2009年06月16日

あとがき・参考文献一覧

 「りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ」、6月15日をもって完結いたしました。
 最後までお読みいただいた方には、例によってダラダラと続いた連載にお付き合いいただき、御礼申し上げます。あとがき等も含めた分量は、最終的に約260枚(400字詰原稿用紙換算)となりました。

 「はやぶさ・富士の乗り納めレポート」が今頃出るのであればまずまずでしょうが、今回の連載は、去年春のダイヤ改正で廃止になった「銀河」の乗車記から始まっています。前回の連載「近畿大阪めぐ」の末尾で、私は「次の連載は、準備が既に相当程度進んでいますので、近日公開できると思います」と大見得を切りました。しかし、2月下旬に連載が終わった後、次の連載まで結局2か月以上も経ってしまいました。今回の連載が「相当程度準備できている」ハズのものですので、タイムマネジメントの稚拙さには恥じ入るばかりです。
 じゃあ次回以降は? いちおう、次回連載分として「小ネタ」を準備している途中であり、また大きな連載も10本分くらい材料のストックはあります。処理している時間がないだけです。「めぐ記」を書く専業にでもなればもっと発表ペースは速くなるでしょうが、そういうわけにも行きません。

 今回は、大阪府知事選挙をはじめとして、社会問題にかなり言及することになりました。箕面の高級住宅地も、西成のあいりん地区も、ともに大阪の「真実の姿」です。橋下徹氏はこれだけバラエティに富んだ貌を持つ府のトップに立ったわけで、舵取りが困難であることは就任後の報道からもうかがい知れます。一度握手を交わした同世代の者として、「“ギョエー”というような」大阪変革を橋下氏が達成できるよう期待しております。大阪府民ではありませんので腰の引けた言い方になってしまいますが。
 なお、今回の連載では、初めて苦情を頂戴しました。全体に目配りはしていたつもりですが、やはり抜けるところはある。これはもう人間として宿命のようなものでしょう。ただ、ミスを犯した時いかにフォローするかに人間の真価が表れると思います。6月就任した埼玉りそな銀行の上条正仁新社長が、就任に先立つ5月の記者会見で「“卑屈で傲慢”ではなく“謙虚で毅然”」と仰っていました。今回私は、それを敷衍したわけではありませんが、真摯に(謙虚に)逃げずに(毅然と)対応したつもりでいます。さて、どのように評価されるでしょうか。

 プライベートでは、相変わらず「いい話題」と縁のない生活を送っております。厄年とはこういうことなのか、と歯噛みするような出来事ばかりです。頭の中では不吉な妄想も渦を巻いていますが、「言い当てる」ことにならないよう、ここでは紹介しません。
 さまざまな思いが去来しますが、この連載はこれにて終了します。この連載を数年後に読み返して「古い」と感じられることがあるかもしれませんが、あくまで 2008年1月の実体験と、その後の連載期間における「一面の真実」です。そういうものだと思ってお読みいただくことを望みます。
 この連載のような「文章を使っての自己主張」が、私の生き甲斐です。今後ともご支援・ご鞭撻をいただけますようお願いします。ご意見や情報提供をお待ちしています。このブログ「MEGU」は、コメント・トラックバックを歓迎していますし、私のメールアドレスも公表しています。

 なお、この連載の執筆にあたっては、以下のような書籍・webサイト等を参照いたしました。

参考文献一覧
紙媒体は発行年順、webサイトは本文掲載順(2009.04.30現在)
  『牧野頭取講演全集』不動貯金銀行、1930年
  『大和銀行四十年史』大和銀行、1958年
  『大阪貯蓄銀行五十年史(草稿)』協和銀行二十年史編纂室、1965年
  『茨木市史』茨木市、1969年
  『富士銀行百年史』富士銀行、1982年
  『大和銀行七十年史』大和銀行、1988年
  『協和銀行通史』あさひ銀行、1996年
  『大和銀行八十年史』大和銀行、1999年
  『富田林市史 第三巻』富田林市、2004年

  『銀行総覧』大蔵省銀行局、各年版
  『日本金融名鑑』日本金融通信社、各年版

  『橋下 徹 オフィシャルウェブサイト』http://www.hashimoto-toru.com/
  「銀行変遷史データベース」『全国銀行協会』http://www.zenginkyo.or.jp/library/hensen/
  『大阪民国総合案内』http://www.osaka-minkoku.info/
  「スーパー玉出ツアー」『飴屋的蜘蛛頁』http://homepage.mac.com/ameya/travel/tamade/tamade.html
  「イヅミイチ(泉一)の醤油」『まるで猿のブログ』http://marudesaru.blogzine.jp/marudesaru/2006/09/post_fdae.html
  「主な産業の歴史」『泉大津市』http://www.city.izumiotsu.osaka.jp/sangyouseisaku/menu-sangyohistory.html
  「桐生の鋸屋根工場」『ファッションタウン桐生推進協議会』http://www.ftnet.or.jp/nokogiriyane/index.html

  フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

2009年06月15日

2008.01.27(日)エピローグ 難波→京都→東京

 翌日。昨夜暗くて写真が撮れなかった2か所、柏原支店と羽曳野市商工会館を回ってから、京都府内の伯母宅へ向かうことにした。
 日本橋から近鉄の快速急行奈良行きに乗る。鶴橋で大阪線の準急榛原行き08:46発に乗り換え、さらに高安で河内国分行き各駅停車に乗り換えた。高安では特急待ちなどもあって8分も待たされた。どうも近鉄は各駅停車と優等列車との接続が悪くて腹が立つ。
 12時間ぶりに堅下にやって来た。JR柏原駅前にある柏原支店の写真をパパッと撮って、柏原から近鉄道明寺線09:32発。道明寺からは09:42発準急吉野行きに乗り換えて、古市には09:45に着いた。古市では羽曳野支店と商工会館の2か所の写真を撮り直したが、この時間の太陽光線は写真を撮るのに不向きで、一応建物ははっきりと撮れたものの、大事なところに影が残った出来のよくない写真になってしまった。闇夜のカラスよりはマシだが、いずれもう1回撮り直しに来なくてはいけない【注】。しかし、羽曳野支店はともかく、前述のとおり商工会館はもう撮り直しもきかない。

 法事の開始時刻「午後1時」に間に合うように、近鉄京都線の某駅まで行かなければならない。2か所の写真撮影で予想外に手間取ったせいで、古市発は予定より40分も遅くなってしまった。10:18発準急橿原神宮前行きに乗車。橿原神宮前には10:52に到着し、連絡通路を大急ぎで走って10:53発の橿原線普通大和西大寺行きに乗り換え。さらに終点の西大寺で京都線の急行国際会館行きに乗り換える。大和西大寺では乗ってきた各駅停車の向かい側に電車が1本停まっていて、この電車が両サイドのドアを開けている。これにより電車が跨線橋のような役割を果たし、隣のホームに停まっている急行国際会館行きに階段を昇降せずに乗り継ぐことができた。近鉄にはこういう臨機応変な一面もある。
 途中駅で各駅停車に乗り換えて、目的地の駅には12時過ぎに到着した。法事は、他の親戚一同が大遅刻してきたおかげで、結果として一番乗りで出席した。親戚としばし歓談の後、その晩に京都駅八条口を出る近鉄の夜行高速バス「フライングスニーカー」で帰途についた私であった。
 夜行高速バスは、今回コンビニの多機能端末を初めて使ってみた。私が使ったのはローソンの「ロッピー」である。日曜の夜8時には、私のような考えの人間が他にもいたのであろう。京都駅から新宿まで直行するバス便が、私が手続きしようとした瞬間に買えなくなってしまった。ついさっきまで「残席わずか」となっていたのが、たちまちなくなってしまったのである。一瞬血の気が引いたが、結局は東京駅八重洲口行きのバスを確保した。

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 【注】羽曳野支店の写真撮り直しは2009年3月に実現した。当連載の「2008.01.26(土)(17)まずは羽曳野支店へ」では、1月26日撮影分と撮り直し分の両方を掲載している。

<りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ 完>

2009年06月14日

2008.01.26(土)(19)古市終了後

 もうすっかり暗くなってしまった。写真も撮れないこの時間には、普段やっているような「りそめぐ」はできないのだが、ウオッチャーとしては、1月に新築移転した柏原支店(柏原市)の新店舗を見に行くのと、2004年3月に統合された旧やまと高田出張所(奈良県大和高田市)の写真を撮りに行くのが課題として残っていた。もう既に真っ暗で写真は撮れないが、「闇夜のカラス」のような写真であっても全くないよりはマシだと考え、フリー切符を持っていて交通費が無料となる日に無理やり写真を撮りに行ったのである。
 古市18:26発の準急あべの橋行きで、古市の隣駅・道明寺へ。近鉄道明寺線18:34発に乗り換え、柏原に着いたのは7時前であった。でも、もうすっかり夜である。
 スルKAN2dayは改札でそのまま見せて通った【注1】。前回来た時に工事中であったデッキはほぼ完成したように見えたが、まだ開通はしていなかったから、移転済みの柏原支店に行くには一旦地平に降りて、まだ工事の続く駅前広場を抜けなければならない。駅前に出てみると、事前の予想どおり、駅前の再開発ビル「アゼリア」の前面2階部分に「りそな銀行」の文字が見えた。
 支店のキャッシュコーナーは、1階と3階にあるようだ。3階にキャッシュコーナーができかけていたのは前回わかっていたから、1階のキャッシュコーナーに入ってみる。キャッシュコーナーとしてはこちらがメインであるらしく、合計6台のATMが置かれていた。AK-1が1台とJX白が2台、そして1mほど後ろにずれてJX白が3台。店舗こそ新しいが、移転前の支店で使っていた機械をそのまま持ってきたらしく「7時まで無料」のステッカーが大々的に残っていた。ATMでの預金引出が平日19時以降有料であることを示す「7時まで無料」というステッカーは、今貼ってあってはいけないのである。りそなは前年(2007年)11月からATMの時間外手数料を「完全無料」としたからだ。こういう細かいところに気が付く人が、1店舗につき1人くらいはいて欲しいと思う。あるいは、新築店舗なのだからこれを機会に新しい機械に交換すればよいのにと思わないでもない。
 もちろん3階キャッシュコーナーにも入ってみた。建物横のエスカレーターを使って上がると、3階には両替機が1台と、珍しくオムロンIXが2台置かれていた。

 次は、ほんの少しだけ大阪府を飛び出し、奈良県大和高田市に向かう。もちろん「スルKAN2day」のおかげで余計な電車賃がかからないからである。
 柏原から大和高田までJRを使わずに向かうには、方法が2つある。一つは、今来た道明寺線で道明寺に戻り、近鉄南大阪線で高田市へ出て、そこから北に向かって約1km歩くルート。もう一つは柏原駅の東にある近鉄大阪線の堅下駅まで歩き、そこから大和高田に向かう方法である。どちらもそれなりに歩く必要があるが、1つ選ぶとなると、夜も遅いことだし確実なルートということで、大阪線を使うことにした。高田市→大和高田の徒歩移動はしたことはないが、柏原駅から堅下駅までの間は前回(2007年11月)に歩いたばかりで【注2】記憶が鮮明なのである。
 堅下19:12発の普通河内国分行きに乗車。終点で接続電車があるだろうと当然のように思っていたが、ひどい。単に降ろされただけで、後続の準急名張行きが来るまでかなり待たされた。準急は国分の次の五位堂で降りて、快速急行宇治山田行きに乗り換え。大和高田は快速急行では五位堂の次の駅である。
 闇夜のカラスのような写真をさっさと撮り、大和高田19:57発準急上本町行きで大阪に戻る。20:38鶴橋に到着し、難波行きに乗り換え。この日は例のカプセルホテルに投宿してあっさりと終わった。

 【注1】前回、柏原支店に行った際の体験記で、「スルッとKANSAI 2dayチケット」は近鉄道明寺線では本当は通用しないことを書いた。あれは執筆時点で確認した結果であって、この時点では当然のように通用すると思い込んでいた。
 【注2】当ブログ連載「りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿」の「2007.11.26(月)(5)住宅地を抜けて堅下駅へ」を参照。

2009年06月13日

2008.01.26(土)(18)商工会館は残っているか

 古市には目標がもう1つあった。りそなに関係する歴史的建造物である。
 明治時代に建築された旧富田林銀行古市支店が、古市駅の東側にまだ残っているらしいのだ。これは1961年まで大和銀行古市支店として使われ、最近まで羽曳野市の商工会館となっていた建物である。2007年末に入ってきた情報では、この建物は近日解体されてしまうのだという。情報が入ったのが12月だったから、1月のこの時点では既に解体済みの可能性もある。しかし、万が一ということもあるではないか。それを確かめようとしたのである。
 古市駅に戻ってきた。駅前の踏切を渡って東へ。路線分岐駅と車庫に隣接したこの踏切は、またいでいる線路の本数が非常に多い。踏切横のミスタードーナツには以前1回来たことがある。こうした様子を横目で見ながら東へ進む。
 商工会館があるという羽曳野市古市3-1は、古市駅の東側300mほどのところである。古市は明治時代には駅の東側が中心地だったようだが、今となっては商業などないに等しい。センターラインを引く余地もないほど狭い道は「竹ノ内街道」といって、これでも国道166号線の本線であるが、寂れた商店街というより完璧に住宅地そのものとなっている。新しい建物は見かけないが、といって観光地になりそうなほど古い建物が多いわけでもない。「スーパー玉出」がこんなところに店を出していて、サイケデリックな看板が目立っている。その先には農協(JA大阪南・古市支店)。さっき駅のコンコースで掲示地図を見たところによると、農協は駅と商工会館とのちょうど中間地点にある。
 そして…。

 残っていた!

 この12月まで羽曳野市商工会館として使われていた旧富田林銀行古市支店の建物は、変わらず佇んでくれていた【注】。正面の鉄扉には「別れを惜しむ市民の集い」という貼り紙がまだ残っている。旧羽曳野市商工会館は、1910(明治43)年頃の建築で、富田林銀行古市支店として建てられたものである。1961年11月まで大和銀行古市支店として使用されていたが、支店が駅の西側(現在地)に新築移転した後は羽曳野市の商工会が譲り受けて商工会館として使ってきた。しかし、明治期の建物はさすがに維持していくのが困難となり、ついに建て替えられることになったものである。経営が蹉跌した富田林銀行は1934年に野村銀行に吸収され、本店は現りそな銀行富田林支店に、そして古市支店は現羽曳野支店となっている。
 建物が残っていることが明らかになった以上、やはり取り壊されてしまう前に最後の姿をカメラに収めておきたい。明日は京阪沿線にあるりそなの店舗を攻めつつ法事に向かうつもりであったが、予定を変更して、明るい時間にもう1回商工会館の写真を撮りに古市まで来ることにしよう。

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 【注】旧羽曳野市商工会館:2008年春に解体された。

2009年06月12日

2008.01.26(土)(17)まずは羽曳野支店へ

 次の目的地である古市(羽曳野市)へは、河内長野まで出て近鉄長野線に乗り換えである。地図で見ると三角形の2辺をぐるっと迂回していくような形になるが、止むを得ない。この調子だと現地に着いたころには真っ暗かもしれない。ともかく、千代田17:06発の区間急行三日市町行きで河内長野へ。南海の改札を一旦出て近鉄の改札を入ると、17:17発の準急あべの橋行きに乗れた。
 近鉄長野線では途中の富田林駅近くに富田林支店があるが、金剛支店を取ったときに一緒に写真撮影までしてしまっているので今回は立ち寄らない。途中の喜志では若い男女がかなり多数乗車してきた。喜志はPL教団のひざ元であるが、この人たちも信者なのだろうか。2006年1月、旧奈良銀店舗めぐりで奈良県天理市に行ったとき、駅前に天理教のジャンパーを着た若い男女が多数いたことを思い出す。
 羽曳野市の中心駅・古市には、河内長野から20分ほどで着いた。市名と駅名が異なるのは市制施行前に古市町といったためである。この駅は近鉄南大阪線と長野線が分岐する駅であるほか、橿原方面からの各駅停車はこの駅が始発・終着となる要衝で、また近鉄で最も歴史の古い駅の一つでもある。駅構内は島式ホームが2本。路線が分岐し通過待ちも行う駅としてはさほど大規模でもないが、それでも南大阪線の駅の中では非常に大きな部類に入る。
 この駅は改札が一番南の端に片寄っていて、橋上駅舎に上がるエスカレーターもホームの一番南寄りにある。エスカレーターでは片側空けのルールを知らない爺さんが(左側空けが基本の大阪で)左側で陣取っていた。「すいません」と言いながら避けて通ったところ、彼がうなっているのが聞こえた。私が無理矢理(?)通ったので腹を立てたらしい。

 さて、古市での目標は2か所ある。まずそのうちの1つ、羽曳野支店の制覇に向かう。改札を出て西側の階段を下りると、商店街が右手に続いている。前方には近鉄プラザという大型スーパーが見える。駅前の商店街は、土曜日の夕方とあってか、かなり人通りが多かった。買い物をする主婦(?)が多いのだが、意外に高校生も多い。女子高生はそろそろお帰りの時間なのだろう。
 りそな銀行羽曳野支店は、この駅前商店街を抜けた先で、距離にすると駅から100mぐらいの「白鳥」という交差点の角である。通りの途中には、関西アーバン銀行の羽曳野支店(旧幸福銀)。外装は茶色く塗られ、内部は関西アーバン標準の木目調に改装されていたが、店先についている旧幸福銀行独特の飾り格子は健在である。アーバンの向かい側には、大阪東信金の古市支店(旧八光信金)。今日は土曜日、しかも既にかなり暗くなってきており、信金のATMコーナーは固く閉ざされていた。この他、近所には奈良県のトップ地銀・南都銀行が羽曳野支店を出しているらしい。
 白鳥の交差点に着いた。「着いた」と言わなくても、既にかなり手前からりそなの建物が見えている。まずガードレールに上って写真を撮ろうとしたが、車の通りがかなり激しくて思ったような写真にはならなかった。駅を出たときにはまだほんのりと明るかった気がするが、今となってはすっかり暗くなってしまっている。機会があれば後日撮り直しとしよう。
 ATMコーナーの右側は、羽曳野警察署の「白鳥交通警察官詰所」になっている。畳2畳分ほどの部屋にはスチール机と折り畳み椅子が置かれているだけであった。警察の施設を銀行の建物の一部に取り入れるのは、どういう意味があるのだろう。旧あさひ店でも、成増支店(東京都板橋区)の建物にはかつて交番が同居していた。白鳥交差点の周辺には、この詰所以外に警察は全くないようだが、いくら警察の出先とはいえ警察官が常駐していないのでは防犯上の意味はあまりないだろう。それとも「警察」というだけで一定の犯罪抑止効果があるのだろうか。
 キャッシュコーナーに入ると、7台のATM(AK-1が2台、JX白が5台)と記帳機があった。7台のうちIC対応の機械が3台あったが、JXの白台でIC対応になっている機械はこの当時あまり見かけなかった。生体読み取り装置を本格的に導入される以前の機種だからだろうか。羽曳野支店の制覇は17:43のことであった。
 羽曳野支店は、1895(明治28)年4月に富田林市に合資会社として設立された富田林銀行の古市支店であった。古市支店は開業翌年の1月に開設されている。富田林銀行はその後、1896年7月に株式会社に改組されたのち経営が蹉跌し、1934年12月に野村銀行に営業譲渡された。古市支店はそのまま野村銀の古市支店となった。支店はかつて古市駅の東側にあったが、1961年11月に西口の現在に移転し、現在の店舗は1979年6月に新築されたものである。1992年10月に古市支店から現在の羽曳野支店に改称している。特筆すべき点としては、1959年1月の羽曳野市制施行と同時に市金庫になっていることと、1992年5月に協和埼玉銀行羽曳野支店(1971年7月協和銀行羽曳野支店として開設)の営業譲渡を受けていることである。協和の支店は、現支店と同じ交差点の対面、マンションが建っている角にあったようだ。

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2009年06月11日

2008.01.26(土)(16)河内国の千代田にて

 千代田に着いた。複線の両側に対向式ホームが1組へばりついた駅で、エスカレーターを上がって橋上駅舎へ。ここまでは大手私鉄の駅としてごく普通である。しかし、千代田駅が変わっているのは、駅の北側に下りる階段がかなりの長さになっているところである。よくよく見ると、線路が地平面から微妙に高くなったところにホームがあるようだ。紀伊山地と大阪とを結ぶ南海高野線は、南から北に向かって土地が低くなっており、千代田駅周辺も駅から難波方向に下がっているのである。
 河内千代田支店があるのは駅の西側である。西側には何があるのか。おおかた支店の他にはバス乗り場でもあるのだろうが、とりあえず駅周辺部まで見てみるつもりで改札を出て右(西側)に出てくると、階段が左右2方向に分かれている。支店にストレートに到達するのは南向きの左側の階段であるが、北向きの階段を降りてみた。前述のように階段はかなり長い。長いというか、地面からの高さがかなりあるため、つづら折れが3段になっている。階段を下りきったところではホームの外壁がべったりと視界を遮っている。ホーム床面までの高さは3mほどもあるだろうか。ホームが高いというより、バス乗り場が低いところにあるのである。
 左前方の高台上にある建物に「りそな銀行」という横長の板看板が見えた。河内千代田支店は協和銀行河内千代田支店として1973年2月に開設され、支店建物もその当時からのものである。旧あさひ店舗であるので、建物には色つきの切り抜き文字ではなく板の看板がついている。バス乗り場と高台との間は1mほどの高低差があって、公園のような遊歩道と、スロープと階段でつながれている。
 支店に入ると、キャッシュコーナーにはATMが5台(富士通ファクトA2台、オムロンHX、JX青、富士通FV20)あった。あさひ店であるが、近隣にあった旧大和店の千代田出張所を統合しているから、ATMは富士通とオムロンが並んでいる。ATMの右隣には富士通の記帳機が1台置かれている。16:42、河内千代田支店を制覇した。

 制覇の後、支店の近所を少々歩いてみた。千代田駅周辺は、おおまかには商業集積が少々ある郊外の新興住宅地である。かつてはあさひの他大和銀行の出張所と東海銀行の支店もあったハズで、大和店の跡にも後で行ってみるつもりだが、東海の店はどこにあったのだろうか【注】。代わりと言ってはなんだが、踏切を挟んでりそなの反対(東)側に大正銀行という珍しい銀行の支店がある。大正銀は旧三和銀行と親密だった第二地銀だが、大阪府を中心に21支店しかなく、それも千代田のように駅に近接した店は多くないから、この銀行に遭遇することは極めてまれだ。キャッシュコーナーに入ってみると、もう閉店のアナウンスが流れていた。まだ5時前なのにと思ったが、この銀行は平日でも18時でATMの稼働を終えてしまう。
 少し暗くなってきたが、近隣にあった旧大和店(金剛支店千代田出張所)の跡も見ておこう。旧あさひ店の西側は、2軒向こうが駅前通りと国道371号が交差する駅前交差点である。北西角に1階がソフトバンクの携帯電話ショップとなった「六甲ビル」という雑居ビルがあって、携帯ショップが千代田出張所の跡である。金剛支店千代田出張所は旧大和銀行が1986年1月に開設し、りそな発足後の2003年8月11日に河内千代田支店内に移転(支店内支店化)、2006年6月名実ともに河内千代田支店に統合されている。私の初制覇は2003年8月2日で、支店内支店化実施の直前であった。
 なお、近所の大野台という団地にある近畿大学付属病院(大阪狭山市)には、河内千代田支店を母店とする店舗外ATMがある。開設は1976年1月で、これは協和銀行の無人出張所の中でも最初期に属する設置であった。「あさめぐ」の時代に行ったので懐かしい。

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 【注】後で調べたところによると、旧大和店先の西友の前にあったようだ。

2009年06月10日

2008.01.26(土)(15)南海高野線を南へ

 次の目標はちょっと距離が開いて、南東に直線で10kmほどの河内千代田支店(河内長野市)。深井から行くには、泉北高速で中百舌鳥(なかもず)に出て南海高野線に乗り換えである。
 泉北高速鉄道の沿線は深井支店をもって全店制覇したが、せっかく来たからには街の雰囲気も多少見ておきたい。こういう時、私はまずバスを探す。深井駅前からは堺市東区の中心である北野田と、堺市の中心である堺東(堺市堺区)へ抜けるバスがあって、北野田に抜ければそのまま高野線にアプローチできそうだった。しかし、既に夕方4時近い。日没が目の前に迫っていることを考えると、時間がかかるバスよりは電車で行った方が確実である。かくして、町の様子を見ることは断念して電車に乗ることにした。
 複雑な形状の通路を再び通ってホームに上がる。15:57発の準急難波行きは、深井を出ると高架から下りて地下に潜り、トンネルの中をしばらく走って再び地上に出た。そこが中百舌鳥で、16:07発の河内長野行き各駅停車に乗り換えである。中百舌鳥から目的地の千代田は駅の数でいうと9つも先なのだが、この時間のダイヤでは各駅停車で行くのが最も早い。
 左の車窓に複雑な形状をした塔が見え始めると北野田である。見えるのは富田林市にあるPL(パーフェクトリバティー)教団の「大平和祈念塔」。一種の宗教施設ということになるが、たとえそうであってもこの地のランドマークとして十二分に機能しているのではないか。北野田は戦前から続く高級住宅地「大美野田園都市」の最寄り駅で、近年の再開発により高層マンションが林立している。但し、りそなはどういうわけかこの近辺に営業店もATMも置いていない。
 その先にある金剛(大阪狭山市)は、特急も停まる大きな駅で、橋上駅舎を西側に出るとバスターミナルと大規模団地が広がっている。金剛駅に着くと左側車窓から茶色い高層マンションが見えるが、この1階にりそな銀行金剛支店が入っている。金剛支店は過去の時点で写真撮影を済ませてしまっているので今回は立ち寄らないが、それではあまりなのでそのときに撮影した写真を掲載しておこう。やや蛇足めくが、ウオッチャーを長いことやっていると、過去のいきさつやしがらみからどうしても逃れられず、新たな気持ちで「最初から」めぐを行うのがなかなか難しい。その意味で私は、2008年夏に実施された近畿大阪銀行のシステム統合に相当期待していた。近畿大阪の店にはほとんど行ったことがなかったからである。期待は裏切られなかったのでよかったと思う。
 閑話休題、金剛支店は2004年4月に現在の駅前の店舗に移転したのだが、それより前は駅南側の踏切際に店舗があった。旧店舗跡地は「インプラントセンター」というものになっていた。インプラント(人工歯根治療)というのは、何らかの理由で歯を部分的に失ったとき、元あった場所に金属の土台を埋め込み、その上に人工的な歯を固定させる歯科医療だそうである。
 金剛を過ぎると畑と古い家が増え、車窓の風景が一気にひなびてきた気がする。やはり金剛駅を境に乗降客が減るのであろう。しかし、千代田に近づく頃から再び宅地開発が進んできた。

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2009年06月09日

2008.01.26(土)(14)深井支店を制覇

 泉北高速鉄道沿線の目標はまだ1店舗残っている。次の目標は深井支店(堺市中区)である。
 泉ヶ丘駅から北の方向に来たのだから、バスでこのまま深井まで行くことが可能ではないだろうか。そして、深阪の停留所からここまで歩いてきたのであれば、もう次の停留所の方が近いのではないだろうか。根拠のない期待を胸に、私は泉ヶ丘駅とは反対の方向に歩みを進めた。右側にスーパーマーケットがあり、バス停のポールが店の前に見える。こちらの停留所の方が現在の店舗外ATMには近い。
 停留所の名前は「宮山台四丁」という。ここは堺市であるので宮山台「四丁目」ではない。伝統ある港町の堺市中心部と同じルールがこういう新興住宅地にも適用されているのは、ほほえましいと思えた。それはともかく、バス停に掲示されている停留所の一覧を見ていると、「深井」とつく停留所があったので、今から行く深井駅に近づくことを期待しつつ、停留所の地名と手持ちの地図とを照らし合わせてみた。バスは泉北高速の線路から1.5kmほどのところをつかず離れずのまま直進して津久野駅(JR阪和線)に向かうようで、やはりこのまま潔く泉ヶ丘駅に戻るしかないようだった。
 津久野方向からバスが来るらしき先に見える薮の向こうから、バスがひょっこりと現れた。この光景は私が以前に深阪出張所を制覇したときにも見たような気がするが、前回は車で来たのだからまあ気がするだけだろう。宮山台四丁15:26発ということだったが、バスは3分ほど遅れていた。今来た道を再び忠実にたどって泉ヶ丘駅に戻る。

 15:40発の準急難波行きはすぐにやって来た。隣駅・深井には4分ほどで到着。泉北高速鉄道は駅間距離が比較的長い。
 泉北高速沿線にあるりそなの支店のうち、1つは電車の高架下に置かれていたと記憶している。今日はこれまで高架下の支店は1つもなかったが、泉北とがは(今日行っていないけれども)確実に違うし、残っているのは深井だけ。よって、必然的に深井支店は高架の下にあることになる。
 高架ホームから階段を降りて左に直角に曲がるとすぐ改札である。改札機を出てすぐ目の前の窓から尼崎信用金庫の支店が見えているのに驚きつつ、左に90度向きを変える。線路と同じ向きに設けられた通路を20mほど直進して左に360度折り返すと階段、そして階段を下りきったところでもう1回左に90度曲がって、トータルでは1回転以上してしまった。ここで曲がらずに高架下をまっすぐ行けば、ハンバーガーショップの「ドムドム」の向こうにある突き当たりにりそなの入口があったのだが、駅の外へ出ようとしたのである。どんな複雑な動きだよ、と思う。
 駅前広場に出てみると、「泉北高速鉄道深井駅」と書いてある駅の壁にりそなのロゴが見えた。ようやく(といっても経過時間はせいぜい1〜2分だが)支店に入る。今日は土曜日であるから、キャッシュコーナーしか開いていない。北側の入口から入ると、向かって右側にはATM(JX白)が10台。左側は半分が窓口室へのシャッターになっており、残りの半分には両替機1台とATM(AK-1)が2台、そして記帳機が並んでいる。15:52、深井支店を制覇した。
 深井支店は1982年10月に大和銀行深井支店として開設された。

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2009年06月08日

2008.01.26(土)(13)深阪出張所の跡地を探して

 さて、泉ヶ丘での目的地はもう1つある。2004年1月に泉北支店に統合された、深阪出張所(有人)の跡地である。泉ヶ丘駅から北に2kmほどの場所であるが、行政区では堺市(南区ではなく)中区となる。今回これを再訪してみようと思った。
 統合代替の店舗外ATM[深阪]は、りそなの店舗一覧には「南海バス深阪バス停北350m」と書いてある。泉ヶ丘駅北側のバス乗り場から宮山台循環もしくは津久野駅行きのバスに乗り、深阪で降りた先にあるらしい。「再訪」であるのに「らしい」と結んでいるのは不自然なようだが、私は前回この地を車で訪れたのであった。
 泉ヶ丘の賑わい度は、大ショッピングセンター「泉北パンジョ」のある南側の方が上である。北側に出てみると、こちらは開発年度も古いようで閑散としている。南海バスの11系統・津久野駅前行きに乗る。
 バスは14:55に発車した。泉ヶ丘駅の北側は竹城台という住宅地で、こちら側はセンタービルだけでなく町の作りも古いようだ。古びた集合住宅が建ち並んだ区画をしばらく走ると、やがて一戸建ての住宅が並ぶ団地に切り替わる。そこが深阪である。富裕層の多く住む住宅地らしく、走る車は今日これまであまり見なかったBMWが結構多い。駅前からのバス代は、ここまで(というか深阪から)230円だった。
 ATMが停留所の北にあるとのことなので、バスが走り去った方向に歩みを進める。対面2車線の両側に歩道がついたこの道は、堺市南区と中区の境界線になっている。右側に学習塾が見えた。この学習塾と、それから右の方向に下がっていく坂道には何となく見覚えがあった。しかし、深阪出張所の場所が具体的にどこであったか記憶が飛んでしまっている。さらに先へ進むとコクミンドラッグがあって、その隣にりそな銀行の店舗外ATMが見えた。近寄ってみるとATMが5台配備されており、りそなでは大規模な部類に入る無人出張所である。これが現在の[深阪]であり、店舗外ATMがある以上、旧出張所の場所はこの近所に間違いないハズだ。
 手許に用意していたりそな銀行店舗一覧(自分のHPに載せているもののプリントアウト)を出す。旧深阪出張所の所在地は堺市(中区)深阪2362とあった。次に、ATMの隣にある雑居ビルに歩み寄る。雑居ビルはりそなと関係あるわけではないのだが、店先にテナントのチラシが貼ってあったりするとビルの住所(所在地)がわかる。このようにして薬屋や不動産屋など数軒の店の所番地を調べて回った結果、「2362」に該当するのは結局さっきの学習塾であると分かった。
 戻ってみると、塾の横から下がっている坂道の記憶がよみがえってきた。出張所の駐車場に車を止めようとして、坂道へ迷い込んだのだ。深阪出張所の制覇は2003年8月1日だったが、当時私は有人出張所の制覇に重点を置いており、この時の関西遠征ではひたすら有人出張所を車でめぐっていた。あの頃は営業店の統廃合が激烈に行われていた時期で、こういう時まず狙われるのは支店ではなく出張所だからである。予想どおり深阪出張所は、制覇から5か月後の2004年1月に母店の泉北支店に統合されてしまった。旧深阪出張所は、1982年5月に泉北支店の有人出張所として開設されたもので、この地にびっしりと開けた住宅地の、富裕な顧客を対象にした出張所であったのだろう。
 なお、この学習塾の建物が銀行時代のままかどうかは、記憶が飛んでしまっている。塾の建物としては形態が整っていると思うから、旧建築は解体されたのではないか。

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2009年06月07日

2008.01.26(土)(12)ニュータウンに「人間生活の営み」を見る

 センタービルの建物が面白くないと書いたけれども、やはり人間の生活が営まれている以上、そこには様々な変化が出てくる。泉北支店の場合は、キャッシュコーナーに「人間の営み」が表れていると思われた。このコーナーは妙な形態になっていて、真ん中に壁があって二つに仕切られているのだ。駅の改札に寄った側と、窓口室のある側。2つの部屋はほぼ同じぐらいの大きさで、それぞれにATMが10台近く並んでいる。真ん中の壁には通路がつけられている。想像するに、当初の支店は、今ATMコーナーになっている部分だけで完結していたのではないか。キャッシュコーナーを増設しなければならなくなって、窓口室だけ隣りに移したのだろうと思われた。
 機械の配列は、窓口室に近い側が、両替機プラスATM(JX白)が8台、プラス記帳機。そして改札に近い側は、記帳機、JX白、AK-1が2台、白が5台。ここまでは旧大和銀行の店舗としてごく普通だが、一番右のATM1台は特筆される。なぜか1台だけ、富士通のFV10があるのだ。旧大和店舗で標準的に使われているATMはオムロン(と、事業統合後の日立オムロン【注】)の機械なのだが、そこに富士通の機械が1台だけ置かれているのだ。昨日寄った千里中央支店でも、このような形でオムロンの中に富士通が1台だけ置かれていた。
 泉北支店に来て気が付いたのだが、これは、かつて一部の大和店舗にあった「身体障害者用ATM」の代替ではないだろうか。そう思う根拠は、この支店で富士通の機械が置かれている場所である。キャッシュコーナーの一番右端、しかもこの機械の場所だけブースの横幅が異様に広い。オムロンがかつて製造していた身体障害者用の機械は、横幅が通常の機械より広かった。また、車椅子で機械に近づきやすくするために、画面や押しボタンの部分が手前に大きく張り出しており、下部がすぼまっていた。日立オムロンが最近では身体障害者用の機械を製造していないか、造っていてもこういう特別な機械は値段が高いのであろう。富士通の「ファクトV」シリーズは、機械の下部が丸く凹んでいて、汎用機を1台入れればそのまま車椅子でも使えるようになっている。大和店舗に1台だけ富士通の機械が入っているのはそういう意味合いであろう。しかしオムロンと富士通では、例えばレシートの形状一つとっても異なるから、維持していくのは結構面倒臭いのではないだろうか。いずれこうした店は、旧大和店でありながら機械が富士通で統一されるなどの動きもあるかもしれない。
 なお、蛇足ながら最近のりそな銀行におけるATMの一般的な動きをみると、ここ1年ほどの間にATMの機種に関しては統一が進み、1つの店で複数メーカーの機械が混在しているという形は原則としてみられなくなった。旧大和店舗の多い関西地区では、ATMのメーカーを(日立)オムロンで統一する形で機種の統一が図られている。これらの中には、西宮北口支店など純然たる(支店内支店などを実施していない)旧あさひ店舗も含まれている。また、関東地区の旧あさひ店では、沖電気主体の店に1台だけ富士通の最新型が投入されるなど、沖電気の機械が淘汰される動きもあるとみられる。概ね、東日本=富士通、西日本=オムロン、という形のようだが、東京営業部(旧あさひ銀行本店)のような店がオムロン系で統一されるなどの「異変」もある。各支店で現在どのような機種構成になっているかは、読者の情報提供を待ちたいところだ。
 泉北支店の制覇は14:36のことであった。

 制覇の後、窓口室ものぞいてみた。泉北支店は土曜日に窓口を開けている(現在も継続中)。クイックナビ方式に改装されていて、窓口室には相談ブースが8つもあった。さすがにニュータウンの基幹店舗である。このような基幹店舗でも、夜間金庫の営業は今年(2008年)1月末をもって終了するという。個人商店の売上金の回収よりも、会社員の住宅ローンの相談を優先するというのが今の銀行の大きな流れである。
 泉北支店は、大和銀行泉北支店として1971年6月に開設された。泉北高速鉄道の中百舌鳥−泉ヶ丘間が開業したのは、2か月前の同年4月のことである。

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 【注】日立オムロンターミナルソリューションズ。有力ATMメーカーだったオムロンと日立のATM部門を統合して2004年10月設立。ブランド名は「Leadus(リーダス)」。

2009年06月06日

2008.01.26(土)(11)泉ヶ丘の泉北支店へ

 次の目標は、光明池から2つ目の泉ヶ丘駅前にある泉北支店(堺市南区)である。途中に栂・美木多(とが・みきた)駅を挟んでおり、駅前には泉北とが支店があるが、昨年(2007年)7月に取ってしまったので割愛する【注】。
 今日初めて光明池駅のホームに上がった。島式ホームが1本だけの高架駅だが、昨日の江坂とは違って吹きさらしにはなっておらず、壁面はガラスで覆われている。やはり高架の駅は、特に冬場を考えると、このように壁というか構造物で覆われているべきだろう。
 14:13発の準急難波行きに乗車、5分で泉ヶ丘に到着した。泉ヶ丘駅は橋上駅舎になっている。電車を降りて前方の階段を駆け上がる。例によって後方にはエスカレーターがあったようだ。駅の全体は通称「泉北1号線」という自動車道路に両側を挟まれている。陸地に渡るには北側も南側も橋を渡ることが不可欠で、両方の橋が落ちたらこの駅は陸の孤島である。
 改札を1歩出ると、床に同心円が描いてあって、そこにはスポットライトが当たっていた。何というか、非常にシンボリックな空間である。ここでのバンド演奏などを想定しているのであろうか。もちろん、今はバンドなどいないから単なる広場になっていて、広場の前にはケンタッキーフライドチキンなど複数の店がある。改札前の同心円を抜け、泉北1号線をまたぐ歩道橋を右に越えると、そこがセンタービルである。その先には高島屋がキーテナントとなった大ショッピングセンター「泉北パンジョ」などのある泉ヶ丘の繁華街だが、そこまで行かなくてもセンタービルに入っただけでりそな銀行の看板が右側に見えた。
 泉北支店は、センタービルの中にキャッシュコーナーだけの部屋と窓口室の部屋とを別々に構えている。だから、建物としては1つだが完全に分断されている。まず例によって支店の写真を撮ろうとするが、こうしたニュータウンの店舗は率直に言うと写真撮影をするモチベーションが沸かない。どれもこれも似たような外観、かつ建物のサイズが大き過ぎて、撮影のベストポジションを探すだけでも物理的に相当な距離を走り回らなければならず一苦労なのである。それだけの苦労をして撮った写真が「絵になる」ものであればよいが、ビルにテナント入居している支店はどこも似たり寄ったりの写真にしかならない。建築物は少しでも大きなものを作ろうとすると、理解あるクライアントがいない限り、予算を抑えるためにデザインが二の次三の次となってしまう。加えて、この泉北ニュータウンが開発されたのは高度成長期で、なりふり構わず大きなハコモノを造ろうとしていた時期でもあるからだろう。
 いずれにしても、ニュータウンの大きな建物は、写真に撮っても面白いものではない。しかし、それでも私はりそなのウオッチャーであるから、いちおう一通り撮っておこうという目標に忠実に、黙々と写真を撮るのであった。

 【注】当ブログ連載「2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α」中「2007.07.17(火)(14)16:32、泉北とが支店を制覇」を参照。

2009年06月05日

2008.01.26(土)(10)光明池支店を制覇

 光明池駅近く、山の斜面を切りくずしたところの一部は、雑木林をわざと残してある。光明池という駅名は、近くにある大規模な溜池の名前を採ったもので【注】、池の周囲に広がる光明池緑地は「野鳥の森」と呼ばれている。というわけで、駅前も自然を残した開発ということをアピールしたかったのかもしれない。しかし、駅の周辺には巨大なマンションがまさに「林立」していた。
 ようやく光明池駅に到着した。バスが乗り入れて止まったのは、「サンピア」というショッピングセンター横のバスロータリーである。背後には三菱東京UFJ銀行が見える。前方に長い高架線のようなものが横切っているが、ロケーションからして、和泉中央に行く幹線道路「泉北1号線」と泉北高速鉄道の高架線路に違いない。バスロータリーは高架と直角に接しているから、これで方向感覚が大体つかめた(「方位」の感覚はメチャメチャであるが)。実は、光明池支店がどんな支店だったか、記憶からきれいに消え去っているのだ。とりあえず前方のガードに向かって歩き始める。少なくとも光明池の駅にはたどり着くはずで、駅からの行き方を思い出せれば支店に到達できるだろう。
 高架下の階段を上がると、光明池駅の施設(兼南北自由通路)がある。それを横目で見つつ駅前広場(のようなところ)に出た。このあたりの平らな場所は全て、ニュータウンとあって人工地盤なのであろう。駅前にはこのあたりのセンタービルらしい「光明池アクト」というビルが建っていて、1階(本当は2階)に以前入ったことがあるミスタードーナツがあった。これを見て私はようやく光明池支店の場所を思い出した。歩行者用道路をサンピアの壁に沿って南へ向かい、そこで左に曲がったところである。
 駅からまっすぐ歩いていくと、右側に小公園が見え、その奥にダイエー光明池店があった。このあたりまで来ると、人工地盤なのか、それとも丘陵地を切り開いたのかは定かではない。最初の四つ角まで来ると、りそな銀行の建物が左前方に見えた。左に曲がったところは自動車道路をまたぐ橋になっているから、高さとしてはここは2階にあたるのだ。さっきバスを降りた時背後に見えた三菱東京UFJ銀行(光明池支店、旧三和銀)は、りそなの隣であった。つまり、バスターミナルからいきなり三和の方に来れば右奥にすぐりそなが見つかったのに、駅の方へ延々と回り込んでしまったのである。
 光明池支店は建物としては2階建て(一部3階建て)で、歩行者用のデッキに接している。この支店は歩行者用の道路につながっている部分が窓口だから、窓口は2階(正確には3階か)にあることにある。他の支店では考えられないほど建物正面の幅が広く、2本の太い柱で正面が1/3ずつに仕切られている感じ。そして1/3に仕切られた各前面部分は全てに自動ドアがついている。どこからでも入れるということのようだ。
 支店に入る。窓口室への通路は中央の1/3ほどの部分で、その両側にはATMが並んでいる。ATMは左側に5台(JX白3台、AK-12台)、右側に7台(全てJX白)。ということは合計12台あることになる。さらにその右側に記帳機が2台置いてあった。14:01、光明池支店を制覇した。
 光明池支店は1977年12月に大和銀行光明池支店として開設された。時期としては、泉ヶ丘(堺市南区)までしか通じていなかった泉北高速鉄道が光明池まで延伸された4か月後である。

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 【注】光明池:堺市南区と和泉市とに跨るかんがい用の溜池。1936(昭和11)年に整備され、面積36ha。この地で誕生したとされる光明皇后にちなんで命名された。

2009年06月04日

2008.01.26(土)(9)泉大津から光明池へ

 さて、泉佐野から泉大津まで南海本線を攻め上がってきた。次は堺市の中心部へ、という考えもあったが、私の傾向として、鉄道利用では遠回りのコースしか採れないところを、バスその他の交通手段を使ってショートカットするのが好きなのである。というわけで、泉大津からはバスで泉北高速鉄道の沿線に回り、そちらの沿線を攻めることにした。泉北高速鉄道は南海高野線の中百舌鳥(なかもず)から分岐して、泉大津市からほど近い泉北ニュータウンの和泉中央(和泉市)まで行く路線である。この線に泉大津から鉄道だけでアプローチしようとすると、大阪市内の天下茶屋まで戻らなければならない。
 泉北高速の終点である和泉中央まで行くつもりでいたが、和泉中央出張所を昨年7月に制覇して、写真も撮ってしまっている。ここは店番号が母店と同じ有人出張所で、窓口の営業時間中にしか制覇ができないから、できれば和泉中央ではないところに行きたい(今日は土曜日である)。そう考えてバスロータリーの時刻表を見てみると、都合のよいバスが見つかった。1番乗り場を13:00に出る、南海バス[21]系統・光明台経由光明池(こうみょういけ)駅行き。光明池駅(堺市南区)のそばには光明池支店がある。13:00発だから発車はもうすぐで、バス停で待つことにした。
 泉大津駅のロータリーは、L字形をしたアルザタウンと駅の施設とで三方向を囲んだ内側にある。ロータリー中央には温度計があって、支店の写真を撮ろうとロータリー内をうろついていた時には8℃を差していたが、制覇を済ませてから再び見ると6℃に下がっていた。天気は良かったのだが、結構冷え込んでいるようだ。それでも、関西はやはり東京と比べると暖かく感じる。
 バス停前のガードレールには羊の顔をデフォルメしたレリーフがついていて、西口にある羊の像とあわせてさすが羊の町・泉大津である。そう思っていると、バスがやって来たので乗り込む。車窓の風景を堪能するのに最良の席である左側の最前部は、順番を横入りした小学校4〜5年生の男児に取られてしまった。叱りつけてやろうと思ったのだが、面倒臭いのでやめた。私はかつて塾講師で生計を立てていたことがあって、こういう時には割合に毅然とした態度をとるのだが、そんな私にも面倒な時はやはりあるのである。

 バスが発車した。「アルザ通り」なる駅前通りを東(正確には南東)に進む。アルザの裏には、ノコギリ形の屋根を持つ木造の工場が今も複数残っている。焦げ茶色というよりほとんど黒に近い色で、だいぶ老朽化しているようだ。さっき「羊の町」ということを書いたが、泉大津市は毛織物の産地で、特に毛布は国内シェア98%を誇るそうだ。一昔前の子どもが工場の絵を無雑作に描くときに一般的だったノコギリ屋根は、ノコギリ刃の縦(垂直)の部分が明かり採りの窓になっている。明治に入ってから繊維産業の工場として導入されたスタイルで、北側からの自然光が製品のチェックに最適であったためという。現時点でこれが見られるのは、泉大津の他では我が田舎・群馬県の桐生市など、織物工業が盛んだった都市の一部しかない。この形の屋根は形状が特殊で、最下部で排水処理が必要となるため、維持が大変だと聞いたことがある。
 道は何回か突き当たりになったが、全体としてバスは東進を続けている。「××毛繊」「△△繊維工業」といった看板をつけた、倉庫のような建物が多い。四国・高松からスーパーのマルナカが進出してきている。やがてJR阪和線に遭遇。線路をアンダーパスする工事をしているところで道路は大渋滞となった。このバスはJR和泉府中駅のそばを通るが、駅の最寄停留所は「和泉府中車庫前」というようだ。JR和泉府中駅のあたりは、踏切横のサティなど車窓の風景に見覚えがあるから以前来たことがあるハズだが、何の機会だったかは思い出せない。
 今走っている道は、国道480号と書いてあった。途中の地名で西福寺とか芦部といったあたりでは、入母屋の古い農家が多く固まって建っていた。上阪本では遠くに泉北ニュータウンの大遠景が見えた。相当に背の高いビルが集まっているようである。泉北高速鉄道の高架をくぐって左に曲がると光明台という団地に入る。原野のような土地が一瞬見えた後、新興の戸建ての住宅団地が続き、集合住宅も並んでいる。さらにもう1つ城山台という似たような団地に達すると、ここでようやく堺市(南区)に入る。あとで地図を調べて、このバスの遠回りぶりにあきれた。泉北高速の高架で曲がって線路沿いに走ってくれば、光明池駅は交差地点から1kmそこそこであるのに、2つの団地を回るせいで走行距離が5kmほど延びる。フリーパス(スルKAN2day)を持っているから関係ないものの、この路線は全線乗ると480円もかかるのだ。
 城山台1丁目で乗客が多数乗り、車内は一気に混雑率が増した。城山台を抜けると、ショッピングセンター「カルフール光明池」に遭遇する。フランスの大手スーパーであるカルフールは2000年に日本に進出し、オートウオークというスロープ方式のエスカレーターと、広い店内をローラーブレード(インラインスケート)を履いて移動する店員が話題を呼んだ。既に撤退したハズだが、まだ営業していたのか。感心しながらよくよく見ると、建物にはイオングループのマークがついていた。そうか、カルフールは日本から撤退する時に店をイオンに譲渡したのか。全然知らなかった。
 ともあれ、光明池駅近くまでようやくやって来た。

2009年06月03日

2008.01.26(土)(8)岸和田を飛び越えて泉大津へ

 次の目的地は、泉州の中心都市・岸和田市を飛び越えて、泉大津市である。
 旧大和銀行は、どういうわけか岸和田市の中心部に「岸和田支店」を持たなかった。このため、りそな銀行にも岸和田支店が存在しない。岸和田だけでなく、他の在阪都市銀行が支店を置く池田と布施(現東大阪市)も、中心部に支店がないのである。これらに共通するのは、大阪府内で戦後に発足した地銀が本店を置いていた都市、ということであった(大阪不動銀行を除く)。なお、「例によって」と言うべきか、旧協和銀行は1961年11月まで岸和田支店を持っていた【注1】。
 泉大津には、1998年1月、あさひ銀行泉大津支店の初制覇の際と、2003年1月に泉大津支店が泉大津西支店に名称変更した際に来て【注2】、りそなが発足してから旧大和の支店を中心に数回来ている。当ブログの本店「遊牧民の窓」の常連さんが1人、お会いしたことはないが泉大津の近郊に住んでいて、以前このブログの連載に使う写真を提供していただいたことがある。泉州方面に来る度に私はこの人のことを思い出しながら町並みを見ている。

 貝塚12:15発の区間急行難波行きで、泉大津には12:28に着いた。泉大津駅は高架化工事が進行中で、上りの高架ホームはほぼ完成していたが、電車はこの時点では全て地平のホームから発着している。地平のプラットホームと橋上駅舎は仮設であった。複雑に入り組んだ連絡通路を歩き、長いコンコースを抜けて自動改札を出る。
 まず先に、旧あさひの支店のあった西口に出てみる。泉大津市は南海本線沿いのほかの都市と同様、旧国道26号線が走る西側に旧市街地がある。りそなの旧あさひ店が廃止された今、西口に銀行(類似機関含む)は泉州銀行の泉大津支店と、旧泉大津信用金庫本店(泉州信金→南大阪信金を経て現大阪信金泉大津支店)しかない。路線バスも全て東口から出ているそうで、西口から出るバスの泉大津市内線(南海バス)は98年限りで廃止の掲示があった。もう10年経つわけだ。駅前の古びた旅館は健在、駅前ロータリーに羊の像があるのも健在だが、泉大津西支店のあった場所には、綺麗かもしれないが面白くもなんともない高層マンションが建っていた。
 西口の様子をサッと確認したところで、いよいよ泉大津支店の制覇である。泉大津支店は、東口の「アルザタウン」という再開発ビル(ダイエーがキーテナント)の中にあって、支店の2階部分と橋上駅舎とはデッキで直結している。同じ建物には三井住友銀行も泉大津支店を出しているから(旧住友銀)、アルザタウンの銀行部分の壁には、りそなと三井住友が仲良く切り抜き文字のロゴを並べて取り付けている。三井住友は1階銀行部分の右半分を、りそなは1階の左半分と2階全部をそれぞれ使っている。りそなの施設は3階にもある(泉大津住宅ローンセンター)。
 りそな銀行泉大津支店は1階と2階にキャッシュコーナーを持つが、ATM5台プラス記帳機のある2階がメインのようである。1階にはATM5台のみで、機種はオムロンJX白で統一されている。2階には旧あさひ店の富士通FV10が2台あるほか、JX白が1台とAK-1が2台、そして記帳機という構成になっていた。
 キャッシュコーナーには、ATMのナンバーを示す数字がインスタントレタリングのようなものでつけてあった。転写する数字を直立させるために四隅に印刷されている、直角三角形の記号まで転写されている。こうした転写の仕方は他の旧大和店舗でも見かけたが、このインレタは行員が貼ったのだろうか。もちろん、別にあったからどうだということはない。
 ともあれ私は、12:42、泉大津支店を制覇した。泉大津支店は1945年10月に野村銀行泉大津支店として開設された。1952年4月に泉大津市の指定金融機関となっている(泉州銀・大阪信金・三井住友銀との交代制)。店舗は長いこと駅西側の田中町にあったが、1994年9月に東口の現店舗に移転してきた。

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 【注1】協和銀行岸和田支店:1915(大正4).08.11不動貯金銀行岸和田代理店として開設、1920.02.01岸和田支店に昇格。9行合併を経て協和銀行岸和田支店となり、1961.11.27泉大津支店に統合。廃止直前の所在地は岸和田市北町176。
 【注2】当ブログ連載「あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇」の「2003.01.09(木)(15)14:47、嗚呼、泉大津西支店」を参照。

2009年06月02日

2008.01.26(土)(7)醤油の町だった貝塚

 南海本線を北に進む「めぐ」。次は貝塚支店(貝塚市)に行こう。区間急行の難波行き、11:40発に乗って貝塚へ。
 貝塚駅には島式ホームが2面あって、それとは別に改札外に水間鉄道のホームがある。階段を駆け上がって橋上駅舎の改札を出る。ホームの後寄りにエスカレーターが見えたが、前寄りにはなかった。
 支店があるのは駅の西口である。階段を降りた目の前が三井住友銀行の貝塚支店(旧住友銀)。三井住友は駅前ロータリーに面している。ロータリーにはタクシー乗り場があって数台のタクシーがいるが、バス停はないようだ。すぐ西側を旧国道26号が南北に走っているのは泉佐野と同様である。駅前のビルにコンビニの「ショップ99」。その隣に居酒屋の「日本海庄や」が、ビルのテナントではなく独立した店を構えている。さらに隣に泉州銀行の貝塚支店がある。
 表通りまで出ると、りそなの看板が見えた。支店は、泉州銀行の南に見えるショッピングセンター「シェルピアdeux」の中である。「シェルピア」というのはシェル(貝)のユートピア、のような意味だろう。deux(ドゥ、フランス語で「2」)ということはどこかにun(アン、「1」)もあるのかと思ったら、アンに相当する建物「イヅイチシェルピア」というのが旧26号を挟んで「ドゥ」の向かい側にあった。建物に着いてみると、シェルピア2の入口ドアは、かつてのダイエーの店舗らしく白緑色になっている。ダイエー貝塚店は2000年1月に閉店したそうだ。
 キャッシュコーナーに入ろうとするが、「りそなクイックロビー」という四角い行灯看板の位置からは入れなかった。シェルピア2は、八角形をしたホールの南側に細長い店舗部分を組み合わせた形をしていて、「りそなクイックロビー」の表示は店舗部分の北端、ホールと店舗との境界にあった。行灯のそばに細いドアがあって、そこからキャッシュコーナーに入れという趣旨らしいが、ドアは固く閉ざされていた。
 仕方がないのでホールに回る。ホール正面の自動ドアを入ると、ガランとしたホールの角には地元コミュニティFM局のオープンスタジオがあった。スピーカーから何やら番組が流れているが、スタジオの中には誰もいない。たぶん、コミュニティFM向けに番組を供給している会社があって、この時間はそこの番組をそのまま流しているのだろう。スタジオの中を見ると「整理整頓」など細かい注意の書かれたワープロ打ちの紙が掲示されていた。
 りそなの支店入口は、ホールの端にあった。支店の自動ドアを入ると風除室になっていて、その内側に非常に狭いキャッシュコーナーがある。シャッターが閉ざされているので窓口の様子は分からないが、ATMは4台しかない。AK-1が1台とJX白が3台。貝塚支店の制覇はちょうど正午のことであった。

 貝塚支店は1949年12月に大和銀行貝塚支店として開設され、1952年10月には貝塚市金庫(現指定金融機関)となった(泉州銀・三井住友銀・大阪信金との交代制)。現店舗での営業は1972年6月からである。
 りそなが入るビルも含め2つの「シェルピア」ビルは、イヅミイチという会社が管理している。この会社は現在では不動産管理業に特化しているようだが、もともとは貝塚駅前に工場を持つ地元の醤油会社で、「金牌」というブランドの醤油を造っていた。醤油の製造は1970年に堺市の別会社に引き継がれており、現在この地での製造は行われていない。シェルピア1のあるところが工場の跡地だそうである。

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2009年06月01日

2008.01.26(土)(6)30km南下して泉佐野へ

 天下茶屋駅に戻ってきた。次の目標は、天下茶屋から南海本線で南へ一気に30km。泉佐野市(佐野支店)である。
 南海本線は15分サイクルでの運転で、電車の本数が少ないのが難点である。電光掲示板を見ると、泉佐野へは10:44発の急行関西空港行きが最も早いようだ。その前に、泉佐野にも停まる全席指定の特急「ラピート」の関西空港行き(10:34発)があるようだが、十数分の時間節約効果に対して特急料金を500円も払う気はない。その、乗らない特急「ラピート」がホームに入ってきた時、私は一瞬唖然とした。車体全面にラッピング広告が貼り付けてあるのだ。南海が誇る看板列車のラピートもこれで終わったと思った。一般型車両ならともかく、ラグジュアリー路線を採っていた(ハズの)看板の特急にラッピング広告などと品のないことをするとは。スポンサーのNTTドコモに罪はないが、非常に悲しい思いがした。
 やがて、4ドア片開きの古い車両が6両編成で入ってきた。急行関西空港行きである。乗り込んでみると、車両の端には「帝国車輌 昭和42年」というプレートが付いていた。こうした古い車両を大事に使っているところは、この鉄道会社の美点だと思い、以前肯定的に取り上げたことがある【注1】。車内には大きなスーツケースを持った客が多く、成田空港に向かう京成線の車内と同じような空気が漂っていた。空港行きの電車に空港へ行く客が多いのは当たり前だが。
 大和川を渡って堺市に入ると工業地帯になった。難波からずっと続いていた高架は諏訪ノ森駅の手前で地平に降りた。羽衣付近では高架の工事中で、岸和田駅の手前で再び高架に上った。
 岸和田で、後続の特急(ラピートとは別の列車)に乗り換える。待ち合わせがあるのなら、天下茶屋で待っていてもよかった。さっき特急料金のことを少し書いたが、南海の特急でも和歌山市行きは、座席指定の車両のうしろに乗車券だけで乗れる車両を連結している。
 岸和田を出ると再び地平に降りた。貝塚付近では畑がみられる。畑はもっと難波寄りからあったと思うが、気がついたのが貝塚近辺だったということである。

 南海本線から空港線が分岐する泉佐野には、11:13に着いた。左側のドアが開いたのでホームに降りたところ、向こう側のドアも開くのが見えた。この駅ではどういうわけか車両の両サイドのドアが開くのである。向こうのホームは関空線の降車専用だそうで、そういえば右側のホームには難波行きのラピートが停まっていた。空港から和歌山方面への接続を考慮しているらしいが、関空−泉佐野間で特急料金を払ってラピートに乗るような人がいるのだろうか。
 階下の改札を出る。支店は東側にあるとわかっているから、右の階段を降りた【注2】。駅内には近所の特産品であるタオルを売っている売店がある。泉佐野駅そのものは高架化されているものの、駅施設を含めた周辺の整備工事はまだまだ進行中であった。
 駅の外に一歩出ると、泉佐野駅前通りの町並みは、典型的な地方都市の旧市街という感じがした。典型的というか「一昔前の典型」と言った方が適切かもしれない。駅前の商店は、雑居ビルに改築されたものがほとんどなく、土蔵を改造した商店すら1軒見受けられた。ある店は「ガラス屋」だったが、タバコを売る窓口がついていたり、タバコの自動販売機が店先を埋め尽くしていたりと、どう見てもタバコ屋である。昭和初期に建てられた擬洋風建築らしきものの残骸も1軒残っている。古いものがそれなりに残ってはいるが、1軒ずつあるだけだから観光資源にはならないだろう。なお、今歩いている通りは駅前通りなのだが、通りの名前もストレートに「駅前通り」となっていて、関西では珍しい気がする。だいたい、ナントカ本通りという名前になっているところが多いのではないか。
 さて、駅を出たところで、赤と緑の2枚の看板が既に交差点に見えていた。三菱東京UFJの赤とりそなの緑。2軒の銀行があるのは駅前通りと旧国道26号との交差点で、「泉佐野駅下り」交差点という名前である。下りは「くだり」ではなく「さがり」と読む。角には1mくらいの高さで押しボタンの付いた黄色い円柱が立っている。これは関東では見かけないもので【注3】、視覚障害者用の「音の出る信号機」の機械である。中にはスピーカーが仕込んであって、ボタンを押すと、車道側信号が赤・歩行者側が青になってから「通りゃんせ」の音楽が流れるのだ。
 交差点の南西角にある旧三和銀行の店頭には、縦型看板下の時計がまだ健在であった。それを横目で見つつりそなの制覇を済ませる。りそな銀行佐野支店は、泉佐野駅下り交差点の南東角、つまり三菱東京UFJの向かい側である。店に入ると、キャッシュコーナーの一番左に両替機があって、その右にATMが5台並んでいる。内訳はオムロンJXの白が4台とAK-1が1台である。機械の並びの一番右は通帳記帳機であった。11:29、佐野支店を制覇した。
 記帳機の上には、関西大学の入学願書のセットが山と積まれて無料配布中であった。りそなは関大のメインバンクで、関大のキャンパス内にも店舗外ATMがある。私の大学受験の頃には、願書は(関大に限らず)1大学あたり800円程度で買わされたものであったが、近頃では殿様商売は成り立たないらしい。昨日の宝塚とはエラい違いである。封が開いていたので中を見てみると、入学検定料の振込先は4つの都市銀行全て可能で、どれか一つに丸をつければいい形になっていた。りそな銀行の口座は、やはりというべきか天六支店になっていた。関大の主たる取引店が天六支店であるらしく、吹田市の関大キャンパス内にあるりそな銀の店舗外ATMは、遠く離れた大阪市内の天六支店が母店になっている。
 佐野支店は、1946年10月に野村銀行佐野支店として開設された。所在地は支店開設当時は泉南郡佐野町といい、すぐに市制施行(1948.04)して泉佐野市になったのだが、支店名はそのまま佐野支店で通している。1949年4月から泉佐野市金庫(現指定金融機関)になっていて【注4】、かつて尾崎(現阪南市)や信達(現泉南市)といった周辺の郡部に出張員詰所を出していた関係から、泉南市・阪南市・岬町・熊取町・田尻町の指定金融機関もこの支店が担っている。1966年10月に供用開始された現店舗は、直前に行った萩ノ茶屋支店(1968年築)と似た外観を持っている。

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 【注1】当ブログ連載「あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇」の「2003.01.09(木)(14)古きを大切に用いている南海電鉄」を参照。
 【注2】左右に分かれていた駅構内の階段は、その後の工事の進捗に伴って中央の大階段に一本化され、「右の階段」も撤去されている。「右の階段」の前にあったタオルの売店は健在(2009.03現在)。
 【注3】関東では電柱に小さな箱形の黄色いスイッチが取り付けられており、スピーカーはスイッチとは別の場所にある。音楽が流れる信号そのものも、関東ではすっかり少なくなって、カッコウかピヨピヨ(鳥の鳴き声)ばかりである。
 【注4】泉佐野市指定金融機関:りそな銀・三菱東京UFJ銀・泉州銀・三井住友銀の交代制。
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