2017年04月10日

2014.07.18(金)(6)南濃支店を制覇

 石津駅を背にして、古い商店街を南へ歩いていく。かつては街道だったと思われるが、いまは線路の西方にバイパス道路ができており、こちらは生活道路になっている。駅前の町並みは古い木造建築ばかりで、たまに壁面をトタンで補強している。昭和初期ぐらいかもっと古いかわからないが、味のある入母屋造りの屋根が多くみられる。商店街は電器店とか時計・メガネ店とかが主体で、食料品店は見当たらない。自動販売機だけ置いて、店としては営業していない店舗もある。目抜き通りは対面離合が楽々できるほどの道幅で、センターラインを引いていないのに不思議なほど広いと思った。道のそばを川が流れており、そこを暗渠にしているから、車の通行に関しては対面2車線と変わらない幅があるのだった。
 旧雑貨屋とおぼしき店の横に、踏切が2つ並んでいる。一つは普通に車が通れる道。その隣に神社の参道があって、なんと鳥居をくぐったところにも踏切がある。太さ20cmぐらいの石の角柱で作られた柵で囲われた参道の入口から、1段か2段上がると玉砂利が敷いてあり、そこから3段ぐらい上がると、しめ縄などがちゃんと付いた本格的な鳥居。大正15年6月建之とあって、養老鉄道の開通直後に整備されたものである。こんなところに踏切があるのは、神社の参道を横切って養老鉄道が敷かれたということ。こんな大事な場所を鉄道用地として使わせるとは、大正時代には鉄道に対する期待が大きかったのだなあと感心した。参道の踏切を渡った先には石灯籠が左右に並んだ石畳がずっと続き、しめ縄を巻いたケヤキのご神木が立つ。樹高は25mほどもあるそうだ。その30mぐらい先に石段がもう1つあり、それを上がると鳥居がもう1つ見えて、神々しい雰囲気が漂っている。
 この杉生(すぎお)神社の南で、道が斜めに分かれている。旧街道は線路の東側に沿って南に続いていくが、養老線を斜めに横切る踏切道がある。事前のリサーチでは、1回斜めに踏切を渡らないと南濃支店には行けない。線路が少し高いところを通っているので、2mぐらいの高低差がある。スロープを上がると、線路上で石津駅のホームが見えた。遠いのは改札だけなのであった。
 踏切を渡った横にある開業医の建物は、鉄筋コンクリートの2階建てで、学校の校舎のように立派である。踏切に近い部分は院長の自宅なのか、BMWが1台止まっている。車で送迎されたお婆さんが1人、病院の中に入っていった。診療時間は9時からと書いてあり、まだずいぶん早いようだが、どうしたのだろうか。さらに進んでいくと住宅地になった。左右に民家が建ち並んでいる。各戸は面積が広かったり狭かったり不規則である。妻面を見ると、梁の先端部分が屋根直下の三角形の壁に顔を出していたりする。途中にある旧食料品店のような店舗の店先に、チェリオの自動販売機があった。

 道が左にゆるくカーブしていった先に、ようやく目的地が見えてきた。さっき電車の窓から見えたとおり、白い建材を使った支店の外壁に、緑色のペンキで《大垣共立銀行》と書いてある。店の歴史は相当古いハズだが、建物は2階建ての平べったい、そこそこ新しい建物に建て替えられている。大共の敷地は70cmほど高くなっていて、道と駐車場との間はスロープになっていた。駐車場に入ると、銀行らしく白の軽乗用車が4台も並んでいる。壁面に夜間金庫も見える。いま、男性が1人店の中に入って行く様子だった。この時間に出勤してきた行員だろう。
 敷地の西側を大桑国道が南北に走っている。店の国道側を見ると、国道に沿った部分はセットバックされていて、道路から見ると支店の建物は少し内側に入っている。正面入口もこちらであった。この支店は駅側から歩いてくることよりも、国道側から車で来ることを念頭に置いているようだ。駅から歩いて来て達したのは、どう考えても裏口であった。
 キャッシュコーナーに入る。ATMは富士通のFV20が2台。右側の1台だけが手のひら認証対応であった。機械を操作。07:50、南濃支店を制覇した。

 南濃支店は、1928年5月に大垣共立銀行が合併した七十六銀行の、石津出張所だった店である【注】。
 七十六(しちじゅうろく)銀行は、明治時代に全国各地に多数設立された旧国立銀行、いわゆる「ナンバー銀行」の一つで、これから行く海津市海津町高須町に本店を置いていた。大垣共立銀行もルーツはナンバー銀行だが、その番号は「129」であるから、七十六銀行は大共よりも番号が若いわけである。詳しいことは、この後高須支店のところで述べる。
 そんな七十六銀は、1928年5月大垣共立銀行に合併され、石津出張所は大共の駒野支店石津出張所となった。1936年2月には駒野支店の出張所化に伴い、母店を高須支店に変更している。石津支店に昇格したのは1950年10月のことである。1954年11月に町村合併で所在地が石津村から南濃町となり、石津支店は1970年10月南濃支店に改称した。2005年3月28日、所在地は町村合併で南濃町から海津市に変わり、そして来年(2015年)2月2日、南濃支店は南濃代理店に変更されることとなった。
 店舗の場所は2回変わっている。1958年10月の新築移転で南濃町の太田27から太田40-1に、1980年12月に現在の太田919-3へと動いた。最初の場所は石津駅前の交差点から北へ250mの建材店付近、2番目の場所はそのすぐ南、家具店隣の現駐車場だったようだ。

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 【注】七十六銀行時代の正確な開設日については残念ながら判明しなかった。沿革の記述は基本的に『大垣共立銀行百年史』によっているが、1927年7月発行の七十六銀行第97期営業報告書によると、同年2月23日に石津を含む6代理店を派出所に変更すると大蔵省に届け出ているので、さらに出張所への変更があったとすればその後。
posted by 為栗 裕雅 at 18:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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