2009年09月01日

2008.09.10(水)(1)プロローグ それは精神科から始まった

りそめぐ2008初秋
湘南セプテンバーストーリー


 今回の行動範囲

 百聞は一見に如かず

 生活上のもろもろで少し参ってしまい、小田急線の某駅前にある精神科にかかりに行った。初診は先々週で、2週間後に来るように言われていたのだ。
 今日受診する前からわかっていたことではあるのだが、私は「精神科的には何ら病気とは認められない」という結論に達してしまった。快眠快食をしている私は、精神科的には病気ではないのだそうである。精神病というのは「食う」「寝る」という生物の基本的なところに重大な影響が及ぶから病気であるのだという。
 もう1つの悩みごとである睡眠時間についても今回相談していたのだが、全く相手にはしてくれなかった。私は平均して1日8時間の睡眠を摂っているが、これは長過ぎると思っていて、もっと削りたいのである。しかし、中年男性の精神科医からはそれに対しても「そんだけ寝てりゃいいんじゃないですか」とバッサリ切り捨てられてしまった。そこまで言わなくてもいいのにと思うが、むしろ精神科医の立場からは、精神科を受診するような不安定な精神状態の者を説得するには、キッパリ言い切らないと到底無理なのであろう。
 いずれにしても、私は、精神疾患とは縁のないお気楽な生活を送っているようだ。

 私のスケジュールはカレンダー通りの進行ではないので、水曜日の今日は休日である。精神科のクリニックから憮然として駅に戻ると、ちょうど下りの快速急行が出るところで、ついフラフラと乗ってしまった。というわけで、私は今、快速急行が着いたばかりの小田急藤沢駅2番ホームにいる。現在時刻は13:25。小一時間の乗車であった。
 藤沢に来るのはずいぶん久しぶりである。何の計画も目的もなくふらっと来てしまったが、この近辺のりそな銀行の支店は、写真をまた撮り溜めていないことに気がついた。せっかく来たからには、藤沢支店を皮切りに少しだけ「めぐ」を試みることにしよう。小田急江ノ島線藤沢駅のホームは、JR東海道線藤沢駅の南側に隣接していて、改札を出ると南口にストレートに出ることになる。まずはウォーミングアップとして、南口にある旧藤沢中央出張所(旧大和銀)の跡地を見て、駅の北口にある藤沢支店(旧あさひ銀)を取る。その後、大船支店(同)と西鎌倉出張所(同)ぐらいは制覇できるだろう。行政区域でいうと神奈川県藤沢市・鎌倉市での「めぐ」ということになる。
 ホーム終端、車止めの前にある小田急のメイン改札を出た。「某駅」からいくらであったかは伏せるが、新宿からでも570円だから、小田急という私鉄はどうも安いのか高いのか分からない。ただ、近距離で乗ると高いとだけは言える。プラットホームの高さ分だけ階段を下りたところが藤沢駅南口のロータリーで、バスターミナルとタクシー乗り場がある。ロータリーの回りには、制服を着た高校生がこの時間にもかかわらず多少いた。しかし、全体としては中年以上の人が多くて、あまり若い人はいないようだった。
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2009年09月02日

2008.09.10(水)(2)リテール激戦区の藤沢駅南口

 駅前から見えるところに銀行が数軒ある。駅施設の南側、駅ビルにあたる建物には住友信託銀行の藤沢支店が入っている。ロータリーの一番西側に建っているビルには、横浜銀行(藤沢中央支店)と新生銀行(藤沢支店)がある。南側には小田急百貨店がメインテナントとなった江ノ電(江ノ島電鉄)藤沢駅ビルがあって、中央三井信託銀行の藤沢支店(旧三井信託)が入っている。駅前からちょっと離れたところに、三菱UFJ信託銀行の藤沢支店(旧三菱信託)がある。富裕な住民が多いという地域の特色を反映して、信託銀行や旧長期信用銀行の支店が多く目につく。新生銀は日本長期信用銀行の時代からあったし、かつては日本興業銀行の支店まであった(みずほ発足と同時に旧一勧店に統合)のである。
 もちろん普通の銀行もないではない。日興コーディアル証券が4階に入ったビルには、3階のデッキ沿いに東京スター銀行がある。藤沢支店だそうだ。東京スターも関西アーバン銀行などと同様に店の立地条件を見直している銀行で、藤沢支店は2005年4月に辻堂支店が移転改称したものである。ロータリー東側に目を転じると三菱東京UFJ銀行(藤沢支店、旧三菱銀)。ビルの名前からしてダイヤモンドビルで、絵に描いたような三菱店舗である。というわけで、藤沢では駅の南口を一瞥しただけでこれだけの銀行店舗を目にすることができる。鵠沼(くげぬま)など戦前から続く高級住宅地を控え、富裕層を相手にしたリテール激戦区ということなのだろう。

 ロータリーからは、北・東・南東・真南と4方向に道が延びる。南東側に「南口本通り商店街」という看板が見える。ナントカ本通りという名前の商店街は関東では珍しい気がするが、とにかくそこを真っすぐ行くと、右側にあさひ銀行時代から続くりそなの店舗外ATMがあり、昔はその近所に東海銀行と大和銀行の藤沢支店もあった。江ノ電のビルに沿って直角に行く道はファミリー通りという名前になっているらしいが、通りのこうした名称が地元で定着しているかは知らない。
 南口本通りは、車道部分の道幅が3車線分くらいあるが、実質は対面2車線の道だろう。頻繁に十字路となるので、右折車線が頻繁にこちらに来たりあちらに行ったりする。歩道の両側には10階ぐらいの高さを持つ雑居ビルが軒を連ねている。1階の店舗は、ヘアカットの専門店とか消費者金融(レイク)、メガネ屋(メガネスーパー)、牛丼屋(吉野家)、洋風の焼肉屋(ペッパーランチ)といったナショナルセールスのチェーン店ばかりだ。
 雑居ビルの壁面にりそな銀行の袖看板が見えた。店舗外ATM[藤沢駅南口]である。このビルはアドアーズという24時間営業のゲームセンターが全体を埋め尽くしている。以前はゲーセンではなかった気がするが、テナントが変わったのだろう。キャッシュコーナーに入ると、内装はあさひ時代のパイプ形デザインで全然変わっていなかった。3台分のATM枠に、富士通ファクトAが2台。「お預け入れ」「お引き出し」の行灯は、ATMの置いてある2枠だけ、あさひ銀時代後半期に標準的だった赤いプレートに変えてある。そして、使っていない一番右側は、それ以前の青いプレートのままになっていた。だから、青いプレートの時代にキャッシュコーナーが開設され、赤いプレートに変わったけれども、現在の標準である緑色には換えていない、という状況である。店内に藤沢支店までの案内地図が掲示してあるのは旧協和銀行のセンスで(これは良いセンスだと思う)、「あさめぐ」で来たことのある拠点だけに少し懐かしく感じた。店舗外ATMでの取引が通帳に「その店名」で記帳されなくなって、もう6年も経ってしまったのである。
 店内には「平成18(2006)年7月」付のポスターがいまだに貼ってあった。「戸塚支店藤沢中央出張所は藤沢支店と同一店舗内にて営業しておりましたが、平成18年7月14日(金)の営業終了をもちまして藤沢支店に統合させていただきました。」戸塚支店藤沢中央出張所は旧大和銀行の藤沢支店だった店で、このATMから3軒ほど駅寄りに戻ったところにあった。大和銀藤沢支店は1980年9月に開設され、2002年2月に戸塚支店の藤沢出張所に変更された。2003年1月、あさひ銀行との合併を前に藤沢中央出張所に改称され、2004年1月に旧あさひ店の藤沢支店内に移転した。藤沢支店への統合は上記のとおり2006年7月18日である。
 なお、本通り商店街をもう少し歩いていくと、近所には東京電力やSMBCフレンド証券などがある。その先、南藤沢交差点には以前から三和銀行の藤沢支店があったのだが、三菱東京UFJ銀行南藤沢支店として現在も盛業中であった。駅前に「B店」があるのに、「U店」もまだ営業していたのだ。富裕層の多い特別な地域だから、ということなのだろうか。少し驚いた。
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2009年09月03日

2008.09.10(水)(3)藤沢支店を制覇

 ウオーミングアップは終了である。北口にある、藤沢支店を取りに行こう。
 今来た道をとぼとぼと歩き、藤沢駅まで戻ってきた。南口のペデストリアンデッキは橋上駅舎にそのままつながっていて、そこを通らないと向こう側には行けないようになっている。駅舎に入ってすぐのところに、江ノ電のインフォメーションコーナーと、鎌倉銘菓「鳩サブレー」の売店。その隣には三井住友銀の店舗外ATM[藤沢駅]があった。ベージュ色の行灯に黄色の線が入った旧住友銀行の内装が健在で、狭いけれども一応ATMが2台入っている。きっぷ売り場や改札など駅の施設は通路から左に曲がった奥で、自由通路はそのまま直進して通り抜けていくようにできている。
 駅の南側は藤沢の新開地で、北側は旧市街になるようだ。北口に出てまず正面にドンと見えているのは、エビ茶色をした静岡銀行藤沢支店の大看板である。右を見るとスルガ銀行藤沢支店の8階建ての巨大なビル。静岡県の銀行は藤沢市での営業にかなり力を入れているようだ。スルガはさすがに8階建ての全部が支店ではなくて、上層階を貸しているのだろうけれど。その隣にビックカメラ藤沢店がある。このビルは以前は丸井藤沢店だった。
 北口のペデストリアンデッキは南口とは違って人工地盤になっている。バス総合案内システムなる無人の機械装置があり、噴水などがあり、何本か樹木が植わっている。商業施設があまりないのか、こちらの人通りは南口と比べるとやや少ないようだ。デッキの下はバスロータリーとタクシー乗り場になっている。北口の駅ビルは「ルミネプラザ」となっており、かつては中央信託銀行と富士銀行の藤沢支店が入っていた。
 駅を背にペデストリアンデッキの左側に出入口を設けている8階建ての大きなビルが、神奈川県内資本のデパート「さいか屋」である。このビルには「サンパール」なる愛称がついているから、再開発ビルのようだ。さいか屋のような地方百貨店は今のご時世苦しいのだろう、と思いながら人工地盤上を歩く。りそな銀行藤沢支店は、サンパールビルの北端である。さいか屋の2階入口を無視しつつ、建物に沿って西に向かっていくと、角を曲がったところでりそな銀行の緑色の看板が見える。なお、三井住友銀行藤沢支店(旧住友銀)もこのビルにある。
 デッキを右に曲がるところの正面には「大学受験STEP」と大書してあるビルがある。横浜銀行の藤沢支店である。ビルの余剰スペースを学習塾に貸しているぐらいだから、どう見ても小規模店舗だが、こちらが藤沢支店だという。ステップは私が昔勤めていた会社の同業者である。浜銀の西側には、2007年に新築したばかりの三浦藤沢信用金庫藤沢営業部(旧藤沢信用金庫本店)がある。1991年に藤沢信金と三浦信金との合併により誕生した三浦藤沢は、横須賀市にある旧三浦信金本店を本店としている。

 さて、りそな藤沢支店には、今来た2階デッキにも入口がある。2階がまるまる住宅ローンセンターになっていて、預金などの窓口やATMなどは全部1階である。2階入口入ってすぐ右は1階に通じる階段で、矢印の看板には「キャッシュロビー」と書いてあった。階段にはブルーの手すりがついていて、紫色のカーペットが敷いてある。キャッシュロビーとあるのはあさひ銀時代以来そのままということだが、カラーリングとして青系統が主体というのは、その前の協和銀行の時代から変わっていないのであろう。階段を降りたところにAED(自動体外式除細動器)付きの自動販売機があって、ジュース類を売っている。りそなには飲料水の自動販売機を置いている支店がいくつかあり、以前制覇した店では名古屋駅前支店にもあった。そこでは売価を少しだけ安めにしていたが、藤沢支店でもやはりペットボトル1本130円と少し安めになっている。
 自販機の向こうはさいか屋の入口である。結局ここはデパート内の店舗ということになるわけだ。さいか屋が集客力の大きなデパートであれば、この立地条件は結構良いかもしれない。ただ、地方百貨店の現状を考えると果たしてどうだろうか。そう思っていたら、さいか屋の経営については新聞記事が出た。「事業再生ADR(裁判外紛争解決手続き)」と呼ばれる私的整理手続きに入るという。
 2階から1階に来たのだが、支店に入らず外に出てしまった。せっかくなので支店の写真を撮っておこう。Y字路の股にあたる部分に、骨とう品が残っている。住宅ローンセンターの看板があって、「協和」という文字をテープで隠してあるのだ。この看板は随分昔「あさめぐ」の時代に来た時にも写真を写したが、それがまだ健在であった。その古い看板の前は、原付バイク兼用の駐輪場となっている。機械についている鎖でガチャッとつなぐようだ。自転車もバイクも2時間まで無料で、その後は3時間ごとに自転車100円、バイク90cc以下200円、だそうだ。これもりそながやっているのだろうか。
 キャッシュコーナーに入る。全体的には、1階のさいか屋側の入口からまっすぐ廊下が通じていて、その動線を遮らないようにATMが2方向から斜めに並べてある。だから、廊下に直角三角形のキャッシュコーナーが引っついている感じだ。機械はATM6台+両替機であった。ATMは、富士通ファクトAが窓口室に近いところに2台、そこから直角に曲がってファクトAが2台とファクトVモデル20が2台、そして両替機が1台。藤沢支店はかつてのブランチインブランチ実施店舗で、前述のとおり藤沢中央出張所が同居していたが、その頃あったオムロンのATMは既に1台もない。14:07、藤沢支店を制覇した。
 藤沢支店は、協和銀行藤沢支店として1963年12月に開設された。1965年と1978年に新築移転しており、現店舗での営業は、さいか屋藤沢店が新築移転した1978年からである。蛇足ながら、さいか屋の旧店舗には丸井藤沢店が入り、さらに丸井の撤退後にビックカメラ藤沢店が入って現在に至っている。

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2009年09月04日

2008.09.10(水)(4)大船駅は大きく変わっていた

 次は、大船支店(鎌倉市)に行ってみよう。この支店はおととし新築したばかりなので、あまり面白いことはないかもしれない。と、この時点では思っていた。
 JR藤沢駅の改札をスイカで通る。さっきは小田急で藤沢入りしたから、JRに乗るのは今日初めてである。JR東海道線のこのあたりの駅では、スイカでは三島・沼津方面、御殿場線、伊豆急行線には乗り越せないことを告知するポスターが目立つ。カテゴリとして地方中小私鉄となる伊豆急は仕方がないとしても、似たようなICカードを導入しているJR東海の三島や沼津に行けないのはいかがなものだろうか。こういうことをセクショナリズムというのだ。郵政事業の民営化もそうだし、身近な所では2003年3月のあさひ銀行の再編もそうだが、1つにまとまっていたものを分割すると、その境界領域では必ずこういうことが起きる。私は神奈川県横須賀市に住んでいた頃、市水道局の水道料金をあさひの埼玉県内支店の口座から引き落としていたが、りそな発足直前にあさひから郵便が来た。何だろうと思って封を開けると、埼玉りそな銀行の口座からは横須賀市の水道料金が払えなくなる旨の通告であった。「分割」のデメリットはおそらくこうしたところにある。
 電車が来た。一瞬焦って乗ろうとしたが、下り電車であった。りそなは、藤沢から先の東海道線には小田原まで支店がないから、茅ヶ崎方面に連れていかれても困ってしまう。次の目的地は隣駅・大船である。

 14:19発の東京行きに乗った。左の車窓からは、フットサル場だかテニスコートだか知らないが、コートが何面か見えた。ミズノ(美津濃)が結構大きな土地を持っているようで、アウトレットショップでもやっているのか、倉庫だか店舗だかわからない建物もあった。さらに行くと、やはり左側の車窓に大規模な工場が見えたが、そう思っていたら企業名のロゴが全く見えずに終わってしまった。2006年3月に閉鎖された武田薬品工業湘南工場の跡地で、ロゴタイプは外されてしまったものの、巨大な建物だけはまだ残っているのだ。
 人里離れた森のような風景を経て、徐々にマンションなどが建ち始めたら大船である。ホームに降りると、左斜め前方に大船観音の後頭部が見えた。大船駅の北側には観音様がいらっしゃるような山が控えている。駅内が色々ときれいに改装されていて、駅ナカ店がずらっと並ぶ「ディラ大船」なる空間ができていた。この駅はこんなに新しかっただろうか。そういえば大船駅では随分長いこと乗り降りしていない。
 前方の車両に乗ってきたから、上がったところの改札は新設の「笠間口」というらしい。駅の北側にできた笠間口は、駅の北東側を再開発するためのものである。大船支店があるのはこちらではなく、従来からある「南改札」の方で、100m以上続く駅ナカ店の並びを縦断するとようやく見覚えある風景になった。とはいえこちらも、駅ナカ整備にあたってきれいに改装されている。上り方面の時刻表は、新幹線東京駅のような巨大な電光掲示板になっていた。
 改札を出た。藤沢から4分の乗車で180円。これを高いと言っては怒られるだろうか。大船駅は橋上駅舎で、南改札を出た正面が駅ビル「ウイング」の2階出入口である。JR東日本の旅行代理店「びゅうプラザ」などがある階段を下りる。このあたりの階段は、改装がなされていなかった。下りたところには中央三井信託銀行の「コンサルプラザ大船」(藤沢支店大船出張所)があり、三井不動産の「リハウス」の看板もあって、三井グループの不動産屋がしのぎを削っている。念のため言っておくと、信託銀行は不動産業務も営んでいる。
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2009年09月05日

2008.09.10(水)(5)もろもろ思うことがあった大船支店

 大船駅南改札の東側は、再開発があまり進んでいないエリアである。道幅も狭く、昔ながらの駅前風景が広がっていた。
 駅前交番の横からまっすぐ奥へ。何となく商店街になっている感じで、「仲通り商店街」という名前らしい。この時間は人通りが結構あって賑わっており、昭和40年代に開発された新興住宅地という感じがする。正面の左前方にみずほ銀行の大船支店が見えるが、みずほになってからの新築移転店舗である(店籍は旧日本勧業銀)。地図で見ると静岡銀・みずほ銀・三井住友銀(旧太陽神戸銀)と各行の大船支店が並んでいる。左奥には横浜銀行の大船支店。ゴミゴミした商店街の中に紛れてしまった感じがするが、りそなの新店舗はどこにあるのだろうか。
 ビッグアップルというパチンコ屋があって、建物の形に見覚えがあった。これが、りそな大船支店の旧店舗にほかならない。そして、パチンコ屋の角で左に曲がると、奥にりそなの新店舗が見えた。色つきの切り抜き文字が壁面に付いたグレーの建物というあたり、りそなで主導権を握っているのが旧大和銀行なのだと思わずにはいられない。隣りはどう見てもパチンコ屋の駐車場で、そちらの方が目立っている。とりあえず建物の写真だけ撮ってしまうが、道幅が狭いのと逆光のせいであまり良い写真は撮れなかった。
 支店建物の左1/3は駐車場だが、客用ではなくて行用車専用のようだ。客用の場所をあとで窓口で聞いてみることにする。店先には、1階ATM・貸金庫、2階営業窓口、という緑色1色の看板が出ている。りそなのシンボルカラーは緑とオレンジの2色なのだが、最近はオレンジをあまり使わない傾向にあるようだ。多色を使うとお金がかかるからなのか、無彩色+1色という配色に慣れた旧大和銀のセンスなのかは定かではない。個人的には、アクセントカラーとしてもっとオレンジを活用してもよいと思う。
 入口ガラス部分には代理業務の一覧表が貼ってある。内容は確実に間違っているのではないかと思う。「埼玉県指定金融機関【注1】」というのは埼玉りそな銀行のことだろうし、「神奈川県指定金融機関」はりそなグループには該当しない。逆に、自信を持って名乗ってよい「大阪府指定金融機関」の称号はここにはみられず、どういうわけか「大阪府収納代理金融機関」となっている。指定金融機関関係でいうと、忠岡町(大阪府泉北郡)。同町の指定金融機関は一応りそな銀(泉大津支店)だが、なぜこんな大阪の町の名前がいきなり入っているのだろうか【注2】。ここは神奈川県鎌倉市のハズなのだが。泉大津支店の一覧が間違って掲示してあるのかとも思ったのだが、りそな銀は泉大津市の指定金融機関になっているから「泉大津市収納代理金融機関」というのもおかしいのである。全くナゾだ。

 入ってすぐ右側に2階に上がる階段があって、上がっていくと左に見下ろす形でエレベータと貸金庫室入口が見える。2階窓口室に入って行員に駐車場のことを聞いてみると、店の前から奥に入ったところに10台分の契約駐車場があり、そこが満車の場合はさらにその先に5台分+5台分とあるのだそうだ。どのような駐車場戦略なのか、自動車王国・群馬県出身の私にはわかりにくいと思える。車で外出するのが当たり前のこの時代に「車で来にくい店」というのは、どういう意味があるのだろう。支店の真横を、行用車ではなく客用の駐車場にはできなかったのか。ただでさえ支店は狭い一方通行路に面している。ここは富裕な住民の多い地域で、車の普及率は他所よりも高いだろう。こういった人々は、ガソリンが少々値上がりしたからといって、車での外出を控えたりはしないのである。
 新築したばかりの店なので、店内は最近のりそなの標準タイプである白い内装になっている。キャッシュコーナーはATM6台+記帳機+両替機で8台分の枠にはまっている。機械は左の4台が沖電気のATM21B。前面に鏡のついた機種である。機械番号でいうと5番は、何と富士通ファクトVのモデル20であった。たぶんペイジーの読み取り装置がついているからだろう。6番が沖電気の最新型「バンキット」、そして7番が富士通の記帳機、そして8番が両替機。りそなグループではこれから沖電気の機械が淘汰されていく方向のようだ。14:40、大船支店を制覇した。
 大船支店は、1965年7月に協和銀行大船支店として開設された。協和の大船への出店は都市銀行としては第1号である。1975年12月に西鎌倉、1985年12月に観音前と、有人出張所を2か所に開設しているが、そのうち観音前出張所は1996年7月に統合されている。現在の店舗は2006年7月10日に営業を開始した。

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 【注1】指定/指定代理/収納代理金融機関:「指定金融機関」は、地方自治体が公金の収納・支払の事務を取り扱わせるために指定する金融機関。地方自治法に基づき議会が議決して指定される。指定金融機関となった金融機関は、自治体の長が指定する金融機関を「指定代理金融機関」に指名することができる。さらに別の金融機関を「収納代理金融機関」として、収納業務のみ行わせることもある。
 【注2】忠岡町指定金融機関:泉州銀・りそな銀・大阪信金・JAいずみの・三井住友銀の交代制。
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2009年09月06日

2008.09.10(水)(6)スリル満点の湘南モノレール

 次の目的地は、大船支店西鎌倉出張所(鎌倉市)である。
 支店前をまっすぐ駅に戻る。支店のあたりから駅前にかけては、小規模な商店がずっと続いている。形態としては古い商店街だけれども、雑居ビルが含まれるなど建物としては新しいものが多い。不動産屋や携帯ショップなど小規模な店舗が数軒ある駅前の角を左に曲がったところに湘南モノレールの大船駅が見えた。次の目的地・西鎌倉まではこれに乗って行く。
 駅前通りの歩道橋に上がったものの、ここからモノレールには乗れなかった。仕方なくJRの駅まで本格的に戻ってみると、行きにも通った「びゅうプラザ」前の階段が2つに分かれていて、上から見ると右半分がフロア半分ぐらいの高さで終わっていることがわかった。中二階のような位置関係のところにモノレール大船駅への通路があったのである。だまされてしまった。かくして中二階の通路を進むと、さっき支店前から来る時に見た携帯ショップを今度は上から見下ろしている。そして、私は完敗したことを悟った。モノレールの駅に近いところに階段があって、そこを上がればJRまで戻らなくてもモノレール大船駅の目の前にドンと出たのである。往生際悪く百円返せと思った。
 現金で切符を買う。湘南モノレールは券売機・改札機ともにICカード「パスモ」に対応していない。大船から4つ目の西鎌倉までは260円で、この運賃は大船からは西鎌倉駅だけの金額である。1か所しかない改札を入ると、目の前がちょうどホーム終端の車止めで、手前側が乗車ホーム、反対側は降車専用である。3両編成しか入ってこない行き止まり式のホームは50mほどの長さしかなく、高さについても懸垂式モノレールゆえ50cmほどしかない。車両が入る線路面(というのだろうか)は水色に塗ってあって、何となく子ども用のプールのように見える。駅内では大型の扇風機が何台も回っていた。エアコンではなくて、扇風機である。とにかく駅全体が地方私鉄のような雰囲気で、のどかささえ漂っていた。
 わかっているので事前に言っておくが、湘南モノレールに乗る時には、一番前の車両に乗らないと損である。人目をはばからず運転席の後ろでかぶりつきになりたいぐらいだ。というわけでホームの端まで来ると、柵の向こう側は素通しであった。「子ども用プール」が終わったところに70〜80cmぐらいの奥行きで網がついていて、網の向こうは大空である。2階(3階?)だから落ちても死にはしないだろうが、高所恐怖症の人はホームの端に来ない方がいいかもしれない。
 14:52発が行ってしまったので、次の湘南江の島行きは15:07発までない。運転間隔は7〜15分間隔で、もう少し均等にしてもよさそうなものだが、この年(2008年)2月にオーバーラン事故があって、その影響で間引き運転が続いているのだ。本来は7〜8分間隔で運転されるはずらしい【注】。やがて、空中を駆けるようにモノレールがやってきた。車体の断面が逆台形というか下細りの台形になっていて、それが車両断面としては新鮮に映ったが、あとはデザインが何となく時代がかっているように思えた。ドアは片開きだし、窓のデザインもなんとなく昔の「バス窓」を彷彿させるような丸い縁取りのついたデザインである。車両端の銘板を見ると「昭和63年」とあるから20年しか使っていないのだが。
 車内はロングシートではなく2人掛け×2のボックスシートになっていて、入口の前には補助椅子がついていた。ボックスシートに腰を下ろす。車内を見回すと、連結面に貫通扉が一応ついているが、乗務員以外の通り抜けは禁止されており、ノーエントリーと大きく書いてあった。やはり懸垂式のモノレールだけに、乗客が渡り板を空中で踏み抜いたら大変なことになるのだ。

 モノレールが発車した。湘南モノレールは大船から終点まで単線である。複線の鉄道で終着駅だけ単線というのは、阪急箕面線や東急世田谷線など各地で見られるスタイルだが、ここは全線単線で、駅でだけ交換できるようになっている。
 線路は一般道の真上を走る。2車線道路の端にモノレールの太い柱が並んでいて、モノレールの真下はいきなり車道である。大船を出て1つ目の富士見町駅に停車中、窓下を見ると網になっていて、網の下を普通の車が走っているのが見えた。やがて徳洲会系の湘南鎌倉病院前を通過。この病院の正面玄関前には、かつて大船支店の店舗外ATM[湘南鎌倉病院]があったから、「あさめぐ」の時代に訪れたことがある。この病院を過ぎたところで、モノレールは早くも山登りを始める、茂みの真ん中を抜けると三菱電機の鎌倉製作所が見え、すぐに湘南町屋駅に到着。湘南モノレールには無人駅が多いようで、車掌は連結面のドアにいちいちカギをかけながら前後を頻繁に行ったり来たりしている。
 湘南町屋を出るとすぐ下り坂となり、ものすごい速度で駆け降りる。実際のスピードは大したことはないかもしれないが、体感速度は非常に速い。このあたりでは道路から離れたところを走っているが、一山越えると、一時離れていた一般道に再び接近した。次の湘南深沢では、駅前に団地のような集合住宅が10〜20棟くらい並んでいるが、人は住んでいないようだ。JRの大船工場がホーム北寄りから左の方角に見える。この駅の南側で、モノレールの線路は右手に分岐していく。右側の車窓から、ボウリング場やスーパーも入っている湘南モノレールの本社ビル「湘南深沢ビル」が見える。元「あさめぐラー」として触れておくと、大船支店はかつてこのビルの前に[湘南深沢]という店舗外ATMを出していた。
 湘南深沢から西鎌倉までは、山越えである。さっき乗務員が運転席にもう1人乗り込んで2人体制になったのだが、安全確認のためか。そう納得できるほどの急坂を上り、モノレールは山中に分け入ってきた。やがて本格的な山岳トンネルに入った。
 湘南モノレールは、サフェージュ式(懸垂式)モノレールのテスト線として1970年に開業したものである。相当な角度のカントをつけた急カーブ、それもS字カーブが連続しており、急勾配とトンネルもある。こうしたわけで、湘南モノレールは加速と減速が激しくて、スリルとスピード感がある。一番前の車両に乗らないと損、とさっき述べたのはそういうことである。

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 【注】2008年12月23日から、暫定ダイヤ前の「完全な7〜8分間隔」に復帰した。
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2009年09月07日

2008.09.10(水)(7)Megu at your own risk.

 湘南深沢を過ぎてトンネルを抜けたあたりから、車窓の風景はちょっと瀟洒な住宅団地に変わったようであった。山の中腹から上に、いかにも高級住宅地という感じのする家の並びが続いている。その山の麓はやや庶民的な感じで、棟割長屋のような商店もあるし、コンビニ(ファミリーマート)も見える。
 西鎌倉に着いた。ここも無人駅らしく、島式ホームの端では運転士が降りる客から必死で切符を集めている。モノレールの車両が通る部分は、ホーム側の半分ぐらいは鉄板だが、残り半分は金網であって、その外側には柵がない。だから、財布から10円玉でも転がったら「あああっ」と言っているうちに下に転落してしまうだろう。高さとしては2階の屋根から落ちるぐらいだから、人間が落ちても死にはしないだろうが、非常に開放的でちょっと怖い感じがする。大船方向に目をやると、モノレールは駅の北側で大きく左にカーブしている。
 ホーム江ノ島寄りにある階段を下りてくると、この駅はやはり無人駅で、中2階のようになったところに券売機が2台置いてあるだけだった。高架下は月極駐車場のようで、かなり古い時代からパーク&ライドをやっているのだろう。加えて駐輪場がずっと長く続いている。駅の北側、左カーブが始まるところには、小規模なスーパーマーケットが1軒ある。
 西鎌倉出張所は、りそなの店舗一覧冊子によると「西鎌倉駅徒歩8分、西鎌倉小学校前」と書いてある。駅前の道をどちらに行けばよいのだろうか。今回、出張所への道順を全然調べてきていないし、西鎌倉出張所には「モノレールで」来たことが1度もないので(絶対あったはずだが記憶にない)、駅前のファミリーマートに入って、ちょっと地図を立ち読みさせてもらう。地図には、西鎌倉駅の東側をモノレールに沿って走る大通り、つまりコンビニが面する道を、大船方向に戻ったところにりそなが描いてあった。

 歩き出す。駅前からの2車線道路は、県道304号(腰越大船線)である。道沿いには個人商店が多い。商店街と呼ぶにはまばらだが、寂れているわけではなくて、もともと建物が密集していないのである。アパート1軒とNTTの施設1棟が3階建ての他は、2階建ての民家と、寝具屋・服屋・花屋・自転車屋といった個人商店が並んでいる。並んでいるといっても規則正しく並んでいるわけではない。そのうちの1軒、カレー屋の店先に出ていたメニューには、ビーフカレーおよびシュリンプカレーが1300円と目玉が出そうな値段がついていた。
 Swim at your own risk.と書いてある店があった。アメリカの海水浴場にある「海の家」を模した店なのだろう。江ノ島に近いせいか、このあたりには似たような店が2〜3軒ある。店先にはシボレーコルベットスティングレーがピカピカにメンテナンスして置かれていた。古き良き時代のアメ車、しかもスポーツカーである。この文章をまとめている2009年6月の冒頭、米ビッグ3と言われた自動車メーカーのうち、クライスラーとゼネラルモーターズの2社が経営破綻に追い込まれている。1960年代、先進国の仲間入りを始めた日本にとって、ガソリンをがぶ飲みにして走るアメ車は憧れであった。環境に良いとか悪いとかはさて置き、確かにあの時代には「アメリカンドリーム」と呼べるものがあったのである。「古き良き時代」は、アメリカではベトナム戦争で終わりを告げ、そして昨今のリーマンショックでとどめを刺されたといえる。バブル崩壊で奈落の底に落とされた日本は、今後何によって「とどめ」を刺されるのだろうか。戦後の日本はアメリカを20年遅れで追いかけているような気がするから、今から20年後がかなり心配である。なお、シボレーの近くには、いすず117クーペとか、骨とう品のような車が何台か置いてあった。
 県道がモノレールと直角に交わる「赤羽」の信号を境に、いかにも高級住宅地然とした西鎌倉山というエリアに入る。まばらに建っていた個人商店が消え、瀟洒な一戸建て住宅ばかりになった。家の造りや敷地の処理の仕方などが明らかにこれまでと違う。交差点には、生協コープ西鎌倉店とファミレスのロイヤルホストが面している。ロイホの対面は南欧料理のレストランで、店内ではディナータイムに月例ライブなどを行っているようだ。湘南という土地柄か、この界隈には普通の住宅地では見かけないような面白いものがある。やはり住民の生活に余裕があってこそなのだろう。りそなの住宅地店舗がある関西の地名でいうと仁川(兵庫県宝塚市)あたりがイメージ的に近い。
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2009年09月08日

2008.09.10(水)(8)西鎌倉出張所を制覇

 前方にようやくりそな銀行の看板が見えた。目標が見つかると、無意識のうちに歩行ペースは上がるようだ。
 銀行は新西鎌倉歩道橋のある四つ角の南西角で、対面は高台になっている。崖の上にある小学校が、店舗一覧にもあった西鎌倉小であろう。りそなの横は、パティシェリーと書いてあるから洋菓子店か。道路を挟んで北隣には、コンビニのローソンと中華ファミレスのバーミヤンがある。
 出張所の前までやってきた。銀行がある角は、ひな壇式に造成された住宅団地の一番下である。これは何という団地だろうか。生け垣で隠されて見えなくなっている住居表示・街区案内図を交差点近くに見つけ、枝をかき分けるようにして見ると、この近辺は西鎌倉住宅地というらしい。近くには「鎌倉風致地区」という立て札もある。この界隈では建築物・工作物の新築・増築、土地形質の変更、築木の伐採などをするときには許可が必要だそうだ。りそなの北側にあるローソンは営業時間が6時〜24時である。風致地区での24時間営業は差し障りがあるのか、単にお客が少ないのか。但し、バスの本数は多いようで、交通はそれなりに便利なようだ。
 支店前の歩道橋に上がって写真を撮ろうとしたら、これはご無体な歩道橋で、橋の上面に上がるのに延々と九十九折れのスロープを上がらされた。もっとも、この九十九折れは二重で済んでいるし、建物の撮影の邪魔にはなっていないからマシである。歩道橋には、夜10時から朝6時までの深夜花火は禁止、と書かれた大きな横断幕がつけられていた。高級住宅地であるだけでなく、ここは江ノ島という一大リゾート地にほど近いところだけに、花火をして騒ぐような一団もたまに入り込むのであろう。
 出張所の建物は、キャッシュコーナー部分が後年増築されたらしい。当初正面入口だったと思われる部分は、旧幸福銀行の店先にあったような飾り格子をつけて、はめ殺しのガラス窓にしてあった。店にはキャッシュコーナーからしか入れないようになっている。
 中に入ると、この出張所は相当にゴージャスな改装の仕方をしていた。とにかく通常の店とは色遣いが違う。店内のイメージとしては、先日行った大阪の御堂筋支店(大阪市中心部の大企業ばかりの法人店舗)に似ていて、茶色系で統一されて高級感が漂っている。キャッシュコーナーは協和銀行時代のパイプデザインなのだが、ベージュ色の大理石のような壁紙で美装されている。窓口室にもベージュ色のじゅうたんが敷いてあり、什器類はすべてマホガニー調。ロビー係の男性が1人いて、愛想を振りまいている。飲料水の機械があったり、文庫本などが置いてある書棚があったり。あとは、ソファがあってくつろいだりできる。但し、窓口での現金取り扱いはない。
 キャッシュコーナーには機械の枠が5台分あり、さらにその左側、シャッターの向こう側に2台分が増設されている。機械配置は記帳機1台、それにATMが6台もある【注】。ATMの台数が多いのは、高級住宅地の店舗として、大事な客を待たせるわけにはいかないからだろう。若い女の子としか見えない女性が手慣れた感じで貸金庫室に入ったりしていたから、西鎌倉の住民は相当に富裕であることがわかる。彼女はおそらく「いいところのお嬢様」で、貸金庫には装身具でも保管しているのに違いない。決して安くはない貸金庫の使用料を払って保管するほど高価な装身具、それも1つや2つではないのだろう。また、貸金庫を利用していること自体、銀行を使い慣れているとも言える。ともあれ、こうした人たち(およびその家族)がこの店の主要顧客である。
 15:49、西鎌倉出張所を制覇した。

20080910-080_Nishi-kamakura-sbr.jpg

 【注】機械の内訳は、左奥が富士通製記帳機(モデル10ガワ)、富士通ファクトVモデル10。シャッターがあってファクトAが2台、あとはファクトVのモデル10・20・10が1台ずつ。
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2009年09月09日

2008.09.10(水)(9)西鎌倉と不動貯金銀行

 大船支店西鎌倉出張所は、1975年12月に協和銀行大船支店西鎌倉出張所として開設された。
 この地に協和が出張所を出した理由については、確証はないものの私なりの推測がある。協和銀行の前身の一つである旧不動貯金銀行の出身者が、創始者・牧野元次郎を意識して作ったのではないか。
 以前にりそな姫路駅前支店の建物について書いたことがあるが【注1】、そのとき、協和および不動の歴史を調べる過程で、牧野元次郎の別邸が鎌倉山(鎌倉市)にあったことを知った。この別邸の建築にあたっては、不動貯金銀行の専属建築士だった関根要太郎が姫路支店を設計するに先立ち、耐震機能の試行がなされている。牧野鎌倉山別邸は現在では解体されているそうだが、その跡地の写真を他所のブログで見たことがある。
 旧協和銀行の拠点のうち、少なくとも3か所、ここと木更津支店【注2】、それから茗荷谷支店【注3】は、設置の際に旧不動貯金銀行の関係者がかなり絡んでいるのではないかと思う。ここ西鎌倉は、牧野別邸のあった鎌倉山住宅地の入口にあたり、現地までは1kmと離れていない。JR久留里線の起点である木更津は、牧野の出身地・久留里(千葉県君津市)の玄関口。そして茗荷谷支店のある地下鉄茗荷谷駅は、牧野の墓がある善仁寺(東京都文京区小日向)の最寄り駅で、寺の近所の住宅地には[小日向]という店舗外ATMまであったのである。
 もちろん、これら3つの拠点は、牧野に「ちなんで」作ったわけではないだろう。ただ、それぞれ不動の関係者が訪れる機会が多く、ある程度土地鑑があって営業活動がしやすかったため出店したのではないか。これらの店が新設された昭和40〜50年の時期、銀行の店舗展開は大蔵省により厳しく規制されていて、新店舗の開設は配置転換方式でなければできなかった。つまり、新店舗と同じ数だけ廃止店舗があったわけだ。これらの廃店は地方都市に多かったから、必然的にそのほとんどが旧不動貯金銀行の店舗となる(貯蓄銀行は営業区域の狭い小規模な銀行が多く、積極的に全国展開していたのは不動だけであった)。またこの時期は、会社の中で、協和銀行発足以前に入社した最後の世代が決定権を握り始めた時期と思われる。つまり、新銀行発足後の入社であれば薄いであろう「旧行意識」が業務に影響した、最後の時代ということになる。以上のようなわけで、出店場所の選定にあたっては旧不動関係者の意向がかなり採り入れられたと想像される。
 平成の時代に入り、木更津支店は地域の沈滞とともに持ちこたえられなくなったものの、西鎌倉出張所と茗荷谷支店は現在もりそな銀行の店舗として営業を続けている。西鎌倉に関しては、高級住宅地、それも近所に他の民間金融機関がない地域とあって、2000年頃の苛烈な支店統廃合の嵐を乗り越えて存続しているのであろう。
 以上は、データ部分を除き私の推測である。

 【注1】当ブログ連載「りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿」中「2007.11.26(月)(14)やはり『本当に古かった!』」を参照。
 【注2】協和銀行木更津支店:1969.10.27千葉県木更津市富士見1-8-11に開設、1976.06.07富士見1-5-20に移転。1991.04.01協和埼玉銀行木更津支店、1992.09.21あさひ銀行木更津支店。1998.09.07さくら銀行木更津支店に営業譲渡され廃止。
 【注3】協和銀行茗荷谷支店:現りそな銀行茗荷谷支店。1972.03.06東京都文京区小石川5-5-5に開設。1987.07.13店舗外ATM[小日向]を文京区小日向2-9-24に開設。1991.04.01協和埼玉銀行茗荷谷支店、1992.09.21あさひ銀行茗荷谷支店。2001.11.16小日向出張所を廃止。2003.03.01りそな銀行茗荷谷支店となる。
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2009年09月10日

2008.09.10(水)(10)エピローグ 9月の海に私はやって来た

 出張所の横に「西鎌倉入口」というバスの停留所がある。会社は京浜急行バスで、西鎌倉の住宅地を抜けてJR横須賀線の鎌倉駅まで行くようだ。この鎌倉行きは、1日2本しかない。16:14が始発、その次の17:14が最終である。時計を見ると、あと20分ぐらい待てば16:14発のバスが来る。一方、今歩いてきた県道沿いには「赤羽」というバス停があって、ここからは藤沢駅と大船駅へ行くバスが出ている。こちらは結構本数が多いようだが、これらの駅へ出ても面白くない。20分待って鎌倉行きに乗ろうか。鎌倉駅まで出れば、金沢八景(横浜市金沢区)行きのバスが出ているから、もう1店金沢文庫出張所(同)ぐらいは制覇の上積みができそうである。こんなことをやっていたら日が暮れてしまう気もするが、とりあえず金沢八景まで足を伸ばそう。
 と思ったのだが、19時に都内で用事があるのをすっかり忘れていた。というわけで、今日の「チョコッとめぐ」はこれにて打ち止めにする。モノレール西鎌倉駅へ、今来た道を再び歩いて戻ることにした。

 駅に向かって県道をとぼとぼと歩いていると、車道を銀色の車が1台追い抜いていった。車種はBMWだったかベンツだったか記憶にないが、左ハンドルで、助手席には中年の女性が乗っており、運転していたのは白髪バーコード頭の老人男性であった。そして、車はなんと、オープンカーだったのである。屋根のない車など、日常生活用ではなくて完全にレジャー用であろう。あるいは、日常生活で使っているほどのクルマ道楽なのか。
 どちらにしても、この界隈が富裕層の非常に多く住む地域であると改めて感じた。と同時に、湘南という土地の日常離れした優雅さも。私はこの年齢に至るまで独身で通しているが、結婚を拒否しているわけではなく、同性愛でもなければ機能障害があるわけでもない(但し「女嫌い」であるのは間違いない)。過去それなりのことが全くなかったわけではないし、晩夏から初秋にかけての甘酸っぱくほろ苦い思いに対して、共感も憧れも持ち合わせている。あの爺さんは、白髪頭かつバーコードという、普通なら絶望してしまいそうな年齢と容姿になりながらも、オープンカーで青春を謳歌しているのだ! 爺さんに可能なら、私もまだまだ諦めるのは早いハズだが、そうしたものはどうしても「遠い目つき」で見るようにとらえてしまう。
 不意に、私が10代の頃にラジオで聞いた歌を思い出した。誰の何という歌かはわからないが、「セプテンバーストーリー 9月の海に あなたは来ない」という歌詞である。折しも今日は9月の初旬。まさにこの歌の季節ではないか。ちょっとだけ、片瀬の海岸と江ノ島が見たくなった。

 湘南モノレールは、駅に電車が入るとき、一瞬微妙な振動を感じてから車体がやってくる。ちょうど、地震の初期微動と本震のようだ。この時間からであるが、大船行きではなくて、江ノ島へ行く電車に乗った。モノレールの終点である湘南江の島駅は、西鎌倉から3つ目である。
 車窓からは引き続き高級住宅地が見えている。西鎌倉の次の片瀬山は、三井住友銀行が有人出張所(旧住友銀)を出しているところであるが、界隈を走る車は国産車ばかりであった。ごく例外的にBMWを見るくらいで、一般的な高級住宅地のように外車ばかりという印象は全くない。もっとも、私のかつての知人によると、金持ちでも外車を乗り回しているのは半分くらいで、あとは品質やアフターサービスの面から国産車に乗っている人が多いという。この人は、超富裕層の御用達である玉川高島屋(東京都世田谷区)の駐車場でアルバイトしていたそうだ。
 やがて、モノレール湘南江の島駅に到着。ホームは4階にあり、3階の改札からエスカレーターで1階に降りる。江ノ島方向に歩いていくと、江ノ電の踏切を越えた先は、観光客目当ての土産物屋や射的屋などがズラッと並んだ商店街になっている。若い女性を念頭に置くらしい小じゃれた料理店なども目につくが、敷地に松の木が生い茂った純和風の旅館があるのが印象的だった。7〜8月にはリゾート客でごった返すこの商店街も、今はシーズンオフとあって開いている店もまばらで、たまに営業している店もヒマを持て余しているようであった。
 商店街が途切れたところで、パッと陽がさした。強い西日であった。信号の向こうには、青い空と江ノ島が見えている。江ノ島に通じる地下道に人の気配はほとんど感じられなかった。
 境川にかかる弁天橋を渡る。川にはボートが多数係留されている。その先に、竜宮城のような形をした小田急片瀬江ノ島駅がある。砂浜は見ていないが、9月のリゾート地の雰囲気にひたっただけでもう「お腹いっぱい」であった。小田急線で帰ると、藤沢から先は単純往復になってしまうが、今日はもういいことにした。

[りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー 完]
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2009年09月11日

あとがき・参考文献一覧

 「りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー」、9月10日をもって完結いたしました。
 最後までお読みいただいた方には、例によってダラダラと続いた連載にお付き合いいただき、御礼申し上げます。あとがき等も含めた分量は、最終的に60枚強(400字詰原稿用紙換算)となりました。

 今回は、東京都内在住である私が、自宅をベースとして(日常生活の延長線上で)「めぐ」を行った体験記です。今回は「めぐ」そのものの記録もさることながら、私の内面についての記述が多くなったきらいがあります。ブログのアクセス記録を見ていると、「めぐ」と明らかに関係ないことが書いてある(とタイトルから判断される)記事については、連載の途中であってもアクセス数がガクンと落ち込んでいます。よって、そういう内容にニーズがあまりないことはわかっているのですが、私がこの「めぐ記」で書きたいのは「人間のいとなみ」ですので、ご理解を賜りたいと思います。
 エピローグでとりあげた歌は、本文では「誰の何という歌かはわからない」とぼかしてありますが、実は歌手の名前は覚えています。児島未散(こじま・みちる)という人です。今回「あとがき」を書くために軽く調べてみました。1967年4月生まれということは私の1歳年長。『セプテンバー物語』は1985年7月リリースのデビューシングル(フォーライフレコード)で、作詞:松本隆、作曲:林哲司。この曲はオリコンランキングには登場しないそうですが、私と同世代とおぼしき複数の筆者のブログで取り上げられていて、意外に多くの人の心に残っているようで驚かされました。

 舞台裏を少しだけ。今回、連載最終日がそのまま「めぐ」を実施した日となりました。連載の最後で急遽1回分増やしたためです。本来は「あとがき」がちょうど1年目の日になる予定でした。まあどちらにしても「1周年の日にキリよく終わることができて、きれいだったのではないかと思います」。
 なお、本連載では、ある回を公開する数時間前に大きなミスを見つけて愕然としました。廃止店舗の位置について基本的な確認を怠ったせいです。まだまだ若いと思っていても、記憶力は確実に低下しています。今回そのことを思い知らされました。厄介なことに、「思い知った」からといって注意力が上がるわけではなく、むしろこちらも低下しているわけです。かつては年を取った分だけ賢くなると思っていたのですが、どうやらそうではないようです。ノー天気に開き直るしかないのかしら。

 さまざまな思いが去来しますが、この連載はこれにて終了します。この連載を数年後に読み返して「古い」と感じられることがあるかもしれませんが、あくまで 2008年9月の実体験と、その後の連載期間における「一面の真実」です。そういうものだと思ってお読みいただくことを望みます。
 この連載のような「文章を使っての自己主張」が、私の生き甲斐です。今後ともご支援・ご鞭撻をいただけますようお願いします。ご意見や情報提供をお待ちしています。このブログ「MEGU」は、コメント・トラックバックを歓迎していますし、私のメールアドレスも公表しています。

 なお、この連載の執筆にあたっては、以下のような書籍・webサイト等を参照いたしました。

参考文献一覧
紙媒体は発行年順、webサイトは本文掲載順(2009.09.01現在)
  天沼雄吉『牧野元次郎翁 伝記でない伝記』全国不動会、1973年
  『協和銀行通史』あさひ銀行、1996年
  『大和銀行八十年史』大和銀行、1999年
  『日本金融名鑑』日本金融通信社、各年版
  『湘南モノレール』http://www.shonan-monorail.co.jp/
  「神奈川・鎌倉山の牧野別邸跡地(不動貯金銀行を訪ねて)」『関根要太郎研究室@はこだて』http://fkaidofudo.exblog.jp/7190760
  「ミス・ユニバースの愛娘!「セプテンバー物語」児島未散」『80年代アイドル☆ピンク・レディー☆昭和TVワンダーランド』http://blogs.yahoo.co.jp/cherrycreekjp/51287986.html
  フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
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カテゴリ一覧(過去の連載など)
大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇(24)
単発(12)
告知板(24)
銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇(29)
りそめぐ2013梅雨 大阪市営バス“最長”路線[93]を行く(43)
りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇(51)
りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇(35)
りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇(8)
りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた(18)
りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動/銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇(20)
りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー(11)
りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ(47)
りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇(51)
りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
りそめぐ2007秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる(35)
2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)