2010年09月30日

2009.09.09(水)(23)津田沼から成田へ

 京成津田沼に13:38に着いた。
 ここで乗り換える特急成田空港行きは、13:58発だそうである。なんと20分も間が開いてしまった。京成津田沼駅の成田空港行き特急の発車時刻は、ほぼ20分1本のサイクルでx6分・x8分を繰り返しており、1本前の列車が36分発だったのである。20分も待たされて、新京成の電車賃(140円)を無駄にしただけで終わった気がする。これなら、津田沼支店から直接ここまで歩いてきても何とか間に合ったのではないか。吝嗇漢の私としては少し承服し難いことになったが、まあ事前のリサーチ不足を反省するしかないだろう。
 さて、京成電鉄に乗るのは今日初めてだが、考えてみたら、京成津田沼から京成成田まで乗るのが本日唯一なのである。千葉県内の民営交通を牛耳る大手私鉄であるのに、この存在感の薄さはどうだろうか。もっとも、京成電鉄自身もそれは認識しているらしく、本社の本八幡移転はそのあらわれであろう。
 ともあれ、京成という私鉄の影の薄さを無言で語っているかのように、京成津田沼駅はホーム・駅施設とも狭苦しい感じを受けた。島式ホームが3本並んでいて、そのうち一番端の1本が新京成線専用のホームである。駅舎は橋上駅舎になっていて、この駅だけは京成電鉄の「改札切り離し体質」という毒には犯されず、京成と新京成とが改札内でつながっている。こちらが津田沼の本来の中心地であるが、ほとんど乗り換えにしか使われない駅になってしまったのか、JRの津田沼と違って人の気配が少なく長閑であった。
 改札内には同じような業種の飲食店が2軒並んでいる。跨線橋のところにソバ屋、改札の手前にラーメン屋。売店は別にある。京成沿線に麺類の名物があるとは聞いたことがないが、そんなに麺類が売れるのだろうか。京成電鉄の駅はこうした具合に雑然としていて、他の鉄道会社と比べるとどこも何となく垢抜けない感じがする。

 待ちに待った(と書いても別に楽しみにしていたわけではない)13:58発の特急成田空港行きが、京成津田沼駅4番線にようやくやって来た。
 何系というのか知らないが、とにかく京成の主力となっているステンレス製の車両である。目の前に停まった車両は弱冷房車だったが、この暑い中冷房をケチっている車両はイヤだ。というわけで1両前に移ると、車内はかろうじて座れるぐらいの混雑率で、成田空港行きゆえ巨大な荷物を当たり前のように抱えた人が多かった。お気楽に海外旅行なんか行きやがって。まあ私も行けばいいだけのことだが。蛇足ながら、私はこれまでに海外に出たことが一度もない。以前、東京ディズニーランドに行ったことが一度もないのを別ブログで自慢したことがある【注1】。海外に一度も出たことがないのは(TDLと違って)恥だと思う意識が最近強まってきているが、先立つものをどうしようか。
 さて、京成津田沼を出た京成本線は、直進方向に千葉線を分岐して大きく左にカーブし、そのまましばらくは掘割のようなところを走る。京成大久保辺りまで車窓には住宅地が続くが、そこを過ぎると田園地帯になった。おおむね、駅の周辺が住宅地、駅と駅の間が田園地帯になっている感じで、耕して畝だけになっている畑とか、サトイモ畑、ネギ畑等々あって、いろいろな野菜を栽培している。私が「田舎」と聞いてイメージする心象風景は水田なのだが、このあたりには水稲耕作はないようだ。
 習志野市を出て八千代市に入る。八千代台に停車中、窓の外を見ると、上空を飛行機がチョロチョロと飛んでいた。成田空港に近づいてきたのだ。習志野原の東側最寄り駅でもある八千代台は、八千代市の端に近い場所にあるけれども同市の中心駅で、駅前には三メガバンクのみならず信託銀行(中央三井、旧三井信託)まで出店している。
 田園地帯と住宅の密集地とが交互に続き、どちらかというと住宅密集地の方が多い。東京地下鉄東西線につながる東葉高速鉄道との接続駅・勝田台を過ぎると、八千代市を出て佐倉市に入る。志津駅前にある三菱東京UFJ銀行の志津支店は、関東地方には数少ない旧東海銀行の店舗で、千葉県では唯一である。ユーカリが丘は山万という一不動産会社の手により新交通システムまで建設して開発されたニュータウン。同社のメインバンクの一つであるみずほ銀がユーカリが丘支店を出している(旧第一勧銀)。ユーカリが丘を八千代市の延長とみなすなら、この地域で店舗網が最も密であるのはみずほ銀行である。八千代市に支店を3つ(八千代・勝田台・八千代緑が丘)出している都銀はみずほだけだ。

 ユーカリが丘を過ぎると、車窓風景はすっかり「大・田園地帯」になってしまった。一面の畑、と言いたいけれども地形の起伏が結構あって、少し高くなったところはこんもりとした森になっている。さっきまで水稲耕作はみられなかったけれども、耕地整理がなされて大規模な水田が多い。稲刈りはすでに済んでいるようだ。この近所は印旛沼あたりから農業用水を引っ張って来やすいし、大規模化しやすいのだろう。そういうものに馴染まない土地が、畑として都市型農業を営んでいるのではないかと思う。
 各駅停車が運転を打ち切る駅・うすい(臼井)を出てしばらくすると、左の車窓には水田の向こうに大きな水面が見えた。印旛沼である。なぜかオランダ風の風車が1つだけあって、「佐倉ふるさと広場」とかいうものになっている。風車は本格的なオランダ風車で、実際に水の汲み上げに使われているそうだ。このあたりから、右の車窓に山が迫ってきた。首都圏は「関東平野」というイメージでとらえがちだが、千葉県は湾岸地域を除くと意外に起伏が激しい。うすいから先は基本的には田園地帯ばかりで、「駅と駅の間」に住宅地があるという風景は存在しないようだ。なるほど、各駅停車がうすいで運転を打ち切るわけである。あと1駅で佐倉市の中心・京成佐倉駅なのにと思うけれども、その1駅の差が結構大きいのだろう(後で調べたところ、うすい−京成佐倉間は5km以上離れている)。
 京成佐倉の駅前には、三井住友銀行が佐倉支店を出している。この店は千葉県に現存する唯一の旧神戸銀行店舗である【注2】。ここから先、特急は成田空港まで各駅に停車する。この時間の京成線(京成津田沼以東)は、各駅に停車する快速佐倉行きと、うすい止まりの各駅停車とが交互に来て、うすいまでの各駅はそれで約10分間隔。京成佐倉から先は特急が各駅に停車して対応している。佐倉〜成田間にある駅は、大佐倉・京成酒々井・宗吾参道・公津の杜の4つ。宗吾参道には車庫があり、公津の杜には京成が開発した住宅地があるが、基本的には小駅ばかりで、特に大佐倉駅は京成電鉄全64駅中【注3】最も乗降客数が少ない。それを裏付けるかのように、京成佐倉を出た京成線は、車窓から右も左も住宅の見えない人里離れた地域も走り、最小規模駅である大佐倉は山中に駅があるという印象だった。大佐倉は京浜急行でいうと新大津(神奈川県横須賀市)のような印象だが、新大津は駅前の坂をちょっと下りると国道に面した街並みがある。ここはどうなのだろうか。
 右の車窓に、京成の宗吾参道車庫が見えた。2010年7月に営業運転を開始する新型のスカイライナーが停まっている。ダークブルーと白に塗り分けられた精悍なイメージの車両は山本寛斎デザインだそうで、京成電鉄らしくなく(失礼)格好いいと思った。掘割の下のような公津の杜駅を過ぎると、左の車窓に成田山新勝寺の参道と、エスエス製薬の工場が見えてくる。掘割から一転して高度が一気に上がり、右手の眼下には街が広がっている。成田市に隣接する富里市の町並みで、日吉台ニュータウンという。
 地形の起伏の激しさを感じたところで、列車はいよいよ京成成田に到着する。駅のそばまで来ると、大規模な高層マンションとか、ビジネスホテルが見えたりしていた。

 【注1】姉妹ブログ『遊牧民のゴタク』2005.07.19掲載「ネズミーランドに行ったことのない私」。
 【注2】店籍のみ。店舗は旧三井を使用している。
 【注3】成田スカイアクセス線は含まない。

2010年09月29日

2009.09.09(水)(22)りそなを見習ってほしい京成グループ

 これまで東京都に比較的近いところばかり歩き回ってきたが、ここで一気に深く内陸部まで進入する。次の目標は、成田支店(成田市)である。
 実は、津田沼から成田までの移動は、少々やっかいである。両者間をショートカットするのは京成電鉄本線であり、運賃もこちらの方がJRより安いから、このルートで行くしかない。だが、京成線の津田沼駅、つまり京成津田沼駅は、今いるJRの津田沼から結構な距離がある。そこをどう移動するか、である。
 さっきJR津田沼駅内に、京成津田沼駅は「徒歩20分」と掲示してあった。この乗り継ぎは今までに経験したことがなかったが、同時に事前のリサーチもしていなかった。具体的に「徒歩20分」という数字を出されれば、実行する価値は十分あると思うが、「遠く離れている」ことだけ頭にあって、最初から検討対象にしていなかったのである。下調べをしていない以上、いきなりこれをやると道に迷うリスクがある。
 事前のプランニングでは、船橋と津田沼を逆にすることも考えていた。本八幡から津田沼へ先に回り、船橋へ戻って船橋支店を制覇してから京成線にアプローチする。船橋駅ではJRと京成が近接しているから、徒歩連絡の問題は生じない。これだと京成成田に向かう特急は現行プランどおりの列車に収まるのだが、逆に「大差ない」のが不満だった。せっかくスムーズに進むのであれば、ついでに所要時間も劇的に(30分程度は)短くなってほしい。それに、この計画には欠点が1つあって、後で通帳を見た時、店名の並び順が市川→津田沼→船橋→成田となってしまうことである。私の脳内地図はおおむね鉄道路線図を基に出来上がっているから、市川と成田の間に津田沼→船橋の戻りを挟んでいるのはとても気持ちが悪い。というわけで、記帳したときに通帳の並び順が不自然にならないよう、この案はボツとなった。
 結局今回は、最も簡単・確実と思われる新京成線で京成津田沼にアプローチすることにした。新京成の新津田沼駅はりそな津田沼支店のすぐ東側にあるが、吝嗇漢の私としては非常にストレスフルな選択である。新京成線の乗車はたった1駅だけ。名前からわかるとおり京成電鉄の子会社であり、親会社に直接乗り入れてさえいる鉄道会社だが、あくまで別会社であり、口惜しいことにこの区間だけ運賃計算が別になるのだ。

 成田に向かう前に、津田沼支店の写真を撮っておかなければならない。さっき制覇の前に撮影しようとしたのだが、店舗前の大事なところに車が停まっていたので、とりあえず1枚シャッターを切っただけで後に回したのである。預金取引が終わって出てきた今、その車(ランドクルーザーであった)はやはり停まっている。支店の前の道は一応駐車禁止である。もう撮影をあきらめて行こうか、と思ったところで、車は目の前で走り去った。もう数秒早く出てくれよ。カメラの電源を落としてしまったではないか。とはいえ、どうにか許容範囲内の写真が撮れた。
 新京成電鉄新津田沼駅は、りそなの支店の先に見えている。駅ビルにはキーテナントとしてイトーヨーカドーが入っており、道の反対側にある「MINA(ミーナ)」という建物と連絡通路でつながっている。歩道に出ている「放置自転車等移送保管のお知らせ」という看板に周辺の地図も出ていて、それによるとミーナはかつて丸井津田沼店であったようだ(2007.02閉店)。駅の裏側にはイオン津田沼ショッピングセンターも見える。津田沼はかつて「津田沼戦争」と呼ばれるほど大型商業施設が激しくせめぎ合っていたが、大型の閉店も経験しているから少し過当競争気味なのだろう。とにかく、新津田沼駅ビルは、歩道橋のような連絡通路でミーナとつながっている。ヨーカドー正面のエスカレーターで2階に上がってくると大きな吹抜があって、そこにミーナからの連絡橋も駅施設もつながっている。
 電光掲示によると、次の京成津田沼行きは13:35発だそうで、今まさにその時刻である。大急ぎで改札を入って1階のホームに下りる。この駅は複線の両側に対向式のホームがへばりついているだけだが、ホームの幅はかなり広い。やはり乗降客が相当多いのだろう。朝に新鎌ヶ谷から北習志野まで乗ったのと同じ、8000系という電車がやって来た。結構な混み具合だったが、この駅で相当数の客が降りたので、車内は一気にガラガラになった。平均すると長椅子1本に1人ぐらいの乗車率である。

 新津田沼を出た新京成電鉄の電車は、急カーブでキイキイと音を立てて車輪をきしませながら、超スロースピードで京成津田沼駅に向かっていく。この区間の地図を見ると、新京成線の線路は信じられないくらいにクネクネと曲がっていて、逆S字を2つ重ねたように敷かれている。陸軍演習線の払い下げを受けて開業した新京成電鉄は、京成グループの事業展開とともに幾多の変遷を遂げ、津田沼付近では大がかりな経路変更で線路が付け替えられたため、こうなったのである。この区間はさすがに複線化できないらしく単線である。こうした区間が残されていることもそうだし、また京成グループの私鉄が乱立して運賃が高くなったり乗り換えが不便になったりしていることでもわかるとおり、千葉県の鉄道交通は首都圏にしては整備が遅れている。
 千葉県民営鉄道界の雄たる京成グループには、りそなグループを見習ってもらいたい部分がある。りそなホールディングス傘下のりそな銀行・埼玉りそな銀行・近畿大阪銀行の3行は、銀行としてはそれぞれ別の法人であるが、同じグループということで振込手数料は相互に自行内扱いだし、ATMの他行手数料も徴収しない。京成グループもこれに倣って、グループ内に複数ある鉄道会社は全て「京成グループ」という1つの鉄道会社とみなし、営業キロを通算して1つの料率で運賃を計算してもらえないか。これをやると、新京成線新津田沼→京成本線京成成田間は、別運賃が要らなくなるため610円から470円に下がる【注】。前例は大阪市営地下鉄中央線の大阪港−コスモスクエア間にある。この区間は大阪市交通局とは別の第三セクターが運営していたが、市交移管により運賃計算が一本化されて値下がりしてから、コスモスクエア駅の乗降人員は2割以上増加したそうだ。大幅な値下げによって新たな需要が開発されることも十分ありうるのだ。森田健作・千葉県知事は、今年(2010年)7月に実現した北総鉄道の成田空港延伸(「成田スカイアクセス」開業)を前に、沿線自治体の合意を取り付けて北総線の運賃を5%値下げさせることで京成電鉄と話をつけた。私鉄トップクラスの高額運賃だった北総鉄道の値下げそのものは慶賀すべきことだが、まだまだ焼け石に水であり、電鉄・自治体ともさらにいっそう前向きに検討してもらいたいものだ。
 2010年7月に開業した京成電鉄期待の新線「成田スカイアクセス」についてすこし脱線しておこう。都心−成田空港間の電車は、新線開業によって大変ややこしくなった。京成本線経由とスカイアクセス経由の2種類が運行される上、両者の空港までの運賃は奇怪な計算の結果異なっている。成田空港内の2駅は、同一の線路を走る同一社線の駅でありながらホームが別になっていて、両者間には中間改札まで設けているのだ。『日本経済新聞』朝刊のコラム「春秋」(朝日新聞の「天声人語」に相当)は、開業翌日の7月18日付の朝刊で早くも京成の対応を批判していたが、それは(さきに本連載でも触れた)京成電鉄の体質が大きく影響しているのである。京成は、スカイアクセス開業を機に北総鉄道を合併して運賃計算を一本化すべきだったと思う。東京都心−成田空港間はスカイアクセス経由の方が京成本線経由より5kmほど短いが、新線に割増運賃を適用して(このくらいは許してもよいだろう)どちらを経由しても同じ金額とする。それで収入が減る分は、スカイライナーの特急券を値上げして対応すればよい。そうすれば、なにも成田空港内でホーム等の施設を別にする必要はなかったのである。今回、空港内の駅にホームを増設する工事が相当高くついたのではないか。

 【注】新津田沼−京成津田沼(新京成線)1.2km・140円、京成津田沼−京成成田(京成線)31.5km・470円。新津田沼→京成成田の通しは32.7kmで、京成電鉄の料率は31〜35kmで470円。

2010年09月28日

2009.09.09(水)(21)津田沼支店を制覇

 駅前から東に向かってくると、三菱東京UFJ銀行が津田沼支店(旧三菱銀)と津田沼東支店(旧三和銀)の2店を同じ店舗で営業している。案内表示によると最寄りの駐車場が「東洋興業」という会社の管理となっており、旧三和銀店舗にふさわしい。なお、旧UFJ銀行でいうと、旧東海銀行の津田沼支店は津田沼駅南口のサンペデックビルで営業していたが、三和銀との合併後に統合されている。
 習志野市と船橋市との境界線はパルコの建物を斜めに横切っているそうで、旧三和銀のあたりまで来ると、船橋市ではなく本来の習志野市となってスッキリする。駅の北口にある各行の津田沼支店のうち、習志野市にあるのは、りそな・三菱東京UFJ・三菱UFJ信託の3行だけである。こちらは元陸軍跡地(学校となっていた)を再開発したエリアで、津田沼の中でも新しい繁華街である。
 りそな銀行の看板が、三菱東京UFJ銀の向こう側に見えた。ゲームセンターや旅行代理店などの入った雑居ビルである。りそなの隣には三菱UFJ信託銀行の津田沼支店(旧三菱信託)が入っている。このビルにはかつて大塚家具が入っており、さらに元をたどると衣料品スーパーの長崎屋津田沼店であったという。
 りそなの津田沼支店は、窓口室に風除室つきの立派な出入口を持つのだが、そこは現在つぶしてあり、キャッシュコーナーからしか店に入れないようになっている。風除室がせっかくガラスケースのようになっているのだから、身長2mくらいの特大マスコットでも置いてライトアップしたら相当目立つのではないだろうか。埼玉りそななら「コバトン」という最強のキャラクターがいるのだが、りそな銀に現在イメージキャラクターが存在しないのが残念だ。
 風除室のガラスに貼られた「津田沼支店」の店名の前には、赤丸のシールが貼ったままになっていた。このシールは、大和銀行と合併した当初、旧あさひ銀行店舗であることを示したものである(旧大和は青の正方形)。その支店のシステム統合が終了すると同時に剥がすことになっていて、旧あさひ店は2005年5月にシステム統合が終了したハズだが、4年余り経った現在でもシールが残っている。デッドスペースだから別に構わないけれども。

 窓口室は特に改装などしておらず、古いスタイルのままであった。総合受付も導入せず、カウンター上部の取扱い業務を示す表示も、旧あさひ店で普通にみられる、横に細長い行灯がついている(行灯のプレートだけ緑に換えてあった)。自動ドアを入ると6台分のATM枠が横一列に並び、一番右で90度手前に曲がって、機械室のドアと両替機があった。ATMは4台、全部富士通の機械で統一されている(ファクトVモデル10が3台、モデル20が1台)。それに記帳機が1台あって、残りは空き枠であった。
 キャッシュコーナーの内装は、あさひ銀時代のパイプ形デザインであった。1枠ごとの幅は、多少広めに取ってある。私が「パイプ形デザイン」と呼んでいるのは、正面から見るとパイプを並べたように見える旧あさひ店のATM枠のことである。ATM1台1台の間に設けられた仕切りの手前側が丸めてあるだけだから、厳密には「パイプ形」というのも正しくはないが、ゴミ箱の開口部の位置とも相まって、私にはパイプオルガンを彷彿させるのである。
 このデザインは旧協和銀行から受け継いだものだが、埼玉銀行との合併前後では多少の相違がみられる。パイプが天井まで届くほど長いのが旧協和式で、合併後につくられたものはパイプの背丈が低く、「お預入れ」などの行灯を挟むほどの高さしかない。短く断ち切られたパイプの最上部にはキャップのようなものが付いており、行灯のプレートの色に合わせて塗り替えている。行灯が青だった時代にキャップの色が青色だったかは覚えていないが、あさひ銀後期の赤い行灯には赤いキャップ、りそなになってから緑色の行灯になると緑色に塗られたものも見かける。津田沼支店のATM枠は、上部行灯のプレートは緑に換えてあるけれども、パイプ上端についたキャップの部分は赤のままであった。ATMを操作。13:25、津田沼支店を制覇した。

 津田沼支店は、埼玉銀行津田沼支店として1971年4月に開設された。現店舗では1976年11月から営業している。この支店は、旧埼玉銀行では唯一となる千葉県内の店舗であった。また、現りそな銀行としても、前橋支店とともに「東京都以外にある旧埼玉銀店舗」として貴重である。

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2010年09月27日

2009.09.09(水)(20)「津田沼」はどこにある

 津田沼駅に13:13頃到着した。船橋からは快速なら次の駅、各駅停車でも東船橋を挟むだけで2つ目だ。次に向かうのは、津田沼支店である。
 津田沼は一大商業地区で、新京成電鉄とJR総武線とが接続する交通の要衝でもある。JR津田沼駅は総武線の一大拠点で、各駅停車・快速ともにこの駅を始発・終着とする列車が運転され、ホームも6番線まである。乗降客が多い駅だけに、橋上駅舎には駅ナカの商業施設ゾーンまであった。駅舎の東側にズラリと並んだ自動改札のそばには、京成線や新京成線との接続関係など、親切に掲示してある。津田沼駅はターミナルの割にいろいろな意味でインテグレートされていない印象があるが、その分ソフト面でカバーしようという意識があるようで、結構なことだと思う。
 改札を出て、右に行ったら新開地、左に行くと旧来の市街地があったハズだ。右側の南口は、商業施設としては「モリシア津田沼」(旧サンペデック)が1棟あるだけで、開発が進んでいないエリアである。通常の金融機関は地元第二地銀・京葉銀行の津田沼支店だけだが、中央三井信託銀行が相談業務のみの有人出張所を出しており、今後が期待できそうなエリアということか。
 市街地のある左側(北口)へ出てきた。JR津田沼駅周辺は戦前には陸軍の演習場や鉄道連隊などを擁する「軍隊の町」で、陸軍施設のひざ元にあって古くから兵士を相手にした商業やサービス業が栄えていた。急速に発展するきっかけとなったのは、1970年に始まった区画整理事業を経て、1977〜78年にイトーヨーカドー・パルコ・西友・ダイエーといった大型店が相次いで進出したことである。というわけで、駅の回りには複数の商業ビルがあり、その中で駅前に最も大きく構えているのはパルコである。
 駅前にかかるペデストリアンデッキは、デッキの建設費を節約したのか、駅前広場の手前半分くらいにかぶさっているだけで、パルコとはつながっていない。その駅前広場は、全体がロータリーになっていて、バスホームとタクシープールもある。樹木は端の方にちょこっと植えてあるだけで、「緑が多い」という印象からはほど遠い。
 銀行をはじめとする金融機関が北口にはたくさん見える。パルコの西側を真北に進む県道(津田沼停車場前原線)沿いに、みずほ銀行(旧第一勧銀)と住友信託銀行の看板が見える。住信の北隣りにはみずほ信託銀行もある。その先には千葉銀行があり、千葉興業銀行や日興コーディアル証券なども見えた。
 駅前広場をまたぐ歩道橋を渡って、パルコの前に下りてきた。1階にファミリーマートがあるが、通常見かける店と違って看板が茶色で、「ファミマ!!」というカタカナのロゴをつけている。

 パルコの1階、ファミマの隣には、三井住友銀行津田沼駅前支店がある(旧平和相銀)。津田沼駅前にある金融機関の支店名は、基本的にはすべて「津田沼支店」だが、千葉銀と三井住友に限り「駅前」をつけている。千葉銀は、京成津田沼駅前に別に「津田沼支店」を出している。京成津田沼駅は市制施行前の旧千葉郡津田沼町の中心地にあり、習志野市役所の最寄り駅でもある。旧平和相互銀行もその近くに別に「津田沼支店」を持っていたが、住友銀行に合併(1986年)した後統合された。
 JR津田沼駅は習志野市のはずれにあって、駅前の繁華街は現習志野市の領域には収まらず、船橋市にまたがっている。北口でここまでに名前を出した金融機関の支店は、すべて所在地が「船橋市前原西」となる。船橋・習志野両市の境界が駅前を通っており、駅の北から北西にかけての商業地は船橋市に所属しているのだ。ここは、「昭和の大合併」前には千葉郡二宮町といった。当初津田沼町と合併することで合意していたのだが、最終的に合併したのは船橋市であった。もしこの時二宮町が津田沼町と合併していれば、「津田沼」の繁華街は同一自治体の中で収まって一件落着だったのである。
 二宮町と津田沼町との合併が不成立となったことは、別の複雑な事態ももたらしている。旧千葉郡津田沼町は、1954年8月、旧千葉郡幕張町の北西部を合併して習志野市制を施行した。新市名「習志野」は、かつての陸軍習志野演習場「習志野原」から採っている。この名前は、篠原という陸軍少将を気に入っていた明治天皇が「篠原を見習え」と言って付けたそうだが【注1】、同じ「習志野」の地名は現在船橋市にも複数ある。というより、地名発祥の地は船橋市側(旧二宮町)である。習志野という地名は、ニュートラルな記号として捉えるなら3つの意味を含むことになる。(1)現船橋・習志野・八千代の3市にまたがる「習志野原」、(2)旧津田沼町を中心とした「習志野市」、(3)現船橋市のうち旧演習場ひざ元の地域。数時間前に訪れた船橋市の北習志野支店は(3)である。
 といって、津田沼町が市制施行するときに旧町名でやればよかったかといえば、そう単純なものでもない。当時津田沼町は人口がさほど多くなく、市制施行するためには他町村と合併して3万人を超えることが不可欠であった。習志野市の市制施行は複雑怪奇な操作の結果であったが【注2】、千葉郡幕張町との合併合意が成立した時点で「習志野市」となることは決まっていたから、新市を「津田沼市」とする選択肢はなかったと思われる【注3】。もっとも、もしこの時津田沼町が合併せず町のままでいたとすれば、高度成長期の市制施行ラッシュの中で単独で「津田沼市」になっていたかもしれないが。
 なお、「津田沼」は合成地名で、近所に「津田沼」という沼が存在するわけではない。明治期に5つの村が合併したとき、旧5村のうちやや大きな3つの村の名称(谷津・久々田・鷺沼)から1字ずつ採ってつけたという。こうした合成地名は地名の研究者からは強い批判を浴びているが、これも「記号」として捉えると(1)旧津田沼町全体、(2)JR津田沼駅を中心としたエリア、(3)現習志野市津田沼、の3つの概念を含むと考えられる。
 いずれにしても、地名の機能が「土地を特定すること」である以上、津田沼も習志野も地名としては問題があるのだが、だからといってこの2つ以外に有力な名称もないだろう。「昭和の大合併」で旧二宮町が津田沼町と合併しなかったことが全ての根源だが、過去をとやかく言っても始まらない。私の考えでは、この齟齬をなくすには市域の再編しかないと思われる。船橋市と習志野市が合併すれば人口は約75万人となり、それだけで相模原市(約71万人)を上回る。これをもって政令指定都市を作り、現習志野市と旧二宮町とを合わせた地域を新市の「習志野区」とすればよい。両市の合併がないとしても、旧二宮町領域を船橋市から習志野市に割譲すれば、話は一挙に解決である。
 以上「他所者のたわごと」であるのはお断りしておく。こう簡単には行かないからこそ、現状のようになっているのだ。

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 【注1】名称の由来については「篠原を見習え」のほか、「習練をする野」「ナラした野(平坦な土地)」と諸説がある。篠原国幹(しのはら・くにもと、1837〜1877)は幕末の薩摩藩士で、明治の軍人。戊辰戦争で薩摩藩の隊長として鳥羽伏見の戦いに参戦、明治政府御親兵の陸軍大佐に任じられ、陸軍少将に昇進した。西郷隆盛が征韓論に敗れて下野すると天皇の慰留を振り切って帰郷し、後の西南戦争で政府軍の狙撃を受けて戦死した。
 【注2】1954.07.06幕張町全域を千葉市に編入。08.01千葉市の旧幕張町区域のうち、北部(実籾・愛宕・安生津・長作・天戸および馬加の12小字)を津田沼町に編入。同日、津田沼町が習志野町に改称し、即日市制を施行して習志野市発足。08.28習志野市のうち旧幕張町の一部(長作・天戸)を再び千葉市に編入。幕張町は当初全域が津田沼町と合併するハズであったが、千葉市との合併を望む南部との間で対立が起こり、県などのあっせんで分町合併となった。津田沼町は、幕張町北部を(長作・天戸を含めて)編入することで、一時的に人口3万人を超えて市制施行の要件を満たし、晴れて市になってから2地域を千葉市に「返却」した。
 【注3】当時は津田沼より習志野の方が知名度が高かった。なお、合併にあたって「名称問題」が紛糾のタネになることは言うまでもない。

2010年09月26日

2009.09.09(水)(19)「写ルンです」を買ウンです

 実は、船橋支店の写真撮影では、のほほんとした顔とは裏腹に、内心かなり硬直していた。スケジュール的には順調であるが、非常にまずい事態が判明したのである。デジタルカメラの電池がほとんどないのだ。
 今回使っているデジカメのバッテリーを、私は3本持っている。そのうち2本はカメラを買ったときに一緒に買ったバッテリーである。そこまでなら何の問題もないが、カメラを購入したのは2001年2月のことであり、もう10年近くも使っているのだ【注1】。当然バッテリーも相当にへたってきているから、最近1個買い足したのだが、まずいことに、その最近買ったバッテリーが切れた。充電済みの古いバッテリーに取り換えたものの、最初の1本は市川支店を撮っているところで完全に切れ、(1〜2個所行っただけなのに)使い物にならなくなってしまったのである。ということは、充電済みのバッテリーはもう1本の古い方だけしかない。それも切れたら非常事態発生である。このカメラは乾電池が使えないから、電源がない以上単なる電子部品のかたまりである。
 「写ルンです」でも買ってこなければいけない。使い捨てカメラもそれなりに良くできているから、撮りまくれば枚数で補完できる気はするが、やはりそれは嫌だ。ちゃんとしたデジタルデータが欲しいところである。最悪の場合、後日写真だけ撮り直しに来なければいけないかもしれない。やれやれ、地下鉄東西線のダイヤ乱れを切り抜けたと思ったらこのザマである。バッテリーの充電し忘れは明らかに自分の落ち度であるから仕方がないのだが、やはり気持ちは大きくへこんでしまう。私は「トラブルを楽しむ」ことのできない人間なのだ。
 とりあえず、隣りのイトーヨーカドーで使い捨てカメラを1個買ってこよう。りそなの住宅ローンセンター前にある2階の入口からそのままイトーヨーカドーに入り、店員に売り場の場所を尋ねる。りそなと同じ建物、東館の1階にカメラ屋があるそうだ。エレベーターで1階に下りた。この建物についている日立製のエレベーターは、階数ボタンが(タッチで「ピ」等ではなく)押したときにザクッという感触のある、昔ながらのボタンになっていた。
 1階のカメラ店で、高感度15枚撮り、数量限定大特価、税込300円という使い捨てカメラを1つ買った。製造から時間が経っており、有効期限が2010年2月に迫っているため、安くなっているのである。パッケージには「ISO1600」とあったが、1600とはどういう数値なのだろう。カメラにはさっぱり詳しくない【注2】。「写ルンです」という商品名の音の響きは『ルンルンを買っておうちに帰ろう』という林真理子のエッセイ集に何となく似ているが、音の持つ脳天気な雰囲気とは裏腹に、私は絶望感に駆られていた。なぜ私は、たかが銀行めぐり程度のことが満足にできないのだろう。
 今のところデジカメは使えているが、残りの個所数もまだまだ多いし、果たしてどうなることか。買った「写ルンです」を、使わなくて済むならそれに越したことはないのだが。しかし、デジカメが引き続き使えたとしても、各支店の撮影はほとんどワンチャンスしかないと思った方がよい。それによって写真撮影に真剣味が出るかもしれないから、却ってよかったのだろう。と、良い方に解釈することにしたい。

 船橋駅北口でのすべての用事を済ませた。次の目的地に向かおう。東京都民銀行船橋支店の横に出てきたが、ここは駅とは反対の方角であるようだ。やみくもに歩き回ったから、方向感覚がすっかり飛んでしまった。

 【注1】2009年12月、さすがに限界を感じて新しいカメラを購入した。
 【注2】ISO感度:写真用フィルムの規格で、そのフィルムがどの程度弱い光まで記録できるかを示し、数字が大きいほど感度が高い。

2010年09月25日

2009.09.09(水)(18)船橋は「神の国」であった

 次の目的地は、船橋支店(船橋市)。最寄り駅の船橋は快速停車駅だが、各駅停車しか停まらない本八幡から行くには、当たり前だが各駅停車で行くしかない。船橋駅は本八幡から3つ目である。
 本八幡駅に戻って改札を通る。中に入ったところで、目の前の天井から下がっている電光表示がパッと変わった。これはイカン、電車が来ているではないか。慌ててエスカレーターを駆け上がる私であった。電車が来ているからといって脊髄反射的に急いでしまうのは、精神に余裕がない証拠のようでイヤなのだが、幼い頃からの性格は変えられないようだ。
 幸い、なんとか電車には乗れた。各駅停車津田沼行き、12:32発である。7分ほどで到着した船橋駅は、高架の駅であるのは本八幡と変わらない。ただ、快速停車駅とあってホームが2本(快速線と緩行線)並んでおり、ホームで待つ人の数も明らかに本八幡より多いようであった。
 1階に下りて、自動改札がずらっと並んだ東側の中央改札口を出る。コンコースにある駅周辺地図を見ると、りそな銀行は、北口ロータリーに面したイトーヨーカドーの左側にあった。通路を北に向かうと、コンコースには東武百貨店の船橋店が入口を開けている。さっき乗った東武鉄道野田線は船橋が終点であり、ターミナル駅としてデパートがある。東武デパートは船橋駅ビルのようになっていて、平面図を見るとL字形をしており、なかなか巨大である。
 北口に出てみたが、駅前広場の真上に人工地盤が広がっているせいで薄暗い。駅を背に右に目を向けると、モスグリーンの外装が目立つ20階建てぐらいの高層マンションが1棟、それからオフィスの雑居ビルが2〜3棟見える。線路に近接した見えにくい場所に商業の雑居ビルもあるのだが、おしなべて商業は北口にはなさそうである。駅前広場上の人工地盤には、そこに上がるためのエスカレーターまで付いている。この駅のバスターミナルは乗り場がロータリーの内部にあるから、エスカレーターはバスに乗る人のためのものと言える。
 エスカレーターの乗り口では、「聖書は実際に何を教えていますか」と書かれたプラカードを持った人たちが2〜3人立ち、何か配っていた。八百万の神がおわしますという日本には、多種多彩な神様がいて、この私が今日すでに船橋市内で「女神」と「怪神」に遭遇している。宗教団体の皆さんも昼間から大変である。その船橋市は、「神の国・日本」における軍隊の町であった。軍需工場も多かったし、さっき行った北習志野は陸軍演習場跡地に造成された団地である。船橋市北部にあった海軍無線電信所船橋送信所は、古くは内閣総辞職にまで発展した贈収賄事件「シーメンス事件」の舞台となり、また太平洋戦争開戦時には真珠湾攻撃開始の指令「ニイタカヤマノボレ1208」の電文を送信した。これほどの「軍都」でありながら、船橋市はどういうわけか大きな戦災を受けることは免れている。「神の御加護」というより、連合軍が日本統治の際に利用できると判断していた等の理由があるのかもしれない。

 エスカレーターでデッキに上がってみた。デッキの端は70〜80cmの高さで花壇のようになっている。その内側をベンチが4方向から囲んでおり、内側は単に化粧舗装がなされただけの20m四方くらいの広場。そこで何人かの人たちがくつろいでいる。花壇には潅木がこんもりびっしりと植わっていて、身長170cm弱の私が周囲をスッキリとは見渡せない高さがある。背の低い人なら目の高さぐらいにはなると思う。柵の向こう側はほとんど見えず、デッキ上は街から切り離されている感じがする。それでも、駅前広場の北側に壁のようにそびえ建っている2棟の再開発ビルが見えた。「船橋ツインビル」という名前のとおり、カスタードクリームのような色に塗られたビルが、2棟並んで建っている。
 「西館」と書いてある西側の建物の2階に、りそな銀行の看板が見えた。東館には、京葉銀行(船橋駅前支店)と三井住友銀行(船橋北口支店、旧平和相銀船橋支店)が入っている。東京都民銀行もある(船橋支店)。周辺を見ると千葉銀行(船橋北口支店)と東京東信用金庫(船橋支店北口出張所、有人)も見える。というわけで、船橋の北口はそれなりの銀行街であった。
 写真撮影にかかる。りそなの支店は大きなビルのテナントであり、デッキとの位置関係もあって、写真は少々撮りにくいと感じた。デッキを下りて支店の西側から撮った写真(今回掲載)がこの日撮った中ではベストショットだと思うが、あまり気に入った出来ではない。
 キャッシュコーナーに入ると、ATM枠は旧大和銀行が1988年にCIを導入して以後の標準スタイルであった。今日ここまでに複数の旧大和店舗をめぐっているが、キャッシュコーナーで鏡張りのこのスタイルに遭遇したのは船橋支店が初めてである。枠は7台分あり、うちATMは4台。一番左の枠が空き枠で、2番がリーダスAK-1、3・4・5番がオムロンJXの白台。6番は空き枠で、7番にオムロンの記帳機がはめてある。行灯のプレートは緑色のものに換装済みであった。窓口室の総合受付カウンターには、白い円筒形の看板が天井からぶら下がっている。2階にはATMはなく、住宅ローンセンターやローンサポートオフィスなど、支店に付随したオフィスがあるようだ。12:52、船橋支店を制覇した。

 船橋支店は、大和銀行船橋支店として1972年9月に開設された。1979年7月の仮店舗移転を経て、現在の店舗は1981年9月から営業を開始した。2回の移転は場所移動としては軽微なものであり、再開発に伴う仮移転→本移転だったようだ。
 なお、あさひ銀行は1997年10月まで、旧市街である船橋駅南口側に船橋支店を持っていた【注】。支店は旧宿場町の本町通り沿いにあって、旧協和銀行お得意の商店街立地スタイルであった。

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 【注】あさひ銀行船橋支店:船橋市本町3-5-3にあった。1946.02日本貯蓄銀行船橋出張所として開設、1948.07普銀転換で協和銀行船橋支店(支店昇格日不詳)、1963.11店舗新築、1997.10.20さくら銀行船橋支店に営業譲渡され廃止。

2010年09月24日

2009.09.09(水)(17)本八幡の市川支店を制覇

 本八幡駅は、高架上に島式ホームが1本あるだけという、総武緩行線には典型的な駅であった。
 高架下を使った「シャポー」というショッピングセンターを横目で見ながら改札を出た。改札からまっすぐ行くとシャポーに入り、そこを抜けていくと都営地下鉄新宿線の本八幡駅に出る。左へ行くと南口。そして、目指すりそなは改札を出て右、駅の北口側にある。
 高架下にある駅施設は、地面より半階分高いところにあって、北口に出るには階段を10段くらい降りることになる(南口でも同様だが)。駅前のロータリーには歩道以外に突起物がなく、舗装してべったり広がった空間があるだけだ。その中央部分を線で仕切ってタクシープールにしており、他の駅でみられるように花壇などがあるわけではない。いろいろな駅で乗り降りして思うことだが、駅前広場はコンクリートの構造物でガチガチに武装するよりも、舗装してラインを引いただけの方が機能的には使い勝手がよく、しかも安上がりで良いのではないだろうか。そんな本八幡駅前のロータリーには、いろいろな場所からバスが来ているようだが、濃紺と白に塗られた京成バスの車ばかりである。市川市の中核地区ではないから、隣りの市川駅と比べると路線の数が多いわけではない。
 ロータリーの周囲には、雑居ビルと呼ぶには規模が大きな商業ビルが数棟建ち並んでいる。駅を背にして左側には、短冊形をした縦型の窓が細かく多数並んだビルがある。1階には三菱東京UFJ銀行の支店があって、市川支店でも本八幡支店でもなく「八幡支店」という(旧三菱銀)。店先に女優・戸田恵梨香がピンク色の服を着て立っている。カードローン「バンクイック」の等身大の立て看板だが、日焼けで退色して真っ白になっており、かなり悲惨であった。三菱銀の他には、ブックオフ・TSUTAYA・笑笑といったチェーン店が入っている。もっと左、高架線の際にある雑居ビルの1階には、三井住友銀行の本八幡支店(旧住友銀)。くし焼き・ホットヨガ・居酒屋といったビルのテナント構成からして旧平和相互銀行の支店だろうと思ったが、調べてみるとそのとおりであった。近所にはコンビニのデイリーヤマザキがある。このチェーンの親会社・山崎製パンは市川市で創業し、コンビニの本部も市川市内にあるが、だからと言ってこのコンビニチェーンが「市川らしい」と言えないのが残念だ。
 駅前通りを北に向かう。この道は対面2車線にしては幅が広く、路上駐車などを想定した道幅になっているのだろう。化粧舗装の歩道は車道側が花壇になっている。雑居ビルのテナントが華やかなのはこのあたりの良さではないか。やはり、市街地はこのくらい賑やかであってほしいと思う。昼間帯に人通りがほとんどないようでは、商業地としては終わっている。
 駅前通りは日本橋と千葉市とを結ぶ国道14号と直交していて、りそなはその「本八幡駅前」交差点の手前右側にある。りそなの北隣は三菱UFJ信託銀行の市川八幡支店(旧三菱信託)。向かいにあるみずほ銀行本八幡支店(旧富士銀)は、内装からはもう旧富士か旧一勧かはわからない。交差点から14号を東に数軒入ると東京ベイ信金八幡支店。この信金の支店はさっき浦安でも見かけたが、もともとは市川信用金庫といった。さらに東へ行くと市川市役所がある。14号の北に目を転じると、三菱東京UFJ銀行の支店がもう1つある。こちらは市川八幡支店といって、旧三和銀の店である。14号と京成線に挟まれたエリアは現在再開発の真っ最中で、京成八幡駅前には京成電鉄が2013年をメドに本社を東京都内(墨田区押上)から移転してくるそうだ。

 りそな銀行市川支店に入る。窓口室は総合受付方式導入済みだが、普通の支店では円筒形になっている「総合受付」の看板は、この支店では壁を背に衝立のように立っている。カウンターが客室の中央ではなく壁際にあるためだ。
 5台分あるATM枠はパイプ形デザイン【注1】で、その中でも協和銀行時代に作られたものである。ただし、あさひ銀行になってからずいぶんと改装されたようで、機械の直上に書いてある機械番号のフォントがゴナ体であったり等、協和銀行時代のものとは違っている。ATM枠全体はグレーに塗りつぶされていて、行灯のプレートは緑色のものに換装してあった。機械配置は、枠番でいうと1番、つまり一番左が富士通の記帳機。その右にATMが3台、富士通ファクトVモデル20が2台とモデル10が1台。5番は空き枠である。
 ATMには「画面に袖口がふれなようにご注意ください」と書いたテープライターのシールが貼ってあった。「ふれなように」というのが微笑ましい。別に揚げ足取りをしているわけではない。私はこういうところに「人間の生活の営み」を感じる。銀行という業種は無謬という伝説でガチガチに武装しているが、それを動かしているのはやはり人間なのである。こういうそそっかしいミスを見ると、銀行員も普通の人と変わらないんだな、と思うのだ。もっとも、営業店などで役席者と話をすると、「銀行員」を絵に描いたようなイヤミな応対をされることがまだまだ多いけれども(念のため、ここがそうだったと言っているわけではない)。市川支店の制覇は、12:27のことであった。
 貯蓄銀行時代に開設された市川支店は、りそな銀行の千葉県内店舗の中で最も歴史が古い。安田貯蓄銀行市川出張所として市川市市川新田に1942年5月に開設、9行合併を経て、1946年1月末時点では市川新田から八幡に移転して日本貯蓄銀行の市川支店となっている。その後の普銀転換で協和銀行の市川支店となり、1960年4月に現在地に移転、現在の店舗は1971年5月に新築されたものである。支店に昇格した日付は一応調べたが、戦中戦後の混乱期を経ており資料が見つからず、明らかにはならなかった【注2】。

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 【注1】パイプ形デザイン:28日掲載「(21)津田沼支店を制覇」で詳述の予定。
 【注2】協和銀行は前身9行の社史をまとめておらず、また各店の貯蓄銀行時代の店歴は協和になってからの社史でも詳述されていない。

2010年09月23日

2009.09.09(水)(16)西船橋で乗り換えて本八幡へ

 腹が減って我慢ができなくなった。行徳支店のある交差点の反対側に「すき家」があり、ここでうな丼を食べた【注1】。
 ここ数年の間に始まったことだと思うが、ファストフード店で夏季にウナギが食べられるようになった。値段の点でも(ファストフード店のメニューとしては高いが)ウナギとしてはまあまあ手ごろで、味も悪くはない。高級食材が手軽に口にできるようになったのは喜ばしいけれども、かつてウナギといえば清水の舞台から飛んだつもりで食べるようなステータスのある食べ物だっただけに、こういうものまでFF店のラインナップに載っているかと思うと、食生活の中に感動がなくなったと感じる。難しいものである。ただし、2011年以降ウナギは供給減が予想されるそうで、今後は輸入ウナギを安く食べられない可能性が高いそうだ。
 食べ終えてすき家を出ると、りそなと牛丼屋との間に西友の建物を見た。道路の奥には西友行徳店がある。西友は北習志野には2軒あった(ハズだ)し、今日はやたらに見かける。西友が店舗展開上どんな特徴を持つかは知らないが、東京から千葉方面にかけて特に強いのかもしれない。

 次に向かおう。市川支店である。行徳と同じ市にある支店で、自治体の名前をそのまま付けている。最寄り駅はJR総武線の本八幡。1955年に市川市に編入された旧行徳町とは異なり、1934年に3町1村が合同して発足した「当初からの市川市」に位置している。
 市川市の経済上の中心は、本八幡の隣駅である市川駅の周辺で、都銀各行の市川支店も通常そちらにある。市の名前を冠した支店が中心地を外したニッチ型の立地になっているのは、第二地銀などではおなじみのパターンだが、都銀には少し珍しいかもしれない【注2】。市川支店は1942年5月に市川市市川新田(現市川市新田)に安田貯蓄銀行市川出張所として開設されたが、1946年1月末の時点ですでに市川市八幡に移転して日本貯蓄銀行市川支店となっており、いわば筋金入りのニッチ立地であることがわかる。現市川市新田はJR市川駅の南東側である。
 さて、行徳から本八幡までの移動では、私の好きな「町との対話」、この場合は路線バスを使ったショートカットにしようと考えていた。行徳駅前から本八幡駅南口行き(京成トランジットバス)が30分間隔で出ているのは、事前のリサーチで知っていた。駅前にあるバス停のポールを見ると、次のバスは12:10発で、15分程度の待ち時間がある。1つ先の「押切」という停留所まで行くと本数が倍増して15分おきになるらしいが、そこまでの歩行時間を考えると、行っても1本早いバスに乗ることは無理だろう。
 といって、ここで15分も待つ選択肢はない。というのも、行徳から電車で本八幡に行くと西船橋で乗り換えとなり、どうしても30分ぐらいの時間がかかる。バスでの所要時間も同じくらいだろうから、せめてすぐ来るのであれば乗ってもいいのだが、15分待ってとなると厳しい。ここから先、千葉県の奥地に入ると、電車の本数が劇的に少なくなるのがわかっているから、とりあえず時間を稼げるところで稼いでおかないといけない。というわけで、行徳からバスで移動することは断念した。

 東西線で西船橋に12:04到着。ホームに降り立つと、西船橋行きに乗ってきたハズなのに、電車はいつの間にか東葉勝田台行きに変わっていた。ホームの電光表示によると、本来西船橋を11:57に発車する列車のようだから、目下7〜8分遅れているわけだ。
 ホームからエスカレーターで上がるとJR線への乗り換え改札で、改札機が横一列に並んでいる。列車の運行は通常ダイヤに戻りつつあるようだが、改札はまだかなりの混雑ぶりを呈していた。西船橋が乗換駅ゆえそれなりに人出が多いことを考えても、やはりまだ混乱が続いているのだろう。もう1つひときわ混雑を感じる理由としては、JRとの間に連絡改札ができたせいもあるだろう。西船橋駅でのJRと東西線との間には、私鉄側がICカードシステム「パスモ」を導入すると同時に連絡改札が設けられた。西船橋での乗降の記録をICカードに付けたいせいだろうが、どうしてこういう野暮なことをするのだろうか。ICカードに乗り換え記録を付けるだけなら、田舎の無人駅にあるようなタッチするだけの簡易改札機で十分ではないのか。なお、駅全体の構造を述べておくと、地平にJR総武線と東京地下鉄東西線の島式ホームが合計4本並び、その上に橋上駅舎があって、さらにその上にはJR武蔵野線の高架ホームが直角に交わっている。JRの改札内には最近はやりの「駅ナカ店舗」が多数ある。
 本八幡方面の乗り場は3・4番線で、ホームに下りるエスカレーターが改札のすぐ目の前にあった。総武線の黄色い電車は、12:10発の中野行き。西船橋から本八幡までは、間に下総中山を挟むだけで、4分ほどで到着する。
 電車が本八幡駅に進入する直前、左側に大きなショッピングセンターが見えた。ニッケコルトンプラザという。日本毛織(にっぽんけおり、ニッケ)中山工場の跡地で、工場を閉鎖した後、跡地を売らずに自社で開発してショッピングセンターにしたもの。繊維産業の工場だったところをSCに変えたケースは、案外あちこちで見られる。会社は違うが、埼玉県川口市にある2つのイオン系SCもそうである。

 【注1】2010年は8月中に終了した。
 【注2】但し、市川市役所は本八幡にある。

2010年09月22日

2009.09.09(水)(15)行徳支店にも行っとく

 「りそめぐラー」にとっての用事は、浦安では地下鉄の駅前だけで終わりである。私は、銀行めぐりの醍醐味は「店のある町との対話」、つまりその町について深く知ることも含まれると思っているのだが、それが少ないのは寂しいものだ。あさひ銀行時代の「あさめぐ」では店舗外ATMもハシゴの対象だったから、支店からATMまで歩くことは「町との対話」の有力な方法だった。浦安では、町を代表する三角州の一つであった「大三角」(『青べか物語』の舞台の一つでもある)の近くに浦安支店の店舗外ATMがあって、行ったことがある【注】。そのATM自体が廃止になって随分経つし、店舗外ATMめぐりの習慣もなくなってしまった。
 次の目標は行徳(ぎょうとく、市川市)。旧江戸川を浦安から遡ったところにあって、かつては河港が発達していた。江戸から海路でこの地に上陸し、佐倉を経て成田山に参詣するルートが形成されていたそうだ。また、近世初頭から昭和初期までは塩田地帯でもあったという。行政地名でいうと市川市になるが、私はここも浦安市だと思い込んでいた。浦安から東西線で2駅目の近所であるから、無理もなかろう(と強弁する)。
 エレベーターの上昇スピードが遅く、ホームに上ると箱を出たまさにそのタイミングで西船橋行きの電車が行ってしまった。文字にしてはならない言葉を、音声にもしないで心の中で吐き捨てた。次の電車はいつ来るのだろう。今日はダイヤが大幅に乱れていて、時刻表を見ても当てにはならない。ただ、現在時刻は11:21である。本来の予定では11:17に浦安に着き、11:51発の西船橋行きに乗る計画だった。今電車を1本見送り、次が10分後ぐらいに来るだろうから、計算すると浦安の発車が11:30頃。そうすると、やはり20分ぐらいは早く回っていることになる。ダイヤの乱れも考え合わせると、乱れの影響は十分吸収しており、そこそこ順調と言えるのではないだろうか。まあ、勝って兜の緒を、とはよく言われることだが。
 待っていると電車がやって来た。時刻表の上では11:27発の各駅停車西船橋行きで、ダイヤはほぼ正常に戻った模様だ。もっとも、11:27に発車するから11:27発だと思っているだけで、実は遅れてきた「前の電車」であるのかもしれない。とりあえず、11:27に発車する電車に乗れるのだから良しとしておこう。
 反対側のホームに来た列車は「快速 中野」の表示を出している。中野方面は快速の運転も再開したようだ。

 3分ほどで着いた行徳駅は、高架上の複線に対向式ホームがついただけの、東西線のほかの駅と変わらないたたずまいであった。ホームからエスカレーターで階下に下りるとコンコースで、そこからまたさらに1階分下りたということは、ホームは3階にある。
 改札は西船橋方向(東)を向いているから、その右側は必然的に南口ということになる。さっき電車の窓から、駅の南側に朝日信用金庫と三井住友銀行がチラッと見えていた。出てみると、まずは和食チェーンの大戸屋が目に入る。三井住友銀行の看板は行徳支店(旧三井銀)である。三菱東京UFJ銀行が2軒。都銀の支店としては普通規模の支店建築(行徳支店、旧三菱銀)があり、道の反対側に有人出張所のような小さな建物が向かい合って建っている。小さい方には「浦安駅前支店行徳駅前出張所」とあり、「三和銀行」という文字を剥がした跡が見える。朝日信用金庫(本店東京都台東区)の行徳駅前支店があり、さらにその向こうに千葉銀行行徳支店がある。即断は避けるが、行徳はこの南口が旧市街か。
 目指すりそな銀行行徳支店は、駅の北側である。東西線に直交する形で行徳駅の改札前を幹線道路が通っていて、駅施設と道路との間は公園のようになっている。バスロータリーなどがあるわけではなく、ここを通るバスの停留所は純粋に中間地点としての機能しか果たしていないようだ。駅の北側には、1・2階が商業施設でそこから上がアパートになった、10階建てくらいのビルが数棟建っている。行徳支店は、その店舗兼高層アパートの店舗部分に入っている。以前来た時の記憶ではギンギラギンの新しい建物だった気がしたけれども、今回見てみると建物は少々古びた印象(といっても1970年代後半ぐらいの築か)で、ずいぶん感じが違った。
 支店の入口は、歩道から2〜3段上がったところにある。昔の銀行建築ならごく普通にあり得るが、最近の店舗(銀行に限らず)ではこういうスタイルはあまり作られなくなっているのではないか。1階の床面が地面より少し高いところにあるのは当たり前(のハズ)だから、通常の店舗がどのようになっているのかは意識がない。とりあえず、四つ角の対面にあるみずほ銀行行徳支店(旧富士銀)はスロープにしているが、こちらは階段にするほど1階の床が高くはないのだろう。なお、みずほ銀の行徳支店は、個人業務を主体とした「みずほパーソナルスクエア」というものになっている。
 窓口室に入る。カウンターは、キャッシュコーナーの描写で私が過去何度か「大和銀CI導入後スタイル」と書いているのと同じスタイルが健在であった。客と行員との間を隔てる、ガラスかアクリルか知らないが透明な板の壁があって、その上部に扱い業務の表示がしてある。下部にブルー濃淡2本の線を引いたグレーのシールが貼ってあり、グレー部分に白抜き文字で業務内容が書いてあるのだ。カウンター下の横長部分を見ると、青い横断幕のようなものがつけてある。何だろうと思ったら、月とウサギとススキの絵であった。なるほど、今日は9月9日。1週間後にはもう十五夜である。さっき別の店でハロウィーンのデコレーションを見たけれども、ハロウィーンは10月末のイベントだから、間もなくやってくる十五夜の方が「賞味期限が早い」ことになる。小まめに取り換えなくてはならない分だけ、1か月以上も先のハロウィーンのディスプレイより芸が細やか、とは言えるかもしれない。
 行徳支店のキャッシュコーナーは、大和銀のCI導入「以前」のスタイルが健在で、壁の色をくすんだピンクとして、グレーを主体とした内装であった。こちらは窓口室とは異なりCI導入以前のスタイルであって、旧大和銀行は内装のリニューアルを案外小出しに行っていたようである。もちろんリニューアルが「行われない」よりはるかにマシだが。ATM枠は4台分あって、4台のオムロンATM(左からJX白が3台、AK-1が1台)で埋まっている。枠の外側にオムロンの記帳機が1台置いてあった。11:44、行徳支店を制覇。
 行徳支店は、大和銀行行徳支店として1975年12月に開設された。

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 【注】店舗外ATM[富士見]。浦安市富士見に[マルエツ]として1988.03開設、1995.03[富士見]に改称、2003〜04年に廃止。

2010年09月21日

2009.09.09(水)(14)現代の「青べか」東西線で浦安へ

 東京地下鉄東西線は、このあたりでは高架になっていて「地下鉄」というイメージではない。びっしりとアパートやマンションが建ち並んだ住宅地を貫く高架線を、電車はひた走っている。車内は座席の8割方が埋まったくらいの混雑度であった。
 大きな川を渡った。江戸川である。小舟が川面に多数浮いているのを見て、山本周五郎の『青べか物語』を思い出した。この小説は昭和初期の現浦安市が舞台で、主人公「蒸気河岸の先生」が青色のべか舟【注1】に乗り、大きな干潟が広がる漁師町「浦粕」のあちこちを訪ね歩く。時代も風景もすっかり変わってしまったとはいえ、水面に小舟が浮かんでいるのは浦安らしいと言えるかもしれない(この付近は浦安市ではないが)。この「めぐ記」も、主人公の為栗裕雅が「青べか」ならぬ車体に青線を引いた地下鉄東西線で浦安を訪ねるわけである。
 江戸川を過ぎると大高層マンションがドカドカ建ち並ぶ妙典(みょうでん)で、イオンのショッピングセンター(市川妙典サティ)が進出するなど開けている。とにかく、西船橋からの東西線は、基本的には住宅がびっしり連なっているエリアである。注意深く見れば違うものが混じったりもしているが、高架線を突っ走る電車の窓から詳細は分からない。ただし、江戸川を渡る直前直後で、建物の並びがややまばらになったかなとは思った。
 西船橋から10分余りの乗車で、浦安駅の高架ホームに到着した。時刻は、FMでDJがよく使う言い回しを借りると「11:05に向かっているところ」、つまり11時04分xx秒である。この時刻は時刻表に該当するものがないが、事前の計画でいうと今頃やっと北習志野から乗ったぐらいだから、20分程度は早く進行している。
 1か所しかない改札へ。階段を下りた先に、直進方向と左直角方向の2方向に改札機が並んでいて、左の改札を出る。改札機にタッチした「スイカ」は、機械のディスプレイを見ると北習志野から610円も引かれていた。乗車時間からするとあまりにも高い。会社が違うとはいえ、距離はせいぜい10kmくらいではないのか【注2】。今さらのように絶句する思いである。

 改札出て正面は、規模のあまり大きくない駅前ロータリーである。ほぼ円形をしていて文字通りの「ロータリー」という感じ。中央には直径7〜8mの花壇があり、時計があって大きめの潅木が植わっている。駅前大通りから対面2車線の道路がロータリーにまっすぐ突っ込んできて、2車線分ぐらいの幅の車道が花壇の周囲を取り囲み、ぐるっと回ってまた戻っていく。本当に車が回るだけのロータリーで、タクシー乗り場もあるが相当無理矢理につけた感じがする。ロータリーに面した一等地に、三菱東京UFJ銀行の浦安駅前支店(旧三和銀浦安支店)が見える。同行には別に旧三菱銀の浦安支店があるが、すでに駅前支店と同居(支店内支店)している。三菱の浦安支店は駅からかなり離れていたから、立地条件からはこうなるのが妥当と思えるが、将来予想される統廃合では、存続店舗はB(ビシ)店となるのかもしれない。
 他に駅前に建つのは雑居ビルばかりで、テナントの入店密度は高いらしく、その分外装が賑やかである。テナントの一つに、日本振興銀行【注3】の浦安店がある。有名エコノミストが鳴り物入りで創業したこの銀行は、中小企業金融を前面に押し出した銀行であった。ほぼ全都道府県に出店しており、千葉県には浦安のほか船橋・千葉・柏・成田と計5店舗ある(2010.09.10現在)。預金業務は定期預金のみで、普通預金もATMもないから個人的にはいまひとつ興味がわかなかったが、それを理由に初のペイオフ発動という形で経営破綻になるとは、この時点では予想していなかった。その他のテナントには、不動産屋が結構目立つ。ゲームセンターがあり、オレンジ色で内外を統一したパチンコ屋があったりする。プロミスなど消費者金融も見える。
 駅前から2車線×2の大通りに出た。「やなぎ通り」は国道ではないようだが、車の通行は結構激しい。歩道橋を渡ったところに、市内にあるディズニーリゾートへ行くバスの乗り場が見える。JR京葉線が開業するまで、東京ディズニーランドへは東西線浦安駅からバスで行くのが当たり前だったが、今もこのルートが残っていることが少し意外だった。今日はネズミーランドに行くわけではないから、そちらには行かず左に曲がってしまった。
 大通り沿いには雑居ビルが多く見えるが、個人商店のような建物もなくはない。高層建築の密集度は駅からちょっと外れると低下するが、それでも結構な数がある。通りの向こう側、道路に面した建物の裏には、民家やアパートが密集しているのが見える。大通りの向こう側は、『青べか物語』でも描写されている浦安の旧市街である。「浦の安泰」を願ってつけられた名前のとおり、浦安はかつて漁師町であった。『青べか』で描かれているのは昭和初期の浦安であるが、高度成長期直前までは小説とそれほど変わらぬ姿が展開していたようだ。水質汚染が進んで昭和30年代に漁業権(主にノリの養殖)が放棄され、東西線の開通は1969年。町の様子がいかに急速に変化したかがわかるが、人間生活の営みはそれほど劇的に変わったわけでもなく、旧市街はかつての面影を多少残しているのだそうだ。今回は残念ながら見に行く余裕はないけれども。
 前方左側に、りそなの支店が見えた。このあたりで商業は切れてしまって、そこから先はマンションばかりのようだ。りそなの手前には千葉銀、道の向かい側には東京ベイ信金(旧市川信金)のそれぞれ浦安支店がある【注4】。りそなは、建物前面につけられた銀行のロゴが板の看板であり、旧あさひ店舗であると感じられる。横長の板看板は瓢箪山支店(大阪府東大阪市)など旧大和店舗にもないことはないが、明らかに少ないのである。
 建物に入った。窓口室は総合受付とクイックナビが導入済み。キャッシュコーナーは6台分のATM枠に4台のATMと1台の記帳機がある。富士通の機械ばかりで、左からファクトVモデル10とモデル20が2台ずつ計4台、空き枠を挟んで一番右に記帳機が置かれている。内装は、北習志野支店同様に壁から直接突き出したスタイルで、機械上部に「お預け入れ」などの行灯を後付けしている。その行灯は少し変わったスタイルをしていて、取扱業務を示す行灯の間に、緑地に白文字の機械番号表示が行灯部分と同じスタイルでついているのだ(数字は行灯にはなっていない)。このスタイルは初めて見たが、珍しいタイプではないかと思う。11:14、浦安支店を制覇した。

 浦安支店は、協和銀行浦安支店として1981年11月に開設された。
 この支店は、東西線で千葉県に入って最初の支店ということで、あさひ銀行時代からいろいろと実験的な出店の舞台となってきた。浦安支店はあさひ銀時代に複数の店舗外ATMを持っていたが、そのうちの1つは都県境を越えた東西線の西葛西駅前(東京都江戸川区)にあり、ATMと同じビルの上層階には同行の住宅ローンセンターが出店していた。また、2004年10月には勘定のない軽量化店舗「新浦安出張所」をJR京葉線新浦安駅前に出店した(2006年12月廃止)。この出張所は「りそなパーソナルステーション」として初期の出店で、勘定を持たず相談業務のみの店舗として初めて出した店であった。新浦安出張所は、形態としては、あさひ銀時代にあった西葛西の「店舗外ATM+勘定を持たない有人店舗」と同様である。

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 【注1】べか舟:海苔を採るための小舟。薄板で造られ、長さ12尺(3.6m)×幅2尺8寸(84cm)ほど。一人乗りで、艫部にくくりつけた櫂で漕いだ。
 【注2】北習志野−西船橋 8.1km 420円(東葉高速鉄道)、西船橋−浦安 8.0km 190円(東京地下鉄)、合計 16.1km 610円。
 【注3】日本振興銀行:日銀出身の経営コンサルタントで金融庁顧問も務めた木村剛氏らを中心に、貸し渋り対策を目的として2004.04設立。中小零細企業向け小口融資が主体で、預金業務は決済性預金(普通預金など)を扱わず定期預金のみ。ノンバンクからの債権買い取りなどで規模の拡大を図ったが経営不振に陥り、また金融庁検査をめぐる銀行法違反(検査忌避)容疑で木村前会長ら幹部が逮捕されて信用力が低下した。2010.09.10民事再生法の適用を申請し、金融庁から業務停止命令を受けた。銀行の破綻は足利銀行(2005.02)以来で、1971年に預金保険制度が発足して以来初めてのペイオフ発動となる。
 【注4】東京ベイ信用金庫浦安支店は2010年5月に移転した。

2010年09月20日

2009.09.09(水)(13)ヒガシ怪神が電車を止めている

 支店の前にある電話ボックスは、赤色の細かい格子状の飾りがついた「高原のテレホンボックス」のような外観をしている。同様のボックスが支店駅寄りのロッテリア前にもあるが、そちらの電話機は取り外されていた。支店前の歩道は赤茶色の化粧タイルで舗装されているが、光沢のあるものないもの、色の濃いもの薄いもの、中には茶色ではなく黒いものが嵌めてあったりなど、補修を重ねたらしくガタガタであった。というわけで、この商店街は全体的にくたびれた感じは否めないが、自由の女神に敬意を表して(?)見なかったことにしておこう。
 そんな歩道をゆっくり歩いているのは、高齢者ばかりである。歩くスピードは遅いし動きは鈍いしで、さっき店の写真を撮ったときもカメラの撮影ラインからなかなか動いてくれず往生した。私が文句を言う筋合はないのだが。

 ブツブツ言いながら、北習志野駅に戻ってきた。いよいよ、決断を下さなければならない時がやってきた。浦安支店と行徳支店をどうするか、である。
 予定では、北習志野から東葉高速鉄道に乗って浦安まで移動することにしていた。地下鉄東西線を延長するような形で1996年4月に西船橋−東葉勝田台間が開業したこの線は、当然のように東西線と相互乗り入れをしているから、東葉高速線に乗ればそのまま東西線方面には入れる。しかし、今朝起きた東西線の事故は、乗り入れている東葉高速のダイヤにまで影響を及ぼしており、電車は全て西船橋で折り返し運転をしているという。西船橋まではかろうじて到達できるから、そこからJR総武線にそれて先に本八幡(市川支店)と船橋を取ってしまう手はある。それが終わったときに東西線が動いていれば浦安→行徳と回ればよいが、ダメなら諦めるしかないのか。
 それにしても、事故が起きたという04:08という時間は、営業運転がまだ始まっていないのだから、明らかに東京地下鉄の内部事情である。こういう理由でのダイヤ混乱は、賠償金でも請求してやりたいところだ。もっとも「めぐラー」の場合は、ダイヤの乱れによる逸失利益をはじき出すのが困難であるわけだが。どうも首都圏で「めぐ」をやると、ダイヤの乱れに悩まされる気がする。前年(2008年)、毎年恒例となっている11月14日の「埼玉県民の日」に埼玉りそなのハシゴをした際もそうであった(めぐ記は後日発表の予定)。この日はメインに使った東武伊勢崎線のダイヤが乱れて往生したのである。でも、もしこの日東武東上線を「めぐ」の対象に選んでいたら「ダイヤが乱れた」どころではなく、午前中は完全にストップしていたから、今回は一応動いているだけマシとみるべきなのだろう。今は直通運転を行う路線が増え、その分ちょっとしたことでダイヤが乱れる可能性がある。
 腹が減ってきた。目の前にせっかく「なか卯」があるので親子丼でも食べたいところだが、状況が読めないので食事はもう少し安定してからにしよう。ダイヤ乱れの「当事者」である東葉高速鉄道の改札に入る。東葉高速の入口は新京成線の階段下にあって、改札も地下にある。手書きの掲示によると、東京地下鉄東西線内で保守車両の事故が発生し、東葉高速線は東葉勝田台−西船橋折り返し、東西線は中野−西船橋折り返し、ということだ。どうやら「直通運転」が中止になっているだけで、浦安まで行けないことはないようだ。同じ趣旨の構内放送も流れていて、中野方面に行く場合は西船橋で乗り換えろと言っている。意外に何とかなりそうである。少しホッとした。
 ホームは改札のもう1階下である。島式ホームが1本あるだけだが、東葉勝田台方面が3番線、そして目指す西船橋方面は4番線となっている。1・2番線というホームの番号は、恐らく新京成が使っているのだろう。それなら改札も一緒にすればよいのにと思うが、どうして京成グループは改札を会社ごとに必死で切り離したがるのだろうか【注】。そんなことを思いながらホーム周辺を見回す。蛍光灯の本数が抑えに抑えてあって、駅の中はかなり暗い。この駅には何回か来たことがあるが、内装のグレーの板は以前と比べると汚れが目立ってきたようだ。
 電車接近案内の電光掲示を見ると、次の西船橋方面は、現在ここから2つ目の八千代緑が丘(八千代市)にいるらしい。北習志野まではあと4分ほどか。今回は11:00発に乗る予定だったから、仮に発車が10:40になるとすれば、20分前倒ししたのと同じである。この調子でいけば、ダイヤ乱れの影響が何とか吸収できるだろう。北習志野で時間をユルユルに取り過ぎたと思っていた上に、東西線に乗ってからのスケジュールでも多少の余裕を持たせてあるからだ。

 ようやくやって来た電車は、東京地下鉄の車両であった。
 東葉高速線は、北習志野駅を出てすぐに地上に出る。高架線とトンネルを目まぐるしく繰り返すから、やはりこの付近でも地形の起伏は相当激しいようだ。難読駅名の一つ飯山満(はさま)は高架上の駅で、その次の東海神で再び地下に潜った。東海神の次は、もう終点の西船橋である。
 東海神駅に停車した電車は、なかなか動きださなかった。間隔調整だそうである。目的地を目の前にして勘弁してもらいたいが、車内放送によると、この電車は勝田台方面行きが西船橋駅を発車しないとホームに入れないそうだ。そういう事情なら仕方がないか。駅名が「東海神」だけに「ヒガシ怪神」でもいて、それが電車を止めているのかもしれない。数分後、車掌が「東葉勝田台行き、間もなく発車」とアナウンスした。すぐに訂正したが、ダイヤが乱れているときには車掌も相当に混乱しているようだ。結局、東海神の発車は10:50のことであった。
 線路は西船橋に着く直前で再び地上に出てきた。高層マンションが建ち並び、開発が結構進んでいるように見えるが、なぜかその割に寂しいと感じられる風景であった。8番線ホームに到着。向かいの7番線には、今乗っているのと同じ、東京地下鉄の05系車両がドアを開けて停まっていた。中野行きの電車である。よかった、中野行きがいてくれて。私は胸をなで下ろした。

 【注】東葉高速鉄道は「京成グループ」には入っていないようだ。ホームが続き番号になっていることなどから誤認した。ただし、京成電鉄と新京成電鉄による若干の出資はある。

2010年09月19日

2009.09.09(水)(12)40年前の新しい街、北習志野

 北習志野に10:07到着した。
 新京成線の北習志野駅は島式ホームが1本だけで、ホーム中央付近には東葉高速鉄道乗り換え通路に下りる階段が続いている。出口はここではなくて、ホーム津田沼寄りにある橋上駅舎である。立派なガラス張りの橋上駅舎は、改札を出た向こう側が鉄板の白壁になっていて、まだ工事が終わっていないと見える。案の定「北習志野駅新駅舎の使用開始について」という掲示が出ていた。新駅舎の使用開始は今年(2009年)3月だったそうだが、引き続き改札階とホームとをつなぐエスカレーターの設置工事が行われるという。
 改札を出て左(東口)へ。橋上駅舎から続くデッキからは、整備中の駅前ロータリーが見える。バスホームが何本か続き、通路の内側には一般車両のスペースがあり、別にタクシープールもあって、ロータリーの面積はかなり大きい。タクシープールと一般車両スペースとの間には潅木と立木が植えてある。駅前には7〜8階建ての高層アパートが3棟ほど見え、また高度成長期の「団地」に必ずと言っていいほどあった団地センターとおぼしき商業ビルも健在である。それとは別に、駅前に3階建てのショッピングビル。こちらは外観は新しそうに見えるが、古いビルを骨組みだけ残して取り壊し、壁面を新しくつけたような印象である。
 駅の周辺はマンションがあり一戸建てもあり、全体としては高密度に開発されているが、基本的には古い建物ばかりである。直感では昭和40年代の建築が多い。高度成長期に大規模な住宅地開発がなされ、今になって再開発の時期を迎えている、というのが北習志野の特徴であるようだ。後で調べたのだが、このエリア、つまり1967年に開発された住宅公団の習志野台団地は、元は陸軍の習志野演習場だった。東西に細長い演習場の西側だけが団地となり、東側は現在も陸上自衛隊の演習場として使われている。
 目指すりそな銀行北習志野支店は、記憶によると駅前に建つ千葉銀行から団地の奥へ入ったところにあって、西友の1階だったと思う。デッキを下りて「北習志野駅前」交差点にやって来た。千葉銀行習志野台支店が南東角にあり、北側の2つの角は雑居ビルである。駅前から東の方角に延びる道は、道幅としては2車線×2ぐらいあるが、路側帯やら右折車線やらでふさがっているので、事実上対面2車線だけになっている。この道の北側にだけ、アーケードが歩道部分にかぶさるようについており、そこが「JuJuきたなら」という商店街になっている。間違いない。この先である。
 この商店街は団地そばにある普通の商店街だが、彫刻がいくつか置いてあるのが目を引く。逆に言うと、彫刻が置いてある以外には特徴があまり感じられない。人通りはこの時間としては多い方と思われるが、歩く人は若くても中年ぐらい、多くは60代以上と見える女性である。若い母親も全くいないわけではないが、やはりお年寄り、それも特にお婆さんばかりだ。
 駅前通りの南側は、公団住宅の棟が道路に面して建っている。階段の両側に2DKぐらいの部屋が1部屋ずつ付いた5階建てというスタイルはありふれているが、通常は階段2本か3本ぐらいで終わる横幅しかないと思う。ところがこの建物は棟の横幅が異様に長いようで、階段が7〜8列続く横幅を持っている。これほど大きな団地の棟から、生活の匂いはあまり感じ取れなかった。自転車が下に置いてあったりするから、人は住んでいるのだろうけれども。

 歩いてくると、りそな銀行は思ったより近いところにあった。記憶どおり、支店は西友北習志野店の駅寄りを占めている。
 この支店は、銀行営業店としては外観が賑やかな部類に入るだろう。壁面のうち1/3ぐらいは青く塗られており、そこにイラストが多数描き込んであるのだ。青い壁面の前には、高さ3mぐらいある自由の女神像が、妖しく立っている。台座の記述によると、この商店街のアーケードは昭和62(1987)年2月に竣工し、女神像はアーケードの完成記念に立てられたそうだ。この像と壁面のイラストとを重ね合わせると、女神が持つトーチからクラッカーが発射されたように見える。なお、建物の壁画部分以外の外壁は白く塗られており、細い角材を短く切って貼ったような装飾がついている。
 女神像の左には、北習志野の航空写真を2枚貼ったプラスチック製の枠がある。この2枚は1967年と1987年のそれぞれ秋に撮影されたものということだが、写真はだいぶくたびれているようだ。この枠はかつて「あさめぐ」時代に来た時からあった。枠の左上にりそな銀行のロゴが掲出されているのだが、以前「あさめぐ」で来た時、そこに「協和埼玉銀行」というプレートが裏返しにはめてあったのを覚えている。その横にある支店の西側入口はシャッターを下ろしていて、正面に回るようにと立て看板で誘導してあった。
 支店に入る。正面入口を入って真正面が総合受付である。店先にはハロウィーンの貼り絵が額に入れて飾ってあり、総合受付の看板周辺にも紙で作った飾り物がいろいろと貼ってあった。そういえば、さっき行った流山おおたかの森出張所でも、折り紙で作ったモミジの葉っぱを窓口ブースに貼っていた。こういうものは女性行員のセンスなのだろうが、今日これまでのところは微笑ましいものばかりであった。ただし、過去の経験ではみっともないと感じるものもあって、店名は伏せるが、雪を模した脱脂綿が3月にもなってカウンターに盛大に飾ってある店に遭遇したことがある。
 この支店は、キャッシュコーナーが総合受付を挟んで右と左に分離しており、建物の両端にある。旧大和銀行の住宅地店舗で見かけるスタイルだが、旧あさひ店舗にこういう店があるとは知らなかった。考えてみたら、私は北習志野支店に「窓口が開いている時間に」来たことがない。窓口の閉店中は、正面入口を入って真正面と右側、2方向に直角にシャッターが閉まっている。この状態では、入って右側にキャッシュコーナーがあることなど思いもよらない。
 ATMは左側に4台、右側に3台。左の4台は全部沖電気のATM21Bで、右の3台はすべて富士通のFV20。よって、窓口閉店中は沖の機械だけになる。左側にはATM4台分の枠があって、その右側にさらに枠が2台分増設されているが、増設分は使われず塞がれている。増設の右側に両替機が1台。機械は協和店舗らしく壁から直接突き出すように置かれており、「お預け入れ」「お引き出し」などの行灯は蛍光灯の入った四角い箱が機械上部の壁に取り付けられている。この店内は以上のような状況で、増設や改修を必要に応じて繰り返してきたとみえ、統一性というものがいまひとつ感じられなかった。これは裏返せば大規模なリニューアルがなされていないことを意味するから、この店はそうした経費が出せない支店なのかもしれない。今のところATM台数が多く混雑もしているが、団地の高齢化がさらに進んだら、果たしてどうなるのだろうと思った。10:25、北習志野支店を制覇した。
 北習志野支店は、協和銀行北習志野支店として1971年6月に開設された。

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2010年09月18日

2009.09.09(水)(11)新京成線で北習志野へ

 東武野田線の新鎌ヶ谷駅は掘割になっていて、白とグレーのタイルで覆われたホームが複線の両側に1本ずつ付いている。駅施設はホームからエスカレーターを上がったところにあって、位置関係としては橋上駅舎と同様だが、地平と同一平面上である。東武の駅の南側を、新京成線と北総鉄道の高架線が直角にまたいでいる。以前ここは単に3線が交差しているだけの何もないところだったが、鎌ヶ谷市の新しい市街地と位置付けられて3線の駅ができると、一気に大乗り換え駅となってしまった。北総鉄道は成田空港までの延伸工事も終わり【注1】、「成田スカイアクセス」として、2010年7月から京成電鉄の空港連絡特急「スカイライナー」が走るようになった。1時間以上かかっていた日暮里−成田空港間が40分ほどに短縮されたという。北総鉄道の高架線の向こうには、イオン鎌ヶ谷ショッピングセンターの建物が見える。
 東武の改札を出て右に曲がり、柱と柱の間にあるような通路を抜けて、北総鉄道高架下にある新京成電鉄新鎌ヶ谷駅に入った。北総線の高架下には、京成グループに属する2つの私鉄の「新鎌ヶ谷駅」が並んでいるが、両者は看板と改札が別なだけで、事実上同一の駅である。10台近く改札機が並んだうちの左半分が新京成線で、右半分が北総線。改札の内側は腰ほどの高さの柵で仕切られているだけだ。新京成線の改札を入った私は、思わず笑ってしまった。北総と新京成とを隔てている腰高の柵は1か所途切れた所があって、両者は事実上改札内でつながっているのだ。駅の中に便所が1か所しかなく、北総の客がこの駅で小用を足したい時にどうしても新京成の中へ入らなければならないためである。2社別々の改札になる構造の駅でもないのに、なぜそこまでして同じ企業グループの鉄道会社で改札を必死に分けなければならないのかと思う。
 駅内には三井住友銀行鎌ヶ谷支店の大きな広告があった。旧住友銀行はもともと、鎌ヶ谷市の旧市街(鎌ヶ谷大仏−初富駅間)に有人の鎌ヶ谷出張所(旧平和相銀鎌ヶ谷支店)を持っており、2006年11月新鎌ヶ谷駅近くに移転して支店昇格した。三井住友は北総線沿線の千葉ニュータウン出張所(旧太陽神戸銀)も2009年に支店化しており、千葉県内で商売のタネを着々と蒔いているようだ。広告看板を横目で見ながらいったん地下通路に下り、四角いトンネルを抜けて階段を上がったところに、新京成の島式ホームがあった。新京成電鉄は鎌ヶ谷大仏−くぬぎ山間を高架にするそうで、これは仮ホームであるらしい。この地平ホームが高架駅予定地の隣りにあるのは、工事の都合であろう。
 電車は09:53発の京成津田沼行きがすぐやって来た。やはり20年前と違って、新京成線はこの近辺でも10分間隔で運行されている。車両は8000系といって、ベージュ色の車体に茶色の線が入っている。この色が新京成電鉄の標準カラーで、私が柏市に住んでいた頃から変わっていない。北習志野は、新鎌ヶ谷から8つ目である。

 新京成線は新鎌ヶ谷付近ではほぼ東西に走っていて、京成津田沼行きの電車も真東に向けて走り出すが、駅を出てすぐ90度以上右に曲がって南に向きを変える。北総鉄道とはここでお別れである。イオン鎌ヶ谷SCの壁に沿ってそろそろと進んでいくと、道路の先に京葉銀行の建物が見えた。この7月13日に開設されたばかりの新鎌ヶ谷支店である。ほどなく鎌ヶ谷市役所が見えた。新鎌ヶ谷駅周辺は開発が激しく行われ、かなりのスピードで変化している。マンションがドカドカと建ちつつあり、また住宅の建て替えなどもあちこちで見られ、エネルギーというかモチベーションがある。しかも、スタート時期がそれなりに古いとはいえ、開発がまだ終わっていない。千葉県は都銀が今まであまり商売の対象にしてこなかったが、新鎌ヶ谷は今後銀行の草刈り場になりそうな地区といえる。1971年に市制施行した鎌ヶ谷市は、古くは行徳(市川市)と木下(きおろし、印西市)とを結ぶ木下街道の宿場町であった。
 激しく開発が進んでいる新鎌ヶ谷から、開発が相当昔に終わっている鎌ヶ谷市の旧市街(おおむね鎌ヶ谷大仏駅付近まで)を過ぎると、原野こそないものの、相変わらず住宅地あり畑ありの風景が広がっている。特に畑が目立ち、線路沿いに住宅が全くないような所もある。新京成線の車窓風景は東武野田線とは違い、地形の起伏があまりみられない。新京成が走っているのは台地の分水嶺沿いだそうで、地形の起伏が車窓からは見えにくいのかもしれない。分水嶺とは地域の標高最高地点をつないだ線のことで、降った雨が最終的に東京湾に流れ込むか印旛沼・手賀沼に流れ込むか、新京成線を境界にしているということである。
 初富・二和・三咲とさっきの数字地名が続く。三咲駅近くには埼玉県を本拠とするスーパーのヤオコーと、東京都東部の4信金が合併して発足した東京東信用金庫の支店がある。ヤオコーは船橋三咲店、東京東信金は三咲支店。両者とも、東京と直結しているわけでもないこの地によく店を出したものだと思う。東京東信金は経営蹉跌した船橋信用金庫を2002年に譲り受けたため、船橋地区にまで店舗網を広げている。
 三咲から滝不動までの間には、結構な右カーブがあった。新京成線は、旧日本陸軍の鉄道連隊が演習のため建設した鉄道を譲り受けたもので、急カーブがかなり多い。カーブを建設する演習という意味もあったが、当時の鉄道連隊は45kmを単位として一個大隊を編成しており、距離を合わせるためにコースを無理に捻じ曲げたのだという【注2】。とにかく、曲線にさしかかると、電車はゴーッと音をたてながら、しかし結構スピードも落とさずに走っている。国際標準軌で線路の幅が広いから、急カーブが多少あってもスピードが出せるのだろう。
 お天気と東西線の状況が心配である。車内ドア上部の電光掲示板は、北習志野から乗る予定の東葉高速鉄道について、地下鉄東西線の線路支障の影響で大幅なダイヤ乱れ、西船橋−東葉勝田台間で折り返し運転、という内容を繰り返し流している。これまでのところ電車1本分(10分)先行していて、さらに東葉高速線〜東西線で時間が相当稼げるつもりでいたのだが、ダイヤが乱れて時間を食うようなら厳しい。西船橋までの東葉高速線はいいとして、東西線は動いているのか。西船橋までしか行けなければ、浦安と行徳が漏れてしまう。それとも、とりあえずこの2店を飛ばして市川支店(本八幡)から先に行こうか。そろそろ腹を決めておく必要がありそうだ。
 高根公団という駅がある。「公団」とつくからには公団住宅が近くにあって、調べてみると公団高根台団地の造成に合わせて1961年に開業した駅だそうだ。新京成電鉄が積極的に誘致したこともあって、この沿線には公団の団地が多い。その次、高根木戸駅前の踏切横には、あさひ銀行がかつて店舗外ATM[高根木戸](母店北習志野支店)を出していた。廃止跡に何があるか見ようとしたが、車内からはわからなかった。

 【注1】延伸部分は京成電鉄の「成田スカイアクセス線」となる。
 【注2】鉄道連隊の演習線には、新京成線の原型となったもののほか、鉄道第二連隊(習志野市津田沼)と第一連隊(千葉市中央区椿森)とを結ぶ線があり、両者を合わせるとほぼ45kmとなった。

2010年09月17日

2009.09.09(水)(10)東武野田線で鎌ヶ谷市へ

 次の目的地は、北習志野支店(船橋市)である。
 流山おおたかの森からしばらくは、ひたすら移動時間となる。東京都に隣接し「首都圏」として高度に発展していると思われがちな千葉県だが、柏市・流山市・松戸市など「東葛」と、市川市・船橋市など東京湾に近い「京葉」との間に広がるエリアは、大半の都市銀行にとっては近年まで(りそなは現在も)店舗展開上の空白地帯であった。
 おおたかの森から北習志野に行くには、東武野田線で新鎌ヶ谷に出て、新京成電鉄に乗り換えである。駅に戻ると09:20発柏行きを捕まえることができた。計画より1本(10分)早い。乗ってみると、車内はかろうじて着席できる程度の混み具合で、立っている客も結構多かった。09:26柏に到着、ここで船橋行きに乗り換える。大宮と船橋とを結ぶ東武野田線は、途中駅の柏で進行方向が逆になるため、大半の列車が柏で運転打ち切りとなる。今降りた8番線から、船橋行きの出る5番線へ移動する。
 東武鉄道柏駅は行き止まり式の駅で、2本並んだ島式ホームは先端部がつながって櫛のような形をしており、櫛の背にあたる部分が通路になっている。東武野田線は、車止め側最前部の1両が女性専用車両になっていて、柏駅で電車を乗り継ごうとすると、男性は余計に歩かなくてはいけない。野田線の女性専用車両がこの位置にあるのは、大宮駅と船橋駅を基準に考えているからで、両駅では柏駅車止め側が最も乗客が少ないからだ。女性専用車両は男性差別であり、片方の性を一方的に優遇するような策は排除すべきだと改めて思う。男性(痴漢)を避けるため女性に女性専用車が必要なら、女性(痴漢という濡れ衣を着せられること)を避けるため、男性にもイーブンに「男性専用車両」を設置するべきだ。ついでに言うと、男性=痴漢という図式は、男性に対する侮辱であろう。
 本当は、本人の努力で変えられない特質をもって差をつけることには感心しない。今年(2010年)サッカーで話題になった某国は、アパルトヘイトを基本とした社会システムを変革した歴史がある。「某国」で廃止されたのと同じ性質のシステムが、時と場所を現在の日本に移して導入されているのだ。昔も今もしょせん人間のやることは変わらないと思うと、私は自分が人間であることが情けなくなってくる。次元は違うが、電車の混雑を隠れみのとして他人に性的接触を行う痴漢の問題も、やはり何十年も昔から存在しており、人間って情けねえなあというのは一緒だ。もちろん私は痴漢行為などしないけれども、別の局面では、痴漢する者と同じような精神構造になっている場合もあるだろうと恐れるのである。
 さて、5番線に停まっている電車は、船橋行き09:31発。これも予定より10分早い電車である。ここまで10分早く進行しているが、安心はできない。新鎌ヶ谷での新京成線乗り換えが問題で、この線は電車の本数がいまひとつ読めないのだ。柏に住んでいた20年近く前に鎌ヶ谷市を訪れた際、新京成線が30分に1本しかなくて往生した。当時は北総開発鉄道(現北総鉄道)が新京成線の松戸に乗り入れていたから、分岐点となる北初富で列車本数が半減していたのである。新鎌ヶ谷に10分早く着いたとして、新京成線も10分早い電車に乗り継げるかどうか。状況が良い方に変わっていることを望みたいが。

 船橋行きの電車が発車した。野田線が混む時間はすでに終わっているようで、車内は1/3ぐらいの着席率であった。
 新鎌ヶ谷駅は、柏から6つ目である。JR常磐線に沿って東京方面に走り始めた東武野田線は、大宮方面の線路を右に分岐してすぐに左にそれ、直ちに高架に上がる。沿線風景はたちまち住宅地になり、一戸建てがびっしり彼方まで続いている。どこかで読んだ文だ、と思われた方は鋭い。さっき流山おおたかの森に向かうところで書いた文を、単語だけ変えてそのまま入れてみたのだ(深い意味はない)。
 さて、常磐線をまたいで少し走ったかと思うと、新柏駅手前で早くも地上に降りてしまった。と見えて、実は新柏駅は駅周辺の地形が下がっているため高架駅のようになっている。駅前に東武ストアの大きな店舗が出ているから、ここは東武が住宅地として開発したのだろう。新柏を出ると再び山あり谷ありで、築堤上を走っているところもある。この界隈は地形の起伏がかなり激しくて、柏市に住んでいる頃に自転車で走り回った際は、あちこちで坂道に悩まされた。それにしても、電車のスピードは相変わらず遅いが、柏を出てから複線区間が続いている。野田線はいつからこんなに近代化されたのだろうか。
 2つ目の増尾駅でふと思った。町じゅうを「マスオさん」で埋め尽くしてみてはどうだろうか。言うまでもなく『サザエさん』のヒロイン・フグ田サザエの夫である。そんなマイナーなキャラを、と思うかもしれないが、磯野家の母・フネさんをメインのキャラに押し出して、どこかの海運会社が「チャレンジ!フネ」という広告キャンペーンをやっていた実例がある【注】。町おこしの一環としてマスオさんを持ってくるのは「増尾」ならではではないか。誰でも思いつく企画であるのは否定しないが、それゆえ早い者勝ちでもある。近鉄名古屋線の益生駅(三重県桑名市)に先を越されないように。
 逆井(さかさい)駅を過ぎてようやく、東武野田線は当初のイメージどおり単線となる。途端に、車窓から見える緑の量が増えた。このあたりまで来ると基本的には農村風景だが、人の手が入っていない森も相当の面積を占めているようだ。さっき行った流山市の「おおたかの森」だけでなく、このあたりの森にもオオタカは棲んでいるのであろう。その次の駅・高柳の駅名板には「(千葉県柏市)」というシールが貼ってある。東武鉄道の駅名板には、その駅が所在する行政地名が書いてあって、高柳駅のあった旧東葛飾郡沼南町は、2005年3月柏市に合併した。行政区として柏市になったとはいえ、もともと逆井あたりが柏市のはずれだったところに、さらに「もっと」はずれの地域が加わったという感じであり、そうした雰囲気が電車の窓からも垣間見える。なお、知らなかったが高柳には野田線の車庫がある。
 柏から5番目の六実(むつみ)だけ松戸市にある。六実はいわゆる「国鉄型配線」の駅、つまり駅舎に接して片側だけのホームがあり、さらに島式のホームがあって、3番線まである。この駅を始発・終着とする列車があり、駅前に銀行の支店も2つ(千葉銀・千葉興銀)あって、野田線沿線としては古くから開けていたようだ。
 六実の一帯は、明治時代初期に三井財閥を中心に設立された開墾会社によって開拓された、「東京新田」と呼ばれる13地区のうちの1つである。社会機構の変革(明治維新)により失業した人に生計の手段を与えて救済するため、徳川幕府の軍用馬放牧地であった小金牧と佐倉牧が、新政府の政策により1869年から開墾された。地名は開墾が着手された順に命名され、6番目の入植地には「六実」の地名が付けられた。数字(と同じ概念の文字)を含んだ13の地名は、鎌ヶ谷市の初富(はつとみ)から始まり、13番目の十余三(とよみ、成田市・香取郡多古町)まで続いている【表】。今朝、柏から流山おおたかの森に向かう途中で「豊四季」という駅を通ったが、この駅名は4番目の入植地の地名である。なお、詳しく調べてはいないが、千葉県北部にある三井住友銀行の有人店舗のうち、柏支店(柏市)や成田出張所(富里市)といった旧三井銀行の店は、これに由来するのかもしれない。
 六実を出るとまた複線に戻った。六実から、地形的に遮るものが少なくなった印象である。乗客の多寡と工事費の2点から、山がちな土地では複線にしにくいのだろう。なるほどストレートなものである。新鎌ヶ谷はようやく六実の次である。わかっていたこととはいえ、やはり遠い。
 窓の外では、空がどんよりと曇ってきた。お天気は大丈夫だろうか。そして、東京地下鉄東西線の状況も気になる。まずい日を選んでしまったかもしれない。でも、自分のスケジュールと日没時刻とを考えあわせると、どうしようもないのである。

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 【注】「チャレンジ!フネ」の広告キャンペーンは、日本郵船が2003〜2006年に実施。

2010年09月16日

2009.09.09(水)(9)さあ9時、おおたかの森を制覇

 千葉興銀を見て戻ってきたところでちょうど9時になり、りそなの店内で窓口室のシャッターが開き始めているのが見えた。
 シャッターの横、白を主体にまとめられたキャッシュコーナーを一瞥すると、ATMの台数が以前と比べると1台増えていた。出張所開設当初は日立オムロンの「リーダスAK-1」が1台あるだけだったが、その際に空いていたスペースにもATM(オムロンJXの白台)が装填され、2台分の枠が全部埋まっている。
 シャッターの前では、男性の行員が2人で開店作業をやっていた。半分くらい開いたシャッターから、身をよじるようにして店内に入ると、すぐさま「いらっしゃいませ、今日はどういったご用件で」と尋ねられる。「預金の振替をお願いしたいんですけど」と答えると、窓口ブースに案内されて腰掛けるよう促された。
 前述したとおり、流山おおたかの森出張所は母店の柏支店と店番号が同一であるため、取引をした店名を通帳に記帳させたいと思えば、窓口で取引しないといけない。しかもこの店は窓口で現金を扱っていないから、預金の取引をするためには通帳を2冊出すか、どうしても1冊しか用意できない場合は光熱費などの公共料金を口座から引き落としてもらうか、いずれかが必要である。というわけで、今日ここでは「振替」、つまり通帳を2冊出して、預金を口座Aから口座Bに移すことを依頼する。
 窓口で相手をしてくれたアンダー50歳ぐらいの女性行員は「少々お待ちください」と言って、どういうわけか通帳を窓口の奥へ持っていってしまった。すぐに窓口ブースに戻ってきて、そこで初めて必要な伝票を出してくれたが、私は予め届出の印鑑を押した伝票を持参しているから、出してくれた伝票は使わず、持参の用紙に必要事項を記入して差し出す。「住所」を書くようになっていない出金の伝票に、住所を書くように求められた。別に問題はないから、書いた。
 ようやく取引を処理してもらう。窓口ブースにも処理端末はあるようなのだが、女性の行員は通帳を再び内側の後方事務室に持って行った。窓口と後方事務室との間はパーティションで区切られて見えにくいようになっており、カウンターの行員はスライド式のドアを開閉して内外を行き来する。私は一人ブース内で座ったまま待った。

 数分が経過して、ようやく女性行員が戻ってきた。通帳を私に返しつつ「今日はどうもありがとうございました」と丁重に挨拶。ポケットティッシュを2つもくれ、さらに「よろしかったらどうぞ」と言って、カウンターに置いてあったアメを3個もくれた。それだけのことで何となく気分が良くなる私であった。現金なものだ。
 行員さんと多少の世間話をした。「いろんなところへ行ってらっしゃるんですか」と聞かれた。朝9時という早い時間でありながら、私の普通預金通帳には今日の日付ですでに<北小金>と<柏>の2店の店名が印字されており、<流山おおたか>で3軒目となるから、まあ色々なところを回っているとわかる。私の方も、店としてだいぶ定着してきましたか、と尋ねる。「おかげさまで、成績が良くて表彰していただくことになったんですよ」と明るい表情を見せてくれた。この出張所は、窓口だけでなく、1軒1軒外回りもして地道に営業しているのだそうだ。都心部であればインターホン越しに一言二言話したら「もう結構です」という感じだけれども、このあたりは農家の家が多くて、出てきてお話ししてくれる、だから営業のやり甲斐があるとのことだった。「次に来る時には支店になっているといいですね」と言うと、苦笑していた。出張所として優秀な成績を上げていても、さすがに支店になるのは無理なのだろうか。
 顧客が「一からの新規開拓」とのことで、一瞬奇異に感じた。柏支店流山おおたかの森出張所は、2007年11月20日の開設で、りそな銀行になってからの新設店舗である。母店の柏支店は、かつて同じ流山市内の東武野田線沿線に「江戸川台出張所」を持っていた(2004.07.20統合)。おおたかの森はそれが形を変えて復活したとも言えるのだが、この出張所には旧江戸川台出張所の顧客基盤は全くないのか、それとも出店当初で使い果たしたのか? いや、今考え直してみるに、この界隈の開発スピードは非常に速くて、窓口女性(外回りもやっている)が「迷子になる」と言うほどである。この間まで森だったところが、ちょっと行かないうちに大規模な更地に変わっていることが珍しくないそうだ。これほどの変化のある地域に「旧店舗の営業基盤」など、あるハズがないのだろう。
 いよいよここを去る時がやってきた。お気を付けて行ってらっしゃい、またいつかいらして下さい、と窓口女性に見送られ、流山おおたかの森出張所を後にした。

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2010年09月15日

2009.09.09(水)(8)流山市の新たな金融激戦区

 流山おおたかの森駅は2005年8月24日の開業で、つくばエクスプレスおよび高架下で交差する東武野田線とも同じである。東武の駅は増設されたものなので、一番作りやすい形で作ったとみえ、複線の両側に対向式ホームがへばりついている。緩急接続ができる駅を想定しているのか、ホームの外側に線路の増設スペースらしき空間が一応あるのだが、大事なところに太い柱が何本も建っている。この柱を壊さない限り線路は増設できないと思うが、相当な大改造が必要だろう。建っているのは駅施設の柱だからである。
 私は前から2両目の車両に乗っていた。ホームに降りた目の前がエスカレーターで一瞬喜んだが、下り専用であり、100円返せと思った。仕方がないので階段を登り始めると、機械装置で鳥の鳴き声がピヨピヨと流れていて、「おおたかの森」のイメージが増幅されている。関西の京阪や南海あたりで以前から見かけたこの手の装置は、最近になって関東地区でも広がりつつあるが、わざとらしくてうるさいだけだと思っていた。この装置は「癒し効果」の追求が目的ではなく、視覚障害者向けに階段の位置を知らせるためのものだそうだ。そういう趣旨なら、わざとらしい音であっても許容されるけれども、当の視覚障害者が音の意味をはたして知っているのだろうか、という疑問は残る。
 階段を上がった正面はガラス張りになっていて、駅舎から柏方向が見渡せる。鉄道敷地の横幅一杯に広がる橋上駅舎は、堂々としていて良いと思う。大きな窓から、立体駐車場付きのショッピングセンターが右に見える。2007年3月に開業した「流山おおたかの森SC」で、高島屋やイトーヨーカドー、紀伊国屋書店などが入っている。ウッディな雰囲気を強調した茶色い建物になっているが、後で見たら、前面に材木を使って茶色い建物にしただけであった。やや左に目を転じると、殺風景な更地があって、その向こうにこんもりと茂った森が見える。高層マンションは「数」としてはまだまだこれからのようである。
 駅舎の窓から外を眺めていると、柏方面行きの電車がホームに入るのが見えた。これは一大事だ。TXに乗り換える客で改札が混雑するハズだ。混まないうちに大急ぎで出なくては。ほどなく、エスカレーターと階段から人波がゾロゾロと押し寄せてきた。波の先頭にいる乗客は、案の定小走りになっている。私はそれを上回るスピードで、自動改札が横一列にズラリと並ぶ東武の改札を出た。
 出て左斜め前方に、TXの乗り場がある。同線の高架下にあるTXの駅施設は、東武との境目を蒲鉾形の屋根テントで覆っている。改札横、自動券売機の一番右端に、りそな銀行の店舗外ATM[流山おおたかの森駅](母店柏支店)が見える。ATMはいいとして、目指す有人出張所はどこにあっただろうか。私は2007年11月の出張所開店翌日にここに来ているが、今となっては「TXの高架下」という以外場所をほとんど忘れてしまっている。おぼろげに、高島屋のある方「ではない」ことだけ覚えていたので、東武の改札を出てそのままスッと右に曲がった。
 りそなはTXの高架下にあって、6階建ての真新しい雑居ビル「ライフガーデン」と向き合う部分に位置している。デッキについているガラス張りのエレベーターの横から看板が見えた。看板に書いてある文字は近眼の私には読めないけれども、めぐラーゆえりそなの看板があることだけはわかる。高架下にはりそなの他、カラオケ屋、居酒屋の「庄や」、美容院、携帯ショップ(au)がある。ビルも高架下も、テナントがそれなりに入ってはいるけれども、新開地に特有の殺風景な雰囲気はいかんともしがたい。時間的なものもあって、駅前は人の気配もなく静まり返っていた。

 流山おおたかの森出張所のキャッシュコーナーは8時から開いているが、9時に窓口が開かないと「制覇」にはならないので、先に店の周囲を見て回ることにする。
 デッキから下を見下ろすと、中央にタクシープールのあるロータリーがある。ロータリーからは、TXの高架に沿ってアプローチ道路が北方に延びているようだ。デッキの階段は、屋根がゆるやかに弧を描いている。階段の下に1台だけ来ている路線バス(東武バスイースト)は、JR武蔵野線の南流山駅行きである。
 ライフガーデンビルは、ロータリーに面した正面、TXの高架に接するように建っている。コンビニ(ミニストップ)の他、スポーツクラブや少しだけオシャレな居酒屋といった店に混じって、このビルには地方銀行2行が店を出している。常陽銀行と千葉興業銀行である。エレベーターホールから入った奥には、茨城県のトップバンク・常陽銀の店舗がある。2007年6月開設の「Jプラザ流山おおたかの森」は、有人店舗としては同行9年ぶりの新規出店だそうだ。1階は窓口と貸金庫室で、後で知ったが窓口室にはりそなの「クイックナビ」にそっくりな、ATMを置いたハイカウンターがある。実質的には柏支店を母店とする有人出張所だが、店名に「柏支店」「出張所」の文言が入っておらず、銀行法上の出張所とも違うようだ。
 一方、千葉県の二番手地方銀行・千葉興銀は、常陽銀と同じ建物の北東角にあって、ビル入口に立っている案内看板には外壁に沿って矢印が書いてあった。喫茶店のようなロビーを持つ千葉興銀の店舗は、2007年7月開設の「おおたかの森支店」。こちらは12年ぶりの新店だという。大きなガラス窓の内側ではすでにカーテンを開けていて、中では行員が2人、なぜか腕組みしながら立ち話をしているのが見えた。千葉興銀には近々行かなければならない用事があるのだが、今日はそれをオミットしてりそなめぐりに専念である。ついでに朝飯も(コンビニ弁当で妥協すれば別だが)おおたかの森駅周辺では食べられないだろう。だから柏で済ませてくるハズだったのに。
 閑話休題。おおたかの森駅の近所には、今回行かない場所に、千葉銀と京葉銀も店を出している。千葉銀の「流山おおたかの森支店」は2007年5月に本オープンし、この地区の第1号出店である。一方の京葉銀も「流山おおたかの森支店」を2008年4月開設、この年の12月には、おおたかの森の隣駅であるTX柏の葉キャンパス駅前に「柏の葉キャンパス支店」を出している。TXの沿線は今、金融機関にとっては草刈り場となっている。千葉銀がおおたかの森に出店した2007年は、同行にとって茨城県と埼玉県に初出店した年でもあり、埼玉県の出店第1号はやはりTX沿線の「八潮駅前支店」(八潮市)であった。TXで茨城県に入ると茨城県内各行が沿線各地に競って出店しており、三井住友銀も守谷市とつくば市に、みずほ銀もつくば市に支店を出した。
 協和銀行が20年以上も前につくばセンター(今となってはTXつくば駅前)に有人出張所を出していた【注】ことを知っている者としては、最近の他行の出店状況(つくばに限らず)を見るにつけ、嘆息の思いでいっぱいである。新規出店ということに関して、りそなは他行の後塵を拝していることが多く、ウオッチャーとしても株主としても物足りない。公的資金を返し終わらなければどうにもならないのだろうが、「新しい商売」への種蒔きが思うようにならないのは痛い。ただし、りそなの流山おおたかの森出張所が、人口16万人の流山市で唯一となる都市銀行の営業店であることは、一応指摘しておこう。

 【注】1988.07.25協和銀行土浦支店つくば出張所として開設、2000.04.17土浦支店に統合。

2010年09月14日

2009.09.09(水)(7)豊かな四季と「おおたかの森」

 柏支店の次は、流山おおたかの森出張所(流山市)に行く。
 巨大な「LOUIS VUITTON」のロゴが目立つ3階のキャッシュコーナーを出て、階段を半階だけ上がったところが、さっき出てきた柏駅メイン改札直結のデッキである。このデッキは駅の建物に沿ってさらに上野方向に延びており、その先に柏駅の「南口」がある。単純往復が嫌いなので、さっきとは違う通路から駅に入ることにした。
 デッキから駅の周辺を見回すと、雑居ビルにしては規模の大きなものが多くて、いまさらのようだが柏市は都市としての集積度が高い。商業以外では特に、予備校とか塾の関係がかなり目立つ。私が柏に住んで仮面浪人をしていた頃から、そごうの北側に代々木ゼミナール柏校があったが、私が柏を離れた後ずいぶん多くの教育産業が進出した。駿台予備学校が見え、地元の市進学院が見え、ここから見えないが神奈川県から城南予備校が出てきている。さて、デッキは東武とJRの線路をまたぎ、駅の東口にある丸井の建物「ファミリかしわ」の最南端につながっている。柏駅の南口は線路の真上にあって、東武鉄道とJRの2つの駅施設が並んでいる。
 柏からはJRを離れて東武野田線に乗る。08:48発運河行きの予定であったが、改札を入って電光掲示を見ると、1本早い08:43発の大宮行きに乗れるようだ。私は柏在住時代に、運河駅前にある東京理科大学(野田市)に随分とお世話になったので(在籍していたわけではない)、運河という駅名は少し懐かしかった。
 東武野田線の柏駅は、大宮行きと船橋行きとで島式ホームが2本並んでいる。大宮方面の7・8番線に下りてきた。階段からホームにかけての風景は、運河に行く電車に毎日のように乗っていた頃とほとんど変わっていなかった。車両も5000系が8000系になっただけである。車内は座席に1/3ぐらい座っている程度の混雑度で、早朝に北小金まで乗ってきた常磐線の各駅停車並みにすいている。ここまで書くと15年前とほとんど変わっていないようだが、ホームに発車メロディーが導入され、また6両編成の端1両を女性専用車にしているなどの変化もある。それはいいのだが、私は1つ肝心なことを忘れている。移動する前に朝飯を食おうとしていたのではないか。どうも私は、計画を少しでも前倒しすることに汲々とし過ぎる傾向がある。もう少し、いい意味で「お気楽」にやればいいのに、と自分でも思う。
 東武のホームにも電光掲示があって、東西線車両トラブルの影響で総武緩行線の上下線に遅れ、と告げていた。ダイヤ乱れの範囲がさらに広がっているようで、心配になる。冷静に考えれば、総武緩行線(黄色い電車)は東西線と直通運転をしているのだから乱れが波及して当たり前で、逆に言えばたいしたことはないのであるが。

 流山おおたかの森駅は、柏から2つ目である。JR常磐線に沿って東京方面に走り始めた東武野田線は、船橋方面の線路を左に分岐してすぐに右にそれ、護輪軌条つきの急カーブをそろそろと進んでいく。沿線風景はたちまち住宅地になり、一戸建てがびっしり彼方まで続いている。
 「豊かな四季」と情緒あふれる名前を持つ豊四季(とよしき)駅の手前で、早くも家の並びがまばらになり始めた。豊四季を出た後は森の中を走ったりもした。緑に囲まれた古い神社は、森の守り神なのであろう。「おおたかの森」に向かっている雰囲気は確かにある。
 今から行く「流山おおたかの森」は、2005年8月に開業したつくばエクスプレス(TX)【注】との乗り換え駅で、流山市の総合計画では将来的に同市の中心核になると位置付けられている。1967年に市制施行した流山市は、市役所などもある流鉄流山線(旧称総武流山電鉄)の流山駅周辺が必ずしも中心地とは呼べず、市域を走る交通機関も散り散りバラバラで、市街地が多極分散していた。よって市に中核地域ができることは悲願であったに違いない。新駅設置とともに作られた「おおたかの森」の名は、駅の西方にある「市野谷(いちのや)の森」と呼ばれる森林に、中型の猛禽類の一種であるオオタカが生息することに由来する。駅に迷い込んでくることも本当にあるのだそうだ。TX沿線の開発により、市野谷の森は半分以上が伐採されたが、残った24haの土地が県立の「市野谷の森公園」として保護されるという。
 目的地が近づいてきた。高層マンションが何棟も見えたり、更地が広がっていたりと、駅の近辺は殺伐とした風景になっている。私が柏に住んでいた頃、TXこと「常磐新線」は地図上の計画線でしかなかったが、20年の時を経て、野田線との交点は新しい町になろうとしているようだ。

 【注】つくばエクスプレス:秋葉原(東京都千代田区)−つくば(茨城県つくば市)間58.3kmを結ぶ鉄道路線。第三セクターの首都圏新都市鉄道鰍ェ運営。

2010年09月13日

2009.09.09(水)(6)ビトン、ブルガリ、りそな

 東口の様子を述べてきたが、柏支店は柏駅の西口にある。よって、寄り道しないでまっすぐ行く場合は、改札を出て(右ではなく)左に行くことになる。東口から西口へ、今来たコンコースを通り抜ける。
 柏駅の西口は、東武鉄道が駅ビルを造るときに新しくなった。私が柏に住んでいた頃の話だから、もう17〜18年前の話になる。東武柏駅の前を抜けてくると、高島屋をキーテナントとした「柏ステーションモール」という駅ビルになっており、7・8階には東急ハンズが入っている。ハンズの進出を知らなかったので少し驚いたが、考えてみれば新宿でも高島屋と同居しているのだから別に不思議ではない。蛇足ながら、ハンズの文具売り場のサービス券「ハンズ文具チケット」が数年前に突如廃止され、シコシコと溜めていた券を知らないうちに台無しにされて以来、私は東急ハンズには足を踏み入れていない。
 外が見えるところに出てくると、「りそな銀行柏支店」の看板が出ている。支店はここから左へ曲がり、柏高島屋ステーションモール新館の1階・3階だそうである。矢印の方角を見ると「LOUIS VUITTON」のロゴのついた大きな建物が建っていて、1階の端にはデッキの陰に隠れるようにりそなの縦型看板が見えた。柏支店は大和銀行時代からこの場所にあったが、駅前再開発に伴い、同じ敷地の南側に仮店舗を作って移転した。旧店舗を解体して新しい12階建てのビル(ステーションモールの「新館」)を建て、ビル全体が完成してから仮店舗を撤収して本来の位置に戻したのである。
 早速写真を撮らなければ。しかし、こういう大きな建物は写真が撮りにくいし、撮ってもあまり面白くない。しかも、手すりがやや高すぎてカメラを構えにくいのに、デッキの柵は側面にガラスがはめてあって、柵のすき間にカメラを差し込んで撮ったりということができない。まあ、支店に近づいてみたら少しは違った視点に気がつくかもしれない。看板の矢印に従って支店の方へ歩く。
 店は「あさひ通り」という通りの付け根にあるが、柏支店は旧大和銀行の支店である。支店の前に縦型の看板が立っているが、その上部には温度計がついていて、22℃を指していた。銀行の看板に時計がついているのはよく見る(正確には「かつてよく見た」)が、温度計がついている看板は初めて見た気がする。銀行の店先から時計が消えたのは、閉店時間の「3時」をATMの普及であまり意識しなくなったことが大きいのだろう。今では、携帯電話に時計はもちろんカメラさえ装備されている。ふと思ったが、ケータイに「温度計」のついた機種というのはあるのだろうか。
 キャッシュコーナーに入る。新築店舗ゆえ、内装はりそな標準の真っ白なタイプである。5台分のATM枠があって、ATM3台に記帳機1台という配置。枠の1〜3番が日立オムロンの「リーダスAK-1」で、4番がオムロンの記帳機、そして5番が空き枠である。私は、あさひ銀行が大和銀行と合併してりそな銀行が発足した2003年3月、新たに旧大和店舗で「あさめぐ」と同様のことを始めたが、その第1号がここ柏支店だった。3月3日は合併後の初日で、土砂降りの雨の中、埼玉りそな銀行の動向を確かめに行った埼玉県三郷市から車を走らせて来たのである。このキャッシュコーナーは、位置としてはその時と全く同じ場所にある。ATMの台数もたぶん変わっていないと思う。機械を操作。08:32、柏支店を制覇した。
 柏支店は、大和銀行柏支店として1970年11月に開設された。1975年3月に本店舗(りそな発足時点で使用)を新築したが、そのための仮店舗移転は1972年12月で、随分長いこと仮店舗での営業を強いられたようだ。その後、駅前再開発のため2007年3月5日に仮店舗に移り、現店舗は2008年9月22日から営業を開始している。この支店はまた、有人出張所を過去に複数回抱えたことでも特筆される。1982年11月、流山市に江戸川台出張所(後述、統合済み)を開設、1990年3月には松戸市に馬橋出張所を開設(支店昇格の後2004.04統合)、さらにりそな発足後の2007年11月には流山市に流山おおたかの森出張所(後述)を開設している。

 さて、1階キャッシュコーナーの掲示によると、柏支店のキャッシュコーナーは3階にもあるという。せっかくだから行ってみよう。外部エレベーターにはこの時間乗れないので、その横にある階段で上がる。2階に上がったつもりが、階段を昇るとそのまま3階で、りそなのキャッシュコーナーはブランドバッグのルイビトン【注】と宝飾品のブルガリの店舗が並んだ奥にあった。3階にはATMだけで、「店舗は当ビル1階にございます」としている。
 ここにはATMだけしかないが、少しだけ広い空間を持っている。ATM枠の隣に機械室に入るドアがあるが、さらにその奥は丸テーブルと丸イスでも置いて談話コーナーにでもできそうなスペースになっている。3階キャッシュコーナーには4台分のATM枠があり、枠番号は1階の続きで6789と振ってあった。もちろん内装はりそな標準の白一色である。ATMは6・7番が日立オムロンのリーダスAK-1、8番がオムロンのJX白台、そして9番が空き。昔の柏支店と比べると、3階が純増になった分、トータルでは3台増設ということになる。
 ルイビトンと並ぶりそなというのは、何となくミスマッチのような感じがする。キャッシュコーナー内に無駄とみえるスペースが多少あっても、ビトンとブルガリのような高級ブランドの隣りでは、あまり貧乏くさいことはできないだろう。東京ミッドタウンもそうだが、りそな銀行には「隠れた高級志向」がある気がする。りそな銀の客層を考えると、少しピントがずれていると思えるのだが、どうだろうか。

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 【注】ルイビトン:筆者は、V音をカナ表記する際の「ヴ+小さい母音字」の表記(「ヴィトン」など)にどうしてもなじめないので、B音表記(バ行)で統一している。

2010年09月12日

2009.09.09(水)(5)東葛の中心都市・柏へ

 次の目標は、旧大和店舗の柏支店(柏市)である。
 柏は千葉県の北西部、東葛(東葛飾)地方の中心都市で、りそなも柏支店がこの地域(常磐線沿線)の中心的な店舗となる。柏市の市制施行は松戸市より10年ほど遅く1954年であるから、都市としては松戸の方が「古い町」であるようだ。なお、柏と松戸のどちらが東葛の「中心都市」か、という議論には与しない。松戸市の中心部にりそなはなく、私は柏市に住んでいた。この2点をもって柏に決まっている(笑)。
 さて、予定では08:14発の各駅停車我孫子行きに乗ることになっている。駅に急げば1本早い電車には乗れるだろう。それで時間が少々浮かせられれば、柏支店を制覇した後で朝飯を食う時間が多少取れるハズだ。とにかく腹が減った。時間が浮いたからといって、その次の目的地・流山おおたかの森に少々早く到着しても、どっちみち9時の窓口開店まで制覇はできないのである。
 そう思って急いで駅に戻ったものの、結局は当初プランどおり、08:14発の我孫子行きに乗らざるを得ないことになった。けっこう早く来たつもりだったが、運転間隔が10分ほど開いているのだ。後で調べてみると、08:03発が出たばかりだったようだ。常磐線各駅停車の本数が少ないのは相変わらずだが、まあ予定通り進んでいることに感謝しなければならないだろう。
 我孫子行き08:14発は、さっき北小金まで乗ってきた電車よりも混んでいてびっくりした。都心方面へのラッシュも続いてはいるが、この時間になると、今度は柏市の周辺から柏へ向かう動きが出てくるようだ。勤め先が近所なら、必死で朝早く自宅を出なくてもよいから、その分ピークが遅くなるのではないか。
 柏駅は、北小金から2つ目である。中間にある南柏は、駅の東側に再開発ビルができ、バスのロータリーなども整備されていた。この駅は私が柏に住んでいた1990〜1992年頃には西側が比較的繁華だったが、東側に高層マンションが目立つのはインフラが整備されたからだ。でも同じ側にはムリヤリ果樹園にしているとしか思えない土地があったりする。邪推すれば、税金対策で実のなる木を植えているのか。一応、ナシの代表的品種「二十世紀」が松戸市発祥であり、ナシの収穫量全国一は千葉県であると言っておこう(植えてあるのがナシの木かどうかはわからなかった)。住宅地の真ん中を走ってくる常磐線だが、このあたりではビニールハウスが並んでいたり等、農家もまだまだ多い。

 柏には08:20に到着した。柏駅は島式ホーム2本の駅であって、橋上駅舎に改札があるという構造は昔と変わっていない。
 電車を降りた際にホームの電光掲示を何気なく見ると、東京地下鉄東西線の運休区間は九段下−西船橋間に延びているようだった。この区間には今日の目標のうち、浦安支店と行徳支店の2か所が含まれている。今日はこの2か所には行けないのだろうか。スケジュールの合間を縫って今日を「千葉県めぐ」の日にしたのに、行けない個所が出ては困る。予定では東西線には昼前に到達することになっている。急に心配になってきた。
 柏支店に行く前に、柏市の旧市街側である東口を少し覗いてみよう。改札を出て右へ。橋上駅舎の通路の風景もペデストリアンデッキも変わっていないが、デッキは最近になって大規模な改修工事が始まった。駅舎を出ると、正面にはそごうの建物が大きくそびえている。柏駅前(東口)の再開発は1973年に完成し、そごうもその際の進出であるが、駅寄りにある新館「スカイプラザ」に入っているビックカメラのロゴがそごうのロゴより目立つ。本館が人工地盤でつながった駅の北側にあり、円盤のような形をした最上階の展望レストランも健在のようだった。本館に見える千葉銀の看板は「コンサルティングプラザ」という有人出張所のようなもの。ビックカメラが入る新館には、みずほ信託銀行の柏支店もある。
 そごう新館の右側から、駅前通りが東に延びている。金融機関では三井住友銀行の柏支店(旧三井銀)がまず見える。千葉興銀の柏支店があるほか、新生銀行が柏支店を出しているのが注目される。ここからは見えないが、新館の東側にみずほ銀の柏支店(旧第一勧銀)、市街地に入ったところには千葉銀・京葉銀・常陽銀の各柏支店がある。三菱東京UFJ銀行は、こちら側に旧三菱店の柏中央支店、反対側の西口に旧三和店の柏支店と、駅の両側に店を構える。人口40万人を誇る柏市は、やはり常磐線沿線では大規模な町で、金融機関の数も多い。
 蛇足だが、私がかつて住んでいたのは、そごうの裏手にある6畳1Kのアパートであった。退去する時にちょっとあったので、今回そこを見に行く気にはならない。

2010年09月11日

2009.09.09(水)(4)08:00、北小金支店を制覇

 キャッシュコーナーのガラス戸には特にシャッターなどもないので、中がよく見える。内装は協和銀行の初期スタイルのキャッシュコーナーで、機械のまわりだけ見ると、壁からATMの機械が直接突き出しているようだ。機械上部の「お預け入れ」などのプレート(行灯ではない)は緑色のものに変えてあった。その上に12345とある枠番号を示す数字は、りそなになってからの標準的なフォントである。ATM上部の壁には「りそなで遺言信託」と、模造紙で作ったような横断幕が貼ってあった。
 窓口室との間のシャッターは旧協和銀行の好きなスタイルで、窓口閉店時にキャッシュコーナーの部分だけを四角く区切るため、直角に2方向から降りている。シャッターには樹木のイラストがついている。イラストというか、爪楊枝のような幹にトンガリ枝を生やしてまん丸の葉っぱをつけただけだが。これも協和銀行時代の“遺物”で、りそなは近頃では店内のシャッターをグレーで塗りつぶしつつあるようだから、イラストが健在なのは嬉しい。
 キャッシュコーナーにはATM枠が5台分あり、そこに3台のATMが配置されている。両端の1番と5番が空き枠で、2・3番が富士通ファクトVのモデル20型、4番がモデル10型であった。ATM枠の外、2方向からのシャッターが織り成す直角部分に、富士通製の通帳記帳機が1台。りそな銀行の他の支店にあるのと同様、頭部が出っ張った形をしている。
 外ガラスに貼ってある北小金支店の代理業務一覧も見た。大阪府指定金融機関、東京都と千葉県の収納代理金融機関。東京都特別区公金収納、千葉県水道局収納取扱。市レベルの収納代理が松戸・野田・柏・流山・我孫子。それから柏市水道事業収納取扱金融機関。まあ妥当なところだろう。

 シャッターで区切られたキャッシュコーナーは、決して広いとは言えない。光熱費がかさむわけでもないだろうし、この近辺の人通りからすると7時から開けてもよさそうである。朝のこの時間には結構な数の歩行者がいるようだが、通勤通学の途中、駅までの間にちょっとお金を下ろしたいと思っても、今のままではできないのではないか。とにかく北小金支店はATMが8時からであって、営業時間と機械の台数に限っては向かいのみずほ銀に負けている。
 そんなことをぼんやり考えていると、掃除のおばちゃんがやって来た。緑色の柄の箒を持ち、薄緑色というか若草色の上っ張りを着ている。りそならしく緑色でコーディネートしているわけでもないだろうが、とにかく銀行はこの時間どこも掃除のようだ。おばちゃんが店の前を掃いているのを横目で見ながら、私は自動ドアが開かないかな開かないかなと、センサーの前に立ったり、パッとどいたりを繰り返す。センサーは青ランプがついているのに、私が下に立った途端に赤ランプに変わる。何だそれはと思った。
 立ったり下がったりを何度も繰り返しているうち、突然ガバッとドアが開いた。私の時計では8時を30秒ほど回っていたと思うが、30秒くらいならまあ誤差の範囲内と言えるだろう。すぐさまキャッシュコーナーに入って、機械を操作。北小金支店を8時のオープンと同時に制覇した。レシートの「時刻」欄に印字された取り扱い時刻も「08:00」であった。

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