2010年05月13日

あとがき・参考文献一覧

 「りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇」、5月8日をもって完結いたしました。
 最後までお読みいただいた方には、例によってダラダラと続いた連載にお付き合いいただき、御礼申し上げます。あとがき等も含めた分量は、最終的に55枚強(400字詰原稿用紙換算)となりました。

 前回の連載『埼玉高速鉄道で帰省してみた』のあとがきで、コメント欄に「準備中が2本(大作1、小ネタ1)」と書きました。今回の連載は、そのうち「小ネタ」の方です。精神科にかかった記述からおわかりかもしれませんが、昨年9月に連載した『湘南セプテンバーストーリー』の姉妹篇にあたります。
 今回は、世田谷区内の4店舗をめぐった記録でした。世田谷区は私にとって因縁浅からぬ土地ではありましたが、今回の連載で初めてわかったことも多くあり、認識を新たにできた点はよかったと思います。
 1つの自治体に4店舗出ているのは、りそなとしては結構な数といえるのですが、他行と比較すると、みずほ・三菱東京UFJの両行は同じ世田谷区に有人店舗をそれぞれ11店(同一地での重複店を除く)出しており、改めてりそなと3メガとの「力の差」を感じました。一めぐラーとしては、りそなはもちろん「我が道」を行けばよいと思います。しかし、東京23区西部で暮らす者としては、もう少し店舗網が密であれば、との思いも否定できません。地銀か信金を合併する以外に、店舗を劇的に増やす方法はないと思いますが、現実性は低いでしょう。もちろん「3メガへの合併」など論外ですし。

 私の「精神疾患」は、精神科医からは一蹴されてしまいました。その後の経過を見れば医師の診断は正しかったということになるのですが、たとえ医師の判断がどうあろうと、精神的な好調・不調は誰にも絶対あります。そして苦しい時期には、たとえ趣味であっても思うようには運ばないものです。「めぐ」という趣味は、それでも何とか成立してしまう「ユルさ」こそが長所ではないでしょうか。今回の「世田谷区篇」をまとめ上げてそう感じました。
 身辺では、パソコンのハードディスクが故障したり、給料が下がったり等、相変わらず不本意な出来事ばかりです。厄年は「後厄」に入りましたが、負の影響がまだ続いているようです。幼い頃、小父さんと呼ばれるような年齢の男性を見ると、どうして彼らはいつもあんなに不機嫌な顔をしているんだろうと思っていましたが、自分がそういう年齢になってみるとよくわかります。機嫌よく、なんてしていられないということです。それでも機嫌よく振る舞える男性は、よほど修養のできた人なのでしょう。残念ながら私は、修養を積むところから始めないといけません。先の長い話であります。

 さまざまな思いが去来しますが、この連載はこれにて終了します。この連載を数年後に読み返して「古い」と感じられることがあるかもしれませんが、あくまで 2008年8月の実体験と、その後の連載期間における「一面の真実」です。そういうものだと思ってお読みいただくことを望みます。
 地図の作成にあたっては、『ちょっと便利帳』というwebサイトの「グーグルマップ地図上に全国自治体などの境界を表示する」というツールを使いました。『ちょっと便利帳』については以前に別ブログで取り上げたことがありますが、お役立ちサイトとして有用度が高いものです。改めてここでご紹介しておきます。
 この連載のような「文章を使っての自己主張」が、私の生き甲斐です。今後ともご支援・ご鞭撻をいただけますようお願いします。ご意見や情報提供をお待ちしています。このブログ「MEGU」は、コメント・トラックバックを歓迎していますし、私のメールアドレスも公表しています。

 なお、この連載の執筆にあたっては、以下のような書籍・webサイト等を参照いたしました。

参考文献一覧
紙媒体は発行年順、webサイトは本文掲載順(2010.05.03現在)
  『野村銀行三十年史』大和銀行、1948年
  『世田谷区史(上巻)』世田谷区、1951年
  『大和銀行四十年史』大和銀行、1958年
  荻野三七彦・森安彦ほか『世田谷区の歴史』名著出版、1979年
  『富士銀行百年史 別巻』富士銀行、1982年
  『世田谷の地名(上)』東京都世田谷区教育委員会、1984年
  『大和銀行七十年史』大和銀行、1988年
  『世田谷古地図 昭和30年(1955年)当時』世田谷区企画部都市デザイン室、1995年
  『協和銀行通史』あさひ銀行、1996年
  『大和銀行八十年史』大和銀行、1999年

  『全国銀行店舗一覧』全国銀行協会連合会
  『日本金融名鑑』日本金融通信社、各年版

  「ウルトラマン商店街情報」『祖師谷大蔵 ACHAMI NETWORK』 http://homepage2.nifty.com/ACHAMI-NETWORK/2006ulrumachi/uiraman.htm
  『世田谷区』 http://www.city.setagaya.tokyo.jp/index.shtml
  「自然環境情報」『東京都環境局自然環境部』http://www2.kankyo.metro.tokyo.jp/sizen/hozentiiki/syoukai/28gaisen.htm
  フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

2010年05月12日

2008.08.27(水)(7)世田谷支店

 国道246号(この付近では「玉川通り」)の三軒茶屋交差点から、名前のついた通りが2方向に分かれている。ニイヨンロクは、三宅坂(東京都千代田区)を起点に、青山・渋谷を経て東名高速道路に沿って西進し、静岡県沼津市に至る国道である。さっき写真を撮るときに見えた「三茶しゃれなあど」は、下北沢方向に真北に向かう世田谷区道「茶沢通り」。そして、三軒茶屋から右に分岐するのは、小田急線沿いに東京都町田市に至る都道3号世田谷町田線(世田谷通り)。この股の部分に三軒茶屋特出があったわけだが、世田谷通りが三茶のこの分岐から始まることを、今回の連載執筆で初めて知った。246は古くから大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)に参詣する人が往来した道で、世田谷通りとの分岐点に3軒の茶屋があったのが地名の由来だという。りそな銀行世田谷支店は世田谷通り沿いで、三軒茶屋交差点から西へ100mほど。交差点からはるか彼方に小さく看板が見える。
 東急世田谷線の三軒茶屋駅を擁するレンガ色の高層ビルが、交差点の北側に建っている。世田谷区の文化生活情報センターが入った再開発ビルで「キャロットタワー」という。26階建てのこのビルは、建ててから名前を公募したそうで、レンガ色の建物だからこの名前になったという。このビルには東急ストアが入る他、銀行が何軒か入っている。中央三井信託銀行三軒茶屋支店(旧三井信託)・三井住友銀行世田谷支店(旧日本相銀→太陽銀)・三菱東京UFJ銀行三軒茶屋支店(店舗は旧三和銀、店籍は旧東海銀)である。三軒茶屋は金融機関が多数集積しているエリアで、今回は行かないが交差点東側にはみずほ銀行の世田谷支店(旧富士銀)があり、茶沢通り沿いにはかつてみずほ銀の三軒茶屋支店(旧日本勧銀→第一勧銀世田谷支店)と東海銀行の世田谷支店もあった。
 日本相互銀行の支店はもともとは三軒茶屋交差点の東側にあり、協和銀ほどではないが玉電を写した古い写真でよく見かける。太陽神戸銀行→さくら銀行を経て住友銀行との合併後、玉川通り沿いにあった旧住友の三軒茶屋支店を統合して跡地に移転し、さらに2004年11月キャロットタワーに移転した。旧三井信託銀行はキャロットタワーが建つ前からこの場所にあって、昨年末(2009年)に茶沢通りを歩いた際、新築中の仮店舗跡が残っているのを見た。三菱東京は、三和銀時代の店名を「三軒茶屋支店」といった。三和は別に世田谷支店を持っていたが、そこは現在「世田谷上町支店」と名前を変えている。区役所など世田谷区の公的施設が多く集まる東急世田谷線の上町駅周辺は、こちらが「本来の世田谷」、つまり旧荏原郡世田谷村の中心地である【注】。なお、三和銀行三軒茶屋支店は、東海銀行と合併してUFJ銀行三軒茶屋駅前支店となった後、旧東海銀店舗の三軒茶屋支店(世田谷支店が改称)に統合された。店舗は旧三和の統合跡地(キャロットタワー)を引き続き使用していたが、東京三菱銀行との合併を経て2009年10月、246沿いにある旧三菱銀の世田谷支店店舗内に移転した。
 銀行の話だけで息切れしてきたので段落を変える。キャロットタワーの向かいには、大東京信用組合が三軒茶屋支店を出している。大信は資金量が5000億円近くあり、信組としては大手である。大信の隣にはサミットストア。その先反対側にはSMBCフレンド証券の三軒茶屋支店。世田谷通りは人通りもかなり多くて、色々なものが集積している。夕方なので、車の台数は多少増えてきてもいいハズだが、さほど多いとは感じられないのは、昨今ガソリンが高いせいなのか。

 目指すりそな銀行世田谷支店は、サミットから間に4軒ほど置いた西側の「りそな世田谷ビル」である。
 店に入ると、以前はATMが6台あったと思うが、4台だけに減っていた。キャッシュコーナーの固定枠が4台分あって、さらにシャッター(が降りてくるハズの位置)の向こう側に3台分が増設されている。せっかく枠を増設したのに、そのうち2台分は板でふさがれている。両替機が一番右にあって、これは前から変わっていない。
 そして特筆すべきは、この店は旧大和店舗でありながら、既にオムロンのATMが1台もないのである。富士通ファクトVのモデル20が3台と、モデル10が1台、というATM構成。内装は旧大和銀のCI導入後の標準スタイルで、行灯プレートだけは緑色に換装済みという、最近の旧大和銀店舗にはごく普通の形態であった。キャッシュコーナーに枠外置きしてある通帳の記帳繰越機だけがオムロンで、内装とこの1台だけがかろうじて旧大和の面影を残しているということになる。オムロンのATMがない大和店というのは珍しい気がする(逆にオムロンの入った旧あさひ店は珍しくない)が、これからはそういう店もあちこちに出てくるのではないか。世田谷支店は窓口室がクイックナビ方式に改装されているから、「クイックナビ」の機械が富士通であれば、キャッシュコーナーのATMも富士通に取り換えてしまうのが店舗運営上は合理的であると思う。16:54、世田谷支店を制覇した。
 世田谷支店は、1944年12月に野村銀行東京支店世田谷特別出張所として開設され、1946年1月支店に昇格した。当初は現在地から1kmほど西、東急世田谷線松陰神社前駅近くの若林町251番地にあったが、1949年10月に今の場所に移転した。現店舗の落成は1980年11月で、1979年6月改築工事のため現在地から300mほど西側の若林町1丁目に仮移転している。
 この支店は、1996年11月まで小田急線下北沢駅北側の世田谷区北沢2丁目に「北沢特別出張所」を持っていた。元をたどると、1954年8月に東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)から譲渡された旧北沢支店である。大和銀はこのとき、東銀から北沢を含め7店舗を譲り受けているが、詳しいことは熊本支店について書くときに譲る。北沢支店の出張所化は1980年8月のことであった。
 なお、世田谷支店の項では「特別出張所」という言葉が2つ別の意味で使われている。世田谷支店開設当初の特別出張所は、太平洋戦争中の簡易店舗のことで、預貯金増強の国策に基づいて認可されたもの。前述した廃止代替店舗としての特別出張所は、ここでは北沢が該当する。

 というわけで、何の計画性もなく世田谷区内の4支店を全店制覇「してしまった」。さて、この後をどうしようか。さっき三軒茶屋特出の写真を撮ったとき、玉川通りの向こう側にドーナツ店が見えた。実は、三軒茶屋のこの店には数か月前にも来ており、その時に「改装する」という掲示が出ていたのを見た。今日はもう改装工事も終わり、賑わっているようだ。とりあえずコーヒーでも飲もう。新装開店成ったばかりのミスタードーナツ三軒茶屋ショップに入った。

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 【注】1889(明治22)年に合併するまで、三軒茶屋周辺は世田谷村ではなく太子堂村に属していた。

<りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇 完>

2010年05月11日

2008.08.27(水)(6)三軒茶屋特別出張所跡

 豪徳寺・祖師谷・等々力と、旧あさひ銀の世田谷区内の支店を3つ回ってきた。もう1軒、旧大和銀店舗の世田谷支店に行けば、世田谷区は完全制覇ということになる。世田谷支店に行くのなら、渋谷支店三軒茶屋特別出張所(旧あさひ銀)の店舗跡もついでに見ておきたい。世田谷支店は東急田園都市線の三軒茶屋駅が最寄りで、等々力からは大井町線で二子玉川に出て乗り換えとなる【注1】。
 「世田谷区完全制覇」にしてしまえば、キリは確かによいけれども、薬のせいで今日はだるくて根気が続かない。面倒だからやめちまおうか。しかし、ここで打ち切って自宅に帰るにしても、どのみち田園都市線か東横線で渋谷に出なければならないから、しんどいのは一緒だ。結局、エネルギーをふり絞って「世田谷区内4店制覇」を完遂することにした。今日は行き当たりばったりになってしまったから仕方がないが、せっかく世田谷区内でハシゴをするのであれば、きちんと計画して、チンチン電車(東急世田谷線)を使った「めぐ」にすればよかったと思う。
 というわけで、等々力駅にやって来た。この駅は珍しい構造をしていて、駅舎が島式ホームの一番端に建っており、駅の外側からは踏切を通らないと中に入れない。昔の私鉄の駅にはこういう構造が普通にあったと思うが、今となっては珍しいのではないか。改札に駅員はいないようだが、この駅は改札機の監視をどこでやっているのだろう(一応テレビカメラがあるのが見えたが)。
 駅内にある周辺地図の看板には、そのうちの1つに「あさひ銀行」の文字が残っていた。この駅周辺の金融機関は、旧あさひ店舗のりそな銀行、城南信金が駅の北側と南側に1店ずつ計2店舗、それから駅の南側に世田谷信金がある。この地の都市銀行営業店はりそなが唯一である。隣の尾山台駅前には、三菱東京UFJ銀の尾山台支店(旧三和銀)とみずほ銀の自由が丘支店尾山台出張所(みずほになってからの新設)、芝信金の尾山台支店があり、地名では同じ等々力だが等々力駅前より活気もあるようである。
 ホームの掲示によると、等々力駅は地下化する計画があって、この時点ではボーリング調査をやっているようだった。地下に島式ホーム1本の駅を作って急行の通過線をつけるそうだ。そういえばさっき、ステンレスの車体に赤いカラーシートをベタベタ貼った東急の新型車両が踏切を通過するのが見えていた。あれが、専用車両まで投入して最近運行が始まった大井町線の急行である。1本/15分と案外本数が多く、停車駅は二子玉川・自由が丘・大岡山・旗の台・大井町。飛ばす駅の数は意外に多いが、全線の所要時間は各駅停車19分に対して急行17分だから、速達効果はあまりないようだ。等々力駅の工事が完成すれば、もう少し「急行」らしい運転形態になるのだろう。
 そんなことを考えながら、等々力16:25発の各駅停車二子玉川行き【注2】に乗車。2つ目の二子玉川終点には4分の乗車で到着し、16:33発の急行南栗橋行きに乗り換える。乗り換え専用階段を降りると通路に窓がついていて、橋げたの「多摩川」という看板が見え、多摩川の河原と水面も見えた。この駅は本当に多摩川のそばにあって、伊達に「二子玉川」という駅名ではない。そばどころか、この駅のホームは川の上に一部せり出している。

 東急田園都市線は、二子玉川を出ると地下に入る。高架からいきなり地下に下りるわけだから、相当な下り坂である。
 急行で1駅、三軒茶屋には16:39に到着した。複線の両側に対向式ホームがあるだけの駅だが、急行停車駅であり、また世田谷線との乗換駅とあって、乗降客の数はかなり多い。ホームは1977年に新玉川線として開業した当初のまま、黄色いタイルで埋め尽くされた内装である【注3】。改札階に上ってくると、ここは相当の改装を受けてベージュ色の内装になっていた。
 中央改札を出て、右へ行くと北口、左へ行くと南口。その他に「世田谷通り口」「三茶パティオ口」というのもある。何も考えずに南口から出たが、三軒茶屋特出跡を見ようと思うと「北口」へ行かなくてはダメで失敗だった。南側からでも写真が撮れないことはないが、道の上空に高速道路の高架(首都高速渋谷線)がかぶさっているため、アングル的にかなり劣るのである。建物の写真は、交差点の東側、商店街の「三茶しゃれなあど」入口角にある靴屋の前から撮るのがベストアングルではないかと思う。東京23区西部在住で、世田谷区に関する知識が全くないわけではない私も、世田谷区について「知悉」しているわけではないのだ。
 1965年3月に建築された建物は、現在カラオケ屋の「ビッグエコー」として使われていて、ビル全体は看板で真っ赤である。この建物は、国道246号(玉川通り)から世田谷通りが分岐するY字の股の部分にある。出張所前の分岐は、1969年5月まで走っていた路面電車の「玉電」(東急玉川線)が、二子玉川園方面と下高井戸方面とに分かれる要衝であった。玉電現役時代の古い写真を掲載した書籍には、必ずと言ってよいほど、この店の前で撮った写真が掲載されている。

 渋谷支店三軒茶屋特別出張所は、1931年8月に東京貯蓄銀行三軒茶屋支店として開設されたもので、9行合併を経て協和銀行の三軒茶屋支店となった後、1981年8月に渋谷支店を母店とする出張所に変更された。りそな銀行発足直後の2003年5月、旧大和店舗である世田谷支店の店内に移転し、三軒茶屋特出はこの時点で事実上統合されたことになる。支店内支店実施と大和・あさひのシステム統合を経て、名実ともに統合されたのは2006年5月であった。店の場所は戦前から2003年の移転(支店内支店化)まで変わらなかった。
 この店は、りそな銀行で唯一の「特別出張所」であった。特別出張所というのは、70〜80年代の大蔵省による店舗行政の産物である【注4】。当時は銀行の新規出店が厳格に規制されていたため、配置転換方式、つまり別の支店の廃止と引き換えでなければ銀行は新しい支店を出せなかった。こうした形で廃止となった支店の跡地には、顧客利便を図るため有人出張所を出すことが特別に認められており、この枠で設置された出張所を「特別出張所」と呼んだ。設置の基準が特別なだけであって、機能面で通常の出張所との違いがあるわけではない。特別出張所は旧大和・旧協和・旧埼玉いずれにもあったが、りそな銀行発足時点では、ここ三軒茶屋1店だけが「特別出張所」の名称のままで残っていた。りそなグループ全体でも、他には近畿大阪銀行の茨木サニータウン特別出張所(旧福徳銀)があるだけだったが、これも現在では消滅(「出張所」に改称)している。
 蛇足ながら、以前「めぐ記」で、りそな銀の旧奈良銀店舗めぐに行く際、五条行きの夜行高速バスの窓から三軒茶屋特出跡が見えたのを記述したことがある【注5】。

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 【注1】渋谷行きのバスが三軒茶屋を通るのを後で知った。
 【注2】大井町線は2009年7月から田園都市線溝の口駅への乗り入れを始め、「二子玉川行き」もほぼ過去の話となった。
 【注3】正確には、白と黄色の2色のタイルを使っていて、場所に応じて色の比率が変わる。
 【注4】太平洋戦争前後には別の種類の「特別出張所」もあった。本連載次回で詳述する。
 【注5】当ブログ2006年4月13日掲載「2006年1月 りそめぐ『旧奈良銀店舗全店制覇』」中「2006.01.12(木)以前(5)70年間交差点を見つめ続けた銀行」。

2010年05月10日

2008.08.27(水)(5)等々力支店

 バスの中では、前後不覚に眠り込んでしまった。小田急線の高架に沿って千歳船橋で右に曲がるあたりまでは起きていたのだが、その後突き当たって左折したハズの東京農大(前の交差点)などは全く覚えていない。とにかく眠い。
 用賀中町通りといっただろうか、玉川警察署の脇から対面2車線の坂道をずっと下りてきて、城南信金の支店がある角で右に曲がり、そこでバスを降りる。これが等々力操車所の1つ手前のバス停「等々力」で、4時ちょうど頃に着いた。ここは東急大井町線等々力駅の北西側にあたり、りそな銀行の看板はもう交差点の反対側に見えている。操車所は、等々力通りを線路沿いに西に進んだ先にある。
 支店に向かって等々力通りを東に歩く。静かな商店街であった。道幅の広い対面2車線道路で、車の通りは結構多いが、その分歩行者は少ないように見える。角のいい場所を城南信金の玉川支店が占めており、また三菱東京UFJ銀の店舗外ATM(尾山台支店・等々力駅前、旧三和銀)も見える。駅の南側にも商店街があって、それなりに商業集積のある地区のようだが、現在では隣駅・尾山台のほうが商業集積度が高い。尾山台駅周辺も、地名でいうと一部を除き「等々力」である。
 なお、女優・黒柳徹子の自伝『窓ぎわのトットちゃん』に飯盒炊爨(はんごうすいさん)に行った旨の記述がある等々力渓谷は、等々力駅の南側、商店街が何となく途切れたあたりに入口がある。多摩川の支流である谷沢川が国分寺崖線【注1】を流れ落ちる際に斜面を削ってできた、東京23区内唯一の自然の渓谷である。

 りそなの支店は、等々力通り沿い、世田谷区玉川総合支所の向かいである。2階建ての店舗には、旧あさひ店舗らしく横長の板看板がついている。正面は平面的なデザインで、太いオーダー(縦柱)を前面に打ち出した旧来の銀行建築スタイルからやや変化した時期の建物。とはいえ、1階天井の高さは1.5階分ぐらいと非常に高くなっているから、根本的な設計思想は変わっていないようだ。支店建物の右隣にある駐車場は銀行のものではないそうで、「りそな銀行特約駐車場 50m先」と書いた看板が出ている。旧協和店舗は駐車場の条件に恵まれない店舗が多く、ここも現在地からぐるっと1周しないと契約駐車場に車が置けないのだ。
 窓口室は総合受付方式に改装されていた。客の姿は見えない。この時間になると銀行はやはり客がまばらになるようで、等々力支店では、窓口では5時まで、機械では4時までだった両替を、両方とも3時までに縮小してしまった。窓口営業時間を少々長くしても、結局そういうことになってしまうのか。キャッシュコーナーは、壁紙から直接機械が突き出しているように見え、機械上部には緑色のプラスチック板で「お預け入れ」などの案内表示が貼ってある(行灯ではないということである)。4台あるATMはいずれも富士通製で、ファクトAが3台にファクトVモデル20が1台であった【注2】。16:14、等々力支店を制覇した。
 等々力支店は1962年7月に協和銀行等々力支店として開設された。現在の建物は1964年3月に新築されたものである。りそな銀行になってからの2004年4月、同じ東急大井町線沿線の自由が丘(東京都目黒区)に有人の自由が丘出張所を開設したが、同出張所は2006年3月に扱い業務を縮小(勘定を廃止)し、2009年1月に統合された。
 なお、旧大和銀行は、終戦直後のわずかな時期、この地に等々力支店を持っていた。1945年10月、野村銀行品川支店等々力出張所として世田谷区玉川等々力町2-1850に開設され、1946年7月支店に昇格したが、1950年5月大岡山支店【注3】に統合されている。当時、等々力は純農村地帯で、戦争末期には住宅や工場の疎開が相次ぎ、終戦後は農村景気の高揚で現金が有り余っていたので、これを預金として吸収するために店を出したのであった。店の場所は特定できなかったが、所在地の玉川等々力町2丁目は、現在では等々力3〜5丁目となっており、場所でいうと東急大井町線の北側、等々力駅から尾山台駅にかけてのエリアである。

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 【注1】国分寺崖線(こくぶんじがいせん):多摩川が武蔵野台地に形成した河岸段丘の段丘崖。全長約30km。立川市北部の砂川九番に始まって東に進み、国分寺市・小金井市から調布市深大寺付近を経て世田谷区に入る。世田谷区内では野川と多摩川に沿って砧・玉川地域南部を通り、大田区田園調布付近に至る。世田谷区成城から下流では20mを超える高さとなる。周辺は樹林や湧水などが多く残り、豊かな緑に覆われている。
 【注2】等々力支店の機械配置:2010.04.28現在、記帳機(富士通)とATM3台(FV10、FV20×2)。
 【注3】大岡山支店:大田区北千束町(当時)にあった。等々力支店統合の翌年に品川支店に統合されている。

2010年05月09日

2008.08.27(水)(4)東急バスの折返所にて

 さっきも述べたが、祖師ヶ谷大蔵から等々力まで、バス1本で出られる。等々力支店など取りに行ってみようか。今日は別に世田谷区で「りそめぐ」をやるつもりではなかったのだが。
 小田急の駅まで戻ってきた。高架下の「小田急マルシェ」という商店街に、雑貨屋の「イッツデモ」とパン屋の「北欧」が入っているのが目につくが、これら2つの店は、祖師谷支店建て替え時の仮店舗だった店舗に出店している。それを横目で見ながら、さっき制覇した豪徳寺支店と同じ位置関係の商店街を南へ。こちらは豪徳寺とは違い、再開発ビルが建っているなど経済の集積度が高い。
 駅を出てすぐブックオフと吉野家があり、それから八千代銀行。八千代銀の向かい側に、三菱東京UFJ銀行の店舗外ATM[祖師ヶ谷大蔵駅前](母店成城学園前支店、旧三和銀)。その先には、みずほ銀行祖師谷支店(旧富士銀)がある。八千代とみずほの2つの「祖師谷支店」は、厳密には名が体を表していない。小田急線を挟んで南側は、地名でいうと祖師谷ではなくて「砧」(きぬた)だからである。蛇足ながら、この駅が「祖師ヶ谷“大蔵”」という不思議な名前になっている理由は、1932(昭和7)年に小田急線が開通した際、駅の南側が「大蔵町」だったため。世田谷区大蔵町は1955年に3分割され、南北に長かった大蔵町の北側1/3が砧町(現砧)に、中央1/3が大蔵町(現大蔵)になった。
 さて、等々力行きのバスにはどこから乗るのだろうか。ロータリーに面したセブンイレブンの前に渋谷行きの東急バスが止まっていたので、開いている前部ドアから首を突っ込んで運転手に聞いてみる。等々力行きは1つ先の停留所「祖師ヶ谷折返所」から出るということだ【注1】。何だ、歩かされるのか。私は少なからずがっかりした。
 失望を乗り越え、私は線路に沿って新宿方向に歩き始める。この付近も豪徳寺と大差ない閑静な住宅地で、商店街が切れるともう一戸建ての家ばかりである。停まっている車にはBMWやベンツがちらほらみられるから、ここら辺には少しだけ富裕な層が住んでいるようだ。りそなは2008年3月、高級住宅地という触れ込みの大阪府池田市に池田出張所【注2】を作ったが、私には池田=高級住宅地という図式がいまひとつピンとこなかった。池田出張所のあった「呉羽の里」はこの周辺の雰囲気に似ている気がするから、違和感の理由はこの辺りを多少歩き慣れていたせいかもしれない。

 小田急の高架線と道路との間に児童公園があり、東急バスの折返所はその先にあった。折返所といっても、バスを並べて停めておけるだけの駐車場である。ここから、等々力操車所行きが1時間に2〜3本出ている。千歳船橋・東京農業大学・上町・駒沢を通って目的地に向かうらしい。上町までは渋谷行きと同じルートをたどるようだが、等々力行きだけこんなところで止めないで、駅前まで入れてくれればいいのにと思う。折り返しをこの折返所でやるにしても、駅前に少し寄って客を拾うだけなのだから。
 次の等々力行きは15:20発で、まだ7分ほどある。折返所には次のバスが既に停まっていた。クーラーの効いた車内で待たせてもらえないかと思って近寄ると、誘導係の兄ちゃんに「バス停はあちらにあります」と追い返されてしまった。炎天下にどうしてこういう融通のきかないことをするのだろうか。バス停の方には椅子すらないのである。と、わがままなことをブツブツ言いながら、バス停の目の前にある自動販売機で「特保ナタデココ」なる缶飲料を買った。これを飲んで時間をつぶす。バス停の前はマンションになっていて、玄関先の縁石に腰かけられないこともない。そこが日陰になっていたので一応は勘弁しておくが、もう一度言おう。こんなことなら駅前から乗せてくれてもいいではないか。
 このあたりには、昭和40年代末から50年代ぐらいにかけて建てられたような、4〜5階建てのマンションが多いようだ。新しいマンションも、そんなに背の高い建物ではない。折返所の真ん前は、向こうに見える山野小学校のグランドで、フェンスの向こうにバスケットのゴールが見えている。

 【注1】2010年3月から等々力操車所行きも駅前発着となった。
 【注2】箕面支店池田出張所:池田市畑1-6-25に2008.03.26開設、2009.10.13統合。開設からわずか1年半の命だった。

2010年05月08日

2008.08.27(水)(3)祖師谷支店

 豪徳寺駅と似た雰囲気の祖師ヶ谷大蔵駅に、2時半過ぎに着いた。
 直線コースに駅があるのが豪徳寺とは違い、鉄骨の色もさっきの黄色とは異なり白緑色である。階下に降りて改札へまっすぐ歩いてくると、右側にコーヒーショップが入っている。細かい部分を除けば、駅の構造は気持ち悪いぐらいに豪徳寺に似ているが、乗降客の数は明らかにこちらの方が多いようだ。
 改札を出てからは、豪徳寺と多少違う。駅の施設は取り付け道路からかなり奥へ入ったところにあって、改札と道路との間には店舗がたくさん並んでいる。店の並びを抜けて駅前通りに出てくると、位置関係だけは豪徳寺と似た感じで高架下を横切る通りがある。南口、豪徳寺のりそなに相当する場所には、信用金庫から第二地銀に転換した八千代銀行が祖師谷支店を出している。その先、少し離れたところにあるバス乗り場からは、渋谷・用賀・等々力(とどろき)方面に向かう路線バスが出ているようだ。ここからバス1本で、りそなの支店がある等々力に行ける。
 賑わいがあまり感じられなかった豪徳寺に対し、祖師ヶ谷大蔵駅前の商店街は、店数も多くて賑わい度が高い。祖師ヶ谷大蔵駅前を北にまっすぐ行くと、一時流行した「スーパー銭湯」のはしりといえる「そしがや温泉21」とか、とんねるず・木梨憲武氏の実家「木梨サイクル」とか、面白い店がある(あった)商店街である。木梨サイクルは「祖師ヶ谷大蔵駅下車、徒歩18分」と木梨氏自身が公表していたとおり、かつては駅から1.5km近く北にあった。店はどこかに移転して現在もあるらしいが、場所は知らない。
 また、駅の周辺では「ウルトラの町」と称してウルトラマンの写真がたくさん貼ってあるのが目立つ。祖師ヶ谷大蔵は、大船や太秦ほどではないが「映画の町」で、駅の南方には現在でも「東宝砧撮影所」「東京メディアシティ」といったスタジオがあり、また『ウルトラマンシリーズ』を制作した円谷プロダクションもかつて近所にあった。「ウルトラの町」は2005年から始まった祖師ヶ谷大蔵駅周辺の町おこしの一環で、円谷プロがキャラクターの無償使用を認めているのだそうだ。
 蛇足だが、私が旧大和銀行で最初に口座を作った1997年1月当時、同行は通帳などのキャラクターの1つとして『ウルトラマン』を使用しており、私も通帳とキャッシュカードはそれにしていた【注1】。協和銀時代から『ミッフィー』一本だった旧あさひ銀行に対し、大和はキャラクターの種類が多彩で、1999年に『アランジ・アロンゾ』で一本化されるまで『ウルトラマン』『原田治』の2つのキャラを併用していた。私は、大和のこうした「キャラクターの“とっかえひっかえ体質”」が、りそな発足時の『ひびきが丘物語』なるいまひとつパッとしないキャラクター【注2】に結びついたと思う。“とっかえひっかえ体質”は少し言いすぎだが、少なくとも、1つのキャラを永年使う雰囲気でなかったとは言えるだろう。りそな発足後に大阪のFM802とタイアップして始めた「RESONART」もいつの間にかやめてしまったようだ。「通帳がミッフィーでなくなった」という理由で他行に乗り換えた旧あさひ銀ユーザーの女性を、私は知っている。

 さて、りそな銀行祖師谷支店は、駅の北口側である。
 駅の北側に出て左に曲がると、もうりそな銀行の縦型看板が視界に入った。この看板はなんとなくボヤーッと白っぽく見える。精神安定剤が効いているのか。いや、目がかすんでいるせいではなく、建物の縦柱をそのまま看板にしたようなこの支店の縦型看板は、明らかに色彩が白くぼやけているのだ。建物のデザインを白で統一したからだろうが、もう少しクッキリした看板を付けたほうが良いのではと感じた。りそなの右隣はゴードンというパチンコ屋、左隣は三井住友銀行の店舗外ATM(エーティーエムサービス東日本支店・祖師谷)。支店の向かいは、コンビニのサンクスやファミレスのココスが入った雑居ビルであった。なお、祖師ヶ谷大蔵駅北口の民間金融機関は、800mほど北側に城南信用金庫の祖師谷支店もある。城南はかつて信金として日本最大の資金量を誇ったが、金融危機の時代に別の複数の信金にトップの座を奪われた。それでも信金として大手であることに変わりはない。
 りそなに入る前に、支店の100mほど先にある祖師ヶ谷大蔵駅前郵便局に寄り道。その後祖師谷支店に来てみると、窓口室は2階にあって、エレベーターと階段でつながれていた。郵便局は窓口が1階でATMが2階にあったから、ちょうど反対である。機械配置はATM3台(富士通FV20×2、FV10×1)と通帳記帳機。5台分ある支店のATM枠は、最近のりそなの標準スタイルである白主体の内装である。白いキャッシュコーナーのはしりの時期に新築された祖師谷支店では、当初はATMも白いビニールシートのようなものを貼って美装していた。左から3台目(枠番3)のFV10と一番右(5)の通帳繰越機がその名残をとどめていて、白いシールで覆われている。1番と2番は最近FV20に取り換えたようで、シールなどは貼られずグレーのままになっている。美装するならするで統一した方がいいと思うのだが。それにしても、三井住友の店舗外ATMは祖師谷支店(旧太陽銀)を統合した代替拠点で、支店が統合されたのにATMは5台もあった。我がりそなは支店としては現役だが、ATM3台。このあたりは何が違うのだろうか。
 とはいうものの、女性のロビー係もいるし、3台しかないATMはそれなりにフル回転している。1階と切り離された印象が強くある2階には上がらなかったが、おそらく総合受付方式になっているのであろう。14:55、祖師谷支店を制覇した。
 祖師谷支店は、1960年10月に協和銀行豪徳寺支店祖師谷出張所として開設され、1962年4月支店に昇格した。2004年9月に建て替えのため仮店舗に移転したが、支店の建物はそれまで開設当初のものを使用していた。現在の店舗は2005年5月16日の営業開始である。あさひ銀行時代の1993年12月、狛江市の狛江支店(旧協和銀、1981年開設)を傘下に置いて祖師谷支店狛江出張所としたが、1999年3月に統合した。狛江市に祖師谷支店を母店とする店舗外ATM[いなげや狛江東野川店]があるのはその名残で、このいなげやは旧狛江支店跡地の近所にある。さらに付け加えると、この支店は隣駅・成城学園前の南口にも、店舗外ATM[成城学園前]を置いている。

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 【注1】口座店の統廃合とシステム統合により、通帳とキャッシュカードは切り替えさせられてしまった。
 【注2】ひびきが丘物語:りそなグループのスタート当初に展開されたイメージキャラクター。制作スタジオジブリ(本社東京都小金井市)。大和・あさひ合併直前の2003年2月7日から店頭ポスターなどで露出したが、グループの国有化によりキャラクター提携契約が打ち切られ、2004年3月末日をもって廃止となった。架空の街「ひびきが丘」に住む、3世代6人+犬1匹の家族と、りそな銀行の行員1名が物語を繰り広げる(予定だった)。「ひびきが丘」の地名はりそなの社名(「共鳴する・響きわたる」を意味するラテン語)に由来。

2010年05月07日

2008.08.27(水)(2)豪徳寺支店

 改札出て目の前のデニーズは、以前はなかった気がするから最近できたのだろう。右側のマクドナルドは以前からあったと記憶している。左を見るとファミリーマートがあり、その隣にもうりそな銀行の看板が見えている。周辺はいかにも東京の閑静な住宅街という感じで、少々のビルは建っているけれども数はさほど多くなく、駅の周辺にちょびちょびとみられるくらいである。駅前からすぐに民家が続いている地域だが、「下町」という雰囲気は薄い。駅から南に向かってなだらかな上り坂をちょびちょびと十数m上がると、豪徳寺商店街の駅に一番近いところに銀行が1軒。それがりそなである。この位置なら「ド駅前」と言ってよい。
 りそな銀行豪徳寺支店は、1959(昭和34)年築の古い建物が健在である。日本貯蓄銀行世田谷支店として1947年4月開設され、協和銀行になってからの1959年11月に現在地に新築移転、1960年2月豪徳寺支店に改称された。旧所在地は世田谷区世田谷2-1165-2(現豪徳寺2-31-x)で、今よりも300mほど南側、駅名にもなった豪徳寺という寺に近いところである。豪徳寺支店は昭和30年代前半の建物がいまだ健在なのだけれども、ここより新しかった祖師谷や荻窪などの支店が既に建て替えを終えているので、ここもそういう話がそろそろあるのではないかと思う。「銀行めぐラー」の立場からは、1軒ぐらいはこうした古い建築を残しておいて欲しいが。
 チンチン電車の名残を色濃く残す東急電鉄世田谷線が支店のすぐそばを走っていて、近所には山下という電停がある。りそなの横には世田谷線の踏切があって、際には3台ぐらい置ける支店の駐車場があるが、そのうち1台分は行用車が置いてあった。駐車場のこの狭さは、来店客が車で来ることを想定していないのだろう。この支店は建物から何から昭和30年代の雰囲気が健在である。
 店に入ると、「招き猫」についての説明文が貼ってあるのが目についた。曹洞宗の古い寺で、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓(井伊家の墓所)もあるという豪徳寺は、「招き猫発祥の地」でもあるのだそうだ。江戸時代初期、彦根藩(現滋賀県)の第2代藩主であった井伊直孝【注1】が鷹狩りで豪徳寺の前を通りかかった際、寺の飼い猫が手招きするような仕草をしたのをたまたま見て立ち寄った。そのことが縁で豪徳寺は彦根藩の菩提寺となり、後世になって片手を上げた猫の縁起物が造られるようになった、とされる【注2】。1614(慶長19)年の「大坂冬の陣」で軍功のあった彦根藩井伊家は、徳川家から世田谷領の15村【注3】を与えられて支配していた。その範囲は、世田谷・太子堂・用賀などの主要部分を中心に、現在の世田谷区の半分近くにまで及ぶ。この地の彦根藩(その後彦根県→長浜県)による統治は、明治新政府の命令により領土が東京都と神奈川県に引き渡されるまで続いた。彦根城の築城400年記念イベントで登場した猫のマスコット「ひこにゃん」が人気を博したのは記憶に新しいが、それも彦根藩と猫との密接な関わりがあらばこそである。なお、りそな銀行は都市銀行で唯一彦根支店を持っており、彦根藩ゆかりの両方の土地に支店を出している唯一の都銀ということになる。
 さて、この支店の窓口室は1.5階分ほどある高い天井を持ち、また窓口を「クイックナビ」には改装せず、旧来スタイルのカウンターのままであった。貼り紙があって、キャッシュコーナーにあったイスを「防犯上撤去いたしました」と書いてあったが、防犯上「イス」を撤去するという理由はよくわからない。キャッシュコーナーのATM枠は、協和銀時代に設置された最初期スタイルのパイプ形デザインで、並んでいるグレーのパイプが天井まで届いている。パイプで機械1台1台に仕切られた間にATMがあるわけだが、「お預け入れ」「お引き出し」の行灯の上部はブルーに塗られ、そこに数字が1・2・3…と大きく白抜きで書いてある。ATMは6台あって、機種構成は富士通のファクトAとファクトVモデル20が3台ずつであった。その他、剥き出しで富士通の記帳機が1台置かれており、窓口室の一番奥には両替機があった。ATMを操作。14:06、豪徳寺支店をなんとなく制覇した。
 制覇の後、今年のディスクロージャー誌を貰おうと思ったのだが、案内係は他の客の相手をしている。それで何となくボーッとしていたら、窓口室の奥の方にいた女性の行員さんが私を見つけて声をかけてくれた。りそなが始まったばかりの頃、テレビの特集で、客を待たせないための窓口シミュレーションをどこかの支店で一生懸命やっていたのを見た記憶がある。サッカーやバスケットでもあるまいしと当時は冷めた目で見ていたのだが、やはりシミュレーションの成果があったということなのだろう。

 次は、小田急線の各駅停車で豪徳寺から3つ目の、祖師ヶ谷大蔵。この駅前にある祖師谷支店に行ってみよう。豪徳寺まで来たついでに少し足を伸ばす。
 頭がぼんやりしているのは相変わらずである。駅前の「すき家」でうな丼を食べてから、さっき降りたホームに再び上がってきた。線路が小田原に向かって右にカーブしていて、豪徳寺駅のホームはその途中にある。高架化と同時にカーブも改良して直線に、とはいかなかったのだろうか。新しい高架線であるので、軌道にびっしりと敷き詰めてある砕石は、指の先ぐらいと思われる非常に細かい石を使っている。これで、コンクリートむき出しよりは騒音・振動が抑えられるのだろう。
 ホームの窓から見えるのは本当に民家ばかりで、建ち方の密度はかなり高い。窓から見えるで思い出したが、豪徳寺支店は世田谷線から見えるところに看板を出したら良いのではないか。さっき支店横の踏切からりそなの建物を見ていて気付いたのだが、豪徳寺支店は、後から3階を建て増したとみえて、線路のほうを向いた3階の壁が一面のベッタリになっているのだ。ここにりそな銀行があることを、最近移り住んできた人は案外知らないのではないかと思う。なお、豪徳寺の民間金融機関は、りそなの他には東京シティ信用金庫の豪徳寺支店があるだけである。

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 【注1】井伊直弼は第15代彦根藩主。
 【注2】実際の掲示内容とは必ずしも一致しない。
 【注3】河川改修の代替地を獲得したり、飛地が独立したりして、後に20村となった。

2010年05月06日

2008.08.27(水)(1)プロローグ 米のとぎ汁が流れている脳

りそめぐ2008夏
りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇



今回の行動範囲

百聞は一見に如かず


 小田急線の各駅停車で豪徳寺に着いたのは、午後1時半過ぎのことであった。
 豪徳寺は複々線の両側に対向式のホームがついた駅で、改札は高架下にある。高架駅としてはごく普通のスタイルである。8月末の昼下がり、夏の「勢い」は少しだけ衰えを感じないこともないが、ギラギラとした強い日差しがまだまだ照りつけている。
 今日は、都内某所の精神科にかかってきたところである。毎日毎日どうもやる気がわかず、就寝したと思ったらもう起床という感じで、生活にも全く張り合いがない。日常のことを何か1つするのにも億劫だし、些細なことですぐ絶望感にかられて死にたくなってしまうのも一度や二度ではなかった。この程度なら大概の人に経験があるだろうが、私の場合はそれが特に病的に思われたのである。
 精神に変調を来したと自覚したのは、時期的には、父親が亡くなって1年ほど経った頃であった。仕事でややこしい人たちを相手に神経をすり減らしていたところに父親に死なれ、時期を同じくして、他人に多額の金を貸したまま返してもらえないとか、底値を見極めて買ったハズのりそなホールディングス株式で含み損を抱えたとか、自分の将来のこととか、月並みではあるがもろもろの悩みが重なったわけだ。これらの状況は、基本的には今も変わっていない。現在では多少平静を取り戻したように思えるが、これは諦めの境地に到達したせいか、はたまた別の理由があるのか、自分でもよくわかっていない。なぜ精神不安定になったかについても、私は明らかに父親孝行な息子ではなかったから、父の死がその要因だったとも考えにくいのである。
 ともあれ、医師には「うつ病ではないか」と相談したのであった。ところが、私は睡眠時間“過多”、つまり「寝すぎ」という特性を抱えていて、医師からは「うつ病は99.9%不眠なんです!」と叱られてしまったのである。叱られながらも、とりあえず精神安定剤のような薬だけは処方してもらったので、それを飲んでいる今は少し朦朧としている。人間の脳内に通常は透明な水がサラサラ流れているとすると、私の脳内は、たとえば米のとぎ汁のような白濁液がドロドロと流れている感じであった。
 そういう頭で、精神科のある「都内某所」から豪徳寺までやって来たのは、単純に財布の中身が乏しかったからである。私はりそなの「めぐラー」として、店舗がどこにあるかは頭に入っている。最も近いりそなの支店が豪徳寺だったのである。だからといって、なにもわざわざ電車に乗って金を下ろしに来なくても、とは思うけれども。

2010年05月03日

新連載「りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇」のお知らせ

 当ブログ「MEGU」で、5月6日(木)18時から新連載を開始します。
 今回は、2008年8月27日(水)に、東京都世田谷区でりそな銀計4店の制覇活動を行った記録です。
 分量は400字詰原稿用紙で約50枚、回数は現時点で7回の予定です。例によって1日1本のペースでダラダラと掲載していきます。多少の脱線もありますが、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。

りそめぐ2008夏
りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇


 2008.08.27(水)
  (1)プロローグ 米のとぎ汁が流れている脳
  (2)豪徳寺支店
  (3)祖師谷支店
  (4)東急バスの折返所にて
  (5)等々力支店
  (6)三軒茶屋特別出張所跡
  (7)世田谷支店
 あとがき・参考文献一覧
posted by 為栗 裕雅 at 19:02| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 告知板 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ一覧(過去の連載など)
大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇(62)
単発(12)
告知板(24)
銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇(29)
りそめぐ2013梅雨 大阪市営バス“最長”路線[93]を行く(43)
りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇(51)
りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇(35)
りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇(8)
りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた(18)
りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動/銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇(20)
りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー(11)
りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ(47)
りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇(51)
りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
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2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)