2009年02月20日

あとがき・参考文献一覧

 「りそめぐ2008夏 『近畿大阪めぐ』スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇」、2月19日をもって完結いたしました。
 最後までお読みいただいた方には、例によってダラダラと続いた連載にお付き合いいただき、御礼申し上げます。あとがき等も含めた分量は、最終的に300枚弱(400字詰原稿用紙換算)となりました。

 触れられなかった情報もあるものの、近畿大阪銀行と「近畿大阪めぐ」に関しては、今回の連載である程度把握いただけたと思います。相当量の情報をかなりの密度で盛り込みましたが、まだ書いていない内容を思いつくままに挙げると
  ・旧大阪銀行のこと。
  ・旧大阪銀行本店、本町営業部と梅田支店。
  ・旧福徳銀行のこと。
  ・茨木サニータウン出張所の通帳表記について。
  ・歴史的建築の岸和田支店。
  ・桜餅の「道明寺」。
  ・いかるがと法隆寺。
  ・近畿大阪しか民間金融機関のない堺市美原区。
  ・近畿大阪銀行そのものの小史。
ぐらいでしょうか。これらは今後の課題としたいと思います。

 私の義理の従姉・Kについて少し触れておきたいと思います。中学校の教師をしていて、私と同年生まれ。早生まれですので、私の1学年上にあたります。昨年8月末に会った際、彼女がJR片町線の沿線に住んでいることから、書きかけのまま放置していた「近畿大阪めぐ」の話題が出ました。彼女は私より数か月早く「大台」に乗った「先輩」で、その立場から語ったところによると、30代と40代とでは意識の面で大きな違いがあるそうです。私自身が11月には大台に乗ってしまうことから「何か贈る言葉を」と水を向けると、「30代のうちに何か一つ完成させよう」と言われました。
 この一言で私は、近畿大阪めぐ記の締切を2008年10月一杯と決めました。こんな会話をしたのを彼女は既に忘れているでしょうし、結局10月末での「完成」など思いもよりませんでしたが、ともあれ本「めぐ記」の“早期完成”は従姉と交わした何気ない約束に負うていますので、そのことは書き留めておきたかったのです。
 え、たかだか300枚の原稿に5か月もかかって「早期完成」かって? それは言わぬが華というものだぜ…。

 連載期間中には、シーサーブログの仕様変更により体裁が大きく乱れるトラブルがありました。ブログの記事のアップロードも不調で、特に2月には翌日の昼まで記事が出ないことがあってご心配をおかけしました。切手つきの返信用封筒を同封しての照会に返信を下さらなかった某第二地銀もありました。また、配送車に悩まされた片町線長尾駅前のセブンイレブンは昨年11月頃に閉店したようです。
 社会は日々流転しています。特に男は、40歳という年齢は厄年にあたりますし、実際、身体的・精神的な変調や社会的・金銭的な打撃など、信じられないような災難が次々に降りかかってきていると感じます。厄年など迷信だと思って軽視していたのですが、人の一生には人生の流れが大きく変わる潮目の時期が確かにいくつかあって、それを「厄年」という言葉で言い表したのだと認識を新たにしました。
 さまざまな思いが去来しますが、この連載はこれにて終了します。この連載を数年後に読み返して「古い」と感じられることがあるかもしれませんが、あくまで 2008年7月の実体験と、その後の連載期間における「一面の真実」です。そういうものだと思ってお読みいただくことを望みます。
 この連載のような「文章を使っての自己主張」が、私の生き甲斐です。今後ともご支援・ご鞭撻をいただけますようお願いします。ご意見や情報提供をお待ちしています。このブログ「MEGU」は、コメント・トラックバックを歓迎していますし、私のメールアドレスも公表しています。
 次の連載は、準備が既に相当程度進んでいますので、近日公開できると思います。こちらもお楽しみに。

 なお、この連載の執筆にあたっては、以下のような書籍・webサイト等を参照いたしました。


参考文献一覧
紙媒体は発行年順、webサイトは本文掲載順(2009.02.15現在)
  『福徳相互銀行十年史』福徳相互銀行、1961年
  『近畿相互銀行20年史』近畿相互銀行、1963年
  『日本相互銀行史』日本相互銀行、1967年
  『大阪銀行二十年史』大阪銀行、1971年
  松本理作『峻しく楽しく永い道 松本理作回想録』福徳相互銀行、1979年
  『阪神相互銀行三十年史』阪神相互銀行、1980年
  『福徳相互銀行三十年史』福徳相互銀行、1981年
  メアリー・メイプス・ドッジ著、石井桃子訳『銀のスケート ハンス・ブリンカーの物語』岩波書店、1988年改版
  『近畿銀行五十年史』近畿銀行、1994年
  『協和銀行通史』あさひ銀行、1996年
  『大和銀行八十年史』大和銀行、1999年
  前田裕之『激震 関西金融』日本経済新聞社、2001年
  佐野真一『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』上・下 新潮文庫、2001年
  谷口米生『銀行は何故生き残ったか』きんざい、2003年
  小田部雄次 『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中公新書、2006年
  前田裕之『地域からの金融革命』日本経済新聞社、2006年
  GFC著、佐藤裕治監修『地理から見えてくる「日本」のすがた』中経出版、2007年

  『全国銀行店舗一覧』全国銀行協会連合会
  『日本金融名鑑』日本金融通信社、各年版
  『ニッキン資料年報』日本金融通信社、各年版
  『ニッキン』日本金融通信社、各号

  『星のまち交野』http://murata35.chicappa.jp/index.html
  「よくあるご質問」『四条畷市』http://www.city.shijonawate.lg.jp/h130101/fixed/s01/03/s010307.htm
  「『秘密のケンミンSHOW』第27回 (2008年)6月26日(木)放送」『読売テレビ放送』http://www.ytv.co.jp/kenmin_show/bn/2008/06/0626_himitsu.html
  「サンメイツとは」『大東サンメイツ』http://sunmates.net/about.asp
  『いずみホール』http://www.izumihall.co.jp/
  「『Leaders愛』2008/7/8放送 近畿大阪銀行代表取締役社長 桔梗芳人さん」『読売テレビ放送』http://www.ytv.co.jp/leaders/backnumber/2008/0708/080708.html
  「『NEWSゆう』特集 2005/03/30(水)放送 新・街シリーズ 香里ダイエー本通り商店街の憂鬱」『朝日放送』http://webnews.asahi.co.jp/you/special/2005/t20050330.html
  大友達也「あの弱かったイオンがダイエーを呑み込んでしまった。何故?」『社会科学』79号 同志社大学人文科学研究所、2007年 http://elib.doshisha.ac.jp/cgi-bin/retrieve/sr_bookview.cgi/U_CHARSET.utf-8/BD00011845/Body/007000790009.pdf
  「神社や忠魂碑にある砲弾について」『依代之譜』http://homepage3.nifty.com/ki43/
  『廃絶大名総覧』http://wolfpac.press.ne.jp/index.html
  「金融機能の再生のための緊急措置に関する法律第13条に基づく報告書」なみはや銀行金融整理管財人、1999年 「破綻金融機関の処理のために講じた措置の内容等に関する報告」『金融庁』http://www.fsa.go.jp/kokkai/kokkai_h1309/h1309.html

  フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

2009年02月19日

2008.07.23(水)(20)エピローグ 帰還

 ちょっと座って涼んでから行こうと思ったが、牧野支店はキャッシュコーナーに椅子がなかったので、このまま駅までバスで戻ることにした。支店前にある「関西医大前」停留所は上りのバス停が分からず、1つ駅に寄った「坂住宅前」の停留所からバスに乗った。18:19発、京阪バス枚方市駅北口行き。大きな前面窓からは夕日が真正面から差し込んできて、ギンギンギラギラ夕日が沈む、といった感じであった。
 枚方市駅に向かう途中で「三栗」という停留所を通った。これで「めぐり」と読む。「為栗の近畿大阪めぐり」第1回の最後を飾るにふさわしい。停留所近くには府営住宅などがあるそうだ。

 2日間の全日程を終えて、いよいよ東京に帰る。今回は往路で飛行機を使うという贅沢をしてしまったので、帰りはチープな交通手段でバランスを取る。夜行の激安チャーターバスである。
 今夜のバスは、ゆうべ泊まったカプセルホテルのインターネット端末で予約してある。公衆端末でクレジットカードの番号を入力する気になれなかったので、ネットではあくまで「予約」のみで、券そのものはコンビニの端末機で購入する必要があった。チケットの予約や販売を行っているタッチパネルつきの端末機。今回はローソンの「ロッピー」かファミリーマートの「Famiポート」が使用可能である。ファミポートはクレジットカードが使えないと思ったので【注1】、決済手段を(クレジットが使えるハズの)ロッピーに指定していた。
 実際の発券手続は古川橋駅前のローソンで行ったが、これが意外に曲者だった。端末操作がわかりにくく、さんざん苦労した結果、チケットをレジで発券してもらうための「予約券」というものが機械から出てきた。これをレジに持って行ってチケットに交換するわけだが、あきれたことに、予約券にはチケット代金の支払い手段が「現金のみ」と書いてあったのだ。クレジット決済希望だったからロッピーにしたのに、これでは何のためにコンビニ決済を選んだのか分からないではないか(念のため、ロッピーは通常はクレジットカードが使用可能である)。チケットが直接機械から出てくればよいものを、わざわざ「予約券」という形にしてレジで精算することで、クレジット精算ができなくなるとはどういうことだ。しかも、ローソンのレジもクレジットカードには対応しているのである。4000円弱の現金を持っていないわけではないが、ちょっと客を愚弄しているのではないか。
 私のような客を相手にするコンビニのお姉ちゃんも、予約券とクレジットカードを一緒に差し出す私に「クレジットは使えないんですけどよろしいですか」と尋ね、機嫌の悪い私から「しょうがないですね」とイヤミに近いことを言われて気の毒であった。

 今夜のバスは、大阪発ではなく、京都駅発である。京阪を京都方向に進むのだから、と安易に考えたのだろうが、「めぐ」をするため、荷物を淀屋橋駅のコインロッカーに入れている。何を血迷ったのだろうか。
 京阪の急行でいったん淀屋橋まで戻り、荷物を回収。その後地下鉄で梅田へ出た。奉職先用の土産品を買いたかったのと、今日は京阪にもう十分乗ったからということもある。梅田から阪急京都線で烏丸まで出て、地下鉄に乗り換えて京都駅へ。酒を扱っている売店を必死で探してビールを買ったのだが、バスの出る八条口へ行ってみると、24時間開いているキオスクのコンビニがあってがっかりした。せっかく北口で必死になって探したのに。
 バスには無事乗れた。今回のバスは非常にグレードが高かった。まず、車が新しい。車内では寝てしまうのだから、乗ってしまえば車両の新旧は関係ないようなものだが、それにしても、である。そして特筆すべきは、京都から乗るとすいていたことである。1人1シートを確保できた。つまり「同席者」がいなかったのだ。一部いたのかもしれないが、基本的には1台のバスほぼ全席で1人1シートであった。この状態でチャーターバスが走るとしたら、主催会社はおそらく大赤字ではないだろうか。でも、隣にワシャワシャと動く奴がいないというのが、どれだけ快適なことか。トイレ休憩は2回あったが、今回は全く起きなかった。目は覚めたのだが、いちいちPAに降りる気にもならなかったのである。そのぐらい熟睡できたということだ。
 終着の新宿駅西口には、到着予定時刻の6時より30分ほど早く着いた。バスを降りると、建設中のモード学園の建物【注2】が目に入る。モード学園といえば、5月に名古屋駅前で雑巾を絞ったような建物を見て度肝を抜かれたのだが、新宿の外観は少しおとなしいデザインになっている。おとなしいといっても、このビルを小田急線入口前から見たとき、ちょっと卑猥な形であると思わずにはいられなかった。数日ぶりに見た東京の空は、べったりと雲が覆っていた。

 【注1】Famiポートにもクレジット決済機能は存在する。但し、高速バスの代金には使用できないようだ。
 【注2】モード学園の建物:新宿西口、旧朝日生命保険本社跡地に建てられた地上50階建ての超高層ビル「モード学園コクーンタワー」。東京モード学園など3つの専門学校が入居する。東京都庁などを手がけた丹下都市建築設計の作品。2008.10.15竣工。


<りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇 完>

2009年02月18日

2008.07.23(水)(19)2日間のしめくくり、牧野支店

 商店会が終わったところから少し上り坂になる。道の両側に公園があって、樹木がたくさん植わっている。大学の吹奏楽部だろうか、管楽器をピーヒャラピーヒャラやっている。公園の横は大阪歯科大学の枚方分校だそうである。歯医者さんになる人たちの大学。「敗者」ではない。敗者どころか、私立の医歯薬系大学を出ているこの人たちは、よほど踏み外さなければ「勝ち組」であろう(嫌な流行語だ)。それはともかく、牧野という土地は、駅から徒歩圏内に関西医科大学と大阪歯科大学があって、駅前からのバスは摂南大学薬学部までつながっている。医歯薬系の大学が集中しているのは「お医者さんの卵の多いハイソな地域」といった地域イメージ向上の材料として使えないだろうか。思いつきだが、京阪電鉄の次の「おけいはん」キャンペーン【注】は「医大生の牧野けい子」などはどうだろう。医大が実在する牧野で医大生なら説得力がありそうに思う。それとも、リアリティがありすぎても却ってダメなのだろうか。
 歯科大の前で左カーブに入ったあたりから歩道はなくなって、30cmぐらいの幅の細い路側帯しか付いていない2車線道路になった。そこを車が結構ビュンビュンと飛ばしている。枚方市東消防署阪出張所のあるあたりから、街並みがちょっと古めかしくなって、牧野本町1丁目というちょっとした商店街になった。ようやく、近畿大阪の看板らしきものがはるか彼方に見えた。駅前商店街があってそこに銀行があって、というなら分かるけれども、近畿大阪は駅前の商店街をシカトして通り過ぎて、次にちょっとした商店街が現れたところにようやく支店がある。これが、(都銀とは違う)地方銀行・近畿大阪銀行の店舗網なのであろう。でも、あのスケールの商店街なら牧野駅前に営業店があってもよいと思う。
 バス停がある。京阪バスの「坂住宅前」。さっきの消防署とは違い、こちらのサカは土偏である。このバス停からは京阪牧野を通って枚方市駅北口へ抜けるバスが30分に1本ぐらい出ているが、さっき上りのバスとすれ違ったから、枚方方面はしばらく来ない。バス停の先には、滋賀銀行の牧野支店がある。滋賀県のトップバンクも、いざ県外に出るとこのように旧相互銀行と同様の不利な場所に店を出すことになる(近畿大阪銀行牧野支店は、近畿相互銀行牧野支店として1970年12月に開設された)。滋賀県湖西のマキノ町(現高島市)と混濁しないのかと思ったが、滋賀銀はマキノに「マキノ支店」はないようだ。
 滋賀銀の先にあるT字路の角、一軒家が建ちそうなぐらいのスペースをつぶした5台分の駐車場は、近畿大阪の駐車場である。ここまで来ると、近畿大阪の縦型看板がはっきり見えた。支店前の土地は緑が鬱蒼と茂っている。関西医科大学のキャンパスである。そういえば、さっきバス停近くにあった商工地図には、この先にある関西医大について教養「学部」と書いてあった。もちろん「教養部」の間違いである。

 支店に着いた。既に営業時間を過ぎて、正面のシャッターが閉まっている。名前は知らないが、鉄の棒だけでできているハシゴのようなタイプ。というわけで閉まっていても中はよく見える。建物前面に相当太い柱がついていて、その柱に鉄棒シャッター(?)が仕込んである。支店の目の前には「関西医科大学」というバス停がある。
 キャッシュコーナーには機械7台分の枠があって、両替機1台とATM(AK-1)が5台。一番右の枠だけ空き枠になっている。内装はピンク色の壁紙で、それに合わせて行灯はメタリックピンクというか紫というかベージュというか、そんな色のプレートになっている。中から照らしている文字の部分だけブルーだった。そういえばこれは寝屋川支店と同じ配色であった。キャッシュコーナーの右側は貸金庫室の扉である。室内には「近畿大阪銀行をご利用いただきましてありがとうございます」とかいう商品宣伝ではなく、クラシック音楽が流れていた。
 18:06、本日最後の、そして2日間最後の目標となる、牧野支店を制覇した。取引終了の後、通帳記帳を行う。口座を作ってから預金取引はほとんどしていなかったのだが、通帳は2日間で一気に3ページ目まで進んでいた。

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 【注】おけいはん:京阪電鉄が2000年12月から行っている、沿線イメージキャンペーンのキャラクター。「京阪」と「お・けい・はん」(共通語の「けい子さん」)をかけたネーミングで、ストーリー性のある設定が話題を呼んだ。初代のOLと2代目の教師とを経て、2006年11月から始まった3代目は「音大生の森小路けい子」という設定。

2009年02月17日

2008.07.23(水)(18)枚方市街から牧野へ

 いよいよ、最後の目的地・牧野に向かう。牧野は枚方市から2つ目で、京阪電鉄の大阪府の極限・樟葉(くずは)の1駅手前である。
 17:40発の準急樟葉行きに乗った。夕方のラッシュに突入したようで、下り電車の混雑度は一気に高くなっていた。といっても、全席ほぼ埋まっている程度である。
 枚方市駅を出ると、車窓からは空き地や畑なども目にするようになった。枚方のあたりまで「大・大阪」が続いていて、ようやくこのあたりから郊外に入ってくる感じである。枚方市の隣駅・御殿山には、近畿大阪のなみはや店舗・御殿山出張所(旧福徳銀)が2004年9月まであったが、既に統合されている。今日は京阪のほぼ全駅で降りているような気がするが【注】、それでも枚方あたりまで来ると、銀行が商売できない駅がそろそろ出てくるのだろう。逆にいうと、全駅で乗り降りしている古川橋から光善寺までの間が、銀行としては最も商売になるエリアということになる。
 牧野に17:44着。牧野は地平の対向式ホームの駅である。地下の改札へ降りると、地下の駅なのかと思うぐらいに光が射していた。光がコンコースに差し込むぐらいの半地下駅なのであった。改札を出てみると、半地下構造なのは線路の西側だけで、東側に上がる階段は踊り場を1つ含んでいる。地形的に結構なアップダウンがあるようだ。東側に出ると階段を上がったところに川(穂谷川)が流れていて、駅前通りに通じる橋がかかっており、ホームも川の上にかぶさっていた。駅前には「京阪ザ・ストア」や「ライフ」といったスーパーがあるようだ。

 地上に出る前に、駅から東に延びる道をコンコースの案内地図で確かめた。駅周辺の金融機関の中で最も遠いのが近畿大阪で、牧野駅から東へ700mほどの関西医科大学前らしい。駅前には郵便局があって、その他の金融機関がそのそばに2つあり、ちょっと離れたところにもう1軒。駅の近所のうち1つは京都銀行だったと思う。「ちょっと離れたところの店」は滋賀銀行だったか。
 線路と直交する駅前の目抜き通りは、黄色いセンターラインが引いてある2車線の道路で、「牧野駅前商店会」という商店街がずっと続いている。夕方のこの時間で人通りが多いとは感じられなかったから、商店街としてはやや斜陽なのだろうか。駅前には前述のとおり京阪ザ・ストアがあって、その中にミスタードーナツが入っている。牧野駅で降りたのは今回が初めてなので、このミスドには来たことがない。
 東に歩みを進める。住友銀行の店舗外ATM(だった)建物があり、「移転のお知らせ」が貼ってあった。車1台分ぐらいの駐車場を持つ、平屋建ての結構しっかりした建物である。くずは支店管轄だったようだが、先週の金曜日で営業を終了して近所に移転したようだ。その斜め向かいには、「三和銀行」という文字を剥がした跡がくっきり残った三菱東京UFJ銀行の店舗外ATM(くずは支店・牧野駅前)。三井住友の移転先と、りそな銀の店舗外ATM(枚方支店・牧野駅前)が隣り合っている。りそなもくずは支店を持つのだが、りそなだけは母店が枚方支店になっている。枚方牧野駅前郵便局と京都銀行牧野支店とが並んでいる。京銀の向かいにマンションが建っていて、その手前側に枚方信用金庫牧野支店がある。マンションの1階にあるように見える枚方信金の支店は、マンションとよく似た外観の別棟であるようだ。
 駅前通りは300mほど直進し、右にゆるやかにカーブを描いている。それが終わると今度は左にカーブしており、近畿大阪はその先にあるハズだ。両側に鬱蒼と茂った森のようになっているのが見える。公園だろう。それを抜けた先のハズだから、あと5分ぐらいは歩くのである。700mという距離はそんなに遠くはないハズだが、それでも疲れてくるとやはり遠く感じる。
 この近辺は地形の起伏が結構あるようだ。道の左側は2mぐらい落ち込んでいて、その下は駐車場(トップワールドというスーパーマーケット)である。掘り下げるなどの土木工事をしなければ平らな土地が確保できないのだ。ちょうどこのあたりで牧野駅前商店会の商店街が終わる。あくまで「商店会」が終わりというだけで、ここまでくると商店「街」としてはもう形をなしていないようだ。

 【注】この日乗降しなかった駅(京橋〜牧野間):野江・関目・滝井・土居・西三荘・門真市・枚方公園・御殿山。20駅中8駅。

2009年02月16日

2008.07.23(水)(17)枚方支店を制覇

 次に向かおう。
 だいぶ日が傾いてきたものの、相変わらず気温は高い。光善寺駅前のローソンで買ったあずきバーがたちまち汗をかいた。目的地はあと2か所になったが、この調子でいけば最後の目的地・牧野支店(枚方市)が6時過ぎには終わる感じで、どうにか今日のプランは完遂できそうだ。次の目標は、光善寺から2駅目の枚方市。ここには枚方支店がある。
 光善寺から枚方市までは5分ほどで着いたけれども、枚方市に着いてホームに冷房付きの待合室を見つけ、中に入ってつい座り込んだ途端、ウトウトと眠り込んでしまった。目を覚ますと17:20になっていた。枚方市駅は、支線の交野線の分も入れて島式ホームが3本と、規模の大きな高架駅である。東出口を出たところにコミュニティFM局のサテライトスタジオがあって、生放送中らしく、ちょっと懐かしい槙原敬之の「ハングリースパイダー」が流れていた。
 枚方市駅前にはりそな銀の枚方支店があって、それも含めると数回訪れているから、近畿大阪の枚方支店が駅前広場の大阪寄りにあるのは分かっている。駅の外に出ると、既に日がだいぶ西に傾いていた。この時間の日差しは、光がなんとなく赤みがかっている感じがする。夕焼けというわけではないが、赤い光が多いのだろう。
 枚方支店の内装は、昨日見た長尾支店の原型のような感じであった。蛍光灯の入った箱は、一つひとつのATMの上ではなくて、5台分まとめた幅の広いものがついている。その下に「お預け入れ」「お引き出し」というプラスチックのプレートが貼ってあるが、(明朝体ではなく)ゴナ系のフォントを使っているのでちょっと新し目に見える。でも、やはり旧相互銀行の古めかしい店舗という印象はぬぐえないようだ。もちろん批判しているのではなく、こうしたことに遭遇するのも銀行めぐりの味わいの一つである。5台のATMは全てAK-1であった。17:30、枚方支店を制覇した。
 枚方支店は旧近畿銀行の店舗で、もとをたどると交野無尽金融の枚方支店であった。住道支店と同様、1926年に開設された2支店のうちの1つである。国策合併により近畿無尽が発足した後、本店など大阪市内の枢要な店舗が戦災で焼失したため、枚方支店には本部機能の一部(総務部・経理部など)が置かれていたことがある。昭和初期に建てられた鉄筋コンクリートの建物を長いこと使っていたが、1976年3月現在位置に雑居ビルを新築して移転した。

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2009年02月15日

2008.07.23(水)(16)戦争となにわ銀行

 枚方支店光善寺駅前出張所は、1972年2月に大阪相互銀行光善寺支店として開設された。「旧なみはや店舗」であり、かつ守口きんだ支店とともに近畿大阪銀行に2店舗だけ残る旧なにわ銀行の店ということになる。
 2001年2月近畿大阪に営業譲渡され、店名はその際に光善寺駅前支店となった。ここはどう考えても「駅前」ではないと思うのだが、そうわざわざついているのは、営業譲渡時点で近畿大阪に光善寺出張所(旧近畿銀、1989年12月開設)があったためである。光善寺駅前支店は、駅寄りにあった旧近畿銀の出張所を2001年10月に統合した後、2004年11月に枚方支店の有人出張所に変更されて現在に至っている。

 出張所の駅寄りのところに保育園があって、プールでは園児がギャーギャー騒いでいる。もとい、歓声をあげている。もう夕方5時近いのだが、ここは幼稚園ではなくて保育園だから、働きに出ている親が迎えに来るまでは園内で遊ばせておかなくてはならないのだろう。
 店の真正面に、忠魂碑が建っている。「忠魂碑」の文字と、揮毫した人の名前が陸軍大将鈴木ナントカ書とあるだけだ。忠魂碑は主に在郷軍人会が建てた戦没者の顕彰・慰霊碑で、日露戦争から満州事変〜支那事変を経て多数が建設された。その地元に縁がある将官に碑文を書いてもらったものが多く、戦後はGHQの指示で多数が撤去されたという。忠魂碑を見ていて思ったが、なにわ銀行というのは不運な銀行だったと思う。規模が小さかったがゆえにどこかと合併せざるを得なかったのだが、その合併相手として福徳銀行を選んだために、結局蹉跌してしまったからだ。その意味で、金融戦争に敗れた戦没者と言えるだろう。
 とはいえ、最終的に近畿大阪に合流したというのは、ある意味運命付けられたものだったのかもしれない。第二地銀だったなにわ銀行は、近畿銀行と同様に戦前の無尽会社が起源である。近畿銀の前身であった近畿無尽が戦時中の国策により誕生したことは前述した。この時の政策は「1県1社主義」で、1つの業態は1つの都道府県につき1社に統合する、というものだった。例外的に首都圏と近畿圏は広域で1社を目指しており、これに従って首都圏では南関東と甲信越の無尽会社が大日本無尽に一本化された(日本相互銀行、太陽神戸銀行などを経て現三井住友銀行)。
 近畿無尽は大阪府と奈良県の無尽を1つにまとめたもので、その後京都府と兵庫県も合流することになっていたが、終戦により実現しなかった。このように、戦時統合はかなり強力に推し進められたものだったのだが、その中で1つだけ例外があった。大阪府の無尽会社のうち、なにわ銀行の前身であった大阪無尽だけは戦時統合に加わっていないのである。これは、当時大阪無尽の社長をしていた西五辻光仲氏が華族(男爵)だった【注1・2】ためだとされている。戦時統合が平民の企業だけに強制されたのであれば当局の方針も随分といい加減なものだが、当時の華族にはそれをまかり通らせるだけの威厳があったようだ。ともあれ、大阪府下の無尽会社は最終的に近畿無尽と大阪無尽の2社となり、それぞれ1951年に相互銀行に転換して近畿相互銀行・大阪相互銀行となった。
 大阪無尽が戦時統合を免れたのは、果たしてこの会社にとって幸いだったのか。そう思えてならない。というのは、大阪無尽〜大阪相互銀行は、大阪の相銀としては最後まで規模が小さいままで、結局バブル崩壊後に他行との合併に活路を見出さざるを得なくなったが、その相手がよりによって、バブルに踊った銀行の代名詞とされた福徳銀行だったからである。
 「営業譲渡」という形ではあったが、強力な戦時統合においても果たされなかった大阪府下の無尽会社の統合は、戦後60年近くを経てようやく実現したことになる。忠魂碑というか「墓標」を、かつてなにわの本店がそばにあった大阪・靭公園にでも建ててやりたい気がする。なにわの本店は、大阪無尽が1940年に堺市から移転してきて以来、現大阪市西区靱本町にあった。1992年7月に建築された最後の本店は、関西アーバン銀行が大阪西支店として使用している。

 【注1】華族:明治初期から大日本帝国憲法廃止まであった特権的貴族階級。1869(明治2)年、それまでの公卿・大名をともに華族と呼ぶようになり、1884年華族令の公布で特権的身分となった。それぞれの家格や功績に応じて公・侯・伯・子・男の5つの爵位を与えたもの。その後、政治・軍事・文化・学術などでの功労者や実業家・僧侶・神官なども華族に列せられ、1947年の制度終焉時には889家あった。
 【注2】西五辻家と男爵:男爵は明治維新の後に華族に列せられた者に与えられた爵位。西五辻家は26家ある「奈良華族」のうちの一つで、奈良興福寺の院家・明王院の住職をしていた公家の子息・西五辻文仲(にしいつつじ・あやなか)が、明治維新後に還俗して華族となったもの。(院家=分家のようなもの、公家=朝廷に仕える人々、還俗=一度出家した者がもとの俗人に戻ること。)

2009年02月14日

2008.07.23(水)(15)光善寺駅前出張所を制覇

 香里中央支店のある商店街は、みずほ銀行香里支店(旧第一勧銀)の東側で踏切になっている。警報機がカンカン鳴るのと同時に、ジリジリとベルが鳴っているのが聞こえるから、この踏切にはかつて踏切小屋があったのだろう。踏切の手前で左に曲がり、線路沿いに香里園駅まで戻る。次の目標は、寝屋川市を離れ、枚方市の光善寺駅前出張所である。「寝屋川市を離れ」といっても、次の目標は隣の駅である。
 京都・出町柳行きの各駅停車で2分、光善寺には16:33に着いた。急な右カーブの途中に対向式ホームがあって、進行左側のドアが開くとカントの影響で車両とのすき間が非常に大きかった。駅名の読み方はコにアクセントを置く「コうぜんじ」ではなく、ウゼのところにアクセントを置いて「こウゼんじ」というらしい。とにかく、近畿大阪はここに光善寺駅前出張所を置いている。
 エスカレーターを上って橋上駅舎の改札を出る。近畿大阪が駅の西側にあることは既に分かっている。西出口を出て少し行くと、国道1号と170号とが合流していて、地図で見るとものすごい形の立体交差になっている。それから、大阪市立高校というのがあるらしい。なぜこんなところに大阪市立の高校があるのかさっぱりわからないけれども。駅の東側には枚方信金の支店があるようだ。
 「西出口」の黄色い出口表示には、枚方市立サダ生涯学習市民センター(方面)と書いてある。「サダ」とカタカナで書いた部分は、実際には漢字の地名が入っていて【図】、サは蹉跌(さてつ)の蹉。かつて法学部に進学した友人に薦められて石川達三の『青春の蹉跌』という小説を読んだことがあるが、その結末は悲惨なものであった。ダは足偏の右側にうかんむりとカタカナのヒだから、御陀仏(おだぶつ)の陀と同じつくりの字(足偏のこのつくりの字はJISコードに入っていない)。というわけで、どちらもあまりいいイメージの字ではなさそうなのだが、漢字にはいろいろと深い意味があるのだろう。

 階段を下りるとぶつかる駅前通りは、京阪の線路と直交していて、踏切の向こうでは線路沿いを走る道にいきなりぶつかっている。線路沿いの道は本当に「線路沿い」で、踏切との間に余裕は一切ない。というわけで、駅前通りは車が通れる幅は持っているけれども、本当に車が来たら危険なので、踏切の前に取り外し可能な杭を打って車止めとしている。
 国道1号線に出るハズの駅前通りは、結構賑わっている商店街である。道幅そのものはそれなりにあるが、自転車がたくさん置いてあって通行部分が非常に狭くなっている。駅前にはレンガ色の雑居ビルが1軒建っていて、コンビニ(ローソンプラス)と弁当屋(ほっかほっか亭)、レンタルビデオ屋が入っている。後の調べでは、この近所には数年前まで旧関西銀行の支店もあったらしい。典型的な下町の商店街が駅前通りから横道に一歩入ったところにも続いていて、ナントカマーケットのたぐいと思われる個人商店の集まりもある。樹木が植わっていてセミが鳴いている。
 近畿大阪はどこにあるのだろうか。この商店街をまっすぐ来ると、駅からさほど遠くないところにあるハズなのだが。そう思っていると、右前方に屋上看板だけが見えた。店は国道沿いなのだろうか。支店の前までどうやって行けばよいのかと思っていると、道は突き当たって強制的に右に曲がらされた。駅から国道1号線にまっすぐ出ていくことはできないのだ。
 発見した。道なりに右折した先の右側である。出張所の前は国道1号線をアンダーパスする歩行者・自転車用の地下道入口になっている。近所にはJA北河内のサダ支店(字は前述のとおり)が見えた。
 もとは1972年の開設ということになっている光善寺駅前出張所は、それより古い建物を使っていると思えた。店頭の飾りタイルとガラスブロックをはめた壁、コンクリの打ちっ放しを中心としたデザインその他から、確証はないが1960年前後の築ではないか。建物の横に溝のように掘られている夜間金庫のスロットは、幅が70cmほどしかない。投入口は1mぐらい奥だから、小錦(古いな)あたりの体格なら売上金が投入できないかもしれない。もっとも、夜間金庫はりそな銀行ではやめてしまっている。近畿大阪はやめる風ではなさそうだが。
 店内に入る。内装は近畿大阪の標準スタイルに改装済みであった。機械は両替機が1台とATMが4台。ATMの内訳はAK-1が3台とJXが1台で、JXはリーダス銘であった。16:44、光善寺駅前出張所を制覇した。

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2009年02月13日

2008.07.23(水)(14)香里、大型SCに翻弄された町

 香里中央支店は、1970年12月に阪神相互銀行【注1】の香里支店として開設されたもので、1995年2月福徳銀行に営業譲渡されて同行香里支店となった。なみはや銀行の発足と経営蹉跌を経て、2001年2月さらに近畿大阪銀行に営業譲渡されたが、その際、店名に「中央」の2文字が追加された。個人的には方位とか「中央」とかは嫌いで「香里園支店」になぜしなかったのだろうと思うが、これはKOにもともとあった「香里」と名のつく営業店2店の中間に位置するためとも考えられる【注2】。
 阪神銀と福徳銀は、店舗を相互に営業譲渡しあう「店舗交換」を1994〜95年にかけて行った。バブル崩壊により関西地区の地域金融機関はおしなべて打撃を受け、傷が特に深かった福徳銀と、それなりの傷を負った阪神銀も、店舗の削減などお定まりのリストラを行うことになったものである。福徳は阪神の大阪府内4店舗を譲り受け、代わりに兵庫県内の3店を阪神に譲り渡している。さらにその後、阪神銀が大阪市内に持っていた2店舗が福徳銀に譲渡された【表】。阪神銀は旧相互銀行の中でも戦後に発足した銀行で、同じく戦後発足の福徳銀とは親密だったようだ。

 香里園という町の特に西側は、大型ショッピングセンターの動向に翻弄されてきた。東側は陸軍造兵廠(軍需工場)の跡地に香里団地が開発されたのだが、西口側は高度成長期まで水田地帯であったという。香里園が劇的な変化を遂げた契機は、なんといっても1968年11月のダイエー香里店の開業であった。京阪香里園駅から西に300mほどの水田地帯の真ん中にオープンした、駐車場500台分を持つ4階建ての郊外型ショッピングセンターで、この型の店舗は(ダイエーにとってのみならず)日本国内でも第1号であった。当時は香里園駅の西側に改札口はなく、京阪電鉄はダイエーのオープンに合わせて西口を開設した。
 やがて、駅とダイエーとを結ぶ道沿いに商店が出店するようになり、一時は最大130軒もの専門店が建ち並んだ。これが「香里ダイエー本通商店街」である。商業施設、特にダイエーのようなスーパーマーケットのひざ元に商店街ができるというのは私の理解を超えているが、ダイエーに来るついでに訪れる客がいるのだという。ともあれ、ダイエー香里店の業績が順調に伸びたこともあって、両者は共存共栄を続けた。香里店は一時、ダイエー全店の中で売上ナンバーワンだったこともある。ピーク時には、駅から続く道は1日35,000人ほどの通行客があり、道路からあふれて水田に転落した者までいたという。
 そうした「ダイエーの裾野」に店を出したのは、個人店主ばかりではなかった。この商店街をターゲットとして銀行店舗が進出したのである。1970年12月に開設された阪神相互銀行香里支店は、その1つであった。同じ神戸市本店の神戸銀行が既にダイエー内に進出しており、神戸銀傘下にあった阪神相銀の支店開設では、神戸銀からそれなりのサポートがあったと推察される。神戸が事実上創業の地であったダイエーにとって、神戸銀はメインバンクの中でも特にきずなの強い銀行であったという。
 一時はダイエーの売上ナンバーワン店舗にまでなったダイエー香里店は、営業不振のため2005年8月閉店した。ダイエーが凋落した原因はさまざまだろうが、香里店に限っていえば、1978年3月にジャスコ(現イオン)が「寝屋川グリーンシティ」を香里園駅南1kmの地にオープンさせたことが直接の原因である。1970年代にダイエーと西友が全国企業として飛躍する一方で、当時のジャスコは地方スーパーの寄り合い集団にすぎず、商圏人口30万人の都市を基準に出店していたダイエーの大型店戦略にあえなく押しつぶされることが多かった。この結果、ジャスコは商圏人口3〜5万人という地方都市を中心に出店するニッチ戦略を採らざるを得なくなる。しかし、ジャスコはこれによって小さな商圏で圧倒的なシェアを握るノウハウを取得し、後の超大型ショッピングモール路線の下地を築いていった。ダイエー香里店は、いわば「満を持して」正面から挑んだ形のジャスコに客を取られ、閉店の頃には売り上げが半分にまで減少していたという。
 さて、寝屋川グリーンシティには、ダイエー香里店における神戸銀行香里支店と同じ形で銀行の支店があった。大阪銀行香里支店である。この支店は後に近畿大阪銀行香里支店となり、2002年4月に香里中央支店に統合されている。このあたり、実際のSCの盛衰と全く逆になっているところが面白い。近畿大阪は追い込まれて閉店したダイエー香里店近くの支店を残し、逆に追い込んだ側のグリーンシティにあった支店を廃止している。昨日の忍ヶ丘と同様に賑わいに敢えて背を向けているのか、それともリテールの営業としては駅前商店街の方が適切であるのか。私の印象では、香里に関して言えば後者が正しい気がする。

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 【注1】阪神相互銀行:1949.09頼母子講8講が合同し七福相互無尽を神戸市に設立。1951.10相互銀行に転換して七福相互銀行、1966.10阪神相互銀行に改称。1989.02普通銀行に転換して阪神銀行となる。1999.04.01みどり銀行(旧兵庫相互銀行、本店神戸市)を合併してみなと銀行に改称、現在に至る。設立直後に神戸銀行(現三井住友銀行)から経営支援を受けており、神戸銀傘下にあった。
 【注2】「香里」とつく営業店2店:いずれも旧大阪銀の店舗で、香里支店(香里園駅南1km、寝屋川グリーンシティ内)、香里支店香里ヶ丘出張所(香里園駅北東2km)の2店。香里ヶ丘出張所は2001年6月枚方支店に、香里支店は2002年4月香里中央支店に、それぞれ統合された。

2009年02月12日

2008.07.23(水)(13)香里園をさまよい歩く

 次の目標は、香里園駅(寝屋川市)近くにある香里中央支店である。
 香里園は、寝屋川市駅の京都寄り隣駅である。出町柳行きの各駅停車に乗ると3分で着いた。香里園16:01着。
 香里園駅は島式ホームが上りと下りでそれぞれ1本ずつある急行停車駅で、各駅停車と急行の接続が可能な構造をしている。各駅停車から降りる人は思いのほか多かった。橋上駅舎にエレベーターで上がろうとして箱に乗り込んだところ、あと少しで扉が閉まるというタイミングで、小学生の女児を3人連れた母親が無理やり乗り込んできた。ガキどもはうるさいは、ドアが閉まりかけている寸前のところで開けてやっても「すいません」の一言もないは。ひどいものであった。
 改札を出て右の方に行くと、東口の香里が丘団地方面。こちら側へはりそな銀行香里支店を取りに何度か来たことがあるが、今日は左(西口)に行く。こちらも実は、来たことが全くないわけではない。ミスタードーナツめぐりをしていた頃に、今はなきダイエー香里店の敷地内にあった1軒(現存せず)と、その先にあったもう1軒、合計2店舗制覇しに来たことがある。もっとも、今日はそこまでは行かない。近畿大阪銀行香里中央支店は、駅からすぐ近いところにあったハズだからだ。
 京阪電鉄の駅内ATMは京都銀行が展開していて、駅2階のコンコースには京銀がATMを1台置いている。京阪がやっているコンビニのアンスリーと、関西では珍しい気がするフレッシュネスバーガーがあった。駅前のロータリーに出ると、いかにも新しく整備された感じのロータリーがあって、高層マンションがドカンドカンと建っている。三井住友銀行グループの真新しい2つの香里支店が見える。三井住友銀は旧神戸銀、関西アーバン銀は旧関西銀である。目の前にはスターバックスだのツタヤだのローソンだのの入った商業ビル。その横には「みずほ銀行お客さま提携駐車場」と書いた看板がある。香里園には第一勧銀と富士銀と両方の支店があったが、この駐車場はどちらかの支店跡地だったハズだ。
 みずほの駐車場前を、ダイエー香里店があった方に歩いていく。商店街になっていて、香里ダイエー本通商店街というそうだ。姫路の「協和通り」のように、ダイエーが消えても商店街の名前としては残っている。車の走行だけは一応できるぐらいの道幅の商店街で、センターラインは引かれていない。ここは飲み屋などは多くないようで、人通りも若干少な目である。ただし、街灯とか電飾のたぐいは、さっきの寝屋川旧市街よりはたくさんあると思えた。

 近畿大阪が見つからない。以前、ミスド2店に行った帰りに支店を見た記憶はあったのに。商店街を来ればすぐ近畿大阪があるハズだったのだが、1本間違えたのだろうか。とりあえず1本大阪寄りの筋へ向かうことにして、直角に左に曲がりこんだ。
 このあたりは香里南之町という地名である。1本裏道に入るとアパートや個人商店ばかりで、道が細くて交通量も少ない。銭湯の煙突が見える。八百屋ではなく「野菜も売っている果物屋」のような店が、道にまで商品を広げて営業している。あとは昔懐かしいスタイルのナントカ市場、ナントカマーケットといった感じで個人商店が集まっている店もあった。但し、3階建ての一戸建てなど、ところどころに新しい建物もないではない。
 突き当たりを左に曲がったところで、ようやく近畿大阪銀行を発見した。左に曲がったということは、京阪の線路の方へ戻ったということである。ダイエー本通ではなく、1本南(大阪寄り)の商店街を来なければいけなかったのだ。道幅は車がかろうじて1台通れるぐらいだが、人通りはかなり多い。さっきのダイエー本通と交通「量」としては大差なくて、密度が高いというだけかもしれない。通りの名前は何というのだろうか。普通ならナントカ通りと書いてある商店街独特の街灯表示には、全部白いプレートがはめてある。特に名前はないのかもしれない。
 ようやく支店に到達した。キャッシュコーナーの枠は両替機+ATM4台分である。ATMはAK-1が3台あって、一番右が空き枠になっている。行灯看板は近畿大阪の標準スタイルで、プレートの色や文字の書き方なども同じなのだが、フォントが通常みられるゴナ系ではなく、マイクロソフトの丸ゴシック体(写植書体でいう「ナール体」に近いもの)になっているところだけがちょっと特殊といえる。
 16:13、香里中央支店を制覇。「中央」の名前に似合わず(?)小ぢんまりとまとまった支店であった。

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2009年02月11日

2008.07.23(水)(12)生活道路の先に寝屋川支店

 次の目標は、寝屋川支店である。寝屋川支店は1968年12月に近畿相互銀行寝屋川支店として開設された支店であるが、今日のコースでは珍しく「旧相互銀行的」な店舗立地となっている。寝屋川支店は駅から遠くて、京阪寝屋川市駅からは1kmくらい歩かなければならないのだ。
 15:15発の各駅停車出町柳行きに乗車。京阪は萱島で複々線が終わっていて、高架線の幅は狭くなっている。寝屋川車庫が右の車窓眼下に見えた。隣の席には何の帰りか知らないが女子高生がいて、制服のミニスカートをめくって痒いところをボリボリとかいていた。色気も何もあったものではない。寝屋川市のあたりでは「ロング化」が進んでいないらしく、昨日ミニスカの女子高生と遭遇したのも片町線東寝屋川駅付近だった。
 3分の乗車で寝屋川市に着いた。寝屋川市駅の北出口を出てすぐ、りそな銀行の寝屋川支店がある。せっかく来たので少しだけ寄ってみた後、移動開始。近畿大阪の寝屋川支店は、店舗一覧によると「京阪本線寝屋川市駅北西1000m」ということである。りそなの支店前から駅の北側の道を西へ向かい、京都信金のある角を右に曲がればいいらしい。
 駅前を流れている川は、寝屋川である。大利橋という橋を渡って、2車線の路側帯もない道をそのまま西にまっすぐ行く。駅前風景としては、びっしりと細かい商店街が続いている。居酒屋があったりスナックがあったり、ナントカエステとかファッションクラブとか書いてある店があったりするので、ちょっとピンク系の店が多いのかと思われる。そういうものに交じって、昭和初期の建築か、入母屋造りの古い民家などもあったりする。この付近は寝屋川の旧市街にあたるのだろう。アーケード街と、それから飲み屋街のようなものが混然一体となっている感じで、一言でいって雑多である。川がもう1本あった。橋の長さとしてはさっきの大利橋より短いけれども、川幅や深さはこちらの方が上だ。寝屋川に沿って流れる寝屋川導水路というものらしい。
 結構賑わっていそうな「ベルおおとし」という商店街アーケードがある。この地にあったなみはや銀の寝屋川支店(旧福徳銀)が、KOへの営業譲渡時に寝屋川大利(ねやがわおおとし)支店という名前になっていたのを思い出した。銀行めぐりでは、単に支店だけ見ていたのでは浅くて、その周辺をちょっと歩いてみるといろいろなことがわかる。福徳銀の寝屋川支店は、居酒屋とか飲み屋とかが多い地域にあったわけだ。寝屋川大利支店は、割合早い時期に寝屋川支店に統合になった。

 駅前から、体感では100mも来ただろうか。ここまで来ると、もう前方に京都信金の看板が見える。りそなの店舗一覧には駅から1kmと書いてあったけれども、案外遠くはないかもしれない。京都信金の寝屋川支店がある信号で右に曲がった。信号の角はこのあたりの名士さんの家らしく、塀には屋根がついていた。皮膚科の開業医らしいが、この地で古くから開業しているのだろうと思わせる相当な豪邸である。なぜか敷地の一部に赤く塗った祠が建っていて、お寺のマーク(卍:まんじ)が描いてある。鳥居のマークならともかく卍というのはちょっと合わない気がするのだが、これも神仏混交の一環なのだろうか。とにかく、祠を外に向けてつけた家があるんだよ、ということである。
 ここで「右に曲がった」はいいのだが、この先に本当に支店があるのだろうか。この道はもろに生活道路である。センターラインが引かれていないし、車の離合がようやくできるぐらいの道幅しかないからだ。しかし、しばらく進んでいくと、道はやはりこれで間違っていないと思った。なぜなら、「スーパー玉出」の黄色い看板が見えたからだ。派手な黄色の外装がしばしば話題に上るスーパー玉出(本社大阪市西成区玉出)は、大阪市を中心に50店舗を展開し、店の大半が24時間営業である。近畿大阪の支店はあのあたりだろう。ひたすら住宅だけしかなければ本当に心配になるところだが、スーパーのような「お金を使えるところ」が見えれば、銀行めぐラーとしては安心する。それにしても、車の通りはほとんどないが「飛び出し注意」「スピード落とせ」と、今となっては少し懐かしい看板が出ている。本当に子どもが飛び出してくるのであろう。
 住宅地が切れて徐々に店が建ち始めた、と思ったところで、商店街の看板のついた街灯がぽつぽつと立ち始めた。「池田本通り商店街」である。地名でいうと大利町が終わって池田東町に入ったのである。ここは確かに商店街ではあるが、当然のことながら駅前ほど賑わってはいない。とにかく車の通りのほとんどない道で、歩いている人の数も多くはない。
 そして、見えた。前方に近畿大阪の看板が。やはり寝屋川支店は本当にこんなところにあるのだった。近畿大阪は、池田本通り商店街と、何やら大きな通りとの角である。この大通りの向こう側は若葉商店街という別の商店街になっているが、道幅は変わらないのに車の交通量が全然違う。大通りを境に、向こうは渋滞すらしている。大通りを挟んで支店の向かい側には、スーパー玉出の寝屋川店が24時間営業をしている。右を見ると池田東町歩道橋というのがかかっていた。大通りの名前は池田秦線というそうだ。
 支店に入る。ATMの枠は7台分+両替機。一番左にオムロンJX、その右にAK-1が5台あって、空き枠が1つあって両替機、という並びである。内装は近畿大阪標準スタイルの行灯。ただし色はピンクのメタリックのような色になっている。この色がCI戦略上どういう意味合いで使われていたのかは謎だ。15:40、寝屋川支店を制覇した。

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2009年02月10日

2008.07.23(水)(11)萱島支店を制覇

 萱島駅の西口改札を出ると、目の前はコクミンドラッグの店になっていた。コンコースは2階というか中二階ぐらいの高さで、薬屋の隣は三菱東京UFJ銀行の店舗外ATM(大和田支店・萱島駅前)であった。
 階段を下りて外に出ると、目の前は「私鉄の小さな駅前」といった感じのたたずまいである。駅前広場などにはなっていないし、ロータリーにもなっておらず、本当に線路と並行に道路が通じているだけである。駅の周辺には雑居ビルが若干建っていて、喫茶店になっているとかブティックがあるとか、ごくごく小さい店が数軒並んでいる。
 駅前の通りを、線路に沿って京橋方向へ。車の離合ぐらいはできるけれども、基本的には1車線の道路である。たばこ屋がありパン屋があり、賃貸住宅の営業所とほっかほっか亭。その先に信号があって、角にはローソンがある。一応十字路になっているものの、向こう側は一方通行の出口になっているから、事実上T字路のようなものであった。
 はい、近畿大阪銀行を発見。信号を右に曲がったすぐ先である。駅から歩いて2〜3分、駅前とは言えないけれども、だからといって駅からさほど遠くもない。支店のあたりは普通の住宅地という印象だが、かなり年季が入っているようだ。銀行から奥に入ると、ちょっとした商店街になっているようだ。支店の向かい側は木造の古い民家で、外壁は煮しめたゴボウのように茶色い、というかほとんど真っ黒である。支店の隣にある花屋は、トタンの壁がさびさびであった。壁をトタン張りにしていることそのものが時代を感じさせる。
 表から見るとほぼ立方体に見える萱島支店の建物は、向かって左側、商店街に面した方の入口部分が増築されているようだ。表通り沿い、窓口室側の入口から店に入るが、キャッシュコーナーに用のある私はそのまま通り抜けてきた。萱島支店は「あいするブランチ」ということで、相談ブースが設えられて椅子が並べてあった。
 キャッシュコーナーに入ったところでちょうど3時になり、窓口室との境界では目の前でシャッターをガラガラと降ろして閉店されてしまった。キャッシュコーナーのATM枠は6台分あって、真ん中の4台分だけ機械が入っている。AK-1が2台と、JXが2台。JXは「リーダス」の銘が入っている。内装は旧大阪銀行のCI導入後のスタイルで、コバルトブルーの行灯がついていた。行灯の下の部分は鏡になっていて、そこにいろいろと細かな文字が白く印刷されている。いかにも地方銀行ぽいと思える文章であった。15:00、萱島支店を制覇した。
 萱島支店は、1969年11月に大阪銀行萱島支店として開設された。

 制覇の後、高架の下を抜けて、駅の反対側がどうなっているのか見に行ってみた。こちら側にバスロータリーなどが完備されているのかと思ったのだが、近畿大阪がある側と大差はないようだ。後で調べたところでは、駅前を流れる寝屋川の向こうにバスロータリーがある。電車が萱島に着く直前、右の車窓に珍しく大正銀行の看板が見えていた。大正銀の萱島支店はバスロータリーの取り付け道路に面したところにあるようだ。
 さっきのクスノキをご神体にしている萱島神社の鳥居が見えた。1980年に再興されたという神社である。コンビニ「アンスリー」の隣にある社務所の敷地には「参拝者以外立入禁止」と物々しい看板が出ており、パチンコ屋の景品交換所のような外観の社務所があった。手水(ちょうず)の使い方とか、参拝の仕方といった看板も出ていて、きれいに説明してある。90度のお辞儀を2回繰り返し、胸の高さでポンポンと手をたたいて拝み、そして最後にもう2回礼をする、というのが作法だそうだ。
 スズメの涙ほどの賽銭を入れて縁結びをお願いしておいたが、よく考えてみたら私はこれから3年間は厄年であるのだから「厄除け」をお願いしておくべきだったかもしれない。

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2009年02月09日

2008.07.23(水)(10)霊験あらたかそうな萱島駅へ

 次の目標は、寝屋川市の萱島(かやしま)支店である。
 団地センターと門真南支店との間にある交番は、門真警察署の千石交番というそうだ。その前の信号を渡ろうとしたら、左折車にクラクションを鳴らされた。私の方の信号は青なのだが、左折車の行く手を私が阻んだから、ということらしい。こういった手合いにはそのうち天誅が下る(と強く期待する)。
 さて、団地のバス停に戻ってきた。只今14:07である。京阪バスは地下鉄門真南行き14時20分発、京阪古川橋駅行き31分発、京阪守口市駅行き27分発、そして京阪大和田駅行きが14分発。京阪大和田行きが一番早いから、これに乗る。この団地からのバスは京阪大和田行きの本数が一番多くて、次が古川橋行きのようだ。なお、このバス停には京阪バスのほか近鉄バスも入ってきている。鴻池新田行きが休日に1本あるだけだが、どんな人が乗るのだろうか。
 私を乗せた京阪大和田行きの京阪バスは、乗り場からUターンで発進し、千石交番の交差点で右折した。交差点からすぐのところに、京阪バスの門真車庫がある。沿道風景は相変わらずの感じだが、今までとは違ってロードサイド型の店がかなり多くなった気がした。ただし閉店したところが多くて、商売としてはあまりうまく行っていないようだ。門真団地の近隣には東門真団地というのもあるようで、門真団地よりは少し新しいようである。「門真団地入口」の交差点で左に曲がると、少し行った所に枚方信金の支店がある。門真東支店だそうだ。このあたりの道路はどえらく混んでいた。
 巣本という五差路で斜め前方に左折。交差点近くには高架道路の工事現場がある。相当に規模が大きく、高速道路か何かを造ろうとしているようだ。後で調べたところでは、第二京阪道路といって、名神高速の京滋バイパスと近畿自動車道とを接続する道路になるそうだ。昨日星田駅から寝屋川団地に向かう途中でくぐったのも、同じ道の工事現場である。
 大和田駅が近づいてきた。大和田には天辻鋼球という会社のかなり大規模な工場がある。鋼の球ということは、ベアリングか何か作っているのか。その向かい側に、関西テレビがやっているスイミングスクールがある。金融機関は枚方信金・三菱東京UFJ銀(旧三和銀)・関西アーバン銀(旧関西銀)とあり、以上すべて大和田支店。みずほ銀の店舗外ATMもあって、旧第一勧銀の支店から変更されたものである。前後するが、三井住友銀は駅の改札横に旧住友銀の店舗外ATM[大和田駅]というのがある。りそな銀行は不思議と何もない。どういうわけかりそなは門真市内が非常に手薄である。
 三菱東京UFJの真ん前が、大和田駅のロータリーであった。この駅は高架駅で、高架下に改札と「エル大和田」という商業施設とがあって、そこからさらに階段を下りたところがバスロータリーになっている。ロータリーは首根っこというものがなく、べったりと駅前の道路に接している。三和の支店の隣にミスタードーナツが見えた。

 萱島には14:45に着いた。電車の窓から左側に、近畿大阪の看板はもう見えていた。
 さっきの大和田駅は門真市とか古川橋あたりと同じで、複々線の両端(各駅停車線)に対向式のホームがあるという構造だったのだが、萱島駅は高速線と各駅停車線にそれぞれホームがついているから、島式ホーム2本の駅ということになる。駅としては小駅に類するが、かなり多数の列車がこの駅止まりになっていたり、また天満橋から続く複々線区間もこの駅で終わっていたりと、重要度の高い駅である。
 萱島駅について語るときに絶対外せないのが、下りホーム【注1】にあるクスノキの大木であろう。京阪線の高架複々線化の際、そこにもともと生えていた大木を切らずにわざとそのまま残し、駅施設に取り込む形でホームの上屋をつけている。これを見るためには、やはり下りホームに行かないといけないが、それだけの価値はあると思う。この「萱島の大クスノキ」と、桜餅の「道明寺」について触れたいがために、私は「近畿大阪めぐ」のスタートが楽しみだったのだ。萱島は早速今日消化してしまうが、道明寺支店(藤井寺市)は後日の楽しみである。
 以前から興味はあったが、実際に萱島駅に来るのは初めてである。とりあえず高架駅なので下に降りた。コンコースにガラス張りの部分があって、大木が見えるようになっている。クスノキが生えているのは駅の北側である。根元に鳥居があって祠がつけてあるから、神社のご神体として機能しているようだ。
 エスカレーターもガラス張りになっていて、ホームには大木を見上げながら上ってくることになる。下りホームに来ると、京阪電鉄による「萱島の大クスノキ」という昔の高札のようなデザインの立て札が立っていて、大木が鑑賞できる。さびが浮き出ているから金属製の立て札だが、木で作ったような凝った外観をしている。立て札の記述【注2】によると、樹齢は推定700年。高さ約20m、幹回り7mあり、昔から「萱島の大クスノキ」として地域に親しまれてきた。1972年11月に始まった土居−萱島間の高架複々線の建設工事で萱島駅が高架駅となり、その際に樹木がホームと屋根を突き抜けるという形になった、という。
 なお、萱島駅にはもう1つ、高架複々線の竣工を記念して制作されたモニュメントというのがある。下りホームのエスカレーター下にあって、構想・彫刻富樫実と書いてあるが、とりあえず言及するにとどめておく。

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 【注1】京阪本線は、京都を出て大阪に向かう列車が「下り」である。
 【注2】立て札:記載の文面は以下のとおり(原文は縦書き)。
萱島の大クスノキ
 この大きなクスノキは、高さ約二〇メートル、幹回りは約七メートルもあります。樹令七〇〇年ともいわれ、昔から萱島の大クスノキとして地元の皆さんに親しまれてきました。
 昭和四十七年十一月、輸送力増強のため着工した土居−寝屋川信号所間高架複々線の建設の際、地元の皆さんのクスノキに寄せる尊崇の念にお応えし、新しい萱島駅と共にこのクスノキを後世に残すことにしました。特有の芳香を放ち豊かな緑を繁らせて人々にやすらぎを与えてきたクスノキをいついつまでも大切に育ててゆくため、ご覧の通り樹木がホームと屋根とを突き抜けるという、全国に例をみない姿となりました。
 駅を出てすぐクスノキの根元には、昭和五十五年夏に再興された萱島神社があり、ご神木のクスノキと共に地元の皆さんに親しまれています。
京阪電気鉄道株式会社

2009年02月08日

2008.07.23(水)(9)「あお」の門真南支店

 門真団地終点には、古川橋から20分ほどで着いた。
 バス停(降り場)があるところは団地建物のベランダの真ん前、つまり人の家の前である。2車線の道路があって、道の反対側が乗り場、そして団地のセンター商店街になっている。このバス通りに面した所だけでも、5階建てのいかにも集合住宅といった感じの団地の建物がズラッと15棟くらい並んでいる。もちろんその奥にもダーッと続いているわけで、だからそれなりに大規模な団地である。
 いずれにしても、バスを降ろされたのは団地センターの前である。近畿大阪はバス通りをさらに進んだ先である。信号のある四つ角に交番があって、交差点の向こう側に駐車場のように見える空き地がある(もとは駐車場だったらしいが)。支店はその先に建っている。府立門真なみはや高校というのが近所にあるようだ。
 ここは旧近畿銀行の店で、屋上看板が縦に長く、従って旧大和銀行グループの「Dマーク」が入っている【注】。旧大和銀のマークの水色を紫に変えただけの近畿大阪のロゴマークは、現在公式には使われていないのだが、だからといって正式に廃止したわけでもないらしく、わざわざ「積極的に」塗りつぶしてはいないようだ。寸詰まりの看板を使っていた店では、最初からDマークを入れていないところもあった。というわけで、看板等わざわざ新しいのに変えているわけではないけれども、新しく作るときにはもうDマークは入れないということになっている。なしくずし的に止めているという感じである。
 建物の外装は、壁は白一色、そして窓サッシはブルーで塗ってある。ブルーの色調は、子ども向けクレヨンの「あお」のような原色に近い感じだから、これでたとえば壁の部分を黄色に変えたら、子どものお絵描きのようになってしまう。建物はそんなに新しくはないと思うが、結構奥行きのある窓口室は「あいするブランチ」としてきれいに改装されているようだった。
 店内に入る。内装は昨日長尾支店で見たのとよく似ていた。ATMコーナーの最上部、旧協和式のパイプデザインであれば大きく数字が書いてあるところに、蛍光灯の入った箱がついている。ただし、この支店のものは断面が長方形ではなく、正八角形を半分にしたような形の6角形である。「お預け入れ」「お引き出し」等と明朝体で書かれたプレートがついているのは長尾と同じ。内装の色は長尾とは異なり白とブルーで、色調は前述したとおりである。この色が、機械と機械との間の仕切りや「お預け入れ」などのプレートの部分に使われている。5台あるATMは全部AK-1。機械の番号は、なぜか左から43215となっている。5番だけぽつんと場所が飛んでいても機種は同じAK-1なのだが、5番のところだけなぜか枠の幅が異様に広い。たぶん5番は昔は両替機か何かを置くスペースだったのだろう。13:59、門真南支店を制覇した。
 門真南支店は、1975年6月に近畿相互銀行門真南支店として開設された。

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 【注】屋上縦型看板の「Dマーク」:写真には写っていない。

2009年02月07日

2008.07.23(水)(8)古川橋から門真団地へ

 古川橋駅南口のロータリーは、真ん中に噴水があって、化粧タイルで覆われている。ケヤキだろうか、たくさん樹木も植わっていて、緑の多い駅前風景が広がっている。ダイエーの古川橋駅前店が見える。ダイエーは駅の反対側にも大型店舗(古川橋店)を持つ。
 古川橋には、都銀では三菱東京UFJと三井住友がそれぞれ支店を出しているが、珍しくりそな銀行は店を出していない(店舗外ATMすらない)。都銀で「珍しい」といえば、三菱東京の門真支店は旧三和ではなく旧三菱店で、東京三菱の店が単独でボンとあるのは関西では珍しい気がする。ATMの稼働時間は08:45〜19:00だそうで、都市銀行でこんな営業時間の設定になっているところがいまだにあるとは驚いた。りそなのように頑張らなくてもいいのはある意味羨ましいかもしれない。
 駅前のこちらはロータリーになっていて、三菱東京はロータリーに面した雑居ビル・京阪古川橋ビルの1階にもATMがある(大和田支店・古川橋駅前、旧三和銀)。その隣が三井住友銀行の門真支店(旧住友銀)。そして、なみはや店を引き継いだ形で近畿大阪がある。京阪沿線の近畿大阪はなみはや店の比率が高く、特に旧なにわ銀の店で2つだけ残る店は両方とも京阪沿線だ。

 次の目的地は、府営門真団地である。ここには門真南支店がある。古川橋駅南口から、京阪バス[5]系統、門真団地行きに乗る。南口から出るバスはこの系統しかないので、乗るべきは今停まっている「試験場前」行きをやり過ごした次のバスぐらいだろう。ちなみに、この古川橋という駅は、東京でいうと鮫洲や東陽町と同じ性質を持っている。運転免許試験場がこの駅の近所にあるのだ。
 さて、門真団地行きはやはり13:35までなく、どこかで15分ほど時間をつぶす必要がある。ちょうどいいから昼ごはんを食べよう。高架下のミスタードーナツには以前入ったことがある。セール乱発気味のミスドは、今日からまたセールであった。ミスドの隣には定食屋の「宮本むなし」とロッテリアがあるが、どちらも気が進まなかった。結局、駅前の三菱東京の隣にある雑居ビルの2階に「力餅食堂」を発見した。15分で食ってバスに戻ることはできるかどうかが危ぶまれたが、とりあえず入る。オーダーは力餅うどん590円。値段としては(昨日と同様)決して安くはないけれども、高いわけでもない。焼いたモチが3個入っていて、もちろん関西であるから丸モチであった。
 さあ門真団地行きに乗ろう。13:35発が待っていたのはいいが、エンジンを止めているではないか。ということはエアコンも止まっているということで、車内は猛烈に暑かった。この暑いのにうどんなんか食べてきたから、余計にそうである。バスにはかなりの立ち客がいた。大半は途中の免許試験場で降りるのだろう。
 バスは、古川橋駅前から南に向かう。2車線道路の両側には街路樹がびっしりと並んでいて、視界に入ってくる緑色の量は案外多かった。やがて府道15号線に入る。街路樹の並びは門真郵便局の先で切れた。名古屋でもないのに「スガキヤ」の店舗を発見した。やがて、運転免許ゼミとか写真屋とかいった店が並んでいる界隈に到達。さすがは免許試験場といった感じだが、不思議と代書屋は見られない。大阪府の試験場そのものは新しそうな立派な建物であった。
 免許試験場を過ぎると、倉庫とか町工場が多くなってきた。桑才のT字路で突き当たりを左折すると、三ツ島のあたりから純粋な住宅地になってきた。いくつかの角で右折したり左折したりを繰り返す。途中では何やら高架道路を建設中であった。やがて、箱型の集合住宅と給水塔が見えてきた。

2009年02月06日

2008.07.23(水)(7)古川橋支店を制覇

 次は、古川橋(門真市)に向かう。
 バスの時刻は非常に読みやすい。守口市駅と寝屋川市駅とを結んでいる京阪バスの[1]系統は30分に1本の運転。ということは、次に来る寝屋川市駅行きは、往路のかっきり30分後である。バスでも電車でも、降りてから次の出発までで30分取れれば、停留所や駅からよほど離れた制覇目標でない限り、余裕で制覇活動ができる。
 大庭住宅前からは、寝屋川市駅行きのバスは12:06発であるようだ。反対方向はどうかと思って時刻表を見ると、こちらも12:06発であった。行き先として「土居」と書いてあるから、守口市駅からさらに土居まで行くようだ。りそな銀守口土居支店のあった土居である。京阪沿線を大阪から京都方向に向かうという本来の趣旨からすれば、守口に戻った方がよいのである。しかし、単純往復は嫌いだという考えもある。いろいろと考えをめぐらせた私は、無定見だと自分でも思う。ついさっき「京阪沿線のめぐ」でありながら千林大宮から守口まで地下鉄で端折ったのを忘れたのか。
 結局、乗ったのは先に来た土居行きであった。今来た道を忠実に戻り、京阪守口市駅へ。大日の国道1号線との交差点で信号待ち。頭上をモノレールが走り抜ける。車窓の目の前は、土蔵と瓦ぶきの塀である。白壁は戦時中に塗装されたのか、真っ黒であった。だいぶ市内まで戻ってくると、さっきは気づかなかった古めかしい外観の守口小学校の校舎に気がついた。これは歴史的建築だろうか。市役所といい教育委員会といい、守口市の公共建築はだいぶ年季が入っている。
 乗ったのが土居行きのバスだったハズゆえ、「次は京阪守口市駅」というアナウンスがあったとき、ピンポンと思いきりボタンを押した。そこへ「終点です」というアナウンスが元気よく流れ、私は赤っ恥をかいてしまった。一体どんな運転系統になっているのだ。まあよい。無事に駅まで運んでくれればそれでよいのだ。
 守口市12:36発、各駅停車出町柳行きに乗る。古川橋には各駅停車しか停まらないからだ。入ったのが東出口だったので、乗った車両は一番前であった。
 車窓からは西三荘駅手前に「Panasonic」という看板が見え、その下には「松下電器」と書いてあった。西三荘にあるのは松下電器産業の本社である。「松下電器」の文字は、いよいよ9月一杯で見られなくなる。その向こうには大文字小文字まじりの「National」のロゴが見えている。これももうすぐなくなる。守口から門真にかけては「松下村」と呼ばれるほど松下電器関係の施設が林立しているが、2008年10月の「パナソニック」への商号変更で、創業家の名字と「ナショナル」のブランド名は一掃されることになった。さらにそこへ三洋電機まで合併するそうで、「松下村」はこれから先どうなっていくのだろうか。松下本体のみならず、この地区には松下に関係する中小企業が多数あり、そこに関係する個人も多数いる。企業城下町では、親会社の動向が関係企業の業績や個人の人生にまで影響を及ぼすのである。
 西三荘に停車したところで、隣の通過線を枚方市行きの急行が通過していった。高架だった線路は、門真市駅で地平に降りた。

 12:41、古川橋に到着した。複々線の両端が各駅停車線になっていて、その外側に対向式のホームがついている駅である。2階のコンコースまで降りてくると、成協信用組合の支店が見えた。京都寄りにあるこの駅唯一の改札を出たところに、OMCの銀行ATMがある。東京スター銀行の「ゼロバンク」で使われているのと同じ、オレンジ色の機械が2台置いてあった。
 近畿大阪があるのは南側ということだが、先に、駅の北東側に見えたローソンに向かう。ローソンの多機能端末「ロッピー」で今夜のバスチケットを確保してから、と思ったのである。用事を済ませて駅のコンコースを反対側へ抜けたのは、結構時間が経ってからだった。実は、ちょっと一悶着あったのである。「エピローグ」あたりで詳述しよう。
 近畿大阪銀行は、駅南口ロータリーの首根っこに建っている雑居ビルの中にある。右隣のテナントはソフトバンクの携帯ショップ。左隣はパチンコ屋であった。例によって写真撮影から、と思ったところ、店の前で中年男性が携帯電話で通話していて、なかなか動いてくれない。しびれを切らしていたところ、彼とたまたま目が合った。目配せをしてジェスチャーで動いて欲しいと伝えると、快くどいてくれた。
 ATMの枠は5台分で、両替機プラス「AK-1」4台で埋まっていた。ここは入口の自動ドアを入ると風除室のようになっていて、もう1枚自動ドアがある。風除室に「駐車場のご案内」という看板があったが、「なみはや銀行」と大きくロゴが入っているのを、近畿大阪銀行というシールで隠してあった。内装は、行灯の部分はごく普通の近畿大阪の標準スタイルで、プレートもブルー。機械と機械の間の、壁というか仕切りになっている部分は赤茶色に塗られていて、それが珍しいといえば言えるかもしれない。「あいするブランチ」ということで、窓口室の奥の方には茶飲み話のできるスペースがしつらえてあるようだ。13:10、古川橋支店を制覇。
 古川橋支店は、福徳相互銀行古川橋支店として1984年4月に開設された。銀行名は福徳相互→福徳→なみはや→近畿大阪と変わっている。近畿大阪の門真市内の店舗は、本家にあたる門真支店(旧近畿銀、1964年12月開設)が京阪門真市駅前にあったが、2002年5月に古川橋支店に統合されている。

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2009年02月05日

2008.07.23(水)(6)守口キンダーガルテン

 守口市駅から20分ほどの乗車で、大庭住宅前に到着した。バス停は関西アーバン銀行金田(きんだ)支店(旧関西銀)の前である。銀行のあるこのあたりだけ、ちょっと一戸建ての個人商店の密集度が上がった感じがするが、立地の感じとしては今までとは大差ない。道路にはセンターラインが引いてあるが、消えてしまっている。でも、ラインが消えても困らない程度の交通量しかない、のどかな生活道路なのである。関西アーバンの隣はコンビニのデイリーヤマザキで、「コンビニ建築」とでもいうのか、コンビニの独立店舗に特有の四角い平屋建ての建物である。
 デイリーヤマザキの駐車場から、木々に隠れてほんのちょっとだけであるが、近畿大阪の看板が見えた。商店が多少あるとはいえ、ここは基本的には住宅地の真ん中で、こんなところに銀行の支店が2軒もあるというのが信じられない気がする。支店に向かって歩いていくと、茶色い壁に金色の紋章をつけた、一乗寺学園という3階建てのビルが建っていた。産休明け(生後2か月〜就学前)を対象とした保育所だそうだ。金田だけにキンダーガルテンである【注】。
 守口きんだ支店は、キンダーガルテンの先の目立たないところにあった。建物は、全体としては2階建てか3階建てなのだろうが、道路に面した所は平屋建てに見える。非常に変わった作りをしていて、細長い平屋建ての建物2棟を、90度ずらして重ねたような形をしている。大阪相互銀行は何という形の建物を作ったのだろうか。とにかく、建物の形が非常に面白かった。なお、2階部分の下は、全部コインパーキングになっている。
 店内に入る。ATMは4台あって、一番左がリーダスのJX、残り3台がAK-1であった。内装は初めて見るスタイルのATM枠で、ゴミ入れとか上の行灯とかが全部セットになったグレーの枠。正面から見ると、段ボールを櫛の形に切って貼り付けたような平面的な外観である。行灯の部分と枠の部分は同じ色調のグレーで、文字はブルー。この内装は多分、旧なにわ銀時代から変わっていないのだろう。そう思う根拠は、ATMコーナーにある連絡箱である。この箱には「なみはや」と小さく印刷された、ほぼ正方形(2.5cm角程度)の透明なシールが貼ってある。確かこれは副印鑑票のカバーシールだったと思う。箱に「23」という数字(意味はわからないが)を貼りたいがために、ワープロで文字をプリントアウトしてカットし、それをカバーシールでつけたのだろう。とにかく、そういう古いものがここには残っている。ともあれ、今となっては近畿大阪に2店舗しか残っていない旧なにわ銀行の店舗。客は結構入っているようで、ATMも4台あるし、相当なものではないだろうか。
 制覇の時刻としては最初の取引をした11:53ということになるが、何を緊張したのか、取引を1つ間違えてしまった。私は通常、「めぐ」では入金−出金で1サイクルとしているのだが、うっかり出金を先にしてしまった。店名が美しく並ぶハズが、守口きんだの部分だけ崩れてしまったのである。間違えたのが昨日長尾支店で新通帳に切り替えた方で、旧通帳で間違えたわけではないのが救いといえようか。ともあれ、守口きんだが特別な支店なのだということで瞑することにしたいと思う。

 守口きんだ支店は、なみはや銀行の「守口支店」であった。大阪相互銀行が守口支店として1973年2月に開設、普銀転換によりなにわ銀行の守口支店となり、1998年10月福徳銀行と合併する際にも「守口支店」の名前を守り通した。なにわ銀行は資金量が約3400億円で、規模的には福徳銀の1/3以下であった(1998年3月末)。そうなると合併交渉の過程では福徳が主導権を握ることが多かっただろうから、それにも関わらずこの支店がなみはやの守口市におけるメイン支店となったということは、相当に成績優秀な店舗だったのだろう(念のため、福徳銀にも「守口支店」はあった)。2001年2月、なみはや銀が近畿大阪銀行に営業譲渡になると、近畿大阪は守口市では4店舗体制となった。なみはや店舗の大半は営業譲渡後に統合されてしまい、4店舗あった守口市のKOも半分の2店舗に減ってしまったが、守口きんだ支店は現在も守口市北部の支店として営業を続けている。近畿大阪に現在も残る旧なにわ銀行の店舗は、ここの他には、光善寺駅前出張所(旧光善寺支店、枚方市)ただ1か所である。

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 【注】キンダーガルテン(kindergarten):直訳すると「子どもの庭」。幼稚園を創始したドイツの教育思想家・フレーベルの造語で「幼稚園」のこと。

2009.02.05〜09の運営会社とのやりとりについて

2009年02月04日

2008.07.23(水)(5)庭窪に続く道

 国道1号線を京橋方向に戻って左折した先には、京阪守口市駅がある。次の目的地は、守口市の北部にある守口きんだ支店で、守口市駅前から寝屋川市駅行きの京阪バスで「大庭住宅前」まで行く。
 地下鉄守口から京阪守口市までは、以前にも歩いたことがある。駅までの通り道は守口市の行政の中心で、古めかしい公共建築が多数ある。守口警察署の向かい側にある3階建てのビルは守口市教育委員会で、何かの行政施設だった建物を転用しているのだろう。警察署の隣は守口市役所で、築60年近い年代物を大事に使っている。守口市の指定金融機関はりそな銀行で【注】、これだけ守口市の中心的な行政施設が集中しているのであれば、旧大和の支店がこちらにあってもよさそうなものだが、そうはなっていない。
 守口市民会館前の交差点で左に曲がる。守口郵便局(旧集配普通局)の先にある古めかしいコンクリのアーチ橋の下をくぐると、そこが守口市駅である。京阪電車の高架を抜けた先に駅前のロータリーがあって、ロータリーの真ん中には本格的に潅木が植わっている。バスホームにはペデストリアンデッキが続いている。ロータリーに面したところには三菱東京UFJ銀行の守口支店(旧三和銀)が、はずれにはみずほ銀行の守口支店(旧富士銀)もあった。まあベッドタウンの駅であろう。曲がりこんだところにある京阪バスの案内所に寄って、大庭住宅前へ行くバスの時刻を聞いてみる。「1番から乗って下さい」と言って時刻表の紙をくれた。
 寝屋川市行きの出る1番の乗り場は、三菱東京UFJ銀行の前であった。1番乗り場には、バスが1台だけ停まっていた。私が乗る11:16発の寝屋川市駅行きである。この路線は30分間隔でしか出ていないのに運がよいと思った。座席はほぼ埋まっていた。

 バスは、私が乗って間もなく発車した。今歩いてきた道をそのまま戻り、近畿大阪の守口支店をかすめて支店前の八島交差点で左折。運がよいと思ったのに、これでは何のために守口市駅まで歩いたのか分からないではないか。100円返せと思った。
 左折した先は2車線道路で、府道北大日竜田線というらしい。沿道風景は町工場や立体駐車場なども多少混在した、そこそこ商店のある住宅地といった感じである。途中の八雲小学校で大量の降車があった。「八番」という停留所を通過。x番という停留所がこの路線には多い。この八番のあたりで若干高層マンションが見られる。そしてもう1つ、この路線には「八島交差点」「八番」そして「八雲」と、8という数字のつく地名が多いようだ。なお、道沿いの守口東高校付近には、旧なにわ銀行が守口西支店を置いていた。近畿大阪になってから2002年5月に守口支店に統合されている。
 守口市の水道局(浄水場)横で右折。途端にものすごい生活道路に入った。センターラインが引いてあるだけで路側帯はない。街並みからするとなんとなく東京の江戸川区のような、矛盾した言い方だが「古い新興住宅地」といった感じである。高度成長期の直前に宅地開発されて、そのまま止まってしまったようなたたずまいであった。そう思っていると、大日で3車線×2の大幹線道路に遭遇し、阪神高速と近畿自動車道、あわせて2本の高架をくぐる。地下鉄谷町線の終点であり大阪モノレールとの乗換駅でもある大日駅のすぐそばを通るこのバスは、不思議なことに地下鉄の乗客を全然拾っていかない。地下鉄の駅を経由すればそれなりに集客できると思うのに、大日という停留所はごく普通の住宅地の中にあるような停留所で、このバスでは乗降がなく通過であった。
 大日の大幹線道路は「つかの間の大都会」といった感じで、そこを過ぎると再び生活道路に入った。なぜか空き缶を大量に自転車に積んで運んでいる爺さんを数人見た。庭窪公民館というのが見える。公民館とは懐かしい響きである。1957年に守口市に合併した旧庭窪町の役場だったのだろう。目指す「大庭住宅前」の「大庭」は、庭窪という地名に“大日本帝国”のような感じで“大”とつけて大庭なのか。庭窪中学校の角で、片側複数車線を持つ大幹線道路を横切った。府道京都守口線(旧国道1号)である。

 【注】守口市指定金融機関:りそな銀行と三菱東京UFJ銀行の交代制。

2009年02月03日

2008.07.23(水)(4)端折って地下鉄で守口支店へ

 今日の移動は、「スルッとKANSAI」の2dayチケットを使っている。ということは、これで京阪にも乗れるし地下鉄にも乗れるということである。
 次の目的地は守口支店(守口市)なのだが、事前のリサーチによると、守口支店は地下鉄谷町線守口駅近くの国道1号線沿いにあって、今いる場所も谷町線の駅前である。1号線の下を走る谷町線で行けば次の目的地は近いことになるが、逆に言うと京阪で行ったのでは無駄足を食わされるということである。京阪本線は国道1号線から数百m離れたところを走っているからだ。というわけで、今日のテーマは「京阪沿線の制覇」なのだが、端折って地下鉄に乗ってしまうことにした。原理原則論を追求しすぎると、駅から遠いのがわかっていながら京阪電車に乗るとかいう原理主義に陥ってしまうので、こういう端折り方は賢明ではないだろうか。
 というわけで、横着するにもいちいち理論武装しておかないと気の済まない私であった。千林商店街のアーケード街に入ってすぐのところに、地下鉄入口の小屋(谷町線千林大宮駅1番出口)が建っている。出入口前では、ちょっと好みのタイプのおねえちゃんがティッシュ配りをしていた。ついついもらいつつ地下駅に入る。

 10:42発の大日行きに乗車、守口には4分で到着した。島式ホームの真ん中にあるエスカレーターを上って改札へ。守口支店は出口からはすぐ近いようだ。おそらく、大日方向右側にある1番出口を出たところが支店なのだと思う。「めぐ」開始前のリサーチでは、近畿大阪は不便な場所にある店が多いようだったが、昨日と今日の感触では、立地が不便な店はさほど多くなかった気がする。とはいえ「中心地のド駅前」にあるわけではないから不便、という言い方もできなくはない。
 地下通路は、「1番」の方向へ曲がってからがやたらに長かった。通路が終わると階段で、エスカレーターやエレベーターはない(駅のどこかにあるとは思うが)。階段から地上に出た。「守口エムアイディビル」とあるこのビルはレンガ色の9階建てで、かなり大きなオフィスビルといった感じ。保険会社が作った雑居ビルのようなたたずまいである。
 1号線を横断歩道もないところで横断して、中央分離帯から支店の写真を撮った。それはいいのだが、支店のそばの交差点は「守口警察署前」といい、交差点の京橋寄りには本当に守口署がある。しかも警官が見ている前で堂々とやってしまった。もっとも、別にとがめられはしなかった。警官も私のようなタイプの人間を相手にするのは理屈っぽくてイヤに違いない。
 支店の周辺には民家もあるのだろうが、マンションになったところが多いようだ。雑居ビルがあって、パチンコ屋、あるいは建設会社があるとか、不動産屋があるとか、そんな感じである。普通のお店やさん、といった感じの商業はあまりない気がする。例外的にマクドナルドがある。1号線守口店というそうだ。店は24時間開けているようだが、深夜2時から6時まではドライブスルーのみ営業となっていて、個人的にはこれで「24時間営業」を標榜するのはインチキだと思う。いずれにしても、太子橋今市にあるりそな銀行の守口支店と、立地条件は似たようなものではないだろうか。守口に関してだけは、りそなの支店の立地条件とどこが違うのか、いまひとつよくわからない。もちろん、りそな銀行の旧あさひ店、守口土居支店【注1】とは地域性が明らかに違う。あそこは典型的な下町の商店街で、むしろ土居に近畿大阪があるのなら不思議には思わない。
 写真撮影を終えて支店へ。向かって左側の入口から支店に入ると窓口室で、キャッシュコーナーはビルの大阪寄りにあるようだ。窓口室を通り抜けて行ってみると、ビル全体のメインエントランスから入ったところにあった。ビルの右側にあるメインエントランスからだと、まず自動ドアがあって風除室があり、そしてその内側にキャッシュコーナーの自動ドアがあるわけで、この支店はキャッシュコーナー自体に入りにくい。守口支店はATMの稼働時間が短いのだが【注2】、それはこの特殊な構造が大きく影響しているようだ。ATMはAK-1が3台。5台分の枠があるが、右の2台分は空き枠になっている。内装は横に長い行灯のついた近畿大阪になってからの標準スタイルで、プレートの色は内装に合わせてブルーではなくグレーになっていた。10:58、守口支店を制覇した。
 守口支店は、大阪銀行守口支店として1977年4月に開設された。

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 【注1】りそな銀行守口土居支店:京阪土居駅前にあった。旧あさひ銀行守口支店。2004.03.22守口支店(旧大和銀)内に移転、2006.08.21守口支店に統合。
 【注2】守口支店のATM稼働時間:平日08:00〜19:00、土曜09:00〜17:00、日祝日休業。なお、近畿大阪銀行の標準は、平日08:00〜22:00、土日祝日08:00〜21:00である。

2009年02月02日

2008.07.23(水)(3)続いて千林西支店へ

 森小路支店から次の目標までは、歩いていく。まさに「めぐ」という感じである。初めて訪れる場所で、自分の足で片っ端からつぶしていく形で「めぐ」をやるのは何年ぶりだろう。久しぶりに「めぐ」の醍醐味を味わっている感じがする。私はこの日を待っていたのだ。次の目標は、森小路から北へ1kmも行かない千林(大阪市旭区)。近畿大阪はここに千林西支店を置いている。
 森小路支店前の道を西へ向かっている。三菱東京UFJ銀行の店舗外ATM(京阪京橋支店・森小路駅北口、旧三菱銀)がある。東京三菱は以前この地に森小路支店を出していた。
 個人商店は相変わらず続いている。都銀はあまり店を出せない地域かもしれないが、それなりに活気のある商業地区のようだ。お寺があったりするから、集落としては古いのだろう。児童公園があって、古びた滑り台が置いてある。所々地上げをやったと見えて、マンションが建っていたりする。市会議員の事務所も見える。やがて大通りに出る「大宮1」の交差点に到達。角には大阪旭郵便局(旧集配普通局)がある。
 千林西支店は、大宮1で右折して国道1号線に出て、北(守口方向)に向かって1kmも行かないところにある。1号線に出た途端に、個人商店は少なくなる。しかし、元個人商店であろう昭和初期(もっと古いかもしれない)と思しき木造建築、あるいは瓦屋根の部分が異様に分厚い土蔵を改造したような建物や、入母屋造りの民家を改造して焼き肉屋などがある。
 地下鉄谷町線の千林大宮駅がある。旭区千林と旭区大宮の境界にあるから千林大宮という駅名だが、地名ではまだ森小路2丁目である。1号線の東側に大阪信用金庫(森小路支店)と、三菱東京UFJ銀行のATM(森小路支店・千林大宮駅前、旧三和銀)がある。三和の森小路支店は京阪千林駅前にあるようだ。大阪地盤の都銀の一つであった旧大和銀は、もともとこの地域に支店がなかった【注1】。大和はどういうわけかJR大阪環状線から数km離れた地域の店舗網がまばらで、北方面でいうと都島・野江・歌島橋が例外的にある程度だ。蛇足ながら、旧協和銀行は1973年8月までこの近所に森小路支店を持っていた。協和は貯蓄銀行だったから、こういうところに店があったのである。

 近畿大阪銀行の看板は、地下鉄駅のかなり手前から見えていた。千林西支店は森小路支店からこんなにも近接した場所にあるのか。今森小路から歩いてきたわけだが、森小路から続く商店街がブチッと途切れたという印象はない。商店街というか、商店の並びはダラダラと続いていたのだ。森小路と千林は完全に一つの地域のようで、両方に支店を持っている金融機関は(信金なども含め)近畿大阪だけである。
 千林西支店にやっとたどり着いた。国道1号と商店街との交差点である。千林商店街というのが京阪千林駅からずっと続いてきていて、この角で終わって信号の向こうが千林大宮商店街となっている。この商店街は天六(北区)・駒川(東住吉区)と並ぶ大阪の三大商店街として知られたところで、ダイエーおよびマイカルの発祥の地でもある。近畿大阪がこうやって1つのエリアに2つの支店を置いているのは、戦前から続く森小路・戦後に発展した千林、という2つの地域の違いであろう。千林は戦前には水田地帯だったが、戦災で焼け出された大阪中心部の商人がこの地に集結したのだという。
 看板の位置からして国道沿いに店を出しているのかと思ったが、千林西支店の敷地はL字形になっているようだ。支店のメインの入口は、国道からは少し奥まった千林大宮商店街に面した側である。一応両方から写真を撮ったが、商店街側はやはりいまひとつ面白くなかった。国道に面した出入口の前は、化粧タイルを敷いた単なる通路になっていた。駐輪場にしているのかと思ったが、近畿大阪は「駐輪厳禁」と掲示している。通路の隣は地下鉄千林大宮駅の2号出入口なのだが、その前には自転車が多数置いてある。KOの前には1台置いてあるだけで、まあ何も置いていないに等しい。これは結構まめに銀行の人がつまみ出しているのではないだろうか。
 商店街側の入口から店内に入る。ATMの枠は5台分あって、3台のAK-1と両替機とが並んでいる。ATMの台数は少なめだが、利用度は結構高いようで、自分の番が来るまでに少し待たされた。10:33、千林西支店を制覇した。

 千林西支店は、福徳相互銀行千林支店として1952年8月に開設されたもので、なみはや銀行の千林支店であった。福徳は1949年2月に殖産無尽会社【注2】として設立されたが、当初は殖産無尽というシステムと会社そのものにも知名度がなかったから、営業活動は有力な外務社員の個人的信用をベースに行われていた。大阪市旭区では、千林支店開設に先立つ1949年9月に森小路営業所を開設している。有力外務社員が中枢だったということは、営業所長の自宅のような場所を拠点としていたのであろう。こうした営業所は間もなく会社組織として運営上妨げとなり、森小路営業所も1950年4月に廃止されている。千林支店の営業展開は、支店開設以前の営業所を基にして始まったと推察される。
 2001年2月の営業譲渡の際は、近畿大阪に千林支店(旧近畿銀)が既にあったため「西」が付けられたが、その後2002年2月に“本家”にあたる千林支店が西支店の方に統合されたことからすると、福徳店舗の方が支店としての実力はあったのかもしれない。千林支店は1951年7月に近畿無尽の千林支店として開設され、店舗は千林商店街途中にあるサティの北側にあったようだ。

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 【注1】店舗外ATMは、守口支店・京阪千林駅前というのが千林商店街内にある。
 【注2】殖産無尽会社:殖産無尽は、無尽講から抽選を廃したもの。一定の掛金払い込みを条件に、参加者が希望した時に現金給付を受けられるようにした。厳密には無尽と異なるので「みなし無尽」とも呼ばれる。これを企業の営業活動として行うのが殖産(無尽)会社で、戦後の復興期に全国で相次いで設立された。

2009年02月01日

2008.07.23(水)(2)森小路支店

 いろいろあったが、森小路には10:09に到着した。
 淀屋橋から地下を走ってきた京阪電車は、天満橋で地上に上り、寝屋川市の萱島までずっと複々線が続いている。京阪は通勤線区ゆえ、大阪市内ではマンションがドカドカと開発されているが、車窓から見ての印象としては、そういうものは線路の南側、つまり進行右側だけにしかないのではないかと思った。左側にもマンションがないわけではないのだが、印象ではさほど多くはない気がしたのである。あとは、大阪らしく右も左も古い一戸建ての建物がベッタリと広がって密集している。
 複々線の途中にある森小路駅は、島式ホームが2本あるような構造をしていて、ホームの通過線に面する側は柵で覆われている。駅内では、スピーカーからカッコウの鳴き声が流れている。大阪の私鉄(といっても京阪と南海だけだが)はどうして駅内で小鳥を鳴かせたがるのだろうか。そう思いながら、ホーム中央にある階段を高架下の通路まで降りてくると、通路は柵とガラスとで仕切られていて、その向こう側は改札外の道路の歩道であった。改札の真ん前が線路を直角にアンダーパスする道路であって、その道路の歩道は改札内と柵で仕切られているだけなのだ。もちろん建設費を軽減するためだろう。以前行った近鉄南大阪線河内天美駅地下の自由通路に似た構造であるが、こちらの方が古くかつ狭いだけに鬼気迫る感じがした。関東地方でこういうスタイルを見た記憶はない。
 改札機が3台、ということは2通路しかない改札を出る。改札を出て左側はスーパーナショナルである。12店舗をほぼ大阪市内だけで展開しているスーパーで、本部はりそな銀大正支店の向かい(大阪市大正区)にある。スーパーと駐輪場に挟まれた細い通路を西に向かって数十メートルも行くと、そこがようやく駅前の交差点で、角にはセブンイレブンがあった。
 駅前のこの道は、飲食店が多いとはいえ、雑居ビルになってしまった個人商店が案外数多く並んでいる。シャッターが閉まった店が多いのは時間的な理由と思われる。近畿大阪銀行は、ここから西に進んだ左側にあるハズだ。

 発見した。縦型の看板よりも、角柱の斜めに欠き取られた部分につけられた「Dマーク」の行灯(と思われる)看板の方が真っ先に目につく。建物はちょっと古めかしい感じである。前面に太い柱がドンと建っている昭和30年代までのデザインの建物を、わりと最近になって大改装したような感じである。
 この支店で特筆すべきは、何といっても2階まで吹抜であることである。2階の窓には、吹抜のまわりをぐるりと取り囲む通路がついている。この通路はもともとは銀行ギャングを射殺する目的でつけられていたそうだから、つまりはそういう古い設計思想の店だということである。2階建ての建物で2階まで吹抜ということは、店の内部には空きスペースなどほとんどないのではないか。
 キャッシュコーナーには機械5台分の枠があって、一番右の枠は空き枠、後の4台のATMはすべてAK-1である。ATM上部の行灯表示は、昨日寝屋川東出張所で見たのと同様の、旧大銀のCI導入後のものがついていた。10:17、森小路支店を制覇した。
 森小路支店は、大阪不動銀行の千林支店として1953年1月に旭区千林町2丁目に開設された。現在の店舗は1959年8月に建てられたもので、新築移転の際に店名が森小路と変更になった。「大阪不動銀行」は旧大阪銀行の創業当初の名称で、1957年12月に大阪銀行に改称された。「不動」は旧不動貯金銀行にあやかってつけられた名前である。

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