2006年04月29日

2006.01.12(木)(16)観光地の「ダイヤの原石」田原本

 駅前から歩き出してすぐにわかったのだが、田原本駅前の風景は実際に「新鮮な風景」であった。田原本駅前は商店街で、商店がぎっしりと並んでいる。駅前商店街そのものは別に珍しくもないが、この町のすごいところは何と言っても町並みであった。商店として活況を呈しているかどうかはともかく、並ぶ建物にはことごとく年季が入っている。何しろ、土蔵づくりの商店まである。古い時代の商店街にタイムスリップしてきた感じが、本当にするのだ。昭和初期、東京にはいわゆる「看板建築」と呼ばれる商店建築が一世を風靡したが、ここの商店建築は明らかにそれより古い。以前来た時にはそこまで目が肥えていなかったはずだから、その点でも「新鮮な風景」であった。
 事前のリサーチのとおり、駅前からクランク状に右折−左折と曲がって、東の方向に進んでいく。相変わらず年季の入りまくった商店街が続いている。道幅は車1台通れるぐらいだろうか。対向車の離合はちょっと難しそうである。
 このあたりの商店建築は、土蔵と格子のついた窓が標準装備であるようだ。とにかく土蔵の残存率が高い。つい「土蔵がすごくたくさん残ってるんどぞう」と親父ギャグを独りごちてしまった。個人商店の業種としても、呉服店まである。窓に格子のついた商店や土蔵づくりの商店に混じって、この地域の豪商の屋敷だったのか、屋根つきの塀で囲まれた民家もちらほら見られる。
 田原本町は、安土桃山時代の慶長年間に寺内町(寺を中心とした町)として開け、江戸時代寛永以後は田原本藩の城下町であった。城がなかったので、正確には城下町ではなく「陣屋町」という。水運の発達した商業の町として、明治時代前半までは奈良県中和地方(奈良市を除く奈良盆地)では最も繁栄した地域であったが、鉄道の発達に乗り遅れて沈滞してしまった。逆にそれが幸いして、これだけの味わい深い町並みが今に残ることになったと言える。
 田原本の趣はいわゆる「小京都」なのだろうが、こうした町の佇まいは京都でもなかなか見られなくなったのではないだろうか。関東でいうと埼玉県川越市が「小江戸」と称して観光開発をしているが、田原本町もこの古い商店街をそのままウリにした観光開発が可能かもしれない。ここが奈良県であるのが惜しまれる。ただでさえ奈良が観光王国であるのに加え、京都に似た町並みを「小京都」として観光地化するのは、「本物の」京都から100kmぐらいは離れていないと無理だろう。しかし、これだけまとまっている古い建築をこのまま消滅させてしまうのは、あまりにもったいないと思う。
 加えて、田原本町は「唐古・鍵遺跡」という観光資源(の原石)も抱えている。最近の中高生には、田原本町は教育出版の中学国語(2年)の教科書に出ている唐古・鍵遺跡のある町として聞き覚えがあるかもしれない。吉野ヶ里(佐賀)や登呂(静岡)といった遺跡と並ぶ弥生時代の大遺跡である。蛇足ながら、私はこの教材を学習塾在職中に扱ったことがある。
 とにかく私は、田原本は観光地として今後有望だと確信する。時間があったらもう1回じっくり歩いてみたい。私の目は結構確かなつもりだ。99年に沖縄旅行に行った際、当時さほど有名でなかった「勝連城跡」(沖縄県勝連町、現うるま市)をたまたま訪れて著しく感銘を受け、同行の友人に「ここは素晴らしい、絶対観光開発したい」と興奮気味に語った。その翌年、勝連城跡は世界遺産に登録されたのである。

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