2006年04月09日

2006.01.12(木)以前(1)プロローグ

 第一報は田んぼの真ん中で受けた。

 2005年11月26日(土)18時44分。私は、この9日水戸市にオープンしたばかりの大型ショッピングセンター「イオン水戸内原」3階のフードコートにいた。
 私はミスタードーナツでドーナツとコーヒーを買い、それをちびちびと飲食しながら、窓際のカウンター席でやり残した仕事を黙々と片付けていた。11月末の18時台はもうすっかり夜で、SCから発する猛烈な光に照らされて、刈り入れの終わった水田が地平線の彼方まで広がっているように見える。
 携帯が音楽を奏でた。メールの受信である。メールの主は、つい10日ほど前にメールが開通したばかりの私の母親であった。メールを受けた瞬間、私が、翌日の新幹線で京都に向かうことが決定した。
 そして、2006年1月。冥界に旅立った人を祀る、仏式でいう「四十九日」にあたる儀式は、1月14日(土)に執り行うという。

 さて、2004年10月。りそなホールディングスの細谷英二会長は、傘下の第二地方銀行・奈良銀行(奈良市)を、同じく傘下の都市銀行・りそな銀行(大阪市)に吸収合併させる構想を発表した。両行間の合併契約書は2005年7月26日締結され、12月2日に金融庁から正式認可がおりた。存続会社はりそな銀行で、合併は2006年1月1日付、営業は1月4日開始である。
 あさめぐラー、改めりそめぐラーの私は、当然「りそな銀行の旧奈良銀行店舗」を全店制覇しに行かないといけない。さて、それはいつになることやら。

 法事と奈良銀行の合併とが、私の頭の中で不思議にリンクしていた。

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2006年04月10日

2006.01.12(木)以前(2)五条行きの夜行バスを選ぶ

 法事の機会をとらえて奈良地区の「めぐ」に行くのは、趣味のついでに法事に行くようで気が引ける。しかし、両者を別の機会にすると、費用と時間の問題から、少なくとも法事は確実に欠席、めぐのほうもいつ実行できるかわかったものではない。従って、四十九日というはっきりした節目の法要と、奈良地域の様子を「合併後間もない時期に」見てくることと、両立させることには大きな意味があると思う。
 というわけで、私は、敢えて法事とめぐの両立を図ることにした。この選択は間違っていなかったと信じている。亡くなったのは従兄だったが、故人の母や妻には「まさか東京から来てくれるとは思わなかった」と喜んでもらえたからだ(故人の弟は法事を欠席した)。

 さて、制覇行の計画である。
 仕事の動向がいまひとつはっきりしないものの、年明けには本格的に始動するだろう。そうなると、自分の用事を済ませてから土曜日の法事に行くのが良い。日曜までに東京に戻っていれば、月曜から臨機応変に対応できる。というわけで、旧奈良銀めぐりと、もう一つ別の用事とを組み合わせて、奈良へは1月11日深夜の夜行で移動することに決めた。
 東京から奈良までの交通手段は、いくつかある。関西方面への移動で普段使うのは夜行快速電車の「ムーンライトながら」であるが、今回はオミットすることにした。今回は一応「青春18きっぷ」の利用期間内だが、東海道本線から旧奈良銀店舗までのアプローチが長すぎて、ATMの開店時間を考えるとロスが大きいと考えたためである(参考:東京23:43→06:53大垣06:58→07:34米原07:49→08:44京都08:50→09:31奈良)。
 なお、奈良銀の営業店は、「平日08:45〜19:00、土休日09:00〜17:00」であったATMの稼働時間を、合併と同時に「毎日08:00〜21:00」に拡大する。このことは、プランニングの際に奈良銀の支店に電話して確認した。

 奈良までダイレクトに到達できる夜行の移動手段、というと夜行高速バスしかないだろう。首都圏からは、首都圏のバス会社と奈良交通との共同運行で、以下のような系統が出ている。
新宿−奈良(ケイビーバスと共同運行、大和高原山添・大和高原都祁・天理駅・近鉄奈良駅停車、JR奈良駅06:47着)
新宿−五条(ケイビーバスと共同運行、大和高原山添・大和高原都祁・天理駅・桜井駅・八木駅・近鉄高田駅・高田市駅・忍海BC・近鉄御所駅・住川停車、五条BC08:20着)
横浜−奈良(湘南神奈交バスと共同運行、神奈中本郷車庫発、港南台駅・上大岡駅・横浜駅東口・町田バスセンター・本厚木駅および大和高原山添・大和高原都祁・天理駅・近鉄奈良駅・JR奈良駅・近鉄郡山駅・中宮寺東口・法隆寺BC・王寺駅・片岡台三丁目・上牧町役場前停車、五位堂駅08:03着)
千葉−奈良(京成バスと共同運行、海浜幕張駅発、TDL・TDS・西船橋駅・京成上野駅および大和高原山添・大和高原都祁・天理駅・近鉄奈良駅停車、JR奈良駅06:52着)
さいたま−奈良・大阪(国際興業と共同運行、大宮駅東口発、浦和駅・南浦和駅・川口駅・赤羽駅および大和高原山添・大和高原都祁・天理駅・近鉄奈良駅・上本町・あべの橋停車、USJ08:20着)

 これらのうち最も関心がそそられたのは、横浜発の便であった。このバスは、りそな銀行西やまと支店至近の場所にある「片岡台三丁目」という停留所に停車する。西やまと支店はJR関西線王寺駅または近鉄大阪線五位堂駅からバスで行く拠点であり、乗り換えの手間やバス代などを考えると、首都圏から乗り換えなしで直行できるのは非常においしい。片岡台三丁目の到着時刻は07時50分で、バス停からの徒歩も考慮すると、まさに西やまと支店の8時のオープンのためにあるような便である。バスの終点である近鉄五位堂駅前にも、香芝支店がある。奈良県内を全店(旧奈良銀店だけでなく)ハシゴする気なら、この便は非常に有意義だろう。
 ただし今回は、スケジュールの関係上、奈良県内の旧奈良銀店舗を1日で回り切らなければならないため、既に制覇を済ませている旧来のりそな店舗は再訪がかなわず、このバスを使うことは断念した。

 私が選んだのは、五条行きのバスであった。このバスは五条バスセンター(五条市)に08時20分に到着し、銀行めぐりには申し分ない。しかも、種々のリサーチの結果、五条を起点として吉野→橿原と回ると、県南(というか奈良盆地の南部)の移動がスムーズに片付くのである。
 公共交通機関を使った奈良銀店舗めぐりで最も大変なのは、五条支店と吉野支店(吉野郡大淀町)との間の移動であろう。鉄道で行く場合、ここは五条<JR和歌山線>吉野口<近鉄吉野線>越部(こしべ:吉野支店最寄り駅)というルートを辿らざるを得ないが、電車の本数が少なく、途中で乗り継ぎの必要があり、さらにその乗り換えが会社を異にする乗り換えという「三重苦」を背負っている。ここがすんなりとこなせるのは、五条を起点として動いた場合に限られると思われた。というのは、電車の乗り継ぎより早く移動できる手段を発見したのだ。五条バスセンター発、大淀バスセンター行きの、奈良交通の路線バス。この路線は1〜2時間に1本程度、1日9本しか運行しないうえ、3本は途中の下市口駅前止まりである。ところが、HPを検索してみると、五条バスセンター09時13分発の大淀バスセンター行きというのが見つかった。大淀BCは吉野支店の最寄り停留所であり、しかもこのバスは五条支店の最寄りとなる「栄山寺口」停も通る。大淀バスセンターの到着は09時47分で、電車の乗り継ぎよりも20分近く早い(参考:五条09:14→09:28吉野口09:48→10:06越部)。
 ここまで決めた時点で、私はバスのチケットをネットで購入してしまった。新宿高速バスターミナル1月11日23時15分発、五条バスセンター行き。片道8970円也。座席は「1C」であり、2階席の一番前なら最高の場所である。

2006年04月11日

2006.01.12(木)以前(3)運賃の高い近鉄に「使える」周遊券あり

 出発前にやらなければいけない仕事のもう一つは、近鉄の周遊券を買うことであった。奈良県内を公共交通機関だけで駆けずり回るのに、日本最大の私鉄・近畿日本鉄道を抜きにしては不可能である。といって、近鉄の正規運賃は非常に高いので、割高な切符をその都度購入するわけにはいかない。
 最初探したのは、奈良県内の近鉄全線および系列の奈良交通のバスが乗り放題となる切符で、1日有効のものであった。しかし、そういう奈良県内だけに特化した切符はないようだった。もっと範囲の狭い、たとえば飛鳥だけとかの券はあるが、奈良県全域に範囲を広げたものはない。また、東京からの新幹線の券までセットになった商品もあったが、私は既に五条までのバスを確保してしまっている。
 結局、私が最も有効と判断したのは「奈良大和路スルーパスA」という商品であった。4日間有効、大人1人2820円で、名古屋を起点に奈良地区を周遊して京都へ抜ける片道のみの切符である。京都から入って奈良を周遊し名古屋に抜ける逆コースも選択できる。ほぼ奈良県全域+京都駅までの近鉄電車が乗り放題で、しかも周遊後に名古屋まで乗れる(京都発の場合)。奈良地区をハシゴした後の予定を考えると、「京都発」の券が非常に有効と思えた。
 なお「スルーパスB」といって、奈良交通のバスにも乗れる券(4060円)もあったが、こちらで乗れるバスは奈良交通の「全線」ではなく、特定の観光地に乗り入れるバスのみ乗り降り自由となっている。今回はどうしても乗りたい(乗らなければならない)路線があって、「B」ではその区間に乗れないのではずした。
 近鉄のチケットは、出発の当日に新宿のJTBで購入した。渡された券は全部で3枚、1枚は「総括券」で、残りの2枚が乗車券になっている。これは明日活躍してもらうことになる。JTBからいったん帰宅した後、往路のバス車内で飲む焼酎の水割り(笑)などを準備した。

 ところで、今回は「安く上げる」という観点から、リサーチ不足を大いに反省させられる結果となった。後で知ったのだが、奈良方面にはJRのバス便もあるのだ(東京駅発JR奈良駅行き、関西エリアでの途中停車は京都駅のみ)。この記事を書くべくネット検索をし直してみたところ、「青春ドリーム」の奈良便があるのを発見してしまった。「青春ドリーム」とつく便は、4列シートの一般観光バスを使う代わりに運賃が安い。早まった。多少のタイムロスはあっても、片道5000円ポッキリの魅力はかなり大きかったのに。
 また、「ムーンライトながら」利用で「奈良大和路スルーパス」(名古屋発)を併用すると、例えば次のようなプランが考えられる。
東京23:43(ムーンライトながら)→06:05名古屋06:11(近鉄急行)→07:24伊勢中川07:32(近鉄普通)→08:15名張08:26(近鉄急行)→08:53桜井
吉野や五条をどう取るかという点で課題は残るだろうが、これだと朝9時前に奈良エリアの制覇が始められる。五条から大淀行きの路線バス、それも9時過ぎの便を見つけた時点で思考停止してしまったのだ。つくづく最近脳味噌が固まってしまっているのを感じる。

2006年04月12日

2006.01.12(木)以前(4)ほんなら出掛けまひょか

 2006年1月11日(水)。22時台前半に東京23区内の自宅を出発して新宿に向かう。
 新宿には11時少し前に到着した。電車に乗る前にマクドナルドで軽く腹ごしらえをしてきたが、これだけでは足りないので、バスに乗る前にコンビニで買い出しをすることにする。
 私の乗る五条行きのバスの出る「新宿高速バスターミナル」は、新宿西口にあるMY第二ビルの1階、2004年9月までりそな銀行新宿西口支店だったスペースの隣りにある。このビルの地下2階、現在りそなが店舗外ATM[新宿西口]を置いているスペースの奥にコンビニがあるので、そこに赴く。日本語に訳すと「小休止」というその店は、23時の閉店が近いせいでせわしない雰囲気であった。かろうじて閉店前に弁当とおにぎりを購入し、1階のバスターミナル待合室へ。
 私の乗るバスは「2番乗り場」から23時15分発で、室内の電光掲示を見ると奈良行きのバスと同時に発車するようである。ほどなく、オレンジと茶色で鹿のマークが大書された2階建ての観光バスが入ってきた。奈良交通のバスである。先ほど流れた案内放送によると、私が乗るのはこちらではなくて後から来る方のバスである。数分後、白い車体に「KB」と大書された2階建てのバスが入ってきた。せっかく「鹿」のマークの奈良交通と共同運行しているのであれば、こちらは「馬」のマークにしたら面白いと少し思った。運行会社はケイビーバス、新宿・中野・杉並あたりをテリトリーとする関東バスの子会社である。
 自宅のプリンターで印字してきた乗車票を乗務員に渡して、バスに乗り込む。私の座席は「1C」で、やはりこの席は2階の最前部であった。私は乗り物好きで、電車やバスではどうしても一番前に陣取りたくなるから、まさに特等席と言える。特等席はいいが、私の乗車券はネットで予約して、プリントアウトまで自分のプリンターで行ったものである。発券の経費をまるまる利用者の側が負担しているのだから、少しは安くしてくれよ、と言いたくなった。銀行の振込手数料も、ネットバンキングのほうが安いのは常識である。直接言うということをしなかったので、ここに書き留めておこう。
 23時15分、バスは定刻に新宿高速バスターミナルを出発した。正確に把握していたわけではないが、乗客は2階席では私を含めて4人と非常に少ない。ターミナルを発車したバスは、MY第二ビルのあるブロックを一周して、この12月まで八十二銀行新宿支店が面していた中央通りを西に進んでいった。
 発車してすぐ車内放送が流れだした。「本日はケイビーバスをご利用いただきましてありがとうございます。このバスは天理駅・八木駅・近鉄高田駅経由、五条バスセンター行高速バス、やまと号でございます。」行き先が奈良県内の地名になっているだけで、声もしゃべり方も、日常生活でたまに乗る関東バスの普通の路線バスと一緒である。なんだかあまり旅に出るという気がしない。
 バスは、新宿から山手通りに入る。23時15分発の奈良県行きの2台のバスは、奈良行きが1号車、私の乗る五条行きはなんと「11号車」となっている。といっても今日のようなオフシーズンに2〜10号車はない。先行して走っていた奈良交通の1号車は、新宿BTを出て間もなく見えなくなった。

2006年04月13日

2006.01.12(木)以前(5)70年間交差点を見つめ続けた銀行

 バスは、山手通り神泉交差点で右折して国道246号線に入った。池尻ランプから首都高速・用賀経由で東名高速に入るのか。そう思っていると、予想どおり池尻から首都高速に入った。高速の下り線は思いのほか交通量が多い。家路を急ぐ人が多いのだろうが、といって流れが止まってしまうほどでもないから「混雑」とは書かないでおく。
 右の車窓に、カラオケ店「ビッグエコー」の赤いライトを当てた看板が見えた。三軒茶屋だな、と思う間もなく車内の照明が全部消えた。三軒茶屋のビッグエコーは、2003年5月までりそな銀行三軒茶屋特別出張所だった建物をそのまま使っている。この建物のあるY字路の股の部分は、1931(昭和6)年に東京貯蓄銀行が三軒茶屋支店を開設して以来、東京貯蓄→日本貯蓄→協和→協和埼玉→あさひ→りそなと、ずっと同じ銀行の建物が建っていた。かつて路面電車の東急玉川線が走っていた時代には、二子玉川園方面と下高井戸方面との分岐点として写真撮影の名所であった。
 70年余りずっと銀行だったこの場所は、あさひ銀行が大和銀行と合併して間もなく銀行でなくなった。旧あさひ銀行だったりそな銀行三軒茶屋特別出張所は、2003年5月、近所にある世田谷支店(旧大和銀)内に移転してブランチインブランチ(支店内支店)となり、さらに2006年5月22日付で世田谷支店に統合されて消滅する。交差点のあの場所に銀行が戻ってくることはもはやないのであろう。

 さて、私を乗せたバスは、23時49分に東名高速道路用賀料金所を通過した。これまでの出来事をまとめてメモをとろうと試みる。バスはさっき完全消灯となったが、高速道路上は窓から入る光だけで十分文字が書けるほど明るい。しかし、バス特有の揺れのせいで文字は書きにくい。おまけに車内はかなり暑い。車掌(交代運転士)が回ってきたので温度を下げてくれるように頼んでみたが、いま暑いくらいの温度設定にしておかないと、数時間後には滅茶苦茶に寒くなるのだそうだ。
 多少の暑さはあるものの、リクライニング角度の深い3列シートはさすがに快適であった。首都高から東名に入った後は、厚木付近のラブホテル街のイルミネーションと、小田原厚木道路の分岐をはっきり覚えているが、あとは足柄サービスエリアに入ったことを断片的に覚えているのみである。結構熟睡していたようだ。

2006年04月14日

2006.01.12(木)(1)奈良県に足を踏み入れる

 1月12日(木)午前6時10分頃。「間もなく天理駅」のアナウンスで目を覚ました。
 目を覚ましたときは高速道路上だった。途中の停車停留所から考えて、高速道路並みの高規格ながら一般国道として無料で通行できる名阪国道を通ってきたものと思われるが、まったく記憶にない。新宿を出発して7時間。新宿出発時に「翌朝の案内は天理到着前から」と告知をされていたので文句は言えないが、できることならもう少し寝ていたかった。
 しかし、パッと目を覚まして気分を切り換える。天理駅に停車するということは、天理駅前にあるというりそな銀行天理支店の様子を車内から下見できるということではないか。そう期待していたら、天理駅は降りる人がいないので通過するという。窓の外が真っ暗だったこともあり、天理支店は見えなかった。
 天理から先は一般道(国道169号)を南に桜井へ向かう。車内の照明は6時25分に完全に点灯した。6時半過ぎに桜井駅に到着、ここで4人ほど降りたようである。ここから先は降りる客は五条までいないようだが、次は大和八木、その次は近鉄高田、さらにいくつかの停留所を経て五条へ向かう。バスは通過する停留所を律儀にすべて通る。別に遠回りしているわけではなく、五条に道なりに向かっている。停留所を通らなければ五条に行けないのである。
 6時50分。窓の外は少し明るくなってきた。大和八木駅東側の近鉄百貨店、そしてりそな銀行橿原・八木支店横を通過する。バスをここで降りる人はいないが、車内アナウンスはきっちり行われる。八木駅を通過してすぐの橿原警察署前で、昨夜新宿のコンビニで買った弁当を広げる。旅の興奮もあってか眠気がすっかり飛んでしまったので、今もう腹ごしらえをしてしまう。
 07時02分。大和高田市内、高田サティ北側のT字路で右折。この突き当たりが、レンガ色の外壁を持つりそな銀行高田支店、つまり旧奈良銀行の高田支店である。旧奈良銀の店舗を今日初めて見た瞬間であった。2ちゃんねる「りそなグループウオッチのスレ」の数日前の書き込みによると、りそな銀旧奈良銀店舗の看板は、黄緑色だった奈良銀の看板に合わせてか黄緑色がかっているということだった。この時点での第一印象では「心持ち」という程度でしかないように思えた。
 高田支店前から北に向かうこの道は、市を南北に貫く目抜き通りである。かつてこの地を流れていた高田川の廃川敷をそのまま道路にしたもので、複雑に曲がりくねっているのはそのせいである。高田川は相次ぐ河川改修により流れが変わり、現在では旧河道から400mほど西側を流れている。間もなく、近鉄大阪線大和高田駅に到着。駅前にあったダイエーがライフに変わり、りそな銀旧大和銀店舗だった「やまと高田」出張所跡が学習塾の「稲田塾」に変わっていることを車窓から確認して終わり。バスはこのあと、御所市を経由して、終点・五条バスセンターに向かう。
 五条市には7時37分に入った。車窓からは、山がちだが山奥というわけでもなく、といってもちろん田舎であることは疑いない風景が広がっている。窓から見える道路周辺の荒れ地は、枯葉色をした草の葉が霜で真っ白になっている。霜がつくということは、枯葉色をしていても枯れているわけではないのだろう。JR北宇智駅近くの「住川」(すがわ)という停留所を過ぎると、山が途切れて視界がパッと開けた感じがした。JR和歌山線で五条駅の隣駅となる北宇智駅は、関西エリア唯一のスイッチバックの駅として有名だから、このあたりが一種のサミットになっているのかもしれない。
 事前のリサーチでは、右側の車窓にりそな銀行五条支店が見えるとすぐ、五条サティに隣接する五条バスセンターに入ることになっている。果たして、バスは7時48分、予定より30分以上早く五条バスセンターに到着した。
 五条市は奈良県南の拠点都市の一つで、人口3万8千人(2006.01)。吉野川の河岸段丘上に広がる商業と木材工業の町で、太平洋側の和歌山県新宮市まで通じる国道168号線によって遠く十津川村あたりまで商圏にしている。個人的には、私の父親の実家が168号線沿いで、新宮からのバスで奈良県側に抜けたことが何度かあったため、五条という地名にはなじんでいた。しかし市内を歩いたことは一度もない。蛇足ながら、「五新線」と呼ばれる大和八木−五条−新宮間のバス路線は、走行距離168km、所要時間6時間半と、高速道路を走らない路線バス(乗車時に整理券を取り、降車ボタンを押して降りるタイプ)の中では日本最長距離であるという。

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posted by 為栗 裕雅 at 00:00| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月15日

2006.01.12(木)(2)さっそく五条市を歩く

 五条市に来たときに、見ておきたいところが2つあった。その一つは国鉄五新線である。かつて国道168号線に沿って五条から新宮まで計画されたが挫折、開業しなかった鉄道の施設が五条市内に現在も残っている。これは、24号線を西に進んで市街地を抜けた先にある。もう一つ、理由は後述するが、隣県・和歌山県のトップバンクである紀陽銀行の五条支店。これもバスセンターから西の方角だが、こちらは国鉄五新線よりは手前にある。これら二つはいずれも、今回の主たる目標・りそな銀行五条支店とは正反対の方角にあって、バスの到着時刻次第ではあきらめざるを得なかった。バスが予定より30分早く到着した今回なら、悠々と見に行ってこられそうである。
 私を新宿から乗せてきた2階建てバスがいずこかへ走り去っていった。朝8時過ぎ、五条「バスセンター」にバスはほとんどいない。定期券発売所の窓口もシャッターを下ろしているし、発着するバスもしばらくないようで、静寂が広がっている。私は、国道24号線を西に向かって歩きだした。
 この町は朝が非常に遅いようだ。バスセンターのあるサティの西100mほどのところが駅前の交差点で、角にファミレスのバーミヤンとガストがある。両店の開店時刻は10時。今まだ8時にもなっていないから、仮にヒマをつぶすような事態が生じたとしてもファミレスでは不可能ということだ。今回口惜しいのは、りそな旧奈良銀店舗の完全制覇と並行して何店か制覇する予定のミスタードーナツを、五条で1店捨てなければならないことだった。「五条ショップ」がサティの中にあるのだが、この開店が10時! 私は9時台のバスで吉野支店のある大淀町へ出発してしまうのである。
 五条市内の国道24号線は、市街地というよりむしろ「地方都市の街道沿い」といった感じである。24号を歩いていると、町並みからは商店街の空気をあまり感じない。むしろ、五条は国道と直交する通りに古い商店街があるようだ。進んでいくと、アーケードのついた「商励会通り」という商店街があった。かつては相当賑わった商店街ではないかと思うが、朝早いせいもあってかシャッターの閉まった店が多く、人っ子一人見えない。「駐車場に空きがあります」という看板が商店街の横に出ていたが、この駐車場は「空きがある」のではなくて一年中空いているのではないかと想像した。
 商励会通りの西にある本陣交差点までやって来た。24号・168号・310号の3本の国道が交わる五又路で、五条市役所にも近い。市の交通の要衝であり、一応五条市街地の中心部らしいが、そんな感じはあまり受けない。但し、横断地下道があって、税金がそれなりにかかっているのはわかる。
 交差点周辺に商業集積はほとんどなさそうだ。古そうな商店は多数並んでいて「老舗」の印象を受けるが、商業の流れからすると「だからどうした」というところではないだろうか。今はもう、日常の買い物はサティあたりで済ませてしまうに違いない。そして、人口5万人に満たない規模の地方都市では、旧市街の商業需要をすべて吸い取ってしまった観のあるサティ(というか総合スーパー)すら営業継続に疑問符がつくかもしれない。とりあえず五条はまだサティのまま営業しているが、そのうち奈良県内の他都市のように地場スーパー(「ヤマトー」など)になってしまうのだろうか。

 さて、この本陣交差点の一角に、和歌山県のトップバンク・紀陽銀行の五条支店がある。今回、りそな五条支店の制覇のついでに、ここを見てみたいと思っていた。紀陽銀行の五条支店は、旧あさひ銀行のウオッチャーであった私にとって興味深い。というのも、紀陽の五条支店は、もともとは協和銀行の支店だったからである。
 協和銀行五条支店は、1945年11月日本貯蓄銀行五条出張所として開設され、46年7月に支店に昇格したが、1948年11月14日廃止となった。戦争末期、疎開などにより購買力が大都市から地方に流出し、それを預金として吸収するため、当時の日本貯蓄銀行【注】は地方の中小都市に重点を置いて小規模店舗を出店していた。五条支店はそのうちの一つで、この時期に同じ趣旨で開設された店には、りそな銀行に現存するものとしては松本支店がある。
 終戦直後に多数出店した地方店舗は、その後インフレの高進で人件費が上がったため不採算となり、1948年に行われた店舗の大量粛清で廃止となったところが多い。五条支店は隣県のトップバンク(というより唯一の銀行だった)紀陽銀行に営業譲渡され、そのまま紀陽銀行の支店となって現在に至っている。この支店は、紀陽銀の県外店舗第1号となった。今の店舗は1973(昭和48)年10月に新築されたようだ。
 ほかの「りそめぐラー」がまず来ないであろうことを見越して見に来てみたが、考えてみれば協和銀行が五条支店を廃止したのは昭和23年のことで、撤退してから50年以上も経っているのだ。町並みや町の重要度さえすっかり変わっているし、紀陽の建物も新しい。場所も旧協和のあった場所というわけではない。当たり前の話だが、協和銀行の面影を探して楽しむことは無理のようであった。

【注】旧あさひ銀行の前身の一つ。1945年5月、東京・大阪・名古屋の貯蓄銀行9行が合併して日本貯蓄銀行が設立され、1948年7月普通銀行に転換して商号を協和銀行に変更した。

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posted by 為栗 裕雅 at 00:00| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月16日

2006.01.12(木)(3)いよいよ五条支店へ

 続いて国鉄五新線の遺構を見に行くことにして、さらに西に向かって歩き始める。しばらく歩いたが、それらしきものに行き当たらない。事前のリサーチでは、紀陽の支店から西へ1kmほどのところに、国道24号をまたぐコンクリート橋があるはずなのだが、1kmという歩行距離は意外に微妙である。肝心のりそな制覇ができなくなっては元も子もない。結局私は引き返すことにした。
 本陣交差点を越えて「五条町」というバス停まで戻ってきたところで、1台のバスとすれ違った。奈良交通の路線バスで、前面の方向幕には「専用道城戸経由 西吉野温泉」とあった。専用道! まさにこれこそ国鉄五新線の残骸である。国鉄線になるはずだった路盤と橋・トンネルなどは、国道168号線に沿って、五条から直線距離で20kmほど山奥に入った阪本まで通じている。そのうち約半分、五条市の吉野川南岸から旧西吉野村城戸(現五条市)までは路線バスの専用道路として使われている。鉄道用地を使用したバス専用道路は、通常の道路と比べて勾配とカーブが緩やかで、対向車との離合の必要もないため、国道の整備状況が悪い頃には一般道を行くバスよりもスピードが出せたのだという。現在では、専用道の老朽化と過疎の進展による乗客減、それに一般国道の整備が進んだこともあって、専用道にバスを走らせていたJRが撤退、奈良交通に移管された。次回五条に来たとき、時間に余裕があれば、専用道経由のバスに乗ってみたいと思っている。
 なお、「萌の朱雀」という映画(1997年)は、五新線の工事に携わる地元の人々を描いたものだそうだ。監督は奈良県出身の河瀬直美。

 ここまであまりに順調にきてしまった。時刻は8時11分。本来の予定では、高速バスはまだ五条バスセンターに到着すらしていない。それが、見たいと思っていたところをほぼ全部見ることができた。さっきは少し心配だったが、今いる地点からなら五条バスセンターまで5分もあれば歩けるだろう。やはり思い切って五新線の跡を見に行ってもよかったかもしれない。予定では五条バスセンターを09時13分に出るバスに乗ることになっているが、どうも「暇をつぶす」ということを真剣に考えないといけないようである。
 あるいは、五条支店の制覇をさっさと片付け、08時30分発のJR和歌山線で吉野口に向かっていれば、次の目標・吉野支店には予定のバスよりも早く着いていた(五条08:30→08:43吉野口08:49→09:09越部)。もっとも、これは全行程を終えて本文を書く段階で調べて明らかとなったこと。この時点ではとにかく、大淀、せめて下市口駅まで行く1本早いバスを求めていた。五条バスセンターで時刻表を見ると、大淀方面は、08時04分発下市口駅行き、その次が09時13分発大淀BC行きである。09時13分が予定していたバスであるので、結局五条で時間をつぶさければいけないことが確定した。
 とりあえず、今回の主目的を果たそう。24号を東、つまりりそな銀行五条支店に向かって歩き始める。ほぼ東西に走っていた24号線は、サティの先で左(北東)の方角に曲がり、ちょうどそのあたりから上り坂になっている。さっき高速バスで住川から下りてきた逆コースである。サティの北側にミスタードーナツがあるが、前述のとおり10時開店ということで、9時のバスで行ってしまう人間にはどうしようもない。
 サティから東側では、商店と民家が混在した感じである。いかにも街道沿いの郊外で、商店の密集地からは外れたけれども家並みは続いている、といったところだろうか。建ち並ぶ家は関東地方でも普通にみられる感じの外観だが、土蔵が目につくことと、古い建物が首都圏と比べるとちょっと多い気がすることが相違点といえようか。あと、この界隈の木造建築は、三角形の屋根が2段になっている入母屋造りなど、屋根の形態が単なる切妻よりは複雑な形になっているものが多いようだ。また、白壁の部分が真っ白に塗ってあるところが多いのと、羽目板がはめてあるところはあまり塗装をせず木の色をそのまま出しているところが多いような気がする。以上、建築にはまったく素人である私の雑感だが。
 五条市にはないのかと思っていたコンビニ(サンクス)のある「今井町」の交差点までくると、いよいよ、バスの車窓からちらりと見たりそな銀行五条支店が左側に見えてきた。レンガ色のタイルを外壁に張り巡らせた2階建てで、事前のリサーチではドライブスルーATMを設置している。さて、どんな姿をしていることやら。
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2006年04月17日

2006.01.12(木)(4)08:34、旧奈良銀店舗制覇第1号

 奈良銀行がりそな銀行と合併する以前、私は旧奈良銀行にさほど強い関心があったわけではない。私は全銀行での口座開設の一環として奈良銀行紀寺支店(奈良市、現存せず)で口座を開いたが、同支店の統合後は大安寺支店(奈良市)が取引店となった。奈良銀に用がある時はだいたい交通至便な大阪支店(合併後の桜川東支店)に行っていた。ここは法人客主体の空中店舗だから、奈良銀店舗の標準的形態というわけではない。その他に東生駒支店の窓口を利用したことがあるが、いずれにしても奈良銀時代の奈良銀店舗にあまり興味はなかった。その意味で、奈良銀の店舗を本格的に利用するのは、実質的には初めてと言える。
 制覇の前に、支店のあちこちを見て回る。奈良銀店舗の大きな特徴は「ドライブスルーATM」と「子供の本のへや」で、両者とも旧来のりそな銀行店舗には存在せず、一方ここ五条支店は両方を備えている。
 五条支店は国道24号に面した北側にあって、建物の西側はそこそこ広い駐車場である。ドライブスルーは建物の西側外壁北寄りに設けられ、車を停車させる部分に風除けがついている。時間が早いので機械の部分はシャッターで閉ざされているが、他銀行のドライブスルーを見た経験からすると、張り出し部分の大きな身障者用の機械がついているのだろう。
 国道に面した南側に店舗の入口があり、店舗とは切り離された右側にもう一つ入口がある。ここは4畳半くらいの面積の小部屋であり、絵本がぎっしり詰まった書棚と丸椅子、それにぬいぐるみが置いてある。「子供の本のへや」のようだ。私は図書館司書の資格を持っており、一般に公開されている書棚があると見たくてうずうずしてしまう。中を見てみようと思ったが、ドアには鍵がかけられていた。
 店舗入口から中に入ると、そこがATMコーナーであった。オムロン製の「HX」という旧型のATMが1台、金庫のような鉄製の箱で機械の下部を覆って置かれている。奈良銀は2003年7月に勘定系システムを自営システムから旧大和銀行の「ニュートン」に変更しており、その際ATMをオムロンHXに交換した。これは大和銀の店舗で使われていた中古機械の転用である。HX自体は旧大和店舗の一部にまだ残っているから、今回はあさひと大和が合併したときのような「新機種に遭遇」ということはない。
 それにしてもATM設置台数「1台」というのは、機械を置いていない空中店舗(浦和など)を別にすれば破格の少なさである(ドライブスルーもあるから、五条支店にATMが1台こっきりというわけではない)。
 さあ制覇作業を、と思ってコーナーに入ったのであるが、1台しかないATMは中年女性の行員が蓋を開けてメンテナンス中であった。かつて、あさひ銀行の店舗外ATMの制覇をしていた頃には、1台しかない機械がメンテ中だったり故障中だったりすると、運の悪いときには1時間以上待たされたこともあった。[福生市役所]や[ブリヂストン彦根生活協同組合]などを制覇したときのことを思い出し、このあとの旅程を考え合わせて戦慄が一瞬走る。
 五条支店は制覇見送りか…と思う間もなく、女性行員は機械の蓋を閉めて、シャッター横にある出入口から窓口室に入ろうとした。「機械はもう使えるんですか」と慌てて聞く私。「どうぞお使い下さい」という返事が返ってきた。
 ただいま8時34分。時間的に入金操作はまだできないので、出金操作を行う。五条支店を制覇。りそな銀旧奈良銀店舗めぐりの記念すべき第1号となった。
 機械を操作する横で、出勤してきたパートと思しき女性がキャッシュコーナーに入ってくる。通用口からでなく、さっきATMのメンテナンスをしていた行員が入ったドアから職場に入るのである。8時45分までにたしか3人が店の奥に入っていった。

 りそな銀行五条支店、すなわち旧奈良銀行の五条支店は、旧三栄相互銀行の6番目の店舗として1955年8月に新設された。当初は吉野支店の出張所という扱いだったが、1969年8月に支店昇格している。開設当時は市内の交通の要衝である本陣交差点近くの須恵商店街内に店舗があったが、1977年に24号線沿いのテナントビルに移転、さらに普銀転換後間もない1989年11月末に市街地東部の現店舗(五条市今井)に移転した。五条市北東部に奈良県が工業団地「テクノパーク奈良」(1992年秋から稼働)を造成、計画の進展に伴って市街地が徐々に東へ移動し始めたためであるという。
 奈良県の金融機関の筆頭にあげられる南都銀行は、五条支店をサティ/バスセンターの西隣りに置いている。五条駅入口(五条三丁目)の交差点からは、第二地方銀行の関西アーバン銀行の支店が見える。この地の関西アーバンは、もともと和歌山発祥の旧幸福銀行だろう。地方銀行の紀陽銀行はさっき見てきた。そのもっと西側、五新線の遺構のまだ向こうには、第二地銀の和歌山銀行が支店を出している。ここは、今年10月の紀陽銀行との合併と同時に、紀陽の五条支店に統合されることになっている。信用金庫・信用組合は五条市にはない。奈良県は伝統的に信金があまり根を張っておらず、また信組は90年代の金融危機で破綻が相次いだため、現在では朝銀・商銀系を含めて存在しない。そして、五条市唯一の都市銀行・りそな銀行は東の端である。
 南都銀行五条支店のATMは朝8時45分の開店で、関西アーバンと紀陽も同じ。五条市街地の西のはずれにある和歌山銀行は8時から開いており、今回新たに東の端のりそなが8時から開ける。五条市街地の東側では、南都と比べてサービス面で多少優位に立つことになるが、現在地はやはり地の利の点で相当マイナスのようで、ドライブスルーはそれを補うためのものといえる。旧奈良銀の大きな特徴であるドライブスルーATMは、現在地への移転に伴って設置され、営業店では五条・吉野・平城の3支店に設置されている。

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2006年04月18日

2006.01.12(木)(5)『ぐりとぐら』が読みたくなった

 すべての用事が終わってしまった。大淀バスセンター行きのバスが来るまで40分ある。こんなに早く用事が片付いてしまうのであれば、やはりさっき五新線を見に行ってくればよかった。いまさら手遅れであるので、支店で時間をつぶすことにする。
 ATMコーナーは窓口営業時間中そのまま待合スペースになると見え、長椅子と新聞雑誌が置かれている。新聞雑誌コーナーには今朝の日経が既に置いてあり、これ幸いと新聞を読みながら9時の開店を待った。
 新聞を一通り読み終わった頃、営業室とATMコーナーとの間を隔てるシャッターが開いた。せっかく時間の余裕があるので、窓口の行員さんに「子供の本のへや」のことを聞いてみる。私の相手をしてくれた女性の行員さんは、わざわざ中から出てきて、親切にカギを開けて部屋を見せてくれた。
 「子供の本のへや」は、幼児連れの銀行利用客が窓口で用事を済ませている間、子どもをそこに入れて遊ばせておくためのものである。旧奈良銀の大半の支店にあるようだ。奈良銀の社史『三栄相互銀行三十年史』によると、1982年5月に(旧)桜井支店を改装した際に設置したのが最初である。五条支店では開店時間中だけ開けていて、書棚を見た感じでは、蔵書は数百冊もありそうだ。部屋に入って最初に目に飛び込んできたのが『ぐりとぐら』だったから、蔵書としては文字主体の絵本を中心に揃えているようだ。
 本の貸し出しもしているそうだが、蔵書目録や貸出カードなどを作って本格的に図書館として運営しているのかは聞きそびれた。しかし、少なくとも「選書」については、専門家に意見を仰ぐなど相当力を入れて行っていたらしい。
 子どもほど銀行に似つかわしくない存在はいないから、ギャーギャー騒ぎがちな幼児を遊ばせておくスペースが銀行内にあれば、助かる層はいるだろう。りそな銀行がスタジオジブリの「ひびきが丘物語」というイメージキャラを使っていた頃、子どもをおとなしくさせるためにキャラがデザインされた塗り絵を渡していたが、今はどうなのだろうか。
 部外者としては、収益を生み出さないデッドスペースを店の中に敢えて作るのはソロバンが合うのだろうか、などと余計なことを考えてしまう。もう一つ、蔵書の傾向からして、この部屋が真にフィットする年齢層の子どもは、意外に数が限られるのではなかろうか。文字主体の本は幼稚園年少組にはまだ早いだろうし、といって就学してしまった児童に『ぐりとぐら』がふさわしいかどうかは疑問だからである。というわけで、銀行の顧客がどういう金融商品を利用するかだけでなく、どういう年齢層の子どもがいるかについても検討の余地はあるかもしれない。加えて、土地柄ということもある。ベッドタウンと、過疎化の進む地方都市とでは、客層は明らかに違うからだ。
 とはいえ、奈良銀行が色んなことを考えてやってきた銀行だ、というのはよくわかった。約30年ぶりに『ぐりとぐら』が読みたくなった私であった。別にハンドルネームがしてぐりだから言うのではない。
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2006年04月19日

2006.01.12(木)(6)五条から「酷道」経由で吉野へ

 そうこうしているうちに、本当に時間がなくなってきた。いよいよ吉野へ向けて移動である。
 支店横の交差点角にあるコンビニで買い物をして、大淀バスセンター行きが出るバス停に立つ。事前のリサーチでは「栄山寺口」という停留所が最も近いはずだったが、一つ市街地寄りの「今井」のほうがもっと近いようだ。今井から乗ることにより、時刻表上の発車は1分早く09時15分となった。
 支店前の道路は、何度も書いているとおり国道24号である。2車線の道路で、市内まで延々と2車線になっている。生活時間帯になったようで、市街地に向かう西行きは少し流れが悪くなっているようだ。
 西行きではないはずなのだが、バスは3分ほど遅れてやって来た。地方都市の路線バスとして標準的(?)なマイクロバスで、奈良交通のカラーである緑とクリーム色に塗られている。乗り込んで最前部の席に腰をおろす。車内を見回すと、乗客は3人しか乗っていない。
 いい天気である。バスはしばらく国道24号を快適に走り、散財、ではなく「三在」という停留所から右折して24号をはずれた。ここから先は国道370号である。この国道は全く通ったことがなく、したがって土地鑑もない。日本国内の山の風景は大体想像がつきそうなものだが、やはりそれでも初めての道を走るのは楽しいものである。
 370号に入ったとたんに道幅が細くなり、結構な山越えとなった。舗装はなされているが、センターラインは引かれていない。ふつうの道路の1.5車線程度という道幅からすると「酷道」に近いが、舗装もしっかりなされているし、そう呼んでは気の毒かもしれない。対向車はほとんど来ない。五条市に別れを告げて大淀町となったのは、370号に入ってすぐ。五条から大淀までの地図上の距離は直線距離で10kmないから、意外に近いようだ。
 峠を越えて視界がぱっと開けると、すぐ山間の集落に入った。佐名伝と書いて「さなて」と読むらしい。370号の道幅は集落を貫通する部分においても1.5車線程度のままで、もちろんセンターラインは引かれていない。五条と吉野との間は、結びつきがあまり強くないのかもしれない。

 バスの車内放送が「次は市場前」とアナウンスした。こんな山間部で何の市場だろうと思っていると、バスが問題の停留所に着いた途端、私は脳天を殴られたような衝撃を受けたのであった。ショックだったのは、そこが材木市場だったことである。吉野なのだから林業がらみの市場に決まっている。衝撃を受けたのは意外だったからではなく、自分の脳味噌の硬化加減を思い知らされたからだった。プランニングといい実地での頭の回転といい、今回の奈良めぐりにはあまり良いところがないようである。
 さて、佐名伝の材木市場は、さすがこの地区の中心的な施設であるらしい。バスが市場前の停留所に停車すると、それまでまったく動きがなかった車内がにわかに動いて、乗客の大半が入れ替わった。乗客の数も増えた。ここから乗った乗客は、大淀町の中心部に出るか、下市口から近鉄に乗るかするようだ。
 佐名伝を出てすぐ、バスは吉野川のほとりに出る。途端に視界がバサッと開け、前面の窓からは雄大な吉野川の河岸段丘が広がっているのが見えた。階段状に平地が積み上がっていて、階段の一番低い部分を吉野川がとうとうと流れている。川の向こうには製材所が見える。吉野と林業は本当に切っても切れないようだ。さっきの峠越えでも視界が「ぱっ」と開けたのだが、今回は「バサッ」である。貧困なオノマトペに頼っているあたり私の文章力もまだまだだが、とにかく吉野川に出たところで、私は珍しく風景に対して感銘を受けたのであった。
 川のほとりに出たところで道幅は広くなり、急に市街地となる。ほどなく大淀町の町立病院前に停車、ここで乗客の半分くらいが降りた。この後バスは、近鉄吉野線下市口駅前に乗り入れたあと、りそな銀行吉野支店の最寄りとなる大淀バスセンターに向かう。
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2006年04月20日

2006.01.12(木)(7)奈良交通の運賃を100円節約する法

 さて、私は今回のバスで一つしなければいけないことがある。バス回数券の購入である。
 回数券を買うのは、バス代を安く上げるためである。1000円の綴りを買えば、1割、100円程度はおまけがついてくる。事前の計算によると、今回の奈良めぐりでは奈良交通のバス代が2000円強になる。この先父親の実家に帰ることも勘案して、3000円のバスカードでも買っておけばよいかと漠然と考えていた。ところが、さっき五条バスセンターでは定期券売り場が開いておらずカードが購入できなかった上、奈良交通のバスカードは磁気式からICカードに切り替わるため今年7月以降は使えなくなるという。バスの車内では3000円のカードを売っていたが、夏以後使えなくなるとわかっているカードを好き好んで今買う必要もない。となると、紙の回数券を買うしかない(奈良交通に1000円のバスカードが存在するかは確認しなかった。何をボケていたのだろうか)。
 運転士に紙の回数券をどこで購入できるか聞いてみた。下市口の駅前に定期券売り場があるという。しかも、下市口では時間調整で少々停車するそうだ。というわけで、私は下市口駅前に到着するやいなやバスを飛び降りることになっていたのである。
 さて、五条から大淀町まで私を連れてきたバスは、「岡崎」の十字路で左折して下市口駅を目指す。駅前の商店街はかなりの密集度で、郡部でありながらこの付近が非常に繁栄していた事実を物語っている。下市は下市口から吉野川を渡った対岸の中心的集落で、南都銀など複数の地銀・第二地銀が支店を構えている金融の激戦区である。かつて三重県本店だった中京銀行(現本店名古屋市)の支店まであるのだ。後述するが、奈良銀の支店もかつては下市にあった。
 バスは密集した商店街をすり抜けて下市口駅のバス溜まりに乗り入れた。一応バスの拠点だが、駅舎から駅前通りをはさんで反対側にある広場がそのまま舗装されただけで、バスターミナルというよりはバス溜まりなのである。ここでほとんどの乗客が降りてしまい、車内はほとんど空になった。
 私は回数券を買いに定期券売り場へ急ぐ。奈良交通の建物はバス溜まりと駅前と両方に建っていたが、定期券売り場は駅舎寄りのほうであった。100円券が11枚ついた綴りを1000円で購入。これで私は、奈良交通のバス代を100円だけ浮かす準備ができたということになる。
 なお、買った回数券は1綴りだけだが、これで十分である。というのも、奈良交通の回数券には「1乗車につき4枚まで」という使用制限がついているからだ。かつて私は北海道内をバスで移動したとき、バスの始発となる営業所で回数券の1000円綴りを2冊購入、そのまま2200円なにがしのバス代の払いに使って200円浮かせたことがある。運賃が高額(数千円)になる区間の乗車の度にこんなふうに回数券を使われては、バス会社としてはたまらないのだろう。奈良交通の場合、前述の五新線に新宮から大和八木まで6時間半かけて乗ると、整理券番号は100番を超え、その運賃は5350円。だから五新線のバスは、バスカードは使えるものの車内では販売していない。
 こういう事情により、100円未満の端数、それから1乗車4枚までという使用制限を勘案すると、100円券11枚綴り1冊の購入は、最小費用で最大効果を発揮できると言えるのである。
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2006年04月21日

2006.01.12(木)(8)都市化の進んだ大淀BC界隈

 回数券を買って戻ると、バスは私を待ちかねていたかのように発車した。私を待っていてくれたのだから当たり前か。車内の乗客は3人ほどに減っている。下市口の駅から終点の大淀バスセンターまでは十分歩ける距離であって、駅前から新たにバスに乗る客はいないのだ。
 さっき国道309号から曲がりこんできた古びた商店街を再び戻り、駅入口の「岡崎」の交差点。今度はここで左折して、370号に入る。この交差点を曲がらずにまっすぐ南に進むと、吉野川を越えて下市町に入る。近鉄の駅は下市の玄関口だから「下市口」なのである。
 岡崎で左折したバスは、ほんの数分東に進んで近鉄吉野線を踏切でまたいだ後、「土田」のT字路で左折した。このT字路で370号は終わり、あとはどちらに進んでも国道169号線となる。ちょっとわかりにくいが、要するに上市方面と奈良県中心部とを結ぶ169号線は、左(東)から土田T字路まで来て、下(北)に進路を変えるのである。
 車内で地図とにらめっこしながらバスに乗っているので、予期したとおりに踏切があり、予期したとおりにT字路を曲がってきた。オブジェクトは予想どおりのものに遭遇するのだが、車窓の風景だけは事前の想像と多少違っていた。現地に来る前、この付近は林業を主産業とする静かでひなびた山奥の町だと想像していたのだが、新しい住宅やビルも多いし、道路の周辺を固めたコンクリートも真新しくて、意外に開けている。大淀町は山奥といえば山奥なのだが、吉野川の河岸段丘上であり、従って思ったより起伏が乏しくて平らな場所が多い。
 地図を見ながらバスに乗っているので、わが目的地もすぐそこだとわかっている。ほどなく、終点のアナウンスとともにバスが道路の横に乗り入れた。大淀バスセンターである。屋根のついたバス用のプラットホームが数本並んでいる。バスはそのうちの一つに横付けして停まった。バス代を払ってバスを降りると、バスセンターの南隣にダイソーがあるのが見えた。広島県に本社のある百均店。畜生、ダイソーがあると知っていれば、さっき乾電池をわざわざコンビニでは買わなかったのに。
 心の中で歯ぎしりをしながら吉野支店に向かう。地図によれば、吉野支店は、バスセンターの北側、桧垣本(ひがいもと)の交差点で右に曲がってすぐのところらしい。この交差点も、角にあるのはコンビニのエーエムピーエムである。APは近鉄と提携しているから、奈良県にはAPの店舗が多いのだろうが、いずれにしても大淀町のこのあたりは、吉野郡の中では新しく開けてきたところのようである。とはいうものの、空き地なのか畑なのかとにかく建物のない土地が(さっきの五条市と比べると)多いようだ。
 北に向かう国道169号線に平行して崖線が走っているようで、国道の100mほど東側は高台になっている。よって、エーエムピーエムの角(桧垣本の交差点)を右(東)に曲がると登り坂となる。右斜め前方に、スーパーマーケットの「ライフ」が見える。事前のリサーチ段階から「ライフ」があるのは把握していて、どんなライフだろうと思っていたら、関東地区にもあるあのライフ(ライフストア)である。四つ葉のクローバーのマークも関東地区にあるのと同じである。そういえば、ライフは早朝に大和高田の駅前でも見たのであった。
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2006年04月22日

2006.01.12(木)(9)09:52、吉野支店を制覇

 桧垣本の交差点から、旧奈良銀の店舗が見えている。看板はもちろんりそな銀行に変わっている。坂道を50mほど上がると、上がりきったところが大駐車場完備のライフ大淀店、その手前にりそな銀行の茶色い建物が見える。
 非常に大きいという印象である。屋根の先端が鋭く尖った切妻2階建てのレンガ色の建物は、予想される支店の規模の割に、建物自体のサイズが非常に大きいようだ。建物の外には、外部から直接2階に上がる階段がついている。奈良銀行の社史によると、吉野支店の2階会議室は公民館のような形で開放しているそうだから、それでだろう。公民館のように会議室を公開している支店はここの他にもいくつかあって、その中にはグランドピアノが置かれた支店まであるということだ。
 吉野支店の建物に入った。ここもキャッシュコーナーにATMは1台しかないが、吉野支店は五条支店と同じくドライブスルー設置店で、ATMは店内1台・ドライブスルー1台のはずである。9時52分、吉野支店を制覇した。
 吉野支店は、奈良銀行の歴史的経緯からして非常に大きな意味を持つ。奈良銀の前身・三栄相互銀行が発足するにあたり、吉野への支店開設は株式募集の際の公約だった。このため、同行の支店開設第1号は(旧)吉野支店なのである。開設は1953年7月8日で、当初は現吉野支店のある大淀町ではなく、下市口から吉野川を渡った下市町にあった。1964年2月、吉野郡内2番目の支店となる上市支店が吉野川上流部(吉野町上市)に開設。これに伴い、旧来の吉野支店は1969年11月に「下市支店」に改称し、いったんこの時点で「吉野支店」の名称は消えた。吉野町役場前にあった上市支店は三栄相互銀行としては8番目の開設で、旧役場庁舎だった古い銀行建築を改装して使用していたという。
 下市・上市の両支店を統合して新「吉野支店」が誕生したのが、1993年3月22日。これが現・吉野支店である。旧下市・上市支店はいずれも老朽化が進み、また両店とも駐車場が狭くて支障をきたしていた。地場産業である林業の衰退で過疎化が進行していたこともあって、両支店の中間地点を念頭に大淀町に用地を確保して新築、2支店を統合して1支店にまとめたのである。公式発表では2支店を廃止して新店を開設したことになっているが、店番号(008)が上市支店を継承しており、上市支店が存続店舗ということになる(電話番号、支店長などマンパワー面は下市支店を継承)。両支店の跡地には奈良銀時代に店舗外ATMが置かれていたが、現在はいずれも廃止されている。

 制覇作業が済んだ後、窓口に「合併記念のチラシとかないですか」と聞いた。女性の行員さんがわざわざ中から出てきて、これが合併のときのチラシで、などと親切に面倒を見てくれた。さっきの五条支店でもそうだったが、行員さんが客の面倒を見る際の動きが非常に自然である。このあたりの支店では心の底から客に尽くしてくれている気がするが、これが「奈良県内の奈良銀店舗」なのだろうか。

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2006年04月23日

2006.01.12(木)(10)身の危険を感じた国道169号

 吉野支店の次は、橿原神宮前支店(橿原市)に向かう。橿原まで移動してしまうと、距離の大きな移動は一応終わり、あとは奈良盆地の中をひたすら駆けずり回るだけである。
 支店を出て、ライフ大淀店の西側をまっすぐ南に向かって歩く。事前のリサーチでは、この後すぐ国道169号にぶち当たり、そこから東に10分も歩かないうちに近鉄越部駅にたどり着くことになっている。越部は下市口の吉野側に位置する隣駅で、さっき往路のバスで通った土田のT字路は中間地点より越部寄りである。
 今歩いているライフ西側の道は、169号線の東側を走る崖線の上を、169号と平行に南北に走っている。道の右(西)側は標高が1〜2m下がった畑で、人家もぽつんぽつんと建っている。人家の向こう側は崖で、そこからストンと落ちてバスセンターのある平野があるような感じだ。屋上に駐車場を備えた大スーパーや都市銀行の支店がなければ、このあたりは普通の田舎の集落といった感じの住宅地である。蛇足ながら、このライフの中には奈良銀時代から店舗外ATMの[ライフ大淀店]が置かれている。
 車が1台やっと通れる程度の細い道を抜けてくると、消防署の裏手らしい場所に出た。りそなやライフの乗っかっている台地はここがどん詰まりで、ここから先は幅1mくらいの細い急坂があって、通学路と書いてある。階段ではなく急なスロープになっており、抜け道のような感じである。そこを降りると、目の前に交通量の多い道路が開けた。ここが国道169号線であり、右のほうに視線を移すと、370号の終点である土田のT字路がある。土田T字路とは反対側(左)に曲がって国道を東に行けば、近鉄越部駅にぶつかる。
 越部駅に向かう国道169号は2車線の国道である。このあたりも地名は「土田」なのだが、さっきのT字路近辺とは異なり、旧家の建ち並んだ古い街道沿いといった趣である。白壁の土蔵がそのまま街道沿いに建っていて、窓だけアルミサッシに改装して現役で使用している。こういう姿の土蔵建築は、関東ではなかなか見る機会がないのではないか。あくまでイメージだけでものを言っているが。
 この道を歩く間、正直に言うとあまり生きた心地がしなかった。というのは、道幅が細くて交通量が多いのはもちろん、その交通量のかなりの部分を丸太満載の大型トラックが占め、しかも相当なスピードを出しているのだ。林業が衰退していると言われて久しいものの、それでもさすが吉野スギは一流ブランドであると感じた。小生が旧あさひ銀行で最初に口座を作ったのは、名栗特別出張所といって林業の村にある店だった(埼玉県名栗村:現飯能市。出張所は現存しない)。名栗特出には統合される前に何度か行ったことがあるが、やはりこちらでも丸太を積んだトラックに出くわしている。しかし、台数はさほど多くはなかったから、名栗の林業は最近では吉野ほどは栄えていなかったのかもしれない。吉野の林業も長期的には低落傾向が否定できないのだろうが、それでもこちらは吉野郡全体で営んでいて、大規模なためスケールメリットがあるのだろう。
 とにかく、歩道もない狭い2車線道路を、大型トラックがビュンビュン走り抜けていく。大型トラック同士のすれ違いは、よく電柱をこすらずに済んでいると思うほど際どいもので、電柱が両側に立っているところで離合されると歩行者は通れなくなってしまうのである。これが首都圏なら、国道の道幅を住民運動の力で広げさせるのかもしれないが、奈良県の山奥には左翼もあまりいないのだろう。
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2006年04月24日

2006.01.12(木)(11)近鉄吉野線で橿原へ向かう

 トラックをよけながら169号を歩いていると、突然何の前触れもなく、民家の向こう側に近鉄越部駅が現れた。自動改札もない、平屋建ての小さな駅。但し無人駅ではなさそうである。時計代わりにしている携帯電話を見る。10時09分。事前に立てたプランは今のところ破綻せずに済んでいるようだ。少しほっとした。
 昨日新宿のJTBで買ったチケットは、この駅が旅行開始駅となる。今日初めての電車に乗り、橿原神宮前支店の最寄り駅・橿原神宮前まで向かう。予定では10時20分越部発、越部から橿原神宮前まで40分強かかり、11時03分着である。窓口で切符を見せると、定年退職者の嘱託らしい駅員のおっちゃんは、寝ぼけているのか何なのか、私の持っている切符が何だかわからないようだった。結局、切符は見せるだけでそのまま改札を通ってよいことになった。本当は、券片を1枚回収し、周遊区間の券に改札印を押さなければいけないようなのだが。
 橿原・大阪方面へ向かう電車は、踏切を渡って反対側のホームから出る。この駅は単線の交換駅で、2本の線路の両側にホームが1本ずつへばりついている。ホームの長さは短く、4両編成1本が入るのが精一杯ではないだろうか。いまどき大手私鉄には珍しい構内踏切を渡って吉野川に面した反対側ホームに行くと、駅の向こう側にはのどかな風景が広がっていた。竹やぶがあって、その下が吉野川の河川敷になっている。川の対岸、森の向こうから炭焼き小屋のような煙が上がり、太陽が吉野川の水面にきらきらと反射して、何というか「絵になる風景」である。こんなところにある都市銀行の支店。埼玉の山間部に支店のあるあさひ銀行のようだ。
 歪んだラッパのような音がプープープープーと聞こえた。その音が構内踏切の警報機なのだと気づく間もなく、2両編成の特急が吉野方面に通過していった。近鉄吉野線の特急は全席指定の専用車両だが、大きな窓から見える車内に乗客は一人だけしかいないようだった。吉野は桜の季節に行くものだから、1月中旬の今頃では完全にシーズンオフである。
 やがて、さっきと同じ音がして、私の乗る電車がようやくやって来た。4両編成の急行、あべの橋行きであった。

 首都圏で近鉄吉野線に似たイメージの路線を探すと、山あり谷ありトンネルありという点や、有料の特急が走っていることなどからして、西武秩父線が近いだろう。但し、近鉄吉野線は30分間隔の運転であり、西武秩父線より電車の本数が多い。また、ほとんどの列車が飯能乗り換えとなる西武と異なり、こちらはほぼ全ての電車が、近鉄南大阪線のターミナル・大阪阿部野橋との直通である。吾野(飯能市)や芦ヶ久保(横瀬町)から東京都心に通勤する人は多くないと思うが、こちらの沿線には大阪まで通う人が結構いるに違いない。そう思う根拠は、若い乗客が非常に多いことである。特に、大学生ぐらいの若い女性が目に付く。地味な服装の人が多く、英語の勉強をしていたりなど手に持つ荷物も明らかに観光客とは異なる。これは自宅が吉野線の沿線にあるということだろう。時間がずれているから通勤客は見かけないが、しかるべき時間帯にはそれなりに湧いて出てくるに違いない。
 私を乗せた大阪阿部野橋行きの急行は、カーブの多い線路をゆっくりゆっくり進んでいく。急行といっても、吉野線内(橿原神宮前まで)は各駅に停車して、南大阪線に入ってから急行運転となる。吉野線は単線であるからどうしても交換待ちが必要で、各駅に停車することとも相俟って所要時間が長くかかっている。蛇足ながら、近鉄南大阪線は、大阪阿部野橋(天王寺)を起点に、松原・藤井寺・羽曳野・香芝・葛城・大和高田の各市を経由して橿原市(橿原神宮前)に至る路線である。標準軌を採用している他の近鉄各線とは異なり狭軌(JRと同じレール間幅1067mm)で、大阪線と並走していることもあって、近鉄の幹線の中ではローカルイメージが強い。近鉄大阪線と南大阪線との関係は、関東でいうと西武池袋線と新宿線との関係に近いだろうか。
 いい天気である。日光がうららかに車内に差し込み、座席に座って何もせずにボーッとしていると眠気を催してくる。天井を見ると「りそな、なら、いっしょに。」というコピーの書かれた吊り広告がぶら下がっていた。鳥の巣箱を角にぶら下げた鹿のイラストで、言うまでもなく奈良銀がりそな銀と合併したことの告知である。
 JR和歌山線との接続駅・吉野口で、下り電車と交換。この電車に合わせて、JRも上下列車の交換を行い、4本の列車が山奥の駅で同時に停車するという華やかな事態となった。吉野口駅は関西地区には珍しくJRが私鉄部分まで管理している駅で、近鉄ホームの駅名板は、近鉄の他駅とは異なりJR西日本が作成した青いものが取り付けられている。
 10時45分、吉野口を発車。引き続き車窓の風景には注意を払っていようと思いつつ、ここから先には大したビューポイントもないはずなので、睡魔にはどうしても勝てなかった。私は緩やかに眠りに落ちていった。

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2006年04月25日

2006.01.12(木)(12)11:06、橿原神宮前支店を制覇

 目を開けると、越部で乗ったときに座席が全部埋まっている程度の混雑度だった車内は、立ち客が多数いる混雑ぶりとなっていた。車窓からは、住宅が建ち並び都市化した風景が見える。
 電車は、線路が何本も枝分かれした大規模な駅に滑り込んだ。橿原神宮前だ、と思う間もなく、進行方向左側の車窓、私の座っている座席からは向こう側の車窓から、ビルの外壁に取り付けられた見覚えのある緑色の看板が見えた。事前のリサーチから、りそな銀行橿原神宮前支店は、橿原神宮前駅の西口を出れば近いことがわかっている。この支店は、線路から見える位置に看板を出しているのだ。
 電車がホームに滑り込み、ドアが開くと同時に、荷物を抱えて飛び降りる。西口へ行くのには、吉野線ホームからは後方に向かえばよい。地下の有人改札で切符を見せて外へ。橿原神宮前駅は橿原神宮を控えた観光地の駅で、私の持っている周遊券には頻繁に遭遇するのか、特に不審がることもなく通してくれた。磁気化された券ではないから、いちいち有人改札を通らなければならないのが面倒くさい。
 この駅の地下には駐輪場があるようで、地下から地上に上がる階段はスロープになっている。傾斜のゆるい階段を駆け上がると、あった、りそな銀行。駅前に建つ3階建ての雑居ビルの1階である。
 正面には、窓口室に入るための自動ドアと、非常に狭いATMブースの出口専用ドアとが並んでいる。ATMブースは窓口室とつながっているが、そこは人間一人がようやく通れる程度の幅しかない。ブースに入れない小錦のような体格の人は、窓口室に置いてあるATMを使うのだろう。この支店もATMは2台配備である。
 脇腹のお肉が気になるものの、私は通路が通れないというほどではない。いったん窓口室に入り、それからATMブースに入った。入口の幅だけでなく、ATMブースの面積も非常に狭いが、機械が使用できないほどの狭さではない。機械を操作、11時06分、橿原神宮前支店を無事制覇することができた。
 橿原神宮前(かしはらじんぐうまえ)支店の奈良銀時代の名称は「橿原(かしわら)支店」で、合併に伴い「神宮前」がついた。店名が、文字では旧あさひ銀行の橿原(かしはら)支店と、音では旧大和銀行の柏原(かしわら)支店(大阪府柏原市)と、それぞれ重複するためである。そして、支店の最寄りも橿原神宮前駅である。開設は1971年11月25日で、三栄相互銀行としては11番目の支店。開設年次が古いためドライブスルーはない。

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2006年04月26日

2006.01.12(木)(13)近畿大阪銀行の高田支店に寄り道

 橿原神宮前支店の次の目標は、橿原市の西隣・大和高田市にある高田支店である。
 橿原市と大阪との間は、近鉄大阪線と南大阪線とが並走していて、どちらの路線も大和高田市を通る。橿原神宮前からだと「高田市」を通って大阪阿部野橋に至る南大阪線に乗るのがよい。「大和高田」を通って難波に至る大阪線は、神宮前の3km北に位置する大和八木から出ている。
 高田支店の最寄り駅が「高田市」であり、私が今「橿原神宮前」にいることからしても、南大阪線で高田市まで出るのが妥当である。加えて、絶対に大阪線を利用できない理由がもう一つある。私の持っている「奈良大和路スルーパス」は、大阪線の大和八木以西では利用できないのだ。この切符では、南大阪線は支線の御所線が接続する尺土(高田市の大阪寄り隣駅:葛城市)まで利用でき、さらに御所線に乗り換えて御所(御所市)まで行くことができる。大阪線にはそれがないのである。
 というわけで南大阪線に乗るわけだが、時刻は既に調べてある。橿原神宮前11時25分発、各駅停車古市行き。高田市までの所要時間は各駅停車利用でもわずかに8分である。高田支店を制覇したら、大和高田市街地を南から北に縦断して大和高田駅まで歩き、大阪線で大和八木へ。そこで橿原線に乗り換えて、高田支店の次の目標・田原本(たわらもと)支店(磯城郡田原本町)に向かう。さっき「絶対に大阪線を利用できない」と書いたばかりなのに矛盾しているが、私は単純往復が嫌いなので、乗車券の購入が必要な大和高田→大和八木間の移動を敢えて設定したのである。
 さて、私は「りそめぐ」の余技としてミスタードーナツのはしごもしている。駅舎の中、りそなの支店の向かい側にミスドがあって、これは寄らないわけにはいかない。時計を見ると11時10分過ぎ。発車まで15分しかないが、たいていのものは10分もあれば食える。昼食代わりに、糖分の多いドーナツ一つ食べておこう。というわけでミスドの「大和橿原ショップ」に入り、ハニーオールドファッションとアメリカンコーヒーを注文した。女子店員の制服が切り替え前の旧型制服のままで、かえって新鮮な印象があった(東京都内のミスドでは新年から一斉に新デザインの制服に切り替えられた)。「女子の制服はスカートでなければならない」が持論の私としては、ミスドの旧制服には比類なき愛着を感じている(新デザインは女子もズボンなのでがっかりしているのだ)。
 ドーナツをコーヒーで流し込むようにして食べて、店を出た。駅に入ると、乗ろうとする11時25分発の各駅停車は、いまにも発車しようとしていた。

 奈良県というエリアは、電車で通るだけでも首都圏とは違った感覚が味わえる。南大阪線の電車が橿原神宮前を発車すると、最初の駅(橿原神宮西口)の手前に大きな池が見えるが、池一つを取っても何となく神々しい雰囲気が漂っている。この池もどこかの神社の御神体だったりするのだろうか。
 橿原神宮前から8分の乗車で、高田市に到着。高田市駅は、複線の線路の両側にホームがへばりついただけの駅で、意外にシンプルである。南大阪線の線路は、高田市駅付近ではJR和歌山線を越えるために築堤を築いて持ち上げてあるので、改札は階下にある。出口に通じる階段に向かってホーム上を歩いていると、今乗ってきた電車が大阪方面に向けて発車していった。それを見て初めて、今乗ってきた古市行きの各駅停車が2両編成のワンマン運転だったことに気づき、途中駅どまりである理由が納得できた。
 改札を出て、少し寄り道。高田市駅東側にある近畿大阪銀行高田支店を視察する。りそなグループに属する地方銀行である近畿大阪銀行。その高田支店は、戦時中の企業合同政策により近畿無尽(旧近畿相互銀行の前身)に合併された高田無尽の旧本店である。こうした経歴から、少しは歴史的な建造物があることを期待していたのだったが、建物そのものはごく普通の鉄筋コンクリート造(1972年築)で、率直に言うとあまり面白みは感じなかった。この支店は雑多な賑わいを保っている「高田市駅前商店街」(そのまんまのネーミングだが)の一角にあって、ロケーションからすると顧客基盤としては地元の個人商店などが多そうである。ある意味旧相互銀行の典型とも言える店舗立地である。
 なお、大和高田市はりそなグループの拠点が多数ある(あった)ところで、今行ってきた近畿大阪銀行の高田支店、この後制覇する旧奈良銀の高田支店のほか、統合されてしまったが旧大和銀の支店もあった。大和銀行やまと高田支店(銀行名と混濁しないよう支店名は「やまと」と平仮名表記になっている)は1976年12月に近鉄大阪線大和高田駅前に開設、2000年9月に出張所化され、りそな銀行となった後の2004年3月に統合されている。小生はやまと高田出張所を2003年5月11日制覇した。
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2006年04月27日

2006.01.12(木)(14)11:43、高田支店を制覇

 高田市駅の改札を出てすぐ目の前に、ミスタードーナツの「高田市駅前ショップ」がある。今回の「りそめぐ」の過程のどこでミスドに遭遇するかは、事前のリサーチで既にわかっているのだが、あくまで今日のメインはりそなであり、ミスドは「遭遇したときだけ」制覇しようと決めていた。しかし、改札を出た目の前に店を見つけてしまっては、無視して通り過ぎることはできない。
 私は一つ決断を下した。嫌いな単純往復になってしまうが、ここは制覇を重視して高田市駅から戻ろう。高田支店制覇の後、20分近くかけて大和高田駅まで歩く計画だったが、高田市の出発を15分程度遅らせてミスド店に滞在する時間を作り、次の目的地・田原本に向かう橿原線には橿原神宮前で乗り換えるとしよう。橿原線に大和八木と橿原神宮前のどちらで乗り換えても、乗り換えの回数としては同じである。それに、周遊券がそのまま使用できるのは、単純往復というデメリットを上回るメリットだと思い直した(前述のとおり、大和高田から乗ると八木まで切符の購入が必要である)。
 この決断の前提としては、田原本の次で予定している桜井市で予定時間を多めに取っていることがあった。桜井からはJR桜井線で天理市に向かう予定だが、JRのダイヤの関係から、桜井支店の制覇時間として1時間確保していたのである。これを20分程度削減すれば、帳尻が合うのではないか。地図を見ると、桜井支店は(駅前とは言えないものの)駅からそんなに遠いわけでもない。40分程度あれば十分いけそうである。
 決まった。りそな高田支店を取ってから、ミスドで「一人作戦会議」(コーヒーブレイクともいう)をしよう。ミスドでは座席に腰を落ち着け、携帯電話でダイヤを検索し直す予定である。

 さて、近畿大阪銀行の支店から、高田市駅前に戻ってきた。高田市駅の北側を東西に走る高田市駅前商店街は、賑わいのあるアーケード街のようで、「西吉野のつるし柿」というのをメインにしている果物屋まである。吉野がつるし柿の名産地とは知らなかった。別に「干し柿屋の存在=賑わいがある」という図式ではなくて、店の運営方針にこのように確固たるポリシーを持つ店が1軒あるだけで、商店街全体の程よい緊張感を推察できるということである。もっとも、今は時間的な要因からか少し寂れているように見えたが。
 駅前に出てくると、市街地を貫いて南北に走る河川跡の大通りとの角に、後で寄るミスドがある。ミスドの隣りはバス乗り場で、「新宿行き夜行バス乗り場」などと看板が出ている。新宿からの夜行バスは、私が数時間前に乗ってきたばかりである。そして…。
 見えた。表通りに出て視線を北に向けると、100mほど先に、茶色い外壁をした背の高い2階建てのビルと、見覚えのある緑色の看板。数時間前にバスの車窓から見た、りそな銀行高田支店であった。外壁には、旧奈良銀店舗特有の茶色いレンガ色のタイルを壁面いっぱいに貼り詰めてあって、通りに面した部分の窓がほとんどない独特の外観をしている。自動ドアから入ると、ATMはオムロンHXが2台。高田支店には他行と同様のキャッシュコーナーがしつらえてある。機械を操作、高田支店を制覇した。11時43分のことであった。
 奈良銀の前身・三栄相互銀行の開業は1953年。本店のほか、前述の吉野など4支店をこの年開業しており、高田支店はそのうちの一つである。開業時の支店はJR高田駅前にあったという(旧所在地には現在、旧幸福銀の関西アーバン銀行高田支店があるようだ)。
 大和高田市は室町時代に城下町として成立、江戸初期には専立寺という寺のひざもとで商業が栄え、さらに明治〜昭和初期にかけての鉄道開通により駅周辺にも商業が発達した。だから、市制施行は戦後間もなくと新しいものの、伝統のある町といえる。市街地の核といえたのが「内本町」で、これはJR高田駅のすぐ近くであるから、設置当時の高田支店は大和高田の中心近くに立地していたことになる。蛇足ながら、この付近では現在も旧三和銀行(三菱東京UFJ銀行大和高田支店)が営業している。
 高田支店は1968年2月、近鉄南大阪線高田市駅北(現在地)に移転した。高度成長期以降、大和高田市は大阪のベッドタウンとして発展し、旧市街が相対的に没落してきたためであろう。現在この界隈は、旧奈良銀のほか南都銀と和歌山銀の支店もある金融の激戦区である。南都銀の高田支店は、奈良銀の支店の向かい側、サティ高田SCの建物内にあって、奈良銀はおいしいところを取られている。和歌山銀(高田支店)は奈良銀同様独立店舗のようだ(確認はしていない)。和銀高田支店は、2006年10月の紀陽銀行との合併後も「高田支店」として引き続き営業する。

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2006年04月28日

2006.01.12(木)(15)高田から田原本に向かう

 改めて言おう。次なる目標は、田原本支店(磯城郡田原本町)である。
 さっき予定変更したとおり、ミスタードーナツ高田市駅前ショップでしばし「一人作戦会議」(コーヒーブレイクともいう)。携帯でダイヤを検索した結果、高田市を12時12分に出る橿原神宮前行きの準急に乗ることが決定した。
 少し早めにホームに入ると、準急より3分早い12時09分発の吉野行き特急が発車していった。2両編成の特急車両に、客は5人程度しか乗っていない。こんなにすいているのなら俺も乗せてくれよと少しだけ思ったが、すぐに自分の乗る電車が来た。12時12発、準急橿原神宮前行き。こちらも3両編成である。やはり南大阪線はローカルイメージが強い。
 橿原神宮前には12時20分着、3分の接続時間で、橿原線の各駅停車大和西大寺行きに乗り換えである。神宮前の駅の構造を考えると、乗り換え時分はわずかしかない。ドアが開くと同時に電車を飛び降りて地下道に駆け下り、再び階段を駆け上がって橿原神宮の参拝口となっている中央出口(地上)の前を通り過ぎると、前方の行き止まり式のホーム(標準軌の橿原線にとってこの駅は完全なる終点である)から各駅停車が今にも発車しようとしていた。
 飛び乗る。ドアが閉まる。発車。こちらの各駅停車は4両編成である。車両は今日何度か乗っている南大阪線のそれより新しく、ドアの上にはLEDによる駅名表示器もついている。標準軌の大阪・奈良線系が近鉄のドル箱路線であることを再確認した。
 橿原神宮前から田原本まで6駅、12分の乗車で田原本駅に12時35分到着。複線の両側にホームがへばりついているだけの小さな駅であるが、近鉄田原本線(たわらもとせん)との乗り換え駅である。田原本線は近鉄の標準軌の路線で、名前も「本線」とついているように見えるが、ローカルイメージが強い幹線の南大阪線とは異なり「純然たるローカル線」で、もちろん「本線」ではない。この線は田原本駅の西側、西田原本という別の駅から発着していて、乗り換えるにはいったん改札を出なければならない。奈良県内の近鉄の路線網は、昭和30年代に中小私鉄を買収して現在のスタイルまで形成されたので、この駅のように改札を出ての乗り換えということもある。ちなみに、田原本線の西の終点・新王寺駅も、近鉄生駒線の王寺駅とは離れた場所にある。すると田原本線は近鉄の離れ小島ということになるが、実は西田原本駅の北側で橿原線とレールがつながっている。
 田原本線について長々と書き連ねたのは、かつてこの駅で乗り換えたことがあるからである。何年前だか忘れたが鉄道の全線乗りつぶしを目論んでいた頃、新王寺から西田原本に入って田原本線を完乗し、歩いて数分の乗り換えを実践した。田原本からどこへ向かったかは覚えていないが、西田原本駅から田原本駅へ行くまでの間のラーメン屋で遅い昼食を摂ったことと、店内のドアに「社長室」というプレートが貼ってあったことだけなぜか覚えている。あと、そのとき食べたメニューがチャーハンだったことも。
 電車を降りて地下道を抜け、田原本駅の改札を出た。乗り換えをした「ことがある」ことだけ覚えていても、今回の制覇にはまったく役に立たなかった。今見ている駅前の風景は、実に新鮮であった。つまり、以前に見たことをすっかり忘れてしまっているのである。
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2006年04月29日

2006.01.12(木)(16)観光地の「ダイヤの原石」田原本

 駅前から歩き出してすぐにわかったのだが、田原本駅前の風景は実際に「新鮮な風景」であった。田原本駅前は商店街で、商店がぎっしりと並んでいる。駅前商店街そのものは別に珍しくもないが、この町のすごいところは何と言っても町並みであった。商店として活況を呈しているかどうかはともかく、並ぶ建物にはことごとく年季が入っている。何しろ、土蔵づくりの商店まである。古い時代の商店街にタイムスリップしてきた感じが、本当にするのだ。昭和初期、東京にはいわゆる「看板建築」と呼ばれる商店建築が一世を風靡したが、ここの商店建築は明らかにそれより古い。以前来た時にはそこまで目が肥えていなかったはずだから、その点でも「新鮮な風景」であった。
 事前のリサーチのとおり、駅前からクランク状に右折−左折と曲がって、東の方向に進んでいく。相変わらず年季の入りまくった商店街が続いている。道幅は車1台通れるぐらいだろうか。対向車の離合はちょっと難しそうである。
 このあたりの商店建築は、土蔵と格子のついた窓が標準装備であるようだ。とにかく土蔵の残存率が高い。つい「土蔵がすごくたくさん残ってるんどぞう」と親父ギャグを独りごちてしまった。個人商店の業種としても、呉服店まである。窓に格子のついた商店や土蔵づくりの商店に混じって、この地域の豪商の屋敷だったのか、屋根つきの塀で囲まれた民家もちらほら見られる。
 田原本町は、安土桃山時代の慶長年間に寺内町(寺を中心とした町)として開け、江戸時代寛永以後は田原本藩の城下町であった。城がなかったので、正確には城下町ではなく「陣屋町」という。水運の発達した商業の町として、明治時代前半までは奈良県中和地方(奈良市を除く奈良盆地)では最も繁栄した地域であったが、鉄道の発達に乗り遅れて沈滞してしまった。逆にそれが幸いして、これだけの味わい深い町並みが今に残ることになったと言える。
 田原本の趣はいわゆる「小京都」なのだろうが、こうした町の佇まいは京都でもなかなか見られなくなったのではないだろうか。関東でいうと埼玉県川越市が「小江戸」と称して観光開発をしているが、田原本町もこの古い商店街をそのままウリにした観光開発が可能かもしれない。ここが奈良県であるのが惜しまれる。ただでさえ奈良が観光王国であるのに加え、京都に似た町並みを「小京都」として観光地化するのは、「本物の」京都から100kmぐらいは離れていないと無理だろう。しかし、これだけまとまっている古い建築をこのまま消滅させてしまうのは、あまりにもったいないと思う。
 加えて、田原本町は「唐古・鍵遺跡」という観光資源(の原石)も抱えている。最近の中高生には、田原本町は教育出版の中学国語(2年)の教科書に出ている唐古・鍵遺跡のある町として聞き覚えがあるかもしれない。吉野ヶ里(佐賀)や登呂(静岡)といった遺跡と並ぶ弥生時代の大遺跡である。蛇足ながら、私はこの教材を学習塾在職中に扱ったことがある。
 とにかく私は、田原本は観光地として今後有望だと確信する。時間があったらもう1回じっくり歩いてみたい。私の目は結構確かなつもりだ。99年に沖縄旅行に行った際、当時さほど有名でなかった「勝連城跡」(沖縄県勝連町、現うるま市)をたまたま訪れて著しく感銘を受け、同行の友人に「ここは素晴らしい、絶対観光開発したい」と興奮気味に語った。その翌年、勝連城跡は世界遺産に登録されたのである。

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2006年04月30日

2006.01.12(木)(17)12:49、田原本支店を制覇

 東に向かって歩きつづけると、この道はT字路にぶち当たった。ここで左折。さすが城下町(に似た陣屋町)だけあって、一定の方向に直進するということが難しい。りそな銀行田原本支店のある田原本町阪手は、町の中心部を北に向かって流れる寺川を渡った国道24号線沿いにある。川を渡るということは当然橋を渡るのだが、橋のあるところまで駅前から直進では辿り着けないのである。突き当たり部分に建っている古い建物は、外観が古いまま改装されていて、この町には私が提唱しているような「町の観光化」に貢献している家も部分的にはあるようだ。しかし、古い建築はやはり、塗り壁がはがれているなどくたびれた建物が多い。
 寺川の橋を渡る。この川は大和川の支流である。盆地の真ん中を流れる川にしては水量が多く、かつて田原本が「水都」であったことをうかがわせる。やがて信号が見えてきた。角には地場のスーパーマーケット。この信号が国道24号線との交差点のはずで、ということは目標の田原本支店はすぐそこだ。信号の角で右折すると、見覚えのある緑色の看板が見えた。目標発見。
 支店の入口についている自動ドアは、2mほどもあるだろうか、ドア1枚の幅が異様に広い。自動ドアの機械装置は相当古いらしく、ドアの開閉のたびにグアーッと吠える。そこを入ると、ATMが2台、いずれも金庫のような鉄製の枠をはめられた状態で別々に置かれていた。奈良銀行は、ATMのなかった支店にATMを配備する際、コスト面の理由からか、改装工事をしてATMブースを設置するということをあまりしてこなかったのである。
 ATMを操作する。機械は他の奈良銀店と同じオムロンHXである。12時49分、田原本支店を制覇した。
 制覇を済ませて、店内の様子を垣間見る。田原本支店のカウンターには、旧奈良銀のシンボルカラーである黄緑色の着色がなされている。窓口室にトイレがあったので、一声かけて貸してもらった。用足しを済ませて支店の外に出ると、吉野支店にもあったような、外から直接2階に上がれる階段がついているのが見えた。田原本支店は2階に夜間金庫の投入口があるようだが、それとは別に吉野支店のように公民館のような施設があって、グランドピアノが置かれているそうだ。
 旧奈良銀行の田原本支店は、1985年3月26日、三栄相互銀行20番目の店舗として現在地で開業した。当地には奈良中央信用金庫(旧田原本信用金庫、1978.11改称)が現在も本店を置いている。もともと中小金融機関が少なかった奈良県に、信金は現在3金庫しかなく、そのうちの一つが田原本に本店を置いて地盤としているわけだ。加えて南都銀ももちろん支店を構えており、田原本は金融激戦区の支店と言える。

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2006年05月01日

2006.01.12(木)(18)汗まみれの田原本→桜井

 田原本支店の次は、桜井支店(桜井市)に向かう。
 時刻を調べ直した結果、田原本を13時11分に出る急行に乗れば、桜井での制覇時間が30分確保できることになっている。但し、田原本での現在の残り時間はぎりぎりで、急がないとプラン破綻の可能性が高い。
 駅から歩いてきたのと逆のコースをたどって早足で田原本駅に着いてみると、駅舎の自動改札機の向こうに電車が停まっているのが見えた。駅舎側のホームはこれから乗る大和八木方面の電車。これはやばい。大急ぎで改札を駆け抜けてホームに上がるとすぐ、電車は私を乗せて南に向かって発車した。後で時刻を調べると、予定の1本前、田原本13時07分発の各駅停車橿原神宮前行きであったようだ。
 大和八木で乗り換え。大阪線の桜井・伊勢方面は立体交差の上部である。13時14分発の急行青山町行きがある。エスカレーターに乗って時計代わりの携帯電話を見ると、もう既に14分になっているようだ。ホーム上ではまだ電車は発車していない模様。脊髄反射的に段の右側を全速力で駆け上がろうとするが、電車が間もなく発車するのに他の乗客たちはエスカレーターでのんびり構えている。ほとんど強行突破のように段を駆け上がってしまったが、東京人丸だしといった感じであった。今にして思えば、関西ではエスカレーターは「左側開け」がルールとして確立しているから、右側を駆け上がろうとしたのがよくなかったのかもしれない。
 かなりの暑さを感じる。これは階段を駆け上がったせいだけではない。東京を出るときに着てきたダウンジャケットは、着たり脱いだりを繰り返していたのだが、ここへきてついにカバンの中に片付けてしまった。私はもともと暑がりのほうだが、1月の半ばでダウンジャケットを脱いで腕まくりが必要なほど発汗するというのは、今日の気温がよほど高いのだろう。それでも、悪天候にならなかったのは運がよかったのだろう。
 車窓から見える山は、枯れ葉色主体で緑が多いといった色合いであった。スギ花粉の準備はまだまだのようだ。もっとも、2006年はスギ花粉の飛散量がさほど多くないらしいが。大和三山の一つである耳成山をかすめて間もなく、大福駅を通過する。桜井はその次だから、思ったより早く到着できそうである。大福。おいしそうな名前だと言いたいところだが、私はつぶあんが嫌いなのである。外国人に和菓子を食べさせると、同じことを言う人が多いらしい。つぶした小豆の皮の食感がイヤなのである。
 蛇足ながら、田原本から桜井までの移動は、かつてなら非常に楽であった。というのも、前述の近鉄田原本線は、王寺から田原本を経てさらに桜井まで通じていたからである。この路線が現在まで存続していれば西田原本駅から1本の電車で済んだのだが、戦時体制下の1944年に事実上廃線となっている。国土地理院地形図25000分の1「桜井」を見ると、西田原本駅から南東に延びる、線路跡とおぼしき道路がはっきり読み取れる。

 桜井市は、もともとは市の北部に位置する三輪が中心地だった。いかだで川くだりをしていた材木がトラック輸送に転換すると、桜井の町が集散地として栄えるようになり、行政や交通・商業の中心は桜井に移ったという。現在では、桜井市内の材木関連企業は、木材団地を作ってそこに集中している。
 私を乗せてきた青山町行きの急行は、13時18分、桜井駅の高架ホームを発車していった。青山町駅は三重県伊賀市にあって、「スルッとKANSAI」の利用がこの駅以西であるなど「大阪圏の限界」と言える駅である。発車していく電車を横目で見ながら階下に降りて、北口に出た。
 次の目的地への移動を念頭に行動しなければならない。桜井からはJR桜井線を利用して天理市へ向かう。奈良行きの電車は13時59分発。桜井には13時18分に着いたから、余裕時間は約40分ということになる。当初プラン(高田市で変更する前)では桜井に13時09分に着く予定であったから、出発を20分遅らせたのに桜井の滞在時間は10分しか減っていない。これはプランの変更が成功した部類に入るだろう。なんとなく得をした気分になって足取りも軽く桜井支店に向かった。
 駅の近所に、5階建てぐらいの目立つビルが建っている。寿司屋である。中で宴会ができるのだろうか。桜井の旧市街は明らかに南口で、支店のある北口には歴史や伝統・年季を感じさせる建造物は少ないようだ。北口にも土蔵がないわけではないが、やはりさっきの田原本と比べると少ない。
 桜井支店の入っている「ヤマトー桜井ショッピングセンター」は、粟殿(おおどの)の交差点の北東側にあるという。それを念頭に置きつつ「駅前」の交差点までやってきた。この四つ角には銀行建築が二つ。交差点の西側には南都銀行桜井北出張所。もう一つは廃屋のようである。閉ざされたシャッターに店の名前を塗りつぶした跡が残っていた。朝銀奈良信用組合桜井支店。ほぼ全県にあった朝鮮総連(北朝鮮)系の朝銀信用組合は、現在ではことごとく破綻し、関西エリアでは大阪のミレ信用組合など3組合に集約された。朝銀奈良はその過程で消滅していったわけである。
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2006年05月02日

2006.01.12(木)(19)13:28、桜井支店を制覇

 交差点北東角に、外壁を黄色く塗った「ヤマトー桜井ショッピングセンター」を発見した。交差点として「駅前」と「粟殿」は同じであるようだ。建物の南西角、青く塗られたコンクリート製のひさしの部分に、見覚えのある「りそな銀行」の看板がついていた。ひさしの下を見ると、オレンジのアクセントのついた緑のカラーシートがガラスに貼ってある。ここが桜井支店であった。
 桜井支店は変わったつくりになっている。正面入口の自動ドアを入ると風除け室兼キャッシュコーナーになっていて、ATMは向かって左側の壁面にATMブースとして1台設置されている。そして右側に目を転じると、壁の代わりにガラスがはめ殺しにされていて、ガラスの向こうにもう1台ATMが見える。正面自動ドアの右側にもう一つドアがあって、こちらはATMコーナーの小部屋になっているのだ。推察するに、当初この支店のATMは右側のコーナーに1台だけしかなかったのだろう。
 2台のATMは2人のおばちゃんに使われている。やっと自分の番がやってきた。機械そのものは他の奈良銀店と同じオムロンのHXである。13時28分、桜井支店を制覇した。
 店内のほかの部分を見る。窓口室にはカウンターが斜めに走り、2階に続く螺旋階段があるなど凝ったつくりになっている。ただし、螺旋階段の下は物置として使われているようで、ダンボールが積まれている。
 窓口室の奥に、SC店内とダイレクトにつながるガラス戸がある。そこを通ってヤマトーの店内に入ってみると、ガラス戸の外側(ヤマトー側)に「いらっしゃいませ 毎度ありがとうございます」と書かれた古いプラスチックの看板が置かれていた。少女の漫画チックなイラストが描かれているが、これは三栄相銀時代に使われていた「さわやか・みどりちゃん」というキャラクターであるようだ。

 桜井支店は「ヤマトー桜井ショッピングセンター」の店内にある。このSCは旧「桜井サティ」である。「ヤマトー」は奈良県のヤマトー商事という地場スーパー(本社橿原市)だが、公式HPを持っておらず詳細はわからなかった。ただ、この会社は奈良県内におけるサティの撤退では複数の店舗を引き受けている。旧あさひ銀行の店舗外ATM[八木町]がかつてあった大和八木の「八木ラブリー」というショッピングセンターも、キーテナントは元々サティで、現在はヤマトーになっている。
 現在桜井支店として営業しているこの支店は、1978年4月、三栄相互銀行の「桜井北支店」としてオープンした。北支店ということは、「桜井支店」がもともと別にあったということだ。現桜井支店は、2003年10月に桜井北支店から店名変更された。
 旧桜井支店は、1953年の三栄相互開業初年にオープンした4つの支店のうちの一つである。当初は桜井駅南口の駅前にあったが、150m南の国道165号線に面した場所に移転(1965年4月)、その後1987年6月に桜井北支店谷出張所(有人)に変更され、さらに1997年1月には母店の桜井北支店に統合、現在は「谷ドライブスルー出張所」(店舗外ATM)となっている。桜井市は駅の南口が旧市街であり、南都銀行の桜井支店や大和信用金庫本店は南口側にある。
 旧桜井北支店は、奈良銀行のオンラインシステム導入に先鞭をつけた店舗である。78年ニチイ(当時)に出店するにあたり、当時まだ珍しかったCDの設置をニチイ側から求められた。ところが、三栄相互銀行は自営の為替コンピュータを1974年にようやく導入したばかりで、オンラインの導入は未定だったのである。当時、オンラインシステムは中型機以上のコンピュータと数十人の要員で1〜2年の開発期間を要するのが常識で、数億〜数十億円の資金も必要であり、中小金融機関での自営は困難とされていた。それを、IBMの小型コンピュータを導入して、78年4月の桜井北支店開設と同時に当面2店間のみのオンラインとして実現させ、これをベースに翌年2月には普通預金の全店オンラインを稼働させたのであった(小型コンピュータといっても現在の基準とは異なるので念のため)。

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2006年05月03日

2006.01.12(木)(20)にゅうめんを食べそびれたが、スイカは使える

 面白そうなものを全部見てしまうと、腹が減ってきた。駅に戻って何か軽く食べることにしよう。そう思って駅に向かって歩いていると、何屋だったか忘れたが途中の飲食店に「桜井名物にゅうめん」の看板が出ているのを発見してしまった。にゅうめん(煮麺)! まさにこれは桜井の名物で、温かくして食べるそうめんのことである。そうめんは「夏食べる冷たい麺」というイメージがあるが、別に冬場に食べても温めて食べても構わないわけだ。関西独特の料理ではないかと勝手に想像している。
 有名な桜井の「三輪そうめん」は、1000年以上の歴史がある。約1200年前、市内にある大神神社(おおみわじんじゃ)の関係者が推奨して小麦の栽培を始め、それを原料に製造したのが始まりとされる。日本最古の神社とされる大神神社には、酒の神や農耕の神など、古代日本の産業を創成した神が多数祭られている。乾燥させて作るそうめんは保存食として有効で、救荒食として飢饉に苦しむ人々を救ったという。そうめん・ひやむぎ・うどんはいずれも小麦を使った丸棒状の麺で、3つの違いは直径だけだそうだ。そうめんは1.3mm未満、うどんは1.7mm以上、その中間がひやむぎである。ついでにきしめんは「幅4.5mm以上・厚さ2.0mm以内」。これらは全て「日本農林規格」(JAS)で定められている。
 時計代わりの携帯電話を見る。今13時40分過ぎ。桜井の出発予定は13時59分である。到着が13時18分、制覇が13時28分だから、駅まで10分もあれば行けるということだ。時間的にはまだ10分ぐらいの余裕はある。しかし、いかに私が早食いを誇るといっても、持ち時間10分では提供された時点でタイムオーバーだろう。駅の立ち食いソバ屋にでもあれば話は別だと思い、早足で駅にたどり着いてソバ屋のメニューを探してみたが、どうやら無理のようだった。
 にゅうめんを食する時間はないが、予定のJR桜井線13時59分発が出るまでには若干の余裕がある。朝からここまでずっと近鉄を愛用してきたが、ここからはJRに乗って天理に向かう。どうにかさくさくと用事が済んでいてホッとしている。当初の滞在時間50分というプランでは時間的にゆるゆるで、高田市の出発を遅らせてちょうどよかったということだ。にゅうめんは食べられなかったが(まだ言ってる)。
 近鉄とJRの桜井駅は、一応総合駅として一まとめにされているものの、改札も駅施設も完全に別である。桜井は以前に一度、南口駅前にあるミスタードーナツに寄ったことがあるので、まったく初めての場所というわけではない。近鉄側から自由通路を上がったところがJRの橋上駅舎になっているのは知っている。
 切符を買おうとして、素晴らしいものが目に入った。JR西日本のICカード「イコカ」の水色のステッカーである。なぜこれが素晴らしいかというと、これが使える駅なら、私が首都圏で日常的に使っているJR東日本の「スイカ」がそのまま使えるからである。桜井線は地方交通線だが、JR西日本の「アーバンネットワーク」に組み込まれているのだった。というわけで、財布からスイカを取り出して(2枚持っているため)改札機にタッチ、私はJRの人となった。蛇足ながら、私は関西に出かける度に「スイカ」のチャージを駅窓口でしてくる。チャージ額は満タン(2万円)。JR西日本の駅ではICカードのチャージがクレジット決済ででき、現金の持ち歩きが必要ないことと、クレジット会社のポイントが稼げるためである。こうした方法は私が物持ちのよい人間なので可能だが、財布を頻繁に紛失する人には向かないかもしれない。
 構内に入ると、南口が見える場所があった。桜井市の旧市街は、今歩いた北口ではなく南口のほうである。時間的なものもあるのか、人通りはまばらなようである。駅前には、日本最古の神社・三輪明神の大きな看板が出ている。右手を見ると、以前入ったことのあるミスタードーナツ(桜井駅前ショップ)。左に目を戻して、大和信用金庫の大きなビルが見えるが、たぶんあれは本店だろう。駅からは見えないが、駅前の通りを直進した突き当たりに、旧奈良銀の店舗外ATM「谷ドライブスルー出張所」があるはずだ。駅前には、三重県の第二地銀である第三銀行の支店も見える。
 時計を見ると13時53分。2番線に東側から電車が入ってきた。2両編成、クリーム色の車体に赤い帯のついた「105系電車」である。この電車は桜井で折り返しのようだ。ということは、私が乗ろうとしている59分発の奈良行きである。
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2006年05月04日

2006.01.12(木)(21)「日本のバチカン」天理へ

 私を乗せた奈良行きの普通列車は、冬晴れの奈良盆地を北に向かって快走している。車窓から広がる奈良盆地の風景には、言葉にできない味わいがある。雑木林の木1本1本の曲がり加減にも、何らかの意味があると思わせるのだ。地形が、空が、植物が、何かを私に語りかけてくる感じがする。奈良盆地には古墳が多くみられ、また八百万の神々も方々に祭られている。はるかな太古の時代から、祭祀は自然との対話だったに違いない。
 奈良盆地は、こうした「宗教的な空気」の豊富な土地である。私が今から行こうとする市は、宗教的な空気に満ちた奈良盆地だからこそ生まれ、そして強烈な個性を放っていると言えるかもしれない。私が向かっているのは、「日本のバチカン」の異名をとる宗教都市・天理。旧奈良銀行は、開業初年の1953年からここに支店を置いてきた。
 天理市はいわずとしれた天理教の総本山である。事前のリサーチによると、瓦葺きの要塞のような巨大な建物が異彩を放ち、各地から集まる信者のための宿泊施設が市内のいたるところに建つ。天理市は何度か通ったことがあり、大宗教都市であることも知識としては知っていたはずなのだが、それを目の当たりにするのは実は今回が初めてで、少し楽しみでもある。
 さて、私を乗せた電車は長柄駅を発車したところ。次の停車駅が天理である。事前のリサーチでは、天理教関係の大建築は電車の窓からも見えるということなので、私は窓の外をじっと見つめていた。
 入母屋作りの外観の建物が見えてきた。屋根のカーブや傾斜が独特である。天理教の建物とみて間違いないだろう。今のところ、電車の窓から見えるのは、高い屋根の片方から天高く屹立する飾りが大きく突き出た体育館(のような建物)と、「詰所」と呼ばれる宿泊所らしき建物だけである。
 見えた見えた。電車が天理駅手前の築堤に上がってきたところで、小さな三角屋根を屋根上に多数つけた巨大な建物が、400〜500m先にはっきりと見えた。あれこそ、天理教が1953年以来建設を続けているという「おやさとやかた」である。この建物は宗教施設ではなく、学校・病院・宿泊所などあらゆる種類の生活関連施設が入っていて、信者の共同生活を念頭に置いているのだそうだ。建物のうち長いベランダがたくさんついている部分は、信者の居住スペースなのであろう。しばし圧倒される思いであった。
 「間もなく、天理、天理です。すべてのドアが開きます。乗車券と運賃は…。」ワンマン運転の電車ゆえ女声のテープが流れ、私を乗せた電車は天理駅の3番線に滑り込んだ。高架上にあるホームの長さは非常に長く、測ったわけではないが10両ぐらいの長編成の電車も入れそうである。
 ホームから見える駅前の「母屋北詰所」という建物に「ようこそおかえり」と書いてある。天理教では、あらゆる人間は聖地であるところの「ぢば」(地場)から生まれ出たとされるため、信者が天理を訪れるのは地場に「帰ってくる」という意味になり、だから「おかえり」なのである。この「ようこそおかえり」というフレーズは天理のいたるところに見られる。他にも「感謝慎み助け合い、陽気暮らしのキーワード」など、天理教の教えを大書した看板が目立つ。それらに混じって、駅前にあるりそな銀行の支店を確認した。
 車両から出て階下の改札へ。自動改札機にスイカをタッチしながら駅の様子を見る。1・2番線は団体専用ホームのようで、団体専用出口まできっちりと配備されている(オフピークの今はもちろん閉鎖されている)。今は2両編成の電車しか来ないが、イベント時などピークの頃にはものすごい数の乗降客があるのであろう。もちろん、この駅はローカル線の駅施設として非常に大きな部類に入る。まだ天理市内に本格的に足を踏み出したわけではないのだが、既に駅からしてこれである。市内もじっくり歩いてみたいところなのだが、今日はそういう余裕がないのが残念である。
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2006年05月05日

2006.01.12(木)(22)天理教の旗を掲げた銀行

 JRの改札を出た正面、東側には広大な駅前広場が広がっている。北半分はバス停のポールが10本くらいも立っているかと思われるバスターミナル、そして南半分は自動車の進入を一切シャットアウトした広大な広場である。駅前から延びる「本通り商店街」に向けて、道が広場を対角線状に斜めに横切っている。今はだだっ広い印象があるが、イベントなどの際には団体さんの点呼などで大混雑となるのであろう。すでにその雰囲気は感じ取れる。「天理教」と背中に大書した黒いスカジャン(のような上着)を着た若い人(男だったり女だったり)が、駅前にも彼方に見える商店街にも多数いる。天理教の青年団のような組織の人たちなのだろう。
 駅前広場の端、本通り商店街との交差点角には、天理総合駅前交番がぽつんと建っている。祭典などの際には、道に迷ったり同伴者とはぐれたりして藁にもすがる思いの人たちがワラワラと交番を訪れるのだろうが、警官も繁忙を極めるイベント時に相手にはしていられないだろう。というわけで、警官に道を聞かずにすむよう、交番の外には「おやさと案内図」、それに「信者詰所電話番号・所在索引表」という模造紙の表がダーッと貼ってある。前者は、天理教関係施設のみを強調した天理市内の地図。後者は、各地の支部ごとに「詰所」という宿泊施設があるので、そこの連絡先を示したものである。
 りそな銀行天理支店は、駅前広場から道路をはさんで南側に面している。本通り商店街との交差点には、北西角に交番、南西角にはミスタードーナツとケンタッキーフライドチキンがあり、りそなはケンチキの隣である。ミスドは後で寄るとして、先にりそなの制覇を済ませてしまおう。海老山ビルという雑居ビルの1階である。
 支店正面の自動ドアを入ろうとして、風除けいっぱいに広がる天理教の神殿の写真に驚いた。だいぶ色あせてはいるが、2m四方もある神殿の写真が正面入口に掲げられている。奈良銀の天理支店は、想像以上に天理教と密着した営業活動をしていたようだ。もっとも、旧あさひ銀行の私の取引店・横須賀支店も、通りに面したショーケースを、亡くなった地元出身の歌手「hide」のコーナーにしていたと思い直す。とりあえずこの時点で左にATMが1台見える。ATMブースになっているようだ。
 風除けの右側に回りこんで店内を見ると、さらに驚くものが待っていた。窓口室の一番奥、支店長席(?)の背後の壁には、2×3mほどの大きさの紫色の旗が広げた状態でかけてあったのである。旗の真ん中には梅の花のマークが白く染め抜かれている。「梅鉢」は天理教の紋章である。
 何というか、銀行の支店そのものが宗教施設になったような印象である。市内には南都銀も信金も支店を構えているのだが、そちらも天理教の旗を掲げているのだろうか? 今日は見に行っている余裕がないので知り得ないが。
 風除けを背後にして待合用のソファが置かれている。窓口のカウンターに近い部分にもソファがあって、「二」の字形に並んでいることになるが、3時の窓口クローズの際にはソファとソファとの間にシャッターが下りてくるようだ。ソファの右側にもATMが置かれている。こちらは、奈良銀の他の支店でも見たような鉄製の覆いがかけられている。
 制覇作業を行う。2台のATMのどちらを使ったかは忘れてしまったが、機械はいずれにしても旧奈良銀店らしく旧型のオムロンHXであった。14時22分、天理支店を制覇した。

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2006年05月06日

2006.01.12(木)(23)天理支店と切っても切れない天理教

 旧奈良銀行の天理支店は、前身の三栄相互銀行が開業した初年(1953年)にオープンした4つの支店のうちの一つである。開業当初は「丹波市支店」といった。丹波市(たんばいち)とは1954年に天理市を合併で誕生させた6町村のうちの一つ(山辺郡丹波市町)のことで、市制施行に伴い支店開設の翌年に天理支店に改称された。天理駅前の現店舗は1982年11月の営業開始で、旧店舗(天理市川原城339)は、国道169号線沿い、現位置から南東に600mほどの旧市街地にあったようだ。
 今回の記事を書くにあたって色々調べているうち、天理教の規模の大きさを知って身震いする思いがした。大建築「おやさとやかた」の建設費用のみならず、天理市の発足(町村合併)から交通整備(国鉄と近鉄の天理駅統合、市内の環状道路設置など)まで、国内に100〜300万人いるとされる信者が何十年もかけて寄進・成立させたのである。大きな祭典の際には、全国から信者が多数(数十万人)天理を訪れ、その度に天理行きの臨時列車がJR・近鉄とも多数(誇張ではない)運転される。私が天理を訪れた2006年1月は、26日から「教祖百二十年祭」が開かれたようだ。1月26日は教祖・中山みき(1798〜1887)の命日にあたる(生きていることになっているので「身を隠した」と言っている)。
 天理教の聖地を「ぢば」(地場)、信者が天理を訪れることを「おぢばがえり」という。地場とされる場所には「かんろだい」(甘露台)と呼ばれる聖なるオブジェが建っていて、甘露台を神殿が覆い、神殿は北隣の教祖殿と回廊で結ばれている。この回廊を、巨大な建築物「おやさとやかた」で入れ子のように取り囲む計画が、戦後1953年になって始められ現在も進行中である。「瓦葺きの要塞」の正体がこれだ。現状ではまだ計画の3割程度しか建っていないが、既に出来上がっている建築物だけでも相当の威容を誇っている。鉄筋コンクリート5〜8階建てのビルが、万里の長城のように神殿を正方形に取り囲み、その対角線の交点に甘露台が来るように設計されている。正方形は872m四方という巨大なもので、これは教祖が「屋敷の中は8町四方となる」と予言したためだという。1町=109.09m、つまり8町=872.72mである。この建物は宗教施設ではなく、学校・病院・宿泊所などあらゆる種類の生活関連施設が入っていて、信者の共同生活を念頭に置いている。
 天理教は支店の営業活動にも当然強い影響を与えており、『奈良銀行四十年史』によると、天理支店の行員は「毎月1回、別席をはこび“ようぼく”になるべく勉強に努めている」とある。別席とは教義を学び修行することで、特に神殿に足を運んで講話を聴くこと。聞き漏らしや錯誤がないよう「9席運ぶ」(同じ話を9回聞く)ことになっている。用木とは要するに信者のことで、教祖の提唱した「陽気ぐらし」の世界を建築に見立て、それに使われる用材となる人材をいう。「9席運んだ」者が、教主から「おさづけの理」を受けたとして「ようぼく」となるのだそうだ。

 天理支店篇の最後に一言。私は、宗教についての記述で教義に深入りする気はない。今後、りそなめぐりの記事で富田林支店(大阪府富田林市)について書くこともあろうと思うが、この地を本拠とするパーフェクトリバティー教団について、必要とあらば今回と同程度には記述するつもりであることはお断りしておく。他の教団についてももちろん同様だ(あくまで「必要とあらば」なので、不必要なら簡略な記述になることももちろんありうる)。
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2006年05月07日

2006.01.12(木)(24)さらば「日本のバチカン」

 天理に到着したのが14時16分、天理支店の制覇が22分である。天理の発車は37分の予定。少々せわしないが、ミスドに寄ってしまおう。ミスド店めぐりは、300円購入につき1枚もらえるミスドカードを制覇の証拠にしているので、金額が300円になるように考える。セール価格で120円のアップルパイを持ち帰りにしてもらい、店内で飲むアイスミルクを氷抜きで注文。氷を入れない理由は一気飲みをするためである。かくして、多少の栄養補給を兼ねてミスタードーナツ天理ショップを制覇。店内はかなり混雑しており、電車に間に合うか少々焦る。
 せわしなく牛乳を飲み終えて、大急ぎで駅へ。今度乗るのは14時37分発の奈良行きで、さっき桜井から乗ってきた電車の後続電車である。
 さっきと同じ3番線に上がる。電車を待ちがてら、天理駅の最後の観察をする。線路の向こう側に見える1・2番線ホームは、前述のとおり団体専用ホームである。通常使うホームではないが、きれいに整備されているようだ。ベンチはこちら側(普段から使用されている側)と同じものがついているし、エレベーターまで設置されているのである。あのホームは「使う時には使う」のだろう。ホームの長さもこちら側と同様に長く、長編成の臨時列車が多数入るようである。桜井線の特殊事情が非常によく理解できた今回の天理市訪問であった。

 さっきと同様に2両編成の電車がやってきて、私ほか数人の乗客を積んで発車した。この電車は奈良行きである。終点の奈良に着いたら、まずは三条通り沿いにあって徒歩5分程度の新奈良営業部、そこから近鉄奈良駅まで歩き、路線バスで大安寺支店を制覇、近鉄奈良まで戻って今度は近鉄の電車で西大寺へ、という計画である。ここからしばらくは奈良市内の制覇が続く。
 冬晴れのいい天気である。暖房の効いた車内はぽかぽかと快適で、座席にボケッと座っていると眠気を催しそうである。実際、少しうとうととしかけたようだ。さっき天理駅前で買ったアップルパイの袋を、床に取り落としてしまった。それを拾い上げた時のことである。
 何の脈絡もなく、ミスドの店舗が1軒制覇可能であることを思い出した。今回の目標・大安寺支店の東側、2004年5月開店のイオン大安寺ショッピングセンター。この中に「イオン大安寺ショップ」があるのだ。
 大安寺支店については、私の取引店ということもあって、旧奈良銀の他の支店よりは状況に通じている。大安寺支店はJR桜井線京終(きょうばて)駅から西に1kmほどで、イオン大安寺SCは奈良銀大安寺支店の東側にある。ということは、この電車で奈良まで行かずに1駅手前の京終で降りてしまえば、京終駅から大安寺支店に向かう過程でミスド店1店を制覇できるのである。奈良駅→新奈良営業部→大安寺支店というルートでは、ミスド「イオン大安寺」ショップの新規制覇が欠けてしまう(奈良市街地に複数あるミスド店はすべて事前に制覇済みのため)。
 ここで地図を見る。JR京終駅からりそな大安寺支店までは、ほぼ一本道のようである。徒歩10分強といったところか。
 重大な決断を下した。りそなの制覇順を変えて、ミスド店の制覇を加えよう。順番としては、@ミスド「イオン大安寺」、Aりそな大安寺、Bりそな新奈良営業部、Cりそな小泉、となる。私はこの電車を京終で降りることになった。
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2006年05月08日

2006.01.12(木)(25)今日バテている理由は…?

 JR桜井線京終駅は、天理から見ると奈良終点の1駅手前である。「京」(首都)がこの付近で「終てる」から「京終」という名前になっているとおり、平城京跡の端にあたる場所に位置している。奈良−京終間の時刻表上の営業キロは1.9kmで、少し頑張れば歩けない距離ではない。但し、桜井線の線路が北西→南東方向に走っているのに対し、奈良市内の主要道路は「さすが平城京」と言うべきか東西南北軸にほぼ忠実なので、そのため歩行距離は多少伸びることになる。
 とりあえず今、京終の駅に降り立ったところである。時刻は14時49分。この駅は無人駅で、列車もワンマン運転であり、電車を降りた私は車掌ではなく運転士にスイカを見せて駅舎までやってきた。京終駅に自動改札はなく、イコカの簡易読み取り機だけが2台(入場用と出場用)ついている。「出場」のところでカードを読み取らせて、駅の外に出た。
 京終の駅舎は平屋建てで、寄棟の三角形に切り込んである屋根を持つ、ピンク色に塗られたかわいらしい印象の駅である。色彩はかわいらしいが、駅員がいなくなってから年月が経っているようで、ガランとした雰囲気が痛々しかった。事務所だったと思しき部分は、現在では単なる待合室にしか使われていない。
 京終で降りたのは半ば衝動的なものであったので、地図を持っている以外には何の情報もない。駅前に商店街などは見当たらず、いきなり民家が新築中である。建築中の家が面した細い道を線路沿いに奈良駅方向に歩いてくると、踏切に出くわす。地名でいうと南京終町4丁目。この踏切を渡って道なりに西に進むと、右側にイオン大安寺、その西側角に旧奈良銀の大安寺支店がある、はずだ。
 とにかく、今日は衝動的なコース変更を2回もやってしまった。脳は案外へとへとに疲れているかもしれない。今日バテバテ、だって京終で降りたから。ハチャメチャにつまらない独り言をつぶやきつつ、歩みを進めていく。
 京終駅から大安寺支店に向かって西に延びるこの道は、さすが県庁所在地の郊外といった感じの景観である。都市部だけに、基本的に空き地のたぐいはほとんどない。住宅は都心の下町ほどびっしりではなく、かといって田舎ほどゆったりでもなく、庭付きの一戸建て(それほど広い庭があるわけではない)が建ち並んでいる。ごくたまに空きスペースがあると、そこは駐車場になっている。あとは、こういう地域の商業としてカーディーラーと飲食店が多い。古くて小きたない店はあまりなく、ベニヤ板で作ったような外観の安っぽい建物で焼き肉屋、といったものが多い。後で知ったのだが、カーディーラーが多いのはこの近所に陸運局があるためだという。
 予期したとおり、イオンスーパーセンター大安寺店に遭遇した。ここにあるイオンのSCは「スーパーセンター」という名前になっている。今回「めぐ記」の冒頭で挙げたイオン水戸内原のような、地方都市の田畑の真ん中に築き上げられた総合モールよりは小ぢんまりとまとまっているようだ。平屋建ての建物東寄り、フードコート内に、ミスタードーナツ「イオン大安寺ショップ」を発見する。さっき天理で買ったアップルパイは結局まだ食べていないのだが、ミスド店制覇のため「焼きいもセサミパイ」を購入する。カバンの中にはパイが2つになった。
 イオン大安寺を出たのが15時09分。りそな銀行の看板は、もう右前方に見えている。
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2006年05月09日

2006.01.12(木)(26)15:12、大安寺支店を制覇

 りそな銀行の看板を目指して、建物に沿って西に歩いてきた。建物西端にある園芸コーナーの脇を抜けると、もうりそな大安寺支店の裏手である。支店はイオンの敷地の中にあるわけではないが、銀行の駐車場からイオンの駐車場に抜けられるようで、敷地内にあるのと同様の効果があるようだ。
 近づいてみると、りそなとの間には仕切りのフェンスと同じ材質・質感のドアが拵えられており、イオンとの間の通り抜けができる。取引店である大安寺支店には、奈良時代に1〜2度来たことがある。前回いつ来たかは忘れたが、車で来て駐車場に停めたのははっきり覚えている。そのときには駐車場は完全にブロック塀で囲まれていたと思うし、もちろんイオンも影も形もなかったと思う(工場だったのではないかと思うが確証はない)。
 ようやく大安寺支店の建物に入った。既に15時を回っているので、ATMコーナーと窓口室との間はシャッターが下ろされている。窓口営業を17時までとしているりそな銀行だが、旧奈良銀店は合併当初3か月間だけ例外的に15時までだった。ATMはオムロンHXが2台で、奈良銀店としてはごく普通の規模。これまでに回ったいくつかの支店とは違い、普通の銀行なみにATMは壁から直接突き出している。機械を操作、大安寺支店を15時12分に制覇した。
 大安寺支店は、1976年11月26日、三栄相互銀行14番目の支店として現在地で開店した。支店の所在地は奈良市南京終町で、「京」(首都)がこの付近で「終てる」から「京終」という、非常にわかりやすい地名。支店のテリトリーである旧大安寺村は、必然的に首都をはずれた支店の南側となる。
 支店の開設された1976年当時は、ちょうどこの界隈が住宅地として開発され始めた時期にあたるのだろう。大阪の力を借りて発展している感のある奈良市において、数少ない「奈良市自身の力で成長を遂げている」地域といえる。なお「大安寺」の名前はもちろん同名の寺(南都七大寺の一つだそうだ)からきている。
 支店の裏手にイオンのSCができて、客の流れも住宅地店舗としての性格もずいぶん変わったのではないだろうか。駐車場からイオンに通り抜けられるようになったことで、大安寺支店はイオンのインストアブランチのようになったと思われる。
 歩いただけの印象では、このSCには営業力が乏しそうな店舗も入っているように思える。スペースがあるのなら、いっそ大安寺支店をイオンの中に移してしまい、フルバンキングをやるインストアブランチにしてしまうと良いのではないだろうか。日本でインストアブランチはフルバンキング店舗でなければ成功しない、というのが私の持論である。

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2006年05月10日

2006.01.12(木)(27)奈良支店を再訪する

 次の目標は、奈良市の中心部にある新奈良営業部。旧奈良銀行の本店である。
 支店の北側はす向かいに、奈良市街地に向かうバス停がある。支店の前を南北に走る道は国道24号線の旧道で、各方面からバスが集まってくるところだから、バスの本数は案外多くある。時刻表を見ると、近鉄奈良行きのバスが間もなく(15:23発)やってくるようだ。これに乗ればいいのだが、ひとつ問題がある。どこの停留所で降りれば最も効率が良いだろうか。バス停ポールに貼られた路線図を見ると、停留所の候補は3つ。JR奈良駅、油阪船橋商店街前、近鉄奈良駅。サーチエンジンの地図をプリントアウトした手持ちの地図には、さすがにバス停の名前まで書かれていないのである。
 ともあれ、来たバスに乗り込む。奈良市街地に向けて快調に進んでいく…と言いたいところだが、支店の北側数百mの地点で動きが鈍くなった。24号線の旧道にはJR奈良線をまたぐ跨線橋があったが、奈良駅付近の高架化のため撤去されたのである。もともと2車線道路であったことに加え、工事のため徐行を強いられることと、臨時に踏切が設けられていることで、混雑度が増している。奈良跨線橋は1934年に建造され、建設当時はモダンな外観と見晴らしの良さで話題を集めた名物陸橋だったそうだ。工事は2010年頃まで続くという。
 JR奈良駅が近づいたところで、どこのバス停で降りるべきか運転士に尋ねてみた。彼は言った。「南都銀行の本店なら知ってますけど、奈良銀行の本店は知りません。」奈良市内で路線バスを運転している人に、奈良市内に本店を置く銀行の本店ぐらい知っていて欲しいと思うのはわがままだろうか。それとも、奈良銀はそんなに定着していなかったのだろうか。
 3つの候補のうち「油阪船橋商店街前」が違うのはすぐにわかった。奈良銀の本店を知らないという運転士に、三条通り沿いにあると私が告げたところ、「三条通りならそこです」と指差して教えてくれたからだ。奈良銀の本店がJR奈良駅からだと少々遠いのは知っていたし、このあとのバスの経路を考えると、近鉄奈良駅より近い停留所は考えられないからである。
 というわけで、結論を言おう。バス停からの距離だけなら「近鉄奈良駅」で正解だった。しかし、バスに近鉄奈良駅まで乗った私は、大失敗をこいてしまった。要するに、JR奈良から近鉄奈良までの間で時間がかかったのである。
 大安寺から北に進む国道24号線旧道は、東西に延びる大宮通り(国道369号)にJR奈良駅の北側で突き当たる。ここが油阪の交差点である。大宮通りはJRを越える陸橋になっていて、24号線旧道はその下をくぐり、インターチェンジのような入り方で右折することになる。右折して少しまっすぐ行くと、市街地中心部の高天という有名な交差点に到達し、バスはそこでもう1回右折して近鉄奈良駅のバスターミナルに入るのだが、交差点では直進車の切れ目がなくて全然右折できないのだ。右折車という名のハエでもたかってんのかよ、と高天交差点だけに思ったりした。こんなことなら、少々距離があってもJR奈良で降りて歩いた方がよかった。今朝の五条市内では、大安寺支店から市内までと同じくらいの距離を歩いているのである。歩くより早く市内に到達するためにバスに乗っているのに。

 ぶつぶつ言いながらも、もう既に私は新奈良営業部から至近の場所に間違いなく来ている。近鉄奈良駅でバスを降りた私は、駅南西側にあるビブレの前を通り過ぎ、商工中金前までやって来た。ここが三条通りの交差点なので、ここを右に曲がれば新奈良営業部である。
 新奈良営業部の前に、旧あさひ店の奈良支店に遭遇する。せっかく来たので寄り道しよう。奈良市の三条通りには、1kmに満たない短い距離にりそなグループの拠点が集中していて、東から旧あさひ銀行奈良支店、旧奈良銀行本店営業部、近畿大阪銀行奈良支店と並んでいる。旧あさひ銀行の奈良支店は、不動貯金銀行奈良代理店として1908(明治41)年9月に開業した由緒ある店舗である。近畿大阪銀行の奈良支店は1937(昭和12)年1月設立の三笠無尽本店。無尽会社とは無尽講を企業として営んでいたものだが、奈良県の無尽は戦時中の企業合同政策により大阪の近畿無尽に合併された。それがめぐりめぐって、りそなグループの近畿大阪銀行になったのである。というわけで、三条通りに3つあるりそなグループの店舗のうち、1953年創業の奈良銀本店が実は一番新しい。
 15時44分、奈良支店での取引。初めてここを訪れたのはあさひ銀行時代の1998年1月7日で、再訪であるから「制覇」とは言わないでおく。支店は1962年の建築で、建物正面向かって右側にATMコーナーがあるのは以前来た時と変わっていない。但し、ATM台数が2台なのは、もしかすると台数が減ったのかもしれない(枠は3台分ある)。ATMは富士通ファクトエース。今日はこれまで奈良銀の店舗にしか行っていないので、富士通のATMは本日初使用である。

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2006年05月11日

2006.01.12(木)(28)奈良銀行本店を制覇

 化粧舗装がなされて歩行者天国になった三条通りを西へ進む。三条通りでも、近鉄奈良駅やならまちに近いほうは修学旅行生などでにぎわっているが、銀行の並んでいるこのあたりでは観光客の姿もまばらである。なお、昭和30年代にはこの道はバス通りだったようだ。
 見覚えのある、2階建ての茶色い建物が見える。2階の窓上に「りそな銀行」の横長の看板をつけた旧奈良銀行の本店。りそな銀行新奈良営業部である。奈良銀の本店はこれまで何度か見たことはあるが、特に用事がなかったので素通りしてきた。今日は具体的な(ATMの)利用のために初めて訪れる。
 正面玄関と思しきガラス戸は、3時を回っているのですでに閉められていた。数分前に行ったばかりの奈良支店がまだ窓口を営業していたから、何となく違和感を覚える。少し前まで銀行窓口は3時で閉まるのが当たり前だったのだから、人間の感覚とは勝手なものである。
 閉められたガラス戸の横は小部屋になっていて、そこは複数の奈良銀店舗で見たのと同じ「子供の本のへや」であった。営業時間中に限り開放している支店と異なり、本店の「本のへや」は18時まで開けているようだ。「本を借りたい人は窓口のお姉さんに言って下さいね。3時をすぎるとこのインターホンで呼んで下さい。」という張り紙がしてあった。「3時をすぎると呼んで下さい」というのは日本語としておかしいとか、教育の分野では「子供」の「供」の字が嫌われている(大人の隷属物として扱う意味になる)とかいうことは、指摘するだけ野暮というものだろう。それより、窓口が閉まっている今となっては、窓口が「お姉さん」かどうか確かめようがないではないか。おじさんおばさんだったらどう責任を取ってくれるのか。
 という冗談はさておき、ここはさすがに本店だけあって、他の奈良銀店よりはるかに規模が大きい。店の前には流水式の噴水があって、周囲はなぜか水浸しになっていた。この噴水は「滝」をモチーフにしているらしいから、まあ相応しいといえる。建物の西側は駐車場になっていて、駐車場に面した場所に受付と玄関が(客が入る入口とは別に)ある。駐車場はタワーパーキングだったかどうか記憶にないものの、ターンテーブルがついていたのは覚えている。こうしたところに、本店としての風格が漂っている。
 そして、私の用事はキャッシュコーナーにこそある。りそな銀行新奈良営業部の「クイックロビー」は、駐車場横の別棟であった。営業窓口とは切り離された場所にATMコーナーだけの小部屋を設ける形(そこだけ見ると店舗外ATMと形態が変わらない)になっているのは、主に「営業部」と名のつく店舗で目につく形態である。三井住友銀行の東京営業部(旧住友銀東京本部)、りそなでは今はなき大阪中央営業部などがそうであった。旧本店だけに、ATMは3台並んでいる(機種はオムロンHXだが…)。機械を操作する。15時54分、新奈良営業部を制覇した。
 奈良銀行の前身・三栄相互銀行は、餅飯殿(もちいどの)通りの仮店舗(奈良市橋本町、南都銀行本店の南側)で1953年3月26日に開業、同年10月になって三条通りの現在地(現りそな銀行新奈良営業部)に移転してきた。10月の本店正式開店の際には内装工事が間に合わず、初日の来店客はカンナ屑を踏みながらカウンターに預金を差し出したと『奈良銀行四十年史』に書かれている。その後、1969年に隣地の火災で倉庫を類焼、火災のあった隣地を買収しての新館建設を経て、1979年の増築で現在の姿になったようだ。開業当初からの建物と増築部分との境界は、注意深く観察してみたのだがわからなかった。
 旧奈良銀行本店営業部は、りそな銀行への合併と同時に「新奈良営業部」と改称された。名称に「新」とついた理由は、りそな銀行の新生奈良地域の中心をなす店舗であるから…といった理由も多少あるかもしれないが、既に「奈良支店」が存在するため「奈良営業部」とできなかったのであろう。為栗個人としては、奈良銀本店営業部が合併後そのまま営業部格になるとは想像していなかった(支店になると思っていた)ので、いささか驚いた。
 蛇足だが、同じ関西エリアの第二地銀である和歌山銀行は、一時りそなグループに入る予定だった(この4月に交代した前社長はそれを前提に大和銀行から派遣された人である)。結局りそなではなく、和歌山県のトップバンクである紀陽銀行に合併されることになったのだが、和銀の本店営業部は、2006年10月の合併に先立つこと半年、4月の時点で合併後の名称「和歌山中央支店」に改称されることになった。つまり、合併前の最後の半年間、和歌山銀行には「本店」が存在しないという珍妙な事態になったのである。救済合併ということで、可能な限り紀陽銀側に負担をかけないようにしているのだ。店舗網にしても、和歌山銀が現有する31店舗の大半は合併日付で紀陽の既存店舗に統合されてしまい、合併後も引き続き営業するのは6店しかない。過去の例に鑑みると、破綻して営業譲渡になるのと水準があまり変わらない。
 こうした例を見ると、りそなによる今回の奈良銀合併には、非常に温情があるように思える。もちろん、外からは見えないもろもろがあるに違いないのだが。

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2006年05月12日

2006.01.12(木)(29)16:23、小泉支店を制覇

 さっき衝動的に京終で降りたのは、果たして正解だったのだろうか。京終駅で降りて歩くことで「戻り」という無駄な動きは排除されたので、単純往復はしなくて済んだ。これが吉と出るか凶と出るか。朝一番の五条支店から数えて、ここまでで9店舗を制覇したことになる。残り6店舗を、あと5時間ほどでしゃぶり尽くさなければならない。都市部であるので何とかなるとは思うのだが。
 旧奈良銀の本店から、三条通りをJR奈良駅まで歩いてきた。駅前にあったダイエーが閉店している(廃止された)のを横目で見つつ、近年改築なったJRの駅舎へ。ここから、次の目的地・大和小泉(大和郡山市)に向かう。駅前に、次なる制覇目標の小泉支店(同)があるのだ。
 駅の電光表示を見ながら、自動改札機にスイカをタッチする。大和小泉は関西線大阪方面だから、2番線の16時10分発に乗ればよいようだ。ただいま16時08分、少し急がなくては。
 そう思う間もなく、目の前で電車が発車していった。JR西日本で快速に使われている221系という茶色い電車である。方向幕をとっさに見る。やばい、みやこ路快速が行ってしまった…と思いかけたところで、これは関係ないと思い至った。「みやこ路快速」は奈良線(京都方面)の電車で、私がこれから乗るのは関西線である。関西線の快速は「大和路快速」。別にややこしくはないと思うが、そう豪語する私ですら、今のように頭の中が空っぽの状態では取り違えてしまう。
 私が乗る16時10分発2番線は、「区間快速」JR難波行きであった。

 16時19分、大和小泉に到着。今乗ってきた区間快速は、オレンジ色の103系電車であった。関西線のカラーは黄緑色のはずだが、JR西日本エリアでは電車の色についてはあまり徹底されていないようだ。
 なんとなく木造平屋建てのひなびた駅舎を想像していたのだが、大和小泉の界隈は都市化されていると見えて、橋上駅舎に建て直されている。大和郡山市のJRの駅としては、市の中心にある郡山駅よりも乗降客数が多いと聞くから、当然なのだろうか。
 この橋上駅舎は、屋根が波打っている。こう書くと安普請で曲がっているように読めてしまうが、そうではない。屋根が(形状として)ウエーブを描いているのである。関東で言うと、JR東北線さいたま新都心駅のホーム上屋の如し。つまり最新の建築なのだ。奈良銀があるのは手許の地図によると西口側だが、橋上化によって、改札のなかった東口側もこれから宅地開発が進んでくるのであろう。その東口をガラス張りの駅舎2階から見ると、噴水があって、新開地には必ずあるキッチュな形状のオブジェも置いてある。
 橋上駅舎を西口側に出る。駅前広場からすぐ、古い商店街が続いている。賑わい度はかなり低い。駅前とは言っても郡部の駅のようだ。駅前広場に面した商店は、火災に遭ってそのままのようである。燃えたまま改装工事もしないで倉庫として使っているようだ。この商店街の規模では、改築経費が出るほど来客がないのかもしれない。
 りそな銀行の看板が見える。事前に地図で見た限りでは、100m以上離れていて結構遠い印象があったのだが、この程度の距離感なら十分「駅前にある」と言える。大和小泉の商店街は、何軒かの商店が続くとすぐに息切れしてしまうのだが、奈良銀の支店は商店街が息切れし始めて民家が建ち始めたところの進行右側にある。商店街の商店には、ホーロー看板をベタベタ貼った肥料屋さんといったものも含まれるから、この界隈はつい最近まで農村地帯だったのだろう(支店開設当時、駅近くの商店街周辺は水田地帯であったという)。その先に奈良信用金庫の支店。この信金は大和郡山市に本店がある。混じって建つ民家は、古い農家なのか、瓦屋根つきの塀がついた家が多いようだ。
 小泉支店に到着した。この支店のキャッシュコーナーは、さっきの本店と同様、支店の窓口室から完全に切り離された場所にあるようだ。そして、小泉支店には何とATMが3台配備されている。ATMブースに2台、鉄の囲いを腰に巻いて設置してあるのが1台。3台のATMで、キャッシュコーナーはぎゅうぎゅうといった印象。機械はもちろんオムロンHXである。16時23分、小泉支店を制覇した。
 小泉支店は、1975年6月に三栄相互銀行12番目の支店として現在地で開業したが、開業当初の支店名は「郡山支店」といった。つまりここは、三栄相銀の大和郡山市の支店として開業したのである。その後、1989年4月の普銀転換に伴い、市域を表す「郡山」より明確に地域を特定できる現名称に改称した。大和郡山市内には「九条支店」が近鉄九条駅前にあった(1988年9月開設)が、こちらはりそな銀との合併前に統合されている。

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2006年05月13日

2006.01.12(木)(30)西大寺に行く前に、やまと郡山を再訪

 次の目標は、西大寺支店(奈良市)である。
 JR大和小泉から近鉄西大寺へ行くのはかなり大変だ。JR関西本線は近鉄線との連絡駅がほとんどなく、特に奈良市内に向かう路線とは接続していないからである。JR関西線と近鉄橿原線とは大和郡山市内の水田の真ん中で交差しているが、そこに駅はない。奈良駅まで戻って近鉄奈良まで歩くのは単純往復の最たるもので、小生としては避けたい。
 そのような中でベストと思われるのは、大和郡山市中心部での乗り換えではないだろうか。具体的には、JR郡山駅で降りて近鉄郡山駅まで歩くことである。距離的なこと(移動距離と歩行距離)もさることながら、このコースを採れば、JR郡山駅前にある旧大和銀店舗のやまと郡山出張所が再訪できる。それでたぶん西大寺には5時ぐらいに着くのではないだろうか。西大寺到着の時点で小泉・新奈良営業部・大安寺の3つが制覇済みならば、予定どおりということになる。
 大和小泉から乗る電車は、16時32分発区間快速奈良行きである。さっき天理で買ったアップルパイをホームでかじりながら、発車案内の電光掲示板を何気なく見ていると、列車種別の英語表記が妙に気になった。大和路快速が「ヤマトジラピッド」、区間快速が「ローカルラピッド」というそうだ。「セクションラピッド」などとなりそうなのだが、そうなっていないのは、一部の区間で快速運転をする「各駅停車」として区間快速を位置付けているのだろうか。そういうことを考えているうちに、電車がやってきた。221系という快速用の車両で、4両編成。関西線の快速は、今回のように転換クロスシート完備で快適な快速用が来たり、さっきのように老朽化した通勤型車両の103系が来たりとハチャメチャである。なお、103系電車は首都圏ではこの3月に全廃された。
 16時35分、郡山に到着。関西本線郡山駅は大和郡山市の玄関口にあたる駅だが、駅の名前としては「郡山」で、東北本線の郡山駅(福島県郡山市)とまったく同名である。切符の印字は「(関)郡山」「(北)郡山」と区別がしてあるようだ。
 郡山駅もさっきの大和小泉と同様、エレベーター完備の橋上駅舎になっている。前述のとおり、この駅はやまと郡山出張所制覇の際に1回降りているが、その当時から橋上駅舎だったかどうかは記憶が飛んでしまっている(ネットで調べたら少なくとも2000年には橋上化されていたようだが)。ともあれ、駅の階段を左に下りて目の前、マンションの1階に、有人出張所の近鉄西大寺支店やまと郡山出張所がある。右の方に目を転ずると、駅前広場の向こうは大商店街のようになっているが、旧大和店のあるこちら側は商業施設が多いわけでもない。
 この出張所の看板は、今朝からずっと見てきた旧奈良銀店舗の看板と同じ色合いで、やはりどうも黄緑色がかっているようだ。旧来からりそな銀行の店舗だったやまと郡山出張所が同じ色調ということは、奈良地域全部がこうなのではないか。ということは、奈良銀の合併に合わせて付け替えたということになる。なお、奈良地域の看板は、奈良銀との合併を機に、配色を変えた新しいものに付け替えられていると、後日写真を見ていて判明した(「為栗ニュース」1月16日「りそな奈良地域、看板の塗り分けを変更」)。
 16時40分、やまと郡山出張所を再訪した。今日初めて入る旧大和店で、大和銀らしく内装が真っ青である。ATMは5台並んでいて、大和店だからメーカーはオムロンなのだが、この店には旧型のHXは1台もない。左の2台が現在の最新型であるJXで、右の3台が1世代前のIX。IXはりそな銀行には極めて少ないから、それが複数並んでいるのは珍しく感じる。これに記帳繰越機1台というのは、大和店としてはごく標準的な機械配置だろう。この出張所はもともと「やまと郡山支店」だったところだが、大和銀行としては、奈良県は地盤の大阪府とは勝手が違ったため、出張所に降格せざるを得ない実績しか上げられなかったのかもしれない。やまと郡山出張所はいつか「合併効果」で再び支店に昇格するのだろうか。

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2006年05月14日

2006.01.12(木)(31)本日最大の…!?

 やまと郡山出張所を出て近鉄郡山駅まで歩く。この後は、近鉄橿原線で大和西大寺へ向かう予定である。西大寺支店の後は平城・学研木津川台・学園大和町・東生駒の4支店を取って、今日は終わりとなる。
 前回の私の記憶では、関西線の線路に沿って大阪方向に歩き、最初の踏切道を右に曲がってまっすぐ行くと、近鉄の郡山駅に出たと思う。とにかく歩こう。もう夕方5時近い。だいぶ暗くなってきた。今日の予定はあと5店、まだあと数時間は頑張らないといけない。
 大和郡山市のこの界隈は、狭い道が曲がりくねっているうえに交通量が多く、旧城下町独特だと感じる。現在では中心地としての地位を奈良市に奪われているが、大和郡山は江戸時代の城下町、それも南都銀行の前身となる第六十八国立銀行が明治に入って設立されたほどの商都だったのである。
 旧城下町とあって相当に古い家並みが続いていて、典型的な下町というか旧市街である。もっとも「相当古い」といっても、昼間に行った田原本ほど古いものが多いわけではないし、土蔵なども見かけない。それでも、歩いていくうちに「外堀緑地」なるものを発見し、さらに西へ進んで近鉄郡山駅近くに達したところで、ようやく土蔵も発見。やはり土蔵がないわけではないのである。大和郡山も田原本も、大都市間路線でない近鉄橿原線の沿線である。田原本は水運の町で鉄道に恵まれず衰退したのだったが、大和郡山は関西線が大阪まで直行しているところが微妙に違うのかもしれない。その結果大和郡山は都市化の進行が速く、古い建築の淘汰の度合いが田原本より激しかったのではないだろうか。
 JR郡山から道なりに歩いて10分で「柳町商店街」に入った。商店街が切れたところに近鉄橿原線の踏切があって、その南側に近鉄郡山駅が面している。この駅は、複線の線路の両端にホームが1本ずつへばりついた形である。踏切そばには小さな駅舎がそれぞれ両方のホームについているから、この駅の改札は方面別に分かれているのだろう。
 踏切警報機がカンカン鳴っている。警報機についた矢印は、右を向いている。東側から歩いてきて右矢印ということは…西大寺方面! 私がこれから行く方向である。
 私はほとんど脊髄反射的に走り出した。なんとしてもあの電車に乗らなければいけない。遮断機の閉まりかけた踏切を駆け抜ける。駆け抜けながら線路の遠くのほうに目をやると、正面をクリーム色に塗った臙脂色の近鉄電車がはるか彼方から近づいてくるのが見えた。これがたとえば特急電車なら、私の動きはすぐにゆっくりになるのだが、臙脂色の電車ということは一般型車両、この駅に停車する電車だ。
 踏切を渡って北行きホームの改札に来てみると、そこには驚愕すべき事実が待っていた。この改札は自動改札機が並んでいるだけで、駅員がいないのである。掲示があって、裏の白い切符は踏切を渡った橿原方面の改札で、とあった。普段ならともかく、今の私はそれでは困る。なぜかというと、私の持っている切符は自動改札非対応、まさに「裏の白い切符」だからである。
 背後を振り返ると、踏切は完全に遮断機が閉まっている。自動改札機の向こうでは、さっき接近してきていた西大寺行きの各駅停車が完全にホームに停まり、今まさにドアを開けようとしている。ここで見送ると、次の電車は少なく見積もっても15分後だ。どうする為栗。

 私は、近鉄郡山16時54分発の大和西大寺行き各駅停車に乗り、17時02分に西大寺に到着した。JR郡山駅前にあるりそな銀行やまと郡山出張所で預金取引をしたのが16時40分、JR郡山駅から近鉄郡山駅まで歩いて10分強かかる。それで近鉄郡山を出たのが16時54分。私はどうやって54分発に乗れたのだろうか。それは読者のご想像にまかせることにする。あまり感心されない(であろう)ことをしたのは確かだが、不正を働いたわけではないので寛容に願いたい。
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2006年05月15日

2006.01.12(木)(32)なかなか見つからなかった西大寺支店

 というわけで、本日最大の(伏字)を経て、西大寺にたどり着いた為栗であった。何が「最大」であったのか、ついでにそれもご想像におまかせする。
 駅の「南出口」を出る。大和西大寺駅は、駅舎内での改札の配置が完全にばらばらになっていて、また橋上駅舎でありながら駅のあっちとこっちとで越えられない。建物内の配置を変えて自由通路を作るぐらいはできないのだろうかと思う。他所者が愚痴りつつ(とはいえ市民にも同様に考える人は多いと信じる)、次なる目標・りそな銀行西大寺支店を探す。実は、今から行く西大寺支店は、事前のリサーチで支店の場所が把握できなかったのである。但し、リサーチの水準は非常に大雑把。徹底的に調べ尽くせば見つかったと思うが、都市部だし所在地で大体のことはわかるから、現地で探せばイイヤぐらいに思っていたのだ。
 私が今回用意している地図は、検索サイトgooの地図をプリントアウトしたものである。メモ代わりに惜しげもなく書き込めるところが良い。便利な時代になったものだ。この地図によると、駅の南側、公団西大寺駅前団地と書いてあるエリアの一角に、銀行のマークがついている。これはたぶん奈良銀ではないと思うのだが、奈良銀があるはずの場所にマークがついていないので、いちおう両方に行ってみた。地図上で銀行のマークがあった場所は、やはり奈良銀ではなく南都銀行であった。
 西大寺駅の南側をふらふらと歩く。駅の南側に面したビルは、公団西大寺駅前団地の商業棟である。駅に面した場所には、近鉄系の近商ストアが入っている。りそな銀行もこのビルにあるはずなのだが、どこに入っているのだろうか。
 目を皿のようにして探し、見慣れた看板を見つけた。あんな向こうだ。商業棟の南東角である。ここは7階建てくらいの複数のビルの谷間だから「あんな向こう」と見えたが、距離にしたら100mもないだろう。駅前から、南都銀行の西大寺支店を左に見つつまっすぐ南に進む。
 西大寺支店の夜間金庫は、どういうわけか取扱中止の張り紙が出ている。夜間金庫をやめてしまったのか故障しているだけなのか、その辺はよくわからない。張り紙を横目で見つつ、夜間金庫横のキャッシュコーナーに入る。この支店は、キャッシュコーナーがちゃんと設けられていて、その横がシャッターで窓口室と仕切られている。普通の銀行と同じような感じのキャッシュコーナーである。ATMはオムロンHXが2台。機械を操作。17時09分、西大寺支店を制覇した。
 西大寺支店は、1966年3月26日、三栄相互銀行9番目の店舗として西大寺駅の北口に開業、同年12月に南口の現在地に移転した。駅の北側には旧大和銀行の近鉄西大寺支店(大和銀時代は奈良支店)があるが、大和銀の支店は1971年の開設で、奈良銀の店舗のほうが古い。奈良銀の支店は、南口に開設準備をしていたところ工事が遅れたため、北口の喫茶店を急遽借用、仮店舗として営業開始していた。
 西大寺をはじめとする近鉄沿線は、1960年代の高度成長期、地価が比較的安かったことから急速に開発が進んだ地域である。西大寺では古くから南側が開けていたが、現在こちらは幾分寂れた側となっている。近鉄百貨店とジャスコの入った大型店「奈良ファミリー」など、商業施設は北口側に集積している。

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2006年05月16日

2006.01.12(木)(33)越すに越されぬ西大寺

 西大寺支店を取ったあと、今度は駅の反対側(北口)に行かなければならない。計画では、西大寺の駅の北口へ出て近鉄西大寺支店(旧大和店)に寄り道、それから平城支店の最寄りバス停の「押熊」へ行くバスに乗ることになっているが、さてどうしたものか。近鉄大和西大寺駅付近は、4方向への線路+車庫で分断されているうえ、橋上駅舎も通り抜けができないため、南口−北口間の移動がかなり大変なのである。線路を1本越えたからといって安心できないのだ。
 西大寺には過去2度来たことがあって、最初は近鉄西大寺支店制覇のとき。2回目は仲間内の旅行で橿原線西ノ京駅に集合したとき(西大寺から2つ先:この駅は薬師寺や唐招提寺の最寄り駅である)。後者の際、私は印鑑が必要になって急遽西大寺まで買いに戻ったのだが、そのときうっかり南口に出てしまい、ろくな商業施設がないは、橋上駅舎には自由通路がついていないは、北口へは歩いても歩いてもたどり着かないはで往生したのである。ただ逆に言うと、そのとき道に迷ったおかげで、今回は多少の心構えができているとも言える。塞翁が馬というところか。
 西大寺北口側の大ショッピングセンター、奈良ファミリーが線路の向こうに見えている。駅さえなければ奈良ファミリーはすぐそこなのだ。南口の南都銀行西大寺支店(旧中心部らしくこちらがメイン)の前を通り越して、駅のはずれまでやってきた。線路際の寂れたところにニッポンレンタカーの営業所がある。以前西大寺南口から北口へ抜けようと大苦労した際に、ニッポンレンタの営業所を見たのは覚えていた。確か、営業所の横が地下道になっていたような気がしたが…。
 確かに、地下道の入口を発見した。しかし、どうなのだろうか。ここを地下に潜った結果、私は前回苦労したのではなかったか。あの時は確か、駅の東方700mの平城宮址まで行かないと奈良線に踏切がなかったのだ。といって、この地下道が「確実に違う」のであればバッサリ捨てるが、人間の記憶は非常に頼りなくできている。ここであっさり見切るほどの自信は私にはなかった。とりあえず、ここを行ってみることにした。地図を見ると、橿原線をくぐるこの地下道の先に川沿いの道路があって、そこに出ると近鉄奈良線の下をくぐれるように見えたからである。
 道路は、線路に沿って下り坂になり、線路をアンダーパスするに十分なほど下がったところで線路の下に潜る。雨の日にはおそらくここは通行止めになるのだろう。地下道が再び上り坂になり、そこを上がりきったところで、私は「失敗こいた」と思った。というのも、地下道をくぐって上がった先は、奈良線の線路の南側だったからである。西大寺駅は、近鉄の線路が2方向から来て2方向に分かれて行く駅である。東西に走る奈良線は、西大寺駅の西側で北西側から京都線が合流、駅を抜けると今度は駅施設の東側で橿原線が南東方向に分かれていく。つまり、現状ではやっと1本橿原線を越えただけで、さらにもう1本奈良線を越えなければならないのである。
 しかし。
 越えられる越えられる。私は新たな地下道を発見した。近鉄の車庫の東側に新たなアンダーパスがあり、これがどうやら奈良線の向こう側に行く道のようだ。方角から見て、これを行くと奈良ファミリーの東側に出るのだろう。奈良ファミリーまで来れば、西大寺駅北口のもろもろはすぐそこだ。この道が記憶にないのが唯一の気がかりだが。
 アンダーパスを行く。奈良線を抜けたところで、よかった、奈良ファミリーが前方に見えてきた。位置関係からすると、奈良ファミリーの東サイドに向かって南側からアプローチしている感じだろう。難関峰に登頂して無事下山してきた登山家のような安堵感を、この時私は感じていた。

 奈良ファミリー付近は銀行の密集地帯で、みずほ銀行(西大寺出張所、旧第一勧銀)、南都銀行(西大寺北支店)、住友信託銀行(奈良西大寺支店)などがある。かつては旧さくら銀行も西大寺支店(旧太陽神戸)を出していた(撤退済み)。結構な金融の激戦区である。
 そして、りそな銀行は奈良ファミリーの南西、進行右側の雑居ビル1階である。旧大和銀行の奈良支店で、あさひ銀行との合併直前に改称されて近鉄西大寺支店となった。地図を見ると、支店の入るビルは「三和建設本社ビル」とあり、ビルの壁面には大きく「SANWA」の文字が光っている。既に夕方5時半近く、あたりは日没の遅い関西とはいえ真っ暗だ。
 支店に入ると、5時半だというのに窓口が開いていて、びっくり仰天する。このとき思い出したが、りそな銀行近鉄西大寺支店は、窓口を平日19時まで開けているのだ。奈良銀と合併する前には、この支店が奈良地域の中心となる支店であったが、それだけ激戦区だということなのだろう。りそな銀行で毎日7時まで窓口を開けているのは、池袋・上野・秋葉原・梅田・難波など繁華街の支店に限られ、もちろん奈良県では唯一ここだけである。なお、りそな銀行の支店窓口は、現在では「月〜木9〜17時、金曜9〜19時」というのが標準で、旧奈良銀の店舗のみ合併後の3か月間だけ9〜15時となっていた。
 近鉄西大寺支店の再訪は、17時24分のことであった。だいぶ疲れてきたのか、ATMの機種と台数については記録を残していない。旧大和店舗であるからメーカーはオムロンで、ATMレシートの紙の形状から「HXではない」ということがわかるのみである。
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2006年05月17日

2006.01.12(木)(34)18:03、平城支店を制覇

 あれだけ苦労して西大寺の北口にやってきたのは、近鉄西大寺支店を再訪する目的だけではない。次の目標である平城支店へ行くバス(奈良交通)が、近鉄大和西大寺駅北口から出ているからである。平城支店最寄りのバス停は「南押熊」。「押熊」行きに乗って、終点の一つ手前で降りる。予定では、西大寺駅前を17時40分に出る押熊行きのバスに乗ることになっている。奈良駅まで乗る予定だったJR桜井線の電車を京終で降りて以後、当初立てたプランからずっと逸脱していたが、ここでようやく元に戻ることになる。
 西大寺駅の北口にあるバス乗り場には、5時半前に到着した。2003年に来たときと比べ、バスターミナルは面積が広がっているように見えた。押熊行きのバスは、北口バス乗り場の一番東側、2番乗り場から発車する。時刻表を見ると、押熊線の次のバスは17時40分。当初予定どおりの便である。1本くらい早いバスに乗れることを期待していたので少しがっかりしたが、あれだけ思いつきで当初プランから逸脱しておいて、よく元に戻れたとも言える。
 発車10分前の時点で、バス乗り場には既に10人近い行列ができていた。バスが来たのは発車5分前くらいだったと思う。今朝五条から吉野まで乗ったのと同じ奈良交通のバスだが、奈良市近郊の路線は奈良交としてはドル箱であるようで、いかにも路線バスといった感じの大型バスである。
 17時40分、押熊行きのバスが発車した。車内はぎゅうぎゅうに混んでいるが、私は並び順が早かったので着席することができた。窓の外はもはや真っ暗で、風景もたいして見えない。埃臭い車内で私は大きな欠伸をする。窓下の壁に頭をもたれかけると、ディーゼルエンジンの振動がもろに響いてくるが、それでも頭を自分の肉体以外に支えさせる欲求のほうが強かった。バスが近鉄京都線の線路に沿って北上し、やがて京都線の踏切を東から西に越えて間もなく、私の記憶は途絶える。

 目を覚ましたきっかけが何だったかは覚えていない。ただ、バスは2車線すらないような狭い田舎道を走っていたから、終点がだいぶ近づいていたのは間違いない。車内は西大寺を出たときよりすいていたが、それでも結構な数の乗客がまだ乗っている。意外に遠いところまで乗る客が多いようだ。
 南押熊でバスが停まった。既にポケットに用意してあるバス代250円を払ってバスを降りる。吉野で買った回数券のうち2枚と現金50円である。私の他にも多数の乗客が降り、バスは一気に空っぽに近い状態となったようだ。
 さあ、平城支店に向かおう。これまでバスが走ってきた生活感あふれる道は、西大寺駅の東側から京都府精華町まで通じている県道奈良精華線の旧道である。200mほど東側を幹線道路が走っている。こちらは奈良精華線の新道で、けいはんな学研都市(後述)内の国立国会図書館関西館の前まで通じている。さっき西大寺で近鉄を越えた地下道の道は、200m東側の新道とつながっているらしい。
 南押熊の停留所は旧道沿いだから、界隈の風景は農村地帯そのものである。停留所から支店のほうに向かっている(はずの)軽自動車1台がようやく通れるくらいの細い道は、農業用水の側溝があり、ふた昔前くらいの木造農家がみられる。庭に柿の木が植わってカラスでも鳴いていたら「秋は夕暮れがをかし」といったところである。
 こういうのどかな風景も、視線を少し前のほうに動かしただけでたちまち意味合いが変わってくる。前方で煌煌と照らすライトアップ。あれは、家電量販店の「北関東のYKK」の一角、ケーズデンキの店舗である。地図によると「ケーズデンキおしくまパワフル館」とある。パワフルでも萎びていても構わないが、スクラップアンドビルドの著しいロードサイドと、頑なに近代化を拒みつづける農村、といった対照的な光景がここにはあると思えた。この地域は将来的には奈良市の表玄関になると目されていて、幹線道路の整備が進み、ロードサイドには郊外型の店舗が軒を連ねている。
 とにかく、南押熊から来たらケーズデンキが平城支店の目印である。目的地は近い。南押熊から歩いてきた細い道は、ケーズの敷地の北側で奈良精華線の新道にぶつかる。信号の向こう側に、りそな銀行の看板をつけたグレーの外壁の5階建てビルを確認した。さっそく建物に入る。そこには他行同様のATMコーナーがあって、オムロンHXが2台置かれている。窓際には、ステンレスパイプをジャングルジムのように組んで板ガラスをはめ込んだ飾り棚が置かれている。早速機械を操作。18時03分、平城支店を制覇した。
 平城支店は1990年4月9日の開業で、普銀転換して奈良銀行になってからの店舗開設第1号である。平城支店は、高の原支店(現存せず)と共に、開発が見込まれる奈良市西北部への先行施策として新設された。こうした土地柄における新店舗だけに、平城支店には開業当初から敷地内にドライブスルーATMがある。ドライブスルーのキャッシュコーナーは、店舗の南側、細長い敷地の南3分の2を占める駐車場内にあるが、どういうわけか支店のATMではなく「平城ドライブスルー出張所」という店舗外ATMになっている。
 県境に近い奈良市の西北部は、広大な土地が未開発のまま長年残されてきた。もともとは裕福な農村地帯であったというが、近年では「けいはんな学研都市」(関西文化学術研究都市)として開発されている。新しい学術研究の拠点を創出しようという国家的プロジェクトである。学研都市の足を担う近鉄けいはんな線(2006年3月開業)の終点・学研奈良登美ヶ丘駅は、平城支店のある奈良市押熊町から西北西に2kmほどしか離れていない。

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2006年05月18日

2006.01.12(木)(35)押熊から高の原へ

 平城支店は、今朝一番の五条支店から数えて12番目の制覇となった。今日の目標はあと3店。第13目標はついに奈良県を飛び出し、旧奈良銀唯一となる京都府内の支店、学研木津川台支店(京都府相楽郡木津町)である。但し、ここは行政区は京都府だが、奈良市の延長のような場所であるらしい。
 学研木津川台支店の最寄り駅は、近鉄京都線木津川台。ここは大和西大寺から数えて4つめの駅である。となれば、西大寺まで戻って近鉄に乗り換えることをまず思いつくだろう。しかし、私は困った性格を持っている。「単純往復が嫌い」なのである。
 というわけで、単純往復にならないようリサーチしてある。平城支店の北側500mほどの場所を、別の幹線道路「ならやま大通り」が東西に走っている。この道は平城支店が面する県道奈良精華線と直交しているが、その交差点そばに「押熊北口」というバス停がある。この路線は、さっき西大寺から乗ってきたのとは全く別の、学園前駅(奈良市)と高の原駅(同)を結ぶ奈良交通の路線である。本数は1時間に1本程度。しかし、この路線の高の原行きは、押熊北口18時23分発と実に都合が良いのだ。支店からの歩行距離を考えると、まさに絶妙のタイミングである。加えて、バス代は高の原まで240円と西大寺まで戻るよりも10円安いうえ、近鉄の電車賃も高の原→木津川台150円と西大寺から行くより安い(西大寺→木津川台250円)。もっとも、今回私は乗り降り自由の切符を使っているから、近鉄の運賃はあまり関係ないのだが。
 支店前の道をまっすぐ北へ。平城支店が面している奈良精華線新道は、中央分離帯もついた4車線道路である。この道はロードサイド型の電気店が集中していて、支店の向かいにケーズデンキがあるのは前に述べたが、支店の北隣はミドリ電化の店である。ミドリ電化の壁には、タレント赤井英和を起用した「アカイはミドリ」という大きな垂れ幕がかかっていて、掛詞の大好きな私の琴線に触れた気がする。その他、出す料理の種類をファミレスより絞ったロードサイド型の料理店と、カーディーラーも目に付く。阪急系の文教堂書店が、ロードサイド型の書店を出していたりする。
 10分も歩くと、中央分離帯のない4車線道路と交差する交差点にたどり着いた。これが「ならやま大通り」であるらしい。角にはサーティーワンアイスクリームがあり、道の反対側にはラーメン屋とガソリンスタンドが見える。東の方向に向かうバス停のポールはガソリンスタンドの前に見つけた。ミスドで買ったパイをかじりながらバス停で待っていると、間もなくバスがやって来た。バスの車内では、先ほどに続いて睡魔に襲われる。奈良大学(私立)のそばを通ったことだけ覚えているが、他では眠り込んでしまっていた。
 終点の高の原駅が近づいてきた。目を覚ました私は、度肝を抜かれる思いがした。
 でかい。高の原の第一印象はこれだった。高の原は前述の「けいはんな学研都市」の中心にあたる土地だが、これほど大規模な開発がなされていたとは今の今まで知らなかったのである。現地を踏んでみないと分からないことというのがこの世には多数あるものだ。後で聞いたところによると、けいはんな学研都市は、東のつくば(筑波研究学園都市)と並ぶ規模の国家的プロジェクトだそうである。なるほど、国家的プロジェクトであるからこそ、国会図書館(関西館)があるのだ。初めて合点がいった。
 終点・高の原駅前でバスを降りた。この駅のバスターミナルは、屋根つきのプラットホームが10本近くもあっただろうか、「大バスターミナル」と表現して差し支えあるまい。高の原駅の西側には「サンタウン高の原」という商業施設が開かれている。サンタウンは、首都圏でも多摩センター並みと思える規模の開発のされ方で、本当に大規模であると感じる。高の原の駅およびバスターミナルとサンタウンとの間には、中心となる道路が貫通し、車がビュンビュン行き交っているが、この道路も片側3車線という大規模なものである。大規模大規模と主観的な書き方ばかりしているが、それほど規模の大きさが印象に残ったということである。
 腹が減った。高の原のサンタウン内には、ミスタードーナツ「高の原ショップ」がある。ミスド店の制覇を兼ねてほんの少しだけ疲れを癒すことにする。

 りそなめぐりは、りそな銀行のATMが稼働していて初めて行える。今、18時55分だから、ほぼ夜7時。ATMの営業時間は9時までだから、あと2時間で否応なくすべてが終わってしまう。私の今日の目標は、東生駒支店まで全15店の完全制覇を済ませることである。あと2時間で、学研木津川台を含め3支店を取らなくてはならない。
 ミスドでまったりし過ぎてしまい、数分遅刻してしまった。当初のプランで乗る予定にしていた電車は、高の原18時49分発の普通京都行き。しかし、京都線の各駅停車は15分おきにしか来ないから、結局その次の19時05発に乗ることになった。スケジュール的には、東生駒のフィニッシュ予定が8時半頃と多少の余裕を持たせてあるので、今日中に予定の箇所は回れるとは思うのだが。
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2006年05月19日

2006.01.12(木)(36)発展途上の木津川台住宅地

 高の原から2つ目、近鉄木津川台ニュータウンの最寄り駅である木津川台で降りる。対向式、つまり複線の線路の両側にホームが1本ずつへばりついた形の駅で、各駅停車しか停まらない。事前のリサーチでは畑の真ん中ということだが、夜になっているので詳しいことはわからない。但し、建物のない真っ平な土地が広がっていることだけは少なくともわかる。なお、「近鉄木津川台ニュータウン」という言い方は近鉄サイドではしておらず、「近鉄ニュータウン木津川台」もしくは「近鉄木津川台住宅地」というのが正しいらしい。
 改札を出て、木津川台住宅地方面と書いてある右側へ向かう。駅舎の階段最上部はガラス張りになっていて、コンビニのエーエムピーエムが見える。APの向こう側には「Harves」(ハーベス)と英語(なのかどうかは知らない)と書かれた黄色い看板が見える。これは近鉄のスーパー部門・近商ストアが経営する高級スーパー「ハーベス木津川台」である。手許の地図からすると、目指す学研木津川台支店はAPの延長線上、ハーベスの隣りにあるようだ。
 駅の階段を降りて、まず右に曲がる。近鉄の線路と住宅地のある高台との間を、JR片町線とニュータウンへの取付道路が走り、その向こうにAPが見える。コンビニの行灯看板がひときわ目立つのは、畑の真ん中にあるせいだろう。JR片町線には「学研都市線」という別名がつけられているが、同線に木津川台駅は設けられていない。
 木津川台ニュータウンへは、JRと道路とをアンダーパスする必要がある。駅前からニュータウン方向へ、駅前を線路と直角に流れる小川(農業用水路か)に沿って狭い道が延びている。車も通ることのできない川沿いの道は、下り坂の始まりと同時に道幅が一気に半分になり、その状態で水面に向かってスロープになっている。スロープのおかげで、橋最下部との間の限界は2.6mとなっていて、天井に頭がつくほど低くはない。なお、東側には近鉄の線路をくぐるアンダーパス(川沿いのスロープ)が片町線と同様にある。
 スロープを上がったところで、道は木津川「台」の壁に突き当たる。右側には駐輪場が広がっている。ここで左に曲がって川を渡ると、さっき駅から見えたエーエムピーエムの背後に回り込んだことになる。事前のリサーチで結構遠いイメージを持っていたのだが、どうということもない距離感である。エーエムピーエムの前は結構な幹線道路のようで、車がビュンビュン走っている。
 ようやくニュータウンの入口にたどり着いた。ここは、ニュータウンの中央大通り(という名前かは知らない)が崖っぷちに突き当たって終わっているところで、APの前を南北に走りニュータウンの外へ行く道と、北西方向に斜めに進むニュータウン内の道とで4叉路(十字路でなく)になっている。北西角に、平屋建てのスーパーマーケット「ハーベス木津川台」が見える。
 APのある場所と中央大通りとの間には、1m近い高低差があって、交差点には駅裏の道から直接つながる3〜4段の階段がついている。この段を上がると、一気に木津川台のニュータウンの入口に立つ。
 この交差点から北に向かってハーベスの横を走る道は、通行止めになっている。この道の取り付け部分の横断歩道を意味もなく渡る。バリケードには「木津川台駅アクセス道路整備工事、発注者木津町建設課」などと書いてある。工事と称して通行止めにしてしまっても平気なほど重要度が低い道路なのか。実際、ニュータウンの入口に立っただけで、未分譲の土地が多そうなことは何となく察しがつく。それでも、ハーベスというのは前述のとおり高級スーパーだから、このニュータウンには所得の高い層が住んでいるのだと思われる。
 目指す学研木津川台支店は、ハーベス木津川台の建つ向こう側にあるはずだ。AP横の階段を上がって大通りに出ると、見慣れた人なら1×1.25倍ぐらいの縦横比をした「りそなクイックロビー」の行灯看板が街路樹の向こう側に見える。私はもちろん「見慣れた人」であった。安心した。
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2006年05月20日

2006.01.12(木)(37)19:22、学研木津川台支店を制覇

 ハーベスに近づく。その向こう側に三角屋根の平屋建ての建物が見え、りそな銀行の縦看板も見えた。屋根のてっぺんには、半円形の明り取り窓が3つついている。銀行の店舗は「ハーベス木津川台」と同じ敷地の西側。事前のリサーチによると、現在りそな銀行の店舗となっている建物は、ニュータウン開発初期からあった近商ストアの移転跡だそうである。
 りそなの支店の隣、建物の左端は、何と南都銀行のキャッシュコーナーである。木津川台出張所(店舗外ATM)、母店は山田川支店(山田川は奈良寄り隣駅)。この建物が奈良銀の持ち物でなかったからだろうが、それにしても奈良銀行と同じ建物に南都銀行が入っているというのはうら悲しいものがある。
 制覇を済ませてしまおう。支店に入ると、キャッシュコーナーには例によってオムロンHXが2台。ここはちゃんとしたATMコーナーを備えている。そして、この支店の「子供の本のへや」は、ATMコーナーと一体になっており、ATM営業時間中は開放になっている(いちおう「あさ9じ〜ゆうがた5じ」という看板は出ている)。
 靴を脱いで上がって『ぐりとぐら』でも読みたいところだが、この後の予定を考えるとゆっくりもしていられないのでATMを操作する。19時22分、学研木津川台支店を制覇した。
 学研木津川台支店は、奈良銀行の京都府内初の店舗として1996年6月24日開設された。当初は高の原支店木津川台出張所といったが、翌97年11月4日には早くも支店に昇格、その際に「学研」の2文字が付いた。奈良銀にとっては大阪支店(現桜川東支店)に次ぐ県外進出ということになる。もっとも、行政区は京都府でも奈良県の延長のような場所であるのは前述のとおりである。
 支店昇格の際に「学研」とついたのは、けいはんな学研都市の「精華・西木津地区」中にこの団地全体が組み込まれているからである。出張所開業当初の母店だった高の原支店は、りそな銀行との合併前に廃店されたが、学研木津川台支店は営業を続けている。学研都市の一部で教育水準の高い富裕な居住者が多く、リテールのマーケットとして有望ということなのだろう。それを言うなら高の原も学研都市の一部(平城・相楽地区)だが、こちらは、約30年間続いた開発と販売が1998年に終了しており、また三井住友・南都・京都の3行が進出している金融激戦区でもある。
 学研木津川台支店のある近鉄木津川台ニュータウンは、開発がなかなかスムーズには進まなかったようだ。この団地は1986年12月に開発が始まり、住宅地の分譲開始は1989年5月。最寄り駅となる近鉄京都線木津川台駅も1994年9月の開業で、90年代になってから形を整えてきた(奈良銀の出張所は前述のとおり96年の開設である)。この団地は近隣に駅ができるというのがセールスポイントだったが、ニュータウンの分譲開始後に駅がなかなか開業せず、開発した近鉄不動産は非難を浴びたという。バブル崩壊後には売れ残った分譲地を過度に値下げして販売したとして、先行購入者が近鉄不動産を訴えたりもした(1998年大阪地裁で原告敗訴)。そして、木津川台ニュータウンの地元・木津町は急速な都市化を望んでいなかったようで、近鉄は木津川台駅近くにはコンビニ1軒しか出せなかった(近鉄はエーエムピーエムのメガフランチャイジーである【追記】)。
 なお、木津川台駅から学研木津川台支店までの道筋を写真で説明したwebページがあるので、ご参考までに紹介する(こちら)。現「ハーベス木津川台」がただの「近商ストア」になっているなど、数年前の木津川台の状況がわかる。もちろん、銀行の看板は奈良銀行となっている。

【2006.05.28追記】近畿日本鉄道は5月24日、コンビニエンスストア事業の子会社「エーエム・ピーエム・近鉄」(本社大阪市)の経営権を、回転すしチェーンのカッパ・クリエイトに譲渡したと発表した。エーエム・ピーエム・近鉄は1995年に近鉄グループが設立、エーエム・ピーエム・ジャパン(東京・港)と地域フランチャイズ契約を結び、「am/pm」を大阪・京都・奈良・三重・和歌山の各府県に171店(2006年2月末)出店していた。06年2月期の売上高は約56億円だった。

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2006年05月21日

2006.01.12(木)(38)京都府に別れを告げる

 つかの間の京都府に別れを告げ、再び奈良県に戻る。次の目標は、奈良市西部の高級住宅地・学園前の南1km余、学園大和町(がくえんだいわちょう)支店である。
 目標は学園大和町を含めてあと2か所。最後の東生駒支店(生駒市)は21時ぎりぎりに滑り込めばどうにかなるが、学園大和町が駅から距離的に微妙なので、少し心配している。もっとも、宿は定宿としている大阪・難波のカプセルホテルにするから、仮に最後の東生駒支店を取りこぼしたとしても、翌日朝一番で奈良県に戻り、そのあと桜川東支店(旧大阪支店)に向かうことも可能だ(桜川東支店は窓口営業時間内にしか制覇活動ができない。ATMが窓口室にしかないため)。ただそれだと、1時間以上の時間と、難波からの往復交通費をロスすることになる。明日には明日の予定があるし、近鉄の切符代は高いので、それでは少し困ってしまうのである。
 木津川台駅まで戻る。ハーベス木津川台東側の4叉路から前方に、木津川台の駅が煌煌と輝いている。周囲はもうすっかり闇に包まれているし、団地そのものが高台の上にあるから、駅はさしずめ不夜城といったところか。この交差点は、駅との位置関係からして、駅の方向に駆け出したくなるはずだ。しかし、ここでそれをやると、絶対に駅にはたどり着けないのである。手前にあるエーエムピーエムの裏手に回らなければならない。
 さて、JR片町線をくぐって川沿いに歩いてくると、前方の近鉄の線路を右方向に発車していく電車が見えた。片町線から見て右方向というと、西大寺方面。乗ろうと思っていた電車が今行ってしまったようだ。近鉄京都線は各駅停車が15分に1本しか来ないから、かなり痛い。
 一気に疲労感を感じたので、エレベーターに乗りたくなった。近年のバリアフリーの動きはこの駅にも及び、木津川台駅にはエレベーターが配備されている。エレベーターは階段を直角三角形の斜辺とすると垂辺にあたる場所にある。ようやく駅舎に上がって時刻表を見る。乗る電車は19時43分発の大和西大寺行き各駅停車になりそうだ。
 木津川台方向の闇から轟音が響いてきたので見ると、片町線の電車が全速力で走り抜けていた。ここで北に向かう片町線の電車は、大阪方面である。甘南備丘陵を大きく北に迂回し、京田辺市などを通って、大阪府に入ってからは南西方向に京橋を目指す。京橋から東西線大阪市内経由で尼崎に抜けた先には、2005年に107人の犠牲者を出した脱線現場がある。ダイヤを調べてみるとこの電車は快速篠山口行きだから、1時間後にかの現場を通る電車である。車両も事故を起こしたのと同じ「207系」だ。

 43分に乗ったら、学園前に何時に着くのだろうか。学園前駅から、大和町まで行って帰ってきて、なおかつ東生駒まで行かないといけない。それとも、東生駒を先に取ったほうが賢いだろうか。東生駒支店は東生駒駅の中にあるから、駅に着きさえすればすぐに用事を済ませて折り返して来られるはずだ。東生駒を先にしたほうが賢いかもしれない。
 ケータイのダイヤ検索で、木津川台から東生駒までを調べてみる。東生駒に20時11分に到着するとある(木津川台19:43→19:53西大寺20:02→20:11東生駒)。西大寺から東生駒までの所要時間がわずか9分というのは、急行か何かがあるのだろう。東生駒支店を制覇し、東生駒駅前にはミスタードーナツがある(東生駒ショップ)ので制覇のための買い物をし、それから学園前に戻ることになる。
 私は今日、学園大和町支店まで取れるのだろうか。ちょっと不安になってくる。高の原でのんびりし過ぎた。東生駒を先にしても、ひょっとしたら学園大和町を取れないかもしれない。どうしよう。
 反対側のホームを京都行きの特急が通過していった。
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2006年05月22日

2006.01.12(木)(39)20:18、学園大和町支店を制覇

 20時01分、私は難波行きの快速急行を学園前駅で降りた。
 電車の中でもろもろ考えた結果、慎重居士の私は一つの決断を下した。学園大和町と東生駒、2つの支店を今日中に制覇するのは無理だ。であるならば、大阪を起点とする明日の行動がスムーズに片付くよう、大阪に一番近い支店を未制覇のまま残すことにしたのである。逆にいうと、学園大和町支店は確実に押さえようということだ。
 学園前は、近鉄沿線のみならず近畿圏でも屈指の高級住宅街である。私が快速急行を降りた反対側のホームでは、特急が停車して客を降ろしている。夜間の近鉄奈良線下り特急は、学園前に住む企業重役のためのステイタス列車と化しているようだ。東京周辺でいうと、さしずめ「国鉄時代の湘南電車のグリーン車」といえようか(国鉄時代、というところがミソである)。というわけで、学園前は近鉄としてもかなり力を入れている駅のようで、ホームから地下の改札に向かうエスカレーターは上り用と下り用の両方を備えている。
 学園大和町支店までの経路は、すでにリサーチしてある。学園前駅南口から学園大和町5丁目行きのバスに乗り、同3丁目で降りる。このバス代は現地まで200円である。吉野で1000円出して買った奈良交通の回数券は、ここで1100円分の券片をやっと使い切り、まる1日かけてバス代をやっと100円浮かせたことになる。
 というわけで、学園前駅の南口2番乗り場から、学園大和町5丁目行きのバスに乗る。バスは20時08分発車である。車はさっき西大寺から押熊まで乗ったのと同様の大型バスだが、窓から見える景色はかなり違う。再開発中の雑多な町並みが殺風景な西大寺と違い、学園前のバスターミナルは駅内の商業施設のイルミネーションが華やかである。
 バスが発車してからのことはあまり覚えていない。左側の車窓に草の生えた斜面が見えて間もなく右折し、同時に急坂を下った記憶があるから、道順としてはおそらく駅前から南下して奈良西警察署の角で右折したのであろう。
 当初のリサーチどおり、バスを学園大和町3丁目で降りる。降り際に運転士に奈良銀行の場所を尋ねると、停留所で降りてさらに先へ進んだ交差点の角ということだった。
 あった。交差点の角にある3階建ての雑居ビルで、支店の正面入口は角部分にある。窓口閉店後のシャッターは、キャッシュコーナーのスペースが45度の直角二等辺三角形となるように、斜めに設けられている。ATMは、三角形をしたキャッシュコーナーの両側の鋭角部分に1台ずつ並んでいる。例によって機械はオムロンのHXである。ATMを操作。20時18分、学園大和町支店を制覇した。
 学園大和町支店は、1977年6月17日、現在地で「学園前支店」として開設された。三栄相互銀行としては15番目の店舗となる。普銀転換に伴い、1989年4月1日現名称に改称した。奈良銀としては、大和町だけでなく駅前への進出も狙っていたためである。そのもくろみは、大和銀行の近鉄学園前支店が現在地に移転(1991.10.07)、その店舗跡に新・学園前支店を開設(1991.11.25)することで達成した。但し、奈良銀の新・学園前支店は、その後2004年3月に統合されている。
 学園前駅の周辺は広大な高級住宅地で、旧三菱銀行が奈良県唯一となる店舗を1993年に出店したのもこの地である。駅名の「学園」とは帝塚山学園のことで、関西屈指のお嬢様学校である帝塚山学院(大阪市住吉区)の姉妹校である。帝塚山学院は、創立25周年および紀元2600年の記念事業として、中高一貫校および大学を擁する一大総合学園を作り、さらに学園を中心とした文化都市を建設しようと企図。これにより1941年、現在の学園前駅南口に帝塚山「学園」が誕生した。近鉄(当時関西急行電鉄)学園前駅の開業は1942年3月、その後駅周辺では1950年から大規模な宅地造成が開始され、大和町の界隈は1963〜66年にかけて開発された。

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2006年05月23日

2006.01.12(木)(40)本日最後の目標、東生駒支店へ

 学園大和町支店を思いのほか早く制覇できてしまったので、半分諦めていた東生駒支店の制覇が急にクローズアップされてきた。学園前駅に戻るバスがあるだろうか。バス停に戻ってポールの時刻表を見ると、次のバスは20時20分発とあるからすぐだ。おそらく、私が今乗ってきたバスが折り返していくのだろう。
 すぐに来たバスは、思ったとおり私が往路で乗ったバスであった。定員いっぱいの通勤客を団地に運んだ帰りであるので、往路と異なり車内は空っぽで、乗客はほとんどいない。
 駅からの距離に応じて運賃の異なる往路と異なり、復路では運賃先払いとなる。乗り込んで奥に進もうとした私に「先払いです」と声をかけた運転士は、私が財布から硬貨を出して運賃箱に投入するまで、バスを発車させようとしなかった。それが商売というものなのだろうが、憎たらしく感じた。乗り逃げなどするものか。とはいえ、乗客がないということは途中での停車もないということで、大和町を出てからわずか6分ほどで学園前駅に戻ってきた。非常にスムーズである。一度は諦めた東生駒支店だったが、やっぱりどうにかなりそうである。希望の光がかすかに見えた気がした。
 学園前のタイムリミットが何時かだけ、事前に調べてある。東生駒駅内にある東生駒支店に21時までに入るためには、学園前20時48分発が最も遅い電車である(東生駒20:53着)。今まだ8時半、論理的には学園前での持ち時間があと20分弱あるということになる。というわけで、駅の北口側にある近鉄学園前支店(旧大和)に寄り道することにした。
 近鉄学園前支店は、北口の駅前ビル「パラディ」の1階にある。今いるのは南口だ。少し遠いと思っていたら、切符売り場の横に連絡通路を発見、2003年5月11日に制覇して以来の近鉄学園前支店再訪となった。近鉄学園前支店は1982年6月に開設され、91年10月に現在地に移転してきた。

 東生駒支店が今日中に取れることになったが、油断はできない。小学校の遠足で、引率の教師が「遠足は家に帰るまでが遠足ですからね」と言っていたのを思い出す。りそめぐも、最後の拠点を制覇するまでがりそめぐなのである。
 切符を買って駅構内に入った。吉野の越部駅から始まる奈良県内の大移動で今日一日役立ってくれた「奈良大和路スルーパス」は、ここ学園前より西側は有効区間外となる。ついに近鉄電車に切符を買って乗らなければならない時がきた。学園前から東生駒までは200円である。所要時間は5分。
 学園前20時36分発の普通難波行きに乗る。学園前から東生駒までは2駅、間に富雄をはさむだけだ。富雄には近畿大阪銀行が富雄支店を出しているから、将来近畿大阪がりそなとシステム統合して旧あさひ銀行のシステムに合流したら「近畿大阪めぐ」で訪れることになるだろう。あっという間に東生駒に到着する。ホームに降り立つと、3月に開業予定のけいはんな線の線路が見えた。けいはんな線はこの駅の東側で北に曲がっていくのだが、東生駒に駅は設けられていない。
 東生駒駅の改札は、3階にあるホームの下である。階段を下りて直進すると自動改札機の並んだ出口。地平からタクシー用のスロープが改札前まで直結していて、改札を出て直進すると目の前がタクシー乗り場となる。改札の左側には高級スーパーの「ハーベス東生駒」があり、正面階段は斜め右側である。奈良銀行は改札を出て正面の階段をそのまま降りればすぐ右側である。
 階段の存在を無視して右にまっすぐ行くと、右正面にりそな銀行の縦型看板が見える。これに目を取られてしまうと、その先にあるのは店舗外ATMなので、だまされることになる。以前来たことがなければ私も一度はだまされていたに違いない。看板のすぐ外側に、カマボコ型の屋根を持った店舗外ATMの部屋が並んでいる。右から三井住友・りそな・京都の順で、三井住友は「ATMサービス西日本支店東生駒出張所」となっている。かつては生駒支店あたりのATMだったのだろうが、三井住友は最近店舗外ATMの母店を地域の支店から「ATMサービス支店」に変更しつつある。手数料無料の同一店内振込を根絶するためであろう。このATMは機械上部の表示が黄色いので、旧住友銀行のATMである。りそなは母店が近鉄学園前支店で、旧大和の店舗。そして、京都銀行の母店は何と高の原支店だそうである。奈良市のはずれから生駒市のATMを管理しているのに驚く。これらの隣に、なぜかマクドナルドがあったりする。あくまでATMと同じ建物で、京銀の隣がマクドである。
 東生駒支店には奈良銀の時代に1回来たことがあるので、おぼろげに様子を覚えている。支店は、カマボコ型の屋根を持つATMコーナー前の階段を下り、左にヘアピン的に曲がった左側のはずである。半分自信があって、半分自信がないという感じで階段を下りていく。
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2006年05月24日

2006.01.12(木)(41)20:45、予定の15店を完全制覇

 「りそな銀行」の横型の大きな行灯看板が目に入った。奈良銀の支店で看板が行灯になっていたのは、ここが初めてではないだろうか。早速支店に入る。この日撮った写真を見ると、ATMはオムロンHXが2台写っているが、もはや記録を文字で残しておく気力は失せていたようだ。息も絶え絶えに機械を操作。20時45分、東生駒支店を制覇した。
 東生駒支店は1969年7月23日の開業で、三栄相互銀行としては10番目の支店。開業当初から東生駒駅高架下の現在地にあり、改札を降りてすぐの好立地である。1993年には店舗面積を倍増させる大改装を行った。
 東生駒が住宅地として発展を遂げたのは、この地に駅ができたことがきっかけである。近鉄奈良線は、1964年7月の新生駒トンネル開通など線路改良により、車体長20mの大型車両が走行できるようになった。これにより、上本町−生駒間で設定されていた近鉄奈良線の各駅停車は、生駒駅での折り返しが設備上困難となったため、折り返しのできる新駅を生駒駅東側1.2kmの地点に建設した。近鉄東生駒駅はこうして1968年3月20日開業した。2006年3月のダイヤ改正まで、奈良線の各駅停車のうち半数は東生駒−難波間で運転され、東生駒から難波方向へは普通列車の本数が倍増していた。
 駅の真下を国道168号線が直角に横切る。この道がこの付近のメインストリートであリ、また生駒市旧市街の東縁となっている。駅周辺は支店開業当初は閑散としていたようだが、現在では一戸建て住宅とマンションがびっしり建ち並んでいる。駅の南側にロータリーとバスターミナルがあり、駅舎の1・2階には近商ストアの高級スーパー「ハーベス」が店を構える。
 東生駒支店は東生駒駅の南口にある。バスターミナルから見ると、右側に高級スーパー、中央に駅に上がる階段、そして左側にりそながあって、電車に乗るか銀行に行くかという一等地に見えるのだが、電車に乗ってくると場末にあるような印象を受けてしまうのが不思議だ。とはいえ、ここにはKCN(近鉄ケーブルネットワーク)のスタジオと本社ビルがある(駅前ロータリー横)。首都圏でいうとイッツコム(東急ケーブル)の本社がたまプラーザにあるのと同じような感じだ。鉄道会社の力の入れ方と駅としての重要度とが比例しないニュータウンの駅、という点で、東生駒はたまプラーザと似ている気がする。

 2006年1月12日・木曜日、20時45分。東生駒支店をもって、りそな銀行旧奈良銀店舗のうち奈良県内の制覇が全部終わった。明日、旧大阪支店である桜川東支店を制覇し、これで旧奈良銀店は完全制覇となる。
 五条から東生駒までの旧奈良銀店15店を、1日でどうにか回りきったことになる。さすがに旧大和・旧あさひ店まで含めての全店は無理だった。公共交通機関ではなく車なら可能だろうが、それはそれで駐車場所に頭を悩ませることになる。特に学園前あたりでは厳しいだろう。
 最後にドーナツ屋で軽くブレイクしよう。ミスドの「東生駒ショップ」でスープを注文する。今日の目標は全部片付き、後は宿で寝るだけである…予約していないのだが。東生駒ショップは、ミスド店の本日6軒目の制覇となった。ミスドで1時間ほどゆっくりしてから、大阪で定宿にしている難波のカプセルホテルに向かう。前述の新生駒トンネルを抜けた石切(東大阪市)で右車窓に見えた夜景は、一日の疲れを少しだけ癒してくれた気がした。

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2006年05月25日

2006.01.13(金)(1)大阪での一夜を過ごした後は…

 宿泊施設にもいろいろあるが、カプセルホテルは最も安く泊まれる施設の一つである。
 12日の晩は、大阪に来ると必ず泊まるカプセルホテルで一夜を過ごした。私がふだん利用しているのは、難波のビックカメラ前にあるガラス張りのレジャービルである。施設はだいぶくたびれてきているが、バブル期の建設だけにつくりがしっかりしているようで、居心地は悪くない。このビルができたのは私が高校を卒業した頃だったと思うが、ここのカプセルホテルはビルができた時から愛用している。私は大学受験浪人の頃、結構頻繁に大阪まで出掛けていた。バブル華やかりし頃の思い出である。
 前夜は、東生駒のミスドを10時の閉店前に出た。近鉄で難波に着いたのは10時半頃。無性に空腹感を感じてチェーンの定食屋に入り、ステーキ2枚で880円という値段だけ高級な「ダブルステーキ」なるメニューをオーダーしたところ、これで880円なのかと思う貧相な料理が出てきてがっくりと肩を落とした。その後宿に入り、夕飯の前に寄ったコンビニで買ったビールを飲んで、12時頃にはもう寝息を立てていたはずである。
 朝は7時にアラームをセットしていたが、アラームを止めてまた寝てしまったため、再び起きたのは館内放送でチェックアウト(10時)の案内が流れた9時のことであった。前の日のうちに奈良県内を全部(東生駒支店まで)制覇しておいてよかった。今日唯一の制覇目標である桜川東支店(旧奈良銀大阪支店)の前に一仕事、などと考えていたら、明らかに大遅刻である。あるいは逆に、東生駒が残っていたら、緊張感から7時にきちんと起きられたのかも知れない。どちらにしても、今日は9時に起きていたのでは遅いということである。

 基本的に風呂は朝入ると決めている。入浴・着替えの後、宿を出たのは9時45分であった。これから向かうのは、合併でりそな銀行桜川東支店となった、旧奈良銀行の大阪支店である。桜川は難波の西1kmほどの地区で、地下鉄千日前線では隣りの駅である。古くは道頓堀川を中心とした材木問屋・海運会社などで栄え、戦後は材木置き場や市電の車庫など閑散としたイメージの場所となった。
 今回は桜川まで地下鉄で行くことにした。地下鉄で1駅なら私は歩くことにしていて、現に過去何度か難波から奈良銀大阪支店まで歩いたこともあるのだが、今日ははっきり言うと面倒くさくなったのだ。難波の東寄りにあるカプセルホテルは、千日前線では難波と日本橋(にっぽんばし)の中間地点に相当する。難波ではなく日本橋から地下鉄に乗って「2駅」とすれば、高い大阪市の地下鉄でも乗るのは仕方がない。このように理論武装した上で、私は日本一(日本橋1丁目)の交差点から地下鉄駅の構内に足を踏み入れた。
 腹が減った。宿を出るとき、朝飯を食べる店を日本橋で探そうと思っていたが、気の向く店がないので桜川まで出てしまうことにした。堺筋線のホームに直結の改札を入り、左に進んで左の階段を降りると千日前線のホームである。目的地の桜川は2つ目の駅だ。
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2006年05月26日

2006.01.13(金)(2)10:25、旧奈良銀店舗全店制覇達成

 大阪市営地下鉄千日前線のラインカラーはピンクで、桃色のカラーシートを車体外板につけたステンレス製の電車が4両編成で運転している。駅の施設は6両対応で作られたため、ホームの長さは十分過ぎるほどで、出口に通じる階段がホームの両端にある場合には、電車が停車しない部分にステンレス製の柵が取り付けられている。
 私を乗せた電車は、定時より2分遅れの10時02分に桜川に到着した。予定どおり、腹ごしらえをしてから目指す桜川東支店に向かうつもりである。
 地下鉄桜川駅には入口が1番から7番まであるが、どういうわけか6番だけ欠番になっている。東西に長い桜川駅の西端は、東西に走る千日前通りと、南北に走るあみだ池筋とが交わる、桜川2丁目交差点の真下にあたる。1番は北西角で、旧大和銀行(現りそな銀行桜川支店)の前。北東角の2番は大阪市信用金庫の前。大阪市信用金庫は「市信」(ししん)と呼ばれ、だいしんこと大阪信用金庫とは別物である。3番は何があるか知らないが南東角、4番が桜川交番前。南海汐見橋線の汐見橋駅は4番が最寄りである。一方、駅の東側は、かつて市電の車庫であった市有地に合わせて設けられたようで、5番が市バスの車庫(大阪市交通局幸町車庫)になっている。6番は前述のとおり欠番で、7番は千日前筋をはさんで市バス車庫の反対側。旧奈良銀行(現りそな銀行桜川東支店)の最寄りは5番、市バス車庫側の出入口である。
 腹ごしらえをする店を探して、駅の西側、桜川二丁目交差点の出口を出た。たしか南東角の3番出口だったと思う。交差点の対角線上、つまり北西角には、りそな桜川支店の入る「りそなアルテ桜川ビル」(1986年12月築)の近代的な外観が見える。同じ交差点の北東角には、何年の築かは知らないが、天井の高い重厚なコンクリート造りの銀行建築(大阪市信用金庫桜川支店【注3】)。そして、今いる南東角にはファミレスのロイヤルホストがあるが、ここはやめよう。昨夜「めしや丼」で食べた「ダブルステーキ」880円のショックが大きい。節約しなくては。
 結局、さらに千日前筋を東に歩き、通りの南側に面した「なか卯」で親子丼を食べることにした。

 飯を済ませてなか卯を出る。なか卯の前にある信号は、桜川東支店が入居するビルの2軒西隣である。ちょうど看板業者が来ていて、通りに面した場所の縦型看板を取り外している。あれは奈良時代には「奈良銀行」の黄緑色の看板だった。「りそな銀行」のものに付け替えずに外しているのは何か理由があるのだろうか。そう思っていたら、やはりというか何というのか、りそな銀行は4月14日、桜川東支店を桜川支店に統合すると発表した。統合は6月19日(月)付。
 桜川東支店は「清光ビル」という黒い外壁をしたビルの2階に入っている。1階は「ピタットハウス」という不動産屋である。奈良銀の店舗は、入居当初は1階の不動産屋の場所にあったが、営業室を2階に移転して1階はATMコーナーのみとなり、さらにATMコーナーも廃止(窓口室内に移転)して完全に空中店舗となった。従って、この支店の制覇可能時間は平日の9〜15時のみである。合併当初15時までの営業時間であった旧奈良銀店舗は、奈良地域内については2006年4月から17時までの営業となったが、この支店だけは15時閉店のままで統合を迎える。
 支店の入居する清光ビルは、奈良県の山林家である岡橋家の持ち物だそうで、これはビルのテナントを見ると納得がいく。このビルは9階建てで、2階の奈良銀を含めて8階までは特筆すべきものはないが、9階にはビル名の「清光」をつけた林業関係の株式会社と、オーナー名の「岡橋」をつけた林業関係企業の大阪支店、それに林業の業界団体の3社が入っている。なるほど林業関係者の持つビルだとわかる。ちなみに、ビルの定礎は92年となっている。
 さて、清光ビルの1階真ん中に入口があり、そこから奥へ進むと右手にエレベーターがある。光沢のある茶色い大理石を張り詰めた、かなり立派なエントランスである。エレベーターで2階へ上がる。別に階段を使ってもいいのだが、使ったことはない。
 エレベーターを降りると、左の突き当たりがりそな銀行桜川東支店である。ちなみに右側はトイレで、過去何回かお世話になったことがある。
 支店のドアを開ける。向かって右側が窓口カウンター、ついたての奥がATMである。この支店には奈良時代から何度か来ているから、勝手はわかっている。ただ、第二地銀からいきなり都市銀行になったことを強く印象付けたのは、インフォメーションを流している巨大な液晶テレビ(プラズマテレビというのか? よくわからない)が設置されていたことであった。液晶テレビは他の旧奈良銀店にもあったはずなのだが、大阪支店での印象が特に強かった。10時25分、桜川東支店を制覇。
 私が制覇作業をしている間に、プラスチックケースに菓子をたくさん詰めた女性が支店に入ってきた。おばちゃんは「グリコでーす」と言ってそのままカウンターの中に入っていった。富山の置き薬のように、置いていって減った分だけお金を回収していくのか、それとも「今日はグリコはいかがですか」という感じで一人一人に売って歩いているのかわからないが、「オフィスグリコ」という営業形態らしい。業者の立ち入りは奈良時代から行われているのだろうが、屈強なおじさんがビスコをかじりながら「帳尻が合わない」と汗をかいている様子を思い浮かべるとほほえましいものを感じた。

【注】大阪市信用金庫桜川支店:1959.12.14福利信用金庫(本店大阪市東成区大今里西)桜川支店として開設。1981.10.01東洋信用金庫(本店大阪市淀川区宮原)と合併し同金庫桜川支店。1992.10.01大阪市信用金庫に営業譲渡、同金庫桜川支店。東洋信用金庫は、いわゆる「尾上縫事件」(同信金の今里支店長が、ミナミの料亭の女将・尾上縫と結託して4160億円の架空預金証書を発行)により解体され、三和銀行などに分割譲渡された。

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2006年05月27日

2006.01.13(金)(3)最後に、桜川とりそな銀行について

 りそな銀行桜川東支店は、旧奈良銀行の大阪支店である。地下鉄桜川駅上の空中店舗で、合併に伴って現名称に改称された。りそな銀行に既に「大阪営業部」があり、大阪支店とはできないため所在地名を採って「桜川」、さらに前述のとおり西に100mもない桜川交差点角に本家の桜川支店(旧大和)があるため、方位をつけて「桜川東」となった。
 旧三栄相互銀行の大阪支店は、1955年10月18日、同行初の県外店舗として大阪市南区谷町6-16に開業した。当初の店舗は旧大和銀行谷六支店跡を借り受けたもので【注1】、現在の地下鉄谷町線谷町六丁目駅の真上にあたる。界隈には機械工具店が建ち並び、資金の借り手はいくらでもいたが預金がなかなか伸びなかったという。谷町線の建設工事とそれに伴う道路拡幅で立ち退きを求められたため、1965年4月には、北区南森町2丁目に移転した。距離にして北へ2km余の堂島川を越えた場所で、谷町線の駅でいうと3駅先。ほぼ新天地への移転である。ここは大規模な商店街として有名な天神橋筋商店街のお膝元で、現在りそな銀行で南森町支店を中心にPR紙「リーナル・天神橋商店街版」を発行して地域起こしに取り組んだりしている地域である。
 その後1992年8月、支店の老朽化もあって、現在地の浪速区桜川2丁目に移転した。南森町からは直線距離で3kmほどだが、南森町との地縁はあまりないものと思われる。桜川の近隣では、バブル前後に湊町地区再開発や大阪ドームの新設などがあり、1992年の移転当時は将来有望な地域とみられていた。
 大阪支店は、りそな銀行との合併と同時に店名を「桜川東」に変更した。前述のとおりりそな銀行に既に桜川支店が存在していたためだった。そして、合併から半年後の2006年6月19日、桜川東支店は桜川支店に統合されて姿を消す。統合先の桜川支店は、1929年5月に旧加島銀行【注2】大正橋支店を引き継いで開業した大正橋支店が前身で、桜川東支店を除けばこの地区唯一の都市銀行店舗である。
 なお、桜川の交差点から北西に500mほどの堀江という地区には、協和銀行の前身9行のうち1行、摂津貯蓄銀行の本店があった。合併で「阿弥陀池支店」となり、その後「堀江支店」に改称された後、1972年5月に心斎橋支店に統合されている。前身銀行の旧本店が支店としても残っていないということは、都市銀行のネットワークという観点からはあまり儲からない地域だということかもしれない。

 2006年1月13日(金)10時25分。桜川東支店の制覇によって、私は旧奈良銀店舗16店全店の完全制覇を達成した。「13日の金曜日」であるが、気分は極めて爽快である。
 この後、私は所用で神戸大学に出かけ、夜になって大阪に戻り宿泊した。宿舎は定宿の難波ではなく、1泊2000円前後のビジネスホテル(カプセルではなく)が林立している新今宮を新たに開拓した。翌日は大阪環状線で京橋に出て、京阪電車で京都へ。いったん京都市内の伯母宅に寄り、伯母の車で法事(とは厳密には言わない)の場所へ向かったが、昼前から夜近くまでかかる法事の途中で一度も食事にありつけず、帰りの車の中で親族一同が発した第一声は「お腹すいた」であった。法事(に相当する儀式)で食事を出さない教団もあると知り、自分が実は仏教徒であるのだと再確認した。その後は京都市内の伯母宅に泊まり、翌日は宇治市まで帰る伯母(故人の母)の車で近鉄大久保駅まで送ってもらう。そこから近鉄で名古屋に出て、夜行快速「ムーンライトながら」で東京に帰還した。旅そのものは、奈良銀めぐを終えてからのほうがはるかに長かったのである。
 なお、書き忘れていたが、桜川東支店のATMは、オムロンHXが1台のみであった。

【注1】大和銀行谷六支店:1947.08.20大阪市南区(現中央区)谷町6-17に上六支店の出張員詰所として開設、1948.07.12谷町6-16に移転、1950.06.20支店昇格、1953.08.20南区松屋町に移転し松屋町支店に改称、2002.06.17上六支店に統合。なお『奈良銀行四十年史』では大阪支店の所在地を「大和銀行の谷町支店の跡」と書いているが、誤りと思われる(当時、当該地の支店は谷六支店。平成になって開設された大和銀谷町支店は谷町2丁目)。
【注2】加島銀行:1888(明治21)年、大阪の豪商・加島屋が一族の出資で設立。初代頭取は広岡久右衛門(9代)。大阪の有力中小金融機関であったが、昭和金融恐慌のため1928年3月破綻した。
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2006年05月28日

エピローグ 奈良銀行小史(1)創業から体制確立まで

 さて、私が2006年1月中旬に2日間かけて全店制覇したのは、りそな銀行の店舗のうち「旧奈良銀行店舗」である。奈良銀はりそな銀と2006年1月1日に合併した。一体どんな銀行だったのか、連載の最後にまとめておきたい。

 奈良銀行は、奈良市に本店を置いていた三栄相互銀行【注1】が、1989年4月1日普銀転換【注2】して誕生した第二地方銀行である。2005年3月末時点での預金残高は1600億円余と、日本で最も小規模な銀行だった【表】。
 1953年3月26日開業した三栄相互銀行は、元奈良県知事であった野村万作(のむら・まんさく、1899〜1978)が創業したものである。野村はもともと内務省の官僚で、岐阜県の出身。1946年7月奈良県知事(官選)に就任、1947年3月まで官選知事を務め、同年4月から4年間公選知事を務めた【注3】。
 1951年4月、2回目の県知事選挙で下野した野村は、同年6月の相互銀行法施行を受けて銀行設立の相談を方々で受けたことから、数人のシンパとともに相互銀行制度の研究を始める。当時奈良県では、資金不足を主たる理由として戦後復興が非常に遅れており、金融事情は関西で最も悪かったとされる。その背景としては、もともと近代産業が他県より立ち遅れていたことに加え、地場産品も軽工業品が中心で、傾斜生産方式とマッチしにくかったことが挙げられる。戦後復興の過程で、銀行預金は傾斜生産方式導入の一環として重工業などに重点的に貸し出されることになり、普通銀行(大まかには都市銀行と地方銀行)は中小企業向けに融資することが事実上できなくなったのである。金融事情の悪さから高利の民間金融業者が跋扈し、当時の奈良県ではこうした業者の資金に手を出して倒産する中小企業が後をたたなかった。「奈良県に(南都銀行以外の)もう一つの銀行を」というテーマは、野村にとっての新たなライフワークとなっていった。
 こうして野村は1951年12月、本店を奈良市に置き、奈良・大阪・京都の2府1県を営業区域とする「日本不動相互銀行」の内免許申請書を大蔵大臣あてに提出した。「不動」の名称は、不動貯金銀行【注4】に範をとり、小を積んで大となす経営方針を採用したためである。しかし、書類審査が進まず内免許申請は難航した。これは、大蔵省の事務方に、奈良県で銀行を新設することに対する消極論があったためとされる。野村は郷里・岐阜県の大物代議士でかねて親交のあった大野伴睦【注5】の力を借りて、池田勇人蔵相と面会するなど陳情を重ねた。最終的に、銀行・預金者・融資先の3者がともに栄えていくことを旨とする「三栄相互銀行」として設立内免許の決裁が下りた。
 1953年1月第1回発起人総会、同3月創立総会(15日)と法人登記(16日)を経て、1953年3月26日、奈良市橋本町の仮店舗において三栄相互銀行は開業した。開業日の10日後(4月6日)に着工した本店は9月末に完成、現在りそな銀行新奈良営業部となっている奈良市下三条町の本店舗では1953年10月1日から営業を開始した。
 新設の銀行として、県下での店舗網整備は喫緊の課題だった。創立の際、株式募集時に吉野郡への支店開設を公約していたため、吉野支店が第1号の支店となった(1953年7月開設)。2か月後の9月には高田・桜井・天理に支店を開設、翌々年の1955年には五条出張所と大阪支店を開設している。
 三栄相銀は当初、営業幹部の派遣を三和銀行に要請していた。そこへ、野村万作は知人からの紹介で満州中央銀行の経理部長だった人物を入社させた。三和銀行が具体的な人材を打診する前だったため、三和側は態度を硬化させたという。その後、万作社長が知り合った大和銀行OBのつてで大和銀からの支援を受けることとなり、以後大和銀とは親密な関係が続くことになった。なお、奈良銀行の創業者は野村姓だが、旧野村銀行(のちの大和銀行)創業家との関係は不明。
 昭和40年代に入ると、店舗網の整備は、旧来からの地方都市への出店から、宅地開発が進んだ大都市周辺部への出店にシフトし、西大寺・東生駒などの支店が開設された。1977年、桜井市に新設されるニチイショッピングセンター内に桜井北支店を開設するにあたり、店内にCD機の設置を求められたため、オフラインでのコンピュータ処理が始まったばかりだった三栄相互銀行ではこれを機に桜井市内の2店間でオンラインを導入、次いで翌年には普通預金の自営全店オンラインを導入した。
 1978年12月6日、創業社長の野村万作が79歳で死去、翌日には万作の長男で取締役の野村正雄が35歳で2代目社長に就任した。のむら・まさお氏は1943年5月生まれ、東大寺学園高校から京都大学法学部に進み、1968年京大卒業後は大和銀行に入社して4年間勤めた。1972年に三栄相銀に入社、1974年5月には取締役に就任し、業務部長としてコンピュータ導入を指揮するなどした。野村正雄氏は2004年6月まで社長を務め(1991.04〜2003.09頭取)、りそなホールディングスから派遣された上林義則副社長【注6】に交代した。

【注1】相互銀行:中小企業金融をになう金融機関として、無尽講を企業として営んでいた無尽会社に銀行機能を付加して創設されたもの。制度開始は1951年10月20日。旧無尽会社の転換のほか、奈良の三栄相互銀行のように新規創設も認められた。
【注2】普銀転換:普通銀行転換の略。相互銀行は普通の銀行と比べて業務上の制約が多かったため、規制緩和の一環として、1989年一斉に普通銀行に転換した。
【注3】官選知事と公選知事:かつて県知事は国から派遣されており(官選)、県知事選挙は戦後行われるようになった(公選)。国から派遣された奈良県知事(最後から2番目)だった野村万作は、選挙で選ばれた最初の奈良県知事となった。
【注4】不動貯金銀行:牧野元次郎が1900(明治33)年に設立。本店東京都。外務員が預金者を勧誘、定期的に訪問して集金する「三年貯金」が受け、全国最大手の貯蓄銀行となった。1945年5月に貯蓄9行の合併により日本貯蓄銀行となり、協和銀行・協和埼玉銀行・あさひ銀行を経て現在りそな銀行。なお、『三栄相互銀行三十年史』『奈良銀行四十年史』といった奈良銀の社史には「不動銀行」「不動貯蓄銀行」等と記されているが、いずれも誤りである。(2007.05.20追記:不動貯金銀行が存在していた時代には、通称名として「不動銀行」と呼ばれることもあったようである。)
【注5】大野伴睦(おおの・ばんぼく、1890〜1964):政治家。岐阜県山県市出身、明治大学政治経済学部中退。立憲政友会の院外団に入り、東京市会議員を経て衆議院議員選挙に通算13回当選。大戦後に鳩山一郎を支えて日本自由党の創設に参加、衆議院議長や自由民主党副総裁を歴任した。親台湾派として知られ、また日韓国交正常化交渉の草分けとして「日韓台連携」に努めた。「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればタダの人」などの名言を残す。東海道新幹線岐阜羽島駅を誘致、功労者として夫妻の銅像が同駅前に立つ。
【注6】上林義則(かんばやし・よしのり):奈良銀行の第3代社長。1955年10月生、大阪府出身、1978年3月一橋大学経済学部卒、同年4月大和銀行入行、四條畷・瓢箪山各支店長、りそなホールディングス企画部長を経て、2003年10月りそなHD・りそな銀行各執行役。2004年4月奈良銀行(代)副社長(HD執行役兼務)、同年6月(代)社長(同)。2006年1月合併により、りそな銀行常務執行役員(奈良地域担当)。(2007.05.20追記:上林義則氏は、りそな銀行の2007年定時株主総会(06.26開催)において同行役員を退任、りそな決済サービス梶iりそなHD100%出資)社長に就任する。)

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2006年05月29日

エピローグ 奈良銀行小史(2)相互銀行から普通銀行への転換

 相互銀行は、戦後における中小企業の慢性的な資金不足を是正するため、中小企業金融の専門機関として創設されたが、その後時代とともに業務内容が変化してきた。発足当初認められていなかった内国・外国為替取引などの開始、相互掛金業務の衰退など、業務の面で普通銀行との同質化が進み、一方で大企業融資ができないなどの制限もあった。このため、相互銀行業界は普銀転換を長年求め続けていた。
 1987年12月、金融制度調査会【注1】内の専門委員会である制度問題研究会(略称)は「専門金融機関制度のあり方について」という報告書を公表した。その中で、@短期金融と長期金融の分離、A信託分離、B外国為替専門銀行制度、と並んでC相互銀行制度について具体的な問題の整理を行った。資金不足の続いていた戦後復興期や高度成長期には、金融機関を上記のように業務ごとに区分することで限られた資金を効果的に配分していたが、時代の変化とともに再検討の時期を迎えたのである。報告書は、@ABについては現状の漸進的改革を主張しているものの、C相互銀行制度についてはもはや存続の必要性がなくなったと断じ、金融効率化の面から普通銀行に転換すべきであるとした。この報告書を受けて、相銀業界は普銀転換の具体化に向けて一気に動き出すこととなった。
 相銀の普銀転換は、1989年2月の52行を皮切りに90年8月まで合計5回に分けて行われた。三栄相銀は普銀転換を直ちに決定したが、銀行法上の最低資本金が10億円以上と定められており、資本金5億円だった三栄相銀は増資が不可欠だった。このため、三栄相銀の普銀転換は第1次転換(1989年2月)には間に合わず、同年4月1日の第2次転換グループとなった。この第2次グループ10行には、奈良銀行のほか、奇抜なネーミングで話題を呼んだトマト銀行、当時から三和銀行カラーの強かった大正銀行などがある。
 県名を冠した「奈良銀行」の行名は、大蔵省の指導により、奈良県のトップ地銀である南都銀行の承諾を得て実現された。これは、たとえ現名称として使われていなくても、かつての被合併銀行が使用していた名称であることが多々見受けられるためで、「奈良銀行」の名称も南都銀行のルーツにみることができる【注2】。一部の県では、地銀が県名を冠していないにも関わらず県名をつけられなかったケースもあるという。
 りそな銀行との合併まで使われていたシグネチャー類は、三栄相銀時代の1983年に準備が始まり、86年10月から本格的に導入された。シンボルマークは奈良を象徴する「雄鹿」、イメージカラーはグレー(古都奈良の町並みと瓦)とグリーン(若木、または若草山)である。このCIデザインは奈良銀行でもそのまま使用され、イメージカラーは普銀転換時にオレンジ色が追加された【写真】。なお、CI導入以前は白地に赤文字の看板を使用していたが、同様に紅白2色を使用していた第三相互銀行(現第三銀行、本店三重県松阪市)と混同されることが多かったという。
 普銀転換とともに店舗網の整備を進めた。奈良銀行は、開業当時の方針とその後の歴史的経緯から、奈良市本店といいながらも奈良市には店舗が少なかった。その改善のため90年以降は奈良市郊外に相次いで支店を開設(平城・高の原・学園前など)、また既存店舗網の見直し(五条・大阪支店移転、吉野地区支店統合)を行った。

【注1】金融制度調査会:大蔵省内に置かれた大蔵大臣の諮問機関。金融監督庁の発足に伴い1998年6月廃止された。
【注2】旧「奈良銀行」:1894(明治27)年2月奈良市に開業、1918(大正7)年10月産業銀行に合併。産業銀行は現大和郡山市に郡山銀行として1897.03開業し、旧奈良銀行合併の後1927(昭和2)年12月に六十八銀行(現大和郡山市に第六十八国立銀行として1879.01開業)に合併した。1934年6月1日、六十八銀行は吉野・八木・御所の3行と合同して「南都銀行」となった。


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2006年05月30日

エピローグ 奈良銀行小史(3)大和銀との経営統合とりそな銀への合併

 三栄相銀が奈良銀に転換して迎えた90年代は、バブル崩壊とその後の苦悩の時代であった。奈良県地盤の大手ゼネコンだった村本建設の倒産(1993.11)をはじめとして、奈良銀も住専問題・そごう倒産といった大きな経済問題の影響を受け、さらに関西エリアでは東洋信用金庫・木津信用組合・兵庫銀行・阪和銀行と影響力の大きな金融破綻が続発した。不況が深刻化したことで、奈良銀行、そして親銀行と仰いだ大和銀行の経営は少なからず影響を受けた。
 大和銀は、1995年のニューヨーク支店巨額損失事件をきっかけに国際業務から撤退せざるを得なくなり、地盤となる大阪を拠点とする巨大地銀路線を模索していた。そして1999年10月「スーパーリージョナルバンク構想」を提唱、近畿銀行を皮切りに関西エリアの地方銀行を傘下に収めていく。大和銀とのATM相互開放を1999年3月に開始した奈良銀行は、翌2000年10月、近畿・大阪両行に次いで【注1】大和銀行グループに入り、同年12月に発足したグループ内のATM相互開放「D−ネット」にも参加した。
 2001年12月12日、大和・近畿大阪【注2】・奈良の3行は、株式移転により経営統合し、持株会社「大和銀ホールディングス」を設立した。翌2002年3月には、都市銀行の一つであるあさひ銀行が経営統合に参加した。持株会社は2002年10月に社名を「りそなホールディングス」に変更、さらに2003年3月1日付で親銀行2行(大和・あさひ)が「りそな銀行」「埼玉りそな銀行」に再編したことで、りそなグループは骨格を完成した。当初は、奈良と近畿大阪の両行をベースとして、地域銀行の「奈良りそな銀行」「大阪りそな銀行」を設立、その地域におけるりそな銀行の業務を地域銀行に移管し、りそなグループ全体を「地域銀行の集合体」として機能させる構想だった。また、コンピュータシステムは旧大和銀行が開発したIBMベースの「ニュートン/ダーウィン」に統合することになっており、自営システム(日本ユニシス)を採用していた奈良銀行は2003年7月に旧大和銀システムに統合した。
 新生りそなグループ発足直後の2003年5月17日、りそなHDは日本政府に対して資本注入を申請した。りそな銀行の決算審査において、監査法人が繰延税金資産【注3】の組み入れ基準を厳格化、りそな銀の5年分との主張に対して3年分の組み入れしか認めず、自己資本比率が国内基準の4%を大幅に下回る2%台に転落したためである。総額1兆9600億円の公的資金が注入(正確には預金保険機構による株式取得)され、りそな銀行は2003年7月から事実上国有化された。さらに同年8月には持株会社とりそな銀行とで株式交換を行い、りそなHDは預金保険機構が議決権の過半を有することとなった。実質国有化に伴い、りそなHDの勝田泰久社長(前大和銀行頭取)らは経営責任を取って辞任し、細谷英二・JR東日本副社長ら複数の経営者が外部企業から招聘された。細谷氏は会長に就任、内部からの経営陣とともに再建にあたることになった。あさひ銀行の合流時に大和銀主導で立てられていたグループの経営計画は再検討され、奈良・大阪における地域銀行構想や、システムを旧大和銀システムに統合する計画などは撤回された。但し、奈良銀のシステム統合は、準備が相当程度進んでいたことから予定通り実施された。
 親銀行から持株会社へという国有化の一連の動きは、100%子会社である奈良銀行の経営にも大きな影響を与えた。新経営陣が立てた経営計画に基づき、奈良銀は業務純益の3倍増(9億円増加)、開示不良債権比率の半減(10%台から4%台に)、従業員数60名減(2割削減)、支店統廃合(35%にあたる9支店を削減、25支店から16支店体制に)というハードな経営再建計画を立てた。2004年4月にはりそなHDから上林義則氏が副社長として派遣され、同年6月には創業家の野村正雄社長と交代した。新しい経営計画にのっとり、主に1980〜90年代にかけて開設された新しい店舗が統廃合され、店舗網は2004年5月に計画どおり16支店体制となった。
 2001年以来4年連続の赤字決算であった奈良銀は、2004年9月決算で黒字に転じ、経営体質は改善されたとみられる。しかし、中長期的に奈良銀行単独で競争優位性を確保することは困難と判断され、りそな銀行の奈良県内における営業力を強化する目的もあって、奈良銀行はりそな銀行と合併することになった。存続会社はりそな銀行で、両行間の合併契約書は2005年7月26日締結、12月2日金融庁から両行の合併が正式認可された。
 2006年1月1日、奈良銀行はりそな銀行と合併して消滅した。新銀行としての営業は2006年1月4日に始まった。旧大和銀のシステムに統合されていた旧奈良銀店舗のコンピュータシステムは、合併と同時に、旧あさひ銀行のシステムをベースとした「りそな統合システム」に移行した。

【注1】近畿銀行は大和銀行との関係が深かった。大阪銀行は住友銀行系だったが、住友グループの持つ株式を大和銀行が譲り受けて傘下に収めた。
【注2】近畿大阪銀行:2000年4月1日、大和銀行グループの第二地銀・近畿銀行と、同じく地方銀行・大阪銀行が合併して誕生。法的な存続会社は大阪銀行であり、その法人格を引き継いだ近畿大阪銀行は地方銀行である。
【注3】繰延税金資産:払いすぎた税金に相当する額を、貸借対照表の「資産の部」に計上したもの。貸倒引当金の計上や貸出金の償却は、会計上は費用として処理されるが、税法上すぐには「損金」と認められないこともある。その場合、いったん税金を余分に払うものの、税法上の損金として条件を満たせば戻ってくるため、資産とみなしている。


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2006年05月31日

あとがき

 「りそめぐ・旧奈良銀店舗全店制覇」、昨日をもって完結いたしました。最後までお読みいただいた方には、4月9日から52日間もダラダラと続いた連載にお付き合いいただいたことに、深く感謝いたします。

 文章そのものは、奈良から戻った1月の中旬から書き始めていたのですが、ちょうどこの頃から出版の仕事が忙しくなり始め、3月冒頭までまったく動きがとれませんでした。
 執筆を再開したのは本業が一息ついた3月上旬からですが、以後も思うように筆が進まず、中途で放り出そうと何度か思いました。年度の変わり目は色々と「動く」時期でして、私自身も副業を変える(つもりで実は掛け持ちになってしまった)などしており、結局、当初意識していた4月1日からの連載開始には間に合いませんでした。
 しかし「せめて上旬のうちに連載開始を」との思いで、かろうじて9日に掲載を始めることができた次第です。もっとも、連載開始が遅れた代わり、連載完結が(この「あとがき」を含めて)5月末日になりましたので、きれいに終われて良かったなとは思っています。

 この連載のような文章を使っての自己主張が、私の生き甲斐です。今後ともご支援・ご鞭撻をいただけますようお願いします。ご意見や情報提供をお待ちしています。このブログ「MEGU」は、コメント・トラックバックを歓迎していますし、私のメールアドレスも公表しています。

 文章を書き上げてからも、桜川東支店の統合や、近鉄によるエーエムピーエム事業の売却などが発表され、社会は日々流転しています。この連載を数年後に読み返して「古い」と感じられることがあるかもしれませんが、あくまで2006年1月の実体験と、同年4〜5月の連載期間における「一面の真実」です。そういうものだと思ってお読みいただくことを望みます。

 なお、この連載の執筆にあたっては、以下のような書籍・webサイトを参照いたしました。

参考文献一覧
 『三栄相互銀行三十年史』三栄相互銀行、1983年
 『奈良銀行四十年史』奈良銀行、1994年
 『奈良銀行五十年のあゆみ』奈良銀行、2003年(奈良銀行webサイトより)

 『協和銀行史』協和銀行、1969年
 『紀陽銀行史』紀陽銀行、1975年
 『南都銀行五十年史』南都銀行、1985年
 『近畿銀行五十年史』近畿銀行、1994年
 『協和銀行通史』あさひ銀行、1996年
 『大和銀行八十年史』大和銀行、1999年

 五十嵐太郎『新宗教と巨大建築』講談社現代新書、2001年
 『日本金融名鑑』日本金融通信社、各年

 「そうめん」『樺r利』http://www.ikeri.co.jp/soumen/index.html
 「見る天理教修養科」http://oyasama120.hp.infoseek.co.jp/index.html (2010.10infoseekサービス終了)
 「JR奈良駅連続立体・街路事務所」『奈良県』 http://www.pref.nara.jp/toshi/jrnara/
 「私の職場を御紹介します」『ようこそ 宇野元雄です』http://www.linkclub.or.jp/~uno/insigoto.htm#insigoto1
 「都市計画今昔物語」『奈良市ホームページ』http://www.city.nara.nara.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1150078087712&SiteID=0000000000000&ParentGenre=1000000000287

 『ウィキペディア』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
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りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
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あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
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