅を増設したりしているので、少し走っては停車、を繰り返す。敢えて記述すると、国鉄時代からあった駅には木造の小ぢんまりとした駅舎が残り、第三セクターになってからの駅はコンクリート造りのプラットホームに屋根のついた列車待ちスペースがあるだけ、といった違いはあった。
 16:50、列車は終点の厄神に到着した。三木を出てから13分しか経っていない。ここで、JR加古川線の加古川行きに乗り換える。事前のリサーチでは、ここでの乗り継ぎはわずかに3分しかないので、少し心配していた。
 列車に乗るとき、切符は買っていない。全長6km余りのミニ鉄道は、「レールバス」を使っているぐらいであるから運賃精算の方法はバスと同様で、起・終点といえども整理券を取って列車に乗り、着駅で精算する。運転士が監視する中、車両最前部の運賃箱に小銭を入れる。神鉄三木駅まで使えたスルKAN2dayは、ここ三木鉄道では使えないが、三木鉄道は全線乗っても250円という安さである。ドア横には「厄神駅精算済み証明書」の発行機がついていて、JRにはこの機械から出る紙を持って乗り継ぐことになる。

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2007年11月01日

2007.07.18(水)(11)神戸市西部のニュータウンにて

 通帳繰越まで済ませて押部谷出張所を出た。時刻は3時半を回っている。神鉄の電車は16:00発に乗る計画になっているので、残り時間はふんだんとは言わないがほどほど十分ある。のんびりと今来た道を戻る。
 大荷物を抱えた小学生の一群が前方を歩いている。年恰好からして小学校3年生ぐらいである。夏休みが近づき、教室に置きっぱなしにしていた物を持って帰るのであろう。置き傘とおぼしき黄色い傘を振り回しつつ、カバンからは鍵盤ハーモニカなぞぶら下げている。
 ニュータウン入口の橋のたもとまで来たところで、電車が東から西に走っていくのが見えた。時計を見ると3時43分だから、乗ろうと思っている電車の1本前であろう。予定どおりに進行している。明石川を渡って県道沿いに戻れば、駅はもうすぐそこだ。
 今行ってきたニュータウンは1971年からの開発でそれなりに古びてきているのだが、それでもやはり栄駅周辺よりはるかに新しい。桜が丘と対比すると、三木街道沿いの家並みは明らかに古い。県道沿いに多いのは古い木造建築で、入母屋造りの日本家屋が軒を連ねて建っていたりする。庭先に井戸があったり等は、やはり農家が多いのだろう。桜が丘のニュータウンの住民は、電車の最寄り駅としては神鉄栄だが、駅周辺の地域住民とはほとんどつながりはないのではないか。典型的な「ニュータウンと旧住民との相克」が眼に浮かぶ。両者が共通して利用するものは、駅前のセブンイレブンぐらいしかないのかもしれない。
 神戸市西部のニュータウンでは、印象に残る2つの大事件が過去に起きている。1990年の校門圧死事件と、1997年の連続児童殺傷事件。校門圧死事件のあった高校は西神中央にある。酒鬼薔薇の生首事件は同じ地下鉄沿線の名谷というところ。ともに教育現場で起きた2つの事件は、私が高校を卒業してから教員免許を取るまでの間のことであり、衝撃をもって受け止めた。ある種の「狂気」がそこにはあると思えたのである。新設高校での教員による管理教育、閉塞した日常生活で思春期の不安定な感情を抑えつけている子ども。これだけでもニュータウンを連想させるに十分である。社会的にもニュータウンは、一定の経済力を持った世帯が、大量に建築されてほぼ同じ規模・構造の住宅に、一定の時期に集中して入居して町になる。それだけに、住民の「均質性」はかなり強いわけだ。町の景観としても、ありがちなコンクリートジャングル。そういうところで暮らす人々には、かなりのプレッシャーがかかっているのだろう。
 2つの事件が桜が丘で起きたというわけではないし、桜が丘自体が開発開始から30年経過していて「ニュー」タウンとは必ずしも言えないのかもしれないが、それでも、神戸市西部のニュータウン・桜が丘を歩きながらこういうことを思った。私が住む東京で、多摩ニュータウンの高齢化が一気に進展していることも思い出した。これも、住民の年齢層と経済力が似通っているから起きる問題である。

 神鉄栄駅に戻ってきた。今朝和歌山の宿で立てたプランでは、16:00発の粟生行きに乗ることになっている。現在の時刻は15:54。予定調和的にスケジュールが進んでいる。
 駅員のいない神鉄栄駅には、「ビデオ録画中」というものものしい看板が掲示されていて、不正乗車があったら警察にビデオを提出すると書いてある。我が家の近所にあるバイク屋にも同様の貼り紙が出ていて、ダミーの監視カメラが取り付けられているのは知っているので、ここもそうなのだろうと思って見ると、自動改札機の前に1台、ビデオカメラがついていた。こちらはどうも本物のようだ。そんな様子を観察しながら、駅前のセブンイレブンで買った牛乳をちびちび飲んでいると、鈴蘭台方面から粟生行きの電車がやって来た。押部谷ともこれでお別れである。
 ホームでたむろする数人の女子高生は、スカート丈が膝下10cmくらいと長めであった。京阪神エリアの女子高生のトレンドがやっぱりロングスカートであること、そしてここが曲がりなりにも神戸市に属することを再確認した。
カテゴリ一覧(過去の連載など)
大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇(62)
単発(12)
告知板(24)
銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇(29)
りそめぐ2013梅雨 大阪市営バス“最長”路線[93]を行く(43)
りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇(51)
りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇(35)
りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇(8)
りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた(18)
りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動/銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇(20)
りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー(11)
りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ(47)
りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇(51)
りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
りそめぐ2007秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる(35)
2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)