2017年05月07日

2014.07.18(金)(33)これは輪中堤である

 2014年7月18日の「めぐ」に戻る。
 野寺支店前の四つ角から北に進む。海西郵便局の真裏は仏教寺院で、現役らしき鐘突き堂が見える。郵便局の北隣は海西警察官駐在所で、“村の駐在所”といった感じがする。突き当たって左に曲がり、長良川の堤防を背に、対面2車線で白色破線センターラインの道を西に向かうと、JAにしみのの野寺支店。JAの建物は築10年ぐらいは経っていると思うが、新しそうに見える。駐在所といい農協といい、鄙びた農村のイメージを醸し出す言葉であるが、建物からは「鄙びた村」というイメージは全く感じられなかった。
 その先の信号で今度は右に曲がって、真っすぐ北進する。この四つ角は前述の野寺代理店が新築された角である。北に向かう道も、これまでと同じ対面2車線白破線センターラインの道だが、ここは海津市の幹線となる岐阜羽島への路線バスが通る重要な道である。このあたりの農地は水田と畑が半々ぐらいで、水田の比率がちょっと下がっているのは高須や今尾近辺と比べると標高がやや高いせいだろう。そう思ったところで、北に向かってちょっと地形が下がり、水田ばかりになってきた。道路は田んぼの真ん中を直線的に突っ切って続いている。柵で厳重に覆われた用水路を越えた。

 〔勝賀西〕というバス停の先に、木がたくさん生えた緑の帯が見えてきた。堤防だろうか。あそこに向かってまた少し上り坂になっているようで、あの緑の帯が地形としての頂点であるようだ。
 軽い上り坂を上がり切ると、そこは思ったとおり堤防のようであった。かなり古い時代のものらしく、樹木の生え方などは自然な印象であった。堤防の向こうに川らしきものはなく、ただ道路の部分だけ切り通しになっており、それを抜けたところから今度は下り坂が始まっている。切り通しの切り口には石垣が築かれ、その中央には縦に2本スリットのついた意味ありげなコンクリートの構造物がある。一方、路面には四角い鉄板が4枚置かれていて、その部分もアスファルト舗装ではなくコンクリで固められている。堤防の上には、海津市のマークを付けた倉庫らしき建物が建っている。
 何だこれはと思ったが、コンクリの構造物、そして堤の上の倉庫でピンときた。あの倉庫の備品を使って、この切り通しを塞ぐのではないか。そういえば、さっき野寺支店の窓口さんは「ワジューテーを越えて」とか何とか言っていた。何かを「越える」のはわかっていたが、いま一つピンと来ていなかった。そうか、これがその「輪中堤」なのか。
 輪中堤というのは、要は堤防である。ただ、川に沿って築かれている通常の堤防とは異なり、ここに“河川”はない。この堤防は、近所を流れる大河川の堤防が大雨などで決壊した時に、流れ込んでくる大水を食い止めるためのものである。いま走ってきた道路は輪中堤と直角にクロスしているが、通常の堤防のようにスロープで上に上がって越える形ではなく、切割(きりわり)といって道路の部分だけ切り通しになっている。
 道の真ん中に置いてある鉄板は、H形鋼のような柱を立てるための穴に、蓋がしてあるのである。切割を閉め切る際には、路面の蓋を外して穴に柱を立て、H形鋼の柱の凹みと、堤防のコンクリのスリット部分とに板を渡してはめ込む。さらに、その周囲に大量の土嚢を積んで、濁流の襲来に備えるわけである。堤の上の倉庫は水防倉庫で、ここに輪中堤を閉め切るための資材や道具が常備されている。倉庫には合併後の海津市の市章が付けられており、忘れられた施設でないことがわかる。
 今回の場所とは異なるが、輪中堤が威力を発揮したのが、1976年9月12日に起きた集中豪雨の時であった。今も「安八豪雨」の名で語り継がれているこの集中豪雨では、輪之内町の北に隣接する安八町で長良川の堤防が決壊し、下流側の輪之内町は、安八町との境界にある輪中堤の切割をすべて封鎖した。安八町では、この水害によりほぼ全域が水に浸かり、最大湛水深は3mにもなったが、輪之内町は難を免れた。輪中堤は高度成長期以降はモータリゼーションの進展で邪魔者扱いされ、切り通しにして道路を通したところも多かったが、安八豪雨以後はその威力が見直されて現在に至っている。
 ここにある輪中堤は、濃尾平野の輪中で最大面積を誇る、高須輪中の最北端である。海津市の東半分、旧海津町と平田町を合わせた領域が、そっくりそのまま高須輪中の範囲となる。もともとは大榑(おおぐれ)川という河川の堤防であった。大榑川は江戸時代初期につくられた人工河川で、明治以降に大規模な治水工事が行われて廃川となった。木曽・長良・揖斐の3つの川のうち、東の木曽川が標高の最も高いところを流れており、西端の揖斐川が最も低い。このため、東側の川で大水が出た時は、放水路を使って西側に分ければ水量が減るわけである。大榑川はもともとこのような目的で、長良川の水を揖斐川に分けるため造られたのであった。ただし、今度は揖斐川での水害が多発するようになったため、前述した宝暦治水の際、長良川との分岐部分に洗堰【注】が造られた。結局これも水害の除去には不十分で、抜本的な改善は明治期に外国人技師のヨハネス・デ・レーケによって濃尾三川が分離されるのを待たなければならなかった。大榑川もデ・レーケの指示により封鎖された。

 東京在住の私が輪中堤を越える経験は、「大共めぐ」をやらない限りできなかった。私は、銀行めぐりをやっていてよかったと、知的好奇心を満たす喜びを噛みしめていた。

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 【注】洗堰(あらいぜき):川をせき止める堰の一部を低く切り欠いて、大水が発生した時その一部を堰の向こうに流すことで、水位を下げるためのもの。宝暦治水では、揖斐川流域の住民は大榑川を完全に締め切りたかったが、長良川流域から強い反対が出たため、長良川の水が増えた時に水を分ける洗堰で合意した。
posted by 為栗 裕雅 at 18:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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