2009年11月11日

2008.09.30(火)(0)プロローグ 突如、秋の北海道へ

りそめぐ2008秋
太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動


今回の行動範囲

百聞は一見に如かず


 大作家の先生は、執筆に集中するため、ホテルの一室などに「缶詰」になるという。缶詰の定義を「それしかできない状況に追い込むこと」とするならば、私も、たまった仕事を片づけるため「缶詰」になることが必要である。
 しかし「ホテルに缶詰」など、金銭的にそのような余裕はないし、それ以前にあまり面白くないと思う。旅好き・乗り物好きの私にふさわしい缶詰はないものか、と考えた。
 ふと、長距離フェリーを利用してみようと思い立った。国土交通省および日本長距離フェリー協会の定義によれば、長距離フェリーとは片道300km以上のフェリー航路をいう。調べてみると、路線の数は思ったより少なかった【表】。鉄道の世界における寝台特急などと同じで、時間のかかる交通手段は敬遠されてしまうのであろう。それでも、関東や関西から、北海道や四国・九州など各地を結ぶ便が運航されている。東京を起点にした場合、私の要求を満たせそうなのは北海道線か九州線ぐらいと思われた。そして私はもともと、実家で行われる亡父の三回忌に合わせて、9月の末から10月の頭にかけてスケジュールをオフにしていた。
 不意に「紅葉狩り」がしたくなった。10月の頭に紅葉の見られそうな場所、といえば九州ではあり得ず、北海道に行くしかない。かくして、秋の北海道行きが突如決まった。9月25日(木)のことであった。

 北海道へ行く航路は、東京を起点に考えると、1日2便ある大洗−苫小牧線(商船三井フェリー)か、1日1便ずつの新潟−小樽線、敦賀−新潟−秋田−苫小牧線(以上新日本海フェリー)しかない。フェリーそのものの運賃は新潟発の方が安いが、新潟まで行くのが大変なので、今回は茨城県の大洗(おおあらい)から行くことにした。
 大洗−苫小牧航路には、運航会社が企画・販売する「パシフィック・ストーリー」なる割安プランがある。東京駅から水戸駅までの高速バス(JRバス関東ほか共同運行)、水戸駅から大洗までの路線バス(茨城交通)、苫小牧港から札幌までの高速バス(北海道中央バス)の運賃込みで、大人片道9900円。スケジュールは次のようになる。
東京駅14:00 (高速バス) 15:53水戸駅16:32 (路線バス) 16:58大洗港18:30 (フェリー) 翌日13:30苫小牧港13:57 (高速バス) 15:45札幌駅
 これがそのまま、船会社が示したモデルコースということにもなる。正規運賃(エコノミー)は合計すると12450円だから、確かに安くなってはいる。しかし、モデルコースそのままでは面白くない。もう少し独自性を発揮することはできないものか。私がりそなの「めぐラー」であることを意識すると、当然今回も「めぐ」を絡めることになる。せっかく大洗に行くのであれば、フェリーに乗る前に、同じ茨城県の土浦支店(土浦市)を制覇しよう。あわせて、今回は札幌市内にある「めぐ」可能な銀行を全店制覇することにも決めた。「めぐラー」としては旅の骨格はこれで完成であるが、土浦で寄り道するとなると、いかに経済的なパックであっても、高速バスで運ばれていくだけのプランは採用できなくなる。
 また、モデルプランでは出航1時間半前に大洗港に着くことになっているが、これは到着時刻が少し早すぎるように思えた。車と一緒に乗船するならともかく、自分一人乗るだけなのだ。身体検査やら何やらややこしい飛行機でも、余裕をみて40分前であるのに。かくして、水戸から大洗までの移動にも独自の検討を加えることにする。水戸から鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)まで行く鹿島臨海鉄道大洗鹿島線が大洗を通るが、駅からフェリーターミナルまでは歩いて何分かかるだろうか。そう思っていると、船会社のホームページには、大洗港までのアクセスとして駅前からの町営循環バスが紹介されていた。循環バスの運賃は100円であり、鹿島臨海鉄道の水戸−大洗が310円であることも考えると、水戸駅から路線バスで行くより安い。しかも、町営バスには、水戸からのバスよりも待ち時間が短くて済む、都合のよい便があったのである。
 かくして、行動予定は次のようになった。
2008年9月30日(火)〜10月1日(水)
 (上野までのアプローチは記載省略)上野14:10 (JR常磐線 特別快速土浦) 15:05土浦 ※土浦支店
 土浦15:54 (JR常磐線 普通勝田) 16:40水戸17:04 (鹿島臨海鉄道 普通鹿島神宮) 17:20大洗大洗駅17:35 (大洗町循環バス) 17:40大洗フェリーターミナル18:30 (商船三井フェリー 夕方便) 翌日13:30苫小牧港13:57 (北海道中央バス) 15:45札幌駅 ※札幌支店

10月2日(木)〜3日(金)
 (札幌市内散策ののち)札幌15:25 (JR千歳線 快速エアポート152号新千歳空港) 15:40北広島15:43 (JR千歳線 普通苫小牧) 16:24苫小牧16:59 (苫小牧市営バス) 17:16フェリーターミナル18:45 (商船三井フェリー 夕方便) 翌日14:00大洗港14:10 (大洗町循環バス) 14:26大洗駅大洗14:42 (鹿島臨海鉄道 普通水戸) 14:58水戸15:32 (JR常磐線 普通上野) 15:46友部15:49 (JR水戸線 普通小山) 16:54小山17:34 (JR両毛線 普通高崎)(以下省略、群馬県前橋市の実家へ)
 関東平野内で独自ルートを採っている以外は、結果としてほぼ船会社のモデルプランどおりとなった。まあこの辺はあまり「冒険」しようのない部分なので仕方がない。亡父の三回忌が10月4日(土)であり、職場復帰は5日(日)の夜からと決めた。
 ネットで予約を入れる。ネットで予約した場合、商船三井フェリーは運賃が5%引きとなり、8500円の0.95倍で8080円になった。北海道に着いた日の宿はあえて予約しない。これは当日の気分で決める。

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(2009.11.19追記)フェリーさんふらわあは19日、大阪−松山−大分航路(1日1往復)を来年1月末で廃止すると発表した。代替措置として、大阪−別府航路のうち大阪行き上り便だけを松山に寄港させるという。

2009年11月12日

2008.09.30(火)(1)常磐線で雨の常陸路を行く

 上野に着いたのは、14時少し前のことであった。
 今日は朝からずっと雨が降っている。夜なべ仕事から帰って少々の仮眠をとった後、ドタバタと荷造りなどの準備をして自宅を出発。上野にはストレートに向かわず、借りていたCDを返しに図書館に寄り道して、地下鉄で上野までやってきた。図書館のある中目黒から上野までは日比谷線で1本である。電車の中でだいぶ寝たので、頭の中は多少さっぱりしていた。
 行き止まり式の「低いホーム」の前にあるみどりの窓口で、切符を買う。今日の最終的な行先は大洗港の最寄り駅である鹿島臨海鉄道の大洗駅だが、ここで買うのは最初の目的地・土浦までの乗車券である。鹿島臨海鉄道はJR常磐線の水戸駅から接続していて、JRの上野−水戸間は100kmを超えるのだが、水戸駅が「東京近郊区間」に含まれるせいで、通しの切符を買っても土浦での途中下車ができないのである。もっとも、分けて買っても20円しか違わないのは事前に調べて知っている。
 9番線14:10発の特別快速土浦行きに乗った。常磐線は、沿線の千葉県柏市で私が一人暮らしをしていた頃に毎日乗っていた線で、懐かしいといえば懐かしい。早いもので15年以上経っているが、車窓の風景はあまり変わったようには見えなかった。こんなに沈滞した地域だったかと思うくらい、車窓から見ていて「動き」というものを感じない。結構大きく変わっていると思ったのが南柏駅の周辺、それから我孫子あたりでは高層マンションが増えたと思う。でも、それ以外のところはさほど変わっていないと思った。常磐線沿線は基本的には住宅地が広がっている地域だが、新松戸を過ぎたあたりから畑が見え始めるのも昔のままである。

 右の車窓に川村学園女子大学が見えたら、利根川を渡って取手。いよいよここから茨城県に入る。相変わらず黒い雲が垂れこめていて、陰気な空という感じである。私が茨城方面に来るときは、どういうわけか決まって天気が良くない。昔からそうである。
 さて、常磐線で北へ向かって行くと、かつては取手の先で車内の照明がほんの数秒間だけ全部消えたものだった。直流電化と交流電化との境界である「デッドセクション」があるせいだが、ステンレス製車体の最新型であるE531系電車は何事もなかったかのように藤代駅を走り抜けた。そういえば、最近取手−藤代間のデッドセクションを通った記憶がない。41x系といった旧型電車が全廃されてしまった今、ここで電気が消える車両はあるのだろうか【注】。関門トンネルとか北陸本線あたりにはまだ残っていないこともないが。
 取手から先は、車窓から水田風景が広がっている。もう刈り取りが終わったところもあるが、青田刈りなのか。休耕田も多いようだ。車窓から見える水田と休耕田の割合は3:7くらいで、実際に耕作をしている方が少ない。休耕田はかなり原野に近い状態となっていて、笹原の中に所々背の低い木が生えたりしている。たまにセイタカアワダチソウが群生しているのと、竹林をところどころに見る。竹が生えているというのは、あまりよくないと聞いたことがある。
 牛久市のひたち野うしく駅は、10年ほど前に、科学万博(1985年)の際あった万博中央駅の跡地に復活した駅である。ホームの屋根は緩やかにウエーブを描いていて、パーレン(丸括弧)のような断面をした波板を柱で支えている。屋根の梁に相当する部分は、金属が露出する先端部がミサイルの先のように丸めてあるが、早くも錆が出ているのか茶色くなっていた。
 あと2駅で土浦である。

 【注】特急「スーパーひたち」用の651系電車は現在でも室内灯が消えるそうだ。

2009年11月13日

2008.09.30(火)(2)土浦支店を制覇

 空は相変わらずべたべたに曇っているが、そういえば雨は30分ほど前から上がっているようだ。水溜りの跡のようなものは少しだけ残っているが、基本的には道路も乾いてきている。
 電車は築堤上を走っていて、左の眼下にJRバスの車庫が見えた。桜川という川を渡り、またいつの間にか地平に戻った。右の車窓に、レンコンの絵が描いてあるガスタンクが見えた。土浦市はレンコン生産日本一だそうだ。
 ぼんやりしている間に土浦到着である。土浦駅はいわゆる「国鉄型配線」の駅で、1番線が駅舎側にあり、2・3番が島式ホームとなっている。どこかの小駅並みのホーム数だが、これで常磐線の中距離電車を全部さばいている。前の方の車両に乗っていた私は、ホーム前方で降ろされた。そこはかつてローカル私鉄の筑波鉄道が発着していた跡地である。ホームからは駅前のイトーヨーカドー土浦店が見え、そして、壁に横型の板看板をつけたりそな銀行土浦支店も見えている。土浦支店は、旧協和銀行の店舗には珍しい気がするが「ド駅前」で、駅からの移動時間を見込む必要もないほど駅に近接している。今回、土浦で時間の余裕が50分ほどもあるのは皮肉だ。
 エスカレーターで橋上駅舎に上ってくると自動改札機があるのは、JRの駅では典型的である。改札前には、帆掛け舟の写真を使った、茨城県のトップバンク・常陽銀行の広告が出ている。土浦に本店を置く関東つくば銀行の広告は見当たらなかった。「平成21年開港」という茨城空港のポスターが貼ってある。これは航空自衛隊の百里飛行場(小美玉市)を民間との共用空港にするものである。また、土浦全国花火競技大会というのが10月4日にあるという。土浦では花火大会を秋にやるようだ。
 市街地へのアプローチとなる、駅をまたぐ自由通路は、改札を出て少し長めと思える通路を歩いた先にある。この自由通路は、市街地のある駅の西口側と、霞ヶ浦に面した東口側とを結んでいる。左(湖岸側)に出ないで右に折れてまっすぐ来ると、ペデストリアンデッキの下がそのまま駅前のロータリーになっている。駅の正面は「ウララ」という再開発ビルに入ったイトーヨーカドー土浦店で、右を見るとロータリーの北端に巨大な横型看板を屋上につけたりそな銀行土浦支店の3階建ての建物がある。
 駅と支店の間は駐車場だから、土浦支店は更地の真ん中にそびえ立っている感じがする。このこと自体は不思議でもないが、店周の別のところを見るとうらぶれた雰囲気が助長される。隣りは「金馬車」という大きなパチンコ屋だが、大型スーパーが撤退した建物にカラオケ屋・居酒屋・パチンコ屋が入ったのだろう。その他の雑居ビルも空きスペースが多いようで、真っ白な看板があちこちに見られる。たまにテナントが入っていると居酒屋かサラ金で、典型的な地方都市である。とはいえ、見たところ駅前の目立つ位置にピンク産業が出店しているわけではないので、それは救いといえようか。
 他のところに目を移すと、さっき改札からデッキに出てくるまでの間に「土浦駅ビルウイング営業終了のお知らせ」という貼り紙が出ていた。それによると、1983年4月の開業以来25年間にわたって営業してきた土浦駅ビルは、2008年7月13日をもって営業終了した【注1】。また、市内に本店を置いている関東つくば銀行は、2010年1月つくば市に本部機能を移す予定で、土浦市は地元銀行まで逃げ出すという深刻な経済状況下にある。地方都市における中心市街地の沈滞ぶりは、特に土浦のような「県都でない都市」で一層厳しいようだ。
 ここはそのうち東京の通勤圏からも外れていくのではないだろうか。以前新聞で読んだ記憶があるのが、都内に通勤する団塊世代の男性で、牛久市に家を買った人がいて、大学に進学した息子が都内で下宿したいと言い出し喧嘩になったという話である【注2】。団塊ジュニアが大学生というと1990年代半ばの話になるが、既にその頃には、土浦より東京に近い牛久でそういう話が出ていたわけだ。牛久でそうなら、土浦市ではなおさらだろう。もともと通勤圏としてもギリギリのところだったのが「明確に外れつつある」のかもしれない。土浦市は、地方都市としての沈滞とベッドタウンとしての沈滞が同時進行している稀有な例といえる。
 銀行の店舗状況にも少し触れておこう。大手銀行の支店は、協和銀行(現りそな銀)と三和銀行(現三菱東京UFJ銀)のほか、かつては太陽神戸銀行と日本信託銀行の支店があった。現在も営業しているところでは、りそなの支店の前から大通り(国道125号)を北西に進んでいくと地元銀行(常陽銀と茨城銀)の土浦支店があり、駅の東口とを結ぶ高架道路を越えた先には三菱東京UFJ銀行が土浦支店を出している(旧三和銀)。そのすぐ先が関東つくば銀行本店(旧関東銀行本店)である。関東つくばについてはさっき「土浦から逃げ出す」と書いたけれども、つくば市移転は本部だけで、「本店営業部」はここに残ることになっている。2003年4月に関東銀行(地銀)とつくば銀行(第二地銀、本店茨城県下妻市)とが合併してできた関東つくば銀行は、2010年3月に茨城銀行と合併し、つくば本部・土浦本店の「筑波銀行」となる。他は、地銀(足利銀)と第二地銀(東日本銀)が1店ずつある。

 りそなの制覇を済ませよう。
 完全なる地方都市になってしまった土浦市だが、常磐線沿線ということで、りそな内部で土浦支店は柏支店などと同じグループの「東葛エリア」(土浦・柏・流山おおたかの森・北小金の4店)に入っている。東葛とは千葉県北西部の利根川と江戸川とで囲まれた三角地帯。明治時代には千葉県東葛飾郡を形成していて、それを縮めて東葛である。
 店内に入る。キャッシュコーナーのATM枠は、あさひ銀行時代の標準だったパイプを並べたようなデザインで、6台分ある。1台1台の幅は古い機械に合わせて幅広で、スペーサーですき間を埋めている。機械上部の行灯表示は、あさひ銀行時代に換装された赤いプレートがそのまま付いていた。機械配置は記帳機+ATM5台。一番左が富士通の記帳機で、5台あるATMはすべて富士通製である。機種は基本的にファクトAばかりだったが、右から2台目、枠番号でいうと5番にだけファクトVモデル20が入っていた。窓口室の行灯表示はグリーンに改装されていて、それがATMコーナーと比べるとアンバランスだった。窓口は開いているが、客はあまりいなかった。もう3時半を回っているし、地方都市でもあるから、用のあるお客はいないのだろう。15:34、土浦支店を制覇した。
 土浦支店は、1971年6月に協和銀行土浦支店として開設された。協和銀時代の1988年7月、つくば市につくば出張所(有人)を開設したが、2000年4月統合している。また、さくら銀行土浦支店(旧太陽銀)の営業を1997年3月譲受した。

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 【注1】その後イオンモールが運営を受託し、2009年7月に「ペルチ土浦」として営業を再開した。
 【注2】「サラリーマン2007 団塊の軌跡F中流意識 耐えた長距離通勤、一戸建て夢の跡」『日本経済新聞』2007.01.08掲載

2009年11月14日

2008.09.30(火)(3)土浦から水戸へ

 駅に戻るときに気がついたが、駅前ロータリーの東京寄りには立派な日本庭園風の池がある。滝のようなせせらぎが人工的に作られた本格的な庭園であるが、見ているだけで土浦駅前の静けさが強まるような印象があった。というわけで、今日の制覇はこれでおしまい。いよいよ、フェリーに乗るため大洗に移動である。
 15:54発の普通勝田行きに乗車。この電車は水戸に16:40に着き、20分ほどの待ち時間で大洗鹿島線の鹿島神宮行きに接続している。大洗の到着が17:20、大洗港の出航が18:30だから、もうだいぶ船出の時間が近づいている。時間の経過が早いというより、東京−大洗間が100km以上もあって遠いのである。
 とは言うものの、東京から海路で北海道へ行くのに、大洗港はベストポジションである。地図で見ると、東京−大洗−苫小牧−札幌はほぼ一直線で、陸上と海上の移動距離を最も短縮できるところに港が立地していることがわかる。北海道航路が東京港(東京湾の奥)から出ないのは、房総半島をぐるっと迂回することになるためである。北海道側でも、苫小牧の「掘り込み港」は中学社会の地理で習う内容だが、ここにわざわざ港を造ったのには理由があった。札幌から最も近い太平洋岸という意味で、こちらもベストポジションなのである。

 土浦を出てしばらく行ったところに見えたコスモ石油のスタンドは、セルフかフルサービスかわからないがレギュラー159円まで下がっていた。このあたりには里芋の畑が多く、傘のような形をした葉が並んでいる。また、土浦から北側では休耕田が減ったようで、7:3の比率が逆転した感じがする。土浦から北では、農業をまともに営んでいるところが多いのだろう。
 時刻はもう4時近い。完全に高校生の下校の時間になり、車内はにわかに賑わっている。隣の女の子2人が大きな声で喋っているのを聞くともなく聞いていると、彼女たちは2人とも血液型がO型だそうで、「AB型とか言われたら嫌じゃん」と言っていた。O型の人は、自分がAB型と見られるのが嫌らしい。O−ABとA−Bはそれぞれ対照的な気質とされているようだが、高校生は悩みがなくていいですねと思った。なお、女子高生の制服は、関西と違って一人残らずミニスカートで、ある意味爽快だった。神立(かんだつ)駅では、広告の看板に「千代田村」「千代田町」という住居表示が混在している。1992年の正月に単独町制施行した茨城県新治郡千代田村は、2005年3月に「かすみがうら市」になっており、非常に目まぐるしい。茨城県はいわゆる「平成の大合併」で市町村合併の件数が多かった地域である。
 車内で新聞を読んでいるうちに友部まで来た。常磐線の駅の発車ベルは流行歌を使ったものが多く、友部は『明日があるさ』だった。他にも違う曲を使った駅があったが、こういうのは研究している人がいるだろうから私は深入りしない。赤塚駅は綺麗に改装されており、高層マンションとは言えないまでも7〜8階建てのマンションが何軒も建っている。水戸の新しい住宅地として開発が進んでいるのだろうが、その分市街地が空洞化しているのであろう。
 だいぶ空が暗くなってきたが、雨は上がったまま落ち着いている。これまで、茨城に来てまともに晴れていたことはほとんどなかった気がするが、今日は茨城県に入ってから雨にはたたられていない。この調子で札幌まで持ちこたえてほしいものである。

 16:40、水戸に到着した。
 いったん改札の外に出て、券売機で大洗鹿島線の切符を買う。水戸から3つ目の大洗までは310円で、11.6kmしかないから少し高いが、水戸駅前からフェリーターミナルまで直接バスで行くよりは安く上がるので、仕方がないとは思う。
 私が乗る列車は17:04発の鹿島神宮行きで、10分ほど費やしたもののまだ15分くらいある。小腹がすいたので、ちょっとコンビニを探して菓子でも買い食いしよう。水戸の旧市街側である北口に出た。正面ペデストリアンデッキの先に、西友の百貨店業態であるLIVIN(リビン)の水戸店がそびえている。リビンの中に入っているマクドは24時間営業、無印良品と地下食料品売場も24時間営業で、さすが駅前一等地と言いたいところだが、この店は昨日の日経夕刊で閉店すると報じられていた【注】。駅前の一等地にあるこの店が閉店したら、水戸駅が寂しい駅になるだけでなく、水戸の街そのものを壊してしまうのではなかろうか。最近、ナショナルセールスの店を中心に百貨店や大型スーパーのスクラップが激しくなってきているが、企業の経営者には店の閉鎖に取り組む際、町そのものをぶち壊して末代まで恨まれる覚悟でやってもらいたい。企業は撤退すればその町との関係もそれまでだが、町の住民はこれからもその町から逃れられないのである。
 駅前の大きな商業施設は、丸井とリビンくらい。駅前にあった水戸京成百貨店は市の中心部に移転した。駅前に三菱UFJ信託銀行の水戸支店(旧東洋信託)、前方の彼方に茨城銀行の本店が見える。その向かいが常陽銀行の本店だったか。あの辺まで行ったら多少の商業集積があるのだろう。夕方の高校生が下校する時間なので、街中に結構人出は多い。しかし、白く塗られた看板もやはり多い。水戸は県庁所在地なので土浦よりはマシなようだが。
 コンビニは、丸井に向かうペデストリアンデッキ上にファミリーマートを見つけた。割合最近になって出店した店のようであった。

 【注】リビン水戸店は2009年3月閉店した。

2009年11月15日

2008.09.30(火)(4)水戸から大洗へ

 メイン改札を入り、さらに連絡改札を通って、大洗鹿島線の出る8番線ホームに下りてきた。水戸駅7・8番線ホームの入口には内部改札があって、7番線から出る常磐線の上り特急と、8番線から出る大洗鹿島線は、ここでもう1回切符をチェックされるのである。
 ホームの立ち食いソバ屋で、水戸に来ると必ず食べる名物の納豆ソバを食べようと思ったが、8番線のソバ屋では納豆ソバを扱っておらず、はらたいらに1000点賭けてハズしたような絶望感がした。何気なく書いたが、「クイズダービー」を知っている人も、今ではだいぶ少なくなってしまったのだろう。
 17:04発鹿島神宮行きは、KRTというエンブレムのついた両運転台の気動車による2両編成であった。KRTとはKashima Rinkai Tetsudoである。車体は赤・白・黒の3色で塗り分けられている。車内はオール転換クロスシートとハイグレードだが、平成元(1989)年製造とあって相当にガタが来ているようだ。走り装置も旧型機関だろうから、スピードはさほど出ないと思う。車内の壁にチラシがたくさんあって、1枚取ってみると「サッカー観戦は大洗鹿島線で行こう」とあった。鹿島サッカースタジアム(鹿嶋市)で近々試合があるらしく、19時のキックオフに合わせて臨時列車が出るそうだ。
 夕方のラッシュアワーとあって、車内はかなりの混みようである。デイタイムの山手線くらいの感じだろうか。転換クロスシートはほぼ全部のイスに1人ずつ座っていて、時々2人のシートがあるくらい。ドア横のロングシートは詰めればまだ座れるし、詰めなくても座れる椅子もあるが、高校生には座らない人も多いから、混雑率の数字は大きくないハズだ。しかし、ローカル線でこれだけ乗っていればだいぶ混んでいると言えるだろう。
 列車が大洗に向けて発車した。川に沿った高架線の上を走っていく。鉄橋を渡って常磐線から右に離れ、国道50号らしき2×2車線のバイパス道路をまたいで東へ向かっている。珍しく窓から太陽石油のスタンドが見えた。次の東水戸は高架上の島式ホームの駅で、ここで上下列車の交換となる。駅内にオレンジ色の蛍光灯がついているのが珍しいと感じた。このあたりから車窓の風景はひたすら水田地帯で、古い住宅が田んぼの中に時折固まって建っているだけだ。水田は、水戸に来る途中で見たのは緑色の稲が主体だったが、この近辺ではもう刈り入れが終わっている。青田刈りなのか収穫が済んでいるのかは知らない。ともあれ、日本の田舎の風景は、休耕田とか荒れ地が広がっているより、きちんと耕作された土地が広がっている方が美しいと思う。いきなり産廃処分場があったりするのは視覚的には変化だが、興ざめである。

 東水戸と同じような感じの常澄駅に停まった後、列車は大洗に17:20に到着した。大洗鹿島線はローカル線だが、水戸からここまでほぼ全線高架であった。開業したのは1985年と新しく、また当初計画ではこの線に特急列車を走らせることになっていたそうだ。
 乗ってきた2両編成の列車は、大洗から先はワンマン運転になるという。列車を降りて駅舎に入ってくると、レンタサイクルを駅の中で直接営業していて、そこが地方のローカル私鉄らしいと思った。なお、鹿島臨海鉄道は本社を大洗駅内に置いている。
 列車に乗っているうちから日が沈み始めていたが、駅の外へ出てくると、5時半近い今ではすっかり暗くなっていた。今ではガキンチョが何をしていようが関知しない大人が多いが、昔だったらそろそろ「子どもはお家へ帰りなさい」と声をかけられるだろう。但し、駅前は子どもの姿も見かけず静かで、代わりにイルカのモニュメントと時計があった。駅前広場は結構広くて、ロータリーの内側は駐車場になっている。待ち人が何人かいるが、バス待ちではない。駅前には茨城交通のバス停が2本立っているが、バスは1日合計4本しかないから、迎えの車で帰宅する人たちなのだろう。
 駅前には、大洗を中心とした地図の大きな看板が掲示されている。茨城県が立てたようで、まださほど古びてはいないのだが、合併で動く前の旧自治体名がてんこ盛りに記載されているなど、ここ数年ですっかり「古い地図」となってしまっている。大洗の手前まで3kmほど隔てて鹿島臨海鉄道と並走している茨城交通の鉄道線は、2008年4月に第三セクターの「ひたちなか海浜鉄道」に変わった。小川町・美野里町・玉里村は合併で小美玉(おみたま)市になったが、この市はいまひとつポイントが掴めない。市域を貫通する主要な幹線道路がないようで、市内には2010年3月に茨城空港となる航空自衛隊百里基地や、常磐線羽鳥駅があるが、図で見る限り羽鳥駅から百里基地までまっすぐ行くことはできない。麻生町・北浦町・玉造町が合併した行方(なめがた)市は、廃止になった鹿島鉄道(鹿島臨海鉄道ではない)の沿線である。鹿島鉄道の終点だった鉾田(ほこた)町は、旭村・大洋村と合併して鉾田市になっている。大洗町と茨城町はそのまま、JCOの臨界事故で有名な東海村もそのままである。
 いずれにしても、大洗は田舎であると強く感じた。「田舎度」が群馬よりも強いのは気のせいだろうか。平地が多いからか、はたまた群馬に対してナショナリズムのようなものを感じているせいか。

 私が駅前から乗るのは17:35発の町営循環バス。このバスが本日の最終便である。「大洗海遊号」といい、大洗町が茨城交通に委託して運行している。
 とりあえず茨城交通のバス停前で待っていると、35分から数分遅れてバスがやって来た。車体前面が赤、側面は青で塗られ、魚やアザラシ(?)などのマンガチックなイラストで埋めつくされている。日産ディーゼル製で、ドアは前部に1か所あるだけ。側面の窓は全て上部にアールがつけられている。車内はオールウッド調で、座席は普通の前向きではなく、2人掛けの椅子が窓に直角に向いて並んでいる。観光地仕様のいかにもにぎやかな外観と装備。ものすごい車が来たものである。運賃は1乗車100円で、先払いである。
 数人の客を降ろし、代わりに私1人が乗り込んでバスが発車した。駅からの乗客は私だけで、ここから先は空気輸送に等しい。バスはロータリーから左に曲がり、茨城銀大洗支店の前を通ってセブンイレブンのある角を右折、大洗町の中心部に入った。郡部の旧市街は個人商店ばかりで、この時間になると開いている店もほとんどないようだ。商店街を抜けると太い道へ出た。車線の数が増えたかどうかは記憶にないが、とにかく新しい道である。しばらくまっすぐ進むと、前方右に大洗のマリンタワーが見えた。トレーラーがたくさん停まっている港湾施設に入る。「大洗港フェリーターミナル」の電飾文字がはっきり見えた。
 バスはターミナルの真ん前で停まった。降りる時、運転手から「フェリーに乗るんですか」「何時のフェリーですか」と聞かれる。夕方便だから6時半出航に決まっているのだが、運転手がそれを知らないことに驚いた。このバスには通常フェリーの客がほとんど乗らないのか。私が今日乗船できるかどうか、急に不安になってきた。

2009年11月16日

2008.09.30(火)(5)いよいよ乗船

 フェリーターミナルは、2階まで吹き抜けの立派な建物であった。内部も非常に広い。乗船は既にあらかた済んでいるようで、6ブースある受付の窓口は4つがカーテンで閉鎖されており、開いているのはトラック用と一般乗船客用の2つだけだった。広いターミナルビルはシーンと静まり返り、ロビーに若いカップルが1組いたが誰もいないに等しかった。
 窓口での乗船手続きは、ウェブで予約した際の画面のプリントアウトを2枚持ってくるよう、事前に指示されていた。これは乗船名簿の代わりだという。決済に使ったクレジットカードを紙と一緒に提示して、船会社発行の乗船券と交換する。手続はすぐに完了した。ということは、乗船はできるということである。ホッとした。
 乗船口は「東バース」にあって、2階へ上がってまっすぐ行けばいいそうだ。途中に食堂兼売店のような店があり、乗る前に軽く腹ごしらえをしようと思ったが、店員によれば出航40分前では時間的に厳しいとのことで、何も食わずに店を出た。長い長い連絡通路は、小田急線新宿駅のサザンテラス連絡通路のような感じで、イボイボのついたクリーム色の床と、白い天井がずっと続いている。側面窓は網線の入ったガラス張りである。体感では数百メートル歩いた気がするが、とにかく連絡通路を長いこと歩いてくると、ようやく、船体に大きく太陽のマークを描いたフェリーが目の前に見えた。これが、今から乗る「さんふらわあ さっぽろ」である。さんふらわあというのは、もともとはクルーズ客船が日本になかった頃に豪華客船として就航したのだったが、現状では単に「商船三井系のフェリーの名称」となっている。
 船の入口は「さんふらわあ」のマークのどてっ腹にあるようだった。飛行機に乗るときのタラップを大きくしたような通路がついているが、これはたぶん船が着くたびに動かして接続させるのだろう。ようやく船に入ると、そこからさらに上りエスカレーターが動いている。これを上がるといよいよ航海の開始となるわけだが、人の気配はまるで感じられない。乗客は私以外にいないのかと思ったが、ドライバーは車を船に載せてそこから直接上がってくるのかもしれない。
 エスカレーターで上がったところはホテルのロビーのようになっていて、一歩足を踏み入れると同時に女性の船員にチケットをチェックされた。連絡通路の手前で作業服を着たおじさんにモギリをされているから、船に乗るまでに2回の検札があることになる。それなりにチェックは厳重のようである。

 ようやく船に乗り込んだ。私の居場所は「エコノミールームで、部屋番号も席番も完全に決められている。娯楽施設の真ん中を抜けて直進した中央部分だそうだ。着いてみると、船室は6×12mほどのスペースに、アバウト40人が乗るようだった。全部「指定席」ではあるが、設備は2等船室そのものであった。紫色のカーペット敷きの床に、70cmくらいの幅の青い折りたたみ式マットレスと毛布。別にもう1枚、マットレスの上に敷くパッドがあった。シーツが2枚ついているが、どちらかを毛布カバーとして使うのだろう。そして、枕が1つ。これらが、各人に1組ずつ割り当てられている。私の乗った部屋は定員44人だったが、出航時点では布団を広げているのが14人分だったから、定員の1/3くらいしか乗っていないことになる。エコノミールームは他にもいくつかあるが、他が満室でうちの部屋だけこの程度ということはないだろうから、シーズンでもない今日はすいているのだろう。
 とりあえず、船内を探検して回らないといけない。船に乗った目的は「仕事をやること」だから、作業スペースを見つけるためである。この船には個室もあるが、言うまでもなく2等より運賃が高い。
 健全な娯楽は充実しているようだ。ゲームコーナーがあり、メインロビーの片隅にはインターネットコーナーもある。25分500円で、地上の倍の料金水準だが、これは高いのか安いのか。また、「マリンシアター」なる映画館がある。番組は船内テレビでも視聴可能だそうだが、関心はなかった。メインロビーにあるビールの自動販売機ではサッポロクラシックとエビスを売っていて、しかも素晴らしいことに普通の値段(ロング缶クラシック300円・エビス320円)であった。
 何度も繰り返しているように、私は仕事をやりに来たのである。エコノミールームと同じ階の階段脇にあるテーブルは、横にコンセントもあるので使えそうだった。テレビが置いてあるので、見ている人がいると困ってしまうが、そういう時には別のテーブルを探すことにしよう。テレビといえば、さっきチラッと見た気象情報では、台風15号が来ていて沿岸では波も高いという。船酔いが心配だが、大丈夫だろうか。
 船長による出航10分前のアナウンスが流れた。忘れかけていた空腹をここで再び思い出す。精神的に落ち着いた途端に空腹を感じるというのは、動物的な欲求にきわめて忠実である。最上階・7階のレストランで夕飯にする。7階にあるというレストランは、船内案内には「第7甲板」と書いてあり、甲板(こうはん)イコールx階という意味のようだ。蛇足ながら、乗船する時にエスカレーターで上がってきたメインロビーは第5甲板である。気になる食事のお代は、夕食バイキング1600円【注】、朝食バイキング1000円で、セット券2300円を買うと両方食べられるという。
 バイキングのメニューは豊富であった。1600円という価格設定は安くはないが、それでも船会社としては採算は取りにくいに違いない。しかし、一生懸命品数を増やしてある。私は、バイキングではついつい「お里が知れる」食べ方をしてしまう。ここぞとばかりに元を取ろうとするのである。取ってきたものを一応掲げておくと、レタス、水菜と蓮根入りサラダ、海草サラダ、マカロニサラダ。味噌汁、炊き込みご飯、栗ご飯、白飯。から揚げ、エビフライ、かぼちゃコロッケ、きのこグラタン、和風ハンバーグ(直径5cm程度)、マグロの刺身、ローストビーフ、フライドポテト、こんにゃくの煮つけ、サバのミリン焼き。冷かけそば。「さんふらわあ」のマーク入りケーキ2種(チーズケーキ、ブルーベリー味のチョコケーキ)。巨峰1粒、メロン、パイナップル、オレンジジュース。以上であった。
 食堂に入って席に着いたところで汽笛の音がして、少し揺れが大きくなってきた。いよいよ出航するのであろう。夕食の開始と同時に、船で大海原に乗り出したときに特有の揺れが襲ってきた。さすが太平洋で、港を出たら直ちに揺れ始める感じである。特に今日は悪天候のせいか、思っていたよりも揺れが大きい。「仕事」をやりに来るのには失敗だったかもしれない。しかし、仕事をやらざるを得ない状況に追い込むのが今回の趣旨である。こういう状況だからこそ仕事をするしかないのだ。いずれにしても、この調子で明日の昼飯が済んでしまう時間まで船に乗り続ける。出航してまだ1時間も経っていない。結論を下すのはまだ早いだろう。

 夕食後。いよいよ本来の目的である「仕事」である。食堂の前に丸テーブルと一人がけの椅子が並んでいる展望座席を見つけ、コンセント前の席を選んでノートパソコンを立ち上げる。丸テーブルは好きではないが、逆に展望座席で角テーブルを求める方が間違っているかもしれない。
 作業をしていると、バイキングが7時半で終了という船内放送が流れた。もう夕食は終わりなのか。繁盛していたわけではなさそうなので、残り物が大量に出ると思うが、どうなっているのだろう。実は、トラックドライバー用の食事として使われるようだ。普通客用のバイキングの後でそのままバイキングにするのか、おかずだけ集めて定食にして出すのかはわからないが、トラックの保有会社が船会社と食事の契約をし、ドライバーに食事券を渡して乗務させているらしい。なお、この船では、一般の乗船客とトラックドライバーは、食堂や風呂、ゲームコーナーその他のパブリックスペースに至るまで完全に分離されている。双方は行き来できないわけではないが、風呂は利用時間をずらしているし、トラックドライバー用の食堂、トラックドライバー用のゲームコーナーなどがあるわけである。フェリーが日常生活からの脱出である一般客と、生活の場そのものであるドライバー。1隻の船で両立させるには分離するしかないのだろうが、私はこの様子を見て一瞬、町のあらゆる場所が「ホワイトオンリー」と「カラード」とに分かれていたかつての南アフリカ共和国を連想してしまった。
 食後に2時間くらい作業をしたら、眠くなってしまった。缶ビールを軽く飲んで、9時には客室に戻って横になった。次に目を覚ましたのは、午前0時過ぎであった。ハッと覚醒した時、船内は夜行の船ゆえ照明が落とされて薄暗くなっていた。私の体内時計は夜働いて昼間寝るように固定しているから、こんな時間に起きてしまうのはどうしようもない。しかし逆に、そういうことなら、寝静まっているハズの船内で思い切り仕事をした方が良いと思い直した。
 夕食後に仕事をしたときも船内をうろうろしたのだが、条件の良い場所が思ったより少ない。座席の条件が良いところに限ってコンセントがないのである。結局、この船で最も快適に仕事ができたのは、さっきの7階レストラン前であった。深夜の7階レストラン前では人間の気配は全く感じられず、エンジン音と、何かがブルブル震えている音はするものの、静かであった。

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 【注】2009年4月から夕食バイキングは1800円となった。朝食とセット券は変わらず。

2009年11月17日

2008.10.01(水)(1)いざ上陸、秋の北海道

 夜中の3時くらいまで仕事をして、船室で横になった。目が覚めたのは、レストランの朝食営業を開始すると船内放送がかかった07:30のことであった。食事のセット券を夕べのうちに買っているので、直ちに食べに行った。
 食堂には現在位置を知らせるモニターテレビがあって、青森県八戸沖とあった。窓からは素晴らしい青空が広がっている。食後にデッキに出てみると、太平洋上では空も海も真っ青で、眩しいくらい。終日ぐずついていた茨城の空が嘘のようであった。
 朝食もバイキングで、夕食ほどではないがそれなりに豪華である。夕食にあったローストビーフや刺身は消えているが、朝食のバイキングだから仕方がないだろう。そんな中、メニューに納豆とヨーグルトがあったことに感慨を覚えた。出発地・茨城と目的地・北海道、両方の発酵食品。両者のブランドは納豆が「おかめ」、ヨーグルトが「よつ葉」だったと思うが、度忘れしてしまった。

 朝食の後、もう一仕事するつもりでいたが、自分の布団に戻ってつい横になったのが運の尽きであった。昼食開始の放送で目が覚め、まどろんでいるうちに食堂も売店も営業を終了してしまったのである。完全に目が覚めたのはその時点だったから、昼食は食べそびれてしまった。仮眠したとはいえ、前夜の夜なべ仕事からの続きで支度して出発したから、その分の睡眠不足を船の中で解消した程度で終わってしまった。やり慣れないことをやると、どうしても睡眠の方にしわ寄せが来る。私のこうした「睡眠過多体質」はたいていの人には理解されず、怠惰なようにしか思ってもらえない。かつて仕事で接していた某ディレクター氏には、これで随分泣かされたものだ。結局「仕事のために缶詰」というのは、少なくとも往路ではあまり成功していない。行きの船内では何一つ「終わった」ことがないからだ。19時間の航海のうち、船に慣れるのに1時間、食事と風呂で2時間、睡眠で11時間半を費やしたが、それでも持ち時間が5時間はあったハズだ。しかし、往路でやろうと思っていたことの半分も終わっていない。復路でどうなるかわからないが、これでは8000円の投資をしただけの価値がない。
 さて、レストランの昼食営業が終わってしばらくすると、苫小牧港に入港である。間もなく着岸すると船内放送があった。そろそろ下船の準備をしろということだ。窓の外を見ると陸上のタンク類が見えたから、もう港には入ってきている。苫小牧は曇っているようで、窓の外は眩しくはなかった。
 既に片付けを終えている私はやることがなく、ロビーのテレビを見るともなく見ていた。小沢一郎・民主党代表(当時)が衆議院の本会議で代表質問をしている。何気なくテレビの受像機を見ると、沿岸各地のテレビ局のチャンネルが設定してあり、局名一覧の中に「岩手めんこいテレビ」の文字列が目についた。他に見ている人もいないのでチャンネルを合わせてみたが、やはり苫小牧では「放送されていません」という真っ黒な画面になった。岩手出身の小沢氏がめんこいテレビの免許交付に絡んでいたのは有名だが、今回は全くの偶然である。大洗−苫小牧航路のテレビに岩手の局がセットしてあるのは、コースに岩手県沖が相当の割合で含まれることを考えれば不思議ではない。岩手県のテレビ局は、太平洋と青森県境との両方に近い県北の二戸市に大出力の中継局を持っていて、青森県東部の旧南部藩地区まで放送エリアとしている。フジテレビ系列の岩手めんこいテレビは、これを武器に、フジ系のテレビ局がない青森県での営業活動に力を入れているという。
 船の振動が止まった。やがて接岸したと放送があり、ちょうどこのタイミングで小沢氏の代表質問が終わった。接岸はしたものの、徒歩での乗船客は、下船までまだしばらくかかるようだ。

 13:30過ぎ、私は苫小牧港に降り立った。
 苫小牧港のタラップは昨日の大洗と違い、鉄骨や波板がむき出しの武骨な外観で、大洗よりは「港に来た」という感じがする。フェリーターミナルは苫小牧の方がコンパクトであるようだ。ターミナルに向かう通路はほぼ外気にさらされているのと同じだが、思ったほど寒くはない。船の中が暑いくらいだったから、ちょうどよいといえる。通路から、ターミナルの2階にそのまま通じた。中2階がメインエントランス、その下の1階が乗船券売り場になっている。大洗の建物が意味もなく大きく感じたのは、多額の税金を投入して箱物として作ったせいかもしれない。
 乗ってきた船は、18:45発の夕方便として大洗に引き返すそうだ。もう一隻停まっているのは仙台経由名古屋行き(太平洋フェリー)で、その他に八戸行き(川崎近海汽船)も出ている。北海道の太平洋側における長距離船の発着は、長いこと室蘭と苫小牧とで二分されていたが、近年では札幌に近い苫小牧の一人勝ちということだ。フェリーでは、最後まで残っていた室蘭−青森線(東日本フェリー)が2008年11月いっぱいで廃止され、現在室蘭から発着するフェリー便はない。私は1回だけ室蘭から青森に渡ったことがあるが、JR室蘭駅から歩いて行ける便利なフェリーターミナルだったので惜しまれる。そういえば、大洗のフェリタでは、乗船口に向かう通路の入口にある方面案内の看板に白い紙をたくさん貼って「室蘭」という文字を隠していた。大洗から出るフェリー航路は苫小牧行きの他、2002年6月までは室蘭行きもあったのである。
 さて、苫小牧港から札幌までは、高速バスで一直線である。札幌駅行きの北海道中央バスは13:57発で、バス停はフェリタの建物を出て右側にあった。既にバスが1台停まっている。背後にカントリーエレベーターのようなものが見えるのが北海道らしい。
 乗り込んでみると、バスは普通の観光バスと同じで、車内前面にデジタルの運賃表が付いているところが観光バスとは異なる。支払いは降車時に現金での取り扱いになるそうだ。発車までまだ10分以上あるせいか車内はガラガラで、乗客が増える感じはあまりない。この調子だと10人くらいしか乗らないのだろうか。苫小牧に降り立ったのは2回目で、前回は八戸から乗って来たのだったが、その時はもっとたくさんバスに乗った気がする。大洗航路はバスの利用者が少ないのか。

2009年11月18日

2008.10.01(水)(2)下船して初めての街、苫小牧

 下船した時は曇りだと思っていたが、車の前面ガラスをワイパーで時々拭かないといけないくらいの小雨が降っている。空は完全に太陽が出ているから、お天気雨というやつだ。
 バスは国道36号線を走っている。まだ港を出たばかりだが、もうこの時点で車窓風景に感じ入っている。なにしろ、普通の民家からして「やっぱり北海道」なのである。ベランダがなく密閉性の高そうな民家には、必ず煙突がある。瓦屋根の家はみられない。空き地も、草の成長がさほど良くないらしく、雑草の生え方に勢いがない。草がぼうぼうに生えている土地は見当たらない。
 苫小牧市の中心部に入ってきた。市役所を横目で見つつ、3車線×2の大幹線道路から右に曲がって駅前通りに入ってきた。突き当たりは苫小牧駅の南口である。サッポロビールの「苫小牧ビール園」というのが駅前通り沿いの雑居ビル2階に入っている。大学浪人3年目の終わった春に札幌市近郊のサッポロビール園に行ったことがある。あれは工場だったと思うが、「ビール園」というのは道内各都市にあるのだろうか。駅前のミスタードーナツは古いスタイルのウッディな内装の店がいまだ健在であった。
 駅前通りに入る角の近くには、北洋銀行の苫小牧中央支店と札幌銀行の苫小牧支店が並んでいた。現在、北洋銀に「苫小牧支店」はなく、営業譲渡された旧北海道拓殖銀行の支店がその役割を担っている。札幌銀の苫小牧支店は2008年10月の北洋銀との合併で表町支店となり、合併半年後の2009年4月に早くも統合された。駅前通りから少し入ったところには苫小牧信用金庫の本店があって、北海道銀行(苫小牧支店)、室蘭信用金庫(苫小牧中央支店)、そして富山市本店ながら道内に20店舗を持つ北陸銀行(苫小牧支店)もある。
 駅前には下校する高校生がちらほらいたが、まだ2時過ぎだからテスト期間なのだろうか。女子のスカートの丈は太ももあらわなほどではないが、一応ミニスカートの部類だと思う。地域性なのか、それとも長くなってきてこの状態なのかは分からない。
 駅舎の右側に大規模な市営バスターミナルが見えるが、今乗っているのは市バスではなくて中央バスだからそこには入らず、駅前のロータリーに乗り入れる。駅舎から南に通路が延びているのが見え、その先につながっている7〜8階建ての再開発ビルは「EGAO」という名前である。地元スーパー大手のラルズマートが運営しているそうだ。駅ビルは1棟まるまる空きビルになっているようで、ここにはかつて、北海道の地場百貨店「丸井今井」が苫小牧店を出していた。もともと経営が思わしくなかったところに、1997年にメインバンクが経営破綻して一気に調子が悪くなり、低空飛行の経営を続けていた。2005年には苫小牧や釧路など地方店舗を閉めてリストラを図ったが、とうとう2009年1月に倒産してしまった。駅の反対側には長崎屋とイトーヨーカドーが見える。長崎屋は今のところ「メガドンキホーテ」などにはならずスーパーのまま健在である。報道によればイトーヨーカドー苫小牧店は閉店に向けて動いているらしい。市の郊外にイオンのショッピングセンターが2005年4月進出しており、苫小牧市の商業にとっては相当の激震であったようだ。
 バスの乗客はここで半分が入れ替わった。フェリーターミナルから乗ってきて駅前で降りる人あり、駅前から札幌に向かう人も結構たくさんあり。バスの方がJRより安く、しかも時間帯によってはバスの方が札幌に早く着くのだ。バスといえば、駅前でイオン苫小牧ショッピングセンターの無料送迎バスを見たが、どう見ても関東の東武バスそのままのカラーリングで走っていた。中古のバスにイオンのショッキングピンクのシールだけ貼ったのだろうか。

 バスは駅前を出て、市役所前まで再び戻ってきた。36号を再び港の方に戻るのかと思ったが、苫小牧信金の支店がある角で左折して36号からそれ、国道276号に入った。その後、JR室蘭本線をまたいで別の苫小牧信金の角で右折。さっきの角が中野支店、次の角が緑町支店だそうである。駅前からはずっと片側2車線の道路が続き、苫小牧市の郊外という感じで雑居ビルなどが建ち並んでいる。「苫小牧プリンスホテル」なるホテルがあるが、これは本物の(というより旧西武=国土計画の)プリンスホテルではない。
 いつの間にか国道36号を東に走っている。苫小牧近辺ではレギュラーガソリンはリッター155〜165円で推移しているようだ。ロードサイド型の個人商店が多くなってきたが、営業している店はほとんどみられなかった。そこへイオン苫小牧ショッピングセンターに遭遇。ああした店を利用していた人の大半はイオンに吸いとられてしまったのだろう。
 明野というところで国道36号は左の方にそれて行ったが、バスはそのまままっすぐ来ている。このあたりから一戸建ての住宅団地になってきた。ウトナイ団地というこの団地は、開発年度が新しいらしく更地が多い。建物は一戸建て住宅、それにアパートも見られるが、マンションはないようだ。どの建物も箱に近い閉ざされた外観をしている。暖房の技術が向上したのか、この団地の住宅には煙突をつけた家が少ないようだ。
 高速にいつになったら入るのかと思っていると、北洋銀行の沼ノ端支店があった。確か最近新設された支店のハズだ。ウトナイ小学校近くのコンビニ、セイコーマートの角で左に曲がる。やっと、高速道路の高架が前方はるか彼方に見えた。

2009年11月19日

2008.10.01(水)(3)生理的欲求による危機

 原野の真ん中で勇払(ゆうふつ)川を渡り、高速道路に入るようだ。
 バスは、ウトナイ団地から再び国道36号に出た。北海道らしく、その曲がり角にもセイコーマートがある。右折してしばらく走ると高速道路のガードがオーバーパスしていて、バスはその角で左折、以後は横を走る高速道路の脇を並走する。日高自動車道と苫東道路とが二重区間になっていて、その横を一般道が延々と苫小牧東インターまで続いているのだ。国道と高速とが直交する北東側は、マガンやハクチョウの集団飛来で有名な、ラムサール条約登録湿地のウトナイ湖である。
 植物の名前はわからないが、樹木はたくさん生えている。少しだけ紅葉しているところと、シラカバが多数みられるあたりはさすが北海道である。道の左側は、入ったらズブズブと足がはまりそうな湿地。路肩には、雑草だと思うが紫色の花が咲いている。セイタカアワダチソウも黄色い花を咲かせている。ハイマツというのか、さほど背の高くない松の親戚のような木が生えている。木に絡みついているツタは真っ赤である。
 苫小牧東インターから高速に入ったのは、14:43のことであった。札幌到着まで、まだ小一時間ある。雨が上がったと思っていたら、高速に入って間もなく突然空が暗くなり、再びたたきつけるように降り出した。いま雨中に走っている道央自動車道は、地平にいきなり作ったのではないかと思える道で、盛り土の部分もあるものの高さが非常に低い。内地の高速道路のように一般道から截然と切り離されているわけではないのだ。もちろん一般道からそのままスルッと入ったりはできないのだが、高速道路ひとつをとっても作り方がアバウトである。場所によっては、上下車線の間に中央分離帯を作らず、そのまま自然の森になっているところさえある。
 恵庭バス停付近では、牧場で羊が放し飼いにされていた。そのすぐ先ではヒマワリの栽培をやっているようだ。車窓風景の一つひとつが北海道らしく、すべてが新鮮であった。さっきの雨は本当に局地的なものだったようで、雲は少しあるものの青空が広がっている。
 天気の移り変わりが激しく、また少し雨模様になってきた。輪厚という地名は「ワッツ」と読むらしい。以前「あさめぐ」で行った東武野田線岩槻駅前の再開発ビル(現さいたま市岩槻区)を思い出した。字は全然違うがあれも「ワッツ」といい、[岩槻駅前ワッツ]という店舗外ATMが現在もある。
 高速に入って20分ほどで札幌市に入ったが、札幌駅はまだ先だろう。私の体内にあるタンクがだいぶ膨張してきた。このバスは休憩なしで札幌まで突っ走るようだ。

 バスは札幌南インターで高速を出た。
 この付近は札幌市厚別区である。ここまで来ると大都市・札幌の通勤圏で、高層マンションがドカドカ建ち並んでいる。
 私のタンクがいよいよ破裂しそうになってきた。次の停留所は「大谷地駅」というそうで、駅ならば生理的欲求の処理施設ぐらいはあるだろう。私はここでバスを降りることにした。もともとは「大きな谷地」、つまり大きな湿地帯だったという大谷地は、市営地下鉄東西線の延伸開業とともにニュータウンとなった土地だそうだ。
 バスがバスターミナルの前に横付けになった。大谷地駅のバスターミナルは縦に細長い建物で、両サイドにバスホームが並んでいる。縦に5台分のバスホームが2列、全部で10番線まであり、鉄道でいうと島式ホームのようになっていて、その中心部に地下鉄乗り場につながる階段がある。運賃箱に1180円を投入し、ほとんど飛び降りるようにバスを降りた。バス代は札幌の中心部まで乗るよりも90円安かったが、ここから地下鉄に乗ったら、バスで直接行ったのと比べて確実に高くなる。
 それにしても参った。生理的欲求が我慢できなくなって途中で降りたのは、ちょっと今までにはない失態である。ただし、原野の真ん中にある辺鄙な停留所でバスを降りたりせず、地下鉄駅の併設ターミナルで降りる程度には頭が働いていたということだ。男性用の処理施設は、バスを降りてすぐ目の前にあったので助かった。

 バスを降りてしまったので、大谷地から先は地下鉄で目標に向かう。札幌市の中心部にある大通駅はここから8つ目であり、相当手前でバスを降りたということだ。運賃は280円で、札幌に限ったことではないが市営地下鉄は運賃が高い。
 富士通FV10が1台だけ置いてある道銀のキャッシュコーナー(大谷地支店・地下鉄大谷地駅)が構内にあるのを横目で見つつ、自動改札から中に入る。「出口」など横長の行灯看板は、文字部分の両側を大きく丸めてあるあたりが横浜市営地下鉄のデザインとそっくりだった。駅のホームの「1番線」「2番線」という表示はオレンジ色で、その他の部分にクリーム色が多用されているところは京都市営地下鉄に似ているようだ。札幌市の地下鉄は、国内各地の地下鉄からデザインを寄せ集めた感じがする。可動式ホーム柵が10月8日から導入されるそうで、試験取り付け中につき触るなとの掲示があり、三菱電機の腕章をつけた警備のおじさんが張り番をしていた。
 札幌の地下鉄はゴムタイヤ式で有名で、東西線もゴムタイヤ式のハズだが、普通の鉄道の駅とそんなに変わらない印象だ。よくよく見ると、軌道の真ん中に太いレールが1本だけ走っているところが普通の2本レールの鉄道と違っている。やがて電車がやってきた。ぴゅんぴゅんぴゅんぴゅん、という電車接近の音は非常に独特である。車両はたぶん新車で、車体のデザインは都営大江戸線にそっくりだ。電車は7両編成で、あとで調べたところでは15:28発宮の沢行きであった。座席が半分埋まった程度の混雑度で、楽々座れた。車内は網棚がないのに驚かされた。

【2011.07.08追記】北広島市にある地名「輪厚」が札幌市にあるように読めてしまうため、第6段落冒頭「高速に入って20分ほどで札幌市に入ったが、札幌駅はまだ先だろう。」の文言を第7段落冒頭に移動しました。

2009年11月20日

2008.10.01(水)(4)札幌支店を制覇

 15分ほどの乗車で大通に到着した。地下鉄での大通到着が15:44ということは、バスを大谷地で降りなくても時間的には大差なかったということである。
 札幌市営地下鉄の駅内インテリアは、もともとはタイル張りで、ベージュとも栗色ともつかない色の壁紙(というか壁材)に張り替えつつあるようであった。壁材には時計台や道庁舎のイラストが入っている。駅には時間的に女子高生がたくさんいるが、服装は完全に東京と一緒で、ロングスカートの女の子は1人もいない。あてずっぽうに麻生(あさぶ)方面の連絡階段を上がる。改札を出たらエスカレーターで西出口に上がればよいが、改札そばの精算機に切符を入れたところ「精算金額を入れて下さい」と機械様から言われ、「入れてんだろゴルァ」と思ってしまった。
 「出口4」は道銀ビル(北海道銀行本店)で、本店営業部のATMコーナーと夜間金庫投入口が地下にある。道銀の通帳を持ってきているので、せっかくだから記帳すべく寄った。道銀を出ると、地下鉄の切符売り場横に北洋銀行のキャッシュコーナーがあって、行列ができている。大通支店の地下鉄大通駅出張所だそうで、ATMが4台あって、さらに後ろに5〜6人並んでいる。信用金庫と労働金庫も別の場所にキャッシュコーナーを出しており、札幌の地下街はATMが充実している。信金は札幌信金が幹事となった共同ATM、信金の隣りに北海道労金のATMがあった。これらを横目で見ながら、福岡・天神の地下街と似た雰囲気のコンコースまで来ると、地場百貨店・丸井今井の本店に抜ける道がある。ここで左に曲がって5番で上がると、りそな札幌支店はすぐである。バスを途中で降りたのは、却ってよかったかもしれない。
 ここで面白いものを見つけた。5番出口の脇にある案内板には、地上の写真がついているのだが、だいぶ色褪せたそのカラー写真は、高校を1987年に卒業した私にはあまりに懐かしかった。「北洋相互銀行」という看板のほか、床掃除に近い丈のロングスカートをはいたセーラー服の女子高生が写っていたのである。私が中学〜高校の頃、女子は制服のスカートを少しでも長くしようとしていたのだ。北洋相互銀行の普銀転換は1989年2月のことである。

 5番出口で出た。この界隈が、札幌の一番の中心地ということになる。
 地上に出ると、テレビ塔の時計が3:56を指していた。すさまじい雨が降っている。階段を上っているときに床が濡れていたのと、すれ違う人が皆傘をすぼめる動作をしていたから、雨が降っているのは地下にいるうちからわかっていたが、それにしてもちょっとひどい雨だ。たまらんなあ、苫小牧のあたりでは一部晴れていたのに。傘をさして表に飛び出す気にもなれず、私は地下鉄の入り口でしばらく佇んでいたが、やがて私は、ぶつくさ呟きながら折り畳み傘を取り出し、思い切って雨の中を駆けだした。
 上がったところは秋田銀行の札幌支店で、目指すりそな銀行札幌支店はその先、北側の交差点角にある。南北に細長い8階建ての1〜2階がりそなの札幌支店で、建物名は「武田りそなビル」となっている。りそなの支店以外には、全労済、昭和リース、日本オラクル北海道支社、新日本有限責任監査法人、関電工北海道支店といったテナントが入っているようだ。昭和リースはもともと旧協和銀行系のリース会社だったが、新生銀行の子会社となった今も「りそな営業推進部」なるセクションを持っており、また札幌オフィスはりそなの支店ビルに入っている【注】。店の前には北海道神宮の石柱が建っているが、神社は西に4kmも行った先である。
 札幌支店の入口にはステンドグラスがあって、来店客の目を楽しませている。ステンドグラスの両側に自動ドアがついていて、半円形をした風除室になっている。ステンドグラスのテーマは「北の情景」だそうで、原画を描いたのは北海道教育大学の教授だったが、名前は控えてこなかった。代表たる北海道の花々のスズラン、ハマナス、赤い実のナナカマド、また水の流れと太陽の光が、太陽に向かって伸びゆく様子を表現しているそうだ。
 店内に入ると、窓口室の行灯とキャッシュコーナーの行灯は両方とも緑色のプレートに換装されていた。キャッシュコーナーは旧あさひ店に特有のパイプ形デザインで、1台1台の幅は広目になっている。プレートは緑に換えてあるが、パイプのふたの部分は赤いままであった。ATMは7台分の枠に3台しかないが、富士通ファクトVモデル20で統一されている。一番左の枠に両替機がはめ込まれ、記帳機(これももちろん富士通)が1台別置きで置いてあった。キャッシュコーナーの右側に、りそなが提携している外貨両替店・トラベレックスの窓口ブースがある。ATMの少なさはいかんともしがたいが、こういうものがあるあたり、札幌支店は単なる地方支店とは違う。
 16:04、札幌支店を制覇した。私は一番右の「3」と書いてある機械を使ったのだが、機械の台数を減らした際に外側の枠番だけを変えたようで、レシートの「取扱店」欄には「310-07」と印字されていた。310は札幌支店の店番号で、「07」が本来の機械の番号なのだろう。
 りそな銀行札幌支店は、1914(大正3)年に不動貯金銀行札幌代理店として開設されたのが始まりである。代理店開設の日付は文献により違いがあって、不動が出した『牧野頭取講演全集』の年表では10月1日、あさひ銀行になってから出た『協和銀行通史』の店舗欄では8月15日となっている。1919年4月1日付で札幌支店となり(『牧野』による。『通史』には記載なし)、9行合併と普銀転換を経て協和銀行の札幌支店となった。現在地での営業は1957年12月からで、新築のための仮店舗移転を経て、1995年11月に現店舗での営業を開始した。

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 【注】昭和リース札幌オフィスは2009年4月頃移転した。

2009年11月21日

2008.10.01(水)(5)雨中、札幌中央支店跡

 日頃の行いがそんなに悪いとも思わないが、今回は雨にたたられている。それでも、太陽はわりと近いところには顔を出しているようで、札幌三越の上空など雲の切れたところもあった。これで斜めに日が射してきたら、なにやら幻想的な光景である。それにしても既に夕方4時、道路はかなり混み始めている。りそな銀行札幌支店の面する北一条通りの東行きは、札幌駅前通りの1本先の信号でつかえていて、駅前通りとの交差点にまで信号待ちの車が続いている。
 りそな札幌支店と同じ交差点の向かい側(南東角)に、「IMON」と大きく書いてある茶色いビルがある。これは、旧大和銀行の札幌支店、りそなとしては札幌中央支店があった建物で、井門札幌ビルという。札幌中央支店は大和銀行時代に空中店舗化され、何階に入っていたかは記憶にないが、キャッシュコーナーだったところは「オフィス24」というビジネスコンビニになっていた。当日現在のテナントリストでは、2階に東京スター銀行の札幌支店があって、その他大塚商会、アフラック、HIS、アクセンチュア、だいこう証券ビジネス、などがある。アクセンチュアは昔のアンダーセンコンサルティングだったか。JASRAC(日本音楽著作権協会)もあり、10階には北海道テレビ放送(テレビ朝日系)の営業セクションがある。結構な大企業が入っているビルであった。
 大和銀行の札幌支店は1952年12月の開設で、当初は大通西2丁目にあった。現井門ビルのある北1条西3丁目に移転してきたのが1957年11月。1984年9月に新築のため仮店舗に移転し、井門ビルが竣工して原位置に復帰したのは1986年6月であった。2000年8〜9月頃(確定できなかった)、同じビルの上層階に移転して空中店舗化、2003年1月にはあさひ銀行との合併に先立ち店名を札幌中央支店に変更した。2003年7月に支店内支店を実施して旧あさひ銀行の札幌支店内に移転、システム統合を経て名実ともに旧あさひ店に統合されたのは2006年5月のことであった。

 茨城と北海道のりそな銀行2店をめぐる「めぐ」は、これにて終了である。この後、雨は急速に小降りになり、ぽつぽつと降ってはいるものの傘なしで歩けるくらいにまでなった。宿はネットカフェに入ってトラベルサイトを検索した。私の携帯電話は通常のケータイではなく、PDA機能付きのPHSで、データ通信が非常に重いのでwebサイトを見たりするのには使えない(買って後悔している)。宿泊はシングル1泊3200円というビジネスホテルを確保したが、ネットカフェの入会金と使用料を580円も取られ、節約効果はチャラになってしまった。早めに宿に入って船の中でできなかった仕事をしようと思っていたが、結局は夜の街に繰り出してしまって仕事にはならなかった。

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<りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動 完>

2009年11月22日

あとがき+新連載開始のお知らせ

 「りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動」、11月21日をもって完結いたしました。
 最後までお読みいただいた方には、例によってダラダラと続いた連載にお付き合いいただき、御礼申し上げます。あとがき等も含めた分量は、最終的に85枚弱(400字詰原稿用紙換算)となりました。

 日付だけで見ると旅の1か月後に連載を開始したように見えます。グータラな為栗が心を入れ替えたか…と思ってよくよく見ると、旅は前年の2008年。もろもろが遅々として進まず、私自身でも腹が立っていますが、それが私の「真の実力」でしょうから、まあ仕方ないのかもしれません。
 閑話休題。当初は、さらに翌日の札幌市内における「他行めぐ」を加えて、北海道遠征の全体を130枚程度の原稿にするつもりでいました。しかし、私にとっては1つの北海道旅行でも、読者にとっては両者をまとめると木で竹を接いだような印象があると思いまして、りそなめぐりが終わったところで一旦締めることにしました。
 それにしても、りそな銀行の「めぐ記」としても、土浦支店と札幌支店の2店しか回っておりません。地理的に全く離れた2つの支店を無理やり結びつけ、あとは周辺的な話題だけで原稿用紙85枚。ちょっと悪乗りし過ぎかもしれません。
 しかし、私がこの「めぐ記」で描きたいのは、究極的には「人間の生活のいとなみ」に尽きるのだと思います。最近ようやくそう悟りました。りそなの支店におけるATM構成を発表すればいいのなら、一覧表にしておけば済むことです。そうではなくて、敢えてエネルギーを使って文章化しているのは、私という人間、そして旅の過程で関わるさまざまな方々の「生活」を描きたいからではないかと思います。日常の食い扶持を稼ぐ仕事、「めぐ」の対象としてのりそな、それ以外の金融機関各社、安全な旅を支える交通機関各社、それ以外の何万人もの人々、こうした方々との関わり。人との関わりがなくても、人々の生活の過程で作られたさまざまな物質やシステムとの関わり。私が書きたいのは、恐らく、こういうことから見えてくる「人間の生活のいとなみ」なのです。

 続いてお知らせ。当ブログで明日23時から新連載「銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇」を開始します。
 今回ご紹介するのは、2008年10月2日、札幌市内で4行4店の制覇活動を行った記録です。内容としては、昨日まで掲載した「りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動」の続きということになります。
 400字詰原稿用紙で50枚程度、回数は現時点では7回の予定です。例によって1日1本のペースでダラダラと掲載していきます。多少の脱線もありますが、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。


銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇
 2008.10.02(木)
   (1)札幌の朝
   (2)第四銀行
   (3)あおぞら銀行
   (4)りそな銀行は軽く趣向を変えて
   (5)札幌のウォール街と信金銀座を抜けて
   (6)みちのく銀行
   (7)エピローグ さらば愛しき北海道


 なお、参考文献一覧の掲載は、明日から始まる「銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇」の、連載終了後の「あとがき」でまとめて行います。ご了承下さい。

2009年11月23日

2008.10.02(木)(1)札幌の朝

銀行めぐ2008秋
札幌市内4行4店舗完全制覇


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 札幌の朝。朝といってももう10時近い。ビジネスホテルの自室でネット検索をダラダラやっているうち、あっという間に9時半になってしまった。
 昨日は札幌で宿に入った後、夜の街に遊びに出てしまった。札幌の宿では結局全く仕事をしていないから、缶詰になって仕事をする計画は完全に失敗に終わったようだ。
 宿に帰ってテレビを見ていると、いろいろと大きなニュースがあった日だったようで、プロ野球の清原和博は引退(最終試合)し、また北洋銀行と札幌銀行の合併が金融庁から認可された。札幌市白石区の道央自動車道では、大谷地インター近くで逆走車による衝突事故が発生、運転していた87歳の男性が死亡したそうだ。出発する前の日、仕事場の女性に「僕が乗った船が沈んだ時には思い出してやってね」と言いかけて「大丈夫です!」と一喝されてしまったのだが、今はフェリーが沈没する確率よりも、高速道路で逆走車と正面衝突する確率のほうが高いかもしれない。今日はもう高速には乗らない(ハズだ)が。
 また、今回の宿泊はビジネスホテルにしたが、宿を探すためネットカフェに入ったとき、実はこのままここに泊まってもいいかなと少し思ったのである。結局はやめてしまったのだが、朝のニュースではこの晩起こった大阪・ミナミでの個室ビデオ店の放火事件(15人【注】が死亡した)でもちきりで、キャーこわいこわいと胸をなでおろした。清原については、スポーツニュースの画面で見慣れないユニフォームを着ているのを見て「あれ、こいつ西武じゃなかったっけ」と思ったから終わっている。巨人経由でオリックスに移籍していたのを全然知らなかった。「体育もの」の動向にとんと関心がない私は時折こういうことが起こる。
 水曜日なので、北海道テレビの名物番組『水曜どうでしょう』の放送があった。この番組は「原付でxxを縦断」という企画が好きなようで、今回はベトナムをハノイからホーチミンまで1500km縦断したそうである。以前帰省した際に群馬テレビで放送されていたのをたまたま見たときには山陰を縦断していて、ロケをする地域を選ぶセンスが良いと思っていた。海外ロケとは出世したものである。番組中では「箕谷駅」行きの神戸市バスとすれ違った。箕谷ってどこなんだろうと番組中で喋っていたが、神戸市北区にある神戸電鉄の駅で、「りそめぐ」で行った北鈴蘭台の2つ先である。ベトナムに限らず東南アジアでは、日本の中古車がたくさん走っている。番組で走っていた国道は、日本でいえば国道1・2号線のような重要な幹線道路だが、舗装は一応施されていたものの大きな石がゴロゴロ転がっていて、まさに「酷道」であった。
 朝は6時半過ぎに目覚めた。チャンネルは夕べのままに、テレビ朝日系の「やじうまプラス」を見る。昔からこの時間に変わらず出ている吉沢一彦アナウンサーが、しばらく見ないうちにすっかりお年を召されていたのには驚いた。

 今日の予定は、札幌市内の「めぐ」のできる銀行支店を全て回るということである。具体的な1つの銀行、たとえば「りそな銀行」を横軸に取るとすると、今日は「札幌」という都市を縦に巡るわけである。札幌駅に一番近いところにあるのが第四銀行で、その隣にはあおぞら銀行の札幌支店がある。昨日行ったりそな銀行札幌支店はその南側。これらから少し離れて、ススキノの北西側にみちのく銀行がある。
 それが終わったら、折角遠路はるばる来たのだから、札幌市内を軽く歩いてみようと思う。とはいえ、羊が丘も時計台も以前行ったことがあるから、どうしようか。その後、札幌駅からJRで苫小牧に向かい、帰途につく。JR北海道は札幌から新千歳空港まで特急型の車両を使った快速を走らせており、どうせなら(途中まででも)それに乗りたい。等々、いざ現地に来てみると、やりたいことがたくさんあって混乱する。
 朝食を食べないといけないし、今日の「めぐ」としては札幌駅を起点にした方が美しいだろう。というわけで、とりあえず駅までぶらぶらと歩くことにする。北二条通りに面した宿から、数字の名前で言うと西4丁目通りにあたる「札幌駅前通り」に出て、北に向かって約500m歩く。
 北洋銀行の札幌駅南口支店は旧拓銀の店をそのまま使っていて、なかなかの歴史的建築のようだ。「伊藤ビルディング」というらしいが、戦後の建物だったとしてもかなりの年代物だ。支店に入ってみると、沖電気の通帳記帳繰越機が置いてあるのが目についた。何だ、沖電気はちゃんと通帳記帳機を製造しているのではないか。りそなが導入していないから、作っていないのかと思っていた。ということは、やはりりそなは沖電気とは決別するのだろう。北洋の向かい側に、北海道銀行の札幌駅前支店。道銀の隣のビルはかつて北洋の札幌駅前支店だったところで、旧拓銀の支店に統合になった。今は北洋銀の関連会社を複数入れたビルとして使われているようだ。
 札幌駅前まで来た。数年前に札幌駅に来た際には大きな駅舎が出来たばかりで、やたらに長い仮通路を延々と歩かされた記憶がある。今は横に長い駅ビルが完成しているから、これで一応最終形ということなのだろう。名古屋駅ほど巨大ではないが「JRタワー」というタワービルが建っていて、一番大きなテナントは北海道の百貨店業界に大激震をもたらした大丸である。駅の右(東)側にはエスタという商業ビルがあり、ビックカメラが入っている。あとは、横にL字形に広がる西武百貨店の建物。ここは2009年9月いっぱいで閉店した。倒産した地元百貨店「丸井今井」の動向をみて、札幌店と旭川店のどちらかを閉鎖する意向だったが、丸井今井が旭川店を閉店すると決めたため、商売敵のいなくなる旭川を存続させ、代わりに札幌を閉めることにしたという。
 駅に入る。まず、JR東改札そばのコインロッカーに荷物を入れて身軽になった。札幌のコインロッカー事情は、東京者の私には妙だと思えた。ドアの鍵が常に(たとえ空のロッカーでも)かかっていて、お金を入れないとドアが開かないのである。昨日の地下鉄でもそうだったから、これは札幌地区では標準なのだろう。小型の300円のロッカーなど、お金を入れてドアを開けたはいいが、それで荷物が入りきらなかったらどうするのだろう。しかも、JRの駅はロッカーの使用時間が一応24時間だが、昨日使った地下鉄大通のコインロッカーは12時間で300円という設定になっていて、東京よりも高いのである。
 荷物を入れた後、近くにあるJR直営らしい軽食コーナーで朝食。カレーライスがS・M・Lと3サイズあって、私は500円のMを食べた。ここのカレーは、量はさほど多くないものの肉がごろごろ入っていて、500円なら良心的なほうだと思った。女性の店員はぶっきらぼうだったが。一つ感心できなかったのが、「当店は全席喫煙でご利用いただいております」という看板を堂々と出していたこと。さすが、喫煙率が全国一高いといわれる北海道だけのことはある。でも、確かJR北海道は特急を全席禁煙にしたハズなので、そういうものとは矛盾している。逆に、特急が禁煙だからこういうところで吸い溜めしてから乗りましょう、ということなのだろうか。

 【注】(2009.12.02追記)入院していた1人が半月後に死亡したため、事件による死者は計16人となった。被告の無職男性は2009.12.02大阪地方裁判所で死刑判決を言い渡された。

2009年11月24日

2008.10.02(木)(2)第四銀行

 腹が膨れたので、今日の第1目標である第四銀行(本店新潟市)に向かう。
 第四銀の札幌支店は、駅から南にまっすぐ延びる駅前通り沿い、日興コーディアル証券が入っている「札幌日興ビル」にある。さっき札幌駅に向かうとき、とりあえずビル外観の写真撮影だけはしておいた。札幌駅からは、駅舎の右(西)側を出ると真正面がそのまま駅前通りということになる。地下鉄南北線もこの下を通っている。これをまっすぐススキノの方向に歩いて、通りの右側だ。
 駅前通りの方へ赤信号に気付かず進もうとしたら、ビビビビッと呼子を吹かれてしまった。見ると、警官に似た制服(のようなもの)を着ているが、警官ではない。おおかた警察OBか何かだろうが、何様のつもりなのか。笛を吹いて知らせるにも「吹き方」というものがあるハズだ。元警官だとすると、機動隊とか公安系だろう。まあ、せいぜい孤独に苛まれた老後を送らないように。通りにはみずほ銀行の札幌支店(旧富士銀)が見えた。
 ほどなく札幌日興ビルに到着。第四銀行札幌支店はここの8階で、ビルには他に日興コーディアル証券はもちろん、川崎近海汽船とか太平洋フェリーとかいったフェリー会社の札幌支店が入っている。定礎石には「昭和59年11月」とあった。
 階数ボタンがちゃんとボタンになっている、やや古めかしいエレベーターで8階に上がる。箱を降りた目の前が第四の支店であった。開け放たれたドアから店内に入る。白っぽい木目調の内装の内側に、どこかのオフィスの受付のような窓口ブースがあった。
 第四銀は、新潟県外の店舗にはATMを設置していない(一部除く)。窓口で現金は扱っているから、通帳に伝票と千円札を添えて窓口に差し出した。相手をしてくれたのは30歳オーバーくらいの女性の行員さんであった。札幌支店は今月で開設50周年を迎え、21日からの記念キャンペーン期間に来店すると粗品をくれるらしいが、もちろん私は来られない。こうした話も含め、第四銀行で窓口の行員さんとかなりお喋りをした。新潟県外にある店舗の行員さんは、他の県外支店の動向に興味があるようで、「結構あちこちの支店に行ってらっしゃるんですか」と尋ねてきた。私の第四の通帳は、口座を作ってから1回も繰越をしていないから、過去の「第四めぐ」の記録が全て出ている。札幌の直前は5月に名古屋へ行ったときの名古屋支店での取引だったから、「名古屋とか行かれてるんですね、出張ですか」等と尋ねられた。私が東京に住んでいると知ると、東京支店はどんな感じですかとか、全部空中店舗になってしまったんですよね、等々。ATMもないんですってね、ご迷惑をおかけします、というようなことを言ってくれた。気さくに世間話ができたのは、こちらとしては楽しかった。
 こうした県外店舗の行員さん同士は、(業務上電話で話すことはあるかもしれないが)直接会う機会もないだろうし、また別の支店に出向く機会もあまりないのではないか。第四の県外店舗の状況を全部知っているのは、案外私のような「めぐラー」だけかもしれない。県外支店の勤務者が一堂に会して宴会でもやる機会があったら、さぞかし盛り上がるのではないだろうか。そうした宴会にはオブザーバー参加してみたい気がする。
 少し気になったのは、「1階だといろんなお客さまがいらっしゃいますのでね」と言って、ちょっと曇った表情をしたことだった。あの口ぶりだと、おそらく相当変なお客が来たのだろう。トイレを貸してくれだの道を教えてくれだのはまだいい方で、銀行だけに場合によっては生命の危険を感じるような出来事もあったのかもしれない。空中店舗になると、そういう「変なお客との遭遇」は確かになくなるかもしれないが、逆に世間話のできる客との遭遇も少なくなるのではないか。
 第四銀行札幌支店の制覇は、10:31頃のことであった。第四銀行札幌支店は1958年10月に開設され、当初は南一条西3丁目(北洋銀行本店南隣)にあったが、2003年6月に現在の札幌日興ビルに移転し空中店舗となった。

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2009年11月25日

2008.10.02(木)(3)あおぞら銀行

 第四銀行の次は、順当に言うと、交差点をはさんで日興ビルの隣にある、あおぞら銀行札幌支店が目標となる。しかし、今日は店の前を通るにとどめる。なぜかというと、キャッシュカードがいま手許にないからである。今朝荷物の整理をしたとき、コインロッカー行きの荷物の中に入れてしまったのだ。自分の間抜けぶりにつくづく腹が立つが、実はあおぞら銀札幌支店の制覇は、昨日りそな銀行の札幌支店を制覇した後に実行済みである。ただ、今日この時間にこうして来る機会があるなら、今日制覇してもよかったのに、とは思う。
 昨日のあおぞら銀の制覇は、りそな札幌支店の制覇を終えて店の前に出たときから始まった。札幌駅の方を向くと、前方左側にあおぞら銀行の水色の袖看板が見えたのである。未記帳取引はなかったと思うが、念のため行って通帳記帳をしよう。それ以前に、できれば制覇もしたい。「できれば」と書いたのは、1つ気になることがあったからである。あおぞら銀行は、確かATMの稼働を3時で終えてしまうハズだったのだ。
 とりあえず行ってみることにした。あおぞら銀札幌支店は、札幌第一生命ビルの1階である。ATMはめでたく稼働していた。機械はオムロンHXの幅広タイプが1台だけ。あおぞら銀はATMで硬貨の取引ができないから、硬貨の投入口はプラスチックのフタで塞いでいる。キャッシュカードと千円札で通常の取引をして、16:35、あおぞら銀行札幌支店をとりあえず制覇した。
 さて、そこまではよかったのである。今の取引を通帳に記帳しようとして、私はあきれ返った。ATMでの通帳記帳は3時で終わりなのである【注】。ATMそのものの稼働時間か、通帳記入のサービス時間かの違いはあれ、「3時で終わり」という私の予備知識は、部分的には正しかったことになる。
 ここ札幌支店には、もう1つさらに信じられないことがあった。窓口は5時までやっているのだという。窓口の営業時間がATMの稼働時間より長い銀行営業店というのは初めて見る気がするが、そういうことなら窓口で頼めば記帳ぐらいはしてくれるのだろう。私は窓口室に入って、ロビー係の男性に通帳記帳を依頼してみた。
 ダメだ。窓口の機械もやはり3時で止まってしまうらしい。ということで、ロビー係の男性が中の人を電話で呼んでくれるという。内線電話をかけて数分後、女性の行員がやってきた。私の通帳は、収入印紙貼付の余白がないために繰り越しとなるという。つまり、どっちみち今日ATMでの記帳はできなかったということになる。日本債券信用銀行という長期信用銀行であったあおぞら銀は、通帳に収入印紙を貼るスペースがあって、年に1回印紙を貼って消印しないと使えないシステムになっている。この処理は、明朝、窓口端末が復活してからでないとできないそうで、通帳を預けて処理してもらい、預り証を発行してもらうことになった。通帳は明日記帳した後、配達記録郵便で自宅に送ってくれるという。収入印紙を貼り替えたりという手続があるのは分かるが、なぜ3時を過ぎたらATMで記帳ができないのだろうか。また、他の銀行が普通にやっているように「印紙税申告納付」というわけにはいかないのか。収入印紙が必要な通帳は他に信託銀行でもみられるが、非常に面倒くさいものである。
 用事を済ませて店を出ると、北3条西3丁目の交差点はものすごい水たまりで、水深は5cmくらいあった。スタッドレスタイヤが舗装を削ってしまうのだろう。雨はだいぶ上がったものの、さすがに空は「あおぞら」とはいかなかった。

 あおぞら銀行札幌支店は、日本不動産銀行札幌支店として中央区北三条西4丁目に1962年10月開設され、1965年3月に大通西6丁目に移転した。現在の第一生命ビルには2002年3月に移転している。銀行名はこの間に2回変わった。1977年10月に日本不動産銀行から日本債券信用銀行に変わり、現在のあおぞら銀行には2001年1月改称した。

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 【注】その後、あおぞら銀行ではATMを新型機種に置き換え、通帳記入が17時までできるようになった。

2009年11月26日

2008.10.02(木)(4)りそな銀行は軽く趣向を変えて

 話を2日に戻して、まだ10時半である。札幌駅を出たのが10時少し過ぎだったから、まだ30分しか経っていない。駅前通りでは、札幌駅と大通との間に地下街でも作るらしくガリガリ工事をやっていて、道路上は鉄板(というかコンクリの板)で一面覆われている。こういう方法でやっているのは開削工法だろうが、札幌には地下の構造物がさほどないのだろう。大・北海道の「首都」札幌の市街地は、非常にコンパクトにまとまっている。
 さて、次はりそな銀行の札幌支店であるが、普通の制覇は昨日済ませたから、今日は少し趣向を変えてみよう。北2条の交差点にいて思い出したが、旧あさひ銀行の札幌北二条支店、つまり旧埼玉銀行の札幌支店というのはどこにあったのだろうか。急遽行ってみることにした。持参しているあさひ銀行の店舗一覧によると、所在地は「札幌市中央区北2条西2-15」ということで、駅前通りから1本東を走る南北の通りである。駅前通りを東へ渡り、北2条通りを歩く。
 地下鉄東豊線が地下を南北に走る、西2丁目の交差点まで来た。問題の場所はこの先だと思われるが、15番というのはどこだろう。日本旅行などが入っているあのビルだろうか。札幌の中心街は東京などと違い「x番地」という小さいカラープレートが建物についていないから、よくわからないのだ。
 郵便局を見つけた。ここならわかるだろうと思って窓口に入って聞いてみたが、ここでも、どのビルになるのか正確な場所はわからないという。入った郵便局は集配局ではなく、札幌北二条中局という旧無集配特定局だから、仕方がないかもしれない。郵便局の番地は「26」だそうだが、そこまで書かなくても郵便物は「西2丁目」までで届いてしまうそうだ。
 それでも何とか、該当の番地に所在するとみられるビルを探し出したが、候補は2棟あった。1階にタリーズコーヒーの入った白い外壁のビル「STビル」と、その北隣。どっちだろうか。大きなビルだけに、2つの番地にまたがって建てられている可能性もある。一応、両方のビルの写真を撮影しておいた。あとは家に帰ってから、どちらが跡地だったかもう1回調べ直してみればよい【注】。この近辺に金融機関の店舗はないようだが、周辺はオフィス街のようであり、札幌で「埼玉銀行と」取引しないといけない事情は、余程のことがなければなかったのではないか。
 なお、旧埼玉銀行の札幌支店は1965年11月に開設され、1991年4月の協和銀行との合併で札幌北二条支店に改称された。1993年7月に札幌支店(旧協和銀)に統合されたが、この統合では存続店舗である札幌支店が、統合日付で被統合店舗(こちら)に移転してきた。といってもこれは旧協和の店舗を建て替えるための「仮店舗」という位置づけで、あさひ銀行札幌支店は工事終了後の1995年11月に新店舗(現在の店舗)に移転した。

 旧埼玉銀の場所を確認したうえで、りそなに向かおう。現在地から現支店までの距離はほんの数百mで、これなら統合になるだろう。
 りそな銀行札幌支店の写真は撮り直したが、昨日雨の中撮った写真と大差はなかった。理由はりそなのある場所である。北1条通りは交通量が非常に多く、加えて札幌のメインストリートである駅前通りとの交差点という好ロケーションの場所に店がある。だから車が多くて、写真を撮る立場としてはかなわない。もっとも、そんな中面白いものを見た。運転手が自転車のように漕いで走る「ベロタクシー」が駅前通りを走っていたのである。
 札幌支店には昨日も入ったが、ATMが3台しかなく、店に入った私は列の一番後ろに並ばされた。しかし、自分がATMを使う頃にはきれいさっぱり行列がなくなっている。私はタイミングというものに恵まれないことが多い。この程度の行列でイライラさせられるのは日常茶飯事である。旅先ではここぞというときにガツンと物事が成功したりすることもあるが、そこから先は思うにまかせないことも多い。「ツキも実力のうち」というから、そういう意味で、私には「中途半端な実力」があるということかもしれない。

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 【注】調査の結果、本文で「STビル」となっている建物が札幌北二条支店の入っていたビルと判明した。建物はあさひ札幌支店の退去後に建て替えられたようだ。ネット上の地図では「STV北2条ビル」となっている。

2009年11月27日

2008.10.02(木)(5)札幌のウォール街と信金銀座を抜けて

 次の目標は、みちのく銀行(本店青森市)の札幌支店である。これをもって、札幌の銀行めぐりは全て終了ということになる。
 大通公園では、花壇に花が咲き乱れているし、噴水が吹いている。良いお天気だし、ここで座ってお弁当というのをしてみたいと少し思った。テレビ塔の時計は11:25を指していた。
 駅前通りと大通との北東角、建て替え中の北洋銀行大通支店(旧北海道拓殖銀行本店)は、既に解体も終わり、鉄板で覆われた更地の状態になっている。大通の南側に面したところに北洋銀行の本店。建物は昨日地下の写真案内板で見た旧北洋相互銀行の本店そのままである。その隣が北陸銀行札幌支店で、歴史的建築ではないけれども結構変わった建物だったと思う。北に目を転じると、拓銀本店跡地の向かい側が秋田銀行の札幌支店。秋銀は札幌銀行街の中枢、極めて重要な交差点の角を占めている。また、この「札幌秋銀ビル」には、札幌土産の定番「白い恋人」の製造元・石屋製菓がオフィスを構えているという。北には東京スター銀行の看板が見える。東京スターの向かい側がりそなである。
 秋田銀の前まで来ると、3つの銀行の本店が大通の南側に並んでいるのが見える。北洋銀行が駅前通りの左(東)側にあって、右を見ると駅前通りの西側に北海道銀行と札幌銀行が隣り合っている。1964年竣工の道銀ビルは駅前通りと大通の南西角、大通公園をはさんで拓銀本店跡の対面にあたる場所である。道銀本店と札銀本店はビルの高さがほぼ同じで、両者の屋上は鉄板の渡り廊下(のようなもの)でつながっている。ここを行き来する必要性が果たしてあるのか不思議だ。
 道銀の隣に、札幌銀本店の新大通ビル(1979年竣工)というのがある。このビル1棟全部が札銀本店というわけではなく、テナント入居だろう。本店営業部のATMは見える部分には1台だけだが、別に地下キャッシュコーナーがあるようだ。札幌銀は2週間後に北洋銀と合併し、合併と同時にシステム統合もするので、札銀の通帳が使えるのもあと10日ほどである。本店営業部は北洋銀の札幌営業部となり、従って「本店営業部」ではなくなってしまう。看板類は既に「北洋銀行」というロゴを用意した上に「札幌銀行」のシールが貼ってある。合併10日前の店内は棚ががらんどうになっていて、書類などを随分と整理したようだ。

 さて、札銀本店から南に歩みを進めると、路面電車が東西に走る通りに出た。南一条通りである。数日前に地図を見た際、みちのく銀行札幌支店は、駅前通りから札幌信金のある角を右に曲がってまっすぐ行った先にあったと記憶しているが、その道が確か、ススキノの北側を東西に走るこの電車通りだったと思う。札幌の市電は駅前通りに面した西四丁目の電停を起点に西に進み、南にぐるっと回ってからすすきの(電停名はひらがな)まで行く。ここからススキノまで路面電車1本で行けることになるが、相当に遠回りだからよほどヒマな人以外はやらないだろう(と言いつつ私は過去にやったことがあるが)。道はここで間違いないと思う。仙台の七十七銀行の札幌支店があるが、それが地図に出ていたのを覚えている。この電車通りを西の方へ向かって行けば右側にあるハズだ。この時点での記憶では。
 札幌駅から大通まで10階建てぐらいのビルがずっと続いていたが、そこを過ぎるとビルの高さが少し下がり、オフィスビル中心から雑多な業種の入っているビルに変わってくる。電車通り沿いは、メインストリートからちょっと外れているせいか、雑居ビルが主体である。時間的なものもあるだろうが、交通量はさほど多くない。そこに、路面電車が時たまやってくる。道路を渡ろうとしたが、車の流れが微妙に切れず、車が切れたら電車が来て、という感じだった。軌道の両側にセンターラインが引いてあるから、札幌では軌道に車は乗り入れてはいけないのだろう。
 南1条通りのあたりは、道内信金の札幌支店が集中している信用金庫の銀座である。電車通りの南側を札幌の繁華街「狸小路」が東西に走っているから、信金や信組は取引先として水商売が多いのかもしれない。西5丁目の交差点に来ると、見えるだけでも旭川信金、空知信金、北海信金と札幌支店がある。もうちょっと西へ行くと遠軽信金があり、ここに限り札幌中央支店という名前になっている。空知信金の隣にある北央信用組合は、支店の名前が見えるところに書かれていないが、本店営業部だろう。キャッシュコーナーに入ってみたが、ATM画面のところに「のぞき見防止シート」というのが貼ってあり、ギンギラギンに光っていて異様な感じがした。ATMの液晶パネルは最近では角度に応じて内容が見えなくなるものが一般的だから、こうしたシートを貼っているのは古いATMなのであろう。
 さらにこの先には道銀と北洋が見えるが、これらに今は用はない。肝心のみち銀が見つからないが、もう1本南の南2条通りだっただろうか。角に札幌ビューティーアート専門学校というのがある、西8丁目の角で左に曲がってみる。

2009年11月28日

2008.10.02(木)(6)みちのく銀行

 1本南に下がった南2条西8丁目の交差点で、東の方角にみちのく銀行の看板を発見した。東西の通りは南2条通りが正解で、西8丁目まで来たら行き過ぎだったということだ。
 南2条通りを東に向かう。この道は4車線道路なのだが、アバウトなセンターラインの引き方がしてあって、中央のセンターラインが破線になっている。一応考え方としては片側2車線の4車線道路だと思うが、対向車さえいなければ、3車線目にはみ出しても構わないのだろう。それとも、大阪の御堂筋のように一方通行なのか。
 前方にはアパホテルが見える。このあたりは個人商店などもみられる地域だが、ススキノと大通との間ゆえ、ほとんどがビルに建て替えられて、民家らしきものはほとんど見えない。札幌市内をここまで歩いてきて気がついたが、ススキノの近所に民家はないのだろうか。東京だと、例えば新宿などの大繁華街でも、路地を1本ちょっと入ると住宅が並んでいるブロックがあったりする。札幌ではそういう地区を今のところ見ていない。建物形態や構造が首都圏と違うから分からないのか、それとも本当に人が住んでいないのか。個人商店でも、首都圏でよく見かける住居兼店舗というのはほとんどないようだ。あとは雑居ビルばかりで、一戸建ての住居というものは存在していないように見える。しかし、近所には小学校もあるようだし、民家がないハズはないと思うのだが。
 ようやく、みちのく銀行札幌支店に到着した。建物は古き良き時代の銀行のスタイルをそのまま残した設計で、新しくても昭和50年頃までの建築だろう。キャッシュコーナーが支店の窓口とほぼ完全に切り離され、細い通路だけでつながっている。古い設計思想というより、ATMのはしりの時期に「キャッシュコーナー」というものが導入された当初のスタイルのまま残っている。この支店のATMは2台あって、メーカー混成である。左側に日立の機械が入っているが、型番などは知らない。似た機械をかつて東海銀行あたりで見た気がする。そして右側にはオムロンIXが入っている。今となっては日立とオムロンは(ATMメーカーとしては)1つの会社だが、ここに並んでいるのは経営統合前の2つのメーカーの製品である。
 この時間の窓口は閑散としていた。客も1人か2人しかいないし、のどかである。窓口カウンターそばに両替機が1台置いてあった。12:02、みちのく銀行札幌支店を制覇した。
 みちのく銀行札幌支店は、弘前相互銀行(本店青森県弘前市)の札幌支店として、現在地に1963年6月開設された。弘前相銀は、青森市に本店を置く地方銀行だった青和銀行と1976年10月に合併し、みちのく銀行(地方銀行)となった。みちのく銀には2006年11月まで札幌西支店(西区二十四軒一条)もあったが、札幌支店に統合されている。

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【2014.05.18追記】1)支店前の道路(南2条通り)は東向きの一方通行。 2)キャッシュコーナーはその後改装され、ATMも沖電気の製品となった。

2009年11月29日

2008.10.02(木)(7)エピローグ さらば愛しき北海道

 ちょうど正午過ぎである。あとは、昼飯を食いつつ観光地に1か所くらい寄って、札幌15:25発の「エアポート快速」で苫小牧に向かうだけだ。1泊してはいるものの、非常に滞在時間の短い、慌ただしい旅であった。
 みち銀の支店がある南2条通りから1本南へ。東西に走る有名な商店街の1つ「狸小路」にやって来た。狸小路は札幌随一の繁華街・ススキノのそばにあるが、この時間人通りはさほどでもなかった。とはいえ、よその都市でいうと夕方になって人が町に繰り出し始めた程度の人通りで、逆に言うと札幌だからこの時間帯でもこれだけ人通りがあるのかもしれない。アーケード街の両側に商店が並んでいるが、シャッターが閉まったところも、鉄板で覆われたところもある。また、狸小路通りには何といってもJRAの場外馬券売り場「ウインズ札幌」があり、競馬をやる人には(札幌に来たら必ずここに来るという意味で)聖地かもしれない。
 ススキノの交差点までやってきた。角にはニッカやキリンといった洋酒会社の広告が出ているビルがある。キリンの広告のところに温度計があって、15℃を示していた。同じ時期の東京と比べて5度ほど低いが、特に寒さは感じなかった。

 ぼんやりしてはいられない。次に行くなら、行くことを考えないと。
 今回北海道行きを思い立ったのは「紅葉狩り」がしたいためだった。ススキノから南に向かってフラフラ歩いていると、有名な公園である中島公園に着く。ここは昨日地下鉄の駅でもらった観光パンフレットに「紅葉の名所」と書いてあった気がするが、公園の樹木は葉が何となく黄色味を帯びてきた程度で、とにかく真緑であった。とてもではないが紅葉狩りにならないので、とりあえず真駒内(まこまない)まで行ってみよう。札幌の奥座敷・定山渓(じょうざんけい)温泉に向かう途中にある公園都市のようなところで、1972年に行われた冬季オリンピックの中心地でもあった。
 地下鉄中島公園駅から、南北線の真駒内行きに乗る。着いてみると、市内よりはちょっとだけ紅葉が進んでいて、この駅から見える公園の木々は少しだけ赤い葉が見えている感じだった。でもやっぱり、紅葉の見ごろにはまだまだ早い。この時期に紅葉を楽しもうと思ったら定山渓あたりまで行かないと無理だろうが、もちろん今から行っている暇はない。今回の北海道遠征は滞在時間よりも往復にかかる時間の方が長くて、「銀行めぐ」以外はまったくお話にならなかった。今度はしっかり事前にリサーチして、観光を主目的として北海道に来たいと思う。果たしていつになることやら。

 地下鉄で札幌駅に戻ってきた。15:17発の千歳線普通列車、苫小牧行きに乗る。どうせ乗るならリクライニングシートの特急型車両に乗りたいと思っていたのだが、当初予定していた25分発の快速が一般型車両使用だとわかってしまったので、どっちみち北広島でこの電車に接続するから、乗り換えの手間が省ける各駅停車にしたのである。苫小牧には16:24に到着。駅前のバスターミナルからフェリーターミナル行きの苫小牧市営バスに乗るが、発車時刻は16:59で少々の時間待ちを強いられた。あとで知ったが、札幌から昨日乗ったのと同じ北海道中央バスで来ると、札幌発が1時間遅くなって、もう少し有効に時間が使えたようだ。
 苫小牧フェリーターミナルを18:45に出航。往路と異なり、帰りの船内ではやり残した仕事を黙々と実行でき、結局今回の道中では当初予定の半分程度を片づけることができた。翌日14:00、ほぼ定時に大洗フェリーターミナル到着。14:10発の大洗町営循環バスにどうにか乗れて、大洗駅から鹿島臨海鉄道で水戸へ。常磐線の上野行き普通列車に乗り、友部で水戸線の小山行きに乗り換え、さらに小山で両毛線の高崎行き普通に乗り継いで、最終目的地である前橋市の実家には夜の8時前にたどり着いたのであった。

<銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇 完>

2009年11月30日

あとがき・参考文献一覧

 「銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇」、11月29日をもって完結いたしました。最後までお読みいただいた方には、例によってダラダラと続いた連載にお付き合いいただき、御礼申し上げます。
 後半の「4行4店舗」については、あとがき等も含めた分量が最終的に45枚弱(400字詰原稿用紙換算)でした。前半の「茨城→北海道」も合わせると、130枚程度(同)となります。

 今回の北海道行きから体験記の発表まで1年と少し。この間に社会の状況は大きく変わりました。もともと海運業界は、長期的には低落傾向を続けてきましたが、それでも、商船三井フェリーの「パシフィック・ストーリー」など各社の需要喚起策が奏功していたケースもありました。それが、景気対策としての高速料金値下げで、競争力が低下した海運企業はどこも青息吐息となり、瀬戸内海などでは倒産に追い込まれる船会社も出てきました。高速道路については、民主党はさらに「無料化」を謳いますが、やるならやるで高速道路以外の公共交通にも同時に金をかけて助成しないと、自動車以外の移動手段が衰退ないし消滅してしまいます。自動車は本質的には「ブルジョアの乗り物」ですから、そうなったら「貧乏人は移動するな」ということにもなります。かつて流行ったイヤな言葉を使いますが、「勝ち組」と呼ばれる人の生活は、「負け組」と呼ばれる人の生活が不安定になってくると、徐々に掘り崩されてきます。それが臨界点を越えた時、日本はおしまいとなるのでしょう。
 明るい(?)話題も出しておきましょう。本連載に合わせたかのように、大洗を舞台とした映画『大洗にも星はふるなり』が公開されました。大洗は、映画にもあるとおり(見ていませんので推定ですが)海水浴場のあるリゾート地でもあります。私が書いた以外の大洗が知りたい方は、映画など見てみるのも良いかもしれません。また、長距離フェリーでいうと、本連載と同じ時期に、殺人容疑者の逮捕と転覆事故とが(名前は伏せますが)同一会社で立て続けに起こったのも、記憶に新しいところです。

 さまざまな思いが去来しますが、2つの連載はこれにて終了します。この連載を数年後に読み返して「古い」と感じられることがあるかもしれませんが、あくまで 2008年9〜10月の実体験と、その後の連載期間における「一面の真実」です。そういうものだと思ってお読みいただくことを望みます。
 この連載のような「文章を使っての自己主張」が、私の生き甲斐です。今後ともご支援・ご鞭撻をいただけますようお願いします。ご意見や情報提供をお待ちしています。このブログ「MEGU」は、コメント・トラックバックを歓迎していますし、私のメールアドレスも公表しています。

 なお、今回の2つの連載では、データ整理にあたって、知人であった本間大光氏の協力を得ました。約束ですので、ここに記します。

 この連載の執筆にあたっては、以下のような書籍・webサイト等を参照いたしました。

参考文献一覧
紙媒体は発行年順、webサイトは本文掲載順(2009.11.15現在)
  『牧野頭取講演全集』不動貯金銀行、1930年
  『第四銀行百年史』第四銀行、1974年
  『日本債券信用銀行三十年史』日本債券信用銀行、1993年
  『埼玉銀行通史』あさひ銀行、1993年
  『協和銀行通史』あさひ銀行、1996年
  『大和銀行八十年史』大和銀行、1999年
  北海道新聞取材班『実録・老舗百貨店凋落』講談社、2006年
  『日本金融名鑑』日本金融通信社、各年版

  「全国・海外 船の旅情報」『日刊海事通信社』http://www.fune.co.jp/index.html
  『日本長距離フェリー協会』http://www.jlc-ferry.jp/index.html
  「旅客サービス」『商船三井フェリー』http://www.sunflower.co.jp/ferry/index.shtml
  『にっぽんフェリー船旅ガイド』http://homepage2.nifty.com/capt-wan/index.htm
  「水曜どうでしょう official website」『北海道テレビ放送』http://www.htb.co.jp/suidou/index.html
  フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
カテゴリ一覧(過去の連載など)
関西みらい(5)
単発(12)
告知板(24)
大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇(62)
銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇(29)
りそめぐ2013梅雨 大阪市営バス“最長”路線[93]を行く(43)
りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇(51)
りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇(35)
りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇(8)
りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた(18)
りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動/銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇(20)
りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー(11)
りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ(47)
りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇(51)
りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
りそめぐ2007秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる(35)
2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)