2008年01月31日

2007.11.14(水)(11)一か八かの大勝負

 入間支店の制覇が終わった。時計を見るまでもなく、いま9時を回ったところ。銀行の窓口が開いたばかりである。
 予定では、入間市の出発時刻は09:50となっている。私の立てるプランは、「完遂する」ということを重視して相当に余裕を持たせている。そういう傾向はもちろん以前から分かっているのだが、問題は次の目的地・飯能でも同様に時間の余裕があるかということだ。もし飯能で10分程度稼げれば、合計1時間程度の余裕ができることになる。1時間あれば、ざっくり考えて、入間市−所沢間の1往復+αをするのに十分ではないだろうか。
 ということで、私は一か八かの大勝負に出ることにした。所沢に戻ろう。そして、さっき取りこぼした所沢東口出張所を取ってこよう。時間にある程度余裕があるとわかっている今、ここで失態を取り返しておかなかったら、おそらく後々にまで後悔のタネとなるだろう。行程の末尾が欠落するのと、途中に抜けが生じるのとでは、私は後者の方がより気持ちが悪いと感じるから、万が一失敗したとしても、所沢東口を取っておいた方が精神衛生上良いのである。
 私は決断を下すまではグジグジと優柔不断だが、いったん下してしまうと行動は早い。所沢へ戻ると決めて、私は直ちに入間市駅のエスカレーターを駆け上がり始めた。
 自動改札機上部の電光表示を見る。上りは快速池袋行き、09:10発。常識的にはこれに乗ることになるが、その後に特急池袋行き09:18発という表示があった。たとえ数分の差であっても、所沢に早く着くのであればこちらに乗ってしまおう。西武の特急は有料だが、特急料金は所沢まで確か300円くらいだったはずだ。
 改札窓口に飛び込んだ。改札内と改札外との双方に自動ドアがついているガラス張りの部屋である。駅員にどちらが早く着くかを聞いてみたところ、若い男性の駅員は、蛇腹にたたんだダイヤ表を取り出して時刻を一生懸命調べてくれ、3分だけだが快速の方が所沢には早く着くと教えてくれた。快速は所沢に09:25に着くという。そこで特急の待ち合わせをしてから発車するのであろう【注】。
 礼を言ってホームに降りると構内放送があり、18分発の特急は満席であるとのことであった。どちらにしろ特急には乗れなかったということである。

 切符だけで乗れる快速池袋行きに乗る。
 車内は、小学生、特に親子連れが非常に多かった。なぜだろうと一瞬思ったが、よく考えてみると今日は「県民の日」で学校が休みになっているのである。私も、県民の日だと言って(県民でもないのに)埼玉県内でりそなめぐりをして遊んでいる。私の精神構造は小学生と大差ないのか。もっとも、最近の大人は、「大人買い」と称して、幼少期に小遣いが足りなくて買えなかった玩具類を大人の経済力でまとめ買いして悦に入っている例も多いようだ。僕ちゃんだけが精神的に稚拙なわけではないのら。
 この付近の代表的な車窓風景は、滑走路と茶畑(狭山茶)である。左の車窓に滑走路が見えた。航空自衛隊入間基地である。この界隈を歩いていると時折キーンというものすごい音がするが、戦闘機だか輸送機だかが飛んでいるのだ。航空自衛隊は、稲荷山公園と武蔵藤沢との間、上り電車では左の車窓に見える。
 入間基地は、米軍に接収されていた時代には「ジョンソン基地」と呼ばれており、米兵が電車に向かって発砲し乗客が亡くなった「ロングプリー事件」があったところである(1958年)。ここではかつて電車に乗っているだけで命を落とすようなこともあったわけで、いまさらながら「りそめぐ」のできる平和のありがたさということを思う。

【注】この快速は「清瀬で特急通過待ち」が正しい。また、入間市−所沢間の特急料金は350円である。

2008年01月30日

2007.11.14(水)(10)かつて入間市に「道徳銀行」ありき

 入間支店は、この地で創業された黒須銀行をルーツとする。黒須銀行は1900(明治33)年2月に入間郡豊岡町大字黒須(現入間市宮前町)に設立された。「道徳と経済との一致」を信条とし、当時としては規模が大きく経営も順調であった。しかし、一部の支店が本部の指示に従わず投機に走り、1920(大正9)年3月に株式や商品相場が大暴落した際に莫大な損失を被る。これが致命傷となって1922年6月武州銀行(北足立郡浦和町=現さいたま市浦和区)に吸収合併され、本店は同行の豊岡支店となった。武州銀行は、埼玉県全県の経済を司る中央銀行を作ろうと、県知事らの発起によって1918(大正7)年11月設立された銀行である。埼玉銀行の設立に参加した4行の中では最も規模が大きく、埼玉銀行での主流派であった。
 黒須銀行のあった入間市宮前町には、黒須銀行本店跡が現在も残っている。土蔵造り2階建の建物は1909(明治42)年4月に建築され、1960年まで埼玉銀行豊岡支店として使用されていた。市の指定文化財だが、老朽化が激しいため現在ではほとんど公開されていない。
 豊岡町には別に、旧飯能銀行の豊岡支店だった「豊岡南支店」もあったが、1960年11月豊岡支店に統合された。統合後の使用店舗は旧豊岡南支店で、旧黒須銀行本店はこの時点で役割を終えたことになる。豊岡南支店は、西武入間市駅から南に1km弱下った旧市街地(入間市豊岡1丁目)にあった。現在でいうと丸広百貨店とショッピングセンターサイオスとの中間付近である。蛇足ながら、距離的に近接した両商業施設には両方とも埼玉りそなの店舗外ATMがあり、旧支店所在地近隣への便宜を図ったのであろう。
 支店のあった入間郡武蔵町(1956.09豊岡町などの合併で発足)は、1966年11月に入間市制を施行。豊岡支店はそれに合わせて翌67年8月入間支店に名称変更された。そして、入間市駅に近い現在の向陽台1丁目に新築移転したのは、協和銀行との合併後間もない1991年4月のことであった。支店の背後は「向陽台」というライトな地名のとおり住宅地となっている。

2008年01月29日

2007.11.14(水)(9)9時、入間支店に入る

 武蔵藤沢駅に戻ってきた。次の目的地は、入間市の主要支店である入間支店である。
 時計を見ると、現在時刻は08:50。当初の計画では、武蔵藤沢にようやくこの時間に到着して09:22に出発することになっていたから、時間の経過からするときわめて順調といえる。
 しかし、それゆえにというべきか、先ほどの「所沢東口ど忘れ」という痛恨のミスは、ここへ来て喪失感がますます増幅されていた。なにしろ、この時点で30分も浮いているのである。これだけ余裕時間があれば、所沢の出発を遅らせて所沢東口出張所に寄ってくることは十分可能であった。こういう取りこぼしの仕方はリサーチ不足そのものであり、非常に悔やまれる。といって、今から所沢に戻るわけにもいかない。
 まあよそう。こぼしたミルクを嘆いても無駄だという。牛乳は地面にこぼしてしまったらもう飲めないが、銀行の営業店は今回取りこぼしてもまた次回来れば良い。「りそめぐ」は本来そういうお気楽な趣味であったハズだ。
 武蔵藤沢は08:51発。急行飯能行きである。ホームと同一平面上の改札を入ると、私がホームのレール際まで歩き終わらないうちに、右の方向から電車が滑り込んできた。都心に向かう通勤客でごった返す上りのラッシュと違い、学生が主体となる下り方向のラッシュは、朝の上りのラッシュが終わった頃にやってくる。だから朝の上りラッシュの時間帯が終わり、電車はいよいよ混み始めたようだ。それでも辛うじて座席は確保した。次の稲荷山公園で多数学生が降りたが、調べてみると近所には東京家政大学や西武文理高校などがあるらしい。08:56入間市着。
 入間市も、支店までは結構歩いたはずだ。そう思って覚悟を決めた。入間支店は、入間市駅前の交差点から坂を少し上がったところにあり、駅前の交差点までは結構な距離があったはずである。
 駅前広場へ出ると、埼玉りそなの店舗外ATM[入間市駅前](入間支店)とミスタードーナツ(入間市駅前ショップ)が並んでいる。埼玉りそなより立地条件に恵まれないことの多い武蔵野銀行が、駅前ロータリーに面したところに入間支店を置いており、こういうときに限って武銀は駅前にあるのかよ、と思った。さらにそのまま道なりに進んでいくと、もう駅前の交差点に着いてしまった。駅前交差点の角には、三菱東京UFJ銀行の入間支店(旧三和)がある。そして、埼玉りそな銀行入間支店を発見。意外に想像していたよりも近かった。SRの支店も十分駅前の域に達している。支店に入る前に建物の写真を撮ろうとするが、街路樹が邪魔で良い写真は撮れなかった。
 入間支店に入ったのは、9時のオープンと同時だった。8台のATMと、通帳繰越機+両替機があり、ATMは左からファクトVのモデル20が2台、ファクトAが1台、ファクトVのモデル10が2台、そしてまたファクトAが3台という布陣であった。「モデル20」は、富士通ファクトVシリーズの最新機種である。

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2008年01月28日

2007.11.14(水)(8)区画整理の進む武蔵藤沢

 小手指の次は、所沢市を飛び出して入間市に入る。西武池袋線で2駅目の武蔵藤沢である。
 エスカレーターを上って、橋上駅舎2階の改札に向かう。電光表示によると、今度乗る電車は08:36発の飯能行きであった。08:36ということは、2本早い電車ということになり、この時間の経過からすると、さっき取りこぼした所沢東口出張所は、やはり取れたかもしれない。まだ言ってる、と思われるかもしれないが、私は割合に精神的な痛手は引きずる方である。血液型A型であるせいか、こういう時の気持ちの切り替えは下手だ。このときも、先へ進もうという意識と、過去の失敗に対する猛烈な心の痛みとが、激しくせめぎ合っていたのである。
 武蔵藤沢08:41着。武蔵藤沢駅周辺では区画整理の完成が近づいており、小ぎれいなバスロータリーが既にできている。現在地平にある駅舎は橋上駅舎に切り替わることになっており、そちらも既にオープンしているようだが、改札は地平駅舎の古いものがまだそのまま使われていた。
 武蔵藤沢支店は、線路沿いを所沢方向に戻ったところにある。武蔵藤沢駅の反対側にはプレハブの商業施設が多く、フィットネスクラブの「ティップネス」が特に目立つ。ちょっと歩いてきて、埼玉県信用金庫(武蔵藤沢支店)が見えると、埼玉りそなはその向かい側である。以前来たとき結構な距離があったと記憶していた武蔵藤沢支店は、こんなに近かったっけと思うほど駅から近接した場所にあった。所沢で少々遅れても、武蔵藤沢で十分吸収できたのではないだろうか。武蔵藤沢で結構歩かされるという前提でプランを組んでいたから、こんなにすんなりと支店までたどり着いてしまうと、少しくやしい気がする。といって、戻って所沢東口を取っているヒマはないと思われる。やはり諦めるしかないのだろうか。
 武蔵藤沢支店の制覇作業を済ませる。ATMは富士通ファクトVモデル10が4台並んでいて、キャッシュコーナーの内装は白を主体とした最近のりそな標準型に切り替えられている。切り替えというか、周辺で区画整理が進行中の武蔵藤沢支店は今年(2007年)2月に新築したばかりなので、そうなっているのは当たり前とは言えるかもしれない。
 キャッシュコーナーと窓口室とを隔てるシャッターに付けられた扉が開き、向こうから女子行員が出てきて拭き掃除を始めた。支店の窓口室には、りそな銀行と同じような「クイックナビ」のカウンターが設けられているはずなのだが、只今08:47、窓口が開くにはまだ早く、ちょっと見ることはできない。
 武蔵藤沢支店は、1975年7月に埼玉銀行の支店として開設された。区画整理の進展に伴い、2007年2月に新築移転したのは前述のとおり。移転先は旧店舗の隣接地で、区画整理前には道路だった土地である。白い壁に取り付けられた「埼玉りそな銀行」のロゴが彩色された切り抜き文字になっているところは“りそなグループの銀行”であり、旧大和銀行のセンスが導入されたことが伺われる。このスタイルは旧協和にもあったから「大和のセンス」かどうかはさて置くとしても、少なくとも旧埼玉銀行のセンスとは明らかに違うと思う。埼玉銀行なら板の看板にしているはずだ。
 数枚撮った写真の一部は、再開発できれいにしたらしい支店前の墓地のフェンスに腕を当て、カメラを支えてシャッターを押した。逆光で、全然写真にはならなかった。

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2008年01月27日

2007.11.14(水)(7)ショックの中、小手指支店へ

 6分の乗車で小手指に到着した。
 小手指は西武池袋線の車庫があるところで、この駅を始発・終着とする電車が多数設定されているから、4番線ホームまである大規模な駅である。乗降人員としても西武池袋線内では上位に入るそうだ。個人的には、小手指には自分の出身大学がキャンパスを置いているため、数回訪れたことがある。「数回」とは自分の通うキャンパスではなかったという意味である。
 駅で降りた人たちは圧倒的に若い男女が多い。ここは早稲田大学の所沢キャンパス(人間科学部など)があるところなので大学生は多いはずだが、大規模な高校でもあるのか、それ以外に高校生も結構な数降りた。埼玉県内の下り電車はかなりの混み具合で驚いた。驚いたといえば、かつて私も乗ったことのある、小手指駅前から出る早稲田大学行きのバスは、乗り場の位置が変わったようだ。以前は確か、跨線橋を降りてすぐの停留所から乗れたと思ったのだが、駅舎側から見てロータリーの左側に移ったようである。
 さて、橋上駅舎を出ると、右斜め前方に、もう小手指支店が見えている。小手指支店は駅からすぐ近い。支店のすぐ裏はもう団地、というロケーションである。例によって支店の写真を撮ってから、小手指支店に入る。カメラを構えていると、そこにいたタクシーの運転手に「何かあるんですか」と聞かれてしまった。もちろん何もないのだが、銀行の写真などを撮っているような奴は、おそらく「ヘン」なのだろう。
 店内に入ると、ATMはここも、ファクトVモデル10が5台という布陣であった。9時の開店前なのでわからないが、窓口室にさらにもう数台あるのだろうと思う。
 小手指支店は、1983年6月に埼玉銀行の支店として開設された比較的新しい店である。店舗はオープン当初のものが現在も使用されている。小手指という地名は、国木田独歩の小説『武蔵野』の冒頭部に「小手指ヶ原古戦場」についての記述がみられるように、古くからあるようだ。但し、この付近が開発されたのは1970年に現小手指駅が開業した前後で、町としての歴史は案外浅い。駅の反対側(北口)には、三井住友銀行が支店(旧三井)を、みずほ銀行が有人出張所(旧一勧)を、それぞれ出している。

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2008年01月26日

2007.11.14(水)(6)一大痛恨事発生

 次の目的地は、所沢市の西部にある小手指(こてさし)支店である。小手指は、西武池袋線に乗って所沢から2駅先だ。
 所沢駅の正面側に戻ってきた。久米川から所沢に着いてまだ20分くらいしか経っていないのだが、8時を15分も回ると平日の朝のいとなみが始まりつつあるようで、人通りはさっきと比べると少し増えたような気がした。
 埼玉県内の移動であるので、いよいよここからフリーきっぷに活躍してもらうことになる。所沢駅西口駅舎の向かって左側にある窓口で、埼玉県民の日のフリー切符を買った。切符は現金で買ったが、券の体裁からして、ひょっとしたら「パスモ」も使えたかもしれない。相手をしてくれた中年男性の駅員は「埼玉県内だけですよ」と念を押した。多分、ここまで言っているのに、西武新宿や池袋あたりでこの切符で降りようとした客がトラブルを起こしているに違いない。
 買ったばかりの切符を自動改札機に通す。乗る電車は08:17発飯能行きの各駅停車で、予定していたより1本早い。池袋線の下りホームは、所沢駅の一番東側、5番線である。ホーム中央にある跨線橋の階段を上り、橋を渡り始めた。
 そこで、衝撃的なものが私の視界に飛び込んできた。跨線橋の一番端には窓がついていて、そこから所沢駅の東側が見渡せる。旧市街側にある西口と異なり、1983年に開設されたという東口は、ここ10年ほどの間にようやく区画整理などで本格的に開発されてきた地域で、したがって更地が多いのである。私の見たものは、前方に建つ3階建てのビルであった。そのビルの壁面には、横に細長い緑色の看板がついていた。
 それだけなら別に何ということもないのだが、緑色の看板には白文字でこう書いてあった。「埼玉りそな銀行」。

 何ということだ。
 所沢の駅前にもう1軒、所沢東口出張所があるのをすっかり忘れていたのである!

 今回のプランを立てるのに、私はりそなの店舗一覧などは見ていない。基本的に店舗のある場所はすべて頭に入っているからである。しかし、それゆえに足下をすくわれてしまった。プランに入る前にせっかく1か所増やしても、代わりに1か所を落としてしまっては意味がない。トータルの個所数として同じとはいうものの、非常に恥ずかしいミスであった。普段よく見ているスポーツ新聞の占いで、今日「土星」の欄に「取りかかりたいことがあっても助走や準備を充分に。急いで着手するのは避けて」と書いてあったのを、今さらのように思い出していた。
 結局今回は、後の行程に差し障りが出てしまうので、とりあえず仕方がないことにして、次の目的地・小手指に向かうことにした。

 いま思えば、私は頭に血が上っていたのであろう。今から乗る電車は、予定より1本(10分)早い。10分もあれば、所沢東口出張所はなんとかカバーできたはずなのだ。

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2008年01月25日

2007.11.14(水)(5)りそなグループと所沢市との関係

 所沢支店は1936年11月に飯能銀行所沢支店として開設されたものだが、これは埼玉りそな銀行の「X市のメイン支店」としては珍しい経緯をたどった部類に入る。さっき東村山支店のところでも触れたが、明治時代には、どんな町にも1つくらいはそこを本店とする銀行があったものだからだ。実は、所沢にもこの地を本店とする「所沢銀行」があったのだが、埼玉銀行とは違う系統の銀行に合併されたのである。飯能銀行についてはこの連載のもう少し後で触れる。
 所沢銀行は1893(明治26)年2月に設立され、1929年2月に川崎第百銀行に合併されている。川崎第百銀行は、川崎財閥の川崎銀行がナンバー銀行の一つだった第百銀行を合併して1927年9月発足したもので、所沢銀行の合併後、1936年11月に第百銀行に改称、1943年4月に三菱銀行に合併された。この流れで、所沢市の指定金融機関は三菱東京UFJ銀行となっている(埼玉りそな銀行との交代制)。埼玉県の市で、指定金融機関を埼玉りそなが独占していないのは、所沢が唯一である。
 所沢には、この地を本店とする「所沢商業銀行」もあった。この銀行は1895(明治28)年12月に設立、1919(大正8)年6月東京に移転し日比谷銀行に改称した。旧本店は同行の所沢支店となったが1928年2月廃止された。廃止にあたって所沢支店は武陽銀行に引き継がれたようで【追記】、これが日本昼夜銀行を経て安田銀行の所沢支店となった【注】。さらに1944年5月に埼玉銀行に営業譲渡されて所沢東支店となっている。所沢東支店は同年12月に所沢支店に統合された。
 日比谷銀行は1935年2月に旧野村銀行に買収され、本店は同行の堀留支店となった。戦災のためいったん廃止されたが1946年9月に復活、その後、大和銀行時代の2000年4月に日本橋支店(現りそな銀行日本橋支店)に統合されて現在に至っている。
 さらに、所沢には協和銀行の支店もあった。協和の所沢支店は1972年11月の開設で、開設の背景はおおむね久米川支店と同様である。埼玉銀行との合併により旧協和の支店は所沢元町支店という名前になった。現SR所沢支店の西500mほど、元町交差点のY字分岐のところにあったが、1992年6月所沢支店に統合されている。

 【注】日比谷銀行所沢支店:1956年刊の『所沢市史』には、埼玉銀行所沢支店は所沢商業銀行の後身である旨の記述がある。『埼玉銀行通史』(あさひ銀行、1993年)では、所沢支店の沿革は所沢商業銀行開業の項から始まり、日本昼夜銀行の支店となった日付は武陽銀行合併の日となっている。武陽銀行については「東村山」の項を参照。

 【2012.07.24追記】その後の調査により、日比谷銀行の所沢支店は、武陽銀行と同じ日に日本昼夜銀行に買収された「第三十六銀行」(本店東京都八王子市)に譲渡されていたと判明した。(資料:『安田保善社とその関係事業史』同書編修委員会、1974年 ほか)

2008年01月24日

2007.11.14(水)(4)タワービルが林立する所沢旧市街

 ファルマン通りに入って200mほど先の交差点向こうに、茜屋珈琲店というある意味有名な喫茶店がある。茜屋珈琲店は、建築技術者であった船越敬四郎が1966年に神戸・三宮で始めたもので、現在は暖簾分けをした20店ほどが全国にある。チェーンでなく暖簾分けであるので、黒く着色した木材を内装に使ったり、コーヒーの豆を全店同じ店から仕入れたりしているなどの統一はなされているものの、店の運営は基本的に各店主の自由である。だから、商品のラインナップからコーヒー1杯の価格設定まで、店ごとの運営方針にはかなりの違いがある。このあたり、「ラーメン二郎」などにも類似の点を見出すことができよう。
 蛇足ながら、茜屋珈琲店は私の在籍していた大学の近所にもあって、こちらは店内に置かれたチェンバロの生演奏を月に1〜2回行っていることが売り物である。私はバロック音楽が好きなので、学部生の時代からちょくちょく行っているが、学部にいた頃はほぼ毎週やっていたのに、最近では月2回程度になってしまったようだ。私の職業はフリーライターで、日常的に喫茶店やファストフードを仕事場としており、また趣味で一時ミスタードーナツの全店制覇に挑戦したこともあった。そういう生活上「喫茶」という行為とか喫茶店とかには関心がある。まだ詳しく勉強していないが、いずれ「喫茶とファストフード」をめぐって1冊ものしてみたいと思っている。
 話を戻して、茜屋珈琲店の所沢店には1回行ったことがあるだけだ。店内に楽器はない。今回は、交差点から見える看板を横目で見ながら通り過ぎるだけである。この交差点の付近には、再開発の手からこぼれてしまったように個人商店が数軒続いていて、交差点の先には火の見やぐらも見える。一方で、開発され残した商店の屋根越しに上に目を転ずると、こちら側は再開発の結果として高層マンションになっている。駅から一番近いところにグラシスタワー、その北西にはコンセールタワー。そして、グラシスとコンセールの間、角を左に曲がってすぐのところに、SRの所沢支店が入るスカイライズタワーがある。とにかく、再開発のタワービルがこの付近には何本も建っている。
 スカイライズタワーは30階建てで、低層店舗階の上に高層マンションを載せている。1階にはスーパーのマルエツがあり、埼玉りそな銀行所沢支店はマルエツ隣、このビルの北西側である。銀行の部分は歴史的建築のような外観になっている。建物のコンセプトなどは知らないが、これが戦前からあった所沢支店の外観を再現したものであったら面白いと思う(たぶん違う)。
 08:06、所沢支店の制覇作業を済ませた。キャッシュコーナーのATMは、富士通ファクトV・モデル10が5台並んでいるだけであった。ほかに記帳機や両替機はあったものの、窓口閉店後に稼働するATMは、台数を極力減らしてあるようだ。実際、市街地がいかに斜陽化していようとも、所沢支店のATMが5台ぽっきりしかないということは、ちょっとありえない気がする。おそらく、シャッターの向こうにもう4〜5台のATMがあるのであろう。

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2008年01月23日

2007.11.14(水)(3)さらば東村山、おはよう所沢

 幼少期、町内で行われた盆踊り大会の隠し芸で、私は当時大流行していた「東村山音頭」を熱唱し、確か銀賞をもらった。意気揚々と帰宅した途端、「あんな恥ずかしいことをして」と、母親に眼から星が出るほどしばき倒されたのであった。「東村山」にはそういう別の種類の思い出もある。ちなみに、1976年にTBS系の人気番組「8時だヨ!全員集合」で放送されて人気を博した志村けん氏の「東村山音頭」は、実際にあるものの替え歌である。
 そんな東村山に別れを告げて向かう先は、いよいよ今日のメインとなる埼玉県。所沢支店(所沢市)を皮切りに、埼玉りそな銀行の11支店を巡る旅の始まりである。
 久米川07:45発の各駅停車本川越行きに乗る。久米川に着いたときホームを端から端まで歩かされた私は、今度は一番前に近い車両に乗った。そして、07:50所沢到着。所沢で降りてみると、今度はホームを後方まで歩かされてしまった。但し、後方といってもホームの中央付近までで済んでいるから、今回はドツボにはまったうちには入るまい。
 所沢に来るのは、乗り換えなどを別にすれば1年ぶりくらいになるだろうか。埼玉りそなの支店は、駅から歩いて10分ほどの旧市街にある「スカイライズタワー」という再開発ビルの中にあって、それは「あさめぐ」の時代から変わっていない、はずだ。他の銀行がほとんど全部駅前にあるのに、旧あさひ銀行の所沢支店は駅から遠い旧市街地にある。
 所沢駅から北西に斜めに延びる商店街、プロペ通りを歩く。この商店街は賑わっている通りだったはずだが、それでも、何やら大きなショッピングセンターが閉店になっている。駅前に本館が建ち、さらに別棟につながる連絡橋までついている大規模なものである。すぐに名前が思い出せなかったが、どうやら丸井であったようだ。
 プロペは普段は歩行者天国なのだろうが、朝8時前というこの時間ではまだ早いようで、前方から走ってきたトラックとすれ違った。店の開店前にいろいろと納品されるのであろう。
 前方左側に三井住友銀行が見える。旧住友銀行の所沢支店だった建物で、現在は店舗外ATMとして使われている。三井住友の所沢支店は所沢駅前にあって、建物は旧三井銀行のものを使用している。旧さくら銀行時代にさかのぼると、店籍上の存続店舗は旧太陽神戸銀行(旧日本相互銀行→太陽銀行)で、店舗は現在SR所沢支店のある場所の向かい側であった。
 プロペ通りは、三井住友の前でファルマン通りにぶつかって終わる。私はここからファルマン通りに入る。プロペもファルマンも商店街の名前としては耳慣れないが、語源としては「航空発祥の地」を標榜する所沢らしく二つとも飛行機である。所沢が航空発祥の地とされるのは、1910(明治43)年に陸軍が日本初の飛行場を設置、のち陸軍航空整備学校が置かれ、国産機の開発やパイロット・整備士などの養成にあたったことから。西武新宿線の駅名にある「航空公園」は、飛行場と周辺施設が敗戦後アメリカ軍に接収され、それが返還されてできたものである。で、「プロペ」の語源がプロペラであるのは一目瞭然だが、「ファルマン」とは、所沢飛行場で日本初の野外飛行を行った複葉機「アンリ・ファルマン機」に由来する。アンリ・ファルマン(フランス、1874〜1958)が経営する航空機製造会社で作られた複葉機が、所沢−川越間39.3kmを飛んだ(高度159m、滞空時間32分45秒)。1911(明治44)年のことであった。
 三井住友ATMの向かい側にあるダイエーは、ついこのあいだ(11月8日)立体駐車場から軽自動車が転落し母娘が亡くなる事故があったばかりである。そんなことを思い出しながら歩いていると、不意に後ろからクラクションを鳴らされた。見ると、多摩ナンバーのセルシオで、暴力団組長のようなゴツい外観の男が運転している。ほんの一瞬だけ殺意を覚えた。

2008年01月22日

2007.11.14(水)(2)東村山市とりそな銀行

 久米川支店は、東村山市に2つあるりそな銀行の支店のうちの一つである。久米川支店は、高度成長期の1963年8月に協和銀行の小型支店として設置されたもので、出店は同行の首都圏重点戦略の一環であった。協和は地方都市に採算のとりにくい店舗を多く抱えていたので、そうした店舗を廃止して代わりに大都市に出店するという配置転換を多く行ってきたのである。久米川もそのうちの一つであった。久米川は東村山市の中心部から1駅ずれたところにあって、1960年代以後に東京都の公社団地を中心にベッドタウンとして発達した町である。
 東村山市にあるもう一つは、隣りの東村山駅前にある。東村山支店(旧埼玉銀行)は、当地にあった東京殖産銀行の本店【注1】であった。明治時代には、小さな田舎町にも1つくらいはそこを本店とする銀行があったもので、その多くは地元の有力者あるいは有志の出資による。こうした銀行は、数回の金融恐慌と銀行再編を経て、地元トップ地銀のその市におけるメイン支店となったものが多い【注2】。東京殖産銀行本店は、数回の合併を経て安田銀行(富士銀行を経て現みずほ銀行)の東村山支店となったが、1944(昭和19)年、戦時体制が強化される中で当局の勧奨により埼玉銀行に営業譲渡され、埼玉銀行の東村山支店となった。埼玉銀行から協和埼玉→あさひと銀行名が変わった後、2003年3月の大和銀行との合併・分割では、東京都に位置する東村山支店は、埼玉りそな銀行ではなくりそな銀行に所属することになった。以上のような流れで、東村山市の指定金融機関は現在りそな銀行となっている。
 久米川には埼玉銀も営業店を設置していた。1990年3月に開設された東村山支店久米川出張所がそれで、この出張所は協和銀との合併で久米川駅出張所と改称された。名前のとおり協和の支店よりも久米川駅に近いところにあったが、協和埼玉銀行の重複店舗統廃合第1号として1991年8月に久米川支店に統合された。出張所は、将来の支店昇格を念頭に置いていたと思われる大きめのビルに入っていた。現在、跡地は薬店マツモトキヨシの店舗になっているが、そのビルの2階に、かつて旧あさひ銀行の子会社だった「そしあす証券」の支店があることが、出張所の微かな痕跡となっている。

 【注1】東京殖産銀行:1901(明治34)年11月、現東京都八王子市に八王子倉庫銀行として設立、1908.06東村山支店を開設。1909.03殖産銀行に、1909.07東京殖産銀行にそれぞれ改称、1916(大正5)年本店を東村山に移転し、1929.11.26武陽銀行【注3】に買収された。2007年5月まであった殖産銀行(本店山形市)とは無関係。
 【注2】地元トップ地銀:富士銀行→みずほ銀行は東京都の指定金融機関であるので、ここに含める。
 【注3】武陽銀行:1927.04.01主に東京都西多摩郡の7行が合同して同郡青梅町(現青梅市)に設立、1942.05.30日本昼夜銀行【注4】に買収された。
 【注4】日本昼夜銀行:吉浜銀行として1898.09設立。4回の商号変更を経て1922(大正11)年8月安田財閥傘下に入り日本昼夜銀行に改称、1943.04.01安田銀行に合併した。

2008年01月21日

2007.11.14(水)(1)急遽、東京都で1か所増やす

 前の晩は用心して結構早めに床についた。一応、最初の目標である所沢に8時少し前に到着できるよう計画を立てていたのだが、それによる出発時間よりかなり早く、5時半にはもう起き出していた。
 思いのほか早く自宅を出られそうである。既に、今日これからのめぐのことを考えて気もそぞろになっている。所沢の前にもう1か所ぐらい増やせそうではないか。ATMが7時にオープンする店であれば、訪問が可能であろう。
 私は新宿からアプローチすることになるので、所沢の前に行けるところといえば、必然的に西武新宿線沿線のりそな銀行店舗ということになる。さらに、今後の再訪活動のしやすさということも考慮して、所沢の近所で探すことにした。以上のように考えてwebページを検索すると、所沢の1つ手前にある東村山支店(東京都東村山市)は不可だが、さらに1つ手前の久米川支店(同)が7時から開くことが判明した。
 家を出て、駅前のコンビニでおにぎりを買う。おにぎりは電車待ちでホームにいる間に胃袋へと消えた。電車に乗り込むと、この時間は空席こそないものの案外すいていた。
 新宿駅で改札を出ようとすると、私の前に若い女が割り込んできた。手で遮って私が先に改札に入ったところ、なんとこの女に蹴られたのである。今に始まったことではないが、世の中には恥を知らない人間が多過ぎる。特に、横入りしようとして果たせなかった腹いせに遮った者を蹴飛ばすとは、どのような思考回路をしているのか。こういう社会常識の欠落した手合いが多いと感じる。きっと、日教組と団塊世代のせいであろう(と、まとめて八つ当たりしておく)。

 閑話休題。西武新宿07:05発の電車は、準急本川越行きであった。車両は黄色い車体の2000系と呼ばれる電車。車内は各ロングシートに2人程度の混み具合で、楽々座ることができた。車窓の風景を見るともなく見ているうちに、多少うとうとと眠りにつく。薄目を開けると、小平付近では畑が広がっていた。花小金井駅の両側にりそな銀行(北口の営業店と、南側の店舗外ATM)があるのを確認するともなく確認しつつ、07:37久米川に着いた。
 西武新宿駅は櫛の歯のような形をしたホームで、新宿の繁華街に一番近い側から電車に乗ると、必然的に最後部寄りに乗ることになる。何も考えずに最後部の車両に乗った私は、改札が所沢方向に寄っている久米川で降りると、必然的にホームを端から端まで歩かされることになった。ずいぶん損した気分になったが、事前にこういうところまでリサーチしていないから仕方がない。
 改札を出る。駅前はロータリーになっていて、周囲には西友があったり、マツモトキヨシが1階に入った雑居ビルが建っていたりと、郊外の駅前風景が広がっている。久米川駅前をぐるりと1周するロータリーの車道内側は、植え込みになっている。植え込みの緑の向こうに、コーヒーを混ぜたヤクルトのような色に塗られたりそな銀行の建物が見えた。あれが久米川支店である。
 店内に入って制覇作業(預金取引)を済ませる。ATMは沖電気製が5台。うち真ん中の1台だけ「バンキット」と称する最新型で、他は「ATM21B」という1代前の機種であった。
 久米川支店の店内シャッターは、塗装がはげてだいぶボロボロであった。あさひ銀行時代に4つあった店舗外ATMは今は全廃されてしまっているし、さらに2008年3月いっぱいで夜間金庫の扱いを廃止するなど、戦線縮小の傾向にあるのだろうか。それでも、私が制覇作業を終えたとき、入れ替わりに掃除のおばちゃんが入ってきた。最低限のことはちゃんと毎日行っているようだ。

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2008年01月20日

2007.11.14(水)(0)日没と小鹿野をめぐる難問

 検索サイトを使ってざっくりとプランを立ててみると、検討事項が2つ発生した。その一つは、日没時刻との関係上、秩父鉄道の東端である羽生支店(羽生市)でゴールとせざるを得ないが、熊谷市内にある2か所の支店を取ると、羽生が取れなくなってしまうことである。写真撮影という新たな縛りを付したために、明るい時間でなければ活動できなくなってしまったのである。
 もう一つは、秩父市内からバスで30分以上かかる山間部の支店・小鹿野支店(秩父郡小鹿野町)をどうするかである。今回、あくまで「フリーきっぷの活用」に主眼を置くなら、鉄道の駅から大きく外れた小鹿野は間違いなくカットである。小鹿野をカットすれば、前述の熊谷市内の2支店も問題なく取れるのだ。
 小鹿野を採って熊谷をスルーするか。
 小鹿野をスルーして熊谷を採るか。
 私の小鹿野支店初制覇は1998年4月30日で、このときは車で行った。以後、小鹿野には数回行く機会があったが、いずれも車で赴いている。あくまで個人的な感想だが、銀行やドーナツ店など「めぐ」を10年ほど続けてきて思うことは、こうしたハシゴは「自分の足で」回らなければ、本当に行ったうちに入らないということである。別に歩いていくとは限らず、公共交通機関を使って行くということだ。そうでないと、せっかく多大な金と時間を使って現地に赴いても、全く印象に残らない。車でハシゴをすると、不思議なことだが、個々の目標についての印象が非常に薄くなる。運転に注意力を取られるせいではないだろうか。それなら誰かに運転してもらって、となるが、そういう「めぐ」は試したことがない。但し、私の性格からして、同行者のいる旅は非常に気詰まりではないかと思う。
 というわけで、小鹿野に「公共交通で」行くことを条件とするのなら、この機を逃すのは非常にもったいないと言える。群馬県の出身で埼玉県にしょっちゅう出入りしているとはいえ、秩父方面に出向くことはやはり滅多にないからだ。
 一方、群馬県内に実家があるということは、熊谷市は絶対的に今後も通る町である。東京と群馬県方面とを結ぶ、JR高崎線(と国道17号)が通っているからだ。であるならば、将来、高崎線を中心に再制覇活動を行う際の「お楽しみ」にしておいたほうがよかろう。
 ついでに、秩父鉄道沿線の寄居支店(大里郡寄居町)はどうなるかも検討しておこう。寄居はJR八高線と東武東上線が来ている町だが、八高線を中心に再制覇活動、ということには多分ならないだろう。八高線はダイヤが非常に不便である上、この沿線は寄居以南であれば東上線を使って攻められる。八高線でしか攻められない支店は児玉支店(本庄市)しかないが、ここは実家を拠点にちょっと足を伸ばせばかたがつくだろう。
 以上、今回は「小鹿野を採って熊谷をスルー」と決定した。

 事前のプランニングの段階では、今回取れるのは11支店と決定した。次のような計画となる。
  (所沢までのアプローチは記載省略)※所沢支店
  所沢08:27<西武池袋線、普通・小手指>08:33小手指 ※小手指支店
  小手指08:46<西武池袋線、普通・飯能>08:51武蔵藤沢 ※武蔵藤沢支店
  武蔵藤沢09:22<西武池袋線、普通・飯能>09:26入間市 ※入間支店
  入間市09:50<西武池袋線、普通・飯能>09:59飯能 ※飯能支店
  飯能10:34<西武秩父線、普通・西武秩父>11:24西武秩父 ※秩父支店
  西武秩父駅11:44<西武観光バス、小鹿野車庫経由栗尾>12:22町立病院前 ※小鹿野支店
  町立病院前12:44<西武観光バス、西武秩父駅>13:20頃秩父駅/秩父13:20<秩父鉄道、普通・羽生>13:34皆野 ※皆野支店
  皆野14:11<秩父鉄道、普通・羽生>14:35寄居 ※寄居支店
  寄居15:20<秩父鉄道、普通・羽生>16:04行田市 ※行田支店
  行田市16:20<秩父鉄道、普通・羽生>16:33羽生 ※羽生支店

 最後に、11月14日に「めぐ」のために動けるかどうかは、宮仕えをしている職場の休みが取れるかどうかにかかっていたが、こちらは所属の長を優しく脅した結果(?)クリアした。いきなり休むと告げたのではなく、自分の代打も事前に確保した上で話を持ち掛けたのだから、これで休みをもらえなければちょっと困ってしまう。
 フリーきっぷは当日現地で購入する。あとは、当日の朝に寝過ごさないように注意するだけである。

2008年01月19日

2007.11.14(水)(−1)めぐの計画を立てる

 よくよく考えてみると、「××線の沿線を総なめにする」という形で銀行をめぐるのは、ずいぶんひさしぶりである。りそなグループの銀行に関しては、「あさめぐ」としてあさひ銀行の拠点をハシゴしていた1998年頃以来、実に10年近くなかった気がする。
 四国八十八か所のように、めぐる場所がナンバリングされて順番もきちんと決まっている「巡礼」とは異なり、銀行めぐりでは、個所数をある程度まとまって稼いでしまうと、そこから後は「落ち穂拾い」のように断片的なものとなる。そういう個所がたまってくると、まとめて片付けるのには多大なエネルギーを要することになる。私の「あさめぐ」時代の記録によると、たとえば1999年10月25日に店舗外ATMを2か所制覇した際、所在地は北九州市と大阪市であった。
 「完全制覇主義」では、こういう無茶をしないといけなくなるから、残りをつぶすことに汲々として、肝心の「めぐ」の楽しみを次第に忘れてしまうことになる。これではならじということで、「あさめぐ」開始10周年を期して、「写真をすべて撮り溜める」という新たな目標を立て、レコードを事実上リセットとすることにした。

 さて、2007年の「埼玉県民の日」には、県内に路線を持つ鉄道会社5社から、エリア内乗降自由のフリーきっぷが下【表】のように発売される。かつてはJRでも発行していたが、現在はやめてしまったようである。いずれの券も、発売は11月8日(木)からで、11月14日(水)の当日埼玉県内に限り有効である【注】。
 これらのうち、最も使えると判断されるのは、東武鉄道の券であろう。伊勢崎線と東上線の2本の幹線が埼玉県を貫く東武は、埼玉県に占めるウエートが非常に高く、従って沿線にあるりそなグループの営業店も数多い。数を稼ぐのなら、東武の券を使えば相当に効率がよい。
 そこへいくと、2本の幹線いずれもが所沢の手前まで東京都である西武鉄道は、埼玉県内で稼げる個所数でいうとだいぶ減ってしまう。路線が短いニューシャトルと埼玉高速鉄道は、沿線の制覇目標数からはお話にならない。特に埼玉高速鉄道は、地下鉄南北線と接続している南端の赤羽岩淵(東京都北区)まで乗れず、全線乗ろうとすると1駅分だけ別料金が必要になるというセコさである。ニューシャトルのフリーきっぷは、全線を1往復すれば一応モトは取れる。
 今回、私はあえて秩父鉄道に着目した。埼玉県の北部を東西に横断する秩父鉄道は、平野部から山間部まで、埼玉県のあらゆる自然景観を網羅していると言ってよい。それに、ここは地方の中小私鉄なので、ご多分にもれず運賃が高く、こういう切符を使うのでなければ交通費が割高になってしまう。計算してみたところ、秩父鉄道沿線のすべてのりそな拠点を正規の切符で回った場合、電車賃が秩父鉄道線だけで2000円強かかる。
 「秋の秩父路」という概念規定にも心惹かれるものがあるし、この線にもずいぶん長いこと乗っていない。かくして、今回は秩父鉄道沿線の「めぐ」を実施することに決定した。その結果、秩父鉄道までのアプローチ用として、西武鉄道のフリーきっぷを併せて購入することも決まった。所沢以遠でしか使えないが、それでも通常の切符を買うより安上がりになるからである。

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【注】西武鉄道は、東京都に位置する西武園・西武遊園地の2駅も利用可能。いずれも自社系列遊園地の最寄り駅である。

2008年01月18日

2007.11.14(水)(−2)プロローグ「県民の日」とは何か

 私は東京都23区内の生まれで、6歳のときに群馬県前橋市に移住した。以後21歳まで親元で過ごし、大学に最初に進学した1990年から首都圏で一人暮らしをしている。社会学的には、ある人の「出身地」を小学校卒業時点での居住地で判断するケースが多いことから、私もこれにならって本籍とは別に群馬県前橋市を自分の「出身地」としている。
 私が都内で通っていた幼稚園は、10月1日は「都民の日」で休みであった。都民の日は東京都の「都民の日条例」に則って1952年から実施されているもので、ざっくり言うと1898年10月1日に旧・東京市に市役所が設置されたことの記念日である。都民の日には、都内の公立学校が休校となり、また都内の有料公共施設(葛西臨海水族園など)の入場料が無料になる。
 群馬県に引っ越してみると、ここには「都民の日」に相当するものがなくて失望した。もちろん、群馬県は東京都ではないから、都民の日は全く関係がない。その後群馬県は1985年に「群馬県民の日」を制定し、そのおかげで高校2・3年時だけ10月28日に学校が休みになった。大学に入学して千葉県柏市で一人暮らしを始め、次いで東京23区内に移り住んだが、それ以後、6月15日の「千葉県民の日」や10月1日の「都民の日」は、日常生活に全く影響することなく推移してきた。
 こうした都道府県レベルの「記念日」をネットで調べてみると、定義にもよるがおおむね15〜20都県にある。しかし、むしろ「ない道府県」のほうが多数派であるようだ。また、福島や静岡のように、県民の日が夏休み中に設定されているケースもあるし、栃木では6月15日の「栃木県民の日」に公立学校が休みにならないそうである。

 さて、埼玉県では、11月14日が「埼玉県民の日」とされている。1871(明治4)年11月14日、太政官布告により現在の埼玉県域に「埼玉県」「入間県」の2県が誕生、その100周年にあたる1971(昭和46)年に制定された。埼玉でも、県民の日は「県民の日を定める条例」なる県条例に則っている。この日は埼玉県内の公立学校はすべて休校になり、また県主催のスタンプラリーなど各種イベントが行われる。
 それだけなら、日常生活に追われる東京都民の私は「あっそう」で終わりである。しかし、前週にたまたま埼玉県内に行った際、11月14日(水)の県民の日に限り有効のフリー乗車券が、県内各鉄道会社で発売されることを知った。いや、「知った」というのは正確ではない。毎年県民の日にフリーきっぷが出ているのは以前から知っていたのだが、自分がそれを利用しようと思わなかっただけである。
 旧埼玉銀行のお膝元である埼玉県は、言うまでもなくりそなグループの金城湯池の一つである。最近「あさめぐ」以来のりそなめぐりの記録を見直している私は、自分が「めぐ」で回った全拠点の写真を撮り溜めておこうとしているが、それに利用できると今回思いついた。

 かくして「“埼玉県民の日”に埼玉県内を巡る計画」が始動した。

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2008年01月15日

新連載「りそめぐ2007秋 『埼玉県民の日』に埼玉県内をめぐる」のお知らせ

 当ブログ「MEGU」で、1月18日(金)から新連載を開始します。
 今回は、11月14日の「埼玉県民の日」に、埼玉県西部〜北部を中心にりそな・埼玉りそな銀行の15店舗をハシゴした体験記です。本当はきり良く14日から始められればよかったのですが、予想外に難渋してしまいました。
 分量は400字詰原稿用紙で150枚程度となる見込みです(現在も内容調整継続中)。例によって、1日1本のペースでダラダラと掲載していきます。多少の脱線もありますが、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。

りそめぐ2007秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる

 新連載「りそめぐ2007秋 『埼玉県民の日』に埼玉県内をめぐる」のお知らせ(2008.01.15)

2007.11.14(水)
−2 プロローグ「県民の日」とは何か
−1 めぐの計画を立てる
 0 日没と小鹿野をめぐる難問
 1 急遽、東京都で1か所増やす
 2 東村山市とりそな銀行
 3 さらば東村山、おはよう所沢
 4 タワービルが林立する所沢旧市街
 5 りそなグループと所沢市との関係
 6 一大痛恨事発生
 7 ショックの中、小手指支店へ
 8 区画整理の進む武蔵藤沢
 9 9時、入間支店に入る
 10 かつて入間市に「道徳銀行」ありき
 11 一か八かの大勝負
 12 とりあえず取ったものの…
 13 リカバー成功
 14 我が取引店、飯能支店へ
 15 西武池袋線が「西武線」になった理由
 16 満州と放出
 17 せわしない食事を終えて
 18 秩父支店を再訪
 19 小鹿野への道
 20 小鹿野支店を再訪
 21 小鹿野に未練を残しつつ
 22 山間部であえぐ(?)皆野支店
 23 荒川に沿って平野に出る道
 24 変わりがたきものを変える、ということについて思いつつ
 25 静謐な城下町・行田へ
 26 キャバクラ、ファミレス、そして銀行
 27 経済の中心地だった忍
 28 『田舎教師』のふるさとを行く
 29 いよいよ最終目標へ
 30 さらに熊谷市へ向かう
 31 熊谷支店制覇、15店の制覇完了
あとがき


posted by 為栗 裕雅 at 22:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 告知板 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月03日

ブログ内での記事再編について

 私は、公表していないものも含め、ブログを4つ運用しています。これらはいずれも設置してから相当の年月が経過したため、ブログのコンセプトと記事内容とがマッチしていないものが見受けられるようになりました。
 そこで、新年を機に、これら複数のブログ内で記事の再編を行うことにいたしました。

 第1弾として、「遊牧民のゴタク」に掲載されている「第四めぐ2005」のカテゴリを、まるまる「MEGU」に移動します(「MEGU」でのカテゴリ名称は「第四めぐ 2005年」とします)。2005年に新潟県内で第四銀行の店舗をハシゴした体験記で、「MEGU」の設置以前に掲載したものですが、「遊牧民のゴタク」は個人的エッセイに特化するつもりのため、今回移動させます。
 移動には数日かかる見込みです。ただ移動するだけでは面白くないので、道中撮影した写真をわずかですが追加します。これを機会に再読いただければ幸いです。

 これ以外のいくつかについては、内緒で動かします(^^;)

【2008.09.15追記】告知してから随分長くかかりましたが、「第四めぐ2005」の記事移動が完了しました。
posted by 為栗 裕雅 at 17:49| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 告知板 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ一覧(過去の連載など)
関西みらい(5)
単発(12)
告知板(24)
大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇(62)
銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇(29)
りそめぐ2013梅雨 大阪市営バス“最長”路線[93]を行く(43)
りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇(51)
りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇(35)
りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇(8)
りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた(18)
りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動/銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇(20)
りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー(11)
りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ(47)
りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇(51)
りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
りそめぐ2007秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる(35)
2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)