2017年05月23日

2014.07.18(金)(49)[フードセンタートミダヤ養老店]を制覇

 カーマの北隣、広大な駐車場の奥に、白緑色のパラペットを持つ平屋建ての建物があった。見るからにスーパーマーケット臭い外観だが、これがそうなのだろうか。思う間もなく、パラペットには赤文字で「Tomidaya」と大きく書いてあった。ああ、ようやくフードセンタートミダヤにたどり着いた。
 敷地の関ヶ原寄り、小学校が見えるところから入った。敷地は白いフェンスで囲まれているが、建物に近いところにフェンスの切れ目があって、出口という赤い看板が出ている。私は自転車なので構わずそこから乗り入れた。
 建物は、乗り入れてしばらくは壁が続く。薄い白緑色の外壁に沿って、窓の多い部分を目指す。店頭のガラス張り部分が始まり、通路として奥に1段引っ込んだ。メイン入口は建物の角に近い部分のようで、パラペットが丸めてあるのが見える。ガラス張りの部分はメイン入口のところでさらに奥に引っ込んでおり、その前にはグレーの円柱が何本か付いてピロティのようになっていて、駐輪場だったりカートを置いたりのスペースになっている。そこから曲がった先は、ピロティは催事場として使える広いスペースとなった。駐輪場としても使われているようで、《せいとんよくならべましょう》という立て札が立っている。私は自動ドアから店の中に入った。ああ、飯が恋しい。
 さて、いらぬ心配をしてしまったが、この「フードセンター」は、やはり「頭巾店」ではなくスーパーマーケットであった。しかし、空腹を満たすことはかなわなかった。食事を買って食べようと店内に入ったのだが、このスーパーの建物は想像以上に大きかった。売場面積2000uというから郊外では平均的な食品スーパーだと思うが、総菜売り場は入口から対角線の反対側で、そんな遠いところまで歩く気にはとてもならなかったのである。まあ良い。次に向かう途中にコンビニぐらいはあるだろう。大共の制覇を済ませよう。

 手ぶらで店を出た。入口の自動ドアの前からは、さっき養老警察そばにあったファッションセンターしまむらが見える。見回すと建物は結構年季が入っていて、クモの巣が張っていたりツバメの巣を取り払った跡があったりするから、さほど新しいスーパーではないようだ。敷地は三角形で、フェンスのすき間から隣の駐車場【注1】に抜けられる。三角形の敷地に合わせて駐車場も三角形に配置されている。ここの駐車場はトータル何台ぐらい置けるのだろうか。さっきの大共船附出張所で20台とすると、100台ぐらいは置けると思う。郊外型スーパーとしては平均的だが、今となっては流行らないスタイルと思われた。
 フードセンタートミダヤ養老店のキャッシュコーナーは、店の東側であった。外壁に、ガラス張りでアルミの枠が付いたキャッシュコーナーと、クリーニング屋が出っ張っている。自動ドアは押しボタン式の両開きである。
 ここは3つの金融機関が共同で使用しているキャッシュコーナーで、自動ドアを入ると3機関3台分のATM枠がある。左から順に大垣共立銀・大垣信金・JAにしみのが各1台ずつATMを設置しており、閉鎖された空き枠はない。大共の営業時間は10時〜20時で年中無休、トミダヤの休業日はお休みとなっている。母店は養老支店。機械は沖電気のバンキットが1台だけで、ここは手のひら認証に対応していた。
 例によって機械を操作する。いらっしゃいませ。ピ。ピ。ガー、バタバタバタ。ガー、ピ、ガー、バタバタバタ。ピ。ありがとうございました。15:37、[フードセンタートミダヤ養老店]を制覇した。

 養老支店フードセンタートミダヤ養老店出張所は、養老支店5番目の店舗外ATMとして、スーパーが開店した1997年5月に開設された。出張所名は後述の理由により2016年2月1日付で[トミダヤ養老店]と改称されている(通帳の表示は変更なし)。大共の出張所名変更は、養老店だけでなく、他のトミダヤ店内にある店舗外ATM3か所(島・三田洞・池田)でも同時に行われた。
 フードセンタートミダヤは、大垣市の潟tードセンター富田屋が経営していたスーパーマーケットである。1945年9月に大垣市内で生鮮食品小売店を個人創業し、1970年にスーパー「トミダヤ」1号店を大垣市内に出店。以降、西濃地区を中心に22店舗を展開し、当地区の有力な小売チェーンに成長した。2005年には約339億円を売り上げたが、その後は不振に悩み、2014年には売上高約178億円とピーク時の約半分となってしまった。2011年から中堅スーパーのオークワと業務提携を始めたものの、2013年には解消。メインバンク(大共と大垣信金)から資金支援と経営者派遣を受けて自力再建を目指していたが、スポンサーを見つけて地域経済活性化支援機構【注2】の支援を受けることとなった。スポンサーになったのは、大阪の中堅スーパーマーケット、コノミヤ【注3】である。事業は同社の新規設立子会社である潟gミダヤ(瑞穂市)に2015年11月営業譲渡され、法人としてのフードセンター富田屋は清算された。店舗の屋号表示は当面「フードセンター」の文字が付いたままだが、これから徐々に「トミダヤ」だけになっていくのであろう。

 次の制覇目標は、どこにしようか。養老町の中心部には、このトミダヤをはじめとして大垣共立銀行の拠点が4か所固まっている。固まりの最初がトミダヤ、最後が[養老町役場]であるのは漠然と頭にあったが、間の2か所がどうなるかである。養老支店と押越出張所だが、取りこぼしさえしなければ、どんな順番でも構わない。トミダヤから北上してY分岐を右に入った奥に、十六の養老支店と大共の押越出張所が2つ向かい合っているようだ。まずそちらに行ってみようと思う。

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 【注1】その後ドラッグストアの店舗になった。
 【注2】地域経済活性化支援機構:本社東京都千代田区。2009年10月滑驪ニ再生支援機構として設立され、日本航空などの再建を担う。2013年3月現商号に変更。株式会社地域経済活性化支援機構法に基づいて地方中小企業の再生支援を行う政府系ファンドで、株主は預金保険機構と農林中央金庫。支援先に直接融資するほか、経営の専門人材を派遣する。実際の支援は地方銀行などと提携するケースが多い。
 【注3】コノミヤ:大阪市鶴見区に本社を置くスーパーマーケット。1957年に衣料スーパーとして創業したが、火災事故により廃業し、1962年に大阪市城東区鴫野で出直し創業、1971年に法人化した。2011年から東海地区に進出。社名は「好まれるスーパー」を目指したもの。
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2017年05月22日

2014.07.18(金)(48)「フードセンター」は何の店か

 右前方はるか彼方に、赤い縦型で、上下が細くなった看板らしきものが見えた。あれは、十六銀行の看板だろう。この色でこの形なら、文字が読めなくても何の看板だかわかるわけで、十六銀の看板が持つ視認性の高さに驚いた。事前のリサーチによれば、あそこにある十六銀は養老支店のハズで、そうするとその向かい側には大垣共立銀行の押越出張所がある。養老の町はすぐそこだ。銀行が見えるところまで、ようやくたどり着いたのだ。腹の底から喜びがわき上がってくるのを覚えた。
 左にサトイモ畑を見ながら、養老の町に向かって微妙な上り坂が続いている。しばらく来ると、踏切の警報機が鳴っていた。ここで小休止。養老鉄道の踏切で、名前は石畑といった。以前連載で取り上げた都バスの[梅70]に〔石畑〕という停留所があったのを思い出した。バス停のある東京都瑞穂町とこの近辺とは、水田地帯から若干標高が上がった畑作地帯であることが共通しているように思う。いま地形図を見てみると、標高は珍品センターの近くで1mくらい、この近所では13mほどとなっている。桑名行きの3両編成が通り過ぎた。乗客は全部合わせて6〜7人だろうか。
 踏切を越えた先には、行政がつくった白い矢印看板が出ている。この先の突き当たりを左へ2km行くと養老公園だそうだ。「養老公園11km」という看板のあった輪之内町の福束大橋東側から、少なくとも9kmは走ってきたわけである。こうして、踏切の先にある石畑の信号までやって来た。左へいくと看板にあった養老公園で、養老の滝を筆頭に、養老天命反転地、パークゴルフ場、こどもの国、などファミリー向けのレジャー施設を持つ一大観光地である。ここの突き当たりはy字形で、左の養老公園方面では明らかに方向が違うから、右に行かざるを得ない。y字のまたの部分は、出光のガソリンスタンドであった【注】。
 すぐ横にもう1つy分岐があって、この交差点はトータルで見るとy字分岐が2本連続している。地図で見ると五差路に見えるけれども、そのうち1本は現地では全く気付かない程度の細い道だし、といって四つ角というには、2つのy分岐の間に若干の距離を感じた。メインの道路は養老の滝の方から来て分岐を左へ行く道であるから、主要な交通の流れとしては「π」の字みたいな形と言った方がふさわしい。
 私は2つ目のy分岐を左へ進む。歩道が完備された道になったけれども、道路は相変わらず黄色センターラインの対面2車線であった。近所には老人ホームのようなものが建っており、また「酒激安」という種類の酒屋があった。道路の交点では、鋭角の部分にコンビニが出店することが多い気がするが、酒屋はそのコンビニが閉店して業態転換したようだ。右斜め前方には養老警察署。その近所にファッションセンターしまむらが見えたりするから、このあたりは養老町の市街地のはずれで、それなりに生活の都市化されたエリアであると思われる。今も開発は続いているようで、畑が1枚埋め立てられて、とりあえず駐車場になっている。そのうち何か建つのだろう。

 養老警察署の向こうに赤い看板が見えた。あれがフードセンタートミダヤではないのか。そう思って目を凝らして文字を読むと、その看板は確かにフードセンターのものだったが「右折200m」と書いてあった。何だ、まだ行くのか。軽い失望を感じながら自転車を漕ぎ進めた。フードセンターの他にも、前述のしまむらの他、ホームセンターのカーマとかいった看板が見える。道路沿いにある民家の玄関先には、立派な信楽焼の狸が置いてあった。珍品センターで買ったのだろうか。
 こうして、赤い看板のある角までやって来た。ここを右に入って200m。道を渡ろうとするが、横断歩道も信号もないところなので、なかなか向こうに行けない。この道、県道56号南濃関ヶ原線は交通量がかなり多くて、走る車もトラックばかりであった。
 ようやく車の列が切れ、私は道路を渡ることができた。この角には、「飛騨牛」と大書した赤い看板も立っている。平屋建てで窓の大きな、レストランのような建物が建っているが、ここはこの地域の有力な地場企業である食肉会社の本店。さっき見た肉牛を飼っている牛小屋と関係があるのだろうか。まあ、牛肉の産地については色々と定義があるそうだし、それ以前に「牛肉」であるのは間違いないだろう。本店の西側には、西武秩父駅(埼玉県秩父市)の「仲見世」のごとく小規模な飲食店が並んだエリアがある。「養老うまいもん広場」と称して観光客を集める施設らしい。養老町のこのあたりは、基本的にはどこにでもある郡部の中心地のようだが、養老の滝という有名観光地の膝元だから、こうした観光客向けの飲食店があるのが普通の田舎町との違いである。
 食肉会社の奥は、カーマというホームセンターである。東海・北陸を地盤とするホームセンターチェーンであり、初めて見る屋号であった。左奥に見える学校は、後で調べたところでは町立養老小学校であった。さっき養老警察署のそばに歩道橋があったが、この学校の児童が主要な利用者なのであろう。
 さあ、いよいよ「フードセンター」のベールを剥ぐ時が近付いてきたようである。

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 【注】除却済み。
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2017年05月21日

2014.07.18(金)(47)ついにダウン

 《東海環状自動車道がここに接続します》という看板が出ている。養老ジャンクション(仮称)接続位置【注1】、だそうである。東海環状自動車道は名古屋市の周辺30km圏を結ぶ環状道路で、現在この地区では大垣西インターチェンジから養老ジャンクションまでの間が供用中である。道路予定地とおぼしき農地は、そこだけ耕作されず荒れ地になっている。ここには養老ICができるというので、県道養老平田線にはインターに入る左折車線などもすでに整備されている。道路用地の買収もかなり進んでいて、4車線にする工事は直ちに取りかかれそうだが、供用開始にはまだしばらく時間がかかるようで、出来上がった部分にはコンクリの塊の土台が付いたガードレールが置かれていた。
 サークルK(養老大跡店)が角にある大跡という交差点から、その先にある酒屋までの間は工事中で、片側通行になっていた。U字溝のようなものを道路の端に付ける工事をしている。歩道が全くないところだから、高速インターの接続に合わせて整備しているのだろう。それ以外の部分は、車線の幅だけに舗装してあるような状態で、路側帯は線が引いてあるだけで人が歩くスペースなどありはしない。こんなところで車とすれ違うのは、怖くて嫌だ【注2】。
 ヤンマーと井関農機のディーラーがある。もっと手前にあったクボタもそうだが、売っている農機はトラクターだったり、田植え機も手押し型ではなく乗って植えるタイプで、大型の機械ばかりを扱っている。田んぼの一枚一枚が真四角だし大きいし、この近所にはやはり大型の農機がふさわしいようだ。もっとも、大跡の交差点あたりからは水稲耕作があまり見られなくなり、休閑地ばかりになった。
 そして、また右も左も田んぼばかりになった。水田が減って養老の町に本格的に入ってきたと喜んでいたのに、再び水田ばかりになってしまった。まだ相当走らないと、町らしき所にはたどり着かないようだ。それでも、インター予定地の西側、養老の町に近い側では、道路を広げている。片側2車線にするようだ。道路の方は、あと50mほど西へ行くと、大きく右にカーブしている。カーブの先に見える堤の上が、確か養老鉄道ではなかったかと思う。
 もう少しで養老の町に入る。町に入ってしまいさえすれば、4か所はすぐに回れるハズだ。そう思ったが、どうにも動く気力が出ない。とうとう私は、自転車を降りてその場でへたり込んでしまった。

 どこかの会社の倉庫らしき施設であった。建物前の車を切り返すスペースだが、業務の気配はもとより人の気配も全く感じられない。何の倉庫か知らないが、建物は割合最近建てられたようで、外壁なども汚れてはいなかったし、アスファルトの舗装も真っ平らである。時折、目の前の県道を車が行き過ぎる音がした。
 私は、アスファルトの上で体育座りのまま、しばらくぼんやりしていた。夏の盛りで直射日光も強いハズだったが、アスファルトの上にいても、熱さも暑さもあまり感じなかった。

 10分ぐらいも座っていただろうか。少しは疲れが取れたと思った。自転車漕ぎを再開しなくては。私にはまだ行くところがあるのだ。ちょっと前から太陽は翳ってくれたし、風が結構吹いているので、だいぶ過ごしやすくはなった。自転車は相変わらずペダルがガタガタいっている、ママチャリに毛が生えたぐらいの自転車で、よくここまで走ってきたと思う。ここまで、地形の起伏が多くなかったのが幸いしたのであろう。
 さて、養老町の中心部に向かう道は、倉庫の先から大きく右にカーブしている。道路の脇はちょっとした丘のように小高くなっていて、その上に水防倉庫が建ち、木がうっそうと茂っている。養老鉄道ではなく、手前を流れる川の堤防であった。セーラー服姿の女子高生を自転車で走らせてみたい雰囲気で、ちょっと心惹かれるものがあるが、行かない。水防倉庫のあるあたりには、側面を石垣で固めた幅2mぐらいの川が流れている。後で調べて驚いたが、この川はサイクリング冒頭で駒野から高須へ向かう途中に渡った、津屋川の最上流部だそうである。
 さらに先へ進む。道の左には、茅葺き屋根の建物が建っている。正確には、茅葺きに似せた屋根を持つ鉄筋コンクリートの門構えだが、門はバリケードで塞がれている。営業はしていないのだろうが、それにしても川にドボドボと大量に排水を流しているのが謎であった。敷地内には4階建てのビルが建っている。和テイストの不思議な外観で、和風建築としてはチープな感じ。温泉旅館を大きくしたようなホテルだったのだろうか。その隣は、発泡スチロール製造販売の工場であった。
 道がまた右に曲がりだした。水田地帯のはるか彼方に、金色の卵みたいなものが見える。その横には、博多駅前にある西日本シティ銀行の本店を2階建てにしたような、赤茶色のタイルで覆われた平たい建物が建つ。金色の卵は、温泉ホテルの温浴施設らしい。養老町の水田は、休閑地ばかりのようであった。市街地が近づいてきたせいだろうか。

 ここまで来て、私の足は再び止まってしまった。おそらく、私はいま“ガス欠”なのだろう。考えてみたら、今日は朝に関西線の電車の中で幕の内弁当を食べただけ。途中のコンビニでファミチキ1つ、から揚げ3個。あとは水ばかり。バテるハズである。定食、せめてコンビニ弁当ぐらいは食べなければダメだ。幸い、次の目的地は「フードセンタートミダヤ」という。さっきの[珍品センター]は“珍品の店”であったが、「フードセンター」というからには食べ物を売っている店なのだろう。
 まさか、フードは「頭巾」の意味なのだろうか。そんなバカなと思うけれども、植田まさし氏の4コマ漫画を思い出してしまったから、どうしようもない。それは『まさし君』の一話で、ナットナットナットー、と自転車に乗って朝からナットを行商するのだ。買いに来た客に「で、ボルトのサイズは?」と尋ねるセリフが印象に残っている【注3】。
 それにしても、延々と続くこの道は、いつになったら終わるのだろうか。

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 【注1】看板の表示は、この位置にできるインターから養老JCTに接続する、という意味のようだ。
 【注2】現在は歩道が整備されている。
 【注3】植田まさし『まさし君 2』芳文社、1982年。16ページ左に掲載の「朝もはよから」。
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2017年05月20日

2014.07.18(金)(46)養老町をヨロヨロと

 県道213号養老平田線を西に向かっている。50km/h制限、対面2車線黄色センターラインの道。道の北側は縁石で歩道が仕切られているが、南側は白のラインで路側帯だけであった。車通りが結構激しいので、縁石で仕切られた道の北側を行く。舗装のわずかなすき間から雑草が生えている。野寺の手前でも感じたことだが、よくこんなところを選んで生えてくるなあと思った。珍品センターの隣には珍品センターではない古美術店があり、その隣は看板屋。あとは「厨房レンジャー」というのは何だろう。厨房用品の中古屋さんか。というわけで、この近辺は美術とか中古品の専門業者が集まった、ある種メッカ的な場所のようであった。休耕田の向こうには、もう耕作していないと思われる温室があって、骨組だけがサビサビの状態で無残な姿をさらしている。
 建物の密度が少々上がってきて、水田も町工場など建物のすき間でやっているような感じになってきた。歩道の整備が片側だけになったり、舗装が少しガタガタになるなど、道路が古びてきた感じがする。下笠野崎という交差点には2階建ての商店の棟割長屋があるが、5店舗のうち営業している店は1軒もなかった。JAにしみの笠郷支店の前には、行政が作った「養老公園・養老の滝6km」という白の矢印看板が出ていた。輪之内町で11km先という看板を見たが、少しは近づいてきたのだろうか。
 ここまで、この道は田んぼの中をひたすら直進する道筋だったが、右に大きなお寺が見えたあたりで、道路が左右にカーブするようになってきた。前方の養老山地の山々がだいぶクッキリと見えるようになってきたし、この道は養老鉄道の手前で大きく右に曲がっているハズだから、この先が養老線の線路なのだろうと思った。前方には大垣信用金庫の笠郷支店がある。珍品センターの近所であるせいか、この集落の民家には、恵比寿様とか巨大な石像を門前に置いた家が目につく。道路と完全に同一面上にある民家は、よく見ると石垣の上に載っていて、さすが輪中地帯といえる。それから、無人精米所も相変わらず多い。
 さて、平野部で道路が曲がりくねりだしたら、地形(自然堤防)の起伏の反映であり、古い時代にできた道路ということである。道路が微高地になっていて、そこを縫うように道路が設けられているのだ。こうした微高地は、かつてそこに川があったことの反映である。平野部は高さがほとんどないので川は蛇行しやすく、その過程で何度も洪水を起こしている。洪水の時、川は上流から運んできた土砂をそこにぶちまけるから、自然の力で微高地ができる。これを自然堤防というわけである。相対的に低くなった部分は、川から見て背後にあるという意味で後背湿地という。洪水が起きた時になかなか水が引かない土地であり、逆手にとって水田はこうしたところにできるわけである。

 道が再び真っすぐになり、再び水田地帯になった。小さな集落を抜けただけだとわかって、私はかなりがっかりした。田んぼの真ん中にところどころ建つ家は、高度成長期に建てられたような外観をしていて、このあたりが養老町の郊外として発展し始めた頃に建った家だと思われた。「カラオケ居酒屋」と書いてある2階建ての大きな民家は、廃虚になっていた。
 さっきから、自転車を漕いでいて足がつりそうな感じになっている。珍品センターを出て間もなくそうなったから、かなり疲労度が上がっているようだ。足がつる兆候を感じるたびに力を入れるのをやめて漕ぎ加減をコントロールするが、漕いでいる途中に何度もそういうことをやっていては、スピードが上がるハズもなかった。
 クボタの農機ディーラーのある下笠というところで、ああ畜生、と思った。立派な歩道がここまでずっと整備されていたのに、小さな川の手前で突然途切れてしまったのである。普通なら走るところを黙って変えて終わりであるが、疲労が相当深刻になってきたのか、イレギュラーな事態にとっさに対応しにくくなっていた。さっき珍品センターで麦茶を飲んでリフレッシュしたハズなのに。しかも、珍品センターからここまでは大した距離でもないのである。ただ、後日ここを自転車で再走してみた際に気付いたことだが、やはりこの付近でペダルが重たくなってきたと感じられた。再走した日は中間地点近くの養老線烏江駅から走り始めているから【注】、さほど疲れていたわけでもないし、地形図を見てもこの区間はほぼ平坦と言ってよいから、強い向かい風が原因だろうか。なお、歩道を強制終了させたこの川は、岸をコンクリートで固めてはおらず、この近所には珍しく流れていた。
 というわけで、ここからは道の南側、歩道が途切れた向かい側を走る。大掛かりな畜産農家があって、小屋の中をチラッと見ると、飼われているのは肉牛のようであった。美濃にも銘柄牛があるようだが、このあたりで育てているのだろうか。その先には住宅地があって、水田の向こうの駐車場には政治団体の宣伝カーが何台か駐車してあった。1台は廃車のようだが、まさか珍品センターの商品ではあるまいな。大型スピーカーを積んだマイクロバスと、もう1台ワンボックスカーがあって、「尊皇」という文字が見えた。

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 【注】駅で借りたレンタサイクルを電車で運んできたのである。養老鉄道の「サイクルトレイン」については前述。
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2017年05月19日

2014.07.18(金)(45)そして、制覇

 珍品城に夢中になってしまったが、私は大垣共立銀行の制覇をしなければならないのである。
 店舗外ATM[珍品センター]は、珍品センターの敷地西寄り、天守閣の横にあった。本日何度も遭遇してきた1992年標準タイプの小屋に、ATMが1台。機種は沖電気のバンキットで、手のひら対応にはなっていなかった【注1】。母店は養老支店であった。小屋に入って機械を操作。14:47、ATM[珍品センター]を制覇した。
 養老支店珍品センター出張所は、養老支店4番目の店舗外ATMとして、1996年3月に開設された。2003年の年末、建設重機によるATMブース破壊の被害に遭っている。重機で店舗外ATMを物理的に壊し、ATMに装填されている現金を奪取する窃盗事件が、ちょうどこの頃(2002年以降)急増した。手口はほとんど共通していて、建設現場や重機の駐車場から油圧ショベルを盗み、そこから近いATMを破壊して現金を奪うというものである。建設省(現国土交通省)が1990年から重機の操作方式の共通化を始め、2002年には重機のほぼすべてが新型に切り替わったが、それによって犯罪に利用されやすくなったという事情もある。
 重機によるATM荒らしは、私がかつて「めぐ」をしていたあさひ銀行でも複数件発生している。あさひ銀では、被害個所は復活せずすべてそのまま廃止となったから、それを思うと[珍品センター]が復活したのはまことに慶祝すべき出来事であった。[珍品センター]の事件では、正面ガラスが割れただけでATMに被害はなかったという。

 ATM小屋のうしろに回ると、ガラス窓のような形態のポスター掲示板に「ゴールド総合口座」のポスターが貼ってあった。ゴールド総合口座は、2001年4月に販売を開始した大共の看板商品で、口座管理手数料(年額2160円)を徴収する代わりにATMの時間外手数料が無料になったり、取引ポイントが倍増したりする。口座手数料が2.5倍(5400円)の「スーパーゴールド総合口座」もある。今回の「めぐ」ではお目にかからないが、大垣や岐阜など都市部の店舗に行くと、ボディを金色に塗った「ゴールド総合口座利用者専用ATM」というものが異彩を放っている【注2】。
 ポスターの絵柄は、「OKB3」という女性3人の写真であった。胸の谷間を強調したりタイトミニスカートを穿いたりして、銀行のポスターとしては非常に官能的だ。「OKB3」は大垣共立銀行のキャンペーン広告に出ている女性の3人組で、カナ・マナ・ヒロの3人【注3】はモデル事務所所属のプロのタレントである。そして、行内には別に「OKB45」というものがある。これは女性行員を45人集めたユニットで、こちらもディスクロージャー誌の表紙を飾るなどビジュアル的に活動している。ミニスカートはやめた方が、と思う人もいないではないが、基本的には美人の集団である。この「OKB3」と「OKB45」の数字を足すと、48。つまり「OKB48」になるというわけである。AKBグループを意識しつつオリジナリティを出しているのは、土屋頭取のエンターテイナーとしてのセンスだろうか。その「OKB3」は2011年11月から始まったが、セクシーな女性の写真を使った広告自体はそれより前から行っていた【注4】。こうした路線の嚆矢は、同行では1984年の水着モデルを使ったポスターが最初だという。
 大共って面白い銀行だと改めて思った。こういう遊び心がないと、組織はギスギスしてくると思う。もっとも、心配に思うこともなくはない。頭取の打ち出す構想は遊び心に満ちているのだが、それを実行する銀行の組織は、頭取の遊び心に付いていけているのだろうか。私は、銀行のサービスの斬新さから期待される応対と、この銀行で実際に受けた応対とのギャップに、軽い失望を覚えたことがある。まあ、銀行という業態の業務内容からして、あまり形から外れすぎるのも問題なのであるが。

 さて、次の制覇目標に向かおう。[フードセンタートミダヤ養老店]である。目の前を走る養老平田線を西に走って養老町の中心部に到達すれば、ここをはじめとして養老町内がパタパタッと片付くハズだ。4か所を一気に取って、郊外にある[イオンタウン養老]に行ったら終わりである。
 時計を見ると、[珍品センター]の出発は、すでに予定より70分ほど遅れている。この調子では、自転車の返却まで含めると、ずいぶん後ろにズレ込むのではないだろうか。いちおう、スケジュールは16:10頃に養老鉄道養老駅で終了することになっているが、「16時過ぎ」ではなく「夕方6時過ぎ」ぐらいになってしまうかも知れない。レンタサイクルは、返却予定時刻を17:00としている。「めぐ」が多少延びても終電までに返せば良いのであるが、せめて夕方5時には自転車を返してスッキリサッパリ終わりたかった。
 それにしても、時速12kmという計算スピードは、相当の余裕をもって適用したハズだったが、それでも相当にキツいスケジュールであった。疲労が増してくるとスムーズにはいかないし、しかも、ここ珍品センターやさっきの輪中堤のように、面白いものに遭遇するとじっくり見てしまうから、そこで動きが止まってしまうのである。
 救急車がサイレンを鳴らして通過していった。乗せてもらいたいと少し思った。

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 【注1】現在は手のひら認証対応の機械が入っている。
 【注2】中身は通常の機械と同じであり、一般口座の客も利用は可能。
 【注3】2015年9月からユコ・ナツ・アミの3人となった。前任者と同じモデル事務所「セントラルジャパン」の所属。 (2017.06.03追記)最近「ユコ」は「サヤ」に代わった模様。
 【注4】ゴールド/スーパーゴールド総合口座の2005年頃の広告から官能的な女性の写真となっている(為栗調べ)。
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2017年05月18日

2014.07.18(金)(44)「珍品センター」という名の珍品

 アーチの手前から、大共の緑の縦型看板と「ようこそ珍品城へ」という黄色い看板が見えている。それとは別に、漢字一文字で「珍」と書いた巨大な黄色い看板が目立っている。
 近づいてみると、前方右側には、城のような建物がある。といっても、結婚式場やラブホテルその他、地方の街道沿いに似つかわしい洋風の城ではない。妙に大きなしゃちほこが載った、瓦屋根の“天守閣”である。その手前にある城壁のような建物は波板ぶきの平屋建てで、パトカーのような白黒塗り。白壁となまこ壁に似せてある。軒先には大八車の車輪のようなものがいくつもぶら下がっており、「ブラザー電気洗濯機」なる琺瑯の看板もあった。
 お城の手前側は駐車場になっており、その隅に建つ棟のテント屋根は、茶色とピンクのしま模様という派手な色遣いであった。その内外に、七福神や二宮金次郎など種々の石像が並べられている。信楽焼の狸もある。これだけなら単なる石材店のようだが、駐車場の西側、道路と小さな川を挟んで“珍品城”の本体がある。城壁のような基本平屋建ての細長い建物と、天守閣のような3階建てのビルが建っているが、両者はつながっているようだ。前述のとおり、平屋建ての屋根には「ようこそ珍品城へ」という黄色い大きな看板が取り付けられている。
 門構えのような形の正面入口には飲料の自動販売機がズラリと並び、電話ボックスと郵便ポストもある。観光バス歓迎と書いてあるから、ドライブインのような役割を狙っているのだろうか。飲料自販機の上に取り付けられた赤いテントには《なつかしかしさと驚き》と、雑誌のおもしろコーナーで紹介されそうなキャッチコピーが書いてある。わざと取り上げられようとしているのかも知れないけれど。そして、屋根にしゃちほこが載った3階建ての“天守閣”が、敷地の一番西の端に建っている。
 天守閣の手前にある平屋建て部分には、唐笠・熊手・蓑・布団たたきなど、籐だか竹だかを編んだものが並べて置いてある。茶碗や壺など食器類もあるが、場所柄美濃焼が多いのだろうか。これらには値札が付いており、表示価格の半額で販売している。正面入口の横にある郵便ポストは、古いスタイルの丸ポストだが、実際に郵便ポストとして機能していて、取集担当は大垣郵便局であった。

 建物に入ってみて、ようやく「珍品センター」の正体がわかった。ここは、娯楽性を強く打ち出した骨董品店なのである。正式名称を「古今珍品情報流通センター」といい、委託された骨董品を店に並べて売っている。単に販売するだけでなく、この店そのものが観光資源になっているようだ。
 扱っているのは、具体的には掛け軸・書画・茶道具・古陶器・置き物・民芸品・古美術・刀剣・鎧といったレトロ商品。美術とか芸術方面に重きを置いているようだが、軍服もブリキのおもちゃもある。いろいろな“珍品”が、広い平屋の棟はもとより天守閣に至るまで、ギッシリと詰まっている。
 建物入ってすぐ右側に「商品の出品の仕方」という大きな看板が出ている。売りたい品物があれば、出品者が100円単位で自由に値段をつけて珍品センターに預け、売れた場合は販売手数料を引かれて売上金を渡される。3か月で売れなかった場合は返却される。誰でも出品できるが、年会費1万円で会員になれば手数料(最大30%)は優遇されるという。なるほど、こういうやり方で商品を集めているのか。なお、出品商品は「何でもよい」とは書いてあるけれども、店員によれば一定の制限があり、たとえば剥製など明らかに売れないものは断っているという。それから、中国からの客がやはり多いようだが、中国関係の品物はほとんどないので、あるなら持ち込み大歓迎ということであった。
 こういう店に来ると、男の私はつい興奮してあれこれ見て回りたくなる。たいていの人には汚いガラクタを集めて売っている店にしか見えないと思うが、私にとって珍品城は「夢の城」であった。りそなグループのウオッチャーとして、大黒天の置物で手頃なものがあれば買ってみてもよいと思った。大黒天は、りそなの前身銀行の歴史に登場するアイテムである【注】。大きさの点で手頃だと思うものは1、2点あったが、値段の点で見送った。
 電話機など実用的なものもあった。私はこの頃、自宅の電話機を1台買わなければならなかった。メリーゴーランドのようなちょっと派手な外観のプッシュホン電話があって、買って帰ろうかと一瞬思った。足が3本出た電気プラグのような「ローゼット」が付いているが、モジュラージャックに変換するアダプターを付ければ使えるハズだ。1800円とあまり高くはなかったが、金メッキが剥げていたり、きれいでなかったので断念した。
 もちろん、それ以前に「今日は」何か買って帰るのはとても無理である。

 近所のおばちゃんといった感じの店員が、麦茶を振る舞ってくれた。何しろ暑い日である。一杯の麦茶が喉にしみた。
 店員はこういうことを言っていた。美術館の展示に値札は付いていないが、ここの展示は全部値段が付いている、値札の金額さえ出せば買えるんだから明朗だ、と。しかし、骨董品というのは、根本的に生活にどうしても必要なものというわけではない。ここは美術品とか置物のウェイトがかなり高いのだが、絵画や彫刻は、日本の住宅事情を考えたらあまり売れないだろうなと思う。気さくに話しかけてくれた名古屋弁(美濃弁か)のおばちゃんは、欲しいものがあったら即声かけてね、どこからでも飛んで来るから、と言ってくれたが、今日は荷物になるものは無理だし、電話機にしても「何としても絶対に必要」というものでもなかった。
 見て回る分には楽しいけれども、この店の展示は“展示”そのものが目的ではなくて、売っているのである。買いもしないのに見るだけ見て回り、麦茶までご馳走になったのに手ぶらで帰るのは申し訳ないが、今日は先がまだ長いからやむを得ない。ご容赦いただくことにした。

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 【注】旧あさひ銀行の前身、旧協和銀行と旧埼玉銀行の双方に大黒天を使用した歴史がある。協和銀行の前身である不動貯金銀行は、創業者の牧野元次郎が大黒天を行内の「ニコニコ主義」のシンボルとして使用し、各支店には大黒天の奉安所が設置されていた。一方、埼玉銀行では戦後に頭取に就任した平沼弥太郎が趣味として彫刻をたしなんでおり、自身で作った大黒天像を全営業店に寄贈していたという。
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2017年05月17日

2014.07.18(金)(43)夏の小川もさらさら行くよ

 川べりを通って斜めにショートカットする道があるようだ。私は国道をそれて、その裏道に入った。
 小さな水門があった。道に沿って流れる小川があって、南から北に流れているようだ。護岸工事がなされておらず、土だけでできた川岸である【注1】。川をのぞき込むと、メダカだろうか、小魚が泳いでいた。ザリガニらしきハサミも見えている。よく見ると、水面で何かがピンピンと弾けている。水が浅くて底まではっきり見えるのだけれども、あぶくが出ているということは、泥の中で何かが呼吸しているのだろう。季節は夏の真っ盛りだが、童謡の『春の小川』に出てくるような、ある種の懐かしさを感じた。
 川の中に置かれた土管や、立てられた杭には、桑の実のような形をした粒の細かい塊がたくさん付いている。ピンク色、それもショッキングピンクというのか、少々どぎつい感じのする色であった。これはタニシの卵ではなかったか。そういう目で見てみると、水の中にもタニシが多数いるようであった。大量に産卵したものの、川の水位が下がって地上に取り残されたのか【注2】。私はこういうのは全く分からない。
 南に進んでくると、自然な感じの小川は終わり、コンクリートで覆われた人工水路に変わった。流れの様子も、水が白く濁ってドブのような感じになっている。月並みな感想だが、小さな川は泥のままにしておいた方が良い。コンクリで固めてしまうと味もそっけもないし、たちまち汚らしくなってしまう。もちろん、ここは農業用水路であって見世物ではないのだから、農家の仕事としてはやむを得ないけれども。
 大きな水音がした。濁った水の中に、何やら巨大な生き物がいるようだ。手近に落ちていた細い角棒を取って水中をかき回してみると、オタマジャクシがワラワラと泳いでいたから、あれは体長30cmぐらいのカエルだろうと思う。コンクリの護岸であっても、こういう具合に自然の生き物がいないわけではないが、やはり風情は明らかに泥のままの方があると思う。
 私はふと、長崎県の諫早湾問題を思い出した【注3】。幅1mもないような農業用水路でさえ、コンクリ護岸の部分では水質が変わって見えることからすると、諫早湾は因果関係が明らかなように思える。長崎の人は怒ってしまうかも知れないが、生活を築いてしまった人に何らかの補償をした上で、門を開けた方が良くはないだろうか。それもできないとすると、この問題は、締め切り堤防がある日突然崩壊するとか、謎のミサイル攻撃を受けて破壊されるとかいった、超法規的な“魔法”ぐらいしか解決方法がないと思われる。

 民家の裏口が並ぶ小川沿いの道を進んでいくと、コンビニの建物の真裏をすり抜けた。大桑国道に面したところが駐車場で、今進んでいる裏通りに近いところに店が建っている。このコンビニは、本来曲がる予定にしていた船附南交差点の角にあるサークルK(養老船附店)であった。そして、対面2車線で黄色センターラインの道路に突き当たった。県道213号養老平田線である。ここで右に曲がる。ショートカットで短縮できた距離はせいぜい30〜40m程度だと思うが、“夏の小川”など見ながら来たおかげで、楽しく過ごすことができたと思う。
 曲がってすぐある畑に、興味をそそられた。この畑は土地の全部で耕作せず、畝になっている部分の周囲を掘り下げてある。掘って低くなった部分は一部水たまりになっている。これは、昔の「堀田」の技法で造られているのではないだろうか。堀田というのは、前述したとおり、土地改良事業が進む以前に輪中地域の低地で行われていた農地の使い方である。ここの畑はそのやり方を応用して、畑の周りを掘り下げることで乾いた畝にしていると思われた。こういうことは、輪中地域で技術に馴染んでいないとできないのではないだろうか。

 西に向かって自転車を漕ぎ続ける。県道には《ようこそ養老へ》という温泉地の入口のようなアーチが付いている。養老町は古くから養老の滝を中心とした観光地だったから、温泉と似たアーチが町の入口にあっても不思議ではない。そして、アーチをくぐったところで、前方に大垣共立銀行の緑色の看板が見えた。このこと自体は、予想どおりで何の不思議もなかった。さっきミニストップで見た昭文社の地図では、田んぼの真ん中にいきなり銀行のマークが書いてあり、銀行の名前が「大垣」とあった【注4】。[珍品センター]は、駐車場か敷地内に独立小屋が出ているタイプなのだろう。そう思っていたからだ。
 しかし、である。その手前にあるのは一体何なのだ。

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 【注1】その後護岸工事が行われた。
 【注2】私が見たのは、外来種のジャンボタニシ(スクリミンゴガイ)の卵であったようだ。この貝は卵を水から上がったところに産みつける習性がある。タニシは作物の苗を食害する生物であり、卵は水中に落とすと孵化できず駆除効果があるという。
 【注3】1989年から行われた国営諫早湾干拓事業で、諫早湾奥に潮受け堤防が建設されたが、深刻な漁業被害が発生しているとして、開門を求める裁判が行われた。2008年に佐賀地方裁判所は水門を5年間開放することを命じ、2010年に福岡高等裁判所が佐賀地裁の一審判決を支持。当時の菅直人首相が上告を見送ったため、2014年7月から漁業者1人あたり日額1万円(のち2万円)が支払われている。一方、2011年には開門の差し止めを求める訴訟が長崎地方裁判所に起こされ、2013年に水門開放請求を棄却、2015年の福岡高裁もこれを支持した。開門した場合、営農側に制裁金の支払いが開始されることになっている。
 【注4】この先にある大垣信用金庫の笠郷支店と勘違いしていたようだ。地図の[珍品センター]の場所に銀行のマークは見当たらないのと、大垣共立銀行であれば銀行名が「大垣共立」になっているハズ。
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2017年05月16日

2014.07.18(金)(42)夏休みだもーん

 次は[珍品センター]に向かう。
 「珍品センター」って何だろう、と以前から思っていたので、ここに行くのはちょっと楽しみにしていた。事前のリサーチによると、[船附]の南にある四つ角で右折し、西へ真っすぐ行った水田地帯のただ中にある。場所は予習したが、「珍品センター」が何であるかはあえて謎のままにしておいた。
 国道258号に出て、船附の交差点から真っすぐ南へ下っていく。道路と同一面上に建つ建物は明らかに石垣に載っており、この道路も含め相当かさ上げしてあるようだ。ほどなく水田地帯になった。4車線道路の脇の歩道は、2車線分ぐらいの幅に広がった。車道をさらに広げられるようにしているのだろう。まず遭遇するのが、何とキリスト教会であった。建物の前に大駐車場が完備され、店先には大きなアーチ状の装飾があるなど、どう見てもパチンコ屋の空き店舗なのだが、そこになんとかチャーチと掲出している。日本では東海地区のみで展開している教団らしいが、宗派はどこだろうか。教団名はスペイン語かポルトガル語のようだから(知らないが)、推定が当たっていればカトリック系ということになる【注1】。一般的には、キリスト教を謳う教団であっても、聖書とは別の経典を使い始めると、キリスト教とはみなされなくなる。代表例が「モルモン教」で、この教団は聖書の他に『モルモン経』というものを使っているから、キリスト教とは別の宗教とされることが多い。
 角に、コンビニのミニストップがあった(養老船附店)。[珍品センター]は、この船附町前東の交差点で曲がった先ではなかっただろうか。度忘れしてしまった。まあよい。忘れたらまめに地図を見ればよいのだ。今出発したばかりだが、ここで“地図見休憩”にしよう。
 クーラーの効いた店内に入った途端、どっと疲れが出てきた感じがした。ミニストップなのでイートインコーナーがあり、椅子に腰かけて火照った身体を鎮める。最近では他のコンビニチェーンでもイートインを導入した店が増えてきているが、この頃はイートインと言えばまだミニストップの独擅場であった。
 少々腰を下ろして落ち着いてから、カウンターのホットケースから鶏のから揚げを買った。カウンターでは、小学5年か6年の男児の客が、店員と「夏休みだもーん」という会話をしていた。あっけらかんとした元気な声に、長期の休みに入った喜びを感じた。そういえば、さっき今尾で集団下校とすれ違った。今日は公立小学校の終業式だったのである。
 すきっ腹を鶏のから揚げでごまかしつつ、雑誌売り場で都市地図を立ち読みする。やはり“地図見休憩”にしてよかった。右に曲がるのはこのミニストップではなくもう1本南の交差点、サークルKのある角であった。コンビニには変わりないし、方向も合っているが、曲がる道を1本間違えたらエラいことになってしまう。渡辺真知子のナツメロ『迷い道』が頭をかすめた。

 いまの時刻は14:10。面倒臭いので計画表は見ないが、相当遅れているのは間違いなく、だいぶ巻かないとマズいと思われる。いま執筆しながら計画表を確認してみると、14:06に[珍品センター]の次の目的地[フードセンタートミダヤ養老店]に到着しているハズであった。
 店の外に一歩出たら、直射日光が熱かった。国道をさらに南へ、引き続き自転車を漕ぎ続ける。養老町の町はずれにあたるこの近辺は、いろいろな意味で“墓場”のようであった。文字どおり墓地が道の反対側にある。廃車置き場があって何台も積み上げてある。その向かい側は、毛糸・編み機・コットン・ミシンといった手芸の店の廃屋。ロードサイド型の店としてオープンしたのだろうが、廃業して随分経つようだ。役目を終えたものが墓場のように数多く集まっている一帯であった。それ以外の建物では、倉庫が多いようだ。
 そのすぐ先、養老町笠郷の歩道橋手前に、スーパーマーケットの赤い看板が出ている。これから行くフードセンタートミダヤ養老店の看板であった。右折5km先、と書いてある【注2】。単調な道だし、まだまだ先は遠いと感じられた。
 相変わらず水田地帯が続いている。家が固まって建っているところも少々あるが、とにかく右も左も田んぼばかりで、たまに休耕田なのか少し荒れた土地がある。個人宅の半分ぐらいを喫茶店に改造したような店があった。コーヒーにのめり込んだオーナーが脱サラして始めたのだろうか。この喫茶店のあたりから、バイパス道路には側道のようなものができた。これまで、歩道と車道の間は縁石で仕切られているだけで、柵などはなかったのだが、車道と側道の間が高さ1mぐらいの焦げ茶色の柵で仕切られるようになった。側道はほどなくバイパスから大きく離れていった。
 なお、大桑国道をこのまま真っすぐ南にいくと、和歌山県に本社を置くスーパーのオークワが出店しており、念の入ったことに店内には百均大手ダイソーが出店している(スーパーセンターオークワ養老店)。言わずもがなのことであるが、オークワの創業者は大桑さんである。オークワの先で海津市に入ると、今朝自転車の旅を始めた駒野に到達する。

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 【注1】この教団の信者は、多くは日本の製造業を支えるブラジル出身者で、日系移民の子孫が大多数。彼らはカトリックよりプロテスタント、とりわけ福音主義というグループが優勢であるという。
 【注2】[フードセンタートミダヤ養老店]までの距離は[珍品センター]からでも5kmを超えており、この地点の看板で5kmというのはやや過少表示気味。
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2017年05月15日

2014.07.18(金)(41)旧営業店の[船附]を制覇

 大垣共立銀行船附出張所は、支店のような2階建ての建物であった。ここは店舗外ATMである。かつては養老支店の有人出張所だったが、無人店に変更されたのは、事前の知識として知っていた。建物に近いところに自転車を置いた。
 建物向かって左側に、裏手へ続く通路がある。工事現場の足場用の鉄パイプで塞いであるが、塞いでからだいぶ時間が経っているようで、パイプはひん曲がったり傾いたりしている。奥を見ると、土地が少し高くなっている。出張所の奥にある船附の集落に向かう道で、道路だけが盛り土の上を走っている。前述のとおりこの近所は川の付け替えがあったところであり、この道もかつては堤防道路だったのだろう。ということは、大共の出張所は川の跡にあるのか。後日古い地図で確認してみると、おおむねそのとおりであった。1964(昭和39)年発行の地図では、牧田川はすでにショートカットの工事が終わっている。
 さて、うらぶれた雰囲気を感じつつ、建物左端の自動ドアから店に入った。行員が「いらっしゃいませ」と声をかけてきそうな錯覚があったが、窓口室があるハズの場所にはシャッターが降りており、店内はシーンと静まり返っている。
 キャッシュコーナーは機械枠が2台分で、空き枠はない。ATMは沖電気バンキットと、それと同じボディで「NEC」の銘の付いた機械が1台ずつ置いてある。大垣共立銀行のホストコンピュータはNEC製であり【注1】、NECは沖電気からATMのOEM供給を受けているから、その関係であろう。2台とも手のひら認証対応にはなっていなかったが【注2】、代わりにここは店舗外ATMでありながら硬貨の扱いをしている。旧営業店から格下げになった店舗外ATMであるためのようだ。大共ATMでの硬貨の取り扱いは原則営業店のみで、硬貨は入金はできるけれども出金はできない。1000円未満の金額を出したいときは「お釣り入金」でやるしかない。
 「お知らせ」という掲示が出ている。《長らくご利用いただきました当船附出張所は、都合により平成16年5月17日をもちましてATMコーナー(自動機)のみによる出張所へ変更させていただきました》とあった。いま2014年、平成26年であるから、この店が無人化されて丸10年経ったわけである。銀行の有人店舗で一番多いのが「支店」、その次が「出張所」であろう。銀行で店舗の種類を変えるのはよく聞く話だが、たとえば支店から出張所に変わる場合、素人にとっては名前が変わった程度の変化でしかないが、銀行の内部では相当大きな変化があったことになる。一方、有人出張所から無人の出張所(店舗外ATM)への変化は、銀行としては軽い変更でしかない。なにしろここ[船附]に関して言えば、正式名称は「養老支店船附出張所」のままで変わらないのである。しかし、利用者にとっては行員がいるかいないかで大問題となる。銀行の内外でそういうギャップがあるのが興味深く感じられた。
 有人営業店を無人化して、建物のキャッシュコーナー部分のみ稼働した場合、ランニングコストはATM小屋と比べて大幅に高くなると聞いたことがある。大共がATMの営業をあえて有人出張所時代の建物で続けているのは、機会があれば有人店舗として復活するつもりなのだろうか。出張所から西に入った本来の船附集落は、前述のとおりかつては交通の要衝であり、物資の集散地でもあって、農業金融を主力としていた明治時代の大共が支店を出していたこともある。大共が80年代になって営業店を復活させたのは、旧来からの有力な顧客がいるばかりでなく、大桑国道のバイパス開通を契機に大垣の町と直結する地域として新たに発展が見込まれたからだろう。開発は思ったようには進まず、出張所も無人化されてしまったけれども、船附の場合はこの奥に古い集落が控えているし、店舗外ATMとしては機械の台数も多く、大駐車場完備。有効に活用されていると感じられた。
 というわけで、制覇作業を行う。[船附]の制覇は13:56のことであった。

 店舗外ATM[船附]は、有人店舗であった養老支店船附出張所が2004年5月17日付で統合されたことにより開設されたものである。有人店としての船附出張所は、1988年11月に現在地に開設された。
 当地における大垣共立銀行は、1899(明治32)年9月の船附支店開設に始まる。当初は養老郡笠郷村大字船附119番戸にあったが、船附の集落内における3度の移転を経て、1936年2月に本店船附出張所となり、戦後の1950年11月に廃止された。最後に店のあった船附838番地は、船附集落の商店街内であるが、今となっては木造家屋が飛び飛びに並ぶ程度の住宅地になってしまっている。笠郷村は、1954年11月に1町9村の合併により養老町となっている。

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 【注1】大垣共立銀行は2017年5月6日から、勘定系などのシステムを日本ユニシスのオープン勘定系システム「BankVision」に切り替え、NEC製メインフレームで動作していた旧システムを廃棄した。
 【注2】現在は手のひら認証対応の機械が入っている。
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2017年05月14日

2014.07.18(金)(40)船附はかつての「船着き場」

 豊富でないボキャブラリーの限りを尽くしてぼやきながら、側道が国道に合流するところまでやって来た。向こうの交差点に、行政が立てた「養老町」という青文字の白看板が見える。横断歩道を渡ったところに大共の船附出張所があるようだ。見えた。バイパス道路の向こうに、大垣共立銀行の緑色の看板。出張所の建物も見える。
 大共の敷地は、南北に走る大桑国道の西側に面している。道路は中央分離帯つきの片側2車線だが、さらにもう1車線分ぐらい広げる余地があるから、銀行の敷地は内側にかなり引っ込んだところにある。客用の駐車場はかなり広くて、南端に縦に4台分、東の端に縦に4台分、北の端に7〜8台分ぐらい。数字で言うと約20m四方で、車の台数としても20台ぐらいは置けるだろうか。車で広い範囲から集客する計画だったのだろうと思う。「お客さま駐車場」という看板が立っているところは、芝生か何か植えていたのだと思うが、緑色の防草シートで覆ってあった。
 「大垣共立銀行」の看板よりも目立つところに、「WE SERVE」と大書した看板が出ている。養老町・養老警察署・養老ライオンズC(クラブ)の連名であるが、ところどころ文字が落ちているところに悲しさを覚えた。《無事故で築く平和日本》とある下には「交通安全」の文字が5段重ねで並んでいて、ほとんどヤケクソのようである。交通安全交通安全交通安全交通安全交通安全。交通安全が重要でないとは言わないが、それ以外に訴えたいことはないのだろうか。銀行の隣は大駐車場完備のパチンコ屋で、巨大な招き猫のモニュメントを付けている。南行き車線に面したところにも1軒あるから、パチンコ屋が国道を挟んで向かい合っている。
 というわけで、ここはバイパス道路のロードサイドであった。

 大共船附出張所前の交差点は、船附集落の入口にあたっており、四つ角に「船附港址」という石碑が建っている。それによると、ここ船附は、かつては交通の要衝であった。「ふなつけ」という地名のとおり、船着き場だったのである。船附湊(港)はこの近所にある烏江湊・栗笠湊とともに「濃州三湊」と呼ばれ、中世末期から江戸幕府末期まで河川交通の拠点として約300年間繁栄したという。船附を起点に牧田川を遡り、関ヶ原から中山道に入って琵琶湖の朝妻湊(滋賀県米原市)へ、米原からは舟で京都へ、という交通路だった。この近所にある3つの港と、米原市の朝妻湊とを結ぶ道を、九里半街道といった。船附の1.5km上流が栗笠、さらにその500m上流が養老鉄道の駅もある烏江である。
 日を改めて船附の集落に行ってみた。集落内は車1台がやっと通れるぐらいの道幅であった。ここには新築した建物はほとんど見当たらない。明治期の築とおぼしき木造建築ばかりである。建物の並びは不規則だが、家の力によって大きい小さいがハッキリしている。そんな中お寺だけが立派で、割合最近普請したらしく木材が新しかったりする。もちろんこのあたりも輪中の集落で、建物は石垣の上に上げている。
 街角には「常夜灯」と彫られた立派な石灯籠が立っている。灯籠にはしめ縄がついていたりするから、川よ静まれー、と神頼みするニュアンスだったのだろう。消防団機器庫のそばに立つ火の見やぐらには、塔の真ん中辺と一番上と、鐘が2つも付いている。川見を兼ねた火の見やぐらはさっき海津市の野寺でも見たが、大水の時には川の様子を見て鐘をガンガン叩いたのだろう。火の見の向かいには神社があったりする。以上すべてが、この集落の真際を川が流れていたことを示している。
 船附のもう少し奥にある栗笠に来ると、堤防の脇に2階建ての棟割長屋の商店建築のような建物が建っている。河川交通が栄えていた時代の問屋だとすると、新しくても明治時代頃の築ということになる。さらにその奥にある烏江の集落は見ていないけれども、地図で見ると、養老鉄道の線路は大垣からまっすぐ南に下がってきて、烏江で西に直角に曲がって美濃高田に向かっている。建設当時の重要地点だった烏江を通るためにこういうコースになったのであろう。いずれも、古い時代には重要な集落であったのがありありとわかる。なお、養老鉄道の烏江駅は、堤防工事で線路が付け替えられたため、イメージにそぐわぬ高架式の駅で驚かされる。

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カテゴリ一覧(過去の連載など)
大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇(62)
単発(12)
告知板(24)
銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇(29)
りそめぐ2013梅雨 大阪市営バス“最長”路線[93]を行く(43)
りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇(51)
りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇(35)
りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇(8)
りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた(18)
りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動/銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇(20)
りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー(11)
りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ(47)
りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇(51)
りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
りそめぐ2007秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる(35)
2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)