2011年11月09日

新連載「りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇」のお知らせ

 当ブログ「MEGU」で、11月13日(日)21時から新連載を開始します。
 今回は、2008年11月14日(金)に、埼玉県東部の東武伊勢崎線・野田線沿線で、りそな銀行・埼玉りそな銀行計17店の制覇活動を行った記録です。
 分量は400字詰原稿用紙で約250枚、回数は現時点で48回の予定です。例によって1日1本のペースでダラダラと掲載していきます。多少の脱線もありますが、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。

りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる
東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇


2008.11.14(金)
 (0)プロローグ 県民でもないのに「県民の日」を楽しむ
 (1)まずは北千住へ
 (2)千住支店を制覇
 (3)千住支店、その波乱の軌跡
 (4)いよいよ埼玉県へ
 (5)埼玉県最初の目標、草加支店
 (6)痛恨の準急電車
 (7)南越谷支店へ先に回る
 (8)置かないで、私が写真を撮る店だから
 (9)松原支店を「ようやく」制覇
 (10)牛丼を食して物を思う
 (11)再開発前夜の越谷市街
 (12)越谷の町とともに移動する越谷支店
 (13)再開発の終わった北越谷
 (14)北越谷支店を制覇
 (15)北越谷から千間台へ
 (16)温泉と歌声喫茶の町
 (17)せんげん台支店を制覇
 (18)ルネッサンスと「お勉強」
 (19)新方川を越え武里団地へ
 (20)武里支店を制覇
 (21)武里団地に別れを告げて
 (22)武里駅に時代の移り変わりを見る
 (23)旧市街地の春日部東口
 (24)春日部支店を制覇
 (25)“海底”を抜けて西口へ
 (26)郊外の駅前、春日部西口
 (27)春日部西口支店を制覇
 (28)伊勢崎線を離れて南桜井へ
 (29)今回の最東端、庄和支店を制覇
 (30)納豆の水戸、ギョーザの宇都宮
 (31)東岩槻支店を制覇
 (32)人形の町、その駅前風景
 (33)“大きな”岩槻支店
 (34)旧城下町・岩槻を歩く
 (35)郊外電車の駅、七里
 (36)七里支店を制覇
 (37)前途に暗雲ただよう
 (38)西遊記と東武動物公園
 (39)異議あり!「久喜から定時運転」
 (40)どうにか鷲宮に到達
 (41)わしみや支店を制覇
 (42)美水かがみ『らき☆すた』について思うこと
 (43)鷲宮から加須へ
 (44)こいのぼりと力士の加須市内
 (45)今年も武蔵野銀行について
 (46)騎西支店に至る道
 (47)16:05、全店制覇完了
 (48)エピローグ ジロリアンにヘンシーン
 あとがき・参考文献+よいお年をお迎え下さい
(タイトルは変更となる場合があります)


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2011年11月13日

2008.11.14(金)(0)プロローグ 県民でもないのに「県民の日」を楽しむ

 埼玉県では、11月14日が「埼玉県民の日」とされている。1871(明治4)年11月14日、太政官布告により現在の埼玉県域に「埼玉県」「入間県」の2県が誕生、その100周年にあたる1971(昭和46)年に制定された。埼玉県民の日は、「県民の日を定める条例」という埼玉県条例に則っている。県内の公立学校はこの日すべて休校になり、またスタンプラリーなど各種イベントが行われる。
 りそなのウオッチャーでありめぐラーである私にとって、ここ数年、11月14日は非常に大切な日となっている。埼玉県は言うまでもなく旧埼玉銀行のお膝元であり、りそなグループの金城湯池の一つであるからだ。そして、県内の各鉄道会社では、この日に限り有効のフリー乗車券を毎年発売している。まさにこの日は「りそめぐ」のためにあると言えよう。
 今年もその日がやって来た。「“埼玉県民の日”に埼玉県内をめぐる計画」を、本年(2008年)も実行する。「県民の日めぐ記」としては2回目となる。

 2008年の「県民の日」フリー乗車券の状況は、2007年と全く変わっていない。「全く」「絶対」といった強い限定の言葉は文章の中にあまり使わない方がいいのだが、慎重に調べ直しても、2007年の『めぐ記』の記述は変更する必要を認めなかった【注1】。ついでに、私の個人的な「県民の日」に対する思いや、埼玉県以外の都県での状況なども、前年のめぐ記「りそめぐ2007秋 『埼玉県民の日』に埼玉県内をめぐる」を参照いただきたいと思う。
 本年は、東武鉄道の2本の幹線のうち、伊勢崎線を選ぶことにした。昨年の県民の日に行った秩父鉄道沿線の「めぐ」では、伊勢崎線の埼玉県内の北限となる羽生支店(羽生市)を行程の最後に持ってきたから、羽生だけは取れている。その後、別の『めぐ記』で久喜をはじめとする5支店(日光線を含む)を訪れており、このあたりで伊勢崎線系はひととおり埋めておこうと考えた。東上線はとりあえずきれいなままにしておいて、来年かたを付ける。
 計画は実行3日前の11月11日(火)から立て始めた。まず考えたのが、JRで大宮に出て、大宮駅近くの2支店(大宮支店と大宮西支店)を皮切りに東武野田線を攻め、次いで伊勢崎線に乗り継いで北から南に攻めるプランであった。これだと無駄な移動が多く、また越谷支店以南が明るいうちに取れなくなるので考え直す。私は支店の写真撮影もミッションに加えているから、暗くなってはまずいのである。
 次に、今回の最北端となる騎西支店(北埼玉郡騎西町、現加須市)に朝一番で向かい、かつ大宮・大宮西は外すプラン。これでもまだ越谷支店で17時となり、日没時刻を考えるとキツいと思う【注2】。大宮を外すのは、東武沿線というより「JR沿線」のカラーが強いためだ。群馬県出身者としてはいずれ「JR高崎線沿線」を総ナメにする機会を狙っている。
 騎西支店の扱いそのものも検討の対象である。昨年の計画では、コースを大きく外れた小鹿野支店という制覇目標があって悩まされた。今年の計画エリアには、東武伊勢崎沿線と呼べる“僻地”(駅からバス移動となる意味で)の目標が3店舗もある。騎西支店のほか、菖蒲支店(南埼玉郡菖蒲町、現久喜市)と松伏出張所(北葛飾郡松伏町)。バスでの移動はほぼ間違いなく駅からの単純往復で終わるので、今回のように短時間で個所数を稼ぐ「めぐ」には都合が良くない。結局、東武線から大きく外れた3か所のうち、菖蒲・松伏の2店は、今回涙をのんでカットすることにした。埼玉県東部エリアは日を改めて2回に分けて完遂することとし、その2回に1店ずつ割り振れば、今回の計画で最南端となる草加支店(草加市)まで、うまくまとまる。騎西支店を行程の最初か最後に回せば、「めぐ」に使えない時間に往路か復路のどちらかがかかっても、問題なくいける。
 ここで再びプランを練り直す。騎西支店のキャッシュコーナー開店は朝8時。それまでに現地に着くためには、自宅を朝5時頃に出る必要があった。これも無駄な時間が多い気がするし、朝早く起きるのもしんどい話である。「めぐ」をやる前から疲労してしまいそうだ。騎西を最後に回してみたらどうか。
 ようやく理想的なプランになりそうであった。山手線の西側に住んでいる私が東武伊勢崎線に乗るためには、日暮里からJR常磐線で北千住(東京都足立区)まで出て乗り換えるのが最も合理的な移動である。この駅で運賃計算が区切りとなるし、フリー切符の調達もしないといけないから、この駅は乗り継ぎの過程で絶対に改札外へ出る駅である。北千住駅前にはりそな銀行が千住支店を構えている。千住支店のキャッシュコーナーは朝7時から。決まった。今年は草加支店の前に千住支店を入れよう。そういえば、昨年の「県民の日」めぐでも、所沢支店の前に久米川支店を取っている。

 机上で立てた計画は、次のとおりとなった。

  (日暮里までのアプローチは記載省略)
  日暮里06:54(JR常磐線 普通 勝田)07:02北千住 *千住支店、フリーきっぷ購入
  北千住07:36(東武伊勢崎線 準急 南栗橋)07:45草加 *草加支店
  草加08:13(伊勢崎線 普通 東武動物公園)08:15松原団地 *松原支店
  松原団地08:40(伊勢崎線 普通 北越谷)08:45新越谷 *南越谷支店
  新越谷09:14(伊勢崎線 普通 北越谷)09:16越谷 *越谷支店
  越谷09:45(伊勢崎線 普通 北春日部)09:47北越谷 *北越谷支店
  北越谷10:18(伊勢崎線 区間準急 久喜)10:22せんげん台 *せんげん台支店、武里支店
  武里11:13(伊勢崎線 普通 東武動物公園)11:17春日部 *春日部支店、春日部西口支店
  春日部12:29(東武野田線 普通 柏)12:36南桜井 *庄和支店
  南桜井12:59(野田線 普通 大宮)13:12東岩槻 *東岩槻支店
  東岩槻13:43(野田線 普通 大宮)13:45岩槻 *岩槻支店
  岩槻14:36(野田線 普通 大宮)14:39七里 *七里支店
  七里15:06(野田線 普通 柏)15:19春日部15:24(伊勢崎線 急行 久喜)15:36久喜15:38(伊勢崎線 普通 太田)15:42鷲宮 *鷲宮支店
  鷲宮16:02(伊勢崎線 普通 太田)16:08加須 *加須支店
  相互銀行前16:26頃(朝日バス 免許センター)16:34役場前 *騎西支店

 これで、りそな銀行1店、埼玉りそな銀行16店の、合計17店を制覇することになる。自宅は6時前に出ればよく、だいぶ楽になった。
 なお、行程の中間にある杉戸・宮代・久喜の3支店は、過去の連載で取り上げたため除外した【注3・4】。

 【注1】日付に対応する曜日の部分を除く。2008年はリリース発表10月20日(月)、発売開始11月8日(土)、県民の日14日(金)。なお、2009年も金額は変わらず。2010年は埼玉高速で13日(土)有効の券も発売し、またこの年からつくばエクスプレスが加わった。2011年は埼玉高速で価格が660円に上がり、代わりに赤羽岩淵駅でも乗降できるようになった。
 【注2】この当時、国立天文台のウェブサイトで日没時刻を調べるという知恵はまだなかった。2010年においては、11月14日の埼玉県越谷市における日没時刻は16:35で、2008年当時も同様と考えられる。
 【注3】5支店については当ブログ2008.03.20〜03.31連載「りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える」を参照。
 【注4】南越谷支店も過去の連載で取り上げているが、今回は「めぐ」の対象に含めている。この日時点では、南越谷支店を含む『めぐ記』の執筆は未定であった。南越谷支店については、当ブログ2010.03.05〜03.22連載「りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた」中、3月16・17日掲載「(11)南越谷駅に乗り入れる新興バス会社」「(12)南越谷支店を制覇して前橋へ」を参照。

2011年11月14日

2008.11.14(金)(1)まずは北千住へ

 目覚まし時計はどういうわけか鳴らなかった。携帯電話のアラームが05:45に鳴り、ようやくそれで目覚める。予定の電車は6時発。一瞬血の気が引いたが、焦りながらも悠々と支度して出てきた。昨日のうちに買っておいた菓子パン「つぶあん&マーガリン」を道みちかじりながら駅に入る。
 家を出たとき、空はどんよりと曇っているように見えた。寒いだろうと思ってダウンジャケットなど着て出てきてしまったが、山手線のホームまで到達したら空にはうっすらと雲がかかっているだけ。今週末は小春日和だという話で、そこそこ晴れた今日は「めぐ日和」と言えるが、ダウンを出すのは少し早すぎたかもしれない。日暮里に出て常磐線の勝田行きに乗り換え、今日の第一目標・北千住には、予定通り07:02到着した。
 北千住でしなければならないのは、個人的なことを含めて3つ。千住支店を取ることと、フリー乗車券を買うこと。もう1つ、時間に余裕があればコンビニで荷物を出したい。アルバイトで試験の採点をやっていて、その採点物を宅配便で送ることになっている。着払いの伝票が用意され、先方が伝票番号で管理しているので、「宅急便」の出せるセブンイレブンかファミリーマートに行かなければならない。別に北千住で出さなくてもよいのだが、早く解放されたいのである。時間的な理由からか、駅内の店舗はほとんど全部シャッターが下りていた。1軒だけ「ニューデイズ」というコンビニが開いていたようだが、駅内のコンビニでは宅配便は出せない。フリー乗車券は千住支店を済ませてから買うつもりだ。
 エスカレーターを上って北口改札に出た。北口はルミネや丸井などがある側で、こちらが北千住のメイン改札である。朝のラッシュとあって、改札では駅に入る人の流れが激しかった。改札から出てくる人もそれなりにいたが、やはり1:2ぐらいの比率で圧倒的に電車に乗って出かける人が多い。この改札には来たことがほとんどないので、新鮮な感じがする。北千住自体は乗り換えで頻繁に利用しているが、地下通路ばかり通行しているため、ここに上がってくることがめったにないのだ。

 改札を出て左に折れ、エスカレーターを1本降りると、駅前のペデストリアンデッキにパッと出る。ルミネ(北千住駅ビル)を背に、向かって右側に丸井が建ち、正面にはJTBと三井住友銀行の屋上縦看板が見える。人工地盤から見ると、ターミナルの駅前らしく雑居ビルが多数並んで雑多に開けており、個人商店は見えない。マクドナルド・デニーズ・アコム・吉野家、お決まりのチェーン店ばかりである。ただ下を見ると、人通りは少しまばらに感じられた。
 ペデストリアンデッキの西側のどん詰まりでエスカレーターを降りる。駅前の大通り、駅前広場から日光街道(国道4号)に向かって西へ行く通りは、道の両側の歩道にアーケードがついて「きたろーど1010」という商店街になっている。「1010」は「せんじゅ」であろう。この道は基本的には対面2車線の道だと思うが、駅に進入する側が2車線あるから、合計3車線。商店街に入ると、駅前の人工地盤からは見えなかった個人商店の棟割長屋がダーッと続いていた。
 日光街道に向かって歩く。1つ目の信号は「千住2丁目」という交差点で、北東角には3社の携帯を扱っている携帯ショップがある。「ラブラブカップル番号あります」という大きなポスターを出しているのが笑えた。カップルがケータイを2人一緒に買ったら、電話番号が連番にでもなるのだろうか。もうちょっと先へ行くと、イトーヨーカドーの創業店がある。そで看板などをセブンアンドアイのマークに変えたりしないで、今でも青と朱色の鳩のマークがそのまま残っている【注】。やはり「創業店」は特別なのだろう。
 銀行は、千住2丁目交差点の駅寄りに3つある。道の北側、携帯ショップの隣にみずほ銀行、南側に三井住友銀行とりそな銀行が並ぶ。みずほ銀は旧第一勧銀の店舗を使っているが、店内はすでに同行の標準スタイルである半透明アクリル板の内装に改装されており、面影はとどめていない。7階建ての三井住友銀行は旧住友銀行の旧来からの支店。北千住には旧平和相互銀行の支店もあったが、合併後間もなく統合されている。

 【注】現在ではディスカウント業態「ザ・プライス」に変わっている。

2011年11月15日

2008.11.14(金)(2)千住支店を制覇

 りそな銀行千住支店は、三井住友銀行千住支店の西隣、ラブラブカップル番号の向かいにある。
 非常に古い建物である。建ったのは1960年代と思われるから間違いなく古いのだが、といって「歴史的建築」というわけでもない。りそなの自社ビルでもなさそうである。メンテナンスの経費を家主が相当に節約していたような印象だ。
 支店は、ビルが古いだけでなく非常に複雑な造りをしている。なにしろ、支店本体とキャッシュコーナーとが別の建物なのである。表通りから奥まったところにある雑居ビルを支店にしようとして、通りに面した側に隣接する建物の1階を借り、キャッシュコーナーに仕立てて無理矢理ドッキングさせたという感じがする。そのせいか、キャッシュコーナーの真ん中に野太い柱が2本ドンドーンと立っているし、またキャッシュコーナーに入る前に必ず通る風除室も、どうしてこんな形になったかと思われるほど複雑な形をしている。窓口室は太い柱の向こうだが、今の時間はもちろんシャッターが下りている。
 ATMコーナーの内装はあさひ銀行時代のパイプ形デザインで、白い壁紙で美装してある。千住支店は、りそなで窓口室のスタンディングデスク方式が最初に導入された際の実験店舗で、内装を白の壁紙で覆い尽くしたのもその時のことである。千住支店での開始は2004年11月で、ここと竹ノ塚支店(足立区)での試行成果を踏まえて、翌年からりそな銀と埼玉りそな銀行で総合受付方式が本格的に導入された。なお、この支店の総合受付の看板は、板看板が壁に取り付けられた形になっている(閉店時にもカウンターと看板は外に出ている)。実験結果を踏まえて天井から円筒を吊るす形になったのだろう。
 総合受付方式の導入当初は、ATMそのものにも白いシートを貼って美装していた。白は汚れが目立つ色ゆえ、冷蔵庫など衛生面を問われるような電化製品なら、汚れたらすぐ拭き取れる点で長所となる。銀行のキャッシュコーナーは白物家電とは違うから、よほど気を付けて掃除していない限り、すぐ汚ならしく感じられてしまう。りそなは機械の美装をすぐに断念し、今はプラスチック地肌のグレーの機械を並べている。千住支店のATMは、富士通ファクトVが6台。左から2番目だけ「モデル20」で、その他は全部「モデル10」である。ちょっと奥へ引っ込んだ形で両替機が1台、ロビーに別置きで通帳記帳機が1台。ATM枠行灯のプレートは、もちろん緑に換えてあった。
 本日の第1号、千住支店の制覇は、07:14のことであった。

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2011年11月16日

2008.11.14(金)(3)千住支店、その波乱の軌跡

 千住支店は、建物だけでなくその沿革も波乱に富んでいて、銀行を趣味的に眺める私のような者には大変興味深い。この支店の沿革には、旧あさひ銀行としての合併(協和+埼玉)とその後の店舗再編だけでなく、今は三井住友銀行となった旧さくら銀行の合併(三井+太陽神戸)と店舗再編がからんでいる。
 店歴上直接のルーツとなるのは、旧協和銀行の千住支店である。安田貯蓄銀行千住支店として1922(大正11)年11月に開設された。もとは足立区千住3-63(北千住駅近く、駅前通り北側)にあったが、1941年(推定)に日光街道の西側で荒川河川敷に近い千住大川町73番地に移転。9行合併と普通銀行転換を経て、千住寿町39-12に1966年9月新築移転した。これが1991年4月の協和+埼玉合併時点での店舗で、場所は日光街道沿い、「千住五丁目」交差点の角であった(跡地は現在マンションになっている)。
 協和銀行が埼玉銀行と合併したのに伴い、旧協和の千住支店は、協和埼玉銀行の「北千住支店」となった。店名が変わったのは、埼玉銀行にも千住支店があったためである。荒川区南千住7-16-3、隅田川の対岸にあった埼玉銀の千住支店は、1918(大正7)年1月に飯能銀行の南千住支店として開設された。1927年12月武州銀行に営業譲渡されて同行の千住支店となり、1943年7月の埼玉県内4行合併で埼玉銀行の千住支店となって、合併時点で使われていた店舗を新築したのが1962年9月のことであった。
 少し脱線になるが、なぜ南千住に埼玉県の銀行が店を出すことになったか触れておこう。この地と埼玉は、江戸時代の初期から荒川の水運を通じて結び付きがあったのである。飯能銀行の本店があった飯能町(当時)は林業産地で、切り出した丸太を筏に組んで入間川から荒川→隅田川と流しており、これを南千住付近の材木商が買い付けていた。当時飯能では、さほど規模の大きくない町に銀行が乱立して過当競争をしており、各銀行とも業績が伸び悩んでいたため、収入源を開拓することが必要だった。一方で南千住地区には旧東京農商銀行【注】が破綻して以来金融機関がなかった。こうして、千住と地元の双方の材木商組合から支店設置の要請を受けた飯能銀行は、破綻して閉店した東京農商銀行の本店建物を買収して南千住支店の営業を開始した。というわけで、この支店は材木代金の授受のために開設されたのであるが、支店開業からほどなくして状況が変わってしまう。交通機関が変遷して筏による木材流送が途絶したため、業績が上がらなくなったのである。昭和元年下期から欠損が出るようになり、飯能から地理的に遠いこともあって、南千住支店は武州銀行に営業譲渡されて同行の千住支店となった。

 さて、協和埼玉銀行の発足時点に話を戻そう。「千住支店」は双方の銀行にあったが、店名の変更があったのは旧協和のほうで、店名は「北千住」となった。2つの支店の所在地は旧埼玉が南千住、旧協和は千住寿町で、どちらにしても北千住駅前の繁華街には店舗がなかった。これに変化が訪れるのが1994年3月のこと。北千住支店と千住支店は再編され、旧北千住支店は千住支店に再改称、同時に旧来の千住支店は、新・千住支店を母店とする「南千住出張所」に変更された(南千住出張所は1999年3月千住支店に統合された)。
 1994年3月の大異動は、店舗の移転を伴っていることがポイントである。北千住支店、つまり新・千住支店は、日光街道沿いの千住寿町から、足立区千住2-55の現在地に移転した。この移転に、さくら銀行がからんでくる。あさひ銀行(新)千住支店は、さくら銀行北千住支店の統合跡地に開店したのである。
 ここで、さくら銀北千住支店の沿革を眺めてみよう。同行北千住支店は旧太陽神戸銀行の千住支店で、三井銀行との合併により名称変更されたものである。1955年5月に日本相互銀行の千住支店として開設されたが、その当時の所在地は足立区千住2-3であり、現在りそなの支店がある千住2-55の地には1969年6月に移転した。今りそなが使っている店舗は、この時に使用開始したと思われる。旧所在地は日光街道沿い、三菱東京UFJ銀行千住支店(旧三和銀、千住2-5-3)の現所在地付近であるが、地図で見ると日本相銀のあった場所は日光街道の道路用地になっている。国道4号の拡幅に伴って移転したのであろう。
 日本相互銀行が1968年に普銀転換した太陽銀行は、1973年10月神戸銀行と合併して太陽神戸銀行となり、さらに1990年4月には三井銀行と合併することになる。「千住支店」は太陽神戸・三井の双方にあったが、合併してできた太陽神戸三井銀行で「千住支店」を名乗ったのは、駅前通りと日光街道の交差点角(千住寿町1-10)にあった、旧三井銀行の支店である。合併と同時に「北千住支店」に名称変更された太陽神戸の支店は、1993年5月に千住支店に統合され、旧三井銀行の店舗がさくら銀行千住支店として住友銀行との合併まで営業した。
 蛇足ながら、三井住友銀行の千住支店は、前述のとおり旧住友銀行の千住支店である。さくら銀行千住支店は、住銀との合併で千住西支店となり、最終的には旧住友店の千住支店に統合された。さらに蛇足ながら、北千住にはこれらとは別に、1986年に住友銀に吸収合併された平和相互銀行の支店もあった。平和相互の千住支店は住銀への合併で北千住支店に変わり、1988年3月千住支店に統合されている。

 話をりそなに戻す。新・千住支店の店舗は、太陽神戸店の統合で空いた店舗にそのまま入居しているようだ。私は太陽神戸の時代を知らないが、細部はともかく大まかには、現在も当時とさほど変わっていないのではないかと思う。
 なお、りそなと三井住友の千住支店は、ともに所在地が「足立区千住2-55」で、住所の表示は全く同じである。現地でも隣り合っているとは言え、権利関係が相当に錯綜しているのだろうか。あるいは、住居表示が未実施の地区であるせいかもしれない。

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 【注】東京農商銀行:1896(明治29)年12月17日設立の貯蓄銀行。本店東京都北豊島郡南千住町(現荒川区)。本店のほか、東京都南足立郡千住町(現足立区)に千住支店を、千葉県東葛飾郡千代田村(現柏市)に柏支店を置いていた。1917(大正6)年6月1日任意解散。

2011年11月17日

2008.11.14(金)(4)いよいよ埼玉県へ

 8時近くなって、駅前通りも交通量が増えてきた。北千住からどこかへ出勤するだけでなく、北千住に通ってくる人もそれなりにいるようで、駅から日光街道の方へ向かう人の流れが徐々に出てきた感じである。
 駅前のロータリーまで戻ってきた。マクドナルドの角に、三菱東京UFJ銀行の店舗外ATM[北千住駅西口]があって、三和銀行という文字を剥がした跡がはっきり見えた。前述のとおり三菱東京の千住支店は旧三和銀の支店で、旧三菱銀の千住支店は「千住中央支店」といって北千住駅からは離れた場所にある(前回掲載の地図では範囲外)。それはいいのだが、コンビニが見つからない。本当にないのだろうか。仕方なく草加に出て探すことにした。荷物はさほど重くはないのだが、とにかく「精神的に」解放されたいのだ。
 エスカレーターを上って、ルミネの2階に直結する人工地盤に再び戻ってきた。JRの改札前を通り抜け、2〜3段下りたところが東武の改札である。ここで私には次なるミッションが待っている。「県民の日」フリー乗車券の購入である。ガラス張りになっている改札の有人通路で駅員に聞いたところ、券売機の5番と6番の間にある窓口で買ってくれとのことであった。
 切符を手にして改札へ。コンコースにりそな銀の店舗外ATMがあって、緑色の看板が見えた。りそなは最近オレンジ色を使わず、緑色一色でべったり占めている看板類が多いと感じる。このATM[東武北千住駅](千住支店)は、地下のコンコースにあったのが引っ越してきたもので、ATMはATMJの「富士通FV20もどき」が2台。その右側には、機械1台だけの三菱東京のATM[東武北千住駅]がある。平日08:45〜19:00の稼働で、駅内のATMにしては早じまいのところが旧三菱銀行らしい【注1】。

 埼玉県最初の目的地、草加市の草加支店に向かう。区間急行新栃木行きに乗れた。07:33発、予定より3分だけ早い。車両は8000系の6両編成であった。
 五反野を通過した際、上りの各駅停車ホームを見ると、六本木行きの電車が停まっていた。あちらは北千住から東京地下鉄日比谷線に乗り入れる。日比谷線の「六本木」という行き先は、霞ヶ関行きとともに朝のラッシュアワー限定で、めったに見ることがない。上り電車は車内がぎゅうぎゅうに詰まっているが、私が今乗っている下りは空席がまばらにある程度の混雑率で、やはり人の流れとは反対の方向に動いている。
 最初の停車駅・西新井で半分くらいが降り、車内は一気にガラガラになってしまった。1本の長椅子に3〜4人しか座っていない。この時間に栃木方面に行く人が少ないこともあるのだろうが、それよりは上り電車を動かすために仕方なく下りを走らせているのかもしれない。上りはどの電車を見ても超満員であるが、これでも昔と比べると混雑率は低下した方なのだろう。このあたりまで来ると、ちょっと駅を離れると一戸建ての住宅ばかりになる。マンションはポツポツとみられる程度で思いのほか少なかった。このあたりは都心と直結している割に開発がいまひとつ進んでいないようだ。
 竹ノ塚まで来ると、右の車窓にはいかにも「団地らしい」団地の棟がダーッと広がっている。りそなが竹ノ塚支店(旧埼玉銀)を出すこの地には、住宅公団が開発した団地があって、レールウェイライターとして著名な種村直樹氏が住んでいるという。種村氏は「旅行貯金」と称する郵便局めぐりをやっていることで有名だが、もし氏が「りそめぐ」に進出するとしたら、その第1号が竹ノ塚支店になる可能性は高いと思う。こうした「趣味ごと」は、まず生活圏内から始まる気がする。かく言う私も、「あさめぐ」の第1号は、当時のアルバイト先の最寄り支店だった市ヶ谷支店であった。
 竹ノ塚を過ぎたところから高架に上った。清掃工場などが見える。足立区は東京23区のはずれなので、東京都の“迷惑施設”(に近いもの)はこうした「辺境」にできる。高度成長期まで、このあたりは見渡す限り水田が広がっていたようだ。足立区の特に北部は、江戸時代に開削された見沼代用水のおかげで豊かな水田地帯であり、東京都内で水稲耕作が最後まで残った地域の一つでもあった。
 車窓から畑がちょびちょび見えると思ったら、いつの間にか埼玉県に入ったようだ。どこから入ったのか分からないが、何とかいう川【注2】が流れていて、それが確か境界だったハズだ。妙なもので、埼玉県側に入るとビルの数が少し増えてきた。高層マンションのたぐい、あるいは雑居ビルのたぐいは、竹ノ塚のあたりでは意外に少ないのだが、県境を越えて谷塚まで来ると多くなってくる。
 谷塚駅を通過したので、間もなく草加に着く。草加市の中心部は谷塚と比べればビルが多くなるのだろう。左の車窓に、ダイエーと三菱東京UFJ銀行の縦看板が並んで立っているのが見える。ダイエー内に同行の草加駅前支店があるのだ【注3】。旧東海銀行の草加支店だった店舗で、旧三和銀は草加市の中心部には支店を持たなかった。右には「アデ川質店」という大きな看板が見える。アデ川。東武伊勢崎線に乗るたび気になっているのだが、どういう漢字を当てるのだろうか【注4】。

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 【注1】三菱東京UFJ銀行のATMは廃止になったようだ。
 【注2】毛長川。埼玉県川口市東部に源を発する綾瀬川の支流で、中川→荒川を経て最終的には東京湾に注ぐ。
 【注3】2009年6月、東口の草加支店(旧三菱銀)内に移転。
 【注4】ネットで調べてみると「阿出川」らしい。

2011年11月18日

2008.11.14(金)(5)埼玉県最初の目標、草加支店

 かくして、草加に到着した。07:43着/発だそうで、今のところ予定より6分早い。
 電車が私を降ろして直ちに発車していくのを横目で見つつ、高架下に下りる。下りてさらに半階分下りると改札、という造りの駅で、東武とJRは鉄道施設の設計思想が似ていると思う。それはいいのだが、北千住からの乗車券と「埼玉県民の日フリー乗車券」の2枚を重ねて改札機に投入したところ、「組み合わせ異常」でハネられてしまった。今回のフリー乗車券はあくまで「埼玉県内」のみ有効で、北千住から埼玉県最初の駅・谷塚までは、乗車券(190円)を別に買わなくてはならない。近年廃止となった磁気カード「パスネット」のシステムは、カードと乗車券を一緒に機械に入れると自動的に精算してくれるほど進んでいたので、何も考えずに投入してしまった。やはり紙の切符2枚はダメか。仕方なく駅員のいる窓口に行く。
 改札の外では、某政党(特に名を秘す)がスピーカーでがなり立てている。この政党の宣伝カーは、先日私が都内某所で写真撮影しようとしているのを邪魔してくれた。今日は、私がボイスレコーダーで音声メモを録音しようとしているところで街頭演説をしている。ここが「草加」だから言うわけではないけれども、私はこの赤い政党が(以下省略)。
 駅前に出てきた。草加駅の駅前のロータリーは、普通なら花壇か噴水になっている中心部分に、石で作った巨大な三角形(というか台形)の構造物が置かれている。ピラミッドを思わせるが、正体は不明だ。そこに、秋らしく落ち葉がだいぶ散っている。ロータリーを囲むバスホームはちょっとおしゃれで、銅葺きらしく見事な緑色の屋根がついている。立っている柱も凝ったデザインの円柱。ここから八潮市方面行きなどのバスが出る。そういえば八潮支店にも行かなくてはいけないが、陸の孤島のような地域なので方法は思案中だ。
 支店の方を見ると、正面に丸井とイトーヨーカドーのツインビルが建っている。両者の間は4階ぐらいの高さで連絡橋が結ばれていて、その下を支店に向かって駅前通りが走っている。ツインビルの手前右側、ロータリーに面した部分に、銀行の支店が2軒並んで入居している雑居ビルがある。こちらのビルも、丸井などと同じく「アコス」という名前になっている。2行は三菱東京UFJ銀行とみずほ銀行で、三菱東京は旧三菱銀、みずほは旧第一勧銀(旧第一銀)の支店であった。
 店舗がまだ営業していないせいか、駅前の人影は駅へ向かって歩く人とバス待ちの人ばかり。人の流れをみると、草加に通ってくる人はほとんどいないようで、駅を背にして歩いているのは私一人ではないかと思われた。きれいな歩道が両側についた駅前通りは、ここ10年以内にセットバックが行われたとみえ、再開発ビルの東側は新しい建物ばかりである。車線の数は2車線だけれども、真ん中に1車線分ぐらいの幅でゼブラ模様があったりするから、3車線分ぐらいの幅がある。街路灯には「草加市制50周年」という垂れ幕がつけてある。1958年市制施行ということは「昭和の大合併」の産物か。
 イトーヨーカドーの東側には三井住友銀行の支店がある。店頭のポスター掲示器の形態からして旧住友銀だ。8時開店だから、まだシャッターが下りている。その隣は4階建ての再開発ビルで、このビルが切れた先の四つ角が埼玉りそな銀行草加支店である。ぐだぐだ述べてきたけれども、改札を出て歩き始めたところで屋上の横看板が見えていたから、草加支店はまあ駅から近い部類に入ると思う。

 まだ8時になっていない。キャッシュコーナーがまだ開いていないので、支店の写真を先に撮っておく。その後コンビニで荷物を出そうと思い、支店の東を南北に走る日光街道の旧道へ出てみた。ローソンがあったが、「宅急便」が出せないから空しく支店に戻ってくると、裏口前には背広姿の男性が10人ぐらい集まっていた。何事だろう。出勤してきた行員が中に入れないのだろうか。カギを持っていたり、ドアロックの暗証番号を知っていたりする人はいないのかしら。
 「りそなクイックロビー」の入口は、1階に2か所ある入口のうち駅から遠い方である。行員さんが裏口に群がって(失礼)いるのを横目で見ながらキャッシュコーナーの前に立ち、開店を待つ。7時58分。ピ・ピ・ピ、という音とともにシャッターが上がり始めた。その内側の自動ドアは、シャッターが開いてもなかなか開かなかった。
 自動ドアが開くと同時に店内に飛び込んだ。ATMは8台あって、富士通のファクトVモデル10で統一されていた。ATM枠の外側に通帳記帳機が置かれていて、これも外側だけはモデル10と同じである。キャッシュコーナーの内装は旧埼玉銀行時代の機械枠をそのまま使っているが、機械ごとの仕切り(現金封筒やパンフレットを入れるスペースがある)だけ、あさひ銀行標準のパイプ形デザインと同じ様式の角柱に取り換えてあって、折衷型になっている。「お預け入れ」などの行灯は、丸みを帯びた羊羹のような形をした、埼玉銀時代の標準スタイルの箱が残っており、前面のプレートだけ緑色のものに換装してあった。行灯表示のさらに上はこんもりとした壁になっていて、そこだけ他の支店とは少し違った印象がある。生体認証対応は一番右の2台だけ【注】。台数的に少ない気がするが、まあこんなものか。ATMを操作、8時のオープンと同時に草加支店を制覇した。
 草加支店は、粕壁銀行(本店現春日部市)の草加支店として1916(大正5)年11月に開設された。1920年6月武州銀行の草加支店となり、1943年の県内4行合併で埼玉銀行の草加支店となった。当初は草加町字高砂町29(現草加市高砂2-8-12、現在地はす向かい)にあったが、1956年7月に高砂町62-1(現高砂2-21-11、現在地)に移転した。現在の店舗は1972年7月に新築されたものだが、それに先立つ1971年に高砂2-1-13に仮移転している。現在そのブロックには武蔵野銀行の草加支店がある。

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 【注】2010年11月現在、全台生体認証対応済み。

2011年11月19日

2008.11.14(金)(6)痛恨の準急電車

 今日はいい天気だと思ったのだが、雲がやや多くて、風も少しだけ冷たい。次の目的地は、松原支店(草加市)。最寄り駅は草加の隣、松原団地である。
 さっき来た時閉まっていた三井住友銀行のキャッシュコーナーは、今来たら開いていた。三井住友も8時開店である。この時間になると他所から草加市内に通う人が出てくるようで、駅からどこかへ歩いていく人がちらほら見られるようになってきた。駅へ戻ってくると、カットサロンナントカという床屋の店員が、5人ぐらいで横断幕を支えて「年内休まず営業しております」と絶叫している。さっきの赤い政党といい、草加市民は騒音に対して少し無頓着なようだ。
 駅に入る。いま気がついたが、草加駅には「1番ホーム」がない。このホーム番号の付け方は旧国鉄と同じ発想で、一番端を通っている線路が「1番線」であるためだ。分かりづらいと思うが、ある種の女性にとっては“有効”かもしれない。自分のタイプでない男に口説かれた時、そいつを拒絶するために「草加駅の1番ホームで待ってるわ」と答えるのに使えるのだ(嫌な使い方である)。
 ちょうどホームへ上がったところに電車が来たので、脊髄反射的に乗り込んだ。予定より少し早い、08:08発の準急久喜行き。車両は東急の8500系であった。

 私は群馬県前橋市の出身である。前橋と東京都心とを結ぶ交通機関で最もポピュラーなのは、JR高崎線を使うルートであった。ただ、隣の伊勢崎市まで出ると、JRより運賃が安い東武伊勢崎線があって、田舎の金欠少年であった私は、東京23区内に行くときにはこちらを使うことが多かった。かくして、伊勢崎線伊勢崎行きや日光線新栃木行きなど、東武の本線系統で長距離を走る電車は、私の頭には「準急」と刷り込まれている。これが大激変したのは、地下鉄半蔵門線直通列車が主体となった、この前のダイヤ改正(2006年3月)の時。それまでの「準急」にあたる電車は「区間急行」という名前になり、「準急」は半蔵門線直通電車のうち、新越谷から先で各駅停車となる電車の名称になった。現在、東武伊勢崎線のダイヤは「急行」「区間急行」「区間準急」が主体となり、「準急」はごくごくわずかとなっている。なぜこんなことを延々と書くかというと、東武伊勢崎線の運転系統が私の頭の中でグチャグチャになっている、ということを強調したいがためである。
 私の乗った電車は、どんどん北に向かって走っていく。最初の駅、松原団地を通過。ここは開発年代が古い住宅公団の大規模団地である。松原団地の古い棟、そして埼玉りそな銀行と松原団地駅前郵便局が入った駅前の大きな再開発ビルを見ながら、電車は軽やかに走り抜けていった。
 私は思い切りぬかってしまった。「準急」は松原団地には停まらないのだ。せっかく早い電車に乗れたと思ったのに、新越谷までいきなり連れていかれてしまうことになった。遠い場所は(数分ながら)乗車時間が増えるし、戻りの行程も必要になる。しょうがねえなあ、せっかく少しだけ早くなったと思ったのに、ぶちこわしである。何をやっているんだ俺は。
 仕方がないので、松原支店を飛ばして、新越谷駅前にある南越谷支店を先に取ることにした。

2011年11月20日

2008.11.14(金)(7)南越谷支店へ先に回る

 新田を通過、綾瀬川を渡って越谷市に入った。草加市を南北に縦断するように流れている綾瀬川だが、市域の北西部(この付近)では、北に隣接する越谷市との境界をなしている。
 左の車窓の彼方に、オレンジ色と白の2色に塗り分けられた、日本エレベーター製造という会社のタワーが見える。そばの建物に「研究センター」と書いてあるから【注1】、あのタワーでエレベーターを上げたり下げたりの研究をしているのだろう。続いて蒲生を通過。「あさめぐ」で蒲生支店(統合済み)を取りに来たことがある。このあたりまで来ると、線路の西側は一戸建ての民家ばかりで、都内とは違ってさほど密集度が高くない。狭いながらも庭を持つ家が多いようだ。
 新越谷に近づくと、不思議と駐車場が増えてきた。右車窓を見ながら来れば、「埼玉りそな銀行」と大書した朝日生命の背の高いビルが見え、それなりに「めぐ」のモチベーションをかきたてるのだが、あいにくずっと見ていたのは西側(左)の車窓である。やがて新越谷に到着。準急は、草加ではなくこの駅から先が各駅停車になる列車であった。新越谷はJR武蔵野線南越谷駅との接続駅で、支店の名前はJRの駅名から取っている。私見では、支店の名前は「新越谷」の方が越谷市の新市街地にある店であることを正確に表現できるのではないかと思う。
 とにかく、私は意に反して乗り越したのであった。むなしく改札を出て、JR武蔵野線乗り場の方へ向かう。この駅に通勤時間帯に来たことはなかったが、ものすごい人の流れがあるのに圧倒された。とにかく乗り換え客が多いのだ。JRから来る人の波と、こちらから行く人の波。現在、越谷市で最も人が集まる場所は、ここか「イオンレイクタウン」のどちらかで、少なくとも旧市街の越谷駅周辺ではないだろうと思う。
 東武新越谷駅東口に出てくると、ロータリーの右側、パッと目立つところに埼玉りそながある。南越谷支店はATMが10台+記帳機+ロビー入金機で、直角に曲がって13番が両替機、そして窓口ブースという構成は健在である(この時間窓口ブースはやっていないが)。ATMと記帳機はすべて富士通のファクトVモデル10であった。08:19、南越谷支店を制覇。南越谷支店について詳しいことは、以前の『めぐ記』【注2】で述べたから、今回は省略する。

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 【注1】2011.11現在では「研修センター」となっていたが、当日の誤読か後日の変更かは不明。ただし、いずれにしても未完成の技術または従業員を「研磨」するという役割に違いはない。
 【注2】南越谷支店については、当ブログ2010.03.05〜03.22連載「りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた」中、3月16・17日掲載「(11)南越谷駅に乗り入れる新興バス会社」「(12)南越谷支店を制覇して前橋へ」を参照。

2011年11月21日

2008.11.14(金)(8)置かないで、私が写真を撮る店だから

 さて、3駅も戻らなくてはならない。時間を10分はロスしたし、南越谷−越谷−北越谷という順番が狂って通帳の並びもきれいでなくなってしまった。前年(2007年)の「めぐ」では、所沢東口出張所をきれいにすっ飛ばしてしまったが、「今年も」埼玉県民の日めぐの初っ端でこういうミスをやってしまった。
 08:28発の各駅停車霞ヶ関行きに乗車。東武の日比谷線直通専用車両である。今度は学習効果でチャンと各駅停車に乗っている。上り電車は混んでいるかと思ったが、意外に空席があった。なるほど全部準急に乗り換えるのか…と思いかけて、ここで何気なく「準急」と思うところに、刷り込まれた知識のこわさがある。今は「急行」である。地下鉄半蔵門線からの直通電車かつ新越谷以遠が各駅停車となる「準急」は、現在ほとんど運転されていない。

 08:37、松原団地に到着した。定時では08:33であるから、4分遅れている。
 乗客のスペースとしては各駅停車用の島式ホームが1本だけしかないが、ホームの外側には線路が2本敷いてある。外側の1本は特急や急行の走る通過線である。階段を下りて1階へ。さらにそこから改札のある場所までスロープで下りる。東武伊勢崎線の高架駅は、ホームから階段を降りたその場所にいきなり改札があるスタイルは多くなくて、さらに低いところに設けられた駅が多い気がする。JRの高架線をまたぐ高さのある新越谷は別だが、少なくともさっきの草加駅はそうだった。
 1か所しかない高架下の改札を出て、西口駅前広場へ。駅前は再開発のおかげできれいになっている。草加松原団地は日本住宅公団が1962〜64年に開発した団地で、5000戸を超える公団の大規模団地としては埼玉県内で初めてのものだった。かつて「あさめぐ」で来た時には、古い団地だけれども掃除が行き届いていて、結構きれいだと思った記憶がある。再開発が進んだ今は、4〜5階建ての「いかにも公団住宅」という感じの古い建物は駅前からは一掃されている。駅前のロータリーは広々としており、バスホームもあって2〜3系統出ているようなのだが、待っているお客はいない。なお、この駅は中堅私立大学の一つ、独協大学の最寄駅で、大学は支店と同じ西口側にある。改札を出た瞬間から若い男女が多いと感じたが、さすが大学があると駅の利用者層も違ってくるのだ。
 スキー場のロッジのようにも見える、三角形の屋根を持った建物が建っている。以前1回だけ入ったことがあるが、ここは草加市立の中央図書館で、壁面には緑色でSOKA CITY LIBRARYとある。図書館は1〜4階だが市営の雑居ビルのような印象で、1階にはミスタードーナツとか東武ストアといった民間のテナントが入っている。図書館から左に目を移すと、コバルトブルーの壁をした再開発ビルがあって、上部は高層マンションになっている。埼玉りそな銀行松原支店はその1・2階で、まさに「ド駅前」にある。支店の隣は、ファストフードのロッテリアとコンビニのエーエムピーエム【注】。さっきからコンビニを探していて、今度はエーエムピーエムに遭遇したわけだが、「宅急便」はエーエムピーエムでも出せない。ここは確かペリカン便だったか。ファミリーマートかセブンイレブンが1軒あればいいのだが、ぜんぜん見当たらないのは何故だろう。
 早速支店の写真撮影を、と言いたいところだが、支店のド真ん前に市役所差し回しと思われるトラックが停まっている。放置自転車を撤去するためのトラックらしく、「置かないで、みんなが通る道だから」と横断幕がついているのだが、正に文字通り「置かないで」である。邪魔なんだよ。

 【注】ロッテリア松原団地駅西口店は閉店済み。エーエムピーエム東武松原団地駅前店はファミリーマートに転換済み。ペリカン便も日本郵政の「ゆうパック」に統合済み。

2011年11月22日

2008.11.14(金)(9)松原支店を「ようやく」制覇

 ロッテリアの横にある自動ドアから松原支店に入った。風除室内側の自動ドアは円筒形をしている。ノーマルな平面両開きの自動ドアに半円形の両開きを組み合わせて風除室とするのは、旧あさひ銀行が好んで店舗に採り入れたスタイルである。
 キャッシュコーナーの機械の並びは直角2方向(前方と右側)で、その横にテレビ電話のブースが置かれている。機械の枠はあさひパイプ形デザインで、ATM1台ごとの幅が中程度、つまり「やや広め」程度である。突端のキャップは銀色、機械上部の行灯プレートは緑色のものに換装済みであった。機械枠は17番まである。1番の枠は通帳繰越機、2番が両替機、3番が空き枠。4番が欠番となっているが、恐らくその分はキャッシュコーナーと機械室との間の連絡通路に充てているのだろう。ATMは5番から先で、5番の1台だけが富士通FV20、あとは15番まで全部FV10である。そして16・17番が空き枠。ATMのうち生体認証に対応しているのは、5番から始まる左の5台のみであった【注1】。08:41、松原支店を制覇した。
 松原支店は、1963年9月に埼玉銀行松原支店として開設された。当初は団地内の現在より奥まった場所(草加市栄町1170、のち松原2-3-1)にあったようだ。開設翌年の6月に新築したというから、仮店舗で営業を始めたのだろう。1973年4月、現在店舗がある場所の隣に新築移転(草加市松原1-1-5)、あさひ銀行時代の1999年5月に再度移転して現在の店舗となった。

 朝早くからたくさんの出来事が起きたように思うが、時計を見るとまだ08:45にもなっていない。
 松原団地駅の東口に出てきた。こちら側が松原の旧市街ということになる。金融機関は武蔵野銀行の松原支店と三菱東京UFJ銀行の店舗外ATM[松原駅前](草加新田支店)。それから、国道4号線の旧道に出る信号の手前に第二地銀の東日本銀行が松原支店を出している。「ろうきん」の文字も見える【注2】。こちら東口側の方が金融機関の数としては多いようで、埼玉りそなが団地の顧客を一手に引き受け、旧市街側はそれ以外の金融機関、という棲み分けなのだろう。道路はセットバックも済んで、西口より年代は古そうだが案外きれいな町並みになっている。歩道に置いてあるプランターは、丸太を繰り抜いたケースの中に置いてあるなど、ちょっとした工夫が凝らしてあった。
 商店街の中にセブンイレブンを見つけ、ここでようやく荷物を発送してきた。それにしてはカバンが軽くなった気がしないので、ちょっと失望感がある。重量の軽減を体感するには重さが足りなかったようだ。でも、精神的には大いに楽になった。紛失した時に他人に迷惑をかける荷物と、自分一人だけ泣けば済む荷物とでは、やはり圧迫感が全然違う。

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 【注1】ATMの10・11番が新たに生体認証対応となった以外、機械配置は変わっていない(2011.11現在)。
 【注2】中央労働金庫草加支店は、2009年5月越谷市に移転し、越谷支店に改称した。

2011年11月23日

2008.11.14(金)(10)牛丼を食して物を思う

 南越谷へ先に行ってしまったから、次の目的地は越谷支店となる。無駄な動きをしているが、それでもまだ時間的には若干の余裕がありそうだ。松原団地を9時ちょうど頃に出る電車に乗れれば、当初プランに乗っかることができるハズだ。
 駅前で吉野家の看板を見てしまって、空腹が我慢できなくなった。軽く腹ごしらえしてから行くことにする。吉野家は朝のこの時間でも牛丼をやっているのが良い。当たり前だと思うかもしれないが、私は、モーニング時間帯にハンバーガーを売らない某大手ハンバーガーショップに対して、中学生の頃から失望感を抱き続けている。パテを焼くグリドル(鉄板)など、20分もあれば掃除は終わるハズだし、グリドルが使えないのならオーダーごとにフライパンでパテを焼けばいいだけの話だ。ハンバーガー屋でハンバーガーが買えないのはいかがなものか、と思うのである。そんな吉野家は、牛丼ナンバーワンだと思っていたら、最近店舗数で「すき家」に抜かれてしまったそうだ。

 食べ終わって乗ることになったのは、09:10発の東武動物公園行きであった。ホームに上がると目の前で09:00発の北越谷行きが出てしまい、10分待ちになった。
 遅れた理由は、牛丼屋で料理の出てくる順番が前後したためである。牛丼を注文して待っていたところ、後から来た客の定食が先に出てきたのだ。前後したこと自体は詫びてもらったから問題にはしないのだが、あれがなければ北越谷行きに乗れていたのに。こう思ってしまう私は、やはり「短気」なのであろう。
 吉野家の店員は、私と同い年ぐらいに見えた。このぐらいの年齢になると、さすが接客業の何たるかが分かっている。サービス提供の順番が前後したとき、客に対して直ちに詫びの言葉が出てくるのは、接客業には欠かせない気配りだと思う。些細なことかもしれないが、この程度のことが出来ない店員があまりに多い。気配りができないどころか、私が過日行ったコンビニ某店では、接客に不備があって文句を言ったところ、逆に店員から突っかかられ、最後に「死ね」とまで言われてしまった。日本の接客業は、ここまで堕ちている。

 ホームで時間をつぶす間、時刻表を眺める。この駅の上り電車は、ほとんど全部が中目黒行きである。それ以外では、浅草行きが朝夕に1時間1本ぐらい。23時以降が全部浅草行き。あとは基本的に全列車が日比谷線直通だ。日比谷線は、本質的には足立区民と草加市民のためにある地下鉄なのかもしれない。
 09:10発の東武動物公園行きは、なかなか姿を見せなかった。上りは約3分遅れているというアナウンスがあり、12分頃に09:09発が出たばかりだが、下りはどうなっているのだろうか。1本前の09:00発が時間通り発車したため乗れなかったのに、どうしてその次が5分以上も遅れて来るのだ。結局、私が乗る下りの09:10発は、上りの09:16発が時間通りに発車した後、やっとやって来た。
 どんより曇っていた空に、日が差してきた。絶好の「めぐ」日和ということになるのだろうが、空模様に似つかわしくなくイライラの連続である。

2011年11月24日

2008.11.14(金)(11)再開発前夜の越谷市街

 越谷に09:23到着した。定時ではこの駅09:21発だが、2分遅れと思ってはいけない。越谷駅では、各駅停車の停車時間は急行待ちのため長いのである。やはり6〜7分の遅れであろう。それはともかく、もう上りのラッシュは終わったようで、駅の中は閑散としているし、上りホームにも人はほとんどいなかった。
 越谷駅は草加と同じような感じで島式ホームが2本並んでいて、それを両側から挟むように通過線が外側にある。階下に改札があるのは他の高架駅と変わらないが、ここはエスカレーターを降りてから改札までの距離が他の駅よりもほんのわずか長い気がした。改札前は自由通路になっていて、改札から通路を挟んだ向こう側に「ファイン越谷」という高架下の商業施設が広がる。中に埼玉りそなの店舗外ATMがある([ファイン越谷]越谷支店)。
 越谷駅を出るときには東口ばかりで、西口からは出たことがない気がする。支店のある旧市街側が東口だからで、今日もまた西口に用はない。東口は、駅前にロータリーがあるのはさっきの草加とそっくりだが、草加と違って再開発ビルが駅前にドンドーンと建っているわけではない。再開発は草加より遅れているということになるが、変な再開発ビルを建てるよりは、そのままにしておいた方がいろいろな意味でいいのかもしれない【注】。ロータリーの中心は、枝を広げた大木1本を中心に潅木がたくさん植わった緑化スペースと、タクシープールになっている。越谷駅前から出るバスは2〜3系統しかないようで、系統がさほど多くはない。目の前の三菱東京UFJ銀行は、内装が木目調であるから旧UFJ店舗(旧三和銀)である。
 東に向かう駅前通りは県道越谷駅前線、通称を「市役所前中央通り」というらしい。通りの北側は、空きビルになった建物ばかりである。入口ドアに旧三菱銀行特有の取っ手がそのまま残った店が、空き家のまま風にさらされている。その隣の空きビルも確か銀行だったハズで、後で調べたら大通りに面して三菱銀行と東海銀行が隣り合っていたようだ。通りの先には三井住友銀行がある。越谷支店は旧住友銀行の店舗だが、ATMは旧さくら銀行に多かった沖電気の製品を使っている。三井住友銀の隣は住友信託銀行の越谷支店で、越谷では住友グループの金融機関が2軒並んでいる。旧三和と旧住友の間に自転車預かり屋があって、地方都市らしい雰囲気をかもし出している。遠い場所から自転車に乗ってきて、この店に預けて出勤ないし登校するわけである。
 とにかく、駅の周辺は空きビルと空き地ばかりである。携帯ショップなども閉店になったまま放置され、また駐車場になっている更地も多い。無人のまま放置されているところをみると、このエリアは大規模に除却して再開発ビルでも建てるのだろう。人の流れという点から言うと、再開発中のせいかもしれないが明らかにまばらで、空洞化が急速に進んでいるように見えた。

 埼玉りそなの建物は、駅前通りの他行店舗前あたりから見えている。正面からはガラス張りの「やけに薄っぺらな建物」という印象だが、実は奥行きは結構あるのだ。というのも、この支店の建物は、駅に面した側の奥行きの浅いキャッシュコーナー部分と、その後ろの立方体に近い建物とで構成されているからである。背後から回ってみると全然印象が違う。もっとも、背後はいかにも裏口という感じで、壁でベッタリ覆われているから、あまり「絵」にはならない。裏口横の駐車場は有料の「タイムズ」になっていて、ATMを利用する客は平日休日とも20分間無料だそうである。この時間設定は妥当なのかセコいのかわからないけれども。なお、駅前通りを挟んでSRの向かい側は、武蔵野銀行の越谷支店である。
 目指す埼玉りそなの支店に入る。入口は半円形の風除室、つまり松原支店と同様の、平面の両開き自動ドアと半円形のそれとの組み合わせである。建物の東西に細長いガラス張り部分に、ATMの枠が一直線に並んでいる。枠のデザインはおなじみパイプ形デザインで、左端の1番から14番までATM機の幅よりも枠の幅を広く取ってある。パイプの頂端にキャップはついていない。行灯のプレートは緑色に換装されている。ATMは9台あって、左端の1番から9番まで。富士通ファクトVモデル10が7台、同モデル20が2台という機械構成である。その右側に2台分の空き枠があって、両替機、記帳機、ロビー入金機と並んでいる。10番から右側は、機械の幅に応じて枠の幅が違っている。記帳機はSR標準の「FV10ガワ」、両替機は幅の広い大型が入っている。ロビー入金機の前は、衝立とドアで仕切ってあった。
 09:32、越谷支店を制覇した。

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 【注】駅前北東側は、再開発のためほぼ全て更地となり、2012年完成予定でタワービルが建設中(2011.11現在)。

2011年11月25日

2008.11.14(金)(12)越谷の町とともに移動する越谷支店

 越谷支店は旧埼玉銀行の店舗であるが、その源をたどると1909(明治42)年5月にまでさかのぼり、東京にあった日進銀行【注1】が越ヶ谷支店として開設したものである。日進銀行は1926(大正15)年3月に第百銀行【注2】に買収され、越ヶ谷支店も第百銀行の支店となった。さらに越ヶ谷支店は1939年8月、忍商業銀行(本店現行田市)に営業譲渡されて同行の越ヶ谷支店となり、埼玉県内4行の合併を経て埼玉銀行の越ヶ谷支店となった。1960年12月、越谷市越ヶ谷2-4-28に新築移転し、支店名はその際「越谷支店」と改められた。協和銀行と合併後、あさひ銀行時代の1998年5月に越谷駅前支店(旧協和銀越谷支店)を統合。その後、協和銀跡地に新築した現在の店舗に移転して、2000年11月営業を開始した。

 越谷はもともと日光街道の宿場町で、明治期には現越谷駅北東の街道沿いが賑わっていたが、繁華街は100年くらいかけて徐々に鉄道の駅に接近してきた。越谷支店の沿革を見ると、ここ100年間の町の動きに合わせて位置を変えているのがわかる。
 越谷支店の元の店舗は、現在の越谷市越ヶ谷3-5-7にあった。1923(大正12)年築の日進銀行時代の建物がつい最近まで残っていて、米屋の倉庫として使われていたそうだが、現在では取り壊されている。この近辺には、さぞかし大重量であろうと見える屋根を持つ、土蔵のような古い商店建築が現在でもポツポツ残っている。埼玉県信用金庫の越谷支店は、こちらの「古い旧市街地」にある。
 埼玉銀越谷支店は、1960年に越ヶ谷2-4-28に移転した。これが現在の店舗に移転する前の地で、その場所は現店舗と旧店舗とのちょうど中間、移転としては南に150mほど動いたことになる。この跡地は現在「越谷市役所線」という道路の用地として除却され、公園のようになったまま現在に至っている。今後行われる再開発では、市役所までの大幹線道路を整備するのであろう。最初の所在地もそうだが、周辺はいかにも地方都市然とした、人通りの少ない商店の並びである。
 さて現在、埼玉りそな銀行越谷支店は、協和銀行越谷支店の跡地(越ヶ谷2-2-40)にある。旧協和銀行は1968年3月に越谷支店を出店した。この地域の都銀出店第1号である。この場所は駅から若干距離があるが、旧協和の好きな「ドブ板営業スタイル」からは理想的な土地であった。旧市街の個人商店街を中心に営業するスタイルからすると、駅と旧市街とを結ぶ「一等地」だったのである。その後旧市街が衰退し、一方で駅前が栄えてきて、他の都市銀行が駅前に多数出てくると、協和の立地も都銀としてはやや輝きが失われた。時は流れて、協和が埼玉銀と合併して協和埼玉銀行になると、越谷駅前支店(旧協和銀越谷支店)の立地場所は、地元銀行としては駅と旧市街との間の重要地として脚光を浴びることになった。前述のとおり越谷駅前支店は1998年5月に越谷支店に統合されたが、旧協和の店舗をつぶして新たな店舗を建築、2000年11月越谷支店は移転してきた。
 結局越谷支店は、越谷の中心市街地の動きに合わせて100年間に2回の移転を行い、支店の場所もトータルで300m南に移動したことになる。越谷に関しては、旧協和と旧埼玉の合併効果がきれいに表れた例とも言えそうだ。

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 【注1】日進銀行:1907(明治40)年3月8日設立。本店東京市浅草区花川戸町(現東京都台東区花川戸)。本店と越ヶ谷支店のほか、東京の下町に4支店を持っていた。
 【注2】第百銀行:1878(明治11)年9月国立銀行条例に基づき東京都日本橋区(現中央区)に開業、1898.08普通銀行に改組、1927.09川崎銀行と合併し川崎第百銀行。1936.11第百銀行に改称、1943.04.01三菱銀行に合併。

2011年11月26日

2008.11.14(金)(13)再開発の終わった北越谷

 どうも今日は東武線のダイヤの調子がいまひとつ良くない。越谷から乗った電車は09:37発の区間準急北春日部行きだったが、やはり3分ほど遅れてきた。東武は普段もう少しパンクチュアルに電車を運転していると思う。蛇足ながら、「区間準急」で北春日部行きは、沿線住民でない私には珍しいと感じられた。北春日部には車庫があるから別に珍しくはないのだが。
 越谷を出ると、車窓から見える緑の量が少し増えたように思う。09:42、北越谷に到着。各駅停車しか停まらない駅だが、島式ホームが2本ある。北越谷は大阪でいうと京阪萱島のような駅で、ここで複々線が終わるから、このスタイルはこの駅までだ。
 乗ってきた車両が前から2両目だったので、北越谷支店の建物2階外壁部分についている「埼玉りそな銀行」の板看板が、ホーム外壁のガラス張りの向こうに見える。支店は北越谷の旧市街である東側にあって、駅前広場の北側である。私が仮面浪人時代に世話になった師匠は、亡くなった時に北越谷駅近くの寺で葬儀を行ったのだが、1992年1月に葬儀のあった時点でセットバックがすでに半分ぐらい進んでいたのを覚えている。「あさめぐ」で来た1998年には再開発がおおむね出来上がっていたと記憶しているが、その後は駅前に立派なビルが建ったのを車窓から見て知っているだけだった。考えてみたら、北越谷には「あさめぐ」以来来ていないのか。
 高架ホームから下りてきた。180度曲がって改札を出る構造はこれまでと全く同じで、高架駅はどこもかしこも似たような雰囲気である。しかも、松原団地と同じように若い男女が多い。文教大学があるせいだが、さっきの独協大と比べると服装がカジュアルな学生が多い気がした。

 駅の東口に出た。ロータリーの南側に、「パルテきたこし」という再開発ビルが覆いかぶさるように建っている。20階を超えるマンション下の商業施設部分には、足利銀行・マクドナルド・ドトールコーヒー・東急ストアと店舗が見える。東急ストアが埼玉県にまで進出している。栃木県のトップバンク・足利銀行は、この店が「越谷支店」である。
 高架下は越谷と同様「ファイン」という商業施設になっている。東武は高架下の商業施設をこの名前で統一しているようだ。店舗【注】は、とんかつさぼてん、ザ・どん、無名のヘアサロン。「ザ・どん」はダスキンが運営する丼ものチェーンで、関東ではここの他には多摩センター(東京都多摩市)で見た記憶しかない。その隣に金融機関の店舗外ATM(栃木銀・ゆうちょ銀)がある。ゆうちょ銀の母店はさいたま支店、栃木銀は越谷西支店だそうだ。ゆうちょのATMに用があったのでこの部屋に少しだけ入った。
 ロータリーの中心は一応タクシープールになっていて、数本の樹木が植わっている。越谷駅と比べるとやはり小規模で、発着する車の台数が多くないとみえる。バス乗り場は駅舎寄りに1か所と、ロータリーを足利銀側に寄ったところに1か所。主要なバス会社は茨急バスという東武系の会社で、車を見ると千葉県の野田ナンバーであった。系統は東武野田線の野田市駅行きと、「エローラ」行き。エローラは北葛飾郡松伏町の公民館兼町営音楽ホールの名前だそうで、由緒ある名前なのだろうが、平均的日本人はおそらく最初の2文字にしか目が行かないと思う。これに乗ると松伏出張所の近所まで行けるのであるが、今日は行かない。なお、もう1本のバス停からは、茨急バスの他、やはり東武系の朝日バスの路線が出ているようだ。
 目指す北越谷支店は、駅前ロータリーに面した場所にドンと建っている独立店舗である。

 【注】ここに書いた高架下の店舗は、栃木銀とゆうちょ銀を除き全て閉店済み。北越谷駅の高架下は、2010年秋頃にテナントの総入れ替えを行ったようだ。

2011年11月27日

2008.11.14(金)(14)北越谷支店を制覇

 制覇の前に支店の写真を撮ろうとしたが、近所にあるレジャー施設の送迎バスが邪魔している。地味な色ならバスを避けてカメラを構えるところだが、あいにく黄色と青という派手派手な色彩で、写真に写し込みたいとは思わない。仕方なく制覇を先にしようと支店の方に歩き始めたところで、バスが動き始めた。出るならあと数秒早く出てほしかった。ベストポジションから離れてしまったではないか。
 支店に入る。ATM8台に、通帳記帳機と両替機がある。建物南西角が支店の正面入口で、そこから左側の壁に沿ってATM4台が並び、内部との連絡ドアがあって、直角に曲がって4台+記帳+両替という並びになっている。機械枠は松原などと同じあさひ銀時代のパイプデザインで幅の広いタイプ、頂端のキャップは銀色で、行灯のプレートは緑色に換装済みであった。機械の配置は、左側の壁4台が富士通FV20、かっくんと直角に曲がって4台がFV10である。直感で「ATM9台」と思ったが誤りで、1台はFV10ガワの記帳機であった。いかにも記帳機といった外観のりそなと異なり、埼玉りそなは記帳機のガワがATMと同じであるから区別がつきにくい。09:56、北越谷支店を制覇した。
 北越谷支店は、埼玉銀行北越谷支店として1973年9月に開設された。当初は駅前交差点の南東角(越谷市大沢3-12-16、現道路用地)にあったが、1976年11月現在地(3-8-5)に移転した。

 駅の周辺は朝のラッシュも終わり、すっかり長閑になっている。駅の周辺を歩く人は専業主婦とか高齢者が多くて、働いている人は少ないようだった。
 駅から西に向かって歩く女子大生だけがファッショナブルだった。文教大学の越谷キャンパスは、北越谷駅から北西へ徒歩10分ほどのところにある。「りそめぐ」で松原団地と北越谷の2つの駅に降り立っただけで、伊勢崎線沿線にある2つの私立大学は相当にカラーが違うとわかる。私の中では、グレーの独協大、原色トロピカルの文教大、といった色のイメージがある。受験時代の印象では、独協大には非常に真面目な印象があって、実際に外国語学部の偏差値は極端に高かった(今はどうなっているか知らない)。文教大の色が私の中でトロピカルなのは、名前も覚えていないある女性の印象だと思う。何度目かの浪人時、大学入試の本番がたけなわの頃のこと。予備校で同じクラスだった顔見知りの女子生徒と電車で乗り合わせた際、彼女の服が上下とも黄色だったのだ。彼女はその時文教大を受験してきたと言っていて、たぶん実際に進んだと思う。
 かつての「あさめぐラー」としては、文教大は印象の強い大学であった。文教大のもう一つの主要校地である湘南キャンパス(神奈川県茅ヶ崎市)に、私は行ったことがある。なぜかというと、あさひ銀の店舗外ATMがあったからだ([文教大学]藤沢支店)。あさひは大学キャンパス内にある店舗外ATMの一部を「企業内ATM」の扱いとしていて、[文教大学]についても店舗一覧には掲載されていなかった。当時「あさめぐ」をやっている人のコミュニティでもあったら、さぞ鼻が高かったのではないか。そんな思い出に一瞬耽る。

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2011年11月28日

2008.11.14(金)(15)北越谷から千間台へ

 制覇を終えて北越谷駅に戻り、ホームに上がった。電車を待つ間、駅の西側に広がる風景を見る。駅前から対面2車線の道路が1本、西の方角にダーッと延びていて、オリジン弁当・笑笑・マツキヨと、いかにもありがちな店舗がある。こちら側はマンションが1〜2棟ぽつぽつと建ってはいるけれども、それよりは2〜3階建ての店舗兼住宅のような建物が多く並んでいる。そのような中ひときわ目立つのがスーパーのライフであって、あそこの前には[北越谷西]という旧協和銀行が作った店舗外ATMが現在も現役で稼働している【注1】。それから「ひがしん」こと東京東信用金庫の北越谷出張所(旧東武信金北越谷支店)。あとは学習塾が多いのが新興住宅地らしいといえよう。
 建物が少々密集してはいるものの、駅前でありながら舗装されただけで使われていない土地もあり、東口よりは密度が薄い。開発がある時点で止まってしまったのだろうか。

 北越谷09:59発の区間準急久喜行きに乗った。相変わらず4分ほど遅れている。列車種別に「区間」とついているのは、地下鉄半蔵門線に乗り入れずに浅草を発着する電車で、車両も当然東武の車両となるが、乗った電車は本線では見かけることが少なくなった【注2】8000系であった。少なくなったといっても、この後乗る野田線では全部の列車がこの型であり、まだ引退のカウントダウンが始まったというほどではない。
 北越谷で高架複々線区間が終わったと思ったら、次の大袋までの間に地平に下りてしまった。大袋は駅の西側が重機で徹底的に掘り崩されており、再開発がこれから進んでいくようだ。高度成長期の新規開発のような、いかにも「ブルドーザーで」開発しているという雰囲気で、鉄板で囲ったり等していないし、開発の仕方がいまひとつソフィスティケートされていない。西側に東京東信金の支店がまた見えた。大袋支店(旧東武信金)。東京都墨田区に本店があるこの信金は、千葉県佐倉市にまで店があり、合併した信金とはいえ営業エリアの広さに驚かされる。信金といえば、大袋駅の東側には埼玉県信用金庫の支店もある。この支店はかつて、プロゴルファー・石川遼の父親が支店長をしていた店である【注3】。

 【注1】北越谷西出張所は2010年3月廃止された。
 【注2】2009年度をもって、伊勢崎線館林以南・日光線南栗橋以南での8000系の定期運用は終了したという。
 【注3】石川遼選手の父親・勝美氏は、埼玉県信用金庫に勤めている。大袋支店長は2005年6月〜2007年6月。

2011年11月29日

2008.11.14(金)(16)温泉と歌声喫茶の町

 10:07、せんげん台到着。本来は10:04発だそうで、正規の時刻では当初予定より18分早いことになる。定時から3分遅れているから、差し引き15分の早着だ。なお、駅名はひらがな書きだが、駅周辺の地名は漢字で「千間台」と書く。「せんげん」という地名は富士山信仰の名残であることが多いが、当地はどうなのだろう。近所に「浅間(せんげん)神社」等はないようだ。
 自動改札が並ぶありふれた改札を出ると、斜め前方にマンションが何棟も建っているのが見えた。せんげん台駅は島式ホーム2本の上に橋上駅舎がかぶさっており、大都市の私鉄駅としては典型的なスタイルをしている。駅ビルと橋上駅舎が一体でなく別々になっているところがやや古い設計思想で、駅と駅ビル「トスカ」とは跨線橋でつながっている。駅ビルに入ってすぐ東武ストアの入口があって、そこを直角に曲がってもう1回階段を降りると駅前のロータリーに出る。階段を降りた左側はケンタッキーフライドチキン、右側に駅ビルの入口とチェーンの喫茶店(ポッカ系の「カフェ・ド・クリエ」)がある。
 駅前ロータリーは面積的にはかなり大きい。とにかく幅がかなり広いのだ。中は20mぐらいの幅で3等分されていて、タクシープールがあり、バス乗り場があって、大木が3〜4本立つ緑地帯がある。駅前の有料駐輪場には「かすかべ湯元温泉」と大書したゲートのようなものが見える。最近流行の温泉保養施設だと思うが、看板の周辺にそれらしき建物がないから、単に温泉地の雰囲気を出すだけだろう。その向こう側に、もう埼玉りそなが見えている。
 信号のない駅前交差点からまっすぐ西に向かう道は、千間台駅西口線という。3車線ほどの道幅があるが、中央をゼブラ模様で大きく塞いで対面2車線の道路になっている。埼玉りそなの隣は焼肉の安楽亭、その隣にココ壱番屋などの入った雑居ビル。あと目立つのはパチンコ屋で、駅の周囲にはパチンコ屋が3〜4軒ある。この道をさらに行くと、公団の団地があるそうだ。道には雑居ビルが多少面しているが、商店街とは言いにくい。道幅がなまじ広いせいか商業はあまり栄えていないようで、この付近の住民は日常の買い物は全部スーパーに行くのだろう。駅の中に東武ストアがあるし、この道を西に進んだ先にはサティ(現イオン)が見えている。
 駅前交差点の角には、ファミレスだったらしい建物が建っている。現在では喫茶店になっているようだ。歌声せんげん台、次回は11月27日、どうぞ直接ご来場ください、という掲示がある。歌声喫茶というものらしいが、私は団塊世代ではないのでよく知らない。その隣りには、みずほ銀と三菱東京UFJ銀の店舗外ATMが2行相乗りで入ったビルがある【注】。みずほ銀([せんげん台]越谷支店)は店舗外ATMでありながらATM5台を配備しており、異様に規模が大きい。三菱東京は[せんげん台駅前]といい、越谷駅前支店が母店ということは旧三菱店の出張所である。なお、駅の反対側に行くと栃木銀の支店があるが、埼玉りそなは東口には店舗外ATMすら出していない。

 【注】みずほ銀の店舗外ATMは、同行せんげん台支店開設のため2010年2月廃止された。支店の開設場所は埼玉りそな銀行せんげん台支店の向かい。みずほ銀(旧富士銀)はせんげん台駅ビル内に支店を出していたが、2003年12月に統合していた。

2011年11月30日

2008.11.14(金)(17)せんげん台支店を制覇

 せんげん台支店の写真を撮る。時間的に太陽がだいぶ高く上がってきていて、写真はいささか逆光気味になってしまった。
 ここは協和銀行と合併した後で新築された店舗なので、入口の自動ドアは外側に向かって半円筒形となり、内側にも平たい両開きの自動ドアと、二段構えになっている。この丸い自動ドアというのは協和銀行時代の末期、浅草橋支店あたりの設計センスと同じである。協和の店舗なら、大口融資先だった青木建設(現青木あすなろ建設)あたりが施工しただろうが、埼玉ではどこの建設会社が建てたのだろうか。
 キャッシュコーナーのATMは2台・7台・2台という配列になっており、機械の並びは全体としてなめらかなカーブを描いている。機械のない部分は嵌め殺しの壁で、おそらくそこには柱があるのだろう。もちろんATM枠はあさひ銀行時代のパイプ形デザインである。1枠ごとの幅が広めにとってあり、パイプ端頂のキャップは銀色、行灯のプレートは緑色に換装済みである。全枠が機械で埋まっており、一番左が両替機、ATMは一番右の1台(ファクトVモデル20)を除いて全部モデル10で、台数としては両替機+ATM10台ということになる。これらとは別にモデル10ガワの記帳機が1台置いてあり、窓口室側にはテレビ電話のブースもあった。コールセンターと通話して住所変更などの諸手続きができるのだが、窓口の営業時間中しか開けておらず、設備としてあまり意味が感じられないように思う。10:19、せんげん台支店を制覇した。
 せんげん台支店は、埼玉銀行せんげん台支店として1982年10月開設された。この地域の区画整理事業は1981年12月の完成で、支店の開設もそれに合わせたようである。当初は越谷市千間台西1-1-1(駅前のモスバーガー入居ビルの場所)にあったが、あさひ銀行になってからの1993年4月、現在の店舗(千間台西1-5-17)に移転した。

 ここまで、基本的には駅前立地の店ばかりであり、電車を使ってサクサクと制覇が進んできた。ヤマ場がなくていまひとつ面白くなかった気もするが、次の目標である武里支店(春日部市)は、せんげん台駅と武里駅の中間にあるので、歩いていかなければいけない。これが「予定されたヤマ場」の一つで、第2のヤマ場というか「予定外のヤマ場」は、さっき電車に乗り間違えたことだろうか。
 武里支店は、せんげん台の北、公団武里団地の中心にある。武里団地は1966〜67年の開発で、公団の団地の中で突出して古いわけではないが、ものぐさの私が歩いていこうと考えるほど距離的にせんげん台駅から近接している。武里支店が2000年代の苛烈な支店統廃合の嵐とも無縁できた(いまだ支店のまま残っている)のは不思議に感じるが、まあ現地を踏んでみないとわからないことがあるのだろう。そういえば武里支店も「あさめぐ」以来で、りそなになってから1度も来ていない。

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2011年12月01日

2008.11.14(金)(18)ルネッサンスと「お勉強」

 信号のないせんげん台駅前の交差点を、まっすぐ北へ進む。コンビニのミニストップがあり、西友子会社の惣菜店・若菜があった。惣菜屋の隣はメガネ店で、埼玉県らしくメガネフラワー。と、駅に近い場所に数軒の店舗があると思ったら、もうその先は、やや高級そうなマンションが建ち並ぶマンション街である。多数の街路樹によって緑の多い空間が演出されたこのマンションの並びが、橋上駅舎のガラス窓から見えたマンション群であるようだ。武里支店は道なりにまっすぐ。正確には、2回のカーブを経て道の右側である。

 駅前マンション群のうちの一つは「ルネッサせんげん台」と読むようだ。正面玄関の上部にイタリックの見事な書体でRenaissa Sengendaiとある。フランス語の綴りは素直じゃないな、と改めて思うけれども、不思議でもある。私は大学の第二外国語がドイツ語選択であって、フランス語は全く取っていないし読めないハズだが、Renaissaでなんとなくルネッサンスから来ているルネッサなんだろうな、という想像はつくのである。
 学校の勉強をバカにしてかかっている人が、特にブルーカラーと呼ばれるような人たちには多い。私が今「夜なべ仕事」をしている職場にもそういう人たちが多くいるのだが、とにかく、頭の使い方という点で「お勉強」(と夜なべ仕事の同僚は言う)をやるとやらないでは全然違うのである。マンションの名前などはつまらない例かもしれないが、私がフランス語を何となく類推できたりするのは、ドイツ語をやったからだと思う。日本語・英語以外の「第3の言語」にある程度触れておくことで、第4・第5もなんとなく類推できるようになってくるのだ。本当に不思議なことだが、学問を積むことは、私のような語学大嫌いの人間にさえ、こういう効果を起こすのである。そしてそれは語学に限らない。生活のあらゆる局面で似たようなことは起こりうる。それが教養(=お勉強)というものだろう。
 「お勉強」はバカにできないのだ、ということを、子どもが幼いうちから教え込んでおかないと、絶対ダメだ。かつて学習塾でガキどもを相手に授業する仕事をしていた人間として思う。長いこと「日本の強みは人」だと言われてきた。教育の行き届いた労働者が豊富、という意味だが、実はそれも今では空洞化していると思う。しかし、日本の未来はやはりここに活路を見出すしかないのではないか。市場を作り出すことは困難だが、人材を作り出す「教育」は、実行可能性が最も高いと思える。長い年月がかかるだろうが、日本に復興(ルネッサンス)の時が来ることを期待している。

 マンション群は1本の川で途切れる。ここで雰囲気が一気に変わり、川の向こうにはいかにもといった感じの公団住宅の棟が並ぶ。これが公団武里団地である。5階建ての棟が多いから、建築年次は松原あたりと比べると新しいのだろう(都心から離れたわけだから当たり前か)。この川が市の境界にもなっていて、団地に入ると同時に越谷市を離れ、春日部市となる。
 川の名前は、さっき駅でもらった『マンスリーとーぶ』という月刊誌のエッセイにたまたま出ていた。新方川と書いて「にいがた川」と読むそうだ。

2011年12月02日

2008.11.14(金)(19)新方川を越え武里団地へ

 公団の団地に入った途端、交通量が減った気がした。
 相変わらず街路樹が植わっていて、緑の多い空間が演出されている。樹種はケヤキ。なぜなら「ケヤキ」と名札をつけている(笑)。葉が落ちる季節ゆえ、落ち葉がそれなりにあるが、人工的なゴミはほとんど落ちていない。マンションの壁がそびえ立っていたから、さっきまで暗い森の中を歩いているような雰囲気があったけれども、こちらは建物が低いうえ、駐車場などで空間にかなり余裕があるから、薄暗い森という感じはなくなる。こちらの方が住環境としては良いのだろう。
 「警告 鳩に餌やりをしないように。鳩を本当に可愛がりたいならすぐに、おやめください」という掲示が出ている。設置者は武里住宅管理組合。ハトのフンは本当にやっかいである。この団地は管理組合が強力らしく、色々なところに張り出してある掲示は、一般車両のアプローチ道路の通り抜けを「禁止する」とか、上から申し渡すような口調のものが多い。ただし、そうした掲示の成果なのか、この団地は清掃が行き届いている。やがてローソンが右に見えたところで、道が左にカーブを始めた。この左カーブが終わると右カーブに入り、それが終わったところが、武里支店のある武里団地の中心商店街である。

 右を見ても左を見ても、5階建て80世帯ぐらいの棟が延々と続いている。数えてみる気にもならないが、視界に入るだけで左側に5棟並んでいる。この7月(2008年)に「近畿大阪めぐ」で行った複数の団地(たとえば寝屋川東出張所のあった寝屋川団地など)よりも無機質な印象がある。大阪周辺だと、山が団地のすぐそばに迫ってきているところも多く、地形の起伏が激しいから、同じような建物が等間隔で並んでも高さの違いで無機質にならないのだろう。関東平野のただなかにある埼玉だから、どうしても建物が機械的に並んでいると見えてしまう。棟を縦に並べたり横に並べたり、あるいは道をわざとカーブさせて不規則に配置しているのは、地形に起伏がないため配置で変化をつけるしかないのだと思われる。それと、建物の形態。カステラみたいな建物と、正方形柱みたいな建物が見える。予想するに、団地の中心部には「団地センター」として10階建てぐらいの大建築がそびえているのであろう。

2011年12月03日

2008.11.14(金)(20)武里支店を制覇

 案の定というか、この団地の中央大通りは「ケヤキ通り」という名前だそうだ。道沿いにあった団地の案内図によると、この団地には「街区」という大きなくくりが9つある。少し面積は小さいが「x丁目」のようなものだと思えばよさそうだ。それぞれの「街区」には、鉄筋アパートが20棟ほど並んでいる。団地全体では80棟くらいになるだろうか。巨大な団地であるのは間違いない。
 道が大きく右にカーブしたところで、前方に10階建てぐらいの建物が2棟、予想どおりドンドーンと見えた【注】。建築年代はこれまでの5階建ての棟と変わらないくらいと見える。あれが団地のセンター街であろう。埼玉りそなの緑色の看板が、前方の歩道橋に隠れて見える。
 歩道橋に近づいてみると、そこの信号はストレートに「団地中央」という名前になっていた。あたりはシーンと静まりかえっている。センター街に入ってみると、10階建てのセンタービルが道の西側に2棟そびえていて、道の東側にあるビルは5階建てとわかった。東側に交番(春日部署武里交番)があるが、中に警官は見えない。その隣は洋品店である。高層のビルには東武ストアが入っていることになっているが、すでに撤退したようだ。
 東側の建物そばに「武里団地名店会ご案内図」が立っているので見てみた。市立図書館があったり、建物の向こう側には公園もあるらしいが、他は郵便局と埼玉りそなを除いて個人商店ばかりのようだ。図で見る限りテナントはほとんど埋まっていて、空き店舗は数軒しかないようだが、単に空いたところを消していないのが実態かもしれない。
 埼玉りそながあるのは、5階建てのビルが2棟並んでいる側である。支店は団地の棟とは関係ない独立した建物のように見えたが「2-6号棟」だそうだ。この団地の金融機関は、埼玉りそな、それから支店隣の1階にある春日部武里団地内郵便局だけのようだ。郵便局のキャッシュコーナーには行列ができていて、この団地ではこの時間ここだけが賑わいを見せていた。
 支店に入る。ここは窓口室を総合受付方式にしていないから、昔ながらの銀行店舗という感じがする。キャッシュコーナーの内装は旧あさひ式のパイプ形デザインで、1枠ごとの幅はかなり広く取ってある。白く美装してあり、上部行灯のプレートも緑色に換装済みであった。ATMは、富士通FV20が3台+FV10が3台で合計6台。その右側、シャッターの向こう側に両替機があり、キャッシュコーナー内に記帳機が単体で置いてあった。
 10:48に武里支店を制覇、ここでいったん通帳記帳を行う。<南越谷><越谷><北越谷>ときれいに並ぶハズだったのに、南越谷の後に<松原>が割り込んでしまい、美しくないと感じた。電車を乗り間違えたときに「癪にさわる」と言って強引に南越谷を先にしたからである。やはり素直に戻るべきだったかもしれない。

 埼玉りそな銀行武里支店は、埼玉銀行春日部支店武里出張所として1966年7月に開設され、1969年4月武里支店に昇格した。現在の店舗は1975年3月に新築されたものである。歴史的経過からは、団地が開発されて発展し、成熟し、そして高齢化していく様子がそのままうかがえる。

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 【注】中央地区の状況(2011.11現在):団地のセンタービルは5階建て・10階建てともすべて解体・除却され、更地になっている。埼玉りそなの支店横には茨城県のスーパー・カスミが2階建ての店舗を新築中だが、道を挟んで反対側は利用計画が決まっていない模様。支店の北側には長屋のような平屋建ての商業棟が新築され、数軒の個人商店が営業している。郵便局もここに移転済み。

2011年12月04日

2008.11.14(金)(21)武里団地に別れを告げて

 さあ武里から撤収しよう。伊勢崎線武里駅に向かう。武里支店はせんげん台駅と武里駅との中間地点にあって、どちらもそれなりの距離がある。でも、10分強歩けば到着するハズなのは分かっている。
 支店からケヤキ並木を北にまっすぐ進む。せんげん台から歩いてきたのと同じような感じで、団地の棟の並びが続いている。そして、ケヤキという木について初めて知ったことが2つ。落ち葉の量がものすごいことと、紅葉すること。赤茶色になっている。先月の頭(2008年)に「紅葉が見たい」と言って札幌へ行ったけれども、そこより紅葉が進んでいる感じだ。時期も場所も違うから全然説明になっていないが。
 さて、武里団地もそろそろ終わりのようだ。団地の棟ではない雑居ビルが見えてきた。道の左側は「8-1」と書いてある8号館の1号棟で団地が終わって、団地の棟とは明らかに違う、石造りの古めかしい農業倉庫のような建物が見える。右側はもう1〜2棟続くが、その北側にある五差路の交差点に達したところまで。この五差路でケヤキ並木も終点となり、武里団地が完全に終わったことを告げた。
 武里駅は五差路を斜め右に行けばよい。この交差点から「旧市街」という印象のある街並みになる。ここは団地ができる前からある武里地区の商店街と思われ、生活圏が団地とは全く異なるのだろう。五差路から武里駅に寄ったところに、武蔵野銀行の武里支店がある。松原もそうだったが、大きな団地があって埼銀がそこに支店を出していたとすると、武銀は団地のすぐそばにある地元の旧市街に店を出しているケースが多い気がする。これが「棲み分け」ということなのだろう。
 「TAJIMA」というスーパーがある。ここにはかつて武里支店が[タジマショッピングセンター武里店]という店舗外ATMを置いており、「あさめぐ」の時代に来たことがある。店先のひさしの下にATM1台だけの小部屋があった。通帳の店名記帳が<田島ショッピ>というエグい略し方になっていたのが印象に残っている。スーパーは現在もご盛業中で、床のタイルの色が少し違っているところに痕跡が残る。
 相変わらず古い商店街が続いているが、「田島ショッピ」の先に駅前ロータリーらしきものが見えてきた。支店から駅までの距離は、体感ではせんげん台よりも近い。武里団地は、せんげん台との中間といっても、やはり名前のとおり武里駅の方に寄っているのである。

2011年12月05日

2008.11.14(金)(22)武里駅に時代の移り変わりを見る

 さて、次の目的地は春日部市の中心部。ここからが「真の春日部」ということになる。本当は武里支店からすでに春日部市に入っているのだが、私はどうしても武里を越谷市側のせんげん台とセットで考えてしまうクセがある。
 蛇足だが、春日部と聞いて思い出すものは何だろうか。普通の人なら『クレヨンしんちゃん』かもしれないが、私はかつて大阪で交通事故を起こした時のことである。レンタカーを借り出して関西に遠征した際、交差点で前の車に追突した。そのとき運転していた車が(都内の営業所で借りたのだが)どういうわけか春日部ナンバーだったのである。追突した車の人は、私が東京都民と知って驚いていた。ナンバーを「春日井」と読んで、愛知県民だと思い込んでいたのだった。

 事前の計画では、ここでかなり時間が稼げるのでないかと読んでいた。せんげん台→武里の移動で1時間取っているためだ。予定では武里11:13発であった。時計を見るとそれより1本早い11:03発に乗れそうだが、時間を稼ぐどころか、貯金はせんげん台よりも減っている。スケジュールに徒歩を組み込むと、やはり想像以上に時間を食うものだ。
 というわけで、武里駅まで歩いてきた。駅前には、5階建ての巨大なビルがドンと建っている。金子商事なる会社が作った「カネショービル」という建物。この駅前には他にビルなどほとんどないから、いやでも目立つ。同社の本社ビルだったらしいが、現在は事実上5階建ての空きビルのようで、テナントも入っていない様子だ。ビルの裏手はパチンコ屋などもある飲み屋街で、ここには栃木銀行が武里支店を出している。第二地銀の栃木銀は、越谷・草加近辺に高密度で出店している。
 駅前に目を移すと、棟割長屋のような2階建ての商店建築が駅前ロータリーの周囲にべったりと建っている。ぐるっと1周するだけのスペースがあるロータリーは、いちおう奥に抜けることは可能だが、タコつぼのような形をしている。ロータリーの中心にタクシーが何台か停まっている。バス停のポールが1本と一応の屋根。それとは別に藤棚。後で触れるが、フジは春日部市の花である。
 駅に入る。武里は対向式ホームの駅、つまり複線の上りと下りにホームが1本ずつで、この点でも郊外電車の駅そのものである。私はこの駅になんとなく哀愁を感じた。高度成長期には武里団地の玄関口として機能していたのかもしれないが、武里団地自体が高齢化した今、もはや「通勤」している人も少ないのだろう。この駅の平均乗降人員など見てみると、最近10年間(2000年〜2010年)で3000人も減っている。15%の減少はかなり大きな数字ではないか。とはいえ、橋上駅舎の改札前にはマクドナルドがあるから、チェーン店がまだそれなりに営業できるだけの経済力は保持しているのか。
 思えば、武里支店も不思議な支店である。立地条件からすると、埼玉りそなの拠点は、せんげん台支店1つでよさそうなもの、しかも似たような団地店舗はバブル後の店舗粛清で軒並み統合されており、かつ武里は駅前店舗でもないのである。現地を踏んでみれば何かわかるかと思ったが、やっぱり謎のままであった。

2011年12月06日

2008.11.14(金)(23)旧市街地の春日部東口

 武里から一ノ割を挟んで2駅目、春日部には11:07に到着した。埼玉りそな銀行は、この駅の両側に支店を1つずつ持つ。どちらを先にしてもいいのだが、名前に何もつかない春日部支店から行っておこうか。旧市街地にある春日部支店は東口だ。
 春日部駅は、いわゆる「国鉄式配線」の駅を複雑にした形をしている。駅前広場と同一面上にある改札を抜けたところがそのまま1番ホーム、その先に島式ホーム(両側に線路のついたホーム)が1本あるのが「国鉄型」と呼ばれる駅の構造だが、春日部駅は島式ホームが2本あり、またプラットホームを持たない線路も敷かれている。ホーム番号の付け方がまた複雑で、「2番線」は欠番(通過線の分)。伊勢崎線の北行きが発着する1本目の島式ホームが3・4番線。5番線がまた通過線でホームはなく、6番線に相当する部分(広告看板が並んでいる)には線路すら敷かれていない。その向こうに野田線の7・8番ホームがある。というわけで、春日部駅には8番ホームまであるのだが、そのうち2・5・6番は欠番なのである。素直に1番・2番…でよいと思うのだが。

 ホームから跨線橋を渡って1番ホームへ。改札を出たところがそのまま駅前広場になっていて、その限りではシンプルな駅と言える。駅前ロータリーの中心部には、植え込みというか樹木が1本立って彫刻などが置いてあるスペースがあり、それと同じくらいの面積でタクシープールがある。バス停のポールは3本立っていて、1本は朝日バスの関宿行き、東宝珠花(ひがしほうしゅばな)行きである。関宿と東宝珠花は、ともに千葉県最北端の野田市(旧関宿町)にあって、江戸川の水運で栄えた地域。川を挟んで手前の埼玉県側(春日部市、旧庄和町)にも西宝珠花という地名があって、こちらは河川敷で行われる大凧上げで有名だ。それから、全然ピンとこないが工業団地行きと、市営のコミュニティバスが出ている。
 ロータリーから右の方に、三菱東京UFJ銀行の支店がある。◆と●の両方のマークが付いているから、春日部には三和と三菱が両方あったようだが、この店は旧どちらだろうか。左に目を移すと見える埼玉りそなの看板は、店舗外ATM小屋である([春日部駅東口]春日部支店)。ATMが1台しかないが、埼玉県内主要都市の玄関口にある駅前ATMなのに、1台だけで客がさばけるのか。少し意外に思った。埼玉りそなATM隣、駅前ロータリーの首根っこにあたる部分には、みずほ銀行のATM小屋がある。
 駅前通りを東に向かって歩く。セットバックが済んで4車線分ぐらいの道幅があるが、そこを2〜3車線にして使っている。個人商店らしきものが多少あるけれども、駅前通り沿いに商業施設はほとんど見えない。とあるマンションの1・2階に家電量販店のLAOXが入っているが、「完全閉店売り尽くし」なる大きなポップが出ている。完全閉店というからには本当に完全に閉店してしまうのであろう。道路も広々としているし、歩道には凝った彫刻などもたくさん置いてあるけれども、商店街としてはすでに役割を終えていると見えた。代わりに目立つものは、やはり高層マンションである。兵庫県三田市などでも見たけれども、旧市街で流行らない土地をつぶして開発するとしたら、マンションしかないかもしれない。もちろん、春日部は東京の通勤圏としてマンション経営が十分に成り立つのだが、それもできないような地方都市では、空き家は空き家のまま朽ち果てていくのだろう。

 【注】ラオックスは閉店済み。ただし、同社の屋上塔屋は健在。ビルの撤退跡は医療テナントに絞って募集中(2010.11現在)。

2011年12月07日

2008.11.14(金)(24)春日部支店を制覇

 駅前通り(公園橋通りというらしい)は歩道が異様に広く、幅だけで言えば車の離合ができそうなほどある。そこに、電力会社の配電盤の箱だけでなく、ブロンズ製の種々の彫刻が置いてある。けっこう高い金をかけたのではないか。これで人通りを増やしたかったのだと思うが、彫刻は人通りの少なさを「枯れ木も山の賑わい」的に補う程度の役割しか果たしていないようだ。
 駅前通りを200mほど行くとぶつかる交差点は「公園橋(西)」というのだが、公園橋というからには公園でもあるのか。後で調べてみると、大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)にかかる橋の上がそのまま公園になっているそうだ。この角には埼玉県信用金庫の春日部支店があり、さらに「さいしん」の近所には学習塾の「サイシン」もある(笑)。この交差点から南へ行くと春日部東口の現在の中心街で、群馬銀・関東つくば銀(旧つくば銀、現筑波銀)の春日部支店やロビンソン百貨店がある。
 南北(正確には西北西−東南東)に走るこの通りは旧国道4号線で、埼信前には「日光道中粕壁宿」の看板が立つ。そのそばに見える酒屋は、店舗だけ新しい建物にしているけれども、その後ろ側には渋い土蔵と、古い名家のお屋敷だった感じのする豪邸が残っており、造り酒屋だったようだ。今年(2008年)1月に行った幸手や、今日行っていないが越谷支店の旧所在地あたりと同じで、このあたりには古いものが残っている。そして今となっては人通りがまばらなことも。なるほど、日光道中粕壁宿、旧宿場町なのである。造り酒屋のさらに北、武蔵野銀行春日部支店の向かい側は、20階ぐらいのタワーマンションに建て替えられている。タワーマンションと旧市街地の衰退とは表裏一体である。以前『めぐ記』で書いた鳩ヶ谷市と同様のコントラストが、この春日部でも見られるということだ。
 埼玉りそな銀行春日部支店は、公園橋(西)で左折した先、武蔵野銀春日部支店の手前にある。表通りから見える駐車場は、すでに満車に近い状態のようだ。草加や越谷はさほどでもなかったのだが、ここ春日部まで来るとだいぶ地方都市のカラーが強くなってきた気がする。公共交通機関が発達していないのと、寂れた市街地とは裏腹に地域トップバンクの支店だけは賑わっているのが地方都市の常態だからだ。少なくとも東口に関しては、地方都市の旧市街地と同等なのだろう。まあ、金曜日ということもあるのかもしれない。
 支店の写真撮影を先に済ませようとしたが、郵便局の赤いトラックが停まっていて邪魔なうえに、道路の「方面」を示す青い看板まで写真撮影の邪魔をしている。交通量は少ないけれども、こういう夾雑物だけは一丁前にある。支店の向かいについている「上町一番街」なるプレートに「協和埼玉銀行春日部支店」という文字が残っていたから勘弁しておくが。
 建物に入る。春日部支店の窓口室は総合受付方式になっていて、案内カウンターの上には緑色の円筒がぶら下がっている。キャッシュコーナーはりそなになってからの標準スタイルである白い内装に変わっていて、6台あるATMは全部富士通FV10であった。ATMの隣に両替機。テレビ電話ブースと記帳機もある。ATMを操作。11:23、春日部支店を制覇した。

 春日部支店は、粕壁銀行として1896(明治29)年1月創業した【注】。1920(大正9)年6月に武州銀行に合併して同行の粕壁支店となり、さらに1943年7月の県内4行合併で埼玉銀行の粕壁支店となった。「粕壁」は春日部の古い書き方で、店の所在地は現在も「春日部市粕壁」である。自治体の名前で「春日部」の表記を使うようになったのは、1944年4月に南埼玉郡粕壁町と同郡内牧村が合併した際のこと。当地を起源とする鎌倉時代の武家・春日部氏にちなんで春日部町にしたという。1954年7月、春日部町と4村が合併して春日部市制が施行。これに先立つ同年4月、粕壁支店は現在の春日部支店に改称された。1966年7月に現在の店舗を建築。この新築移転とほぼ時を同じくして武里出張所(現支店)を新設しているから、昭和41年夏の春日部支店は大激変の時を迎えていたことになる。
 公金の扱いで、春日部市の指定金融機関は当然として、千葉県野田市の収納代理金融機関となっているところに目が引かれた。江戸川を挟んで隣接する野田市は、りそなグループの拠点こそないものの、やはり春日部と強い結びつきがあるのだろう。

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 【注】粕壁銀行については、当ブログ2008.03.20〜03.31連載「りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える」中、2008.03.28掲載『(9)幸手支店』を参照。

2011年12月08日

2008.11.14(金)(25)“海底”を抜けて西口へ

 次は、駅の反対側にある春日部西口支店に行く。
 さっき改札を出た時、春日部駅東口から西口への抜け方を確認しておいた。出ていた掲示【注】によると、駅前のセブンイレブンから横に入った先に、線路の向こうへ行く地下道があるそうだ。ここからの距離およそ200m。春日部駅は高架化も橋上化も行われていないから、駅構内を通り抜けようとすると入場券140円が必要となる。
 駅前のロータリーまで戻ってきた。地場証券会社の東武証券の看板が見える。ここが本店営業部だそうである。さっき看板だけ見て通り過ぎた三菱東京UFJ銀行の春日部支店は、よくよく見るとドアの取っ手の形状からして典型的な旧三菱店舗であった。この向かいに「東京スターメガネ」なるメガネ屋がある。オレンジ色の看板に紺色の文字が書いてあるが、銀行ウオッチャーの私には、何を狙っているかすぐにピンとくる(笑)。
 セブンイレブンはすぐ見つかった。この脇の道を線路沿いに浅草に向かって歩いていくと、西口に抜ける地下道の入口が右側にある。地下道の存在そのものは以前から知っていたが、駅からそこまでの距離が具体的に200mというのは、駅前の掲示で今日初めて知った。自分で計測したわけではないが、まあ納得できる数字である。
 セブンイレブン脇の道は、センターラインも引いていない1.5車線分くらいの幅で、周辺には雑居ビルとマンションが混在していた。遠くの方に、イトーヨーカドーの百貨店業態、ロビンソン春日部店が見える。ついスピッツの歌を口ずさむ私。誰にも触ることのできない「二人だけの国」というものに、縁はない。
 見えた。線路際の鉄道用地、東武の事業用車置き場の横に、壁に屋根がついているだけのシンプルな地下道入口があった。全体としてはV字型の屋根の下に壁が立っている感じで、真ん中にスロープのついた階段が北と南の両側向きについている。
 入口の前に、「ミス医院」と大書した看板をつけた病院が建っている【注2】。「ミス」というカタカナの横に小さく「三須」と漢字が書いてあるが、受けを狙ったのだろうか。そういえば、『VOW』というムック本に、面白い名前の医療機関を紹介した特集記事があったのを思い出した。この「ミス医院」が出ていたかどうかは記憶にないが、歯科ではいくつか印象的な例があって、たとえば、何とかいう歯科医の理念を引き継いで全国各地にのれん分けのような形で開業している「ア歯科」というのがある。動物のアシカとは全く関係ないネーミングだそうだ。個人的には、東京・練馬の「スヴァラ歯科」がネーミングとして素晴らしか、と思う。醜悪でなければどんな名前を付けてもいいが、せいぜい医療事故などなきよう。

 地下道の入口には、タイ語の民族的フォントのような文字で「AQUARIUM FUJIMI-CHO」と書いてあった。ここらは富士見町という地名らしいが、こんなところで富士山が見えるのだろうか。
 階段を降りていくと、壁には魚の絵がたくさん描いてあった。魚だけでなく、アザラシだったり、海の中の恐竜だったり。ここは「アクアリウム」だけに、階段を下りるとそのまま海の底へ潜っていくのだ。魚とか海中動物に交じって、地下道中央付近には海中神殿の絵もある。ミロのビーナスに似た感じの女神さまも描いてあったりして、水族館というよりは海中の不思議な世界を醸し出している。
 海なし県の埼玉でなぜ水族館なのか、と追及するのは野暮というものだろう。この水族館は落書き防止用ではないか。地下道(というかコンクリートの壁)にはスプレー塗料でメッセージが大書してあることが多いが、こうした凝った作品が描いてあると少ないと聞く。実際、この地下道にスプレーの落書きはほとんど見られなかった。

 【注1】東口への案内看板:2010年11月時点で撤去済み。
 【注2】現地のカタカナ表記は現在では一掃され、「三須医院」で統一されている。

2011年12月09日

2008.11.14(金)(26)郊外の駅前、春日部西口

 地下道を抜けて階段を右に上がると、東武の電車が意味もなくたくさん停まっているのが見える。「意味もなく」というのは嘘で、野田線の電車を留置しておく電留線である。線路沿いの道を左に曲がると、今度は西口の駅前ロータリーに到達するわけだ。
 西口駅前にもセブンイレブンがある。さっきはビルのテナントだったが、こちらは平屋建ての単独店舗で、駅前から店の背後に通り抜けができるのが特徴だ。そのそばにある「河合塾マナビス」というのは、河合塾がやっている高校生向けの塾。河合は以前から「グリーンコース」といって東京大学を受ける現役生向けの教室をやっていたけれども、近頃では浪人向け予備校より現役生向け大学受験塾のウェイトが高いようだ。
 西口の駅前風景は、東口とは異なり「郊外の駅」といった感じがする。消費者金融とかテレホンクラブなど、東口と比べてお上品な感じのしない店舗が目立つが、店そのものが消えていた東口よりはマシかもしれない。それから、春日部には中小証券会社の支店が多くある。さっき東口駅前に東武証券があったけれども、東口には他に2011年5月まで三菱UFJ証券(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)の春日部支店もあった。こちら西口側には東海東京証券、SMBCフレンド証券、後で述べるがそしあす証券。ジーク証券(現リーディング証券)は元の「茨城証券」だそうだ。野村とか大和といった大手の支店は、東口にも西口にもない。中小証券会社の支店は地方中小都市ならではのような気がするが、春日部市は人口24万人を誇る大都市である。
 西口のロータリーは、内側がクルマを停めるスペースにはなっていなくて、代わりに広い藤棚と花壇がある。さっき武里駅前にもあった藤棚は、春日部市の花がフジであるためだ。ロータリーと線路との間に、立体駐輪場と交番が建っている。駅舎は東口と同様に地平面に建っていて、5台の券売機と7〜8本の自動改札通路があるから、東口と合わせてそこそこ大規模な駅ではある。西口から出るバスは、春日部市だけで完結する路線のみであった。
 交番の前で宗教団体の信者が機関誌を配っているが、この時間の人通りはさほど多くない。東口が寂れているという印象を受けたけれども、西口は西口で寂しい。高校生だけは結構多いが、なぜだろうか。期末試験には早いハズだし、フケてきたのか? それとも進路が決まっている組なのだろうか【注】。ララガーデンという商業施設が西口の浅草寄りのところにできたので、その客かもしれない。
 ロータリーの北の端、TK春日部ビルと書いてある雑居ビルが、住友銀行の春日部支店(旧平和相銀)だったところ。支店跡には現在SMBCフレンド証券の支店が入っている。その左隣がみずほ銀の春日部支店(旧第一勧銀、勧銀準備)。春日部には旧一勧と旧富士が両方出店していたが、東口にあった旧富士の支店は、合併時点ではある事件を経て有人出張所となっていた。さらにその左にある三井住友銀行の春日部支店は、旧三井銀行の店舗を使っている(店籍は旧太陽銀)。旧太陽神戸の支店はこれまた東口にあった。
 というわけで、人通りも穏やかだし、車の動きもほとんどない感じだしで、駅前としては静かな感じであった。

【注】「埼玉県民の日」は埼玉県内の公立学校が休みとなる。

2011年12月10日

2008.11.14(金)(27)春日部西口支店を制覇

 埼玉りそな銀行春日部西口支店は、埼玉銀行春日部西口支店として1976年3月開設された。現在の店舗は、1987年5月に建築された「春日部大栄ビル」の1・2階にある。
 風除室のガラスに「そしあす証券2階、お気軽にご来店ください」と書いてあるのが目につく。そしあす証券(現むさし証券、旧あさひリテール証券)は、旧協和銀・旧埼玉銀それぞれと親密だった中小証券会社2社(千代田証券・山文証券)が合併してできた、旧あさひ銀行系の証券会社である。直接の資本関係はりそな発足後になくなったが【注】、与野支店やりそな銀行青梅プラザ出張所(旧埼玉銀青梅支店)は、現在でもむさし証券との共同店舗になっている。人的関係は今も残っているのだろう。りそなめぐりの際に店の写真を撮るようになって、ずいぶん経つ。こういう大きなビルの主要階に入居している支店は、通常なら写真を撮るモチベーションがわかないのだが、こういう「特色」があれば少し張り合いが出てくる。
 大きくL字形に機械の並んだキャッシュコーナーは、機械枠が14台分あって、記帳機1台、ATM12台、両替機1台がはめ込まれている。L字の曲がる部分は機械を置く角度を変えて滑らかな曲線にしてあって、設計思想としてはやや新しめのようだ。ATM枠はあさひ銀行時代のパイプ形デザインで、機械ごとの幅が広いタイプになっているが、1〜6番だけは幅が狭い。かつてあさひ銀はキャッシュコーナーにATMとCDの両方を置いていて、CDはATMより幅が狭かったから、多分CD機のあったスペースだろう(今は全部ATMになっている)。機械枠上部の行灯は、緑色のプレートに換装されている。ATMは全部富士通FV10であった。しつらえられたATM枠の右側にロビー入金機のブースがあって、さらにそれとは別にテレビ電話ブースも設置されている。機械を操作。11:44、春日部西口支店を制覇した。
 伊勢崎沿線の市で1つの駅の両側に支店があるのは春日部だけだが、他都市と比べると支店の数がやや多いようにも感じた。春日部駅近辺の再開発が進み、駅舎も橋上駅舎に変わったら、駅舎の中に春日部支店を移して春日部西口支店を統合、なんてことがあるのだろうか。今はまだ両方の行き来が不便だから2つの支店として成り立っているけれども。いずれにしても、埼玉りそな銀行は2003年の発足以来、店舗網にほとんど動きがない。まだしばらくは変わらないのかもしれないが、変わる時には一気にドッと動くのだろう。

 というわけで、春日部市の中心部にある2つの支店の制覇を終えた。予定と実際の行程とを考慮すると、ここ春日部で時間が多少浮いたハズだ。実は、昨日プランを作るときに多少横着して、別のタイミングで調べた野田線の時刻をそのまま流用している。よって、春日部の出発時刻が微妙に遅い(滞在時間が若干長めになっている)のだ。まあ、スケジュールには時間の余裕というものがないと、今朝のように各駅停車しか停まらない駅へ行くのに準急に乗ってしまう等“やらかして”しまった時、対応できず困ってしまうのである。物事はとかく思ったより時間がかかるものであり、予想外のアクシデントに備えて、予定はせいぜいゆるゆるに組んでおくことだと思う。予定が早く進むといっても、せいぜい小1時間早くなる程度で、半日ぽっかり浮くなどはあり得ないのだ。

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 【注】主な株主として、現在でも大栄不動産など旧埼玉銀行の関連会社が名を連ねている。

2011年12月11日

2008.11.14(金)(28)伊勢崎線を離れて南桜井へ

 ここで、伊勢崎線からいったん離れて野田線に入る。最初の目的地は、現在地から東へ5km弱。南桜井支店(春日部市)である。
 駅前のセブンイレブンで喉の渇きを軽くいやしてから電車に乗ろうと思っていた。店の前まで来て、ふと駅の方を見ると、手前側にある野田線のホームに右の方向から電車が入ってくるのが見える。これはアブないのではないか、と思った。どうアブないのかというと、西口から見て右から左に走る野田線の電車は大宮行きで、直接私が乗る電車ではない。しかし、東武野田線は春日部から東が単線である。単線区間から大宮行きが来たということは、列車交換をするのではないか。だとすると、私が乗る右方向(柏方面)の電車は間もなく発車する。そして、これを逃すと次は15分後までないと思われる。私が千葉県柏市に住んで野田線を日常的に利用していた頃、七光台(野田市)から西側では電車が15分おきにしかなかったからだ。現状せっかく予定より30分ぐらい早く進んでいるのだから、進行は早いままにしておきたい。
 というわけで大急ぎで駅に入ったのだが、焦る必要はまったくなかった。春日部駅の野田線発車時刻は大宮行きx6分・柏行きx9分で統一されていて、11:59発の柏行きに悠々間に合った。野田線は今では電車の本数がずいぶん増えていて、全線10分間隔で出ているのだった。100円返せ、と言いたい心境になった。

 野田線の柏行きは、春日部を出た途端に畑の真ん中に突入した。野菜畑と麦畑と休耕田ばかりのところを走り抜ける。民家が増えてきたと思ったところで、左の車窓に屋上駐車場完備のショッピングセンター(ビバホームとヤオコー)が見える。これが、南桜井駅突入の合図である。
 12:06、南桜井に到着した。埼玉県はこの駅までで終わり、次の川間から千葉県野田市に入る。だから、今日使っているフリー切符も、使用区間は南桜井までとハッキリ書いてある。対向式ホーム2本の駅は野田線としては標準的であり、駅舎も普通の橋上駅舎である。駅名のプレートに「埼玉県春日部市」と書いてあるが、2005年10月までは北葛飾郡庄和町であった。駅周辺は旧庄和町の中心地で、1954年7月の合併までは南桜井村といった。駅の南側には東武がやっているスポーツクラブが建っている。ホームの柏寄りから埼玉りそなの看板が見える。
 自動改札を出たところに、「アクセス東武」と称して自動販売機が数台置いてある。一番左の機械で売っているのは、なんと本である。「耐水文庫」という商品名で、1冊500円。耐水ということは、風呂で読むことを想定しているのか。ラインナップは『ガリバー旅行記』『蟹工船』『日本の怪談』『ロミオとジュリエット』『人間失格』『坊ちゃん』などなど、結構豊富だ。あとは、乾電池でケータイの通話ができる充電装置とか、ハンカチだのカイロだの雑貨を売っている機械もある。円盤に菊の花のような形で仕切りがついており、商品が1個売れると空の部分が少し動いて、商品の入った隣の部分が正面の取り出し口のところに来る。そういう円盤が縦に10段近く重なった、縦型の自販機である。これらの自動販売機は、売店が採算的に営業できないということで置かれているのだろう。でも、前述したスポーツクラブは、橋上駅舎の2階からつながっているのである。物を売りたいのなら受付で売ればいいのに、とちょっと思ってしまった。なお、飲み物の自販機ももちろんある。
 スポーツクラブのある南側の階段を下りた。駅は改良工事中で、エレベーターを設置するそうだ。駅を出ると、改良工事中のせいなのか、駅ビルのようになっている部分の半分はシャッターが下りていた。駅前にお決まりのロータリーはなく、駅舎の屋根の下はタクシー乗り場になっている。駅前を通る道は、センターラインの引かれていない2車線ほどの幅の道。駅前の個人商店は、衣料品店と、昔ながらのDPEショップである。デジカメ全盛のこの時代、こうした店はもはや繁盛できないのではないか。駅前は区画整理をして「南桜井駅前南線」という道路を整備し、駅前ロータリーを新設する計画のようだ【注】。

 【注】ロータリーは現在工事中。(2011.11現在)

2011年12月12日

2008.11.14(金)(29)今回の最東端、庄和支店を制覇

 南桜井の新市街地は今出た反対側(北口)で、こちらには駅前のロータリーもあり、個人商店も集積しているようだ。その他、ホームセンターのビバホームと埼玉県地盤のスーパー・ヤオコーの入ったショッピングセンターが、電車の窓から見えたとおり。SCの北側には武蔵野銀行の庄和支店がある。また、「大凧の里庄和」という表示が見える。旧庄和町の西宝珠花では、1辺10mを超える巨大なタコを毎年5月に上げるのである。タコといってもカイトの方で、“アシハポーン”ではない。
 駅を出て線路沿いに歩く。川間方向の彼方に見えるイトーヨーカドー系の食品スーパー、ヨークマートが目印だ。道路と線路との間に交番が建っていて、交番の隣に線路を横断する地下道の入口がある。蛇足ながら、庄和支店は駅前のヤオコーと線路沿いのヨークマート、旧町役場(春日部市庄和総合支所)の3か所に店舗外ATMを持つ【注】。
 そして、埼玉りそな銀行の庄和支店。支店ビル、といっても他の独立型の支店と変わらないサイズだが、S商事という不動産屋とも材木屋ともつかない会社が一緒に入っている。出店するとき(1977年6月)共同で建てたのだろうか。銀行と材木屋さんと、どちらがメインなのかわからない建物である。道幅が狭くて写真撮影はややきつかった。線路の向こう側から撮った方がアングル的にはおさまりがよいかもしれないが、代わりに夾雑物が多くなる。
 キャッシュコーナーの内装はあさひ銀時代初期のパイプデザインで、機械ごとの幅は見たことがないほど広く感じた。パイプ端頂部についているキャップは銀色で、ATM上部行灯は緑色のプレートに取り換えてあった。5台しかないATMは、左から4台目の4番だけが富士通FV20で、他は全部FV10。その右側に両替機がある。窓口は総合受付方式になっていて、窓口室側にガワだけFV10の通帳記帳機が1台あった。12:15、庄和支店を制覇した。

 駅に戻る前に、地下道を走って反対側に上がり、線路の向こうから1枚だけ支店の写真を撮った。やはり思ったとおり電線や電柱など夾雑物ばかりである。地下道を抜けて上がったところにも、Sさんという家があった。かなりの豪邸だが、支店に同居するS商事の社長宅なのか、別のS家なのかは知らない。とにかく庄和支店はローカルムード満点であった。春日部市と合併するまで郡部だったわけだから、田舎なのは仕方がないけれども。

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 【注】店舗外ATM[ヨークマート南桜井店]は2010年3月廃止された。

2011年12月13日

2008.11.14(金)(30)納豆の水戸、ギョーザの宇都宮

 野田線沿線の制覇を続ける。次の目的地は、西に折り返して春日部を抜けた東岩槻(さいたま市岩槻区)。野田線の大宮方面行きに乗って来ると、この駅からさいたま市に入る。
 南桜井12:29発の大宮行きに乗車した。車窓から見える風景は、のどかな農村地帯のようであった。踏切の横に、赤いよだれかけをつけたお地蔵さんがいる。よだれかけは退色していなかったから、誰かがメンテナンスしているということだ。また、柿の実がたわわに実った木を複数見た。あれだけ真っ赤というか「真オレンジ」になっているのに、鳥に食われた形跡のある実が1個もなかったから、多分渋柿なのだろう。それでも、視覚的には十分である。一方で産業廃棄物の処分場があるのは興ざめだった。
 野田線は春日部から東が単線になっているが、複線化することは一応可能なようだ。用地の買収は済んでいるようで、単線の線路を敷いてある場所は幅広く使っている。ただ、複線化しようとすると南桜井−川間間で江戸川を渡る大鉄橋が必要になるので、それで止まっているのだろう。首都圏であっても県境はやはりボトルネックになるようだ。

 南桜井と春日部との中間にある駅は、藤の牛島という。東武は駅名に助詞の「の」を使うのが好きな鉄道会社で、ここの他にも「おもちゃのまち」「流山おおたかの森」と複数の例がある。この「藤の牛島」は、特に「名詞+の+固有名詞」という形で、前の名詞が固有名詞を説明する形になっているのが異色である(文法用語では連体修飾ということになる)。つまり「藤で有名な」「藤でおなじみの」牛島、というわけである。
 藤で有名というのは、この駅の北西、徒歩10分ぐらいのところにある藤花園のこと。ここには、約1200年前に弘法大師が手植えしたという伝説のフジがある。武里のところでも書いた、春日部市の市花・フジは、これに由来している。
 ここで特記したいのは、駅の名前についてである。この駅名は、強烈なパンチを秘めていると思う。例えば水戸駅を「納豆の水戸」とか、宇都宮駅を「ギョーザの宇都宮」とか、同じ構造の連体修飾の「の」を使った駅名に改名するとしたら、恐らく反対運動が起こるだろう。「藤の牛島」というのはそれと同じレベルの駅名である。「の」の前が匂い立ちそうなものではなく花だし、何もない田舎の駅だから、反対運動も起こらず何とかなっているに違いない。
 蛇足だが、この駅の駅名板は、ローマ字表記を「Fujino-ushijima」としている。厳密には間違いで、「藤」と「の」の間にもハイフンを入れて「Fuji-no-Ushijima」としないといけない。助詞の「の」だけで1単語だからだ。ウシジマのUは、地名の冒頭と考えるなら大文字だが、「藤の」から始まる駅名の一部と考えるなら小文字でもよい(私はここは大文字としたい)。

 春日部・八木崎と駅を通り過ぎた。八木崎の次、豊春の駅前にあった旧北海道拓殖銀行の支店は、取り壊されてセブンイレブンになっているようだった。豊春駅から南へ1kmほどの国道16号線沿いには、自動車の「春日部ナンバー」の発行元、春日部自動車検査登録事務所があるが、もちろん車窓からは見えない。
 東岩槻はもう次だ。

2011年12月14日

2008.11.14(金)(31)東岩槻支店を制覇

 東岩槻駅は、野田線の駅には珍しくホームが島式である。駅舎は橋上駅舎になっており、ホームなども改修されていて、こんなに立派な駅だったかと意外に思った。ここ数年の間に改良工事が行われたのは間違いないと思う【注】。12:42東岩槻に到着、階段を上って橋上駅舎のてっぺんに来た。ここはエレベーターはあるがエスカレーターがない。階段では幼児がギャースカ泣いていて、少しキレそうになってしまった。
 駅には南口と北口とあって、どちらも区画整理された住宅団地が広がっている。埼玉りそなは北口だったハズで、改札を出て左の階段を下りる。広々とはしているけれども殺風景な駅前ロータリーが広がっていた。潅木が植わったプランターのような容器が中央に複数置いてあるだけで、駅前広場はアスファルトで全面舗装されている。スペースのうち半分はタクシープール、残り半分は何だかわからないが、とにかくベッタリと舗装されているだけである。街路樹は葉がかなり黄色くなっていて、秋らしいと感じた。
 駅周辺をざっと見渡す。コンビニが1軒。雑居ビル、たばこ屋、有料自転車置き場。ちょっと離れたところにスポーツクラブとスーパーマーケット2軒(マルヤ、はるか彼方に西友)がある。高層マンションが数棟見えるが、合併でさいたま市になっただけでイメージが上がって開発が進んできたのだろうか。
 人も車もほとんど動いておらず、静かな昼下がりである。東岩槻は岩槻区東部の中心地としてそれなりに人口も多いハズだが、駅前を見ただけでは地域の特色につかみどころがないな、と思った。

 目指す支店は、駅の階段を下りながら右手に見えていた。支店の外壁はカスタードクリーム色に塗られている。前回来たときはグレーではなかったかと思うが、記憶ははっきりしない。かつて「あさめぐ」で来た時は橋上駅舎になる前で、駅を出て右に支店があった気がした。橋上駅舎の階段を降りたあたりにかつての駅舎があったと思う。
 キャッシュコーナー入口は建物の北西側である。入ってびっくり、ATM枠は全部ATMで埋まっていて、台数を数えると11台もあった。支店左側の入口から入って4台+4台。2つに分けているのは、機械より狭い幅の壁(柱のあるスペースか)で区切られているせいだ。そして、直角に左に曲がってさらに3台並んでいる。以上ここまで全部ATMである。記帳機と両替機はキャッシュコーナー床面に別置きで1台ずつ。さらにテレビ電話ブースも設置されている。ATMはほとんど富士通FV10だが、4台だけFV20が入っている。機械枠はあさひ銀時代のパイプデザインで超幅広型。パイプ頂端部のキャップはついていないようだ。行灯のプレートは緑色のものに付け替えられていた。窓口室は総合受付方式にはなっていないように見え、ロビー係が歩き回っている。というわけで、思いのほか大規模な支店である。金曜のこの時間、お客はあまりいないようだが、ピーク時だけ忙しいのかもしれない。12:51、東岩槻支店を制覇した。
 東岩槻支店は、埼玉銀行東岩槻支店として1972年10月に開設された。現在の店舗は1980年11月に新築されたものである。

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 【注】後日調べでは2004〜2006年にかけて施工。

2011年12月15日

2008.11.14(金)(32)人形の町、その駅前風景

 駅前のローソンで軽く買い食いをして、次の目的地・岩槻へ向かう。さいたま市岩槻区の中心、というより旧岩槻市の中心と言った方がわかりやすいが、ともかく岩槻は旧城下町として歴史的な建築が多数残っており、じっくり歩き回ってみたい町である。もちろん今日は町をふらふらする時間はないのだが、1軒だけ、見ておきたい旧銀行建築があって、時間をほんの少しだけ長めに取っておいた。
 プランより40分早く、13:05に岩槻に到着した。岩槻駅は典型的な「国鉄型配線」の駅、つまりメイン改札のあるホームが1番線、跨線橋を渡った向こう側に島式ホームの2・3番線という配線である。春日部方面のホームに向かう跨線橋は古レールを組んで作ってあり、古めかしいと感じた。2・3番ホームの向こうは電留線になっている。岩槻折り返しの電車があるのだろう。
 とりあえず改札を出よう。改札機を出た正面が駅前ロータリーで、いきなりバス乗り場になっており、東武系の朝日バスと、国際興業の2社で数台のバスが停まっている。人の出方はさっきの春日部西口と同じ感じで、少しさびし目。宗教団体が機関誌を配っているのも春日部と同じだ(教団も配っている機関誌も同じである)。駅前、大宮寄りには東武ストアだった建物がある。現在も屋号が「TOBU食鮮市場」となっているから、東武ストアが運営しているのか。駅舎となりのマクドナルドは健在【注1】。旧東武ストア内と駅前の2か所に、みずほ銀が店舗外ATMを出している。駅前のATMは2003年7月まで岩槻支店(旧第一勧銀、第一銀準備)があった名残である。

 駅前の目立つ場所にデンとそびえ建っているのが、岩槻駅前の「WATSU」(ワッツ)という再開発ビルである。名称はIWATSUKIの両端の文字を取り去ったもので、「日本の中心」の意味でJAPANの中央3文字を採ったアパホテルと同じようなネーミングである。駅から見て左側に「サティ館」、正面に「コムザ館」と2棟があって【注2】、前者は名前のとおりサティがキーテナント。コミュニティプラザ略してコムザという名前の後者にはカルチャーセンターなどが入っている。蛇足だが、以前の北海道遠征で苫小牧から札幌に向かう高速バスの車内から「輪厚」(わっつ)という地名を見かけ、『めぐ記』で記述したことがある【注3】。
 ワッツの壁面には「地下鉄7号線延伸の早期実現を」と書いた垂れ幕が下がっている。現在浦和美園(さいたま市緑区)までで止まっている埼玉高速鉄道のことである。岩槻を経由して蓮田市まで延ばす計画になっているが、ご多分にもれず財政難で今後どうなるかはわからない。かつて協和銀は、この線が開業する予定だった地域に川口・鳩ヶ谷・岩槻と出店していたから、それなりにドミナント化することを考えていたのであろう。単独では実現しなかったけれども。なお、ワッツ・コムザ館、ココ壱番屋の左側に、埼玉りそなの縦型行灯看板が見える。これはあさひ銀行時代からあった店舗外ATM[岩槻駅前ワッツ]である。かつての協和銀岩槻支店はこの再開発ビルの場所にあって【注4】、店舗外ATMはその代替施設という側面を持つ。
 どこにでもある再開発ビルはさておき、何と言っても岩槻を特徴付けるのが日本人形店の林立である。岩槻はひな人形の一大生産地として有名だ。再開発ビルから目を右にずらすと、年末の「変わり雛」で有名な老舗人形店の東玉が人形博物館(ショールーム)を出していて、羽子板・破魔矢・ひな飾りなどを売っているようだ。ワッツ・サティ館はこの建物を避けるようにして建っている。東玉は別に右斜め前方にもある。「東玉人形の国」という名前で、総本店らしいが、こちらもショールームのようになっている。

 【注1】その後閉店した。
 【注2】2010年3月の岩槻サティ閉店に伴い、建物の名称は「東館」「西館」に変更された。同年6月、東館のサティ跡にはマルエツ岩槻駅前店が開店。さらに2012年1月から、さいたま市岩槻区役所が東館の3・4階に移転して業務を開始する。
 【注3】2009.11.11〜11.22連載「りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動」中、11.19掲載『(3)生理的欲求による危機』。
 【注4】協和銀行岩槻支店:1972.09.11開設、1991.04.01協和埼玉銀行岩槻駅前支店、1992.02.24岩槻支店に統合。

2011年12月16日

2008.11.14(金)(33)“大きな”岩槻支店

 岩槻支店を目指して駅前通りを歩く。ロータリーの大宮寄りに、中原証券の看板。春日部でもそうだったが、中小証券会社の支店は地方情緒満点である。サティの建物の一番端っこにあるミスタードーナツは健在であった。この店は、かつて「あさめぐ」でここから蓮田市に抜けた際、バス待ちで時間をつぶしたことがある。当時は「めぐ」で文章を書こうという意欲はなかったけれども。その先、左側のマツモトキヨシは、あさひ銀に営業譲渡して閉店したさくら銀行岩槻支店(旧太陽銀)の跡にある。
 そして、埼玉りそな銀行岩槻支店。3階建ての堂々とした建物が、すでに駅から見えていた。看板こそ見えないが、過去何度か来ているから埼玉りそなだとわかる。今文章をまとめながら自分で呆れているのだが、取材メモでとにかく岩槻支店の建物そのものが大きい大きいと連発している。建物の大きさがよほど印象に残ったようだ。旧埼玉銀行としては、旧城下町の支店として重要な拠点だったに違いない。
 正面入口を入ると、ATM枠は横一直線にズラリと並んでいる。あさひ銀行時代のパイプデザイン枠で、機械ごとの幅は現行機種と同じくらいの幅しかないから、改装されたのはあさひ銀時代の末期だろう。パイプ端頂部のキャップは銀色に塗られ、行灯のプレートは緑色のものに換装されている。ATMは10台で、全部が富士通FV10であった。枠番でいうと1〜10番がATM、11番が空き枠で、12番はFV10ガワの記帳機。13番は両替機だが、ATM2台分くらいの幅を持つとびきり大型の機械が配備されていた。13:20、岩槻支店を制覇した。

 岩槻支店は、武州銀行岩槻支店として1920(大正9)年6月開設された【注1】。1943年7月の4行合併で埼玉銀行岩槻支店となり、1968年4月と1989年10月に店舗を新築している。89年の現店舗新築移転前は、現支店と同じブロックの奥、現在駐車場になっているスペースにあったようだ。

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 【注1】岩槻支店の開設日:『埼玉銀行史』には「粕壁銀行岩槻支店として開業」とあり、年月日欄は空欄になっている。『武州銀行史』によると、岩槻支店は粕壁銀行の合併と同じ日の開設ではあるが、粕壁銀行とは関係ない模様。本文は『武州銀行史』の記述に依拠した。

2011年12月17日

2008.11.14(金)(34)旧城下町・岩槻を歩く

 制覇後、支店の写真撮影を済ませてから、少しだけ岩槻市街地に入ってみた。写真撮影については、例によって車が邪魔で、とだけ言っておこう。
 岩槻はもともとは城下町で、明治の一時期には県庁所在地になったこともある。明治4年11月14日【注1】、廃藩置県後の大整理で埼玉県が成立した際、県庁は形式的には岩槻町(当時)に置かれ、県名も岩槻町の所属郡である埼玉郡から名づけられたのだった。しかし、実際の県庁は浦和町の旧浦和県庁に置かれた。これは、岩槻に県庁として適切な既存建物がなかったためだとされている。岩槻城は幕末に本丸を焼失していた。財政難の明治政府にとって、使える既存の建物は非常に重要であった。
 さて、駅前通りをさらに進むと、「駅入口」の交差点で東西の道(正確には南西−北東)に交わる。東武野田線に並行するこの道が、岩槻の目抜き通り「本町通り」である。春日部方面に歩いていくと、右側にさいたま市岩槻区役所(旧岩槻市役所)がある【注2】。この交差点のあたりまで来ると、古い建物が多少は残っている。目についた自転車店は、おそらく明治〜大正期の木造建築。梁というのか骨組みが妻面に見えていたりするのだ。

 一度見たいと思っていた歴史的建造物というのは、「駅入口」交差点の春日部寄りにある「東玉大正館」である。大正後期に建てられた、旧中井銀行【注3】の岩槻支店だった建物で、国の登録有形文化財に指定されている。中井銀行は江戸時代の両替商が銀行になったもので、埼玉県では公金を扱うなど関東地区の有力な銀行だった。昭和金融恐慌の際に破綻し、昭和銀行(安田銀行・富士銀行を経て現みずほ銀行)に買収された【注4】。建物は煉瓦造2階建ての洋館建築で、大正時代における中小規模銀行の典型例だそうである。
 これまた、例によって写真撮影には夾雑物(車)に悩まされた。さあ撮ろう、と思うと、目の前で信号が赤になって信号待ちの車が連なったりするのだ。信号も車もいなくなり、ようやく「よし」と思ったところで、スーッと車が前を横切り、まさにちょうど大正館の前に停まった。運転者の男性は、ケータイで通話しようとしたようだ。よりによってこのタイミングで。
 もちろん私はそういう時、ブツクサ言いながらも待っているのだが、通話は長時間になりそうな様子だった。これは待っておれん。私は意を決して車のドアをコンコンと叩いて、両手を同時に左から右に動かして移動のジェスチャーをし、次いで拝むしぐさをした。なにしろ相手は通話中であるから、音声言語で会話するわけにはいかない。
 ケータイを使うのに車を路肩に寄せるような、真面目な人が相手でよかった。その男性は、快く車を動かしてくれた。遮るものがなくなったので、安心してシャッターを切る。写真を撮り終わった後、その車のところに行って会釈をし、駅への帰途についた。
 まだ2時前だが、早くも日がだいぶ西に傾いてきた感じで、愕然とする。4時半ぐらいまでは明るいハズなのだが。救急車がサイレンを鳴らしながらやって来た。

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 【注1】新暦(太陽暦)では1871年12月25日。
 【注2】前述のとおり、岩槻区役所は2012年1月から駅前の再開発ビルに移転する。
 【注3】江戸時代に両替商だった中井商店が1883(明治16)年6月に銀行に改組(合名会社)、1917(大正6)年6月株式会社に改組、1927.03.19昭和金融恐慌の影響で営業休止、1928.03.01昭和銀行に営業譲渡。
 【注4】昭和銀行が安田銀行に合併された1944年の時点で、同行に岩槻支店は存在しない。

2011年12月18日

2008.11.14(金)(35)郊外電車の駅、七里

 岩槻から大宮方向へ1駅だけ移動する。次の目標は、七里駅前にある七里支店(さいたま市見沼区)である。
 七里駅には13:49に到着した。前から2両目の車両を降りたところで、目の前に埼玉りそな銀行の板看板が見えて「めぐ」の心をかき立てる(のか?)。ホームと駅舎との継ぎ目付近が支店の真裏ということになる。支店の壁には、板看板のほか「あさひ銀行」のロゴを剥がした跡が見えた。あさひ銀時代、ここには色つきの切り抜き文字がついていたが、りそなになる時に板看板に直したのだ。
 七里駅は複線の両側にホームがへばりついた対向式ホームの駅で、駅の出入口は南側だけ。駅舎は1番線(大宮方面)ホームの大宮寄りの端にあって、改札までは何とスロープになっている。首都圏ではすっかり珍しくなった気がするけれども、まさにこれこそ「究極のバリアフリー」ではないか。少なくとも、橋上駅舎にエスカレーターやエレベーターをつけるより、地球環境にも人体にもよほど優しいと思う。反対側、春日部方面のホームを見ると、跨線橋で結ばれた向こう側は屋根つきのホームが1本あるだけで、駅の裏は屋敷森なのか、広大な雑木林になっているのが見える。もちろんこちらに改札はなく、北側には出られない。いまどき珍しい平面的な駅である。駅の敷地には多少の余裕がありそうで、南側と北側に線路を増やして通過待避線つきの駅に改造することは十分可能のようだ。大宮の副都心が形成されることを見込んだ駅だったのではないか。なお、岩槻側にある踏切の向こう側に、埼玉県信用金庫の支店が見えた。信金は駅裏のあんなさびしい場所でも商売が成り立つらしい。

 改札を出ると、埼玉りそなの支店がもう左側に見える。線路に沿って西から進んできた生活道路が、駅前広場に接した先で埼玉りそなにぶつかり、右に曲がっている。駅前広場は非常に狭くて、ロータリーにはなっておらず、ガードレールとプランターでかろうじて人間のスペースを確保している。そこにタクシーが数台停まっているが、無理矢理停まっている感じで、基本的に車は停められない。
 地方の駅前にはおなじみの有料駐輪場が、ここにもある。2階建ての本格的な立体駐輪場で、有限会社と書いてあるから民間経営だろうが、市営の駐輪場にも匹敵するような立派な建物である。それから、コンビニのデイリーヤマザキが見える。平屋建ての建物には「FASHION ZAKKA SUN ROOJU」と書いてある。ファッション雑貨サンルージュ。平屋建ての建物の一部をコンビニにして、残りをファッション雑貨の店として使っているのだが、店のたたずまいからは、何を売っているのか一瞬考え込んでしまう。それもさることながら、「ルージュ」がこんな綴りとは知らなかった(笑)。あとは不動産屋、写真屋。一杯飲み屋のような店も結構多い。「洋菓子」と書いてある店は廃業済みのようだ。
 とにかく七里駅には、一昔前の郊外電車の駅という雰囲気がそのまま残っていた。駅そのものの写真を撮っておきたいほど味わい深い。

2011年12月19日

2008.11.14(金)(36)七里支店を制覇

 そして、埼玉りそな銀行七里支店もまた、銀行支店として非常に味わいがあった。建物こそ比較的新しく1979年の築だが、支店の真ん前に潅木がもっこりと植わっていたり、店の前が専用の駐輪場で自転車がたくさん置いてあったりする。駅前に商店街が整備された「普通の」都市銀行の支店とは違い、武蔵野の面影のような駅周辺の風景に合わせたような支店である。
 支店に入る。ATMは「七里支店」らしく7台あって、全部ファクトVモデル10であった。入口の自動ドアを入ると真正面に、7台のATMが横並びに並んでいる。内装はあさひ銀行時代のパイプ形で、機械ごとの幅は広くとってある。パイプ突端のキャップはついていなかった。機械枠とは別に両替機と通帳記帳機がある。金曜日とあって、昼下がりのこの時間はキャッシュコーナーが混んでいて、ちょっと制覇に時間がかかってしまった。13:59、七里支店を制覇した。
 七里支店は、埼玉銀行七里支店として1979年10月開設された。1984年10月には大和田出張所(有人)を大宮市大和田町1丁目に開設している。大和田出張所は1990年5月支店に昇格したものの、あさひ銀行時代の2000年9月七里支店に統合された。さいたま市見沼区役所が七里−大和田駅間にあり、区役所内にある埼玉りそなの店舗外ATMも管轄母店は七里支店。ということで、事実上、七里支店が見沼区を代表する埼玉りそなの支店のようだ(東大宮支店のあるJR東大宮駅あたりも見沼区であるのだが)。
 「見沼区」で少し脱線しておくと、さいたま市の区名はいまひとつ実情にそぐわないと感じる。この界隈もその一つで、見沼区と緑区は区名を交換すべきではないかと思う。有名な「見沼田んぼ」があるのは現・緑区だからだ。ついでに、「桜区」は埼玉県の花・サクラソウにちなんだ命名だが、樹木のサクラとサクラソウは全然違う植物である。住民ではないので違和感を表明する程度に留めておくが。

 今日の野田線はこれで終わりにする。さらに終点の大宮まで乗れば、大宮支店と大宮西支店も取れるのだが、計画のところで書いたとおり、こちらはまたの機会としたい。
 次の目的地は、大宮を外して春日部に戻り、さらに春日部からポーンと飛んで鷲宮(北葛飾郡鷲宮町、現久喜市)である。春日部からの途中にある杉戸・宮代・久喜の3支店は、過去の『めぐ記』で取り上げたから、これまた今回は省く。
 ふと思った。『西遊記』は、三蔵法師が孫悟空などのお供を連れ、経典を求めて聖地・天竺へ旅をする物語である。『めぐ記』は為栗裕雅が通帳の記帳を求めて一人で銀行をめぐる物語で、今回は(何の聖地か知らないが)鷲宮へ向かう。似ていないこともないかもしれない。

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2011年12月20日

2008.11.14(金)(37)前途に暗雲ただよう

 七里14:06発の柏行きに乗ったら、座席でうとうとしてしまった。窓から差し込む光の角度と色からは、太陽が明らかにだいぶ沈んできているのが分かる。
 10分ほどの乗車で、数時間ぶりに春日部に戻ってきた。ここからは再び伊勢崎線を北上することになる。今のところ、予定より1時間早く動いている。1か所につき10分ずつ前倒しして、とうとうここで1時間早くなった。もっとも、1時間早くなっても目標の数を増やすわけにはいかないが。
 伊勢崎線の太田・伊勢崎方面が出る3・4番ホームに向かう。西口へ出ていく女子高生がとても多かったが、「ララガーデン」にでも行くのだろうか。どういうわけか「男子高生」は全然見かけない。学校が休みになっても外出しないのか、それとも本当に男子の人口が少ないのか。
 発車案内の電光掲示を見る。次の電車は、14:08発の区間準急久喜行きとあった。今から何分後だろう。時計を見て、あれと思った。現在時刻はすでに14:20近い。いったいどうなっているのだろう。
 2段表示になっている電光掲示板の、下段を文字がスクロールしていた。なになに、伊勢崎線・日光線遅延。14:05頃伊勢崎線で発生した踏切安全確認の影響で、上下線で遅れが出ています、だそうである。
 何ということだ。よりによってこれから伊勢崎線に乗ろうというのに。1時間稼いでいるから焦る必要はないとはいえ、私はこういう時予定どおりにパシッと決まるのが好きで、前倒しするのは(なかなかできないが)もっと好きだから、いささかガッカリした気分になった。
 駅員による構内放送があった。武里駅付近の踏切でバイクが転倒したそうで、10分少々遅れての運転ということだった。

 区間準急久喜行きは、10分余り遅れてやって来た。
 本線でも春日部を過ぎると、沿線の風景としてだいぶ農地が増えてきた。春日部の隣駅で東武の車庫がある北春日部は、以前通った時と比べると、アパートなどが駅の周囲に増えてきている気がしたが、やはり駅を出て少し走ると水田地帯であった。
 その次の姫宮から、行政区分でいうと郡部となり、南埼玉郡宮代町に入る。さすが郡部と言うべきなのか、姫宮駅近くでは見渡す限りの水田風景がみられるようになった。東京の通勤圏は、春日部で一つの区切りを迎えるのかもしれない。ちなみに埼玉りそなは、春日部までの駅では埼玉県内1つも欠かさず営業店か店舗外ATMを配置しているのだが、春日部を過ぎるとATMすらない駅というのが出てくる(北春日部・姫宮)。そこらへんはストレートというか、銀行として商売にならなくなってくるのであろう。
 姫宮の次が、東武動物公園。伊勢崎線から日光線が分岐する重要な駅で、かつてはこの駅に車庫と車両整備工場も置かれていた。東武が作ったレジャー施設の名前を強引に名乗らされる1981年以前は、宮代町にありながら杉戸駅といった。蛇足ながら、この鉄道会社は来年(2012年)から「業平橋」の駅名も変えてしまう。新駅名はあえて書かない。
 この駅から歩いて行ける範囲に、埼玉りそなの営業店が2つ(杉戸支店・宮代支店)ある。前述のとおり今回は行かない。

2011年12月21日

2008.11.14(金)(38)西遊記と東武動物公園

 三蔵法師の旅の物語『西遊記』は、日本人のメンタリティに訴えるものがあったようで、過去何度も映像作品になって放映されている。一番有名なのは夏目雅子が三蔵を演じた日本テレビの連続ドラマ(1978年以降)だろうが、私にはザ・ドリフターズが出演した人形劇『飛べ!孫悟空』(TBS、1977〜78年)のほうが印象深い。猿の孫悟空・豚の猪八戒・河童の沙悟浄はどちらも共通しているが、TBS版はドリフの5人に合わせるために人間の「カト」というキャラを無理矢理登場させていた(名前のとおり加藤茶が声を当てていた)。いずれにしても、三蔵法師の一行は一種の「動物園」のようなものだったと言える。
 というわけで、話を無理矢理「動物園」に持ってきた。私の行程は、動物園ならぬ「動物公園駅」で大変なことになったのである。
 私の乗った久喜行きの区間準急が東武動物公園に到着する直前、車掌がとんでもないアナウンスを行った。「この電車は東武動物公園で運転を打ち切らせていただきます。」
 おいおい、久喜まで連れていってくれないのか。あと2駅じゃないの。せっかく1時間稼いでいるのに、これではブチ壊しである。乗り換え電車があるならともかく、こんな駅で突然運転を打ち切られても困ってしまう。
 と、罵りたい気持ちを知ってか知らずか、私を乗せた電車は5番ホームに滑り込んだ。強制的にホームに降ろされると、駅員も、この電車がこの駅止まりとなる旨を繰り返しアナウンスしている。なお、踏切障害があったのは、武里駅の春日部寄りであると判明した(知ってどうなるというものでもないが)。誰だ、バイクでひっくり返った奴は。よりによって俺の電車の直前で。
 もっと腹の立つことに、後続の急行南栗橋行きが4番ホームにやって来た。腹が立つというのは、こちらの日光線の電車は運転打ち切りとはならず、南栗橋終点までしっかり行くのである。本線の伊勢崎線を差し置いて支線の日光線を優遇するのは、群馬県出身者としてはケシカランと思う。という冗談はさて置くとしても、二股に分かれる進路のうち、私が乗る方の線がなかなか出ないのに、もう一方がすんなり発車するという事実は、やはり正直気分がよくない。久喜方面がどういう状況になっているか確認したいが、駅員に聞かなければわからないか。
 と思っていたら、定時で14:29発となる急行久喜行きが、10〜12分遅れでやって来るという。区間準急の運転打ち切りは、後続列車がすぐ来るという理由だったようだが、そうならそうで、きっちりと案内を出さなければダメではないか。こんなことなら、春日部で最初から後続の急行に案内してもらいたいものだ。何度も乗り換えさせやがって。
 5番線に、予告された急行久喜行きではなく、もともとこの駅止まりの各駅停車が入ってきた。ホームは電車を降ろされた人でいっぱいになった。次いで4番線にやってきたのは、東武日光・会津田島行きの区間快速。区間快速は久喜行きの急行を待って発車するのだろう。やはり日光線は優遇されている。明らかに伊勢崎線より本数が多いではないか。

 どういう経緯をたどったか記憶が薄れてしまったが、結局私は、12分遅れでやって来た急行久喜行きに乗って、東武動物公園を後にした。取ってつけたように東武動物公園駅の様子も記述しておくと、東口階段下にある杉戸支店の店舗外ATM[東武動物公園駅]は健在であった【注】。
 伊勢崎線の電車は、動物公園駅からまっすぐ北西に進み、田園地帯を抜けていく。車窓から見えるのは一戸建て住宅と水田・休耕田ばかりである。和戸駅近くの水田では堂々と野焼きをしていた。宮代町では野焼きが許されているらしい。おおらかな土地柄のようだ。
 やがて前方に東北新幹線の高架が見え始める。このあたりで伊勢崎線は郡部を脱し、宮代町から久喜市に入る。ほどなく右カーブして新幹線の下をくぐり、急に市街地に突入したところで、電車は久喜駅に到着した。

 【注】店舗外ATM[東武動物公園駅]は、2010年5月廃止された。

2011年12月22日

2008.11.14(金)(39)異議あり!「久喜から定時運転」

 やっとの思いで久喜に着いたが、乗ってきた電車はここで終わり。目的地の鷲宮まで、まだもう1駅ある。
 ホームに下りると、駅員がこんな構内アナウンスをしていた。「この後、下り列車は館林行き58分になります。」時計を見ると14:43。何と、15分も待たされるというのだ。嘘やろと思ったが、私はすぐに事情を察知した。伊勢崎線の久喜以北では「定時運転」が維持されているのである。伊勢崎線の下り電車は朝夕を除き全部久喜止まりであり、ここから先は久喜始発の各駅停車に乗り換えとなる。運転間隔は20分毎。つまり、久喜以北は武里での事故とは関係なくダイヤ通りに運転されていて、14:38発の太田行きは5分前に出たばかり。私はタッチの差でそれに乗れなかったのだ。
 新たな憤りを感じる私であった。なぜ久喜行きの電車を動物公園で打ち切ったのか。動物公園で降ろされた後、あれだけ待たされたことを思えば、最初に乗った区間準急が久喜まで行っていれば38分発に乗れていたハズだ。もちろん、東武が伊勢崎線の列車を強引に久喜止まりにしているのはこういう時のためであって、ダイヤの乱れを吸収する効果が十分発揮されたのは十二分に理解しているのだが、わかっていてもひどい話だと感じる。
 ともあれ、強引に58分発にされてしまった以上は仕方がない。館林行きの出る2番ホームにすごすごと向かう私であった。待ち時間が15分もあれば、計画から除外していた久喜支店に行けたのかもしれないが、とてもそんな気力はなかった。東武の久喜駅はJR東北本線(宇都宮線)の久喜駅に隣接しており、JRの駅とは別に島式ホームが2本。2番ホームということは、3番ホームに着いた私はいったん橋上駅舎に上がらなくてはならない。重い足を引きずりながら階段を上がる私の背後で、構内アナウンスが聞こえていた。「今度の下り列車は、反対側2番線から館林行き58分です。電車遅れましてご迷惑をおかけいたしました。」謝らなくていいから、ちゃんとした電車に乗せてくれよ、マッタク。
 なお、さっきの事故はこれまで「バイクの転倒」という説明だったが、久喜駅の説明では「線路内に人が立ち入った」と変わっている。どちらにしても、その程度のアクシデントでこんなにダイヤが乱れるものだろうか。もっとも、逆に言うと、こうしたアクシデントが吸収できたのだから、1時間浮かした甲斐があったのかもしれない。あるいは、書き物のネタが増えて良かったと言うべきか。

 2番ホームは、ものすごい混雑ぶりであった。それはそうである。2〜3本分の電車の乗客が全部1本に集中したのだから。
 待っていると、区間準急久喜行きという電車が浅草方面から来た。さっき私が乗った電車の20分後に来るハズだった列車である。「区間」とついている列車は浅草始発の6両編成だが、この電車は54分発の区間準急浅草行きとなって折り返すから、館林まで入るわけではない。これが出た後に、館林行き58分発が来るそうだ。これがまた6両編成で、使っている車両も全く同じなのである。こんなことなら素直に直通運転にすればいいのに。特に、過疎地帯を走る日光線と異なり、伊勢崎線は久喜の北にも加須・羽生と埼玉県北東部の有力な都市を抱えている。都心方面との直通ニーズは日光線方面より強いと思えるのだが。

2011年12月23日

2008.11.14(金)(40)どうにか鷲宮に到達

 さんざん罵り倒したが、電車に乗ってさえしまえば目的地にたどり着けるのが日本の良いところである。14:58、私を乗せた館林行きの電車は久喜駅を出発した。
 久喜を出てほどなく上り坂となり、大きく左にカーブしてJR東北本線をまたぎ、地平に下りる。駅からしばらくの間は高層マンションがドカドカ建っていたが、その後は田園地帯の真ん中をひた走る。ブドウかナシか知らないが、果物を栽培する棚もあった。やがて、左の車窓には住宅団地の棟が並んでいるのが見えた。これが公団の「わし宮団地」。1971年に開発されたこの団地には、三井住友銀行の店舗外ATMがある。かつて住友銀行が「わしの宮支店」を置いていた名残だ(旧平和相銀)。

 鷲宮は国鉄型配線だった駅だが、真ん中の線路(2番線)はすでに撤去されていて、対向式ホームの西側に線路がついたものが2本並んだような形になっている。駅舎はすでに橋上化されており、西口へ行くとさっきの「わし宮団地」とか県立鷲宮高校。旧市街の東口側に鷲宮町役場や郵便局その他、鷲宮町の中心的な施設がある【注1】。駅舎のガラス窓から東の方角に、目指す埼玉りそな銀行の看板が見えた。
 鷲宮到着は2分遅れだそうで、ということは定時では15:02着のようだ。久喜の手前であんなに遅れていたのに、久喜を出た途端に2分遅れに縮んだというのは、マジックとしか言いようがない。ブツクサ言いながら、階段を使って駅前の細長いロータリーに下りる。
 鷲宮駅舎は、緑とピンクの2色のパステルカラーで彩られたかわいらしい外観になっている。駅舎の向かって左側は、建物の感じからすると東武ストアだったと思うが、むなしくシャッターを下ろして空きスペースになっているのがわかる。さっき行った春日部駅東口も商業は歯抜けの状態であったが、郡部の鷲宮では集積度が当然春日部より下がるだろうから、もっと苦しいのだろう。鷲宮駅界隈は、高度成長期には東京の通勤圏内だったかもしれないが、またいち早く通勤圏から抜けてしまったのだと思う。特に東武線は、2006年3月のダイヤ改正で都内まで直通する電車が朝夕だけになってしまったのだ【注2】。
 駅前を見る。さっき「細長い」と書いたが、鷲宮駅前のロータリーは、駅前通り(コスモスふれあいロードというそうだ)が東の方角からまっすぐ駅に突っ込んで来て、真ん中に植え込みを持つ滴のような形をしている。ここには自家用車とタクシーしか入ってこない。町営バスのバス停が立っているが、1日2本しかないようだから、実質ないのと同じである。雑貨屋のような食料品店のような、古い木造の店がたたずむ。たばこの自動販売機が店先に数台置いてあった。その隣が「鷲宮ビル」という雑居ビル。1階は(営業しているのかわからないが)書店で、2階が個別指導塾の明光義塾になっている。これ以外に駅から見えるビル(のような大建築)といえば、駅から遠く右の方に見える茶色い建物ぐらい。あれは町役場である。あとは、駅前から一戸建ての民家が続くのみ。旧市街から若干離れたところに駅があるから、まあ仕方がない。とにかく、静かな駅前である。
 さっき駅の中に「鷲宮神社」と手書きの張り紙がしてあった。鷲宮は『らき☆すた』という人気4コマ漫画の舞台だそうで、鷲宮神社はその“聖地”である。もともと「関東最古の大社」として正月の初詣客はそれなりに多かったようだが、最近では、漫画の登場人物の誕生日など諸々のイベント(神社主催ではない)に、九州など遠方からの参加者が来るようになった。鷲宮が“聖地”であるのなら、私の七里からの長旅が、三蔵法師による天竺への旅のように艱難辛苦の連続であったのも、理由のあることであった。
 冗談はさておき、神社は、鷲宮駅から直進して最初の信号を左に曲がった突き当たり。信号を左折するとすぐ鳥居があって参道である。駅前に、コミック本を詰め込んだカバンを持った女の子が1人、所在なさげに立っている。今日は学校が休みとあって、誰かと待ち合わせて鷲宮神社にでも行くのかもしれない。

 【注1】北葛飾郡鷲宮町は2010.03.23久喜市と合併し、新たにできた久喜市の一部となった。町役場は現在、久喜市鷲宮総合支所となっている。
 【注2】鷲宮から都心方面へは、最近ではJR宇都宮線東鷲宮駅のウェイトが増している。

2011年12月24日

2008.11.14(金)(41)わしみや支店を制覇

 埼玉りそな銀行鷲宮支店は、駅前通り沿い、鷲宮駅を背に左側にある。駅の中から見えていたから、行くのは難しくない。鷲宮駅前には、埼玉りそな以外の金融機関として農協(JA埼玉みずほ鷲宮支店)がある。支店建物の定礎石に「昭和61年3月20日 鷲宮農業協同組合」とあるから、合併で今の名前になったのだろう。この他、川口信用金庫(本店川口市)が駅の反対側、西口に鷲宮支店を出している。三井住友銀行については前述した。この町の民間金融機関はこれで全部であり、武蔵野銀行の支店はない。
 さて、埼玉りそなである。支店の前を植え込みにして、内側を駐輪場としているのは、さっき行った七里支店と同様である。裏に広大な(といっても12〜13台分の)駐車場があるのは七里と同様だったか知らないが、まあ埼玉エリアであるから七里支店にも駐車場ぐらいはあっただろうと思う。
 キャッシュコーナーにはATM4台と記帳機1台が置かれている。窓口室とを隔てるシャッターの向こう側に両替機、その右側にも1台ATMがある。ATMは全台FV10であった。キャッシュコーナーの内装は、行灯枠は埼玉銀行スタイルのままだが、1台1台の間仕切りだけパイプ形デザインもどきの四角い角張ったスタイルに改造されており、行灯のプレートも緑色のものに取り替えてあった。これが最近の埼玉りそなの標準スタイルである。窓口室は総合受付方式になっていた。15:16、鷲宮支店を制覇した。

 鷲宮(わしみや)支店は、埼玉銀行鷲宮支店として1979年11月に開設された。1985年12月には国鉄東鷲宮(ひがしわしのみや)駅前に有人の東鷲宮(ひがしわしみや)出張所を開設したが、あさひ銀時代の2002年1月に統合している。2010年3月、支店の所在する北葛飾郡鷲宮(わしみや)町が合併で久喜市の一部となり、これに伴い同年6月1日付で支店名の読みがなが「わしのみや」に変更された。
 「鷲宮」の地名はもともと「わしのみや」と読まれていたが、1955年1月に旧南埼玉郡鷲宮町が旧北葛飾郡桜田村と合併した際、自治体名の読み方を「わしみや」とした。鷲宮と幸手市との間に位置していた桜田村は、幸手と鷲宮のどちらに合併するかで意見の一致をみず、結局分村合併となった。こうした難しい状況を反映してか、合併にあたっては新町の所属郡を桜田村に合わせて北葛飾郡とするなどの配慮がみられた。読み方を「わしみや」としたのもその一環だろう。その後の住居表示実施の際にも「わしみや」の読みが地名に使われたが、2010年の久喜市合併に伴いすべて「わしのみや」で統一された。
 最後にもう1つ。埼玉銀行は昭和20年代にも当地に出店しており、1979年の出店は2度目である。最初の鷲宮支店は鷲宮町大字鷲宮2580(現久喜市鷲宮2-13-13および14)にあった。1945年1月に埼玉銀行鷲宮支店として開設され、1958年12月に久喜支店に統合された。こちらの支店名の読みは「わしのみや」だったと思われる。

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2011年12月25日

2008.11.14(金)(42)美水かがみ『らき☆すた』について思うこと

 前述したとおり、鷲宮は『らき☆すた』という漫画作品の“聖地”となっている。今回『めぐ記』で鷲宮の項を起こすにあたり、筆者は、全8巻出ているコミック本の過半数と、「公式ガイドブック」なる本に目を通した。率直に言って、筆者にはこの作品のどういう点が支持を集めているのか、よくわからなかった。
 念のため。全くつまらない作品、というわけではない。女子高生の日常を描いた、どちらかというと脱力系の漫画で、思わずニヤッとするような笑いは確かにある。だからといって、この作品が鷲宮を“聖地”にまでしてしまったとなると、そこまで入れ込むような漫画だろうかと思うのである。けなしているのではなくて、私には愛好家がたとえば「鷲宮神社に100拝」【注1】するほど入れ込む動機がピンとこないのだ。
 野暮な作品紹介を試みる。『らき☆すた』は、美水(よしみず)かがみという男性作者による4コマ漫画である。作品名は「ラッキースター」の略で、中央の「☆」も作品名の一部だそうだ。中心になっているのは4人の女子高生(のち女子大生)。幸手市在住で、漫画・アニメ・ゲームが趣味の「泉こなた」、鷲宮神社の宮司の娘で二卵性双生児の「柊かがみ」「柊つかさ」、都内在住で学級委員長の「高良みゆき」である。通っている学校は春日部市の「陵桜学園」という私立高校。これらは、幸手市出身で春日部共栄高校卒業という作者の経歴が大きく影響している。
 キャラクターにはそれぞれ性格や属性が詳細に設定されている。これは4人の主要メンバーだけでなく、一クラスメートなどチョイ役も含め全てにあって、名前や職業はもとより、血液型・身長・利き手・趣味などまで細かく定められている。私が興味深いと思ったのは、バストサイズを表す「胸ランク」という項目が女性キャラ全てに(故人にまで!)設定されていることだった。登場人物の胸の大きさを設定することが、漫画の絵を描き分けるため必須であるというなら肯けるが、作品を読んでみると、「巨乳」ということになっている高良みゆきも、「貧乳」ということになっている泉こなたも、どちらも同じようにペッタンコにしか見えない。キャラの描き分けで何となくみゆきの胸が大きいような気がするだけだ。ということは、こうした「設定資料」は、設定しておくから後は読者の想像に任せる、ということのように読める。
 また、登場人物は(私の目では)お目々パッチリなだけで、ある程度読み慣れてからでないと区別がつかなかった。加えて、各キャラに設定されている「身長」が十分に描き分けられておらず、身長142cmのこなたと166cmのみゆきがほぼ同じ背丈になっている絵さえある。これらにより、衣服・髪型・メガネ・八重歯といった小道具やパーツ、あるいはセリフの違い(べらんめえ調・専ら敬語使用・関西弁、など)がなければ、生徒と担任教師との見分けすらつかない。キャラ一人ひとりの個性が極めて希薄で、これらに違いをもたらす材料を取り去ってしまうと区別できないのである。
 もう一つ、登場人物の大半が女性であり、男性がほとんど出てこないことも指摘しておこう。男性の絶対的な登場数もさることながら、この作品には、一般的な意味での「男らしい」男性が一切登場しない。男性の登場人物として「唯一の」存在(あえてこう書く)は、泉家と柊家、2人の父親である。どちらも青白いナヨッとした感じに描かれていて、中性的、というより非常に女性的な男性である。これまた他のキャラと同様、どちらの家の父親か区別するのはパーツに頼るしかない(無精ひげを生やしているのが泉家)。
 『らき☆すた』はこのように、多数の“個性をはぎ取った女性”と、ごくわずかの“女性的な男性”だけで構成された漫画である。却って熱烈な愛好家を生み出すのは、そのゆえだろうか。安易な言い換えをするなら、求められているのは「記号としての女性」であり「男性性の否定」であるのかもしれない。

 「地縁」という点でも、この作品は関係性が極めて希薄である。作品を読む限り、舞台を東武線から小田急線に変えて、たとえば「町田・鶴間・海老名」としても、十分成立するだろう。なぜなら、この作品の舞台として設定されている「春日部・鷲宮・幸手」という地域が作品の中で描かれることが、極めて少ないからだ。
 また、鷲宮が“聖地”になっているのは、柊姉妹が鷲宮神社の宮司の娘という設定ゆえだが、これも本当に「設定」だけのようで、神社を舞台としたストーリー展開、あるいは人格形成に大きな影響を与えたなど、「柊姉妹が宮司の娘で“なければならない”理由」はみられないようだ。姉妹が正月に巫女の格好をしているシーンがほんのわずかあるが、巫女は(別に宮司の娘でなくても)アルバイトのクチが存在するから、柊姉妹は普通の自営業者の娘だったとしてもさして問題はない(父親が日中在宅しているので「サラリーマンの娘」は無理かもしれないが)。
 これらの指摘は、この作品と設定資料との関係が、こうした変更が可能なほど薄い、ということを述べているだけだ。だが、このことこそ「鷲宮が“聖地”になった理由」が私に理解できない最大の要因である。こうした土地との関係性の希薄さは、以前述べたaikoの『三国駅』という歌にも共通するものを感じる【注2】。この歌も、aikoが若い頃過ごした大阪市淀川区三国を題材として扱いながら、三国そのものの表現は1フレーズの抽象的な文言だけしかないのだ。
 こういう風に考えてきて思い出すのは、山本周五郎の小説『青べか物語』である。この作品は昭和初期の千葉県浦安市がモデルとされており、文章からは漁師町・浦粕こと浦安の町の様子や人々の生活が鮮やかに想起されてくる。この作品は(『らき☆すた』とは反対に)内容があまりにリアル過ぎて、地元民の評判は芳しくなかったという。しかし読者の立場からは、「蒸気河岸」「ごったくや」など【注3】のあった場所を実際に見てみたいという気にさせられる。昭和初期がお嫌いなら、NHKの連続テレビ小説で舞台となった地域は観光客を集めることで知られる(『つばさ』の川越市、『ゲゲゲの女房』の調布市など)。テレビドラマのロケ地が一時的にせよ観光地になりうるのは、作品が舞台となった地域と密接なかかわりを持つからではないか。
 『らき☆すた』という作品は、地元県紙の埼玉新聞が支援している。その理由は、ほかならぬ「地縁性の薄さ」である気がしてならない。作品に織り込まれる「地元ネタ」は、その密度が濃厚であればあるほど、必然的にネガティブな話題も入り込んでくるからだ。私の『めぐ記』などまさにその例で、言及した事物の関係者が苦々しく感じている部分もあろうと思う。

 こう考えてくると、『らき☆すた』の愛好者層は相当に限定されてくる。実在する社会との関係が、アニメやゲームといった一部の例外分野を除いて希薄で、それに十分耐えうる想像力と生活力(あわせて「浮世離れ力」とでも言おうか)を持つ人々である。また、この漫画の登場人物は、とにかく極端に男性比率が低い。主要登場人物がいずれも女子高生であることや「胸ランク」のことも考え合わせると、この作品の主要読者層は、性的な関心はかなり強いけれども、実生活で周囲に女性が存在しない男性、といった趣きである。これらを一言でまとめると、何と言ったらよいだろう。そうか、これこそ「オタク男性」ではないのか。
 だいたい読めた気がする。この作品は「オタク男性のバイブル」であって、大ブレイクしたというのも極めて限られた層の中での話なのだろう。一般受けする作品ではないのだ。こうした層が愛好者の主体なら、鷲宮でイベントを行った際に参加者が静かで礼儀正しかった、という評判も肯ける。もし「一般受け」していたら、イベントの参加者には大騒ぎを起こすような層が必ず含まれるハズだからだ。

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 【注1】鷲宮神社に参拝して来訪記念の絵馬を残すことが「聖地訪問行為」であるそうだ。
 【注2】当ブログ2009.05.01〜06.16連載「りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ」、5月7日掲載「(5)aiko『三国駅』について思うこと」。
 【注3】どちらも『青べか物語』の舞台。「蒸気河岸」は主人公の住居そばにあった定期船の発着所、「ごったくや」は特殊なサービスを行う小料理屋。
 【注4】2010年11月に鷲宮神社を訪れた。絵馬の奉納はご遠慮申し上げたが、神社そのものは静謐でいい神社だと思う。奉納された絵馬を見た限り、泉こなたと柊かがみのファンが多いようだ。

2011年12月26日

2008.11.14(金)(43)鷲宮から加須へ

 鷲宮駅に戻ってきた。
 2番ホームから駅の反対側を見ると、線路沿いに川が流れている。コンクリ護岸も一部にあるが、基本的に川の両岸は土のままで、樹木が並木のように並んで立っているなど、のどかな風景が広がっていた。樹木の葉はかなり紅葉している。鷲宮駅の西口ロータリーは、川を渡ったところにある。さっき東岩槻でも見かけた「マルヤ」というスーパーが見える。このスーパーは埼玉県東部以外では見た記憶がない。
 さて、埼玉りそなの支店制覇を続けよう。次の目標は、加須(かぞ)市の中心部にある加須支店。加須は鷲宮からは2駅目である。15:22発の太田行きに乗った。座席に腰を落ち着けると、西日が真横から差してきた。もうそんな時刻であった。
 電車は相変わらず田園地帯の真ん中を走る。野焼きの煙が至る所で上がっているのが見える。東北自動車道が頭上をまたいで間もなく、1つ目の花崎駅に到着。鷲宮があれだけ田舎町のようなのに、一層遠い花崎には高層マンションがドカドカ建っていて、ちょっと驚きである。高速の加須インターから近いせいで開発が進んでいるのだ。花咲徳栄高校という甲子園出場で有名になった私立高校もあって、埼玉県北に近いエリアなのだが小じゃれたイメージの住宅地である。駅前の電車から見えるところに、埼玉りそなが店舗外ATM[花崎駅前]を出している(母店加須支店)。
 花崎を出て再び田園地帯を突き抜け、住宅の密集度が再び上がってきたかと思うと加須到着である。瀟洒な2階建ての建物が多いが、6畳1間に一家7人、というイメージの低所得者向け平屋建てのような住宅も建っていたりする。駅のすぐ手前まで来ると、古めかしい渋茶色の木造家屋が見えた。

 加須も国鉄型配線の駅で、東武は私鉄にしてはこのつくりの駅が多いと感じる。平面構成は古典的だが、駅全体は大きな駅ビルがかぶさり、エスカレーターで2階の駅施設に上がったところがコンコースと切符売り場で、施設としては近代的である。駅ビルのキーテナントは東武ストアだから、東武の主要駅としては普通だろう。
 この駅には「りそなめぐラー」の立場からすると他の駅と違うものが1つある。切符売り場の横に、埼玉りそなの店舗外ATMがあるのだ。加須支店母店の[東武加須駅]。ATMが2台あって、あさひ銀時代の内装だが行灯のプレートが店舗外ATMには珍しく緑色に換装されている。通帳印字さえ揃えばいい人には、ここで預金取引をして<加須>の制覇をさっさと終わらせる手がある。小生は現地主義を採っているので支店まで行く。
 改札を出て左折するとマイン(東武ストア加須店)。半階降りたところにあるマインの入口には、「加須名物こいのぼり焼き」なる食べ物を売るコーナーが出ていた。それを横目で見つつ、左へ曲がって再び階段を下へ。もう半階分下りたら、こんどは右に90度折れてまた半階分下りる。せんげん台もそうだったが、東武は駅ビルの階段と通路をクランク状に曲げるのが好きなようだ。
 駅前に出た。東武ストアの建物は、駅前広場を取り囲むようにL字形に建っている。ロータリーには灌木が植わり、中央に大きな木が1本。大きなというのは、根元のあたりでいくつも枝分かれしていて嵩があるという意味だ。その隣には、少女が2人でギッコンバッタンしている彫刻が鎮座している。駅前広場の羽生寄りには、交番とタクシー会社の営業所の建物が建つ。タクシー会社の建物に、三井住友銀行がキャッシュコーナーを置いている。これは2002年10月に統合された加須支店(旧太陽銀)の代替拠点である。店舗外ATMの話をしておくと、あさひ銀行はかつて(改札前とは別に)東武ストアの横にも[東武ストア加須店]というATM小屋を出していたが、りそなになる前に廃止された。

2011年12月27日

2008.11.14(金)(44)こいのぼりと力士の加須市内

 駅前の通りを、地図上の方角でいうと北東に向かう。対面2車線だが、センターラインは白ゼブラだから道幅が広い。県道411号加須停車場線、「駅通り」というらしいが、少しそっけない名前である。
 道の両側は歩道が整備された商店街だが、店はだいぶ歯抜けになっていて、日常の買い回りのできる店はない。ビルに建て替えられた店が多く、再開発の途中で開発しなくてもよくなっちゃった、という感じのする街並みである。ただ、加須を特徴付けるものとして、人形店の看板が目につく。といってもさっき行った岩槻とは違い、当地の人形店で売っているのはこいのぼりである。加須市は全国のこいのぼり生産日本一、というよりほぼ独占していて「日本唯一」に近い。もう一つ、飲食店の看板には、日本酒を提供している店では「蔵造り本醸造 力士」の文字が多い。理由は後で判明する。
 駅前から歩いてきて最初の信号が「加須駅入口」交差点で、東武線に沿って走っている国道125号の旧道(県道152号加須幸手線)と交差している。駅前から来た道は「県道411号」としてはここまでで、直進方向は県道鴻巣栗橋線(38号)である【注】。

 埼玉りそな銀行加須支店は、この交差点の左側、角から2軒目行田寄りである。建物の一番北端というのか東端というのか、風除室の付いた自動ドアの入口があって、そこを入るとキャッシュコーナーである。ATMは、向かって左側に3台、右側に4台、機械は全部富士通のFV10であった。キャッシュコーナーが左右に分かれているのは旧大和銀行の店舗ではよく見るけれども、旧埼玉銀行の店舗では珍しいかもしれない。行灯は旧埼玉銀の枠、プレートは緑色に換装済み、ブースの仕切り部分はさっき見た鷲宮などと同じで、最近取り付けた四角い大きなものであった。窓口室側にテレビ電話のブースと両替機があって、両替機の隣には緑色をした総合受付の円筒形の看板が下がっている。15:40、加須支店を制覇した。
 加須支店は、武州銀行加須支店として1937年6月に開設された。1943年7月の4行合併で埼玉銀行となった後、同年10月に加須西支店を統合した。加須西支店は旧忍商業銀行の加須支店だった店舗で、1899(明治32)年10月に栗橋銀行加須支店として開設、1926(大正15)年12月に忍商業銀行に合併されて加須支店となっていた。西支店統合翌年の1944年4月に、旧加須西支店の建物に移転している。現店舗は1973年8月の新築である。

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 【注】正しくは、県道411号はさらに左折して行田市方面に向かい、国道125号と合流する「愛宕」まで。県道38号は国道125号と交差する「加須市役所入口」から南進し、この交差点で東に直角に折れ、さらに「中央二丁目」で南方向に折れて鴻巣を目指す。県道152号は幸手から西進して国道125号に合流する「愛宕」まで。結果、411号は愛宕−加須駅入口間で、38号は加須駅入口−中央二丁目間でそれぞれ県道152号と重複していることになる。

2011年12月28日

2008.11.14(金)(45)今年も武蔵野銀行について

 次は、いよいよ本日最後の目標である。騎西支店(北埼玉郡騎西町、現加須市)。鉄道の通じていない騎西へは、路線バスで行くしかない。
 騎西支店に向かう前に、銀行建築を1軒見に行ってみたいと思う。武蔵野銀行の加須支店である。去年の「埼玉県民の日めぐ」では、行程の終わりで、国の登録有形文化財になっている武蔵野銀行の行田支店をサラッと見てきたが、なぜか今年も行程の最後で武蔵野銀の支店を見る(ただし文化財にはなっていない)。ついでに、初っ端でミスをして行程に「戻り」を入れざるを得なくなったのも、昨年と同じである。
 さて、騎西へ行くバスは、加須駅をスタートして、今制覇した加須支店の交差点で右折、県道加須幸手線を東に向かい、武蔵野銀加須支店のある中央二丁目交差点で再び右折して、鴻巣市を目指す。事前のリサーチでは、武蔵野銀の支店の横に「相互銀行前」という停留所があることになっている。ここで鴻巣行きのバスを捕まえれば、騎西までは10分ほどで到達する。バス会社のHPでは加須駅前発の時刻しかわからなかったので、予定を立てる時は、それに少し足して相互銀行前発を16:26頃としておいた。

 「加須駅入口」交差点から県道を東に向かう。この通りは「駅通り」とともに、宿場町であり不動ヶ岡不動尊の門前町でもあった加須の中心的な商店街である。加須の老舗書店らしき「ブックセンターやまと」という店が盛業中。そのほか、土蔵を改造した商店の名残のような建物が何軒か残っている。そのような中に、足利銀行の加須支店が見える。加須市の金融機関はこのあたりに集中していて、武蔵野銀の加須支店は足銀のはす向かいぐらい。さらにその先には埼玉県信金の加須支店もある。武銀の角から先には、1本1本にスポンサーがついて小さな行灯を付けたスタイルの街灯がズラッと並んでいるのが見えた。加須の商業の中心だったことを物語っている。
 というわけで、武蔵野銀行加須支店を眺めてみよう。この店は、三井住友銀行加須支店だった建物をそのまま使っている。三井住友の加須支店は2002年10月に春日部支店に統合され、前述のとおり店舗外ATMだけが駅前に残っている。加須市は、都心に出るのに乗り換えが必須という地方都市型の電車ダイヤになってしまい、そういう地域には「三井住友が」店を出し続けるのは無理なのだろう(太陽神戸銀行のままならアリだったかもしれないが)。東武沿線では春日部が一般的な都市銀の支店所在地としてギリギリの線かもしれない、というのは今日歩き回っていても感じたことである。
 支店の建物は、太陽神戸銀行の前身である日本相互銀行が1961年7月に建てたものである。今日これを見に来たのは、日本相互が本店の建物をデフォルメしたデザインで各地の支店新築を進めた銀行であると聞いていて、加須支店はその時代と思しき古い建築を持つ一つだからである。その後調べてみたところ、本店建物を「デフォルメした」という言い方は必ずしも正しくないが、同様の設計思想は貫かれているようだ。東京駅八重洲口近くに1952年にできた旧日本相互銀行の本店は、前川国男【注1】という有名な建築家が設計したもので、建築翌年に日本建築学会賞を受賞している。三井住友銀行東京中央支店として使われていたが、2008年に解体された。
 前川国男は、自身の建築を「テクニカル・アプローチ」という考え方で設計した。これは、建物の軽量化とコストの削減を図るため、柱と梁で構成されたラーメン構造【注2】を中心とし、建築部材に工業化素材(プレファブリケーション)を多用するものである。彼の設計した日本相互銀行本店は、これに基づき、1階営業室から柱を極力廃したり、当時珍しかったアルミサッシを採用したりしている。日本相互における1962年までの店舗建築のうち、本店を含む25件が前川本人の作品とされ【注3】、テクニカル・アプローチの実験の場として、前川のその後の大作につながる技術の多くが試みられていた。加須支店の設計者が誰かは調べられなかったが、前川の部下がかかわっているのではないか。日本相互の社史に掲載された写真を見ると、同行の多くの支店は、当時の銀行建築で流行していた、オーダー(太い縦柱)を強調したスタイルではない。最上階が下の階より出っ張った外観をしているところが似通っており、これは前川の日本相互の建物では初期にあたる平塚支店と似たスタイルである。
 さて、武蔵野銀行は埼玉県の戦後地銀で、店舗網の拡大ではかなりの苦労をしてきたと思われる。今年(2011年)6月に和光市への進出を果たしたが、県内には支店のない市がまだある(吉川と鶴ヶ島)。以前は加須もその一つであったが、2003年1月に北埼信用組合【注4】を合併、信組の加須支店を引き継ぐため、合併に先立つ2002年12月に加須支店を新設した。折よく三井住友銀行が加須支店を統合しており、武蔵野銀は旧日本相互の店に居抜きで出店した。武蔵野銀には他行が作った店を使用している営業店が他にもあり、昨年の「県民の日めぐ」で取り上げた行田支店のほか、北本支店(北本市)は、旧北海道拓殖銀行が建てた中央三井信託銀行北本支店だった建物を使っている。
 現在の武蔵野銀行加須支店は、外観は旧日本相互時代の雰囲気をよく残しているが、接客部分は武銀の標準スタイルに改装されているようだった。りそなのウオッチャーとしては武蔵野銀に行く機会が多いわけではないので、ここは一応「ようだった」と付けておく。

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 【注1】前川国男(まえかわ・くにお、1905〜1986):昭和期に活動した建築家。新潟県出身、1928年東京帝国大学工学部建築学科卒。近代建築の三大巨匠の一人とされるル・コルビュジエに師事。主な作品に、旧日本相互銀行本店のほか、岡山県庁舎、世田谷区民会館・区役所、埼玉会館、埼玉県立博物館などがある。
 【注2】ラーメン(Rahmen)はドイツ語で額縁の意。骨組みを長方形に組み、部材の接合個所を剛強に接合することによって、大きな力がかかっても粘り強く抵抗する特性を持たせる。
 【注3】前川国男本人の作品とされているのは以下の25本支店。池袋・平塚・新宿・浦和・立川・大森・本店・溝ノ口・横浜・渋谷・銀座・蔵前・神田・新橋・三ノ輪・蒲田・深川・川崎・上野・亀戸・小石川・中野本町通・砂町・尾久・小松川。ほとんど現存していないが、中野本町通支店の建物は三井住友銀行中野坂上支店として現在も使われている。
 【注4】1964.12.22開業。本店埼玉県行田市。本店のほか羽生・加須の2支店があった。人的にも業務運営上も武蔵野銀行と親密で、2003.01.14武蔵野銀行に合併。

2011年12月29日

2008.11.14(金)(46)騎西支店に至る道

 県道加須鴻巣線が始まる武蔵野銀行の角は、一応交差点であってT字路ではない。ただし、2車線ある騎西方面に対し、その反対方向への道は離合も難しそうなほど細い。騎西・鴻巣方面に向かう道は、センターラインと路側帯が引いてあるだけで、地方には普通にみられる対面2車線道路である。
 バス停は、鴻巣方向に曲がり込んだところにあった。名前は「銀行前」。事前のリサーチでは「相互銀行前」となっていたが、さすがにそうではなかった。日本相互銀行が普銀転換して太陽銀行になったのが1968年12月のことで、それから丸40年経つのに「相互銀行前」のままなら恐れ入った話である(鉄道の駅には「学芸大学」など類似のケースが多数あるが)。
 すぐ後ろからバスが来ているのが見えたので、これに乗ってしまうことにした。これが銀行前15:46発、朝日バスの鴻巣免許センター行きである。写真撮影を早々に切り上げて大急ぎでバス停に来たのに、そこに見えているバスはこちらになかなかやって来ない。こんなことなら武銀の写真をもう少しゆっくり撮っていればよかった。ついでに言うと、このあたりの朝日バスでは「パスモ」が使えないそうだ【注1】。微妙な心のささくれがなくはない。

 一番前の座席に腰を落ち着けた。正面窓ガラスから日光が直射してくる。もうだいぶ日が傾いていて、早めに来たとはいってもギリギリだと感じる。これでもし30分遅かったら、もっとひどい状態だったのだ。時間を少しでも稼いでおいてよかった。春日部→久喜でダイヤが乱れていたのも、なんとか吸収できたし。
 通り沿いにはサブリース会社が建てた3階建てアパートが建っていたりするけれども、それ以上に土蔵を改造した商店が結構な数あって、やはりこのあたりは地方都市の古い市街地であると思う。道路は武銀の支店から鴻巣方向に少し下り坂になっており、東武伊勢崎線を踏切で越えて南西の方角に進む。このあたりまでが旧市街のようで、土蔵改造の商店など古い建物が目につくのも踏切の付近まで。踏切はずいぶん長いこと遮断機が下りたままだった。ダイヤの乱れは今も続いているようだ。
 踏切を渡った途端に建物の密度が下がってきた。そしてすぐさま騎西町に入ると同時に、一面の水田地帯となった。土地利用が自治体の境界線とともにきれいに変化する実例として使えそうだ【注2】。なるほど、加須と騎西が別の自治体になっているのは、それなりに理由があるのだろう。加須市街地もこれ以上は広がって来ないに違いない。土地の用途には制限がある農地は、勝手に宅地に変えたり等できないのである。
 日出安(ひでやす)。徳川幕府の第x代将軍の名前にありそうな地名だ。人家と土蔵が混在しているが、交差点には大駐車場完備で平屋建てのセブンイレブンがあったりする。そこを過ぎると再び水田地帯になった。対面2車線の道には黄色のセンターラインが引かれ、路側帯は50〜60cmぐらいだろうか、人が歩くのがやっとの幅しかない。そこを車がビュンビュン走り抜けていく。
 右側に城が見えた。ラブホテルではなくて、騎西町が1975年に建築した「騎西城」である。3階建て鉄筋コンクリート造りの天守閣は史実とは異なるが、まあ町興しの一環だったのだろう。郷土史料展示室や図書館など、騎西地域の文化的な公共施設がこの付近に集中している。朝日バスはここを拠点に鴻巣方面へ区間運転をしている(停留所名は「福祉センター」)。この付近もちょっとした集落にはなっているようだ。
 なお、旧騎西町は最近思わぬところで注目された。今年(2011年)3月の東日本大震災および福島第一原子力発電所事故の影響で、福島県双葉町が町役場ごと移転したのである。東京電力の福島第一原発は、福島県双葉町と大熊町とにまたがる地域にある。原発事故に伴い、双葉町の住民と役場の機能は「さいたまスーパーアリーナ」(さいたま市中央区)へ避難。さらに3月末に、2008年に閉校した旧県立騎西高校の空き校舎に移動した。旧騎西高校は、騎西城から西へ1kmほどの国道122号線沿いにある。

 【注1】現在は対応している。
 【注2】北埼玉郡騎西町は2010.03.23加須市と合併し、新たにできた加須市の一部となった。

2011年12月30日

2008.11.14(金)(47)16:05、全店制覇完了

 バスは、騎西三丁目の交差点で右折した。街の中心部に乗り入れるようだ。
 郡部の町の旧市街は、民家と個人商店が雑多に混在していた。古い市街地ゆえ、土蔵を改造した民家などもまだ残っている。切妻の民家や商店建築では、妻板の屋根と接する三角形の部分に梁が頭を出していたりもする。こうした古い様式は、調べてはいないが明治〜大正時代ぐらいだろうか。古い家を大事に使っているのである。
 埼玉県信用金庫が騎西支店を出している先、騎西2丁目の停留所前に「蔵造り本醸造 力士 醸造元 釜屋」と書いた屋根つきの縦型看板が立っていた。ああ、これが有名な清酒「力士」の本社なのか。こんな場所で造っているのだ。寛延元(1748)年創業だそうで、「♪り、き、し〜」というCMで有名である(首都圏の人しか知らないかもしれないが)。さっき加須市内で「力士」を出している飲食店が多いと書いたのは、こういう事情である。ネタばらしをすれば、「めぐ」の時点では意識していなかった。後日再取材の際に「そういえば多い」と気付いたのである。

 「力士」に感心していたら、埼玉りそなの前を通り過ぎてしまった。慌てて次の停留所でバスを降りる。停留所は「役場前」といった【注】。騎西町役場が、バス停横の路地を奥に入ったところにあるのだ。埼玉りそな銀行騎西支店は、バス停でいうと「騎西2丁目」と「役場前」のちょうど中間地点ぐらい、といってもせいぜい数十mの距離である。支店の真向かいは民家であった。
 民家と個人商店が雑多に混在している郡部の町の旧市街だが、やはり銀行があるあたりは商店の密集度が少し違う。埼玉りそなの隣は電器店で、フランチャイズチェーン店としてメーカーの看板を付けた個人商店。ここは東芝の店だが、看板につけられた東芝のロゴが「Toshiba」というイタリック体(1950年制定で「傘マーク」というそうだ)である。東芝のロゴは、大文字のみの直立体が1984年以降多用されるようになったから、当然それ以前の遺物ということになるが、よく維持されていてきれいである。味わいのあるものは、この町の中心部に今のところ残っている。
 支店に入る。キャッシュコーナーはあさひ銀時代のパイプ形デザインで、幅広のタイプ。ATMは4台あって、4台分のATM枠のうち3台が富士通FV10、右から2番目に1台だけFV20、という機械配置になっている。その横にシャッターがあって、ATMがもう1台(FV10)と両替機が置かれている。そしてロビーに記帳機。窓口室は総合受付方式に改装済みであった。営業室の後ろの壁には、横1m縦80cmぐらいの黒い板に金文字(というか金の目盛り)が取り付けられた壁掛け時計がついている。多分この時計は建物と一体化しているのだろう。16:05、騎西支店を制覇した。
 騎西支店は大変歴史の古い支店で、地元銀行の本店だった。騎西銀行として1898(明治31)年8月開業、1923(大正12)年3月忍商業銀行に合併して同行の騎西支店となり、その後の4行合併で埼玉銀行となった。現在の店舗は1978年8月に竣工した。

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 【注】現在では「騎西総合支所」に変わっている。

2011年12月31日

2008.11.14(金)(48)エピローグ ジロリアンにヘンシーン

 騎西支店を制覇したので、本日の予定はこれにて終了である。
 「もう1軒」ということは、当然考える。これから行くとすれば菖蒲支店か鴻巣支店のどちらかだが、やはり事前の計画で外したところは、現場で考え直してみても問題が多かった。
 菖蒲(南埼玉郡菖蒲町、現久喜市)は国道122号で1本の隣町で、騎西からの距離は5kmぐらいしかないのだが、けしからんことに両町を結ぶバス路線が存在しないのである。歩いて行ったらまさに文字通り「日が暮れる」し、ここから菖蒲までタクシーを飛ばして勝負だ、というわけにもいかない(宮脇俊三氏ならやったかもしれないが)。
 もう一方の鴻巣(鴻巣市)だが、これは加須から乗ってきたバスが鴻巣行きだったことを考えれば自然である。次は20分後の16:34発。しかし、34分発に乗ったとして、これで鴻巣に着いたら恐らく5時を回る。そうなったらもう時間的に写真撮影は無理だと思う。それに、群馬県出身者として、JR高崎線沿線は今日そんなに積極的に取る動機付けはない。今持っている切符が東武鉄道のフリー切符であってJRには乗れない以上、鴻巣に出るのはムダが生じるという事情もある。
 まあ無理はするまい。ここで打ち止めにしたいと思う。西の空は、あと十数分は明るさを保っていると思うけれども、すっかり赤くなっていた。
 「役場前」から加須に引き返す。帰りのバスは時刻表では16:28発となっていたが、鴻巣市内が渋滞していたとかで、44分になってようやくやって来た。16分遅れということになるが、後の予定がないからもうゆったり構えていられる。
 途中の釜屋では、何かの積み出し作業をやっていた。

 加須駅に戻ってきた。この後の行動だが、せっかく東武線で埼玉県北部まで来ているから、栃木県壬生(みぶ)町まで足を伸ばすことにした。私は「りそなめぐラー」であると同時に「ジロリアン」でもある。暖簾分け方式で店の数を増やしている「ラーメン二郎」のラーメンが大好きなのだ。二郎の新店が、東武宇都宮線の壬生に最近開店したのだったが、まだ行ったことがないのだ。今から行けば、店には7時過ぎには着けるだろう。加須→久喜→東武動物公園→南栗橋→新栃木→壬生、という乗り継ぎとなる。かくして「ジロリアン」に変身する私であった。
 駅ビル内の東武ストアで「加須名物こいのぼり焼き」を再び見る。興味をそそられるが、量自慢の「二郎」へ行く身ゆえ自粛した。この次加須に行ったら試してみたい【注】。加須17:13発の久喜行きに乗ると、東武宇都宮線壬生駅には19時前に到着した。駅からは20分ほど歩く。栃木街道(県道宇都宮栃木線)の壬生バイパスまで出てくると、秋の火災予防運動ということで消防車が宣伝カーとして走り回っていた。そういえば、今日の制覇記録のところで書かなかったが、越谷市内でもハシゴ車が走り回って同じようなことをやっていた。
 予想どおり、店には7時15分頃到着した。「ラーメン二郎」栃木街道店で食事。再び20分の道を歩いて東武壬生駅に戻り、電車で帰宅した。

 【注】2011年11月実現した。こいのぼりの形をしていること以外は、たい焼きそのものであった。


[りそめぐ2008秋 『埼玉県民の日』に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇 完]

 【お知らせ】「あとがき・参考文献」を、本日22時に掲載します。

あとがき・参考文献+よいお年をお迎え下さい

 「りそめぐ2008秋 『埼玉県民の日』に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇」、本日21時掲載分をもって完結いたしました。最後までお読みいただいた方には、例によってダラダラと続いた連載にお付き合いいただき、御礼申し上げます。あとがき等も含めた分量は、最終的に約260枚(400字詰原稿用紙換算)となりました。
 『めぐ記』の掲載は、昨年9月以来1年ぶりとなりました。この間、地方銀行本店のハシゴを行ったりし、文章関係では戯曲の執筆に挑戦するなど、新境地を模索し続けておりましたが、体験記の執筆はさぼってしまいました。来年には脚本デビュー作の公演が行われる予定です。いずれ告知したいと思いますので、ご来場いただければ幸いに存じます(公演が頓挫した場合はご容赦下さい)。

 2008年の「県民の日めぐ」では、東武伊勢崎線の沿線を選びました。過去の『めぐ記』掲載分と合わせますと、東武伊勢崎線(支線含む)沿線にある埼玉りそな銀行のほぼ全ての店について、記述を終えたことになります。
 この日は、同じ東武鉄道の東上線とどちらにするか最後まで迷ったのですが、「平和の象徴」ともいえる銀行めぐとしては、伊勢崎線を選んで正解だったと思います。東上線ではこの日、みずほ台駅近くで起きた踏切事故の影響で、午前中ほぼ全線で運転見合わせとなりました。もし私が東上線を選んでいたら、確実にどこかで足止めを食らっていたハズですが、それを文章化した場合、『めぐ記』としては失敗だったと思います。旅行の体験記としては波乱に富んだものになったかもしれませんが、『めぐ記』は銀行営業店とその町の様子を伝えるのが主旨だからです。本文にも記述がありますが、この日は伊勢崎線でもアクシデントがあってダイヤが乱れました。私が経験したのは20分ほどの軽微な遅れでしたが、この程度の遅れであってもそれなりのダメージは受けます。ましてや半日も動きが取れなくなったら…。

 連載中の11月下旬〜12月初旬、日本経済新聞の夕刊に、俳人・黛まどかさんへのインタビューが連載されました(「人間発見」)。記事中に、印象に残った記述がありました。地域おこしの題材として俳句を取り上げている地方自治体が複数あり、そのうちの一つを訪ねたところ、現地の人が話したそうです。俳句を見る目を通したら、何にもないと思っていた自分たちの町が宝の山だと気がついた、と。黛さんはこれを受けて「ピンときました。よそ者の目を持ち込むと、土地の魅力が再発見できるんだ」と結んでいます。
 我が意を得たりと思いました。「めぐ」でハシゴをした地域にとって、私はよそ者以外の何者でもありません。しかし、私の『めぐ記』によって、めぐをした地域(そしてその地域の銀行営業店)の新たな魅力が発見できるとしたら、それは大きな喜びです。はたして『めぐ記』はそのような作品たりえているだろうか。その判断は私にはできませんが、方向性としてはそうありたいと思います。
 もっとも、本多勝一氏に言わせると、こういう視線は「侵略する側」の視線ということになるのかもしれませんが…。私は、肯定的にとらえることにします。

 この連載は、あくまで2008年11月の実体験と、その後の連載期間における「一面の真実」です。連載を終えて、「めぐ」の実行から3年という時間の経過は、想像以上に長いものだと感じました。今回、いったん着手したものを未完成に終わらせたくなくて仕上げたのですが、あまりに時間が経ったものは、やはり考え直した方がよいのかもしれません。情報は生ものによく似ていて、時間が経つと傷んでくるものです。今回そのことを身にしみて感じました。「仕掛かり中」のストックはまだ2本あるのですが…。
 とりあえず次回の連載は、あまり時間の経過していない題材にしたいと思います。とはいえ、次回発表しようとしている「めぐ」は11月中旬に実施しましたが、それから1か月以上経つのにデータ整理すらいまだ終わっていない状況です。先が思いやられるのは間違いありませんが、次回もお楽しみに。

 本連載、また私のやっている「めぐ」活動に関して、ご意見や情報提供をお待ちしています。このブログ「MEGU」は、コメント・トラックバックを歓迎していますし、私のメールアドレスも公表しています。
 最後に一言。2011年もあと2時間ほどで終わろうとしています。本「あとがき」がそのまま、2011年を送るにあたっての私からのご挨拶となりました。来年も、当「遊牧民の窓」と為栗裕雅をよろしくお願い申し上げます。
 よいお年をお迎え下さい。


 なお、この連載の執筆にあたっては、以下のような書籍・webサイト等を参照いたしました。

参考文献一覧
紙媒体は発行年順、webサイトは本文掲載順(2011.12.15現在)
  『創業二拾年史』飯能銀行、1921年
  『忍商業銀行四十年史』松岡敬太郎(忍町)、1936年
  『昭和拾四年上期営業報告書』安田貯蓄銀行、1939年
  『埼玉銀行十周年史』埼玉銀行、1953年
  『埼玉県市町村合併史』埼玉県、1960〜1962年
  『日本相互銀行史』日本相互銀行、1967年
  『埼玉銀行史』埼玉銀行、1968年
  『日本住宅公団20年史』日本住宅公団、1975年
  『目で見る荒川区50年のあゆみ』東京都荒川区、1982年
  『富士銀行百年史』富士銀行、1982年
  『武州銀行史』埼玉銀行、1988年
  『前川国男作品集 建築の方法T』美術出版社、1990年
  『住居表示旧新/新旧対照表 鷲宮一丁目〜鷲宮三丁目』鷲宮町役場(埼玉県)、1992年
  『埼玉銀行通史』あさひ銀行、1993年
  『協和銀行通史』あさひ銀行、1996年
  『周五郎が愛した「青べかの町」』浦安市教育委員会、1998年
  建築三酔人『東京現代建築ほめ殺し』新潮OH!文庫、2001年
  『富士銀行史1981-2000』富士銀行、2002年
  『生誕100年 前川国男建築展 図録』生誕100年前川国男建築展実行委員会、2005年
  美水かがみ『らき☆すた』1〜8巻 角川書店、2005〜2010年
  コンプティーク編『らき☆すた公式ガイドブック』角川書店、2007年
  高田京子「足元を知る」『マンスリーとーぶ』715号 東武鉄道、2008年
  『さくら呉服橋ビル(旧・日本相互銀行本店)の記録』前川建築設計事務所、2009年
  『ブルーマップ 加須市』民事法情報センター、2009年
  『ブルーマップ 草加市』民事法情報センター、2010年

  『銀行総覧』 大蔵省銀行局、各年版
  『全国銀行店舗一覧』全国銀行協会連合会
  『日本金融名鑑』 日本金融通信社、各年版
  『ニッキン』 日本金融通信社

  「埼玉交通情報」http://www.knet.ne.jp/~ats/index.htm
  「こよみの計算」『国立天文台』http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/koyomix/koyomix.html
  「銀行変遷史データベース」『全国銀行協会』http://www.zenginkyo.or.jp/library/hensen/index.html
  「ちょっと懐かしい北越谷駅周辺」『弥十郎のはなし』http://www.geocities.jp/a1115b/sub60.htm
  「牛島の藤」『藤花園』http://www.ushijimanofuji.co.jp/
  「文化財紹介 東玉大正館(旧中井銀行岩槻支店)」『さいたま市』http://www.city.saitama.jp/www/contents/1198114204466/index.html
  「『らき☆すた』の聖地、鷲宮神社で初詣をしてきた」『Business Media 誠』http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1001/01/news005.html
  「鷲宮神社100拝目」『もてぎの鷲宮神社参拝記。』http://motegionityan.blog72.fc2.com/blog-entry-32.html
  「加須市」http://www.city.kazo.lg.jp/index.htm
  「企業ロゴの歴史(4)東芝標章の変遷」『電気技術史』41号 (社)電気学会、2006年 http://www2.iee.or.jp/~fms/tech_a/ahee/newsletters/pdf/n41.pdf

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