2005年03月22日

9日(水)以前@ 前口上〜今回の旅の目的は?〜

2005年3月9日(水)

 今日から3泊4日で新潟旅行に出発である。
 それまで関わってきた本の仕事が一段落、加えて毎度おなじみ「青春18きっぷ」がオンシーズンに入り、松尾芭蕉ではないが「漂泊の思いやまず」といった心境になったのである。
 この春は特に、銀行めぐりに関して押さえておきたい場所が二つあった。一つは、この週末一杯で新潟・第四銀行の有人出張所「日和ヶ丘」が統合になる。第四銀では昨年11月にも一つ支店が統合になっており、多忙のため押さえることができなかった。ちょうど今はスケジュールに余裕があるし、新潟に行くからには佐渡島にも一度行ってみたかったのである。もう一つは、岐阜市を中心に張り巡らされているひなびたローカル電車の路線網が、3月一杯で全廃される。路線名でいうと名鉄の美濃町線・揖斐線・岐阜市内線・田神線。名鉄の「600ボルト区間」と呼ばれるエリアである。私は鉄道の乗りつぶしも趣味の一つであるが、名鉄600ボルト区間は以前に全線乗ってしまっている。しかし、このエリアは沿線風景の味わいが格別で、この電車を使って大垣共立銀行めぐりをするのが長年のささやかな希望(「夢」というにはあまりに些細な)であった。美濃町線の車窓から大共の支店を見かけた記憶がある。
 岐阜に関しては後日また考えることにして、先行して計画したのは、3月11日(金)を最終営業日として統合になる第四銀行日和ヶ丘出張所の制覇である。せっかく行くのだから最終営業日を取りたい。佐渡に行く目的はもちろん「行ってみたかった」ということだが、第四銀行めぐりの観点からは、制覇目標となる支店が5店もあることから絶対にはずせない。加えて、佐渡の旧佐和田町には、佐渡島唯一となるミスタードーナツまである。めぐラーとしてはこれらを全部取るつもりで、両者をからめて計画を進めることにした。時刻表を繰っての具体的な計画は、7日(月)に立てた。
 「青春18きっぷ」といえば、新潟方面に行くにはお決まりの列車がある。新宿を23 時09分に出る新潟行きの夜行快速「ムーンライトえちご」。この列車は新潟に朝4時51分に到着し、6時の佐渡・両津行きフェリーに接続している。新潟駅から佐渡汽船の乗り場までは、ちょっと遠いが30分もあれば歩いていける(早朝なのでバスはない)。ただし、この列車は昨年秋の「新潟中越地震」の影響で運休となっている。JR東日本のwebサイトを見てみると、「ムーンライトえちご」ほか上越線の夜行列車は軒並み運休となったままである。2月にやはりJRの夜行快速である「ムーンライトながら」(東海道線)に乗った経験から、JRの夜行快速が最近乗車率を急激に落としている現実は知っていたので、赤字の列車の運転を地震を口実にやめてしまったのだと思った。そうかといって、やはり2月に乗った激安チャーターバスも新潟方面には運転されていないようだし、通常の夜行バスではコストパフォーマンスが悪い。ということは新幹線などはなおさら選択肢の外である。というわけで、在来線の普通列車をシコシコと乗り継いで新潟まで行くことになった。そうなると、未制覇となっている上越線沿線の5か所の支店も今回のターゲットとなった。
 次に、在来線の時刻を調べる。手持ちの時刻表は3月のダイヤ改正前の古いものだが、ローカル線の時刻はそうそうドラスチックに変わることもあるまいと、使い慣れた紙の時刻表でプランを立てる。かくして、東京都内を朝出発し、上越線沿線の5か所の支店を回って、長岡に夕方4時前に着くプランが出来上がった。水上(群馬県)から先、清水トンネルを抜けて新潟県に向かう列車が1日5本しかないので、都内から行くことと移動目的が銀行めぐりであることとを考えると、必然的に水上09:50発に乗ることになる。これに合わせて高崎線・上越線の時刻が決まってくる。上越線沿いの目的地は越後湯沢(湯沢支店)・塩沢(塩沢支店)・六日町(六日町支店)・小出(小出支店)・越後堀之内(堀之内支店)である。
 あとは、JRのwebサイトで、個々の最新の時刻をチェックすればよい。水上09:50発の長岡行きは3月のダイヤ改正でも変わっていない。この電車は越後湯沢に10:26に着き、14分と比較的長い時間停車する。この停車時間を利用して越後湯沢駅前にあるはずの湯沢支店を制覇し、塩沢に向かう。その後は後続の列車を使って六日町・小出・堀之内と制覇し、さらに長岡市内でも第四銀めぐりを楽しんだ後、新潟へ移動して宿泊、という手はずであった。のだが。
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9日(水)以前A プランニングが早くも混乱

 塩沢駅の時刻をJR東日本のwebサイトでチェックしていて、妙なことに気づいた。この駅を出る下りの普通列車が、軒並み「小出行き」となっているのだ。これはおかしい。小出(魚沼市)は只見線が分岐するものの、上越線としてはあくまで途中の駅であり、こんなところで列車の運転を打ち切られては困ってしまう。慌ててサイトのトップページを見る。夜行列車が運休になっているのがわかりきっていたので敢えて見なかった「上越線・飯山線をご利用のお客様へ」のコーナーで、「3月1日からの上越線各駅時刻表」というPDFファイルを見る。驚愕すべき事実が判明した。
 新潟中越地震の影響で、上越線は長岡−小出間が間引き運転となっており、しかもそれは現在も継続中なのだ!
 私が水上から乗ってきて塩沢で降りてしまう(予定の)長岡行きの電車が、小出を11:24に出る。その次の小出発長岡方面は15:07までない! つまり、途中での待ち時間が劇的に増加することになり、当初の予定に忠実に5支店全部を制覇すると、長岡に着くのは夜の7時過ぎになってしまうのである。
 小出までの4支店は何とか取れても、困るのは間引き運転区間にある堀之内支店である。地図を見ると、小出から越後堀之内までは比較的距離が短く、約2.5km。歩いて行けないことはないか、いや、旅行の大荷物を抱えて山間部の2.5kmではへばってしまう、等いろいろなことを考える。
 バスはどうだろうか。時刻表を見たが載っていないので、小出駅のある魚沼市の市役所に電話をかけてバス路線の状況を聞いてみた。魚沼市は2004年11月に6町村の合併で誕生した市で、旧小出町役場が新市の市役所となっている。電話に出た市職員によると、このあたりのバスは越後交通が運行しているということで、長岡市にある本社の電話番号を教えてくれた。そこにかけると、小出近辺の路線バスは、越後交通本体ではなく子会社の「南越後観光バス」という会社が運行しているという。越後交通本社で教えられた番号にかけてみると、そこは会社としては南越後観光なのだが、小出とは遠くはなれた津南(津南町)の営業所であるということで、小出営業所の番号を教えてもらってようやく目的を達することができた。小出の町の中心部から、堀之内を経由して小千谷市まで行くバスがあるという。第四銀小出支店の最寄り停留所は「本町」、そこから「堀之内駅角」までおよそ15分、運賃は190円。プラン上有効と思われるバスの時刻は、13:15・14:55・16:45の3本であるようだ。次に、塩沢駅近くを走るバスの動向を塩沢町役場に電話して尋ね、南越後観光六日町営業所の番号を教えてもらう。こちらの営業所では、越後湯沢駅〜六日町駅間の時刻表をすぐにFAX送信してくれた。これで、必要な情報が揃った。
 早速再検討した結果、今回の新潟行きは以下のような行程で計画を立てた。堀之内支店はとりあえず往路ではあきらめ、帰りに制覇することにした。往路の目的地が1か所減り、一方で小出での待ち時間はふんだんにあるため、せわしない「14分制覇」をやめて越後湯沢での時間を1時間増やした。出発は3月9日(水)と決めた。

 3月9日(水)
  新宿05:57→06:21上野06:30→08:13高崎08:24→09:28水上09:50→10:26越後湯沢(湯沢支店)
  越後湯沢11:42→11:58六日町(六日町支店)
  六日町12:38→12:42塩沢(塩沢支店)
  塩沢13:28→13:53小出(小出支店)
  小出15:07→16:15長岡(長岡市内の第四銀未制覇3支店、ミスタードーナツ1店:できるところまで)
  長岡20:05→21:21新潟(新潟市内で宿泊)

 場所的に長岡寄りの六日町が塩沢より先になっているのは、越後湯沢11:42発の電車が快速列車で、塩沢駅を通過してしまうためである。
 堀之内支店は、もちろん往路で制覇できるに越したことはないので、「希望的観測プラン」もあわせて準備しておいた。越後湯沢を当初の「14分」の持ち時間で制覇した後の計画である。

  越後湯沢10:40→10:58塩沢11:04(バス)→11:13六日町12:41→13:01小出13:15(バス)→13:30頃越後堀之内15:11→16:15長岡
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2005年03月23日

9日(水)@ 真っ赤な杉林を横目で見つつ

 さて、当日の朝。
 出がけに多少ぐずぐずしてしまい、予定を多少オーバーして自宅を出発。でも心配は要らない。高崎線へのアプローチを上野にしてあるのは始発でゆっくり座っていこうという考えからで、上野を回らず埼京線で赤羽に直行してしまえば、少々の遅れは吸収できる。駅前のコンビニで弁当を買い、近くのベンチで手早く朝食。店員が割り箸を入れ忘れたので少々焦る。新宿到着が10分ほど遅くなったが、これは赤羽に直行することでカバーする。この時間の埼京線は池袋始発で、乗り換えの回数が1回増えるのが口惜しい。そうこう言いつつも、赤羽では10分ほどの待ち時間で予定していた高崎線の高崎行き普通列車に乗り込むことができた。高崎線は私の実家のある群馬県前橋市までのメイン交通機関であり、小学生以後何度となく乗った路線であるので、勝手は知り尽くしている。知り尽くしているはいいが、JR東日本が最近大量に増備している「E231系」と呼ばれる新型電車は、座席が長椅子の通勤型車両なのでいまひとつ面白くない。
 高崎には08:13到着。メイン跨線橋に駅弁のスタンドが出ているのも昔と変わらない。出がけにコンビニ弁当で軽く朝食を済ませたが、改めてここで弁当を買う。鶏肉の好きな私の定番、とりめし弁当。これを買って、上越線の人となる。高崎の発車は08:24。これが水上には09:28に到着し、22分の待ち時間をもって09:50発の長岡行きに接続する、という段取りである。
 弁当とお茶を買って、3両編成の電車に乗り込む。旧国鉄時代に製造された「115系」と呼ばれる電車で、オレンジと緑の塗り分けも内装の薄緑色もボックスシートも国鉄時代と変わっていない。座席の表面の布(モケットという)だけが少々変わって、クリーム色と紺の細かい模様のついた柄物になっていた。ボックスシート(鉄道趣味の用語ではクロスシート)に席を取ると、天気もいいことだしすっかり旅の気分である。それは、車窓の風景が見慣れたものであっても変わらない。上越線の高崎から前橋市に至る部分は、10代から20代にかけて毎日のように乗っていた区間である。もっとも、群馬県が居住地でなくなって10年以上経ち、過去見慣れた風景も新鮮な風景と化しているようだ。
 新前橋を発車して列車は大きく左にカーブし、ここから長い坂道を登り始めるのが乗っていても感じられる。群馬県で小学生に地理的な知識を啓発するため終戦後作られた「上毛かるた」に「裾野は長き赤城山」と謳われた赤城山が、右の車窓に雄大な姿を見せている。関東平野の一番端に突然そそり立っているという感じである。
 赤城山が見えなくなり、渋川駅を出て吾妻線を分岐すると、線路は途端に山に分け入る。いよいよ新潟県に向かうのである。車窓からはごくごく一部に残雪が見える程度で、太陽がさんさんと照っている。花粉の準備をすっかり整えた杉林が、真っ赤に染まって風が吹くのを待っている。「真っ赤な林」といっても、秋の紅葉と違い、春の杉林の場合は杉花粉症にかかっていない私が見ても目が痒くなってきそうな気がする。特に今年は「過去最大の飛散量」だそうで、花粉症の人にとっては花粉の飛散の仕方がとりわけ悲惨であるようだ。
 車窓から見える雪が少しずつ増え始め、前方に雪をかぶった山々が高い高い壁のように立ちはだかった頃、電車はようやく水上駅の1番ホームに滑り込んだ。群馬県は水上駅の2つ先・土合駅までだが、JRは水上から先が新潟支社の管轄だから、水上から実質的に新潟県というわけである。
 長岡行きの電車に乗り換える。車両は115系で同じだが、ここからは新潟支社の車両となり、6両編成、かつ車体の色が変わる。高崎支社の115系は伝統的な「湘南色」(オレンジと緑)だが、新潟支社は独自のカラーとなる。一昔前まではアイボリーの車体に緑と茶色の線の入ったものだったが、最近になって白と水色のツートンカラーに塗り替えられつつある。今日乗る電車は、6両編成のうち半分が白と緑、もう半分が白と水色であった。ちょうど塗り替えの過渡期に当たっているようである。
 自分の席を確保してしまうと何もすることがない。ホームに出ていると、やはりさすが雪国が近いせいか、少し肌寒い感じがする。ホームから車内に戻ると、まだ発車前なのだが早くも車掌が検札にやって来た。峠越えの部分が関所の役割を担うのは江戸時代から一緒である。
 09: 50、発車。電車は、前方に立ちはだかった高い壁に向かって突き進んでゆき、すぐにトンネルに入る。このトンネルが「ループ式トンネル」として有名な清水トンネルで、高度を稼ぐために螺旋を描くようにぐるりと回転して掘られている。そのトンネルの途中に、湯檜曽・土合の2つの駅がある。土合駅は谷川岳への登山口として有名な駅で、改札(といっても今は無人駅らしいが)とホームとの間に長大な階段があり、改札を入ってから列車に乗るまでに10分もかかることで知られる。
 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。これは有名な川端康成の「雪国」の書き出しであるが、今回まさにそのまんまであった。トンネルを出ると、そこは雪国だったのである。群馬県側であれだけ晴れていた空は、トンネルを抜けて新潟県側に抜けた途端に一面の灰色になってしまった。しかも、そんなに激しい降り方ではないとは言え、雪が降っている。降雪は旅情を味わう点ではいいかもしれないが、めぐラーとしては困りものである。果たして今日は上越線沿線の第四銀めぐりが順調に進むのであろうか。

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posted by 為栗 裕雅 at 09:33| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月25日

9日(水)A いよいよ越後湯沢へ

 電車は、岩原スキー場前駅を発車した。あと数分で、今日の第一目的地・越後湯沢である。
 いちおう計画では、越後湯沢での持ち時間が1時間強あることになっている。しかし、順調な第四銀めぐのためには、私は14分の停車時間中に湯沢支店の制覇作業を済ませ、また電車に戻ってこなければならない。「希望的観測プラン」というやつである。
 普段持ち歩いているソフトアタッシュケースと、旅行用のショルダーバッグとを同時に持ち、ドアが開くと同時に飛び出せるようドア口で構える。電車に荷物を置いたままにはできない。14分で戻って来れなかったら、そのまま発車されてしまう。
 電車が停車した。プシューッ、と空気の抜ける音がして、ドアが開…かない。冬期、車内の保温のため、ドアは「半自動」といってロックだけはずれるのである。正確には圧縮空気で押し付けているドア装置の空気を抜くのであるが、ともあれ、電車を降りるためには、空気が抜けきったところで手で開けることになる。「カチャッ」と音がして両開きのドアに1cmほどの隙間ができた瞬間から、さほどの力をかけずドアを手で開けられる。がらがらと戸を押し開け、ホームに飛び降りる(誇張でなくホームの高さがかなり低いのだ)。
 さあ、私は14分で湯沢支店まで行って帰ってこれるだろうか。もちろん、湯沢支店の場所は事前にネットで調べてある。駅の東側、ロータリーから国道に向かう取り付け道路の付け根のところにあるはずで、これは駅から「メチャ近い」部類に入る。
 越後湯沢駅の改札は2階である。ホームに飛び降りた私は、階段を駆け上がって改札へ急ぐ。何ということだ。越後湯沢駅の改札は、新幹線ホームに寄った1か所のみ、ということは越後湯沢駅の西口側にあたる場所である。つまり、東口寄りの2番線に着いた私は、跨線橋を端から端まで走り、改札を出たらもう1回コンコースを端から端まで走らなければならないことになる。おいおい昔はもっと東口に寄った場所に改札があっただろう、と走りながら思ったが、やはり使われていない改札のブースが東口寄りの部分にあって、物置のようになっている。うひょっ、間に合うかな。考えるまでもなく駅舎の階段を駆け下りると、駅のロータリーに出た。ロータリーのそこかしこに除雪した雪が積み上げてあるのが見える。雪の降り方はさっきより激しくなった感じである。時計の代わりにしている携帯電話の画面を見る。10:30。持ち時間あと10分。
 湯沢支店の制覇はすぐに済んだ。駅前通りの商店街の中に、緑と水色のカラーシートをガラスに貼り付けた第四銀行の店舗があった。大急ぎで入金−出金の1サイクルを済ませる。このプロセスはりそな銀行めぐりの時と一緒であるが、第四のこの支店では日立製の旧型ATMで、レシートがドットプリンタで印字されるため時間がかかる。レシートを印字しない取引もできるのだが、私は買い物という買い物で必ずレシートをもらってくる人間であるのでその選択肢はない。
posted by 為栗 裕雅 at 00:47| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

9日(水)B 予定より1本早い電車に

 ようやく制覇作業が終わった。ショルダーバッグを肩にかついで駅に急ぐ。前年に腕時計を紛失して以来、私はもっぱら携帯電話の画面で時計の用を済ませている。二つ折りになっている携帯電話をパチッと開いて時刻を見る余裕は、こういう急いでいるタイミングでは存在しない。とにかく、降り出した雪を横目で見つつ、屋根のついた通路の下を駅に向かって急ぐ。
 改札を入る瞬間、アナウンスが聞こえた。「0番線から、ほくほく線直通の快速直江津行きが発車します」
 何だって、ほくほく線の快速!? 私はほとんど条件反射で、長岡行きの2番線より手前にある0番線の階段を駆け下りた。ホームには紅白ツートンカラー(に見えた)電車が停まり、ドアを開けて私を待っている。飛び乗った。空いた席に荷物を置くと同時に入口のドアが閉まり、VVVF駆動独特の電子音を立てながら電車が動き出した。
 私が乗った車両は、ロマンスシート(転換クロスシート)のついた北越急行のイベント用の車両であった。北越急行ほくほく線は、本日第3の目的地である六日町から分岐し、十日町市を経て上越市に至る第三セクターの私鉄である。私鉄だが、JRの北陸方面への短絡線として開業した路線であるので、金沢方面からJR西日本の特急が越後湯沢まで乗り入れてくる。ついでに、線内の普通列車の一部も上越線内を快速扱いにして越後湯沢まで入ってくる。
 何が何だかわからぬまま、「希望的観測」としていたプランよりさらに余裕を持って制覇活動が始まった。持参した時刻表を出して再検討する。この列車は、越後湯沢10:36発のほくほく線直通・直江津行き。今回のプランを立てる時、長岡行きが越後湯沢に10:26に到着、その10分後の10:36に快速が出るのは一応視界に入っていた。しかしそれははなから考慮の外にあった。当たり前だ。持ち時間14分で乗ってきた列車に戻るのですら時間不足に感じていたのだ。ましてやさらにその4分前に出る列車に乗れるとは夢にも思っていない。そして「希望的観測」プランすら、実現性はほとんどないと思っていた。
 ひょっとすると、今日のうちに堀之内支店まで取ってしまえるかもしれない。この車内で修正したプランは、次のようになった。

  越後湯沢10:36→10:51六日町11:35→11:39塩沢12:29→13:01小出(小出支店)
  小出本町13:15(バス)→13:30堀之内駅角(堀之内支店)
  越後堀之内15:11→16:15長岡

 今乗っている列車は、「本来のプラン」で越後湯沢を11:42に出る列車と同様、越後湯沢を発車すると六日町まで突っ走り、塩沢支店制覇のためには1駅戻らなければならない。
 この計画で最も無理があるのは、小出支店の制覇だろう。小出支店は湯沢支店とは異なり、駅から魚野川(信濃川の支流)をはさんだ旧市街にある。バスが旧市街から出るとはいえ、15分弱の持ち時間で果たして制覇を終えることができるのだろうか。しかしその代わり、小出から堀之内までの距離はさほど遠くない。万が一バスに乗れなかったらタクシーをつかまえることにしようと覚悟を決めた。
posted by 為栗 裕雅 at 12:41| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月26日

9日(水)C 六日町支店を制覇

 快速の最初の停車駅・六日町は、1997年のほくほく線開業に伴い、エレベータのついた橋上駅舎に改築された。JRの長大なホームの横に、短いほくほく線専用のホームが新設されている。私を越後湯沢から乗せてきたほくほく線直通快速は、その短い専用ホームに横付けしてドアを開けた。鉄道だから横付けするのが当たり前、というツッコミはしないように。
 六日町は、昨年11月1日に2町の合併により市制施行したばかりの南魚沼市の中心部で、市役所もここにある。合併前には南魚沼郡六日町といった。合併相手は同郡大和町で、旧大和町は新幹線の発着する浦佐駅を擁する。
 建物もロータリーも、何もかもが新しい。数年経っているから開業当初の新しさはないが、「祝南魚沼市」の横断幕が目をひく。
 第四銀行六日町支店は、駅前通りを東に向かい、直交する国道291号線に折れてすぐ南側にある。このことは事前のリサーチでわかっている。人の気配のない駅前商店街を東に向かって歩く。雪国だけにアーケードはちゃんと整備されている。雪は小降りになったようだが、それでもまだ降ったり止んだりを繰り返しているので、屋根があるのはありがたい。並ぶ店舗はシャッターを下ろしたものが多い。コミュニティFM局があって、ガラスの向こうで生放送をしているようだ。やがて、291号線の前に駅前通りと直交する国道17号との交差点の先でアーケードは途切れた。何やら大掛かりな工事をしている。
 工事現場の先の信号が、目指す291号線らしい。信号で曲がるとすぐ、第四銀行のダークグリーンの袖看板が見えた。
 店内に入る。4台並ぶATMの前には、思いのほか行列ができていた。1台は点検中だったので実質3台と同じだが、それにしても今日は9日の水曜日。ごとう日でも週末でもないはずなのに、一体どうしたことだろうか。と思っていたら、ようやく私の番が来た。機械を操作して六日町支店を制覇。時刻は11時を回ったところである。
posted by 為栗 裕雅 at 01:51| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

9日(水)D 静かな雪国の町・塩沢

 六日町での持ち時間は44分。制覇を済ませて駅に戻るには十分な時間である。駅に戻って、今度は上り電車を待つ。目的地は1駅越後湯沢寄りの塩沢。ここが、塩沢支店の最寄り駅となる。
 ホームで待っていると、ほくほく線の電車がやってきて、ほくほく線ホームに入った。ほどなく乗り換え客がゾロゾロと上越線上りホームに現れ、私の乗る上越線の上り電車はすぐにやって来た。このあたりの接続関係は絶妙である。六日町11:35発、4分の乗車で塩沢に到着した。
 小ぢんまりした駅舎を出ると、駅前には古びた木造の建築が並んでいた。商店だったり、元旅館だったりしている。屋根の上にはことごとく50cm程度の厚みで雪がこんもりと乗っかっている。駅前広場の使われていないスペースは、雪捨て場として5mくらいの高さの雪山ができていた。今年は19年ぶりとかの大雪で、先週まで降り続いていたらしい。
 商店街というにはあまりに人の気配がない。駅前通りには融雪パイプが敷設されており、鉄分を含んだ水を撒き散らすせいで、アスファルトは茶色に染まっている。駅前通りを東に5分も歩くと、新築されて間もないとみられる第四銀行塩沢支店があった。地方都市に行くと、さびれた商店街とは裏腹に銀行の支店だけはごった返していることが多いが、ここは郡部であるせいか銀行の支店も閑散としている。あっという間に終わったATMでの制覇作業の後、窓口で記帳もしてもらう。
 ぶらぶら歩いて塩沢駅に戻る。次の目的地は小出で、12:29の出発。まだ30分以上の余裕がある。
 第四銀と駅との間に「農協」の看板と「しんくみ」の看板が並んで出ている。「塩沢信用組合」の本店であるらしいが、なにやら工事の真っ最中である。これがなぜ「農協」なのか一瞬考えたが、どうやら農協だった建物を購入して改装工事をしているところらしい。調べていないが、農協も新築移転したのであろう。南魚沼郡塩沢町は2005年中にも南魚沼市と合併する予定なのだが、どういうわけか塩沢町の金融機関は建物の新築・改築ラッシュのようである。
 これまたどういうわけか、今日はやたらと腹が減る。駅前のパン屋に入った。パン屋というと都会の人はパティスリーなんちゃらとかいった店を思い出すかもしれないが、ここは新潟県の郡部である。置いているパンは主に工業生産品の菓子パンで、パンだけでなくカップラーメンからおにぎりからポテトチップスに至るまで、雑多な食料品を置いている店である。
 店に入ると、老女が一人で店番をしていた。棚から商品を選んでいると、気さくに話し掛けてくれる。田舎のこうした店では、下手をすると賞味期限の切れたパンを平気で売っていたりするものだが、この店は賞味期限は厳重にチェックして、期限切れの商品は半額コーナーに置いている。誠実な商売をしている店のようだ。老女は家賃負担なしで年金生活であるから1日5000円程度の売り上げでも店がやっていけるのだそうだ。1日5000円の売り上げのために日がな一日店番をしていることなど、最近の若い者には耐えられないだろうと思う。「クールヤマザキ」のおにぎりだけにしておくつもりが、クリームパンを1個追加してしまった。
 駅の待合室で、菓子パンとおにぎりを食べる。待合室には青いプラスチックのついた椅子と、キヨスクの売店をつぶして置かれた自動販売機。石油ストーブが置かれているのが雪国らしい。駅の改札横には目安箱のようなものがあって、乗客からの意見を吸い上げるようになっているが、読んでいるともの悲しい思いにとらわれる。たとえば「ストーブを一日中つけて欲しい」という投書には「駅員のいない時間には防火上つけられません」、「売店を営業して欲しい」には「採算が取れないので再開の予定はありません」。目安箱を置くだけ無駄のような気もするが、それでもやはり意見を吸い上げようという意欲があるだけ救いがあるのだろう。さっきのパン屋が駅の中で営業したら、とか余計なことを一瞬考えた。
 腹が膨れると眠気が襲ってくるのは、動物的本能にきわめて忠実であると言えよう。小出行きの電車に乗り込んでボックスを1つ確保した私の記憶は、以後小出到着まで途切れる。
posted by 為栗 裕雅 at 01:57| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月27日

9日(水)E 小出、持ち時間14分

 12:29に塩沢を発車、小出に到着したのは13:01である。私の乗った電車は、小出駅の2番線に到着した。
 小出駅は、駅舎直結の1番線、上越線用の島式ホーム2・3番線、少し離れて只見線の島式ホーム4・5番線が平行に並んでいる。上越線ホームと只見線ホームの間には5メートルくらいの高さの雪の壁ができていて、視界を遮られている。少しでも使わないスペースは、雪捨て場として活用されるのである。
 跨線橋を渡って改札を出る。小出での持ち時間はかなり少ない。支店の場所は川を渡った旧市街、しかも、小出から堀之内に移動するのに最寄りのバス停が「本町」であると聞いているが、停留所がどこにあるのかは把握していないのである。バスの発車時刻は13:15だという。持ち時間14分は越後湯沢と同じだが、駅に戻る必要がない代わり、結構幅の広い川を渡らなければならない。バスに乗れなければタクシーを捕まえるつもりだが、もちろんそういうことはしたくない。果たして大丈夫なのだろうか。
 小出駅から市街地までの道は、リサーチしてある。駅の南側に、市街地の目抜き通りに通じる大きな橋がかかっている。小出橋という。駅舎を出て、左の方向に足を進める。同じ方向に進むおばちゃんもいるし、こちらが旧市街で間違いないであろう。
 小出駅が川をはさんで市街地の対岸にあるのは、市街地側に線路を敷けなかったためである。小出の市街地側に上越線を引こうとすると、魚野川を2回渡る必要がある。昔は(今でもある程度は当てはまるが)鉄橋をかけるのは大工事で、鉄橋がかけられないために全通しなかった鉄道路線というのが全国いたるところにあった。そんな、町から見ると対岸にある小出駅の周辺は、ある程度集落として開けてはきているものの、基本的には住宅地となっている。雪は今はやんでいる。どんよりと曇った空の下、住宅地の裏通りのような細い道を、小出橋に向かって歩いていく。数分歩くと、目指す小出橋は自分の道の頭上にあった。車の通る道が、さっきの住宅地では表通りにあたる場所、つまり線路から少し離れた場所を通っているからである。
 橋は頭上にかかっているが、私は全く焦っていない。こういう場合、だいたい橋につながる歩行者用の階段があることを知っているからだ。その階段はすぐに見つかった。雪国らしく、階段には屋根がついており、段の部分には直径5mmくらいの白い粒がばら撒かれている。融雪用の炭酸カルシウムであろう。
 階段を上がりきると橋の上面に出た。駅から途中まで同じ方向に歩いていたおばちゃんが、いつの間にか道の反対側、私の前方を歩いている。橋の手前に上越線をアンダーパスする地下道があり、そこを行くと例の階段より早く橋の上に上がれたようだ。畜生、金返せ。
 足元を流れる川は、信濃川の支流の魚野川である。湯沢町あたりを水源に上越線にほぼ並行して流れ、川口町で信濃川に注ぐ。河川敷を流れに沿って走る道は、そこの部分だけ除雪されて2mくらいの壁で両側を仕切られた溝のようになっている。川の水はこの冬場にもとうとうと流れている。橋の向こうには、いかにも商店街と思しき建物の塊がある。第四銀の小出支店は、あの塊の中、この橋の延長線上にあるはずだ。ここで時計代わりの携帯を見る。13:08。大丈夫だろうか。バスが出るのは13:15である。
 見つけた。前方に、第四銀のダークグリーンの看板が見えた。支店そのものは何の変哲もない。ATMには一人待ち客がいただけで、すぐに自分の番が来た。小出支店をあっという間に制覇。
 さあバスだ。支店を飛び出すとすぐ、目の前にバス停のポールがあった。時刻表の行き先を見ると「小千谷」行きのバスはない。ということは道路の反対側だ。市街地とはいえ田舎のこととて、交通量はほとんどない。道をそのまま横切って反対側のバス停へ。この時点で13:14ぐらいだった。
 ポールの時刻表を見た。「小千谷上ノ山」へ行くバスが、13:18とある。何じゃ。13:15ではなかったのか。どうやら、バスの始点である小出営業所を出るのが13:15ということであるらしかった。3分損した気がしたが、3分遅れて間に合わないより余程マシだ。
 というわけで、私はまさに「希望的観測」を実現に移し、今日のうちに堀之内支店まで制覇できてしまうことになったのである。
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2005年03月28日

9日(水)F 中洲・ススキノ・ニューヨーク!?

 白と白緑色とに塗られた、南越後観光バスの路線バスがやって来た。「観光バス」という名前だが、れっきとした路線バスである。正面には「小千谷上ノ山」という方向幕を掲げている。
 小出の市街地を抜け、消防署の脇から国道17号に入る。消防署と言わずどこと言わず、少しでも雪の捨てられる場所には雪が積み上げてある。視界に入る積雪は多いところで3〜4mはあるだろうか。人の生活に使われない場所はすべて雪雪雪だが、国道沿いの雪は砂埃を巻き込んで黒く汚れている。魚野川の支流の破間川を渡ってしばらく進むと、バスは国道から外れて細い道に入った。細いといってもこれまで走ってきた国道と同じ片側1車線の道である。国道から外れたこの道が、17号の旧道であるようだ。旧道に入った途端に、車窓は一面に雪で覆われた世界から木造家屋が立ち並ぶ風景となった。
 旧道の途中のバス停に停車。発車してすぐ、前方に第四銀行のダークグリーンの看板が見えた。慌てて降車ボタンを押したが、第四銀の手前の交差点をそのまま左折してしまった。次の停留所は「堀之内駅角」であるという。バスは越後堀之内駅のコンクリート造りの駅舎を横目で見ながらさっき外れた国道に再び進入し、駅前交差点からすぐのバス停で停車した。やれやれ、せっかく第四の前を通ったのに、これからまた戻るんかい。
 堀之内支店のある旧堀之内町は、2004年11月に小出町などと合併して魚沼市の一部となった。魚沼市役所の施設は各町村の役場をそのまま使っているが、実質的な中心は旧小出町役場であるので、堀之内は何年か先には魚沼市に複数ある集落のうちの一つとなってしまうだろう。第四の堀之内支店も役割が低下するのではないだろうか。実は、昨年11月に統合となった佐渡島・旧真野町の真野支店は、佐渡にあった1市7町2村が合併して全島が「佐渡市」となったことにより、支店の役割が低下したための統合である。「平成の大合併」が進んでいくと、真野や堀之内のような「町の支店」は「新市の2番手以下の支店」に変わり、業績の低下が著しければ統合、あるいは出張所化が待っていることになる。もちろん営業店でなくなっても店舗外ATMぐらいは残るだろうが。
 そんなことを考えながら、堀之内駅前通りをもと来た方向に戻る。口ずさむ歌はもちろん「オレたちひょうきん族」の「タケちゃんマンの歌」である。以前横須賀市で働いていた頃、京急線堀ノ内駅近くの大型ディスカウント店「ダイクマ」に買い物に出かけた時、この歌を口ずさみながら歩いていたところ、たまたまその付近に住んでいた当時の上司に見つかってしまった。その上司には後で「何か、すごい楽しそうに歩いてましたよ」と言われた。
 「ひょうきん族」で思い出したのだが、ライブドアに買収攻勢をかけられて苦悩しているフジテレビジョンの日枝久会長は、編成局長時代に同番組の「懺悔」のコーナーで水をかぶっている。ネットの画像掲示板「画箱」にこの映像がUPされているのを見て笑ってしまったが、同時にメディアというもののこわさを(ニッポン放送の買収劇とは関係なしに)思った。いったんオンエアされたものは、どこでビデオ録画されているかわからず、何十年前のオンエアでも記憶にとどめている人が必ず一人や二人いるものなのである。どこの家にもVHSテープのライブラリーが埃をかぶっているはずだが、画像掲示板にビデオがUPされるのは、その中から目的の映像を探し出してくるという能動的な行為があってこそである。また、それをする人が実際にいるということだ。
 すっかり話がそれた。旧堀之内町のあたりはまだまだ豪雪地帯で、駅前の農協も1メートル近い厚さで雪を屋上に載せていた。といってもここは「人里」である。駅前の交差点にはセブンイレブンがあった。融雪パイプから出る鉄分を含んだ水のせいで、道路の舗装は茶色く染まっている。駅からゆるゆる歩いて5分くらいで第四銀行堀之内支店に到着。第四の支店には数人の客がいたが、あまり混み合っているというわけではなかった。というより、東京在住者の目からは明らかにすいていた。ポケットからキャッシュカードを出す。まさかと思っていた堀之内支店の制覇が終わった。
posted by 為栗 裕雅 at 15:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月29日

9日(水)G 余震は続き、傷跡いまだ癒えず

 朝から怒涛の勢いで制覇を続けてきて、ここで一気に弛緩する。時刻はまだ14時前。間引き運転となっている上越線は下り電車が15:11までない。1時間半近い時間の余裕があった。
 今日はどういうわけか腹が減って減って仕方がない。駅前のセブンイレブンで弁当を買ってきて、石油ストーブのついた駅の待合室で食べる。メニューは旬を感じるたけのこ弁当である。たけのこ入りの炊き込み御飯に、若たけのこの炭火焼、あとは鶏肉や野菜など。最近では日常生活から季節感が失われたと言われるが、そういうものを最も意識して商売しているのがコンビニであるといえよう。最近では関西ローカルの風習である「恵方巻」なども始めてすっかり全国区の風習に昇格させてしまった。
 駅の待合室には、中学生とおぼしき制服の少年少女たちがいた。彼らはどうも高校入試を受けてきたらしい。堀之内に高校があるのかは知らないが、面接試験で聞かれたことなどを情報交換している。人目をはばかることなく(といってもはばかるほどの人目があるわけではないが)大きな声で話す中学生の会話を新聞を読みながらボーッと聞いていると、突然突き上げるような衝撃があり、その後10秒くらいゆらゆらと建物全体が揺れた。私の体感では震度2か3くらいはあったと思うのだが、中学生たちは地震には慣れっこなのか悠然と構えており、「今地震があった?」と誰かが聞いたものの、話題はすぐに別のものに変わってしまった。昨年10月23日に発生した新潟中越地震は、年が明けて3月上旬になってもまだ余震の発生が続いている。しかし、中央のマスコミは既に新潟で地震があったことすら忘れているのだろう。折も折、この文章を書いている2005年3月20日には「福岡県沖地震」が発生。日本は本当に「地震大国」である。
 時間をつぶす材料には不自由しない私でも、列車待ちの時間だけはどうにも落ち着かない。しかし、ついに長岡行きの発車10分前となり、私は改札を入って跨線橋を渡った。電車がくる直前になって、かの中学生の一団も一緒のホームにやってきた。小千谷市の中学校のバッジをつけていたから、小千谷まで行くのであろう。電車に乗ってから何気なく時刻表を見てみると、小千谷駅は越後堀之内から3駅目で、普段だったら15分で行ってしまうところである。プリントアウトしてきた臨時時刻表では、1駅手前の越後川口までで15分、そこからさらに小千谷まで15分かかっている。相当な徐行運転を強いられるようである。
 やがて電車がくる。一人乗り遅れそうになったので発車を見合わせていたが、結局その客は乗らなかった。ドアが閉まり、というか半自動の115系電車であるから手で開閉できるよう隙間の開いた両開きドアを圧縮空気で押し付けて密着しただけだが、ともあれ客の乗降が済んで電車は長岡に向かって動き出した。
 電車は、雪の壁の中をそろそろと進んでいく。線路の両側には、2m以上の高さに雪の壁ができている。時刻表を見てもそうだし、今実際に走りっぷりを体験していてもそうなのだが、なぜこんなにスピードが遅いんだろう。いくらなんでももうちょっと出せないんだろうか。そんな疑問は、越後堀之内の次の駅、北堀之内を出てすぐ入ったトンネルで氷解した。ゆっくりゆっくり進んでいく電車の窓からは、トンネルの壁に入った亀裂がはっきり目視できた。塗ったコンクリートの表面が剥がれ落ちて、鉄筋が露出している。新幹線や高速道路の橋脚が阪神大震災の際に崩れているのを当時何度も見たが、あんな感じである。もちろん、電車が走れる程度の崩れ方だからあれほどひどくはないのだが、それでも徐行して走らないと傷口に悪影響を及ぼすのかもしれない。これではスピードが出せないはずだ。しかも、今年は「19年ぶりの大雪」とかで積雪量が多く、この雪では復旧工事もままならないだろう。私はいまさらながらに新潟中越地震の被害の大きさを思い知った気がした。
 越後堀之内から二つ目、越後川口に着いた。魚野川沿いに進んできた上越線と、信濃川沿いに北上してきた飯山線が、ここで合流する。上越線と飯山線に沿う二つの川も、ここ川口町で合流である。川は信濃川のほうがメインだが、JRの線路は上越線がメインである。
 地震の影響で、上越線は越後川口から、二つ先の越後滝谷まで単線運転となる。一応小出からは線路を複線で使ってきたから、いよいよここからが地震の核心というわけである。
 越後川口駅のホームには、俄仕立てのタブレットキャッチャーが置かれていた。鉄道の単線運転区間で使われる通行手形のようなものがタブレットで、これがないと単線の区間を通れない(無理に通行したら正面衝突である)。タブレットの本体は直径10cmくらいの金属板で、直径50cmくらいの輪っかがついたカバンに入っている。タブレットキャッチャーとは通過列車の運転手が駅にタブレットを渡すために使われるもので、高さ1.5m、直径1mくらいだろうか、ベッドのマットレスに入っているスプリングのような形をしたものが、ホームからにょっきりと立っている。子どもの遊具の輪投げのように、タブレットの入った輪っかつきのカバンを投げて、タブレットキャッチャーに引っ掛けるわけである。
 電車が発車した。次の停車駅は小千谷で、本来なら5分そこそこの道のりだが、臨時ダイヤではこの区間に15分かけている。電車のスピードはさっきよりもっとゆっくりになった。上越線は本来なら全線が複線になっていて、左側通行になるはずだが、ここでは右車線を走っている。単線運転なのである。一応左車線側も除雪はしてあるようだが、敷かれたレールは茶色く錆び付いて、長い間列車が走っていない様子をうかがわせる。やがてトンネルに入る。トンネル内には蛍光灯が数本点灯しているのが普通だが、この区間では完全に真っ暗である。トンネルを出ると、線路の両側の雪の壁はさらに高くなったようである。ここ数日は気温が高かったので積雪が緩んでいる可能性があり、余震も続いているようで、雪崩が怖いと思った。とにかく、電車はゆっくりゆっくり進んでいく。15分かけて、ようやく小千谷に到着した。
 小千谷駅は小千谷市の玄関口である。小千谷市に第四銀行は2店舗あるが、この2店は昨年9月、つまり地震の前に現地を訪れて制覇してしまったので、今回は立ち寄らない。なお、堀之内と小千谷の中間にある川口町に第四はないし、小千谷からは長岡市まで第四の店舗は存在しない。新潟県中越地方は長岡市に本店を置く北越銀行という地方銀行の勢力範囲で、第四の店舗が比較的少ない。北越銀も第四と同様旧ナンバー銀行、つまり明治時代の旧国立銀行で、北越銀のナンバーは「69」であった。
 小千谷から若干スピードアップしたように感じた。窓から見える民家には屋根に青いビニールシートをかぶせたものが見えたり、また窓ガラスが割れたままになっている倉庫なども見え、地震の傷跡が癒えていないのがうかがわれる。私の記憶はこのあたりから再び不鮮明となり、目を覚ましたのは長岡到着のアナウンスが流れたときであった。

 なお、単線運転が続いていた上越線越後川口〜越後滝谷間は、2005年3月25日(金)、複線運転が復活した。しかし、徐行運転や間引き運転は当分続く。

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2005年03月30日

9日(水)H 長岡到着、さてどうするか

 16:15、長岡に到着。さあ、ここからは長岡市内をうろうろしよう。
 長岡市には第四銀行の営業店が7店ある。これらのうち4店は昨年9月に制覇した。去年は「青春18きっぷ」の有効期限である9月10日時点で1日分だけ残っていて、もったいないので処理するために新潟県中越地方へ赴いたのだった。このときはミスタードーナツめぐりを主体とし、第四銀は小千谷の2店と長岡の4店のみ制覇していたのである。
 長岡市内の第四銀で残っているのが、長岡市役所前・長岡西・長岡新産センターの3支店。これらのうち、地図上で市街地から遠い場所にある新産センター支店を除く2店を制覇し、前回回れなかったミスドの1店(長岡ジャスコ)も押さえるのが、今日の長岡での計画である。まず市街地の長岡市役所前支店、次いで信濃川西岸の長岡西支店を制覇したら、ジャスコ内のミスドで休憩しよう。多分それで時間がぎりぎりのはずだ。第四銀行のATMは19時でおしまいである。正確には、18時から出金に手数料がかかるようになり、19時で入金が終了する。そして、ごく一部の店舗を除いてキャッシュコーナーの営業は19時で終了である。時間外手数料を払いたくない私は、18時以降は入金のみで制覇作業を行い、19時で第四めぐを打ち切る。そうなってからミスドに行くつもりだが、今日はそのあとさらにもう一仕事ある。新潟市への移動である。明日は朝一番(06:00)のフェリーで佐渡島に渡る予定で、新潟駅前のホテルの予約を既にネットで入れてある。このチェックインを「21時台」としているため、長岡20:05発の普通列車吉田行きに乗る予定。そのためには、信濃川西岸のジャスコを7時半くらいに出発する必要がある。
 ハシゴの前に、駅前通り沿いにあるりそな銀行長岡支店に出向く。私はもともと旧あさひ銀行がメインバンクで、「あさめぐ」などやっていた人間だから、りそなの長岡支店にはあさひ銀行時代から何度か赴いたことがある。これから先の日程で使う流動性資金を、ここで調達。りそな銀行の私の口座から無手数料で預金を引き出すことができるのは、新潟県内ではここ長岡支店が唯一である(地元のCGC加盟スーパーである「原信」「ウオロク」など、他行手数料無料の東京スター銀行のATMが設置されているところもあるようだが、この時点では念頭になかった)。りそなの支店で現金を調達して駅へ戻ったら、駅前からバスで市役所前まで移動し、少し遠いが信濃川西岸の長岡西支店までは徒歩で向かう。長岡西支店からジャスコ長岡店まではさほど遠くはなさそうだ。
 長岡市の市街地は、さすが新潟県中越地方の中心都市と言いたいところなのだが、やはりご多分に漏れず中心市街地は空洞化して、立派なアーケード街はシャッターを下ろした店舗が多くなっている。それでも、今日回ってきたのは「市」という名前の事実上の郡部ばかりだから、長岡の市街地は今日に限っては大都会に見える。長岡の駅前通り「大手通」では、除雪した雪が歩道の隅に積み上げられて堤防のようになっていた。
 りそなの支店から駅までの間に、バス停のポールが何本か立っている。その中の1本を何気なく見た私は、長岡市の第1箇所目を制覇する前に計画変更の必要を感じた。時刻表の中に「新産」の文字が見えたのである。そうか、「新産」は信濃川の西岸だから、橋にそのままつながる大手通のバス停にそっち方面行きのバスが来るのは当たり前である。長岡駅からさほど遠くない長岡市役所付近にある支店だったら、また長岡に立ち寄ったときに制覇すればよいのだ。駅から遠い「新産」ではこうはいかない。市役所前支店をやめて、新産と長岡西にしよう。
 大迷惑野郎であるが、ちょうど来たバスを止め、このバスが「新産」に行くかを尋ねた。交差点の向こうのポールから出るとの返事を得て、駅の方向に歩く。見つけた。新産を通る「ニュータウン」「長岡技術科学大学」方面行きのバス停。この系統は1時間に1本程度の運行頻度である。
 時刻を見た。ああ、俺はなんてツイているんだ。1時間1本の運行頻度でありながら、10分もたたないうちに「ニュータウン」行きのバスが来るではないか。私は基本的にツキに恵まれない男だ(と思っている)が、こと旅行中の交通機関の接続関係については恵まれていることが多いようだ。バスの時刻は16:53である。
posted by 為栗 裕雅 at 02:11| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

9日(水)I 政治・経済イン長岡

 越後交通のバスは、シルバーの車体に赤帯の入った東急グループのバスに似たカラーリングだが、東急と資本関係があるかどうかは知らない。この会社は田中角栄元首相のファミリー企業の総本山で、田中真紀子元外相が副社長をしていたこともある。
 赤帯の入ったシルバーのバスは、私を乗せて大手通を西に進み、信濃川を大手大橋経由で渡って南に折れた。さらにもう1回西に折れてまっすぐ進んでいくと、今日の目的地の長岡市新産町である。というのは後で地図を見て確認したこと。16:53に来たバスに乗った私は、一面に広がる銀世界の真ん中をひたすら運ばれている。市街地からは既に抜け出し、水田地帯を走っているとみえて、雪に覆われた大平原が広がっている。雪には夕陽が当たり、幻想的な色彩をかもし出している。
 新産町が近づき、私は運転士に降りるべき停留所を尋ねた。驚嘆すべき(?)返事が返ってきた。運転士は第四銀行のある場所を知らないという。第四は長岡ではなじみが薄いようだ。通路をはさんで私と反対側に座っていた初老の男性が代わりに教えてくれた。バスは「新産公園」で降りるそうだ。
 おじさんは、目的の停留所に到着する寸前にもアドバイスをくれた。公園の向こう、レンガ色の建物だそうである。私は礼を言ってバスを降りた。ずいぶん長距離、10km近くは乗った気がするが、長岡駅前からここまで220円である。政治力の賜物なのか、越後交通のバスは運賃がずいぶん安いと感じる。さっき小出から堀之内まで乗ったバスも、運賃190円であった。運転手は少々ぶっきらぼうだが、運賃も安いしほどほどに本数も多いしで、長岡地区においてはバスは十分地域の交通機関として機能している。運賃の安さと本数の多さがポイントではないだろうか。
 さて、長岡新産センター支店の制覇を済ませなければならない。公園の向こうのレンガ色の建物。目的地はすぐそこだ。しかし。公園に沿ってレンガ色にたどり着くまでの歩道は除雪が行き届いておらず、5センチ程度の雪が積もっている。こうした状態は意外に歩きづらいものである。帰りのバスの時刻を見てくるのを忘れたので、なるべく早く用事を済ませなければならない。雪をサクサクビチャビチャと踏みながら歩いていくと、レンガ色の建物の前に北越銀行の赤い看板が立っているのが見えた。本当にここに第四の支店があるのか? 実は、第四銀長岡新産センター支店の場所は、事前にネットの地図サイトで調べているのだが、所在地である「長岡市新産2-1-4」を検索すると、どういうわけか北越銀行が出てくるので、どうなってんだろうと思っていたのである。
 レンガ色の建物は「長岡新産管理センター」といった。建物の角の部分を、北越銀行長岡新産支店(「センター」はつかない)が占めている。その隣が長岡新産郵便局。第四はどこにあるのかと建物に沿って角を曲がる。
 見つけた。建物の目立たない場所に、緑と水色のカラーシートを貼った第四銀のガラス戸。やはりここは新潟県内といっても中越地方である。ホクギンのほうがメジャーなのだ。ATMを操作して長岡新産センター支店を制覇。時刻は17時20分過ぎであった。
 長岡新産センター支店のある長岡市新産町というエリアは、長岡市の卸商団地(流通センター)で、青果・水産市場と80社近い企業の営業所が集結している。新産とは「新産業」の略ということだが、流通業を工業などに代わる新しい産業にしようという意気込みだろうか。新産管理センターは1981年に竣工した新産町の中心施設である。
posted by 為栗 裕雅 at 16:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月31日

9日(水)J よい子はそろそろ…

 本日最後の目標は、長岡西支店となりそうである。今乗ってきたバスで、途中まで戻ればよい。
 事前のリサーチで、長岡西支店は、信濃川にかかる「長生橋」という橋の近くにあることがわかっている。長生橋は1937年にかけられたトラス橋で、長岡市のシンボルとなっている橋である。さっき乗ってきたバスは、長生橋の1本北にかかる大手大橋を渡り、信濃川に平行に南下してきたから、長生橋の通りとクロスするところでバスを降りれば目標にたどり着く、はずだ。
 自信がなかったので、長岡西支店に電話をかけて行き方を問い合わせた。長岡ではバスがそれなりに定着しているとはいえ、銀行の人はあまりバスには乗らないようで、支店の最寄り停留所の名前がなかなか出てこない。支店内ですったもんだした後、「大島」とつく停留所で降りればよいと教えてくれた。上等。あとは運転士に直接聞こう。
 長岡駅行きのバスは17:33に来た。どこから来るバスなのか、結構な混雑ぶりである。窓の外は既に暗くなり、私の「第四めぐタイム」が終わりかけていることを告げている。最終目的地の停留所を聞こうとすると、何だ、さっきの運転士ではないか。彼は私と気づいたか気づかないか知らないが、降りるべき停留所が「大島本町」であると教えてくれた。やがて目的地に達したので降りる。大島本町の停留所は、長生橋の通りより南側にあたる。このあたりは高度成長期以降に住宅地として発達したようなたたずまいである。北上して長生橋から来る国道351号との交差点まで来ると、左の視界に第四銀行の袖看板が見つかった。角に長岡信金大島支店があるこの交差点は、行きのバスの車中でも注意して見ていたが、第四の看板は見つけられなかった。それも道理で、長岡西支店の入るビルは外壁の工事中で、スクリーンで覆われて看板が見えにくくなっていたのである。
 支店に入り、機械を操作。長岡西支店を制覇した。既にあたりは真っ暗である。第四のATM稼働時間はまだ1時間ほどあるが、この後の予定を考えるともう1か所行くのは無理だろう。長岡市役所前支店は、帰京の際に寄って片付けることにしよう。

 本日の「第四めぐ」はこれにて終了である。長岡西支店の北1kmほどのところにあるジャスコ長岡店まで徒歩で移動、店内のミスタードーナツで休憩し(今回の旅はミスタードーナツめぐりも兼ねており、1127号「長岡ジャスコ」ショップを制覇したことになる)、バスで長岡駅へ移動して、長岡20:05発の普通列車で予定どおり新潟入りした。新潟の到着は21:21で、新潟だけに「ニイニイ」であった。宿舎は既に「旅の窓口」でネット予約してある。宿に入って荷物の整理を行い、私としては早めの11時に床についた。前日ほぼ徹夜の状態だったこともあるが、何といっても明朝は6時のフェリーで佐渡入りである。

[3月9日篇 おわり]
posted by 為栗 裕雅 at 01:18| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月01日

10日(木)@ 佐渡へ佐渡へと草木も眠る…??

2005年3月10日(木)

 今日は、予定していたとおり佐渡島に渡る。佐渡には目的地が6つ。第四銀の支店5か店(両津・金井・佐和田・南佐渡・相川)、それにミスタードーナツ1軒(1214号「佐渡佐和田」ショップ)である。これらに行くだけなら半日もあればカタがつくが、私にとって佐渡島は生まれて初めて足を踏み入れる土地であり、せっかくなので観光もしてきたい。一方で、宿舎は3日連続で新潟駅前にとってしまっている。これは佐渡島内で宿泊しようという発想が最初からなかったためである。また、コストパフォーマンスの点からして航空機やジェットフォイル(高速船)を使うという選択肢はない。
 よって必然的に、朝一番のフェリーで佐渡入り、島内ではレンタカーを駆使して行きたい場所を総なめにし、最終のフェリーで新潟に戻るというスケジュールとなる。

2日目(10木)
宿舎から徒歩
新潟06:00(佐渡汽船)→08:20両津
レンタカー借り受け、第四銀5店およびミスド1店訪問
レンタカー返却18:30
両津19:40(佐渡汽船)→22:00新潟

 レンタカーは既に東京で予約してある。朝一番で着いて最終で帰るというのは、佐渡島のレンタカー利用形態としてありふれているようだ。車は白のカローラ、カーナビはなし。カローラにした理由は、消去法である。私一人が移動するだけであるから、本当は一番安いクラスの車でよいのだが、佐渡はビジネスユースの客が特に火曜と木曜に多いのだそうだ。というわけで、一番安いクラスは既に予約がいっぱいで、下から3番目のカローラ、それもカーナビなしというお粗末さになってしまった。少なくともトヨタレンタリースでは、乗用車のカーナビは標準装備となっているはずだから、よほどハズしたということである。なお、両津を出るのが19:40で、ということは7時頃までに車を返せばよさそうなものであるが、両津市界隈のガソリンスタンドが6時台で全部クローズしてしまうため、実際にはさらに活動時間は削られることになるという。このことは当日の朝営業所で聞かされた。
 さて、午前4時55分。目覚まし時計が鳴った。私が泊まっている新潟駅前のホテルは、ネット予約価格でシングル1泊4000円弱だが、定価は6300円であるという。定価などいくらでも勝手な値段がつけられそうなものだが、過去の経験からすると、定価で4000円台のホテルと6000円台のホテルとでは、やはり待遇が違う。今回の新潟「失踪」で使っているホテルは、建物はかなり古そうだが、よく手が入れてあり、身の回りの部分については何も言うことはない。さすが定価6000円台のホテルと言える快適さである。無線LANが無料で使えること(パソコンを持参すればインターネット使い放題)と、歯ブラシやカミソリなどの消耗品が洗面所に置かれていたこと(安いホテルだと別売りである)、そしてこの目覚まし時計。このホテルの目覚ましは、一度ボタンを押してベルを止めても、数分後に再び鳴り出すようになっている。え、目覚まし時計としては普通? これは失礼。しかし、安いホテルだと、枕元スタンドについた(目覚ましのない)時計と、電話のモーニングコールだけで済まされてしまうケースもある。このホテルは、電話のモーニングコール(自動設定式)はちゃんと別にあるのである。
 とはいえ、今日は寝過ごしては大変だから、しっかり一度で目が覚めた。なにしろ、9時前に両津に着く朝一番のフェリーに乗れなかったら、次の便は昼(11:50)の到着便となってしまう。そうなっては佐渡へ行く意味がなくなってしまうのである。
 出発準備がちょっと手間取り、ホテルを出たのは5時半を回っていた。顔には出さないが、内心かなり焦っている。新潟駅前から、万代島の佐渡汽船ターミナルまで、歩いて30分はかかるということだったからだ。「早朝はタクシーが確実にいる保証がない」ということで、ゆうべチェックインの際にフロントマンからタクシーの予約を薦められたが、歩いていくつもりだったので断ってしまったのだ。焦りながらも、コンビニに寄って朝食は確保する。おにぎり2個と牛乳である。そして、2等船室で読む今朝の日経朝刊。
 駅のほうを見ると、防犯灯をしっかり点灯させたタクシーが停まっていた。よかった。これで私は、無駄足を踏まずにすみそうである。車はタクシー用のクラウン・コンフォート。和式の結婚式で女性が結う文金高島田という髪型がつぶれないよう、天井が通常のクラウンより5cmほど高くしてあるらしい。料金が小型車扱いとなっているのを確認して、いそいそと乗り込む。
 タクシーは新潟駅前通りを市街地方向に進み、信濃川にかかる万代橋の手前で右にそれた。見ると、この方向に行く車の数は早朝にしては非常に多い。他の車も佐渡汽船に行くようだ。新潟駅から佐渡汽船ターミナルへは、新潟交通が路線バスを走らせているのだが、けしからんことにこの早朝6時のフェリーに限り接続するバスがないのである。私の軽い憤りを知ってか知らずか、タクシーは佐渡汽船ターミナルの車寄せに進入した。タクシー代は970円。路線バスのざっと5倍くらいだろうか。この時間のタクシー使用はまあ仕方ない範囲と言えるが、昨日せっかくタクシーに乗らずに済んだのに、画竜点睛を欠いたという言い方もできよう。
 新幹線三島駅にみられるような途中に水平部分を含んだエスカレーターで、3階の切符売り場に向かう。これから乗船手続きである。フェリーの「船車券」は、既に東京で買ってある。これを佐渡汽船の切符売り場で乗船券に引き換えなければならない。わざわざ東京で船車券を買っておいたのは、佐渡汽船のホームページに「クレジットカードはご利用いただけません」と明記されていたからである。近頃では1000円を超える買い物を現金で行うことはほとんどなくなってしまった。タクシー代もクレジットで支払いたかったくらいである。クレジットカードが使えないほど原始的(?)な窓口で売られる佐渡汽船の乗船券は、何に使うのか知らないがQRコードが印刷された近代的なものであった。
 乗船券への引き換えを済ませ、フェリーならではと言える「乗船名簿」に必要事項を記入する。B6判程度の白いペラ紙で、住所氏名電話番号を記入するだけだが、最近ではする機会のめっきり減った「船旅」の気分を盛り上げてくれる。
 既に乗船は始まっている。さっき引き換えたばかりのQRコードつきの乗船券に、JRでは10年前に見なくなった金属のハサミでパチンと入鋏する。乗船名簿は渡すだけである。長いタラップを渡って、さあいよいよ乗船である。白い船体に青い帯が入ったカーフェリーは「おおさど丸」(1988年竣工、11,086t)である。2等船室に入る。緑色のカーペットが敷かれた2等船室には既に多くの乗客が乗っており、靴を脱いで思い思いの場所と格好でくつろいでいた。私も靴を脱いで台に上がり、思い切り足を伸ばす。これから2時間20分の長い長い船旅である。
 出航5分前、5時55分にスピーカーからドラの音が大音響で流され、6時になると同時に船は陸地を離れた。おにぎりと牛乳の朝食はさっさと済ませ、2等船室に寝転んだまま窓の外の風景に見入る。新潟駅前通りからずいぶん遠いところにあるような気がする佐渡汽船のターミナルは、信濃川の河口から2kmほどさかのぼった場所で、これでもずいぶん市街地に近づいている。たとえば小樽や苫小牧への便を出している新日本海フェリーは佐渡汽船のさらに1km下流側から出航するから、そういう船を考えると恵まれているわけである。ともあれ、川をさかのぼった場所から出航する佐渡汽船のフェリーは、日本海に出るまではほとんど「川下り」といった趣である。
 新潟の「信濃川下り」は、ローレライの大岩などはないものの、風景を結構楽しめる。イカ釣り船だろうか、クリスマスツリーのような電飾をつけた小型の漁船とすれ違ったり、右岸側の遠いところに火力発電所が見えたり、さまざまな倉庫、あるいは港湾労働者の住む住宅などが見える。かなり長い間いろいろなものが見える右岸側に対し、陸地が途切れてしまう左岸側は防波堤が延々と続く風景となる。
 右岸側も左岸側も防波堤が途切れ、船はいよいよ日本海に乗り出した。とたんに揺れがきつくなり、あろうことか私は何年かぶりに激しい船酔いに襲われることになった。前前日が徹夜の状態、前の晩も6時間程度しか寝ていない(私は所要睡眠時間が平均より長い)。加えて前の晩に深酒し過ぎ、二日酔いだったのである。吐き気を我慢しつつ、2等船室のカーペット上にそのまま横になる。いつしか記憶が薄れていった。
posted by 為栗 裕雅 at 17:13| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月04日

10日(木)A 水鳥が飛ぶ両津の港から

 船体を岸壁に固定するロープを巻き付けるのがうまくいかなかったそうで、私が乗った船の両津港への接岸は10分近く遅れた。時刻は午前8時30分。新潟出発の時まだ暗かった空は、すばらしく晴れ渡っている。カモメかウミネコか知らないが、何やら海の水鳥が優雅に飛んでいる。島の北側を背骨のように貫く大佐渡山地の山々は、白く雪で化粧していた。佐渡は雪が降らないと聞いていたが、「中越地方と比べると」というだけのようである。
 船から移動したフェリーターミナルでは、佐渡おけさがスピーカーから流れている。今回世話になるレンタカーの営業所は、ターミナルビルの1階にある。早速営業所に出向いてみると、同様の行程をとるらしき人が他にもいて、私が車で乗り出すまでには10分ほど待たされた。
 前述のとおり、今日私の愛馬となるのはトヨタカローラである。色はレンタカーらしく白。カーナビはないが、CDデッキはついている。カーナビがないのは予約の段階からわかっていたので、地図を見ておおまかに予定を立ててきた。右方向に30度ほど歪ませた「エ」の字のような形をしている佐渡島において、今日の目的地は真ん中の縦棒にあたる部分がほとんどである。せっかく佐渡まで出かけていながらこれだけで済ませてはあまりに悲しいので、「エ」の字の左側に張り出した部分は上下とも足を踏み入れるつもりである。コースでいうと、両津市を起点に金井町→佐和田町→真野町→羽茂町→小木町→羽茂町→真野町→佐和田町→相川町→佐和田町→金井町→両津市、となるが、それにしても右側の張り出しには今回は縁がない。なお、ここで記した市・町はすべて2004年3月1日の合併前のもので、現在は佐渡島全域が「佐渡市」となっている。
 車の運転は、年始に実家周辺で運転して以来2か月ぶりである。車両感覚を思い出しながらそろそろと大通りに乗り出した。フェリーターミナルの前から国道350号線が始まる。国道350号は新潟市から佐渡市を経由して上越市に至る道で、新潟−両津間と小木−直江津間は海上である。別に両区間に橋やトンネルをかけようというわけではなく、航路があって一定の通行量が見込まれる区間は国道としてまとめて指定がなされるのである。沖縄本島のメインラインとなっている国道58号が、奄美大島を貫いて鹿児島市まで延びているのと同じことだ。
 話を戻す。フェリタの北側で大きな橋を渡り、旧両津市の繁華街、夷に入る。両津の2つの集落、湊と夷との間を結ぶ3本の橋は、両津湾とその内側にある汽水湖・加茂湖との間に伸びた砂州の先端部を結んでいる。湊と夷、二つの津(港)をあわせて「両津」である。なお、私が小学1年のときに「少年ジャンプ」で連載が始まったコミック「こちら葛飾区亀有公園前派出所」は、主人公の警官が両津姓を名乗っているが、もちろん当地の地名から採ったもの。架空の人名を考えるとき、まず地名から採るというのはよく使われるようで、ほかならぬ私のハンドルネーム「為栗」が同様である。この原則が当てはまらないのは、水商売の源氏名とかアダルトビデオの芸名ぐらいではないだろうか。
 今日第一の目的地となる第四銀行両津支店は、両津市内の3つの銀行のうち一番最後に見つかった。国道沿いの古びた商店街を車でゆるゆると走っていくと、まず最初に大光銀行が、次いで北越銀行が両津支店を構え、言ってみればトリを飾る形で第四の支店があった。銀行3店が全部の道路の右側にあったのはなぜだろうか。
 支店の駐車場は裏通りにあった。車を置く。第四の支店はここ数年のうちに建て直されたもののようで、表通りに面した支店の正面入口と駐車場との間は散歩道のような通路がしつらえられている。通路には何かすごい名前がついていた気がするが、メモしてくるのを忘れた。
 店に入ると、窓口との間を隔てるシャッターに大きく描かれた、カルガモのお母さんと子どもたちが迎えてくれた。この銀行のキャラクター「かるがもファミリー」である。シャッターの向こうでは行員が朝礼でもしているのだろう。時刻は8時45分、ATMはもう動いている。本日の制覇第1号となる両津支店の制覇作業を行った。私が佐渡島に入ってから、まだ30分も経っていない。

 ところで、なぜ私が「第四銀行めぐり」などやっているのか、不思議に思われる方もいるだろう。第四銀行は、私のような「めぐラー」から注目されている銀行である。預金取引の都度、取引操作をした支店の「名前」が通帳に記帳されるからだ。というわけで、通帳印字を「全店集めよう」という趣味がでてくるわけで、それをしている人のことを、めぐる人、つまり「めぐラー」というのである。都市銀行では旧あさひ銀行(現りそな・埼玉りそな銀行)が、地銀では第四のほか大垣共立銀行、みちのく銀行といったところが似たシステムになっている。第四のシステムはちょっと変わっていて、通帳記入をATMで行うと店名の記帳が半角カナ表記となるのだが、窓口で記帳を行った場合だけ店名が漢字で記帳される。私はもともと「あさめぐラー」(あさひ銀行のめぐラー)だった。(参考記事:「為栗ニュース」2004年9月11日「第四銀、漢字店名表記は『窓口記帳』で可能」

 で、両津支店では、昨日夕方以降の制覇の成果を確かめたかったので、窓口で記帳をすることにしていた。ほかの銀行の様子を見に行ったりしているうちに9時を回り、第四の支店に戻ると巨大なカルガモママは子どもたちもろともどこかに消えていた。居場所はおそらく天井裏だろう。

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2005年04月05日

10日(木)B 佐渡市役所のおひざもと

 通帳の記帳を済ませ、本格的に佐渡島のじゅうたん爆撃に出発する時がやってきた。国道350号を西に進むと、両津の10km先は旧佐和田町。そこまで行くと、「エ」の字形をした佐渡島の真ん中のくびれた部分、国仲平野を縦断したことになる。そしてそこまでの行程で、目的地が両津を含めて4か所ある。佐渡島は1周するだけで260kmもある広大な島だが、私の目的地となる場所はおおむね狭い場所に集中している。
 次の目的地は、島のちょうど中央に位置する旧金井町。第四銀行はここに金井支店を置いている。
 駐車場から車を出した。平日の午前中だが、まだ9時台ということもあってか交通量はさほど多くない。特に、両津の夷は市街地といえども閑散としている。佐渡島で旧市街にあたるのは旧両津市の中心部にあたる夷と湊だろうが、佐渡の全市町村が合併して「佐渡市」が発足するにあたり、市役所が旧両津市に置かれなかったせいかもしれない。
 支店のすぐ北側、夷二ノ町交差点で左折。ここからずっと、佐渡島のメインストリート、国道350号線を行く。片側1車線だが交通量はほどほどで、天気も良好。快適に車を走らせる。市街地のはずれに「サドテレビ」と大書された看板があって、一瞬ドキッとした。地元ケーブルテレビの会社らしいが、やはりサドがあるならマ(以下自粛)。
 やがて市街地が途切れると、日本のごく普通の田園風景になった。農村地帯の街道を車で走るとよくみられる、古い農家と一面に広がる水田。コンクリート造りの建物はほとんど見られない。何の先入観もなく写真を見せられたら離島とはとても思えないだろう。地形の起伏が水田のある場所にしてはやや大きいかな、と思える程度である。山のてっぺんはともかく平地に積雪は見られないし、走っている車も本土と何ら変わるところはない。そんな田園風景と、小さな字(集落)の繰り返し。小さな字という字には必ずと言ってよいほど簡易郵便局の看板が見える。旅行貯金という銀行めぐりに似た趣味で郵便局を巡っている人は、こういう看板を見るとウハウハなのだろうが、私は今のところ郵便局めぐりには首を突っ込まずに済んでいる。
 そうしたいくつかの集落を過ぎて、鉄筋コンクリートの建物が少し多くなってきたかと思われた頃、道の右側に突然ダークグリーンの看板が現れた。トマトの断面みたいなマークと、白抜きの「第四銀行」の文字。あれが金井支店である。
 支店建物の前が数台分の駐車スペースになっている。車を停めて支店に入る。建物の内外も中の仕事ぶりも、特定郵便局のように見えた。金井支店は法人融資業務を行わない「衛星店」という扱いなので、小ぢんまりとしている。ATMを操作して金井支店を無事制覇した。
 金井は、佐渡の東の中心両津と西の中心佐和田とのちょうど中間にあって、どちらからも5kmくらいの距離である。第四としては統合したいのかもしれないが、新「佐渡市」の市役所が旧金井町役場となったため、市役所の最寄り支店を廃止するわけにもいかないのだろう。
posted by 為栗 裕雅 at 14:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月06日

10日(木)C 「ファスト風土化」した旧佐和田町

 金井から国道350号線をさらに西(正確には南西)に進む。両津が旧市街地なら、佐和田はロードサイド型の商業の中心となっているようである。旧金井・佐和田両町の境界線近くまでくると、本州並みに消費者金融の無人店舗なども見られるようになってきた。佐和田は、佐渡の北西部の町である相川と南部の小木・羽茂・真野の各町の首根っこにあたり、旧市街もある。そこへさらにロードサイド型の店まであるのは、佐渡島で最も集客力のあるのが両津よりもこのエリアだということの証拠だろう。
 ミスタードーナツ「佐渡佐和田」ショップ(1214号)が、このエリアの国道に面した場所にある。ミスドの隣りは「はなまるうどん」と「ブックオフ」で、佐渡では佐和田付近にいる限り本土とそれほど変わらないライフスタイルが送れる(それが良いかどうかは別として。但しマクドナルドはない)。ミスドで一人で作戦会議を行って順調であるのを確認した後、ミスド隣りのブックオフの100円コーナーでCDを数枚買った。車を運転していてラジオのトークがわずらわしく感じるとき、ノントークで音楽に浸るにはこの方法が一番である。アルバム1枚100円ならハズしても失望感が少ない。ちなみに買ったCDは、名前だけ知っていたベリンダ・カーライル、10年前の女子高生世代を代弁していた華原朋美、そして交響曲の父ハイドンであった。中古の見切り品からの選択であるから、選択理由は聞かないでもらいたい。
 さて、第四銀の次の目標は、佐和田支店である。この支店は昨年11月に新築移転しており、事前のリサーチで正確な場所がわからなかったので、現地で探すことが必要だった。佐和田支店は佐和田町旧市街の商店街にあったが、国道沿いに3階建て大駐車場完備の新店舗を新築して移転、同時に旧真野町の真野支店を統合した。問題は、ネットの地図サイトで移転先の「佐渡市中原474-1」が検索できなかったことにあった。
 100円で買ったばかりのCDをかけながら、国道350号をさらに西進。ミスドのある地点が既に旧佐和田町だから、目指す佐和田支店はさほど遠くない場所にあるはずだ。
 350号は、佐和田町の中心街の北側を海岸近くまで進んだ後、60度くらいの角度で南東方向に向きを変えて島の南西部の中心地・小木に至る。350号の向きが変わる交差点の手前で左折すると、小木方面には近道となる。何も考えずに左折してしまったが、結果的にはこのショートカットのせいですっかり混乱することになった。曲がらなければそのまま支店の前にたどり着いていたのだが、旧市街地に迷い込んでしまったのである。小さな町だから、ちょっと走ってもすぐにおかしいと気づくのは救いだが。
 今思えば、支店の移転跡はすぐに見つかったのだから、そこで車を停めて廃屋の正面に貼られた案内図を見ればよかったのだ。

 なお、旧町は「さわた町」であったが、第四銀行の支店名は「さわだ支店」である。
posted by 為栗 裕雅 at 15:09| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月07日

10日(木)D 佐渡島をさらに南へ進む

 佐和田支店を制覇したので、目的地があと2か所となった。島の南部、旧羽茂町にある南佐渡支店と、島の北西部の旧相川町にある相川支店である。どちらを先にしてもよいのだが、計画では南へ先に回ることになっている。佐和田からの距離は南佐渡支店のほうが遠いからだ。こういう場合、私は遠いほうから先に手をつける。
 さっきの近道に今度は右折で入り、すぐに交通量の多い道を横切る。350号よこんにちは。左折で350号に入ったら、あとは羽茂町に入るまでひたすら道なりに直進である。
 同じ佐和田町の国道350号でも、両津側と南側とでは沿線風景が異なる。あちらはロードサイド型店舗の多数並んだ「ファスト風土化」した風景だったが、こちらは商業施設もほとんどなく、木造の家屋ばかりが目に付く典型的な「地方の風景」であった。本土との違いもほとんど感じない。敢えて言えば、建物の古さが本土と比べると際立っているようにも思えるが、ここが「島」だという先入観に引きずられただけかもしれない。あっという間に旧真野町の中心地に入る。昨年だとここには「真野支店」があったが、11月に統合されてしまったので、真野の町はあっさりと抜ける。
 海を右に見ながらさらに車を進める。佐和田から真野にかけての海は、島の西側に大きく食い込む真野湾であるから、波のほとんどない静かな海である。こういうのを「天然の良港」というのだろう。真野町の最南部まで海岸を走っていた350号は、やがて山登りの勾配が始まり、サミットに達するとそこから次なる目的地の旧羽茂町となる。
 事前のリサーチによると、次の目標・南佐渡支店は、旧羽茂町役場である佐渡市役所羽茂支所の近所らしい。「羽茂支店」という名称でもおかしくないロケーションである。国道350号は羽茂町域を通るものの、町役場は数キロ東に外れた場所にある。役場へ行くには、どうやら「村山」で曲がるようだ。というわけで村山から350号をそれて県道に曲がり込んでみると、道はとたんに砂利道となった。別にこの時代に舗装されていないというわけではなく、かなりの長距離にわたって整備工事中だったのである。年度末、しかもこの不況もあって、公共工事でどうにか生き長らえる人が多いのだろう。特に離島は輸送の問題から工業生産なども発達しづらいから、公共工事は余計に重要な意味を持つ。本土なら新しい施設が田んぼの真ん中に忽然と出現するようなこともあるが、離島では望み薄だ。しばらく走って砂利道がようやく終わると、羽茂町の中心部に入ったようだ。住宅とも商店ともつかない町並みに、鉄筋コンクリート造りの学校や農協があるのが「単なる田舎の集落」とは異なる。「羽茂支所」の矢印看板が見えた。さて、第四の支店はどこじゃらほい。
 羽茂の町並みが途切れ、ついに水田地帯に突入した。さすがにここまでくると、どこかおかしいと思う。銀行は人間の経済生活に伴って存在するもので、田んぼの真ん中では経済行為にならないからだ。と思う間もなく、自分の走ってきた道(何というのか知らん)は、前方の消防署のところでy字形に別の道と合流しているらしい。おや、消防署の隣の建物は何だろう。窓の少ない三角屋根の建物である。くさい。というわけでy字のところで曲がってみると、見つけた。第四銀行のダークグリーンの看板。柱に袖看板をつけたタイプではなく、昨日の塩沢支店でも見た、ダークグリーンの板が地面から直接屹立しているタイプである。このタイプの看板は設置時期が新しいはずだ。
 三角屋根をつけた平屋建て(に見えた)の店舗は、新築間もない様子に見えた。中に入ってみると、案の定新しい。「南佐渡支店」という店の名前とたたずまいからして、真野支店と同じやり方で統廃合があったのかな、統合されたとしたら小木支店だろうな、と勝手に想像してみる。
 南佐渡支店の制覇作業はあっさり済んだ。記帳がてら窓口の女性行員に聞いてみると思ったとおりで、南佐渡支店の建物は1996年の建築。羽茂支店をここに移転して改称、あわせて小木支店を統合したという。地図で見ると、旧小木町まではここから5kmくらいでそんなに遠くはない。
posted by 為栗 裕雅 at 23:59| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月09日

10日(木)E 悲恋の物語と拉致事件と

 制覇を少し休んで、旧小木町まで足を伸ばしてみることにした。佐渡名物のタライ舟に乗ってみようと思ったのである。
 南佐渡支店前を道なりに南下すると、海沿いに走る県道にぶつかる。その県道をちょっと西に進むとさっき別れた350号と再会し、その先には左側に佐渡汽船のターミナルが見える。小木からは直江津行きのフェリーがシーズンオフの今は1日2本出ており、行きに乗ってきた新潟−両津フェリーと佐渡島の陸上部分とをあわせて国道350号を形成している。
 佐渡汽船の隣り(といっても距離は若干ある)に、土産物屋と食堂を併設した観光案内所があった。駐車場には私の車以外に停まっていない。食事をしようと思って建物に入ると、職員と思しき男性が近寄ってきて「お客さん、タライ舟には乗られますか」と聞いてきた。団体客の予定が入っているので早めに乗ったほうがよいという。「食事は後でもできますから」ということで、とりあえず男性の言うとおりにチケットを買ってタライ舟の船着場へ。おけさ服というのだろうか、佐渡おけさの衣装を身にまとった女性が3人待ち構えていた。
 観光シーズンでないせいか、気さくな3人の女性たちは「カメラお持ちでしたら写真お撮りしましょうか」等々、至れり尽せりであった。佐渡・小木に伝わるタライ舟は、直径2mほどの大きなタライを1本の櫂を使って漕ぐもので、普段は主に海女による地先漁業(サザエ・ワカメ漁)で使われている。
 観光タライ舟のおけさ服の女性によれば、こういう伝説が伝わっている。江戸時代、小木の海女が対岸・柏崎に住む男と恋に落ち、タライ舟で本土に渡って逢瀬を重ねていた。女の航海の目印として、男が海岸で火を焚いていたが、関係が疎ましくなった男はある時海女が来るとわかっている日にわざと目印の火を焚かなかった。女は大海原をさまよった挙句、遭難して帰らぬ人となった、という。実話であれば気の毒な女性だが、この伝説にはいくつかの異話があって、ディテールが少しずつ異なる。同じ話が、柏崎では佐渡の娘がストーカーだったように伝わっているようだし、上越市・鵜の浜温泉(旧大潟町)に伝わる話では、男はやむにやまれぬ事情で目印の火が焚けず、女の遭難を聞いて自分も身投げしたという悲恋の物語となっている。なお、タライ舟では小木から柏崎まで交代で漕いでも19時間かかるそうだ。
 タライ舟は私も少し漕がせてもらった。タライにぶつけないよう注意しながら櫂を操るが、なかなかうまくいかず、舟はその場でぐるぐる回転するばかり。これで佐渡から柏崎まで渡ったとは、信じられない思いだ。

 タライ舟クルージングは20分ほどで終わり、陸地に戻ると私は直ちに車を発進させた。飯を食うつもりであったが、やめてしまった。次なる目的地は、相川支店。これまでの逆コースをたどって350号を北上、佐和田まで20km余、さらに佐和田から県道に入って10km。「県道に入って」といっても、道としてはひたすらまっすぐで、国道のほうが右にそれていってしまうのだが。
 旧小木町から旧羽茂町へ。さらに旧真野町に入ったところに、海水浴場があった。海なし県の群馬で育ったせいか、私は海というものに対して変に強い憧れがある。車で海沿いを走っていて、砂浜に入れるところでは、時間に余裕があるとそこで小休止している。今回も、何の気なしに駐車場に乗り入れた。
 砂浜に出てみると、雑多な漂着物がそこここに散らばっている。海水浴のシーズンにはゴミ拾いをしてきれいな砂浜にするのだろうが、3月の今は散らかり放題である。自然の状態での漂着物は、波と水中の砂とで磨かれてすり減った流木や、ワカメかテングサか知らないが黒く縮れた海草の類というのが一般的だろうが、日本海沿岸での人間生活の営みを反映して工業製品が意外に多い。海中標識のブイのかけらのようなものがあったり、なぜか靴が片方だけいくつも漂着していたり。中身の入った使用途中の目薬まであった。日本製品が多いが、ハングル語、中国語の書かれた漂着物も数多い。大小のビン類も多く、そうした中に目立つのが、韓国焼酎の緑色の空き瓶であった。
 昼下がりの砂浜に、人の気配はまるでない。これで日が暮れたらもっと淋しくなるのであろう。前方の数百m先に見える岩場では、岩のてっぺんに数羽の水鳥が止まり、こちらをスパイしているかのようである。水鳥を遠目で見つつ、いくつもの漂着物に書かれたハングル文字を見るともなく見ているうち、くっきりと思い出された一つの事実があった。つい最近まで、北朝鮮の工作員がこの付近の海岸で蠢いていた、という事実。今、もし突然この場に北鮮の工作員が現れたとして、助けてくれる人はおろか目撃者さえ一人もいない。そう考えると急に背筋が寒くなった。
 拉致被害者の一人・曽我ひとみさんは、真野町の人である。曽我さんは1978年8月12日夕方、母親と2人で自宅からお盆の買い物に出たまま行方不明となった。曽我さんの証言によると、3人の男に襲われて袋に詰められた後、小舟で川から海に出て沖で大きな船に乗り換えたという。つまり、北朝鮮が曽我さん母子を連れ出した現場は、私が今いる海水浴場からほんの数km先にすぎないことになる(ひょっとしたらまさにこの海岸だったかもしれない)。この静かな日本海を現場として、工作員が日本国民を拉致して過酷な運命を背負わせた。もうこの1点だけで、私は北鮮という国を許せない。朝鮮半島が大日本帝国の植民地であった時代を「不幸な過去」として認めたとしても、そのことと拉致事件とは、実は直接の関係はない。戦時中の植民地支配を理由に戦後の拉致事件が容認されるわけがないからである。
 小木のタライ舟も北鮮の工作船も、日本海という穏やかな内海を舞台として成り立った。豊かな国土にはこうした側面もある。佐渡西岸の静かな海岸で、私はこんなことをぼんやりと考えていた。

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posted by 為栗 裕雅 at 07:52| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

10日(木)F 金山の町・相川から帰途へ

 佐渡島の西側を深くえぐる真野湾の輪郭にほぼ忠実に走り、私の車は旧相川町の市街地に入った。ここは佐渡金山のお膝元であり、江戸時代には天領であった町である。ここに、第四銀行は相川支店を置いている。
 事前のリサーチでは、相川支店の場所は「佐渡西警察署そば」となっていた。佐渡西署は、県道を直進してきてすぐ見つかった。そのままさらに直進すると尖閣湾などの景勝地に向かうが、そちらに向かわずに信号で右折する。狭い道は商店街に続いているようだったが、道の奥で車は進めなくなった。行き止まりではない。しかし、バリケードで先の道が封鎖されている。どうやら市のようなものが開かれているようだ。
 仕方がないので、近所に車を停めて歩き回って探すことにする。佐渡西署から佐和田寄りにだいぶ戻ったところにあるコンビニ、セーブオンの駐車場に車を置く。セーブオンは私の社会学的出身地・群馬県の総合スーパー「ベイシア」が経営するコンビニチェーンである。
 うなぎの「ひまつぶし」、ではなく櫃まぶし弁当を買った。もちろん空腹だったからだが、考えてみればさっき小木で昼飯にしようとしてやめたのである。会計を済ませながら、レジで第四銀行の場所を聞く。第四の支店は、市が開かれているさっきの道沿いにあるようだ。相川では、毎月10日に「十日市」が開かれているのだそうだ。そういえば、3月10日は「佐渡の日」だそうで、朝来るときに乗ったフェリーの船内には、何やら観光キャンペーンがあることを告知するポスターが貼ってあった。両方とも今日が該当日で、事前のリサーチの過程で佐渡汽船のサイトも観光協会のサイトも見ているのだが、私は事前に何も知らなかった。佐渡での宿泊費が安くなるのであれば、場合によっては佐渡での宿泊を考えてもよかったのだが。関係各機関の連携がいまひとつのようである。
 さて、セーブオンの北隣りは相川町のバスターミナルとなっている「相川会館」で、西警察署はさらにその北側。セーブオンに車を停める前に、さっきからこの付近を車で何度もうろうろしている。やれやれと思いながらも、さっきバリケードとなっていた(というか今もなっているのだが)路地の奥の道へ入った。
 相川の十日市は、素朴な風情を残す市であった。都会でいうとフリーマーケットのようなものだが、並べている商品は自分の家で栽培した野菜や、自分で獲ってきた魚などである。車の通行を遮断した道路に、全くの個人が思い思いの店を出しているようだが、詳しいシステムは知らない(高知市の日曜市などは登録制らしい)。違う店で同じ物を売っていることもあるようだが、それぞれに固定客がついていて棲み分けているようだ。「佐渡の日」で呼び寄せた島外客をうまく連れてこられれば売り上げも増すのではないか等々、市を見に来たわけでもないのに余計なことを考えた。
 第四銀行相川支店は、市の出店が並ぶ商店街の一角にあった。ATMを使った制覇の作業はすぐに終わり、本日の第四銀めぐりの締めくくりとして窓口で記帳をしてもらった。
 窓口での記帳は、第四銀めぐりをしていて行員と唯一触れ合う機会であるのだが、どこの窓口でも行員はみな事務的・機械的に処理をしてくれるので、多少物足りなく感じる。もっとも、人懐こく話し掛けてくるのは困ってしまうこともあるから、人間というのはつくづく勝手なものだ。それにしても、私の通帳は同一日付でたくさんの支店名が印字されるのだから、「支店をめぐってらっしゃるんですか」ぐらいのことを言われた経験が1回くらいあってもいい気がするのだが。銀行員は個々の取引の内容に関心を持たないように教育されているのだろう。

 この旅行記は「第四銀行めぐりの体験記」であるので、佐渡島の記述はこれにて終了である。蛇足ながらこの後のことも書いておくと、相川支店の次に尖閣湾をパッと見て、その後は佐渡金山まで車を走らせる。鉱山跡地をいかに観光地にして盛り立てるかという点では、どこも苦労が絶えないようである。金山から帰途につく。旧両津市エリアのガソリンスタンドが閉まる夕方6時過ぎには両津に戻らなければならず、ほかの観光地に行く余裕はないが、まっすぐ両津に帰ると時間が多少余るので、行きに寄ったドーナツ店でもう1回コーヒーブレイク。17時半にドーナツ店を出て、ガソリンは両津地域のスタンドで無事に入れることができ、レンタカーは18時20分頃に返却を済ませた。フェリーの両津発は19:40で、フェリーターミナルの待合室で時間をつぶす。乗る前にフェリタの土産物屋で「佐渡土産」となりそうなものを探したが、率直に言って佐渡島は買って帰るものが何もない。敢えて言えば、金山で「金の玉」というアブない名前のお菓子を見つけたが、私はこれをフェリタの土産物屋でも買えると思って買ってこなかったのである。フェリタの土産物屋では「金の玉」は扱っていなかったので、非常に残念であった。19:40両津発、22:00新潟着はダイヤどおりである。万代島のフェリタから、新潟交通の路線バスで新潟駅へ戻った。朝と違って夜の便にはバスが接続している。怒涛の2日目が終わった。

[3月10日篇 おわり]
posted by 為栗 裕雅 at 15:28| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月13日

11日(金)@ ついに寝過ごした3日目の朝

2005年3月11日(金)

 金曜日の今日は、新潟市内だけで第四めぐを完結させる予定である。
 新潟市西部の住宅地にある寺尾支店日和ヶ丘出張所が、本日をもって営業を終了する。このため、この出張所の最終営業日を取るのが今回の目標で、今回の新潟「失踪」はこれに合わせて日程を決めていた。つまり、日和ヶ丘出張所の制覇が、今回最大の目標だったというわけである。
 日和ヶ丘に合わせて、新潟市西部のJR越後線沿線の拠点を総なめにしてやろうと考えていた。新潟駅を07:59に出る越後線の普通列車吉田行きで出発、この3月に開業したばかりの新駅、内野西が丘に08:34に到着し、駅から推定徒歩15分の西内野支店プラス内野支店をウオーミングアップとして、新潟市内まで攻め上がってくる計画であった。
 ああ、それなのに。私は体力的にはすこぶる貧弱で、しかも睡眠の所要時間が人並みより長い。この日の朝は、これまで無理していたツケがついに回ってきたようである。6時半に目覚ましをかけて寝ていたが、7時半にモーニングコールがかかるように電話のセットもしていたが、私の眠気はこれら全てに勝っていた。朦朧とする意識の中、音を止める動作だけはしっかりと行っていたのである。はっと気付いたとき、時計の針は既に10時近かった。やばい、ホテルのチェックアウトタイムだ。ガバッと跳ね起きたが、ホテル代を金曜の晩の分まで前金で払ってあるのを思い出した。つまり宿を引き払うのは明日だ。跳ね起きて損した気が一瞬したが、冗談ではない。当初のプランからして、既に大遅刻である。
 今日のメーンエベント、日和ヶ丘出張所は、JR越後線の小針駅と寺尾駅とのちょうど中間にある。この付近は新潟市のベッドタウンで、短い駅間に複数の営業店が咲き乱れ、まさに「だいしの花園」といった観のある場所である。西内野支店に始まる2支店を押さえた後、日和ヶ丘と一緒にこの駅周辺の複数の支店を制覇してくる予定だったが、内野は後回しにして、大切なところを先に攻めておくのが賢明だろう。越後線の電車が内野以西で1時間1本に激減してしまうこともあって、日和ヶ丘出張所の新潟側の最寄り駅である小針で降りて、制覇を始めることにした。
 新潟11:00発の内野行きに乗車。車窓から見える空はどんよりと曇っている。テレビの天気予報では下り坂になると言っていた。雨より晴れのほうが行動の自由を束縛されない点でベターであるのは言うまでもないが、どうしても雨が1日避けられないなら、せめて今日のように歩き回る日に降らないでくれ、等と勝手なことを考える。今回でいえば、昨日は車だったんだから「昨日にしてくれ」と思った。もっとも、昨日が雨ならタライ舟には乗らなかったが。
 新潟から4つ目の小針で電車を降りる。新潟地区には昨年末から自動改札が導入され、小さな小針駅の駅舎は建物のかなりの部分を自動改札機が占めている。平屋建ての平べったいコンクリート建築を出たとき、すでに雨は降り始めていた。やれやれ、ついに雨にたたられたか。しかし、この程度の降り方なら傘なしで済ませられるかもしれないので、カバンの折りたたみ傘は出さずそのまま第1目標を目指すことにする。
 小針駅が起点ということは、今日の第1目標は、小針駅から南に数百mの場所にあるはずの小針南支店となる。これから、小針南支店を起点として、大まかには越後線沿いに東から西へ1駅進む。越後線にぴったり寄り添って柏崎まで走る国道116号は、この付近では線路の北側を走っていて、新潟市内から放射線状に伸びる重要な交通網の要をなしている。今回の私の目的地も、多くはこの道路沿いである。
 第一目標の小針南支店は、小針駅南側に規則正しく住宅が並ぶ区域の南側にある。町並みからして宅地としての開発は昭和40年代頃ではないだろうか。小針駅前は商店街などはなく、駅前からいきなり住宅地が連なっていて、駅から南の方向へはなだらかな斜面となっている。駅の東側を南北に走るなだらかな下り坂を下りて、116号の南を並行して走る県道2号線(といっても116号の旧道であるが)との交差点そば。住宅地店舗としては何の変哲もない2階建てであった。
posted by 為栗 裕雅 at 06:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月14日

11日(金)A この付近の地形は「浜堤」といいます

 次の目標に向かう前に、駅からの途中で気になっていた1軒の店に入る。「鳥料理の店・鳥平」。私の田舎・群馬には、読み方の同じ「登利平」という鳥料理の店があって、帰郷した際には必ずここの「松弁当」を買って食べるのだが、このことからもわかるとおり私は鶏肉が大好きで、店のジャンルとして「鳥料理」を謳うぐらいの店であれば、さぞかしうまいであろうと期待してしまうのである。
 鳥の唐揚げ定食をオーダーした。890円という価格設定に度肝を抜かれたからである。チキンカツの定食が730円であるのに、だ。唐揚げがチキンカツより高いなど、通常ありえないだろう。しかも「切ってお出ししたほうがよろしいですね」という念押しからして、ただならぬものを感じていた。
 料理が出た。何なのだこれは! モモ・胸・手羽、鶏のほとんど全ての部位が含まれている。聞くと、これで「半羽」なのだという。なるほど、このダイナミックさからしても、890円という価格設定だけの価値はありそうだった。新潟を再訪したら、ここで食事にしよう。
 ニワトリ半羽分の唐揚げで昼食を済ませると、雨はいっそう激しくなっていた。さっきまでなら傘なしでも何とかなりそうだったが、もうこの降り方では完全に不可能だ。さすのが面倒でカバンにしまったままとなっていた傘を、ついに開く。無条件降伏みたいで癪に障るが、仕方がない。
 次の目的地である小針支店は、今の「鳥平」の前をそのまま北に向かい、越後線の北側を東西に走る国道とぶつかった付近にあるらしい。さっきも歩いたこの道は、小針駅の東側を南北に走っている。斜面の道であるから当然坂道である。踏切を越えてだらだら坂を登っていくと、坂道のてっぺんで国道に当たった。片側1車線プラス遷移車線のついた道だから、さほど幅の広い道路ではない。この付近の地形は浜堤といって、日本海の波が運搬作用や堆積作用によって海岸に砂を積もらせ、海岸線に平行に天然の堤防が築かれたものである。現116号が浜堤のてっぺん、越後線がそのすぐ下、116号旧道が浜堤の内側を走っているというわけだ。
 小針支店はどこにあるのか。交差点から西側を見ると、探すまでもなく第四銀のダークグリーンの看板が見つかった。トマトの断面みたいなマークのついたやつである。明治時代からずっと使われているあのマークは、正しくはトマトではなく太陽がモチーフで「作画する際のヒントが柿」であるそうだ。支店の建物は当たり前のようだが小針南支店より古い。制覇。
posted by 為栗 裕雅 at 05:10| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月15日

11日(金)B 哀愁の昼休み

 ここから先は、国道116号線を西にひたすら進むことになる。ひたすらといっても寺尾までの2km弱だけだから、ささやかなお散歩に過ぎない。しかし、この行程こそ、本日一番のハイライトとなるはずのものである。JR寺尾駅北側の寺尾支店、そして、現在地と寺尾支店の中間地点に、日和ヶ丘出張所。なんといっても今回は日和ヶ丘出張所の最終日を取るために新潟にやってきたのだ。
 というわけで、出張所目指して雨の中を歩いていく。116号沿いは、さすがに街道沿いということでスーパーマーケットやロードサイド型の商店が建ち並ぶが、基本的にはさっき歩いた小針駅南側斜面と変わるところのない住宅地である。116号は新潟の重要な道路だが、この道の沿線はやはり開発が結構古いと見えて、店も中途半端に古いものが多く、また空き店舗も多い。
 すぐに着くかと思ったが、そう思って歩き出すと意外に所要時間がかかっていらいらさせられる。もういい加減に歩いたよなと思う頃、ようやく進行右側に第四の緑看板が見えた。銀行の店舗は、看板の隣にある浅い三角屋根のついた平屋建ての建物だろう。小規模な銀行店舗によく見られる、小ぢんまりとした小規模な建物。歩み寄ってみると、思ったとおり入口の自動ドアには第四銀ではおなじみの緑と水色のカラーシートが貼られている。自動ドアの横には、統合を知らせる大看板。支店統廃合の度に繰り広げられるさまざまな人間模様が、ここでも繰り広げられたに違いない。寺尾支店日和ヶ丘出張所は本日限りで窓口営業を終了し、来週から窓口業務は母店の寺尾支店が継承、跡地ではATMのみ引き続き稼働するそうだ。
 これまで、銀行営業店の最終営業日に窓口を利用できた時、私は行員さんに一言「お名残惜しいです」ぐらいの挨拶をするようにしてきた。どう能書きを垂れても、銀行めぐりという趣味はしょせんは物見遊山に過ぎないし、銀行の収益に貢献しているわけでもない。苦労している現場へのせめてものねぎらいという気持ちである。
 一応殊勝なことを考え、コミュニケーションを兼ねて通帳記入をここの窓口でやってもらうつもりでいたのだが、何ということだろう。ATMコーナー奥のシャッターは堅く閉ざされていた。コーナー内のプレートを見ると、この出張所は12時から13時まで、行員の昼食のため窓口営業を休止するのである。時計代わりの携帯を見た。12:30であった。
 ATMは動いている。30分は貴重な時間だ。かくして、日和ヶ丘出張所の最終営業日の制覇は、ATM操作のみであっさり終了した。
posted by 為栗 裕雅 at 07:53| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月16日

11日(金)C 勉強しまっせ…??

 雨足は強くなったり弱くなったりだが、傘が必要な状態から解放されないのだけは一貫している。次の目的地は、日和ヶ丘出張所の母店である寺尾支店。小針よりは寺尾の方が商業的に集積しているようだが、どっちもどっちのような気もする。日和ヶ丘から西へ1km弱、区画整理中と見えて、116号線の北側に面する第四銀寺尾支店は、建物の東側が更地になっていた。あとで地図を見ると、寺尾支店は角から2軒目にあることになっているのだが、道路の拡幅のため角にあった商店が立ち退いたようである。寺尾支店の店舗は、新潟市郊外の何の変哲もない2階建てといった印象だった。制覇。
 寺尾支店の次は、南側1kmほどのところにある坂井支店。位置関係としては小針支店に対する小針南支店と同様、116号の本道沿いと旧道沿いである。
 日和ヶ丘出張所で果たせなかった通帳の記帳を寺尾支店で頼んだのだが、その際に坂井支店への道を尋ねた。窓口の若い女性行員が明るく元気に「支店の前の坂道をそのまま降りて、踏切も越えて、そうしたらその先にローソンがあるんですけど、そこからさらにまっすぐ行くと、左側にあると思います」と教えてくれた。この時点で、実は私は「あーあ、女に道を聞くとろくな説明をしないな」と思っていた。要するにひたすらまっすぐ行けばいいわけではないか。だったら「ひたすらまっすぐ」と言えばいいのであって、何も途中にあるローソンを引き合いに出す必要はないのである。
 ともあれ、邪悪な心は笑顔で隠し、教えてもらったとおりに坂井支店に向かうことにした。支店前の信号から南の方向に下り坂になっているのは小針地区と同様で、基本的に住宅地であるのも小針と変わらない。交通量はそれなりに多いようで、曲がりくねった坂道は両側の建物を除去してまっすぐな片側2車線の広い道にしようとしている。3月11日現在では、建物のセットバックは終わったものの、曲がりくねった片側1車線の道はそのままであった。建物を除去された空き地には砂利が敷かれ、道路工事の時を待っている。
 そんな、広くて狭い坂道を下っていくと、確かに坂を下りた角にコンビニのローソンがある。この情景を見て私は即座に、さっきの女性行員の説明が非常に的確であったのを理解した。なぜかというと、寺尾支店前から続く細い曲がりくねった道は、このローソン前の交差点で終わり、交差点より南側は既に区画整理の終わった幅の広い4車線道路になっていたからである。つまり「ひたすらまっすぐ」としか聞いていなかった場合は、この交差点でどちらへ行けばよいのか迷うはずなのである。
 男性よりも優れた頭脳の働きを持つ女性は、たぶん数多い。しかも女性は、大都市に出ていったまま戻らない男性と違って地元志向が強いから、地方都市には頭脳の明晰な女性が能力も生かされないまま多数埋もれている気がしてならない。第四銀寺尾支店のこの女性行員もそうした一人ではないだろうか。大都市では逆に、自分が有能だと思い込んでいる勘違い女のインフレ状態にある(「本当に有能な女性」の存在を否定するわけではない)。「才」も「色」もある女性は地方都市に埋もれているものだ、ということを、坂井支店に向かう道を聞いたことで勉強したような気がする。勉強しまっせ、■■の坂井…。
 寒い方向に話がそれた。小針・寺尾地区での最終目標である坂井支店は、ローソンの南数百mの交差点角にあった。この支店の建物は建築年次がかなり新しいようである。制覇。
posted by 為栗 裕雅 at 15:42| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月17日

11日(金)D 「赤塚」念頭で動き出す

 坂井支店からJR寺尾駅方向へ。駅の南側に、ミスタードーナツの「寺尾」ショップ(0688号)があるのは既にリサーチ済みだ。ここで、一人で作戦会議を行う。順調に制覇箇所数を増やしてきた昨日までと異なり、今日は寝過ごしたため不調である。これから先、どのように動けば最も効率がよいか。とはいえ少々くたびれたし、朝飯もまともに食べていない。
 今日は、越後線沿線の新潟都市圏内は総なめにしておきたいと思っていた。そのために、当初は弥彦山の麓にあたる吉田町まで足を延ばす考えもあったのである。越後線の本数が少ないので、新潟市からはずれる部分については断念したが、せめて現新潟市内(合併で膨張する前の市域)だけは押さえておきたい。そう考えると、是非今日のうちに取っておきたい拠点があった。現・新潟市の最西端にある、内野支店赤塚出張所。ここは第四銀としては営業時間が極端に短いうえ、非常に交通の不便な場所にある。ATMは平日のみの営業、しかも夕方5時で稼働を終了する。交通の面でも、越後線でいうと越後赤塚駅が最寄りとなるが、駅から3km以上離れているため車を使うことが不可欠だ。赤塚に限らず、第四めぐが進んでくると鉄道路線のない地域の支店を多数回らなければならないので、そういう支店を制覇する際に一緒に取ろうかと一瞬考えたりもした。
 携帯で寺尾駅からの越後線時刻を検索した瞬間、すべてが決定した。なんと、急げば13:58発の吉田行きに間に合うという。これで、赤塚出張所はともかくとして、西内野支店と内野支店は制覇できる。繰り返し述べているとおり、越後線は内野から先、吉田方面に行く電車は1時間1本にやせ細る。時刻は13:50。ミスドから寺尾駅まで近距離であることは事前にリサーチしていたが、果たして8分で移動できるのか。ミスドの女性スタッフに駅への近道を尋ね、猛然と店を出た。家と家との隙間を縫うよう、曲がりくねった細い坂道を駆け上がっていくと、JR寺尾駅の橋上駅舎が見えた。今日は限られた区間でしかJRを使わないから、青春18きっぷではなくふつうの乗車券を購入。自動改札を駆け抜けてホームへ。どういうわけか多数たむろしている男女中学生の群れの向こうから、白地に緑色の線の入った電車がやってくるのが見えた。よし。
 寺尾から10分の乗車で、内野西が丘駅に到着した。この駅はつい10日ほど前、3月1日のダイヤ改正で開業したばかりの新駅である。内野と越後赤塚のちょうど中間にあたる場所にできたこの駅は、ホーム一面に駅舎のついた無人駅だが、バリアフリーに最大限の対応を施してあるらしい。次の目標・西内野支店は、駅の西方1kmほどの住宅地にある模様だ。
 寺尾駅にも車内にもわんさかいた男女中学生は、私と同じ駅で一斉に降りた。駅の周辺では越後平野の水田をつぶした宅地開発がこれから進もうとしているところで、区画整理された更地を貫いてまっすぐな舗装道路が西に延びている。道路の先には、新潟県立新潟西高校がある。どうやらこの中学生たちは、高校の合格発表を見に行くところらしい。そういえば、おととい越後堀之内の駅では入試を受けたばかりの中学生に遭遇したっけ。そんなことを考えながら、わいわい騒がしく歩く中学生と一緒に自分も歩を進める。
 駅からすぐそばに見えた高校は、歩いても歩いてもなかなか近づいてこない。遮るものなく遠くの目標を眺めると必要以上に自分に近接して見えるものである。それでも、明けない夜はないがごとく、海岸沿いに越後線と平行に走る道路にようやく出た。この道路は県道2号線で、さっき歩いた小針・寺尾付近では線路の南側を走っていた道の続きである。この道を弥彦山方向に歩いていくと、道から少し北側に入ったところに西内野支店が見つかる。店舗そのものは、2階建ての変哲のない住宅地店舗であった。制覇。
posted by 為栗 裕雅 at 04:50| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月18日

11日(金)E 三途の川に向かうバス?

 西内野支店の行員さんに、次の目標である赤塚出張所への行き方を聞いてみる。「道としてはそこ(県道)をひたすらまっすぐなんですけどねえ」ということであった。もちろんその程度はリサーチ済みである。バス路線がないのか尋ねてみたが、乗ったことはないとのことであった。ただ、バス停は表通りに出たところにあるという。
 ともかく行ってみることにした。行員が言うとおり「西新町」というバス停が支店の南側にあった。この停留所からは、「赤塚上行」「四ツ郷屋経由赤塚上行」という二つの系統がそれぞれ2〜3時間に1本の割で出ている。出張所に電話をかけて聞いてみると、最寄りの停留所は「赤塚」ということで、バスの行先の「赤塚上」とは違うが、ともかくバスさえあれば目的地方面には行けるようだ。そして、時刻を見る。四ツ郷屋経由赤塚上行が14:34にあるらしい。10分後とはまた何というタイミングの良さだろうか。最終目的地へ行ければどちらの系統でも良いのだが、バス停のポールに路線案内図等はない。いいや、目的地に行けなかったらそのときまた考えよう。エイヤッと賭けに出た私であった。

 新潟交通のバスは、銀色の車体に濃い青色の線が入っている。長岡市中心の越後交通が銀に赤だから、新潟県内でちょうどうまく対比がなされていると言ってよい。新潟交通の運賃が決して安いとは言えないのも対比の関係と言えようか。なぜこんなことを書くかというと、私が今乗っているバスのことだからである。
 というわけで、私を乗せた新潟交通のバスが、典型的な農村風景の県道2号線を西に向かっている。西新町14:34発の「四ツ郷屋経由赤塚上行」。私のほかに数人乗っていた客は、ほとんど途中の停留所で降りてしまった。ローカルの路線バスでは立方体かと思うほど車長の短い小型バスを使っているところもあるが、今乗っているのは都市部ではごく普通の大型バスで、空気を運んでいるようなものである。
 バスが小学校のそばで右折、上り坂にかかった。角の小学校は、後で調べると新潟市立木山小学校。片側1車線のこの道は、方向としては海岸に向かっているようだ。木山小を過ぎると、車窓の風景は荒れ地と産業廃棄物処分場ばかりが広がっている。こんなところを経由するとはどんなバスなのだろうか。だいたい、目的地は「県道をひたすらまっすぐ」だと西内野の行員が言っていたではないか。かなり不安を感じていると、バスはさらに右折した。今度はバスが1台ようやく通れるほどの細い道幅で、しかも右にカーブした下り坂。私の実家近くにある利根川の河原に降りる道にも、以前訪れた徳島県・吉野川にかかる潜水橋へのアプローチにも似ている。三途の川への入り口かい、と思う間もなく、坂道の途中で「次は四ツ郷屋」のアナウンスが聞こえ、降車ボタンが押された。
 坂道を降りきった先には、集落があるようである。バスが停まり、学校帰りらしい女子高生を降ろした。
 バスが動き出した。そこで私は仰天することとなった。発車したバスは、何といきなり道を外れ、道路脇の空き地に首を突っ込んだのである。
posted by 為栗 裕雅 at 06:59| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月19日

11日(金)F ラムサール指定湿地のほとりで

 私の命もここまでか、とは思わなかったが、それでも何かのっぴきならない事態が起こったことは間違いないようだった。ああ、これで今日の第四めぐは終了だ。終了なりに、何とか方策を考えなければならない。新潟駅までどうやって戻ろうか。
 そんな悲壮な覚悟を知ってか知らずか(いや知らないだろう)、60歳を過ぎて嘱託で働いているとおぼしき老運転士は、平気な顔でバスをバックさせた。
 運転士は、坂道を戻る向きにバスの首を戻し、後部ドア(入口)を開けて「時間調整で少々停車します」と言ってエンジンを止めてしまった。何だ、単に方向転換をしただけだったのか。私は一気に気が抜ける思いがした。
 赤塚での用事の後、帰りのバスで運転士が話してくれたところによると、この「四ツ郷屋」という集落は、新潟市に隣接する西蒲原郡巻町の町域が海岸沿いに細長く延びたところにあって、日常生活のほとんどを新潟市に依存している。海岸沿いに国道402号ができる以前は、いまバスで入ってきた細い道が集落への唯一の交通路で、豪雪の時期には陸の孤島にもなったという。産廃処分場のあたりはかつては低い山で、関越自動車道工事の際に盛り土用として削られてしまったそうだ(この集落は、複数の浜堤に挟まれた谷間のような場所にあるようだ)。この便に生徒は乗っていなかったが、バスは角にある木山小学校の通学用として乗り入れているらしい。四ツ郷屋の所属は巻町で、新潟市立の学校に通うのは越境通学ということになるが、何か協定でもあるのだろう。なお、巻町は2005年10月10日、新潟市に編入される。

 私の時計によると14:47、バスは今来た道を再び戻り、木山小学校前の交差点で右折。これでようやく県道2号線に戻ったことになる。やれやれ、寿命が縮んだかと思った。そういえば、94歳になる私の祖母は、私の幼少期に母親が入院した際、身の回りの世話をするために数か月間前橋に滞在してくれたことがある。当時から私には放浪癖があって、しょっちゅういなくなっては心配させていたらしい。そういうとき祖母は「寿命が一つ縮んだ」と言って私を叱るのが常であった。今年2月の法事の際、しばらくぶりに祖母に会ったのを何の脈絡もなく思い出した。祖母は現在、京都市内の特別養護老人ホームで余生を送っている。
 バスは県道を西へ走る。停留所の数からして、もう赤塚は近いはずだ。右手に大きな湖が見え、「ラムサール条約指定湿地・佐潟」の看板が見えた。ラムサール条約とは、水鳥の飛来に関して湖沼の保護・育成を行う条約。日本の指定湿地は釧路湿原とか琵琶湖とか有名なものが多い。佐潟は1997年にラムサール指定湿地になったそうだが、恥ずかしながら聞いたことがなかった。湖はあっという間に車窓の風景の一コマと消えた。私は運転士に「第四銀行に行きたいんですけど」と声をかけた。
 終点・赤塚上の2つ手前、「赤塚」でバスを降りる。降車ボタンを押し、荷物を持ちながら車窓の風景を見る。あった。交差する道路に面した場所に、パッと見特定郵便局のようなたたずまいの2階建ての建物。「第四銀行」の袖看板がある。
 第四銀行赤塚出張所は、バス停後方のT字路を曲がってすぐの場所にあった。このあたりは1961年に新潟市に合併された旧赤塚村の中心部であるが、あたりには現金を使えそうな施設は一切なさそうだ。こんなところに銀行があるのか。建物に入るとATMが1台だけ置かれ、脇に窓口室への細い入口がついていた。さっそく機械を操作、赤塚出張所の制覇を完了した。
 時刻は14:57。3時の窓口クローズまであと3分。今週最後となる窓口での記帳を、ここで済ませてしまおう。窓口室に入ると、窓口室側におシリ(裏側)を丸出しにしてATMが置かれているのが見えた。
posted by 為栗 裕雅 at 00:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月20日

11日(金)G 新潟の西の中心・内野へ

 赤塚に着いたのが14:55頃、帰りのバスは14:59。ここが終点近い停留所であることからして、今乗ってきたバスがそのまま折り返していくのだろう。
 果たして、数分前に降りた同じバスがまたやって来た。帰りのバスは「内野四ツ角」行き。乗り込んで最前部の席に座り「どうも」と運転士に挨拶すると、「用事はもう終わったんですか」と言って、気さくにいろいろな話をしてくれた。彼はこの地域でもう随分長くバスを運転しているのだろう。白鳥が飛来するラムサール湿地の「佐潟」には流れ込む河川がなく、地下から水が湧いているという。赤塚地区ではこの水を砂地に撒いてタクアン用の大根やスイカを栽培しているそうだ。第四銀めぐりの話を運転士にしてみた。彼は郵便局めぐり(旅行貯金)の話は知っていたが、第四銀行が「めぐって楽しい」銀行とは知らなかったようである。
 このバスも「四ツ郷屋」経由である。木山小学校の角で左折すると、今度はいるわいるわ。小学生が十数人、バスを待っている。一気に車内は芋洗いのように…とステレオタイプに書きたいところだが、乗車マナーは思ったよりきちんとしている。四ツ郷屋にバスが着くと、子どもたちは運転士に定期を見せたり、バスカードをカードリーダーに通したり、いずれにしても整然としていて、運転士に「ありがとうございました」と声をかけていくのも忘れない。
 空き地に首を突っ込んで方向転換、時間調整の後発車していくのもさっきと同様である。再び木山小学校へ。今度は県道を内野方向に向かう小学生を拾う。新潟市の小学校は学区制がかなり厳密に運用されていて、木山小学校の通学範囲は相当広いらしい。さっき往路でバスに乗った西内野支店のすぐそばまで帰る生徒がいるそうだ。支店のそばに小学校があって、その生徒の自宅はそちらの方が遥かに近いという。今日バスに乗った小学生は30人くらいもいただろうか。雨の日だからバスを利用しているのかと思ったが、徒歩通学が禁じられていることもあって、バス通学のメンツはだいたい決まっているという。
 ほぼ各駅停車の状態で小学生たちを降ろしたバスは、さっき西内野支店前から乗った「西新町」停あたりでほとんど空気輸送に近い状態となった。15:25頃、終点の内野四ツ角到着。正面に第四銀の看板が見える。内野支店である。
 バスを降りるとき、信号待ちのわずかな時間だったが、せっかくその話をしたので第四銀の通帳を披露した。運転士は「貴重なものを見せていただいて」と喜んでくれた。「新潟にいらしたらまたバスにご乗車下さい」と丁重に挨拶されて、私はバスを降りた。第四銀行内野支店に向かう私の背後で、今乗ってきた大型バスが回送車となって交差点を曲がっていった。内野四ツ角はJR越後線内野駅前の交差点で、1960年に新潟市に合併された旧内野町の中心地である。現在では新潟市の西の中心地となっていて、それなりの商業集積がある。越後線の電車が内野を境に3分の1に減ってしまうのも何度も述べたとおりである。

 なお、私が西内野支店近くのバス停から「運良く」つかまえることのできた新潟交通バス赤塚線は、赤塚出張所制覇から1か月も経たない2005年3月末、ひっそりと廃止されてしまった。代替路線として「内野営業所〜(越後)赤塚駅」が新設されたものの、本数は大幅に削減、路線短縮とコース変更により「赤塚」停も廃止され、上記と同じルートでの制覇には使えない。新潟交通が本件を発表したのは3月16日で、私が利用した際にはもちろん告知などもなく、本稿発表前にたまたま知って大変驚愕した。

 【2005.11.30追記】2005年11月28日、第四銀行は、内野支店赤塚出張所を統合すると発表した。最終営業日は2006年2月3日(金)で、統合先は内野支店(新潟市内野町1036)。ATMコーナーも2月3日で営業を終了する。
posted by 為栗 裕雅 at 01:56| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月21日

11日(金)H 信濃川を越えて新潟県庁へ

 休む間もなく、内野15:30発の普通列車(新潟経由長岡行き)で関屋へ。今日の第3幕が始まる。ここからは、途中で適宜ドーナツ屋での休憩を挟みつつ、新潟市の中心部までひたすら歩き続ける。関屋駅から新潟駅までは直線距離で5kmくらいだが、直進するわけではないから実際の歩行距離は10km近くにもなるだろうか。再び強くなりだした雨の中、それだけの距離を歩くというのは一般的には少しげんなりだが、めぐラーはなんだかんだ言いつつも結局やってしまうのである。
 平屋建ての関屋駅を出る。この駅も住宅地の真ん中のような立地だが、朝一番の小針駅前よりも住宅地の形成した時期は古いようだ。線路際を吉田方向に歩いて踏切を越え、北へ。国道116号線に出ると、左側に鉄筋コンクリート平屋建て(のように見えた)銀行建築と、例のダークグリーンの看板。まず、ここが関屋支店である。
 制覇作業を済ませて次は、新潟県庁に向かう。第四銀は新潟県のトップ地銀、ということは当然のように新潟県の指定金融機関となっている。県庁内に「県庁支店」を構えているのである。
 116号を東へ1km。昭和町の交差点で右に曲がると、信濃川を南側に越える千歳大橋に至る。この橋を渡った右側が新潟県庁である。県庁は、信濃川北岸で中心街の学校町から、南岸の新光町へ1985年に移転してきた。信濃川はさすが日本一と言われる大河だけに、その河口にある新潟の町では、この川を越えようとすると相当に大規模な橋を架けなければならない。というわけで、今から渡る千歳大橋は、橋自体の長さや幅、アプローチの勾配などなど非常に大きく取ってある。新潟市内で信濃川の架橋が進み、南岸が再開発されたのはここ20年余りの間のこと。それ以前は信濃川南岸は貨物の引き込み線が多数引かれた工業地帯であった。
 地図で見ると関屋支店から県庁まではさほどの距離ではないのだが、河川周辺の真っ平らな空間を歩いていると必要以上に体感距離は増す。雨が降っていることもあって、県庁の敷地にたどり着いただけで投げ出したくなってしまった。しかし、こういう大規模な役所建築は、敷地にたどり着いただけでは目的地に到達したことにはならない。公開の空き地をふんだんに取るという観点から、建物はだいたい広い敷地の真ん中に置かれている。新潟県庁の敷地もご多分に漏れず、今歩いてきた千歳大橋通りに面した部分は人工的な(たぶん)雑木林になっている。
 林を通り抜けてようやくたどり着いた県庁の建造物の、どこに支店があるのだろうか。こういう場合は表玄関から入ってみると(省力化につながるかどうかはさておき)迷子にはならずに済む。新潟県庁の表玄関はどこだろう。大規模な車寄せが南側についているから、恐らくそっちだろう。行ってみると、県議会棟の向こうが本庁舎である。本庁舎に入った。銀行の支店は…一番信濃川寄りの建物らしい。やれやれ、せっかく南側まで来たのに。
 本庁舎を通り抜けて「西回廊」という建物に入ると、右側に北越・第四と二つの銀行の支店が見えた。もちろんここは県庁の建物内で、両者はテナント入居のような形なのだろう。明治・大正から続く地方銀行が2つ以上ある県では、三重県や長崎県のように指定金融機関業務を交代で行っているところもあるが、新潟県では指定金融機関が第四、北越銀は「指定代理金融機関」という形となっている。つまり第四の方が地位が上というわけだが、北越銀もしっかり県庁内に支店を構えている。私がもともと「めぐ」で親しんできた埼玉県では、県庁内に支店を持つのは現埼玉りそな銀行だけで、戦後地銀である武蔵野銀の県庁最寄り支店は県庁の敷地外にある「県庁前」支店となっているから、県庁内に支店が出せるというのはそれなりに凄いことなのだろう、一昔前までの価値観では。
 ともあれ、ホクギン県庁支店の左隣にある第四銀県庁支店を、ATM操作により制覇した。
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2005年04月22日

11日(金)I 市街地南の第四銀ストリート

 県庁西回廊の、北側の玄関を出た。最初から場所がわかっていれば大通りからまっすぐここへ来たのだが、まあ仕方がない。だいたい、本庁舎の北側に「西回廊」なんて名前の建物があるとは思わないだろう(さすがに店舗一覧ぐらいは持ち歩いている)。
 関屋→県庁の移動が結構きつ目だった分、次の目的地はすんなり行けるはずだ。出来島支店。千歳大橋通りを県庁の南に1km弱進んだ場所である。左手にテレビ新潟(日本テレビ系)のクリーム色に塗られた鉄塔を見つつ南へ。周辺は開発の新しい地域らしく、ロードサイド形の飲食店やマンションが建つ。通りの右側に北越銀の支店が見え、第四の支店もすぐに現れた。角地にあるだけ第四の方が条件的に有利のようである。ATMを操作、出来島支店が制覇できてじまった。
 出来島支店から、進路を東に向ける。この道は「新潟黒埼インター笹口線」という県道である。新潟駅の南口を中心に東西に走るこの道は、新潟市街地南側で「第四銀ストリート」となっている。多少の出入りはあるものの、第四の支店が1〜2kmおきに4つ並んでいる。出来島支店を起点に、新潟中央市場支店・鳥屋野支店・南新潟支店。南新潟支店は新潟駅の南口駅前にある支店で、以前新潟駅周辺を歩き回ったときに第四銀の支店がビル内に入居しているのは知っていた。
 雨は小やみになってきた。幅の広い2車線道路を東に向かう。この周辺には「ハードオフ」「ホビーオフ」等なんとかオフという店はたくさんあるが、その本家本元に当たる「ブックオフ」がないのはなぜだろうか。そんなことをぼんやり考えながら1km少々歩くと、正面に大きなコンクリートの高架が見えてきた。上越新幹線である。ガード下の交差点角が、新潟中央市場の職員駐車場となっている。目指す目標は近い。この交差点で私は歩みを北に変えた。
 交差点から5分ほど歩いたところに、第四の緑の看板が出ていた。支店の建物はそれだけで独立した棟のようだが、完全に中央市場の敷地の一部である。キャッシュコーナーを探すと、支店の建物と別の建物との間の細い通路を抜けて、市場の中まで入り込まないといけないようだ。幸い、関係者以外の人間もオフリミットにはしていない模様である。鰻の寝床のように細い通路を抜け、キャッシュコーナーで機械を操作。新潟中央市場支店を制覇した。この場所の市場は、信濃川の南岸が開発される以前からのようだ。
 段々疲れてきたが、次の目標を制覇したらドーナツ屋で休憩することに決めている。もう一息である。次の目標は鳥屋野支店。新潟黒埼インター笹口線に戻り、さらに東へ。1kmほど進むと角にファミレスのロイヤルホストがあり、そこで右折。三条信用金庫(本店三条市)の鳥屋野支店があって、その南側に第四の鳥屋野支店があった。
 キャッシュコーナーに入ろうとしたが、コーナーに入るための2段程度の階段を上がるのがしんどく感じられる。とにかく足が上がらないのだ。為栗裕雅36歳、いよいよ老化現象のようである。しかし私は「永遠の18歳」を標榜している。こんなところで老化現象など認めるわけにはゆかぬ。2段の階段を気力で上がり、ATMコーナーに入って制覇作業を行った。鳥屋野支店の制覇である。時刻は既に5時半であった。
posted by 為栗 裕雅 at 08:23| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月23日

11日(金)J シャイなハートで駆け昇る

 鳥屋野支店の北東側、黒埼インター笹口線に面した新潟駅に近いところに、ミスタードーナツの店舗がある。とやのショップ(0070号)。ほぼ開店順に付番されている店番号からわかるとおり、この店は開業時期の非常に古い店舗である。ここで、休憩を兼ねて「一人作戦会議」を行う。
 事前の計画では、ここで進路を北に変え、新潟市役所に向かうつもりであった。市役所内にある本店新潟市役所出張所。ここはATMの稼働が平日のみ、夕方6時までであるからだ。私は、血液型A型であるせいか知らないが「取りにくい拠点を先に制覇する」主義なので、どうしても今日のうちに取ってしまいたかったのである。しかし、断念せざるを得ないようだ。現在既に5時45分、15分でここから市役所まで歩けるかどうかはともかく、もうその気力が残っていなかった。気力があれば、気合で何とかしている。
 そうこうしているうちに、肉体の疲労は何とか癒えたようだ。ミスタードーナツの店内でかかっている有線放送は、山下達郎の「ドーナツソング」がタイムシグナルとなっていて、この曲が宣伝のナレーションなしでかかると正時である。山下氏が「シャイなハートで駆け昇る」と歌ったところで、私も第四めぐへの情熱が再び体内に駆け昇り、店を出て次の目標・南新潟支店に向けて歩き出した。
 ミスドから南新潟支店までは、さほどの距離ではない。最近の地方都市では、中央駅の裏口がここ20年ほどの間に開発されて、ロードサイド型の小規模な商業施設が多数建ち、その中にオフィスやホテルなどのビルが混じって建つ独特の風景を醸し出している。宇都宮や高崎の東口、静岡の南口などが典型といえようか。新潟の南口もまた同様で、さっきのミスドも含めてロードサイド型の店舗が多数建つ中に、駅に向かってだんだんオフィスビルなどが増えてきた。北越、大光と新潟県の地銀も支店を置いている。第四銀行の支店が見えた。通りに面したビルの1階である。広いATMコーナーに、ゆったりと機械が並べられている。ATM脇には、この支店が1996年5月20日付で「新潟駅南支店」から改称された旨の掲示があった。同一店振り込みの際には支店名に注意せよ、ということだろう。
 既に6時を回っているため、これまで入金−出金で1セットとしていたATMを使っての制覇作業は、「入金2回」に切り替える。私の銀行めぐでの制覇は「2取引」が原則である。2取引にしておけば、後日通帳記帳をした際に万が一印字が1行失敗したとしても、もう1行の印字でヘッジできるからだ。実はこれに備えて、昼間のうちに支店の両替機を使って1000円札を大量に(といっても20枚くらいだが)確保していた。明日は土曜日で、第四銀行は土曜日の引き出しは終日手数料がかかるから、明日の第四めぐでは終日「入金操作2回」で制覇作業を行うことになる。1000円札が20枚あれば10か所の制覇ができる(いざとなれば1万円札で買い物をして釣りをもらえばよいのだが)。入金操作を2回行って、南新潟支店の制覇が完了した。
posted by 為栗 裕雅 at 10:10| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月24日

11日(金)K 沼垂支店をぬったりと

 第四銀めぐりは、7時に入金が終了するまで続けられる。残り時間を考えると、あと2か所が限界だろう。駅前通り沿いにある新潟駅前支店は間違いないとして、もう1か所をどこにしようか。万代橋を渡って中心街の支店(あるいは本店)に回るか、東の方角の支店にするか。6時前に「一人作戦会議」を行ったばかりだが、今また一人で作戦会議、というよりうだうだ考え込んでいる。場所は、新潟駅の南口と北口とを結ぶ自由通路。通路の真ん中に、ミスタードーナツが「新潟駅西口」ショップ(1224号)を構えている。この自由通路には片側にフードコートだけ独立して存在していて、ミスドはそのフードコートの中にある。ミスド店の制覇と休憩を兼ねて、本日の10杯目ぐらいになるコーヒーを飲んでいる。
 6時35分、わずか10分余りの滞在を終えてフードコートを出る。自由通路の階段を下りると新潟駅前のバスターミナル、そこを越えると駅前通りをそのまま進む。あたりは新潟市随一のオフィス街になっていて、人通りはさほど多くない。既に7時近いとあって、ビルの明かりは特に1階部分はほとんど消えている。この道をそのまま進んでいくと信濃川を越える万代橋だが、そこまで行かないうちに、1階部分に煌々と蛍光灯をつけたビルが左側に見えた。緑と水色のカラーシートがドアに貼られている。第四銀行である。18:40、新潟駅前支店を制覇した。

 もうさすがに、あと1か所でおしまいだろう。本日最後の目標は、駅前支店近くの交差点から東に1kmほどの沼垂支店に決めた。新潟の町は、信濃川西岸の旧新潟町と東岸の旧沼垂町が合体して形成しているから、沼垂支店はかつては中心街の支店だったのだろう。
 新潟駅前支店北側の交差点、流作場五差路から東へ進む。高度成長期以前から地域の台所に生活物資を供給してきた感じの古びた商店街が、道の両端に延々と築かれたアーケードの下に続く。こうした個人経営の商店が並ぶ商店街は今となっては業績は芳しくないのかもしれないが、個々の店が並ぶ密度と商店街の距離の長さがかつての繁栄を反映している。
 国道7号線から続く大通りにぶつかったところで、信号待ちの間に時計代わりの携帯電話を見る。18:57。やばいぞこれは。沼垂支店は今日制覇できるのだろうか。支店の名前からしてぬったりと、いえ、まったりと行けるかと思っていたのだが、もう1店取れるかという時にはどうしてもばたばたしてしまう。とはいえ、目の前の通りは車がびゅんびゅん行き交っている。赤信号を無視して走り出したら、私はたちまちミンチに変身してしまう。
 信号が青に変わった。事前のリサーチでは、交差点を越えてすぐのところにあることになっている。時間がないので駆けだした。前方はるか彼方に、北越銀行の赤い看板が見える。今日はどこへ行っても第四と北越の看板を見ないことがなかった。手前に目を転じるとバス停があって、その前に建つビルの1階に、あった。第四銀の支店。キャッシュコーナーに飛び込む。既に閉店間際で、コーナーには蛍の光が流れている。大慌てで入金操作2回、沼垂支店をどうにか制覇できた。
 第四銀沼垂支店の入っているビルは「だいし開発ビル」といって、周辺商店街の再開発事業の一環として建てられたもののようだ。キャッシュコーナーの入口がそのままビルの玄関と階段ホールになっていて、閉店時間が来るとATMの前にシャッターが降りるものの、コーナーには24時間立ち入りができるようである。

 沼垂支店のATMがシャッターに閉ざされて見えなくなるのを見届け、私は目の前の停留所(沼垂四つ角)からバスの人となった。雨足は再び激しくなってきていた。今日の第四めぐはこれにて終了、明日はいよいよ新潟県とお別れである。

[3月11日篇 おわり]
posted by 為栗 裕雅 at 00:07| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月25日

12日(土)@ やっぱり寝坊した新潟最後の朝

2005年3月12日(土)

 私の「新潟失踪」は、いちおう昨日で基本的な日程を終えた。あとは今日一日かけて東京に帰るだけである。
 ただ帰るだけではなく、途中に様々な「めぐ」を織り込むのは「めぐラー」として当たり前である。というわけで、あと10日ほどで新潟市に編入されてしまう地域にある制覇目標を、新潟市になってしまう前に(つまり旧自治体名のうちに)制覇することにした。今回は自治体名が変わっても店名などは変わらないのだが、私のHPでは特にミスタードーナツめぐりの「制覇の記録」において「所在自治体名」を記載しているので、そこに旧自治体名を残しておこうと考えたのである。となると、この地域のミスド店でまだ制覇していないのは「アピタ新潟亀田」(1485号、中蒲原郡亀田町)と「新津原信SC」(1163号、新津市)の2店。これに合わせて、第四銀行めぐりは各市町の2店ずつ、計4店を回ることにした。そして、時間に余裕ができたら、先日1つだけ取りそびれた長岡市内の支店(長岡市役所前支店)を拾ってくるつもりである。
 昨日沼垂支店の前から乗ったバスは、新潟駅前行きではなく、万代橋を渡った新潟市の中心部、古町行きだった。市の中心まで出たことで、べたべたに疲れてはいたが、これ幸いと新潟市中心部のミスドの未制覇2店(「東堀」と「万代シティー」)をハシゴし、場所を変えながら半分眠った頭でプランの立て直しを行ったのであった。というわけで、立てたプランは以下のとおりである。

新潟08:11→08:20亀田
(亀田支店、亀田駅前支店、MDアピタ新潟亀田)
亀田11:33→11:44新津
(新津支店、新津南支店、MD新津原信SC)
新津14:34→15:16長岡
(長岡市役所前支店)
長岡16:06→18:32水上18:40→19:42高崎19:59→21:43上野

 さて、12日朝。起きた時刻は8時であった。つまり、08:11発の電車には乗れないということである。もちろん、ホテルの浴衣姿で電車に駆け込むなら乗れるだろうが、そういうことはしないわけだ。
 3泊したホテルの部屋とも今日でお別れである。部屋の後始末と荷造りをしてチェックアウトを済ませたのは、9時半近かった。コンビニで朝食のおにぎりと新聞を買って新潟駅へ。乗った列車は、09:40発の普通列車新津行き。スタート時点で1時間半の遅れとなった。
 青春18きっぷで東京に帰るわけだから、帰りにはあの上越線の間引き運転区間を再び通る。それなのに1時間半も遅れるとは、我ながらいい度胸をしている。この点は、ミスド2店で滞在時間を多めに取ってあるので、それで対応する。つんどくの本を少しでも読もうと思って東京から持参していたのだったが、とても読んでいられなかった。今日こそはと思っていたが、やはり旅先でつんどくの本を片付けるのは難しいようである。
posted by 為栗 裕雅 at 00:09| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月26日

12日(土)A 新旧混在した亀田の町

 09:49。新潟駅を発車して9分で、最初の目的地・亀田に到着した。
 亀田駅は橋上駅舎の工事中で、線路の上にかぶさる駅舎を茶色い鉄骨を組んで作ろうとしているのがわかる。
 仮駅舎から外に出る。仮の駅舎だが自動改札機はしっかり稼働している。今日は青春18きっぷを使用しているので、有人改札から出なければならないが、新潟地区の駅の改札は有人通路の部分が厳重な金属製の柵で塞がれていて、首都圏の駅のように「通りまーす」と言いつつ見せながら走り抜けるわけにはいかない。柵のかんぬきを外して開けなければならないのである。
 面倒な出かたで改札を出て駅前に立ってみると、駅の周辺は橋上駅舎の新築に合わせて再開発のまっただ中で、ほぼ更地の状態であった。新潟県中蒲原郡亀田町は、来る3月21日、新津市などとともに新潟市に編入される。計12市町村を合併することで新潟市の面積は一気に倍に膨れ上がり、人口も80万人台に乗せて、2007年4月には日本海側では初めて政令指定都市に移行する予定である。亀田駅の橋上化は、大合併と政令市移行に向けてのものと言える。
 今日の目標は3か所あって、駅前の交差点を左折して南に向かう1か所(第四銀亀田支店)と、直進する2か所(同亀田駅前支店、ミスド「アピタ新潟亀田」ショップ)に分かれる。どこへ先に行こうか。銀行めぐりだけなら「遠い方を先」という原則があるのだが、制覇目標が複数種類ある今回は、普段と違う選択基準になる。すなわち、方向がかけ離れており、かつ制覇作業があっという間に終わるところが今日のトップとなる。この要件を満たすところは…亀田支店。
 駅前通りを西へ。再開発事業がまだ進行中で、道路際の木造民家1軒が重機で破壊されつつあった。過去数十年にわたって居住者の喜怒哀楽を見つめてきたであろう木造家屋は、私が数時間後に亀田駅に戻ってくる際には跡形もなく消え去っているに違いない。
 北越銀行亀田支店のある駅前交差点を左折して南へ。第四の亀田支店は、国道49号線の旧道(県道5号線)沿いの旧市街にあるとわかっている。古びた住宅地を過ぎると街道沿いの商店街となるが、ご多分に漏れずここもシャッターを下ろした店舗が多い。15分ほども歩いただろうか、道の左側に第四の店舗があった。昨日の夕方以降と同様に、入金操作2回で亀田支店の制覇作業を行った。
 駅前の交差点に戻り、今度は西に向かう。駅前通りである。
 北越銀亀田支店の西側に、地元企業コメリの店舗があって、少し意外に思った。コメリはホームセンターではなかったか。駅の近所にスーパーマーケットがあるのは不思議に思わないが、ホームセンターとは。スーパーは別にあるのだろうか。もっとも、郊外にできた大型SC(これから行く予定のアピタである)の影響は受けているかもしれない。ともあれ、同じ亀田駅周辺であっても、こちらは先ほどの旧市街とは異なり、大都市近郊の新線鉄道の駅前のようにモスバーガーなどファストフード店が散在している。
 前方左側に例のダークグリーンの看板が見えた。2階建ての銀行建築も見える。亀田駅からここまで歩いて10分は余裕でかかるはずだが、それでもここは亀田「駅前」支店である。制覇。
 亀田町での第四銀制覇はあっさり終了した。ここから西へ2km、国道49号(亀田バイパス)との交点にある大型ショッピングセンター、アピタ新潟亀田店に向かう。中のドーナツ店が次なる目標だが、今回はドーナツ屋めぐりの体験記ではないので割愛する。
posted by 為栗 裕雅 at 00:40| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月27日

12日(土)B 地方都市としての新津

 亀田駅前支店からアピタまで徒歩約20分。アピタ内のドーナツ店ではちょっと長めに40分ほどコーヒーブレイクの時間をとった。ゆっくりしたかったというのももちろんあるが、最大の理由は雨である。宿を引き払う前に見てきたテレビの天気予報では、今日は昨日に引き続き天気が崩れると言っていたが、まさに予報的中で、私はアピタの建物に入る寸前から土砂降りの雨に見舞われたのである。降るなら降るで、俺が屋根の下に入るまで待てないのかよ、と愚痴をこぼしつつ、雨が小やみになるのを待った。
 11時半を過ぎて、雨足が少しだけ弱まったようである。店を出て、広大な駐車場を通り抜けてもとの駅前通りへ。大駐車場の通路には雨よけが設置されているが、テントの位置が高すぎて「ないよりマシ」程度でしかない。設置するにはそれなりに金がかかっているはずで、どうせ金を使うのならもっと有効な雨よけにして欲しいと少し思った。
 駅に通じる道を東に歩く。典型的なロードサイドの風景。おととい佐渡の佐和田地区で見たのと同じ「ファスト風土化」した風景といえる。駐車場を完備した店舗が多数建つが、駐車場の片隅に除雪した雪が積み上げてあるところがこの時期の新潟独特といえようか。こうした道を2kmも歩いてくると、亀田駅前支店が駅から歩いて10分かかっても「許そう」という気になるから不思議である。

 朝来たときに重機で解体途中であった駅前の木造家屋は、再び駅に戻ったときにはすっかり瓦礫の山と化していた。亀田12:13発、長岡行き普通列車に乗車、新津に12:24に着いた。新津市での3か所の目標は、旧市街(第四銀新津支店)と郊外(同新津南支店、MD「新津原信SC」ショップ)である。
 新津駅は2003年12月に竣工した橋上駅舎で、どの部分をとっても真新しい。2003年9月、北海道へ行った際にこちらを回り、新津で磐越西線に乗り換えたが、そのときはまださっきの亀田駅のような仮駅舎であった(当然か)。
 新津駅に着くと、雨は雪に変わっていた。傘をさそうとしたが、傘もさせないかと思われるほどの突風にあおられる。うまく風をかわして傘をさして、先へ進む。
 新津駅舎はピカピカだったが、駅の外に一歩出ると、そこはもう寂れた商店街が続く典型的な地方都市の風景であった。駅前通りの両側に続くアーケードはシャッターを閉ざした店ばかりで、たまに開いている店でも商品は歯抜けの状態である。それでも都市と郡部との違いはある。新津駅周辺には消費者金融の支店が複数展開している。郡部およびつい最近まで郡部だった地域、たとえばさっき行った亀田や、私が2005年4月頭に行った中条とか水原とかの駅前には、消費者金融の店はないようだった。
 駅前の本町2丁目交差点で右折。駅前通りと同様の商店街に入るが、こちらの方がまだ比較の問題として繁華なようである。第四銀行新津支店は、道の右側にさりげなく店を構えていた。さりげなくと言うより、アーケードの下では自社ビルも棟割り長屋も同じにしか見えない。入金操作2回で、新津支店を制覇した。
posted by 為栗 裕雅 at 01:57| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月28日

12日(土)C 鉄道の町としての新津

 次の目標は、新津駅の南西、新津市役所南側にある「新津原信ショッピングセンター」である。原信は長岡を中心に新潟県央で展開する食品スーパーで、ウオロクとともに新潟の地元スーパー大手である。
 このSCに、第四銀は新津南支店を構えている。事前のリサーチの過程で、新津南支店は地図サイトでどうしても場所が出てこなかった。佐渡の佐和田支店の移転先もそうだったが、地図サイトで所番地を入力して検索する場合、どうやら新規開発された場所に弱いようだ。新津南支店の場合は、番地を削除して地名だけで再度検索をかけてみると、新津市役所と原信SCの近くにポインタが表示された。私が探しているのは銀行であるから、こういう場合、SCという集客施設を疑うのが定石である。電話で問い合わせてみると思ったとおりで、新津南支店は原信の敷地内にあるという。そしてもう一つ、ミスドの「新津原信SC」ショップがここにある。というわけで、目標は2つだが、目的地は実質1か所ということになる。
 「原信」に向けて旧市街をさらに南に進んでいく。第四新津支店の旧店舗とおぼしき古めかしい銀行建築が現支店の南に立っていて、地域の老人の集会所みたいな形で現役で使われている。ちょっと入ってみたが、どんよりとした空気に耐えかねてすぐに退散した。
 新津支店前の道は、南に下ってくると、古めかしい欄干のついたコンクリート橋で線路をオーバーパスしている。原信は橋を越えた先にあるはずである。小雨の中を歩いていく。既に商店街は終わり、このあたりは住宅地である。橋の上から、大規模な工場が見える。たぶんJRの新津車両製作所だろう。
 大光銀行の新津西支店と自動車教習所がある交差点で左折。このあたりから、水田を埋め立てて再開発したらしい地区となる。道路の反対側、つまり西側には空き地も多いものの、東側はこぎれいな住宅地が広がっている。遠く前方に、茶色い外壁の、この付近では階数の多いビルが見える。地図からするとあれが新津市役所のようだ。すぐそばまで近づいて来たように見えるが、平らな場所にそそり立つ目標が必要以上に近距離に見えるのは、昨日新潟県庁に行くときに体験済みだ。
 雨の中、大きな工場の敷地の脇を歩いていくと、フェンスの向こうに見慣れたものが見えた。工場敷地の南端近く、フェンスの向こう側に、いかにも倉庫といった感じで装飾のない建物が建っており、建物と敷地南端との間のわずかな隙間に細長いものが縦列に置かれている。ステンレスでできた、高さと幅が3m程度、長さは約20mの箱が、台車に載せられている。箱の地面に近い部分には絞りが入ってすぼまっている。箱の真ん中辺の高さでガラス窓が並んでいて、両開きの引き戸も片面に4つついており、窓の下には黄緑色の帯が貼られている。「見慣れたもの」というのは正確に言うと「東京在住の私には」ということで、新潟県の人には見慣れていないものだろう。置かれていたのは、山手線の電車であった。旧型車両との取替えがこの春完了した山手線の「E231系」と呼ばれる新型電車。ここ新津市の新津車両製作所で製造されているのだ。
 新津市にJRの工場があるのは、信越本線から羽越本線、磐越西線が分かれるこの地が、古くから車両の整備や施設メンテナンスの重要拠点となってきたからである。鉄道自体が巨大な装置産業で、かなり大がかりな施設を必要としており、こうした施設が「鉄道の要衝」といわれる場所に立地するのは当然である。JR東日本でいうと新津のほか大船・大宮・郡山・秋田などの車両工場があるが、いずれも複数の路線が分岐する大駅を擁している。
 新津市はJR東の他の工場所在地とは異なり、現在では車両工場以外にめぼしい産業を持たない。ということは、鉄道は新津の栄枯盛衰を支える基盤だったといえる。はずなのだが、新津市内を歩いていると、「鉄道の町」にしては鉄道をあまりにないがしろにした町づくりが進められてきたように思えてならない。よその地方都市あるいは郡部と全く変わらない、自動車に依存した町づくり。市役所が水田地帯の真ん中にあるという事実そのものが、それを象徴している。地方都市の没落は、旧市街にあった公共施設や集客施設を片っ端から郊外移転してしまったことから起きたのだから。他の都市はともかく、新津の中心市街地が全く同じスタイルで没落しているのは、市の指導者に自覚が足りなかったか、さもなければ力量不足だったのではないか。この文が発表される2005年4月に新津市は存在しないから、敢えて気楽に批判的見解を述べておく。

 話を戻す。市役所まで来ても、南側にあるはずのショッピングセンターは姿が見えない。さらに南に歩みを進めて、ようやく実状を理解した。「ショッピングセンター」という言葉から、私は、近年地方都市にドカドカ新設されているイオンのモールのようなものを連想していた。巨大な建物の中に一つの「町」を作り出してしまうスタイルである。最近そういう商業施設にばかり行き過ぎていたのかもしれない。新津原信ショッピングセンターは、もちろん敷地としては一定の大面積を持つのだが、敷地の端の部分に平屋建ての店舗が数軒コの字形に並んで張り付いているだけだったのである。一応の核になっているのはスーパーマーケットの原信だが、原信はもちろんのこと、回転寿司やラーメン屋など、ほぼ「1業態1棟」で独立した建物が並んでいる。で、敷地の南西隅に第四銀行新津南支店、北東隅にミスタードーナツ新津原信SCショップがあるというわけだ。
 第四の新津南支店は、銀色の波板を貼り詰めた壁面とアルミサッシという、それなりに一貫した設計思想の建物であった。悪天候のせいもあってか、広々としたキャッシュコーナーに人の気配は全くない。私は一人ATMを操作、制覇作業を無事完遂したのであった。
posted by 為栗 裕雅 at 00:47| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月29日

12日(土)D 落ち穂拾い、そしてさらば新潟県

 原信敷地内の回転寿司屋で昼食、そのあとドーナツ屋でコーヒーブレイク。もちろんドーナツ店の制覇も兼ねている。入った寿司屋が最悪で、大荷物を抱えた私を一番奥の席に案内するし、回っている寿司の一部は乾いているし、1皿の最低価格は120円だし(もっと安い店を渋谷で知っている)、ネタもいまいちだし、おまけに私は7皿しか食べていないのに、伝票には「17皿」と書いてあったのである(さすがに直させたが)。せっかく高い寿司を食べたのだから、十分に疲労回復をするつもりだったのだが、かえって疲労困憊してしまった。腹立ちついでに。この店は「日本海側第1位」を標榜していた(何についての1位かは忘却)。私が退職した塾も「■■県生徒数1位」と自慢していたから、まあ「1位」を標榜するような店や会社にロクなものはないということなのだろう。
 さて、現在時刻は14時少し前。予定では新津を14:34に出ることになっている。復路は往路より短時間でケリがつくとはいえ、そろそろ出ないとやばいだろう。
 ミスドの女子高生バイトに駅までの最短コースを尋ね、いざ出発。さっきJRの工場づたいに歩いてきた道は、やけに立派な歩道がついていると思ったら、暗渠(流れている川に蓋をしたもの)であるようだ。あとで電車の窓から別の場所を見て気づいたのだが、どうも新津市では川という川に蓋をしてしまっているようである。
 JRの工場を通り過ぎ、さっきの大光銀行と自動車教習所の角までやってきた。ここで右に曲がると旧市街、つまりさっき通ってきた道である。今度は駅に直行だから、直進する。この教習所は「新津城」の跡地に作られたものだそうだ。新津城は山谷城ともいい、江戸時代になる前に廃城になったと立て看板にあった。
 車教の敷地の切れ目から、斜め右前方に細い道が延びている。やはり川に蓋をしたもののようである。この道が駅までの最短コースであるらしい。このあたりは、昭和40年代に開発が進んだと見られる住宅地である。ところどころで雪を積み固めて放置してある遊歩道のような道を進んでいくと、前方がぽっかり開け、いかにも橋上駅舎といった感じの建物が見えた。もちろん新津駅であった。

 信越本線は信濃と越後とを結ぶ線ということだが、もともとは群馬県の高崎から碓氷峠を越えて長野から直江津へ、さらに長岡から新潟まで延びてくる路線であった。長野新幹線の開業により、JR在来線としての信越本線の区間は高崎−横川間と篠ノ井−新潟間とに分断されてしまったが(横川−軽井沢間はバス転換、軽井沢−篠ノ井間は第三セクター)、現在でも長野県北そして新潟県上・中越地方のメインラインとして重要な役割を担っている。新潟を出発し、中越地方を貫いて上越市の直江津までやってきた信越線は、左、つまり南にそれて山に分け入っていく。まっすぐ海沿いを行くのは北陸本線である。山に分け入った信越本線は、上越市の南側の重要都市を通り抜けて長野県に至る。その重要都市とは、この4月に「妙高市」と名前を変えた旧新井市で、JRは新潟から新井までの直通列車を古くから走らせている。
 新潟14:18発、快速「くびき野2号」新井行き。この列車は「485系」と呼ばれる特急型の車両を使ったオールリクライニングシートの高級な列車で、新潟を出ての停車駅も新津・加茂・東三条・見附・長岡…と特急並みに厳選されている。だが、快速であるので青春18きっぷで利用できる。
 この列車は、新津を14:34に出た。私は今、この列車の乗客である。リクライニングシートを倒して少々大名気分に浸っているが、寝過ごすわけにはいかないので熟睡はできない。私は何としても長岡で降りなければならないのだ。新津であれだけ私を苦しめた雨雲は、見附あたりに来るともう消え去っていた。新潟県はやはり広い。
 15:16に長岡到着。バスの時刻は前回長岡へ来たときに調べておいた。市役所の方角に行くバスは、駅前のバスホームから15:25に出るとわかっている。数日ぶりの越後交通バスである。長岡を出るのは16:06。つまり、持ち時間は40分ということになる。
 駅前を出たバスは、市街地から南の方向へ進む。表通りをまっすぐ進んでくれればよいものを、結構裏道を縫うようにして進む。運転士には「市役所のそばの第四」に行きたいと伝えてある。10分以上走り続けて少々焦りを感じ始めた頃、市役所前支店の最寄り停留所となる「幸町」にようやく到着。長岡市役所前支店の制覇自体はあっさり終わった。市役所前というか、市役所の分室となっている、昭和30年代築とおぼしき古い鉄筋コンクリートの建物から見える位置に支店はある。
 制覇はともかくとして、問題は長岡駅への帰還である。現在時刻15:40。数少ない上越線の普通列車の発車時刻まで、あと25分しかない。とにかく大急ぎで駅に戻ろう。帰りのバスがそんなに都合よく存在するとは思っていなかったので、帰路は徒歩にする。
 支店前の道路を市役所とは反対側へ。後で地図を見ると東に向かっており、少し遠回りしたことになるが、私は北にまっすぐ向かったつもりでいた。やがて、JRの操車場にぶつかったところで道が突き当たった。操車場の向こう側には上越新幹線の高架も見える。新幹線高架があるのだったら、それに沿って歩いていけば長岡駅にたどり着くはずだ。
 長岡市の雪の降り方は、新潟市とは全く違う。新潟市では駐車場の隅などに除雪した雪を積み上げて山になっている程度だったが、こちらではちょっと使われていない土地があると、70cm〜1mくらいは確実に積もっている。必要ない場所は除雪もしないわけだ。降雪量の多さを反映して、新潟市周辺では一部の民間駐車場ぐらいにしかない融雪パイプも、ここ長岡市内では公道部分にほぼ完全整備されている。数日前の長岡新産センター支店制覇の際に経験した「歩道部分に残る雪」を、ここで再度経験することになった。勘弁してくれ、今回は16:06の電車目指して急いでいるのだ。
 線路沿いに北に歩みを進める。ちょうどバス停とバス停との間で、長岡駅行きの路線バスが後から追い抜いていった。操車場に入る道の曲がり口には「南長岡駅→」の看板が取り付けられている。一瞬あれっと思ったが、南長岡駅とはJRの貨物ターミナルである。バスといいJRといい、全く急ぎの役には立ってくれないものだ。それでも、千里の道も一歩からというのか、長岡駅は着実に近づいてきている。建物が少しずつ密になり、前方に「イトーヨーカドー丸大」と「富山第一銀行」の看板が見えてきた。少しホッとした。どちらも所在地は長岡駅の真ん前である。
 4日間におよぶ「大・第四めぐ行」は、これにて全スケジュールを終了した。4日間に及ぶ第四銀行制覇の戦果は33か所(9日7か所、10日5か所、11日16か所、12日5か所)であった。これにより私は、JR上越線沿線の全店、長岡市内の全店、佐渡島内の全店、旧新潟市の越後線全店、それに新新潟市の信越線沿線の一部を制覇したことになる。累計では52か所となるが、全134か所(日和ヶ丘を含む)のうち4割弱に過ぎない。まだまだこれからである。

 16:06発、普通列車水上行きには、発車4分前に乗り込むことができた。列車が動き出すと同時に、鉛色の空から激しく雪が降り出した。

[3月12日篇 おわり]
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2005年04月30日

エピローグ 東京支店を制覇

2005年3月16日(水)

 4日間の「エピローグ」に相当するものとして、東京支店を制覇してきた。
 第四銀行めぐりの醍醐味は、取引を実施した店名が通帳に全部記帳されるところにある。同様のサービスを行っている銀行は、りそな・埼玉りそな、大垣共立など他にもあるが、これらの銀行はすべて、通帳記帳をATMでしても窓口でしても変わらない。ところが、第四銀行のシステムは少し変わっていて、取引店名の記録は漢字で記帳される場合と半角カナで記帳される場合とあるのだ。めぐラーとしてはもちろん前者を望むわけだが、この場合、窓口の営業時間中に窓口で記帳を依頼しなければならない。ATMで記帳すると、店名は全部半角カナ文字になってしまう。私は東京都内在住なので、窓口を利用するには都内ないし近県の支店に行かなければならない。
 新潟市に本店を置く第四銀行は、現在関東地方に東京・池袋・横浜・大宮の4支店を構えている。「12日篇」の最後で、これまでの第四銀めぐの成果を整理してみたのをご記憶だろうか。そこで私は「JR上越線沿線の全店、長岡市内の全店、佐渡島内の全店、旧新潟市の越後線全店、それに新新潟市の信越線沿線の一部を制覇した」と書いた。この中に「新潟県外の全店」が含まれていないのはなぜだろうか。理由は簡単、まだ全店制覇していないからである。札幌だの富山だの「関東地方以外の県外店全店」を制覇した東京都内在住の私は、東京支店をまだ制覇していないのだ(池袋は行った)。
 これではムムムというわけで、窓口での記帳を兼ね、日本橋にある東京支店の制覇を行ってきた。

 地下鉄銀座線で三越前へ。地上に上がると、国の重要文化財・三井本館と重厚な三越本店とが前方に並んで鎮座している。今歩いている中央通りは国道4号線で、国道の指定区間はほんの数百m南側の「道路元標」を起点に始まっている。道路元標は日本橋、つまり江戸幕府開幕の頃に日本橋川に架けられた橋の真ん中にあって、日本の国道の原点となっている。第四の東京支店に入ったことは一度もないが、中央通りの南端、三越新館の向かい側にあるのは知っていた。よって、道路元標のある「日本橋」の方向に、左に向かって歩き出す。
 日本橋らしく、海苔や鰹節を扱っている乾物屋の看板が目に付く。また、この付近には地方銀行の東京支店も多い。今出てきた「A9」の出口そばには地図によると東北銀行(本店盛岡市)の東京支店があることになっているし(移転済み)、A9出口の隣りは千葉銀行の東京営業部である。「営業部」と偉そうな名前になっているが、逆に普通の支店と比べると機能(おもに個人客向け)が絞られているそうで、法人取引が多いため本部直轄の店舗として「営業部」という名前になっているという。東京支店にあたる店が千葉銀と同様「東京営業部」である八十二銀行は、英文呼称を「Tokyo branch」ではなく「Tokyo main office」としている。
 お昼を過ぎているが、人通りは多い。人混みの中を歩いていくと、新築間もないビルの1階に「日本橋・にいがた館」というのがあった。純白の内外装がいかにも新しい。ここが目指す「だいし東京ビル」である。第四銀の東京支店は昨年7月に新築したばかりで、自社ビルであるのだが自分の店舗と事務所はビルの3階以上に上げてしまった。黙っていても客の来る銀行は空中店舗にしておき、1・2階を新潟県に貸して賃貸料でガッポリ稼ごうというわけである。県はここを県内企業の首都圏での基地として展示ホールおよびレンタルオフィスにしており、それが「日本橋・にいがた館」なのだ。なお、近所には島根県がアンテナショップを出している。
 ビルの上層階にある銀行店舗のことを「空中店舗」という。地方銀行の東京支店は法人取引が主体のため、ATMを廃止して(廃止しない場合もあるが)ビルの上層階に移転してしまうケースがバブル崩壊以降相次いでいる。現在、新潟3行の東京支店は、すべて空中店舗である。
 さて、「日本橋・にいがた館」の脇にあるエントランスから、エレベータで3階に上がる。第四銀行東京支店のあるフロアには、ごく普通のオフィスと同じような感じのドアがあり、そのドアの横にマンションの管理人室の受付のような小さな窓がついている。「受付のような」と書いたが、実際に「受付」のプレートが出ている。客はインターホンで中の行員を呼び出し、対応してもらうというスタイルである。
 第四の東京支店は、どうも窓口のシステムがうまく機能していないように見える。一言で言って、客の数が多すぎるのである。次から次へと客がやってきて、インターホンで呼び出すまでもなく行員は事実上窓口に出づっぱりで、はっきり言うと下手な県内店舗よりよっぽど混雑している。窓口で受け付けた用事を後方の行員に回すのもふつうの営業店と変わらず、奥で作業が一つ片付くごとに作業をした行員がドアを開けて中から出てきて、客に書類や現金などを渡している。ドアは押しボタン式番号鍵のついた本格的な鉄扉だからいちいち面倒くさいだろうし、後方の作業スペースから客の待つ場所(通常の営業店ならロビーに相当する場所)は見えないから、ブツを違う人(同じ苗字の別人など)に渡してしまったりするケースもあるかもしれない。客が滅多に来なければそれで良いかもしれないが、日本橋の一等地にある新潟県のトップバンクがこれでは困るのではないだろうか。空中店舗にするのはいいが、素直にオープンカウンターに改装してATMも設置すべきだろう(この後に行った北越銀の東京支店は、ATMこそないもののオープンカウンターになっていた)。
 というわけで、私の用事は、前の客が行員との話を終えるのを待ってからとなった。もちろんインターホンで通話する必要はない。私の用事は、現金の引き出しである。先週金曜日の夕方以降、第四銀めぐでは制覇のための取引を全て「入金」で行っている。南新潟支店以降の制覇箇所数×2000円だから、結構な金額である。入金した現金を引き出さないと、手持ちの流動性資金が(カッコつけずに言うと生活費が)足りなくなってしまうのである。
 東京支店にATMはないが、行員に尋ねてみたところ、出金伝票とともにキャッシュカードを出し、暗証番号を行員に伝達すると、出金の処理をしてくれるという。ずいぶん前に、やはり空中店舗だった足利銀行の仙台支店(現存せず)で同様の処理をしてもらったことがある。数分の後、行員が現金とキャッシュカードをトレイに乗せて持ってきた。とりあえず「取引」という意味では、東京支店をこれで制覇したことになる。
 客は相変わらず切れ目なく支店を訪れている。窓口に出ている行員がさっきと違う人であるのを確認してから、今度は通帳を差し出して記帳を依頼した。数分の後、「東京支店」で終わる大量の記帳を済ませた通帳が、行員から手渡されたのであった。

[3月16日篇 おわり]
posted by 為栗 裕雅 at 02:45| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月21日

4月7日(木)@ 東京→鶴岡、480kmの大移動

2005年4月7日(木)

 3月上旬に買って新潟県をかけずり回るのに使った「青春18きっぷ」は、結局その後1日分も使わないまま有効期限切れを迎えようとしていた。この間、新潟とともに行きたいと思っていた岐阜市・名鉄美濃町線沿線の大垣共立銀行めぐりは、3月中に行けないままに終わり、美濃町線を含む名鉄の600ボルト区間は全廃されてしまった。
 というわけで、3月のめぐ行により、せっかく第四銀行と新潟県について詳しくなりかけたことでもあるし、もう1回時間を割いて新潟県の制覇に行こうか。そう思い立ったのは、6日(水)の午前中であった。
 前回と異なり、上越線の夜行列車は運転を再開しているから、新潟への移動は迷うことなく夜行快速の「ムーンライトえちご」である。この列車は新潟到着がちょっと早すぎるため、銀行の営業時間も勘案した結果、山形県庄内地方の中心地・鶴岡市まで足を延ばして、ミスタードーナツを1店だけ制覇することにした。鶴岡まで行くことで、今回の「第四めぐ」は必然的に新潟県北部に限定されることになった。それなら「新潟県北、第四めぐ総なめ」といこう。というわけで今回のプランでは「羽越本線の沿線を完全制覇する」という目標を立てた。かくして、旅程は次のとおり決定した。

新宿(6日)23:09(MLえちご)
→(7日)04:51新潟04:57→05:50村上05:59→07:37鶴岡(MD鶴岡駅前)
鶴岡09:14(いなほ6号)→09:45府屋(山北支店)
府屋11:08→村上11:55(村上支店)
安良町13:04(新潟交通北:路線バス)→13:22岩船上大町(岩船支店)
岩船上大町13:39(新潟交通北)→13:57村上駅/村上14:57(or岩船町15:02)→15:09坂町(坂町支店)
坂町15:53(いなほ10号)→15:59中条(中条支店)
中条16:32→16:44新発田(新発田東支店・新発田支店)
新発田17:49→18:10水原(水原支店)
水原18:57→新発田19:19(MD新発田駅前)
新発田22:49→23:23新潟23:35(MLえちご)→8日(金)05:10新宿

 自宅は6日夕方に出発、郊外の駅で指定券を買い、ミスドで適当に時間をつぶして、列車の時間に合わせて都心に向かった。特急型車両を使用した夜行の快速は、ボックス一つ占領できるほどではないものの、一人でペアシート1脚を独占できる程度にすいていた。
 新潟に7日の午前4時51分に到着、同じホームの反対側に停まっている快速村上行き(04:57発)に乗り換える。乗り換えた車両は「走ルンです」の異名を持つJR東日本の軽量ステンレス車両、E125系であった。通勤輸送用のロングシート車両であるから、特急車両のような快適さは望むべくもない。「ムーンライトえちご」は、現在は新潟止まりとなっていて、新潟から先に向かうには今回のように早朝の乗り換えを強いられることになるが、以前は村上行きの電車だった。それは、直流専用の車両を使っていたため、羽越線の直流電化の最北端となっている村上より先には乗り入れられないという事情があったからである。せっかく交流電化区間にも乗り入れられる485系という特急電車を使っているのだから、酒田(山形県)あたりまで運転して欲しいところなのだが、たしかこの型の車両に交代すると同時に新潟止まりになったと記憶している。
 村上で、酒田行きの普通列車に乗り換える。4両編成のディーゼルカーである。羽越本線は全線電化されているが、ここ村上を境に直流電化と交流電化に分かれる。交流電化は、変電所の数が少なくて済むために直流電化よりも電化のコストが安いというふれこみだったのだが、JRの電化方式が直流主体となった今となっては果たしてどうなのだろうか。ともあれ、電化されている区間しか走らないにも関わらず、村上から先の普通列車は全てディーゼルカーである。車窓の風景も村上からガラリと変わり、それまでの豊穣な越後平野の水田地帯から一転して、荒々しい日本海に臨んだ地形の険しいコースとなる。新潟県と山形県との境を越えるため、国境越えの常として普通列車でありながら検札がやってくる。こうしたところが旅情と言えようか。
 鼠ヶ関から山形県に入る。それまでほとんど動きのなかった車内は、山形県に入ったとたんに高校生がぞろぞろと乗ってきて、1駅ごとに少しずつ賑やかになっていった。この列車は鶴岡に07:37、酒田に08:18に着くから、ちょうど通学の時間帯にあたっている。私は今、4人掛けのボックスシートに荷物を置いて足を伸ばしてふんぞり返っているが、混雑度が増してきたら撤収しなければならないかもしれないと思って覚悟を決めていた。しかし、車内の混雑度はそれほど上がらない。それなりに立ち客がいるものの、座席に座らない客(ほとんどは高校生である)も多いから、乗客の数で言えば全部の座席がかろうじて埋まる程度。一応ラッシュアワーのはずだが、データイムの山手線よりよほどすいている。昔は通学時間帯の列車はもっと混雑していたように思うのだが、やはり過疎化と少子化が進んで通学する高校生の数も減っているのだろう。そういう混雑率のまま、列車は07:37に鶴岡に到着した。
 鶴岡駅前に出る。駅前には大ショッピングセンターがそびえるが、看板の文字などは剥がされていて、営業していないことがわかる。看板からは「JUSCO」の店名が読み取れる。後で調べたところでは、この店は3月20日に閉店したばかりの「ジャスコ鶴岡店」であった。地方都市では、旧市街の総合スーパーが郊外のロードサイド型モールに取って代わられる形でドカドカ閉店しており、鶴岡店はジャスコの別の郊外型店舗に客を吸い取られて客離れが加速したようだ。道路をまたぐ連絡通路まで備えたジャスコ鶴岡店のツインビルは、駅前の再開発により1985年3月に開店したそうで、こうした比較的新しい店までスクラップアンドビルドの対象になるかと思うと、つくづく地方都市の商業環境の厳しさということを思う。ミスド店の制覇を兼ねて、コーヒーとドーナツのモーニングセット、それにミートボルシチで朝食を済ませる。鶴岡でのミスド店制覇は、旧ジャスコと同じ交差点にある「鶴岡駅前ショップ」。客席からは、閉店したジャスコのうらぶれた佇まいがいやでも目に入る。
 午前9時。銀行窓口のオープン時間であり、私がこの日ミスドを出た時間でもある。いよいよ第四銀めぐに出発する。もともと列車本数の少ない羽越本線、その中でも列車本数がさらに減る県境を通過するので、今回はどうしても「青春18きっぷ」では乗れない特急をプランに組み込まざるを得なかった。乗車券と特急券を、窓口で購入しなければならない。鉛色の雲の隙間からところどころ太陽がのぞいているが、それでも小雨がぱらついている。雨の中を、鶴岡駅出札窓口へ急ぐ。鶴岡の発車は09:14の予定である。
posted by 為栗 裕雅 at 10:05| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月23日

4月7日(木)A 新潟県最北端の町・山北へ

 鶴岡を出るときに降っていた雨は、新潟県境までは及んでいないようだが、それでも車窓から見える空は鉛色の雲がどんよりとたれ込めている。行きの普通列車からも見た風景ではあるが、改めて日本海に目を移すと、泣き出しそうな雲の下で白い波がたけり狂っているのがわかる。特急のガラス窓は完全に固定されているから、見えるものはすべて外界の出来事に過ぎない。
 私は、新潟行きの特急「いなほ6号」に乗っている。鶴岡を出て30分ほどの乗車で、鶴岡から二つ目の停車駅・府屋に到着した。府屋駅は新潟県の最北端、岩船郡山北(さんぽく)町にあり、新潟県で最も北にある駅である。山北町は1955年に5村が合併してできた山北村が町制施行した町で、新潟県で最も北に位置する地方自治体である。ここに、第四銀行は山北支店を置いている。第四銀の新潟県内店舗のうち、山北支店が最も北に位置しており、ここより北は札幌まで第四の店舗はない。
 府屋駅で特急を降りたのは、私の他にはもう一人だけであった。改札で切符を手渡して平屋建ての駅舎を出ると、人の気配の全くない駅前広場が静かに広がっていた。駅から見えるところに雑貨屋ともパン屋ともつかない店が1軒あり、その向こうには地元・村上市の村上信金の支店も見えるが、駅前に必ずあるはずのタクシーすら1台も停まっていない。どんよりと曇った天候のせいで、必要以上に暗く寂しく感じられた。
 府屋の発車は11:08だから1時間以上余裕があるが、まずは制覇を済ませてしまおう。事前のリサーチによると、第四銀行山北支店は、駅から1km弱離れた旧国道沿いにあるということだ。駅のすぐ東側を、南北に国道7号線の旧道が通っているはずである。駅前広場を背に歩き出すと、果たして、南側から北上してきて、北東方向に緩やかにカーブする街道があった。てこてこと北に歩いていくが、通る車もなく、通行人も私だけで、交通量はあまりに少ない。道路沿いには数軒の民家が並んでいるが、家と家との間は広く、密集している印象はない。ここは町制施行しているから町なのだが、実質的には村のままのような感じである。家の並び方もそうだが、果たして「商業施設」がこの付近にあるのだろうか。駅と、駅前の商店と、駅前の信金と、道沿いの床屋ぐらいしかお金を使える場所がないようだ。
 旧国道沿いに、古びた3階建てのビルが建っている。山北町役場である。推定1960年代前半の建築であるから、ひょっとしたら村役場時代からの建物かもしれない。建物を見るだけで、この町がバブルに踊ることのなかった(というより踊りようもなかったのだろう)町であることがわかる。それにしても、第四の支店はどこにあるのか。とにかくここは「お金を使える場所」があまりに乏しい。こんな所に銀行の支店が本当にあるのだろうか。ひょっとして俺は、降りる駅を間違えたのではないか。そう思って、支店の場所を確かめるべく役場に足を踏み入れた。第四の支店があるということは、山北町の指定金融機関は恐らく第四銀行。よって、役場の会計とか出納とかいったセクションには第四の行員が詰めているはずだ。このあたりは「あさめぐ」で埼玉県内の市町村役場をハシゴしている時に得た知識である。窓口室に足を踏み入れると思ったとおりで、一番奥に第四の派出所があり、第四の緑色の制服を着た女性の行員がいた。
 行員に話しかけて、自分の降りた駅がまぎれもなく第四銀行山北支店の最寄り駅であることを確かめ、支店は町役場のさらに先にあることを確かめ、ついでに雪隠を(勝手に)借りる。山北町役場を出て、再び7号線の旧道を歩き出した。駅前からは上り坂を上がってきたが、役場を過ぎると再び下り坂になった。役場はこの付近のサミットに建っているようだ。
 それにしても人の気配がない町である。役場窓口室の奥にも執務している職員はほとんどいなかったし、もちろん来客もない。再び歩き出した道は相変わらずトラフィックがほとんどない。商業施設については、役場の200mほど先に郵便局と農協があるようだが、それ以外は民家と、原野のような空き地ばかりである。そして、やっと目指すダークグリーンの看板が見えてきた。
 山北支店の制覇はあっさり済んだ。何しろATMで現金を出し入れするだけである。支店の建物は第四の支店としてごく普通の四角い2階建てビルのようだったが、ATMは1台だけしか置かれていない。先月行った東京支店より重装備だが、恐らく来店客の数は東京支店よりはるかに少ないだろう。3人くらいいる行員は一応何か仕事をしているようだったが、ロビーに客は私以外に一人もいない状態であった。
posted by 為栗 裕雅 at 01:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月24日

4月7日(木)B 鮭の町・村上へ向かう

 支店から今来た道を駅に戻る。商業施設がない町だと思ったが、駅前の信用金庫前からつながる道は商店街になっていて、いちおう「地方の町並み」といった程度には商業集積があるようだ。
 のぞいてみた村上信金の支店は「山北支店」とはいわず、駅名に合わせて府屋支店という名前で、のぞいてみると「大きく府屋します」という看板が窓口室の壁面に掛かっていたのが微笑ましかった。いまどき銀行(類似機関)の金融商品で、大きく増えるようなものは皆無のはずだが。
 府屋駅に戻ると10時15分くらいで、予定の列車にはまだ1時間近い余裕があった。ひととおりこの町も歩いてしまったし、暇のつぶしようがない。さっきの信金も信金前から延びる商店街も、人の気配は全く感じられない。駅には客が一人だけいるようだ。ここは列車の本数が非常に少ないところだから、駅にも集客施設としての機能は薄い。
 荒涼とした雰囲気に呑み込まれたように、眠気がおそってきた。待合室にはベンチがあるが、座る人の姿はない。自分の背中を座面に倒して目を閉じると、私はしばしの眠りに落ちていった。(未完)

 時間があれば、この先も執筆して完成させたいと思っていますが…。
 いちおう、ここから先の道程をご紹介しておきましょう。

府屋11:08→村上11:55【村上支店】
(市内散策、「鮭の焼漬」を買う)
安良町13:04(新潟交通北)→13:22岩船上大町【岩船支店】
岩船上大町13:39(新潟交通北)→13:57村上駅
(駅前のジャスコ内で昼食:ファミレスでハンバーグ。不味かった)
村上14:57→15:09坂町【坂町支店】
坂町15:53(いなほ10号)→15:59中条【中条支店】
中条16:32→16:44新発田【新発田東支店・新発田支店】
新発田17:49→18:10水原【水原支店】
水原18:57→新発田19:19
(駅前の食堂で夕食:メニュー忘却。不味かったことだけ記憶)
【MD新発田駅前】
<タクシーで新津駅に送還>
新津00:06(ムーンライトえちご)→8日(金)05:10新宿

 最後に「タクシーで新津駅に送還」という妙な一文がありますが、これについてはこちらを参照。
posted by 為栗 裕雅 at 12:34| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四銀行めぐ 2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ一覧(過去の連載など)
関西みらい(5)
単発(12)
告知板(24)
大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇(62)
銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇(29)
りそめぐ2013梅雨 大阪市営バス“最長”路線[93]を行く(43)
りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇(51)
りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇(35)
りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇(8)
りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた(18)
りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動/銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇(20)
りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー(11)
りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ(47)
りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇(51)
りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
りそめぐ2007秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる(35)
2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)