2011年11月30日

2008.11.14(金)(17)せんげん台支店を制覇

 せんげん台支店の写真を撮る。時間的に太陽がだいぶ高く上がってきていて、写真はいささか逆光気味になってしまった。
 ここは協和銀行と合併した後で新築された店舗なので、入口の自動ドアは外側に向かって半円筒形となり、内側にも平たい両開きの自動ドアと、二段構えになっている。この丸い自動ドアというのは協和銀行時代の末期、浅草橋支店あたりの設計センスと同じである。協和の店舗なら、大口融資先だった青木建設(現青木あすなろ建設)あたりが施工しただろうが、埼玉ではどこの建設会社が建てたのだろうか。
 キャッシュコーナーのATMは2台・7台・2台という配列になっており、機械の並びは全体としてなめらかなカーブを描いている。機械のない部分は嵌め殺しの壁で、おそらくそこには柱があるのだろう。もちろんATM枠はあさひ銀行時代のパイプ形デザインである。1枠ごとの幅が広めにとってあり、パイプ端頂のキャップは銀色、行灯のプレートは緑色に換装済みである。全枠が機械で埋まっており、一番左が両替機、ATMは一番右の1台(ファクトVモデル20)を除いて全部モデル10で、台数としては両替機+ATM10台ということになる。これらとは別にモデル10ガワの記帳機が1台置いてあり、窓口室側にはテレビ電話のブースもあった。コールセンターと通話して住所変更などの諸手続きができるのだが、窓口の営業時間中しか開けておらず、設備としてあまり意味が感じられないように思う。10:19、せんげん台支店を制覇した。
 せんげん台支店は、埼玉銀行せんげん台支店として1982年10月開設された。この地域の区画整理事業は1981年12月の完成で、支店の開設もそれに合わせたようである。当初は越谷市千間台西1-1-1(駅前のモスバーガー入居ビルの場所)にあったが、あさひ銀行になってからの1993年4月、現在の店舗(千間台西1-5-17)に移転した。

 ここまで、基本的には駅前立地の店ばかりであり、電車を使ってサクサクと制覇が進んできた。ヤマ場がなくていまひとつ面白くなかった気もするが、次の目標である武里支店(春日部市)は、せんげん台駅と武里駅の中間にあるので、歩いていかなければいけない。これが「予定されたヤマ場」の一つで、第2のヤマ場というか「予定外のヤマ場」は、さっき電車に乗り間違えたことだろうか。
 武里支店は、せんげん台の北、公団武里団地の中心にある。武里団地は1966〜67年の開発で、公団の団地の中で突出して古いわけではないが、ものぐさの私が歩いていこうと考えるほど距離的にせんげん台駅から近接している。武里支店が2000年代の苛烈な支店統廃合の嵐とも無縁できた(いまだ支店のまま残っている)のは不思議に感じるが、まあ現地を踏んでみないとわからないことがあるのだろう。そういえば武里支店も「あさめぐ」以来で、りそなになってから1度も来ていない。

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2011年11月29日

2008.11.14(金)(16)温泉と歌声喫茶の町

 10:07、せんげん台到着。本来は10:04発だそうで、正規の時刻では当初予定より18分早いことになる。定時から3分遅れているから、差し引き15分の早着だ。なお、駅名はひらがな書きだが、駅周辺の地名は漢字で「千間台」と書く。「せんげん」という地名は富士山信仰の名残であることが多いが、当地はどうなのだろう。近所に「浅間(せんげん)神社」等はないようだ。
 自動改札が並ぶありふれた改札を出ると、斜め前方にマンションが何棟も建っているのが見えた。せんげん台駅は島式ホーム2本の上に橋上駅舎がかぶさっており、大都市の私鉄駅としては典型的なスタイルをしている。駅ビルと橋上駅舎が一体でなく別々になっているところがやや古い設計思想で、駅と駅ビル「トスカ」とは跨線橋でつながっている。駅ビルに入ってすぐ東武ストアの入口があって、そこを直角に曲がってもう1回階段を降りると駅前のロータリーに出る。階段を降りた左側はケンタッキーフライドチキン、右側に駅ビルの入口とチェーンの喫茶店(ポッカ系の「カフェ・ド・クリエ」)がある。
 駅前ロータリーは面積的にはかなり大きい。とにかく幅がかなり広いのだ。中は20mぐらいの幅で3等分されていて、タクシープールがあり、バス乗り場があって、大木が3〜4本立つ緑地帯がある。駅前の有料駐輪場には「かすかべ湯元温泉」と大書したゲートのようなものが見える。最近流行の温泉保養施設だと思うが、看板の周辺にそれらしき建物がないから、単に温泉地の雰囲気を出すだけだろう。その向こう側に、もう埼玉りそなが見えている。
 信号のない駅前交差点からまっすぐ西に向かう道は、千間台駅西口線という。3車線ほどの道幅があるが、中央をゼブラ模様で大きく塞いで対面2車線の道路になっている。埼玉りそなの隣は焼肉の安楽亭、その隣にココ壱番屋などの入った雑居ビル。あと目立つのはパチンコ屋で、駅の周囲にはパチンコ屋が3〜4軒ある。この道をさらに行くと、公団の団地があるそうだ。道には雑居ビルが多少面しているが、商店街とは言いにくい。道幅がなまじ広いせいか商業はあまり栄えていないようで、この付近の住民は日常の買い物は全部スーパーに行くのだろう。駅の中に東武ストアがあるし、この道を西に進んだ先にはサティ(現イオン)が見えている。
 駅前交差点の角には、ファミレスだったらしい建物が建っている。現在では喫茶店になっているようだ。歌声せんげん台、次回は11月27日、どうぞ直接ご来場ください、という掲示がある。歌声喫茶というものらしいが、私は団塊世代ではないのでよく知らない。その隣りには、みずほ銀と三菱東京UFJ銀の店舗外ATMが2行相乗りで入ったビルがある【注】。みずほ銀([せんげん台]越谷支店)は店舗外ATMでありながらATM5台を配備しており、異様に規模が大きい。三菱東京は[せんげん台駅前]といい、越谷駅前支店が母店ということは旧三菱店の出張所である。なお、駅の反対側に行くと栃木銀の支店があるが、埼玉りそなは東口には店舗外ATMすら出していない。

 【注】みずほ銀の店舗外ATMは、同行せんげん台支店開設のため2010年2月廃止された。支店の開設場所は埼玉りそな銀行せんげん台支店の向かい。みずほ銀(旧富士銀)はせんげん台駅ビル内に支店を出していたが、2003年12月に統合していた。

2011年11月28日

2008.11.14(金)(15)北越谷から千間台へ

 制覇を終えて北越谷駅に戻り、ホームに上がった。電車を待つ間、駅の西側に広がる風景を見る。駅前から対面2車線の道路が1本、西の方角にダーッと延びていて、オリジン弁当・笑笑・マツキヨと、いかにもありがちな店舗がある。こちら側はマンションが1〜2棟ぽつぽつと建ってはいるけれども、それよりは2〜3階建ての店舗兼住宅のような建物が多く並んでいる。そのような中ひときわ目立つのがスーパーのライフであって、あそこの前には[北越谷西]という旧協和銀行が作った店舗外ATMが現在も現役で稼働している【注1】。それから「ひがしん」こと東京東信用金庫の北越谷出張所(旧東武信金北越谷支店)。あとは学習塾が多いのが新興住宅地らしいといえよう。
 建物が少々密集してはいるものの、駅前でありながら舗装されただけで使われていない土地もあり、東口よりは密度が薄い。開発がある時点で止まってしまったのだろうか。

 北越谷09:59発の区間準急久喜行きに乗った。相変わらず4分ほど遅れている。列車種別に「区間」とついているのは、地下鉄半蔵門線に乗り入れずに浅草を発着する電車で、車両も当然東武の車両となるが、乗った電車は本線では見かけることが少なくなった【注2】8000系であった。少なくなったといっても、この後乗る野田線では全部の列車がこの型であり、まだ引退のカウントダウンが始まったというほどではない。
 北越谷で高架複々線区間が終わったと思ったら、次の大袋までの間に地平に下りてしまった。大袋は駅の西側が重機で徹底的に掘り崩されており、再開発がこれから進んでいくようだ。高度成長期の新規開発のような、いかにも「ブルドーザーで」開発しているという雰囲気で、鉄板で囲ったり等していないし、開発の仕方がいまひとつソフィスティケートされていない。西側に東京東信金の支店がまた見えた。大袋支店(旧東武信金)。東京都墨田区に本店があるこの信金は、千葉県佐倉市にまで店があり、合併した信金とはいえ営業エリアの広さに驚かされる。信金といえば、大袋駅の東側には埼玉県信用金庫の支店もある。この支店はかつて、プロゴルファー・石川遼の父親が支店長をしていた店である【注3】。

 【注1】北越谷西出張所は2010年3月廃止された。
 【注2】2009年度をもって、伊勢崎線館林以南・日光線南栗橋以南での8000系の定期運用は終了したという。
 【注3】石川遼選手の父親・勝美氏は、埼玉県信用金庫に勤めている。大袋支店長は2005年6月〜2007年6月。

2011年11月27日

2008.11.14(金)(14)北越谷支店を制覇

 制覇の前に支店の写真を撮ろうとしたが、近所にあるレジャー施設の送迎バスが邪魔している。地味な色ならバスを避けてカメラを構えるところだが、あいにく黄色と青という派手派手な色彩で、写真に写し込みたいとは思わない。仕方なく制覇を先にしようと支店の方に歩き始めたところで、バスが動き始めた。出るならあと数秒早く出てほしかった。ベストポジションから離れてしまったではないか。
 支店に入る。ATM8台に、通帳記帳機と両替機がある。建物南西角が支店の正面入口で、そこから左側の壁に沿ってATM4台が並び、内部との連絡ドアがあって、直角に曲がって4台+記帳+両替という並びになっている。機械枠は松原などと同じあさひ銀時代のパイプデザインで幅の広いタイプ、頂端のキャップは銀色で、行灯のプレートは緑色に換装済みであった。機械の配置は、左側の壁4台が富士通FV20、かっくんと直角に曲がって4台がFV10である。直感で「ATM9台」と思ったが誤りで、1台はFV10ガワの記帳機であった。いかにも記帳機といった外観のりそなと異なり、埼玉りそなは記帳機のガワがATMと同じであるから区別がつきにくい。09:56、北越谷支店を制覇した。
 北越谷支店は、埼玉銀行北越谷支店として1973年9月に開設された。当初は駅前交差点の南東角(越谷市大沢3-12-16、現道路用地)にあったが、1976年11月現在地(3-8-5)に移転した。

 駅の周辺は朝のラッシュも終わり、すっかり長閑になっている。駅の周辺を歩く人は専業主婦とか高齢者が多くて、働いている人は少ないようだった。
 駅から西に向かって歩く女子大生だけがファッショナブルだった。文教大学の越谷キャンパスは、北越谷駅から北西へ徒歩10分ほどのところにある。「りそめぐ」で松原団地と北越谷の2つの駅に降り立っただけで、伊勢崎線沿線にある2つの私立大学は相当にカラーが違うとわかる。私の中では、グレーの独協大、原色トロピカルの文教大、といった色のイメージがある。受験時代の印象では、独協大には非常に真面目な印象があって、実際に外国語学部の偏差値は極端に高かった(今はどうなっているか知らない)。文教大の色が私の中でトロピカルなのは、名前も覚えていないある女性の印象だと思う。何度目かの浪人時、大学入試の本番がたけなわの頃のこと。予備校で同じクラスだった顔見知りの女子生徒と電車で乗り合わせた際、彼女の服が上下とも黄色だったのだ。彼女はその時文教大を受験してきたと言っていて、たぶん実際に進んだと思う。
 かつての「あさめぐラー」としては、文教大は印象の強い大学であった。文教大のもう一つの主要校地である湘南キャンパス(神奈川県茅ヶ崎市)に、私は行ったことがある。なぜかというと、あさひ銀の店舗外ATMがあったからだ([文教大学]藤沢支店)。あさひは大学キャンパス内にある店舗外ATMの一部を「企業内ATM」の扱いとしていて、[文教大学]についても店舗一覧には掲載されていなかった。当時「あさめぐ」をやっている人のコミュニティでもあったら、さぞ鼻が高かったのではないか。そんな思い出に一瞬耽る。

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2011年11月26日

2008.11.14(金)(13)再開発の終わった北越谷

 どうも今日は東武線のダイヤの調子がいまひとつ良くない。越谷から乗った電車は09:37発の区間準急北春日部行きだったが、やはり3分ほど遅れてきた。東武は普段もう少しパンクチュアルに電車を運転していると思う。蛇足ながら、「区間準急」で北春日部行きは、沿線住民でない私には珍しいと感じられた。北春日部には車庫があるから別に珍しくはないのだが。
 越谷を出ると、車窓から見える緑の量が少し増えたように思う。09:42、北越谷に到着。各駅停車しか停まらない駅だが、島式ホームが2本ある。北越谷は大阪でいうと京阪萱島のような駅で、ここで複々線が終わるから、このスタイルはこの駅までだ。
 乗ってきた車両が前から2両目だったので、北越谷支店の建物2階外壁部分についている「埼玉りそな銀行」の板看板が、ホーム外壁のガラス張りの向こうに見える。支店は北越谷の旧市街である東側にあって、駅前広場の北側である。私が仮面浪人時代に世話になった師匠は、亡くなった時に北越谷駅近くの寺で葬儀を行ったのだが、1992年1月に葬儀のあった時点でセットバックがすでに半分ぐらい進んでいたのを覚えている。「あさめぐ」で来た1998年には再開発がおおむね出来上がっていたと記憶しているが、その後は駅前に立派なビルが建ったのを車窓から見て知っているだけだった。考えてみたら、北越谷には「あさめぐ」以来来ていないのか。
 高架ホームから下りてきた。180度曲がって改札を出る構造はこれまでと全く同じで、高架駅はどこもかしこも似たような雰囲気である。しかも、松原団地と同じように若い男女が多い。文教大学があるせいだが、さっきの独協大と比べると服装がカジュアルな学生が多い気がした。

 駅の東口に出た。ロータリーの南側に、「パルテきたこし」という再開発ビルが覆いかぶさるように建っている。20階を超えるマンション下の商業施設部分には、足利銀行・マクドナルド・ドトールコーヒー・東急ストアと店舗が見える。東急ストアが埼玉県にまで進出している。栃木県のトップバンク・足利銀行は、この店が「越谷支店」である。
 高架下は越谷と同様「ファイン」という商業施設になっている。東武は高架下の商業施設をこの名前で統一しているようだ。店舗【注】は、とんかつさぼてん、ザ・どん、無名のヘアサロン。「ザ・どん」はダスキンが運営する丼ものチェーンで、関東ではここの他には多摩センター(東京都多摩市)で見た記憶しかない。その隣に金融機関の店舗外ATM(栃木銀・ゆうちょ銀)がある。ゆうちょ銀の母店はさいたま支店、栃木銀は越谷西支店だそうだ。ゆうちょのATMに用があったのでこの部屋に少しだけ入った。
 ロータリーの中心は一応タクシープールになっていて、数本の樹木が植わっている。越谷駅と比べるとやはり小規模で、発着する車の台数が多くないとみえる。バス乗り場は駅舎寄りに1か所と、ロータリーを足利銀側に寄ったところに1か所。主要なバス会社は茨急バスという東武系の会社で、車を見ると千葉県の野田ナンバーであった。系統は東武野田線の野田市駅行きと、「エローラ」行き。エローラは北葛飾郡松伏町の公民館兼町営音楽ホールの名前だそうで、由緒ある名前なのだろうが、平均的日本人はおそらく最初の2文字にしか目が行かないと思う。これに乗ると松伏出張所の近所まで行けるのであるが、今日は行かない。なお、もう1本のバス停からは、茨急バスの他、やはり東武系の朝日バスの路線が出ているようだ。
 目指す北越谷支店は、駅前ロータリーに面した場所にドンと建っている独立店舗である。

 【注】ここに書いた高架下の店舗は、栃木銀とゆうちょ銀を除き全て閉店済み。北越谷駅の高架下は、2010年秋頃にテナントの総入れ替えを行ったようだ。

2011年11月25日

2008.11.14(金)(12)越谷の町とともに移動する越谷支店

 越谷支店は旧埼玉銀行の店舗であるが、その源をたどると1909(明治42)年5月にまでさかのぼり、東京にあった日進銀行【注1】が越ヶ谷支店として開設したものである。日進銀行は1926(大正15)年3月に第百銀行【注2】に買収され、越ヶ谷支店も第百銀行の支店となった。さらに越ヶ谷支店は1939年8月、忍商業銀行(本店現行田市)に営業譲渡されて同行の越ヶ谷支店となり、埼玉県内4行の合併を経て埼玉銀行の越ヶ谷支店となった。1960年12月、越谷市越ヶ谷2-4-28に新築移転し、支店名はその際「越谷支店」と改められた。協和銀行と合併後、あさひ銀行時代の1998年5月に越谷駅前支店(旧協和銀越谷支店)を統合。その後、協和銀跡地に新築した現在の店舗に移転して、2000年11月営業を開始した。

 越谷はもともと日光街道の宿場町で、明治期には現越谷駅北東の街道沿いが賑わっていたが、繁華街は100年くらいかけて徐々に鉄道の駅に接近してきた。越谷支店の沿革を見ると、ここ100年間の町の動きに合わせて位置を変えているのがわかる。
 越谷支店の元の店舗は、現在の越谷市越ヶ谷3-5-7にあった。1923(大正12)年築の日進銀行時代の建物がつい最近まで残っていて、米屋の倉庫として使われていたそうだが、現在では取り壊されている。この近辺には、さぞかし大重量であろうと見える屋根を持つ、土蔵のような古い商店建築が現在でもポツポツ残っている。埼玉県信用金庫の越谷支店は、こちらの「古い旧市街地」にある。
 埼玉銀越谷支店は、1960年に越ヶ谷2-4-28に移転した。これが現在の店舗に移転する前の地で、その場所は現店舗と旧店舗とのちょうど中間、移転としては南に150mほど動いたことになる。この跡地は現在「越谷市役所線」という道路の用地として除却され、公園のようになったまま現在に至っている。今後行われる再開発では、市役所までの大幹線道路を整備するのであろう。最初の所在地もそうだが、周辺はいかにも地方都市然とした、人通りの少ない商店の並びである。
 さて現在、埼玉りそな銀行越谷支店は、協和銀行越谷支店の跡地(越ヶ谷2-2-40)にある。旧協和銀行は1968年3月に越谷支店を出店した。この地域の都銀出店第1号である。この場所は駅から若干距離があるが、旧協和の好きな「ドブ板営業スタイル」からは理想的な土地であった。旧市街の個人商店街を中心に営業するスタイルからすると、駅と旧市街とを結ぶ「一等地」だったのである。その後旧市街が衰退し、一方で駅前が栄えてきて、他の都市銀行が駅前に多数出てくると、協和の立地も都銀としてはやや輝きが失われた。時は流れて、協和が埼玉銀と合併して協和埼玉銀行になると、越谷駅前支店(旧協和銀越谷支店)の立地場所は、地元銀行としては駅と旧市街との間の重要地として脚光を浴びることになった。前述のとおり越谷駅前支店は1998年5月に越谷支店に統合されたが、旧協和の店舗をつぶして新たな店舗を建築、2000年11月越谷支店は移転してきた。
 結局越谷支店は、越谷の中心市街地の動きに合わせて100年間に2回の移転を行い、支店の場所もトータルで300m南に移動したことになる。越谷に関しては、旧協和と旧埼玉の合併効果がきれいに表れた例とも言えそうだ。

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 【注1】日進銀行:1907(明治40)年3月8日設立。本店東京市浅草区花川戸町(現東京都台東区花川戸)。本店と越ヶ谷支店のほか、東京の下町に4支店を持っていた。
 【注2】第百銀行:1878(明治11)年9月国立銀行条例に基づき東京都日本橋区(現中央区)に開業、1898.08普通銀行に改組、1927.09川崎銀行と合併し川崎第百銀行。1936.11第百銀行に改称、1943.04.01三菱銀行に合併。

2011年11月24日

2008.11.14(金)(11)再開発前夜の越谷市街

 越谷に09:23到着した。定時ではこの駅09:21発だが、2分遅れと思ってはいけない。越谷駅では、各駅停車の停車時間は急行待ちのため長いのである。やはり6〜7分の遅れであろう。それはともかく、もう上りのラッシュは終わったようで、駅の中は閑散としているし、上りホームにも人はほとんどいなかった。
 越谷駅は草加と同じような感じで島式ホームが2本並んでいて、それを両側から挟むように通過線が外側にある。階下に改札があるのは他の高架駅と変わらないが、ここはエスカレーターを降りてから改札までの距離が他の駅よりもほんのわずか長い気がした。改札前は自由通路になっていて、改札から通路を挟んだ向こう側に「ファイン越谷」という高架下の商業施設が広がる。中に埼玉りそなの店舗外ATMがある([ファイン越谷]越谷支店)。
 越谷駅を出るときには東口ばかりで、西口からは出たことがない気がする。支店のある旧市街側が東口だからで、今日もまた西口に用はない。東口は、駅前にロータリーがあるのはさっきの草加とそっくりだが、草加と違って再開発ビルが駅前にドンドーンと建っているわけではない。再開発は草加より遅れているということになるが、変な再開発ビルを建てるよりは、そのままにしておいた方がいろいろな意味でいいのかもしれない【注】。ロータリーの中心は、枝を広げた大木1本を中心に潅木がたくさん植わった緑化スペースと、タクシープールになっている。越谷駅前から出るバスは2〜3系統しかないようで、系統がさほど多くはない。目の前の三菱東京UFJ銀行は、内装が木目調であるから旧UFJ店舗(旧三和銀)である。
 東に向かう駅前通りは県道越谷駅前線、通称を「市役所前中央通り」というらしい。通りの北側は、空きビルになった建物ばかりである。入口ドアに旧三菱銀行特有の取っ手がそのまま残った店が、空き家のまま風にさらされている。その隣の空きビルも確か銀行だったハズで、後で調べたら大通りに面して三菱銀行と東海銀行が隣り合っていたようだ。通りの先には三井住友銀行がある。越谷支店は旧住友銀行の店舗だが、ATMは旧さくら銀行に多かった沖電気の製品を使っている。三井住友銀の隣は住友信託銀行の越谷支店で、越谷では住友グループの金融機関が2軒並んでいる。旧三和と旧住友の間に自転車預かり屋があって、地方都市らしい雰囲気をかもし出している。遠い場所から自転車に乗ってきて、この店に預けて出勤ないし登校するわけである。
 とにかく、駅の周辺は空きビルと空き地ばかりである。携帯ショップなども閉店になったまま放置され、また駐車場になっている更地も多い。無人のまま放置されているところをみると、このエリアは大規模に除却して再開発ビルでも建てるのだろう。人の流れという点から言うと、再開発中のせいかもしれないが明らかにまばらで、空洞化が急速に進んでいるように見えた。

 埼玉りそなの建物は、駅前通りの他行店舗前あたりから見えている。正面からはガラス張りの「やけに薄っぺらな建物」という印象だが、実は奥行きは結構あるのだ。というのも、この支店の建物は、駅に面した側の奥行きの浅いキャッシュコーナー部分と、その後ろの立方体に近い建物とで構成されているからである。背後から回ってみると全然印象が違う。もっとも、背後はいかにも裏口という感じで、壁でベッタリ覆われているから、あまり「絵」にはならない。裏口横の駐車場は有料の「タイムズ」になっていて、ATMを利用する客は平日休日とも20分間無料だそうである。この時間設定は妥当なのかセコいのかわからないけれども。なお、駅前通りを挟んでSRの向かい側は、武蔵野銀行の越谷支店である。
 目指す埼玉りそなの支店に入る。入口は半円形の風除室、つまり松原支店と同様の、平面の両開き自動ドアと半円形のそれとの組み合わせである。建物の東西に細長いガラス張り部分に、ATMの枠が一直線に並んでいる。枠のデザインはおなじみパイプ形デザインで、左端の1番から14番までATM機の幅よりも枠の幅を広く取ってある。パイプの頂端にキャップはついていない。行灯のプレートは緑色に換装されている。ATMは9台あって、左端の1番から9番まで。富士通ファクトVモデル10が7台、同モデル20が2台という機械構成である。その右側に2台分の空き枠があって、両替機、記帳機、ロビー入金機と並んでいる。10番から右側は、機械の幅に応じて枠の幅が違っている。記帳機はSR標準の「FV10ガワ」、両替機は幅の広い大型が入っている。ロビー入金機の前は、衝立とドアで仕切ってあった。
 09:32、越谷支店を制覇した。

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 【注】駅前北東側は、再開発のためほぼ全て更地となり、2012年完成予定でタワービルが建設中(2011.11現在)。

2011年11月23日

2008.11.14(金)(10)牛丼を食して物を思う

 南越谷へ先に行ってしまったから、次の目的地は越谷支店となる。無駄な動きをしているが、それでもまだ時間的には若干の余裕がありそうだ。松原団地を9時ちょうど頃に出る電車に乗れれば、当初プランに乗っかることができるハズだ。
 駅前で吉野家の看板を見てしまって、空腹が我慢できなくなった。軽く腹ごしらえしてから行くことにする。吉野家は朝のこの時間でも牛丼をやっているのが良い。当たり前だと思うかもしれないが、私は、モーニング時間帯にハンバーガーを売らない某大手ハンバーガーショップに対して、中学生の頃から失望感を抱き続けている。パテを焼くグリドル(鉄板)など、20分もあれば掃除は終わるハズだし、グリドルが使えないのならオーダーごとにフライパンでパテを焼けばいいだけの話だ。ハンバーガー屋でハンバーガーが買えないのはいかがなものか、と思うのである。そんな吉野家は、牛丼ナンバーワンだと思っていたら、最近店舗数で「すき家」に抜かれてしまったそうだ。

 食べ終わって乗ることになったのは、09:10発の東武動物公園行きであった。ホームに上がると目の前で09:00発の北越谷行きが出てしまい、10分待ちになった。
 遅れた理由は、牛丼屋で料理の出てくる順番が前後したためである。牛丼を注文して待っていたところ、後から来た客の定食が先に出てきたのだ。前後したこと自体は詫びてもらったから問題にはしないのだが、あれがなければ北越谷行きに乗れていたのに。こう思ってしまう私は、やはり「短気」なのであろう。
 吉野家の店員は、私と同い年ぐらいに見えた。このぐらいの年齢になると、さすが接客業の何たるかが分かっている。サービス提供の順番が前後したとき、客に対して直ちに詫びの言葉が出てくるのは、接客業には欠かせない気配りだと思う。些細なことかもしれないが、この程度のことが出来ない店員があまりに多い。気配りができないどころか、私が過日行ったコンビニ某店では、接客に不備があって文句を言ったところ、逆に店員から突っかかられ、最後に「死ね」とまで言われてしまった。日本の接客業は、ここまで堕ちている。

 ホームで時間をつぶす間、時刻表を眺める。この駅の上り電車は、ほとんど全部が中目黒行きである。それ以外では、浅草行きが朝夕に1時間1本ぐらい。23時以降が全部浅草行き。あとは基本的に全列車が日比谷線直通だ。日比谷線は、本質的には足立区民と草加市民のためにある地下鉄なのかもしれない。
 09:10発の東武動物公園行きは、なかなか姿を見せなかった。上りは約3分遅れているというアナウンスがあり、12分頃に09:09発が出たばかりだが、下りはどうなっているのだろうか。1本前の09:00発が時間通り発車したため乗れなかったのに、どうしてその次が5分以上も遅れて来るのだ。結局、私が乗る下りの09:10発は、上りの09:16発が時間通りに発車した後、やっとやって来た。
 どんより曇っていた空に、日が差してきた。絶好の「めぐ」日和ということになるのだろうが、空模様に似つかわしくなくイライラの連続である。

2011年11月22日

2008.11.14(金)(9)松原支店を「ようやく」制覇

 ロッテリアの横にある自動ドアから松原支店に入った。風除室内側の自動ドアは円筒形をしている。ノーマルな平面両開きの自動ドアに半円形の両開きを組み合わせて風除室とするのは、旧あさひ銀行が好んで店舗に採り入れたスタイルである。
 キャッシュコーナーの機械の並びは直角2方向(前方と右側)で、その横にテレビ電話のブースが置かれている。機械の枠はあさひパイプ形デザインで、ATM1台ごとの幅が中程度、つまり「やや広め」程度である。突端のキャップは銀色、機械上部の行灯プレートは緑色のものに換装済みであった。機械枠は17番まである。1番の枠は通帳繰越機、2番が両替機、3番が空き枠。4番が欠番となっているが、恐らくその分はキャッシュコーナーと機械室との間の連絡通路に充てているのだろう。ATMは5番から先で、5番の1台だけが富士通FV20、あとは15番まで全部FV10である。そして16・17番が空き枠。ATMのうち生体認証に対応しているのは、5番から始まる左の5台のみであった【注1】。08:41、松原支店を制覇した。
 松原支店は、1963年9月に埼玉銀行松原支店として開設された。当初は団地内の現在より奥まった場所(草加市栄町1170、のち松原2-3-1)にあったようだ。開設翌年の6月に新築したというから、仮店舗で営業を始めたのだろう。1973年4月、現在店舗がある場所の隣に新築移転(草加市松原1-1-5)、あさひ銀行時代の1999年5月に再度移転して現在の店舗となった。

 朝早くからたくさんの出来事が起きたように思うが、時計を見るとまだ08:45にもなっていない。
 松原団地駅の東口に出てきた。こちら側が松原の旧市街ということになる。金融機関は武蔵野銀行の松原支店と三菱東京UFJ銀行の店舗外ATM[松原駅前](草加新田支店)。それから、国道4号線の旧道に出る信号の手前に第二地銀の東日本銀行が松原支店を出している。「ろうきん」の文字も見える【注2】。こちら東口側の方が金融機関の数としては多いようで、埼玉りそなが団地の顧客を一手に引き受け、旧市街側はそれ以外の金融機関、という棲み分けなのだろう。道路はセットバックも済んで、西口より年代は古そうだが案外きれいな町並みになっている。歩道に置いてあるプランターは、丸太を繰り抜いたケースの中に置いてあるなど、ちょっとした工夫が凝らしてあった。
 商店街の中にセブンイレブンを見つけ、ここでようやく荷物を発送してきた。それにしてはカバンが軽くなった気がしないので、ちょっと失望感がある。重量の軽減を体感するには重さが足りなかったようだ。でも、精神的には大いに楽になった。紛失した時に他人に迷惑をかける荷物と、自分一人だけ泣けば済む荷物とでは、やはり圧迫感が全然違う。

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 【注1】ATMの10・11番が新たに生体認証対応となった以外、機械配置は変わっていない(2011.11現在)。
 【注2】中央労働金庫草加支店は、2009年5月越谷市に移転し、越谷支店に改称した。

2011年11月21日

2008.11.14(金)(8)置かないで、私が写真を撮る店だから

 さて、3駅も戻らなくてはならない。時間を10分はロスしたし、南越谷−越谷−北越谷という順番が狂って通帳の並びもきれいでなくなってしまった。前年(2007年)の「めぐ」では、所沢東口出張所をきれいにすっ飛ばしてしまったが、「今年も」埼玉県民の日めぐの初っ端でこういうミスをやってしまった。
 08:28発の各駅停車霞ヶ関行きに乗車。東武の日比谷線直通専用車両である。今度は学習効果でチャンと各駅停車に乗っている。上り電車は混んでいるかと思ったが、意外に空席があった。なるほど全部準急に乗り換えるのか…と思いかけて、ここで何気なく「準急」と思うところに、刷り込まれた知識のこわさがある。今は「急行」である。地下鉄半蔵門線からの直通電車かつ新越谷以遠が各駅停車となる「準急」は、現在ほとんど運転されていない。

 08:37、松原団地に到着した。定時では08:33であるから、4分遅れている。
 乗客のスペースとしては各駅停車用の島式ホームが1本だけしかないが、ホームの外側には線路が2本敷いてある。外側の1本は特急や急行の走る通過線である。階段を下りて1階へ。さらにそこから改札のある場所までスロープで下りる。東武伊勢崎線の高架駅は、ホームから階段を降りたその場所にいきなり改札があるスタイルは多くなくて、さらに低いところに設けられた駅が多い気がする。JRの高架線をまたぐ高さのある新越谷は別だが、少なくともさっきの草加駅はそうだった。
 1か所しかない高架下の改札を出て、西口駅前広場へ。駅前は再開発のおかげできれいになっている。草加松原団地は日本住宅公団が1962〜64年に開発した団地で、5000戸を超える公団の大規模団地としては埼玉県内で初めてのものだった。かつて「あさめぐ」で来た時には、古い団地だけれども掃除が行き届いていて、結構きれいだと思った記憶がある。再開発が進んだ今は、4〜5階建ての「いかにも公団住宅」という感じの古い建物は駅前からは一掃されている。駅前のロータリーは広々としており、バスホームもあって2〜3系統出ているようなのだが、待っているお客はいない。なお、この駅は中堅私立大学の一つ、独協大学の最寄駅で、大学は支店と同じ西口側にある。改札を出た瞬間から若い男女が多いと感じたが、さすが大学があると駅の利用者層も違ってくるのだ。
 スキー場のロッジのようにも見える、三角形の屋根を持った建物が建っている。以前1回だけ入ったことがあるが、ここは草加市立の中央図書館で、壁面には緑色でSOKA CITY LIBRARYとある。図書館は1〜4階だが市営の雑居ビルのような印象で、1階にはミスタードーナツとか東武ストアといった民間のテナントが入っている。図書館から左に目を移すと、コバルトブルーの壁をした再開発ビルがあって、上部は高層マンションになっている。埼玉りそな銀行松原支店はその1・2階で、まさに「ド駅前」にある。支店の隣は、ファストフードのロッテリアとコンビニのエーエムピーエム【注】。さっきからコンビニを探していて、今度はエーエムピーエムに遭遇したわけだが、「宅急便」はエーエムピーエムでも出せない。ここは確かペリカン便だったか。ファミリーマートかセブンイレブンが1軒あればいいのだが、ぜんぜん見当たらないのは何故だろう。
 早速支店の写真撮影を、と言いたいところだが、支店のド真ん前に市役所差し回しと思われるトラックが停まっている。放置自転車を撤去するためのトラックらしく、「置かないで、みんなが通る道だから」と横断幕がついているのだが、正に文字通り「置かないで」である。邪魔なんだよ。

 【注】ロッテリア松原団地駅西口店は閉店済み。エーエムピーエム東武松原団地駅前店はファミリーマートに転換済み。ペリカン便も日本郵政の「ゆうパック」に統合済み。

2011年11月20日

2008.11.14(金)(7)南越谷支店へ先に回る

 新田を通過、綾瀬川を渡って越谷市に入った。草加市を南北に縦断するように流れている綾瀬川だが、市域の北西部(この付近)では、北に隣接する越谷市との境界をなしている。
 左の車窓の彼方に、オレンジ色と白の2色に塗り分けられた、日本エレベーター製造という会社のタワーが見える。そばの建物に「研究センター」と書いてあるから【注1】、あのタワーでエレベーターを上げたり下げたりの研究をしているのだろう。続いて蒲生を通過。「あさめぐ」で蒲生支店(統合済み)を取りに来たことがある。このあたりまで来ると、線路の西側は一戸建ての民家ばかりで、都内とは違ってさほど密集度が高くない。狭いながらも庭を持つ家が多いようだ。
 新越谷に近づくと、不思議と駐車場が増えてきた。右車窓を見ながら来れば、「埼玉りそな銀行」と大書した朝日生命の背の高いビルが見え、それなりに「めぐ」のモチベーションをかきたてるのだが、あいにくずっと見ていたのは西側(左)の車窓である。やがて新越谷に到着。準急は、草加ではなくこの駅から先が各駅停車になる列車であった。新越谷はJR武蔵野線南越谷駅との接続駅で、支店の名前はJRの駅名から取っている。私見では、支店の名前は「新越谷」の方が越谷市の新市街地にある店であることを正確に表現できるのではないかと思う。
 とにかく、私は意に反して乗り越したのであった。むなしく改札を出て、JR武蔵野線乗り場の方へ向かう。この駅に通勤時間帯に来たことはなかったが、ものすごい人の流れがあるのに圧倒された。とにかく乗り換え客が多いのだ。JRから来る人の波と、こちらから行く人の波。現在、越谷市で最も人が集まる場所は、ここか「イオンレイクタウン」のどちらかで、少なくとも旧市街の越谷駅周辺ではないだろうと思う。
 東武新越谷駅東口に出てくると、ロータリーの右側、パッと目立つところに埼玉りそながある。南越谷支店はATMが10台+記帳機+ロビー入金機で、直角に曲がって13番が両替機、そして窓口ブースという構成は健在である(この時間窓口ブースはやっていないが)。ATMと記帳機はすべて富士通のファクトVモデル10であった。08:19、南越谷支店を制覇。南越谷支店について詳しいことは、以前の『めぐ記』【注2】で述べたから、今回は省略する。

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 【注1】2011.11現在では「研修センター」となっていたが、当日の誤読か後日の変更かは不明。ただし、いずれにしても未完成の技術または従業員を「研磨」するという役割に違いはない。
 【注2】南越谷支店については、当ブログ2010.03.05〜03.22連載「りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた」中、3月16・17日掲載「(11)南越谷駅に乗り入れる新興バス会社」「(12)南越谷支店を制覇して前橋へ」を参照。

2011年11月19日

2008.11.14(金)(6)痛恨の準急電車

 今日はいい天気だと思ったのだが、雲がやや多くて、風も少しだけ冷たい。次の目的地は、松原支店(草加市)。最寄り駅は草加の隣、松原団地である。
 さっき来た時閉まっていた三井住友銀行のキャッシュコーナーは、今来たら開いていた。三井住友も8時開店である。この時間になると他所から草加市内に通う人が出てくるようで、駅からどこかへ歩いていく人がちらほら見られるようになってきた。駅へ戻ってくると、カットサロンナントカという床屋の店員が、5人ぐらいで横断幕を支えて「年内休まず営業しております」と絶叫している。さっきの赤い政党といい、草加市民は騒音に対して少し無頓着なようだ。
 駅に入る。いま気がついたが、草加駅には「1番ホーム」がない。このホーム番号の付け方は旧国鉄と同じ発想で、一番端を通っている線路が「1番線」であるためだ。分かりづらいと思うが、ある種の女性にとっては“有効”かもしれない。自分のタイプでない男に口説かれた時、そいつを拒絶するために「草加駅の1番ホームで待ってるわ」と答えるのに使えるのだ(嫌な使い方である)。
 ちょうどホームへ上がったところに電車が来たので、脊髄反射的に乗り込んだ。予定より少し早い、08:08発の準急久喜行き。車両は東急の8500系であった。

 私は群馬県前橋市の出身である。前橋と東京都心とを結ぶ交通機関で最もポピュラーなのは、JR高崎線を使うルートであった。ただ、隣の伊勢崎市まで出ると、JRより運賃が安い東武伊勢崎線があって、田舎の金欠少年であった私は、東京23区内に行くときにはこちらを使うことが多かった。かくして、伊勢崎線伊勢崎行きや日光線新栃木行きなど、東武の本線系統で長距離を走る電車は、私の頭には「準急」と刷り込まれている。これが大激変したのは、地下鉄半蔵門線直通列車が主体となった、この前のダイヤ改正(2006年3月)の時。それまでの「準急」にあたる電車は「区間急行」という名前になり、「準急」は半蔵門線直通電車のうち、新越谷から先で各駅停車となる電車の名称になった。現在、東武伊勢崎線のダイヤは「急行」「区間急行」「区間準急」が主体となり、「準急」はごくごくわずかとなっている。なぜこんなことを延々と書くかというと、東武伊勢崎線の運転系統が私の頭の中でグチャグチャになっている、ということを強調したいがためである。
 私の乗った電車は、どんどん北に向かって走っていく。最初の駅、松原団地を通過。ここは開発年代が古い住宅公団の大規模団地である。松原団地の古い棟、そして埼玉りそな銀行と松原団地駅前郵便局が入った駅前の大きな再開発ビルを見ながら、電車は軽やかに走り抜けていった。
 私は思い切りぬかってしまった。「準急」は松原団地には停まらないのだ。せっかく早い電車に乗れたと思ったのに、新越谷までいきなり連れていかれてしまうことになった。遠い場所は(数分ながら)乗車時間が増えるし、戻りの行程も必要になる。しょうがねえなあ、せっかく少しだけ早くなったと思ったのに、ぶちこわしである。何をやっているんだ俺は。
 仕方がないので、松原支店を飛ばして、新越谷駅前にある南越谷支店を先に取ることにした。

2011年11月18日

2008.11.14(金)(5)埼玉県最初の目標、草加支店

 かくして、草加に到着した。07:43着/発だそうで、今のところ予定より6分早い。
 電車が私を降ろして直ちに発車していくのを横目で見つつ、高架下に下りる。下りてさらに半階分下りると改札、という造りの駅で、東武とJRは鉄道施設の設計思想が似ていると思う。それはいいのだが、北千住からの乗車券と「埼玉県民の日フリー乗車券」の2枚を重ねて改札機に投入したところ、「組み合わせ異常」でハネられてしまった。今回のフリー乗車券はあくまで「埼玉県内」のみ有効で、北千住から埼玉県最初の駅・谷塚までは、乗車券(190円)を別に買わなくてはならない。近年廃止となった磁気カード「パスネット」のシステムは、カードと乗車券を一緒に機械に入れると自動的に精算してくれるほど進んでいたので、何も考えずに投入してしまった。やはり紙の切符2枚はダメか。仕方なく駅員のいる窓口に行く。
 改札の外では、某政党(特に名を秘す)がスピーカーでがなり立てている。この政党の宣伝カーは、先日私が都内某所で写真撮影しようとしているのを邪魔してくれた。今日は、私がボイスレコーダーで音声メモを録音しようとしているところで街頭演説をしている。ここが「草加」だから言うわけではないけれども、私はこの赤い政党が(以下省略)。
 駅前に出てきた。草加駅の駅前のロータリーは、普通なら花壇か噴水になっている中心部分に、石で作った巨大な三角形(というか台形)の構造物が置かれている。ピラミッドを思わせるが、正体は不明だ。そこに、秋らしく落ち葉がだいぶ散っている。ロータリーを囲むバスホームはちょっとおしゃれで、銅葺きらしく見事な緑色の屋根がついている。立っている柱も凝ったデザインの円柱。ここから八潮市方面行きなどのバスが出る。そういえば八潮支店にも行かなくてはいけないが、陸の孤島のような地域なので方法は思案中だ。
 支店の方を見ると、正面に丸井とイトーヨーカドーのツインビルが建っている。両者の間は4階ぐらいの高さで連絡橋が結ばれていて、その下を支店に向かって駅前通りが走っている。ツインビルの手前右側、ロータリーに面した部分に、銀行の支店が2軒並んで入居している雑居ビルがある。こちらのビルも、丸井などと同じく「アコス」という名前になっている。2行は三菱東京UFJ銀行とみずほ銀行で、三菱東京は旧三菱銀、みずほは旧第一勧銀(旧第一銀)の支店であった。
 店舗がまだ営業していないせいか、駅前の人影は駅へ向かって歩く人とバス待ちの人ばかり。人の流れをみると、草加に通ってくる人はほとんどいないようで、駅を背にして歩いているのは私一人ではないかと思われた。きれいな歩道が両側についた駅前通りは、ここ10年以内にセットバックが行われたとみえ、再開発ビルの東側は新しい建物ばかりである。車線の数は2車線だけれども、真ん中に1車線分ぐらいの幅でゼブラ模様があったりするから、3車線分ぐらいの幅がある。街路灯には「草加市制50周年」という垂れ幕がつけてある。1958年市制施行ということは「昭和の大合併」の産物か。
 イトーヨーカドーの東側には三井住友銀行の支店がある。店頭のポスター掲示器の形態からして旧住友銀だ。8時開店だから、まだシャッターが下りている。その隣は4階建ての再開発ビルで、このビルが切れた先の四つ角が埼玉りそな銀行草加支店である。ぐだぐだ述べてきたけれども、改札を出て歩き始めたところで屋上の横看板が見えていたから、草加支店はまあ駅から近い部類に入ると思う。

 まだ8時になっていない。キャッシュコーナーがまだ開いていないので、支店の写真を先に撮っておく。その後コンビニで荷物を出そうと思い、支店の東を南北に走る日光街道の旧道へ出てみた。ローソンがあったが、「宅急便」が出せないから空しく支店に戻ってくると、裏口前には背広姿の男性が10人ぐらい集まっていた。何事だろう。出勤してきた行員が中に入れないのだろうか。カギを持っていたり、ドアロックの暗証番号を知っていたりする人はいないのかしら。
 「りそなクイックロビー」の入口は、1階に2か所ある入口のうち駅から遠い方である。行員さんが裏口に群がって(失礼)いるのを横目で見ながらキャッシュコーナーの前に立ち、開店を待つ。7時58分。ピ・ピ・ピ、という音とともにシャッターが上がり始めた。その内側の自動ドアは、シャッターが開いてもなかなか開かなかった。
 自動ドアが開くと同時に店内に飛び込んだ。ATMは8台あって、富士通のファクトVモデル10で統一されていた。ATM枠の外側に通帳記帳機が置かれていて、これも外側だけはモデル10と同じである。キャッシュコーナーの内装は旧埼玉銀行時代の機械枠をそのまま使っているが、機械ごとの仕切り(現金封筒やパンフレットを入れるスペースがある)だけ、あさひ銀行標準のパイプ形デザインと同じ様式の角柱に取り換えてあって、折衷型になっている。「お預け入れ」などの行灯は、丸みを帯びた羊羹のような形をした、埼玉銀時代の標準スタイルの箱が残っており、前面のプレートだけ緑色のものに換装してあった。行灯表示のさらに上はこんもりとした壁になっていて、そこだけ他の支店とは少し違った印象がある。生体認証対応は一番右の2台だけ【注】。台数的に少ない気がするが、まあこんなものか。ATMを操作、8時のオープンと同時に草加支店を制覇した。
 草加支店は、粕壁銀行(本店現春日部市)の草加支店として1916(大正5)年11月に開設された。1920年6月武州銀行の草加支店となり、1943年の県内4行合併で埼玉銀行の草加支店となった。当初は草加町字高砂町29(現草加市高砂2-8-12、現在地はす向かい)にあったが、1956年7月に高砂町62-1(現高砂2-21-11、現在地)に移転した。現在の店舗は1972年7月に新築されたものだが、それに先立つ1971年に高砂2-1-13に仮移転している。現在そのブロックには武蔵野銀行の草加支店がある。

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 【注】2010年11月現在、全台生体認証対応済み。

2011年11月17日

2008.11.14(金)(4)いよいよ埼玉県へ

 8時近くなって、駅前通りも交通量が増えてきた。北千住からどこかへ出勤するだけでなく、北千住に通ってくる人もそれなりにいるようで、駅から日光街道の方へ向かう人の流れが徐々に出てきた感じである。
 駅前のロータリーまで戻ってきた。マクドナルドの角に、三菱東京UFJ銀行の店舗外ATM[北千住駅西口]があって、三和銀行という文字を剥がした跡がはっきり見えた。前述のとおり三菱東京の千住支店は旧三和銀の支店で、旧三菱銀の千住支店は「千住中央支店」といって北千住駅からは離れた場所にある(前回掲載の地図では範囲外)。それはいいのだが、コンビニが見つからない。本当にないのだろうか。仕方なく草加に出て探すことにした。荷物はさほど重くはないのだが、とにかく「精神的に」解放されたいのだ。
 エスカレーターを上って、ルミネの2階に直結する人工地盤に再び戻ってきた。JRの改札前を通り抜け、2〜3段下りたところが東武の改札である。ここで私には次なるミッションが待っている。「県民の日」フリー乗車券の購入である。ガラス張りになっている改札の有人通路で駅員に聞いたところ、券売機の5番と6番の間にある窓口で買ってくれとのことであった。
 切符を手にして改札へ。コンコースにりそな銀の店舗外ATMがあって、緑色の看板が見えた。りそなは最近オレンジ色を使わず、緑色一色でべったり占めている看板類が多いと感じる。このATM[東武北千住駅](千住支店)は、地下のコンコースにあったのが引っ越してきたもので、ATMはATMJの「富士通FV20もどき」が2台。その右側には、機械1台だけの三菱東京のATM[東武北千住駅]がある。平日08:45〜19:00の稼働で、駅内のATMにしては早じまいのところが旧三菱銀行らしい【注1】。

 埼玉県最初の目的地、草加市の草加支店に向かう。区間急行新栃木行きに乗れた。07:33発、予定より3分だけ早い。車両は8000系の6両編成であった。
 五反野を通過した際、上りの各駅停車ホームを見ると、六本木行きの電車が停まっていた。あちらは北千住から東京地下鉄日比谷線に乗り入れる。日比谷線の「六本木」という行き先は、霞ヶ関行きとともに朝のラッシュアワー限定で、めったに見ることがない。上り電車は車内がぎゅうぎゅうに詰まっているが、私が今乗っている下りは空席がまばらにある程度の混雑率で、やはり人の流れとは反対の方向に動いている。
 最初の停車駅・西新井で半分くらいが降り、車内は一気にガラガラになってしまった。1本の長椅子に3〜4人しか座っていない。この時間に栃木方面に行く人が少ないこともあるのだろうが、それよりは上り電車を動かすために仕方なく下りを走らせているのかもしれない。上りはどの電車を見ても超満員であるが、これでも昔と比べると混雑率は低下した方なのだろう。このあたりまで来ると、ちょっと駅を離れると一戸建ての住宅ばかりになる。マンションはポツポツとみられる程度で思いのほか少なかった。このあたりは都心と直結している割に開発がいまひとつ進んでいないようだ。
 竹ノ塚まで来ると、右の車窓にはいかにも「団地らしい」団地の棟がダーッと広がっている。りそなが竹ノ塚支店(旧埼玉銀)を出すこの地には、住宅公団が開発した団地があって、レールウェイライターとして著名な種村直樹氏が住んでいるという。種村氏は「旅行貯金」と称する郵便局めぐりをやっていることで有名だが、もし氏が「りそめぐ」に進出するとしたら、その第1号が竹ノ塚支店になる可能性は高いと思う。こうした「趣味ごと」は、まず生活圏内から始まる気がする。かく言う私も、「あさめぐ」の第1号は、当時のアルバイト先の最寄り支店だった市ヶ谷支店であった。
 竹ノ塚を過ぎたところから高架に上った。清掃工場などが見える。足立区は東京23区のはずれなので、東京都の“迷惑施設”(に近いもの)はこうした「辺境」にできる。高度成長期まで、このあたりは見渡す限り水田が広がっていたようだ。足立区の特に北部は、江戸時代に開削された見沼代用水のおかげで豊かな水田地帯であり、東京都内で水稲耕作が最後まで残った地域の一つでもあった。
 車窓から畑がちょびちょび見えると思ったら、いつの間にか埼玉県に入ったようだ。どこから入ったのか分からないが、何とかいう川【注2】が流れていて、それが確か境界だったハズだ。妙なもので、埼玉県側に入るとビルの数が少し増えてきた。高層マンションのたぐい、あるいは雑居ビルのたぐいは、竹ノ塚のあたりでは意外に少ないのだが、県境を越えて谷塚まで来ると多くなってくる。
 谷塚駅を通過したので、間もなく草加に着く。草加市の中心部は谷塚と比べればビルが多くなるのだろう。左の車窓に、ダイエーと三菱東京UFJ銀行の縦看板が並んで立っているのが見える。ダイエー内に同行の草加駅前支店があるのだ【注3】。旧東海銀行の草加支店だった店舗で、旧三和銀は草加市の中心部には支店を持たなかった。右には「アデ川質店」という大きな看板が見える。アデ川。東武伊勢崎線に乗るたび気になっているのだが、どういう漢字を当てるのだろうか【注4】。

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 【注1】三菱東京UFJ銀行のATMは廃止になったようだ。
 【注2】毛長川。埼玉県川口市東部に源を発する綾瀬川の支流で、中川→荒川を経て最終的には東京湾に注ぐ。
 【注3】2009年6月、東口の草加支店(旧三菱銀)内に移転。
 【注4】ネットで調べてみると「阿出川」らしい。

2011年11月16日

2008.11.14(金)(3)千住支店、その波乱の軌跡

 千住支店は、建物だけでなくその沿革も波乱に富んでいて、銀行を趣味的に眺める私のような者には大変興味深い。この支店の沿革には、旧あさひ銀行としての合併(協和+埼玉)とその後の店舗再編だけでなく、今は三井住友銀行となった旧さくら銀行の合併(三井+太陽神戸)と店舗再編がからんでいる。
 店歴上直接のルーツとなるのは、旧協和銀行の千住支店である。安田貯蓄銀行千住支店として1922(大正11)年11月に開設された。もとは足立区千住3-63(北千住駅近く、駅前通り北側)にあったが、1941年(推定)に日光街道の西側で荒川河川敷に近い千住大川町73番地に移転。9行合併と普通銀行転換を経て、千住寿町39-12に1966年9月新築移転した。これが1991年4月の協和+埼玉合併時点での店舗で、場所は日光街道沿い、「千住五丁目」交差点の角であった(跡地は現在マンションになっている)。
 協和銀行が埼玉銀行と合併したのに伴い、旧協和の千住支店は、協和埼玉銀行の「北千住支店」となった。店名が変わったのは、埼玉銀行にも千住支店があったためである。荒川区南千住7-16-3、隅田川の対岸にあった埼玉銀の千住支店は、1918(大正7)年1月に飯能銀行の南千住支店として開設された。1927年12月武州銀行に営業譲渡されて同行の千住支店となり、1943年7月の埼玉県内4行合併で埼玉銀行の千住支店となって、合併時点で使われていた店舗を新築したのが1962年9月のことであった。
 少し脱線になるが、なぜ南千住に埼玉県の銀行が店を出すことになったか触れておこう。この地と埼玉は、江戸時代の初期から荒川の水運を通じて結び付きがあったのである。飯能銀行の本店があった飯能町(当時)は林業産地で、切り出した丸太を筏に組んで入間川から荒川→隅田川と流しており、これを南千住付近の材木商が買い付けていた。当時飯能では、さほど規模の大きくない町に銀行が乱立して過当競争をしており、各銀行とも業績が伸び悩んでいたため、収入源を開拓することが必要だった。一方で南千住地区には旧東京農商銀行【注】が破綻して以来金融機関がなかった。こうして、千住と地元の双方の材木商組合から支店設置の要請を受けた飯能銀行は、破綻して閉店した東京農商銀行の本店建物を買収して南千住支店の営業を開始した。というわけで、この支店は材木代金の授受のために開設されたのであるが、支店開業からほどなくして状況が変わってしまう。交通機関が変遷して筏による木材流送が途絶したため、業績が上がらなくなったのである。昭和元年下期から欠損が出るようになり、飯能から地理的に遠いこともあって、南千住支店は武州銀行に営業譲渡されて同行の千住支店となった。

 さて、協和埼玉銀行の発足時点に話を戻そう。「千住支店」は双方の銀行にあったが、店名の変更があったのは旧協和のほうで、店名は「北千住」となった。2つの支店の所在地は旧埼玉が南千住、旧協和は千住寿町で、どちらにしても北千住駅前の繁華街には店舗がなかった。これに変化が訪れるのが1994年3月のこと。北千住支店と千住支店は再編され、旧北千住支店は千住支店に再改称、同時に旧来の千住支店は、新・千住支店を母店とする「南千住出張所」に変更された(南千住出張所は1999年3月千住支店に統合された)。
 1994年3月の大異動は、店舗の移転を伴っていることがポイントである。北千住支店、つまり新・千住支店は、日光街道沿いの千住寿町から、足立区千住2-55の現在地に移転した。この移転に、さくら銀行がからんでくる。あさひ銀行(新)千住支店は、さくら銀行北千住支店の統合跡地に開店したのである。
 ここで、さくら銀北千住支店の沿革を眺めてみよう。同行北千住支店は旧太陽神戸銀行の千住支店で、三井銀行との合併により名称変更されたものである。1955年5月に日本相互銀行の千住支店として開設されたが、その当時の所在地は足立区千住2-3であり、現在りそなの支店がある千住2-55の地には1969年6月に移転した。今りそなが使っている店舗は、この時に使用開始したと思われる。旧所在地は日光街道沿い、三菱東京UFJ銀行千住支店(旧三和銀、千住2-5-3)の現所在地付近であるが、地図で見ると日本相銀のあった場所は日光街道の道路用地になっている。国道4号の拡幅に伴って移転したのであろう。
 日本相互銀行が1968年に普銀転換した太陽銀行は、1973年10月神戸銀行と合併して太陽神戸銀行となり、さらに1990年4月には三井銀行と合併することになる。「千住支店」は太陽神戸・三井の双方にあったが、合併してできた太陽神戸三井銀行で「千住支店」を名乗ったのは、駅前通りと日光街道の交差点角(千住寿町1-10)にあった、旧三井銀行の支店である。合併と同時に「北千住支店」に名称変更された太陽神戸の支店は、1993年5月に千住支店に統合され、旧三井銀行の店舗がさくら銀行千住支店として住友銀行との合併まで営業した。
 蛇足ながら、三井住友銀行の千住支店は、前述のとおり旧住友銀行の千住支店である。さくら銀行千住支店は、住銀との合併で千住西支店となり、最終的には旧住友店の千住支店に統合された。さらに蛇足ながら、北千住にはこれらとは別に、1986年に住友銀に吸収合併された平和相互銀行の支店もあった。平和相互の千住支店は住銀への合併で北千住支店に変わり、1988年3月千住支店に統合されている。

 話をりそなに戻す。新・千住支店の店舗は、太陽神戸店の統合で空いた店舗にそのまま入居しているようだ。私は太陽神戸の時代を知らないが、細部はともかく大まかには、現在も当時とさほど変わっていないのではないかと思う。
 なお、りそなと三井住友の千住支店は、ともに所在地が「足立区千住2-55」で、住所の表示は全く同じである。現地でも隣り合っているとは言え、権利関係が相当に錯綜しているのだろうか。あるいは、住居表示が未実施の地区であるせいかもしれない。

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 【注】東京農商銀行:1896(明治29)年12月17日設立の貯蓄銀行。本店東京都北豊島郡南千住町(現荒川区)。本店のほか、東京都南足立郡千住町(現足立区)に千住支店を、千葉県東葛飾郡千代田村(現柏市)に柏支店を置いていた。1917(大正6)年6月1日任意解散。

2011年11月15日

2008.11.14(金)(2)千住支店を制覇

 りそな銀行千住支店は、三井住友銀行千住支店の西隣、ラブラブカップル番号の向かいにある。
 非常に古い建物である。建ったのは1960年代と思われるから間違いなく古いのだが、といって「歴史的建築」というわけでもない。りそなの自社ビルでもなさそうである。メンテナンスの経費を家主が相当に節約していたような印象だ。
 支店は、ビルが古いだけでなく非常に複雑な造りをしている。なにしろ、支店本体とキャッシュコーナーとが別の建物なのである。表通りから奥まったところにある雑居ビルを支店にしようとして、通りに面した側に隣接する建物の1階を借り、キャッシュコーナーに仕立てて無理矢理ドッキングさせたという感じがする。そのせいか、キャッシュコーナーの真ん中に野太い柱が2本ドンドーンと立っているし、またキャッシュコーナーに入る前に必ず通る風除室も、どうしてこんな形になったかと思われるほど複雑な形をしている。窓口室は太い柱の向こうだが、今の時間はもちろんシャッターが下りている。
 ATMコーナーの内装はあさひ銀行時代のパイプ形デザインで、白い壁紙で美装してある。千住支店は、りそなで窓口室のスタンディングデスク方式が最初に導入された際の実験店舗で、内装を白の壁紙で覆い尽くしたのもその時のことである。千住支店での開始は2004年11月で、ここと竹ノ塚支店(足立区)での試行成果を踏まえて、翌年からりそな銀と埼玉りそな銀行で総合受付方式が本格的に導入された。なお、この支店の総合受付の看板は、板看板が壁に取り付けられた形になっている(閉店時にもカウンターと看板は外に出ている)。実験結果を踏まえて天井から円筒を吊るす形になったのだろう。
 総合受付方式の導入当初は、ATMそのものにも白いシートを貼って美装していた。白は汚れが目立つ色ゆえ、冷蔵庫など衛生面を問われるような電化製品なら、汚れたらすぐ拭き取れる点で長所となる。銀行のキャッシュコーナーは白物家電とは違うから、よほど気を付けて掃除していない限り、すぐ汚ならしく感じられてしまう。りそなは機械の美装をすぐに断念し、今はプラスチック地肌のグレーの機械を並べている。千住支店のATMは、富士通ファクトVが6台。左から2番目だけ「モデル20」で、その他は全部「モデル10」である。ちょっと奥へ引っ込んだ形で両替機が1台、ロビーに別置きで通帳記帳機が1台。ATM枠行灯のプレートは、もちろん緑に換えてあった。
 本日の第1号、千住支店の制覇は、07:14のことであった。

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2011年11月14日

2008.11.14(金)(1)まずは北千住へ

 目覚まし時計はどういうわけか鳴らなかった。携帯電話のアラームが05:45に鳴り、ようやくそれで目覚める。予定の電車は6時発。一瞬血の気が引いたが、焦りながらも悠々と支度して出てきた。昨日のうちに買っておいた菓子パン「つぶあん&マーガリン」を道みちかじりながら駅に入る。
 家を出たとき、空はどんよりと曇っているように見えた。寒いだろうと思ってダウンジャケットなど着て出てきてしまったが、山手線のホームまで到達したら空にはうっすらと雲がかかっているだけ。今週末は小春日和だという話で、そこそこ晴れた今日は「めぐ日和」と言えるが、ダウンを出すのは少し早すぎたかもしれない。日暮里に出て常磐線の勝田行きに乗り換え、今日の第一目標・北千住には、予定通り07:02到着した。
 北千住でしなければならないのは、個人的なことを含めて3つ。千住支店を取ることと、フリー乗車券を買うこと。もう1つ、時間に余裕があればコンビニで荷物を出したい。アルバイトで試験の採点をやっていて、その採点物を宅配便で送ることになっている。着払いの伝票が用意され、先方が伝票番号で管理しているので、「宅急便」の出せるセブンイレブンかファミリーマートに行かなければならない。別に北千住で出さなくてもよいのだが、早く解放されたいのである。時間的な理由からか、駅内の店舗はほとんど全部シャッターが下りていた。1軒だけ「ニューデイズ」というコンビニが開いていたようだが、駅内のコンビニでは宅配便は出せない。フリー乗車券は千住支店を済ませてから買うつもりだ。
 エスカレーターを上って北口改札に出た。北口はルミネや丸井などがある側で、こちらが北千住のメイン改札である。朝のラッシュとあって、改札では駅に入る人の流れが激しかった。改札から出てくる人もそれなりにいたが、やはり1:2ぐらいの比率で圧倒的に電車に乗って出かける人が多い。この改札には来たことがほとんどないので、新鮮な感じがする。北千住自体は乗り換えで頻繁に利用しているが、地下通路ばかり通行しているため、ここに上がってくることがめったにないのだ。

 改札を出て左に折れ、エスカレーターを1本降りると、駅前のペデストリアンデッキにパッと出る。ルミネ(北千住駅ビル)を背に、向かって右側に丸井が建ち、正面にはJTBと三井住友銀行の屋上縦看板が見える。人工地盤から見ると、ターミナルの駅前らしく雑居ビルが多数並んで雑多に開けており、個人商店は見えない。マクドナルド・デニーズ・アコム・吉野家、お決まりのチェーン店ばかりである。ただ下を見ると、人通りは少しまばらに感じられた。
 ペデストリアンデッキの西側のどん詰まりでエスカレーターを降りる。駅前の大通り、駅前広場から日光街道(国道4号)に向かって西へ行く通りは、道の両側の歩道にアーケードがついて「きたろーど1010」という商店街になっている。「1010」は「せんじゅ」であろう。この道は基本的には対面2車線の道だと思うが、駅に進入する側が2車線あるから、合計3車線。商店街に入ると、駅前の人工地盤からは見えなかった個人商店の棟割長屋がダーッと続いていた。
 日光街道に向かって歩く。1つ目の信号は「千住2丁目」という交差点で、北東角には3社の携帯を扱っている携帯ショップがある。「ラブラブカップル番号あります」という大きなポスターを出しているのが笑えた。カップルがケータイを2人一緒に買ったら、電話番号が連番にでもなるのだろうか。もうちょっと先へ行くと、イトーヨーカドーの創業店がある。そで看板などをセブンアンドアイのマークに変えたりしないで、今でも青と朱色の鳩のマークがそのまま残っている【注】。やはり「創業店」は特別なのだろう。
 銀行は、千住2丁目交差点の駅寄りに3つある。道の北側、携帯ショップの隣にみずほ銀行、南側に三井住友銀行とりそな銀行が並ぶ。みずほ銀は旧第一勧銀の店舗を使っているが、店内はすでに同行の標準スタイルである半透明アクリル板の内装に改装されており、面影はとどめていない。7階建ての三井住友銀行は旧住友銀行の旧来からの支店。北千住には旧平和相互銀行の支店もあったが、合併後間もなく統合されている。

 【注】現在ではディスカウント業態「ザ・プライス」に変わっている。

2011年11月13日

2008.11.14(金)(0)プロローグ 県民でもないのに「県民の日」を楽しむ

 埼玉県では、11月14日が「埼玉県民の日」とされている。1871(明治4)年11月14日、太政官布告により現在の埼玉県域に「埼玉県」「入間県」の2県が誕生、その100周年にあたる1971(昭和46)年に制定された。埼玉県民の日は、「県民の日を定める条例」という埼玉県条例に則っている。県内の公立学校はこの日すべて休校になり、またスタンプラリーなど各種イベントが行われる。
 りそなのウオッチャーでありめぐラーである私にとって、ここ数年、11月14日は非常に大切な日となっている。埼玉県は言うまでもなく旧埼玉銀行のお膝元であり、りそなグループの金城湯池の一つであるからだ。そして、県内の各鉄道会社では、この日に限り有効のフリー乗車券を毎年発売している。まさにこの日は「りそめぐ」のためにあると言えよう。
 今年もその日がやって来た。「“埼玉県民の日”に埼玉県内をめぐる計画」を、本年(2008年)も実行する。「県民の日めぐ記」としては2回目となる。

 2008年の「県民の日」フリー乗車券の状況は、2007年と全く変わっていない。「全く」「絶対」といった強い限定の言葉は文章の中にあまり使わない方がいいのだが、慎重に調べ直しても、2007年の『めぐ記』の記述は変更する必要を認めなかった【注1】。ついでに、私の個人的な「県民の日」に対する思いや、埼玉県以外の都県での状況なども、前年のめぐ記「りそめぐ2007秋 『埼玉県民の日』に埼玉県内をめぐる」を参照いただきたいと思う。
 本年は、東武鉄道の2本の幹線のうち、伊勢崎線を選ぶことにした。昨年の県民の日に行った秩父鉄道沿線の「めぐ」では、伊勢崎線の埼玉県内の北限となる羽生支店(羽生市)を行程の最後に持ってきたから、羽生だけは取れている。その後、別の『めぐ記』で久喜をはじめとする5支店(日光線を含む)を訪れており、このあたりで伊勢崎線系はひととおり埋めておこうと考えた。東上線はとりあえずきれいなままにしておいて、来年かたを付ける。
 計画は実行3日前の11月11日(火)から立て始めた。まず考えたのが、JRで大宮に出て、大宮駅近くの2支店(大宮支店と大宮西支店)を皮切りに東武野田線を攻め、次いで伊勢崎線に乗り継いで北から南に攻めるプランであった。これだと無駄な移動が多く、また越谷支店以南が明るいうちに取れなくなるので考え直す。私は支店の写真撮影もミッションに加えているから、暗くなってはまずいのである。
 次に、今回の最北端となる騎西支店(北埼玉郡騎西町、現加須市)に朝一番で向かい、かつ大宮・大宮西は外すプラン。これでもまだ越谷支店で17時となり、日没時刻を考えるとキツいと思う【注2】。大宮を外すのは、東武沿線というより「JR沿線」のカラーが強いためだ。群馬県出身者としてはいずれ「JR高崎線沿線」を総ナメにする機会を狙っている。
 騎西支店の扱いそのものも検討の対象である。昨年の計画では、コースを大きく外れた小鹿野支店という制覇目標があって悩まされた。今年の計画エリアには、東武伊勢崎沿線と呼べる“僻地”(駅からバス移動となる意味で)の目標が3店舗もある。騎西支店のほか、菖蒲支店(南埼玉郡菖蒲町、現久喜市)と松伏出張所(北葛飾郡松伏町)。バスでの移動はほぼ間違いなく駅からの単純往復で終わるので、今回のように短時間で個所数を稼ぐ「めぐ」には都合が良くない。結局、東武線から大きく外れた3か所のうち、菖蒲・松伏の2店は、今回涙をのんでカットすることにした。埼玉県東部エリアは日を改めて2回に分けて完遂することとし、その2回に1店ずつ割り振れば、今回の計画で最南端となる草加支店(草加市)まで、うまくまとまる。騎西支店を行程の最初か最後に回せば、「めぐ」に使えない時間に往路か復路のどちらかがかかっても、問題なくいける。
 ここで再びプランを練り直す。騎西支店のキャッシュコーナー開店は朝8時。それまでに現地に着くためには、自宅を朝5時頃に出る必要があった。これも無駄な時間が多い気がするし、朝早く起きるのもしんどい話である。「めぐ」をやる前から疲労してしまいそうだ。騎西を最後に回してみたらどうか。
 ようやく理想的なプランになりそうであった。山手線の西側に住んでいる私が東武伊勢崎線に乗るためには、日暮里からJR常磐線で北千住(東京都足立区)まで出て乗り換えるのが最も合理的な移動である。この駅で運賃計算が区切りとなるし、フリー切符の調達もしないといけないから、この駅は乗り継ぎの過程で絶対に改札外へ出る駅である。北千住駅前にはりそな銀行が千住支店を構えている。千住支店のキャッシュコーナーは朝7時から。決まった。今年は草加支店の前に千住支店を入れよう。そういえば、昨年の「県民の日」めぐでも、所沢支店の前に久米川支店を取っている。

 机上で立てた計画は、次のとおりとなった。

  (日暮里までのアプローチは記載省略)
  日暮里06:54(JR常磐線 普通 勝田)07:02北千住 *千住支店、フリーきっぷ購入
  北千住07:36(東武伊勢崎線 準急 南栗橋)07:45草加 *草加支店
  草加08:13(伊勢崎線 普通 東武動物公園)08:15松原団地 *松原支店
  松原団地08:40(伊勢崎線 普通 北越谷)08:45新越谷 *南越谷支店
  新越谷09:14(伊勢崎線 普通 北越谷)09:16越谷 *越谷支店
  越谷09:45(伊勢崎線 普通 北春日部)09:47北越谷 *北越谷支店
  北越谷10:18(伊勢崎線 区間準急 久喜)10:22せんげん台 *せんげん台支店、武里支店
  武里11:13(伊勢崎線 普通 東武動物公園)11:17春日部 *春日部支店、春日部西口支店
  春日部12:29(東武野田線 普通 柏)12:36南桜井 *庄和支店
  南桜井12:59(野田線 普通 大宮)13:12東岩槻 *東岩槻支店
  東岩槻13:43(野田線 普通 大宮)13:45岩槻 *岩槻支店
  岩槻14:36(野田線 普通 大宮)14:39七里 *七里支店
  七里15:06(野田線 普通 柏)15:19春日部15:24(伊勢崎線 急行 久喜)15:36久喜15:38(伊勢崎線 普通 太田)15:42鷲宮 *鷲宮支店
  鷲宮16:02(伊勢崎線 普通 太田)16:08加須 *加須支店
  相互銀行前16:26頃(朝日バス 免許センター)16:34役場前 *騎西支店

 これで、りそな銀行1店、埼玉りそな銀行16店の、合計17店を制覇することになる。自宅は6時前に出ればよく、だいぶ楽になった。
 なお、行程の中間にある杉戸・宮代・久喜の3支店は、過去の連載で取り上げたため除外した【注3・4】。

 【注1】日付に対応する曜日の部分を除く。2008年はリリース発表10月20日(月)、発売開始11月8日(土)、県民の日14日(金)。なお、2009年も金額は変わらず。2010年は埼玉高速で13日(土)有効の券も発売し、またこの年からつくばエクスプレスが加わった。2011年は埼玉高速で価格が660円に上がり、代わりに赤羽岩淵駅でも乗降できるようになった。
 【注2】この当時、国立天文台のウェブサイトで日没時刻を調べるという知恵はまだなかった。2010年においては、11月14日の埼玉県越谷市における日没時刻は16:35で、2008年当時も同様と考えられる。
 【注3】5支店については当ブログ2008.03.20〜03.31連載「りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える」を参照。
 【注4】南越谷支店も過去の連載で取り上げているが、今回は「めぐ」の対象に含めている。この日時点では、南越谷支店を含む『めぐ記』の執筆は未定であった。南越谷支店については、当ブログ2010.03.05〜03.22連載「りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた」中、3月16・17日掲載「(11)南越谷駅に乗り入れる新興バス会社」「(12)南越谷支店を制覇して前橋へ」を参照。

2011年11月09日

新連載「りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇」のお知らせ

 当ブログ「MEGU」で、11月13日(日)21時から新連載を開始します。
 今回は、2008年11月14日(金)に、埼玉県東部の東武伊勢崎線・野田線沿線で、りそな銀行・埼玉りそな銀行計17店の制覇活動を行った記録です。
 分量は400字詰原稿用紙で約250枚、回数は現時点で48回の予定です。例によって1日1本のペースでダラダラと掲載していきます。多少の脱線もありますが、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。

りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる
東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇


2008.11.14(金)
 (0)プロローグ 県民でもないのに「県民の日」を楽しむ
 (1)まずは北千住へ
 (2)千住支店を制覇
 (3)千住支店、その波乱の軌跡
 (4)いよいよ埼玉県へ
 (5)埼玉県最初の目標、草加支店
 (6)痛恨の準急電車
 (7)南越谷支店へ先に回る
 (8)置かないで、私が写真を撮る店だから
 (9)松原支店を「ようやく」制覇
 (10)牛丼を食して物を思う
 (11)再開発前夜の越谷市街
 (12)越谷の町とともに移動する越谷支店
 (13)再開発の終わった北越谷
 (14)北越谷支店を制覇
 (15)北越谷から千間台へ
 (16)温泉と歌声喫茶の町
 (17)せんげん台支店を制覇
 (18)ルネッサンスと「お勉強」
 (19)新方川を越え武里団地へ
 (20)武里支店を制覇
 (21)武里団地に別れを告げて
 (22)武里駅に時代の移り変わりを見る
 (23)旧市街地の春日部東口
 (24)春日部支店を制覇
 (25)“海底”を抜けて西口へ
 (26)郊外の駅前、春日部西口
 (27)春日部西口支店を制覇
 (28)伊勢崎線を離れて南桜井へ
 (29)今回の最東端、庄和支店を制覇
 (30)納豆の水戸、ギョーザの宇都宮
 (31)東岩槻支店を制覇
 (32)人形の町、その駅前風景
 (33)“大きな”岩槻支店
 (34)旧城下町・岩槻を歩く
 (35)郊外電車の駅、七里
 (36)七里支店を制覇
 (37)前途に暗雲ただよう
 (38)西遊記と東武動物公園
 (39)異議あり!「久喜から定時運転」
 (40)どうにか鷲宮に到達
 (41)わしみや支店を制覇
 (42)美水かがみ『らき☆すた』について思うこと
 (43)鷲宮から加須へ
 (44)こいのぼりと力士の加須市内
 (45)今年も武蔵野銀行について
 (46)騎西支店に至る道
 (47)16:05、全店制覇完了
 (48)エピローグ ジロリアンにヘンシーン
 あとがき・参考文献+よいお年をお迎え下さい
(タイトルは変更となる場合があります)


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新連載「りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇」のお知らせ

 当ブログ「MEGU」で、11月13日(日)21時から新連載を開始します。
 今回は、2008年11月14日(金)に、埼玉県東部の東武伊勢崎線・野田線沿線で、りそな銀行・埼玉りそな銀行計17店の制覇活動を行った記録です。
 分量は400字詰原稿用紙で約250枚、回数は現時点で48回の予定です。例によって1日1本のペースでダラダラと掲載していきます。多少の脱線もありますが、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。

りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる
東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇


2008.11.14(金)
 (0)プロローグ 県民でもないのに「県民の日」を楽しむ
 (1)まずは北千住へ
 (2)千住支店を制覇
 (3)千住支店、その波乱の軌跡
 (4)いよいよ埼玉県へ
 (5)埼玉県最初の目標、草加支店
 (6)痛恨の準急電車
 (7)南越谷支店へ先に回る
 (8)置かないで、私が写真を撮る店だから
 (9)松原支店を「ようやく」制覇
 (10)牛丼を食して物を思う
 (11)再開発前夜の越谷市街
 (12)越谷の町とともに移動する越谷支店
 (13)再開発の終わった北越谷
 (14)北越谷支店を制覇
 (15)北越谷から千間台へ
 (16)温泉と歌声喫茶の町
 (17)せんげん台支店を制覇
 (18)ルネッサンスと「お勉強」
 (19)新方川を越え武里団地へ
 (20)武里支店を制覇
 (21)武里団地に別れを告げて
 (22)武里駅に時代の移り変わりを見る
 (23)旧市街地の春日部東口
 (24)春日部支店を制覇
 (25)“海底”を抜けて西口へ
 (26)郊外の駅前、春日部西口
 (27)春日部西口支店を制覇
 (28)伊勢崎線を離れて南桜井へ
 (29)今回の最東端、庄和支店を制覇
 (30)納豆の水戸、ギョーザの宇都宮
 (31)東岩槻支店を制覇
 (32)人形の町、その駅前風景
 (33)“大きな”岩槻支店
 (34)旧城下町・岩槻を歩く
 (35)郊外電車の駅、七里
 (36)七里支店を制覇
 (37)前途に暗雲ただよう
 (38)西遊記と東武動物公園
 (39)異議あり!「久喜から定時運転」
 (40)どうにか鷲宮に到達
 (41)わしみや支店を制覇
 (42)美水かがみ『らき☆すた』について思うこと
 (43)鷲宮から加須へ
 (44)こいのぼりと力士の加須市内
 (45)今年も武蔵野銀行について
 (46)騎西支店に至る道
 (47)16:05、全店制覇完了
 (48)エピローグ ジロリアンにヘンシーン
 あとがき・参考文献+よいお年をお迎え下さい
(タイトルは変更となる場合があります)


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posted by 為栗 裕雅 at 18:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 告知板 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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