2017年05月04日

2014.07.18(金)(30)野寺の集落へ

 またy字分岐があって、羽島方面は直進方向、岐阜南濃線は道なりに左、という案内表示が出ている。この分岐は何らかの形で拠点になるところだったらしく、郊外型のコンビニのような建物が並んで建っていたりする。この三差路のあたりから、これまでなかった歩道が完璧に整備されているのは、セットバックして道を広げる予定でもあるのだろう。民家もだいぶ引っ込んだ奥に建っている。女子中学生がy分岐の横から農道に入って行くのが見えた。後で調べてみると、そちらの道の方が近道だったようで少し悔しいが、知らない道へ迷い込んでタイムロスするわけにはいかない。今日すでにさんざんな目に遭ったから懲りている。
 分岐を左に進むと、幡長宮地(はたおさみやち)という交差点に来た。道はその先で大きく右にカーブしており、カーブの先は堤防上に上がって羽島に抜ける橋につながっている。今回は、その橋は渡ってはいけないのである。もちろん真ん中を渡る選択肢もない。などと下らないことを考えつつ、この四つ角は、直進すると堤防上に上がる県道1号で羽島方面、右折して堤防に突き当たると岐阜と桑名を結ぶ県道23号(北方多度線)である。羽島方面の橋と堤防道路とが立体交差になっている。川沿いを走る道はだいたい堤防の上を走っているのだが、橋に遭遇した時だけこうして堤防から下に降り、橋の下をくぐっていく。大河川を目前にしてダイナミックな景観が広がっているが、矢印看板によると両方とも県道なのであった。
 羽島方面に向かう直進は、大きく右に曲がって堤防上に向かって坂を上がり始めている。坂の上に続く橋は、南濃大橋である。この橋で長良川を越えると、羽島市の大須に出る。大須は、2001年10月まで名鉄の竹鼻線というローカル電車の終点であった。竹鼻線は名鉄名古屋本線の笠松駅から南に延びる支線で、現在はJR岐阜羽島駅前にある新羽島という駅までの運行となっている。竹鼻は羽島市中心部の古い地名である。さっき今尾恵介氏の本の話で触れたけれども、かつては名鉄竹鼻線が海津市域(平田町・海津町)への主要なアプローチで、大須駅前から野寺・今尾を通って高須(歴史民俗資料館)まで岐阜バスの路線が通じていた。岐阜バスは戦時統合で誕生した岐阜県の乗合バス会社であるが、2007年9月を最後に西濃地区から撤退している【注】。海津市コミバスの幹線である海津羽島線は、当時の岐阜バスの路線をベースに設定されている。鉄道がなくなった今、大須を通るルートはほぼ廃れてしまった。私は学生の頃に1度だけ、名鉄竹鼻線で大須まで来たことがある。たしか、大きな無人の木造駅舎にホームが1本だけの終着駅で、この時大須まで来た客は私以外に一人もいなかったと記憶している。
 風の音が続いている。さて、私はどちらの道を行けばよいのだろうか。

 右にカーブしつつ高さを増している羽島方面への道に沿って、堤防上に上がらない側道がカーブの内側にある。少し考えて、私はこの道に入った。
 側道はアスファルトで舗装されているだけで、路側帯などもない。こんな道は車が通ることもないのだろう。側道に入ってすぐ羽島方面のスロープをくぐるトンネルがあった。そこを抜けた先に、雪国、ではなく古い木造建築がたくさん並んだ集落が見える。あそこが、目的地の野寺なのだろう。
 トンネルの先は農道のような道であった。道幅としては車1台が悠々通れるけれど離合は無理なぐらいで、路側帯はかろうじてアスファルト舗装の一番端っこに塗料が塗ってあるかな程度。田んぼの真ん中まで来ると、長良川の堤防のすぐそばに小さな神社の祠のようなものが見える。やはり水害を避けたいためのものだろうか。
 そして、民家の固まっているところで突き当たった。ここから先が野寺の集落らしい。横の田んぼでは、キャタピラの付いた巨大な農業機械が、風圧で何やら噴出している。早くも稲刈りが終わった水田があるのか、脱穀か何かやっているようで、噴出しているのは稲わらのかけらのようであった。この丁字路で右に曲がり、長良川の堤防に向かって進む。すぐ堤防の手前で突き当たり、堤防上に上がる坂道の手前でまた左に曲がった。
 曲がり角には火の見やぐらが立っている。半鐘やスピーカーは付いていないが、すぐそばに防災無線があったりするので、やはり川の動向にはそれなりの警戒をしているようだ。この火の見やぐらは、火の見というより「川見」、川の様子を見るのに使われるのだろう。火の見の横には、「発動機店」とでもいうのか、給油機などが店先に設置されたバイク店がある。というわけで、ここが集落の入口であるようだ。
 集落に入ってくると、古めかしいお寺というか、薬師堂か観音堂のようなものが複数あった。高須の中心部と同じく、至るところに寺がある。崩れかけたような寺もなくはないが、多くは現役のようだ。石垣の上にあずまやを組んだ鐘突き堂が各寺に備え付けられているし、寺の建物自体も相当大きい。高須と同じく真宗大谷派が多いのだろう。一方で、この道は商店建築らしきものがまったくないが、いちおう昔は商店街だったのだろうと感じられた。洋品店が1軒だけ営業している。木造家屋は、木の羽目板ではなくてトタン板を張っているところが多い。白壁の部分が黒い家が多い。それだけ富裕な世帯が住んでいたエリアなのであろう。
 そんな風に自転車を漕ぎ進めていると、いきなり何の前触れもなく大垣共立銀行野寺支店に着いてしまった。住宅地の家と家とのはざまに支店があるような、そんな雰囲気であった。野寺支店の裏は公民館(平田海西公民館)。その奥には土蔵建築のようなものが並び、その間に瓦ぶきの門を構えた邸宅もある。公民館、それから近所にある郵便局の名前「海西」は何と読むのかわからなかったが、1955年に今尾町と合併して平田町になるまで、ここは海西(かいさい)村といった。
 公民館の前が広い駐車場になっており、私は自転車をここに止めた。

 この連載をまとめるにあたって車で一通り同じコースを回り、また自転車では行かなかったところにもいくつか行ってみた。
 長良川の堤防上、南濃大橋のすぐそばに、野寺の集落を俯瞰して見ることのできる場所がある。レストランと地産農産物の直売所を兼ねた「クレール平田」という施設で、旧平田町がつくった“道の駅”。単に道の駅だけでなく、長良川の水位観測カメラのような重要なものも併設されている。朝の8時から営業していて、地域に雇用を創造しているようだ。
 道の駅の裏側に回ってみて、そこから直ちに野寺の集落に降りられることに驚いた。野寺へ行くのに、道の駅まで車で行くという使い方ができる。大型農機がわらのかけらを噴き上げていた場所、大きな農機の格納庫、それに曲がり角にあった火の見やぐらといったものは、ここから真正面に見える。
 農家は大きめの建物が目立つ。北関東によくある養蚕農家の建物から、屋根上の明り取り窓を取り除いたような感じの建物が、あちこちにみられる。上から見おろした野寺は、まさに農村としか言いようのない雰囲気だが、経済的には豊かな地域のようであった。戦前には特に地主階級の多いところだったそうで、終戦直後の農地改革でだいぶ削られたものの、現在も地主の家が多いという。商業こそ全く気配がないけれども、野寺には大垣共立銀行が営業拠点を積極的に置くだけの基盤があるのだろう。

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 【注】大須から海津方面への路線廃止は2002年9月。
posted by 為栗 裕雅 at 18:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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