2017年06月02日

あとがき・参考文献

 「大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇」、6月1日をもって完結いたしました。最後までお読みいただいた方には、例によってダラダラと続いた連載にお付き合いいただき、御礼申し上げます。分量は400字詰原稿用紙換算で450枚を若干上回りました。

 大垣共立銀行を取り上げるのは今回が初めてであり、店舗外ATMを含めた制覇記の執筆も初めてでした。営業店だけでなくATMまでハシゴしますと、その地域との触れ合い方も一気にディープになるように思います。私は「めぐ」はその地域との対話であると常々考えておりますが、今回舞台となった海津市・輪之内町・養老町とはそれが濃密にできたのではないでしょうか。
 今回の「めぐ記」に着手したのは前回の「みちのく銀秋田県全店制覇」より半年ほど古かったのですが、リリースは秋田県篇が先行しました。そのあたりの事情については前回触れたとおりです。ただ、今回は調査事項が難航するかと思いましたが、思いのほか順調に進みました。前々作、大阪市バス[93]を作っていた時は、頭を押さえつけられるような苦しい感覚がありましたが、今回それはありませんでしたので、楽しく作業ができたと思っています。
 辛いことがあったとすれば、自分のバカさ加減についてでしょう。「めぐ」の途中でも些細な確認を怠って大チョンボをやらかしているのですが、まあ頭の働きが鈍いことや、ズボラな性格は誰を呪っても仕方がありません。自分を呪わずにいられないのは、自分の不勉強な部分についてです。今回は特に歴史的な記述が多かったのですが、これらを書くうえでの予備知識の無さには泣かされました。高校で習う程度の日本史の知識は、文系の私にとっては一日本人として生きていくうえで必要なものであると思いますが、それがほぼゼロの状態でこれらの記事を書くのは、かなりしんどいものがありました。ただ同時に、何かを学ぶことの喜びも、ことのほか多く感じたのは事実。こうした喜びを十代の頃に味わっていれば、私の人生はまた違ったものになっていたでしょう。過去の自分を呪わずにはいられない理由がそこにあります。
 もっとも、そういう人生を歩んでいたら、銀行めぐりの体験記など書くこともなかったでしょうが。

 ところで、連載を制作していて知ったのですが、東京大学の2011年の前期入学試験で、今回行った養老線駒野駅周辺の新旧地形図を判読する問題が出題されていました。東大の入試(文系)は社会科が2科目必要でして、地形図の問題はそのうちのわずかな部分を占めるに過ぎません。しかし、今回の連載を熟読していただければ、この部分は満点に近い点数が取れるハズです(この連載もそれを意識して作成してあります)。興味のある方は問題を入手して解いてみて下さい。地理、第1問の設問Bです。

 今の日本社会は、変わらぬことよりも日々流転していると感じられることの方が多いようで、いろいろな意味で「時代の節目」になっているのは間違いありません。数年後に読み返して「古い!」と感じられることがあるかもしれませんが、あくまで2014年7月の実体験と、その後の連載期間における「一面の真実」です。そういうものだと思ってお読みいただくことを望みます。
 この連載のような「文章を使っての自己主張」が、私の存在意義だと思っています。今後ともご支援・ご鞭撻をいただけますようお願いします。ご意見や情報提供をお待ちしています。このブログ「MEGU」ではコメントを歓迎していますし、私のメールアドレスも公表しています。

 なお、この連載の執筆にあたっては、以下のような書籍・ウェブサイト等を参照いたしました。


参考文献
 紙の出版物は刊行年順、同年はタイトルの五十音順。ウェブサイトはサイト名の五十音順、2017.03.29現在。新聞記事の日付・見出しは省略した。

 『美濃国加茂郡誌』岐阜県加茂郡役所、1921年
 西山秀吉編『福神大黒天』埼玉銀行調査課、1953年
 『東海銀行史』東海銀行、1961年
 中川李枝子『いやいやえん』福音館書店、1962年
 『平田町史』平田町、1964〜1984年
 『わが行の70年』大垣共立銀行、1966年
 『産業フロンティア物語 ベアリング〈東洋ベアリング〉』ダイヤモンド社、1967年
 『埼玉銀行史』埼玉銀行、1968年
 『美濃加茂明治百年史』美濃加茂市教育委員会、1968年
 『海津町史』海津町、1969〜1984年
 『岐阜県史 通史編』岐阜県、1965〜1973年
 『第四銀行百年史』第四銀行、1974年
 『安田保善社とその関係事業史』安田保善社とその関係事業史編修委員会、1974年
 『養老町史』養老町、1974〜1978年
 『80年のあゆみ』大垣共立銀行、1976年
 『南濃町史』南濃町、1977〜1982年
 『十六銀行百年史』十六銀行、1978年
 『百十四銀行百年誌』百十四銀行、1979年
 『美濃加茂市史 通史編』美濃加茂市、1980年
 『輪之内町史』輪之内町、1981年
 和木康光『伊吹の年輪』中部経済新聞社、1981年
 杉本苑子『孤愁の岸』講談社(講談社文庫)、1982年
 『続東海銀行史』東海銀行、1982年
 植田まさし『まさし君 2』芳文社、1982年
 『新日本地誌ゼミナール4 中部地方』大明堂、1983年
 中村隆英『明治大正期の経済』東京大学出版会、1985年
 『大垣共立銀行九十年史』大垣共立銀行、1986年
 『写真集明治大正昭和美濃加茂』創文出版社、1986年
 中村隆英『昭和恐慌と経済政策』講談社(講談社学術文庫)、1994年
 『大垣信用金庫70年史』大垣信用金庫、1995年
 『市民のための美濃加茂の歴史』美濃加茂市、1995年
 伊藤安男編著『変容する輪中』古今書院、1996年
 『大垣共立銀行百年史』大垣共立銀行、1997年
 『十六銀行百二十年史』十六銀行、1998年
 今尾恵介『地形図探険隊』自由国民社、1998年
 岐阜新聞社編集局編『時代に挑む 土屋斉の20世紀』岐阜新聞社、1999年
 上林好之『日本の川を甦らせた技師デ・レイケ』草思社、1999年
 坂口達夫『宝暦治水・薩摩義士』春苑堂出版、2000年
 三浦展『ファスト風土化する日本』洋泉社、2004年
 『百十四銀行百二十五年誌』百十四銀行、2005年
 牛嶋正『宝暦治水 歴史を動かした治水プロジェクト』風媒社、2007年
 千葉昇監修『日本の国土とくらし1 低地の人びとのくらし』ポプラ社、2011年
 鳥海靖『もういちど読む山川日本近代史』山川出版社、2013年
 水谷英志『薩摩義士という軛』ブイツーソリューション、2014年
 『第四国立銀行展図録』新潟市歴史博物館、2016年

 『営業報告』七十六銀行
 『銀行総覧』大蔵省理財局
 『銀行通信録』東京銀行集会所
 『全国銀行財務諸表分析』全国銀行協会連合会、全国銀行協会
 『全国相互銀行・無尽会社財務諸表分析』『全国相互銀行財務諸表分析』全国相互銀行協会
 『全国無尽会社財務諸表分析』全国無尽協会
 『ゼンリン住宅地図』ゼンリン
 『第二地方銀行協会加盟行財務諸表分析』第二地方銀行協会
 『ニッキン資料年報』日本金融通信社
 『日本金融名鑑』日本金融通信社
 『日本スーパー名鑑』商業界
 各行ディスクロージャー誌

 『毎日新聞』
 『日本経済新聞』
 『中日新聞』
 『岐阜新聞』

 「NEW OKB3」『綾小路司のブログ』http://ameblo.jp/tuka4646/entry-12153989381.html
 『エム・エス・ケー農業機械』http://www.mskfm.co.jp/company/outline.html
 『大垣共立銀行』https://www.okb.co.jp
 『大垣市』http://www.city.ogaki.lg.jp
 「「おちょぼさん」を楽しもう!千代保稲荷神社〜界隈めぐり」『大垣地域ポータルサイト西美濃』http://www.nisimino.com/nisimino/tokusyu/ochobo/
 『オークワ』https://www.okuwa.net/
 『海津市』http://www.city.kaizu.lg.jp/
 『臥龍山行基寺』http://www.gyokiji.org/index.html
 「2011年度国公立大二次試験・私立大入試解答速報 東京大学[前期]」『河合塾』http://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/11/t01.html
 「長良川9.12豪雨災害(安八豪雨)40年事業」『国土交通省 木曽川上流河川事務所』http://www.cbr.mlit.go.jp/kisojyo/gousaigai_40th/
 『古今珍品情報流通センター』http://www.chinpin.biz/index.html
 「高須城」『古城探訪』http://www.geocities.jp/pappakun12/aruku/minokoku/takasu/takasu1.htm
 『コノミヤ』http://www.konomiya.jp/
 「ヤナゲンストアー養老店完全閉店セール見てきました」『コラム更新日記』http://www.sekkaku.net/column/3488.html
 『今昔マップ』http://ktgis.net/kjmapw/index.html
 『十六銀行』http://www.juroku.co.jp/
 『JAにしみの』http://www.jan.or.jp/
 「日本三大都市の一つらしい名古屋の玄関・名古屋駅太閤通口に残る「笹島ドヤ街」の痕跡を求めて」『新日本DEEP案内』http://deepannai.info/nagoya-sasashima-doyagai/
 『セントラルジャパン』http://www.central-j.com/
 「銀行変遷史データベース」『全国銀行協会』http://www.zenginkyo.or.jp/library/hensen/index.html
 『高田祭り』http://www.ccnet.ne.jp/yoro-takada-fes/
 「株式会社フードセンター富田屋に対する再生支援決定について」『地域経済活性化支援機構』http://www.revic.co.jp/pdf/news/2015/150825newsrelease.pdf
 『「鉄」記者ブログ』https://www.gifu-np.co.jp/blog/tetsu/
 「岐阜 スーパーマーケット (株)FT商事(旧:(株)フードセンター富田屋)」『東京商工リサーチ』http://www.tsr-net.co.jp/news/tsr/20160405_02.html
 金永昊「「養老の滝」説話の展開:『玉櫛笥』巻一の第一話「養老の滝」を中心に」『東北学院大学教養学部論集』168号、2014年8月 http://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2014/pdf/no06_05.pdf
 『トミダヤ』http://www.tomidaya.com/
 『Massey Ferguson』http://int.masseyferguson.com/default.aspx
 『三重交通グループホールディングス』http://holdings.sanco.co.jp/
 『名阪近鉄バス』https://www.mkb.co.jp/
 「ユニチカ百年史」『ユニチカ梶xhttps://www.unitika.co.jp/company/archive01.html
 『養老町』http://www.town.yoro.gifu.jp/
 『養老鉄道』http://www.yororailway.co.jp/
 『義津屋』http://www.yoshizuya.com/
 『輪之内町』http://town.wanouchi.gifu.jp/
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2017年06月01日

2014.07.18(金)(58)エピローグ 自転車返却の旅

 最後の制覇目標が金太郎飴のようなショッピングセンターで、充実感というものからはだいぶ遠いと感じるが、本日の「めぐ」の全行程がこれにて終了した。しかし、私にはまだもう一つ重大な仕事が残っている。レンタサイクルを返却しなければならないのである。
 ここから最も近い養老鉄道の駅は、さっきかすめた美濃高田駅。しかし、美濃高田は無人駅であり、レンタサイクルの扱い駅ではない。電車内に自転車を持ち込める「サイクルトレイン」が利用できれば良いのだが、残念ながら平日は15時で終わりである。そうなると、美濃高田の1駅先、養老駅まで自転車を漕ぐ必要がある。最後に残されたのは、事前の計算で5.64km、24分のサイクリングであった。
 時計を見ると、夕方5時ジャスト。本来なら、この時間までに養老駅での自転車返却まで済んでいる計画である。今朝、駒野駅で申込書を書いた時、夕方4時過ぎには全部終わる予定で返却予定時刻を「17時」と書いたのだが、残念ながらそこには間に合わなかった。
 とりあえず、養老駅に電話を入れた。返却が遅れて18時頃になる旨を伝えると、「ご丁寧にありがとうございます」と返事をいただいた。

 イオンタウン養老から高田の街までは、これまで来た道の逆コースである。田んぼの真ん中を突っ切り、名神高速を突き抜け、急坂を上がって牧田川を渡る。高田橋を渡り切った後の下り坂は、市街地に突入して交通量が多くなったこともあって、あまりスピードが出せなかった。町役場の前を通り、押越出張所を横目で見つつ、[珍品センター]の方からやって来た県道養老平田線と交わる石畑の交差点までは、何事もなく経過した。
 様子が変わってきたのはここからである。いま走っている県道96号大垣養老公園線は、美濃高田駅付近からずっと養老線の線路に沿っているが、石畑の交差点を過ぎたあたりから、また微妙にペダルが重たくなってきた。目には見えないけれども、ゆるい上り坂になっているのだろう。ペダルが重いといっても、普段なら難なく乗り越えられる程度の坂(というより傾斜)だと思うのだが、それが全然登れない。こんな道で自転車漕げないの、と思うぐらいであった。足ががくがく、というか、左の膝を曲げると痛い。しかも右足も力をかけるとつってきてしまう。
 そして、明らかに坂道だとわかる道に変わってきた。もうこのあたりまで来ると、漕ぐ合間に休むのか、休みの合間に漕ぐのか、わからなくなっていた。石畑の交差点を過ぎてからは、線路からちょっと離れたところに何軒か住宅が散在し、基本的には住宅と畑と駐車場ばかりであった。建物が切れたあたりが、ちょうどその微妙な坂道のサミットのようだ。ここまで来ると、養老線の線路を1mぐらい見下ろしている。
 うっそうと茂った森の中で、「高さ制限4.3m」という陸橋の下をくぐった。この陸橋は柏尾谷という天井川である。天井川は午前中に養老線でトンネルを通ったけれども、ここはトンネルを掘るよりも安上がりだったか、高さが足りなかったかで、崩して陸橋にしたのであろう。天井川のあたりに人家はなく、竹薮になっていたり石垣が築いてあったりした。天井川の陸橋を抜けたあたりから、上り勾配が明らかにきつくなったが、そこを過ぎると再び住宅が固まって建ち始めた。
 前方に行政が立てた青い矢印看板が見えた。この先の四つ角で左折すると養老駅であるという。ちなみに、直進すると桑名・海津、右折すると養老公園だそうである。交差点の手前に1本、左に行く下り坂があるが、ここでだまされてはいけない。青い矢印看板が示す交差点は、坂を登り切った信号のところである。
 信号のある交差点までやって来た。そばにひょうたん屋があった。養老の滝のお膝元ゆえ、ひょうたんの加工品のひさごを売っている。養老町は有名な観光資源がある分恵まれており、通常の田舎町のような生計の立て方ができなくなっても、観光で食っていくことができる。いずれにしても、天井川からここ養老公園東の交差点までの間が、最大の胸突き八丁であった。地形図で標高を見ると、石畑の交差点が約13m、1km離れたこの四つ角が33mであって、勾配としては20パーミル。今日の行程の中では急な坂の一つで距離も長かった。坂道としてはごく普通のハズだが。
 交差点を左に曲がると、その先は駅に向かって右にカーブしつつ、一方的な下り坂であった。上多度橋という橋が架かっており、橋の下には滝谷という水の流れていない川があった。さらにどんどん下がっていく。ここも古い住宅地だが、商業はほとんどないようだ。
 加速がつき始めたところで、左前方に最終目的地が現れた。養老駅である。朝にならない夜がないように、苦行から解放される時がようやくやって来たのであった。

 17:43。私は、養老鉄道養老駅に到着した。
 養老駅は渋い平屋建ての木造駅舎であった。養老公園の観光客を当て込んだ駅だけれども、それにしても駅舎を重厚に作りすぎていないか。そう思っていたら、1919(大正8)年の築で、初代養老鉄道の本社屋だという。養老の滝の伝説にちなみ、駅の内外はひょうたんで埋め尽くされている。
 駅舎を背景に自転車の写真を撮った後、出札窓口の駅員に、自転車を返しに来た旨を告げる。40km余り行動を共にしてきた“愛車”とはこれでお別れである。返却作業は、自転車を引き渡し、駅員の「もうそれで結構ですよ」の一言であっさり終わった。当初返却期限の17時には間に合わなかったけれども、17:45には返却できた。16:10をメドとしていたから、トータルでは1時間半ほどの遅れということになる。自転車を漕ぐスピードを時速12kmで計算してこれだから、自転車で回るプランは8〜10km/hで計算しないとダメなようだ。16km/hで計算していたら、お話にならないほどの破綻ぶりになっていた。
 何が失敗だったかといえば、何といっても、自分の体力のなさを考慮に入れていなかったことである。体力的な失敗がなければ、当初のスケジュールでほぼ行けていたと思う。バテて漕ぎ進まなくなってしまったので、どんどん遅れていった。もう1つ、リサーチ不足により今尾付近で遠回りになったこともある。
 それにしても、体力の落ち方がもっと激しかったら、養老駅に自力でたどり着くこともできなかったかも知れない。今後、レンタサイクルで「めぐ」をやるような時は、今回のように15か所【注】とか欲張らず、10か所以下で留めておくのが無難であろう。まあ、今回乗った自転車がひどかったのは間違いない。ペダルもがくがくしていたし、よくあれで40km以上走って養老駅まで乗れたと思う。ディマジオに似た名前の自動車教習所よ、スポンサーとして何とか改善してくれたまえ、マジで。

 自転車を返した後、しばしの待ち時間があって、養老駅から18:11発の大垣行きに乗った。大垣駅に着いたのは6時半過ぎであったが、電車が終着駅に着いてもすぐには立ち上がれなかった。こんなにヘトヘトになったのは、久しぶりであった。もう1泊してふらふら遊んで帰ろうと思っていたのだが、あまりに疲れてしまったので、在来線で名古屋まで出たものの、そのまま新幹線で東京に帰って来てしまった。往路を夜行バスで安く上げているので、復路で新幹線を使っても罪悪感は薄い。
 左足の膝の痛みは本当に辛かった。ひきずって歩くような状態で、これは階段の上り下りに多大な支障があった。東京駅をはじめ公共交通機関の階段の多さを、改めて思う。東京駅で新幹線ホームから階下に下りるのはまあ良いとして、下りてから新幹線改札までの間にまた階段があるのだ。そのうえ、今回私は購入した切符の関係から改札機を通ることができないので、端にある有人改札に回らざるを得なかった。改札を出ると、さらにもう1か所、踊り場1つ分ぐらいの階段。そこから中央線ホーム行きのエスカレーターまで歩き、一気にビル3階ぐらいの高さまで上がる。乗り換えの回数が1回増えるごとに、アップダウンの回数はどれだけ増えることだろうか。というわけで、都市生活では階段の数が大変多くなるけれども、それは大都市に限らない。むしろ、地方都市ではエレベーターの数も少ない分だけいっそう大変ではないかと思う。都市生活は健常者でなければ無理、というのが実感で、身体障害者は大変だろうなと思った。いっそ、電車でどこかに出かける機会もなくなったような人なら、田舎で隠居するのも良いのかも知れない。
 翌日は一日中寝ていた。起きる頃には、左足の膝の痛みはだいぶ消えていた。単に使い過ぎただけだったようだ。

58-1.jpg58-2.jpg

 【注】自転車で回った数。

[大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇 完]

【お知らせ】「あとがき・参考文献」を明日18時に公開します。
posted by 為栗 裕雅 at 18:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ一覧(過去の連載など)
関西みらい(5)
単発(12)
告知板(24)
大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇(62)
銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇(29)
りそめぐ2013梅雨 大阪市営バス“最長”路線[93]を行く(43)
りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇(51)
りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇(35)
りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇(8)
りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた(18)
りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動/銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇(20)
りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー(11)
りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ(47)
りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇(51)
りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
りそめぐ2007秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる(35)
2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)