2017年05月27日

2014.07.18(金)(53)養老支店を制覇

 商店街を進んでいくと、道の右側に、大垣共立銀行の緑色の縦型看板が見えた。一瞬喜んだが、喜びと同時に全然別の苦痛を感じていた。ここまで来て、またもや足がつりそうなのである。今度は右の太ももであった。体力のなさに、自分でつくづく嫌気がさしてくる。
 右足を庇いつつ漕ぎ進んで、大共養老支店に着いた。大共養老支店は、道の北側、信金の斜め向かいといってよい場所にある。窓の大きな2階建てで、今の基準でいうと耐震などは大丈夫だろうかと思ってしまう。1階入口右側の窓前に自転車置き場の屋根があるので、そこに自転車を置いた。いちおう自転車置き場だが、自転車を置く人は少なくて、ATMの客が車を置くところになっているようだ。駐車場がないわけではなくて、後日支店の周りをうろついてみると、支店の裏に7台分ほどの駐車場がある。茶葉店の向かい、化粧品店の横に入口があった。そこに入れるのはたしかに少し面倒臭そうであるが、やはり車持ちの人にはちゃんと専用駐車場に入れて欲しい。なお、正規の駐車場に加えて、その北側に40台ぐらい置けそうな広大な月極駐車場があり、大共がそのうち9台分を契約している。
 さて、養老支店のキャッシュコーナーは機械3台分の枠があり、そこに3台の機械が嵌まっていた。2台あるATMは、沖電気の「バンキット」。そして、今日大共の店舗で初めて見る機械が1台。それは、両替機であった。キャッシュコーナーの右端1台分を、両替機で使っている。ATMが2台というのは、この近所ではごく標準的である。2台のATMのうち生体認証対応がどちらの機械であったかは、記録を取るのを忘れてしまっていた。
 というわけでATMを操作。16:18、養老支店を制覇した。

 養老支店は、1896(明治29)年4月、大垣共立銀行高田支店として開設された。当初の所在地は多芸郡高田町大字高田41番戸で、1899年9月に大字高田159番戸に新築移転した(現在のどこに相当するかは判明せず)。高田(現養老)支店は、大垣共立銀行の支店の中で最も古くからある店で、銀行が開業した際に設けられた3支店(揖斐・高田・垂井)のうちの一つである。支店の開設は、本店のある安八郡大垣町(現大垣市)周辺の米穀・養蚕地域を営業範囲とするためであった。
 1910(明治43)年4月、大垣共立銀行は真利銀行(大垣市)を合併、高田支店はこれに伴い旧真利銀行の高田支店に移転した。以来ここが、現在に至るまでの支店所在地となる。真利銀行は、もとは東本願寺大谷派の本山志納金を取り扱う目的で現大垣市岐阜町に設立された真利宝会という金融機関であった。1885(明治18)年4月に銀行業務を兼営し、1893年10月に真利銀行に改称。その後、1904(明治37)年の金融恐慌で経営が悪化していた。真利銀の高田支店は1898(明治31)年に開設された。
 大共は1921(大正10)年4月に高田町の養老銀行を買収している。養老銀行は1920年に地元有力者が設立した銀行で、書類上は長野県上諏訪町(現諏訪市)にあった甲信銀行が当地に本店を移転して養老銀行に改称したもの。高田支店が業務を引き継ぎ、店舗は一之瀬派出所(大垣市上石津町一之瀬)のみ引き継いだものの数年で廃止した。当時は銀行の営業免許を新規取得することが難しかったので、既存の銀行の営業権のみ売買されるケースが多かった。長野県から岐阜県に移転した本件もその一つで、本店が移転するという形をとるのが特徴である。
 1956年5月に店舗を改築した機会に、高田支店は養老支店に改称した。それに先立つ1954年11月の町村合併で、所在自治体の名称が多芸郡高田町から養老郡養老町に変わっていた。現在使用している店舗は、その後さらに1975年10月に改築されたものである。
 養老支店は、大共最古の支店だけに出張所の数も多く、最盛期には船附・押越・上石津と有人出張所を3つ持っていた。船附は無人店舗になり、有人で営業している押越はさきほど押さえた。上石津出張所というのは、養老町から養老山地を越えた旧養老郡上石津町にあって、現在も地域唯一の銀行として営業している。養老支店の管内ということで、今回制覇目標とする考えもあったが、2006年3月の合併で大垣市となっており、外した。
 店舗外ATMについても記述しておきたい。養老支店の店舗外ATMは、これまでに7か所が設置され、そのうち2か所は廃止されている。ヤナゲンについてはすでに述べた。ここまでで全く触れていないのは、養老支店の店舗外ATM設置第1号[美津濃養老工場]である。美濃高田の中心街の北側、スポーツ用品メーカー美津濃の工場内に、大垣共立のATMが1984年8月設置された。同ATMは、一般の利用者が立ち入ることのできない場所にある「企業内ATM」と呼ばれるものである。1943年に開設されたこの工場では、主に野球バットやゴルフクラブを製造しており、米国メジャーリーグ選手のイチロー氏はこの工場のバットを長年愛用しているという。工場は美津濃の製造子会社ミズノテクニクスの本社工場として現在も稼働しているが、工場内の大共ATMは2003年度に廃止となった。

53-1.jpg
posted by 為栗 裕雅 at 18:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
カテゴリ一覧(過去の連載など)
関西みらい(5)
単発(12)
告知板(24)
大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇(62)
銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇(29)
りそめぐ2013梅雨 大阪市営バス“最長”路線[93]を行く(43)
りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇(51)
りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇(35)
りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇(8)
りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた(18)
りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動/銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇(20)
りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー(11)
りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ(47)
りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇(51)
りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
りそめぐ2007秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる(35)
2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)