2009年05月31日

2008.01.26(土)(5)一戸建てが密集する天下茶屋支店跡地

 天下茶屋には2分で着いた。隣の駅ゆえすぐである。駅の構造としては、南海本線と高野線の2つの複線が平行に並ぶ両側に対向式ホームをつけたような形で、高野線の上りホームと南海本線の下りホームとは合体しているから結果としてそこは島式ホームになっている。この駅は南海電鉄の2つの幹線(本線・高野線)の事実上の分岐駅で、地下鉄堺筋線と接続したこともあって、ここ20年ほどの間に急速に交通の要衝となった。
 改札を出たところにコインロッカーを発見し、ようやく身が軽くなった。ロッカーと同じフロアの端には、1回1000円の散髪屋とチェーンの食堂。その間に[南海天下茶屋駅]というりそなの店舗外ATMが挟まっている。母店は萩ノ茶屋支店で、青い行灯表示ということは大和銀時代からあったATMである。ATMは青いオムロンIXが2台置かれていた。
 階段を下りて東出口に出る。旧天下茶屋支店は、東出口の先にある商店街を曲がったところにあったハズだ。天下茶屋は新しく高架になった駅だけに、駅前にはロータリーなどが整備されているが、それゆえにか人で賑わっている感じは薄い。そのロータリーにも、多少のタクシーがいるだけであった。個人経営の「店」が所々にあり、また雑居ビルが多い。物を売る店は角のセブンイレブンぐらいで、あとは飲食店ばかりである。通りの角にある古い民家は、角に面した斜め切りの部分に台所がある。街並みとしては昭和20年代頃とおぼしき民家(兼商店)の並びであった。
 天下茶屋支店跡地にたどり着いた。支店跡地前には、大阪市のコミュニティバス「赤バス」の「天下茶屋駅筋東」停留所がある。支店の建物は既に除却されており、敷地の中央に道路が新設されて、この道の両側にそれぞれ3〜4軒、最近流行りの3階建ての一戸建て住宅が建っている。だから、支店の跡地には民家が少なくとも7軒建ったということである【注】。一応、支店跡地の写真は撮ってきたのだが、こういう事情であるのでブログへの掲載は見合わせておく。
 駅へ戻る。支店跡の北側を東西に走る天下茶屋駅前商店街は、以前「あさめぐ」の時代に通ったことがあって見覚えがあった。西に進んでいくと駅の北側に出る。昔ながらの商店街といった感じのアーケード街だが、「介護ステーション」などという業種が進出しているから、営業している店は多少の入れ替えもあるようだ。でも「介護ステーション」は近隣住民が高齢化した証拠である。

 天下茶屋支店は旧あさひ銀行の店舗で、1924(大正13)年4月に大阪貯蓄銀行天下茶屋支店として開設された。終戦直前の9行合併で日本貯蓄銀行の支店となり、協和銀行→協和埼玉銀行→あさひ銀行を経て、りそな発足後の2004年2月に旧大和の萩ノ茶屋支店内に移転して支店内支店となった。旧大和・旧あさひの勘定系システムが統合された後、2006年7月萩ノ茶屋支店に統合されている。ブランチ・イン・ブランチ実施の際に[天下茶屋駅東]という店舗外ATMが支店跡の南側にできた。
 支店内支店になるまで使われた店舗は1965年9月に建築されたもので、私は「あさめぐ」時代に2回ほど訪れたことがある。確か、キャッシュコーナーのATM枠が真っ赤に塗られていたというあやふやな記憶がある。

 【注】グーグルの航空写真で見ると、新設道路から見えない位置にさらにもう1軒建っているようだ。

2009年05月30日

2008.01.26(土)(4)茶屋から茶屋へ

 さあ、次は天下茶屋支店の跡地に行ってみよう。
 今日は普段と違い、旅行用の大荷物を抱えている。宿を出てすぐコインロッカーに入れてしまうつもりが、ロッカーが見つからず花園町まで持ってきてしまったのだ。早く肩の荷を下ろしたい。というわけで、コインロッカーを求めて地下鉄花園町駅に入った。駅員に聞いてみると、コインロッカーはこの駅にはないとの返事があっさり返ってきた。チンチン電車(阪堺電軌)の今池駅にはあるとのことだったが、もちろんそんなところまで行っている余裕はない。
 仕方なく、このまま天下茶屋に向かうことにした。四つ橋線の駅である花園町から、堺筋線の天下茶屋に直接行くことはできない。駅員についでに行き方を尋ねたところ、地上に出て右に曲がるとすぐに南海電鉄の高架があって、そこが駅だと教えてくれた。市内まで戻って堺筋線に乗り換えろなどとアホなことは言わなかった。
 南海萩ノ茶屋駅に向かう道は、商店街というのか、何軒かの飲食店が並んでいる。土蔵建築の外側だけトタンを張った自転車屋があるが、いずれにしてもモノを売る商店が並んだ商店街ではない。やがて高架に突き当たった。高架線の横には店舗が多数あったのだろうが、今は除却されて空き地になっている。この空き地は南海にも使い道がないのではないか。歩いている人はどんな理由があるのか知らないが、圧倒的にジャンパー姿のおっちゃんが多い。
 萩ノ茶屋駅付近の高架線は結構古い時代に作られたらしく、高架橋の柱は上部のデザインをアーチで処理してあるのがわかった。高架下の改札は線路と同じ向きに改札機が3台並んでいた。ホームに上がってみると、ここは南海高野線の各駅停車だけしか停まらない駅で、ホームのない向こう側の線路を南海本線の「普通列車」が通過していくのが見えた。
 ホームから見る萩ノ茶屋駅の東側には古いビルが建ち並んでいて、新今宮からの続きのように見えた。ホームから見える「銀座センター」という謎の洋館風の建物は一体何なのだろう。その隣は皮膚科・性病科・内科・婦人科の医院であるが、薄緑色に塗られていて、2階パラペットの部分がやたらに高く張り出している。医院というより近代的に改装された棟割長屋のような感じがする。その隣に「ホテル」とある。これは昨夜泊まったのと同じようなホテルだろうか、炭鉱の職員用住宅のようなコンクリート建築である。どれも建てられてから50年近くは経っていそうで、ここでは新しい建物は遠景としてしか見えない。西側はもう少しだけ開けている。国道26号線に沿って花園町の市街地があるからだろう。
 09:54発の各駅停車金剛行きに乗る。南海高野線の各駅停車は12分間隔と本数が少ないが、車内はガラガラで、1両に私を含めて5人しか乗っていない。もっとも、すいているのは、土曜日かつ昼には早く朝には遅いという時間であるせいかもしれない。
 窓から日光がうららかに入ってきていて、良いお天気である。夕べ見たテレビのニュースによれば、今日は雪は降らないようだ。

2009年05月29日

2008.01.26(土)(3)萩ノ茶屋支店を制覇

 26号線を境に生活のにおいは薄れ、工業地帯のような雰囲気になった。日雇い労働者の多く住む地域は一応終わりを告げたのだろう。
 花園北交差点の歩道橋を渡っていると、JRの関空特急「はるか」が通過していくのが見えた。大阪環状線の築堤はコンクリートに「1966年」とあった。前方(西側)には、札幌に本社を置くホームセンターのニトリが本格的な立体駐車場をつけた大ショッピングセンター(西成店)を構えている。歩道橋から堺方向(南側)を眺めると、右前方にミレ信用組合の西成支店(旧朝銀大阪信組)がある。在日朝鮮人系の「朝銀」とつく信用組合は、かつてはほぼ全県にあったが、金融危機の時代に多数が経営破綻し、現在ではいくつかの民族系信用組合に再編されている。さらにその先左側には、スーパーのイズミヤが建っているのが見えた。イズミヤが見えるのは目的地が近い証拠だ。あの店は、地下鉄花園町にある同社の創業店だからである。
 交差点角には2つの敷地にある校舎を連絡渡り廊下で結んだ相当大規模な学校がある。府立今宮工科高校というらしいが、「今宮工業高等学校」という看板も付いている。あとで調べたところでは、工業高校は2007年3月で閉校したという。工業高校の看板を外していないのは留年生でもいるせいなのだろうか。ともあれ、今宮工高の塀に沿って、国道26号線の西側の歩道を南に進む。この界隈は基本的にはマンションばかりである。マンションでも1階は店舗になっていたりするのが普通だが、ここに限っては商業看板はほとんど見られず、非常に殺風景である。それにしても、この界隈にマンションの多い理由は何だろう。このあたりだと古い賃貸住宅がびっしりと建ち並んでいるのが標準的だと思えるが、この付近はそういうのがなくて、きれいに建て替えられてしまっている。地上げに簡単に応じてしまうのだろうか。
 ローソンやなか卯が1階に入っている茶色い外壁のマンションが1棟あって、そこを境に風景が変わってきた。花園町に本格的に入ってきたようだ。鶴見橋商店街というのがあって、ここが商業の中心地らしい。犬に服を着せて散歩させているおばちゃんがいた。やっと、私が普通に見慣れた風景に遭遇した。
 萩ノ茶屋支店に到着した。3階建ての建物のうち2階部分にはべったりと窓がなく、3階には小さな窓が多数並んでいる。旧大和銀の昭和40年代の特徴をもつ建物である。通りの向かい側の会社は旧銀行建築らしく、あとで調べたところでは富士銀行の萩之茶屋支店だったようだ。「萩ノ茶屋」「萩之茶屋」と表記が2種類あるのは、どういう使い分けなのだろうか。地名としては「萩之茶屋」だが。
 支店に入る。ATMはJX白が3台にAK-1が2台、そして旧天下茶屋支店分として富士通のファクトAが2台と、合計7台ある。富士通のATMはオムロンのATMより背が高いようで、天下茶屋の機械を入れるためにATM枠の上部が欠き取られている。今後ファクトAを撤去したら、スペーサーを付けてオムロンの機械を入れるのだろう。通帳記帳機が2台、富士通とオムロンで1台ずつ別置されている。あとは、サックスに花を差し込んだ大きな写真のシールが窓口室のシャッターに貼ってあるところが、旧大和店舗である。09:31、萩ノ茶屋支店を制覇した。
 萩ノ茶屋支店は、野村銀行萩ノ茶屋支店として1938年4月に開設された。戦時中には、野村銀行の堺市・泉南方面への橋頭堡として竜神特別出張所(現堺支店)や七道出張所(現堺東支店)の母店となっていた。現在の店舗は1968年7月に新築されたものである。りそな発足後、旧あさひ店舗の天下茶屋支店を支店内支店として受け入れていた(統合済み)。

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2009年05月28日

2008.01.26(土)(2)朝の西成区を歩く

 さて、今日の予定である。まずは、同じ西成区内にあって新今宮から歩いて行ける萩ノ茶屋支店の制覇。それから、同支店に統合された旧あさひ店の天下茶屋(てんがちゃや)支店の跡地を見て、その後南海本線で一気に泉佐野市に飛ぶ。ここから泉大津まで北上していくつかの支店を取った後、バスで和泉中央へ抜けて、泉北高速鉄道の沿線を全部攻める。これにより、南海本線の南部(泉南)と泉北高速線は総なめにしたことになる。さらに南海高野線で河内長野市(河内千代田支店)を経由して近鉄長野線に抜け、南大阪線から柏原・八尾・長瀬、そして東大阪方面へ。統合跡地としてはやまと高田出張所の写真も撮れるだろうか。というわけで、今日は南海と近鉄をフルに使うプランということになる。「プラン」というより、単に行きたい場所を地図上で整理しただけなので、完遂できるかどうかは全く不明だ。
 宿を08:45に出た。新今宮駅の南側を東西に走る大通り(市道今宮平野線)をこのまま西に向かって歩き、国道26号との交差点に来たら左(南)に曲がるつもりである。
 道路沿いに数軒あってまず目についたのは、荷物の一時預かり所という店であった。家財道具を全部預けておいて、日雇いの仕事に出かける人が相当多いのだと思われる。それを裏付けるように、道端にはワンボックスカーが何台も停まっていて、「ナントカ建設株式会社、一般土工、仕事の場所大阪市内、9000」等と書かれた板(というかポスターを掲示する透明プラ板つきのパネル)をつけている。収入を得たい人は、こうした車の人と話をつけて工事現場まで乗せてもらうのだろう。「9000」と大きく書いてあるのは日給のようだ。
 それ以外にある店舗は、コンビニ(ローソンとファミリーマート)、聞いたことがないような名前の百均が1軒。あとは「作業服の店」というのが目立つ。ウドン屋や喫茶店もあって、店構えはごく普通の感じであるが、美味いのだろうか。大通りの北にキリスト教会があって、通行人に向かって宣教用のビデオを流していたが、音声はハングル語であった。一方で、この付近には銀行のATMはおろか、信用金庫・信用組合すらない。1999年発行の地図を見ると、阪堺南霞町駅前に兵庫銀行、南に下がった天下茶屋北1丁目に大阪信用金庫が書いてあるが、両方とも今はないようだ。金融機関はコンビニATMしかないのか。郵便局も、阪神高速松原線の先か南海萩ノ茶屋駅あたりまで出ないとなく、新今宮近辺は完全にエアポケットと化している。
 JRの線路の向こう側には、くねくねと曲がりくねったジェットコースターを備えた遊園地が見える。これが、市電車庫の跡地に建てられた「フェスティバルゲート」というものである。経営破綻して競争入札にかけられたが、不調で長い時間がかかった。最近になってようやくパチンコ店大手の「マルハン」が落札したが、大がかりな遊園地は解体されてしまうそうである。公営の娯楽施設を造ることそのものは、雇用創出ということを考えたら批判できないが、それを作った日雇いの作業員たちが自分で利用することはまずなかったのだろう。
 道端には、露店を出してさまざまなものを売っているおじさんが数人いる。露店というかフリーマーケットのような形態である。古いビデオテープを多数並べているのは、捨てられていたものを拾ってきたのだろう。「パンク修理200円です いらっしゃい」と書いた手書きの看板(段ボール製)も見える。ジュースの自動販売機があるが、よくよく見ると機械の下のすき間からコードが延びている。これは電気を盗んでいるのではないか。電気の無断使用は、被害金額は微々たるものだが、窃盗の事例として取り上げられる代表的なものである。
 1泊1200円という激安ホテルもあった。ホテルとしては恐らくこれが底値に近いかもしれないが、さすがにちょっと興味本位でも泊まってみようとは思えない。

 南霞町から西へ、南海電鉄の高架に向かって歩いてきた。地名としては西成区太子を出て萩之茶屋に入っている。今宮平野線の南側に「あいりん労働公共職業安定所」と大きく書いたビルが見える。新今宮は有名な「あいりん地区」そのものであり、同所にはお金のない人が安く診療を受けることができる大阪社会医療センター付属病院も併設されている。
 南海の新今宮駅まで来た。私は駅のコインロッカーに荷物を入れて、身軽になって萩ノ茶屋支店に向かおうと思っていたが、ここにはロッカーはないようだ。JRの駅にはコインロッカーがあったと思ったが、JRに続く入口もなさそうである【注】。萩ノ茶屋まで持って行かざるを得ないようだ。通路は蛍光灯がポツポツと点いているだけの殺風景なコンクリート打ちっ放しである。駅内にある売店もシャッターを固く閉ざしている。設備が古いせいもあるかもしれないが、鉄道会社のCI戦略とは無縁のようだ。
 南海の高架を抜けた。道端にはゴミがかなり散乱している。ナンバーが外されほこりまみれになった廃車が堂々と道端に置いてある。くず屋が拾ってきたらしい資材がビニールシートに包まれて山と積まれている。雑居ビルのような外観をした「マンション」と書いたビルがあるが、昨夜泊まったホテルの定住度を強くしたような低所得者向けの集合住宅なのだろう。その近所のマンション(外観上は普通の意味でのマンションに見える)1階に、黄色い看板の「スーパー玉出」があって、24時間営業をしている。スーパー玉出の新今宮店はテレビ番組でも取り上げられる有名な店で、マンションの入口が店の奥にあり、住人は店内を通らないと自宅に入れないのだそうである。
 この界隈にはコンビニが異様に多いと感じる。今ほんの数百m歩いてきただけでも、ローソンが3軒あった。阪堺南霞町駅の中と、阪堺の駅から少し西に行った所、そして同じ交差点の向かい側にも。相当な過当競争のようだが、この辺の地主が土地を活かして商売するのに、そういう業種しかなかったのかもしれない。この地区ではオフィスビルを建てても需要がないのだろう。
 今宮平野線と国道26号とが交差する「花園北」の交差点まで、ようやくやってきた。左に曲がった先が、萩ノ茶屋支店のある地下鉄四つ橋線花園町駅である。26号を越えようと歩道橋を渡りかけると、歩道橋のたもとで大フリーマーケットをやっているのが見えた。フリーマーケットは、東京あたりだと富裕で暇な人たちが「余り物でコミュニケーションしましょう」のような金持ちの道楽に過ぎない(と思える)ものを盛んにやっているが、ここら辺のフリーマーケットは切実な生活の1コマであるに違いない。

 【注】この時は気がつかなかったが、コンクリート打ちっ放しの通路の奥に、南海およびJRの駅施設につながる階段がある。

2009年05月27日

2008.01.26(土)(1)新今宮の「ホテル」で

 寝坊してしまった。時計の針は早くも8時半である。この宿のチェックアウトは9時と早いので、そろそろ出ないとチャージを取られてしまう。
 1月26日の朝を、私はJR大阪環状線の南縁部・新今宮(大阪市西成区)にある安いビジネスホテルで迎えた。新今宮は、JR大阪環状線・関西線、南海電鉄南海本線・高野線、地下鉄御堂筋線・堺筋線(動物園前駅)、阪堺電軌(南霞町電停)と、多数の路線が集中しており、駅前には安い宿泊施設が林立している。これだけ多くの線が集中しているにも関わらず、同じ地域にある駅の名前は会社ごとにバラバラで、駅の周辺には繁華街も形成されていない。
 昨日は新大阪駅前支店を取った後、難波に移動。そこでフラフラと遊んだ後、1000円でも切り詰めようという意識が働き、難波から新今宮まで移動して宿泊したのであった。宿に1室を取った後、梅田のコインロッカーに荷物を預けていたのを思い出し、地下鉄で1往復した(スルKAN2dayを使っているから切符代はかからない)。
 荷物を抱えて梅田から戻ってくると、片側3車線の大幹線道路が交差する新今宮駅前の交差点は、まだ夜の10時だというのに人も車もぱったりと途絶えていた。夜中にウドン屋とコンビニが開いているぐらいで、商業施設の全くない地域であるせいかもしれないが、とにかく通る車もほとんどなく、たまに電車の音が聞こえるぐらいである。静かなよい町、と言いたいところであるが、警察沙汰はそれなりにあるようで、パトカーと思われるラウドスピーカーからの「止まりなさい」だか何だかいう声が就寝中におぼろげに聞こえていた。

 私が泊まった宿は、「ホテル」という名前になっているが、ビジネスホテルというより「簡易宿泊所」と呼ばれるものである。もともとは日雇い労働者を主な対象としていたが、近頃では海外から来るバックパッカーが宿泊料金の安さにひかれて多数利用しているようだ。似たような施設は東京では山谷(台東区)などにあるが、ここはそうしたものの中では設備のきれいな方、ということになる。
 泊まったのは、DVDプレーヤー付きで2000円という和室であった。DVDプレーヤーのない部屋は1800円で、別にDVDが見たいわけではなかったのだが、安い部屋はとっくに埋まってしまっていたのである。どんな部屋だろうと思ったが、まずドアは普通の公団住宅と同じような感じの鉄扉で、その内側にはドアノブと、楕円形をした鍵のノブ(90度回すとガチャッと鍵がかかる)が付いている。扉には宅配の牛乳瓶を入れてもらう穴と蓋があるから、本当に公団住宅用と同じものなのだろう。部屋に入ると、小さいテーブルとゴミ箱が1個、冷蔵庫が1台、畳の上に置いてある。それから、シェルフというのかステンレス製の網棚のようなものがあって、テレビとDVDプレーヤーがこの上に置かれている。布団が1組敷いてあった。寝具は敷き布団と掛け布団と枕。浴衣はないがこの料金設定からはまあ当然だろう。壁にはハンガーが2つかかっている。部屋の設備は以上である。
 DVDは持ち込んでもよいし、1000円の保証金を払えばフロントで借りられる(チェックアウト時に返金)。せっかくなので借りてみたが、定価3000円なにがしのビデオはやはり面白くなかった。なお、保証金ついでに言うと、この宿には宿泊代金の1.5倍の現金を持っていないと宿泊できない。このホテルは、宿代の2000円とは別に「鍵の保証金」1000円をチェックインのときに支払い、翌朝チェックアウトの際にフロントで返金してもらう仕組みになっているからだ。
 1部屋のスペースとしては、畳が3枚敷いてある。そこにプラスアルファ(ドア部分のたたきと板の間)が50cm幅ぐらいでついているから、50cm幅×畳の長辺、プラス3畳である。「3畳間」だが、部屋の隅にある畳は柱に当たる部分が30cm角ぐらい欠き取られている。アルミサッシの窓が付いているから室内は暗くはないし、壁には壁紙が貼ってあって特に違和感はない。入口ドア上部に通気孔があるから、たぶんここから暖房が出てくるのだろう。
 風呂は共同浴場が一応あるが、22時で終わりである。私は夕べ9時半に投宿したので入れなかったが、シャワー室は24時間開いているという。コインシャワーなどと同じで、石鹸など必要なものは自分で持っていくシステムである。なければフロントで売っている。
 というわけで、コストを抑えに抑えた宿泊施設である。これで1泊2000円。ここまで抑えられて2000円だと、逆にちょっと高い気もするが、それでも2000円というのは物理的金額として安い。いつも使っている難波のカプセルホテルが1泊3200円で、それで蜂の巣のような寝床に寝るわけだから、狭くても2000円で個室が1つあるというのは非常にいいことだろう。しかも、ここは「最高級」に近いホテルであって、近所を探せばもっと安いところも多々あるのだ。

 荷物をまとめて部屋を出た。エレベーターや廊下には、注意書きの貼り紙が多数してあった。エレベーターには「当ホテルは女性の方も多数宿泊しておられます。はだかやパンツ一枚でエレベーターに乗らないで下さい」とある。つまり、そういう宿泊客がいるわけである。ホテルの廊下は普通の道と同じだよ、という常識を持たない者が多いのだ。ここの主要顧客は、そうした常識を身につける余裕が過去になかった人たちなのであろう。
 貼り紙の中には、西成区役所による実態調査の告知もあった。こうしたホテルに住民票を置いて暮らしている人たちの実態調査である。「ホテル住まい」など大富豪か大作家だけかと思っていたが、実はこういうところにもあるのだ。「ネットカフェ難民」なる言葉が流行り、インターネットカフェに住民票を置く人々のことが昨年あたりからニュースワイドなどで報道されているが、ここでははるか昔からそうしたことが普通に行われてきたのである。やはり、私がこれまで「普通」に泊まってきた感覚のホテルとは違う。私のこれまでの経験が「普通」だったのかという気さえしてくるから不思議だ。
 なお、この宿ではインターネットが使える。100円で15分のコイン式ネットカウンターがロビーにあるのだ。この近所には宿代がもう少しだけ高い1泊2200円等のホテルもあるが、そこには無料のインターネットコーナーがある。というわけで、ネットの普及率だけは意外に高い。あとでわかったことだが、この宿は「楽天トラベル」などトラベルサイトでの予約も可能であった。

2009年05月26日

2008.01.25(金)(24)南方の北方、新大阪駅前

 さらに制覇は続く。次の目標は、上新庄から梅田寄りに3つ目の南方(みなみがた、大阪市淀川区)。この駅は新大阪駅前支店に阪急からアプローチする際の最寄り駅である。
 上新庄16:48発の準急梅田行きに乗車、南方に降り立ったのは5時少し前のことであった。この駅は複線の両側に対向式ホームが1組張り付いていて、駅そのものの構造は単純である。それぞれのホームの一番梅田寄りに方面別の改札が設置されているが、改札内で相互のホームを行き来することはできない。駅の梅田寄りを新御堂筋の高架が南北にまたいでいて、その下に側道の踏切がある。
 案内看板には、地下鉄の駅が「左」と書いてあるのだが、ここは一体どういう作りになっているのだろう。新御堂筋の下ということだろうか。そう思って線路の南側にある「西中島南方駅前」という交差点まで来ると、謎が解けた。「地下鉄」の駅というから惑わされるが、ここは淀川の北側なので地下鉄御堂筋線は高架に上っている。当然ながら駅も高架駅なのであった。
 新御堂筋の側道についた踏切を越えて北に向かう。民間企業(日清食品)のビル内に淀川社会保険事務所があったりするところに、ごった煮的な大阪のダイナミズムを感じる。淀川を越えているとはいえ大阪の都心部なので、視界に入る建物はビルばかりであった。
 りそな銀行の看板が新御堂筋沿いの前方左側に見えた。看板があるところの入口から入ると、そこは新大阪駅前支店の裏口であった。長い廊下が通じていて、廊下にはりそなのポスターがベタベタと数十枚貼ってある。「数十枚」はおおげさだが、でも20枚くらいは張ってある。新御堂筋からドアを2枚くぐり、さらに自動ドアを開けたところが、やっとキャッシュコーナーであった。入ったところにATMが8台(AK-1が2台+JX白が6台)と記帳機が2台あった。ここは大和銀行時代のシルバーとブルーのATM表示がまだ残っている。初めてこの支店に来た時、ATMが意味もなく多数あると思ったが、1台1台の幅を相当にゆったりと取ってあって広いから、台数が多いように感じたのだろう。17:10、新大阪駅前支店を制覇した。
 写真を撮ろうとして支店前の交差点に出ると、私はあっけにとられた。建っている建物は、平屋にしか見えなかったのである。ビル街にこの建物だけが平屋建て(実は2階建てか)で、おまけに旧大和の店舗ゆえタイル張りのノッペリとした外観をしているから、かなり特徴的である。支店の敷地は複数テナントの入った高層ビルも十分建てられそうなほど広かった。なお、同じ交差点には十三信金の新大阪駅前支店がある。
 新大阪駅前支店は、大和銀行新大阪駅前支店として1964年3月開設された。現店舗は1984年4月の築であるという。りそなの支店は地下鉄西中島南方駅の北側改札が最寄りであって、地下鉄でいうと新大阪の「隣の駅」ということになる。実は、この支店は新大阪「駅前」と言っても嘘ではないロケーションである。というのは、支店の北側を走る東海道新幹線を基準にして考えると、この界隈は新幹線の新大阪駅を中心に広がった新興のオフィス街にあたるからだ。支店は西中島南方駅北端の出入口からさらに新大阪駅に寄ったところにあって、ここだともう新大阪「駅前」といってよい距離になるのだ。

 関西は関東と比べて日の入りの時間が遅く、しかも今日は既に冬至から1か月過ぎている。もう17時を回っているのだが、新大阪駅前に関しては写真が明らかに問題なく撮れているので、写真さえ何とかなるのなら阪急千里線沿線にある2軒の支店も併せて片付けてしまおう。
 と一瞬思ったのだが、やめた。今日は思い切ってちょっと早めに「めぐ」から上がることにする。

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<2008.01.25(金)おわり>

(2015.03.09_17:39追記)描写に誤りと思われる個所を発見したので訂正した。

2009年05月25日

2008.01.25(金)(23)上新庄、ついに大阪市へ

 次の目的地は、上新庄支店(大阪市東淀川区)。上新庄駅は茨木市から各駅停車で4つ目で、私のめぐはここから大阪市に入る。
 茨木市駅の高架下、店舗が並んだ通路を抜けて、さっき出てきた改札の前までやってきた。途中ではテナントが求人広告の看板を出していたが、募集時給は夕方から夜にかけての時間帯で750円となっていた。大阪府の最低賃金がいくらなのかは知らないが【注】、恐ろしく安いと感じた。相当に低く抑えられているのは間違いないが、それとも大阪は物価がそんなに安いのだろうか。
 ホームに上がると、今から乗れる梅田方面は16:26発の特急か16:28発の準急で、28分の準急梅田行きに乗ることにした。電車に乗る前に、あらかじめホームの最前部に移動しておく。上新庄駅は特殊な構造をしていて、梅田に寄ったところで電車を降りないと相当にハマってしまうからである。このことは事前に分かっている。
 上新庄は準急だと茨木市から2つ目である。一番前の車両に乗ると、側面からだけでなく前面窓からも光が射してきていた。太陽はかなり西に傾き、前面窓から見る太陽はほぼ目の高さにある。運転手はさぞかし眩しかろう。雪は既に止んでいた。

 相川を渡るあたりで電車がかなり徐行しており、つられてついウトウトしてしまった。電車はいつの間にか上新庄に着いていた。
 電車を降りて南改札へ。そこに向けては、ホームのいちばん梅田寄りから相当長い連絡通路が延びている。連絡通路というか、ホーム自体がかなり長くなっていて、梅田寄りのところが柵で数十m塞がれているのである。ホームの一番端で降りてからかなり長い通路が続く。これが上新庄駅の一番の特徴であり、だから降りる場所によっては本当にドツボにはまるのだ。また、阪急京都線は上新庄付近の高架線が相当高いところまで持ち上げてあるようで、連絡通路が終わったところで降りることになるエスカレーターはかなり長めである。その下にさらに階段があるから、改札を出るまでが一苦労である。
 ようやく改札を出た。左に曲がったところに、関西アーバン銀(旧関西銀)と池田銀の上新庄支店。アーバンと池田に挟まれた狭い通路から駅の東側へ出ると、もう目の前にりそなの看板が見えている。一旦改札を出てしまえば、そこから先は近い。
 さっそく写真を撮ろうとしたが、キャッシュコーナー前では日本通運の職員が数人張り番をしている。張り番というよりも店の現金(?)輸送に来ているだけだが、いずれにしても今ここで店の写真など撮ったら、痛くもない腹を探られるだけだ。別の言い方をすると、現金輸送という緊張感の強い仕事をしている人たちに余計なプレッシャーを与えては気の毒だろう。
 というわけで、先にキャッシュコーナーに入って制覇作業を済ませる。上新庄支店の制覇は16:40のことであった。機械配置は、シャッターの向こうにオムロンJX白と両替機が1台ずつあって、シャッターのこちら側には左からJX白が6台とAK-1が2台。それとは別にロビーに記帳機があった。
 制覇作業をしている間に日通の人が去ったので、ようやく支店建物の写真を撮る。支店周辺の風景は、猥雑さを多少抜いた十三のような感じだろうと想像がつくものの、駅から支店が近すぎてイマジネーションの働く余地がない。加えて、旧大和の店舗は建物がどこもよく似ているので、余計にそうである。
 上新庄支店は、1986年6月に大和銀行上新庄支店として開設された。りそな発足後の2004年4月に吹田支店を母店とする有人出張所に変更されたが、2006年7月再び支店に昇格して現在に至っている。

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 【注】この時点での大阪府の最低賃金は、時間額731円である(2007.10.20施行)。

2009年05月24日

2008.01.25(金)(22)「駅前」に惑わされた茨木支店

 いい天気だが、空には雪が舞っている。今日見た中でいちばん激しく雪が降っているが、どうなってしまうのだろうか。富田から乗った電車は、あとで調べたところでは15:58発の普通天下茶屋行きであった。
 茨木市は、島式ホームが2本ついた高架駅である。階下の改札を出た。茨木市駅の東側にはみずほ銀行(旧富士銀)、その向こうに関西アーバン銀行(旧関西銀)と住友信託銀行の茨木支店があるけれども、それ以外にはあまり特徴のある店もなく、駅から見た限りにおいてはさほど賑わっている印象はない。りそなの茨木支店は高架下にあっただろうか。いや、阪急の高架下にあるのは高槻支店の方である。とにかく、目指す支店がどこにあったかは記憶がなかった。
 駅の西側に出た。バスロータリーがあって、ここには京阪・近鉄・阪急バスが乗り入れてきている。駅ビル内に三菱東京UFJ銀行の茨木駅前支店(旧三菱銀)がある。「茨木駅前」支店というのは名称として明らかに間違いで、ここにあるのなら「茨木市駅前」支店としないといけない。「茨木」はJRの駅名である。茨木は阪急とJRとの間がかなり離れていて、両者間は徒歩で移動するのは少々きつい。りそな銀が、阪急茨木市駅前にある(ハズの)茨木支店とは別に、JR茨木駅前に茨木西支店を持っているほどだ。
 それはいいのだが、目指すりそなはいっこうに見つからなかった。りそなの店舗一覧を見たが、場所は「阪急京都線茨木市駅前」としか書かれていない。蛇足ながら、りそなの店舗一覧には、旧大和店舗に関する記述の一部に、客を店に来させたくないのかと思うほど不親切なものがある。りそなが発足したばかりの頃、四条畷支店(四条畷市)を制覇するのに、目印として書いてある「なんこうシャル」というのがわからず往生したことがあった。なお、旧あさひ店の記述はまだまともだと思う。
 それにしても、どこにあるのだろうか。住所(所在地)の「永代町」は駅の西側であり、したがって支店も駅の西側にあるハズだが、「茨木市駅前」という記述だけではいかんともしがたい。
 さんざん歩き回ったあげく、駅前再開発ビルの向こうにやっと見つけた。再開発ビルの北側を東西に走る府道139号(枚方茨木線)の北側で、三井住友銀行の茨木支店(旧住友銀)の2軒おいて東隣である。駅前ロータリーからビル1棟挟んだ向こう側というロケーションで、果たして「駅前」といえるのだろうか。地理にある程度詳しい、しかも1回来たことがある私が今回かなりの時間を要したというのは、店舗一覧の説明が親切とは言えなかったためではないかと思う。
 茨木支店の建物は、支店の規模にしては前面の幅が狭いと感じた。「茨木恒和ビル」とあって、旧大和銀系列の不動産会社が持っていたビルなのだろう。キャッシュコーナーは両替機+記帳機+ATM8台という機械配置で、ATMはAK-1とJX白が7台という構成であった。一番左のJX白がIC対応なので、IC対応の機械はAK-1と合わせて2台となる。記帳機はキャッシュコーナー後ろに(上記とは別に)もう1台あった。16:15、茨木支店を制覇した。
 茨木支店は、野村銀行茨木支店として1942年7月1日に開設されたことになっている。もともとはこの日野村銀に吸収合併された摂津銀行の本店であった。摂津銀行は、大阪府三島郡茨木町(現茨木市)に本店を置く茨木銀行【注1】と、同郡高槻町(現高槻市)本店の高槻銀行【注2】が1932年3月に新立合併して誕生した銀行。旧茨木銀本店を本店とし、三島郡内に旧銀行から引き継いだ4支店(高槻・大岩・岸部・富田)を構えていた。また、旧高槻銀行から継承して高槻町の金庫事務(現指定金融機関)も担っていた。

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 【注1】茨木銀行:1893(明治26)年6月30日設立。本店大阪府三島郡茨木町(現茨木市)。大岩(同郡石河村:現茨木市)と岸部(同郡岸部村:現吹田市)の2支店があった。1932.03.31高槻銀行と合同して摂津銀行を新立。
 【注2】高槻銀行:1895(明治28)年2月4日高槻貯蓄銀行として設立、1921(大正10)年6月普通銀行に転換し高槻銀行に改称。三島郡高槻町(現高槻市)の本店のほか、富田支店(同郡富田町:現高槻市)があった。1932.03.31茨木銀行と合同して摂津銀行を新立、本店は新銀行の高槻支店となり、野村銀行への買収などを経て現りそな銀行高槻支店。

2009年05月23日

2008.01.25(金)(21)府知事選たけなわ

 制覇を終えて、支店から商店街へ戻ってきた。次の目標は、行政区域でいうと高槻市を出て茨木市に入り、阪急茨木市駅近くにある茨木支店である。
 富田の目抜き通りに戻ってくると、そこは黒山の人だかりであった。というより、商店街全体が人・人・人で埋まっている。りそなの支店に行って帰ってくる間に、何があったのだろうか。
 人波に混じってテレビカメラが何台か入っていることで、私は事情を察した。あさって27日に投票が行われる大阪府知事選挙がらみで、誰か候補者が街頭演説にでも来ているのだろう。そして、この人数から判断すると、来ていたのは最も有名な橋下徹氏【注】としか考えられない。私はほとんど脊髄反射的に人だかりに向かって走り始めていた。格好よく言うと(就職先としては挫折したが)ジャーナリストの血が騒いだのであり、普通に言うと野次馬根性を露呈させたのである。
 やはり、橋下氏本人が来ているようであった。ウグイス嬢がマイクで絶叫している。「ご協力ありがとうございます。はしもと、橋下徹が、歩いて歩いて皆様方のもと、必死のお願いでございます。どうか27日の投票日には…」。別の女性が「頑張って下さい!」と叫ぶのが聞こえた。人だかりで交通が遮断されているようで、車のクラクションが鳴った。多数の人間に囲まれて、タスキをかけた背広姿の男が、道にいる人に向かって、そしてビルの2階3階から見ている人に向かって、道の真ん中で両手を振ってアピールしている。そうか、これが橋下君なのか。1969年生まれだというから私より1学年下だ(彼が早稲田大学の「先輩」であるのは忘れたことにしておく)。
 なるほどと思いながら見ていると、この場にいる人たちはみな、携帯電話を取り出して内蔵カメラで橋下氏の写真を撮っている。知事選の候補者というより芸能人のようである(もっとも橋下氏は芸能活動をしていたわけだが)。私も、橋下候補の写真を何枚か撮ってしまった。高校生などが黄色い声を上げて握手している様子を遠巻きに撮ろうとしただけだったのだが、俺ってこんなにミーハーだったっけと思った。とはいえ、当初意図したようなシャッターチャンスには恵まれず、候補者本人を撮っただけで終わってしまった。私のデジカメは2000年に買った古いもので、シャッタースピードが遅いこともあって意外にシャッターチャンスが来ない。いっそデジカメを動画モードにしておいて、動画をキャプチャした方がよかったかもしれない。
 そうこうしているうちに、候補者は回りの人たちと握手を始めたようだ。その場の雰囲気につられて、私は橋下氏と握手をしてしまった。もし、この25日夕刻に東京で殺人事件でもあって、私が疑われたとしたら、大阪府知事選候補者の一番有名な人がアリバイの証人になってくれるということである。もし本当にそうなったら、ワイドショーの格好の餌食である。まあないだろうけれど。
 「握手をしての感想」は、残念ながら特にない。なにしろ彼は、周辺にいた数人と素早く握手を始め、あれよあれよという間に次へ行ってしまったからだ。感想など持つ余裕はなかったのである。

 怒涛のごとき人出は、支店の角からJR摂津富田駅までの間であった。JRの駅前まで出てくると、[摂津富田駅前]というりそなの店舗外ATMがあって、中にはオムロンIXが2台あるが、客は1人だけしかいなかった。母店は最寄りの高槻富田支店ではなく、大和店舗の高槻支店であった。その隣は三菱東京UFJ銀の店舗外ATM(高槻支店・摂津富田駅前、旧三和銀)で、こちらは機械が3台配備で長蛇の列ができていた。
 ついついJRの駅に来てしまったが、茨木支店に行く私は、JRではなく阪急に乗らなければいけないのである。阪急富田駅へ戻る。途中の道では、相変わらず人だかりが交通の妨げになっていて、後援会の人たちが必死で交通整理をしていた。というか「申し訳ございません」と謝っていた。橋下氏は阪急の踏切を渡って摂津水都信金の方を歩いていた。阪急の地下駅からちょうど上がってきた数人の女子中学生が「キャー橋下徹だー」と走って見に行こうとしていた。

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 【注】橋下 徹(はしもと・とおる):第52代大阪府知事。1969.06.29生、東京都出身、大阪府立北野高を経て1994.03早大政経卒、同年司法試験合格、1997.04大阪弁護士会に弁護士登録。弁護士活動中にタレント活動を始め、2007.12府知事選出馬を表明、2008.01.27当選、2008.02.06就任。

2009年05月22日

2008.01.25(金)(20)高槻富田支店を制覇

 支店がここまで「ド駅前」にあると、町の中を歩くということがなく、本当に銀行に行って帰ってきて終わりである。店舗外ATMでの取引でも通帳に独自の店名が記帳されたあさひ銀行の時代が懐かしくなるが、せめて他の土地までバスで移動できれば、車窓からその土地の風景を見ることができる。
 そう思ったのだが、水無瀬駅前から出るバスは、特にどこへも行けないようである。「どこへも行けないバス」というのも妙だが、駅の周辺だけで路線が完結しているか、他の土地まで出られるかの違いである。というわけで、次の目標は必然的に高槻市になる。島本から一番近いのは高槻支店と高槻支店ジャスコ高槻出張所の2店であるが、これらは2007年6月に統合された茨木支店市場出張所の最終営業日を取りに来たときに制覇してしまったので、その先にある高槻富田(たかつきとんだ)支店に行くことにした。阪急では、水無瀬から3つ目の富田駅が近い。
 15:14発の準急梅田行きに乗車。準急は高槻市まで各駅に停車する。これで高槻市まで行って本物の各駅停車に乗り換えであるが、ひどい。高槻市では各駅停車が先に待っていると信じて疑わなかったのに、乗るべき各駅停車は次々発なのだそうだ。乗ってきた準急が15:19に着いて、22分発の特急をはさんで25分発。ということは6分も待たされる。高槻市は各駅停車の始発列車が設定されている駅なのだから、それを準急に接続させてくれよと思う。ついでに八つ当たりしておくと、後から来た梅田行きの特急も、特急専用の2ドア車ではなく一般型の3ドア車両を使うようになってしまって、往年のステータスはすっかり喪失してしまったと思った。停車駅の面でも、かつては大宮−十三間でノンストップだったのに、今や淡路や桂にまで停車しているから、昔の急行と同じだ。

 水無瀬からの3駅に15分もかけて、ようやく富田に到着した。富田駅に着く直前、右側の車窓から「りそな銀行高槻富田支店」というステッカーを壁に貼り付けた建物が見えた。あそこに行くわけである。
 地下の自動改札を抜けて左へ。JR東海道線の摂津富田駅方面に向かう北出口へ行く。改札上部の案内表示は20年以上ずっと使っているらしく、「JR」の文字の下には「国鉄」という字を剥がした跡があった。JRの駅までは徒歩3分だそうで、そんなに近いんだっけと一瞬思ったが、駅内に貼ってある地図を見ると確かに近そうである。
 階段を上がって地上に出ると、左側には一杯飲み屋のような建物がある。阪急富田駅は目抜き通りから少し入ったところにあって、アプローチは車の通れない細い道である。右側には駅の対向式ホームにつけられた高い壁がダーッと続いていて、ホームに沿って自転車置き場もある。道幅だけでなく歩行者の通行量からしても、この道を車で走るのは無理だろう。
 ようやく目抜き通りまで歩いてくると、戦前期の建築らしき棟割長屋が建っていた。踏切の向こうには摂津水都信金の富田支店(旧摂津信金)が見える。反対側を見ると、JRの駅と思われるものがある。ここはJRと阪急の2つの駅がほどほどに近く、駅の間がうまい具合に商店街になって賑わっている(一応賑わっているうちに入ると思う)。商店街を歩いていくと「ケアーズドラッグ」という関東では見かけない薬屋のチェーンがあった。みなと銀行の支店跡(富田支店:旧阪神銀)だったハズだ。
 石の立て札というか、門のない門柱のようなものがあった。ここは常見寺というお寺の入口らしい。石柱のある角は弁当屋、反対側の角は(みなと銀跡とは別に)薬屋である。こちらは陳列棚がほとんど空っぽになっている。「50%引き」という価格設定からすると、店を畳んでしまうのだろうか。この石柱のある角で右に曲がったところで、りそな銀行と近畿大阪銀行の看板が並んで目に入った。ここには、りそな銀の高槻富田支店(旧協和銀)と、近畿大阪銀の富田支店(旧近畿銀)とが並んでいる。名前が違うのは、りそなは都銀であるから「高槻」とつけておかないと他所の地で認知できないのだろう。今朝行った服部も同様である。それにしても、商店街はそれなりに賑わっているようだが、旧協和銀行の支店は、やっぱり、少し入り込んだところにあるのだ。
 協和銀行高槻富田支店として1978年3月に開設されたこの店には、協和店舗に独特なつくりが色々とみられる。さっき箕面で取り払われていた風除けの壁は、高槻富田では健在であった。また、窓口閉店時には窓口営業中のみ使う伝票記入台などをそのまま残した状態でざっくりと2方向からキャッシュコーナー部分のシャッターが閉まる。この「シャッターが2方向」というのは、旧協和の店に独特の、無駄と言えなくもない造りである。店の構造以外に特筆すべきは、この支店には「高槻住宅ローンセンター」がある。これは「高槻富田」住宅ローンセンターではなく、りそな銀行全体としての「高槻」住宅ローンセンターである。高槻市の中心部(阪急高槻市駅高架下)にある高槻支店ではなくて、周辺部の支店にあるというのは少し興味深い。
 ATMは、機械4台分の枠に3台しかない。となりの近畿大阪には4台あったから、ATMの台数では負けている。配置は両替機と富士通ファクトAが2台、FV20が1台であった。15:41、高槻富田支店を制覇した。

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2009年05月21日

2008.01.25(金)(19)島本、大阪府の極限

 南茨木を取ったので、今回の主目的は一応終了ということになるが、まだ明るいのであと数軒は制覇の上積みができるだろう。
 モノレールは再び動き出したようだが、今日はもう遠慮しておこう。乗ってまたもや停電されたらかなわない。というわけで、引き続き阪急京都線沿線の制覇を続けることにした。京都線で大阪府の極限となる水無瀬(みなせ:大阪府三島郡島本町)駅まで行こう。りそなはここに島本支店を置いている。水無瀬から始めて大阪市方向へ進むことにする。
 南茨木から、14:29発の普通高槻市行きに乗車。次の茨木市駅で準急待ち合わせがあり、14:35発の準急河原町行きに乗り換えた。準急は茨木市の次の停車駅・高槻市で後から来る特急を先に通し、高槻市から先は各駅停車となって京都に向かっていく。水無瀬は高槻市の2駅先である。
 隣りの高架線を、白い新幹線電車がものすごいスピードで通過していった。阪急京都線は高槻市から京都寄りで東海道新幹線と並走している。新幹線の建設工事がたけなわの頃には、工事上の理由から阪急の電車が新幹線の線路を一足先に走っていたこともあるという。
 府境に向かう地区ゆえ、車窓の景色はだいぶ寂しくなり、窓の外には水田が目立ってきた。広告看板が線路に向けてたくさん立っているのは、人口の多い京阪間ゆえだろう。上牧から水無瀬までは宅地化が若干進み、水無瀬駅近くには一戸建ての住宅はあまり多くなさそうだがマンションが目立つ。3月(2008年)のダイヤ改正で、近所にJRの新駅(島本駅)ができるが、この時点ではまだ開業していない。
 水無瀬には14:48に着いた。対向式ホームが1組だけの小規模な高架の駅である。改札が京都方向にかなり寄ったところにあって、後ろの車両に乗っていた私は失敗した。改札が片寄っているというあたり、多少開けてはいても各駅停車しか停まらない小駅である。
 改札を出て左側(北口)へ。こちら側が島本町の古い市街地である。電車の窓からはマンションが多数建っているように見えたが、駅前に出てみると、昔ながらの商店建築やタクシー営業所などがあってひなびた雰囲気である。京都銀行が駅前に支店を出していて、古びた建物は昭和30年代を思わせる。京銀の支店名が「山崎支店」になっている理由はナゾである。ここは大阪府島本町であるのだが、京銀は隣接する京都府山崎町に支店を置かず、地理的には京都府内と同じ扱いとして島本の方に支店を出している【注】。なお、島本町は大阪府下でありながら電話の市外局番が「075」で、これは京都市と同じである。
 りそな銀行島本支店は、この西口ではなく、東口にある。商店街が高架下に長く続いていて、出たところにハンバーガーのドムドムが見える。駅前に建つマンション風の大きな建物は、公団の水無瀬駅前団地。その隣の駅前ロータリーに面したところに、りそな銀行の建物が建っている。
 店に入ると、ロビー係の女性2人は、申し合わせたように黄緑色のカーディガンを着ていた。申し合わせた「ように」というか、申し合わせて着ているのだろう。りそな銀行は女子行員の制服を廃止したまま今に至っているが、制服がないというのは銀行としてはやはり違和感を感じるし、行員さんにとっても不便ではないだろうか。埼玉りそな銀行ではロビー係に限り揃いのスーツを着ているが、あれは多分独自で制服を作ったのだろう。今は営業店では正社員でない人が多数働いているわけだし、従業員に仕事のオンとオフの区別がつきにくくなる側面もある。せめて服装ぐらい揃えた方がいいのではないだろうか。実際、地方銀行では常陽銀行(茨城県)など女子行員の制服を復活する動きが相次いでいる。
 ATMはキャッシュコーナーに6台あって、構成はJX青が1台、AK-1が2台、JX白が3台である。それとは別に記帳機がロビーに1台あった。15:00ジャスト、島本支店を制覇した。
 島本支店は、大和銀行島本支店として1985年6月に開設された。

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 【注】京都銀行山崎支店:店番号は枚方や高槻など「大阪府の京都府寄り」のグループに入っている。「地理的に」としたゆえんである。

2009年05月20日

2008.01.25(金)(18)南茨木出張所最後の日

 13:56発、高槻市行き普通に乗る。隣の駅ゆえ、南茨木にはすぐ着いた。
 南茨木は対向式ホーム1面だけの駅である。改札は3階にあって、出ると目の前が阪急のコンビニ「アズナス」。その右横に券売機があり、阪急系といってよい池田銀行が運営する「パッとサッと」のATMと、阪急系だった【注】消費者金融会社「スタッフィ」、それにシアトルズベストコーヒーがある。そういうものを横目で見ながら階段を下りていく。この駅のエスカレーターは駅ビルの店舗内にしかなく、構造に少々無理があると感じる。関西の私鉄は競争が激しいがゆえにサービスが進んでいる、というのが定評だったハズだが、最近では関東より遅れていると感じることがある。しっかりしてもらいたい。
 駅前に出るとロータリーになっているが、ここから発着する路線バスはなく、タクシー乗り場があるだけだ。目の前にあるビルには尼崎信金と関西アーバン銀行が南茨木支店を仲良く出している(アーバンは旧関西銀)。アーバンの南茨木支店は特にゴージャス路線には走っていない。りそなに向かおうと道を渡ろうとしたら、爺さんの運転する軽のワンボックスが怖い顔をして止まってくれた。
 りそなの出張所は、第二地銀と信金の入ったビルの先にある。まず写真撮影から済ませる。「りそな銀行」だけでなく「パーソナルステーション」の看板もあるのは岸辺と同様だが、さっきと違って剥離の作業は始まっていなかった(あと数時間遅かったら剥がし始めていたかもしれないが)。
 店に入る。店番が母店と同じ出張所であるからATMは使わないが、ATMはAK-1が2台とJX青が1台、合計3台配備されていた。私がカバンから伝票を取り出して記入台の前でごちゃごちゃやっているのを、守衛が黙って見ている。ここの守衛はさっきの岸辺とは違い、自ら案内係を買って出るタイプではないようだった。守衛とは別にスポーツ刈りの丸顔のおじさんがロビー係をしていて、この人がプラスチックの番号札を渡してくれた。番号札の機械がないのである。順番待ちをしていると、中年女性(おそらく店の掃除をしている女性だと思う)がロビー係のおじさんと「さみしいなあ」などと話をしている。おじさんは窓口の景品をおばちゃんにプレゼントし、もらったおばちゃんは「どうもすんませんでした、体に気をつけてお元気で」と挨拶していた。温かい人間関係が展開されていたようだ。
 但し、この店が「不採算」だっただろうことは容易に想像できた。というのは、この店は掃除こそ行き届いていたものの、床が非常に汚れていたのである。リノリウムの床は、日常の清掃だけでは不十分で、掃除の業者が入って定期的に機械で磨き上げるのが普通のようだ。ここではそれが全くないのか、よく通るところが黒ずんでいる。南茨木には半年前にも1度来る機会があって、その時にもポリッシュメントの金が出ないのかと思っていた。だから、その数か月後に統合の告知が出た際、正直言うと別段驚かなかったのである。この店が感じの良い店だったのは間違いないのだが。
 取引が終わった後、窓口では女性の行員さんがポケットティッシュを1つ私に差し出し、最終営業日だけに「こちらは今日で窓口を閉めて…」という話をして、ATMは今後も残ること、窓口は茨木支店のほか、千里丘にも支店があること、などを説明してくれた。14:17、南茨木出張所の制覇を終えて店を出た。この出張所はあと43分で窓口営業を終了して閉店する。

 南茨木出張所は、りそな銀行にとっては発足後初の新規出店となった。同店は個人向け軽量化店舗「りそなパーソナルステーション」の第1号である。パーソナルステーションの試行は関西地区から始まり、2004年2月にまず大阪府下に2店舗(南茨木・和泉中央)、次いで3〜4月に東京で3店舗(新高円寺・南阿佐谷・自由が丘)、そして5月に大阪府下に1店舗(岸辺)が開設されている。南茨木が「第1号」というのは、2004年2月に開設された2店は、南茨木が2月23日開設、和泉中央が同24日の開設と、開設日が1日ずれているためである。
 旧大和銀行は、かつて南茨木に有人出張所を出していた。PSはその復活であったと言える。1983年12月に開設された(旧)茨木支店南茨木出張所は、現店舗が面する交差点の対角線側(茨木市沢良宜西1-2-15)にあるマンションの1階にあったが、1995年10月に統合された。PS開設まで、旧所在地には店舗外ATMが置かれていた。
 南茨木は駅の開設が1970年と比較的新しく、開発はその頃が最も激しかったようだが、最近の動きはやや鈍いようだ。正雀から来た時、駅に入る手前に由緒正しい感じのするお寺が見えたが、寺があるということは基本的にこの界隈は農村地帯だったのだろう。なお、2010年春、正雀−南茨木間に「摂津市」駅が開業する予定である。

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 【注】2009年2月、阪急電鉄は「スタッフィ」を運営する潟Xテーションファイナンスを売却し、消費者金融事業から撤退すると発表した。

2009年05月19日

2008.01.25(金)(17)岸辺駅から正雀駅へ

 岸辺出張所の次は、やはり本日をもって統合となる茨木支店南茨木出張所の最終営業日制覇に向かう。出張所の最寄り駅となる南茨木は阪急京都線の駅で、岸辺からは東に数百m歩けば同線の正雀(しょうじゃく)駅にたどり着く。正雀からは各駅停車で次の駅である。
 駅前通りを真東に歩いていく。岸辺駅前は、店舗がさほどあるわけでもないのに人通りが案外多い。大阪のベッドタウンとして住宅が密集し、マンションも多くみられるが、商店街ではなくて古い時代からの「お店やさん」が多少あったりするので、再開発がそろそろ必要になってくる地域であろう。併せて駅裏の操車場跡地も開発されてくるハズだったのだろうが、結局出張所の統合までには開発されないまま終わってしまうわけである。駅前通りには滋賀県地盤のスーパー・平和堂の食品スーパー店舗「フレンドマート」が面している。前回ここに来たのは出張所の開設直後だったが、ここにスーパーがあった記憶はない。調べてみるとやはり2005年11月の開店だそうだ。
 駅前通りはフレンドマートの先で右にカーブしていくが、私は直進(東)方向に進む。この方向にある私道が正雀駅への一番の近道である。私道には「学生通行禁止」という表示があった。近所に私立大学のキャンパスがあって、学生が通ることを迷惑視しているらしい。無名の大学だと、学生は通るだけで迷惑がられてしまうのである。私にも似たような経験がある。私は名前だけは有名な某マンモス大学の卒業生で、そこに通う前に首都圏の別の無名私立大学に籍を置いていた。最寄駅から歩いて30分近くかかるその大学は、駅前からスクールバスを走らせていたが、大学近くにある住宅団地の真ん中をバスが通り抜けるのが迷惑だという話になった。キャンパス内まで乗り入れていたバスは、団地を通れなくなったことからコースが変わり、学生は校門から遠く離れたキャンパス外で降ろされるようになったのだ。私がこの大学に見切りをつけて再受験をした理由の一つがこれで、有名大学なら学生がこうした屈辱を味わうことはなかろうと思ったからである。
 私道はほどなく阪急の線路にぶち当たり、ここから線路沿いに北へ向かう。左に曲がってすぐのところに「動物霊園」という建物が建っている。動物病院ではなく動物霊園。アパート式の骨壷安置室でもあるのだろうか。お亡くなりになったお犬様(お猫様か)をこうしたところに葬るのは、ペットに並々ならぬ愛情を注いだ人たちなのだろうが、人間に愛情を注がず(注げず)お犬様になみなみと、というのは索漠としたものを感じる。もちろん、動物の霊園を批判しているのではなくて、一人ひとりの人間の孤独感が深いということが言いたいだけだ。
 5分強の歩行でもう正雀駅に着いてしまった。岸辺と正雀との間は、以前来た時にかなり歩かされた記憶があったのだが、なぜか今回は非常に近いと思った。正雀は岸辺と同様に再開発が必要な地域ではないかと思うけれども、都市化された地域なので、駅近くにある民家はそれなりに新しいようである。大学が近くにあるだけに学生が時たま歩いている。あとは、正雀には阪急電鉄の車両工場と車庫があるので、回送電車がたむろしているとか、線路の数がやたらに多いとか、そういう特徴はある。商店街などは岸辺寄りにはないが、線路を渡った反対側にはあって、近畿大阪銀行が正雀支店を出している(旧近畿銀)。駅前に大規模な駐輪場があるが、それ以外には町並みに特に目立つものはない。
 エスカレーターを上って橋上駅舎に入る。エレベーター設置など改良工事中の正雀駅は、トイレが仮設のプラスチック製になったり等ややこしくなっている。京都行きのホームに降りてくると、制服を着てカバンを持った中学生が10人くらいいた。入試でもあったのだろうか。いや、全員が大判の封筒を持っているから推薦入試の合格発表かもしれない。

2009年05月18日

2008.01.25(金)(16)岸辺出張所最後の日

 そろそろ時間がなくなってきた。江坂から今度は新大阪に出て、JR東海道線の各駅停車で岸辺に直行する。岸辺までの途中には吹田支店もあるが、今日の主目的と残り時間とを鑑みると寄っている時間はないだろう。
 さっき来た階段「入口5号」をもう1回上って江坂駅に戻ると、改札前には「大阪モノレール、停電事故のため全線で運休」という掲示が出ていた。13:07発のなかもず行きに乗ると、新大阪には4分で到着した。地下鉄の改札を出て、土産物屋ばかりが並んだ長い長い通路を歩く。新大阪駅は、地下鉄からJRに来るまでの間に店舗が多数並んでいるが、駅の周辺はそんなに賑わっている感じはしない。他のターミナルと違い、列車が行ってしまうとホームがシーンと静まり返ってしまう駅である。14番線から13:22発の各駅停車高槻行きに乗る。江坂で止んでいた雪は、東淀川あたりで再びちらつき始めていた。
 7分の乗車で岸辺に到着。西側には広大な国鉄吹田操車場の跡地が広がっているのが見える。島式ホームが2本あるが、通過線側がホームとして使われていないから、実質的には対向式ホーム1組だけの駅である。ホームから駅舎への地下道は、4mぐらいある階段の幅に対して3mあるかないか程度と狭かった。鉄筋コンクリート2階建ての岸辺駅舎を出ると、隣がコンビニの「ハートイン」。さらにその右隣に、コンビニと同じような平屋建てのりそなの出張所がある。
 出張所に来た1時半の時点で、店頭パラペット部分にある「りそなパーソナルステーション」の行灯看板は、剥離作業の真っ最中であった。写真は(剥がしているところではなく)もう少ししっかりしたものが撮りたかったが、途中で立ち往生した大阪モノレールのせいなのか、そもそも剥がし始めるのが早過ぎたのか。なお、岸辺出張所の建物は統合後取り壊してしまうのかと思ったら、ATMはそのまま残るそうである。できて3年半しか経っていないのに、もう窓口を閉めてしまうと思うと悲しいものだ。駅の背後にある国鉄操車場跡地の再開発が本格的に進まないと、都市銀行が商売するのは無理なのだろう。
 出張所に入ると、案内係兼務の守衛さんから「窓口ですか」と尋ねられた。窓口を使ったらイカンのかいと少し思ったけれども、まあ守衛に愛想を求めるのは無理だろう。新しい店であるので、2台あるATMは最新型であるAK-1で統一されていた。機械は新しいが、キャッシュカードの忘れ物などを投入する「連絡箱」という郵便受けのような箱は、大和銀行時代の古いものに「りそな銀行」のシールを貼って使っていた。窓口室のカウンターは自動ドアを入ってすぐ右手に2つ、そして直角に左に曲がったところにもう1つあった。自動ドア横に伝票の記入台があったが、伝票は記入したものを既に持っていたので、そのまま手前の窓口に近づく。
 早速行員さんが現れてスピーディに処理してくれた。先月統合された新高円寺出張所(東京都杉並区)の最終営業日のようなピリピリした雰囲気はなく【注】、店を出ていく客に「またお越し下さいませ」と言ったりしている。またお越し下さいといっても、来週からここではATMしか稼働しないのであるが。それはともかく、自分の処理が終わった時に、女性の行員に「閉店するのは残念です」と言ったのは、「ヘ?」といった感じで通じていないようだった。ピリピリしていない代わりに、閉店すると言っても何の感慨もない様子であった。
 吹田支店岸辺出張所は2004年5月12日の開設で、りそな銀行になってからの新設店舗である。母店の吹田支店は、東京の中野支店とともに、地域の中核店舗として衛星的に有人出張所を張り巡らせる実験店舗となった。岸辺出張所の開設はこのためで、岸辺開設と前後して吹田市近隣の上新庄・千里丘の2支店が出張所に降格(母店は言うまでもなく吹田支店)されている。その後、上新庄と千里丘の出張所2店は2006〜2007年に再び支店に昇格し、岸辺のみが出張所として残っていた。
 なお、大和銀の前身である野村銀行は、戦時中の一時期この地区に「岸部支店」を置いていた。1942年に同行が買収した摂津銀行の同名の支店を引き継いだものだが、1944年に廃止されている。店名の表記は異なるが、駅の名前が「辺」、この付近の地名は「部」が正しいので、ほぼ同じ場所の店である。摂津銀行については茨木支店の項で述べる。

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 【注】当ブログ2007年10月20日掲載「2007.10.19(金)新高円寺の最終日+南阿佐谷再訪」を参照。

2009年05月17日

2008.01.25(金)(15)せっかくなので江坂支店

 せっかく北大阪急行に乗るから、途中の1支店、江坂支店(吹田市)ぐらいは取っておこう。北急はまさかストップしないと思うが、この調子だと本来目的の2か所が危なくなるかもしれないので、江坂を取ったら余計な寄り道は考えず、先に岸辺に直行することにする。
 と言いつつ、千里中央支店に少し寄り道。先月来たばかりなので【注1】、オムロンATMの中に富士通が1台だけある点など、支店は仮店舗のまま変わっていないと思われる【注2】。立山の「雪の通り抜け」のような白い鉄板の壁がいつの間にか撤去され、図書館などが入る新しい文化センターの建物との間が素通しになっていたことだけが、前回来た時と比べての変化であった。

 駅施設前にある十三信金の千里中央支店を軽く覗きつつ、北急千里中央駅に下りる。発車メロディーの「たき火」が流れ、私の乗った12:42発なかもず行きが発車した。大阪市交通局の車両で、車内アナウンスは北急線内でも地下鉄と同じ女性が喋っている。緑地公園という駅の手前、「りょクチこうえん」と「く」の音を有声音化して発音しているところが大阪らしいと感じた。やはり関東と関西とでは発音が違うのである。蛇足ながら、車内放送で同様に地域性を感じるものとしては、地下鉄御堂筋線の「市役所前」(淀屋橋駅)と「動物園前」がある。文字では書きづらいのだが、どちらも「まえ」の部分が平板になっている。関東では「まぇ」という発音になる(マを強くしてエを弱く下げる)ところだ。
 江坂の近辺は「ダスキン村」と呼べる場所で、ドーナツ関係と雑巾関係ほかのダスキンの施設が多数見える。8分で江坂到着。高架線の上に島式ホームが1本あるだけの駅で、信じられないことにこの駅はホームと線路を包むような壁がなく、一切が吹きさらしなのである。駅の管理は大阪市交通局で、大阪市を飛び出した地区にある駅は市内と比べてなおざりになりやすいのかもしれないが、いくら「吹」田市にあるからといって駅のホームまで「吹」きさらしにしなくてもよいではないか、と少し思った。
 電車からホームに降りると東急ハンズが見えたが、りそな銀行はどこにあっただろうか。とりあえず、駅北端の北改札口を出て階段を下りる。左へ行くと支店だったのは覚えている。
 頭上は御堂筋線と高速道路である。地上の道路をまたぐ歩道橋を渡ったところに「パシフィックマークス江坂」というビルがある。旧称江坂東洋ビルだそうだから旧三和銀系のビルということになるが、三和銀はここにはなく、代わりに1階に池田銀の江坂支店が入っている。このビルには入らず、横の階段を降りて駅前の交差点から左に入ったところがりそなだった気がする。果たして、東洋ビル向かいの雑居ビル1階に江坂支店があった。ビルの横幅いっぱい支店のスペースとして使っていて、正面から見ると大規模な支店に見える。
 さっき行った千里中央もそうだったが、今日はなんだか暇そうであった。お昼だからだろうか。でも25日の金曜日とあれば、昼休みには混雑しそうな気がするのだが。キャッシュコーナーはうなぎの寝床形で広いとは感じなかったが、ATM10台と両替機1台、記帳機が1台ある。ATMの構成はJXの白が3台、AK-1が2台、JXの白が5台であった。12:56、江坂支店を制覇した。
 江坂支店は、大和銀行江坂支店として1979年7月に開設された。

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 【注1】当ブログ連載「りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿」の「2007.11.28(水)(1)よっこらしょ的に千里中央」を参照。http://megu-shiteguri.seesaa.net/article/106494464.html
 【注2】りそな銀行千里中央支店は、今年(2009年)7月6日に本来の位置に復帰する。

2009年05月16日

2008.01.25(金)(14)モノレール立ち往生

 私の乗ったモノレールは、蛍池を出て最初の駅である柴原に停車、2つ目の少路(しょうじ)に向かっていた。時刻は11:50頃だっただろうか。左の車窓に「関西リハビリテーション病院」が見えた。
 急ブレーキがかかり、快調に走っていた車両が高架上で突然停車した。同時に、車内の照明が全部消えた。予想外の事態発生である。私の乗ったモノレールが、高架上でいきなりストップしてしまったのだ。
 昼間だから車内は真っ暗にならなかったものの、夜中ならさぞかし恐ろしかっただろう。なにしろ、普通の電車と違ってモノレールである。大阪モノレールは跨座式だから、重たい車両は1本のコンクリート製レールの上に乗っかっているだけなのだ。もしここで車両が突風に煽られるなどしてひっくり返りでもしたら、りそなのラッピング広告を施したモノレールの車両が「りそなめぐラー」である私の棺桶になるのである。さすがにそれはちょっと不本意だ。もちろんそんなことは妄想に過ぎないのだが、「メメント・モリ」とでもいうのか、私はイレギュラーな局面でどうしても自分の死ということを考えてしまう。
 電車は車内の明かりが消えたまま一向に動く気配を見せなかったが、車内は思いのほか静かで落ち着いていた。車掌の車内放送によると「架線停電」とのことであった。やがて「約5分後に運転再開」と車内放送が入った。少し経つとコンプレッサーが動き始め、車内の明かりがついた。どうやら電気が通じたようで、電車は動き出した。12:09のことであった。
 12:11、立ち往生してから初めて遭遇する駅、少路に到着。定時では柴原−少路間は3分で抜けてしまうところだが、今回この区間だけで18分もかかっている。少路駅では、反対側のホームの電車はドアを閉めて停まったままだったが、こちらの電車はドアを開けて客を乗降させた。
 少路を発車してすぐ、モノレールは車内の電気が消えて再び急停車した。しんと静まり返った車内。どこかのおばちゃんが「何かアナウンスぐらいしたらええのになあ」くらいのことを言っているのが耳に入った。それが車掌に聞こえたわけでもないだろうが、1〜2分の後「再度架線停電が発生した」と2回目のアナウンスがあった。コンプレッサが再び動き出したが、すぐに止まってしまった。12:19に再び走り出したが、1分後また電気が消えた。窓の外がどんよりと曇ってきた。
 電車は三たび走り出したが、私はもうこれですっかり堪忍袋の緒を切らしてしまった。幸い、次の駅は北大阪急行線に接続する千里中央駅である。ここで降りて北急に乗り換えよう。

 千里中央12:21着。危惧していたよりは早く着いたが、私はここでモノレールを捨てた。
 ホームはものすごい人だかりであった。ホームに流れた案内放送によると、電車はしばらく発車の見込みが立たないということである。階下の改札に降りると、改札機の横で女性駅員が「到着遅れましたことをお詫びいたします」と言って頭を下げている。とりあえず遅延証明だけはもらっておこう。「1枚もらうよ」と言ったところ、改札の女子駅員が「あ、まだ証明しておりません」と、証明書の日付欄にボールペンで大慌てでチェックを入れた。「遅延時分」の欄には「30分」のところに穴が開けてあった。
 今回は千里中央までたどり着けて運がよかったと言うべきなのだろう。さっき石橋で3分差で急行に乗れていたら、経過時間からみて千里中央を出た先で立ち往生していただろうから、今頃まだモノレールの中でジリジリしながら時を待っていたに違いない。1本遅い電車に乗ったおかげで、私は千里中央から別コースで向かうことができたのである。運が悪い男だと自分で思っていたが、実はいざという時の運が強いのだろうかと少し思い直した。
 北急の駅に向かう連絡通路は、屋根がついているのは真ん中だけで、通路の端は吹きさらしであった。雲がだいぶ出ているが、隙間から日が射してきている。雪が舞っているから「お天気雪」とでもいうのだろうか。寒いのには理由があった。

 報道をもとに、今回の状況を「為栗ニュース」風にまとめてみた。

大阪モノレール、停電で全線ストップ
 (2008年1月)25日午前11時50分ごろ、大阪府北部を走る大阪モノレールで停電が発生し、本線(大阪空港−門真市)と彩都線(万博記念公園−彩都西)の全線で運行を停止した。
 停電時、列車は本線で8本、彩都線で2本が運行中だった。停電は断続的に続いたため、駅間で立ち往生した2本は約20分後に最寄り駅に着いた。運転は約1時間10分後に再開したが、この事故で約1万人が影響を受けた。
 運行する大阪高速鉄道(豊中市)によると、車両の1台に電気系統で故障が起き、この影響で沿線5か所の変電所でブレーカーが落ちたという。
 千里中央駅では、モノレールから降りた乗客らが駅員から振り替え輸送の案内を聞いたり、運賃の払い戻しを求めたりした。改札口付近では、一時十数人の利用客らが運転再開を待った。阪急電鉄などでは、モノレールと接続する各線で振替輸送を行った。

2009年05月15日

2008.01.25(金)(13)石橋で1本乗り過ごす

 箕面で11時を回っているのは、予想よりも遅い。なにしろ、今日最大の目的は南茨木と岸辺の最終営業日の制覇であるので、本来の目的を外しては意味がない。窓口営業時間中にケリをつけなくてはならない岸辺と南茨木の2出張所は、あまり寄り道しすぎると間に合わなくなる恐れがある。特に、営業店の統廃合では、最終営業日は通常の17時ではなく「15時」に窓口が閉まるので余計にそうである。
 とにかく、市役所前まで来てしまった以上、バスで千里中央へという選択肢はなくなった【注】。ミスドの1号店に寄っているヒマもない。今日の懸念事項を全て片付けなくては。牧落から石橋に戻って、さらに蛍池(阪急宝塚線)で大阪モノレールに乗り換えて南茨木に入ることにする。蛍池からモノレールで南茨木に直接行ってしまえば、乗り換えの回数は少なくて済む。
 さっき見た地図によると、箕面市役所前の道路は、西方で阪急箕面線の線路にぶち当たっている。踏切で左折すれば南側にある牧落駅に出るはずだ。歩みを進めよう。箕面の中心市街地からだいぶ外側に出てきたゆえ、このあたりは完全に住宅地となり、瀟洒な新築住宅がそこここにみられる。センチュリー21とかエイブルとかいった不動産業の営業所が多くみられるから、この付近では賃貸なども含めて住宅の取引が結構行われているのだろう。その一方で、仏壇屋が出店しているのは興味深いと感じた。やはり、家が建ち並んでくると、そのうち必要になるのはお葬式であるのだ。
 市役所前からずっと高級住宅地が続いてきたが、牧落まで来ると高級感はやや薄れた。でも、十分閑静な住宅地ではないだろうか。やがて踏切に到達し、駅のホームがそこから見えた。左に曲がる。線路沿いに畑があって、雰囲気としては休耕田である。というか、冬場だから何も栽培していないのだろう。都市部とあって、畑にはゴミがたくさん投げ込まれていた。

 牧落11:22発。4分の乗車で石橋に戻ってきた。ここで宝塚線の上り電車に乗り換えである。
 ちょっとトイレに行っている間に、11:28発の急行梅田行きが発車してしまった。用足しぐらいさせてくれよと思ったが、31分発の各駅停車があるそうで、まあ3分後に来るのであれば良しとしておこう。と、この時点では思った。
 蛍池駅は非常に立派な橋上駅舎だったが、前方の車両に乗っていた私は見事にハマってしまった。この駅はホームから上がる階段が後ろ寄り(北端)の1か所しかなく、ホームを端から端まで歩かされたのである。そしてようやくモノレールのホームに上がってみると、門真市行きは11:36発が目の前で発車してしまい、46分発が来るまでホームでの吹きさらしが確定してしまった。やれやれ。さっき石橋から急行に乗ってこなかったら駄目だったのだ。しかしそれにしても、コンコースで「46分」という次発電車の表示を出すのが早すぎる。あそこで頑張って走っていれば乗れたのに。まあ、鉄道会社としては駆け込み乗車をされたくないだろうから仕方がないか。
 風が吹き抜ける真冬の高架ホームは、非常に寒かった。今日は近畿圏としては特に風の強い日ではないだろうか。気温はさほど低くはないけれども、風が強いのでひときわ寒く感じる。やがて、11:46発の門真市行きが大阪空港方面からやって来た。モノレールの車体内外は「りそなめぐラー」の私が乗るのにふさわしく、りそな銀行の買い切り広告である。緑・オレンジ・白の3色で塗って「R」のマークを入れただけの簡単なデザインとはいえ、りそなは大阪では電車やバスのラッピング広告までやっている。りそなのこの手の広告に東京や埼玉でお目にかかったことはないが、やはり会社の認知度を上げる方策は関東地区でも何か考えた方がよいのではないか。と、東京都内のりそな空白地帯に住む私は思った。後ろから2両目に乗り、転換クロスシートの向きを変えて座ったところ、老夫婦と同じボックスになった。
 蛍池から南茨木までの乗車時間は、約20分の予定である。大阪モノレールは中国自動車道と一緒に走っているから、沿線はモータリゼーションの波に乗ってよく開発されている。マンションもドカドカと建っているし、車窓から不動産屋もたくさん見える。阪急宝塚線沿線という古くから開発が行われていた土地柄でもあるせいか、棟割長屋を戸建てに切ったような2階建て(昭和50年ごろ建築と思われる、割合に新しい建物)も見られる。

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 【注】池田から来る千里中央行き(阪急バス)が市役所そばを通るようだが、後で知った。

2009年05月14日

2008.01.25(金)(12)箕面市役所前へ

 続いて、箕面市役所前にある旧大和店舗の跡に向かう。
 りそなの近所にある三菱東京UFJ銀行の箕面支店(旧三和銀)を横目で見ながら支店前の通りを東へ進むと、すぐに箕面5丁目の交差点に到達。角の左奥には三井住友銀の箕面支店(旧住友銀)が見える。箕面市役所は、交差点で右(南)に曲がった先である。
 右折して、南北に走る大通りを行く。摂津水都信用金庫が「箕面中央支店」を出していた(旧豊中信金→水都信金)。「中央」とわざわざつけているのは別に箕面支店があるのかと思ったが、調べてみるとこの信金は箕面中央と箕面東の2支店だけで、「箕面支店」はないようだった。
 町の雰囲気は、雑居ビルの建ち方とか街路樹の立ち方が今まで歩いてきたところとは違う。少しだけ高級志向、ということなのか。首都圏でいうと、昭和50年頃に開発された高級住宅地ということで、たまプラーザ(横浜市青葉区)あたりがイメージ的にやや近い気がする。神戸に本店を置く高級スーパーのいかりスーパーが見える。あとは、ガソリンスタンドありマンションありと、お決まりの風景が広がっている。
 旧集配普通局の箕面郵便局があった。敷地内には、あさって27日の日曜日に投票が行われる大阪府知事選挙のポスター掲示場があって、4枚のポスターが貼ってあった。左上が梅田章二という人で、その下が橋下徹、右上が熊谷貞俊、右下が杉浦清一となっている(もう1人、ポスター掲示のない人で高橋正明がいた)。知名度では、タレントをやっていた橋下徹氏がダントツだろう。なにしろ、テレビを全く見ない私が知っているくらいである。
 目指す箕面市役所には一向にたどり着く気配がない。ちょっと自信がなくなってきたので、郵便局隣りのセブンイレブンに入って地図を立ち読みした。記憶に間違いはなかった。箕面市役所は、セブンイレブンのもっと先である。箕面駅からこんなに遠かったかなと思うが、地図で見ると市役所の最寄り駅は箕面ではなく、1駅石橋寄りの牧落(まきおち)になるのであった。

 ようやく箕面市役所に到達した。3階建ての建物の上に4階を継ぎ足したような外観をしていて、4階部分の屋根は弓張り形というのか、パーレン(丸括弧)を上に向けたような形をしている。旧大和の支店跡は市役所の向かいにあって、カラオケ屋などが入った雑居ビルになっていた。支店の跡では、箕面支店を母店とする店舗外ATM[箕面市役所前]が現在も稼働している。
 ここまで歩いてくると、大和は「箕面に関しては」店の立地条件が芳しくなかったらしいことがわかる。市役所の近辺は商業集積はあまりないようで、住宅の方が多そうだ。市役所のそばといっても、城下町などならともかく新興(といっても大正以降)の住宅都市では、銀行の商売にはメリットが薄そうである。箕面市の指定金融機関はりそなではなく三井住友銀行であるからなおさらのことだ。合併後に(店籍はともかく)使用店舗が旧あさひ店となったのには理由があったのだろう。但し、この恵まれない(?)立地条件の中で、集客に関しては一定の水準を確保していたようだ。箕面支店は2008年3月に有人の池田出張所を池田市にオープンした。この出張所は行政区域では池田市に属するものの、実は箕面支店の旧店舗からさほど離れていない「呉羽の里」という地域にあって、市役所近辺に住む旧来からの顧客をあてにして出店していると思われる。
 写真撮影を済ませる。思うのだが、先進国には車が多すぎる。いざ写真を撮ろうとすると、それまで車など1台も走っていなかったところに突如として右折待ちのトラックが沸いてきて、視界を遮る。邪魔にはならないまでも、赤や黄色の車は視覚的には大いに目障りである。先日話題になった漫画家楳図かずお氏の自宅(東京都武蔵野市)は、赤を主体にした配色(紅白しま模様)であったから反発を買ったのだろう。赤はやはり最も目立つ色であり、それだけ圧迫感が強いのだ【注1】。

 箕面支店は、大和銀行箕面支店として1966年3月に開設された。当初は小型支店【注2】だったが、1968年7月普通支店に変更、1979年8月箕面市役所前に店舗を新築している(それ以前から市役所前にはあったのだが)。りそな発足後の実質的な店舗統廃合であるブランチインブランチ(支店内支店)では、大和店舗があさひ店舗に移転する形で行われ、統合時の存続店舗は大和になった。旧あさひ店舗は1972年4月に協和銀行箕面支店として開設され、大和銀行との合併を前にした2003年1月に店名を「箕面駅前」に変更した。箕面支店の支店内支店化は2003年12月、統合は2006年8月のことであった。

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 【注1】楳図邸の反対運動について:一部に「プロ市民が騒いでいるだけ」との説もあるが、夜間にはライトアップまでしており、「目立ち過ぎ」と考える人はやはり存在すると思われる。
 【注2】小型支店:1961〜68年に認可された、行員数・店舗面積の限定された支店。大都市周辺での人口・住宅の増加を背景としている。

 【2009.05.15_07:07追記】一部に修正ミスがあり、お見苦しい点がありましたことをお詫びいたします。

2009年05月13日

2008.01.25(金)(11)箕面支店を制覇

 阪急箕面線は箕面駅の手前で複線から単線に変わり、駅の行き止まり式ホームに突っ込んだところで終点となる。
 線路の突端側にある改札を出ると、駅のすぐそばまで山が迫っていて、駅前からは山の上に向かう道が延びていた。「滝道」とあるから、道の先には滝があるらしい。山の中腹には大規模なマンションが建っている。エレベーターはガラス張りであった。今日の箕面は晴れていて暑いぐらいであるから、エレベーターから箕面の街を見下ろすのはさぞかし爽快だろう。
 駅前広場にはバスターミナルがある。千里中央行きのバスがあるのは知っていたが、箕面の次に行きたいと思っている北千里へ行くバスはないようだ。それから、観光案内所がある。駅前まで山が迫っている箕面は、明治の森箕面国定公園など観光地を多数持つ。多数ある寺院では霊場巡りのようなことができるらしい。
 さて、箕面での目的地は2つ。駅のすぐ南側にある現・箕面支店。こちらは旧あさひ銀の箕面支店だった。そして、駅から少し離れた箕面市役所前には旧大和銀の箕面支店だった店舗跡がある。「めぐ」の用事は駅前だけで済んでしまうが、今回は廃店跡の写真もあわせて撮りに行くことにしているから、こちらにも足を運ぶ。
 まずは、駅から近い旧あさひの店舗に向かう。ロータリー南側の「サンプラザ2」という茶色い建物の東(左)側をまっすぐ南下する「みのお本通り商店街」を200mほど行った左側である。
 「サンプラザ」には学習塾が3軒くらいとパソコン教室が入っているが、空き部屋もあった。1階駅寄りの部分にハンバーガーのウエンディーズ。あとは、写真の現像屋があったり喫茶店があったり、ケーキ屋や歯科医があったり。駅前の再開発ビルにありがちなおきまりの業種ばかりである。池田銀が箕面駅前支店をこのビルに出している。
 みのお本通り商店街は、関西らしく賑わっている商店街だが、緑青に覆われた銅製支柱のついた西洋風のベンチがドンと置かれていたり、舗装が化粧石になっていたりと、少しだけソフィスティケートされていた。通りには「みのお本通り商店街南角 ミスタードーナツ」という垂れ幕がずっと並んで出ている。商店街の先、りそな箕面支店の向かい側にあるミスタードーナツは第1号店だけに、広告の入れ方にも力が入っているようだ。そして、りそなの看板が見えた。今日の主目的はあくまでりそなめぐりだが、せっかくなので、後でミスドでお茶ぐらい飲んでいっても良いか。やはり「1号店」には重みがある。
 支店西側の入口から店に入る。もちろんりそなの支店に入ったのである。店内を一瞥すると、支店の南側入口にあった風除けの壁は今では取り払われているようだ。以前私がブログで書いたとおり【注1】、あさひ銀時代の最末期(「箕面駅前支店」に改称後)には、風除けの壁に大和・あさひの両店舗従業員の写真が並べて貼ってあったのである。キャッシュコーナーのATMは台数が8台とかなり多く、機種もバラエティに富んでいる。リーダスAK-1が2台、オムロンJXの白が3台、沖電気のATM21が2台、ATM21Bが1台。ここはブランチインブランチ(支店内支店)の実施店舗だったので2社のATMが混在している【注2】が、店籍上は旧大和店舗であるからATMのメーカーはオムロンが基本である。記帳機はオムロンと富士通が1台ずつあり、両替機がATMブースの一番右側にあった。10:40、箕面支店を制覇した。

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 【注1】当ブログ連載「あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇」の「2003.01.09(木)(7)11:03、箕面駅前支店を制覇」を参照。
 【注2】機種の混在:現在では店ごとに統一が進んでおり、箕面支店はオムロン系で統一されたと思われる。

2009年05月12日

2008.01.25(金)(10)阪急箕面線にて

 今度こそ箕面に向かう。
 駅に戻ったとき、改札機の設置されていない「学生専用出口」なるものがあるのに気がついた。制服着用の3つの高校の生徒のみを対象とし、開放時間は平日のみ07:30〜08:50だそうである。多人数の学生を改札機に通すと改札の混雑度が上がるからだろう。不正防止については抜き打ちで検査しているのだろうが、あるいは土地柄として不正乗車が少ないのかもしれない。
 さっき出た西出口から入り、箕面線ホームに向かう地下道に降りてきた。箕面線が出るのは宝塚線梅田方面ホームの向こう側なので、今度は地下道に降りないとダメである。箕面線の線路が宝塚線の上りホームに直角にぶつかってきているのだが、こういう配線の乗り換え駅に関東でお目にかかった記憶はない。マニアックなことを書いておくと、配線が改良される前の鶴見線武蔵白石駅が似ている程度である。

 行き止まり式のホームに、4両編成の電車が入ってきた。車両は3000系というようだ。箕面線専用らしく、行き先の表示は方向幕ではなく「石橋」「箕面」と書かれた長方形の板になっている。箕面駅の改札がどん詰まりにあるのはわかっているので、一番後ろ(というか方向転換すると一番前)の車両に乗った。次の箕面行きは10:20発である。
 石橋駅の東側は穏やかな住宅街だが、あまり高級感があるとは思わなかった。しかし、これが箕面方面に進んでいくにつれて、少しずつ高級感を帯びた住宅地になってくる。住宅地に庭は相変わらず少ないけれども、例えば十三だの三国だののように小さな家がびっしりと建ち並ぶのではなくて、敷地の使い方に少し余裕が出てくる。一軒一軒の家は一応違う形をしているし、家そのもののサイズも大きくなってきた。三国あたりには棟割長屋をバラバラにしただけのような2階建ての家の並びがあったが、箕面線の車窓風景にそういうものはなかった。時折混在する古い農家は、ほぼ例外なく大邸宅になっている。
 車内には「平成20年度 宝塚音楽学校 生徒募集」という吊り広告が下がっている。宝塚歌劇団の女優を養成する宝塚音楽学校というのは各種学校だと思っていたが、中卒で入学した者が高校卒の資格を取ることもできるそうだ【注】。この年の募集人員は女子約40名、願書の受け付けは2月5日までで、願書関係書類は1部2000円である。学校側が願書の用紙を一式用意するのに製作費がかかるのは理解できるが、その頒価が2000円というのはよほど複雑で枚数が多いのだろう(と善意に解釈しておこう)。第一次試験は東京および宝塚で実施、「上記のうち学校から指定される1日」だそうである。試験科目は「面接」と「実技」で、面接は容姿と試問、実技はバレエ(2009年から廃止)と声楽。選抜基準の中に当然のように「容姿」という項目が入っていることに妙に感心してしまった。元参議院議長の扇千景女史(1933年生まれ)がここの出身で、2008年4月に日本経済新聞の『私の履歴書』で連載をしていた。それを読むとこの学校は何十年も昔から変わらぬスタイルを貫いていると思ったのだが、やはり時代の流れというものには逆らいきれないようである。
 間もなく箕面に到着する。

 【注】通信制高校と連携した高卒資格取得のサポート制度がある。利用は任意。
カテゴリ一覧(過去の連載など)
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単発(12)
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銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇(29)
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りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
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りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇(51)
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りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
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2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)