2017年05月26日

2014.07.18(金)(52)「やま」の際立つ美濃高田

 制覇目標はあと3か所で終わりであるが、まだ先は見えていない。最後の[イオンタウン養老]が遠いところにあるのだ。でも、コンビニ弁当を食べて、エネルギーが補充されたハズだ。頑張って行こう。養老支店は、さっきのお姉ちゃんとの無意味なやりとりとは関係なく、この先にある養老郵便局の手前を左に曲がっていけばよいのであろう。
 相変わらず対面2車線黄色センターラインの道が続いている。両側に墓地が広がっているところがあった。道路と川と養老線の線路とで三方を囲まれたところが墓場になっている。流れる川は牧田川の支流で金草(かなくさ)川という。養老線はこの川に、橋げたの上に直接まくら木を置いてレールを敷くタイプのグレーの鉄橋を架けている。
 信号2つ目が養老郵便局のある角。厳密には養老郵便局は角ではなく、角から3軒目である。この交差点のあたりから、煮しめたような焦げ茶色の木造建築が急に増えてきた。養老町の旧市街地、高田に突入したのであった。この交差点は、高田東町という。四つ角だが、東西方向はクランクになっていて、東行きが少し南に寄っている。交差点の南西角にある民家は2階建てで、外壁トタン張り。桁の部分が妻面に3つぐらい顔を出しているが、これはいったい何だろうか。トタン張りの前に、大垣共立銀行養老支店、西へ200mという緑色の看板が出ていた。やはりここで間違いないのであった。
 西に漕ぎ進めようとして、交差点の北西角に目が行く。背の高い木造の家があった。高さ自体は隣に建つ2階建てと同じくらいであるが、建物としては平屋建てで、横幅は3mほどしかなく細い。何だろうと思ったが、道のすぐ南側にも、同じ趣旨と思われる背の高い平屋建てを見つけて、謎が氷解した。これは山車庫、山車の車庫なのであった。扉に、岐阜県重要有形民俗文化財、高田祭曳軕、■■■東軕組【注】と大きく書いてある。この近辺の祭りは、山車を引き回すようである。北西角にある山車庫の前にはプランターなどが無造作に置かれており、扉ももう何年も開けていない雰囲気である。一方で道の南側、角から2軒目にある山車庫は、建物がずいぶん新しいようだ。ここには2台の軕があるのだろうか。それとも県道に面した建物が老朽化したので、南西角に移したのか。いずれにしても、ここでは新しい建物を建ててまで山車を大事にしているわけである。
 後で調べたことを書いておくと、美濃高田の祭礼である高田祭は、毎年5月の第3土・日曜に行われる。軕は「やま」と読み、祭りで曳き回される山車のこと。美濃地方の西部では一般的な言い方である。この商店街の先にある愛宕神社の火の神を祀る防火祈願の祭礼で、江戸時代中期から行われており、現存する3つの軕もその頃からいまに続くものだという。ということは、高田の軕は3台しかないわけで、ここに2つあるのはおかしいようである。

 養老郵便局と山車庫のある交差点から、大共養老支店があるハズの商店街に入ってきた。この道は「中心商店街」という。味もそっけもない名前だが、そういう名称なのである。この通りが、養老町の中心市街地、高田のメインストリートである。道路はセンターラインがないが、離合はできる。今日走ってきた今尾とか高須の商店街をもう少し近代的にしたような印象であった。今尾の商店街に似ているが、今尾よりは新陳代謝があったと見える。
 由緒ありそうな神社がある。新しい山車庫の隣にある中日新聞の専売店は、銀行の支店のような堂々とした建物で、3階建てのたいそう立派なビルである。国際学習会館というのは何だかわからないが、建物としては新しい洋館であった。呉服店がまだ営業している様子である。商店建築の入母屋は斜めの部分が微妙に丸めてあるとか、鬼瓦とは別にしゃちほこが付いているとか、妻に桁の出ている古い建物ばかり。営業している店舗はすっかり無くなってしまっている。商店建築だったとおぼしき店も普通の民家になっているとか、壊して更地、あるいは駐車場になっているところが多い。ただ、公衆トイレがあったり、老人福祉センター(ではなかったのかも知れないが)があったり、それなりに人の集まるところだったのであろう。
 昔懐かしい旅館があって、その西側から看板が残っている商店建築が増えてきた。でも買い回りの出来そうな店は全くない。地域の皆さんはもうこの商店街からは遠ざかっているのであろう。旅行代理店。写真館。洋品店(多分)のしもたや。立派な換気扇吐き出し口のついた総菜屋のしもたやは、モルタル2階建ての共同市場みたいな建物であった。その隣は2階の窓がおしゃれに成形してある土蔵建築だが、瓦が波打ったりなど老朽化している。「宅急便当店から送れます」としか出ていないが、こういう幟を出しているのは、今も荷物の発送を受け付けているのだろうか。その隣にあるお茶屋さん(茶葉を売る店)は平屋建てだと思われるが、2階建てと同じぐらいの高さの屋根を持ち、相当広いようだ。理容院は赤青回転灯が健在である。さらに洋品店、美容院、貸しガレージとあって、大垣信用金庫の店舗外ATMと続いている。その向こうには洋品店と呉服店があった。衣食住とあるうち、商店街からは食物系の店が最も早くなくなり、衣類系と住居系の店は比較的残りやすいようである。

 大垣信金の店舗外ATM、高田出張所は、建物は営業していないけれども営業店そのものであった。3台分の機械枠にATM1台だけを稼働している。母店の養老支店は南西に300mほどの県道養老垂井線沿いにあるが、かつて支店はこの場所にあった。支店が1992年7月に新築移転した後、跡地にコンクリ打ちっぱなしのハイカラな建物を建て、1993年2月から高田出張所という有人出張所にしたのだったが、2003年9月に統合してしまった。
 さらに歴史をたどると、かつてここには東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)の養老支店が置かれていた。東海銀の養老支店は、大垣支店高田出張所として1945年10月に開設されたもので、翌年9月には高田支店に昇格。1955年12月にこの場所に新築移転すると同時に養老支店に改称した。1966年3月に撤退した後、同年6月、別の場所で営業していた大垣信金が東海銀の空き店舗に引っ越してきた。岐阜県の有力地銀である十六銀行は、養老支店を出す1991年6月まで養老町には店舗が皆無で、それを思うと短期間とはいえ都市銀行が出店していたという事実に驚かされる。なお、三菱東京UFJの大垣支店は、1882(明治15)年に大垣銀行として現大垣市に設立されたのが始まりである。

52-1.jpg

 【注】■は人名。
posted by 為栗 裕雅 at 18:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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