2017年05月29日

2014.07.18(金)(55)3回目のダウン

 養老町役場の前から、美濃高田の街並みを北へ。町役場の北隣は養老消防署である。このあたりに建つ家は、さっきの「中心商店街」と同様、煮しめた焦げ茶色で、妻面に桁が頭を出しているような古い日本家屋が多い。燃えやすい日本家屋の密集地帯に消防署があるのは安心できる。やはりこのあたりもところどころ更地になってきており、むしろ更地の率は商店街よりも高いと感じられた。商業としては、ガソリンスタンドやら喫茶店やら看板だけは出ていたりするが、売物件という看板も一緒に出ているから、営業していないのだろう。もはや普通の住宅地になってしまっている感じであった。
 高田駅前という信号に出くわした。ここが、養老線美濃高田駅の入口である。養老支店から自転車を漕いで来ての距離感としては、少し遠いと感じられた。駅舎は昔ながらの平屋建て木造駅舎で、懐かしい外観は何となく見覚えがあった。後で知ったが、この駅には駅員がいない。

 住宅地が続いている。県道を北に進んでくると、道が少しだけ左にカーブした。前方その先に、信じられないものを発見し、私は足が一瞬止まってしまった。何だあれは。
 信じられないもの。それは、堤防上に上がる道であった。川を渡らなければならないのは承知していたが、その橋は堤防上から架かっているのである。そうか、スマホで地図を見た時、橋までの道が妙に曲げてあったのは、こういうことだったのか。堤防上に上がるために、堤防に突き当たったところで90度曲げて、斜面を坂で上がっていくのである。私はかなりがっかりした。
 やる気を一気に殺がれたものの、行かないという選択肢はもちろんない。意を決して急な坂を漕ぎ上がり始めた。道は、スロープで堤防の半ばぐらいの高さまで上がり、そこで90度右に曲がって、堤防の斜面沿いを橋の付け根まで昇っていく。
 カーブで、傾斜が微妙に変化した。カーブの外側には、車道を走る車がはじき飛ばした小石がジャリジャリと積もっている。さあ、あともう一息。ペダルを踏む足に力をこめようとすると…。あっ。
 足がつりそうな感覚。さっきからずっと痛んでいる左膝に加え、少し前から痛み始めた右の太ももに来た。イタタタタ。私は足がつってしまう寸前でペダルを踏むのをやめた。足に限らず、筋肉が“つる”状態になる寸前、電気が流れるようなピキピキとした感覚が来る。力を入れるとその部分の筋肉が一気に固まって激痛が走るから、急いで、しかしだましだまし力を抜いて軟着陸させる。何度やっても気分の良いものではないが、それでも本格的につってしまうよりマシだ。
 カーブの外側、道が広くなっているところに倒れ込んだ。かくして、坂道の途中で本日何度目かのダウンとなった。

 筋肉を落ち着かせて、活動再開。どうにか堤防の上面まで上がってきた。私はこれから、高田橋という名の橋を渡る。別に自衛隊に入るわけではない。この川は揖斐川の支流で、牧田川という。同じ川を数時間前に北から南へ渡っているのだが、その時の記憶とは全くつながっていなかった。
 交差点の北西角には、治水功労者佐竹直太郎翁の碑というのがあって、業績が屋根つきの看板で説明されている。碑の揮毫は岐阜県知事の沖野悟という人。調べてみると揮毫した知事は内務官僚で、官選県知事であった。ということは戦前に作られた碑ということになる。佐竹直太郎氏の業績は、牧田川の上流部を改修したところにあったようだ。1888(明治21)年頃に組合を、1931年に委員会を作り、烏江の牧田川杭瀬川合流点から上流8kmを県が、下流を国が改修、という経緯をたどった。昭和の改修で献身的な努力をしたのが、この養老町高田の佐竹という人らしい。濃尾平野の川上にあたるこの近辺には、荒れ川の濃尾三川を抑える平田靱負のような人がたくさんいたわけである。
 いよいよ、高田橋を渡る。車道は速度制限40km/h、対面2車線の黄色センターライン。外側には腰ぐらいの高さのクリーム色をした欄干が付いている。実用本位の柵だけの橋であるが、欄干はだいぶサビサビで、部分的に腐食していた【注】。道の左側だけにある歩道は、車道とガードレールで仕切られている。
 堤防上、高田橋南の交差点から橋の本体までの間は、築堤になっている。築堤下の地面に、背の高い草がたくさん生えていて、特にツル性の植物が大量に生い茂っていた。下の地面に生えた木を伝うように伸びてきているようだ。ツルには細かい毛のようなものがビッシリ生えている。かぶれるから、これには触りたくない。誰だこの道の管理者は。こんな草除去しといてくれよ、と詰りたくなった。県道だから岐阜県庁に文句を言えばいいのだろうか。
 森のように植物が生い茂った部分が少しあって、それが終わると泥と石ばかりの河原になった。私が河原という言葉でイメージしやすい河川敷は、こうした石の多い河原である。ここは畑になっている部分も多い。自家菜園か何か知らないが、河川敷を畑にしているケースは少し田舎へ行くと見かける。河川敷は作物を丹精込めて育てても、1回洪水が出たらすべてお釈迦であるから、そうなってはやりきれまい。とはいえ、私有地でない河原で耕作をしてよいのかどうかは知らない。
 石ばかりの川を渡り切ると、さっきと同様に森のような部分があり、畑がある。川の北側は堤防の際まで畑になっている。堤防道路との交差点に信号はないようだ。けっこう長いと感じられる橋であった。

55-1.jpg

 【注】欄干はその後、無塗装銀色のものに付け替えられた。
posted by 為栗 裕雅 at 18:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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