2017年05月05日

2014.07.18(金)(31)海津市全店制覇達成

 野寺支店は、通りに面した部分は平屋建てで、敷地の奥に2階建てを建て増してある。窓口室は平屋の部分であった。駐車場に面した壁面に夜間金庫の投入口らしきものがあるが、利用者がいないとみえてステンレスの器具で塞がれている。それを横目で見ながら支店に入った。
 建物入ってすぐ前がATMで、その左側に窓口室が広がっている。ここ野寺支店に至って、とうとうATMの台数が1台になってしまった。キャッシュコーナーには、手のひら認証対応の富士通FV20が置かれている。
 ATMの横に「近隣のATMご案内」なる手製の地図が掲示してあって、野寺支店の他には[輪之内町役場]と今尾支店だけが書かれていた。[イオンタウン輪之内]と[ヨシヅヤ海津平田店]は書かれていなかったが、そこから察すると、イオンタウンはともかく、ヨシヅヤも比較的新しい拠点であるようだ。それから、ヨシヅヤそばのカーブと思しきところに「十六銀行」と書いてあり、テープで消してあった。廃店になった今尾支店であろう。
 消されているとはいえ、大垣共立銀行の中の人が作った略図に「十六銀行」の名前が書いてあるのは、興味深く思った。大共と十六銀行の2行は、岐阜県に明治期から続く銀行であるが、銀行としての規模(預金残高など)や岐阜県内でのシェアは十六銀の方が大きい。しかし、戦前には大共の方が大きいこともあった。十六銀の後塵を拝す形になった大共は、強烈なライバル意識をもって十六銀に対峙してきたという。その象徴的な事例としてよく引き合いに出されるのが、大垣市中心部の郭町にある大共の本店ビルの話である。1973年6月に竣工した大垣共立銀行本店は17階建てで、「16を上回る」という強烈な意志が込められているとされる。もちろん、こんな話は当の大共では明確に否定しているのだが【注】、こういう話が「さもありなん」としてまことしやかに語られるほど、大共の十六に対する対抗意識は強かったのだろう。もっとも、この近所に十六銀の店舗はないし、ATMさえ1台しかないような農村部の支店では、現場で利用者利便を考えた場合、そんな行内の競争意識など無用であろう。だから私は、ここに「十六銀行」の文字が入っていたことを高く評価したいと思う。
 そんなことを考えながら、ATMを操作する。11:51、野寺支店を制覇した。

 野寺支店は、七十六銀行野寺支店として1917(大正6)年1月に開設された。1928年5月の大垣共立銀行合併の際には、支店ではなく出張所として引き継がれることになり、今尾支店野寺出張所となった。1950年10月野寺支店に昇格、1955年2月町村合併により所在地は海西村から平田町となった。1967年5月に土地改良工事完成に伴う地番変更が行われ、所在地は平田町野寺字川田1299となった。この場所は、「めぐ」当日に使われていた支店建物の東80m、商店横の現駐車場であるようだ。1970年9月に字川田1362に新築移転、これが本日訪れた店舗である。1978年11月、野寺支店は今尾支店野寺特別出張所となったが、1987年9月支店に再昇格した。1978年に始まった特別出張所の制度により、大共は野寺支店を廃止して代わりに高富支店(山県市)を開設している。特別出張所は、不採算ではあるが銀行としてその地区から撤退したくない場合に多く用いられた制度のようだから、野寺支店の位置付けがこのあたりからも読み取れる。
 2005年3月、海津郡の3町合併により自治体名は平田町から海津市へと変わり、そして2015年2月2日の代理店化を迎えることになる。野寺支店は代理店化と同時に集落の外側に移転し、新しい野寺代理店は新築店舗で営業を開始した。新店舗の所在地は、海津市平田町野寺字川田1215である。
 沿革で触れた土地改良事業について解説を加えておこう。輪中地域での土地利用上の特徴として、江戸時代中期に始まった「堀田」というものがあった。輪中内の水田は、水が多すぎて常に水に浸かった状態になるので、農地を1〜1.5mほど櫛形に掘り下げ、掘った土で掘り残した部分を盛り上げて、その盛り土部分で耕作する。掘り下げた水たまり(掘りつぶれという)は四水六土といわれ、農地の4割ほどを占めるところもあった。盛り土の端が特に崩れやすく、掘りつぶれを定期的に浚渫して端を固めるのは大変な重労働であったという。これをなくして近代的な水田に生まれ変わらせたのが、戦後行われた土地改良事業である。輪中内で余った水を排水するためポンプ場を建設し、あわせて長良川や揖斐川を浚渫して得た泥で掘りつぶれを埋め立て、区画整理も行って、大形で長方形の乾田に姿を変えた。戦後1949年に土地改良法が施行され、1953年から国と県が排水機を設置して埋め立てを開始、昭和30年代のうちに改良工事は終了した。

 これで、海津市の全店制覇を達成した。ここで終わりにしてもキリが良いのだが、「大共めぐ」の旅を続けよう。次の目的地は[イオンタウン輪之内]である。海津市を離れて安八郡輪之内町に入る。
 制覇作業の後、窓口室のカウンターに歩み寄った。地元の人なら近道を知っているだろうから、イオンへの道を教えてもらおう。中年の女性行員がお相手してくれた。支店前の道を郵便局の方に行けばいいらしい。いろいろ詳細に教えてくれたが、要するに、郵便局の先で左折し、右に曲がって左に曲がれば良いようだ。
 だいぶ疲れてきているのか、少し足がよろついた。道を聞いた窓口さんが「ご苦労様です」と労ってくれた。

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 【注】当時の頭取土屋斉氏は、20階建てにするつもりだったが大蔵省の指導で17階に縮小したと語っている。足利銀行の頭取から、階数は多目に申請しておいた方がよいとのアドバイスを事前に受けていたという。
posted by 為栗 裕雅 at 18:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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