2008年09月14日

2007.11.26(月)(8)松井山手への道

 いよいよ松井山手に向かう。
 くずは支店に行く前に、ロータリーを囲む歩道にずらりと並ぶバスの時刻表の中から松井山手行きを探しておいた。2系統あって、両方合わせて15分に1本程度は出ているようだ。どちらも近鉄新田辺行きの京阪バスである。
 駅前の2B乗り場で、31番近鉄新田辺行きを待つ。やがてやって来たバスは、京阪バスということだったが、クリーム色の車体に臙脂色の帯が入っていて、普通の京阪バスのカラーリング(白地に赤帯)とは違っていた。
 走り出したバスの窓から見ていると、くずはモールというショッピングセンターは相当に奥行きが深いようで、なかなか建物が切れなかった。その後は一戸建て住宅が切れ目なく続く。さすが高級住宅地である。樟葉東公園あたりでは「8階建てマンション反対」の幟がたくさん立っていて、開発が進んでいる地域であることをうかがわせた。
 わずかな距離を走っただけだが、関西医大病院を境に大阪府枚方市から京都府八幡市に入る。りそな銀行のラッピングバスとすれ違って間もなく、私の乗ったバスは「男山泉」の交差点で右折。男山とは「男権論者」を標榜する私には素晴らしい名前と感じられる。男山団地はくずはの後背地にあたるところで、地形で言うと「天王山」のある大山崎(京都府大山崎町)から木津川の左岸方向に一直線に標高の高い土地が連なっていて、山脈(のような部分)の一部を切り崩して造成されたものである。今から行く松井山手は、地形的には男山の続きの部分であるが、片町線より京阪沿線の方が開発時期が古かったのだろう。
 京都銀行は男山支店を出しているようだ。その近所で見たガソリンスタンドでは、レギュラー1リットル146円となっていた。ファミレスの「夢庵」でロードサイド型の店舗を初めて見た。
 と思ったところで、団地がようやく切れて郊外の幹線道路といった趣になった。あとで知ったことだが、この道は摂南大学付近の八幡洞ヶ峠という交差点で国道1号線枚方バイパスと交差する。バイパスは交差点のすぐ南側が「洞ヶ峠」という峠になっている。日和見することを指して「洞ヶ峠をきめ込む」というが、その語源となった洞ヶ峠そのものである【注】。

 洞ヶ峠そばの交差点を抜けると、新しい開発地・京田辺市に入る。つい20年ほど前までひなびたローカル線の趣を残していたJR片町線が「学研都市線」として大変貌をとげ、その頃から本格的に開発が進んできた松井山手は、瀟洒な一戸建て住宅が建ち並び、大マンションが林立し、そして山を崩しての開発風景が随所で見られる。更地もまだ多く、発展のポテンシャルを秘めた地域ということであろう。目的地が近づいてきた。

【注】洞ヶ峠をきめ込む:1582(天正10)年、本能寺の変の直後、主君・織田信長を討った明智光秀の軍と、信長の重臣・羽柴秀吉の軍が、山城国山崎において激突した(山崎合戦)。明智・羽柴の双方から加勢を依頼された大和の大名・筒井順慶は、山崎の南方にある洞ヶ峠まで一度は兵を進めながらも、ここで戦いを観望し、有利なほうに味方しようとした。ここから、有利なほうにつこうと形勢をうかがう「日和見」のことを「洞ヶ峠をきめ込む」というようになった。但し、この伝説は史実に反しており、筒井順慶は洞ヶ峠に着くことなく撤兵して中立を保ったとされている。
posted by 為栗 裕雅 at 18:00| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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