2010年10月10日

あとがき・参考文献一覧

 「りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇」、10月9日をもって完結いたしました。
 最後までお読みいただいた方には、例によってダラダラと続いた連載にお付き合いいただき、御礼申し上げます。あとがき等も含めた分量は、最終的に250枚強(400字詰原稿用紙換算)となりました。

 千葉県は、めぐる地域の特性、話題性、12店舗の店歴と、いろいろな点でバランスよくまとまっており、以前から本ブログで全店制覇を連載したいと思っていました。地域の特性という点でいうと、新線開業とともにできた新しい街(流山おおたかの森)、40年前に「新しい街」だった街(北習志野など)、戦前から続く古い街(市川など)。活気のある街、沈滞してしまった街。大都市の衛星都市、地方の中心都市、地方の小都市。ベッドタウン、商工地区、観光地、エトセトラ。12店はあらゆる属性を含んでおり、まさに日本の縮図です。店歴の点でも、旧協和と旧大和はもちろん、旧埼玉銀行の店もあれば、りそなになってからの新設店舗もあり。話題の点でも(あくまで私の関心の範囲から、という限定つきですが)豊富でした。12店という数も絶妙で、これより多かったら1日では回りきれませんので、1日使った「めぐ記」としてはまとまりが良い。素材としては最高であったと思います。
 その「最高の素材」を、私の能力で果たして活かしきれたのか。これについては読者の判断に委ねたいと思います。食べてみて美味しかったか。読んでみて臨場感が味わえたか。まさに「神の味噌汁」と言うべきでしょう。

 千葉県内を回って、1年が経過しました。この一年は私生活上、2度の引っ越しや情報機器(パソコンと携帯電話)の相次ぐ故障と、大きく動いた一年でした。こうした要素を除いても、専業ライターではないので発表までにどうしても時間がかかってしまうのですが、何かを立てようとすると別の何かが引っ込んでしまうのが世の道理というものです。
 私はかつて学習塾に勤めていました。ここで働いた4年間は私にとって「失われた4年間」であったと思いますが、1つの言葉を知ったのは数少ない収穫でした。この会社の社是にあった「丁寧な遅い仕事より、雑でもいいから速い仕事」。
 知ったことが収穫であったというのは、座右の銘にするような意味ではなくて、「物を考える材料」としてです。日常の大半を占めるのは定型的な仕事、いや仕事ですらない「作業」が多いでしょうから、そういう部分でいたずらに丁寧にやり過ぎて全体の進行が遅くなることは、確かに自戒すべきかもしれません。私はそういう傾向を自認しますので。
 しかし、この言葉にはやはり限度があります。日常の定型的なことを何でもかんでも「雑でもいいから」速くすべきなのかどうか。そういうのを拙速といいます。「丁寧に速く」すべきではないのでしょうか。私は手前味噌ながら、仕事が丁寧で確実という評価を(ある程度)頂いていると思っており、特にそう感じます。雑な仕事には必ずフォロー(というより尻拭い)の手が入り、他人に迷惑をかけます。他人の手を煩わさなくても、二度手間になることが多い。それでもいいから雑に速く進行しろ、という考え方には賛成できません。
 「雑でもいいから」という極端な言い方を「ほどほどでいいから」と変えれば、私の座右の銘に近いものになるかもしれません。ゆっくり丁寧にやるべき仕事や作業は、定型的な部分にも確実に存在します。時間がかかっても丁寧にやるべき仕事と、ほどほどに丁寧であればよい仕事。両者のメリハリを付けることこそ、絶対に必要ではないでしょうか。もちろん、非定型な動きに「雑でもいいから速く」は通用しません。私にとってはそのうちの一つが「『めぐ記』の執筆」であります。
 「迅速性」がないことをこんなふうに言い訳しつつ、今後も頑張ってゆきたいと思います。蛇足ながら、上記のほかに「雑でもやった方が良い仕事」も存在しますが、それはまた別の機会に。

 さまざまな思いが去来しますが、この連載はこれにて終了します。この連載を数年後に読み返して「古い」と感じられることがあるかもしれませんが、あくまで 2009年9月の実体験と、その後の連載期間における「一面の真実」です。そういうものだと思ってお読みいただくことを望みます。
 この連載のような「文章を使っての自己主張」が、私の生き甲斐です。今後ともご支援・ご鞭撻をいただけますようお願いします。ご意見や情報提供をお待ちしています。このブログ「MEGU」は、コメント・トラックバックを歓迎していますし、私のメールアドレスも公表しています

 なお、この連載の執筆にあたっては、以下のような書籍・webサイト等を参照いたしました。

参考文献一覧
紙媒体は発行年順、webサイトは本文掲載順(2010.09.06現在)

  武者小路実篤『牧野元次郎』 学芸社、1935年
  『船橋市史』前篇 船橋市、1959年
  『松戸市史』下巻(1)明治篇 松戸市、1964年
  扇谷正造『すぐやる課太平記』 産業能率短期大学出版部、1971年
  『角川日本地名大辞典 12千葉県』 角川書店、1984年
  『習志野市史』第二巻史料編(I) 習志野市、1986年
  『埼玉銀行通史』 あさひ銀行、1993年
  『絵にみる図でよむ千葉市図誌』(上・下) 千葉市、1993年
  『協和銀行通史』 あさひ銀行、1996年
  樹林ゆう子『マツモトキヨシ伝−すぐやる課を作った男』 小学館、1996年
  白土貞夫『ちばの鉄道一世紀』 崙書房出版(流山)、1996年
  『周五郎が愛した「青べかの町」』 浦安市教育委員会、1998年
  『大和銀行八十年史』 大和銀行、1999年
  『続々三菱銀行史』 三菱総合研究所、1999年
  『千葉県の歴史』別編地誌3(地図集) 千葉県、2002年
  若林幹夫『郊外の社会学』 ちくま新書、2007年
  「JR東金線」『鉄道で行く千葉』第8回 京葉銀行、2010年

  『銀行総覧』 大蔵省銀行局、各年版
  『日本金融名鑑』 日本金融通信社、各年版
  『ニッキン資料年報』 日本金融通信社、各年版

  『国立天文台』 http://www.nao.ac.jp/koyomi/
  『松戸市』 http://www.city.matsudo.chiba.jp/index.html
  「平成21年産日本なし、ぶどうの結果樹面積、収穫量及び出荷量」『農林水産省』http://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/sakumotu/sakkyou_kazyu/pdf/syukaku_ninasi_09.pdf
  『柏市』http://www.city.kashiwa.lg.jp/Index.htm
  「つくばエクスプレス」『首都圏新都市鉄道』 http://www.mir.co.jp/
  『クリアヴィスタおおたかの森』 http://itot1.jp/otakanomori/
  『流山市』 http://www.city.nagareyama.chiba.jp
  「拝啓 市野谷の森気付 オオタカより」『流山発 ちょっと気になるWeblog』 http://oo2.s43.xrea.com/mt/archives/000445.html
  「十三の里歴史探訪 地名に見る富里の歴史」『富里市』http://www.city.tomisato.chiba.jp/syoukai/tominosato/index_tominosato.html
  「鉄道連隊演習線」『千葉県の戦争遺跡』http://www.shimousa.net/tetsudourentai/tetsudourentai_enshusen.html
  『浦安市』http://www.city.urayasu.chiba.jp/menu3869.html
  「一般戦災ホームページ」『総務省』http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_09.html
  「習志野原と軍隊」『船橋市立薬円台小学校』http://www.yakuendai-e.funabashi.ed.jp/narashino1.html
  「北総線高額運賃の研究」『ちばにう倶楽部』http://www.chiba-newtown.jp/HokusoKenkyu.htm
  「昔ながらのオランダ風車を復元」『こうほう佐倉』907号(2005.04.01)『佐倉市』http://www.city.sakura.lg.jp/koho/kohosi/050401.htm
  「2010年デビュー!新型スカイライナー・成田空港まで36分」『京成電鉄』http://www.new-skyliner.jp/top.html
  「ステーション・駅前の歴史いろいろ」『Old Map Room』http://oldmaproom.aki.gs/m03e_station/m03e_station.htm
  「これだから千葉なんだよ!」http://www.youtube.com/watch?v=eSMbPK6IOAw
  「ちばの観光まるごと紹介」『千葉県』http://www.kanko.chuo.chiba.jp/
  「銀行変遷史データベース」『全国銀行協会』http://www.zenginkyo.or.jp/library/hensen/index.html

  フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

【2010.10.11_19:04追記】参考文献が一部抜けておりましたので追加しました。大変失礼しました。

2010年10月09日

2009.09.09(水)(32)エピローグ 帰還

 茂原市の都市銀行は、りそなの1店舗のみである。正面ガラスの白文字を見ると、この支店の公金取扱は千葉県収納代理、茂原市水道事業収納取扱、茂原市収納代理だけで、千葉県と茂原市関係だけのようだ。茂原支店から駅前大通りの西(正確には南西)を見ると、千葉銀行の看板が見える。こちらが茂原支店だろうと思ったが、後で調べると「茂原南支店」というそうで、千葉銀の茂原支店(のある茂原市の旧市街地)は駅からだいぶ離れているようだ。
 それから、東京スター銀行の茂原支店。外壁には巨大な「東京相和銀行」の文字を剥がした跡が残っている。東京スターは経営破綻した第二地銀や信用組合の店舗を複数譲り受けて店舗網を拡大していた時期があり、千葉県にもそうした店舗がいくつかあるが、茂原支店は1955年に開設された歴史のある店だった。東京相互(相和)銀行の事実上の創業者である長田庄一氏(1922〜2010)の出身地、山梨県への第1号出店(甲府支店)が1980年であることを考えると、その古さがうかがい知れよう。なお、東京スター銀行茂原支店は先月(2010年9月)廃店となった。
 というわけで、りそな銀行としては一応これで千葉県内「全店制覇」であるのだが、北小金に始まる今日の行程を線でつないでみると、千葉県の輪郭すら描けないのは事実である。とはいえ、外房(九十九里)方面に支店を出している都銀は今となってはりそなだけだから、その点は評価すべきか。都銀の店舗も随分減ってしまった今、木更津を除き千葉県における都銀の限界を一応「極めた」ことになる。
 千葉県のうち今回行かなかった地域を、最後にさらっと撫でておこう。内房側の中心都市・木更津には旧あさひ銀行が1998年まで木更津支店を出しており、現在も三大メガバンクすべての支店がある。三メガの中で三井住友銀(旧太陽銀)は、統合してしまったものの市原(五井)と館山にも店を出していたから、房総半島では最も店舗網の範囲が広かったと言える。成田から東、下総台地東部で最も密に店舗網を張っていたのは意外なことに旧三菱銀行で、UFJ銀行との合併直前まで佐原(現香取市)と銚子に支店があった。この2つの旧三菱銀支店は、戦時中に吸収合併した都市銀行の第百銀行から引き継いだもので【注1】、開設はいずれも明治時代であった。
 今後の課題としては、廃止店舗跡地の写真撮影で稲毛支店を残すのみだが、営業している店ならともかく廃店であるから、後日ヒマな時でいいと思う(その後達成した)。「あさめぐ」の時代から写真撮影も合わせてやっておればと思うが、もちろん「あの時に××しておけばよかった」という後悔はキリがない。それを書き出すとこれまたキリがないのでやめておくが、いずれにしても、後悔は常に「後になってから」やって来るものである。

 茂原市の今日の日没時刻は17:55で、少し暗くなってきたが、まだもう少しの間は明るさを保っているのだろう。だが、今から「さらに」どこかへ行くのは、ちょっと無理だと思う。腹も減っているし、ここで打ち止めとしよう。
 茂原駅に戻ってくると、時刻は17:35であった。次の上り列車は、17:44発の特急わかしお24号東京行き。東京着18:40だそうで、東京駅までは特急でも小一時間かかるのだ。東京駅までの運賃は1280円で、金額から察すると茂原から70kmを超える。特急券も、東京駅までの自由席が900円もする。こう書くと、遠いところに来たと感慨にふけりそうになるが、東京駅からの距離でいうと茨城県の土浦支店とほとんど変わらない。都心に直結しているか否かで、随分と感じが変わるものだ。JR高崎線が全部大宮駅で乗り換えだったとしたら、わが出身地・群馬県は相当「僻地」に感じられるだろう。ともあれ、一日の予定はすべて消化したから、もう焦ることはない。特急を見送って普通列車で帰ることにする。各駅停車の千葉行きが17:57発。せっかく予定より早く終わったが、結局、長い時間待ちから逃れることはできなかった。
 今回の「めぐ記」をまとめていて、後悔を感じたことが1つある。ちゃんと帰りの時刻まで調べておけばよかったということだ。17:57発の普通列車に乗った私は、蘇我で京葉線の東京行き快速に乗り換えた。しかし、茂原駅でさらに20分待てば、18:14発で東京行きの総武快速(東京駅まで乗り換えなしで行ける)があったのだ。この列車の東京着は19:30で、東京駅着の時刻そのものは私が乗った京葉線の方が早かった(19:28着)のだが、わずか2分の差でしかないし、地下の奥深いところにある東京駅の京葉線ホームに2分ぐらい早く着いたところで、乗り換えが不便なためチャラになってしまう。それなら、東京駅まで乗り換えなしで行ったのに。総武線も地下ホームだが、それでも丸の内口に近接している分だけ京葉線よりはマシだ。
 というわけで、仮に総武快速まで待ったとすると茂原駅での待ち時間は40分近くにもなり、千葉駅での20分待ちと合わせると、成田で作った1時間の貯金は結局すべて吐き出すことになる。どこかの民放カメラマンの言葉でも借りたい気がした。

 【注1】第百銀行:1878(明治11)年9月国立銀行条例に基づき東京都日本橋区(現中央区)に開業、1898.08普通銀行に改組、1927.09川崎銀行【注2】と合併し川崎第百銀行。1936.11第百銀行に改称、1943.04.01三菱銀行に合併。佐原と銚子の2支店はいずれも川崎銀行の出張所として開設された(佐原1880年、銚子1893年)。
 【注2】川崎銀行:水戸藩の御用商人だった男爵・川崎八右衛門が設立した川崎財閥により、1874.12川崎組として東京に設立、1880.03川崎銀行に改組、1919.12合資会社から株式会社に改組、1927.09第百銀行を合併し川崎第百銀行となる。川崎財閥の中心企業であった。


[りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇 完]

2010年10月08日

2009.09.09(水)(31)茂原支店制覇、千葉県全店制覇完了

 三越の向こう、駅前通りの右側に、りそな銀行の看板が見えている。駅前通りは、道幅としては3車線分くらいはあるけれども、対面2車線として使われている。3車線分というのは右折車線などのために多くなっているわけで、それ以外のところは中央に幅広くゼブラ模様を描いている。りそなの支店の向かいは第一生命の営業所、その隣はコインパーキングの立体駐車場である。街灯には一応「茂原駅前商店会」等と書いてあるけれども、商店街というものはこの駅前には存在していないようだ。
 大きく見える茂原支店の正面全体はガラス張りで、金のかかった建築であるのはよくわかる。前面の2・3階部分は曲面ガラスに見えるが、実は平面ガラスを組み合わせたもの。1階の正面ガラス部分はポスターを掲示するスペースになっているが、断面は2・3階のガラスの形に合わせてくさび形になっている。
 建物1階の左側1/3にシャッターが下りているが、これは建物の2階全部を占める駐車場の入口である。茂原支店のほか長後支店(神奈川県藤沢市)など、旧協和銀行店舗の一部には、外側から見ると支店の規模に似つかわしくないほど巨大な建物を持つケースがある。こうした支店は、実は銀行店舗のスペースはそれほど大きくなくて、駐車場で嵩を膨らませているのである。なお、茂原支店の駅寄りには、地平の提携駐車場(コインパーキングになっている)もある。制覇を終えての帰り際、「ユアーズパーク」という会社が運営する提携駐車場の看板を見たところ、最初の15分が無料はいいとして、ここが満車の場合は店舗2階の駐車場を利用するようにと書いてあった。銀行の駐車場は提携駐車場がメインで、店舗2階がサブなのか。少し呆気にとられたが、まあ仕方がないのだろう。自分も車に乗る時は、立体駐車場に入れたいとは思わないからだ。
 支店壁面の正面右側には、板を嵌めてゴムで隙間を埋めた部分がある。ここは、支店の建物が落成した当時、ミッフィーのからくり時計であった。社史『協和銀行通史』に写真が掲載されていたので、どうなっているか以前から気になっていたのだが、撤去されてしまったようだ。店の横にあった夜間金庫の投入口も同様の処理をして埋めてあり、茂原支店の外壁で特別なものは、今となっては全て痕跡をとどめるのみとなってしまった。ともあれ、気になる写真撮影から片付けよう。車が多いのは何とかならないかと思うが、夕方ゆえ交通量がそこそこ多い中、どうにか許容範囲内の写真が撮れた。
 正面中央の自動ドアを入ると、真正面には風除けのガラスの壁。そのガラスの向こうのキャッシュコーナーには「テレビ相談ブース」というものが設置されている。板で囲ってテレビ電話を置いたコーナー。テレビ電話ブースは埼玉りそな銀行では主要な店に必ずあるが、りそな銀では初めて見る気がする。ブース入口の横には「末使用時開扉」と書いてある。本当は「未使用」と書きたいのだろう。それはともかく、テレビ電話の受付時間は平日17時までだそうだが、窓口が開いている時間にこういうものが並行して稼働しているのは意味があるのだろうか。すでに午後5時を回り、窓口がクローズしているので分からないけれども、総合受付を導入しない代わりにテレビ電話ブースを置いているのだろうか【注】。
 この時間、窓口室とキャッシュコーナーとの間は長い長いシャッターで塞がれている。協和店にはシャッターに独特のイラストが描いてあるケースが多いのだが、この支店はすでにグレーで塗りつぶしている。キャッシュコーナーのATM枠は「パイプのないパイプ形デザイン」という感じで、正面から見るとパイプではなく角柱が並んでいるように見える。行灯プレートは緑に換装していた。5台分の枠がATM4台と通帳記帳機で全部埋まっており、ATMは富士通FV20が3台とFV10が1台、一番右が富士通の記帳機であった。
 それでは、本日最後の制覇作業を済ませよう。17:22、茂原支店での預金取引をもって、本日の「千葉県内12店舗完全制覇」はすべて終了した。
 茂原支店は、協和銀行茂原支店として1974年3月に開設された。開設当初は現在地の隣り、今でいうと三越のある区画にあったが、現在地に新築移転したのは1987年5月のことであった。

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 【注】後日確認したところによると、茂原支店は総合受付方式に改装済み。

2010年10月07日

2009.09.09(水)(30)賑わいて、そして侘しき茂原駅

 線路が高架上で急に左にカーブしたところで、「房総信用本店」と書いた看板をつけた茶色い立派なビルが右側の車窓に見えた。看板のとおり房総信用組合の本店である。それを横目で見ながら、私を乗せた電車は17:04、茂原駅の高架ホームに滑り込んだ。
 電車はこの駅で一気にガラガラとなった。この電車は茂原から7つ先の大原(いすみ市)まで行くけれども、実質的には茂原市民のための電車なのだろう。この1本前が大網止まり、この次の各駅停車が大原の3駅先・勝浦(勝浦市)行きで、電車の行き先に応じて乗客がうまい具合に住み分けているようだ。ダイヤを調べてみると、茂原までは普通列車が1時間に3本出ているが、茂原と、2つ先の上総一ノ宮とで本数が劇的に減り、上総一ノ宮から先は1時間に1本のローカル線となる。茂原市は結構な主要都市で、この駅を境に乗客の流動が大きく減少するのである。江戸時代初期に「六斎市」といってこの周辺の5つの村(本納・長南・大網・茂原・一宮)で定期市が始まり、その中で最も盛大となったのが茂原である。その頃(慶長11/1606年)からの主要都市ということだが、定期市は当時と同じスケジュールで、現在も毎月4・9のつく日に開催されているそうだ。
 高架下の改札を出るとき、スイカを改札機にタッチすると、千葉駅から570円引かれた。思ったよりも高い。しかし、さっき東葉高速鉄道では北習志野から浦安までで610円も取られたから、乗車時間と距離から考えたらそれよりはマシかと思い直した。
 コンコースに出る。駅周辺の地図には「千葉県立長生高等学校」というのが書き込んであり、キャプションとしてChosho highschoolと英語が書いてあった。長生と書いて「ちょうせい」と読むと思っていたが、ちょうしょうと読むのか。無知を嘲笑されてしまうかもしれない。と思いかけたが、「長生」は合成地名(長柄+上埴生)で、読み方も「ちょうせい」のハズだ。長生高校のホームページも、URLは「chosei-h」となっているから、真相はどうなのだろうか。なお、駅の東口は、長生高校のほか茂原高校・茂原樟陽高校と3つの高校の玄関口になっているという。
 今無雑作に「東口」と書いたが、私の脳内では房総半島の東側を走る鉄道は南北軸だから勝手にそう判断しただけで、コンコースの地図には「南口」「北口」と書いてあった。外房線は駅の手前で大きくカーブしていて、茂原駅付近では南西〜北東に走っているから、駅の出口としては(私のイメージする)東側が「東口」とはならないのである。それにしても、改札口の乗り換え案内には「南口」「東口」と書いてあったから、統一性を欠いている。まあ少なくとも「南口」だけは揃っているようだ。なお、さっき高架ホームから見た駅の東口は、駅前に雑居ビルが数棟あって、すぐに住宅地が続いていた。駅前に千葉銀行の支店が見えたが、大店の茂原支店ではなく茂原東支店だそうで、新市街側とすぐわかる。目的地はこちらではない。
 南口はロータリーが完備されていて、駅を背に右側にはタクシープール、左側には民間車のロータリーとバス乗り場がある。タクシープールと車の通路との間は植え込みになっていて、その中央にはよく分からないモニュメントがある。曲げた鉄板を組み合わせて黄色く塗ってあり、銀行ウオッチャーとしては静岡銀行のマークに少し似ていると思った。モニュメントの回りには紫色の花が咲いているが、こういうところの花で紫色は珍しい気がする。居酒屋の「はなの舞」とジャスコが見える。ジャスコは古いタイプの総合スーパーである。
 駅前の「茂原駅前南口」交差点角には、5階建てぐらいの立体駐車場の建物が建っている。その反対側にあるのは、なんと老舗百貨店の三越。といってもデパートではなく、地方の小都市によくあるショールームのような小型店舗である。

 夕方とあって、駅に入ってくる車の数はそれなりに多かったのだが、あっという間に消えてしまった。がらんとした駅前広場の北側に、グレーの外壁に薄緑色の線を引いた6階建てのビルが建っている。これは経営蹉跌により閉店した旧そごう茂原店で、現在このビルには「サンヴェル」【注】なる名前が付いている。サンはsun(太陽)、ベルはvert(緑)だから、英語とフランス語がごた混ぜである。
 ビル全体としてはテナントビルのような形で使われている。有名なのはセブンイレブンと、自然食品の「アニュー」くらいで、あとは地元の喫茶店、地元の薬屋、地元の美容院。6階には「茂原駅前学習プラザ」なる市の施設が入っており、また京葉学院という学習塾があるが、集客力のありそうなテナントは素人目にも入っていないようだ。営業している店舗は1階だけで、2階から上はがらんどうであるのが見て取れる。1階セブンイレブンの入口自動ドアは、デパートらしくゴージャスな鏡面仕上げになっていて、銀色でピカピカであった。そごうの店頭に必ずあったディズニーのからくり時計は、針がもぎ取られて文字盤だけとなっているのが衝撃的であった。もっとも、からくり時計は今となってはそごう全店でやめてしまったそうだが。
 駅前に建てた大きな再開発ビルが業績不振で閉鎖に追い込まれた例は、茂原に限らず地方都市では至るところで見られる。ビルの使われ方も大同小異で、やはりキーテナントを失った商業ビルは見るからに痛々しい。そごうの企画に乗った時点で「バブルに踊った」ことになるわけで、せめてもう少し待っていれば状況が変わっていたかもしれない。あるいは(場合によっては)古い市街地のままにしておくという選択肢もありえただろう。こんな立派なビルを、コンビニをやるために建てたわけでもないだろうに。ここはデパートだったのである。

 【注】サンヴェル:筆者はV音をカナ表記する際、「ヴ+小さい母音字」ではなくB音表記(バ行)で行うのを原則としているが、固有名詞とあらば止むを得ないので、最小限の範囲で使用する。

2010年10月06日

2009.09.09(水)(29)千葉から最終目的地へ

 16:20発大原行きは、6番ホームにすでに待機していた。
 113系電車の8両編成は、各ボックス席に1人ずつ座っているくらいの混雑度であった。進行窓側が空いているボックスがあったので座った。時間の余裕は十分ある。1人だけいた先客は女子大生(浪人かもしれない)で、白いTシャツとデニムのショートパンツに黒ブーツを履き、文庫本を読んでいた。
 ぼんやりしている間に座席はほぼ埋まり、立っている客もいた。ホームの反対側に千葉駅折り返しの快速が到着したのが見えたと思う間もなく、入れ代わるように私の電車が発車した。
 本千葉駅のホームからは、臨海工業地帯の煙突の並びが見えた。西側を並走する京成千原線が本千葉駅の先でJRから離れて行き、やがてJRをまたいで、市原市の公団住宅地・ちはら台へ向かっていった。京成がJRをまたいでいるというより、JRの方が地平に降りたようだ。最初の主要駅・蘇我(そが)では乗客はほとんど降りず、逆に大量に乗ってきた。蘇我は京葉線との接続駅であるから、客が乗ってきても別段不思議ではない。
 外房線の線路は蘇我を出てすぐ左に大きくカーブする。同時に、木更津・館山方面に向かう内房線の線路が右に分かれていくのが見えた。外房線は、駅近くのマンションの並びが途切れて一戸建ての住宅ばかりになったものの、車窓の風景はすぐに原野の比率が高まってきた。ほどなく再び町のようになってきて、ここらでそろそろ次の駅になるかと思ったが、次の鎌取駅はそのままの状態で相当走ってから到達した。
 鎌取駅の階段下に、みずほ銀行の鎌取出張所(旧富士銀、有人)が見えた。東京都心からやや距離があるから、こんなところにまで進出しているのかと驚いたが、冷静に考えれば鎌取駅は千葉市緑区役所の最寄り駅であり、駅前には大ショッピングセンター(ジャスコ鎌取店)もあって、都銀が店を出していても驚くにはあたらない。りそなのウオッチャーとしては、JR阪和線沿いの旧大和店舗、熊取支店(大阪府泉南郡熊取町)にそっくりだと思った。駅の階段を下りたところに平屋建ての小規模店舗を出すという店の出し方もさることながら、「かまとり」「くまとり」で発音も似ている。
 鎌取の次の誉田(ほんだ)は、通過待避線を持ついわゆる国鉄型配線の駅で、ここで特急の通過待ちとなる。何だ、特急があるのであればリクライニングシートでふんぞり返って行くという選択肢も…と思いかけて、外房線の特急は千葉駅を通らないことを、ここで初めて思い出した。成田空港のアクセス特急「成田エクスプレス」ができた際、総武線の線路容量が足りなくなるため、内房・外房線に限り特急を京葉線経由に変えたのである。ちなみに、外房線の特急は太平洋の荒波をイメージして「わかしお」という。国鉄/JRの特急につけられた愛称名と、銀行の名称には一致するものが多く、「わかしお銀行」もかつてあったが、内房線の特急の名称「さざなみ」をつけた銀行は現在までに現れていない。強いて言えば、1990年代末期の金融危機の時代に、銀行に公的資金を注入することを審査した預金保険機構傘下の委員会があった。この委員会は、委員長だった佐々波楊子・慶応大学教授(当時)の名前を採って通称「佐々波委員会」(さざなみいいんかい)と呼ばれている。
 外房線は房総半島を横断する路線であって、蘇我から大網までは山越えだと思っていたのだが、車窓風景は意外に起伏がゆるやかな田園地帯が続いている。ふと思ったのだが、千葉市のような都市のことを「田園都市」というのではないか。さいたま市も該当するかもしれない。きちんと維持された農地が広がることが絶対条件で、それが住宅と混然一体になったもの。学術的な定義はさておき、これこそが「田園都市」ではないだろうか。その意味で、東急の多摩のあれは、開発が始まった1960年代ならともかく、現在ではこの名前にそぐわない気がする。そのことを意識してかせずか、千葉市緑区内には東急グループが開発したニュータウンがある。
 土気(とけ)駅では、反対側のホームで高校生カップルがベンチに座って生々しいことをしているのが見えた。私見では、房総半島には、人前でのそうした行動に対して特に寛容な空気があると思う。目のやり場に困りかけたところで車両のドアが開き、車内の人口密度がだいぶ下がった。空いた隣りの席には学校帰りの女子高生が座り、英語の教科書を読んでいる。この娘も含め、今日見かけた女子高生の制服は、終日ミニスカートばかりであった。

 土気を出て、次の大網まででようやく本格的な山越えらしく、電車は人里離れた山の中に入り、初めて本格的な山岳トンネルをくぐった。
 原野のようなところに出たと思うと、すぐに視界がパッと開けて再び田園地帯が広がった。ついに千葉市を離れて山武郡大網白里町である。郡部とはいえ商業的には結構開けているようで、高層マンションやイオンのショッピングセンターが見える。右に大きくカーブしている大網駅のホームには「白里海岸バスで25分」という看板が出ている。商業地区の大網と海水浴場のある半農半漁村の白里とが合併したので大網白里の名前がついたわけだが、そういえば海水浴などもう何年も行っていない。
 銀行ウオッチャーとして特筆すべきは、大網駅前には中央三井信託銀行の支店があった。この店の経歴は波乱に富んでいて、もとは太陽銀行(現三井住友銀行)が1972年に出店したものである。1973年に太陽神戸銀行に変わったのち、1987年に北海道拓殖銀行に営業譲渡されて拓銀の大網支店となり、さらに経営蹉跌を経て中央信託銀行→中央三井信託銀行の支店となった。中央三井は2002年5月の大量廃店で旧拓銀店舗をほぼ消滅させたが、大網支店はそれより早く2001年3月に廃止されている。太陽銀が大網支店を出した1972年という年は、国鉄外房線が電化されて周辺が都市化の波に洗われ始めた年。特に大網駅は、このとき千葉駅と同様の駅移転工事を行い、外房線のスイッチバックを解消している【注】。大網駅の移転は、事実上新駅開業のようなものだったのだ。
 大網を出ると、車窓風景は完全に田園地帯となった。右も左も刈り取り済みの水田が広がっている。近所に海水浴場があるとはいえ、外房線はこの付近ではかなりの内陸部を走っているから、私の好きな「海を見ながら」とはいかない。目指す茂原市に入って最初の駅・本納(ほんのう)は、昔ながらのローカル線の小駅舎で国鉄の面影を強く残しているが、駅舎に自動改札機が並んでいるのが興ざめであった。ホームの「名所案内」の看板によると、荻生徂徠の勉学の地だそうである。駅の近所には、わが出身地・群馬県の流通企業ベイシアが進出して茂原店など出している。こうしたロードサイド型の商業施設は、しばらく走ると茂原市の中心に達すると告げている。
 茂原駅の1つ手前、島式ホーム1本の田舎駅である新茂原駅に着いたところで、どこかのスピーカーから『夕焼小焼』が流れているのが聞こえた。『赤とんぼ』ではなくて「日が暮れて」の方である。ちょうど5時になったのだ。新茂原はかつて「あさめぐ」時代に、茂原支店の店舗外ATM[アスモ]を取るため降りたことがあるが、ゴールデンウイーク明けに真夏のような暑さだったと記憶している。そんな新茂原を出ると、電車は森の中へと入っていく。森が切れると住宅地になり、そこで徐々に高架に上がり始めた。茂原市街地、つまり最終目的地の茂原駅が近いのだ。

 【注】スイッチバックは大網−土気間の急勾配を緩和するため。旧大網駅は現駅の北東600mほどの東金線側にあった。

2010年10月05日

2009.09.09(水)(28)あおぞら銀に寄り道しつつ

 支店の西側入口前に停まっていた車は、いつの間にかいなくなっていた。写真撮影を手早く済ませ、千葉支店の用事はすべて終了した。
 次の課題は、千葉駅まで戻ってJR外房線で茂原市まで移動することだが、その前にちょっと寄り道する。あおぞら銀行千葉支店である。あおぞら銀は、普通預金の取引をすると、通帳にその店の名前が半角カタカナで記帳される。漢字表記ではないから面白みが少ないとはいえ、「りそめぐ」と同様の楽しみ方ができるのだ。あおぞら銀行の通帳とキャッシュカードは、今日持ってきている。
 時間的には、あおぞら銀を取ってもまだ余裕がある。事前リサーチの際、千葉支店を駅から遠いと思い込んでいたため、スケジューリングの際に時間の余裕をかなり持たせていたのだ。そこへ、現時点でさらに1時間早く進んでいる。この調子なら、ますますいい感じで稲毛支店跡の写真まで撮れそうだが、デジカメの電池がないという別の理由により今日はやめておく。

 あおぞら銀行の千葉支店は、千葉駅に近い駅前大通りの南側、塚本総業ビルとかいう巨大な建物の中だと記憶している。この界隈は、先ほども述べたように銀行街になっている。一番端がりそな銀千葉中央支店跡で、その隣りは千葉興業銀行の千葉駅前支店。千葉興銀の隣が中央三井信託の千葉支店(旧三井信託)、さらに隣が住友信託銀行である。2012年4月に合併する予定の中央三井と住信は、ここでは隣同士しのぎを削っている。その先には、千葉県の第二地銀・京葉銀行の本店がある。道の反対側を見ると、駅前角に三井住友銀行の千葉支店。旧三井銀店舗らしく、屋上には三越のネオンサインが取り付けられている。その隣に大和証券があって、これから行く塚本ビルという大きい建物がある。名前のとおりこのビルは塚本総業という会社がやっている。このビルのさらに左隣は、三越千葉店である。
 塚本ビルの三越寄りから路地を奥へ入ったところに、あおぞら銀の看板が見えた。写真を撮る余裕はあるだろうか。デジカメの電池が完全になくなったら、この後の茂原支店の写真は「写ルンです」、さもなければ後日撮り直しとなるのだ。
 先に、塚本ビルのあおぞら銀以外の場所を見ておこう。東京スター銀行の千葉支店がある。ヨドバシカメラの千葉店が入っていたりする。千葉銀は「コンサルティングプラザ千葉」なるものを出している。中央支店千葉プラザ出張所だそうで、文字が小さいとはいえ正式名称がちゃんと書いてあってよろしい。なお、千葉銀の中央支店はかつての同行本店である。
 三菱東京UFJ銀行の千葉支店がこのビルに入っているが、キャッシュコーナーが見当たらず、そんなバカなと一瞬思った。ATMは、大通りに面した方ではなく裏通り側にあった。内装が真っ黒だから旧三菱銀行の店だが、旧UFJ店(千葉中央支店、旧三和銀)もここに移転してきているから、テレビ電話窓口などもキャッシュコーナーに入るとすぐある。この店の戸田恵梨香は、別に日焼けはしていなかった。なお、旧東海銀行は、千葉支店をこのビルに置いていた。三和銀行との合併でUFJ銀行千葉駅前支店となり、2002年6月に旧三和の千葉支店(りそな千葉支店の近所にあった)に統合されたが、さらに東京三菱銀行と合併して旧三菱店の支店内支店となったから、旧東海銀千葉支店の顧客にとっては取引店が4年のブランクを経て再びこのビルに戻ってきたことになる。
 あおぞら銀千葉支店は、塚本ビルの裏通り側の角にあった。余計なお世話だろうが、こんな裏通りで営業していて客が入るのかと思えるほどである。正面入口の自動ドアを入ったところに、ATMが1台だけある。機種はATMJ(日本ATM)の「AJ32」というもので、富士通のファクトVモデル20をOEM供給されたものである。最新型の機種であるのに、タッチパネルを押した際の反応が遅いので少し苛ついた。15:48、あおぞら銀行千葉支店を制覇。通帳記帳をかけると、半角カタカナで<チバ>の文字がしっかり出ていた。
 あおぞら銀行千葉支店は、1984年6月に日本債券信用銀行千葉支店として開設された。

 千葉駅まで戻ってきた。現在時刻はほぼ4時ジャスト。すでに夕方近くなり、駅の界隈は先ほどと比べると人通りが増えた気がする。街で見かける人は、高校生の他にはチラシ配りやティッシュ配りが多い。夕方のラッシュアワーに入ったのか。そうであるなら、電車の本数もそれなりに増えているだろう。
 ほんの少しだけ期待しつつ、駅内に掲示された外房線の時刻表を見た。一番早い列車は、16:13発大網行き。大網は茂原から4つも手前だから、これではダメだ。その次は16:20発大原行きで、これが茂原まで行く電車の中では最も早く発車する。さらにその次、16:40には快速の上総一ノ宮行きがある。40分発の快速と、20分発の普通列車と、どちらで行くのが早いだろうか。
 「みどりの窓口」に入った。コンシェルジェでもいたら聞いてみようと思ったのだが、いなかったので自分で時刻表をパラパラとめくる【注1】。16:20発大原行きは茂原に17:07着、16:40分発の快速だと17:13着。というわけで、ほんの僅かだが普通列車で行った方が早く着くと判明した。
 成田を出たのが予定より1時間早い電車、さらに千葉でもおそらく予定より短時間で用事が済んでいる。だからといって引き続き1時間早い電車に乗れるとは限らないのが、千葉県の恐ろしいところである。千葉駅より東側で電車の運転間隔がわからないから一抹の不安はあったのだが、案の定20分も待たされることになった。当初プランでは17:00発の勝浦行き普通電車に乗ることになっており、予定より早いのだからよしとすべきかもしれないが、1時間稼いでいた余裕時間は40分に縮んでしまった。そういえば、昨年(2009年)ニュース番組の生中継で、期待していた映像が撮れなかった民放のカメラマンが「これだから千葉なんだよ!」と吐き捨てたのがオンエアされ、非難ごうごうになったことがあった【注2】。発言の妥当性はさておき、「気持ちはよくわかる」とは言っておこう。

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 【注1】事前に調査してあったのだが、この時点ではすっかり忘れていた。
 【注2】2009.07.23放送、日本テレビ『ニュースZERO』(実際に言葉を発したのが日テレのクルーだったとは限らない)。

2010年10月04日

2009.09.09(水)(27)続いて千葉支店を制覇

 駅前から東の方角に、「千葉駅前大通り」というそのままの名前の大通りが延びる。この道は現在「大・銀行ストリート」になっていて、りそなの店舗外ATM[千葉駅前]の前に立つと、そこから多数の銀行店舗が見える。ちなみに、千葉市の中心街で金融機関の集中しているエリアは、駅前地区のほか、大通りをずっと行った「中央」(旧来からの市街地)がある。りそな銀行千葉支店は後者、千葉駅前大通りを東に進んだ左側の千葉市中央区中央にある。
 県庁所在地になるような都市は城下町が多いのだが、千葉市は城下町起源ではなく、海路・陸路が集まる近世以来の交通要地が発展した町である。もともとは佐倉藩の江戸への玄関口で、必ずしも政治の中心というわけではなかったが、1871(明治4)年の廃藩置県の後、1873年に印旛県と木更津県が合併して、ようやく千葉町(当時)を県都とする千葉県が発足したのであった。千葉町は合併前の両県境界近く(印旛県)にあって、主要街道だけでなく鉄道路線も千葉駅を中心に方々に敷かれたけれども、千葉駅は当初0.5kmほど佐倉寄りにあったことは前述した。千葉市の古くから続く市街地は、現在でいうとJR東千葉駅から本千葉駅(外房線)にかけてのベルト地帯で、駅前大通りを中心とするエリアは千葉駅の移転後に開発されたものである。千葉駅前大通りは京成千葉線の線路跡地で、その突き当たりにある中央公園は、京成線が現ルートに移設される以前の京成千葉駅跡地だそうだ。
 さて、千葉駅前大通りは片側3車線の道が2本並んだ大幹線道路で、中央分離帯はガードレールで仕切られている。これほどの大きな道路だが、都内と違って通行量は多くないし、逆に路上駐車している車の数は多い。歩道は歩道で対面2車線ぐらい楽々取れそうなほどの幅があるが、人が歩く部分はそのうちの半分だけで、車道側の残り半分は石畳になっており、要所要所に樹木を植えたり、凝った街灯をつけたり、電話ボックスを置いたりしている。
 道の北側、京葉銀行本店の東には、NTT東日本千葉支店、かつての千葉電報電話局の大規模な建物がある。電電公社の千葉県における総元締だったわけだが、建物の真ん前にある公衆電話はろくに掃除もしていないようだ。公衆電話は今やNTTにとって「お荷物」と化しているのだろう。6月に見た映画『RAILWAYS』では、病院のロビーにある緑の公衆電話から電話するシーンで、切った時にジャラッと硬貨の音がしたのが印象的であった。すでにテレホンカードを持ち歩く人も少なくなっているのである。かつてテレホンカードの収集家だった者としては少し寂しく感じる。
 NTTの隣には野村証券千葉支店、そしてみずほ銀行の店舗外ATM[千葉富士見]と千葉駅前大通り郵便局の入った雑居ビルがある。野村証券の入るビルが「千葉大栄ビル」といって旧埼玉銀行系列の大栄不動産の持ち物であるのは、りそなのウオッチャーとしては興味をそそられる。ひょっとすると、埼玉銀行は「千葉支店」を作るつもりで、ビルだけ先に手当てしていたのかもしれない。郵便局の面する「富士見東電前」交差点まで来ると建ち並ぶビルの先にりそな銀行の屋上看板が見えた。屋上の看板は今時のりそなでは珍しい。
 りそなの看板はりそなを目指すゆえ自然に目に付くのだが、それよりさらに目立つのは、支店の前に立ちはだかるモノレールの巨大な鉄橋であろう。駅前から東に大通りの1本北側を進んで来たモノレールは、支店近くで大きく右(南)に曲がっており、大通りをまたぐ部分だけ鉄橋というかシンボリックなアーチになっているのだ。平成11年3月竣工というこの橋は、「セントラルアーチ」なる名前が付いている。大きく曲げた弓矢の弓を2つ組み合わせたような形態で、その下にレールを(複線ゆえ)2本吊るしている。千葉モノレールは懸垂式だから、列車はレールのさらに下を走るわけだ。駅前大通りは、駅前から正面に中央公園の木々が見えるように設計されていたそうだが、そうした先人の努力も水の泡である。りそなにとっても邪魔なだけかもしれないが、逆手にとって車両のラッピング広告などしてみたら、オーバーラップ効果があって面白いかもしれない。
 ここで、小雨がパラつき始めた。かなわんなあ、昨日の予報が雨だったから、わざわざ日延べにして今日に回したのに。折りたたみ傘を出すほどの激しい降り方ではなく、我慢するしかないから、余計にしゃくに障る。

 千葉支店の西側入口前に立った。この支店の入口は南側と西側の2か所にあって、キャッシュコーナーなどもあるメイン入口は南側である。支店の写真としては、ロゴ入りの板看板が付いている西側から撮った方が分かりやすいのだが、こういう場合はもちろんメインの写真と両方必要である。西側入口の前には車が1台ハザードランプを点けて停まっているから、とりあえず南側入口からにしよう。
 どこから撮ろうかと思いながら南側入口に近づくと、支店向かい側の中央公園では何やら工事をしていて、警備のおじさんがすかさず「ここは通れないんで、あちらをどうぞ」と手で誘導してくれた。それを無視するように(無視したわけではない)南側から写真を撮ったが、銀行店舗の写真としてはいま一つパッとしなかった。千葉支店の入るビルは、りそなと住友生命との共同ビルで「住生・りそな千葉ビル」というが、南側の入口にはビル名しか書かれていないのである。一応ガラス越しにりそな銀行の看板も見えるけれども、看板の付いている場所は表の自動ドアを入った内側で、メインの入口でありながら銀行の写真に見えにくい。西側に戻ったが、邪魔な車がまだいるので、制覇作業を先に済ませてしまうことにした。
 南側入口の自動ドアを入ったところは風除室だが、2階まで吹き抜けのガラス張りで、相当に金をかけているのがわかる。自動ドアをもう1枚くぐってキャッシュコーナーに入ると、ロビーにはよくわからない大理石のモニュメントが置いてあった。以前行った札幌支店や京都支店と同じ時期の新築だから、バブルの痕跡を残した高級志向が感じられる。協和銀行千葉支店として1964年12月に開設された千葉支店は、建て替えのため1991年11月仮店舗に移転し、現在の店舗は1994年5月から営業している。支店の大まかな場所は1964年の開設以来変わっていないようだ。
 ATM枠は7台分あるが、ATMは3台しかない。枠番でいうと左から順に1・2番が空き枠、3・4・5番に富士通FV20が入り、6番が空き枠で、7番が富士通の記帳機である。内装は旧あさひ銀のパイプデザインだが、機械の上に屋上屋を1つ作ってそこでパイプを無理やり断ち切っているから、キャッシュコーナーは部屋の中にさらに背丈の低い箱があるような形である。屋上屋はもちろんそういうデザイン処理で、屋根の上部には蛍光灯が上向きにつけてあって、間接照明装置を兼ねている。機械の並びは中央部が奥に引っ込んでいて、上から見ると緩やかな弓形になるように配置されている。機械上部の行灯プレートは当然のように緑色に換装してあった。制覇作業を行う。千葉支店の制覇は15:39のことであった。
 取引を終わらせた際、何気なくレシート用紙を見ると、やけに印刷の青色が薄いと感じた。裏面の製造年月を見ると、そこには「15.6」と印刷してあった。平成15年6月。こんな古い用紙がまだ残っているのかと少し驚かされた。

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2010年10月03日

2009.09.09(水)(26)千葉駅前の千葉中央支店跡

 15:14、私の乗った列車は千葉駅9番線に到着した。千葉駅到着は予定よりぴったり1時間早い。東西線のダイヤが乱れて焦りまくったのがアホみたいである。
 千葉駅は方面別に島式ホームが5本あって、一番南側(というか西側)にある1・2番線が総武緩行線(各駅停車)用。以下、内房・外房・総武・成田の各線に島式ホームが1本ずつ割り当てられている。東京から東に進んできたJRの線路が、千葉駅の手前で内房・外房方面と総武・成田方面とに大きく2つに分かれ、その股の部分に駅ビルがドンと建っている。ホームは高架上にあって、地平面の改札に繋がる通路が階下にある。「この電車は車庫に入る回送電車です」というアナウンスを聞き流しつつ、階段を下りた。
 駅舎に向かう幅の広い連絡通路は、内房・外房方面の1〜6番線と、総武・成田方面の7〜10番線との間にある。そこには、駅ナカのショップとして土産物屋などの本格的な屋台が多数並んでいる。「本格的な屋台」というのも変な言い方だが、常設の店舗に準じた頑丈そうなブースがたくさんあるのだ。ここへ来ると私はいつも、房総半島の玄関口として旅情をそそられる。千葉駅ビルは現在建て替え工事の真っ最中であるのだが、このブースの並びを残しているのは「よくわかっている」と言うべきだろう。
 ずいぶん長い屋台村を抜けて、ようやく東口改札へ出てきた。ここが千葉駅では一番大きな改札で、結構な人出である。改札を通って、「ペリエ」という名前の駅ビルを出た。総武線と外房・内房線とが織り成すY字の股の部分に駅ビルがあり、巨大なモノレールの構造物が駅の目の前に覆いかぶさり、そして大バスターミナルがある。駅ビルを出た目の前は、千葉都市モノレールの千葉駅である。ここは全国でも2か所しかない「モノレール同士の乗換駅」なのだそうだ。
 モノレールの駅からそれて、バスターミナルの横を総武線の高架に沿って抜けていくと、駅前の交差点に出る。この角に、かつてりそなの支店があった。旧大和銀の千葉支店だった千葉中央支店である。支店のあった「千葉駅前ビル」は今も健在であり、支店の跡はコンビニのエーエムピーエム(最近ファミリーマートに切り替わった)とファミレスのジョナサンになっている。千葉中央支店は、大和銀行千葉支店として1965年5月に開設され、あさひ銀行との合併に先立ち2003年1月に千葉中央支店に改称された。同年11月、旧あさひ店舗の千葉支店内に移転して支店内支店となり、システム統合を経て2006年6月千葉支店に統合されている。ビルの端にはりそなの店舗外ATM[千葉駅前](母店千葉支店)が残っていて、支店時代のキャッシュコーナーそのままのようである。内装が大和銀CI導入前の標準スタイルのままで、オムロンのATMが2台(JX青台とIX)ある。営業店では見られないような古いATMを使っている。<千葉駅前>と通帳に出るわけではないから、ここでの預金取引はしない。なお、ビルのテナント一覧に「1階 りそな銀行千葉支店」と書いてあるけれども、もちろん本物の千葉支店はここではない。ビルの持ち主がやることだから、書きたいように書けばよいけれども。
 それはともかく、ビルの前には駅前地下道に下りるエレベーターの建物が、さほどの大きさでもないのに写真を撮る上で「そびえ立って」いる。どうやって写真を撮ろうか、アングル的に少し困ってしまった。

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2010年10月02日

2009.09.09(水)(25)成田から千葉に入る

 成田支店の制覇はすぐに終わった。問題は制覇の後、JR成田駅から出る成田線千葉行きの時刻である。すぐに電車があればいいけれども。書き忘れたが、次の目的地は、千葉県の県都・千葉市の千葉支店である。
 京成成田駅のバス乗り場を横目で見ながら駅前通りを西へ進み、突き当たりで右折。すぐに「JR成田駅」交差点があり、そこで左に入るとJR成田駅に到達する。ここまでの道はすべて対面2車線であった。駅前広場には、ミスタードーナツが1軒。旅行会社HISの営業所があり、三井リハウスがあったり、マクドナルドが24時間営業をやっていたりというのは多少あるものの、ナショナルセールスの看板は少ない。地元書店が「駅前店」という名前の店を出している。
 さっきの京成成田駅も寺院建築のデザインを多少採り入れていると思ったが、JRの成田駅はもっと露骨に、お寺の建物のような外観をしていた。規模も京成より大きいようで、さすがJRの駅と言うべきか。駅前は一応ロータリーになっていて、中央にあるタクシープールの周りに車道部分を仕切る縁石があるだけのシンプルな作りである。タクシープール横にある幅1m×長さ3〜4mしかない植え込みには、樹木が盆栽のような感じで2本植わっている。いずれにしても土木工事らしきことはほとんどしていない。駅前に成田山の案内所があるのは、さすがだと感心した。京成成田駅前から出るバスは京成グループのバスばかりだったが、JR成田駅前には三里塚・多古・八日市場方面に行くJRバスの乗り場が見える。
 駅舎に入って、発車案内の電光掲示を見る。ここで私は一気に肝をつぶすことになった。千葉方面の次の電車は、2番線から出る14:42発の普通列車千葉行き。時計を見ると、今14:43なのである! もう時間を過ぎている。
 私はほとんど脊髄反射的に自動改札を通り、エスカレーターを駆け降りた。ホームには昔懐かしい113系電車の4両編成が停まっていた。千葉県であるので、車体はベージュと紺色のいわゆる「横須賀色」に塗られている。エスカレーターを降りたところはちょうど編成の最後部であった。車掌がまさに発車の合図をしようとしている。乗務員室に近い一番後ろのドアから、かろうじて中に飛び込んだ。ほどなくドアが閉まり、電車はゆるゆると発車していった。
 これは夢かまぼろしか。この電車の次の千葉方面は15:14発の快速久里浜行きで、14:42発に乗れなかったら30分も待たされたことになる。事前のプランによると、成田発は15:43のハズだったから、何とこれで予定より1時間も早い電車に乗れてしまった。1時間早く進行すれば、それだけ日没時間の影響から免れる可能性が高くなるし、何より気持ちに余裕が出てくる。実際には、時間の余裕が多少できたとしても、代わりに別種のアクシデントに見舞われてトータルでは同じになってしまうことが多いのだが、時間ぎりぎりの時にもトラブルに見舞われる可能性はあるわけだから、それよりは遥かにマシだ。というわけで、この展開は私にとっては理想的と言える。

 千葉までのJR成田線では、これまでの緊張感が一気に解けてしまったのか、30分の乗車時間中は窓の外を見ながらぼんやりしていた。
 成田線は、京成本線よりいっそう人里離れたところを走るようで、車窓風景は佐倉を過ぎるまで田園というよりも「山村」に近いものであった。成田線が総武本線に合流するJR佐倉駅は、市街地からかなりの距離があり、中心地にある京成佐倉駅までは徒歩40分ほどかかるそうだ。JR佐倉駅前にはかつて北海道拓殖銀行が佐倉支店を出していたが、中央三井信託銀行になって1年ほどで統合された。
 少し住宅が増えてきたかな、と思うあたりが四街道市。平成の大合併では千葉市と合併して「千葉市四街道区」となる話もあったそうだ。四街道駅前には三井住友銀が四街道支店を出している(旧太陽神戸銀)。これを過ぎるといよいよ千葉市に入る。最初の駅・都賀(若葉区)を出たところで、右車窓にモノレールの高架が見えた。都賀は千葉都市モノレールとの接続駅である。最近「MEGU」ではモノレールづいていたが、今日はモノレールには乗らない。ほどなく高速道路(京葉道路)をまたぎ、このあたりからマンションがドカドカと建ち始めた。高速道路が近いだけに、ロードサイド型の商業が大きく栄えている。
 東千葉駅を出てすぐ、車庫のように線路がたくさん並んだ施設の横を通り抜けた。もちろんJRの車庫として使われているのだが、ここは現在の千葉駅が1963年に稼働を開始するまで、千葉駅そのものだった場所である。かつて、総武線東京方面から外房・内房方面に直通する列車は、ここまで乗り入れてきてスイッチバックしていたが、千葉駅を500mほど東京寄りに移し、両者が駅の中で分岐するように改められた。というわけで、東千葉駅の近所は千葉市の旧市街にあたり、通りから一歩奥に入ると、飲み屋や風俗店などが多く見られるという。
 いよいよ千葉駅に到着である。この時点では知らなかったのだが、JR東日本千葉支社は、113系電車の廃車を本格的に始めた。房総管内(千葉以東)の電車は、2011年度末までに、京浜東北線で使用していた209系電車で統一されるという。車庫を眺めたとき兆候はまるで感じ取れなかった。

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2010年10月01日

2009.09.09(水)(24)成田支店と新勝寺

 特急が到着した5番ホームは、駅舎に一番近いホームだから、旧国鉄のホーム付番法でいうと「1番線」になるハズだ。向こう(東)の方には島式ホームが2本並んでいるから、京成成田駅は本屋(駅舎)のある片面だけのホームに島式ホームを備えたいわゆる「国鉄型の配線」に、島式ホームがもう1本プラスされた構造に似ている。
 ホーム先頭寄りにある改札を出た。京成成田駅は成田山新勝寺に一番近いところに駅舎があって、成田市の玄関口というよりは、成田山の参拝客を相手にした駅のようである。「ようである」というか、京成本線はもともと成田山の参詣客を輸送する路線として建設されたのだから当然だ。成田山は平将門の乱を制圧するため940(天慶3)年に創建された寺で、現世利益の本尊を持つ。ここを参詣する「講」(同志の集まり)が全国に結ばれており、この地には江戸時代中期の宝暦天明年間(1781〜89年頃)にはすでに門前町が成立していた。箱型で鉄筋コンクリート造りの京成成田駅舎には屋根がついており、その端っこは微妙な角度で少しだけ持ち上げてあって、明らかに新勝寺らしき寺院建築のデザインを取り入れている。駅の2階には、地元の学習塾「市進学院」と不動産業者、コンタクトレンズ店、それに飲み屋が2〜3軒入っている。
 駅舎を一歩出ると、駅にまっすぐ突っ込んでくるように見える京成成田駅へのアプローチ道路は、駅の手前で滑らかな左カーブを描いていて、曲がる途中から下り坂になるのがわかる。坂が始まる境界ぎりぎりのところに、道路と45度くらいの角度を成して、横に細長い2階建ての京成成田駅舎が建っている。道路と駅舎との間にできた直角三角形のスペースは、バスやタクシーの乗り場になっている。待合所の細長い小屋に横付けするスタイルのバス乗り場は、この地方独特の感じがする。一般車はアプローチ道路からそのまま乗降するらしく専用のスペースはない。手狭というか、高密度な駅前風景である。
 りそなとみずほ銀の成田支店が駅前に隣り合ってあるのが、駅舎の中から見えていた。成田には何度か来たことがあるから、京成成田駅前に銀行が2軒あるのはもちろんよくわかっている。みずほ銀の支店は改装されてしまったところが多くて、成田支店も旧銀行がどちらか分からなくなっている(一応調べた限りでは旧第一勧銀であった)。りそなの支店は2階建てのようだが、2階上部の壁が異様に高くて3階建てのように見えなくもない。前回来た時2階には英会話の「NOVA」が入っていたが、「レオパレス21」の営業所になっている。1階のりそなと2階のレオパレス以外にはテナントが入っていないようだ。
 りそなの制覇を済ませよう。道路に面したキャッシュコーナーの入口ドアは、今時珍しく「押」というプレートのついた手動のドアであった。窓口室側の入口だけ自動ドアになっているところに、古い店舗運営思想が感じられる。ロビー係の女性が(りそなには珍しく)若い女性だったのが印象的であった。窓口ブース上部の行灯表示は、シルバー地にブルーの線が入った大和銀時代のものが健在。キャッシュコーナーも大和銀時代の「CI導入後スタイル」のままで、シルバー地にブルーの線が濃淡2本入っている。5台のATM枠には機械が3台。一番左と一番右が空き枠であるが、枠の番号はどういうわけか、一番左を飛ばして2番目から1234と続いていた。ATMはオムロンJXの白台が2台とリーダスAK-1が1台である。通帳記帳機は配備されていないようだ。機械を操作。14:36、成田支店を制覇した。

 成田支店は、大和銀行成田支店として1971年9月に開設された。支店は当初JR成田駅の駅前ロータリーに面した場所にあったが、1976年7月現在地に新築移転してきた。大和銀時代末期の2001年6月に船橋支店成田出張所に変更されているが、5年後の2006年7月成田支店に再昇格した。
 ところで、ウオッチャーとして旧協和銀行の歴史をある程度知っている者としては、協和が成田に支店を出さなかったのが不思議に思える。協和は昭和40年代に旧不動貯金銀行の創始者・牧野元次郎にちなんだ土地でいくつか新規出店していたとみられるが、成田は(出生地の玄関口である木更津市以上に)牧野にゆかりの土地といえるからだ【注】。成田山新勝寺の附属図書館である「成田山仏教図書館」は、PR誌『ニコニコ』など旧不動関連の文献を多数所蔵しているが、蔵書の傾向からすると、旧不動行員のOB会「不動会」あたりが寄贈したものと推察されるから、旧不動の関係者も何らかの形でそのことは意識していたに違いない。ともあれ、不動の後身の後身であるあさひ銀行が、大和銀行と合併して成田支店を持つことになったのは、不思議なめぐり合わせを感じさせる。

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 【注】牧野元次郎は貧しい幼年期を過ごしていたが、成田山新勝寺の住職に学力の高さを見出されて東京商業学校(現一橋大学)に進学し、病気で中退して帰郷した後は現成田市で地方銀行頭取の任に就くなどした。協和が新規出店地に牧野ゆかりの地を選んでいたとみられる事情については、当ブログ2009.09.09掲載「2008.09.10(水)(9)西鎌倉と不動貯金銀行」参照。
カテゴリ一覧(過去の連載など)
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りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇(51)
りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇(35)
りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇(8)
りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた(18)
りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動/銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇(20)
りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー(11)
りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ(47)
りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇(51)
りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
りそめぐ2007秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる(35)
2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)