2017年05月19日

2014.07.18(金)(45)そして、制覇

 珍品城に夢中になってしまったが、私は大垣共立銀行の制覇をしなければならないのである。
 店舗外ATM[珍品センター]は、珍品センターの敷地西寄り、天守閣の横にあった。本日何度も遭遇してきた1992年標準タイプの小屋に、ATMが1台。機種は沖電気のバンキットで、手のひら対応にはなっていなかった【注1】。母店は養老支店であった。小屋に入って機械を操作。14:47、ATM[珍品センター]を制覇した。
 養老支店珍品センター出張所は、養老支店4番目の店舗外ATMとして、1996年3月に開設された。2003年の年末、建設重機によるATMブース破壊の被害に遭っている。重機で店舗外ATMを物理的に壊し、ATMに装填されている現金を奪取する窃盗事件が、ちょうどこの頃(2002年以降)急増した。手口はほとんど共通していて、建設現場や重機の駐車場から油圧ショベルを盗み、そこから近いATMを破壊して現金を奪うというものである。建設省(現国土交通省)が1990年から重機の操作方式の共通化を始め、2002年には重機のほぼすべてが新型に切り替わったが、それによって犯罪に利用されやすくなったという事情もある。
 重機によるATM荒らしは、私がかつて「めぐ」をしていたあさひ銀行でも複数件発生している。あさひ銀では、被害個所は復活せずすべてそのまま廃止となったから、それを思うと[珍品センター]が復活したのはまことに慶祝すべき出来事であった。[珍品センター]の事件では、正面ガラスが割れただけでATMに被害はなかったという。

 ATM小屋のうしろに回ると、ガラス窓のような形態のポスター掲示板に「ゴールド総合口座」のポスターが貼ってあった。ゴールド総合口座は、2001年4月に販売を開始した大共の看板商品で、口座管理手数料(年額2160円)を徴収する代わりにATMの時間外手数料が無料になったり、取引ポイントが倍増したりする。口座手数料が2.5倍(5400円)の「スーパーゴールド総合口座」もある。今回の「めぐ」ではお目にかからないが、大垣や岐阜など都市部の店舗に行くと、ボディを金色に塗った「ゴールド総合口座利用者専用ATM」というものが異彩を放っている【注2】。
 ポスターの絵柄は、「OKB3」という女性3人の写真であった。胸の谷間を強調したりタイトミニスカートを穿いたりして、銀行のポスターとしては非常に官能的だ。「OKB3」は大垣共立銀行のキャンペーン広告に出ている女性の3人組で、カナ・マナ・ヒロの3人【注3】はモデル事務所所属のプロのタレントである。そして、行内には別に「OKB45」というものがある。これは女性行員を45人集めたユニットで、こちらもディスクロージャー誌の表紙を飾るなどビジュアル的に活動している。ミニスカートはやめた方が、と思う人もいないではないが、基本的には美人の集団である。この「OKB3」と「OKB45」の数字を足すと、48。つまり「OKB48」になるというわけである。AKBグループを意識しつつオリジナリティを出しているのは、土屋頭取のエンターテイナーとしてのセンスだろうか。その「OKB3」は2011年11月から始まったが、セクシーな女性の写真を使った広告自体はそれより前から行っていた【注4】。こうした路線の嚆矢は、同行では1984年の水着モデルを使ったポスターが最初だという。
 大共って面白い銀行だと改めて思った。こういう遊び心がないと、組織はギスギスしてくると思う。もっとも、心配に思うこともなくはない。頭取の打ち出す構想は遊び心に満ちているのだが、それを実行する銀行の組織は、頭取の遊び心に付いていけているのだろうか。私は、銀行のサービスの斬新さから期待される応対と、この銀行で実際に受けた応対とのギャップに、軽い失望を覚えたことがある。まあ、銀行という業態の業務内容からして、あまり形から外れすぎるのも問題なのであるが。

 さて、次の制覇目標に向かおう。[フードセンタートミダヤ養老店]である。目の前を走る養老平田線を西に走って養老町の中心部に到達すれば、ここをはじめとして養老町内がパタパタッと片付くハズだ。4か所を一気に取って、郊外にある[イオンタウン養老]に行ったら終わりである。
 時計を見ると、[珍品センター]の出発は、すでに予定より70分ほど遅れている。この調子では、自転車の返却まで含めると、ずいぶん後ろにズレ込むのではないだろうか。いちおう、スケジュールは16:10頃に養老鉄道養老駅で終了することになっているが、「16時過ぎ」ではなく「夕方6時過ぎ」ぐらいになってしまうかも知れない。レンタサイクルは、返却予定時刻を17:00としている。「めぐ」が多少延びても終電までに返せば良いのであるが、せめて夕方5時には自転車を返してスッキリサッパリ終わりたかった。
 それにしても、時速12kmという計算スピードは、相当の余裕をもって適用したハズだったが、それでも相当にキツいスケジュールであった。疲労が増してくるとスムーズにはいかないし、しかも、ここ珍品センターやさっきの輪中堤のように、面白いものに遭遇するとじっくり見てしまうから、そこで動きが止まってしまうのである。
 救急車がサイレンを鳴らして通過していった。乗せてもらいたいと少し思った。

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 【注1】現在は手のひら認証対応の機械が入っている。
 【注2】中身は通常の機械と同じであり、一般口座の客も利用は可能。
 【注3】2015年9月からユコ・ナツ・アミの3人となった。前任者と同じモデル事務所「セントラルジャパン」の所属。
 【注4】ゴールド/スーパーゴールド総合口座の2005年頃の広告から官能的な女性の写真となっている(為栗調べ)。
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2017年05月18日

2014.07.18(金)(44)「珍品センター」という名の珍品

 アーチの手前から、大共の緑の縦型看板と「ようこそ珍品城へ」という黄色い看板が見えている。それとは別に、漢字一文字で「珍」と書いた巨大な黄色い看板が目立っている。
 近づいてみると、前方右側には、城のような建物がある。といっても、結婚式場やラブホテルその他、地方の街道沿いに似つかわしい洋風の城ではない。妙に大きなしゃちほこが載った、瓦屋根の“天守閣”である。その手前にある城壁のような建物は波板ぶきの平屋建てで、パトカーのような白黒塗り。白壁となまこ壁に似せてある。軒先には大八車の車輪のようなものがいくつもぶら下がっており、「ブラザー電気洗濯機」なる琺瑯の看板もあった。
 お城の手前側は駐車場になっており、その隅に建つ棟のテント屋根は、茶色とピンクのしま模様という派手な色遣いであった。その内外に、七福神や二宮金次郎など種々の石像が並べられている。信楽焼の狸もある。これだけなら単なる石材店のようだが、駐車場の西側、道路と小さな川を挟んで“珍品城”の本体がある。城壁のような基本平屋建ての細長い建物と、天守閣のような3階建てのビルが建っているが、両者はつながっているようだ。前述のとおり、平屋建ての屋根には「ようこそ珍品城へ」という黄色い大きな看板が取り付けられている。
 門構えのような形の正面入口には飲料の自動販売機がズラリと並び、電話ボックスと郵便ポストもある。観光バス歓迎と書いてあるから、ドライブインのような役割を狙っているのだろうか。飲料自販機の上に取り付けられた赤いテントには《なつかしかしさと驚き》と、雑誌のおもしろコーナーで紹介されそうなキャッチコピーが書いてある。わざと取り上げられようとしているのかも知れないけれど。そして、屋根にしゃちほこが載った3階建ての“天守閣”が、敷地の一番西の端に建っている。
 天守閣の手前にある平屋建て部分には、唐笠・熊手・蓑・布団たたきなど、籐だか竹だかを編んだものが並べて置いてある。茶碗や壺など食器類もあるが、場所柄美濃焼が多いのだろうか。これらには値札が付いており、表示価格の半額で販売している。正面入口の横にある郵便ポストは、古いスタイルの丸ポストだが、実際に郵便ポストとして機能していて、取集担当は大垣郵便局であった。

 建物に入ってみて、ようやく「珍品センター」の正体がわかった。ここは、娯楽性を強く打ち出した骨董品店なのである。正式名称を「古今珍品情報流通センター」といい、委託された骨董品を店に並べて売っている。単に販売するだけでなく、この店そのものが観光資源になっているようだ。
 扱っているのは、具体的には掛け軸・書画・茶道具・古陶器・置き物・民芸品・古美術・刀剣・鎧といったレトロ商品。美術とか芸術方面に重きを置いているようだが、軍服もブリキのおもちゃもある。いろいろな“珍品”が、広い平屋の棟はもとより天守閣に至るまで、ギッシリと詰まっている。
 建物入ってすぐ右側に「商品の出品の仕方」という大きな看板が出ている。売りたい品物があれば、出品者が100円単位で自由に値段をつけて珍品センターに預け、売れた場合は販売手数料を引かれて売上金を渡される。3か月で売れなかった場合は返却される。誰でも出品できるが、年会費1万円で会員になれば手数料(最大30%)は優遇されるという。なるほど、こういうやり方で商品を集めているのか。なお、出品商品は「何でもよい」とは書いてあるけれども、店員によれば一定の制限があり、たとえば剥製など明らかに売れないものは断っているという。それから、中国からの客がやはり多いようだが、中国関係の品物はほとんどないので、あるなら持ち込み大歓迎ということであった。
 こういう店に来ると、男の私はつい興奮してあれこれ見て回りたくなる。たいていの人には汚いガラクタを集めて売っている店にしか見えないと思うが、私にとって珍品城は「夢の城」であった。りそなグループのウオッチャーとして、大黒天の置物で手頃なものがあれば買ってみてもよいと思った。大黒天は、りそなの前身銀行の歴史に登場するアイテムである【注】。大きさの点で手頃だと思うものは1、2点あったが、値段の点で見送った。
 電話機など実用的なものもあった。私はこの頃、自宅の電話機を1台買わなければならなかった。メリーゴーランドのようなちょっと派手な外観のプッシュホン電話があって、買って帰ろうかと一瞬思った。足が3本出た電気プラグのような「ローゼット」が付いているが、モジュラージャックに変換するアダプターを付ければ使えるハズだ。1800円とあまり高くはなかったが、金メッキが剥げていたり、きれいでなかったので断念した。
 もちろん、それ以前に「今日は」何か買って帰るのはとても無理である。

 近所のおばちゃんといった感じの店員が、麦茶を振る舞ってくれた。何しろ暑い日である。一杯の麦茶が喉にしみた。
 店員はこういうことを言っていた。美術館の展示に値札は付いていないが、ここの展示は全部値段が付いている、値札の金額さえ出せば買えるんだから明朗だ、と。しかし、骨董品というのは、根本的に生活にどうしても必要なものというわけではない。ここは美術品とか置物のウェイトがかなり高いのだが、絵画や彫刻は、日本の住宅事情を考えたらあまり売れないだろうなと思う。気さくに話しかけてくれた名古屋弁(美濃弁か)のおばちゃんは、欲しいものがあったら即声かけてね、どこからでも飛んで来るから、と言ってくれたが、今日は荷物になるものは無理だし、電話機にしても「何としても絶対に必要」というものでもなかった。
 見て回る分には楽しいけれども、この店の展示は“展示”そのものが目的ではなくて、売っているのである。買いもしないのに見るだけ見て回り、麦茶までご馳走になったのに手ぶらで帰るのは申し訳ないが、今日は先がまだ長いからやむを得ない。ご容赦いただくことにした。

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 【注】旧あさひ銀行の前身、旧協和銀行と旧埼玉銀行の双方に大黒天を使用した歴史がある。協和銀行の前身である不動貯金銀行は、創業者の牧野元次郎が大黒天を行内の「ニコニコ主義」のシンボルとして使用し、各支店には大黒天の奉安所が設置されていた。一方、埼玉銀行では戦後に頭取に就任した平沼弥太郎が趣味として彫刻をたしなんでおり、自身で作った大黒天像を全営業店に寄贈していたという。
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2017年05月17日

2014.07.18(金)(43)夏の小川もさらさら行くよ

 川べりを通って斜めにショートカットする道があるようだ。私は国道をそれて、その裏道に入った。
 小さな水門があった。道に沿って流れる小川があって、南から北に流れているようだ。護岸工事がなされておらず、土だけでできた川岸である【注1】。川をのぞき込むと、メダカだろうか、小魚が泳いでいた。ザリガニらしきハサミも見えている。よく見ると、水面で何かがピンピンと弾けている。水が浅くて底まではっきり見えるのだけれども、あぶくが出ているということは、泥の中で何かが呼吸しているのだろう。季節は夏の真っ盛りだが、童謡の『春の小川』に出てくるような、ある種の懐かしさを感じた。
 川の中に置かれた土管や、立てられた杭には、桑の実のような形をした粒の細かい塊がたくさん付いている。ピンク色、それもショッキングピンクというのか、少々どぎつい感じのする色であった。これはタニシの卵ではなかったか。そういう目で見てみると、水の中にもタニシが多数いるようであった。大量に産卵したものの、川の水位が下がって地上に取り残されたのか【注2】。私はこういうのは全く分からない。
 南に進んでくると、自然な感じの小川は終わり、コンクリートで覆われた人工水路に変わった。流れの様子も、水が白く濁ってドブのような感じになっている。月並みな感想だが、小さな川は泥のままにしておいた方が良い。コンクリで固めてしまうと味もそっけもないし、たちまち汚らしくなってしまう。もちろん、ここは農業用水路であって見世物ではないのだから、農家の仕事としてはやむを得ないけれども。
 大きな水音がした。濁った水の中に、何やら巨大な生き物がいるようだ。手近に落ちていた細い角棒を取って水中をかき回してみると、オタマジャクシがワラワラと泳いでいたから、あれは体長30cmぐらいのカエルだろうと思う。コンクリの護岸であっても、こういう具合に自然の生き物がいないわけではないが、やはり風情は明らかに泥のままの方があると思う。
 私はふと、長崎県の諫早湾問題を思い出した【注3】。幅1mもないような農業用水路でさえ、コンクリ護岸の部分では水質が変わって見えることからすると、諫早湾は因果関係が明らかなように思える。長崎の人は怒ってしまうかも知れないが、生活を築いてしまった人に何らかの補償をした上で、門を開けた方が良くはないだろうか。それもできないとすると、この問題は、締め切り堤防がある日突然崩壊するとか、謎のミサイル攻撃を受けて破壊されるとかいった、超法規的な“魔法”ぐらいしか解決方法がないと思われる。

 民家の裏口が並ぶ小川沿いの道を進んでいくと、コンビニの建物の真裏をすり抜けた。大桑国道に面したところが駐車場で、今進んでいる裏通りに近いところに店が建っている。このコンビニは、本来曲がる予定にしていた船附南交差点の角にあるサークルK(養老船附店)であった。そして、対面2車線で黄色センターラインの道路に突き当たった。県道213号養老平田線である。ここで右に曲がる。ショートカットで短縮できた距離はせいぜい30〜40m程度だと思うが、“夏の小川”など見ながら来たおかげで、楽しく過ごすことができたと思う。
 曲がってすぐある畑に、興味をそそられた。この畑は土地の全部で耕作せず、畝になっている部分の周囲を掘り下げてある。掘って低くなった部分は一部水たまりになっている。これは、昔の「堀田」の技法で造られているのではないだろうか。堀田というのは、前述したとおり、土地改良事業が進む以前に輪中地域の低地で行われていた農地の使い方である。ここの畑はそのやり方を応用して、畑の周りを掘り下げることで乾いた畝にしていると思われた。こういうことは、輪中地域で技術に馴染んでいないとできないのではないだろうか。

 西に向かって自転車を漕ぎ続ける。県道には《ようこそ養老へ》という温泉地の入口のようなアーチが付いている。養老町は古くから養老の滝を中心とした観光地だったから、温泉と似たアーチが町の入口にあっても不思議ではない。そして、アーチをくぐったところで、前方に大垣共立銀行の緑色の看板が見えた。このこと自体は、予想どおりで何の不思議もなかった。さっきミニストップで見た昭文社の地図では、田んぼの真ん中にいきなり銀行のマークが書いてあり、銀行の名前が「大垣」とあった【注4】。[珍品センター]は、駐車場か敷地内に独立小屋が出ているタイプなのだろう。そう思っていたからだ。
 しかし、である。その手前にあるのは一体何なのだ。

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 【注1】その後護岸工事が行われた。
 【注2】私が見たのは、外来種のジャンボタニシ(スクリミンゴガイ)の卵であったようだ。この貝は卵を水から上がったところに産みつける習性がある。タニシは作物の苗を食害する生物であり、卵は水中に落とすと孵化できず駆除効果があるという。
 【注3】1989年から行われた国営諫早湾干拓事業で、諫早湾奥に潮受け堤防が建設されたが、深刻な漁業被害が発生しているとして、開門を求める裁判が行われた。2008年に佐賀地方裁判所は水門を5年間開放することを命じ、2010年に福岡高等裁判所が佐賀地裁の一審判決を支持。当時の菅直人首相が上告を見送ったため、2014年7月から漁業者1人あたり日額1万円(のち2万円)が支払われている。一方、2011年には開門の差し止めを求める訴訟が長崎地方裁判所に起こされ、2013年に水門開放請求を棄却、2015年の福岡高裁もこれを支持した。開門した場合、営農側に制裁金の支払いが開始されることになっている。
 【注4】この先にある大垣信用金庫の笠郷支店と勘違いしていたようだ。地図の[珍品センター]の場所に銀行のマークは見当たらないのと、大垣共立銀行であれば銀行名が「大垣共立」になっているハズ。
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2017年05月16日

2014.07.18(金)(42)夏休みだもーん

 次は[珍品センター]に向かう。
 「珍品センター」って何だろう、と以前から思っていたので、ここに行くのはちょっと楽しみにしていた。事前のリサーチによると、[船附]の南にある四つ角で右折し、西へ真っすぐ行った水田地帯のただ中にある。場所は予習したが、「珍品センター」が何であるかはあえて謎のままにしておいた。
 国道258号に出て、船附の交差点から真っすぐ南へ下っていく。道路と同一面上に建つ建物は明らかに石垣に載っており、この道路も含め相当かさ上げしてあるようだ。ほどなく水田地帯になった。4車線道路の脇の歩道は、2車線分ぐらいの幅に広がった。車道をさらに広げられるようにしているのだろう。まず遭遇するのが、何とキリスト教会であった。建物の前に大駐車場が完備され、店先には大きなアーチ状の装飾があるなど、どう見てもパチンコ屋の空き店舗なのだが、そこになんとかチャーチと掲出している。日本では東海地区のみで展開している教団らしいが、宗派はどこだろうか。教団名はスペイン語かポルトガル語のようだから(知らないが)、推定が当たっていればカトリック系ということになる【注1】。一般的には、キリスト教を謳う教団であっても、聖書とは別の経典を使い始めると、キリスト教とはみなされなくなる。代表例が「モルモン教」で、この教団は聖書の他に『モルモン経』というものを使っているから、キリスト教とは別の宗教とされることが多い。
 角に、コンビニのミニストップがあった(養老船附店)。[珍品センター]は、この船附町前東の交差点で曲がった先ではなかっただろうか。度忘れしてしまった。まあよい。忘れたらまめに地図を見ればよいのだ。今出発したばかりだが、ここで“地図見休憩”にしよう。
 クーラーの効いた店内に入った途端、どっと疲れが出てきた感じがした。ミニストップなのでイートインコーナーがあり、椅子に腰かけて火照った身体を鎮める。最近では他のコンビニチェーンでもイートインを導入した店が増えてきているが、この頃はイートインと言えばまだミニストップの独擅場であった。
 少々腰を下ろして落ち着いてから、カウンターのホットケースから鶏のから揚げを買った。カウンターでは、小学5年か6年の男児の客が、店員と「夏休みだもーん」という会話をしていた。あっけらかんとした元気な声に、長期の休みに入った喜びを感じた。そういえば、さっき今尾で集団下校とすれ違った。今日は公立小学校の終業式だったのである。
 すきっ腹を鶏のから揚げでごまかしつつ、雑誌売り場で都市地図を立ち読みする。やはり“地図見休憩”にしてよかった。右に曲がるのはこのミニストップではなくもう1本南の交差点、サークルKのある角であった。コンビニには変わりないし、方向も合っているが、曲がる道を1本間違えたらエラいことになってしまう。渡辺真知子のナツメロ『迷い道』が頭をかすめた。

 いまの時刻は14:10。面倒臭いので計画表は見ないが、相当遅れているのは間違いなく、だいぶ巻かないとマズいと思われる。いま執筆しながら計画表を確認してみると、14:06に[珍品センター]の次の目的地[フードセンタートミダヤ養老店]に到着しているハズであった。
 店の外に一歩出たら、直射日光が熱かった。国道をさらに南へ、引き続き自転車を漕ぎ続ける。養老町の町はずれにあたるこの近辺は、いろいろな意味で“墓場”のようであった。文字どおり墓地が道の反対側にある。廃車置き場があって何台も積み上げてある。その向かい側は、毛糸・編み機・コットン・ミシンといった手芸の店の廃屋。ロードサイド型の店としてオープンしたのだろうが、廃業して随分経つようだ。役目を終えたものが墓場のように数多く集まっている一帯であった。それ以外の建物では、倉庫が多いようだ。
 そのすぐ先、養老町笠郷の歩道橋手前に、スーパーマーケットの赤い看板が出ている。これから行くフードセンタートミダヤ養老店の看板であった。右折5km先、と書いてある【注2】。単調な道だし、まだまだ先は遠いと感じられた。
 相変わらず水田地帯が続いている。家が固まって建っているところも少々あるが、とにかく右も左も田んぼばかりで、たまに休耕田なのか少し荒れた土地がある。個人宅の半分ぐらいを喫茶店に改造したような店があった。コーヒーにのめり込んだオーナーが脱サラして始めたのだろうか。この喫茶店のあたりから、バイパス道路には側道のようなものができた。これまで、歩道と車道の間は縁石で仕切られているだけで、柵などはなかったのだが、車道と側道の間が高さ1mぐらいの焦げ茶色の柵で仕切られるようになった。側道はほどなくバイパスから大きく離れていった。
 なお、大桑国道をこのまま真っすぐ南にいくと、和歌山県に本社を置くスーパーのオークワが出店しており、念の入ったことに店内には百均大手ダイソーが出店している(スーパーセンターオークワ養老店)。言わずもがなのことであるが、オークワの創業者は大桑さんである。オークワの先で海津市に入ると、今朝自転車の旅を始めた駒野に到達する。

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 【注1】この教団の信者は、多くは日本の製造業を支えるブラジル出身者で、日系移民の子孫が大多数。彼らはカトリックよりプロテスタント、とりわけ福音主義というグループが優勢であるという。
 【注2】[フードセンタートミダヤ養老店]までの距離は[珍品センター]からでも5kmを超えており、この地点の看板で5kmというのはやや過少表示気味。
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2017年05月15日

2014.07.18(金)(41)旧営業店の[船附]を制覇

 大垣共立銀行船附出張所は、支店のような2階建ての建物であった。ここは店舗外ATMである。かつては養老支店の有人出張所だったが、無人店に変更されたのは、事前の知識として知っていた。建物に近いところに自転車を置いた。
 建物向かって左側に、裏手へ続く通路がある。工事現場の足場用の鉄パイプで塞いであるが、塞いでからだいぶ時間が経っているようで、パイプはひん曲がったり傾いたりしている。奥を見ると、土地が少し高くなっている。出張所の奥にある船附の集落に向かう道で、道路だけが盛り土の上を走っている。前述のとおりこの近所は川の付け替えがあったところであり、この道もかつては堤防道路だったのだろう。ということは、大共の出張所は川の跡にあるのか。後日古い地図で確認してみると、おおむねそのとおりであった。1964(昭和39)年発行の地図では、牧田川はすでにショートカットの工事が終わっている。
 さて、うらぶれた雰囲気を感じつつ、建物左端の自動ドアから店に入った。行員が「いらっしゃいませ」と声をかけてきそうな錯覚があったが、窓口室があるハズの場所にはシャッターが降りており、店内はシーンと静まり返っている。
 キャッシュコーナーは機械枠が2台分で、空き枠はない。ATMは沖電気バンキットと、それと同じボディで「NEC」の銘の付いた機械が1台ずつ置いてある。大垣共立銀行のホストコンピュータはNEC製であり【注1】、NECは沖電気からATMのOEM供給を受けているから、その関係であろう。2台とも手のひら認証対応にはなっていなかったが【注2】、代わりにここは店舗外ATMでありながら硬貨の扱いをしている。旧営業店から格下げになった店舗外ATMであるためのようだ。大共ATMでの硬貨の取り扱いは原則営業店のみで、硬貨は入金はできるけれども出金はできない。1000円未満の金額を出したいときは「お釣り入金」でやるしかない。
 「お知らせ」という掲示が出ている。《長らくご利用いただきました当船附出張所は、都合により平成16年5月17日をもちましてATMコーナー(自動機)のみによる出張所へ変更させていただきました》とあった。いま2014年、平成26年であるから、この店が無人化されて丸10年経ったわけである。銀行の有人店舗で一番多いのが「支店」、その次が「出張所」であろう。銀行で店舗の種類を変えるのはよく聞く話だが、たとえば支店から出張所に変わる場合、素人にとっては名前が変わった程度の変化でしかないが、銀行の内部では相当大きな変化があったことになる。一方、有人出張所から無人の出張所(店舗外ATM)への変化は、銀行としては軽い変更でしかない。なにしろここ[船附]に関して言えば、正式名称は「養老支店船附出張所」のままで変わらないのである。しかし、利用者にとっては行員がいるかいないかで大問題となる。銀行の内外でそういうギャップがあるのが興味深く感じられた。
 有人営業店を無人化して、建物のキャッシュコーナー部分のみ稼働した場合、ランニングコストはATM小屋と比べて大幅に高くなると聞いたことがある。大共がATMの営業をあえて有人出張所時代の建物で続けているのは、機会があれば有人店舗として復活するつもりなのだろうか。出張所から西に入った本来の船附集落は、前述のとおりかつては交通の要衝であり、物資の集散地でもあって、農業金融を主力としていた明治時代の大共が支店を出していたこともある。大共が80年代になって営業店を復活させたのは、旧来からの有力な顧客がいるばかりでなく、大桑国道のバイパス開通を契機に大垣の町と直結する地域として新たに発展が見込まれたからだろう。開発は思ったようには進まず、出張所も無人化されてしまったけれども、船附の場合はこの奥に古い集落が控えているし、店舗外ATMとしては機械の台数も多く、大駐車場完備。有効に活用されていると感じられた。
 というわけで、制覇作業を行う。[船附]の制覇は13:56のことであった。

 店舗外ATM[船附]は、有人店舗であった養老支店船附出張所が2004年5月17日付で統合されたことにより開設されたものである。有人店としての船附出張所は、1988年11月に現在地に開設された。
 当地における大垣共立銀行は、1899(明治32)年9月の船附支店開設に始まる。当初は養老郡笠郷村大字船附119番戸にあったが、船附の集落内における3度の移転を経て、1936年2月に本店船附出張所となり、戦後の1950年11月に廃止された。最後に店のあった船附838番地は、船附集落の商店街内であるが、今となっては木造家屋が飛び飛びに並ぶ程度の住宅地になってしまっている。笠郷村は、1954年11月に1町9村の合併により養老町となっている。

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 【注1】大垣共立銀行は2017年5月6日から、勘定系などのシステムを日本ユニシスのオープン勘定系システム「BankVision」に切り替え、NEC製メインフレームで動作していた旧システムを廃棄した。
 【注2】現在は手のひら認証対応の機械が入っている。
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2017年05月14日

2014.07.18(金)(40)船附はかつての「船着き場」

 豊富でないボキャブラリーの限りを尽くしてぼやきながら、側道が国道に合流するところまでやって来た。向こうの交差点に、行政が立てた「養老町」という青文字の白看板が見える。横断歩道を渡ったところに大共の船附出張所があるようだ。見えた。バイパス道路の向こうに、大垣共立銀行の緑色の看板。出張所の建物も見える。
 大共の敷地は、南北に走る大桑国道の西側に面している。道路は中央分離帯つきの片側2車線だが、さらにもう1車線分ぐらい広げる余地があるから、銀行の敷地は内側にかなり引っ込んだところにある。客用の駐車場はかなり広くて、南端に縦に4台分、東の端に縦に4台分、北の端に7〜8台分ぐらい。数字で言うと約20m四方で、車の台数としても20台ぐらいは置けるだろうか。車で広い範囲から集客する計画だったのだろうと思う。「お客さま駐車場」という看板が立っているところは、芝生か何か植えていたのだと思うが、緑色の防草シートで覆ってあった。
 「大垣共立銀行」の看板よりも目立つところに、「WE SERVE」と大書した看板が出ている。養老町・養老警察署・養老ライオンズC(クラブ)の連名であるが、ところどころ文字が落ちているところに悲しさを覚えた。《無事故で築く平和日本》とある下には「交通安全」の文字が5段重ねで並んでいて、ほとんどヤケクソのようである。交通安全交通安全交通安全交通安全交通安全。交通安全が重要でないとは言わないが、それ以外に訴えたいことはないのだろうか。銀行の隣は大駐車場完備のパチンコ屋で、巨大な招き猫のモニュメントを付けている。南行き車線に面したところにも1軒あるから、パチンコ屋が国道を挟んで向かい合っている。
 というわけで、ここはバイパス道路のロードサイドであった。

 大共船附出張所前の交差点は、船附集落の入口にあたっており、四つ角に「船附港址」という石碑が建っている。それによると、ここ船附は、かつては交通の要衝であった。「ふなつけ」という地名のとおり、船着き場だったのである。船附湊(港)はこの近所にある烏江湊・栗笠湊とともに「濃州三湊」と呼ばれ、中世末期から江戸幕府末期まで河川交通の拠点として約300年間繁栄したという。船附を起点に牧田川を遡り、関ヶ原から中山道に入って琵琶湖の朝妻湊(滋賀県米原市)へ、米原からは舟で京都へ、という交通路だった。この近所にある3つの港と、米原市の朝妻湊とを結ぶ道を、九里半街道といった。船附の1.5km上流が栗笠、さらにその500m上流が養老鉄道の駅もある烏江である。
 日を改めて船附の集落に行ってみた。集落内は車1台がやっと通れるぐらいの道幅であった。ここには新築した建物はほとんど見当たらない。明治期の築とおぼしき木造建築ばかりである。建物の並びは不規則だが、家の力によって大きい小さいがハッキリしている。そんな中お寺だけが立派で、割合最近普請したらしく木材が新しかったりする。もちろんこのあたりも輪中の集落で、建物は石垣の上に上げている。
 街角には「常夜灯」と彫られた立派な石灯籠が立っている。灯籠にはしめ縄がついていたりするから、川よ静まれー、と神頼みするニュアンスだったのだろう。消防団機器庫のそばに立つ火の見やぐらには、塔の真ん中辺と一番上と、鐘が2つも付いている。川見を兼ねた火の見やぐらはさっき海津市の野寺でも見たが、大水の時には川の様子を見て鐘をガンガン叩いたのだろう。火の見の向かいには神社があったりする。以上すべてが、この集落の真際を川が流れていたことを示している。
 船附のもう少し奥にある栗笠に来ると、堤防の脇に2階建ての棟割長屋の商店建築のような建物が建っている。河川交通が栄えていた時代の問屋だとすると、新しくても明治時代頃の築ということになる。さらにその奥にある烏江の集落は見ていないけれども、地図で見ると、養老鉄道の線路は大垣からまっすぐ南に下がってきて、烏江で西に直角に曲がって美濃高田に向かっている。建設当時の重要地点だった烏江を通るためにこういうコースになったのであろう。いずれも、古い時代には重要な集落であったのがありありとわかる。なお、養老鉄道の烏江駅は、堤防工事で線路が付け替えられたため、イメージにそぐわぬ高架式の駅で驚かされる。

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2017年05月13日

2014.07.18(金)(39)大垣市をかすめて船附へ

 水門川の橋には、行政が立てた「大垣市」という標識が出ていた。揖斐川の西に2本流れる川の中間にある堤防を境に、県道羽島養老線は安八郡輪之内町を出て大垣市に入る。大垣市は大垣共立銀行の本店所在地であり、「めぐ」をやるならやるでキッチリ取り組まなければならない地域だが、今日は特別なことは何もない。行政区域が大垣市になっただけの話であり、この近所に大共の拠点はないから、標識を横目で見ながら過ぎ去るのみである。
 自転車に乗った女子高生何人かとすれ違った。なぜ女子高生ばかりなのかは知らない。福束大橋西詰の交差点から下り坂が始まった。交差点の手前で、さらにもう1本小さな川を渡った。このあたりはとにかく川が細かくたくさんある。

 大きな道路に突き当たって、横曽根3の丁字路で左に曲がる。しばらく行くと、目指す[船附]である。
 突き当たった道は、大垣市の中心部から名神高速の大垣インターを通って三重県桑名市に至る国道258号線で、大垣と桑名を結んでいることから「大桑(だいそう)国道」と呼ばれる。何時間かぶりで再会する大桑国道。今日の「めぐ」で最初の方の[松山]や南濃支店を制覇する時にも遭遇したが、この道を実際に通るのは本日初めてである。
 この付近の大桑国道は、中央分離帯つきの片側2車線で、大幹線道路に相応しい規模であった。歩道も結構広くて、車1台通れそうなほどの幅がある。左に見える新水門川排水機場は、さっき橋の上から見えたのと同じもの。ポンプ場と国道の間に、土蔵のような外観をした水防倉庫がある。大垣輪中横曽根水防倉庫は、単なる水防倉庫のようだが、それなりに見た目に気を使っているのだろう。ここは輪中堤の切割を封鎖するわけではなさそうだが、土嚢の材料でも入っているのだと思う。なお、横曽根3から走ってきての印象だが、大垣市に入った途端に水稲耕作をやっている水田が一気に消えたと感じた。水防倉庫の名称にもあったとおり、ここは大垣輪中であり、輪之内町の福束輪中からは脱している。今は輪中によって水稲耕作の状況が異なっているのかもしれない。
 堤防上から養老大橋という橋を渡るようで、橋に向かってちょっと上り坂になっている。大きな川はもう渡ったハズだから、揖斐川とは別に小さな川があるのだろうか。その割にかなり大規模な橋であると思った。行政が出した青看板によると、ここから桑名まで30km、南濃まで11km。幹線道路だけに、国土交通省か県警が出した電光掲示板もある。「速度注意」などのメッセージは説教がましいが、現在の気温を知らせてくれるのは役に立つ。只今の気温は32℃とあった。
 養老大橋を渡り始めると、河川敷の部分は畑と、原生林のような森になっていた。河川敷は泥だらけの草ぼうぼうである。ここもやはり、よどんだ川が下に横たわっている。そして、川がもう1本。このあたりはいったい何本川を越えるのだろうか。後付けの知識では、この橋は揖斐川の支流2本、杭瀬川と牧田川をまたいでいる。
 川の向こう、養老町側では堤防の草刈りをやったようで、野焼きの煙が目にしみた。大垣市は養老大橋を渡り切るところで終わりである。

 2本の川をようやく渡り切った。養老大橋を渡ってすぐのところに、名阪近鉄バスの〔船附〕停留所がある。ここに来るバスは、大垣駅前から今尾を通って海津市役所へ行く海津線で、途中の今尾までは1時間に1本ある。この地区の路線バスは、名阪近鉄バスという会社が担っている。大垣のバス会社として発足し、路線バスも大垣地区のみで運行しているが、近鉄グループ内の事情で本社は名古屋市にある。現在は三重交通(グループホールディングス、近鉄系)の完全子会社となっている。
 バス停があるということは、このあたりから人里に入るようだが、まだ堤防上のようだ。そう思った時、非常にけしからぬものに遭遇した。人間はここで国道から降ろされてしまうのである。車道は向こうの交差点に向けて緩やかな坂を4車線のまま真っすぐ下りていくが、歩道はバス停のすぐ先で勾配が急にきつくなっており、歩道はどこへ消えたんだろうと思わせる。急坂の下を見ると、もっと腹の立つことに、道路に沿ってしばらく前方に下ったのち、坂の途中で180度折り返して手前に下りてくるのであった。私は呆気にとられた。何という無駄なことを。車道に移ろうにも、歩道との間はガードレールでガッチリ仕切られている。向こう側へ移動するのは(自転車をかついでガードレールを越えない限り)不可能であった。
 ふざけるな、なぜヘアピンにするのだ。戻ってしまうではないか。頼むから真っすぐ行かせてくれよ。この下の住民のために折り返しを作るのは構わないが、それをやるなら真っすぐ行くスロープ「も」作ってほしい。盛り土の部分を削ればできるハズだ。
 ブツブツ言いながら、ハンドブレーキを握りっぱなしにして急坂を下る。このスロープは道幅が広いから、それなりにスピードが出せないことはない。そしてUターン。車で駆け抜けたら快適であろうこの道は、歩道からいきなり下に下ろされてしまうし、ヘアピンカーブで向きを強制的に変えさせられるし、自転車ではまことに走りにくい道であった。どうして直進するニーズを考慮に入れていないのだろうか。やり場のない憤りにかられる私であった。
 スロープ横の地べたに下ろされた。ここでまた180度向きを変えて、国道に沿って走る側道を南(厳密には南西)に向かう。側道は不可解に曲がりくねっており、しかも国道に向けてちょっとした上り坂になっている。このあたりは塩喰(しおばみ)といい、輪之内町が揖斐川の西岸に少しだけ食い込んだ飛び地のような場所である。行政区分は異なるが、建ち並ぶ家は輪中の石垣の上に乗っかっているし、船附地区とは一つながりの集落なのであろう。なぜ飛び地ができたかといえば、今尾から野寺に向かう途中でも述べたが、かつての川の流れを反映しているのである。

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2017年05月12日

2014.07.18(金)(38)さらば輪之内町

 さっきの川沿いの道を北上する。
 カントリーエレベーターの前をさっき通らなかったので、元の道に戻る機会に通ってみた。カントリーエレベーターは、収穫した米を貯蔵しておくための施設で、大まかには乾燥機と貯蔵庫をエレベーターでつないだ倉庫である。稲刈りして脱穀した「もみ」を乾燥させてサイロに保管しておき、米が必要な時にもみ摺りをして出荷する。カントリーエレベーターで特に目立つのは、米を貯蔵しておくサイロの部分である。
 ここには、7階建てビルくらいの高さの円筒が8本ほど並んでいる。周囲に何もない水田地帯に、窓のない長細い円筒が林立していて、見上げるとその巨大さを改めて感じた。その下にJAにしみのの店舗(輪之内支店)があるが、建物が非常に新しいのが印象的であった。輪之内町は面積こそ小さいけれども、農業でかなり稼いでいるようで、青息吐息というわけではなさそうである。

 県道羽島養老線に出た。歩道が完備された対面2車線の道が、水田地帯の真ん中を相変わらず貫いている。道端には、彼岸花に似た赤い花が咲いていた。朱色で鮮やかな色合いであった。真夏のこんな時期に彼岸花ではないと思うが、植物のことは私にはさっぱりわからない。なお、距離を計算してみると、この付近(八反田交差点近く)で、自転車での移動は計画上の中間地点に達したようだ。
 その先、中郷交差点の東側には、立派なお屋敷があった。石垣の上に土蔵などが多数建っており、伝統的な輪中の家と思われる。この近所では珍しくないであろうお屋敷だが、私はよそ者であるので物珍しさを感じて写真を撮る。小中学校の地理の時間で教わる濃尾平野の輪中は、こうした高台上の住居の話をして終わりになると思う。高須地区などで見たとおり、堤防の内側にある民家は、少しかさを上げて高いところに作られることが多い。古い住宅ばかりでなく、注意して見ると新しい家でも1mぐらい高く上げた台の上に建っている。日常生活に使われる母屋とは別に、洪水が来たときに避難する水屋が、さらに高度を上げて建てられていることもある。水屋がない場合でも、天井に小舟が常備されているとか、仏壇が滑車で天井裏に引き上げられるようになっているとか、濃尾平野ならではの特徴がみられる。この中郷のお屋敷にも、そうしたものが一つや二つありそうである。「輪之内」という町名は、まさに輪中の内側という意味なのであった。
 お役所が作った白い矢印看板が出ている。養老公園11km先、とあった。養老公園は有名な「養老の滝」を中心とした公園で、この近辺では随一の観光地である。近所にある養老天命反転地については、聞いたことがある。中に入ると平衡感覚が保てなくなるらしい。
 それにしても、養老までまだ10kmも自転車を漕ぐのか。少々疲労感が増した。

 さて、自転車を漕ぎ続けていて、これまであまり感じなかった向かい風を感じるようになった。自転車を降りて立ち止まっても感じるほどの風圧。養老山地から吹きおろしてくる風が相当強いようだ。そういえば、さっき寄った平田町三郷のコンビニには、風除室があった。わざわざ設置したということは、このあたりは相当に風の強いエリアなのだろう。暑い時期なら風が吹いても寒さを感じることはないし、むしろ暑さを和らげる効果があるのだけれども、それでも風を感じるというのは、一つには疲れてきたことと、もう一つはやはり風圧が相当強いのだろう。高校時代、向かい風をもろに正面から浴びて自転車通学していたことを思い出す。有名な冬季のからっ風に悩まされたのである。別に懐かしくはない。
 向かい風に向かって自転車を漕いでいると、太腿が少しつり始めた感じになってきた。どうも今日は行程の最初から左足の膝が思わしくなくて、このあたりまで来るとだいぶ庇いながら足を動かしている。ペダルがガタガタしているのは前述したが、やはりメンテナンスが良くない自転車に乗ると、体に相当な無理を強いる。庇いながらという点からすると、痛みが一番少ないのは立ち漕ぎだが、立ち漕ぎは立ち漕ぎでこれまた疲れる。どうしたらいいのだろうか。
 それから、車道の横に歩道が整備されているところでは、別の道路が接続するところでわざわざ歩道を終わりにして、境界が高さ1cmぐらいのエッジになっているところがある。微妙な段差だけれども、これも長距離乗っているとだんだんダメージになってくる。
 なお、後日この道は自転車で再度走ってみたが、やはりこのあたりで疲労が顕著になり始めた。

 福束(ふくづか)という交差点まで来た。ここから西は堤防上に上がるスロープになっていて、揖斐川を渡るブルーのトラス橋が堤防の向こうに見えている。ブルーの色調は今朝駒野から高須へ向かう途中で渡った福岡大橋と同じだが、ここは本格的なトラスが橋の上にそびえ立っている。橋の名前は福束大橋という。この橋が架かったのは1972年だが、それ以前は対岸との連絡は県営渡船で行っていたという。この福束大橋を越え、幹線道路に突き当たったら左に曲がると、その先が目指す[船附]なのであった。なお、このあたりは福束輪中という名前で、福束輪中の領域がそっくりそのまま安八郡輪之内町となっている。
 堤防上に上がる坂を漕いで上がる気力がないので、自転車を降りて、押して上がってしまった。少しバテて来ているのか。上がりきったところで堤防道路と交差する。この交差点は福束大橋東詰といった。いよいよここから福束大橋が始まる。この橋は割合最近塗り直したようで、青い塗装が大変鮮やかであった。ただし、歩道のアスファルト舗装はガタガタである。塗り直すついでに修理しといてよと思うが、岐阜県の道路予算はよほど乏しいようだ。
 福束大橋の本体を渡り切ると、さらに橋がもう1本あり、こちらは小さい川を2本まとめて渡っている。1本は水門川というそうだが、もう1本の名称はわからなかった。福束大橋は青い塗装もそうだが、揖斐川の西側で小さな川をまたいでいるところも午前中の福岡大橋と同じである。これらの小さな川は、川下で揖斐川に合流しているのだろう。小さいといっても15〜16mぐらいの川幅があるのだが。その左(川下側)の彼方には、大きな堰が複数見える。何に使う堰なのだろうか。このあたりは水があり余っていそうなエリアだが、農業用水など取る必要があるのだろうか。すぐ後でわかったが、あの堰は国土交通省の排水機場である。ポンプで排水しないと、輪中から余分な水が出ていかないのである。

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2017年05月11日

2014.07.18(金)(37)[輪之内町役場]を制覇

 そして文化会館の前まで進んできたとき、私はあの看板にダマされていたことを知った。畜生、役場はやはり川の東岸だ。篠沢教授に1000点賭けてハズしたような絶望感を感じた。どうして西岸側のあんな場所に矢印看板を付けているのだろうか。役場が川の東側である以上、橋を渡ってはいけないのである。あそこに矢印看板があるのは紛らわしい。少なくとも私は誤認した。東側に付けられないから西岸に立てているだけなのか。それなら、矢印だけの看板ではなく、川を描き込んだ「図」にしてくれないと無理である。
 まあ、今にして思えば、東岸は対面2車線の道が続いているのに、こっちは対面2車線ではないから、やはりそこでおかしいと気がつかなくてはいけなかったのだ。道が狭まるということは、裏道である。

 文化会館の前に架かる橋は、意味はわからないが光輪橋という名前であった。架かったのが平成元(1989)年とかで新しく見えるが、文化会館とセットでできたのだろう。というわけで、曲折はあったがやっとの思いで輪之内町役場に着いた。結局、川の東側に建つ茶色い建物が輪之内町役場であった。地図を信じて真っすぐ来ればよかった。
 役場の敷地に入り、敷地内の対面2車線の通路を行く。この町役場も、田んぼの真ん中の土地をガバッと使って作った雰囲気が強く感じられた。右(南)側には学校の校舎と体育館みたいな建物が見えるが、みたいなというか学校そのもの(町立輪之内中学校)である。茶色い役場の建物の南側には学校との間に広大な駐車場が広がっている。
 敷地の端近くまで来ると、輪之内町商工会館という2階建ての建物がある。大垣共立銀行のATM小屋は、商工会館の横、町役場の敷地の南東端にポツンとあった。看板もなく目立たないところにある。敷地端の生垣に自転車を立てかけて、小屋に歩み寄った。
 商工会館の横に建つこの小屋は、今日盛んに見てきた大共の1992年標準型ATM小屋とは違い、前面に行灯看板のついた真四角な箱で、ちょっと古いタイプである。鉄の部分はクリーム色に塗られている。行灯の《大垣共立銀行》のロゴは、少し古めかしいデザインのものを使用している。キャッシュコーナーの入口が自動ドアになっているのは、1992年標準型と変わらない。大共の店舗外ATMは自動ドア標準装備で、機械1台だけの独立小屋も例外ではない。自動ドアを開けてみると、中の機械は手のひら認証対応の富士通FV20が1台だけであった。母店は今尾支店である。機械を操作。13:05、[輪之内町役場]を制覇した。
 今尾支店輪之内町役場出張所は、今尾支店2番目の店舗外ATMとして、1986年10月に開設された。2015年2月、今尾支店の代理店化に伴い、母店は海津支店に変更された。

 海津市に続き、輪之内町の制覇目標もすべて制覇した。次は養老町に入り、最初の目的地は[船附]である。ここから4.47km、19分かかることになっている。
 [輪之内町役場]は、予定だと12:46には出ていないといけないので、20分ぐらい遅れている。着実に時間オーバーしつつあった。役場を出発する前に、船附まで行く近道がないか、大共の人に聞いてみよう。地図を持って来ていない以上、聞いてから動いても遅くはない。大共が指定金融機関なら、会計課に行けば大垣共立銀行の行員が詰めているハズだ。そう思って、役場の正面玄関を入った。
 玄関の横に定礎の石がはめてあって、昭和59年9月吉日と書いてある。1984年の建築ということは、築30年。そのぐらいの経年なら、まだまだ新しい方だろう。玄関先にある電光掲示板には、輪之内町からのお知らせや、県内/町内の事故件数など、種々の告知が次から次へとスクロール表示されていた。輪之内町の人口や世帯数も出てくる。この年(2014年)の6月1日現在、人口は男4908/女5050の合計9958人、世帯数は3080世帯であるそうだ【注1】。輪之内町はあと42人転入すれば人口1万人達成である。クレジットカードを新しく作ると、入会初年には年会費が無料となることが多いが、地方自治体も「転入初年は町税免除!」のような人口増加キャンペーンを打ってみたらどうだろうか。そんなことを思ったが、まあ付け焼刃的な対策では講じても意味がないであろう。
 風除室に入ってすぐ右側には、輪之内町勢パノラマ図というものがあった。ボタンを押すと地図上のランプが光るようになっているのだと思うが、通電していないようで、押してもランプは点かなかった。何とか建材とか何とか生コンとか、さっき通過したクロスタニンとか、町の施設や商工関係全部の場所がわかる。「イオンタウン輪之内」の開業した当時の写真が出ていて、看板の屋号が「マックスバリュ」になっていた。自動ドアをもう1枚抜けると、「輪之内町役場ご案内」という図が出ている。その図に従って左に曲がると、スロープ上がった左側に会計室というのがあった。Accounting Officeと緑色のプレートにしゃれた感じに書いてある下に、広々とした窓口ブースが2つある。
 そこに詰めていたのは、大共の行員ではなく、JAにしみのの女性職員であった。輪之内町の指定金融機関は2年ごとに交代するそうで、JAは去年(2013年)の8月に指定金になったそうである【注2】。次がどこになるかはわからないが、大共と大信(大垣信金)のいずれかであるという。ローテーションなのだろう。これでは大垣共立のことはちょっと聞きにくい。
 結局、道案内をしてくれたのは、役場窓口の職員さんであった。県道羽島養老線に戻って西へ進み、橋を渡って突き当たったところで左に曲がる。それでしばらく行ったところが船附だという。やはり、川沿いの道を北上し、イオンの前から来る県道まで戻らないといけないそうだ。輪之内町役場から船附までの直線距離は3kmほどだが、実際に行くとなるとグルッと回らなければ無理なので時間がかかる。諦めるしかないようだ。

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 【注1】2017年4月1日現在、総人口9870人、世帯数3284世帯。世帯数は増えたが、人口は漸減傾向にあるようだ。なお、2010年には総人口は1万人を超えていた。
 【注2】現在は大垣共立銀行海津支店。
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2017年05月10日

2014.07.18(金)(36)役場に向かって走れ!

 さあ、次の目的地[輪之内町役場]へ向かおう。ここから2km強、9分ほどでたどり着く予定である。
 イオンタウン輪之内の西側を県道(219号安八平田線)が南北に走っており、輪之内郵便局とファミリーマート(輪之内町店)が隣り合っている。柵で囲まれた郵便局の敷地に郵便車が止めてあるから、この局は配達業務を行っているのだろう。ファミマは盛況のようだったが、イオンタウンの中でコンビニをやった方がまだ相乗効果で集客できるのでは、と一瞬思った。イオンの施設にコンビニが入るとしたらミニストップになるハズだから、ファミマではあり得ない。なお、イオンの駐車場の外れに、店舗外精米機が見えた。
 ファミマに入って、「ファミチキ」を1つ買い食い。ついでに雑誌売り場で地図を立ち読みした。さっき地図なしで押し切って大失敗したから、今度はかなり慎重になっている。地図によると、輪之内町役場は県道羽島養老線をさらに西に向かい、川に遭遇したところで左に曲がれば良いようだった。役場のそばにはJAのカントリーエレベーターがあるそうで、これが目印となるだろう。このあたりは使われている農機も巨大だし、カントリーエレベーターもある。こんな雄大な、北海道のような農業経営が岐阜県で行われているとは、この地に来るまで想像できなかった。濃尾平野は古くからの農業地帯であって、前述したとおり設立当初の大垣共立銀行は、米の売買代金決済のため西濃地区各地に支店を置いていた。最近でも、系列シンクタンク内に農業専門の研究所や実証農場を開くなど、大共はアグリビジネス振興に力を入れている。

 ファミチキを1枚食べただけだが、かなり元気が湧き出た気がした。行動再開である。
 郵便局やファミマの南にある、西之川という交差点で右折した。相変わらず県道30号羽島養老線を西に進む。何を栽培しているのか知らないが、続く水田地帯の中に温室があった。少し風が出てきたようだ。
 走ってくると、地図に出ていたとおり用水路のような川があったので、そこに架かる橋のたもとで左に曲がる。さほど大きな川ではないが、とにかく川沿いに南に進んでいくと、左手に町役場があることになっている。川の名前はさっきファミマで見た地図に書いてあるのを見たが、忘れてしまった。後でチェックすると、中江川ということであった。高須で遭遇した大江川の親戚であろう。
 川沿いの道は、対面2車線白破線センターライン。歩道こそ整備されていないものの、路側帯が車道の幅ほど広く取られている。白緑色のガードレールで隔てられた川は、流れがほとんどなく、濁った水がよどんでいる。このあたりは低地で標高差がないから、揖斐川をはじめとして、どの川を見てもほとんど流れていない。ガードレールのガードの部分は、工事現場の足場用と同じぐらいの太さのパイプを3本、丸柱に取り付けたスタイル。ただ、ここはちゃんと塗装をして全体を白緑色にしてある。
 護岸工事は昭和40年代の施工だろうか。結構古い時代になされたようで、コンクリの構造が簡素である。護岸上部とアスファルト舗装との間にある土の部分には、樹木が複数植わっている。自然の木かと思ったが、よくよく見ると木の種類は一定しており、さらによくよく見ると土管のようなものを立てた中に土を入れて木を植えているようだ。土管は相当に泥だらけで苔むしてもおり、木が生えていない空の土管もある。下に目をやると、水の中に何やら生き物がいるのが見えた。
 田んぼの真ん中に、住宅が何軒か固まって建っている。その向こうには、たしかにカントリーエレベーターらしきものが見える。そばにある4階建てぐらいの建物が町役場なのであろう。手前の住宅地には一戸建て住宅が十数軒、それから一戸建てとテイストが同じ集合住宅が2〜3棟見られる。この界隈の土地は、サブリース会社の大東建託がまとめて開発を請け負ったように見える。田んぼの真ん中にこんなに賃貸住宅を建てて、部屋が埋まるのだろうか。
 相変わらず水田地帯が続いているが、道路に面した土地は休閑地が多かった。耕作している土地が隣にあると、休閑地にも遠慮なく水が入って来てビチャビチャになる。役場だと思った5階建ての建物は、輪之内ビラという介護老人保健施設であった。クリニックが併設されているという。入居している老人専用の医療施設なのかも知れない。

 これまでずっと川の東側を南進してきたが、「輪之内町役場左」の矢印看板が橋を渡った向こう岸(西岸)に立っているのを見た時、私は一瞬頭がくらくらした。役場は川を渡った西岸側にあるのだろうか。リサーチと明らかに違うが、まあ現状優先にするのがこうした場合の大原則だろう。私は橋を渡った。
 西岸側の道は、車は通れなくはないものの少し幅が狭まり、対面2車線でもなくなった。アポロンスタジアムという野球場の前まで来ると、川を挟んだ向かい側に巨大なカントリーエレベーターが見えた。「JAにしみの」と大書してあるから、今日何度も遭遇している西美濃農協の持ち物なのであろう。前方からバスがやって来た。イオンタウンを通って岐阜羽島駅へ行く名阪近鉄バスである。この、アポロンスタジアムの先が役場なのだろうか。
 後で知ったが、箱モノ整備で作った感じが強く漂うこのエリアは「輪之内町プラネットプラザ」という。中心施設が、輪之内町役場と輪之内文化会館、それにアポロンスタジアムと町立図書館である。文化会館前のロータリーはバスターミナルのような機能を持っていて、名阪近鉄バス(大垣行き・岐阜羽島行き)と町のコミバスが集結している。公共施設がたいそう立派であるが、こういうものを作ってしまって青息吐息なのか、それとも大規模農業で稼いでいるのかは知らない。

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カテゴリ一覧(過去の連載など)
大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇(58)
単発(12)
告知板(24)
銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇(29)
りそめぐ2013梅雨 大阪市営バス“最長”路線[93]を行く(43)
りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇(51)
りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇(35)
りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇(8)
りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた(18)
りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動/銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇(20)
りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー(11)
りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ(47)
りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇(51)
りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
りそめぐ2007秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる(35)
2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)