支店の制覇が終わったので、現支店から直線距離にして100mほど西側にあった久喜支店の移転跡地に行ってみることにした。
事前の調査によると、支店はかつて久喜市中央3-1-11にあった。これは、久喜駅の西側に広がる旧市街である。支店の前の道を西(厳密には西北西)の方向に歩いていく。ここがかつては久喜市のメインストリートだったはずだが、空き家となっている店が数多い。現在、メインストリートは、大和店舗のあったサリアビルから北西(こちらは本当に北西)に向かって延びる、だだっ広いが何もない再開発道路のほうである。
支店から歩き始めて個人商店の多い道を進んでいくと、雑居ビルの1階に入った武蔵野銀行の久喜支店が右手にある。この角を左に曲がるとすぐに更地が右手にあって惑わされる。ここだっただろうか。いや、地図で見ると違うはずだ。左に回り込んだこの道沿いには、更地が多い。商店街の寂れ方は、空き店舗が多い状態から更地が多い状態へと進んでいく気がするから、この付近は相当に進んでしまったということになる。久喜町は江戸時代には米や木綿の交易地として栄え、明治期以降は東北本線と東武伊勢崎線の開通によって交通の要衝となった。久喜支店は中心市街地が衰退してしまったので駅前に移った、というのが真相のようである。
左側に、寒梅酒造という古めかしい造り酒屋の工場があった。酒造会社の向かい側に、久喜市の「中央3丁目自由広場」というのがある。所番地の上からは、ここが旧あさひ銀行久喜支店跡地ということになる。社史の写真で見ると支店の駐車場は地下にあったようだが、見たところ埋め戻されて更地になっている。白線さえ引けばテニスコートが何面もできそうだが、そうなってはいなかった。
久喜支店のルーツは、1898(明治31)年3月に設立された久喜銀行である。当初は順調に発展していたが、日露戦争の後1911(明治44)年に役員が相次いで辞任すると、取り付けが起こって大きな打撃を受けた。その後も経営は低空飛行を続けていたが、1927年3月の昭和金融恐慌では、当時埼玉県に影響力を持っていた中井銀行【注1】が休業し、そのあおりで久喜銀行はついに休業に追い込まれた。久喜銀行は1928年5月に昭和銀行【注2】に買収され、本店は同行杉戸支店久喜出張所となる。1931年7月、昭和銀行久喜出張所は母店の杉戸支店ともども忍町(現行田市)の忍商業銀行に営業譲渡され、新たに忍商業銀行の杉戸支店久喜出張所となった。1934年には支店に昇格、そして1943年7月の4行合同で忍商業銀行が埼玉銀行となった。それ以後、銀行名は協和埼玉→あさひ→埼玉りそなと変遷しているが、久喜支店は久喜支店のままで現在に至っている。1996年2月に三菱銀行久喜代理店の営業譲渡を受け、その後三菱店跡地に新築移転したのは前述のとおり。このほか、久喜駅東口にあったさくら銀行久喜支店(旧太陽神戸銀行、1976年開設)を1998年2月に譲り受けている。
【注1】中井銀行:天保年間から幕末にかけて活躍した両替商の播磨屋(中井姓)が、1883(明治16)年に合名会社中井銀行に改組したもの。薬種商・染料商に基盤を持ち、埼玉県内では公金を扱うなど信用力が高かった。1923年の関東大震災で取引先の多くが被災したため弱体化し、昭和金融恐慌により1927.03.19休業(経営破綻)した。同年10月、本店(後のみずほ銀行室町支店:現存せず)内に昭和銀行を設立、1928.03.31昭和銀行に営業譲渡して解散した。
【注2】昭和銀行:1927年の昭和金融恐慌で破綻した銀行の後始末として、同年10月に設立された。預金者と取引先を救済するため、破綻銀行の債権・債務を引き継いだもの。1928年6月までに休業6行(久喜銀行・中井銀行を含む)と営業中5行を引き継ぎ、1944年8月安田銀行(富士銀行を経て現みずほ銀行)に合併された。
2008年03月22日
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(06/16)あとがき・参考文献一覧
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(06/13)2008.01.26(土)(18)商工会館は残っているか
(06/12)2008.01.26(土)(17)まずは羽曳野支店へ
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(06/10)2008.01.26(土)(15)南海高野線を南へ
(06/09)2008.01.26(土)(14)深井支店を制覇
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