2017年04月06日

2014.07.18(金)(2)桑名から養老鉄道に乗る

 06:38、私の乗った関西本線の電車は、定刻どおり桑名駅1番線に到着した。
 「その手は桑名の焼きハマグリ」の文言で有名な桑名市は、城下町であり宿場町でもあって、東海道唯一の海上路「七里の渡し」の発着拠点であった。現在でも、関西線と近鉄のほか、内陸部に入っていく鉄道路線が2本も出ている鉄道交通の要衝である。大垣共立銀行は1926(大正15)年から桑名に支店を出している【注1】。やや蛇足めくが、りそなウオッチャーの立場からは、協和銀行も前身の不動貯金銀行時代から桑名支店を出店していたことに触れておきたい(1920年開設、1957年廃店)。
 桑名駅舎は駅ビルになっているが、エスカレーターを上がって跨線橋に出ると、骨組などから古い時代の橋を使っていると感じられた。養老鉄道へは改札を出ずそのまま跨線橋を渡っての乗り換えとなり、ホームは近鉄名古屋線の下り線(伊勢・大阪方面)の反対側、4番ホームである。
 跨線橋には、イオン銀行のATMが置いてある。東海地区や近畿地区では、イオン銀のATMを(イオン系の店内でない場所に)単独で置いてあるケースが結構目につく。首都圏ではまず見ないが、その代わりセブン銀行が同じような置き方をしているから、これは地域性と言えるものだろう。跨線橋の壁には「7月22日、三重銀行大山田支店オープン」の広告ポスターが貼ってあった。
 イオン銀の隣が、ファミリーマートである。近鉄の駅売店はもともとエーエムピーエムだったが、現在では全てファミマになっていて、「近鉄駅ファミ」というロゴが付いている。すぐ隣にイオン銀ATMがあるから、店内にATMはない。さて、このファミマで、乾電池を1包み(2本)買った。名古屋から来る電車の中で思い出したのだが、乾電池の予備がない。上着のポケットに入れているつもりだったが、点検してみると1本もなかったのだ。これは、3月末に電子機器類を上着ごと盗まれた影響である。くそったれあの泥棒め。高くつくから乾電池などコンビニでは買いたくないのに。さて、この店にはレジが2台あって、手前のレジの前に立ったら「すいません、1列にお並び下さい」と手前のレジにいた店員のお姉ちゃんに叱られてしまった。奥のレジの列に並び直したが、結局自分の番が来ると担当はこのお姉ちゃんであった。

 養老線は06:44発で、発車まであと1分ぐらいしかない。まだ切符を買っていないので、少し焦り気味にホームに下りる。近鉄の伊勢志摩方面行きが出る6番ホームは、柵で細長く仕切られており、中間に改札口が設けられている。柵の向こうが養老線の発着する4番ホームであった(5番ホームは欠番)。改札の横には、ソバ屋によくある食券の自動販売機をそのまま使った乗車券の券売機が置いてある。大急ぎで美濃松山までの切符を買った。券の体裁はJRの乗車券と似た書式になっているが、紙質がペラペラだし、フォントが明朝体であるなど、やはり切符というよりソバ屋の食券であった。
 駅員に改札印を押してもらい、大急ぎで電車に乗り込んだ。オレンジ色に塗られた2両編成で、窓の下に白い帯が1本入っている。養老鉄道は昔の近鉄と同じ真っ赤な電車が標準であるが、この2両は昭和30年代の近鉄南大阪線の塗色を復元したということであった。ドアには「第三銀行カードローン」の文字だけのシール広告が貼ってある。さっき三重銀行の新規出店の話を書いたけれども、金融業界は過当競争気味でなかなか大変である。やはりと言うべきか、2017年2月、三重銀は第三銀行との経営統合を発表した。
 電子音の発車ベルと、ドア上のプルルルという警報音は、近鉄に乗っているのとほとんど変わらない感じがする。それも道理で、養老鉄道は2007年まで近鉄の養老線であった。赤字路線ということで近鉄から切り離されてしまったけれども、養老鉄道は近畿日本鉄道の100%子会社であり、線路や鉄道施設なども近鉄が所有しているので【注2】、本質的には会社の名前が変わって運賃が上がったぐらいの差しかない。細かく見れば、ホームに柵を張り巡らせ、連絡改札を通らなければ養老線に乗れなくなったことと、駅名板に引かれたラインが緑色になったという違いはあるけれども。
 乗り込んでほどなく発車。車内はガラガラで、前の車両に5人ぐらいしか乗っていない。後ろがどうだったか覚えていないが、たぶん客はほとんどいなかったのではないか。車内は暑かった。冷房がいちおう付いてはいるが、全然効いていない。

 養老線はさっきの関西本線とは異なり名古屋に直結する路線ではないから、沿線は建物の新陳代謝がほとんど見られなくなり、古い建物ばかりになった。最初の駅、播磨に停車。駅前に農協の店が見えたり、町工場よりは大きな工場が密集していたりする。工場の集まりは昭和40年代ぐらいの開発だろうか。NTNという会社の看板の水色が目立つ。NTNは桑名市発祥のベアリング製造大手で、かつては東洋ベアリング製造といった。
 播磨を出たあたりから、線路のすぐそばまで山が迫るようになった。養老山地に近いからか、左の車窓には小高い山が線状に並ぶ。山の手前には水田が1面2面とあり、民家が数軒固まって建っている。起伏のある土地なので、標高の高いところは樹木を植えて果樹園のようにしている。右を見ていると、低地が広く取れるところは見渡すかぎりの水田になっている感じがする。それも(二期作は無理だろうが)二毛作ぐらいはやっているかも知れない。休閑地のように見える土地は、前年に耕作して今年は休んでいるのか、すでに今年の刈り取りが終わっているのか区別がつかないが、いずれにしても何年も放ったらかされた休閑地とは違うと思われた。
 2つ目の下深谷駅は、昔ながらの味わいのある平屋建ての駅舎で、このあたりから早くもローカル私鉄らしい雰囲気が濃厚になってきた。左の高台上に学校(三重県立桑名北高)が見える。養老鉄道のホームページに公表されている各駅ごとの乗降人員表によると、下深谷は乗降客が多い部類の駅【注3】。この駅で反対方向の電車とすれ違う。交換した桑名行きは3両編成で、昔の近鉄と同様の赤い電車。車内はほぼ満席だった。まだ7時にもなっていないが、朝が早い人は早いものである。
 結構大きな農家があったり、古い神社があったりする。左の車窓から見える竹薮は、葉が真っ黄色になっていたり、倒れかかった竹があったりと、少し荒れているようだ。人の手が入っていないのだろう。とにかく左側は電車のすぐそばまで竹薮とツル草ばかりである。この時期の雑草は成長力が特に旺盛なようで、伸びた草が窓にカサカサ当たったりしている。
 3つ目の下野代駅は、ホームは片側のみ。左の車窓だけ見ていると山奥に入ってきた感じがした。山奥といっても、山自体の標高はさほど高くはない。そして、駅の北側で地形が少し開けた。土地利用としては水田と畑が半分ずつぐらいだろうか。水門があって、鉄橋を渡る。地形が開けたところと、山がすぐそばまで迫ってきているところが交互に繰り返される。それも、山脈のある左側からだけでなく、部分的には右側からも山が迫ってくるように見えるところがある。平野部にしては地形の起伏が激しいが、激しいというより、起伏が「豊かにある」という感じがした。
 4つ目の多度駅に到着。国鉄型配線の大きな駅である。旧桑名郡多度町の中心地で、「平成の大合併」により桑名市となった。多度大社という大きな神社があって、この神社の神事は競馬の愛好家には有名らしい。大垣共立銀行はこの地に多度支店を出していて、この駅で降りると支店のほか[桑名市役所多度支所]【注4】、[ピアゴ多度店]の2つの店舗外ATMが取れる(今日は行かない)。
 この駅で乗客が少し乗ってきた。乗って来る客を見たのは、養老線の途中駅では今朝初めてであった。

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 【注1】正確には、1926年に買収した共営銀行(大垣市)が1916(大正5)年から出店していたもの。
 【注2】2017年中をメドに、近畿日本鉄道が保有する養老線の鉄道施設を、地元出資の一般社団法人「養老線管理機構」に譲渡し、公有民営方式で運営されることになっている。
 【注3】「養老線交通調査結果」(2012.11.13)によると、乗降人員1位は大垣駅(7789人)。以下、桑名(3958)揖斐(1615)多度(1115)下深谷(994)と続く。最少は美濃山崎(162)。http://cug.ginet.or.jp/yororailway/data/kouthuu.pdf
 【注4】施設名は「桑名市多度町総合庁舎」が正しい。
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2017年04月05日

2014.07.18(金)(1)名古屋を出発

 私は徒歩で名古屋駅に向かっている。
 宿を出たのは05:40のことであった。道は早朝だからすいているが、すでに人通りも車の通りもちらほらと出てきている。太陽はすっかり上がっていて、空には少し雲が多いようだ。昨夜の天気予報では、岐阜県の18日の天気は、基本的には晴れ。降水確率は6〜12時が30%、12〜18時が40%、だと言っていた。まあ「いい天気」と言えるのではないか。
 宿舎は、名古屋駅から歩いて10分弱、地下鉄桜通線名古屋駅と中村区役所前駅のちょうど中間にあった。ホテルの部屋は1.5m×4mほどの縦長の部屋で、体感では畳3畳分あるかないかぐらいの狭さ。面積でいうと大阪・新今宮に多くある簡易宿泊所と大差ないから、これで2500円という価格設定は、逆にちょっと高いと言えるかも知れない。とは言え、改装したばかりできれいだから、快適とは言わないまでも安い宿として十分だと思った。ただ、目覚まし時計が部屋になくて、起床は自分の携帯電話のアラームを使用した。起きられるか不安だったが、どうにかなった。エアコンを切っていたせいもあって、起きた時汗びっしょりだったから、あまり良い睡眠ではなかったと思う。
 昨夜はホテルから散歩に出た。宿は太閤通りという東西に走る有名な通りに面しており、真っすぐ東に向かうとりそな銀行の名古屋駅前支店が控えている【注1】。ここで1万円を千円札10枚で引き出して、翌朝一番の「めぐ」に必要な千円札を確保した。その後は栄の繁華街まで歩いたけれども、これといって食べたいものもなし、味噌カツなら食べてもよいと思っていたが、結局は何も食べないまま、地下鉄で宿に戻ってきたのだった。
 さて、駅へ行く前に、昨夜見つけておいたサークルKに寄る。ここで、幕の内弁当と日経新聞の朝刊、それから2リットル入りの飲料水を1本思い切って買ってしまった。少し重たいのが嫌だけれども、水は少々ぬるくなっても何とか飲める。ここからしばらくは電車での移動が主になるから、(どこで飲み切るかにもよるが)少々重くても大したことはないハズだ。
 買い物を済ませて駅に向かう。名古屋に本拠を置く大手予備校、河合塾(名駅校)の大きな校舎が目を引く名古屋駅の西口は、博多駅東口などと似た感じの庶民的な賑わい方をしている。銀行は、三重銀と北陸銀が見える。富山市に本店を置く北陸銀は、駅からの距離がややあるが、角地に巨大なビルを建てている。これは中村支店だそうで、ということは名古屋支店が別にあるわけである。三重銀は名古屋駅前支店。三重銀・北陸銀とも、大垣共立銀行とはATMの無料提携協定を結んでおり、出金だけでなく入金もできる。“制覇”ができないのが残念だが。
 発車10分くらい前に中央口改札を抜け、関西線の出る13番ホームに入ってきた。隣のホームには武豊線の普通列車が止まっていて、ディーゼルエンジンがガラガラと音を立てている【注2】。関西線の電車はとっくに入線していると思っていたが、まだ入っていなかった。まだ6時になったばかりだというのに、じっとしていても汗が噴き出してくる。雲が多いので日差しはあまり強くなさそうだが、湿度がかなり高い。先が思いやられる。早く電車に乗せて下さいよ、始発駅なんだから。
 冷房がいちおう付いている待合室をホーム上に見つけて入ったが、この時間に冷房が効いているわけもなかった。

 《この列車は折り返し普通列車亀山行きになります》とアナウンスがかかり、目指す電車がようやくホームに入ってきた。こんな朝早くから折り返し列車というのは少し驚いた。発車時間の5分前に着いて折り返すとは、相当ギリギリで回しているダイヤのようだ。
 来た電車は、転換クロスシートの3両編成であった。313系の1500番台というらしい。グレーの内装に青い座席で、質実剛健というか、いかにもJR東海らしい車両だと思った。折り返し列車なので、冷房だけはきっちり効いていて助かった。着席してすぐ、コンビニで買った幕の内弁当を広げる。期待していなかったせいか、弁当は思ったより美味しかった。
 名古屋06:09発。いつの間にか発車していた関西線の電車は、右に大きくカーブしてJRの車庫の横を通過し、間もなく高架に上がった。紅白に塗られた近鉄の電車が、右横を追い抜いていった。この電車の1分後、06:10に近鉄名古屋を出る急行鳥羽行きである。あれで行くと桑名の到着はこちらより早いが、運賃がJRより高いので選択しなかった。
 八田駅の先、庄内川を渡る手前で近鉄の線路がJRをオーバークロスしていった。川のほとりには「大名古屋温泉」という昔ながらのヘルスセンターの大きな建物が建っているが【注3】、2014年3月で閉鎖になったそうだ。このあたりの関西本線は単線である。マンションなども建ち始めているけれども、田畑が残っている。2つ目の春田駅は周辺に高層住宅が建ち並ぶ新しい駅だが、その横を流れている川は護岸工事がされていなくて、岸が自然のまま。近鉄でも駅の改札内に踏切が残っていたりするなど、名古屋は開発が進んだところとそうでないところの差が大きいようだ。
 3つ目の蟹江駅で早くも名古屋市から出てしまい、同時に郡部(海部郡蟹江町)に突入する。名古屋駅を離れてわずか3駅で、用水路に浮き草がびっしり浮いている。耕作している水田の様子を、私はここ蟹江で久しぶりに見た気がする。「平成の大合併」で弥富市の中心駅となった弥富駅は、標高-0.93mで《地上で日本一低い駅》という看板が出ている。津島市に向かう名鉄尾西線の線路が右の方に分かれていった。関西線は弥富から複線となり、本日初の大きな鉄橋を渡った。これまでにも中小の鉄橋はいくつか渡っているが、なかなか渡り切らない長いものはこれが初めてだ。この鉄橋は木曽川に架かっているようである。
 三重県に入っても、車窓の風景は弥富付近とさほど変わらない。ただ、マンションなど背の高い建物は減ってきた感じで、一戸建て住宅ばかりになった。建物も古いものが少し多くなってきた。この辺りでは水田の稲穂が垂れて部分的に黄色くなっているから、もしかしたら稲作の二期作でもやっているのだろうか【注4】。輪中の石垣上に建った古い民家の壁に「名産真珠漬」の琺瑯引きの看板が見える。ここで、2本目の大河川を渡る。船着き場に小舟が止まっていたりなど、川が生活の中に根付いているのを感じさせる。これは長良川である。渡り切ったと思ったら、道路を挟んでもう1本大きな川を渡った。こちらが揖斐川である。長良・揖斐の2つの大河川の境界は、1本の道路なのであった。
 2本の大河川を渡ったところで、関西線の線路は左に大きくカーブする。名古屋から西に延びる線路が、真南に向きを変えた。ということは、そろそろ桑名駅に到着するハズである。やはり、右の車窓は水田がほとんどなくなって、建物の密度が高くなってきた。窓の外を走る道路も車線が増えてバイパスのようになってきている。さあ、降りる準備をしよう。

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 【注1】名古屋駅前支店は2017年3月13日、JRゲートタワー29階に移転した。
 【注2】武豊線は2015年3月に電化された。
 【注3】解体済み。
 【注4】このあたりは稲と麦の二毛作。
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2017年04月04日

2014.07.18(金)(0)プロローグA 計画を立てる

 まず、日程のことから。
 高須支店が「海津支店」に変わるのは、今年(2014年)7月22日(火)。ということは、単純に考えれば、その前日までは「高須支店」である。最終日の制覇がしたいのであれば、理屈の上では21日(月・祝)に行ってATMで預金取引をすれば良いことになる。
 しかし、過去にりそな銀行のシステム統合の際に経験したことだが、旧大和銀行店舗某店のシステム移行が翌週月曜日と告知されていたところ、その前の土曜日ですでに新システムでの取引に変わっていたということがあった。りそなと大垣共立銀行で全く同じ出来事が起こるとは限らないが、通帳の店名記帳だけ前倒しで表記を変えてしまうことはありうると思われた。大共がこうした際どのような運用をするか事前の情報が乏しかったので、冒険はやめにして、<高須>の通帳印字が確実に取れる日を選ぶことにした。それが、高須支店としての最終営業日となる、7月18日(金)であった。
 合わせて、この頃私は、自分が持っている銀行口座の整理を進めていた。大阪の1行と名古屋の2行に手続きの用事があって、今回一緒に片付ける。これらのうち、名古屋のX銀行に若干の不確定要素があった。出発前日までにこの銀行の東京支店で用事が片付かない場合、三重県内の支店まで出向く必要がある。こうした事情も考慮して、海津市の制覇は三重県に近い南側から始めることとし、養老鉄道美濃松山駅近くにある店舗外ATM[松山]をスタート地点と決めた。
 次は、実際の「めぐ」をどうするか。海津市での「大共めぐ」は、おおむね養老鉄道沿線とそれ以外の地域とに分けられる。鉄道のない地域はバスを利用することになるが、一般の路線バスも市のコミュニティバスも本数が少ない。そして、私が気になったのは、海津市の北側であった。輪之内町、養老町といった、海津市と隣接するエリアにも、鉄道駅から遠く離れた大共の拠点がある。できればこの機会に一緒に取っておきたいと思った。すると、「めぐ」にはバスよりもう少し効率の良い交通手段が必要になる。
 そういう視点でネットサーフィンを重ねるうち、素晴らしい情報に遭遇した。養老鉄道は、自社の駅でレンタサイクルを運営しているのである。詳細は後述するが、多度駅にだけ配備されている電動自転車には、特に惹かれた。レンタル料が500円【注】と少し高めだが、それだけの価値はあると思う。こうして、「養老線+自転車」というコースが骨格を現した。
 そして宿泊。これもまた難題であった。どういうわけか東海地区は、ネットのトラベルサイトで検索をかけても、安くて便利な宿が極めて少ない。今回、桑名駅近くのビジネスホテルが数件ヒットしたが、1泊あたりの料金は容認できるものではなかった。それ以外で見つかった宿が、どちらも近鉄名古屋線の沿線で、駅名でいうと伊勢朝日(三重県朝日町)、海山道(みやまど、三重県四日市市)の2か所。桑名までの移動時間はかかるものの、1泊あたりの宿代は許容できる水準だった。検討の結果、近鉄伊勢朝日駅近くのビジネスホテルを予約することにした。海山道の旅館は出発時間が伊勢朝日より早いのでやめた。

 ここまでを軸に、計画を立ててみる。7月16日(水)発の夜行バスで大阪に移動。17日(木)は大阪での用事を済ませ、近鉄の特急で名古屋へ移動して名古屋での用事を片付ける。その日のうちに伊勢朝日まで戻って宿泊し、18日(金)の本番を迎える。
 自転車での移動は、インターネットの地図サイトで「道案内」の機能を使って目標ごとの徒歩での所要時間を抽出、それに1/3を乗じて移動時間を算出した。少年時代に入っていたボーイスカウトで、ハイキングなどの計画の立て方として、移動時間を徒歩4km/h・自転車16km/h・自動車32km/hで計算するとうまくいくと指導者から教わった。それを参考に「自転車は徒歩の4倍の移動能力を持つ」といったん決め、さらに余裕を持たせて「3倍」とした。つまり、自転車での移動を12km/hと見積もったわけである。
 もろもろ弄った結果、今回は美濃松山駅を起点に、駒野まで養老線利用、駒野駅で自転車を借りて高須→今尾→野寺→輪之内→船附→養老と回り、養老駅に自転車を返却して終了するプランになった。多度駅にある電動自転車の使用は、三重県が今回のコースから外れるため、断念した。
 「[松山]7時スタート」とした場合は、伊勢朝日を06:34に出る近鉄名古屋線の準急に乗れば、美濃松山に07:04に到着できる。大共のATMは7時台には出金に手数料がかかるから、7時台の制覇作業は入金のみで行う(入金は終日無料である)。千円札を事前に多めに準備しておく必要があるが、これは前日に両替を忘れなければ問題はない。なお、名古屋X銀行の用事は、東京支店に出向くことで出発までに決着したため、三重県の支店に行く必要はなくなった。

 プランがひととおり出来上がったので、あとはバスや宿舎を予約して実行すればおしまいである。しかし、ここで信じがたいトラブルが発生した。アテにしていた伊勢朝日の宿が、満室になってしまったのだ。本当に「満室」だったのか知らないが、少なくともトラベルサイトから予約できなくなったことは間違いない。伊勢朝日がダメとなると、次点としていたのは四日市市の海山道だが、桑名までの移動時間が30分ほどかかる。それなら、いっそのこと名古屋で宿を探した方が、安くて快適なものが見つかりそうだ。改めて見つけた宿は、名古屋駅西口から徒歩10分以内の場所にあって、1泊2500円。寝られれば良い私には、これで十分であった。18日早朝の名古屋発の時刻は、海山道と大差なかった。
 かくして、最終計画は次のとおりとなった。

(名古屋までのアプローチは記載省略。太字は大垣共立銀行の拠点を示す。「支店」「出張所」の呼称のないものは店舗外ATM。)

 名古屋 06:09(JR関西本線 亀山)06:38 桑名 06:44(養老鉄道 大垣)07:04 美濃松山(0.199km、徒歩2分)07:06 松山
 美濃松山 07:33(養老鉄道 大垣)07:36 石津(0.486km、徒歩5分)07:41 南濃支店
 石津 08:06(養老鉄道 大垣)08:14 駒野(0.224km、徒歩2分)08:16 駒野出張所
 駒野出張所 08:32(0.706km、徒歩9分)08:41 海津市役所南濃庁舎
 海津市役所南濃庁舎 08:56(0.606km、徒歩7分)09:03 駒野駅 *自転車借り出し
 駒野駅 09:15(3.09km、13分)09:28 ホームセンタークロカワヤ
 ホームセンタークロカワヤ 09:43(0.599km、3分)09:46 海津市役所
 海津市役所 10:11(0.635km、3分)10:14 高須支店
 高須支店 10:30(3.63km、15分)10:45 ヨシヅヤ海津平田店
 ヨシヅヤ海津平田店 11:00(0.5km、2分)11:02 今尾支店
 今尾支店 11:17(5.08km、21分)11:38 野寺支店
 野寺支店 11:53(3.28km、14分)12:07 イオンタウン輪之内
 イオンタウン輪之内 12:22(2.09km、9分)12:31 輪之内町役場
 輪之内町役場 12:46(4.47km、19分)13:05 船附
 船附 13:20(1.7km、7分)13:27 珍品センター
 珍品センター 13:45(5.03km、21分)14:06 フードセンタートミダヤ養老店
 フードセンタートミダヤ養老店 14:21(0.397km、2分)14:23 押越出張所
 押越出張所 14:38(0.867km、4分)14:42 養老支店
 養老支店 15:00(0.349km、2分)15:02 養老町役場
 養老町役場 15:17(2.72km、12分)15:29 イオンタウン養老
 イオンタウン養老 15:45(5.64km、24分)16:09 養老駅 *自転車返却、総走行距離41.137km
(養老鉄道で大垣へ。以降未定)

 今回の計画で、岐阜県海津市・輪之内町・養老町に19か所ある大垣共立銀行の拠点を、全個所制覇できることになる。原則、1か所の制覇に15分かかるとして、時間はところどころ多少の余裕を持たせてある。海津市役所だけ25分で計算している理由は今となってはわからないが、ミスではないかと思う。
 なお、駒野に着いた後、2か所回ってから自転車を借り出すのは、養老鉄道のレンタサイクルが朝9時からの営業だからである。

今回の行動範囲

 【注】現在は510円になっている。
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2017年04月03日

2014.07.18(金)(-1)プロローグ@ 海津市に行くかい?

 私はインターネット上では「為栗裕雅」の名前で活動しており、ウェブサイト『遊牧民の窓』というものを運営している。メインのサイトの下に、ツイッター(のまとめサイトの『ツイログ』)のほか、銀行めぐりに関するニュースブログ『為栗ニュース』、小生の身辺雑記のブログ『遊牧民のゴタク』、そして当『MEGU』と、3つのブログをぶら下げている。
 ウェブサイトを最初に公開したのは、2003年のことであった。干支が一回りした現在、活発に情報発信しているのはツイッターぐらいで、ひところと比べると活動は落ち着いてしまった。これではならじ、と思う。人間は好きなことをやっている時が一番輝いているのだ。私も、東京・浅草のビール会社屋上にあるモニュメントのように、メラメラと輝きたいと思っている。
 閑話休題。2014年7月1日、私が運営するブログの一つ『為栗ニュース』に、私は以下のようなニュース記事を掲載した。

大垣共立銀、海津市で店舗網再編
 大垣共立銀行は1日【注1】、岐阜県海津(かいづ)市内の店舗網を再編すると発表した。
 大垣共立銀は海津市内に4支店1出張所を配置している。これらのうち、まず高須支店を今年7月22日(火)から「海津支店」に名称変更し、同市の中心的な店舗であることを明確にする。
 次いで、予定では2015年2月2日(月)から、海津支店以外の3支店1出張所を銀行代理店に変更する。同行の銀行代理店は、今年6月24日に設立された同行の全額出資子会社「鰍nKBフロント」(大垣市)が業務を担当する。新設される代理店では当座預金や事業性融資などを扱わず、これらの業務は海津支店に継承する。
 海津市は、2005年3月に海津・南濃・平田の旧海津郡3町が合併して発足した「平成新市」だが、大垣共立銀の歴史的な地盤の一つ。今回の再編対象5店のうち、高須支店は1878(明治11)年に当地で創業した第七十六国立銀行の本店だった店舗。ほかの店舗も昭和初期までにはほぼ出揃っていた。
(『為栗ニュース』2014年7月1日掲載 http://s-news.seesaa.net/article/400803730.html

 記事にも書いたとおり、岐阜県海津市は、2005年3月に旧海津郡の3つの町が合併して発足した「平成新市」である。地図を見ると、同市は岐阜県の西南端にあって、蝶が羽を広げたような形をしている。東海道新幹線と関西本線とのちょうど中間。西を養老山地、東を長良川・木曽川で仕切られ、中央を揖斐川が貫流する。揖斐川の西を養老鉄道が縦貫している。大垣と桑名を結ぶ養老鉄道は、海津市西部の重要な交通機関である【注2】。
 りそなグループの銀行をめぐる記事ばかりブログに出しており、私の中でりそなの比重が高いのは事実だが、私はりそな以外の銀行についても一定の注意を払っている。とりわけ、岐阜県大垣市に本店を置く大垣共立銀行は、取引を扱った店舗の名前が通帳に漢字で記帳され、しかも取引が店舗外ATMであった場合はATM名での記帳が行われる。存在感の大きな銀行として、以前から関心を持っていた。
 また、私の関心対象は銀行だけではない。そのうちの一つに「地理好き」というものがある。このニュース記事を作成していて一番に思ったのは、この地域のハシゴをすると、天井川と輪中という2つの特徴的な地形が見られる、ということであった。両者とも教科書的な知識だけで目の当たりにしたことはないから、これも楽しみの一つであった。さらに、「平成の大合併」で誕生した新市がどういう地域的なまとまりをもっているかにも関心があった。
 かようなわけで、高須支店の店名変更を前に、大垣共立銀行の海津市全店制覇を図ることにした。

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 【注1】銀行のニュースリリースは6月30日付になっている。大垣共立銀行はウェブサイトにリリースを出す際、1営業日前の日付にするのが習わし。「『株式会社OKBフロント』の設立ならびに海津市内店舗の店名・店舗形態の変更」『大垣共立銀行』https://www.okb.co.jp/all/news/2014/20140630.pdf
 【注2】自治体名でいうと、岐阜県揖斐川町・池田町・神戸町・大垣市・養老町・海津市・三重県桑名市を繋いでいる。
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新連載「大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇」のお知らせ

 当ブログ「MEGU」で、2017年4月3日(月)18時から新連載を開始します。
 今回は、2014年7月18日(金)に、岐阜県南西部の海津(かいづ)市・輪之内(わのうち)町・養老(ようろう)町を舞台に、大垣共立銀行の有人店舗および店舗外ATM、計19か所の制覇活動を行った記録です。
 分量は400字詰原稿用紙で450枚前後、回数は現時点で60回の予定です。例によって1日1本のペースでダラダラと掲載していきます。多少の脱線もありますが、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。

大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇

今回の行動範囲

百聞は一見に如かず

2014.07.18(金)
  (-1)プロローグ@ 海津市に行くかい?
  (0)プロローグA 計画を立てる
  (1)名古屋を出発
  (2)桑名から養老鉄道に乗る
  (3)岐阜県最初の駅、美濃松山
  (4)[松山]を制覇
  (5)美濃松山から石津へ
  (6)南濃支店を制覇
  (7)静けさしみ入る石津駅
  (8)天井川をくぐって
  (9)駒野駅に到着
  (10)駒野出張所を制覇
  (11)桃栗三年柿八年?
  (12)[海津市役所南濃庁舎]を制覇
  (13)“愛車”との出会い
  (14)いよいよ自転車で漕ぎ出す
  (15)[ホームセンタークロカワヤ]を制覇
  (16)続いて[海津市役所]を制覇
  (17)「ピピット」のこと
  (18)江戸時代にタイムスリップ
  (19)イエス、高須支店
  (20)国立銀行のこと@ 76と129
  (21)国立銀行のことA 私立銀行転換と銀行法
  …to be continued

凡例 および おことわり
 カッコの使い分けは以下のとおり。《 》引用などの「丸写し部分」、[ ]店舗外ATM名、〔 〕バス停留所名。
 用字は原則として新字・新かなづかいを用いた。
 参考文献は連載の最後にまとめて記載する。一部に連載の途中で示す場合もあるが、必要に応じての例外である。
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2017年03月31日

新連載「大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇」のお知らせ

 当ブログ「MEGU」で、2017年4月3日(月)18時から新連載を開始します。
 今回は、2014年7月18日(金)に、岐阜県南西部の海津(かいづ)市・輪之内(わのうち)町・養老(ようろう)町を舞台に、大垣共立銀行の有人店舗および店舗外ATM、計19か所の制覇活動を行った記録です。
 分量は400字詰原稿用紙で450枚前後、回数は現時点で60回の予定です。例によって1日1本のペースでダラダラと掲載していきます。多少の脱線もありますが、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。

大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇

今回の行動範囲

凡例 および おことわり
 カッコの使い分けは以下のとおり。《 》引用などの「丸写し部分」、[ ]店舗外ATM名、〔 〕バス停留所名。
 用字は原則として新字・新かなづかいを用いた。
 参考文献は連載の最後にまとめて記載する。一部に連載の途中で示す場合もあるが、必要に応じての例外である。
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2017年01月05日

さらば第四銀行

 第四銀行は2017年1月4日から勘定系システムを刷新し、その結果、これまでこよなく愛した取扱店名の漢字による通帳記入が廃止となりました。
 私は「通帳に文字で取扱店名が出る」という一点をもって、その銀行を偏愛し「めぐ」を実施しておりますので、それがなくなった以上、第四銀行ともお別れすることになります。口座を解約するわけではありませんが、これまでのように愛着をもって取引することはできなくなりました。
 そこで、これまで愛した証として、「締めくくりの記」のようなものを草し、過去帳入りした「第四銀めぐ」を偲ぶことにしたいと思います。

 私の過去の「第四銀めぐ」の経緯については、昨年12月に発表した記事「第四銀行の全店制覇を達成」で触れておりますので繰り返しませんが、10年以上にわたってちびちびと第四銀の店舗を巡ってきたわけです。制覇の記録はこちらをご参照下さい。
 「第四銀めぐ」を2016年でいったん完成させようと思ったきっかけは、旧長期信用銀行のあおぞら銀行で昨年5月に実施された勘定系システム刷新でした。あおぞら銀は預金取引の取扱店が半角カナで通帳に記帳される銀行でしたが、昨年5月の改変でこれが廃止されております。事前にコールセンターに照会して「店名は漢字記帳になる」との回答を得ていましたので、未制覇のまま残っていた首都圏の店舗はシステム刷新後の楽しみに残していたのです。ところが、結果は店名記帳廃止(店番号で表示)。コールセンターの説明が嘘っぱちとは何事か、と思いますが、ともあれ同行の首都圏店舗は永遠に未制覇のままとなってしまいました。
 一方、第四銀行もシステム刷新の話が具体的になってきます。提携関係にある地方銀行グループ「翼プロジェクト」での合意に合わせ、千葉銀行・中国銀行(岡山市)とシステムを共通化するということでした。これだけなら、基本的なシステムは導入しつつも第四銀なりにカスタマイズする可能性もありますので、店名の記帳が廃止になるとは想像できなかったのですが、あおぞら銀の轍を踏まないためにも、第四銀めぐりは2016年でいったん完成させておこう、という方針を立てました。
 2016年の秋になって、システム改変に伴う告知が出ます。第四銀が2016年9月26日付で出した『第四銀行からの新システム移行に関する重要なお知らせ』というパンフレットでは、「通帳への印字内容の変更について」というページで、店名印字の廃止について一切触れておりません。第四銀は過去にシステム改変を行った際に店名印字を存続させていますので、これは特段変更がないという意味かと楽観的に構えていました。
 そこへ「新通帳のフォーマットが千葉銀行と同じ」という指摘をいただきます。ここで初めて、少し嫌な予感がしました。千葉銀は店名の印字などありませんので、通帳のフォーマットを千葉銀に揃えるということは、印字の様式なども千葉銀に合わせるということなのか。心ははやりますが、この時期は手の離せない仕事を抱えていて、第四銀めぐりを行うことはできませんでした。
 ようやく日程に余裕ができたのが、12月に入ってから。12月9日15時38分に津川支店で全店制覇を達成したのは、先述の記事で書いたとおりです。五泉市から津川に向かう国道49号線はところどころで雪化粧しており、また10日から本格的な雪になるとの予報でしたので、雪道の運転経験が乏しい私としては、1日でもズレたら危ないところでした。

 全店制覇の報告に対して、新たな情報が寄せられます。私が2005年に半角カナでの制覇を済ませていた、長岡新産センター支店についても、通帳の様式によっては全角漢字で店名記帳がなされるというのです。上述の事情から年内に制覇を済ませないといけませんが、年の瀬も押し迫った12月26日まで日程が取れませんでした。過去の「めぐ」で印象の薄かったところを併せて再訪することにし、青春18きっぷを利用して移動するプランを立てて準備していたところ、そこに襲い掛かったのが、糸魚川市中心部の大火です。27日は「ラーメン二郎」の会津若松駅前店へ行こうと思っていたのですが、予定を変更して大火直後の糸魚川市を見てくることにしました。この、12月26〜27日のハシゴが、結果的に最後の「第四銀めぐ」となりました。最後の“制覇”(店名が記帳される取引という意味で)は、大火5日後の糸魚川支店でした。このあたりについては、当ブログ2016年12月30日掲載「大火5日後の糸魚川市を訪問」をご参照下さい。
 そして迎えた2017年。1月4日の『為栗ニュース』記事「第四銀、通帳への取扱店名記帳を廃止」もご参照下さい。システム改変後の状況は、首都圏で唯一ATMを配備している大宮支店で見てくることにしていました。昼近くに大宮に着き、まずはATMで“制覇”と同じ取引を。レシートに取引時刻が印字されるようになったのは進歩でしたが、通帳記入をかけて全てが終わりました。出てきた通帳は、「大宮支店」と書かれているべき場所に「AD」「CD」の短い英字略号しか印字されていなかったのです。これを見た時、私は「第四銀めぐ」という一つの時代が終わったのを感じました。

 第四銀行めぐりを行う過程でお世話になった、関係者と同好の士の皆様に、改めて感謝申し上げます。そして、さようなら、私が愛した第四銀行。「第四銀めぐ」の冥福を祈ります。

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posted by 為栗 裕雅 at 11:20| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 単発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月30日

大火5日後の糸魚川市を訪問

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 新潟県糸魚川(いといがわ)市は、年の瀬の2016年12月22日、約150棟を焼く大規模火災により、町の中心部が大きく壊滅しました。被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。
 私はもともと26日に新潟県を訪れる計画があり、27日は福島県の会津に回ってラーメンを食べてこようと思っていたのですが、急きょ予定を変更し、大火5日後の糸魚川市の様子を取材してくることにしました。どこかの野党党首とは違いまして、自分の休日を使い、しかも費用はすべて自腹であります。以下はその際の知見によって書かれたものです。


【写真はクリックで拡大表示されます(上の1枚を除く)

itoi-1.jpg 12月27日(火)、えちごトキめき鉄道の泊行き普通列車、直江津08:08発で糸魚川へ。直江津駅近くの旅館を出た時は小雨がパラつく程度だったが、列車の進行とともに雨脚が強さを増した。
 08:50糸魚川着。北陸新幹線の開業によりきれいに整備された糸魚川駅を、北側に出る。駅前広場の右にすぐ建っているのは、「ヒスイ王国館」といい、今回の大火で金融機関が臨時窓口を設けていた建物【右写真】。土産物屋や貸会議室などを備えた施設で、経営している株式会社は市の第三セクターと思われる。
 ヒスイ王国館を横目で見ながら、第四銀行糸魚川支店を目指す。前回訪れた際の目的地が第四銀の支店であったこと、今回も第四銀を中心に金融機関を見てくることが主目的であることが理由である。

 駅前の大通り(県道154号糸魚川停車場線)を北に向かい、最初の大きな交差点「大町」で左折すると、金融機関が並ぶ糸魚川市の中心街である。大町交差点に向かう途中の小さい路地に、通行止になっているところがあり、被害の大きさが案じられた。右前方に、大光銀行の糸魚川支店が見える。大光銀は今回被災していない。大町の交差点(丁字路)は、その手前にある。
itoi-2.jpg 左折すると、途端に、数十メートル先で建物が全部なくなっているのに気付く。「きれいさっぱり」ではない。黒焦げになったがれきが崩れたままの状態でところどころ山になっている。これでも、道路上のがれきなどは片付けられているのだろう。
 焼失区域の中に第四銀行と北越銀行の糸魚川支店があり、鎮火後にこの2つのビルだけ形を残しているのは、新聞報道などで写真(共同通信社配信)を見て知っていた。まず先に、前方左に見えるのが北越銀行【左写真左】。形を残していると言ってもこの状態である。北側半分の窓がすべてベニヤ板で覆われているから、ガラスが溶けたり割れたりしたのだろう。2014年9月撮影のグーグルストリートビュー【左写真右】を見ると、手前の道路と北越銀との間には、旧商店と旅館があったようだ。大火後の写真は、ストビューでいうと画面の左下、歩道の色が変わっているあたりで撮ったものである。
itoi-4.jpg 北越銀【左写真】の店内に入ってみた。店の前面は白い鉄板で覆われており、その前で行員が案内がてら箒で掃除をしている。おはようございます、こちらから入れますので、という声に従い、細い入口から中に入る。この出入口は、本来なら午後3時の閉店後に客が中から出るためのものだろう。窓口室はとりあえず焼けてはおらず、いちおう通常の形で営業しているようだった。しかし焦げ臭いにおいが充満しているし、気のせいか照明も少し暗いと感じられる。ATMは窓口室で1台だけ稼働している。これはもともと窓口室に置かれていた分だろう。大火後、北越銀行は糸魚川支店のATM稼働時間を窓口と同じ15時までとしているし、キャッシュコーナーの部分は鉄板で覆われているから、おそらくキャッシュコーナーが焼けたのだろう。
 大火前、店先には木製の雁木(がんぎ:今でいうアーケード)が付いていた。このあたりは明治時代の名残を残す古い町並みで、大町の交差点から始まるこの道にも「雁木通り」という通称名がある。鉄筋コンクリート造りの北越銀も、お付き合いで店先に雁木を設置したのだろう。この雁木に火が回ったと思われる。
itoi-3.jpg なお、北越銀の反対側は【右写真】のような状態。右(西)側の壁面が焦げていないのは、駐車場への通路に面していたため。

itoi-5.jpg 第四銀行の糸魚川支店は、北越銀の50mほど先にある【左写真左】。こちらも、窓にブルーシートを張ったりガラスをテープで補修したりと痛々しい状況。ただ、キャッシュコーナーは通常通り稼働しているし、北越銀よりは被害程度が軽そうに見える。第四銀の店頭に木製の雁木がなかったことが、被害の軽重を分けたのかもしれない。
 第四銀の店先に出ている看板【左写真右】。今回の大火は「糸魚川市駅北大火」という名前になったらしい。金融機関は、自ら被災しながらも被災者に対する支援を行うという社会的役割を担っているのだな、と感じた(右の看板に似たものは北越銀の店頭にもあった)。なお、糸魚川市の指定金融機関は第四銀行と北越銀行で2年ごとにローテーションしており、現在(2016年8月以降)は第四銀が担当している。
itoi-6.jpg 第四銀の隣は、江戸時代から400年近く続いたという造り酒屋だった【左写真】。加賀の井酒造という名称は、加賀藩が参勤交代の際ここに本陣を置いたことに由来するという。新潟県最古の酒蔵で、創業当時の記録など諸々の古文書も保存していたが、焼失したとみられる。第四銀が受けた影響は、隣接する造り酒屋が燃えたことが全てのようだ。報道された写真(朝日新聞社配信)で、外壁が黒焦げになっているのは、造り酒屋の本館建物があったところの北側である。前面半分の壁がきれいなのは、そこが酒蔵の庭だったことと、南から強い風が吹いていたためだろう。
itoi-7.jpg 先日ツイッターに出した、2010年当時の糸魚川支店の写真【右写真左】。バスの待合所のように見えたのは、隣の造り酒屋の店先に作られた雁木の部分だったが、前の写真のように焼失した。ストビューの写真で、木製の柱の背後に写っている文化財の説明看板が、そのまま残っている(文面【右写真右】)。
 このブログは銀行めぐりのブログであるので、第四銀糸魚川支店の“制覇”の記録を出しておこう。機械の配置は両替機+ATM4台。市の中心にある支店としては平均的な台数であった。制覇は09:10頃のことであった。第四銀のATMレシートには取引の時刻が印字されていないので、大まかな時刻しかわからない。

itoi-8.jpg 第四のさらに向こうを見ると、雁木通りの北側では京屋という和菓子店が西の限界である。店の東側は第四銀の第二駐車場であり、京屋はそのおかげで延焼を免れた【右写真】。雁木通りの南側では、京屋の10mほど東側、糸魚川信用組合の本町支店が大火の西限である。信組も被災はしたが、外見上は壁が焼けた程度に留まり、ATMと窓口は普通に営業している。さすが金融機関の建物は火に強いようだが、それでも被害が最も大きかった北越銀行を見ると「ある程度」でしかないようだ。なお、ここから雁木通りをさらに西へ行くと、富山第一銀行が糸魚川支店を出しているが、そこまで行ったことはないし、今回も行かなかった。
 とにかく、火が襲ったエリアはどこもかしこも真っ黒焦げ。「焦土」とはこういう状態をいうのだろうか、と思った。他所者・部外者の私が来てそう感じるぐらいである。この町で生まれ育ち、人生の記憶の大半がこの町にある地元の人は、さぞかし大きな喪失を感じているのではないかと思う。もちろん、焼け出された人にとっては、人生の記憶以前に生活の基盤まで喪失したわけである。
 そして、それをあざ笑うかのような土砂降りの雨。今日ではなく、あの火事の日に、このぐらい降ってくれればよかったのに。大火が起きた日のフェーン現象が尋常でなかったのは、東京にいてもよくわかった。あの日、東京は強い雨。かなりの暴風が吹き荒れ、気温も12月下旬にして摂氏20度まで上がったのである。その裏で、日本海側では乾いた強風が吹きまくった。よりによってこのタイミングで、火元となったラーメン店の店主は鍋を空焚きにしてしまったわけである。偶然の一語で済ませるにはあまりに重い不幸であると感じた。
posted by 為栗 裕雅 at 14:40| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 単発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月29日

第四銀「完全」制覇(ではないか)

 暮れも押し迫った12月26〜27日、新潟県に出張し、懸案だった第四銀行長岡新産センター支店を制覇してきました。情報提供いただいたとおり、通帳には漢字で店名が印字されました(画像上)。
 この支店、店名の通帳印字が漢字になるのは入金の時のみで、出金時には半角カナになるという、変則的な扱いになっております。漢字になるかカタカナになるかは字数の関係だと思いますが、紙の通帳とインターネットバンキングとで表示が逆(後者は出金の時に漢字)となっているのは面白いと思いました(画像下)。個人の感想ですが、第四の隣にある北越銀行の支店は名称を「長岡新産支店」といいますので、第四も「センター」を外してしまってはどうか、と思います。
 タイトルはなんだか自信喪失した感じですが、「完全」という単語は安易に使わない方がいいと考えております。一応、今回で漏れはなくなったハズですが。

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posted by 為栗 裕雅 at 18:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 単発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月10日

第四銀行の全店制覇を達成

 ツイッターでご報告したとおり https://twitter.com/shiteguri/status/807114469318868992 、2016年12月9日15時38分、第四銀行の全店制覇を達成しました。
 最後の制覇となったのは、津川支店(新潟県東蒲原郡阿賀町)でした。国道49号線を東に10kmも進むと福島県に入るという、山間の町にある支店です。
 なぜ津川が最後になったかというと、2016年中に第四銀めぐりをいったん完成させることにし、未制覇だった31か所を一気に車で回ったためです。31か所は大半が新潟市とその周辺でしたが、津川支店だけ際立って離れた場所にありましたので、第四銀めぐりの締めくくりとしてふさわしいと思われました。では、津川だけなぜ最後まで残ったかといいますと、福島県と新潟県とを結ぶJR磐越西線を、津川のような途中の駅で降りる機会がなかったため。一度模索したことはありましたが、支店は駅から川の対岸にあり、1.5kmほど離れているため、寄り道するには時間がかかり過ぎるとして諦めたのでした。

 これを機会に、私の「第四めぐ」を振り返ります。
 第四銀行で取引をして通帳に店名を記載した第1号は、2001年10月24日の横浜支店でした。当時横浜支店は路面店舗で、ATMも配備されており、取引をした結果は<ヨコハマ>と半角カタカナで記帳されております。当時はまだ、漢字で店名が記帳されるあさひ銀行(現りそな・埼玉りそな銀行)の制覇に注力しており、半角カタカナには魅力を感じなかったため、この時期の店名記帳は横浜支店ただ1つにとどまっております。
 第四銀の「めぐ」を初めて意識したのは、2003年4月22日の池袋支店でした。ATMで記帳した場合は店名が半角カタカナだが、窓口で記帳してもらった場合は漢字表記になる、という情報を得たため、自宅から一番近い店舗に行ってみたのです。この時が実質的に現状スタイルでの初制覇ということになります。以後、この年は大阪・富山・名古屋・会津(会津若松市)・札幌と、県外店舗の制覇が続きます。
 新潟県内店舗の制覇第1号は、2004年9月10日、小千谷市の東小千谷支店です。この日は同市と長岡市の計6店を制覇していますが、なぜ小千谷市が第1号になったか、自分でもさっぱりわかりません。2005年3月には、当ブログにも掲載されている上越線から佐渡島方面に至る34店の「めぐ」を実施 http://megu-shiteguri.seesaa.net/category/5644496-1.html 。翌月の2005年4月には新潟県北部へ出向き8店制覇、2006年8月には松之山代理店(十日町市)の統合にともない十日町から新井(妙高市)に至る12店を制覇しましたが、そのあと2007〜2009年の3年間は制覇がパッタリと止まりました。
 第四銀のATMは、2009年頃から現行の「AK-1」が導入され、この型のATMで通帳記帳を行った場合、窓口で記帳を依頼しなくても店名が漢字で印字されるようになりました。これをきっかけに、2010年2月の上越市方面から制覇を再開し、2011年11月には本町北支店(新潟市中央区)の統合にともない新潟市内を回りましたが、2012・13年は休止。以後、2014年は9月、2015年は2月、2016年は4月と、休止した年を除き年1回ほどのペースで新潟県内での「めぐ」を実施してきました。
 このままいくと全店制覇は東京オリンピックの頃あたりになりそうでしたが、心境の変化から2016年でいったん完成させることにしたため、今回最後まで残った31店を一気に攻めたわけです。レンタカーで一気に回るのは、効率的な半面、個々の店に対しての印象がどうしても薄くなりますから、できればローカル鉄道やローカル路線バスの旅をしながら、時間をかけてゆっくり制覇したかったのです(だから津川も最後まで残していたのでした)。しかし、池袋支店で初めて「めぐ」を意識してから13年が経過し、さすがに時間の掛け過ぎだとも考えました。

 最後に、百聞は一見に如かずで、2日間全32店の制覇の証拠をご覧に入れましょう。東京から夜行バスで新潟駅に着きましたので、新潟駅前にある制覇済みの支店(南新潟支店)を含めて32店です。9日の分は記帳してくるのを忘れましたので、インターネットバンキングのスクリーンショットをお見せします(クリックで拡大)。

第四通帳1208-09.jpg
posted by 為栗 裕雅 at 12:12| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 単発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ一覧(過去の連載など)
大垣共立銀 岐阜県海津市+2町完全制覇(24)
単発(12)
告知板(24)
銀行めぐ2015冬 みちのく銀秋田県全店制覇(29)
りそめぐ2013梅雨 大阪市営バス“最長”路線[93]を行く(43)
りそめぐ2011晩秋 都営バス最長路線[梅70]の旅(57)
りそめぐ2008秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる 東武伊勢崎線・野田線沿線17店舗の制覇(51)
りそめぐ2009初秋 りそな銀千葉県内12店舗完全制覇(35)
りそめぐ2008夏 りそな銀東京都世田谷区4店舗完全制覇(8)
りそめぐ2008春 埼玉高速鉄道で帰省してみた(18)
りそめぐ2008秋 太平洋は青かった 茨城→北海道750km大移動/銀行めぐ2008秋 札幌市内4行4店舗完全制覇(20)
りそめぐ2008初秋 湘南セプテンバーストーリー(11)
りそめぐ2008冬 銀河に乗って知事選たけなわの大阪府へ(47)
りそめぐ2008夏 「近畿大阪めぐ」スタート記念 片町線・京阪線沿線25店完全制覇(51)
りそめぐ2007晩秋 関西デハナク近畿(60)
りそめぐ2008冬 人命の重さと意味を考える(12)
りそめぐ2007秋 「埼玉県民の日」に埼玉県内をめぐる(35)
2007年7月 りそな関西地区支店昇格5店完全制覇+α(43)
あさめぐ・最後の爆走 西日本地区15店+1店完全制覇(34)
2006年1月 りそめぐ「旧奈良銀店舗全店制覇」(53)
第四銀行めぐ 2005年(41)