2007年10月01日

2007.07.17(火)(−2)りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+αの旅

2007.07.17(火)

 6月に大阪遠征(大阪恵美須支店と市場出張所の統合)したばかりなのだが、7月中旬にまた関西遠征をすることになった。こんどは、関西地区の有人出張所5か所が支店に昇格するという。私は「店種変更」については制覇のやり直しを行うことにしているので、支店昇格が発表された際、どうせなら昇格の初日に全店回ってやろうと考えた。
 支店に昇格するのは、次の5店舗である。

  ・泉北支店泉北とが出張所→泉北とが支店
  ・金岡支店新金岡出張所→新金岡支店
  ・堺東支店初芝出張所→初芝支店
  ・枚方支店香里出張所→香里支店
  ・近鉄西大寺支店やまと郡山出張所→やまと郡山支店

 5店舗の所在地は、2006年4月に政令指定都市に昇格した大阪府堺市が3店、2006年1月の奈良銀行の合併により営業基盤が強化された奈良県が1店、その他大阪府内1店である。りそなになってからの支店昇格は、昨年7月(4店舗)に続き2回目。すべて旧大和銀行店舗、それも、支店が出張所に降格されていた店舗の返り咲きである。旧あさひ店舗は一つもない。大和はあさひと異なり、支店の出張所降格と出張所の支店昇格とを、結構イージーに行ってきたようだ。
 また、システム統合を機会に、旧大和店舗の「店番号が母店と同じ有人出張所」の再制覇を行うことにしていた(システム統合により窓口での制覇作業が必須となったため)。その残りが2か所あったが、これを7月17日(火)の支店昇格と合わせて制覇してくることにしていた。

 出発4日前の7月13日(金)、新たなニュースが飛び込んできた。5支店の統合である。9月18日(火)付、ということは9月14日(金)が最終営業日となる。

  ・浅草橋支店→秋葉原支店
  ・銀座支店→新橋支店
  ・田原本支店→橿原支店
  ・西大寺支店→近鉄西大寺支店
  ・五条支店→吉野支店

 統合される5店舗のうち2店が東京都内、そして3店は奈良県の旧奈良銀行店舗である。旧奈良銀の店舗は2006年の合併直後に全店巡っているが、9月の最終営業日には多分行けないので、今回の遠征を機会に3支店の再訪を併せて行うことにする。
 これらを総合してプランを立てたのは、出発前日の7月15日(日)であった。もともと、りそめぐと自身のリフレッシュを兼ねるつもりで、休みは18日までの3日間で確保してあった(「りそめぐも自身のリフレッシュではないのか」というツッコミはなしである)。地方遠征の際、東京に「いつ」戻るかは、大体いつも気分で決めている。帰りの時間を厳密にプランニングして出るのが窮屈に感じられるせいもあるが、万が一「めぐ」がうまくいかなかった際に、制覇目標を残したまま切り上げる事態になるのを避けるためだ。状況の急変に対応できるように、行きの時点では帰りの切符を敢えて用意しないのである。
 かくして、事前に立てた計画は次のようなものとなった。リフレッシュを兼ねて、既に制覇した拠点の再制覇を追加することにし、それには兵庫県方面を選んだ。

2007年7月16日(月・祝)
 22:40 都庁大型バス駐車場集合、23:00発

2007年7月17日(火)
 07:30頃なんば着予定
 なんば07:40→07:46淀屋橋07:50→08:10香里園(バス)→香里ヶ丘3丁目 ※香里支店制覇
 香里園09:38→10:04丹波橋/近鉄丹波橋10:10→10:40大和西大寺 ※西大寺支店取り納め、近鉄西大寺支店再訪
 大和西大寺11:37→11:45近鉄郡山(徒歩15分) ※やまと郡山支店制覇
 近鉄郡山12:32→12:42田原本 ※田原本支店取り納め
 田原本13:37→13:43大和八木13:49→14:12河内国分 ※国分出張所制覇
 河内国分14:38→14:53鶴橋15:01(千日前線)→15:06なんば15:10→15:31新金岡 ※新金岡支店制覇
 新金岡15:47→15:50なかもず/中百舌鳥16:00→16:16和泉中央 ※和泉中央出張所制覇
 和泉中央16:34→16:39栂・美木多 ※泉北とが支店制覇
 栂・美木多17:03→17:13中百舌鳥17:18→17:22初芝 ※初芝支店制覇
 初芝17:46→17:50北野田17:55→18:26橋本18:35→18:49五条 ※五条支店取り納め
 五条19:41→21:07和歌山21:09→21:15和歌山市 ※和歌山市元博労町のビジネスホテルに宿泊

2007年7月18日(水)
 リフレッシュ(和歌山電鉄完乗、りそめぐ兵庫県方面など)

2007年7月19日(木)
 東京帰還

 JRの「青春18きっぷ」が使用可能であれば、大阪までの移動はもちろん、関西エリア内での移動にもこれをフル使用することになる。しかし今回、これはぎりぎり期間外のため使えない。このため必然的に大阪までの移動は激安チャーターバスとなり、その結果関西エリアでの移動は「スルッとKANSAI 2dayチケット」を使うことになった。

20070717~19_passbook.jpg(クリックで拡大)

2007年10月02日

2007.07.17(火)(−1)都庁大型バス駐車場から出発

 2007年7月16日(月・祝)。生活の資を得るための仕事が早朝に終わり、日中寝ていた。夕方近くになって起き出して買い物に出る。明日以降使うスルKAN2dayの引換券を旅行会社で買い、腕時計の電池交換をし、衣類などを購入して、いったん自宅に戻る。この時点で夜の8時であった。
 新宿の出発が23時、それに先立つ旅行会社の点呼が22時40分。今回乗るバスは、新宿駅前ではなく、駅から遠い東京都庁の大型バス駐車場で受付を行うという。というわけで、少し早めに自宅を出た。
 10時にはもう新宿駅の改札を出ていた。都庁にそう頻繁に行ったことがあるわけではないが、それでもある程度の土地鑑はある。早すぎである。西口地下のコンビニで夕飯の弁当を買い、西口の中央通りを西に向かう。
 事前のリサーチによると、都庁の「大型バス駐車場」は、京王プラザホテルの向こう側(西側)にあるという。都庁にそんなものがあるとは知らなかったが、京王プラザの前で階段を下り、ホテルの脇を通って都庁の敷地に足を踏み入れる。
 驚いた。広大な空間が広がっている。大型バスが20台程度は停められそうな広い駐車場が、北側と南側に2面。駐車場へのアプローチとなる石畳の歩道は、幅が5mほどもありそうで、ホームレスが複数寝泊まりしているらしく、梱包された荷物が多数置かれている。大型バスの駐車場だけに、天井も高い。都庁にこれだけの空間があり、しかも夜中の11時に出発する民間のチャーターバスが利用しているのである。民間の駐車場ならともかく、ここは役所であるので意外であった。点呼が済んでから駐車場のゲートを見に行ってみると、やはり本来は21時で閉鎖であるらしい。ただ、チャーターバスは何らかの協定を結んでいるのか、バスの出入りを守衛が記録用紙に記入して、手動でゲートを開閉しているようだ。
 旅行会社による点呼は、北側と南側とに分かれたバス駐車場の間のスペースで行われていた。2面の駐車場の間に、アプローチと同様の石畳の歩道がしつらえられていて、そこにテーブルを置いて点呼をしている。私の乗るバスは、南側駐車場に停められた2台の観光バスのうちの1台で、紫と金色で彩られていた。座席は最後部右から2番目。小中学校のバス旅行なら、最前部に座っている担任教師の目が届かない特等席である。幸か不幸か、私は幼少期のバス旅行でこうした席に座ったことはない。
 コンビニ弁当を食べて席に戻ると、既に消灯されていた。私の周囲の席は若い男性ばかりで、人いきれで暑い。間もなく、バスが動き出した。

2007年10月03日

2007.07.17(火)(0)今回バスは「大はずし」

 予約した旅行サイトによると、新宿を23時に出たバスは、翌朝6時の京都駅前(八条口)を皮切りに、梅田(大阪駅周辺)7時頃、なんばには07:30頃に到着することになっていた。東京から大阪に向かうチャーターバスは、会社によって新大阪駅に寄ったり寄らなかったりするものの、だいたいどこの会社もこれと似たダイヤになっている。
 なぜバスを難波で降りるかというと、私はもともとキタよりミナミにやや馴染みがあって、第一目的地(今日は京阪線香里園)に行く前に朝食を摂ろうと思ったときに、難波であれば食べ物屋がどこにあるか知っていたからである。もっとも、知っているとは言っても「めしや丼」改め「やよい軒」であるから大したことはないのだが(梅田にやよい軒があるかどうかは知らない)。そして、過去の経験上、この手のバスはだいたい目的地に30分〜1時間近くも早く到着するため、当初のプランによる「梅田7時」では早すぎると思ったのである。
 今回の旅行会社は非常に手抜きな会社で、私の乗ったバスは横浜駅前に寄って客を拾い、さらに京都駅に寄って客を降ろすということをしてくれた。途中での寄り道は、加減速が多く舗装ががたがたな一般道の走行、さらに途中から乗ってくる客の動きにより、睡眠の妨害要因となる。通常、こうしたことを避けるために、京都へ行く客は「京都行き」のバスを仕立てて大阪行きとは分離しているはずなのだ。
 予期されたことだが、4列シートの観光バスはやはり窮屈で、車中で睡眠をとるには向かない。特に、今回私は最後部座席に座らされている。ということは真ん中は通路ではなく座席、すなわち両隣に人が座っている。しかも、今回の隣人はモゾモゾとよく動くのである。というわけで、バスに乗ってからというもの、私は大阪までほとんど寝付けずに過ごす羽目になった。
 ほとんど寝ていないおかげで、途中に3回あったトイレ休憩は全てパーキングエリアに降りた。3回のトイレ休憩の内訳は、富士川SA・養老SA・草津PAである。富士川−養老間が恐ろしく長いのに、養老−草津間は70kmほどしかなく、しかも目的地は目前だ。むしろ神奈川県内(横浜に寄らないと仮定すると港北PAか海老名SA)で1か所トイレ休憩があれば、バスにぎりぎり間に合ったような人には助かるのではないだろうか。
 というわけで、今回のチャーターバスはもともと「大はずし」の部類であった。

 そして、とどめは到着の遅れである。
 バスは名神高速を吹田あたりで降りて、千里中央付近から国道423号(新御堂筋)を南に向かったはずだ。車窓右手には、地下鉄御堂筋線と直通運転している北大阪急行電鉄の線路がぴったりと並走している。「なかもず行き」の電車が停まっている江坂駅を横目で見ながら通り過ぎた。白い車体に赤とエンジの線が引かれた、北大阪急行の車両であった。何時かは忘れてしまったが、この時点で既に7時を回ってずいぶん経っている。しかも、朝のラッシュアワーにかかった道路はかなり混雑し始めている。
 梅田に着いた。阪急梅田駅の西側、ヨドバシカメラの北東側である。この時点で7時24分。こんな調子で難波まで行っていたのでは、間違いなくプランが破綻してしまう。今日は、淀屋橋07:50発の京阪電鉄の急行に乗らなければならないのである。
 私は一つの決断を下した…。

2007年10月04日

2007.07.17(火)(1)淀屋橋から香里園に向かう

 私は今、京阪電車の車内にいる。淀屋橋07:50発の急行出町柳行き。緑色車体のクロスシート車。始発駅から乗ったので座ることができた。
 プランはどうにか破綻せずに済んだ。チャーターバスは途中で行先変更できないことになっているのだが、私は強引に梅田で降りてしまったのである。「チャーターバスは途中で行先変更できない」というのは、先の例だと、京都行きのバスが設定されているときに京都行きを大阪行きに変更しようとする場合で、今回のように全部の目的地に立ち寄るようなバスでは別に差し支えないのである。手抜きな会社のバスだからこそ、臨機応変に対応できたとも言える。
 プランは破綻せずに済んだものの、朝飯は食いそびれてしまった。難波で飯を食う予定だったのに梅田で降りたのだ。
 腹が減った。バスが着いた目の前が「アズナス」という阪急系のコンビニで、入ってみたがすぐに出てきてしまった。コンビニ弁当でもと思ったのだが、意に添う弁当がなかったのだ。それに、昨夜もコンビニ弁当だったのを思い出し、2食続くのはちょっと避けたいと思った。コンビニ弁当もひところと比べると食べられるものになってきたが、やはり…である。
 コンビニそばの階段を下りると、大阪市営地下鉄梅田駅である。まずここで、これから2日間の「足」を確保する。「スルッとKANSAI 2dayチケット」である。出発前に買っておいたクーポン券を現物に引き換える。
 改札に直行して、監視所にいた駅員氏に引き換え場所を聞いてみると、改札内の駅長室に行けとのことで、通してもらう。駅長室では私が行くことが改札から既に連絡されていて、スムーズに対応してくれた。往路のバスの不手際ぶりとはえらい違いである。感心したのは、チケットを受け取り、このまま乗車してよいのか尋ねたときのこと。職員氏が「行かれる前に改札機に通していただきたいんですけど」と言いつつ、率先して自分から改札機に走り、機械に通してから私に渡してくれたのだ。おかげで、重たい荷物を抱えた私は改札機を徒に通過せずに済んだ。
 梅田から淀屋橋へ移動し、京阪電車の改札を入る。前述のとおり、07:50発の急行出町柳行きは予定通りであった。

 今日の第一目標は、本日から支店昇格なった香里支店(大阪府枚方市)である。現地へは、京阪香里園駅(同寝屋川市)からバスに乗り、香里ヶ丘3丁目で降りることになる。
 関西エリアには「××園」という3文字の駅名が多い。関東にも全くないわけではないが、明らかに関西のほうが目立つ。現在の香里園はもともと郡(こおり)という地名で、京阪がこの地に遊園地を開発する際、当時賑わっていた香枦園遊園地(兵庫県西宮市)にあやかって「香里」駅を開設したのである。西宮には「西宮七園」といって香枦園・甲子園など園のつく地名が6つ(かつては7つ)あり、いずれも遊園地や温泉などの行楽施設から地名になった。行楽施設の閉園などにより跡地や隣接地には住宅開発が行われ、「××園」は高級住宅地の代名詞となる。香里にあった遊園地は、枚方公園駅前にある現在の「ひらかたパーク」で、香里時代には「香里遊園地」と呼ばれていた。跡地は宅地に転換し、香里駅は1938年に「香里園」と駅名を変えた。既にこの時期に「園」の字のついた地名が高級住宅地として認識されていたことがうかがわれる。

2007年10月05日

2007.07.17(火)(2)スプロールの典型のような香里園

 電車が香里園に着いた。コンコースの東口側にりそな銀行の店舗外ATM(枚方支店香里園駅出張所)があるのを横目で見つつ、階下のバスターミナルに降りる。
 私が乗るべきバスは、系統番号1番、枚方市駅行きの京阪バスである。時刻表の上では十分間に合うはずの08:14発は、私がぼやぼやしている間に行ってしまったようである。次の発車は08:29だという。
 京阪香里園駅東口のバスロータリーは相当狭い。焼酎の5合ビンのような輪郭をしたバスロータリーには、長い部分に5番乗り場ぐらいまで並んでいた気がするが、ラッシュ時にはビンの首に近いところの乗り場に発着が集中し、本来の行き先でないバスまで入ってくる。ビンの底に近い乗り場にバスが停まっていると、後続のバスが回転できないのだと思われる。数本のバスを見送った後、ようやく私の乗る枚方市駅行きのバスがやって来た。
 バスが乗り場を離れた。バスロータリーの出口、つまり5合ビンの口にあたる部分は信号で、そこへのアプローチは坂になっていて、バスは坂道の途中で止まったまま信号待ちとなる。線路沿いに走っている公道にようやく出ると、すぐ右側には三菱東京UFJ銀行の香里支店(旧三和)があった。
 踏切の前で右折。ということはバスは真東に針路を向けたことになる。これで、りそな香里支店のある香里ヶ丘団地に向かう。対面1車線ずつの2車線道路である。
 バスが動かなくなってしまった。バスの前にいる車が右折しようとしているのだが、反対車線に車がびっちり詰まっていて、右折する余地がないのである。右折車の前には車は1台もいない。結局、反対車線の車列が途切れて前の右折車が曲がり終えるまで、バスは立ち往生する羽目になった。この界隈では、こうした無意味な渋滞が日常茶飯的に繰り広げられているのであろう。カーブが多く路側帯もなく非常に狭い2車線道路は、交通量がかなり多く、スプロールの典型といえる。団地が開発された後に道路整備がここまで進んでいないところは、関東エリアではあまり見ない気がする。さすがに、この付近には京阪電車の高架化とあわせて再開発の計画があるそうだ。
 狭い道の途中右側に、三井住友銀行の香里ヶ丘支店(旧住友)があった。SMの香里ヶ丘は、この4月に香里ヶ丘出張所から昇格したばかりである【注1】。SMは香里園駅西口に香里支店を別に構えている(旧太陽神戸)。西口にはみずほ銀行もある(旧富士。西口には旧一勧店もあった)。りそな銀行の拠点は、香里園駅界隈には駅コンコースにある店舗外ATMだけであるが、りそなグループの地方銀行である近畿大阪銀行が西口に香里中央支店(旧なみはや銀)を出している。

【注1】三井住友銀行香里ヶ丘支店:旧住友銀行香里支店。2001.04.01さくら銀行との合併により香里ヶ丘支店に改称、2003.03.17香里支店香里ヶ丘出張所に変更、2007.04.02香里ヶ丘支店に再昇格。

2007年10月06日

2007.07.17(火)(3)08:47、香里支店を制覇

 バスは、SMのすぐ先で左に曲がる。いよいよ香里ヶ丘団地に入る。
 曲がり込んだ道も2車線道路であるのは同じだが、団地に入ると道は少し広くなって、路側帯のついた団地の道路といった感じになった。香里ヶ丘団地は1950年代末から開発が始まった住宅公団の団地で、関東でいうとひばりヶ丘(東京都西東京市)や松原(埼玉県草加市)などの大規模団地と同じ頃の開発である。
 4階建て程度の、箱型のいかにも公団住宅といった感じの建物が並ぶ中をバスは走っていく。意識して植えたものだろうか、緑はかなり多かったと記憶している。団地の中心部、ピーコックストアのあるあたりでバスがいきなり脇道に曲がり込んだのでびっくりしたが、バスの回転所に回り込んだだけであった。やがて、私の降りるべき「香里ヶ丘3丁目」がやってきた。
 私はこの店に、りそな銀行になってから3回来ている。店種変更のたびに制覇し直すことにしているから、こういうことになるのである。この店は1963年10月に大和銀行の手で枚方支店香里出張所として開設、1969年4月に支店昇格し、りそな銀行発足時点では支店だった。2004年3月に出張所に降格、そして今回支店に再昇格したのである。
 但し、この店には今回初めて訪れた。3回目に来るのに今回が初めてとはどういうことか。実は、香里出張所は今年(2007年)1月に移転しているのである。前述のとおり、香里ヶ丘団地は開発が非常に古いため、インフラが更新の時期を迎えている。りそなの店の入っていた団地センターのような建物も再開発されることになり、近隣に店舗を新築して移転したのである。最近の建築は軽量化された素材を使っていたり、またプレファブリケーションが当たり前なのだろうから、この建物がセンタービル新築までの仮店舗であるのか、恒久的な建物なのかは、外見からはちょっと判断できかねた。
 香里支店の移転前の場所を、たまたまいた行員に尋ねてみると、ピーコックストア寄りの白い鉄板に覆われた更地がそうであったという。「たまたまいた行員」というのは、店の前に黒塗りの車が停まっていて、そこに数人の行員がいたのである。これは支店昇格初日だからなのだろうか。支店昇格おめでとうございます、初日の取引をしに東京から来たんです、とでも話しかけてみたら記念品の一つでもくれたかもしれないが、物欲しげでイヤな感じだし、何より後の日程が気になって、制覇作業(預金取引)だけ済ませてそそくさと店を後にしたのであった。
 ATMコーナーは最近の主流である白い内装でまとめられていた。香里支店は旧大和銀行店舗であるので、ATMはオムロンの「JX」と、その後継機種であるリーダス(日立オムロン)の「AK−1」(生体認証対応型)の2種類であったと記憶している。台数や構成比などは忘れた。

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2007年10月07日

2007.07.17(火)(4)枚方支店に立ち寄りつつ京都・丹波橋へ

 次の目的地は、大和西大寺(奈良市)である。
 香里園から西大寺まで、直線距離は20km程度しかないのだが、直行する交通機関は存在しない。いったん京阪で京都市内の丹波橋まで出て、そこで近鉄京都線に乗り換えることになる。西大寺では、9月に西大寺支店(旧奈良銀行店舗)が統合される。
 香里ヶ丘3丁目から再びバスに乗る。香里園に戻るつもりだったが、枚方市へ抜けることに変更した。単純往復が嫌いなせいもあるが、枚方市駅は特急停車駅で、かつ香里園より京都寄りの駅であるからだ。同じ程度の所要時間なら、こちらの方が有利であると思えた。
 途中の道は結構混んでいた。時刻はまだ9時台になったばかり。さっき香里園駅から団地に来る途中の道で、上り方向にあたる反対車線が渋滞していたのと同様である。枚方市に抜ける道は、香里園から来る道ほど狭いわけではないが、それでも2車線であるのは同じである。ただ、さっきの道が丘陵地帯を縫うように走っていて曲がりくねっているのに対し、こちらの道は枚方市内を東西に横切って流れる天野川に沿って走る道であるので、地形は開けているし、また道も比較的まっすぐに延びている。
 09:15頃、枚方市駅前に到着した。せっかく枚方市駅前に降り立ったので、枚方支店を再訪する。りそなの枚方市における拠点であるが、駅前のビルに入っている大規模店舗、という以外に特色は感じなかった。

 枚方市駅のホームには女子高生がいた。制服のスカートの裾が膝を隠しているのに軽い衝撃を受ける。ここ数年の傾向だが、大阪エリアでは女子高生のスカート丈がどんどん長くなってきている。今、スカートの丈はもっとも短い子でも膝丈ぐらいで、長い者になるとひざ下20cmぐらいまで延びてきているから、私の高校時代のようになりつつある。南野陽子(私の1歳年上)が主演した映画「スケバン刑事」を見ると、よくわかるのではないか(見たことがないのでなんとも言えないが)。首都圏ではまだまだミニスカートが全盛だが、私はあと数年のうちに「床掃除」になると確信している。
 閑話休題。せっかく特急停車駅まで来たのだが、枚方市から乗った電車は急行であった。09:30発の急行出町柳行き。乗る駅が香里園から枚方市に変わっただけで、当初プランどおりの電車である。京阪の特急は車内にテレビを取り付けた「テレビカー」が有名で、特急用車両にはテレビが取り付けられている。この電車にもテレビがあったが、放映していないようだった。
 高級住宅街の樟葉を出て、車窓風景が少し山がちになったかと思う頃、京都府に入る。京阪線の京都府最初の駅は、全国各地に同名の駅があることで有名な橋本駅である。後で触れるが、今回の旅ではもう1つ別の橋本駅で乗り換えを行っている。
 京都競馬場のおひざ元である淀は、明治時代に作られたナンバー銀行の一つ、淀第七十国立銀行が設立された城下町である。この銀行はどういうわけか現足利銀行(栃木県のトップバンク)となっている。
 これらの駅を一瞬で通過しつつ、宇治線の分岐する中書島に停車して、乗換駅の丹波橋に着いたのは09:50のことであった。約20分の乗車である。
 いったん京阪の改札を出て、近鉄への連絡通路を進む。丹波橋駅の連絡通路は結構な距離があった。丹波橋での乗り換えは中学生時代に1回やったことがあるだけで、その時の記憶と比較すると、連絡通路はこんなに距離が長かっただろうかと思う。京都市内から南に路線を延ばしている2本の私鉄は、ここ丹波橋のすこし北側で立体交差し、2kmほど並行して走った後、奈良方面と大阪方面に分かれている。丹波橋駅はこの並行部分にあって、地図でみると両者間は結構間が開いているようだから、連絡通路の長さはまあ仕方ないのであろう。
 ようやく近鉄の改札を入る。腹が減った。ホームに売店があった。菓子パンを買ってホームで食べた。「チョココロネ」であった。

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2007年10月08日

2007.07.17(火)(5)西大寺再訪

 近鉄丹波橋10:01発の近鉄奈良行き急行に乗車、30分ほどの乗車で、目指す大和西大寺に到着した。
 腹が減った。さっき丹波橋で買ったチョココロネは、チョコクリームがほんの少ししか入っておらず、後半はほとんど「角の形をしているだけのパン」と同じだったから、空腹を癒すどころか却って欲求不満がたまってしまった。そういう状態ではあるが、今から行く西大寺支店は大和西大寺駅の南側で、こちら側には店もろくにないのは承知している。食事はまだしばらくお預けである。
 橋上駅舎でありながら北口と南口とが截然と分離されていて、互いの行き来ができないことを再確認しつつ、大和西大寺駅の南口改札を出る。改札近くにあった駅周辺地図を見ると、南側と北側との往来については、駅の西側に踏切があるのを新たに確認したが、やはり例の地下道経由が一番近いとわかった。「例の地下道」とは、西大寺支店を最初に訪れた際の体験記(「旧奈良銀店舗全店制覇」(32)(33))でも書いた、駅東側についている2本の深いアンダーパスのことである。
 南口に出てみると、西大寺駅のこちら側は前回よりいっそう寂れているように思えた。銀行ウオッチャーの視点からは、何といっても地元のトップ地銀・南都銀行が撤退したことが大きい。2006年10月、南都銀行は、6階建ての「南都銀行西大寺駅前ビル」を大和西大寺駅の北側に新築、西大寺支店を移転し、あわせて西大寺北支店を統合した。新店舗はりそな銀行近鉄西大寺支店の隣りである。
 南口にある南都の旧西大寺支店跡は、店舗外ATM【注2】として稼働している。そして、今回りそな銀も支店を統合することで、大和西大寺の南口から銀行の営業店が消滅することになる。それもうなずけるほど、南口の商業ビル(公団が建てたセンタービルである)は商業施設が撤退してうらぶれた様相を呈している。
 ようやく西大寺支店にやってきた。前回来たとき取扱中止の貼り紙が出ていた夜間金庫は、投入口をコルクボードでふさぎ、「夜間金庫」のあんどん表示には「掲示板」と書いて、完全に掲示板にしてしまっていた。店に入ると、合併当初中古の「オムロンHX」ばかりだったATMは、オムロンJXと、その後継機種リーダスAK−1の2台に交換されていた。西大寺支店の「クイックロビー」(ATMコーナー)は、統合後は店舗外ATM[西大寺](近鉄西大寺支店)として11月末までは稼働するそうだが、逆にそれ以後は廃止されてしまうようである。
 窓口室には今回初めて入った。蛍光灯の本数が少ないのか薄暗い店内では、数人の行員が黙々と事務作業をしていた。統合が発表されたせいか、ねっとりと湿った空気が流れているようだった。

 西大寺支店に来たついでに、近鉄西大寺支店をのぞいてくる。1年半前と変わらず近鉄のアンダーパスを2本くぐり、奈良ファミリーの東南側から支店にアプローチする。
 前回と変わっているのは、りそな近鉄西大寺支店の隣の角に南都銀が大きなビルを構えていることが第一である。窓口の営業時間こそりそなに負けるものの、南口にあった西大寺のメイン支店をわざわざ移転してまで巨艦店舗を出すというのは、駅周辺の再開発が完成に近づいてきた西大寺という地区の重要性を物語る。このほか、みずほ銀行の西大寺出張所は7月30日付で支店に昇格する。迎え撃つはずのりそなは、10月から「平日19時までの窓口営業」を廃止し、他の支店と同じ17時までの営業に縮小してしまった。

 蛇足ながら、南都銀といえば、「ナント・なら・ずっと!」という広告キャンペーンをやっている。朝乗った大阪地下鉄の車両ドア横には、上記コピーを大書した南都銀の赤いステッカーがベタベタ貼られていた。南都銀のキャンペーンは今年(2007年)5月からだそうだが、これはりそなが2006年1月に奈良銀行を合併したときのコピー「りそな、なら、いっしょに。」にそっくり過ぎはしないだろうか。

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【注2】西大寺支店西大寺国見町出張所。

2007年10月09日

2007.07.17(火)(6)11:27、やまと郡山支店を制覇

 次の目的地は、奈良市の南西5kmの大和郡山市である。ここには、今日から支店昇格成った「やまと郡山支店」がある。「大和」をわざわざ「やまと」と平仮名書きに変えているのは、言うまでもなく、この店を作ったのが旧「だいわ」銀行だからである。
 大和西大寺11:06発の天理行き急行に乗る。電光表示には発車時刻が11:06と出ていたが、時刻は既に09分を回っていた。接続か何かの関係で遅れたのだろう。大慌てで乗り込むと、電車は私を待っていたかのようにドアを閉めて発車した。少し走っただけなのに汗が噴き出してきた。
 急行であるから、西大寺の次がもう目指す近鉄郡山である。右側の車窓に郡山城跡の石垣が見えてくると、駅はすぐそこであった。
 列車を降りて、1年半前に来た道を逆方向に東へ向かう。古い木造建築が並ぶ町並みを10分ほど歩いて、JR関西本線郡山駅前にあるやまと郡山支店に到着した。
 店はマンションの1階であった。銀行の店舗がマンションと同居するというスタイルは、旧あさひ店ではちょっと見かけない【注3】。
 店内は静かであった。支店昇格初日という華やいだ雰囲気はまったく感じられない。ロビー係の女性が「いらっしゃいませ」と声をかけてくれたが、特に「今日から支店に昇格」うんぬんとは言われず、あまりにあっさりしているのに拍子抜けした。
 ともあれ、ATMを操作して、やまと郡山支店を制覇。やまと郡山支店は1976年10月の開設で、大和銀時代の1998年5月に奈良支店(現近鉄西大寺支店)の出張所に降格されていた。2006年1月の「旧奈良銀店舗全店制覇(30)」で、私は「やまと郡山出張所はいつか『合併効果』で再び支店に昇格するのだろうか。」と書いた。「合併効果」であるかどうかはともかく、支店昇格という結論としては的中したことになる。

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【注3】銀行の店舗がマンションと同居:成瀬や上大岡など、旧あさひ店にも似た例がないわけではない。両者はマンションではなく銀行の寮だった。
(2007.11.09_14:28追記)7日、埼玉りそな銀行鶴瀬支店(埼玉県富士見市)に行ったところ、マンションと商業施設が併設された駅ビルの1階であった。よって、本文の「銀行の店舗がマンションと同居するというスタイルは、旧あさひ店ではちょっと見かけない」という部分は撤回する。

2007年10月10日

2007.07.17(火)(7)田原本再訪

 次の目標は、田原本支店(奈良県磯城郡田原本町)である。
 腹が減った。ロータリーをはさんでりそなの反対側にあるセブンイレブンで、唐揚げ弁当を買う。これまでつまみ食い程度でしのいできたが、我慢も限界にきたようである。駅前のタクシー乗り場のベンチに座り、高い日差しの下で汗をかきながらコンビニ弁当をむさぼり食った。結局、コンビニ弁当で陥落してしまった。
 近鉄郡山へ戻る。駅の手前まで戻ってきたとき、踏切が鳴り始めたのが見えた。私は前回、ここ近鉄郡山で改札を突破するという荒業を演じている(「旧奈良銀店舗全店制覇」(31))。有効な切符は持っていたのだが、そう言い訳しても感心できないのは確かである。というわけで反省した私は、焦る気持ちを抑えつつ、スルKAN2dayをきちんと改札機に投入して駅構内に走り込んだ。ホームに並行して長いスロープが延びており、地表面と同一の改札から車両の乗降口まではかなりの距離がある。走った。懸命に走っているのに、走っても走っても電車にたどり着けない。そう感じられたものの、おそらくほんの数秒の話であろう。
 ようやく電車にたどり着くと、車掌は私がハコに乗り込むのを確認してからドアを閉めてくれた。少しだけだが待ってくれたのだ。心の中で手を合わせた。

 近鉄郡山から16分の乗車で、田原本に到着。田原本に来るのは2006年1月の田原本支店初制覇(「旧奈良銀店舗全店制覇」(15)(16)(17))以来1年半ぶりであるが、前回は橿原神宮前から来て大和八木に戻ったから、近鉄橿原線の田原本以北は使っていない。
 田原本といえば、前回「小京都」の古い町並みに感動して帰ったので、今回は前回見ていないところを見ようと思い、コースを前回と多少変えて南寄りのルートを通ってみた。前回は駅を背に右に曲がったのだが、今回は左折するのである。
 率直に言うと、これは失敗した。一度心を動かされた場所は、よほど注意して再訪しないと落胆してしまう。私にとっては徳島の「阿波踊り」がその例だ。初めて出かけた時、祭りの熱気に圧倒されて、無感動なこの私が「連」に加わって踊りだしてしまったのだが、その感動よもう一度、と思って数年後の夏に再び徳島を訪れたところ、何の感動も味わえず、カメラだけ壊して帰ってきたという悲しい思い出があるのだ。今回、田原本はそれに近かった。幻滅こそしていないが、新たな感慨もほとんどなかったのである。
 途中に一つだけ、辛うじて新たな感慨があった。旧田原本信用金庫の旧本店とおぼしき建物である。後で調べたところでは、この建物はやはり旧田原本信金本店で、前身の田原本町信用組合が1948年8月の設立であるから、その頃の建築と思われる。本店の新築移転に伴い、1978年11月から奈良中央信用金庫(本店移転と同時に改称)の魚町支店となり、2002年からは有人出張所として営業していたが、2006年9月末で窓口営業を廃止して店舗外ATMとなった。旧窓口室は信金の関連会社が事務所として使用しているようだ。

 1年半ぶりに、田原本支店の前に立った。
 2006年1月の初制覇の際にグアーッと音を立てて吠えた支店入口の自動ドアは、押しボタン式のものに改造されていて、音もなくスルスルと開いた。ATMは西大寺支店と同様、オムロンJXとリーダスAK−1に取り替えられていて、金庫のような鋼鉄の囲いも、都市銀行チックなものに少しだけ形を変えていた。田原本支店の取り納めとなるであろう取引を済ませる。統合前の最終営業日は9月14日(金)だが、もうここに来る機会はないだろう。
 中年の男性行員が、来店客全員に統合のチラシを手渡している。統合の報を聞いて東京から駆けつけた私は会釈だけして受け取ったが、一般の来店客には「支店の統合」がどういうことであるのか理解できない様子だった。説明を受けて初めて「田原本からりそな銀行の支店がなくなる」ことを理解し、驚いている。
 田原本支店の統合先は、田原本の南方5kmほどの大和八木(橿原支店、奈良県橿原市:かしはらし)で、田原本から一番近いりそなの店もここである。距離でいうと5kmほどだが、旧城下町(に似た性質の陣屋町)では町を出なくとも生活が完結してしまうのか、田原本の人には八木まで出るという習慣がどうもないようだった。銀行の来店客数人を見ての見解だから、確たることは言えないが。
 なお、田原本支店の「クイックロビー」(キャッシュコーナー)は、統合後は店舗外ATM[田原本](橿原支店)として、同地で引き続き稼働している。

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2007年10月11日

2007.07.17(火)(8)奈良−大阪の府県境を越えて

 次は、近鉄大阪線で河内国分(大阪府柏原市:かしわらし)に行く。
 同駅近くにある柏原支店国分出張所は、「店番が母店と同じ有人出張所」の再制覇である。初制覇(2003.12.22)では車で手っ取り早く片付けてしまったので、ディテールは全くと言ってよいほど覚えていない。
 南回りのルートに感動が味わえなかったので、今度は前回来た北回りルートで田原本駅まで戻ることにした。どうも、さっきのルートにさほど感心しなかった理由は、古い建物が軒並み建て替えられてしまっていたせいらしい。北回りを歩いてみると古い建物の残存率が南回りとは違うようで、少しだけだが前回感心したのが蘇ってきた。
 田原本12:50発、橿原神宮前行き普通に乗車。6分の乗車で大和八木に到着し、大阪線の13:00発上本町行き急行に乗り換える。河内国分は大和八木から急行で3つ目、15分ほどで到着した。急行で15分というのはたいした距離ではないのだろうが、五位堂(奈良県香芝市)を出て少し行くと車窓の風景は急に山間部のようになり、県境を越えて奈良県から大阪府に入ることをうかがわせた。
 電車を降りる。後で確認したところでは、河内国分到着は13:14であった。この駅は急行停車駅だが、ホームから階段を上がっての印象では、さほど賑わっているようには見えなかった。
 前回の制覇の際、国分にはレンタカーを自分で運転して来た。その時私はどのように走っただろうか。記憶を探りながら駅の東側に出て闇雲に歩いていると、とりあえず、国道25号と165号とが分かれる駅前のY字路には見覚えがあった。駅ビルのような形でスーパーがあるのもかすかに覚えていた(現在あるのと同じ「ライフ」だったかは記憶にない)。しかし、りそなは果たしてどこにあっただろうか。
 見当たらない。Y字路に見覚えがあるのだったら、りそなも覚えていれば理想的だが、やはり車で回ると個所数は稼げても一つ一つの印象が薄っぺらである。銀行発行の店舗一覧を確認する。
 ここで私は初めて、間違った思い込みをしていたことに気づいたのであった。(2008.01.28_14:20訂正)

2007年10月12日

2007.07.17(火)(9)大混雑の国分出張所

 今、河内国分駅の東側にいる。
 店舗一覧には、国分出張所の場所として「近鉄大阪線河内国分駅西側」とあった。

 河内国分駅の西側に抜ける地下道が、駅ビルの南側にあった。通り抜けのできない大和西大寺駅のような構造でなくてよかったと胸をなでおろしつつ、地下道を抜ける。地下道といってもほとんど勾配もなく、単なるアンダーパスに近い。
 西側に抜けた途端、平屋建て(のように見えるが実は違う)の見覚えある銀行店舗が見えた。パラペットというのか、店舗正面上部の白い横壁には、りそな銀行のロゴとRマークの切り抜き文字が取り付けられている。旧大和銀行スタイルの彩色された切り抜き文字で、Rマークは緑、RESONAの文字はオレンジ、銀行のロゴは黒であった。

 店に一歩入って、私は「店番が母店と同じ有人出張所」のイメージを覆された。何なのだ、この混雑ぶりは。キャッシュコーナーはさほどでもなさそうだったが、出張所ゆえに狭い窓口室はごった返しており、ソファーには空席もないほどであった。順番待ちの客は10人以上はいたと思う。「店番が母店と同じ有人出張所」の制覇には窓口取引が必須であるので、とりあえず番号札を取って、待つ間に伝票に必要事項を記入する。
 自分の番はなかなかやってこない。結構複雑な相談をしている客が多いようだ。ロビーには中年男性のロビー係が一人いて、「いらっしゃいませー、お待たせしておりますぅー」と、大きな声で連呼している。大阪府内だから関西弁のイントネーションなのは当然として、「お待たせしておりますぅー」の「すぅー」の部分の「す」の字に半濁音の「○」をつけたような、独特の発音をしている。こんな観察ができるほど、この時の待ち時間は長く感じた。
 ようやく自分の番がきて、窓口で通帳と伝票を渡す。ソファーに戻ると、私が座っていた場所は別の客に取られてしまっていた。仕方がないので立っていると、処理そのものは早かったようで、思ったより短時間でカウンターからお呼びがかかった。
 ごとう日でも週末でも月末でもないのにこれだけ来店客があるのなら、国分出張所は店舗を拡張して支店に昇格しても良さそうである。店番号が母店と同じ出張所は、母店の一部として機能しているということだから、母店から出張所分だけを切り離すのは大変かもしれないが。しかし、りそなの営業店でこれほど賑わっている店は、初めて見た気がした。

 国分出張所のある大阪府柏原市は、大和川が東西に横切っている。大和川は笠置山地(奈良県)に発して奈良盆地の水を集め、奈良県・大阪府境の渓谷を経由、河口付近では大阪市と堺市との境界となって、大阪湾に注いでいる。
 柏原市は大和川が金剛・生駒山地を横断して大阪府に入ったところにある。柏原市の市域はこの川を境に南北に分かれ、河内国分は柏原市の南半分にあたる旧大阪府南河内郡国分町の中心地である。柏原市は、中河内郡柏原町と南河内郡国分町とが1956年に合併して現在の市域になった(市制施行は1958年)。大和川の南岸に位置する旧国分町には、町名どおり河内国分寺跡があり、現在では近鉄大阪線の快速急行停車駅として大阪のベッドタウンとなっている。北岸の旧柏原町は江戸時代には天領で、大和川の流路変更(付け替え)により舟運の終着地となって栄えた古い商業地区である。
 今回制覇した国分出張所は1984年6月の開設で、当初から現在まで有人出張所として営業している。母店の柏原支店は、旧大和銀行の支店としては非常に古くからあり、1934(昭和9)年の開設。同年に大和銀に買収された富田林銀行【注4】の柏原支店を継承して開設されたもので、すなわち店の開設はさらに古くにさかのぼる。

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【注4】富田林銀行:1896(明治29)年7月21日設立。本店は大阪府南河内郡富田林町(現富田林市)。1934.12.15大和銀行に営業譲渡。

2007年10月13日

2007.07.17(火)(10)新金岡に向かう前に阿倍野橋で寄り道

 次の目的地は、今日から支店に昇格した新金岡支店(堺市北区)である。国分から現地に出るには、いったん大阪市内に出て、難波から地下鉄御堂筋線に乗るしかない。
 河内国分に着いたのが13:14だった。これから乗る大阪方面の電車は、急行上本町行きで13:54発である。目的地が駅前の1か所であるのに1駅で40分を要したというのは、国分出張所での待ち時間が長かったことを示している。とはいうものの、事前の計画では河内国分14:38発のはずだったから、現時点でもまだ計画より44分早いのだが。
 さて、ここには一つ「難問」が立ちはだかっている。難波までどう出るか、という問題である。近鉄の路線は難波まで通じているが、大阪線は難波の2つ手前の上本町が終点で、この電車も上本町行きである。上本町で難波行きに乗り換えることは可能だが、地上から地下への移動を伴う。一つ手前の鶴橋なら、難波まで乗り入れる奈良線の電車に同一面ホームから乗り換えることができる。普通ならそれで終わりなのだが、事前のリサーチ(「goo」を使用)では、どう検索しても、鶴橋で地下鉄千日前線に乗り換えるプランしか出てこなかったのである。何か理由があるのだろうが、腑に落ちない。鶴橋で近鉄の別の電車に乗り換えた方が絶対早いと思えた。
 国分から15分も経たないうちに、大阪線の線路は奈良線と合流するため高架上に上がり始める。奈良線と重なったところの駅が布施、それから鶴橋まではすぐだ。検索サイトを信じるか、自分の勘を信じるか。どっちにしても鶴橋で降りるのは間違いないのだが。鶴橋には14:10に到着する。
 電車を降りる。まだ迷っている。時計を見ると、現在時刻は14:11。次いで、ホームに掲示されている難波行きの時刻を見ると14:14とあった。同一面ホームでの乗り継ぎで3分の待ち時間。そして、もう1つの選択肢・地下鉄千日前線のことを考える。私は鶴橋での近鉄→地下鉄の乗り継ぎをしたことはないが、近鉄の改札を出て、連絡通路を経由して地下鉄乗り場へ、ということを考えると、仮に3分後に電車があったとして、それに乗るのは無理ではないか。加えて、千日前線は大阪地下鉄の閑散線区で、終日4両編成で走っていることを思い起こす。電車の本数はさほど多くあるまい。
 決まった。ここは自分の勘を信じよう。かくして、近鉄のホームからそのまま近鉄で難波に出てしまうことに決定した。14:14、奈良線からやってきた東花園始発の各駅停車に乗り込む。
 難波での御堂筋線への乗り換えは、勝手のわかっている駅だけにスムーズに片付いた。千日前線の難波駅は近鉄難波駅に隣接しており、難波での乗り換えの手間は近鉄とほとんど変わらない。これを知っていたがために、私は自分の勘を信じることにしたのであった。

 現時点で、スケジュールは40分程度早く進んでいる。ここで、阿倍野橋支店が再開発のため先月仮店舗に移転したことを思い出した。同支店の最寄り駅は天王寺であるから、新金岡へ向かう途中である。決めた。阿倍野橋支店の取材を追加しよう。頭の中で鈍速CPUが回転してこのように決めたとき、電車は既に天王寺駅のホームに滑り込んでいた。
 近鉄百貨店になっている近鉄阿部野橋駅ビル併設の出口を出ると、夏の日差しがじかに頭に当たって一瞬クラッとした。天王寺駅南西側の「金塚地区」と呼ばれる地域は、もう既に大半の建物の撤去準備が済んでいて、白い鉄板で区画全体が覆われている。駅前の、あべの筋につけられた歩道橋に上ると、見覚えのある旧阿倍野橋支店の建物が見えた。私は阿倍野橋支店は2004年8月13日に初制覇している。
 仮店舗は阿倍野筋をさらに南に下がったところにあって、行ってみるといかにも速成のビルが建っている。りそなの南隣は住友信託、北側には三菱東京UFJ(旧三和)があって、複数の銀行店舗の仮店舗が並んでいる。阿倍野橋の旧店舗周辺は銀行支店が建ち並んでいたところで、これらが全部まとめて仮店舗に移転してきたわけである。単純化すると、再開発区域を2つに分けて、A地区の立ち退きが済んだらB地区の銀行をA地区の仮店舗で営業させ、B地区の再開発が完了したらA地区の仮店舗をB地区に戻してA地区を再開発する、という段取りなのであろう。
 りそなの仮店舗ビルは、かつての本店舗が建物の真ん中で色を変えていたのを踏襲して、真ん中だけグレーの着色がなされている。こういう微妙な心配りがあるのに少しだけ感心した。

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2007年10月14日

2007.07.17(火)(11)「旅行貯金」に対する率直な疑問

 阿倍野橋支店仮店舗のさらに南側に、再開発ビルの「あべのベルタ」がある。ビルの1階にあべのベルタ内郵便局があるのをたまたま発見したので、奉公先の給与を引き出しついでに、通帳の今回の取引に局名のハンコを押してもらって「旅行貯金」の真似事をしてみた。私は郵貯めぐりはもともとしていないので、だから「真似事」なのである。
 中年女性の局員さんは、ゴム印を選ぶところから始まって、神経質とも思えるほど丁寧に局名印を押してくれた。私はこの様子を見て、郵便貯金めぐりはこれからもするまい、と再確認した。この局員さんは、ゴム印の押印をめぐって、過去にエキセントリックな一部の「郵貯めぐラー」とトラブルがあったのではないか。
 私が郵貯めぐりに手を出さないのは複数の理由【注5】があるのだが、その一つは、郵貯の旅行貯金という趣味が個々の郵便局員の「便宜」に依存して成立しているためである。便宜ということは、それが図られないこと(局名印の押印が拒絶されること)も論理的にはありうる。つまり私は、郵便局の旅行貯金は、制覇の証拠の安定性・確実性という点において難がある、と考えているのだ。
 郵便局めぐりではバイブルのようになっている種村直樹氏の本『日本縦断「郵便貯金」の旅』(徳間書店、1995年)には、窓口の局員に局名印の押印を断られて激怒した著者が、自分で通帳に郵便局名をボールペンで記入した体験談が書かれている。これは、通帳に表示される局名の安定・確実性を疑わせる事例であると言える。その点、りそなの通帳に店名が記帳されるのは、銀行にとって正規の日常業務の一環であり、ATMや記帳機で記帳することで「便宜」に依存することなく制覇箇所証明が完了する。
 急いで付言しておくと、これによって郵貯の旅行貯金を否定するものではない。私は「完全制覇主義」であるので終わりのないレースには耐えられないが、逆に一人で全部回ることを意図しなければ、無限に楽しめる趣味であるとも言えるからだ。また、郵政省時代にはゴム印の押印を拒否しないよう指導していたらしいし、局によってはイラストなどの入ったゴム印(「タカラ印」と呼ばれる)まである。郵貯の通帳では、貯金の取引をした郵便局の番号が記帳されるため、制覇したこと自体は番号さえ調べれば証明される。
 但し、繰り返すが局名のゴム印は貯金業務に必須のものというわけではないので、これをもって「私は」やらない、ということである。
 なお、「タカラ印」にはさまざまな形態があり、通帳の複数行にまたがらないと押せない巨大なものも多いそうだ。これを集印するために、窓口で通帳の行を数行飛ばして印字してもらうことも行われているという。通帳の印字は預貯金取引の履歴であり、現在高が正当であることを「行が連続していること」をもって証明するものである。それが空いた場合、空欄に何かを書き込んだら、正当性の証明にはならなくなる。ここまで来ると、もはや「預貯金サービスを使った趣味」の範囲を逸脱してしまうのではなかろうか。

 蛇足。郵貯の民営化に伴い、簡易郵便局が大量に廃局になるなど、郵貯のめぐラーにとって辛いであろう変化が続いている。「あさめぐラー」だった私は、あさひ銀行がりそなに再編される過程で同様の喪失感を味わっている。「めぐ」の一ジャンルを担う一人として心からお見舞い申し上げる。

【注5】いちおう整理しておくと、次の6つである。
 (1)全国に2万か所以上あって、数的に自分一人ではとても全部回りきれないこと。
 (2)ハシゴをした証拠を残すために行う通帳への記録が、郵便局の場合は不便であること。
 (3)さらに、その記録の安定性・確実性に疑問があること。
 (4)小学生時代に風景入り通信日付印(風景印)の収集をしていて、その際に各地の郵便局を回っていること(郵便局員にとって風景印の押印はれっきとした「業務の一環」である)。
 (5)郵便局めぐりには、著名・偉大な先達が既に複数いること(りそなめぐりにも、私が知らないだけで既にいらっしゃるのかもしれないが)。
 (6)旅行貯金マニアの某氏とトラブルになった経験があること。

2007年10月15日

2007.07.17(火)(12)15:30、新金岡支店を制覇

 阿倍野橋への寄り道により、これまで予定より40分ほど早く進行していたのは解消されて、ほぼ当初予定どおりに戻ったことになる。新金岡支店の制覇に向かうことにしよう。
 夏の日差しが照りつけるあべの筋を北に戻り、御堂筋線へ。天王寺15:09発のなかもず行きに乗る。当初予定ではなんばを15:10に出ることになっていたから、この電車は当初予定より1本か2本早いだけの電車ということになる。
 地下鉄御堂筋線は大阪市交通局の路線だが、新金岡の1つ手前の北花田から堺市に入る。15分ほどの乗車で新金岡に到着。
 最近(といってもここ十数年ほど)の地下鉄新駅は、地上からの出入り口の数だけ改札があった1960年代の地下鉄駅とは異なっている。地上の出入り口は複数あるものの、改札は中央に1か所だけという例が多い。人件費の節約のためなのだろう。というわけで、新金岡駅の地下通路はとても長い。プラットホームが地下2階で、その上に地下1階にあたる部分として長い連絡通路になっているという構造である。
 地図によると、新金岡支店があるのは、南北に細長い新金岡駅の南端付近であるようだ。改札を出て、長い長い通路を南の方向に進んでいく。タバコを吸っているアホなカップルとすれ違った。公共施設では禁煙が常識でしょうが。
 2号出口の階段を地上に上る。一歩外へ出たとたん、またしても夏の日差しにクラクラする思いであった。T字路の反対側に、りそな銀行の縦看板が見えた。ここはショッピングセンターのサティと同じ敷地内にあるようだ。
 早速、支店めがけて信号を渡る。新金岡支店に入ると、自動ドア入って右と左の両側に、それぞれ7〜8台ずつATMが並んだATMコーナーが広がっている。左右両側に分かれたこの構造は、大和銀の大型住宅地店舗に特有の構造である。別に左右どちらの機械を使っても制覇の内容に変わりはないのだが、こういう時私はなんとなく右側の機械を使ってしまう。15:30、新金岡支店を制覇した。
 新金岡はきょうで都合3回目のはずだが、どうも近畿エリアの旧大和店舗は印象が薄い。88年8月のCI導入【注6】以後、店の内装や什器類などがソフィスティケートされ過ぎているのかもしれない。

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【注6】CI導入:大和銀行の創業70周年を期して導入。内部的には「ビジュアル・アイデンティティ」(VI)といっている。正方形を2つ斜めに組み合わせて中央にDの字を置いたシンボルマークなどが、このときから使用開始された。

2007年10月16日

2007.07.17(火)(13)和泉中央再訪

 新金岡の次は、泉北ニュータウン内の営業店が2か所続く。
 新金岡の次の駅なかもずは、南海高野線との乗換駅である(南海の駅名は「中百舌鳥」)。南海高野線はさらに、この駅から泉北高速鉄道を分岐している。泉北高速は泉北ニュータウンの足として開業した路線であるから、泉北NTに行くのであれば当然この路線は外すことができない。この線の沿線に2か所ある今日の目標は、終点・和泉中央駅前にある光明池支店和泉中央出張所(和泉市)と、途中の栂・美木多(とが・みきた)駅前にある泉北とが支店(堺市南区)である。
 計画では、終点の和泉中央を先に、途中の泉北とが支店を後で取ることになっている。普段なら「どちらを先に取ってもよいのだが…」とか何とか言いつつ理屈をつけて順番を決めるのだが、今回は違う。和泉中央出張所は「店番が母店と同じ有人出張所」で、制覇には窓口の取引が不可欠である。りそな銀行の窓口営業時間は夕方5時まで。新金岡を出た時点で既に4時近い。泉北高速線に何らかのアクシデントがあった場合、和泉中央の今日の制覇が無理になる可能性が全くないとは言えない。そういうリスクのある目標とあっては、制覇完了は一刻も早い方がよかろう。実際の問題としてはその種のアクシデントの可能性は高くはないだろうが、どちらを先にしても大差ないのであれば、逆にこのように徹底的にリスクをヘッジしておくことも必要かと思う。無鉄砲な私が変に用心深く思慮をめぐらしているのも妙な話ではあるのだが。

 今出てきた地下鉄の出入り口を入り、長い連絡通路を通ってまた改札まで戻ってきた。なかもず行きに乗車、1駅3分の乗車で終点「なかもず」に到着。案内表示に従って地上に出ると、そこが南海「中百舌鳥」駅の駅前広場で、関西アーバン銀行の「中もず」支店が見える。一つの地名で複数の表記がある例は他にもあるが(埼玉県でいうと「春日部」と「粕壁」など)、ここほど表記の数が多いのも珍しいのではないだろうか。
 南海のエスカレーターを上がると、コンコースには何と古本屋がある。駅ナカが最近流行っているとはいうものの、「古本屋」があるケースはこの堺市周辺の「天牛堺書店」以外には知らない。とはいえ、南海中百舌鳥駅は、駅ナカに古本屋がある以外には目立った特徴もない駅であった。イメージ的には、関東地方でいうと相鉄二俣川のような感じだろうか。路線が分岐する郊外の駅で、駅舎が橋上にあるという意味である。
 私が乗るのは、15:47発の準急和泉中央行き。準急といっても、泉北高速線内は各駅停車になってしまう。泉北高速鉄道の青線の入ったステンレス車は、私を乗せるとすぐに発車した。
 各駅に停車するとはいえ、泉北高速鉄道は駅間の距離が長いため、全部の駅が急行停車駅並みの規模となっている。りそなは、今回の目的地2か所を含め、泉北高速の全駅(中百舌鳥を除く)の駅前に営業店を持っているから、泉北高速沿線にあるりそなの全店を電車で巡ると、泉北高速の「全駅制覇」が併せて達成できることになる。

 中百舌鳥を出て深井、泉ヶ丘、栂・美木多、光明池と停車して、終点の和泉中央には16:04に到着した。和泉中央駅は掘割の下にあって、長いエスカレーターを上って1階のメイン改札となる。改札を出てコンコースを突き抜けて右へ。1回来ているから勝手はわかっている。線路沿いに走っている幹線道路、泉北1号線(府道富田林泉大津線)を渡ったところにある、駅ビル「エコールいずみ」の北館だ。
 あれれ。
 道路が渡れない。つまり、和泉中央出張所は地平の1階からだと出張所のある建物までたどり着けないのである。この幹線道路を渡るためには、改札からさらにエスカレーターを上がり、2階からペデストリアンデッキを通っていかなければならないのであった。前回来た時にも同じコースをたどっているはずなのだが、いったい何を見ていたのだろうか。
 ようやく現地にたどり着いた。さっきの国分出張所と同様、伝票を書いて通帳とともに窓口に提出する。和泉中央はいかにも出張所といった感じの小規模な店舗で、窓口室はソファー1つ真ん中に置いてあるだけで一杯一杯という感じであった。
 和泉中央出張所は、旧大和店舗の光明池支店(堺市南区)を母店としているが、りそな銀行になってからの新設店舗。開設は2004年2月24日で、同月から展開が始まった個人向けの軽量化店舗「りそなパーソナルステーション」の第2号(実質的には第1号とほぼ同じ)である。

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2007年10月17日

2007.07.17(火)(14)16:32、泉北とが支店を制覇

 和泉中央駅に戻る。改札を入ると、16:21発の準急なんば行きが今にも発車しようとしていた。今度の電車は、泉北高速の車両の中では最新型となる白い電車であった。
 和泉中央出張所の母店がある光明池を間に挟んで2駅、5分ほどで栂・美木多(とが・みきた)に到着した。
 私は、栂・美木多駅で降りたことが過去3回以上ある。泉北とが支店がりそなになって2回店種変更されているためもあるのだが、実はここは「あさめぐ」の時代に来たことがあるのだ。河内千代田支店の店舗外ATM[近畿大学医学部堺病院]の最寄り駅が、ここ栂・美木多なのである。店舗外ATM名が通帳に記帳されなくなった今、近大病院に用はない。

 ニュータウンの鉄道に乗り、その後で体験記(紀行文)を書こうとすると、風景の描写に困惑することがある。丘陵地帯は地形の起伏が案外激しいし、しかも沿線の風景がよく似ているから、駅や線路や施設が掘割だったか高架だったか、はたまた地平だったかで混乱してしまうのである。栂・美木多については、ホームから階段を上って橋上駅舎に出たのは間違いないはずだが、改札を出てそのまま駅前のバスターミナルのようなところへ抜けた記憶もある。
 りそなの泉北とが支店は、駅前の「ガーデンシティ」という駅前センタービルの2階にある。駅からは改札を出てそのまま同一平面上となるのだが、バスターミナルも同一平面上だから、地形の関係が私の頭の中がこんがらがっているのだ。この文章を書きながらwebの国土地理院地形図(1:25000)も見てみたが、駅周辺の地形の関係はいまひとつ判読できなかった。
 とは言え、駅を出てから支店までの間はよく覚えていたので、現地での制覇は問題なく終了した。ATMで預金取引を行う。16:32、泉北とが支店を制覇した。
 なお、泉北とが支店の入る建物には、近畿大阪銀行の店舗(深井支店泉北とが出張所、旧大阪銀)も入っている。近畿大阪銀行はりそな銀行とのシステム統合が来年7月には完成することになっているから、りそな・埼玉りそな銀行と同様に取引実行店名が通帳に記帳されることになるだろう。そうなれば当然、この地を4回目に訪れることになる。

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2007年10月18日

2007.07.17(火)(15)17:01、初芝支店を制覇

 夏の日没は遅いとはいえ、この頃になるとだいぶ日が傾いているのを感じるようになる。今日の目標もあと2か所となった。
 次なる目標は、今日から支店に昇格した初芝支店(堺市東区)。ここもかつて支店から出張所に格下げとなった店だが、出張所降格は大和銀行時代の2002年5月であるので、私が来るのは今日でまだ2回目である。
 初芝支店の最寄りとなる初芝駅へは、泉北高速鉄道で中百舌鳥へ戻り、南海高野線に乗り換えて2つ目となる。駅前のファミリーマートで買ったあずきバーをかじりながら栂・美木多の改札を通る。16:39発の準急なんば行きで中百舌鳥に戻る。16:49着。ここまでは単純往復の域である。
 次の目標である五条支店(奈良県五條市)へ行くことを念頭に置いて、中百舌鳥駅の掲示時刻表で接続関係を確認する。この時刻表には、各駅停車から急行(等)への接続が明示されている。五条へ行くには、南海高野線で橋本へ出て、JR和歌山線に乗り換えである。
 現状、予定より30〜40分早く進行している。この快適な状況を維持するためには、初芝以南のスケジュールが、橋本行きとの関係で相当にタイトであることがわかった。初芝から橋本へ行くには途中の北野田で急行に乗り換える必要があるが、厄介なのは急行の全てが橋本まで行くわけではないことである。途中止まりの列車を考慮すると、橋本まで行けるのは、中百舌鳥発でいうと17:06発の河内長野行きか、17:42発の三日市町行きしかない(初芝の発車はプラス3〜4分)。30〜40分早い現状を維持するためには、初芝17:09発に何としても乗る必要があった。初芝17:46発では、もう当初プランの列車になってしまう。
 現在16:50、これから乗る列車(各駅停車金剛行き)が16:54発。初芝から乗るべき列車は中百舌鳥17:06発。これらを総合すると、初芝での持ち時間は、わずか10分ほどしかないことになる【注7】。幸い、初芝支店は一度行っている目標であるため、場所をおぼろげながら覚えている。初芝駅前の交差点を渡ってすぐ左側だったはずなのだ。10分あれば、ぎりぎり制覇は可能であると思われた。
 とにかく行ってみよう。私は心を決めた。

 初芝駅は、複線の両側にホームのへばりついた、いわゆる対向式のホームで、駅舎はホーム下の平面上にある。改札を入った乗客は階段を上ってホームに上がるという、ちょっと古めかしいスタイルであった(このスタイルは今日行った駅でいうと田原本もそうだった)。
 駅舎を出ると、郊外電車の駅前にありがちな小規模商店の並んだ商店街になっている。目の前に泉州銀行初芝支店がそびえ建っていて、駅前通りが左前方に延びているのは以前来たときの記憶と同じだ。よし、この調子。関西アーバン銀行の初芝支店(旧関西銀行)をさらに左前方にちらりと見つつ、すぐ右前方に視線を移すと、駅前の交差点。府道堺富田林線との交差点である。信号の向こうに、目指すりそな銀行の縦看板があった。
 大急ぎで制覇作業、そして写真撮影まで済ませる。余韻もへったくれもなく、あっという間の初芝支店滞在を終了した。
 初芝は昭和初期に田園都市として開発された地域だそうで、りそなの支店の背後には閑静な住宅地が広がっているようだ。大和銀行初芝支店は1987年の開設と比較的新しい。

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【注7】中百舌鳥から先の列車:ややこしくなったので整理する。20070717-15_Norikae.GIF

2007年10月19日

2007.07.17(火)(16)橋本を経由して五條市へ

 次に行く五条支店(奈良県五條市)が、今日の最終目標である。
 駅に戻って改札を駆け抜け、階段を駆け上がると、程なく河内長野行きの各駅停車がやってきた。どうにか「11分間の制覇」は成功した。ここから先は、しばらく「車中の人」が続く。
 初芝から2つ目の北野田で、急行の待ち合わせ。私はここで17:19発の急行橋本行きに乗り換えである。北野田は、初芝と同じ頃に開発された高級住宅地・大美野田園都市の最寄り駅で、堺市南東部の南海高野線沿線における中心地である。駅前では再開発が進行中。りそなの拠点はこの駅近くにはない。
 そろそろ夕方のラッシュにかかるようで、やっと来た急行は混雑していた。ぎゅうぎゅうというほどでもないが「うわー混んでる」という視覚的印象を受け、実際に空席など一つもない状態、といえばわかってもらえるだろうか。とはいえ、河内長野でドッと客が降り、私は着席することができた。河内長野市(人口11.9万人)の玄関口にあたる河内長野駅は、近鉄南大阪線の支線である長野線との接続駅でもある。急行はこの駅以南は各駅に停車する。
 南海高野線は、河内長野を過ぎると急に勾配がきつくなり、深い山に分け入っていく。河内長野までで実質的に大阪府が終わりと言えるのかもしれないが、河内長野市の南部には三日市や美加の台といった住宅地が開発されているし、林間田園都市までは相当に乗客がいる。南海橋本林間田園都市は、大阪府と和歌山県との境界である和泉山脈を越えて橋本市に開発されたニュータウンで、この駅から橋本まではわずか2駅に過ぎないが、ここから先は列車本数が30分1本にまで痩せ細ってしまう。

 場所は違うが、本日2度目の橋本駅に着いた。私はここで、JR和歌山線に乗り換える。今使っているスルKAN2dayは、JRではもちろん使えないから、ここから五条までは切符を買わなくてはならない。跨線橋を渡って、いったん改札の外へ出ることにする。
 橋本駅の跨線橋は、明治時代の鋳物製なのか、複雑な形態の柱を持った相当に古めかしい姿をしている。それを横目で見ながら階段を上がっていくと、跨線橋の上には扉のついていない自動改札機が設置されていた。これは、関西民鉄のICカード「ピタパ」の読み取り機である。こんなところに改札機がある意味としては、南海とJRという会社を異にする乗り換えにあたってのチェックということだろう。しかし、この改札機はあくまで「ピタパ」の読み取り機能しかついていない。であるならば、JRの田舎の駅で使われているような簡易読取機だけで良いのではないかと思うが、なぜ「改札機」にしているのだろうか。しかも、この改札機には、繰り返すが扉が付いていないのである。
 橋本駅のたたずまいは、以前来た時と変わらず、ピンクの平屋建てのままであった。1998年1月、関西エリアの「あさめぐ」で橋本駅を起点にした(ここでレンタカーを借りた)とき以来である。駅前にある関西アーバン銀行橋本支店(旧幸福銀行)屋上の「幸福の鐘」も、健在であった。幸福の「鐘」といっても、本物の鐘ではなくてスピーカーが付いているだけなのだが。
 当初予定では、橋本18:35発の快速高田行きに乗ることになっていた。現状、ここまで37分早く到着している。五条までの切符を買いがてら時刻表を見ると、次の和歌山線五条方面は、18:08発五条行きとなっていた。やった。スケジュールの前倒しを心掛けてきたおかげで、橋本では予定より27分早い1本前の電車に乗れる。本数の少ないJRのローカル線で、この成果はかなり貴重と言えるのではないだろうか。

 3番ホームで五条行きの電車を待つ。ホームには学校帰りらしい男女高校生がいたが、おとなしいものであったと記憶している。やがて、クリーム色に赤帯の入ったJRの電車がやってきた。首都圏で走っていた103系電車を改造した2両編成で、まあオンボロと表現して差し支えないであろう。五条まではこの電車で4駅、15分ほどの旅である。ホームのすべての乗客が乗り込んでも、座席はようやく半分ほど埋まったぐらい。この状態で、電車は県境を越えて五条まで行く。
 18時08分、電車は定刻通り橋本を発車した。夕方6時を回り、窓の外はだいぶ暗くなってきた。

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2007年10月20日

2007.07.17(火)(17)時間が止まっていたような五條市街

 18:22、電車は五条に到着した。これから行く五条支店をもって、本日の予定をすべて終了する。
 五条支店を訪れるのは、旧奈良銀行がりそな銀行と合併した2006年1月以来だが、実は五条駅では今回初めて降りる。前回は新宿から夜行バスで直行したからである。夜行バスが発着するのは、五条駅の南約300mほどの国道24号線沿いにある「五条バスセンター」で、五条市内に複数あった前回のビューポイントはすべて国道沿いであったから、JRの駅へは前回全く足を踏み入れなかったのである。
 ホームには、2両編成の電車にこんなに乗っていたかと思うほど多くの乗客が降りた。駅舎へは地下道が続いているが、地方都市の小駅のこととて、階段やトンネルの幅は大人が2人並んで歩いたら一杯になってしまうほど狭い。改札で切符を渡し、外に出て振り返ると、五条駅の駅舎はここ10年ほどの間に建て替えられたらしく、平屋建ての四角い建物になっていた。
 五条支店に向かって歩みを始める。駅前通りは、南側の国道に向かって下り坂になっている。下り坂が始まるあたりに、五条市の旧市街である須恵商店街との交差点、そしてその角に関西アーバン銀行の五条支店(旧幸福銀行)と、五条郵便局(本局)があった。関西アーバンの五条支店は、写真は撮ってこなかったものの、いかにも相互銀行然としたコンクリート造りの味のある外観をしている。今日の記述では、特に後半で「関西アーバン銀行」を目にする機会が多かった。関西アーバンは、2004年2月に旧幸福(相互)銀行をルーツとする関西さわやか銀行が、住友銀行グループだった関西銀行に合併されて誕生した第二地銀。旧幸福相互銀行が和歌山県発祥のため、大阪府南部から和歌山県方面には店舗網が充実しているのである。
 関西アーバンの前にはタコ焼き屋の車が出ていて、店をやっているおばちゃんから「お兄ちゃん買って」と声をかけられる。人の良さそうなおばちゃんの声に、ついほだされて1つ買いそうになるが、手を振って通り過ぎた。
 そこで私はちょっと足を止めることになった。駅前通りの関西アーバンの反対側に、商工地図が打ちつけられている。田舎なら大体どこでも見かけるもので、零細な広告会社が企画して、広告料金の支払いの有無や多寡に応じて地図上の距離や面積が増減するという、(地図としては)あてにならないものである。驚かされたのは、この地図の記載内容である。何と「三栄相互銀行五条支店」の文字が大書されていたのであった。
 三栄相互銀行というのは、旧奈良銀行が普銀転換する前の名前である。奈良銀の普銀転換が1989年4月であるから、この商工地図は少なく見積もっても18年間ずっとそのまま掲示されていたことになる。しかも、看板はそれほど傷んでいる様子はない。五条市街地はJRの駅を除きほとんど時間が止まっていたのだろうか。思わぬタイムスリップを楽しむことができた。
 広告スペースに大書されていない目の前の幸福相互銀行は、広告料金を払わなかったのだろう。それでも、地図部分には幸福相互銀行がちゃんと書き込まれている。地図としても割と正確に描かれているようだし、商工地図としてはかなり良心的に作られているようであった。

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2007年10月21日

2007.07.17(火)(18)五条再訪、一日の終わり

 五条支店に行く前に、途中にあるサティ五条店に寄ってみた。国道24号線沿いにあるこの店は、五条バスセンターが併設された五条市随一の商業施設であり、五条支店が店舗外ATM[五条サティ]を店内に出している。
 りそなのATMは、同店の1階というか2階というか不明な場所にある。店舗案内図によると正式には1階にあることになっているが、バスターミナル側から上がった私は2階にあると感じた。地形が東(五条支店側)から西(五条駅方向)に向かって下り斜面になっているため、こういうことになる。肝心のATMには、五条支店統合のトの字も発表されていなかった。支店統合後に顧客利便を確保するため店舗外ATMを設けるのだろうが、サティ内の既設のATMを残しておければ、支店の代替施設には十分なりうるだろう。それとも[五条サティ]はATM設置場所の地代を惜しんで廃止してしまうのだろうか。
 店舗外ATMを一瞥した後、建物東側の出口を出て五条支店に向かう。今度はATMの場所がしっかり「1階」であることを確認できた。
 前回りそなと合わせて「制覇」しようとして、スケジュールの関係から断念していたミスタードーナツの五条ショップが、今日は明かりを煌々とつけて営業している。前回とは異なり、私は今となってはミスド店の制覇をやめてしまったから【注8】、今回はここに寄ることもなく再び国道を歩き始める。

 サティから東へ10分、1年半前に来た道をふたたび歩いて、りそな銀行五条支店に到着した。
 支店に入る前にまず気付いたのは、五条支店隣にあったNTTドコモの携帯ショップが閉店していたことである。ドコモの看板の赤い部分だけ健在で、他は白く塗りつぶされているようだ。
 店内に入ると、金庫のような鋼鉄製の覆いを下部につけたATMが1台だけ置かれていたキャッシュコーナーは、機械が壁から突き出した形に改造されており、機械も2台に増設されていた。とりあえず制覇作業(取り納め)を済ませたが、ピンと来たことが一つある。なぜこんな地方都市の支店でATMを増設したのだろうか。ということで、店舗外壁の駐車場側にあるドライブスルーATMのコーナーに行ってみたところ、やはりと言うか何と言うか、五条支店のドライブスルーATMは廃止されていた。ドライブスルーの風除け屋根の部分は、車庫として利用され、バイクが数台置かれていた。ドライブスルーコーナーに貼られていた貼り紙によると、廃止は2007年1月18日ということである。ドライブスルーは旧奈良銀の特徴だったが、五条支店と同時期に吉野支店も廃止、平城支店はこの9月18日にドライブスルーを廃止したそうで、現在も残っているのは店舗外ATMの[谷ドライブスルー](桜井支店)1か所のみとなっている。
 五条支店は、西大寺・田原本の2支店とともに、9月14日(金)最終営業日を迎える。五条支店のクイックロビー(ATMコーナー)は、統合後は店舗外ATMの[五条](吉野支店)として、2008年1月末までは営業するという。

 本日の予定はひととおり終了した。既に辺りはだいぶ暗くなり、銀塩カメラならストロボを焚かないと像が写らないくらいの明るさになってきた。デジカメのおかげで暗いところでの写真撮影ができるようになって、地方での銀行巡りには大いに助けられているものの、やはり明るいうちの方が写真がきれいに撮れるのは間違いない。これまでスケジュールを可能な限り前倒しにしてきたのは、そういう事情である。
 あとは、予約を入れてある和歌山市内のビジネスホテルに落ち着くだけである。もう写真は撮らないから、焦って前倒しで動く必要もない。当初計画では五条19:41発の普通列車和歌山行きに乗る予定で、まだ40〜50分程度の時間の余裕があるので、国道と駅前通りとの交差点角にあるガストで食事。その後駅に戻って宿までの乗車券を購入したが、うっかり「和歌山」までの切符を買ってしまった。今日の最終目的地は、和歌山からさらに乗り継いで2駅先の「和歌山市」駅で、和歌山までの切符では運賃が足りず、着駅では現金で精算させられる羽目になったのである。
 ともあれ、こうして、7月17日の夜が更けていった。

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【注8】為栗のミスド店制覇終了:為栗がミスド店制覇の証拠としてきたのは、店名が下部に印刷されたポイントカードの「ミスドカード」だったが、2006年11月26日をもってカードの配布が廃止された。翌月からの新システムでは、店名印刷のある都度配布のカードが存在せず、全店で確実に入手できる「制覇の証拠」は消滅した。これをもって、私・為栗裕雅は、ミスド店の制覇を終了することとした。

(7月17日篇 おわり)

2007年10月22日

2007.07.18(水)(1)今日の計画を立てる

2007.07.18(水)

 ここ1〜2年ほど、私の生活は昼夜が逆転しているので、たまに普通の人と同様の時間に寝ようとすると、短時間で目がさめてしまう。具体的には、旅行中など、昼間活動して夜に睡眠をとるような場合である。そういう時間に寝ようと思えば動物の本能で不思議とある程度寝られるものの、やはり「8時間きっちり」というのは無理で、仮眠程度にしかならないのである。
 昨夜は宿に9時半に着き、旅の疲れと程よいアルコールの作用もあって10時過ぎには寝てしまったが、翌朝目を覚ましたのは5時であった。何だ7時間も寝てるじゃないかと思わないでいただきたい。私はもともと睡眠時間が平均より長くて、毎日きっちり8時間は寝ないと身がもたない。そのうえ、昨夜は激安チャーターバスの車内でほとんど眠れず、朝大阪に着いてからは夜までりそめぐをしていたのだ。バスを降りてからだけで、都道府県ベースでいうと大阪→京都→奈良→大阪→和歌山→奈良と移動し、そして今和歌山にいるのである。せめて7時間くらいは寝かせてもらいたい。とはいえ、本当は朝7時まで寝るつもりで目覚ましをセットしていたから、予定より2時間も早く起きたことになる。こういう時は、無理に床に入っていないでスパッと起きてしまった方がよい。
 窓から朝の光が差し込んでいる。外を見ると、そこには何となく見覚えがある風景が広がっていた。過去の記憶が吹っ飛んでしまっているが、このホテルに以前泊まったことがあっただろうか。安い宿ばかりを選んで泊まっているから、以前泊まったところを意図せず再訪しているかもしれない。
 着替えをして、ホテルの1階ロビーに出た。ここにはパソコンが置いてあって、ホームページの閲覧ぐらいは自由にできるようになっている。これを使ってネットで列車ダイヤを調べ、今日の行動計画を立てる。早朝とあって、パソコンを使う客は私の他にはいない。
 りそめぐについては、「制覇」となるところは昨日のうちに全部巡ってしまったから、今日行くところは「再訪」の拠点ばかりになる。もはや私の「りそめぐ」は終わってしまっているのであるが、四国八十八か所巡礼にしても、逆順で回ったり等、回数を誇っている人もいるではないか。世の中に1人ぐらい、銀行巡りで再訪までするような奴がいてもよいと思うのである。
 今日は、兵庫県方面を再訪することに決めていた。兵庫県「全店」の再訪ではないものの、その気になればあと半日くらいで全店再網羅ができるくらいの個所数を今日めぐっておくことにする。
 合わせて、今日は鉄道の乗りつぶしも少しこなしておこう。宿泊を和歌山にした理由はいくつかあるのだが、そのうちの一つは、未乗で残っていた線区の一つ、和歌山電鉄に乗りたいと思っていたためである。和歌山電鉄はもともとは大手私鉄・南海電鉄の貴志川線だったが、2006年4月に経営主体が代わって新会社の路線となった。南海貴志川線は終点の貴志まで1回乗っているのだが、私はこういう場合新線が開業したとみなしているので、もう1回乗らねばならない。そして、どうせ乗るなら、話題の「いちご電車」【注9】に乗ろうと思った。これが、和歌山を08:25と10:01に出る。プランはこれを軸にして立てた。りそな和歌山支店を再訪し、さらに和歌山市内で複数の別の銀行の用事を片付けてから、和歌山10:01発の「いちご電車」に乗る。

【注9】いちご電車:2006年8月に営業運転を開始した和歌山電鉄の電車で、2006年4月の同社営業開始時に南海電鉄から引き継いだ貴志川線専用車両を改装したもの。終点・貴志駅周辺の名産物イチゴにちなんで車体を紅白で塗装し、車内をイチゴ柄で埋め尽くした。デザインは、JR九州や「さいたまスーパーアリーナ」などでデザインを手がけたインダストリアルデザイナーの水戸岡鋭治氏。

2007年10月23日

2007.07.18(水)(2)和歌山支店を再訪

 ホテルを7時半にチェックアウトした。
 最初に行く予定にしていた旧和歌山銀行の本店は、和歌山城の北側を東西に走る「けやき大通り」沿いにあって、和歌山市駅前からだと国道24号(中央通り)を南進して、城が見えたら左に曲がるだけである。ところが、ひねくれた私はどこをどう歩いたのか、後で来るつもりだったりそな銀行和歌山支店に先に到達してしまった。りそな和歌山支店は、和歌山市駅から東南に700mほどの本町で、和歌山市随一の繁華街とされた「ぶらくり丁」の南にある。
 8時前であるので店はまだ閉まっているが、せっかく来たので、外観の写真撮影だけ済ませることに変更した。和歌山支店は、1階部分の天井が2階分くらいの高さを持つ、昭和30年代に建てられた古い店舗が今も現役で使用されている。同じ時期の建築は、最近になって宇都宮・荻窪と相次いで鬼籍に入ってしまったから、こういう古い店舗が現役使用されているのは嬉しい。りそな銀行和歌山支店は、1909(明治42)年1月に不動貯金銀行和歌山代理店として開設され、1916(大正5)年4月和歌山支店に昇格している。現在の店舗は1959年4月の新築で、今となっては旧協和銀行の店舗で2番目に古い建築となってしまった【注10】。
 和歌山県下最大の商業集積地として名前が脳味噌に妙にこびりついていた「ぶらくり丁」は、りそな和歌山支店の北側にある。ぶらくり丁を構成する商店街の一つ「ぶらくり丁商店街」とりそなとの間に、和歌山県のトップバンク・紀陽銀行の本店がある。この時間のぶらくり丁商店街は人通りもほとんどないようで、いちおう角にマクドナルドがあることだけが繁華街の証明かと思われた。ぶらくり丁というのは商人たちが商品を店先にぶらくって(吊るして)いたことからついた名前だそうだが、このままではぶらくり丁というより「ブラックリスト1丁」といった感じである。
 旧和歌山銀行本店までは随分時間がかかった。現在ここは紀陽銀行和歌山中央支店となっている。和歌山銀は第二地銀としても弱小の部類で、地元での商売という点で紀陽銀にはもちろん敵うはずはなかったのだが、それでも本店の建物は非常に大きくて立派であった。黒いタイルがびっしり並んだ西側の壁面には、和銀を吸収合併した紀陽が取り付けた「紀陽銀行」という社名ロゴの金属製切り抜き文字がキラキラ光っている。こうして紀陽銀行は、和歌山県唯一の本店銀行となった。
 その後、りそな和歌山支店を再訪。ここで初めて預金取引である。時間外手数料の105円がかかるが、この際差し上げてしまおう。時間の節約の方が大切である。
 和銀本店からりそなに戻る間に、窓口が開いたら行こうと思っていた関西アーバン銀行和歌山支店にも遭遇したが、もうどうでも良くなってしまった。用事は今日焦って済ませなくても、東京に帰ってから東京支店に行けば事足りるのである。

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【注10】現存最古の協和銀行店舗:現営業店舗としては、1958年築の亀戸支店が現存最古であるとみられる。

2007年10月24日

2007.07.18(水)(3)わくわく為栗…!?

 和歌山電鉄に回る。予定では和歌山10:01発の「いちご電車」に乗る予定であったが、おそらくそれよりは大幅に早く和歌山駅に到着しそうである。といって、08:25発には間に合わないだろうから、今回は「いちご電車ははずす」ことにあっさり決定した。まあよい。私はそういう「目立つもの」ではなく、日常走っている平凡な車両で貴志川線を旅することにしよう。目立つものは、他人様にまかせておけばよいのだ。
 和歌山市内の和歌山バスではスルKAN2dayが使えるので、紀陽銀本店前にあるバス停から和歌山駅へ向かう。和歌山市の中心街はJRの和歌山駅からかなり遠く、歩いて行けないこともないが2km近い道のりとなる。和歌山の交通の中心はもともとは南海和歌山市駅で、現在のJR和歌山駅は1968年まで「東和歌山」といったのだから無理もない。JRのほうが開業が新しいためである。
 和歌山駅に着いた。和歌山電鉄の乗り場は、JRの改札を入り、地下道をくぐっていった先にある専用ホームである。和歌山電鉄ではスルKAN2dayが使えないので、乗車券を買おうとJRの券売機に近づくと、和歌山電鉄の券も売っている。試しに「イコカ」を投入してみると、券が購入できてしまった。その切符で改札を入って電鉄のホームに行ってみると、電鉄の職員が詰めている連絡改札では、普通の乗車券で1往復するよりも安い「一日乗車券」を売っている。自分が持っている切符を変えてくれるようダメモトで頼んでみたところ、電鉄の駅員はなんと応じてくれて感心した。
 貴志川線ホームのベンチで、さっき切符を買う直前に駅の売店で買った、揚げもの多数の弁当を広げる。これが今日の朝食である。ホームの先端部に近いベンチでは、数人の若い女性がタバコを吸っている。のどかな光景である。やがて、当駅終着の折り返し電車がやってきた。客が全部降りきったところで乗り込む。
 車内には「わくぐり 7月30日31日 伊太祁曽神社」としか書かれていない吊り広告がたくさん下がっていた。沿線の住民には「わくぐり」と言えばすぐアレだなとピンとくるのであろう。「わくぐり」は和歌山市伊太祈曽(いだきそ)にある伊太祁曽(いたきそ)神社の祭りで、正式には「茅輪祭」といい、茅萱で作った輪をくぐることからわくぐりと呼ばれる。多数の屋台が出店し、奉納芸能なども各種あって賑やかな夏祭りだそうだ。「してぐり」というハンドルネームを使っている私には「わくわくしてぐり」の略であると思えてならず、この時期に貴志川線に乗れてよかったと思った。私の書くものをわくわくしながら読んでもらえるよう、一層精進したいと思う。
 ホーム先端でタバコを吸っていた女性たちは、電車に乗り込んでから栄養学か何かの勉強をしていたから、短大生だろうか。電車が発車してすぐ、最初の駅・田中口に停車。制服姿の女子高生がホームの壁に向かって何やらゴソゴソしていて、大急ぎで向き直って電車に乗ってきた。何をしているんだろうと思ったら、どうもタバコを吸っていたようだ。高校生と短大生は、ともに同じ駅で降りた。後で調べたところによると、その駅の近所には女子短大があって、付属の中学・高校もあるようだ(学校の名前は駅名とともに伏せておこう)。喫煙という野蛮な風習は、和歌山のような地方都市ではまだまだ健在のようである。と、喫煙者でない私はスモーカーの反発を予期しつつ書く。
 地方都市といえば、和歌山の女子高生は制服をミニスカートにしている子が多く、昨日大阪エリアで見たのとは打って変わってスカート丈が短い。この電車に乗り合わせている数人の女子高生も、もちろん褐色の大根をむき出しにしている。和歌山が「大阪エリア」ではなく、近畿地方に属する独立性の強い県であると認識した。
 当初乗ろうと思っていた「いちご電車」とは、途中のどこかの駅(日前宮か神前)ですれ違った。伊太祈曽駅の車庫には、7月末デビューの「おもちゃ電車」が見えた。いちご電車は真っ白だが、こちらは真っ赤に塗られている。おもちゃ電車は、玩具会社が広告料を出して車内外を大改装したそうで、人形や積み木が並ぶショーケースやベビーサークルを備え、車内にはガチャガチャ(の販売機)まであるそうだ。この文が発表される頃にはもう営業運転に入っているはずである。
 貴志川線の終点・貴志駅には、猫駅長の「たま」がいるそうだ。駅舎の中で営業している商店主の飼い猫だそうだが、私が訪れたときにはいないようだった。私は猫とどうも相性が悪いらしく、自宅近くに複数いる顔なじみの野良猫に「おはよう」と声をかけると、けしからんことに逃げていくのである。近所の顔なじみには烏もいるが、烏君たちは挨拶すると私のほうを見つめ返してくれる。猫とはそういう動物なのかもしれないが、だから私は猫が嫌いだ。とまで短絡するつもりはないが。
 いちご電車もおもちゃ電車も、猫駅長のたまも、この文章で取り上げるのは電鉄会社の話題づくりに乗せられている気がして癪にさわるから、簡略に留めておく(と言いつつ、随分字数を割いてしまった)。

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2007年10月25日

2007.07.18(水)(4)西宮北口再訪

 空はどんよりと曇っていたが、折り返し電車で和歌山駅まで戻る頃には土砂降りの雨になっていた。この後は、今日のりそめぐを本格的に開始するべく、大阪方面への移動である。
 和歌山市駅までバスで移動する。今日のここまでの行動内容からして、昨晩の宿を和歌山市駅前で取ったことには何の意味もない。失敗だったと後悔したが、後の祭りであった。
 和歌山市駅に着いたのは10:25頃。今朝宿で立てたプランによると、和歌山市11:30発の特急なんば行きに乗ることになっていた。今ちょうど1時間前。南海電鉄のダイヤが精緻に作られていれば、かっきり1時間前に同じ種類の電車(特急なんば行き)があるはずだ。改札を入ると、果たして10:30発の特急なんば行きが今にも発車しようとしていた。南海電鉄の特急は有料のはず、とプランを立てながら危惧していたのだが、ホームに降りてみると、有料の座席指定車の前部に特急料金不要の一般型車両が連結してあって安心した。私はもちろん一般車両のほうに乗る。座席はあらかた埋まっていたが、私は着席することができた。
 私はここでしばし眠りにつく。約1時間後、私の乗った電車がなんばに到着した。
 せっかく難波で改札を出るので、少し寄り道して難波支店の写真を撮る。その後、地下鉄で梅田へ。今日の第一目標は西宮北口支店(西宮市)と決めているから、阪急神戸線に乗り換えである。腹が減ったので、阪急梅田駅の売店でカロリーメイトを買った。目新しい「ポテト味」など買ってみたところ、後悔した。
 空腹を癒せないまま、梅田から12:10発特急新開地行きに乗車。10分あまりの乗車で西宮北口に到着である。西宮北口駅から支店までの様子は「あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇 01.09(5)」で書いたから、ここでは繰り返さない。ただ、駅の北西口にある関西アーバン銀行西宮支店に寄り、この銀行の用事だけ済ませた。

 りそな銀行西宮北口支店に入る。キャッシュコーナーにはATMが3台あって、前回来たときと比べて1台増えていた。関西系の大和銀行と合併して、この支店は少しは営業成績が上がったということなのだろうか。制覇作業(預金取引)をし、写真を撮って西宮北口支店の再訪を完了した。
 りそな西宮北口支店の前身である協和銀行西宮支店は、戦前から続く支店で、もともとは不動貯金銀行の西宮支店であった。西宮には別に大阪貯蓄銀行の西宮支店があった(阪神西宮駅南側の西宮市馬場町)。1945年5月の9行合併では大阪貯蓄の支店が西宮支店となり、不動の店は北今津支店と称したが、北今津支店は1950年4月に新築のうえ西宮支店に改称。その際に大阪貯蓄の店は西宮戎支店と改称され、1952年9月西宮支店に統合された。
 西宮市甲風園にある現店舗は1974年7月の新築だが、それ以前の旧店舗は西宮市松原町にあった。今でいうとJR西宮駅南口、「フレンテ西宮」東館から国道2号線を挟んだ向かい側である。協和が得意とする地場の商店街の支店から、甲風園という高級住宅街の支店に大変身を遂げたわけだが、もしこういう大移転をしていなかったら、西宮支店はあさひ銀時代末期に統合の憂き目にあっていたかもしれない。大和銀との合併に伴って西宮北口支店に改称されるのはその後の話である。

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2007年10月26日

2007.07.18(水)(5)神戸岡本再訪

 引き続き阪急神戸線で西宮北口から岡本に出る。次なる目標は、神戸岡本支店(神戸市東灘区)である。
 12:53発、特急新開地行きに乗車。7分の乗車でもう岡本についてしまうが、この間に特急は夙川(しゅくがわ)にも停車する。今年(2007年)3月にJRが新駅を設置したのに伴い、阪急は甲陽線との乗換駅である夙川に特急を停車させるようになった。阪急神戸線の特急は、以前は西宮北口を出ると次がもう三宮だった。あまり停車駅が増えると各駅停車と変わらなくなってしまうのだが、利便性が増加する側面はもちろんある。なにしろ岡本に特急が停まらなければ、私は今回別のもっと遅い列車で移動しなければならなかったのである。
 13:00、岡本駅に到着。駅を出た途端に激しい雨となった。さっき西宮北口では薄曇り程度だったのだが、阪神間はこんなに天気が変わりやすいところだったかと驚かされた。とにかく、雨の中を神戸岡本支店に向けて歩く。岡本は阪神間の高級住宅地の中では代表格で、神戸市内の住宅地では最も地価が高いそうだ。町並みはさすが神戸市内というべきか垢抜けているし、駅前を徐行しながら走る車も、今日これまであまり見かけなかったBMWなどが目につくようになった。甲南大学をはじめ複数の大学が近所にあるので、大学生の男女が多い。
 駅から南進するも、1分も歩かないうちに突き当たり。右へ曲がるともうりそな銀行の茶色い建物が見える。店の向かいはみなと銀行本山支店(旧阪神銀)と、ダイエー系高級スーパーのグルメシティ。ダイエーにとってお膝元である関西では、同社の高級スーパーが十分営業できているようだ。
 りそなの店に入ると、オムロンの「IX」というやや旧型のATMが置かれていた。数台あるうちの1台だけだったが、りそな銀行にIXはもともと非常に少ないので、新鮮な印象である。制覇作業を行う。

 大和銀行は、1982年11月に「岡本支店」を作り、1998年3月に有人出張所(神戸支店岡本出張所)に変更した。現在の神戸岡本支店は、この旧・岡本支店の建物を使用しているが、店歴上は別の支店である。
 大きく変化を遂げたのは、大和銀行グループがなみはや銀行の営業を譲受したことがきっかけである。1999年に経営破綻したなみはや銀行は、2001年2月に大和銀行グループに分割譲渡され、おおむね大阪府以外の店が大和銀行に引き取られた。阪神新在家駅近くの神戸市灘区友田町にあったなみはや銀行灘支店【注11】は、そのまま大和銀行の灘支店に変わり営業していた。2002年8月、灘支店は神戸市東灘区岡本に移転し、神戸岡本支店に名称変更した。これが、現在の神戸岡本支店である。灘支店の移転改称と同時に、旧・岡本出張所は神戸岡本支店(旧・灘支店)に統合された。もうおわかりと思うが、旧・灘支店の移転先が、岡本出張所の統合跡地なのである。

 ところで、神戸岡本支店はちょっとしたトリックに使える店の構造をしている。支店の建物は崖線上に建っているのだが、実は今入った北側の出入口とは別に、南側(崖下にあたる部分)にも出入口がある。窓口室を通り抜けて南側のドアを出ると階段がついていて、ここを降りると、JR東海道線の北側を走る幹線道路(阪神間山手幹線)に出られる。JRの摂津本山駅までは、歩いて5分かからない。尾行者がいる時など、北側のATMコーナーに入り、預金取引をするふりをして店内を通り抜けると、撒くことができるのである。もちろん、窓口営業時間中で、かつ尾行者が店の構造を知らないことが前提だが。

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【注11】なみはや銀行灘支店:1960.10.18福徳相互銀行神戸東支店として開設。1986.07.07神戸支店灘特別出張所に変更、1989.02.01普銀転換により福徳銀行となり、1994.08.29灘支店に昇格。1998.10.01なにわ銀行との合併によりなみはや銀行灘支店となり、2001.02.13営業譲渡により大和銀行灘支店となる。

2007年10月27日

2007.07.18(水)(6)西神戸支店を再訪

 銀行から阪急の駅へ戻る頃には、雨は上がっていた。岡本13:20発、特急新開地行きに乗る。次の目標は、新開地駅4番出口の前にある、西神戸支店(神戸市兵庫区)である。
 岡本の次の三宮で阪急電鉄の路線が終わって神戸高速鉄道に入り、同時に線路が地下に潜って地下鉄のようになっている。三宮から3つ目の新開地には13:34に着いた。
 新開地駅は1968年に開業して以来ほとんど改装されていないようで、かなり古びている。高度成長時代に作られた地下鉄駅に特有の、タイルを貼り詰めた壁面はくすみ、目地の部分が黒ずんでいた。コンコースの古びて狭い食堂街を横目で見ながら地上に出ると、外はピーカンの青空であった。阪神地区はこんなにも天気が変わりやすいものなのか。本当に驚いている。
 西神戸支店は地下鉄出口を出た目の前にあって、再制覇はすぐに済んだ。もともと大和銀行は、神戸市の中西部に湊川支店と長田支店という2つの支店を持っていたが、先の震災を経て、湊川支店(兵庫区下沢通1丁目)を同区大開通1丁目に新築移転、西神戸支店に改称し、あわせて長田支店(長田区腕塚町、JR新長田駅近く)を統合して現在の姿になったものである。湊川支店は現在地から北へ400mほどの湊川公園西側にあった。西神戸支店としての営業開始は2002年3月のことである。念のため書いておくと、「先の震災」とは言うまでもなく阪神・淡路大震災のことである。京都では「先の戦争」というと応仁の乱を指すらしいので(笑)。
 新開地は、戦前には神戸随一の繁華街・オフィス街だったが、戦後長いこと進駐軍に接収されたため復興が遅れ、神戸市の中心が三宮に移ったこともあって栄光を失った。旧赤線地帯である福原が隣接していることもあって、先の震災までは「行くのがはばかられる場所」とさえ見られていたが、震災復興により外見上は面目を一新している。
 私は西神戸支店に寄ってきただけで、震災復興後の表通りしか見ていない。新開地には兵庫県唯一のストリップ劇場があったが、今年(2007年)8月閉館したそうである。私はストリップ劇場に行ったことは1度もないが、たまに調べものをする横浜市立中央図書館に向かう途中、京急日ノ出町駅近くに1軒あるのは知っている。話のタネに1回入ってみようかとも思うのだが、思いながらも、最近私は桃色系の話題に関心が持てなくなってしまっている。

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2007年10月28日

2007.07.18(水)(7)いよいよ神鉄沿線へ

 次は、神戸市北部にある2店を再訪する。北鈴蘭台支店(神戸市北区)と、そこを母店とする押部谷出張所(同西区)。両店とも、新開地から六甲山系を越えて北に向かう神戸電鉄の沿線にある。神戸電鉄が非常に味わい深い鉄道会社であることは、今回初めて知った。
 西神戸支店の再訪を終え、三菱東京UFJ銀行兵庫支店(旧三菱)の建物に併設された階段から新開地の駅に降りてきた。既に午後2時近い。
 駅の立ち食いスタンドで肉うどんを食べた。空腹を癒すためもあるが、電車の本数が少ないためである。神戸電鉄は新開地から北に向かって走り、神戸市北区の中心地・鈴蘭台で2方向に分かれる。このため、神戸の中心地からは、2方向への電車が交互に発車するのである。目的地の北鈴蘭台は、鈴蘭台から東に分かれた有馬線の駅で、結果有馬線の三田方面行きの電車は15分おきぐらいにやせ細ることになる。しかも、日中は全部の列車が各駅停車になってしまう。
 うどんを食べ終えて電車に乗ろうとすると、4両編成のうち最前部は弱冷房車、2両目は女性専用車であった。男の私は後ろの2両に乗るしかない。関西エリアの鉄道(私鉄・JR問わず)では女性専用車両を終日全列車で設定していて、あたかも関西エリア全体がアマゾンになってしまったかの如くである。加えて、弱冷房車。普通の冷房車でも冷房が弱いと感じる私に、弱冷房車に乗るという選択肢はない。女性専用車には常々腹を立てているのだが、だからと言っていちいち逆らうほど暇でもないので、不承不承後ろの2両に乗る。
 新開地13:56発、普通列車三田行きが発車した。少しゆるゆると走ったかと思うと最初の停車駅・湊川に到着。神鉄は正式にはここ湊川からで、新開地−湊川間は神戸高速鉄道という別会社の路線ということになっているが、全部の列車が直通運転していて神鉄の一部と考えてよい。
 湊川を過ぎると、電車は急坂を登り始める。乗り物に乗っていて勾配を感じるというのは相当急な坂だと思ってよい。神鉄はかなりの山岳路線で、鈴蘭台まで上り坂の連続である。地下鉄のトンネルを抜けたかと思うと、すぐに山のトンネルに入り、次にトンネルを出たときには緑の多い山の景色が広がっている。もちろんその間もひたすら坂を登りつづけているわけである。
 山の中腹にあるケーブルカーの駅のようなたたずまいの駅がいくつか続く。このあたりの駅は路線図を見ると各駅停車しか停車しないことになっていて、実際駅の周辺は山ばかりで本当に何もない。平家物語の「一ノ谷合戦・鵯越の坂落とし」で有名な鵯越駅を経て、2005年3月に営業休止となった菊水山駅を通過する。この駅は営業休止という建前だが、事実上廃止されたのだという。正式に「廃止」としてしまうと、プラットホームの撤去費用を捻出しなければならないためだそうだ。車内の案内板はシールで駅名を隠してあるが、LEDの表示だけは今も生きているのが面白い。電車が廃駅を通過する前と後で、赤ランプの点滅する場所が違っている。
 廃駅を通過して長大な菊水山トンネルをくぐると、神戸市北区の中心・鈴蘭台である。目指す北鈴蘭台は、鈴蘭台の次の駅だ。

2007年10月29日

2007.07.18(水)(8)北鈴蘭台再訪

 電車がようやく北鈴蘭台駅に到着した。
 北鈴蘭台駅は周辺の険しい地形を反映して掘割の駅で、複線の線路の両側に狭いホームが張り付き、ホームの直上にはホーム南側から改札に向かう廊下が設けられている。改札は北側1か所だけで、改札の真下はトンネルの入口になっている。
 改札は半地下のようになった場所にある。改札を出て左に曲がり、地上に上がると、正面に生協の店舗が見える。右に目を転じると、駅前広場には、みなと銀行の店舗外ATMの小屋(母店鈴蘭台支店:旧兵庫銀)が建っている。みなと銀は2002年11月まで北鈴蘭台支店(旧兵庫銀)を持っていた。そして小屋の向こうに、りそな銀行の建物。入口のドア上部に、旧大和銀店舗特有の、横に細長い行灯看板がついている。りそなの隣は三井住友銀行北鈴蘭台出張所(有人、旧太陽神戸)である。
 りそなの建物は見えているが、駅から一歩踏み出すのははばかられた。土砂降りの雨なのである。さっき神戸岡本支店を再訪した際には、無理して傘なしで歩くとびしょ濡れになる程度の雨、新開地で西神戸支店に行くと雲はあるものの晴れ渡っていて、日差しはかなり強かった。新開地から乗った神鉄の電車では、窓の金属製のブラインド【注12】を上げている客もいた。そして今、一歩踏み出すのもはばかられるほどの土砂降り。梅雨明け前のせいなのか、とにかく天気が変わりやすいのに驚かされた。あるいは、山の天気は変わりやすいということかもしれない。何しろ、北鈴蘭台の次の駅は「山の街」というぐらいである。
 北鈴蘭台支店を再訪した。前回の初制覇では夜中に車で来たので、店内の様子はよく覚えていないが、今回見る限り、ATMコーナーは鏡張りの旧大和銀行仕様に改造されているようだ。窓口室は総合案内カウンターのついた白いもの(いわゆる「クイックナビ」方式)に改装されている。
 北鈴蘭台支店は、大和銀行の支店としては2001年2月の開設で、旧なみはや銀行から営業譲渡された。これは、なみはや銀行の支店がそのまま大和銀行の支店に変わったものである。なみはや銀行北鈴蘭台支店は1974年3月に福徳相互銀行の北鈴蘭台支店として開設され、建物は当時のものが現在もりそなの支店として使われている。
 ここ北鈴蘭台と、次に行く押部谷の2店は、2003年夏の初制覇(2003.08.01)では車でまとめて回ってしまったので、自分の足で踏みしめ直してみたかったのであった。

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【注12】窓の金属製のブラインド:神鉄は阪急系の会社で、車両内外のデザインが阪急に酷似している。

2007年10月30日

2007.07.18(水)(9)神鉄を乗り継いで押部谷へ

 土砂降りの雨の中、支店の写真を大急ぎで撮って、次なる目的地に向かう。北鈴蘭台支店押部谷出張所。神鉄沿線の旧大和銀店舗で、福徳相互銀行の支店として開設された旧なみはや店舗、というところは北鈴蘭台と同じである。車で回った前回の制覇でも、ここは北鈴蘭台と同時に取っている。
 北鈴蘭台14:32発新開地行きに乗る。今度は、隣の駅・鈴蘭台で粟生線に乗り換えである。粟生線は鈴蘭台から西方向に向かう神鉄の幹線で、新開地から三田行きと粟生行きとが交互に出ているのは前に述べた。目的地は、鈴蘭台から西へ6駅目の栄である。
 鈴蘭台で10分ほど待たされ、14:44発の粟生行きに乗った。発車してすぐ、左に急カーブして有馬線と分かれていく。相変わらず急な上り坂、と思ったところ、鈴蘭台から2つ目の西鈴蘭台から急な下り坂になった。以前鉄道の乗り潰しで神鉄は乗っているはずなのだが、これほどアップダウンが激しいとは思わなかった。神鉄は運賃が非常に高額なことで有名だが、乗ってみての印象としては仕方がないように思われた。車窓の風景を見ても、人里離れたところを走っているようだし、これだけ勾配があると保安装置などにも相当金がかかっていそうである。
 さて、粟生線は鈴蘭台から単線区間が始まり、単線と複線が入り混じって終点・粟生に至っている。さっき北鈴蘭台まで乗った有馬線は新開地から有馬口まで複線だそうだから、粟生線は1ランク落ちるようである。複線化の計画がないわけではないのだが、神鉄はだいぶ懐具合が苦しいそうだ。
 西鈴蘭台からだいぶ下り坂が続くが、山間部を走る電車というイメージはしばらく変わらない。雨も相変わらず降り続いている。藍那を過ぎたあたりから地形がパッと開けた感じがし、木津・木幡と京都府南部にいるかのような名前の駅が続く。木津−木幡間では駅でもないのに臨時停車した。信号所【注13】に隣接して神鉄の車庫があり、係員が乗降するためである。このあたりから、車窓風景は徐々にニュータウンのような開発地の更地が広がり始める。車庫のあるこの信号所は、宅地開発が進んできたらホームを設置して駅に昇格するのではないだろうか。
 そんな光景を見つつ、いよいよ栄に到着する。ここまで来ると雨はほぼ上がっていた。

【注13】信号所:鉄道の停車場の一種で、分岐器(ポイント)や信号があり、旅客の乗降ができない場所。神戸電鉄では粟生線の2か所に設けられている。

2007年10月31日

2007.07.18(水)(10)押部谷再訪

 神鉄栄駅は、自動券売機と自動改札機が稼働している無人駅であった。神鉄にはこの手の駅が多くて、駅の設備はすべて遠隔操作で動いているそうである。
 ここから押部谷出張所に向かう。銀行発行の『店舗一覧』には、いちおう栄駅から徒歩15分と書いてあって、このくらいの距離は普段ならためらわず歩いてしまうのだが、今日の天候を考えると悩ましいところである。
 事前のリサーチでは、出張所のある桜が丘ニュータウンには、駅前からバスが通じている。神姫ゾーンバスの栄営業所発西神中央駅行き。西神中央は神戸市西区の中心地で、市営地下鉄西神山手線の終点である。問題が2つあって、神姫(ゾーン)バスではスルKAN2dayが使えない。もう一つはバスの時刻で、栄駅前発は15時台は12分と32分。空模様は悩ましいが、「徒歩15分」とされている場所へ行くのに10分待った方がよいだろうか。ここで、空を見る。雲は多いものの、結構明るいということは雲の層は薄いのだろう。結局私は、現地まで歩いていくことに決定した。雨が降り出したら、カバンから折りたたみ傘を出せばよい。
 駅前を東西に走る道を、方角としては鈴蘭台方向に戻る。神鉄粟生線に沿って走るこの道は、県道神戸三木線である。「桜が丘入口」というT字路の交差点を右に曲がると、栄駅に到着する寸前に車窓から見えたニュータウンに行きつくはずだ。
 桜が丘入口のT字路を右に曲がって、なだらかな坂道を降りてきた。今歩いているのは団地への取り付け道路だが、何と4車線である。神鉄の線路に沿って走っている県道が2車線なのに、団地へのアプローチは4車線なのである。
 T字路を曲がって数十m行った先には川が流れていて、ニュータウンに向かって橋がかかっている。4車線+歩道のアルミ製欄干のついた橋と、その横に半円形のトラスをつけたパイプが、2本仲良く川を渡っている。川の名前は明石川、橋の名前は桜が丘橋とあって、ここが神鉄栄駅と押部谷出張所との間で最も標高が低いところである。橋のたもとには「昭和48年1月完成」と彫られた石がはめ込まれている。桜が丘のニュータウンは1971(昭和46)年末から開発が始まったそうで、この4車線道路が開発されたのは73年までさかのぼるのに、そこから先が遅々として、ということのようだ。
 実際、このあたりの風景は田園地帯そのものである。道に沿って右側には畑があり、ビニールハウスの骨組も見える。少し場所はズレるが、栄に来る電車の窓から水田も見えたし、かやぶき屋根か何かの上にトタンをかぶせただけの家もあった。駅のあたりは現在神戸市西区押部谷町栄という町名になっているが、つい数年前まで村だったと妄想できるほど長閑な風景が広がっている。実際、六甲山系の北側が丸ごと神戸市に合併される1947年3月までは明石郡押部谷村といった。栄の隣の押部谷駅が旧押部谷村の中心地だったらしい。とにかく、現在ここは神戸市であり、押部谷駅までは西神中央から地下鉄を延ばしてくる案もあるそうだ(実現は絶望的らしいが)。

 こんな長閑な田園風景も、川を渡って坂道を少し上がり始めた途端に一変した。消防署と読売新聞押部谷専売所が見えるあたりから、ひな壇がダーッと続いている住宅団地に急変するのである。
 このニュータウンの正式名称は「パナホームシティ西神桜が丘」というようだ。パナホームということは松下電器の子会社が開発したのか。とにかく分譲の広告看板が出ている。この広告看板は、団地に入って最初の信号角の空き地に立っている。その数十m先に「桜が丘団地口」というバス停があって、さっき栄駅から乗ろうと思っていた西神中央行きの停留所(栄駅前を出て2つ目)である。ここまで歩いて来た段階でやっと、当初乗ろうかと迷っていた栄駅15:12発のバスが追いついてきた。神姫バスの標準カラーであるオレンジとベージュに塗り分けられている。団地の中心部にあるショッピングセンター(銀行はもちろんここにある)までは、団地に入ってしまえばさほどの距離ではないはずで、ということはやはり駅から歩いてもさほどの距離ではなかったと溜飲を下げた。
 セミがジージー鳴いている。昨日にもセミの鳴き声は聞いたはずなのだが、今日この団地ではじめて鮮明に意識した。関西には、関東では見られないクマゼミという種類のセミが多数いるという話だが、ジージーと鳴くのはアブラゼミだっただろうか。この時期関東では、まだセミのセの字もなかったように思う。今日はもう7月18日、夏休みが近い時期であるので、考えてみれば別に不思議ではないのだが。

 桜が丘ニュータウンの核施設、ショッピングセンター「ジョイフル」に到着した。目指す押部谷出張所はここにある。バス停でいうと桜が丘団地口の次、「栄市住前」の真ん前である。ショッピングセンターの向かい側は「市住」の名のとおり市営住宅になっている。
 15:20、いよいよ押部谷出張所の再訪である。桜が丘ニュータウン唯一の民間金融機関となる、りそな銀行押部谷出張所は、ショッピングセンターの大きな棟とは別に道路側に建てられた平屋建ての建物に入っていて、同じ建物の駅側には郵便局(神戸桜が丘局)もある。顧客は思いのほか多いようだ。ATMが4台、プラス記帳機が1台という布陣で、ATM4台のうち右側3台は既に生体認証対応型の新型(リーダスAK−1)である(一番左はオムロンJX)。
 通帳の余白がなくなってきたので、ここで繰越をしてもらう。窓口の女性に今ひとつ元気がない。最近、銀行員の女性は元気がないのだろうか。さっき行った関西アーバン銀行西宮支店で、そこそこ美人の行員さんから愛想というものの全くない応対をされて憮然とした気分で店を出たのを思い出した。

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2007年11月01日

2007.07.18(水)(11)神戸市西部のニュータウンにて

 通帳繰越まで済ませて押部谷出張所を出た。時刻は3時半を回っている。神鉄の電車は16:00発に乗る計画になっているので、残り時間はふんだんとは言わないがほどほど十分ある。のんびりと今来た道を戻る。
 大荷物を抱えた小学生の一群が前方を歩いている。年恰好からして小学校3年生ぐらいである。夏休みが近づき、教室に置きっぱなしにしていた物を持って帰るのであろう。置き傘とおぼしき黄色い傘を振り回しつつ、カバンからは鍵盤ハーモニカなぞぶら下げている。
 ニュータウン入口の橋のたもとまで来たところで、電車が東から西に走っていくのが見えた。時計を見ると3時43分だから、乗ろうと思っている電車の1本前であろう。予定どおりに進行している。明石川を渡って県道沿いに戻れば、駅はもうすぐそこだ。
 今行ってきたニュータウンは1971年からの開発でそれなりに古びてきているのだが、それでもやはり栄駅周辺よりはるかに新しい。桜が丘と対比すると、三木街道沿いの家並みは明らかに古い。県道沿いに多いのは古い木造建築で、入母屋造りの日本家屋が軒を連ねて建っていたりする。庭先に井戸があったり等は、やはり農家が多いのだろう。桜が丘のニュータウンの住民は、電車の最寄り駅としては神鉄栄だが、駅周辺の地域住民とはほとんどつながりはないのではないか。典型的な「ニュータウンと旧住民との相克」が眼に浮かぶ。両者が共通して利用するものは、駅前のセブンイレブンぐらいしかないのかもしれない。
 神戸市西部のニュータウンでは、印象に残る2つの大事件が過去に起きている。1990年の校門圧死事件と、1997年の連続児童殺傷事件。校門圧死事件のあった高校は西神中央にある。酒鬼薔薇の生首事件は同じ地下鉄沿線の名谷というところ。ともに教育現場で起きた2つの事件は、私が高校を卒業してから教員免許を取るまでの間のことであり、衝撃をもって受け止めた。ある種の「狂気」がそこにはあると思えたのである。新設高校での教員による管理教育、閉塞した日常生活で思春期の不安定な感情を抑えつけている子ども。これだけでもニュータウンを連想させるに十分である。社会的にもニュータウンは、一定の経済力を持った世帯が、大量に建築されてほぼ同じ規模・構造の住宅に、一定の時期に集中して入居して町になる。それだけに、住民の「均質性」はかなり強いわけだ。町の景観としても、ありがちなコンクリートジャングル。そういうところで暮らす人々には、かなりのプレッシャーがかかっているのだろう。
 2つの事件が桜が丘で起きたというわけではないし、桜が丘自体が開発開始から30年経過していて「ニュー」タウンとは必ずしも言えないのかもしれないが、それでも、神戸市西部のニュータウン・桜が丘を歩きながらこういうことを思った。私が住む東京で、多摩ニュータウンの高齢化が一気に進展していることも思い出した。これも、住民の年齢層と経済力が似通っているから起きる問題である。

 神鉄栄駅に戻ってきた。今朝和歌山の宿で立てたプランでは、16:00発の粟生行きに乗ることになっている。現在の時刻は15:54。予定調和的にスケジュールが進んでいる。
 駅員のいない神鉄栄駅には、「ビデオ録画中」というものものしい看板が掲示されていて、不正乗車があったら警察にビデオを提出すると書いてある。我が家の近所にあるバイク屋にも同様の貼り紙が出ていて、ダミーの監視カメラが取り付けられているのは知っているので、ここもそうなのだろうと思って見ると、自動改札機の前に1台、ビデオカメラがついていた。こちらはどうも本物のようだ。そんな様子を観察しながら、駅前のセブンイレブンで買った牛乳をちびちび飲んでいると、鈴蘭台方面から粟生行きの電車がやって来た。押部谷ともこれでお別れである。
 ホームでたむろする数人の女子高生は、スカート丈が膝下10cmくらいと長めであった。京阪神エリアの女子高生のトレンドがやっぱりロングスカートであること、そしてここが曲がりなりにも神戸市に属することを再確認した。

2007年11月02日

2007.07.18(水)(12)廃止決定の三木鉄道に乗る

 次の目標は加古川支店(加古川市)である。ここは旧あさひ銀行の店舗で、言うまでもないが私は「あさめぐ」をしていた頃に何度か訪ねている。
 押部谷から加古川へ向かうのに、ローカル私鉄の三木鉄道に乗っていこうと以前から考えていた。三木(三木市)と厄神(加古川市)とを結んでいる三木鉄道は、1985年までは国鉄三木線といい、国鉄赤字ローカル線の廃止に伴って第三セクター鉄道として生まれ変わったものである。全長6.6kmのこの線はしかし、鉄道としては採算が取れず、今年とうとう廃線が決まった。昨年(2006年)1月に当選した現職の三木市長・薮本吉秀氏は、赤字のかさむ三木鉄道の廃止を公約に掲げて当選した人であるので、こうなることは「既定の路線」であった。なお、三木鉄道の社長は三木市長が兼務している。
 私は鉄道の乗り潰しもそれなりに趣味の一つとしていて、三木鉄道はずいぶん前に乗ったことがある。神鉄三木駅から駅前の橋を渡り、さくら銀行三木支店の角を右に曲がって三木鉄道三木駅まで歩いたのは覚えていた。正確な時期は忘れてしまったが、さくら銀行が存在した時期、それも、私が銀行にある程度関心を持ち、さくら銀行が神戸銀行の後身であると知っていた時期ということで、1996〜2000年の間と思われる。
 押部谷から三木鉄道経由で加古川へ行くには、次のようなルートをたどる。
   栄<神鉄粟生線>神鉄三木<徒歩>三木鉄道三木<三木鉄道>厄神<JR加古川線>加古川
これで、地図上は押部谷から加古川までの最短コースである。前回三木鉄道に乗ったときも、神鉄粟生線で鈴蘭台方面から来たと思う。

 栄から20分弱の乗車で、神鉄三木駅に到着した。小さな私鉄の駅で、ここには駅員がいる。駅を出た先に橋がかかっているのを見て、以前来た記憶のとおりであるのを確認して安心した。三木市は人口8.5万人(合併後)、駅の近所には古びた商店が建ち並び、地方の小都市の典型といった趣である。
 加古川の支流、美嚢(みのう)川を渡って直進。すぐ左側に、三井住友銀行の三木支店がある。以前見たさくら銀行三木支店は、三井住友の支店として健在であった。さくら銀行は、住友銀行と合併する直前の一時期、子会社の第二地銀・みなと銀行に「兵庫県の県民銀行」としての役割を持たせるべく、みなと銀に支店を多数譲り渡した。だから、三木もみなと銀行に変わっていると思っていた。
 三木市内は、のこぎりや包丁など金物の問屋が目につく。今回初めて知ったのだが、三木市は金物の町なのだそうだ。三木には戦国時代、東播8郡24万石を領した別所氏の居城があり、合戦で町が荒廃、その後豊臣秀吉の復興策を経て、江戸時代に大工道具や園芸用器具などの金物産業が発展したそうである。
 ほどなく、左前方に木造平屋建ての駅が見えた。三木鉄道の三木駅であった。駅前には大木(植物の名は聞かないで欲しい)が立っている。この木はきっと、鉄道が開業した頃からの歴史を見つめているのだろう。駅に入ると、1両だけの列車が既にホームに入ってアイドリングをしていた。三木鉄道のような閑散線区のために開発された「レールバス」という種類のディーゼルカーだ。車番は「ミキ300-104」とある。
 エアコンの効いた車内に入ると、3〜4人の乗客が既にいた。目指す列車は16:37発。この列車に乗れてよかった。三木鉄道は1時間に1本しか運行しないので、神鉄栄で予定の電車に間に合わなかったら、三木で1時間無駄にするところであった。
 やがて列車が動き出した。車窓の風景そのものは、播磨平野の水田地帯の風景である。もともと路線が全長6km余りと短い上、国鉄から経営が移管されてから無人駅を増設したりしているので、少し走っては停車、を繰り返す。敢えて記述すると、国鉄時代からあった駅には木造の小ぢんまりとした駅舎が残り、第三セクターになってからの駅はコンクリート造りのプラットホームに屋根のついた列車待ちスペースがあるだけ、といった違いはあった。
 16:50、列車は終点の厄神に到着した。三木を出てから13分しか経っていない。ここで、JR加古川線の加古川行きに乗り換える。事前のリサーチでは、ここでの乗り継ぎはわずかに3分しかないので、少し心配していた。
 列車に乗るとき、切符は買っていない。全長6km余りのミニ鉄道は、「レールバス」を使っているぐらいであるから運賃精算の方法はバスと同様で、起・終点といえども整理券を取って列車に乗り、着駅で精算する。運転士が監視する中、車両最前部の運賃箱に小銭を入れる。神鉄三木駅まで使えたスルKAN2dayは、ここ三木鉄道では使えないが、三木鉄道は全線乗っても250円という安さである。ドア横には「厄神駅精算済み証明書」の発行機がついていて、JRにはこの機械から出る紙を持って乗り継ぐことになる。

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2007年11月03日

2007.07.18(水)(13)加古川支店を再訪

 厄神16:53発のJR加古川線の普通列車(厄神始発)は、三木鉄道と同じホームの前方に既に入っていた。車両は大阪圏のお古の103系電車を大改造したもので、車体全体には眼が多数描かれている。加古川線は2004年12月に電化されたばかりで、電化開業と同時に、沿線(西脇市)出身の画家・横尾忠則氏のデザインを車体にラッピングした電車が走り始めた。眼のデザインは加古川線電化開業記念のデザインで、「見る見る速い」という名前がついているそうだ。首都圏では評判の悪かった103系だが、加古川線用の車両は大改造されているので、ローカル電車としては設備の充実した部類に入るだろう。
 10分ほどの乗車で、高架上に上がって加古川駅に到着。ついに加古川市街地に突入、とは言っても行政上は三木鉄道の宗佐駅から既に加古川市に入っていた。加古川駅の高架化は加古川線電化と同時に完成し、加古川駅は前回来たとき工事中ではあったものの地平の駅であったと思う。加古川線には電化後初めて乗った。
 高架上のホームから1階の改札階に降りると、やけに薄暗い改札があった。通路の幅いっぱいに自動改札機が並び、カウンターがあって駅員がいるのは普通の改札と同じだが、明らかに閑散としているし、だいいち山陽線乗り場にはどこから出るのか。そう思ってよくよく見ると、この改札は加古川線と山陽線との連絡改札なのであった。同一社の路線同士での連絡改札は、最近になって東武鉄道が北関東のローカル線との接続駅に相次いで設置したが、トレンドなのだろうか。なお、加古川駅のメイン改札は、連絡改札を抜けた先にあった。
 メイン改札で厄神−加古川間の精算をして、加古川駅の高架下コンコースに出る。私が精算している横で、数台のバイクがコンコースをけたたましい爆音とともに走り抜けていった。駅が高架になると必ずこうした人々が現れるが、地方都市の名物と言っていいかもしれない。彼らには娯楽がないのだろう。
 さて、りそな加古川支店には「あさめぐ」の時代に数回来ており、場所はだいたいわかっている。駅前にそびえ建つデパート、ヤマトヤシキ加古川店の南側である。このデパートは、私が初めて加古川に来たときにはそごう加古川店であった。
 線路は高架上に上がったものの、駅前のロータリーはまだ整備中で、工事のバリケードがあちこちに張られていた。ロータリーの東側には、三井住友銀行の店舗外ATMと、みなと銀行の加古川支店が、再開発ビルとおぼしき大建築に入っている。その先、ヤマトヤシキの東南側交差点に、見えた。「りそな銀行」の横型看板を屋上につけた2階建てのビル。
 加古川支店の再訪を果たす。17時21分のことであった。

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2007年11月04日

2007.07.18(水)(14)加古川支店の旧店舗を探る

 加古川市加古川町篠原町9-5にある現在の加古川支店は、1997年11月に建築されたもので、あさひ銀行になってからの新築店舗である。社史『協和銀行通史』の店舗ページを見ると、旧店舗は加古川市加古川町寺家町371にあり、戦前の銀行建築だったかと思わせる重厚なものであった(社史本文の表によると実際には1951年12月の築)。私の加古川支店初制覇は1997年12月29日で、新築移転後間もなかったことを今回知った。
 旧店舗が残っていることは期待できないだろうが、移転前の店舗がどんなロケーションであったかは興味がある。今回、せっかく現地を訪れたのを機会に旧店舗跡に行ってみることにした。事前の計画には含まれていないが、ちょっと行ってみるだけだから、20〜30分もあれば事が済むであろう。
 正確な場所はわからないが、「加古川市加古川町寺家町」という住所の一部は覚えていた。また『協和銀行通史』の写真を見た記憶では、支店はアーケード街にあったようだ。これらを踏まえつつ、支店近くの路上に立っていた街頭地図を見る。アーケード街は「じけまち通り」というらしい。場所は支店の西100mほどのところである。
 じけまち通りのアーケードを、東から西に歩く。この商店街は典型的なシャッターストリートであった。20〜30年前まではさぞかし賑わっていたのであろう。道幅の広い国道(?)に出るところまで歩いてみたが、銀行の支店跡らしきものは発見できなかった。
 確か惣菜屋だったと思うが、通りの中の1軒の店に入って、昔の協和銀行がどこにあったか聞いてみた。40歳ぐらいの女性の店員は、向かいの文房具屋のほうが古いことを知っているからそちらに聞けと言う。アドバイスどおり、店の棚が半分くらい空っぽになった文房具屋に入ってみると、50歳くらいだろうか、物静かな感じの男性が座っていた。
 恐る恐る切り出してみた。「あのー、ちょっとお伺いしたいんですけど、昔の協和銀行ってどのあたりになりますか?」
 恐る恐る、というのは、私のかつての衝撃的な体験による。私の出身大学の近所にある某酒屋は、店先に「手不足のため両替・道案内はお断りします」という張り紙をしていて、私がビールを買っている目の前で、道聞きの客を「そういうのキリがないからねぇ」と言って本当に追い返したのである! ああ恐ろしい。というわけで、私は個人経営の商店では極力尋ねごとをしないようにしているのだ。
 この文房具屋の店主は、見知らぬ私を追い返しもせず、この店の東、現在駐車場になっているところが協和の旧店舗であると、丁寧に教えてくれた。
 ああ、あそこのコインパーキングか。そう思って戻ってみると、コインパーキングの道路に面していない部分には、コンクリートの万年塀が張り巡らされていた。この手の塀は、一昔前の銀行支店には必ずあった。真っ黄色に塗られているものの、これでほぼ間違いなく銀行の跡と確認できた。
 地方都市の、個人商店が軒を連ねる商店街。これは、旧協和銀行の古い支店に独特のロケーションである。日本では太平洋戦争終結とともに消滅した貯蓄銀行という種類の銀行は、庶民の小口のお金を預金として受け入れていて、預入金額に下限があった普通の銀行【注14】とは客層が違っていた。加古川支店は、貯蓄銀行最大手だった不動貯金銀行が1915(大正4)年9月に開設した加古川代理店がルーツで、支店には1920年3月に昇格している。庶民が集う商店街には、金融機関として貯蓄銀行の店舗が最もふさわしかったのだろう。商店街が庶民の集う場所ではなくなり、都市銀行としての協和銀行もまた、貯蓄銀行の集合体として出発した時代とは役割が変わってきていたということである。

 こちらの聞きたいことをいやな顔せず教えてくれた文房具屋で、本当は何か1品くらい買ってもよかったはずなのだが、シャッターストリートの文房具屋に、私の購入できそうな商品は、ないようだった。

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【注14】貯蓄銀行と普通銀行:現在はどこの銀行にも基本的に預入金額の下限はない(1円単位で預金を受け入れている)が、これは普通銀行が「貯蓄銀行業務を兼業」したためである。

2007年11月05日

2007.07.18(水)(15)姫路支店再訪

 次の目標は、姫路支店(姫路市)である。
 JR加古川駅南口ロータリーの西側に金券屋があって、店頭に切符類の自動販売機が置かれていた。この手の自販機では、だいたい新幹線の切符を売っている。販売ラインナップを何気なく見ているうち、私はにやりとした。売っているのは新幹線の切符だけではなかった。機械の下のほうに、加古川から周辺主要駅へ行くJR切符のボタンがあったのである。もちろん、加古川の西15kmにある主要都市・姫路への切符もあった。チケット屋だけに、定価より安いはずだ。
 ためらわず購入する。300円也。出てきたのは、封筒に入った回数券であった。回数券の印字によると、加古川→姫路の定価(正規のJR運賃)は320円であるようだ。
 姫路方面の電車が来るまでには少し余裕があった。いち早く改札内に入ってしまった私は、さんさんと照りつける夕日を避けようと、山陽線高架ホームの待合室に入った。クーラーがかかったガラス張りの待合室に一歩入ると、酸っぱいようなすえた臭いがする。待合室の先客はホームレスらしき中年男性だった。冷房の効いた待合室で暑さをしのいでいるのだ。臭いの原因はどうも彼にあるようだった。
 ホームレスとは気の毒な存在である。このおじさんも、ホームレスになりたくてなったわけではないだろう。彼がホームレスになるまでには、家庭環境や学歴など育った環境と、失業その他の不幸な事態の結果とが複合している。そして、社会的にいったんマイナスの地位に落ちてしまうと、そこから這い上がるのは気力を持つことさえ難しい。私も一時ニートのような生活をしていた時期があるからわかるのだが、本当に何をする気もなくなるのだ。今のところ私はホームレスにならずに済んでいるが、幸運に恵まれただけであると思う。
 とはいえ、この臭いは暑さのほうがまだマシだ。暑がりの私だが、静かに待合室を出た。視覚的な要素で差別することはしないつもりだが、嗅覚に訴えられるとちょっとどうしようもない。

 汗をだらだら流しながら、姫路行きの新快速を待った。ようやく来た新快速電車は混んでいたが、辛うじて座ることができた。といっても、目的地の姫路は加古川の次の停車駅である。
 私の乗った新快速が姫路駅の高架ホームに到着した。姫路駅に来るのは、山陽本線が高架に上がってからでは初めてである。この時点でまだ高架化工事は終わっておらず、従来どおり駅ビルの1階にある改札までは、高架ホームを降りた後、大がかりな仮通路がしつらえられていた。北側の駅舎寄りにあった、播但線か姫新線のホームをまたいだ記憶がある。
 改札を抜けて駅前に出ると、風景は以前来たときと変わっていない印象を受けた。以前といっても、姫路にはりそな発足後だけで数回来ているから、さほどの昔ではない。駅前ロータリーからまっすぐ北にのびる大通り(大手前通り)を進んでいくと、国宝・姫路城に突き当たる。りそな銀行姫路支店は、最初の大きな交差点の北西角で、姫路城よりは大分手前である。
 姫路支店の再訪を済ませる。旧大和銀行の姫路支店は1959年8月の開設で、大和店としては開設時期が古いほうである。建物も、開設当時から使われているようだ。姫路は景観条例が敷かれているから、支店の縦型看板は、カラーリングが京都と同様に白色主体となっている。

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2007年11月06日

2007.07.18(水)(16)とびきり古かった? 旧姫路駅前支店

 姫路に来たついでに、旧あさひ銀行の姫路支店(大和銀行との合併により姫路駅前支店)の跡がどうなっているか、見に行ってみた。姫路駅前支店は2003年10月に現・姫路支店の支店内支店となり、この時点で旧店舗を物理的に廃止、2006年7月名実ともに姫路支店に統合されている。
 旧姫路駅前支店は、大手前通りを東に渡ってから駅方向に戻り、播州信用金庫本店南側の「協和通り」を抜けてすぐ。大手前通りに並行する「みゆき通り」にぶつかった角である。アーケード街に面するロケーションは加古川支店の旧店舗と全く同様だが、姫路のみゆき通りは一定量の人通りをまだ保っている。
 協和通りという名前は当然旧協和銀行からとったものであるが、旧協和店舗がなくなってしまった協和通りが、元「あさめぐラー」の私には寂しく感じられる。現地に行ってみると、建物だけは見覚えあるあさひ銀行時代のものが健在で、空き店舗は「alook」というメガネ屋になっていた。
 協和の姫路は1910(明治43)年3月に不動貯金銀行姫路代理店として開設され、1919(大正8)年4月支店に昇格している。現存する建物(メガネ屋)は社史に掲載がなく建築年代は不明だが、協和銀行は1974年に兵庫県内の支店を一度に複数新築しており、常識的にはその頃の築ではないかと考えられる。

 だが。
 私はこの支店について「非常識」な可能性を捨てきれないでいる。昭和初期に建てられた不動の建物を大改造して使用していたのではないだろうか。東京に帰ってこの文を書きながら気づいたことであるので確証はないのだが、ほぼ間違いないと思う。
 手許にある一番古い文献は、不動貯金銀行秘書課が1930(昭和5)年に編纂した『牧野頭取講演全集』に出ている写真だが、これは現存のものとは異なる。次に、同行秘書部編『不動貯金銀行創立四十周年記念写真帖』(1940年)に掲載されている写真を見ると、開口部の形状とサイズは現存する建物に似ているように見える。1969年刊行の協和銀行の社史『協和銀行史』には、姫路支店の項に、現役使用されている不動時代の建物の写真が掲載されている。そして、私が今回撮影した写真(近いうちに全景を撮り直してくるつもりである)。
 この間、一貫して建て替えられていないのであれば、社史の「新築」の欄に記載がないのは当然といえよう。
 仮定が事実だとすると、この建物の建築年代は1958年築の亀戸支店(「2007.07.18(水)(2)和歌山支店を再訪」参照)よりはるかに古く、1930年代と推定される。あさひ銀行においては、1918年築の川越支店(旧第八十五銀行本店)には負けるものの、旧協和銀行では間違いなく現存最古の営業店舗であった。旧大和銀行には、外壁のみ保存されている「大手町野村ビル」を除けば、戦前の建物はなかったと思う。
 なぜ姫路だけ、と思う。『四十周年記念写真帖』の他の店舗の写真を見ると、姫路は貯蓄銀行の建物としてはサイズが大きかったようだ。貯蓄銀行は普通銀行と比べて小さい店が多かったので、貯蓄銀行9行が合併して発足した協和銀行は、店舗の統廃合と並んで「店舗の大規模化」も課題だった。このため多数の店舗が昭和30年代以降に改築されてしまい、それゆえ協和は古い建物の保有率が低かった。しかし、姫路に限っては改修するだけで「大規模化」のニーズを賄えたのだろう。もともと銀行建築というものは堅牢にできている。また、他都市の類似の商店街と比べ、みゆき通りの寂れ方が著しくなかったことも要因の一つではないか。
 とはいえ、あさひ店が名実ともに統合されてしまった今となっては、旧大和の姫路支店が「大和店としては古い建築を使っている」という事実をもって瞑する他はない。

 蛇足。今回の記事を書くついでに、りそなグループに関連する古い建築を調べてみた【資料】。りそなグループは、旧協和だけでなく全体として古い建物が少ないが、それでも関連する貴重な建築はまだいくつか残っている。機会があればひととおり見てみたいと思うが、時間と金、特に時間的な問題が大きい。

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【資料】りそなグループに関連する歴史的建築一覧(当サイト「お役立ち」より)

2007年11月07日

2007.07.18(水)(17)明石再訪

 姫路の次の目標は、明石支店(明石市)である。
 姫路から明石までは、JRで行く方法と、山陽電鉄に乗る方法とがある。スルKAN2day使用の私は、今回は山陽電鉄に乗る。これまで「青春18きっぷ」ばかり利用していたから、山陽電鉄は全くの初めてではないが初めて乗るのに近い。
 山陽電鉄の姫路駅は、JRの駅前にある山陽百貨店の2階である。エスカレーターを上って自動改札に直行すると、阪神梅田行きの特急が今にも発車しようとしていた。山陽電鉄の転換クロスシート車両であった。18:29発車。右の車窓に、高度成長期に建設されたものの数年で廃止された姫路市営モノレールの残骸が一瞬見え、すぐ直角に曲がってJRの線路を南の方角にまたぐ。
 山陽電鉄は、姫路の工業地帯を横切って高砂市と加古川市を経由し、明石に向かっている。全体としてJRよりも海側を走っていて、沿線には工業地帯以外では漁村のような集落が続いている。車窓の風景はJRよりも長閑な感じである。夕陽に照らされた漁村(ではないだろうが)は、なかなかノスタルジックであった。
 窓の外がだいぶ暗くなり、車窓の風景も都会的になってきたかと思う頃、ようやく明石に着いた。正式には山陽明石駅という。後で調べたダイヤによると山陽明石到着は19:00ジャストであった。
 高架ホームを降りて改札を出る。明石支店は以前に1度来たことがあるから、駅南側を東西に走る表通り(国道2号線)沿いであるのは覚えていた。しかし、表通りに出たものの、りそな銀行の「正確な場所」は度忘れしてしまっていて、なかなか見つからない。既に日はだいぶ西に傾き、町の電飾看板が多数つき始めている。
 今、国道2号線を東から西に向かって歩いている。りそなの電飾看板は、ATMコーナー上部の「クイックロビー」の小さな表示だけのはずである。この通りで間違いないはずだが、と思いながら歩いていくと、道の向こうにりそな銀行の縦看板をつけたクリーム色の建物がようやく見つかった。ほっとした。
 2号線に面した側のシャッターは、固く閉ざされているようである。今日は営業していないのだろうか。いやそんなはずはない…と言いたいところだが、表通り側から見えないところにキャッシュコーナーがあるのは知っている。さっき駅から出てきた交差点の1本西側で2号線を渡り、りそなの建物の西側に行ってみると、記憶のとおり「クイックロビー」はこちら側にあった。りそな銀行明石支店の建物は、上から見ると逆L字型になっているようだ。
 キャッシュコーナーに入ると、ATMブースの上部に、天井からシャッターが下りている。このシャッターは、窓口室とATM室とを隔てているものとは別である。嬉しくなって、再訪しての取引もそこそこにシャッターを切る私であった。ATM上部のシャッターは、旧協和銀行に独特のものである。明石支店は旧大和銀行の店舗なのだが、この建物は旧協和銀行が1974年に建てたのである。
 いきさつはこういうことだ。もともとは旧大和と旧協和の両方が明石支店を持っていたのだが、1991年11月、当時の協和埼玉銀行は、大和に支店を譲り渡して明石から撤退した。店舗の「相互譲渡」といって、重複して出店している店舗をお互いに営業譲渡し合うものである。今回のケースでいうと、大和銀行は協和埼玉銀行に北九州支店を譲り渡し、かわりに協和埼玉から明石支店をもらい受けている。
 協和埼玉から支店を譲り受けた大和は、旧協和の支店を「明石支店明石駅前出張所」とした。つまり、大和がもともと持っている支店の出張所としたわけである。その後、92年5月になって明石駅前出張所は旧来の大和の明石支店に統合されたが、その際、国道2号線沿いの明石駅東方300m(東仲ノ町3-12)にあった大和の支店は、明石市本町1-2-26、すなわち旧協和の店舗に移転したのである。かくして、明石支店は「旧大和の店舗でありながら旧協和の建物」ということになった。
 協和の明石は不動貯金銀行の明石支店として1920(大正9)年2月の開設、対するに大和の明石は1972(昭和47)年の開設である。このように、旧協和と旧大和の店舗が近接していた場合、協和の支店のほうが古くから営業している(いた)ことが多い。さっき行った姫路も同様である。

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2007年11月08日

2007.07.18(水)(18)垂水再訪

 明石支店の再訪取引を済ませた。
 次の目的地・垂水支店(神戸市垂水区、旧あさひ銀行)は、JR山陽本線垂水駅前にある。スルKAN2dayを持つ者としては、垂水に(JRの利用を避けて)山陽電鉄で行く方法を考えたいところである。明石から東側、神戸市内まで山陽電鉄はどんなルートを辿っていただろうか。駅前にエーエムピーエムを見つけて入る。目当ては、雑誌コーナーに置いてある都市地図の立ち読みである。
 地図を開いてみると、何のことはない、山陽電鉄には垂水駅があって、JRの垂水駅に併設されているのだった。姫路から明石までJR山陽線の数km南を走ってきた山陽電鉄は、明石から須磨まではJRの線路にぴったり並走している。海岸線のすぐそばまで山が迫っているせいもあるが、山陽電鉄の明石から東側は路面電車として開業したため、JRの線路に沿っているというよりは国道2号線に密着しているのである。
 心も軽く明石駅に戻ってきた。時刻表を見ると、山陽明石駅からは、神戸市内までの各駅停車と、阪神梅田まで行く「直通特急」とが交互に出ているようだ。垂水に特急が停まってくれれば、と思って路線図を見ると、直通特急は垂水にも停車するようだ。山陽明石19:25発の直通特急梅田行きに乗車。阪神の車両だったか山陽の車両だったかは覚えていない。
 19:31、山陽垂水駅に到着した。山陽電鉄の垂水駅は、複線の両側にホームがへばりついているだけの小規模な駅で、コンクリートなどもかなり古びていた印象がある。蛍光灯の本数が少なく暗いだけだったかもしれない。どちらにしても「明るく広々」という印象は受けなかった。
 山陽の自動改札を通って北口に出ると、バスターミナルの向こうに「JUSCO」の電飾文字が見え、眼を凝らしてみると「りそな銀行」の袖看板も見えた。垂水支店の袖看板は行灯、つまり中から蛍光灯で照らすタイプのはずだが、経費削減のためか点灯していない。りそな銀行垂水支店は、ジャスコがキーテナントとなっている垂水駅前の再開発ビル「ウエステ垂水」の西棟に、ビル落成時から入居している。垂水駅北西側の駅前広場に面した再開発ビルは、1996年11月のオープンだが、この地では阪神・淡路大震災の前から再開発事業が進行中だったから、震災復興ビルではないようだ。
 旧協和銀行垂水支店は1971年の新設で、関西エリアの旧協和の支店には珍しく開設が新しい。現店舗は、もともとこの地にあった支店が再開発ビルに入居した格好で、「ウエステ垂水」のグランドオープンより少し早く1996年10月末に営業開始した。私の垂水支店初制覇は1997年12月30日で、新店オープン後1年経っただけであった。もう10年近く前の話になる。早いものだ。

 だいぶ暗くなってきて、さすがにデジカメでも満足のいく像が撮りにくくなってきた。少しでも明るいうちに数枚撮り直しをして、垂水支店のキャッシュコーナーに入る。
 垂水支店に配備されているATMは、沖電気工業製であった。沖電気の機械は、関西のりそな銀行で遭遇することは稀だ。旧あさひ銀行時代には、このメーカーの機械は埼玉エリアに多く、それ以外の場所では富士通の機械が多かった。少数ながらNCR製も使用されており、名古屋圏と関西で比率が高かったが、NCR製はあさひ銀時代の末期に一掃されている。というわけで、沖電気の機械は旧あさひ店舗の一部にしかない。
 2日間で初めて沖電気の機械を操作し、垂水支店の再訪を済ませた。垂水支店のATMは、沖電気の生体認証対応の最新型「ATM-BankIT」(バンキット)が1台、その前の世代に当たる「ATM21B」と「ATM21」とがそれぞれ1〜2台ずつあったと記憶している。

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2007年11月09日

2007.07.18(水)(19)野田支店旧店舗の写真を撮るのだ

 まだ1時間程度は活動できるが、眠い。今日はここで打ち切ることにした。
 あとはもう宿に帰って寝るだけである。といっても、例によって例の如く、宿は確保していない。宿を新規開拓しようという冒険心は、今日は全く沸かない。必然的に、勝手のわかっているミナミのカプセルホテルに投宿することになる。疲れている時には、知らない宿より知っている宿のほうが安心できる。たとえ行くのが大変でも。
 垂水からは阪神梅田までの直通特急が出ている。阪神沿線からミナミへは、野田で降りて地下鉄千日前線に乗り換えればよい。であるなら、ついでに、新築のため仮店舗に移転した野田支店(大阪市福島区)の旧店舗を取材しておこう。そう思ったところへ、ちょうど阪神梅田行きの直通特急が垂水駅にやって来た。
 既に夜の8時を回り、車中のことはほとんど覚えていない。野田に特急は停まらないはずだから、どこかで各駅停車に乗り換えたと思うのだが、とんと記憶にない。一応調べてみると、垂水19:57(直通特急阪神梅田行き)→20:44尼崎20:46(急行梅田行き)→20:52野田、であったようだ。
 旧店舗は既に鉄板で覆われて解体待ちの状態になっており、建物に近づきすぎると全景が撮れない。駅前にある7差路(!?)の交差点に、うまい具合に交通整理の警官が上る台があって、それに登って写真を撮った。足元がぐらぐらして少し怖かった。ここに上る警官は怖がっていないのだろうか。

 阪神野田駅前の「野田本通商店街」は再開発計画が進行中で、野田支店のあった場所は除却して再開発ビルとなる。野田支店は、同じ福島区内にある福島支店(旧あさひ)内に移転し、現在「支店内支店」の形で営業している。
 野田は大阪市福島区の中心地で、野田阪神前交差点は前述のように7差路になっている。鉄道の駅も、阪神本線野田・地下鉄千日前線野田阪神・JR東西線海老江と3つ集まっている。駅近くに福島区役所があり、また阪神電鉄がこの地に本社を置いている。
 野田には、りそな(旧大和)の他3メガすべての銀行支店がある。りそなの野田支店は、1927(昭和2)年2月に野村銀行堂島支店野田出張所として開設され、1944年6月支店に昇格した。今年5月まで使用していた店舗は、大和銀行が1971年6月に建てたものである。旧あさひ銀行は、野田に支店はなかったものの、野田を中心として遠巻きに囲む形で福島・西野田と2つの支店を福島区内に持っていた。福島支店は健在だが、西野田支店は2004年3月に野田支店に事実上統合(支店内支店化)されている。
 なお、野田支店の仮店舗移転に伴い、旧支店建物の隣りに小屋を建て、店舗外ATM[野田駅前]が開設されている。ATMはオムロン製が2台。私がATM小屋に入った時には、9時の閉店を前に音楽が流れていた。キャッシュカードで取引をしたから通帳には一応<野田>と記帳されたが、あさひ銀行時代のような形で<野田駅前>とATM名で記帳されれば楽しかったのに、と思う。

 信号の向こうにあるセブンイレブンに入る。宿の近所にコンビニを知らないわけではないのだが、こちらは交差点を越えた目の前にある。ほとんど思考停止した状態で、ふらふらと店に入った。買うものはただ一つ、缶ビール(含おつまみ)である。
 地下鉄千日前線で日本橋に向かう。さすがに、地下鉄の車内でビールは飲まなかった。

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(7月18日篇 おわり)

2007年11月10日

2007.07.19(木)帰京の前に長岡天神

2007.07.19(木)

 東京に帰る日がやってきた。今日の夜にはまた、生計の資を得るために奉公に行かなければならない。
 帰りの交通手段は、いろいろと考えた結果、昼間の高速バスにした。宿のロビーにある無料のインターネット端末で検索して、京都駅烏丸口を11:20に出るJRの高速バス「中央道昼特急京都4号」に乗ることに決めた。このバスは、新宿駅新南口に19:16に着くことになっている。こんな中途半端な時刻にピッタリ着けるのか、とも思いつつ、都内に夜7時過ぎであれば到着時刻はちょうどよいし、新宿まで連れていってくれるのもありがたい(JRの他の高速バスはいまだに東京駅発着が基本である)。バスの方がJRの「素」の運賃よりも安いし、何より私は中央自動車道を昼間通ったことがなかったのである。そして「りそめぐラー」の私は、京都に行くまでの間に、りそな銀行にもう数店寄ることを考えていた。
 宿を出たのは8時ちょうど頃であった。朝食を近所の「やよい軒」で摂る。この店は当初プランでは新宿からの夜行バスで難波に到着して真っ先に入るはずだったが、最終日の朝に来ることになるとは思わなかった。食事を済ませたら、千日前通りをひたすら西に歩く。10分ほどの歩行でJR難波駅到着。みどりの窓口でバスの切符を買い、ついでに手持ちの「スイカ」にチャージをしてもらって、いざ出発。これから、大阪駅に出て阪急電車に乗り換え、阪急京都線沿線の数店に行ってみようと思う。
 2日間の使用で「スルKAN2day」はめでたく役目を終えたので、今日は電車に1回乗る度にその都度運賃が必要である。チャージしたばかりのスイカでJR難波駅に入場、関西線の各駅停車に乗る。新今宮で大阪環状線(外回り)に乗り換え、大阪駅に着いたのは9時20分頃であった。
 通り道にある梅田北口支店(旧あさひ)に立ち寄りつつ、阪急梅田駅に入る。目指すは、特急河原町行きである。後で調べたら09:40発であった。とにかく、今日は京都駅に11時過ぎにいればよいので、ざっくり「来た電車」に乗って移動する。
 阪急京都線の特急は、阪急他線の特急とは異なり、伝統的にクロスシートの特急型車両を使っている。電車に乗ろうとホームを歩いていたところ、信じられないステッカーが貼ってあるのが目についた。「女性専用車」。昨日、神戸電鉄の4両編成の電車のうち1両が終日女性専用になっているのに相当むかっ腹を立てていたのだが、今日ここにきて世も末であると思った。阪急電鉄の社内には、こうしたあからさまな男性差別を問題視する人が一人もいなかったのだろうか。そもそも、女性専用車両が始まった理由は、車内での痴漢が多発していたことに対する防御策だったはずで、対等に男性専用車両を作るなどの対策が講じてあれば、女性専用車両の設定そのものは止むを得ないと思う。しかし阪急は、一定の配慮(男性専用車両を設定した上で女性専用車両を設定)をしている鉄道会社が一つもない状況下で、さらに痴漢の被害など起こりようもないクロスシートの車両に女性専用車両を設定している。これは必要以上に女性を優遇する以外の何物でもないではないか。明らかに当初の意図を超えて、女性に媚びる方向で進んでいる。この状態が進むと、そのうち日本は、かつてアパルトヘイトが行われていた南アフリカ共和国のような形で「男性差別国家」になるのであろう。
 とはいえ、非力な私にできることといえば、「差別が存在する」という事実を自分のブログで指摘するのがせいぜいである。

 閑話休題。非常に腹が立ちつつも、30分ほどの乗車で長岡天神に到着した。10:09。ここでの目標は、長岡天神支店(京都府長岡京市、旧大和銀行)である。
 橋上駅舎から線路の西側に出ると、数軒の商店が並んでいて、その北側を東西にバス通りが走っている。バス通りは、地図で見ると長岡天満宮(天神様である)の一の鳥居と長岡京市役所とを結んでいて、長岡京市の目抜き通りのようだ。踏切のつけ根にはみずほ銀行が長岡天神支店(旧一勧)を出している。りそなは、一勧前の突き当たりを左折、50mほど西に進んでまた右折し、さらに100mほど北に進んだところにあって、駅からは少し遠い。商店街は一応この付近まで続いているが、賑わい度はやや鈍ってくるようだ。10:16、長岡天神支店の再訪を果たした。
 長岡天神支店は、旧福徳相互銀行長岡支店として1970年12月に開設された。旧福徳相銀ということは、この店は「旧なみはや店舗」である。店舗は旧福徳相銀時代のものが現在も使用されている。2001年2月の営業譲渡で銀行名がなみはやから大和に変わっても店名は長岡支店のままだったが、2003年1月、あさひ銀行との合併に伴い店名を長岡天神支店に変更した。あさひが長岡支店(新潟県長岡市)を持っていたためである。
 今回、旧大和のなみはや店舗をずいぶん巡った。旧なみはや銀行の支店のうち、大和銀行に営業譲渡されてそのまま大和の店になった店舗は全部で7店あったが、そのうち伊丹北支店と立花支店は既に統合で消滅しているから、現存する店で今回再訪していないのは天美出張所(大阪府松原市)1店だけである。今回は別に旧なみはや店舗を総なめにしようとしていたわけではないのだが、こういうふうに1店だけこぼれたのがわかるとやはり悔しいものである。まあ良い。今回、2日目以降はお気楽にやっているのだ。

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2007年11月11日

エピローグ 〜宮脇俊三を意識しつつ〜

 阪急長岡天神駅に戻ってきた。これから、長岡天神<阪急>烏丸/四条<地下鉄>京都というルートをたどって京都駅に向かうことになる。京都駅に11時に着くことを考えると、りそめぐはどうやら長岡天神支店1店のみで終わりになりそうである。乗り換えをする四条烏丸で、京都支店に行けるかどうか。
 乗り換えの際、それでもぎりぎりまで京都支店に寄ることを模索した。しかし阪急で烏丸に着いた時点で、もう11時近くなっていた。無理して寄り道すれば行けないことはなかったろうが、京都駅で土産物を買ったりしなければならず、京都支店の再訪は泣く泣く断念した。
 バスには無事乗ることができた。11:20、京都駅烏丸口を定刻通り発車したJRバス関東の2階建てバスは、京都東インターから名神高速に入り、小牧ジャンクションから中央自動車道にそれた。名神高速は正式には中央自動車道の一部であって、小牧から中央道に「それた」というのは正確ではないらしい。
 それはよいのだが、高速バスの「中央道昼特急」は、私の実感では「特急」と呼ぶにふさわしくない「低速バス」であった。往路に乗ったバスは、東名経由ではあったが、横浜と京都に寄り道しつつ新宿から大阪まで8時間強で着いている。このバスは、どこに寄り道するわけでもないのに京都→新宿に同じだけかかっている。それも道理で、このバスの運転士は高速道路で全くといってよいほどスピードを出さないのである。おそらく、平均時速は80km/hを切っていただろう。走行車線をはみ出ることもなく、右側の追越車線は他社のバスさえひゅんひゅんと追い抜いていく。紀行作家・宮脇俊三のデビュー作『時刻表2万キロ』(初出は河出書房新社、1978年)には、宮崎県の妻線から熊本県の湯前線に乗り継いだ際の記述で、「一般に国鉄バスのダイヤは定時運転を第一とするあまり所要時間にゆとりを持たせすぎているように私は思う。」とある。今から30年前に大先生が経験した国鉄バスの走りっぷりは、2007年の今私が乗っているJRの高速バスでも全く変わりがなかった。
 宮脇氏の『時刻表2万キロ』は、鉄道愛好家による国鉄線全線乗りつぶしの体験記で、「制覇」を旨とする趣味の体験を記した文章の嚆矢である。あまりに名作すぎて、その後あまた出ている制覇記・めぐ記の類はすべて――自分の「りそめぐ」も含め――この作品の亜流、あるいは二番・三番煎じに過ぎないのではないかという思いを禁じ得ない。私としては、この「MEGU」で連載しているような、短い文章に可能な限り高い密度で情報を盛り込んだ銀行めぐりの体験記は、これまでになかったスタイルの紀行文ではないかと自負している。しかし、それが受け入れられるかは別の問題だし、それ以前に「制覇ものの体験記」である時点で『2万キロ』のエピゴーネンという性格からは逃れ得ないのである。とはいえ、私は『2万キロ』が作品としては大好きであるので、強烈なライバル意識を燃やしつつ(?)、敢えてJRバスの鈍足ぶりを表現するのに引き合いに出してみた。
 閑話休題。中央道という道は東名高速と比べてアップダウンが相当激しいので、東京−大阪間の移動にはあまりポピュラーなコースではない。そのことを実感したのは、左側の車窓はるか眼下に諏訪湖を見下ろした時であった。長野県南部に湖水をたたえる諏訪湖は、確かそれ自体で標高800m近くあったはずで、それを見下ろすとは、中央道は何と高いところを走っているのかと驚いた。
 諏訪湖を過ぎ、小淵沢インター(山梨県北杜市)を通過するあたりから、ようやく睡魔が襲ってきた。帰りのバスで睡眠時間を稼ぐつもりでいたのに、京都を出てから数時間全く寝付けずにいたから、ちょっと目論見が外れた。私が再び目を覚ました時、バスは自宅からさほど離れていない三鷹料金所付近で渋滞に巻き込まれていた。窓の外はすっかり暗くなっていた。

[2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α 完]

2007年11月12日

あとがき

 「2007夏 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α」、11月11日をもって完結いたしました。
 最後までお読みいただいた方には、例によってダラダラと続いた連載にお付き合いいただき、御礼申し上げます。分量は最終的に400字詰原稿用紙で200枚弱となりました。
 2007年、私の夏は結局この関西遠征だけで終わってしまいました…。

 今回は、7月に有人出張所から支店昇格した5店など、関西地区でりそな銀行の20店余りをハシゴした体験記でした。訪問したのは(純粋な意味での)新拠点ではなく、再訪の個所ばかりですが、1回行っただけではわからないこと・見落としたことも多々あろうと思いますので、そういう意味で体験記を発表することには意義があったと考えます。
 このブログでの連載は1年ぶりでした。文章は京都から「低速バス」で戻った翌日から書き始めましたが、予想外に手間取りました。本業の仕事は一段落しましたが、もともと時間の使い方が上手でないところに、糊口をしのぐための仕事で時間を取られました。去年からの精神的な負担が癒えていなかったせいかもしれません。父親の一周忌は終わりましたので、これからぼちぼち精力的に活動してゆきたいと思います。

 社会は日々流転しています。この連載を数年後に読み返して「古い」と感じられることがあるかもしれませんが、あくまで 2007年7月の実体験と、その後の連載期間における「一面の真実」です。そういうものだと思ってお読みいただくことを望みます。

 この連載のような「文章を使っての自己主張」が、私の生き甲斐です。今後ともご支援・ご鞭撻をいただけますようお願いします。ご意見や情報提供をお待ちしています。このブログ「MEGU」は、コメント・トラックバックを歓迎していますし、私のメールアドレスも公表しています。

 なお、この連載の執筆にあたっては、以下のような書籍・webサイトを参照いたしました。

 『不動貯金銀行創立四十周年記念写真帖』不動貯金銀行、1940年
 『大和銀行四十年史』大和銀行、1958年
 『協和銀行史』協和銀行、1969年
 『福徳相互銀行三十年史』福徳相互銀行、1981年
 宮脇俊三『時刻表2万キロ』角川文庫、1984年
 『大和銀行七十年史』大和銀行、1988年
 『近畿銀行五十年史』近畿銀行、1994年
 種村直樹『日本縦断「郵便貯金」の旅』徳間書店、1995年
 『協和銀行通史』あさひ銀行、1996年
 佐藤裕治監修・GFC著『地理から見えてくる日本のすがた』中経出版、2007年
 『日本金融名鑑』日本金融通信社、各年版

 「奈良中央信用金庫」毎日就職ナビ2008 http://job.mycom.co.jp/08/pc/visitor/search/corp78159/outline.html
 柏原市 http://www.city.kashiwara.osaka.jp/jichisuishin/yokoso/gaiyou.html
 「大和川について」国土交通省 大和川河川事務所 http://www.yamato.kkr.mlit.go.jp/YKNET/about/index.html
 「銀行変遷史データベース」全国銀行協会 http://www.zenginkyo.or.jp/library/hensen/index.html
 伊太祁曽神社 http://www.nextftp.com/itakiso-jinja/index.html
 「パナホーム・シティ 西神桜が丘」日本住宅流通株式会社 西神南店 http://db1.jyutaku.co.jp/njr/shops/63/index.php?cid=1
 三木市 http://www.city.miki.lg.jp/index3.html
 「(北播磨地域)JR加古川線300万人乗車大作戦」兵庫県 http://web.pref.hyogo.jp/nh01/nh01_2_000000193.html
 「『ウエステ垂水』施設概要」(財)神戸市都市整備公社営業管理本部経営管理課 http://nrjp.com/build/cont02/cont02-05.htm

 フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
(webサイトは2007.11.09現在)
カテゴリ一覧(過去の連載など)
大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇(58)
単発(12)
告知板(24)
銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇(29)
りそめぐ2013梅雨 大阪市営バス“最長”路線[93]を行く(43)
りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇(51)
りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇(35)
りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇(8)
りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた(18)
りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動/銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇(20)
りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー(11)
りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ(47)
りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇(51)
りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
りそめぐ2007秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる(35)
2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)